天の見遣い再臨[前編]   もしくは      帰ってきた種馬は真っ直ぐ帰らず、寄り道中。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!」  天の見遣い事、北郷一刀は落ちていた。  そう、文字通り空中から地上に向けて落ちているのである。 「貂蝉!死んだら化けて出てやるからなぁぁぁぁっ!!」  何故彼がこのような事態に陥っているのかは、少々時間を戻さねばならない。 「なぁ及川。俺が三国志の時代にタイムスリップして、またこの世界に戻ってきたって言ったら信じる?」 「はぁ?」  朝のホームルーム前の慌しい最中に、一刀はクラスメイトの及川祐に尋ねた。 「しかも、有名な武将がことごとく女の子になってたなんて言ったら……」 「カズピー何寝ぼけた事言ぅとんねん。あかんで、変な電波拾てたら。  ああ、ネトゲか何かのやり過ぎやろ、やり過ぎはあかんで帰ってこられんようになる。程々にせな」 「俺のオンボロノートでネトゲなんて出来るわけないだろう」 「ハハ、それもそやな。おっ、先生来たで」  先生の登場で話を中断する。溜息をひとつ吐いて一刀は外の景色を眺めていた。 「(普通はそう思うよなぁ……)」  自分の言った事に対する及川の反応に納得する。それはそうだろう、正気ならこんな世迷言信じるわけが無い。  しかし、一刀はあの体験が全て夢では無かったと確信している。  それはその日の朝の出来事であった。  朝起きて、学校に行って、いつも通りの授業を受けてて、気が付いたらあの世界だった。  そして華琳達と大陸を駆け巡り、黄巾を反董卓同盟を三国との戦いを勝ち抜いた。  最後に華琳と満月の元で別れの言葉を交わし、自分の存在が消えかけていくのを感じながら意識を失った。  そして次に眼が覚めたのは寮の自分のベットの上、時計を見たらあの世界に行った次の日の早朝であった。 「夢……、だったのか?」  あの世界でのあの数年の出来事が、こちらの世界ではたった一日にも満たないの間の出来事とはどう考えてもおかしい。  夢だとしても、やけにリアリティが有る。しかし現実は十数時間しか経っていない。  あれは夢なのか現実なのか自信が持てぬまま起き上がろうとした時、一刀は制服のポケットの中のあるものに気が付いた。  それは数枚の小銭。現代の日本で使われている物ではなく、あの世界で使われていた物。  その時一刀は確信した、あれは夢ではなかったと。彼女達と一緒に過ごした時間は現実であったと。  その小銭を握り締め、一刀は涙が出そうになるのを堪えていた。  その時、急に背後から声を掛けられた。 「良かった。ご主人様ちゃんとこちらに帰ってこれたのねんっ」  声のする方へ振り向いた一刀の眼に入ってきたのは……、とんでもないモノであった。  逃げ出したい気持ちを何とか堪え、壁を背にして声を振り絞った。 「誰だよお前は!!」 「あらぁダメよご主人様、まだ朝早いんだから。大きな声は他の部屋の人達の迷惑よん。  私は貂蝉、しがない洛陽の踊り子よんっ。やだっ、今回は魅惑のランジェリーショップのママだったわ」  一刀は洛陽と言う言葉に多少動揺するも、必死に頭を働かせた。 「そう言えば春蘭が言ってたな。下着を買いに行ったら、変態の筋肉達磨を見たって……」 「もうっ、酷いわねぇご主人様。でも流石に洛陽警備隊通称北郷隊の隊長さんね、いきなりのこんな出来事にも動じないなんて。  あの外史の曹操ちゃんは私が居なくてもちゃんとご主人様を鍛えてくれたみたいねんっ。  あっ、私はご主人様の敵じゃないわよ、み・か・た。味方と言うより、ご主人様の愛の奴隷?いやぁぁぁん!」  逞しい両の腕で自分の肩を抱きしめ、身悶えしている生物が目の前に居た。 「気持ち悪いから他人の部屋で身悶えるのは止めてくれ。それに十分動じてる……。  それで、お前の言った外史って何?」 「もう、ご主人様のイケズ。外史というのは……」  少し長くなるわよと前置きされ、貂蝉は外史について、何故一刀があの外史に呼ばれたのか、  そして何故一刀があの世界から消えなければならなかったのかについて説明していった。  一刀としても、その説明で全てを理解出来たわけでは無かったが、納得は出来た気がしていた。  そして一刀は核心を口にした。 「俺はあの外史に戻れるのか?」  一刀の真剣な瞳に見つめられ、貂蝉は笑いながら、そして少し困ったような顔をしながら答えた。 「ええ、可能よ」  その答えに一刀は握ったままだったあの外史の小銭を見つめながら「そうか」と一言だけ呟いた。 「あの娘達のご主人様への想いは強い、そしてご主人様を必要としている。  前回のご主人様はあくまでもあの外史にとってはイレギュラー、あの外史にとっては異物でしかなかった。だから排除された。  でも今はあの娘達の想いで、ご主人様はあの外史を構成するピースになれるかもしれない」 「なっ、なら」 「慌てないでご主人様、でも今すぐは無理。  無理やりねじ込もうとすると、弾き返される。外史とはそんなモノよ。  だからちゃんと手順を踏んで、道を創る。だから少し時間がかかるけど待って欲しいの」  貂蝉から今迄のふざけた雰囲気がなくなり、言葉の一つ一つに言い聞かせる様な重みを一刀は感じていた。 「わかった。どのぐらい待てばいい?」 「めぐり合わせも有るけど、恐らく数年……」  貂蝉の数年と言う言葉に一刀は少しうろたえた。しかし、まだあの外史に戻れる嬉しさの方が勝っていた。 「そっ、そうか……、まぁ前みたいにいきなりじゃないだけ準備も出来るか」 「でもこれだけは覚悟してちょうだい……。  今度向こうの外史に行ったら恐らく帰って来られないわよ」  少々浮かれていた一刀の頭を貂蝉の言葉が現実に戻す。  一刀に向けていた顔を一度逸らし、また向き直して貂蝉は言葉を続けた。 「だからご主人様、暫くしたらもう一度来るからそれまでによく考えていておいて欲しいの」  貂蝉の言葉を聞いて一刀の頭の中で幾つもの考えが浮かび、そして消えていった。  両親の事、爺ちゃんの事、友人の事、魏の皆の事。そして背中を震わせていた、寂しがり屋の女の子の事。  だが結論は唐突に、いや帰れると聞いたときから既に決まっていたのかもしれない。  手の中の物を見つめていた一刀は、顔を上げはっきりとした声で貂蝉に答えた。 「いや、俺向こうの外史に戻るよ」 「ご主人様……、いいの?」  一刀は何か吹っ切れた様な笑顔で答えた。 「ああ、やっぱりあんな別れ方のままはいやだし、皆と一緒に居たい。皆のこと大好きだし。  お前はもう帰れって言われるまで向こうに居るさ。あっ、一度行ったら帰れないんだっけ?」 「もうっ、ご主人様ったらぁ」  お互いに笑い合う一刀と貂蝉。そして再び真面目な顔になった一刀が貂蝉に話し掛けた。 「ありがとうな貂蝉……、色々心配してくれて。そしてこの後も迷惑を掛ける」  そう言って一刀は頭を下げていた。それを見た貂蝉は一オクターブ高い声で話し始める。 「ああんっ、やっぱりご主人様はどの外史もご主人様なのねんっ!  こんなご主人様に出会えた私は漢女冥利に尽きるってモノよぉぉぉぉっ!  こんな出会いを創ってくれた人を抱きしめたいわぁぁぁぁっ!!」  そして再び貂蝉は自分の肩を抱きしめながら、身悶えを始めた。 「オイ、他の部屋の奴等に迷惑だ。それに気持ち悪い。で、どの外史もって何の事だよ?  それに初めから気になってたけど、何で俺がお前のご主人様なんだよ?」 「どゅふふ、それは漢女の秘め事ってモノなのよっん。知りたぁいい?」 「いや、遠慮しておく……」  そしてその後も一刀と貂蝉は色々な話をした。そうこうしている内に登校の時間が近づいてきたので、今日はお開きとなった。  帰り際、貂蝉は名残惜しそうにドアに抱きついている。 「また途中経過を知らせに来るわねぇご主人様。そうそうご主人様、外史の話は余り人にはしないほうがいいわよ。  流石に体験してない人には理解出来ないでしょうから」  と言って凶悪なウインクを残し「ブルァァァァッ!!」と声と共に貂蝉は帰っていった。いや、飛んで行った。  人間離れした奴だという事は判っていたが、空を飛ぶというのは予想していなかった。  一刀は貂蝉を本当に信じていいのか少々不安になったが、今となっては後の祭りである。 「まぁ、あいつが邪神でも悪魔でもいいか……、帰れるなら。根は良い奴みたいだし、見た目は化物だけど……」  一刀は切り替える事にした。というか、考えるのを放棄した。 「さぁて、俺も準備しとかないと。爺ちゃん達に何て言うか考えとかなきゃなぁ……。  それに今のまま帰ったりしたら、華琳や桂花達に何て言われるか……」 そしてその日が訪れたのは、六年後の事であった。 「ねぇ、姫、文ちゃんもう帰ろうよぅ。今ならまだ人和さん達許してくれるかもしれないし、一緒に謝りますから」  半泣きの顔で訴える顔良こと斗詩。その訴えにいの一番で反論したのは袁本初こと麗羽であった。 「何で私が、このわ・た・く・し・があんな三流芸人さん達の荷物持ちなんかしなければなりませんの?  それに言い出しっぺは猪々子さんですわよ」  すると先頭を歩いていた文醜こと猪々子が振り向いて話に加わってきた。 「そうだぞ斗詩。あんな忙しいだけで何の刺激も無い生活続けてもしょうがないだろう。  あっ、退屈なんで何か面白い事探して来いって言ったの姫じゃないですかぁ」 「そうでしたっけ?で、猪々子さんまだ着きませんの?その董卓軍が隠した財宝とやらには」 「さっきの川が合流した地点の北にある山の中腹にある洞窟の中って書いてあったから、もう直ぐじゃないですか?」  猪々子の説明に斗詩が顔色を変えて反論する。 「えっ、文ちゃんさっきの川は合流してるんじゃなくて、分かれてたんだよ。  それに場所は安定でしょ、どう考えてもここは安定じゃないし。越えた関の数も違うし、長安も過ぎてないし。  大体、詠さんが隠した財宝放置したままなんて有り得ないよぅ……」  目尻に涙を貯め必死になって話す斗詩に、麗羽は不思議そうな顔をして尋ねた。 「ねぇ斗詩さん。何で桃香さんの所の『めいど』さんでしたかしら?それが何でこんなところで出てきますの?」 「えっ?」  斗詩は心底驚いた顔をしていた。  三国会議の折、本人を交え紹介され、月と詠達本人から「あの時の事は水に流す」と言われた事を麗羽は覚えていないようだ。  どうやら麗羽本人の興味の無い事は、とことん頭に入らない様である。  斗詩が頭を抱えていると、先に進んでいた猪々子が斗詩達を呼ぶ声がした。 「斗詩ぃ、何だか開けた場所に出られそうだから早く来いよー」  麗羽と斗詩が猪々子の所まで行くと、確かに開けた場所というか街道の様な場所に出た。 「ちょっとここで休みませんこと」  三人の中では一番体力の無い麗羽が休憩しようと言い出した。  三人は休むのに適当な岩なり場所を探していると、猪々子がある集団を見付ける。  それはどう見ても、邑人同士が和やかに話をしているのではなく、多人数で少数の人間を囲んでいる様子。  つまりは、襲われているのである。囲んでいる方は服装や装備に統一感もなく、中には黄巾を巻いている者までももいる。  どうやら盗賊の類の様であり、襲われているのは行商人の様だ。  それを見た猪々子がおもむろに斬山刀を抜いて突っ込んでいった。 「お前等何やってやがる!」  猪々子の一振りに行商人に手を出そうとしていた二人が吹き飛ばされた。どうやら死んではいない、猪々子も手加減はした様だ。  しかし、飛ばされた先で打たれた所を押さえうずくまっている、骨は折られた様子である。  そこに遅れて斗詩と麗羽が追い着いて来た。 「文ちゃん!」 「猪々子さん、そんな下賤な者達などやぁっておしまいなさい!」 「まかせてください、麗羽さま!」  いくら徒党を組んでいようと、盗賊風情では元将軍の猪々子には敵う筈もなく、一方的に打ちのめされていく。  大した時間もかけず猪々子は片付けてしまった。一人逃げ出したが、気にはしていない。 「大丈夫ですか?」  斗詩が襲われていた行商人に声を掛ける。行商人も斗詩に安心した顔で答えた。 「有難う御座いますお武家様方、助かりました」  多少の怪我をしている様ではあるが、命には問題はなさそうだ。 「おっちゃん、何でこんな所に?」  少々暴れ足りない顔の猪々子の問いに、立ち上がり荷物を確認しようとしていた行商人は居住まいを正して答えた。 「はい、私は薬草などの行商を営む者なのですが、上党に買い付けに行くのに近道をしようと旧街道を通っておりました。  すると先程の盗賊達が何やら相談しているところに出くわしてしまって……」 「で、追いかけられたと」 「はい、左様で御座います」  猪々子と行商人の会話を聞きながら、やっぱりここは安定どころか、方角すら違う事を斗詩は確認していた。  麗羽は興味が無いのか、髪をいじっていた。枝毛でも探しているのだろう。 「そうですお武家様方、早く知らせないと!」  行商人のただならぬ雰囲気に斗詩と猪々子が注目する。麗羽は欠伸をしていた。 「あ奴等この先の邑を襲う算段をしておりました」 「でも、いくらなんでもあの人数で邑を襲うなんて……」 「斗詩、まだあいつ等まだお仲間が居たみたいだぜ……」  街道の先から二・三十人の盗賊達がこちらに近づいてくるのが見えた。中には馬に乗った者も何人か確認できる。  そして弓を構えている者までいる。構えが様になっているところを見れば、軍人崩れも居るのだろう。  斗詩と猪々子だけなら問題に為らない程の人数であるが、今は麗羽と行商人が居る。  ただ逃げるにしても微妙であるし、折角助けた者を見捨てるのも良い気がしない。  こうなるとは思ってもいなかった猪々子は、賊を一人逃がしたのを後悔していた。  盗賊達は適当な距離を取り、四人を囲む様にしている。その盗賊達の中から一人体格の良い男が一歩前に出た。 「行商の男一人に、女が三人。これがお前の言っていた奴等か?」 「へい、間違いありません」  どうやらこの集団の頭目であろう男に、先程逃がした賊の一人が答える。 「お前等が邑を襲うなんて寝惚けた事を言ってる連中かよ」  麗羽と行商人を庇う様に斬山刀を構えている猪々子が頭目格の男を睨みながら尋ねる。斗詩も金光鉄槌を構えている。  猪々子の睨みに賊達はうろたえるが、頭目は口の端を歪めながら答えた。 「なんだそんなところまで聞かれてたのかよ……。  だったらどうなんだ?お前等だけで止めてみるか?こっちの仲間はまだまだ増えるぜぇ!」  男はドスを効かせ怯えさそうとしたようだが、効いているのは行商人だけ。  戦場での飛将軍の呂奉先や魏の夏侯元譲に比べれば、猪々子や斗詩にとって怯える要素は何も無い。  麗羽にいたっては、何を言ってるんだこいつはと言う様な顔をして腰に手を当て突っ立ってるのみである。  思った以上に脅し文句が効いて無い事に内心あせりながら、男は言葉を続けた。 「まぁ、聞かれたんじゃぁしょうがない。邑に知らされても厄介だ、お前等はここで始末させてもらうぜぇ。  ああ、女達はお楽しみの後でって事になるがなぁ」  男の下卑た笑い顔を見た猪々子と斗詩は頭に血が上るのを感じていた。怒りを隠そうともせず猪々子は言い返す。 「へえぇ、お前等ちんけな盗賊風情があたい等をどうにか出来ると思ってんだ?寝言は寝てからにしてくれよ。  ああ、ろくでもない事ばかり続けてたんで、あたい達との格の違いも判らなくなったのか?不憫だなぁ……」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「なんだとぉ!このアマ!」  猪々子と盗賊の男の言い合いが始まったのを退屈しながら聞いていた麗羽はふとした事に気付いた。 「ねぇ斗詩さん。あれ何ですの?」  いきなりの麗羽の問い掛けに斗詩は面食らいながらも麗羽の指差す方を見た。 「えっ、何ですか麗羽さまこんな時に……。えっと流星ですか?こんなお昼に流星なんて珍しいですね」  賊達を気にしながらも、斗詩は空に見える流星を見ながら麗羽に答えていた。  それは余り大きな音は立てていないが、良く晴れた日中でも斗詩にははっきり見える程白く輝いていた。 「いやですわ、私の何人をも引き付ける魅力が星にまで働いたのかしら?まったく昼間だと言うのに節操の無い星ですわねぇ。  やはりこの私の止め処なく溢れる高貴な気品と魅力は隠しきれる物ではないのかしら?おーっほっほっほ!」 「いや、麗羽さま……。何もこんな時に……って、麗羽さまあの星こちらに向かって近付いて来てませんか?」 「おーっほっほっほ!……はい?」  当然賊達の中にも目敏い者も居る、それに気が付いた者も居た。 「・・・・・・・・・ァァァァァァァァァァァ!」 「おい、ありゃ何だ?」 「何だこんな時に……って、こっちに来てるぞ!おっ、お頭!」  猪々子と賊の男の言い合いはまだ続いていた。初めこそは緊迫した雰囲気も有ったが、今は子供の口喧嘩に近い。 「バカ、バァカ、バーカ!」 「なんだとこのアマ!後で絶対ヒィヒィ言わせてやるからなぁ!」  猪々子の挑発に頭に来たのか真っ赤な顔をしている頭目に、賊の手下が空を指差し声を震わせながら話し掛けた。 「おっ、お頭……。あっ、あれ……」 「何だお前等!こんな時にうるせぇぞ!!」 「あっ、あれを!!」  手下の悲鳴にも似た声に、頭目も指差す先を見上げた。 「なっ……」  空を見上げて固まってしまった賊達を、猪々子は怪訝な顔で眺めていた。そこに斗詩の叫び声が響く。 「文ちゃん!上!逃げて!!」  上を見た瞬間、斗詩達のいる方へ飛び避ける猪々子。 「あああああああああああああああああああっ!!」  猪々子が離れた瞬間、猪々子がいた場所と賊達の間辺りに変な声の様な音を発しながらそれは落ちて来た。  かなり大きな物に見えたが、それが地面に落ちた時には大きな音や振動は無かったが、  その代わりに眼も開けられない程の閃光が辺り一面を包んだ。  斗詩と猪々子は麗羽と行商人を庇う様に追い被さっていたが、  来るであろう衝撃が無い事を不思議に思い、それが落ちたであろう場所に眼を向ける。  するとその場所にはまだ丸い光の塊の様な物が輝き続けていた。  それは段々と光は弱くなってはいたが、まだ眼を細めなければ見る事は出来ない。 「何ですの一体?」 「あたいにも判りませんよぅ」 「姫、文ちゃん、近寄ったら危ないよう……」  その光の塊からは殺気や敵意の様な物は感じないが、それ以上に好奇心が勝ったのだろう二人はゆっくりとそれに近付いて行く。  猪々子の手がそれに届きそうに為った時、光の塊は急に大きさを縮め始め、形を変え、人の形を形作り始めていった。  そしてそれの光が完全に消えると、そこには一人の男性が立っていた。  猪々子がその男性に話しかけようと近付いた時、その男性が自ら話し始めた。 「ああ、俺生きてる……。良かった……、絶対に死んだと思った……。  あいつ等ぁ……。何が大丈夫だ!何が安全だ!洛陽の近くに送り届けるって言ったくせに……、あんな所に放り出しやがって!」  男の急な大声に斗詩と猪々子は多少驚いた様子であったが、どうやらこの方は違った様である。 「ちょっとあなた!あなたですわ!急に私の目の前に飛び込んで来るなんて、一体何を考えてますの!」 「へっ……、俺?」 「そうですわ、バカ面下げて突っ立ってるあなたですわ!」 「ひ、姫ぇ……」  彼はいきなり空中に放り出され、そして墜落し、そして生きている喜びを噛み締めていたら、いきなり怒鳴られた。  怒鳴ってきた女性を見た彼は驚いた。この女性は見た事がある。そう知っている。  あの縦ロールの豪奢な金髪、大柄な態度、派手な鎧、忘れたくても忘れられない。 「えっ、袁……紹か……」 「まあっ!会ったばかりだというのに他人を呼び捨てにするなんて、どんな躾を受けてこられましたの!」 「麗羽さまぁ……」  怒る麗羽を宥めようとする斗詩。 「(この服とこの顔は確か……、でも雰囲気が少し違う?)」  麗羽を宥めながら彼を見た斗詩は彼に対してそう感じていた。すると今度は猪々子が話し掛ける。 「兄ちゃん空から降ってきたけど大丈夫かよ?」 「ああ、なんとかね。んっ?、君等は文醜と顔良か?」 「なんだよあたい達の事知ってんのかよ。いやぁ、有名人は辛いなぁ」  まんざらでもない様な顔で照れる猪々子。そして彼は気になっていた事を尋ねる。 「で、文醜さん。ここは何処なんだ?」 「えっ、ああここは安定だよ兄ちゃん」 「安定?!」 「違うよ文ちゃん」 「えっ、そうなの斗詩」  すかさず否定する斗詩、やはり猪々子は判っていなかった様だ。そこで行商の男が代わりに答えた。 「はい、ここは上党に向かう旧街道で御座います。位置で言えば、上党の北東に当たります」 「そうですか、有難うございます。文醜さんこの人は?」 「ああ、このおっちゃんは、あたい達が助けた行商人。で、あっちが襲ってた連中」  猪々子が指差す方を見れば、確かに柄の悪い連中がこちらを見ている。中には馬から落ちた者や腰を抜かしている者も居る。  今は突然空から降って来た彼を見て呆気に取られているが、何時までもそうとは限らない。  彼は斗詩と猪々子に近付いて、賊達に聞えない様に注意しながら話し始めた。 「なぁ、サッサと逃げた方が良くないか?俺や行商のおじさんは足手まといにこそ為れ、戦力には為らん。  それに本初殿に怪我をさせたくは無いだろう」 「それはそうですけど……」 「ああ、あいつ等この先の邑を襲うつもりらしいし」 「おいおい、なら尚更急いでその邑に知らせないと……」  辺りを見渡せば、落馬した連中の馬が少し離れた所に居るのが見えた。  あれを使おうと思った彼は、再び斗詩と猪々子に話し掛ける。 「文醜さん、囮に為ってあいつ等を引き付けて時間を稼いでくれるか?」 「ああ、いいけど……、どうするんだ兄ちゃん」 「簡単な事さ、あそこに居るあいつ等の馬を奪って逃げる。顔良さんはこっちに付いて来てくれ。そして邑に知らせる」 「判りました」  猪々子が暴れて囮になっている間に馬を奪って逃げる。至極簡単な作戦だ。  出会って間の無い自分と彼女達では複雑な連携など無理だし、自分と彼女達の阿吽の呼吸など期待できない。  第一、得物すら持っていない彼は猪々子や斗詩に話した通りただの足手まといであり、  彼自身武力で猪々子や斗詩の助けになれるなど思い上がってもいない。  それに手間をかけている時間も無い。今はいち早くここから脱出し、邑への襲撃を知らせなければ為らない。  三人でこそこそ喋っていると、そこに麗羽が寄って来た。 「あなた達、私抜きで何を話してますの?」  急に話し掛けられたので彼は少々驚いた様だが、麗羽に対して笑顔で答えた。 「本初殿に相応しい、華麗で勇壮な作戦を考えておりました」 「まぁ、それは結構な事ですこと。精進して下さいな」 「はい」  自分の問いに対する答えを聞いて、麗羽は満足した様だ。  その二人の会話を聞いていた猪々子が、感心した様子で彼に話し掛ける。 「兄ちゃん麗羽さまの扱い上手いもんだなぁ。なぁ、さっきから思ってたんだけど、どっかで会った事なかったっけ?」 「文ちゃんこの人は……」 「まぁ、話は後だ。さぁ、始めるぞ」 「よぉし、じゃっあたいは先に行くぜ!」  猪々子が賊達の方へ突撃して行く。賊達の注意が猪々子に向いたのを確認して、四人は馬の居る方へ向う。  馬の傍に居た賊を斗詩が始末し、三頭の馬を確保する事が出来た。  猪々子に合図を送ろうとした斗詩が離れた所に居た賊に気付いた。賊は弓を構えている。  それが狙っているのは、大暴れしている猪々子でも金光鉄槌を担いでいる斗詩でもなく、  奪った馬に乗ろうとして無防備な背中を見せている麗羽であった。 「麗羽さま!」  斗詩の声に彼が反応した。彼が麗羽に跳び付く。間一髪、矢は彼の肩口をかすめて後ろの木に刺さっていた。  同じ様に反応した猪々子により、矢を放った賊は猪々子の投げた礫をまともに喰らい倒れこんだまま動かなくなっていた。  一方、いきなり押し倒された格好になった麗羽は、状況の判らぬまま彼に抱きかかえられていた。 「本初殿怪我は?」  彼の近過ぎる顔の位置にうろたえるが、彼の言葉に我に返る麗羽。 「しょ、少々腰を打ちましたわ。それより何時まで私に抱き付いていますの?」 「ああ、これは失礼を……」  立ち上がろうとした時彼の顔が歪んだ。肩口の怪我から血が流れている。 「あなたこそ怪我をしていますわよ」 「かすり傷だよ、大丈夫」 「でっでも……、きゃあ!」  麗羽を両手に抱いたまま彼は立ち上がった。今の体勢は俗に言うお姫様だっこである。 「顔良さん、おじさんを頼む!文醜さん、行くぞ!」 「はい!」 「おうよ!」  彼は麗羽を前に乗せ、自分も同じ馬に乗り込んだ。行商の男は斗詩の後ろにしがみ付く様に乗っている。  猪々子は斬山刀で地面を斯き、礫と砂埃を煙幕代わりにし賊達を怯ませておいてから最後の馬に乗った。  そして五人は一目散に邑を目指し走り始めた。  邑に向けて走り出した彼らの後から、馬に乗った幾人かの賊が追い駆けて来ているのに猪々子が気付いた。 「あいつ等ホントにしつこいなぁ、まだ追ってきやがる」  こちらは二人乗りの馬も居る、このままの速さでは賊に追い着かれてしまう。  斗詩や猪々子であれば反撃も可能だろうが、彼の技術ではそれは不可能であろう。それに彼には得物もない。  ただ麗羽が黙って乗っていてくれるのだけが救いであった。  彼はそれを不思議に思っていた。こんなに聞き分けの良い娘だったろうか?  そして彼はやっぱり俺が足を引っ張るのかななどと考えていたら、猪々子が動き出した。 「あたいが殿になる、皆は先に行ってくれよ。おっちゃん、邑はこの先だよな?」 「はい!暫く行くと砦が有ります。邑はそこです」 「おっ、おい……」  彼が声を掛けようとしたら、斗詩が遮った。 「大丈夫です。文ちゃんがあんな奴等に負けるはずがありません!」 「そう言う事!兄ちゃん麗羽さまを頼むぜ!麗羽さま、兄ちゃんの言う事ちゃんと聞くんですよ」 「う、五月蠅いですわよ猪々子さん。ちゃっちゃと片付けて来なさい!」  彼は麗羽の顔が少し赤くなっているのに気が付く。  流石に会ったばかりの見ず知らずの男に抱かれる様に馬に乗らされているのは、  彼女の自尊心を損ねたかもしれないと彼は思っていた。 「はははっ、じゃぁ行ってくる!すぐに追い着くから!」 「うん、文ちゃん!」  猪々子の馬が速度を落とす。彼女にとって、あの程度の賊の相手など造作も無い事なのだろう。緊張すらしていない。 「折角彼女が殿をしてくれるんだ。邑に急ごう」 「はい」  四人を乗せた馬は目的の邑に向かって突き進んだ。  邑の目印でもある砦が見え始める頃には、猪々子も既に事を済ませて合流していた。  流石に袁家の二枚看板は賊相手では格が違うなと彼が思っているうちに、邑の入り口が見えてきた。  邑の入り口にいる二人の邑の若者が、いきなり現れた五人に訝しげな視線を投げかけている。  その若者に彼が声を掛ける。 「火急の用件にて、邑長にお目に掛かりたい!」 「か、火急な用……」  一人が問い質そうとしていたら、もう一人の方がいきなり彼の前で直立不動の姿勢で敬礼した。 「サー、北郷隊長!お久しぶりでございます!サー」  いきなりの対応に、一刀以外の四人が面を喰らう。薄々彼の正体に気が付いていた斗詩も驚いていた。 「お前、沙和の部隊に居た事があるのか?」 「サー、肯定であります、サー」  一刀はこの丁寧な言葉遣いは、後で秋蘭か華琳の直営の部隊に回されたんだなと思いながらも話を進めた。 「この邑を襲おうとしている賊共がこの先の山中にたむろしている。その事で邑長に至急お目に掛かりたい!」 「サー、了解いたしました。直ちに邑長を呼んで参ります、少々お待ちください、サー」  そう言うと彼は門をくぐり走って行った。程なく彼が初老の男性を伴って戻って来た。あの男性が邑長だろう。 「北郷様、私が邑長で御座います。話はアレから聞きましたが誠ですか」 「ええ、彼女達が直接賊達から聞いたそうです。間違いないでしょう」 「あの方達は?」 「こちらが漢の大将軍、袁本初殿、あちらの二人が袁家の顔良殿と文醜殿です。  そしてこちらが今回の賊共の企みを知るきっかけになった、行商の方です」  袁本初の名を聞いた邑長はギョッとした顔になったが、一度深々とお辞儀をした後一刀に向きなおした。 「では邑長殿、あの砦は使えますか?」 「はい、あれは黄巾の頃造られた物ですが、現在は放棄されております。余り大きくは有りませんが無駄に頑丈なのが取り柄です。  今は、うちの邑の食料庫代わりに使っております」 「では邑人をあそこに避難させましょう」 「わかりました、急いでそうさせましょう」  邑長の指示の元、何人かが走り出す。それを確認した一刀は麗羽達に向き直った。 「俺の独断で話を進めたけど、良かったかな?」  それに斗詩が答える。 「ええ、あの指示で良かったと思いますよ。やっぱり北郷さんだったんですね」 「あっ、顔良さんは気が付いてた?」 「はい、その服は見覚えがありましたから。でも見た感じ雰囲気が前会った時と違ってたんで、少し自信が無かったんですけど」 「斗詩はよく覚えてたなぁ。あたいは全然覚えてないや」 「私も覚えがありませんわ」 「文ちゃん……、姫ぇ……」 「ははは、気にしなくていいよ。俺は元魏の洛陽警備隊長、北郷一刀だ。  さっきは賊から逃げる時に世話になった。改めて礼を言わせて貰う、ありがとう」  そう言って頭を下げる一刀に斗詩が慌てて答える。 「そっそんなっ、頭を上げてください。こちらだって麗羽さまを助けていただいたんです、おあいこですよ。  あっ、それと私の事は斗詩って呼んでください」 「真名だろう、いいのかい?」 「はい。麗羽さまを助けてもらったんです、当然です。今はこんな事でしかお礼が出来ませんし」 「あー、斗詩がそうするんならあたいもだ。あたいの事は猪々子って呼んでくれよ、兄ちゃ……いやアニキ!」 「わかった、ふたりの真名預からしてもらうよ。俺は真名が無いから、北郷でも一刀でも好きな方で呼んでくれ」 「わかりました。では、一刀さんて呼ばせてもらいますね」 「あたいはアニキでいいよな」 「ああ、いいよ」 「では一刀さん、肩の傷を見せてください。ちゃんと見とかないと……」  門の横にあった長いすに一刀を座らせ、斗詩が傷を確認を始めた。 「ああ、良かった、深い傷ではないですね。変色とかもしてませんから毒等も使われて無いみたいです」  それを見ていた行商のおじさんが話し掛けてきた。 「傷薬なら幾ばくかの持ち合わせが……」  薬を渡そうとしたおじさんを一刀は手で遮った。 「いや、それは取っておいてくれませんか、おそらくこの後必要になる。  酷い傷で無いのなら、水で傷口を洗っておくだけでいい」 「じゃぁ、あたい水貰ってくるよ」  そう言って猪々子は走って行った。そして斗詩が一刀の傷口の周りの血を拭っていると、傍らに麗羽が立っていた。 「あ、あのう……」 「どうかしましたか本初殿?」  そう一刀が答えると、腕を体の前で組み顔は横を向いたままだった麗羽が一刀の方に向き直して話し始めた。  顔は未だに赤いままである。 「さっ、先程は私を危機から救ってくださった事、おっお礼申し上げますわ」 「いえ、とっさの事とはいえ無礼な振る舞いを……」 「ぶっ、無礼な振る舞いなどではありませんわ。あの時は非常時ですし、そのおかげで私は命を救われたわけですし……」 「ではお許しいただけますか?」 「許すもなにも、貴方には感謝しておりますのよ……。ですから私の事は麗羽とお呼び下さいませ」 「いいのか?」 「命を救っていただいた方に、真名を許さぬほど世間知らずのおバカさんではありませんわ」 「わかった、預からしてもらう。ありがとう麗羽殿」 「いっ、いえそんな……、麗羽と呼び捨てにして下さいませ。私も一刀さんとお呼びしてよろしいでしょうか?」 「ああ、いいよ麗羽」 「はい!」  結果に満足したのか麗羽は一刀の隣にちょこんと座り上機嫌である。  その二人の会話を聞いていた一刀の傷を見ていた斗詩と、水を取ってきた猪々子と、行商のおじさん三人が、  麗羽を不思議そうな顔つきで眺めていた。 「袁本初様とはこんな方でしたでしょうか?以前聞いた噂では……、いえこれは御無礼を」 「いえ、私もこんな姫を初めて見ました」 「あたいも初めて……」 「こちらでしたか北郷様」  そうこうしていると、戻って来た邑長が一刀に声を掛けてきた。 「邑人の退避は続いておりますが、直に終わります」 「わかりました。邑長、戦えそうな者はどの位居ますか?」 「邑人は全部で二百人程ですが、多くが女子共と年寄りです。多く見積もっても五十人程かと」 「ではその中から馬に乗るのが得意な者を呼んでもらえますか?」 「わかりました」  そう言うと彼は邑の中央の方に向かって行く。その先には何人かの集団が見える、予め集めておいたのだろう。  察しの良さや落ち着いた行動を見るに、あの邑長も伊達に黄巾やその後の戦乱を生き延びてきた訳ではなさそうだ。  すると猪々子が一刀に話し掛けてきた。 「なぁアニキ、仕方ないと思うけど五十人ぽっちじゃぁ……。後、馬が乗れる奴なんか集めてどうするんだ?」 「ああ、別に邑人だけで相手を全滅させる訳じゃないからね。俺達がするのは時間稼ぎさ。幸い兵糧と水に関しては問題ないし。  相手がどの位集まるかは今は判らないけど、邑を襲う位だからかなりの人数である事は間違いないだろう。  後、馬に乗れる者は伝令として他の町なり軍に行ってもらおうと思ってる、俺達が時間を稼いでる間にね」 「ああ、なるほどなぁ。でもそれなら伝令の役はあたいか斗詩の方が良くないか?」 「最悪はそう考えてるけど、まずは猪々子と斗詩は指揮を執ってもらわないと」 「アニキじゃだめなのか?」 「俺はブランク……、いやこういう場面から長く遠ざかっていたから余り役に立たないかもしれない」 「そうかなぁ?」 「そうだよ。俺なんかより猪々子や斗詩の方がずっと上だよ、経験でも能力でも」 「そ、そうかなぁ……」  猪々子は顔を赤らめながら頭をかいていた。一刀の言った事を聞いてまんざらでも無い様だ。  二人の会話を聞きながら、斗詩は一刀の麗羽や猪々子の扱いの上手さに感心していた。  そこに邑長が数人の若者を連れて帰ってきた。その中には先程の沙和の部隊に居た彼も居る。 「北郷様、連れてまいりました」 「この中で、一番馬の扱いの上手いのは?」 「サー、自分であります、サー」 「判った。君には救援願を届けてもらいたい。ここから近い軍隊の配備されている都市は?」 「サー、距離で言えば晋陽であります。配備されている数は業であります、サー」 「でも、晋陽に向かうと賊達に鉢合わせになりますよ。危険なんじゃぁ……」 「そうだな、ならお前は業へ向かってくれ。直ぐに救援願を書くから、出来上がり次第出立してくれ」 「サー、イエス、サー!」  一刀は救援願を書く間に、斗詩には武器や戦闘に使えそうな物の確認を、猪々子と麗羽には邑の住人の避難の誘導を頼んだ。  その後、書き上がった物を持った彼が目的の地に向かって駆けていった。  そして邑の住人の避難も終わり、篭城の準備は整った。斗詩の報告では矢の数が少々少なかったが、  小岩や石で代用できるだろうとの事であった。  相手は本格的な攻城兵器を持つ様な軍隊ではない。後は救援を待つばかりである。  一刀はこれからの事を考えながら気を引き締めていた。 「もう直ぐ晋陽や、そこで休憩や」  張文遠こと霞のが騎馬の一団に声を掛ける。その百騎程の一団の中に魏の軍勢とは違う色の騎馬達が混ざっていた。  それは蜀の、いや正確には西涼の騎馬達であった。その先頭に居るのは馬岱こと蒲公英である。  その蒲公英に霞が話し掛けた。 「蒲公英、大体半分が終わったんやけど、どうや感想は?」 「えっ?うん……」 「実際、派手な戦闘とか無かったから拍子抜けしたんちゃう?」 「そんな事無いよ、こんな短時間で移動と偵察を繰り返すとは思って無かったし」  蒲公英も口ではそう言っていたが、少々期待ハズレであったのは事実だった。  確かに良く訓練された精度の高い騎馬隊であるのは確かだが、神速の張遼の騎馬隊にはもっと違うものを期待していたのだ。  しかし蒲公英は今回それを感じる事は無かった。 「でも何で今回はウチ等に付いて来るなんて言うたん?」  霞の問いに対して、蒲公英は一度空を見上げてから霞の方に向き直して答えた。 「たんぽぽも何時までも錦馬超のオマケみたいな扱いはいやだし」 「おっ、蒲公英もついに自立心が芽生えたんかいな。それとも反抗期かいな?」 「もうっ、そうやって子ども扱いする……」 「あはは、堪忍や。せやけど何か胡散臭い連中が居るて聞いてたんやけど、蒲公英気ぃ付いた?」 「ううん、わかんなかった。だけど黄巾の頃ならまだしも、今時大人数でウロウロしてる連中ってどうなんだろ?」 「まぁ、まともな連中ではない事は確かやな。流石に少人数に分散して移動しとんやろな。  前より治安が良うなっとる分、商隊組んで動いとる連中も増えとる様やし。そんなんに紛れ込まれるとやっかいやな」 「だよねー。下手に北の方に逃げられても厄介だし」  そう会話しがらも蒲公英は霞の雰囲気が以前とは変わっている事に気が付いていた。前より霞が明るくなっているのである。  以前は腑抜けているとまでは言わないが、三国で争っていた時の様な迫力は無かった。  無気力な態度や、捨て鉢な言動が目に付いた。それが今は影を潜めている。  何があったのだろうか等と考えながら空を見上げた時、ある物が蒲公英の目に飛び込んだ。 「ねぇ霞、あれなんだろう?」  そう蒲公英が霞に問い掛けるが返事が無い。どうやら同じ様に気が付いた霞もそれを見詰めている。 「霞?」  再度の問い掛けにも反応が無いので、蒲公英は霞の顔を覗きこんだ。 「華琳が言うてた……、昼間の流れ星……、……一刀!一刀や!!」  急に放たれた霞の大声に蒲公英は驚いていた。そして霞の言った一刀と言う言葉には覚えがあった。  北郷一刀、天の御遣いと称され唯一曹孟徳の傍らに立つ事を許された男性。  最初聞いた時は胡散臭く感じたが、定軍山の早過ぎる援軍や赤壁の様々な策を見破ったのは彼の進言だと聞いた時は、  流石に恐れ入っていた。あの朱里や呉の冥琳を手玉に取る人間が居るとは思ってもみなかったからだ。  しかし、彼女が一番興味を引かれたのは、彼の事を話す沙和や季衣の本当に嬉しそうな顔だった。  そして話した後に決まって見せる本当に寂しそうな顔だった。  彼女達にそんな顔をさせる北郷一刀という人に蒲公英は会ってみたかった。 「全員注目や!今からは予定を変更してさっきの星が落ちた地点の調査に向かう!」 「応!」 「ほな準備が出来次第出立するで、急ぎ!」 「応!!」  隊全体が慌しく動き始める。どうやら皆察しが付いている様だ。すると霞が蒲公英に近付いてきた。 「すまんなぁ蒲公英、予定変更や。自分等はここで別れて……」 「ううん、たんぽぽ達も付いて行くよ。調査なら少しでも手勢が多い方がいいでしょ」  霞の話しているのを遮る様に蒲公英が多少興奮気味に話し始めた。霞も面食らっている。 「それにナンだか面白そうだし」 「なんや、そっちが本音かいな。……やっとネコかぶるん止める気になったんやな、翠の言うてた通りや」 「ちょっ、非道ぉい……」  どうやら初めから見抜かれていた事を知った蒲公英がふくれっ面になっている。  たいした時間も掛からず準備が終わると、輜重部隊に指示を出し、霞達は星が落ちた場所に向かって出立した。  その道中、蒲公英は張遼隊の本来の姿の片鱗に直面した。  蒲公英が見たかった物は、感じたかった物はこれだったのかもしれない。  かなりの速度を出しているにも関わらず、道幅や傾斜に反応してまるで隊全体が一つの生き物の様に形を変えていく。  かといって陣形が乱れるわけではない。それを霞や他の誰が指示を出すわけでもなくこなしている。  今は少人数の部隊だからこんな事が出来るのだとも思ってもみたが、もっと大部隊でもやりこなすだろうとも思えた。  翠の涼州兵や、白蓮の白馬侍従ならまだしも、自分の騎馬隊でもこれほどの事が出来るだろうかと思うと自信が無かった。  張遼隊の本気を間近に感じる事ができ、しかも噂の北郷一刀にも会えるかもしれない。  今回無理を通して付いて来たのは正解であったと蒲公英は思っていた。 「お前達、この程度でへばってどうする!根性を見せんか!」 「春蘭さま、新兵相手の演習に何本気になっとんですか。無茶苦茶やわぁ……」  死屍累々の新兵達を見下ろしながら、仁王立ちの夏侯元譲こと春蘭に李曼成こと真桜が突っ込みを入れていた。 「しかし、本気の春蘭さまの部隊の突撃など中々経験できるものではないぞ」 「凪ちゃんも何冷静に答えてるのなの〜。沙和の可愛いク○虫共が、干乾びたチ○カスに戻っちゃたの〜」  楽文謙こと凪の少々ずれた発言に于文則こと沙和が答えている。 「でも春蘭さまと真桜ちゃん早く業に向かわなくていいの?何か胡散臭い連中がいるんでしょ?  もう業を過ぎちゃったの〜」 「それはそうやけど、ウチ一人で春蘭さま押さえられると思う?んなわけないやん。なぁ、沙和も凪も一緒に行こうやぁ……。  新兵の行軍練習って事にしたらええやん、まだ予定に余裕あるんやろ?なぁ、なぁーてぇ……」  真桜がすがる様に沙和に懇願するが、沙和は真桜と眼を合わせようとしない。  どうやらキ州で賊が頻発しているのでその制圧に春蘭が業に派遣された様だ。  普通なら副官兼お目付け役もしくは押さえ役として軍師か秋蘭が同道するのだろうが、今回は凪と沙和が演習で洛陽を不在の為、  工房の仕事が一段落した真桜に白羽の矢が立った様だ。様は軍師達に体良く押し付けられたと言っていい。 「ほんま自分等いけずやわぁ……、沙和のアホ……、ナスのへた〜。ほな春蘭さまそろそろ……、春蘭さま?」  ぐちぐちと文句を言っていた真桜が春蘭に声を掛けるが、反応が無い。春蘭は空を見詰めていた、いや睨んでいた。 「ねえねえ、凪ちゃん凪ちゃん、あれなんだろうなの〜」  ぐったりとしている新兵達を気遣っていた凪に沙和が話し掛ける。 「ん?流星?こんな昼間に流星なんて珍しいな。なぁ真桜」 「うん。ウチこんなん初めて見たわ」  三人が話していると、空を黙って睨んでいた春蘭がおもむろに話し始めた。 「以前同じ物を見た……、同じ事があった……」 「春蘭さま?」  要領を得ない春蘭の言葉であったが、春蘭の只ならぬ雰囲気に何かを感じた三人が春蘭を凝視していた。 「あの時も……、そうだ華琳様が気が付いて……、それを追い駆けていたらあいつが居たんだ……」 「春蘭さま、あいつって……?」 「あいつだ!北郷だ!盗賊達を追っている時に昼間だというのに星が流れるのを見たんだ。  そうしたらその後あいつに、北郷に出会ったんだ!」 「ほんならあれはもしかして……、隊長?」 「かもしれん!」  春蘭の言葉を聞いた三羽烏が即座に動き始める。 「全員聞け!今から予定を変更して先程の流星の調査に向かう。かなりの強行軍になる、脱落者は捨て置くのでその心算でいろ!」 「何人かは業と洛陽に予定を変更して流星の調査に向かうって伝令に行き!  工兵隊と輜重隊はどうせ付いてこられんやろから、後から脱落者を拾うてくるんや。ええな!」 「付いて来れない様なク○虫以下のチ○カスは後で一から訓練のやり直しなの〜!それが嫌なら死んでも付いて来るの〜!  返事はなの!!」 「サー!イエス!サー!」 「全員駆け足!」  春蘭の掛け声で皆が動き始める。普段なら勝手な予定変更などしない凪の行動に、兵達も事の重大さを感じていた。  四人とももし違っていたらと多少なりとも考えたが、今はとにかく早く確認がしたかった。  そして道中に邑からの伝令に出会い、一刀の救援願を見た彼女達は一様に喜んだ。  そして伝令役の彼から一刀が怪我をしていると聞いた四人は、今以上に速度を上げて進むのであった。  眼下に見える賊達の群れ、それを見た猪々子は溜息を吐きながらぼやいていた。 「しっかし、あいつ等ドコからこんなに集まったんだよ……」  一刀が伝令を出してから二日、日に日に集まってきた賊達は既に三百人程に成っていた。  邑を襲う心算なのだから百人程は集まるかもしれないとは思っていたが、こうも集まるとは予想外であった。  どうやら近場の関係の無い山賊達まで話を聞いておこぼれを頂戴しようと集まった様だ。  初めは無抵抗に邑に入れたのをいい事に邑の中で略奪をしていたのだが、無人でしかも大した物資もない事を知ると、  今度は砦の方に攻撃を仕掛けてきた。邑長の言う無駄に頑丈な砦は、ただ集まった烏合の衆の攻撃などにはビクともしなかった。  攻城兵器など持たない、ましてや連携すらない散発的な攻撃なら尚更である。  近付いて来たところを石や弓で何度か撃退したら諦めて引き上げるかとも思っていたが、  それらが届かない辺りまで下がって陣らしき物を張ってしまった。  どうやら砦に軍が居ない事を知っている様で、何とか為ると思っているのか諦める気は無い様である。  これまでに何度かの賊達の攻撃を跳ね返した一刀達であったが、やはり幾人かの怪我人は出ていた。  幸い大怪我や死んだ者が居ない為、全体の士気は保てているのだが、元々戦などは彼らの範疇ではないのである。  しかも正規の軍隊すらいない篭城戦などでは邑人達が不安な心持に為るのは当たり前であろう。  せめてもの救いは斗詩や猪々子、顔良と文醜の元袁家の二枚看板の存在であった。  ここが許昌や洛陽であれば、天の御遣い北郷一刀の名が出れば絶大な効果が有るだろうが、ここは違う。  もっとも、許昌や洛陽であればこんな事態には陥らないであろうが。 「どうだ猪々子、あいつ等引き上げる素振りはあるか?」 「あっ、アニキ。それは無いみたいッスよ、盗ってきたもんで食う物作ってるみたいだし」  そこに斗詩と麗羽が加わる。斗詩はどうやら一刀と猪々子に食事を持って来た様だ。 「はい、文ちゃんお腹空いたでしょ、ご飯持って来たよ。一刀さんもどうぞ。  どうやら私達が救援の伝令を出したのには気が付いて無いみたいですね、それらしい素振りも無いようですし」 「おおっ斗詩、だから好きだぜ。ごっはん、ご飯」  斗詩から食事を受け取った猪々子は直ぐにパク付き始めた。一刀もそれを受け取りながら答える。 「ああ、業の方へは何事も無く行けたと思う。あいつ等が集まる前に出立出来たのは良かったよ。  伝令を封鎖するほどの組織だった行動はしてないみたいだし」 「全く、無理なら無理とサッサと逃げてしまえばよろしいですのに、とんだお馬鹿さん達ですわねぇ」  眼下の賊達を見ながら毒づく麗羽に一刀が答える。 「いや、折角これだけのモノが集まったんだ、あいつ等はここで一網打尽にしておきたい」 「まぁその方がこの辺りの人達も安心できますよね」 「そう言う事さ」  そう斗詩に答えてから一刀も食事を始めた。そこに早くも自分の食事を平らげた猪々子が話し掛ける。 「なぁアニキ、あたい達は誰も旗を立ててないけどいいのか?」  確かにこの砦には誰の旗も立っていない。それもそうだなと考えながら一刀は答えた。 「そうだなぁ……、今から何枚も旗を作る訳にはいかないから……、格から言えば麗羽の旗を立てるのが順当かな。  下に行って布に余裕が有るか聞いてくるか」 「いいえ、一刀さんの旗を立てるのが順当ですわ」  思いがけない麗羽の言葉に猪々子と斗詩が眼を丸くして驚いていた。 「貴方様は私の命の恩人です。以前ならいざ知らず、今の私達がその方の旗を戴く事に何の躊躇いがありましょうや」  そう言って麗羽は一刀を見詰めていた。その瞳は熱を帯びているように猪々子と斗詩は感じた。  そして麗羽の顔を見ていた猪々子と斗詩が一刀の方に視線を移した。 「アニキ……、姫に何かした?」 「そう言えば一刀さん確かこう呼ばれてましたよね、[魏の種馬]って」  猪々子と斗詩の冷たい視線に食事をしていた一刀の手も止まっていた。 「俺はまだ何もして無いぞ!」 「まだ?」  何故か斗詩の視線が更に厳しくなる。その迫力に一刀は後ずさりしていた。ちなみに麗羽はもう既にこの場にいない。  どうやら下に一刀の旗を作る様に言いつけに行った様だ。変な行動力は健在である。 「本当ですね」 「はい」  斗詩に詰め寄られている一刀は、ただ首を縦に振るだけである。  そして斗詩の様なタイプは怒らすと怖いという事を心に刻む一刀であった。  そして四日目に動きがあった。  その日の早朝、未だ朝靄の覚めやらぬ中それ等は悠然と姿を現した。  西には紺碧の張旗を掲げた張遼隊、東には夏侯の旗を先頭に楽、李、于の旗を掲げた歩兵隊であった。                     [前編]終了[後編]へと続く。  おまけ    星が流れた同時刻。洛陽の城内、一刀の元居た部屋の前を許仲康こと季衣と典韋こと流琉が歩いていた。 「んっ?ねえ季衣、何か音がしなかった?」 「ええっ?そんな事より流琉お腹すいたよ!」 「はいはい、判ったわよ。背だけは大きくなったのに、中身はちっとも変わってない……」 「何か言った?」 「いいえ、なら早く厨房に行くわよ」 「お〜!」  こうして華麗にスルーされたわけであるが、実は大きな変化が有った。  一刀が居なくなってからそのままの状態にされていた彼の部屋に、今まで無かった見慣れぬ箱や荷物が山積みになっていた。  その荷物に一枚の紙が貼られていた。それにはこう書かれていた。  ―――ご主人様、チャンと荷物は届けたわよ。                    貴方の貂蝉より―――