夕闇の迫る部屋の中で、一刀・稟・風の三人の視線は一箇所に集まっていた 「私は司馬懿仲達、『天の御使い』様にお聞きしたい事があり、参上仕りました」 陶磁器の人形を思わせる少女は、そう言うと一刀の方に視線を向けた 容姿は秀麗と言っていいが、瞳や表情には感情の色が乏しく、どこか冷たい雰囲気を纏っている 風や稟とは異なる印象を持つ少女に、一刀は複雑な視線を向けるのだった 超空の恋姫〜2・北荊電撃戦〜 三国志を知っている者であれば、司馬懿仲達の名を知らぬ者はいないだろう かの伏龍・諸葛亮孔明の好敵手にして魏の軍師、後の『楚』を築いた稀代の策略家 確かにこの時代を駆け抜けた英雄の一人に違いなかった しかし、どうやら司馬懿仲達といえども、この世界の法則には抗えなかったようだ 「あー、うん」 気の無い返事を返すだけの一刀であるが、それも仕方ないだろう 背の高さは風と同じ程度、銀色の長髪に切れ長の瞳、そして陶磁器のような肌 何処からどう見ても美少女が、自分は司馬懿仲達だと言っている 素直に受け入れろという方が無理である 風や稟で慣れたと思ったんだけどなぁ、と心の中で呟く一刀に、司馬懿が再び声を掛ける 「……御使い様?」 「あ、うん。俺は北郷一刀、真名は無いから、北郷か一刀でいいよ。その、『天の御使い』って呼ばれるのは、苦手でね」 「承知しました、北郷様」 その様子をじっと見詰める目が四つ、当然ながら稟と風だ 二人は一刀と出会う前から旅をしていただけあり、噂程度ではあるが司馬懿仲達の話も聞いていた 若くしてその才能を世に認められる才女として、幾度か名を聞いた しかし、それ以上に「変わり者」「人形」といった好意的でない噂も同時に耳にしている そんな者が一体一刀に何を聞きにきたというのか、風はさておき稟の顔には若干の緊張の色も見える そんな思いを知ってか知らずか、司馬懿が感情の起伏を感じさせない声音で問いかける 「北郷様にお聞きしたいのは、今の世を如何に思い、この先をどう歩まれるか、という事です」 「……おやおや、お兄さん。どうやら値踏みされているようですね〜」 「どういう事ですか、風?」 瞬時にその意味を理解したのは風の方だった 作戦家・戦術家としては間違いなく優秀な稟であったが、こういった機知は風の方が上手らしかった 「つまり、自分が仕えるに足る人物であるかどうか、それを見極めに来たって所でしょうか〜」 「……それが本当であれば、随分と失礼な話になりますが?」 眼鏡の奥の瞳を光らせて、稟が司馬懿の方に視線を向ける 自分が仕える主に対してその様な態度をとられたのなら、不機嫌にもなろう 瞬時に剣呑さが増した室内で、司馬懿だけは変わらずに一刀の方を向いている 表情には臆した様子も見られず、ただ一刀の答えを待っているだけだ その瞳をじっと見返しながら、一刀はゆっくりと口を開いた 「始めに言っておくけど……俺は、この世界の住人じゃないんだ」 「承知しております」 「だからといって、聖人君子を気取るわけじゃ無い。俺だって人間だからね」 「はい」 「その上で言わせてもらうと……」 そこまで言って、一瞬だけ口を閉じる 風の、稟の、そして司馬懿の瞳が自分を注視している事を確認して、再び口を開く 「正直、今の世の中は酷いもんだと思ってる。これは、風や稟と旅してた頃から思ってた事なんだ」 「実情をご覧になっている、と?」 「全部見た、とは言えないけど」 義勇軍を率いる前、風と稟との3人旅をしていた時に、今の大陸の現状を嫌と言うほど見てきた 腐敗する役人達や疲弊した農民、それを知ろうともしない一部特権階級の人間達 そういった姿を見ているうちに、一刀の心に宿ったのは――純粋な憤り 幼稚と言われるかもしれない、自己満足と言われるかもしれない、しかし止める事の出来ない純粋な怒り そして、深い悲しみの感情 こんな世の中に対する、怒りと悲しみ、それが一刀の心の中で何時までも渦巻いて止まない 義勇軍を立ち上げる原動力となったのも、この二つの感情だ それらの感情は今も衰える事は無かった 「だから俺は、自分の力でどうにか出来る事があるなら、どうにかしたい」 「例え、ご自身を傷つけてもですか?」 「出来る事があるのにしないのは、もっと痛いよ」 心がね、と小さく続ける一刀に、風と稟は感嘆の眼差しを送った そうだ、こういう人なのだ、私達の主君は 人を助ける為なら自分が傷付くことも厭わない 心が悲鳴を上げるような事になっても、周囲に笑顔を振りまいて明るくさせる そんな人だから支えようと思った、仕えようと思った (この人に付いてきた事は、間違っていなかった) 二人はその思いを共有していた 「北郷様は――ご自身が正義だと仰りたいのですか?」 「正義じゃない、あるのは『想い』だけだよ」 「――『想い』」 「人を助けたいと思うのも、笑顔でいてほしいと思うのも――皆が幸せになってほしいと思うのも、俺の『想い』だから」 僅かに照れ臭そうに、それでも真面目な瞳で言い切る一刀に、風と稟の心は満たされていた 優柔不断で調子に乗る事もあるが、本質は優しく強い男なのだ 風は嬉しそうに、稟は少しだけ頼もしそうに一刀を見つめる中で、司馬懿だけは感情の色を表さないままだ 「その『想い』を――何時までも、持ち続けることが出来ますか?」 「……持ち続けるよ。それが多分、俺がこの世界にやってきた理由だと思うから」 迷いも無くそう言い切る一刀に、司馬懿は視線を下げて目の前の床を見つめる 本当は迷いはあるのかもしれないが、それを表に出させないだけの意志力もある 言葉の端端から本質的な優しさも感じられ、性根は優しい人間であろう事は容易にわかる そして何より―― 「……大変失礼致しました、北郷様」 「いや、いいんだよ」 「北郷様こそ、私が思い描いていた未来を描かれるお方であると、確信いたしました」 そういうと、不思議そうな顔のまま自分を見つめる一刀に対して、流れるような臣下の礼を取る 軽い驚きを顔に出す稟と、おやおやといった表情の風、呆気にとられる一刀の視線が交錯する中で、司馬懿の声だけが響く 「私を召そうとする方々は多くおりました。しかし、その方々の思い描く未来は、私の描く未来とは異なる物ばかりでした」 その声に感情の色は無く、ただ淡々と流れ 「私はただ、皆が幸せになれればいいと思っていただけなのです」 しかし、その奥に彼女が持つ優しさが確かに隠れていて 「この司馬懿仲達、真名を椿。もしも私の愚かさを許して頂けるのであれば、身命を賭して北郷様にお仕えいたします」 他人の為に自分を賭けることの出来る人間にこそ仕えたい その彼女の思いがしっかりと伝わってきた 眼下に広がるのは総勢20000超える軍勢。しかし雑然としている訳ではなく、整然と並び、そして一点を注目している 城壁の上で、熱狂的ともいえる視線を一身に受ける一刀は、思わず身震いした 現段階で総兵力は23000、しかもこれには後方援護部隊(兵站)は含まれていない 「自分で言うのもアレだけど……随分と増えたよなぁ」 「まだまだ足りませんよ、北郷殿」 「そうですねぇ、中原の黄巾軍は20万人近いと言いますし」 「…………しかし現状では、これが限度ではないかと」 風と稟、そして椿を従えた一刀は複雑な表情で頷いた 北郷軍の持つ唯一の弱点とでも言うべき箇所が、武勇に優れた将の不在であった 軍師は3人を有するものの、厳密には彼女達は司令部幕僚(スタッフ)であり、部隊指揮官(ライン)ではない 今は戦場での機知に富んだ稟が半分将の様な事をしているが、限度がある 「やはり……名のある将が必要ですね」 「しかし、一刀様が組み上げられた軍勢であればこそ、20000を超えながらも疾風の如き運用が可能であるのです」 深刻そうな稟の脇で、椿が小さく呟く 主従の契りを交わして以来、椿は一刀の事を『一刀様』と呼ぶようになった 椿がそう呼ぶ度に、何故か稟と風の目付きがキツくなのだが、一刀には訳がわからない 一刀を支える軍師として、椿が北郷軍に身を寄せてから既に2ヶ月 稟や風とは異なる色の軍師として、椿はしっかりと一刀を支えていた 因みに現状では、作戦計画全般を稟が、後方支援作戦を風が、そして諜報・防諜を椿が担当している そして椿は新たにもう一つの顔も持っていた 「椿。現在、北部荊州に展開している黄巾軍はどの位の数になる?」 「最低予測数が50000、最大では80000程度になります」 「……まぁ、最大数で見積もろうか。『公社』の情報を信じないわけじゃないけど」 「仰るとおりかと」 静かに頭を垂れる椿の持つ役職、それは北郷軍の情報機関、通称『公社』を束ねる情報機関の長だ 現代風に言うならば、北郷軍秘密情報部長官、といったところか 商家としての顔を持ち、大陸全土に行商人や旅人に扮した人員を送り込む『公社』は一刀の念願でもある どの時代においても情報とは即ち戦力である 敵を知り己を知れば――の言葉は正に真実そのものである訳だ だからこそ、一刀は自前の情報機関の設立にこだわった 予算を、人材を惜しみなく注ぎ込んで、この時代では最高峰とも言える情報機関の設立に漕ぎ着けたのだ そうして満を持して動き出した『公社』のトップに、一刀は椿を選んだ 風や稟とは少し異なる、断片から全体を推測するという能力に長けた椿は、正に適任であったとも言える 大陸全土から情報が集まり、それを選択して全体を見通すという重要な仕事を、今では精力的にこなしている 「では、北郷殿、そろそろ」 「あぁ」 城壁の上、すっくと立った一刀は眼下に集結した軍勢をもう一度見回すと、声を張り上げた 「義勇軍諸君!これより我々は積極攻勢に転じる。黄巾軍を、この北部荊州より叩き出して、我々の精強さを満天下に知らしめようじゃないか!!」 簡素ではあるが、それだけに熱意のこもった一刀の激励の言葉を聞いて、北郷軍全体から陽炎のように熱気が上がる 今まで迎撃戦に徹してきた北郷軍が、積極攻勢に転じたのには訳がある 一つは周辺地域の安定化に成功した事 半年以上に渡る討伐作戦で、現在この周辺には安定した状況が取り戻されている 故に、遠隔地へと進攻しても後方兵站線を脅かされる心配が無くなったのが理由である そしてもう一つは軍勢の兵力が一定数に達した事 20000を超える戦力であれば、採りうる作戦にもかなりの幅が出てくる 更に言えばもう一つの理由もあるのだが、それはまだ未確認情報なので、一応といった所だ 「これより我々は『満ち潮』作戦を開始する!皆、必ず生きて帰るぞ!」 遠雷の様な歓声があがり、大地を踏みつける音も聞こえる 烈火のようなその勢いに、一刀は頼もしげな表情を見せていた 北郷軍が烈火の如き進軍を開始した丁度その頃 益州北部に位置する漢中、その城郭の中で董卓仲穎は小さな溜息を漏らした この益州や涼州、秦州においても、最近黄巾軍の動きが活発化している あちこちで小さな小競り合いが起き、各地の太守や将はそれらの対応に追われている そんな折、漢中に新たに赴任した太守から周辺の有力者に対して一つの布告がなされた 『漢中を守る為の兵力を提供せよ』 漢中にも官軍は駐留していたが、その兵力は4000程で、尚且つ士気も錬度も低い これでは黄巾軍から漢中を守りきれないと判断した結果の布告であった 権威が地に落ちたとはいえ、漢王朝は今だ健在であり、無碍に断る事は難しかった それに万が一、漢中が黄巾軍の手に落ちたとすれば更に厄介な事になるのは目に見えている ここ漢中は涼州や益州、荊州や秦州を結ぶ交通や経済の要所である ここを黄巾軍に押さえられると言う事は、それだけで周辺地域の弱体化に繋がりかねない それは董卓を始めとする周辺有力諸将にとっても好ましからざる事だ だからと言って手持ちの戦力を漢中に全て持ってくる訳にもいかない 前述の通り、黄巾軍が大陸西方のこの地域でも動きを見せている以上、自領を守る戦力は必要不可欠だからだ それでも董卓を始めとして周辺諸将は可能な限りの戦力を送ってきた これは何も漢王朝への義理立てだけではない、漢中陥落を未然に防ごうという自己防衛の意味も含まれていた そして、それが董卓の溜息の遠因ともなっていた 「皆で協力して、守ればいいだけなのに……」 そう呟いて、彼女はまた小さく息を吐く その原因は『俄仕立て』の連合部隊であるという点にあった 漢中太守の布告によって集結した軍勢は総数およそ20000の、一大戦力ではあった しかし実態はそれぞれの思惑によって集まっただけで、強固な同盟と言う訳でもない 当然ながら指揮系統も明確に一本化されている訳も無く、それが大問題であった 彼女の親友である賈駆文和に言わせれば指揮系統の明確化がされていない軍勢は、単なる集団でしかない 名目上は漢中太守が総指揮官に当たるが、太守自身は城に篭って外に出ようともしない 更に官軍は官軍で彼女達の軍勢と一緒にされる事を嫌い、諸将もまた手元の戦力の指揮権を手放そうとはしない(当然ではあるが) 怒った賈駆は太守の所に乗り込んで、董卓に全ての指揮権を与える様に訴えているが、状況は芳しくない 連合部隊では最大の戦力(約8000)を提供している董卓軍だが、それでも現状では数いる将の一人にしか過ぎないのだ それでも時折攻撃を仕掛けてくる黄巾軍をその都度撃退してきたのは、賈駆の才能の賜物だろう 最近では襲ってくる黄巾軍の規模も少しずつ小さくなり、守勢防御の形をとりながらも黄巾軍を追い詰めているのではないかという話も聞こえる そうであれば嬉しい話だが、彼女自身はそれを懐疑的な眼で見ている 今も賈駆は太守と指揮権に関する交渉をしているが、先行きは暗いだろう 親友の怒った顔を思い出して胸の奥が痛くなった董卓は、反射的に窓から見える空を眺めた (『天の御使い』様も戦っているのかな……?) それは彼女の脳裏に刻まれた御伽話のような本当の話 北部荊州にて義勇軍を立ち上げ、降った者達にも慈悲をもって接し、周辺の都市へも多大な援助を与える ただ困っている人々の為に戦う、その話に彼女の胸は高鳴ったものだ いつの間にか、彼女は会った事も無い『天の御使い』を憧れの人として見る様になっていた もしも何時か出会う事があったのなら――沢山、お話をしてみたいと思っている きっと優しくて強くて、笑顔の似合い人なんだろうと想像する それが自分に都合の良い話である事は分かりきっていたが、それでも彼女はその思いを打ち消す事はできない 「何時か……そんな日が来たら、いいな」 憧れと思慕と……複雑な感情が混じった呟きは、風に消えて誰にも聞こえる事は無かった 北部荊州の黄巾軍殲滅作戦、名を『満ち潮』作戦と呼ばれた積極攻勢は、まさに烈火のような速度であった 北部荊州に存在する黄巾軍総数を80000と見積もった北郷軍は、各個撃破によってそれに対抗しようとしていた 例え80000の総兵力を持っていようとも、それがバラバラに散っていては何の意味も持たない あちらに5000、こちらに4000といった風に各地に点在している小規模部隊を押しつぶしていく訳だ その為には、可能な限り素早く敵部隊を倒し、素早く次の敵部隊にむかわねばならない 言うは易し行なうは難し、とはこの事だが北郷軍はそれを曲がりなりにも可能にしていた その肝は、『指揮系統の細分化』と『後方援護部隊』にあった 先ず『指揮系統の細分化』だが、これは皮肉にも武勇の将が不在であった事が原因である つまりは将が居ないのなら、将に頼らない部隊を作り出そうという訳だ この時代の軍隊というのは、率いる将の資質に大きく左右される 成る程、有能な将に率いられた軍勢は確かに強い しかし、それは個人の資質に依存する物であり、ある意味で非常に不安定な物であるのも事実だ 北郷軍は、誰が率いても同じ程度の戦果を期待出来る、言わば近代的システマチック軍隊の整備を急いでいた 戦闘状況をパターン化し、司令部が指示を下す 場合によっては幕僚(軍師)による修正が加えられて、それを前線部隊が実行に移す 遅延無く正確な指示を下すために、伝令も増やし、太鼓や銅鑼による通信手段も確保する そして複雑で有機的な運用を可能にする為、末端まで目の届く指揮系統を設立 つまりは、将→上級士官→中級士官→下級士官→下士官といった具合に指揮系統を細分化したのだ 人間1人が直接指揮を取れる人数には限界がある だからこそ細分化する事によって、命令が届かなかったり過ちが起こったりする事を防ごうという訳である 当然ながら1人が10000人に指示を下すよりも、10人に指示を下す方が簡単だし錯誤も少ない これによって北郷軍は目立った将がいないにも関わらず、驚くほど正確で素早い用兵を可能にしていた 次いで『後方援護部隊』だが、この重要さは言わずもがなだろう 北郷軍は総兵力のうち、20000を率いて出撃したが、残りが遊んでいる訳ではない 主力軍に絶え間なく補給を繰り返し、場合によっては疲弊した兵と入れ替わるといった仕事を黙々とこなしている 後の時代の補給部隊と違い、後方援護を主任務とする部隊であっても、半分は戦闘部隊として運用が可能なのが強みである 言うまでも無いが十分な補給がある軍隊と無い軍隊では、勝敗は始めから決まっている その上、兵士達は適度に後方援護部隊と入れ替えを行っているから士気の低下も抑えられる これは一刀が自分の居た時代の『国防軍』のやり方をアレンジした結果である 他にも他の軍勢に対して騎馬の比率が高かったり、輸送を専門部隊に任せてしまう等の細かな改良点も多い こういった従来には無かったシステムを多数取り入れた北郷軍は、現時点で世界最高の機動力を有する部隊であった 「しかし、天の国の知識とは凄いものですね。これほどの速度で進軍が可能だとは」 「考えたのは、俺のいた時代から80年位前の時代の人だけどね」 作戦開始から14日、電光石火の例えの通りに神出鬼没の運用を重ねた北郷軍はその数を15000に減らしていた しかし戦果はそれを補ってあまりあるものであった 具体的には黄巾軍との戦闘が11回、合計で21000程度の敵を倒し、5000程を捕虜にしている 5000の損害で26000の敵を倒したといえるのだから、これはもう大戦果と言っていいだろう 勿論、世界最高の機動力を有する北郷軍の高速各個撃破戦術、俗に言う電撃戦だからこその結果だろう 因みに北郷軍は既に益州に入っていたが気にする者は居なかった、州の境目が命の境目であるとは一刀は考えていなかったからだ 益州の官軍としても精強で知られる北郷軍が来てくれるのは有益だと思っているらしい 要請があれば何処へでも駆けつけ、助けるという一刀の評価は(戦果も含めて)更に高まっていった そんな中、天幕を張った早朝の宿営地で稟は手元の竹簡を眺めながら呟いていた 「ですが、今現在その知識を持つのはかず……北郷殿だけです。知識はあるだけで有益な物ですから」 「皆の役に立ってるなら嬉しいけどね」 「そうですよ、お兄さんの持っている知識は、とても役に立っているのです」 面映そうに頭を掻く一刀に、風がにこにこと笑顔を向ける 一刀が知識を提供し、稟が作戦を立案、風が後方を担当して、椿が情報を統括する まるで歯車のようにきちっと噛み合った動きは現在までの所、大きなミスを犯さずにすんでいる しかし、戦争とは常に錯誤の少ない方が勝つ 言い換えれば錯誤の全く無い軍隊などあり得ない訳で、一刀は出来るだけその錯誤を少なくする為に腐心していた 自分の持つ知識を総動員し、『次元積乱雲』から手に入れた様々な武器を惜しみなく使用して戦いに挑む それが、自分を支えてくれる彼女達に対するせめてもの恩返しだ、そう一刀は信じている 「一刀様、宜しいでしょうか?」 「ん、どうした。椿?」 相変わらず感情の起伏に乏しい椿が、天幕の入り口から顔をのぞかせる しかし、そのガラス玉の様な瞳に、僅かな憂慮の色が宿っている事を見て取った稟と風は、少しだけ体を硬くする 片手に何かが記された紙片を持ち、一刀の前に立った椿は、小さく口を開いた 「漢中に潜ませている者と、先行させている物見からの情報を持ってまいりました――火急の情報です」 「……何が起きた?」 表情を引き締めた一刀に、椿は手にしていた紙片を差し出す 無言でそれを読み進めていった一刀が、何度かその紙片を読み返して今度は稟と風に手渡す 何時に無く真剣な一刀の横顔を一瞥し、紙片を読み進める二人の顔にも瞬時にして緊張感が漲る 「北郷殿、これは」 「どうやら黄巾軍にも兵を率いることに長けた人物がいるようですねー」 口調はそのままだが瞳に危惧の色を宿す風と、戦場を駆ける軍師の顔に戻った稟 その二人の視線を感じながら、一刀は椿に向き直った 「間違いないな、椿」 「私の首に賭けて」 何の躊躇も無く言い切る椿に、一刀は深い信頼の色を込めた表情で頷く 別に椿と『公社』、そして物見の報告を信じていない訳ではなく、単なる現状確認に過ぎない 「稟、急いで進軍の用意をしてくれ、何なら騎馬隊だけを先行させても構わない」 「承知しました」 「風、輜重部隊を切り離して急いで物資集積基地に送ってくれ」 「分かりましたー」 「椿、無理をしない程度でいい、物見と細作を送れ。逐次情報が入ってくるようにするんだ」 「仰せのままに」 矢継ぎ早に軍師達に指示を下すと、3人は足早に天幕を出て行く 1人残された一刀は、何の変哲も無い紙片を睨みつけて立ち上がった 錯誤ではない、しかし結果的に先手を奪われた事に、激しい苛立ちを感じていた 「詠ちゃん……」 「大丈夫よ、月。ボクに任せて」 漢中より数理離れた大地で、董卓と賈駆はしっかりと前方を見据えていた 周囲には連合部隊諸将の軍勢が展開し、本陣に当たる部分では董卓軍が陣を構えていた 総数は15000程度、当然主力は董卓軍だ 太守を始め官軍は漢中に篭ったきり出てくる様子は無い(彼らに言わせれば『最後の予備戦力』らしい) 良識ある幾つかの諸将の軍は、董卓軍の下知に従う事を約束してくれているが、まだ不十分だ 音に聞こえた賈駆文和の知略を持ってしても容易ならざる事は、彼女の瞳が雄弁に語ってくれている 「本当だったら、月には出てきて欲しくなかったんだけどね」 「……駄目だよ、詠ちゃん。私が隠れてたら、兵士の皆さんに申し訳ないよ」 ともすれば震えてしまいそうな小さな体をしっかりと戦場に晒して、董卓が言い切る 賈駆も、こうなってしまった董卓が梃子でも動かない事を知っている為にこれ以上は言わない だから絶対に彼女を守ると誓う、この目の前の敵から 「賈駆様、敵勢動き出しました」 「よっし、やってやろうじゃないの。この賈駆文和の知略、しかと見なさい!」 伝令からの報告に、自身に気合を入れて、本陣を置いた丘から戦場を眺める 正面に対峙した黄巾軍、その数40000 自軍の3倍近い敵を相手にしても、彼女の瞳から闘志が消えることは無かった 次回予告 圧倒的不利な戦況で戦端を開かざるを得なかった連合軍に、黄巾軍の大部隊が襲い掛かる 北郷軍はその窮地を救うべく、戦場へと急行する 果たして北郷軍は、漢中と連合部隊を助ける事ができるのだろうか 次回、超空の恋姫〜3・ShootingMarch〜