天の見遣い再臨[後編]   もしくは      帰ってきた種馬を待ち受けるのは、熱い抱擁か正座で説教か。  蜀に戻って来た馬岱こと蒲公英を蜀の武将達が囲んでいた。そして馬孟起こと翠が蒲公英に話し掛ける。 「お帰り蒲公英。で、どうだった?」  翠の問い掛けに蒲公英が笑顔で答える。 「うん、優しそうな人だったよ」 「はぁ?」  蒲公英の返事に翠が呆れた様な顔で聞き返す。 「いや、私が聞きたかったのは……」 「ねえねえ、たんぽぽちゃん。北郷さんといっぱい話せたの?優しい意外ではどんな印象?」  蜀の王たる劉玄徳こと桃香が翠の話しているのを遮って興奮気味に質問していた。 「あのねぇ、格好良くて、頼りがいのある優しいお兄様って感じかなぁ……」 「ふえぇ、そうなんだ〜。私も付いて行けばよかった」 「お前、何しに行ってたんだよ……」  羨ましそうに蒲公英を見ている桃香と呆れ顔の翠。その桃香に関雲長こと愛紗が話し掛ける。 「何を言っておられるのです桃香さま。蜀の王たる桃香さまを北方の偵察などに行かせられる訳がありますか。  それに桃香さまの馬術では、蒲公英や霞に付いて行ける訳が無いでしょう」 「うう、酷いよ愛紗ちゃん……。何もそんなはっきり言わなくても……」  愛紗の苦言に凹んでいる桃香を見て、諸葛孔明こと朱里が間に入る。 「はわわ、愛紗さんはっきり言い過ぎですよ」 「朱里ちゃんも酷い……」 「はわわっ、すっすいません桃香さま。そっそうだ、たんぽぽちゃんから見て北郷一刀さんは将としてはどうなのですか?  軍師的な方なのでしょうか?それとも武将的な方なのでしょうか?」 「うーん、賊との戦闘は私達が勝手に始めちゃったから直接指示を出された訳じゃないからよく判らないけど、  砦の中に居た邑人達はちゃんと纏めてたみたいだよ。そうっ、一番凄いのは、あの袁紹さんが素直に言う事を聞いてた!」  蒲公英の言った言葉にその場に居た全員が注目した。全員が信じられないと言う眼をしている。  ちなみに呂奉先こと恋は小首を傾げて余り興味を示しては居なかった。  あの曹孟徳ですら手を焼く袁本初が一刀の言う事を素直に聞くという事実は、正に驚天動地の知らせであった。 「あわわっ、凄いよ朱里ちゃん。あの袁紹さんに言う事聞かせるなんてこの大陸では帝ぐらいしか居ないよ」 「はわわっ、そうだね雛里ちゃん。北郷一刀恐るべしだよ」  鳳士元こと雛里と朱里は驚嘆していた。 「あの麗羽が素直に従うなんて、亡くなった麗羽の父君ぐらいしか知ら無いぞ……。信じられん、本当なのか?」  公孫伯珪こと白蓮も驚きを隠せない。 「やはりあの時あの御仁と別れたのは間違いであったか。趙子龍一生の不覚」  それを聞いていた趙子龍こと星も唸っている。 「これは是非にも北郷殿にはお会いせねばなるまい。なぁ紫苑よ」 「ええ、本当に。楽しみが増えたわねぇ桔梗」  厳顔こと桔梗と黄漢升こと紫苑の瞳が妖しく輝いていた。  多少凹んだ状態から復活した桃香が董仲穎こと月と賈文和こと詠に話し掛ける。 「月ちゃんと詠ちゃんは北郷さんと話した事が有るんだよね?二人から見た印象はどうかなぁ?」 「へう、私は洛陽で脱出しようとしているところで二言三言話しただけなので何とも……」 「ボクも月と一緒、大して重要な会話でも無かったから判断しようが無いわね。まぁ、人の良さそうなヤツだとは思ったけど」 「ふーん、悪い人では無いって事だよねぇ。頼りがいのあるお兄様かぁ……、なら仲良くするに越した事は無いよ、  先ずは会ってみないと、ねぇ愛紗ちゃん」 「まぁ、それはそうでしょうが……。しかし、ろくでもない異名も聞き及んでいます、いきなり信用するのはどうかと」 「そうかなぁ、あの華琳さんが側に置くぐらいだから大丈夫だと思うけど」 「はうあっ、これは早く本国に知らせねば為りません」 「桃香さまに不埒な事をする愚か者ならこの私が叩きのしてご覧に入れましょう」  魏文長こと焔耶が息巻いている。それを聞いた桔梗に雷を落とされていた。 「そうですぞ!恋殿とこのねねが居れば、あんなち○こ野郎など何する者ぞなのですぞ!」 「ねね、そんな事言っちゃダメ……、仲良しが一番……。……お腹へった」  恋に陳公台こと音々音が諌められている。そしてお腹が空いたとの恋の台詞に、  愛紗とねねがどこから出したのか食べ物を恋に渡していた。 「なら早く洛陽に行くのだ!そして今度こそ鈴々の方が春巻きなんかより背もオッパイも大きいのを証明するのだ!」  洛陽に行く理由が微妙に違う張翼徳こと鈴々が雄叫びを上げている。  そして一刀と友誼を結ぶなり、警戒するかはまず会って話をしてからと言う事でこの場は収まった。  ちなみに、蜀での一刀の評価を一刀自信は知る由も無かった。いい意味でも、悪い意味でも。 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜  ここは洛陽の城の楼閣の上、一人星を眺めている者が居た。程仲徳こと風であった。星の流れる前の夜の事である。 「んー、やっぱりここ数日の星は動きが変なのですよー。何か起こるのでしょうか……」 「オウオウ姉ちゃん、そう言いながらも何ニヤニヤしてんだよ。  ニヤニヤしながら独り言を言ってるのは、傍から見るとただの危ない奴だぜ」 「これ宝ャ、傷つき易い乙女に向かって何て事言ってやがるのですか。  でも風は何か良い事が起こる様な気がするのです。胸がドキドキしているのですよ〜」  そう二人の会話が終わると、風は城内へと向かって帰って行った。その顔は笑顔を湛えたままであった。      その夜から四日後、つまり星が流れてから三日後、洛陽に真桜が送った伝令が到着した。 「失礼いたします。ただ今、李将軍から伝令が届きました!」  曹孟徳こと華琳の執務室に慌しい声が響く。  何時もなら呼ばれるまで中に入る事の無いない女官が、今日はいきなり執務室の中へと入って来た。  華琳の側周りの女官とは思えぬ行動に、荀文若こと桂花が声を荒げる。 「ちょっと、何を不躾な振る舞いをしているの!」 「お叱りは後で如何様にも。先ずはこちらをご覧下さい」  何時もは慎ましく、出過ぎた事などしない女官の只ならぬ雰囲気に、華琳は桂花を手で制し女官から伝令を受け取った。  受け取った伝令を読む華琳を見ながら、まだ機嫌の直らぬ桂花が尋ねる。 「華琳さま、何の伝令ですか?……華琳さま?」  受け取った伝令を読む華琳の様子がおかしい。伝令を持った手が震えている様に桂花には見えた。 「えっ、いえ……。真桜からの……」 「華琳さま!よろしいですか!」  今度は夏侯妙才こと秋蘭が華琳の執務室に飛び込んで来た。 「もうっ、今度は一体何!」  華琳との二人きりの執務を立て続けに邪魔をされた桂花が切れかけていた。 「ああ桂花、突然すまぬ。華琳さま、今すぐ北郷の部屋までおいで下さい」 「何があったの?」  秋蘭の何時もでは考えられない行動に華琳も当惑する。それに一刀の部屋と言うのも気に掛かる。 「先程、北郷の部屋の掃除に行った女官が妙な物を見付けました」 「妙な物?」 「はい、荷物の様なのですが、北郷の部屋は普段は鍵が掛かっておりますし、  ましてやあの部屋を物置代わりに使う者など居りません。  まあ中にはこっそり部屋に入っている者も居るようですが」  そう言ってちらりと桂花の顔を見る秋蘭。その視線に気が付いた桂花が顔を赤く染めて反論する。 「何よ!五月蠅いわねっ!あなただって入ってるじゃない」 「わたしは堂々と入る、誰かの様に夜中にコソコソとはしない」 「あら、可愛いところもあるじゃない」 「かっ、華琳さま」 「まあいいわ、その事は閨ででも詳しく聞かせてもらから。とりあえずは一刀の部屋に向かいましょう」  華琳を先頭に三人が一刀の部屋に向かう。一刀の部屋の前には異変に気付いた女官や文官、警備の兵達が立っている。  警備の兵達が何事が有ったのかと集まって来た者達を遠ざけていた。  何とか中を見ようとしていた者達も、華琳達の到着に気付くと流石に遠巻きに眺めるだけであった。  部屋の中では郭奉孝こと稟や程仲徳こと風、そして典韋こと流琉や許仲康こと季衣が部屋の中央に置かれた荷物を眺めていた。  到着した華琳達に気付いた稟が話し掛ける。 「華琳さま、秋蘭殿。これが誰も気付かぬ間に置かれていた物ですか……。これで全てですか?」  稟の問い掛けに秋蘭が答える。 「うむ、掃除に来た女官が見付けて以降は誰にも触らぬ様に言い付けておいた。  ちなみに、前回の掃除の時にはこんな物は無かったそうだ」 「では前回が五日前ですのでその間に……」 「うむ、そういう事になるな」 「あっ!」  突然、流琉が大きな声を発した。その声に集まっていた者達の視線が集まる。 「どうしたの流琉」 「はっ、はい華琳さま。三日程前、季衣と兄さまの部屋の前を通った時に部屋の中から何か物音がした気がしたんです。  でも妙な気配も何も無かったんで気にしなかったんですが……。そうだよね季衣」 「ごめん流琉、ボクわかんなかった」  そう言うと季衣はバツが悪そうな顔をして笑っていた。 「しかし、これだけの物を誰にも気付かれる事も無く運び込むなど……」 「ああ、大陸広しと言えどこんな事が出来るのは呉の明命と思春位か」  稟と秋蘭が話しているところに風が割り込んでくる。その手には何か紙の様な物が握られている。 「いえいえ、お二人とも忘れてませんか。いきなりこの洛陽の玉座の間に乱入してきた人の事を」  そお言って持っていた紙を華琳に渡す。受け取る華琳も何か思い出した様で、少し嫌な顔をしていた。 「これは?」 「はい、この荷物に貼ってあった物です。お兄さん風に言えば『めも』ってヤツですねー」 「全部は読めないけれど……、主人・貂蝉……」  華琳の持っているメモを覗きこんでいた面々も貂蝉の名前が出た瞬間、複雑な顔をしていた。桂花は露骨に嫌な顔をしている。 「では華琳さま、この荷物は北郷の物だと」 「ええ、おそらくは……、いえきっとそうね。この真桜からの伝令とも符合するわ」  華琳から渡された真桜からの伝令を秋蘭が読み始める。 「昼間の流星……、あの時と同じ……」 「ええそうよ、その後に私達は一刀に出会った。ああ、先に出会ったのは風や稟達だったわね」 「そうなのです、こちらの世界に来たばかりのお兄さんに出会ったのは風達なのですよー。  まぁ、より正確に言うと一番は星ちゃん、いや黄巾の人達ですが。  でもこんな事なら春蘭ちゃんに付いて行けば良かったですねー。真桜ちゃんに押し付けたのは失敗でした」 「そうね、慰問も兼ねて私も一緒に行こうって春蘭に言われたのを断るんじゃなかったわ」  皆の顔が笑顔に綻んでいる。 「なら華琳さま、皆で兄ちゃんを迎えに行きましょうよ!」 「ちょっと、季衣……」  突然の季衣の声に驚いた流琉が慌てて止めに入る。そんな季衣に華琳は微笑んだまま答えた。 「それも面白そうだけど、流石に今洛陽を空にするわけにはいかないわ。流星を見た春蘭が突っ走って行ったそうだから、  今は春蘭に任せましょう。そう言えば今頃霞も報告の有った場所の近くに居るはずだから競争ね」 「はーい……」  渋々ではあるがどうやら季衣も納得した様だ。 「では全員持ち場に戻って仕事を再開しなさい。追っ付け追加の報告が届くはずよ、決して悪い報告ではないわ。  それまでに仕事を片付けておきなさい。秋蘭後を頼むわね」 「了解しました華琳さま」  華琳はそう秋蘭に言い残すと足取りも軽く桂花と執務室に戻って行った。 「ついに一刀殿が戻ってくるのですね……」 「そうですよ稟ちゃん、これで稟ちゃんの鼻血の回数が益々増え……、稟ちゃん?」 「いけません一刀殿、いくら久しぶりだからといってこの様な所で……、しかも衆人監視の中でこの様な事……、  ダメですそんな所に指を……、ああ舌まで……、私を狂わす心算ですか……、いっいきなりそんなっ……、ぷはあぁぁぁ……」 「はーい、稟ちゃんトントンしますよトントーン」 「オウオウ姉ちゃん、こんな事じゃぁ一刀が返って来るまで身が保たねぇぜ……、全くよー」  見事なアーチを描き、いい笑顔で倒れている稟を風は呆れながらも、しかし微笑みながら介抱している。 「ねえねえ、流琉。今のボク達を見たら兄ちゃんビックリするかなぁ?」 「そうだねぇ、兄さまどんな顔するかなぁ?早く会いたいね季衣」 「うん!」  季衣と流琉は一刀に再び会った時に何て言われるだろうかと、希望に胸を膨らませながら歩いて行った。季衣は残念ではあるが。 「(ああ、北郷を必死で探している姉者は可愛いだろうなぁ)」  などと考えながら、秋蘭は終始笑顔で警備の兵士達に指示を出していた。  そして、「北郷一刀の存在を確認、現在賊達に襲われている為救助に向かう」との春蘭からの伝令が届くのは翌日の事であった。 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜  一刀達が邑人達と篭城を始めてから四日目の早朝、終に動きが有った。見張りをしていた邑の若者が一刀に知らせに来た。 「北郷様お休みのところすいません、東から近付いて来る一団が有ります」  横になって休んでいた一刀がその報告を聞いて目を開けた。側で眠っている麗羽を起こさぬように静かにその場を離れる。  城壁に登り東の方角を見るが、朝靄で上手く見ることが出来ない。かなり大きな集団であるという事だけは判った。  向こうもこの朝靄を利用してこちらに近付いている様である。物音を立てず、慎重に進軍している。  その雰囲気から賊達の増援等では無いと確信した一刀は、その一軍を率いる将が誰かと言う事に意識が移っていた。  旗が見えないので誰が率いているのかが判らない。  この慎重さは秋蘭か、それとも軍師に稟か風でも同道しているのだろうか?  もしかすると、自分が居ない間に新しい将を見付けたのかもしれない。  本来の三国志の曹操の下には、まだまだ優秀な武将や軍師も居た筈だし等と考えていると、今度は別の者が声を上げた。 「北郷様、あちらにも!」  彼の指差す方を一刀は見た。賊達の後方に悠然と騎馬隊が並んでいる。  朝靄の切れ目から見える旗は紺碧の張旗。張文遠こと霞の騎馬隊であった。 「霞!!」  まるで一刀の声に呼応する様に霞の騎馬隊が猛然と突撃を始めた。  まともな見張りすら立てていなかった賊達は、突然現れた騎馬隊に慌てふためいていた。  そこに突撃を喰らったのである、もはや賊達は混乱の極みであった。  そして追い討ちをかける様に東から接近していた歩兵が勇壮な叫び声を上げながら襲い掛かる。  その歩兵が掲げる旗は[夏侯][楽][于][李]。 「凪!!沙和!!真桜!!それに……、春蘭か!!」  多少は強行軍の為脱落者が居たが、賊達の五倍以上の歩兵が雪崩の様に襲い掛かるのである。  既に結果は明白であった。  数刻前。  夜明けとともに一刀の捜索を始めようと、出立の準備をしていた張文遠こと霞達の部隊の元に、  一足速く斥候に出ていた者達が返って来た。 「張将軍、この先にどうやら賊らしき者達が集まって居る様です」 「何やて、ああもう間の悪い。で、状況は?」 「はっ、賊共の数は約三百、この先の以前に放棄された砦の正門前に陣らしき物を展開しております。  砦の直ぐ側に邑が有りますが、人影は有りません。どうやらその砦に避難している模様です。  碌な見張りも斥候も居りませんから、我らがこのまま進めば容易く後背を取れますがいかがなさいますか?」  一刀の捜索を優先したい霞であったが、流石に賊に襲われている邑を見捨てる訳にも行かない。  それにそんな事をしたら一刀に合わせる顔も無い。 「見捨てたりしたら一刀怒るやろなぁ……」 「霞?」  霞の独り言に、蒲公英が聞き返す。 「よっしゃっ、行きがけの駄賃や。チャッチャと終わらすで!」 「応!」 「んなら、このまま気付かれん様に接近してもう一度相手を確認する。ええな!」 「応!」 「蒲公英は右翼を頼むわ。連携とかあんま気にせんでええから」 「うん、了解」  例え賊共とはいえ、自分達の三倍は居るであろう相手に事も無げに事を仕掛けようとする霞達に蒲公英は感心していた。  そして霞の部下達も一人として不安な顔などしていない。霞に対して絶対の信頼と自分達に自信を持っている様だ。  程なく移動を開始した霞達であったが、斥候の言うとおり賊達は全くと言っていい程警戒していない。  これには流石の霞達も呆れていた。救援が来る事など露ほども考えていない様である。 「何なんやこいつ等、無警戒やん。いくら軍隊やないからって、ようこんなんで砦攻める気になっとるな」 「だよねー、これなら黄巾の連中の方がよっぽどマシだよねー」 「ほんまや、アホの品評会やな。ここいらのアホの代表勢揃いや。まぁ、難民の成れの果てや軍人崩れの集まりやろうから、  しゃぁないって言えばしゃぁないけど。訓練なんて二の次やろうし」 「訓練て言えばさぁ、沙和のあの訓練方法、たんぽぽにも出来るかなぁ?」 「あれかぁ……、止めといた方がええんちゃう。新兵がガラっとは変わるけど……、気持ち悪いで。  んっ?砦に旗が立っとる、誰かおるんか?」  朝靄でよく見えなかった砦の城壁が今は靄の切れ間から何とか見えた。そこには以前はよく見ていた旗が翻っている。  丸に十文字、そう北郷一刀の旗であった。 「全員騎乗!陣形が整い次第突撃や!」  そう言い終らぬ内に霞も自分の愛馬に跨っていた。そして霞を先頭に陣形が整えられていく。  それを見て慌てて蒲公英達も言われた右翼に付いていた。  完了の合図を副長から受けた霞が頷く。 「全員、突撃!!」  朝靄を切り裂き、無警戒の賊達に猛然と襲いかかって行く霞達騎馬隊であった。  場所は変わって、こちらは夏侯元譲こと春蘭達が率いる歩兵達。  実は春蘭達は前の日の夜には砦の近くにまで到着していたのだが、  夜討は実戦経験の無い新兵の同士討ちを警戒して夜明けを待とうと言う事になった。  斥候により、賊の数も錬度も判明し負けるはずが無いのも判っていたが、  砦が切羽詰った状況でも無く、つまらない理由で兵の損失を出すのは下策と言う理由で朝駆けの方針に決めていた。  新兵の行軍としては十分及第点では有るが、脱落者も少なくない数が出ている。  かなりの強行軍でここまで来た兵達を休ませる事も必要であった。  直ぐにでも突撃しようとする春蘭を何とか押し留めていたが、斥候の北郷十字の旗を確認と言う報告に、  今度は楽文謙こと凪までもが行こうとするのを何とか押し留める于文則こと沙和と李曼成こと真桜であった。  ちなみに、二人は夜明けまで風直伝の緊縛術によって取り押さえられていた。  そして夜が明け、縄を解かれた春蘭が「突撃するぞ」と息巻いているところに真桜が耳打ちする。 「ええんですか春蘭さま、勢いだけで突撃して……。隊長助け出せても賊を逃がしてもうたなんて事になっても。  華琳さま何て言うやろなぁ。それに秋蘭さまや桂花も……」 「うっ、ううん……」 「凪もやで。自分助ける為に賊を逃がしたなんて言うたら隊長なんて顔するやろか……」 「わっ、判った……」  真桜のつぼを心得た指摘に二人とも押し黙る。そして今度は沙和が口を開いた。 「作戦自体は簡単なの。この朝靄を利用して相手に出来るだけ接近、その後に突撃なの。  逆らうち○かす共には死を、降参したお○まちゃんは捕虜に、蛆虫どもは一匹残らず退治するのー。  それで捕虜にしたおか○ちゃんと、行軍に付いてこられなかったタ○無し共は、この後で沙和が一から鍛え直してやるのー」  沙和の顔は笑っているのだが、決して眼は笑っていないという表情を見た春蘭と凪は、  顔を引きつらせながら兵達に作戦の説明に向かっていった。  その二人の背中を見ながら、真桜は大きな溜息を吐いていた。 「なぁ、沙和。なんでウチ等が抑え役なんかしとるんやろ……。そんな柄でも無いのに……」 「真桜ちゃん、隊長が帰って来るまでの我慢なの。隊長が帰って来たらこういうのは全部隊長にお任せなのー。  それにもう直ぐ会えるんだから、それまで頑張るのー」  そう笑顔で言っている沙和の握られた手が小刻みに震えているのが真桜にも見て取れた。  沙和も今直ぐにでも一刀の元へ向かいたいのを我慢しているのであろう。それを見た真桜は沙和に対して笑い掛けた。 「せやな、こんだけ頑張ってるんやから、たいちょも褒めてくれるやろ」 「そうそう、いっっっぱい可愛がってもらうのー」  そお笑い合いながら先に兵達の元に向かった春蘭と凪に追い着くべく走り出す沙和と真桜であった。  余談ではあるが、この時に捕虜になった賊達と行軍から脱落した者達は、  沙和の再訓練(桂花曰く、悪質な洗脳)の後[北郷隊特別機動隊]として大陸中のならず者から恐れられる様になるのであった。  朝靄の中、粛々と賊に接近して行く歩兵達。その先頭に居る春蘭が近くに居る沙和に問い掛ける。 「まだこのままか?そろそろ……」 「まだなの春蘭さま。このまま近付いてク○虫共に横撃をかけるの」 「うぅぅぅ」と不満げな声を上げながら更に接近を続ける春蘭達。まともな見張りすら居ない賊達には容易く接近できる。  暫く接近を続け、沙和もそろそろ頃合かと思っていた矢先、別の方向から声が上がった。  賊達の後方から仕掛けている軍勢が見える。 「一体どこの誰だ!この私を差し置いて先走った奴は!」 「春蘭さま、あれはお姉様なの!沙和達も!」 「おお!全員突撃!!」  それは凪や真桜にも見えていた。 「うわ!あれ姐さんやん。近くにおったんかいな」 「真桜!」 「ああ、ウチ等も突撃や!賊共全員一網打尽にしてまうで!」  そうして霞達の騎馬隊の奇襲によって混乱の極みに陥っている賊達に、容赦無く止めをさすべく突撃するのであった。  霞達の後方からの突撃によって、初手で優勢は決まっていた。  準備すらまともに出来ていなかった賊達は反撃する事すら間々ならず、容易に分断され、ただなされるままになっていた。 「ウチが魏の張文遠や!命のいらん者から掛かってき!」  霞の一睨みで戦意を無くした賊達は逃げ惑っていた。中には其の場にへたり込む者も居る。 「なんや根性の無い、徒党組んでるだけかいな。んっ?誰や今頃」  賊達を分断し砦の前で反転した時、ある意味丁度良いタイミングで追撃を掛ける軍勢が見えた。 「何や凪達も来てたんかいな。先頭の[夏侯]って惇ちゃんやん。おーい、惇ちゃんー!」  戦闘中だというのにのん気に手を振っている霞に春蘭が気が付き近付いてきた。 「ずるいぞ霞!この私が一番乗りだったのに!」 「んなもん早い者勝ちや、打ち合わせもしてへんのに」 「ぐぬぬぬぬ……」 「もしかして惇ちゃん、一番乗りして一刀によう頑張ったなぁなんて褒められようとか思ってた?」 「なっ、ばっ馬鹿な事を言うな!べっ、別に北郷の事など……」 「にゃはは、可愛いなぁ惇ちゃんは」 「うっ、五月蠅い!」 「あれっ?惇ちゃん一刀がここにおるん知ってたん?」 「ああ、星が流れたのを見てそれが落ちた方に向かっていたら、北郷が業に送った救援願の伝令に出くわしてな」 「ずっるぅー、何でウチの方には伝令送らへんねん」  まるでここが戦場である事を忘れたかの様な霞と春蘭の掛け合いに真桜が割り込んできた。 「ちょっと姐さん、何のん気にこんなとこで春蘭さまと漫才してますの。さっさと賊共一網打尽にしてまいますよ」 「えー、後は真桜達でやったらええやん。十分あいつ等混乱してるし、楽なもんやん。ウチは早う一刀に会いたいし」 「そんなんズッこいわ、姐さん。そやったら隊長が居らんかった間の姐さんの事、ある事ない事全部云い付けますよ」 「さっ、チャチャと片付けて皆で一刀に会いにいこか。なぁ真桜さん」 「なら姐さん、逃げようとしてる連中お願いしますわ」 「了解。……絶対一刀に言うたらあかんで」  そう言い残して霞は自分の騎馬隊を率いて、歩兵達の囲みを抜けて逃げようとしている賊達の捕縛に向かって行った。  戦闘はものの数時間も掛からず終了していた。賊達の約二割が死亡又は重症であったが、残りは全て捕縛されている。  一人の逃亡者も出さず完勝であった。砦からから見ていた邑人曰く、戦闘自体はほとんどイジメであった。  戦闘の終了を見極めて、砦の正門が開かれ様としていた。そして門が開いた瞬間、中へと飛び込んでいく五つの影があった。  その影、彼女達の向かう先はただ一つ。北郷一刀の元へであった。  五人は中に居た邑人に促され、城壁に居る一刀に向かって駈けて行った。その最上部に目的の彼は居た。  「北郷!」「一刀!」「隊長!」そう叫びながら五人は一刀に抱きついた。  その勢いに耐え切れず倒れこむ一刀達であったが、抱き締めたまま離れる事は無かった。 「勝手に居なくなったりするな、バカ者……」 「一刀!一刀やぁ……」 「隊長ぉ……」 「たいちょ、帰って来たんやぁ……」 「隊長、隊長なのー……」  皆、最後まで言葉にならず、ただ抱き締めていた。そして一刀も一人一人抱き締め返していた。 「皆、急に居なくなってごめんな」  その一刀の言葉を聞いて涙ぐんでいる者や、ただしがみ付く様に一刀に顔をうずめている者もいる。 「もっ、もう二度と消えたりは……」  そう聞いたのは誰であろうか。しかし、その問いに一刀ははっきりと、そして笑顔で答えた。 「ああ、もう消えたりはしない。ずっと皆のそばに居る。  それと皆、ただいま」 「おかえりなさい」  それを聞いた五人はそう答えて再び一刀を強く抱き締めた。  そして中には押さえていた物を押さえきれなくなり、声を上げて泣いている者も居る。  そんな五人に抱き締められながら、本当に帰って来れたんだと実感していた一刀であった。  再会の嬉しさを噛み締めていた一刀達であったが、少々落ち着いてきたところで霞がまじまじと一刀の顔を眺めていた。 「なぁ、一刀。自分前より大分背高なってるよな」 「そう言われてみればそうだな」 「確かに、それに体つきも以前よりガッチリしてますね」  霞の問いに、春蘭と凪も続いた。 「そうか?まぁ、時間は有ったからな。皆もこんなに大人っぽくなったんだ、俺だって少しは変わるさ。  六年ぶりだもんなぁ……」 「もうっ、たいちょってば大人っぽくなったなんて上手いこと言ってもうっ……。  今はあかんで、まだお日さん高いし、他の人も見てるし、夜になったらって……、六年?」  五人がキョトンとした顔で一刀を見詰めていた。 「えっ?俺何か変な事言った?」 「隊長が居なくなってから、三年位しか経ってないのー」 「はっ?……本当に三年?」  沙和の答えに今度は一刀が狐につままれた様な顔になっている。 「せや、一刀居らんようになってから正月が三回しか来てへんからな。正確に言うたら三年弱?」 「そうか、まぁ良かったよ。こっちでも六年経ってたら皆もっと変わってしまってたかも知れないしな……。  て事は、貂蝉達が頑張ってくれたって事か」  一刀の口から出た[貂蝉]という言葉を聞いて、皆が顔色を変える。春蘭だけは何を思い出したのか赤い顔をしていた。 「どうかしたのか皆?」  皆の態度の変化を不思議に思った一刀が疑問をそのまま口にする。  少々座りの悪い雰囲気になってきたのを変えようと、真桜が少し大きな声で話し始めた。 「ほっ、ほんなら隊長、天の国で六年、せやけどこっちでは三年しか経ってないって事は……。  余計に三つ年取ってるって事?」 「まぁそういう事になるな。……どうしたんだ、皆?」 「なら沙和達より三つか四つ上って事になるのー。て事は……」 「呉の雪蓮や冥琳とためってとこやな」 「ああ、そうなるのか。……本当にどうしたんだ皆」 「(あっ、あかん、話しが続かへん……)って、凪!自分だけ何時まで抱きついてんねん!」  話題の矛先を何とか変えようとしていた真桜がどうしようかと悩んでいると、誰かがこちらに駆け上がって来るのに気が付いた。  それは必死に止めようと腰に抱きついている顔良こと斗詩を引きずる様にした袁本初こと麗羽であった。 「ちょっと、あなた方!一刀さんは怪我をなさっておいでですのに、何時までまとわり付いているおつもりですの!」 「お前は袁紹!」 「何で袁紹がこんなとこおんねん。まさか、さっきの賊共を率いとったんは……」  春蘭と霞が胡散臭そうに麗羽を見ている。三羽烏も同様であった。 「あら、華琳さんのところの猪さんにお前呼ばわりされる言われはありませんわよ。それに張遼さんでしたかしら?  たいそうな二つ名をお持ちの様ですが、その眼は節穴ですの?」 「何だとぉ……」 「何やてぇ……」  いきり立つ春蘭と霞の視線に動じる事無く麗羽は話しを続ける。 「この邑に賊の襲撃を知らせに来たのは一刀さんと私達、そう、わ・た・く・し・達ですのよ」 「すいません。すいません」  その豊かな胸に手を当てながら勝ち誇った様な仕草の麗羽と、ただひたすら謝る斗詩。  そんな麗羽に切れかけた春蘭が七星餓狼を抜きかけている。それを見た一刀がお互いを宥めようと間に入った。 「春蘭もこんな所で七星餓狼を抜こうとしない!それと麗羽、何年かぶりに皆と再会出来たんだ少しは大目に見てくれよ」 「そうですか……、まぁ一刀さんがそう仰るなら」  そこに真桜達三羽烏が割って入る。 「ちょっと隊長、何で袁紹はんの事真名で呼んどるん?それに一刀さんて……」 「そうです隊長、どういう事ですか!」 「まさか隊長……、不潔なのー」  五人の疑惑の視線が一刀に向かう。その視線に怯みながらも一刀は反論する。 「だからまだ何もして無いって!」 「まだ?」と五人が口をそろえて一刀に詰め寄る。 「ええいっ、北郷!さっさと洛陽に帰るぞ!」  そう言って一刀の手を取り行こうとする春蘭、その手を麗羽が叩く。 「ですから一刀さんは怪我をなさっていると言ったでしょう!」 「貴様、何様のつもりだ!」  そう言って春蘭と麗羽がギャアギャアと言い争いを始めてしまう。それに残りの四人も加わっていく。  止め様としている斗詩は右往左往しており、後から上がってきた文醜こと猪々子は諦めた様に手を頭の後ろで組み、  傍観を決め込んでいる。その時、どうしようかと悩んでいた一刀の肩を叩く者が居た。それは蒲公英であった。 「あれっ、君は……」 「始めまして、北郷一刀さん。蜀の馬岱です」 「えっ、馬岱さん。ああ、馬孟起さんの従妹の。前見たときよりもずっと大人っぽくなってるんで、一瞬判らなかったよ。  改めて始めまして馬岱さん、北郷一刀です。これからは宜しくね」 「はい!」  結構良い雰囲気を醸しながら挨拶をしている一刀と蒲公英を見付けた真桜が声を上げる。 「あー!隊長!なに蒲公英口説いとんねん!」  今度は一刀が詰め寄られていた。 「あははははは……(なんだ優しそうな人じゃん、格好良いし。でも確かに女たらしの気は有るかも)」  表面では笑っているも、内面ではそんな事を考えている蒲公英であった。 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜 〜〜〜☆〜〜★〜〜☆〜〜〜  五人との再会から三日後、到着した真桜の工兵隊に邑と砦の修復を言い付け、予定が変更になった為馬岱と別れた一刀達は、  洛陽への帰路に着いていた。  兵達も三日間で十分な休息が取れ、そしてその内の二晩をかけて彼女達の機嫌を取った一刀であった。  洛陽への帰りの道中、前と同じ様に一刀の馬に一緒に乗ろうとした麗羽が春蘭と凪に引き摺り下ろされたりはしたものの、  まあ平穏に行軍が続いていた。  その道中、やはりまだ気になるのか霞が再び一刀に尋ねた。 「なぁ、一刀。ホンマに袁紹に手えだしてへんのやな?」 「ああ、出してない。そりゃあ確かにこちらに戻ってきた時一番に出会ったのは麗羽達だけど、  そのまま直ぐに邑に行って篭城始めたんだから、いくらなんでも無理だろう」 「せやけど……」  一刀と霞がそう話していると、そこに凪が割り込んで来た。 「しかし、隊長、あの袁紹殿の態度は理解しかねます。あんなにしおらしい袁紹殿は信じられません」 「せやせや、あの袁紹が一刀の言う事なら無条件に聞くなんて事、信じられる訳無いやん。  まぁ確かに、おっぱいは大きいし、元お嬢様やし、魏にはああいう感じのは居らんかったから、  一刀がフラフラーってなったのは判る気がせんでも無いけど……」 「あのなぁ、霞……」  しかし、一刀も引っかかる事が無い訳でも無かった。それは邑に着いた日の夜の事であった。  邑人に砦への避難を指示し賊達が現れる前にそれが完了した為、少し安心した一刀は一人城壁の上に居た。  前回の時はこちらに来て先ず出会ったのは黄巾の者達、そして今回は邑を襲おうとしている賊達、  そんなに自分はああゆう連中に縁が有るのだろうかなどと考えていたら、誰かがこちらに近付いて来るのに気が付いた。 「やっぱり一刀さんですのね、どうなされたのですこんな所で、こんな時間に」 「ああ、麗羽。いや、ここで見張りをしていたやつがどたばたしていた所為で夕飯を食べ損ねたって言ってたから、  食べて来いって言ったんだよ。だから俺はその代わりさ。君は?」 「いっいえ、わっ私は夜風にでも当たろうかと……」  そう言った麗羽を見た時、側の篝火に照らされた彼女の立ち姿に一刀は眼を奪われていた。。  麗羽は鎧やその下に着ていた服を脱ぎ、夜着の様な物を身に付け、そしてその上に薄布を纏っていた。  その開いた胸元からは彼女の豊かな胸が覗いており、篝火に照らされれ彼女の体のラインが所々浮かび上がっていた。  それを見た一刀は、自分の顔が熱を持っているであろう事を自覚していた。 「どうなされたのですか一刀さん。もしかして傷の具合が……」  そう言いながら近付いてくる麗羽を一刀は無意識の内に抱き締めていた。  「ああっ」と麗羽は声を上げるが、決して拒絶の態度など取らず、なされるままに一刀の胸に顔を埋めていた。  その内に我に返った一刀が抱き締めている腕の力を緩めた。 「すっ、すまない。ごめん麗羽、こんな事」  すると今度は麗羽が自らの腕を一刀の背中に回し、自分の身体を押し付けてきた。  彼女の豊かで整った胸も形を変える程に強く抱き締めていた。 「私、殿方にこの様な事をされるのもするのも初めてですの。でも、悪い気分ではありませんわ、むしろ良い気分ですの。  それにその相手が一刀さんですなら尚更ですわ」  そう言い一刀を見詰める麗羽の瞳は熱を帯びている。彼女の濡れた唇に魅了されかけた一刀であったが、  ここは何とか正気を保ち、代わりに一刀は麗羽を抱き締めていた腕に再び力を籠めた。  そうして二人は暫くの間抱き合っていたのであった。  「やっぱりあれかなぁ……」等と一刀が他人には聞えぬ様に一人呟いていると、凪が一刀の顔を覗き込んでいた。 「どうしました隊長?……何か思い当たる事が有るんですか?」  凪の眼が細まり、一刀に問い掛ける声が低く棘の有る物に変わっていく。 「いっ、いや別に何も無いぞ」  凪の迫力にうろたえた一刀の返答が少々おかしい。それを聞いた霞が追い討ちをかける。 「あー、やっぱり何かやらしい事したんや……。一刀、正直に言うてみ、今やったら怒らへんから」 「だーかーらー……」 「どうかしたのか霞?」 「なになに、姐さん。遂に隊長白状しよった?」 「隊長ー、早く喋って楽になるのー」 「お前達いい加減にしろよ!」  一刀はそう言い放って一人馬を先に進めた。  後ろで、「誤魔化した」だの「やっぱり何か隠してる」だの五人が話しているのを背中で聞きながら、  「(これは暫く尾を引くなぁ)」等と考えている一刀であった。  結局一刀への追求は河内に着くまで手を変え品を変え続いたのである。  「北郷一刀帰還す」そう河内から先触れが届いた翌日、春蘭を先頭にした一軍が洛陽に到着した。  何時もとは違い今回の出迎えは魏の頂点たる華琳を筆頭に、魏の主要な人物が勢揃いという誠に豪華な物であった。  何事か有ったのかとそれを見た城門を通過しようとしていた商人達の一団や、一刀の事を聞きつけた住人達も、  遠巻きに集まっている。  そして春蘭が馬から下り、華琳の前に平伏していた。 「華琳さま、夏侯元譲以下四名、北郷一刀を連れただ今戻りました」 「おかえりなさい、春蘭。お疲れ様」 「はっ、有難う御座います。……ええいっ、北郷!さっさと華琳さまに挨拶せぬか!」  そう春蘭に促され、一刀は少々照れた表情を見せながら華琳の前に立った。 「やっ、やあ華琳。……久しぶり」 「そうね、三年振りね」 「あの時は急なことで、悪かったな」 「何のことかしら」 「向こうに居る間、華琳達に会えなくて寂しかったよ」 「そう?私は結構充実した生活を送ってたわよ」 「・・・・・・」 「なっ、何よ……」 「……綺麗になったな華琳」 「ほっ、他に言う事が有るでしょう!」 「ただいま、華琳」 「おかえりなさい、一刀」  そう言って二人は人目も憚らず抱き合い、そして口付をした。それを見ていた野次馬達から歓声が上がる。  天の見遣いこと北郷一刀は今魏に帰還した。彼や彼女達が望んだ場所に。  あの夜から欠けたままになっていた月が再び元の形に戻ったのであった。  流石に勢いとはいえ、自分のした行動が今更恥ずかしくなったのか、赤い顔をした華琳が一刀に話し掛ける。 「他にも言うべき人が居るでしょう。早くしなさい……」  そう華琳に促され、一刀はその後ろに並んでいる人達の元に向かう。 「ただいま秋蘭」 「なんだわたしには言ってくれないのか?だが、本当によく帰ってきてくれた、おかえり北郷」 「ただいま桂花」 「アンタが居なくなってせいせいしてたのに、全く……おかえり」 「ただいま稟」 「おかえりなさい一刀殿。本当に良かった……」 「ただいま風」 「おかえりなさいなのです、お兄さん。あんな事はもう許しませんからね、お兄さん」 「おかえり兄ちゃん!」 「おかえりなさい兄さま!」 「ただいま季衣、流琉。二人は大きく、いや大人っぽくなったなぁ。もし二人と街ですれ違っても気が付かなかったかもな」 「えへへ、そうかなぁ」 「いやです兄さま」  そう皆と帰って来た挨拶を交わしていた一刀であったが、ある事に気が付き華琳に尋ねた。 「なぁ、天和達はどうしたんだ?」 「ああ、彼女達なら公演に出ているの。貴方の事は知らせているから、今回の予定が済み次第戻ってくるわよ。  何時までもこんな所で立ち話もなんだから、続きは中でしましょう。  春蘭、兵達には三日間の休暇と、今晩は酒でも振舞っておあげなさい。稟は沙和と話し合って捕虜の処遇を決めなさい。  では解散」  春蘭が華琳に言われた事を兵達に伝えている。それを聞いた兵達から歓声が起こっていた。  稟と沙和は何やら話していたが、どうやら沙和が前に言っていた通りに事は決まった様だ。捕虜達は別の場所に移されて行く。  そして一刀達は懐かしい洛陽の城内へと向かって行った。 「で、何で麗羽がここに居るわけ?」 「おーっほっほっほ!一刀さんがここに居られるのですから、私がここに居るのは当たり前ですわ。  それがこの世の終わりまで変わる事の無い、この世の理と言うものですわ」  玉座の間で堅苦しくするのも何だからと言う事で、他の広間で食事でもしながら一刀の話を聞こうとなり、  机と椅子が用意され、そこに流琉が張り切って作った料理が並べられていた。  そして華琳の対面の位置に座った一刀の隣に当たり前のように麗羽が座った時、この騒動が始まった。 「どういう事?説明なさい一刀」 「ああ、俺がこの世界に戻って来た時、一番に会ったのが麗羽達なんだ」 「麗羽……、ふぅん、もう真名を呼ぶ仲になったの一刀」  そう言った華琳の眼がスゥッと細まる。今迄の和やかな雰囲気が一瞬で消え去った。  そして何を思ったのか、麗羽が立ち上がって話し始めた。 「そう、それは私達が山中で賊共に襲われていた時、その危機から私達を救う為に流星に乗って現れたのが一刀さんですの。  そして一刀さんは私達を危機から救って下さり、賊共の悪巧みを邑に伝える為に私と手に手を取って向かいましたの。  その時私は感じましたの、この方が運命の方ではないかと。そんな想いを私は抱いてましたわ。  その夜、砦で心細くなっていた私を一刀さんは優しく、そして力強く抱き締めてくださいました……。  そしてその時、私の想いが確信へと変わりましたの。  ああ、一刀さんと私は出会うべくして出会ったのだと。何かが一刀さんと私を導いたのだと」  そう麗羽は詠う様に話していた。そして一刀には幾本もの視線が突き刺さっていた。  多少は事情を知っている五人だけではなく、洛陽の城に居た全員の者の視線も浴びている。  折角の料理が一刀には、まるで砂を噛んでいる様であった。側で給仕をしていた女官達も既に遠くに離れている。 「一刀、今度はあなたが話しなさい。全てを、事細かく、何も洩らさず、正確に、在りのままを」 「わっ、判った、話すから。少々行儀が悪いが、食べながらでもいいだろう。折角の流琉の料理が冷めちまう」 「確かにそれもそうね、いいでしょう」  皆の興味が料理に向いた為に多少は雰囲気が元に戻っていった。  そして一刀は話し始めた。  この世界から帰った時の事、向こうで貂蝉に会った事、その貂蝉と話した事、その後の向こうでの暮らしの事、  こちらに帰る時の事、こちらに帰って来た時の事、そして洛陽に帰って来るまでの事。  話が少々長くなった為、既に料理は皆食べ終わっていた。話の途中涙ぐむ者も居たが、それも愛嬌だろう。  軍師達等は向こうでの暮らしや他の事等をまだ聞きたかった様であるが、又後日と言う事で切り上げようとした時、  いきなり扉を開けて中に入って来る者が居た。 「おお、華琳殿こちらじゃったか。玉座の間に誰も居らぬから、慌てて探しましたぞ」  宴も終わりに差し掛かった時、突然の乱入者に皆呆然としている。しかし、その中でも一番驚いていたのは一刀であった。 「えっ、黄蓋さん?何で?黄蓋さんは赤壁で……」 「ああ、北郷が知らぬのも仕方あるまい。実は生きておいでだったのだよ、祭殿は。  我らもそれを知ったのは成都での戦が終わってかなり経ってからだ」  そう秋蘭から説明されてもまだ一刀は落ち着きを取り戻してはいなかった。 「そっ、そうなのか。うん、お化けとかじゃないんだな。そうか、それは良かった」  一刀に気付いた黄公覆こと祭が近付いて来る。 「おお、北郷殿久しぶりじゃな。洛陽に着いたら警備の者が天の見遣いが帰ってきたと言うておったから、  これは会うておかねばならんと思うての。無礼を承知でここまで参ったのじゃ。  なんじゃその顔は、まだ儂が生きておるのが信じられんのか?」 「いや、そうじゃないけど、赤壁でのあの場面を見た俺としては驚いて……」 「まぁ、儂も死んだと思ったからのう。赤壁の下流で流されておったのを華佗に見付けられての、助けられたのじゃ。  これでも暫くの間は動けなくての、やっと動ける様になったら戦は終わっておるわ、お主は天に帰っとるわで散々じゃった。  そうじゃ、傷跡がまだ残っとるが、見るか?」 「いっいやっ、だめだって黄蓋さん、こんな所で」  いきなりその胸元を開こうとしている祭。一応拒絶はしているものの、  一瞬祭のその豊満な胸に眼をやった一刀を見逃さなかった方々の、冷たく鋭い視線が幾本も彼を射抜いていた。 「しかし、赤壁で会うた時はまだまだ孺子じゃと思っておったが、中々佳い男に成っておるではないか。  これは策殿達への良い土産話が出来た。たまには公謹の言う事も聞いてみるものじゃ。ハーハハハハッ」  そう言われ肩を叩かれ続ける一刀であった。  祭の乱入で終わりかけていた宴が再開していた。今度は食べる事より、呑む方が中心であった。  祭や霞のペースに着いて行けず、潰されている者も居る様だ。  春蘭などは、ネコも虎も通り過ぎ、今は秋蘭の膝を枕に眠っている。  それらを笑顔で見ていた一刀は、華琳が其の場を離れて行くのに気が付いた。どうやら、中庭の方へ向かっているようだ。  皆に悟られぬ様に一刀も其の場を離れ、華琳を追って行った。  一刀は気を使った心算であったが、そうでは無かった様だ。二人が見えなくなった頃、春蘭が眼を開いた。 「行ったか?」 「うむ、姉者」 「そろそろ二人きりにして差し上げねばな」  春蘭と秋蘭の二人の会話に祭が割り込んでくる。 「なんじゃお主等も中々主想いよのう」 「ふんっ、茶化すな。わたしは寝るぞ」 「ああ、かまわぬよ姉者」  そう行って眼を瞑る春蘭、直にすーすーと寝息を発てていた。 「佳き女子に佳き男……、なるほど魏が強いはずじゃ」  そう言って祭は器に残っていた酒を一気に呷るのであった。 「どうしたんだ、こんな所に一人で」  中庭の四阿に華琳を見付けた一刀は近付いていく。 「少し酔いが回ってきたから風に当たりに来たの。あなたはあそこに居ればよかったのに」 「そんなわけにはいかないさ、寂しがり屋の女の子を一人には出来ないだろう」  そう言って一刀は華琳を後ろから抱きかかえる。華琳は自分の前に回された一刀の腕に自らの手を重ね、一刀に身体を預ける。 「こうやって麗羽も口説いたの?」 「ははっ、華琳にだから話すけど、あの時は少し不安だったんだ」 「不安?」 「ああ、本当に俺は前居た世界に帰れたのかってね。貂蝉から色々聞いてたから」 「大丈夫、あなたはちゃんと元居た所に、わたしの所に帰って来たわ」  そう言って華琳は振り向き、一刀の顔を正面から見詰める。 「本当に綺麗になった」 「なっ、何を……」  うろたえる華琳が話し終える前に、一刀は口付けた。ただ勢いで口付けた城門でのものとは違い、今は情念を込めて。  それに答える華琳。二人は息をするのも忘れたかの様に求め合う、何度も、何度もお互いを確認するかの様に。  そして華琳はずっと確認したかった事を尋ねる。 「本当にこれからはずっと……」 「ああ、ずっと華琳や皆の側に居る。死ぬまでずっとだ」 「向こうにはあなたの生活が有ったでしょうに……、ごめんなさい」 「いいんだ、俺が決めたんだから。別れもちゃんと済ませてきたし。だから華琳が謝る事なんて何も無いんだ」  一刀は華琳を抱き締める。今ここには魏の覇王曹孟徳では無く、瞳に涙を浮かべる寂しがり屋の女の子華琳がいる。  一刀はそんな彼女がただただ愛おしく、華琳を抱いた腕に再び力を込める。 「ありがとう一刀……。愛しているわ」 「俺もだ……。愛してるよ華琳」  そして再び口付けする二人。  空にはあの別れた夜と同じ満月が輝いていた。                     天の見遣い再臨[後編] 了  おまけ 「策殿、公謹。黄公覆、今帰りましたぞ」 「おかえり祭。どうしたの?やけに上機嫌じゃないの?」 「おかえりなさい祭殿。どうなされたのだ?」 「おお、策殿、公謹。これは土産じゃ、天界の酒じゃそうじゃ、中々に美味じゃぞ」 「天界の酒って……」 「見遣いは天に帰ったのではないのですか?」 「それがの、こちらに帰って来ていたのじゃ、これがまた佳い男に成っておっての。後でその土産でも呑みながら話しましょうぞ。  長生きはするものじゃ、面白い事が次々に起こる。だが先ずは湯浴みじゃ、埃っぽくて敵わん」  そお言い残し風呂場へと向かう祭。孫伯符こと雪蓮と周公謹こと冥琳は唖然とした顔で見送っていた。 「これはどういう事だ雪蓮……」 「わたしに判る筈が無いでしょ冥琳……。確か次の三国会議は蜀だったわよね」 「ああそうだが」 「蓮華をわたしの代理で行かそうかと思ってたけど、これはわたしが行くしかないわね」 「勘か?」 「そうよ、勘よ」 「なら私も同道しよう。亞莎を行かせる心算であったが、聞きたい事も有るしな」  風雲急を告げる三国会議。北郷一刀の明日はどっちだ!