本編中の流れを大まかに振り返る

まずは前半であった曹操の動きね
宛の戦い~朝廷制圧へ

……宛を訪れた曹操さんを待っていたのは張繍さんの叛乱でした 
策にはまり少数の兵を率いたまま曹操さんは敗走することとなりました
渭水の辺りまでひた走っていた曹操さんたちは許緒さんの部隊と遭遇し、気勢を盛り返し一計を案じました

曹操の方もここで逆襲に出たようね
先行させていた許緒が率いてきた増援を得て転進、張繍を欺き南下を始めたわ 

その後、曹操は襄城を目指し北上したわ
だけど、宛の統治もそこそこでしかなかった有様だったからかしらね、道中にある堵陽の張繍配下の将兵を残したままにしていたみたい 
そこで、曹操は堵陽に残っている戦力も引きずり出しながら逃亡を続けることにしたわ

……その一方で、郭嘉さんと典韋さんが主戦力を欠いた状態の宛へと向かい攻城戦をしかけました
城内の固く閉ざされた門は開かれ、お二人は無事に宛を取り返しました

郭嘉さんの方は、典韋さんを宛の防備に残して堵陽へと攻め込んでいました
曹操さんに集中し過ぎたためにほとんどもぬけの殻となっていた堵陽はあっけなく陥落し、それを知った張繍さんは再び帰順しました
捕えた張繍から曹操暗殺の真相を聞き出すことになった……
それは、曹操の存在を危険視した朝廷から命じられたことだったのよ
曹操はそれを知り、かつて宣告したとおり、都である長安へと遠征することを決意したわ 

……古都洛陽をまず陥とし、潼関に控えていた軍すら破り曹操さんは正面から朝廷入りを果たしました
……正直、私には真似出来ません

どうかしら……なんだか、裏とかありそうよね、あんた
それで、裏も表もない曹操が直接乗り込んだところあっけなく平伏
特殊な事情にあった朝廷は全権を曹操へと委ねたわ

この後、曹操さんは朝廷が立てた丞相という位につくことになります
曹操さんが中心となることへの同意を強調したかったのでしょうね

こうして一つの区切りをつけた曹操は、次なる野望へ向けて動き出すことになるわ

西涼侵攻

何時起こるか分からない奇襲を気にしながらの行軍じゃ肉体面だけでなく精神面でも相当消耗していたでしょうね

徐州潜行

ちょっ!? あんた何を妄想してるのよ! 違うわよ、そういう意味で言ったんじゃないのよ!
深読みするな――っ!

…………あう
そ、そんなに激しいんですか?

むしろ、はた迷惑過ぎなのよ……あいつも白蓮も軍を巻き込んだ恋愛劇って何よ
巻き込まれる方がどれだけ大変だと思ってるのよ
あんたも気をつけなさいよ。あの馬鹿相手だと絶対に身がもたないから

…………それじゃあ、じ、実際はどうなんでしょうか?
ええ、本当なら確実性を重視して一つ一つを落とすべきなんだけど、あのときは速さが命となっていたから悠長に城攻めにばかり気を取られるわけにもいかなかったのよ

それに青州に残っていたしすたーずの支援者たちの好意に乗じることで上手く抜けられたわ
出発の際にあいつが受け取ったぼろっちい黄巾の印が役立ったのよ
そして、ボクたちは白蓮の元に報告が届くことなくひっそりと動けたってわけ

曹操が来たって聞いたときに負けないくらい吃驚したわ

だけど、まさか本人直々にやってくるとは思わなかったから少し驚倒したわ
まあ、このボクが荀彧の手にもおえないと判断してのことなんでしょうね

……詠さんが計った策は実り、徐州の一部を陥とすことに成功しました
この後、本拠である許昌にいた荀彧さんが典韋さんを派遣したのですが、それを防ぎ
ようやく曹操さんの腰を上げさせるという目的が結実したわけですね

……下邳に籠もるご主人様の軍を曹操さんが包囲しました
ですが、ご主人様を追いかけてきた白蓮さんの率いる戦力を警戒して撤退していきました

徐州入りを果たしたご主人様たちは琅邪郡にいる豪族と諮りました
それから直ぐに琅邪郡を発ったご主人様たちは二手に分かれて行動を取り始めます
ご主人様と詠さんは下邳へ、華雄さんは郯へと向かったんですよね?

同時期に行われていたご主人様の徐州潜行ですが
こちらは青州を経由するというかつて美羽ちゃんを救出する際に使用した道を通りました
道がわかっていることで僅かながら時間の短縮もはかれたようですね
……まあ、退却するにしても被害が多数出てしまいますからできなかったのでしょうね
糧食の欠乏、負傷者の続出による混乱で全体の指揮が上手く執れない状態だったようですから
特に異民族の方たちは漢人よりも指揮官の指示のもとで勝手な行動をしないという点では劣りますし
それに、一度油断したことで奇襲を受けたわけですから安易に曹操さんから眼を離せなかったんですね
討ち破られた軍閥の残兵は韓遂のいる金城郡まで退却したようね
夏侯淵は程昱の指示に従って、それを敢えて追わなかった
そうすることで、韓遂は陣営へと仲間を向かい入れ、城へと戻ることも出来ず停滞するはめになったわけね
……そうですね。それからは曹操さんが囮となり、戦力を結集させ総兵力を見えなくしつつ西涼連合の注意を惹きつけました
一方で、夏侯淵さんが軽装の歩騎を率いて主力の抜けた各軍閥の陣を襲撃、そのことごとくを破り糧食を焼き払いました

……そして、曹操さんは長安より遠征を開始、両軍は陳倉付近で接触しました
とは言葉の上で、実際には曹操さんの軍が一方的に奇襲を受けて疲弊していました
それからは進軍しては陣を張り警戒する日々だったようです

……実際がどうであれ曹操にとっては十分に攻める口実となっていたでしょうね
結局、西涼連合側は降伏勧告も全てつっぱね、もう両者は激突することが必至だったわけね
叛乱を鎮圧し、朝廷を飲み込んだ曹操が次なる獲物を見定めた後のことね
えっと……西涼連合と曹操軍の戦について軽く振り返ります
その後、見事に策にはまった羌兵の勝手な行動が元で韓遂軍は敗れて金城から馬騰のいる武威郡まで撤退したようね
ここにきて霞が登場したわ。馬騰と城の防衛に残っていた兵を率いて曹操軍の足止めをしたのね

……そして、その足止めした間に同時期のご主人様の動きが曹操さんの耳へと届きました
これは戦場に影響を与え、戦線は一時膠着となりました
あとは、ご承知の通りの結末となったわけですね

そして、馬超さんが名代となり、曹操さんの軍との決戦へと臨みました
初めは曹操軍に押されていたようですが、途中で事態は一転しました

……基本的には渭水の側を進んでいたようですね
何度目かになる陣の設営を行った際に曹操さんは奇襲の度に予測を重ねた地図を元に夏侯淵さんに奇襲部隊に率いるよう命じました

それが、あの幕舎で見てたいた地図ね
そして、渡河地点を逆に利用して奇襲を画策したというわけね
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…………そ、それは
って、言うわけないでしょっ!
……あの、白蓮さんはご主人様のために軍を動かしたんですよね?
仮にも河北の雄と称される方を動かすなんて……罪深い御方なんですね
まず、ことの発端ですが
長安に駐屯していた曹操さんから西涼にいる馬騰さんへの宣戦布告から始まりました
攻める理由は、丞相である曹操さん暗殺を画策した方々の盟約書と思しきものに並ぶ一覧に馬騰さんの名前が載っていたことに因るそうです