真・恋姫†無双 みなみのくにのちっちゃなおうさま 前編  1.おとぎの国の王様  目を覚ますと、森で猫に囲まれていた。  しかも、三匹。  いやに鮮やかな風景の夢だと思って見回すと、周囲は森という程度ではなく、様々な草木が生い茂っていた。しかも、最初の印象通り、無闇と色が溢れている。濃い緑から黄色に近いものまで入り乱れ、中には赤や黒の色も見え隠れしている。  ジャングル、という言葉が脳裏に浮かんだ。  そして、目の前には、大きな猫が三匹。かわいらしいくりくりの瞳でこちらを覗き込んできている。  この状況は、どう考えても夢だな。そう思って目を瞑りなおすと、ぷにぷにと頬をつつかれた。 「おーい、生きてるにゃー?」 「活きが悪いにょ?」 「……でも、捕まえやすいにゃ」  不吉な言葉に思わず目を見開く。  いや、待て。言葉?  ようやく意識にかかった霧が晴れ、見ているものを脳が認識した頃にはすでに遅かった。猫のかぶり物らしきものをつけたかわいらしい女の子たちの手によって、俺の体はぐるぐる巻きにされていた。 「獲っ物にゃ!」 「おっきな獲物にゃ〜」 「……ぴかぴかの獲物にゃー」  微妙に節のついたかけ声のようなものを繰り返しながら、三人は俺を担ぎ上げ、運んでいく。背の小さな女の子たちのどこにそんな力があるのかさっぱりわからない。だが、たしかに俺は地面から高く持ち上げられ、ゆさゆさと荷物のように運ばれていた。 「あ、あのね、君たち。なんの遊びだかわからないけど……」  なんとか話しかけようとするのだが、聞こえないのか、聞く気がないのか、まるで反応してくれない。 「にゃんったったー、にゃんとっとー」 「にゃんとこしょー、にょっこいしょー」  こんな風に歌うように言い合いながら、きゃらきゃらと笑うばかりだ。  しかたないので、改めて周囲を観察してみた。  うっそうと茂る密林。じめじめとした空気。汗がにじみ出るような暑さ。  ここは、俺の知っている環境とはほど遠い。眠りに就くまでの俺は、聖フランチェスカ学園の寮にいたはずで、こんな熱帯とも思える森とはなんの関わりもなかったはずなのだ。  ただ、寮で寝ていたはずなのにフランチェスカの制服――白の学生服――を着ているのは、少々おかしい。どこかで記憶の欠落があるのかもしれない。  しかし、もし、俺がなんらかの理由でジャングルに来ると予期していたら、こんな格好をしているはずがない。  俺はなにか得体の知れない事態に巻き込まれている。  そんな感覚がほとんど確信のレベルまで高まる。だが、いったい……。  結局、わけのわからぬまま、はしゃぐ女の子たちの手によって、蔦の垂れ下がる森の中を運ばれていったのだった。  しばらくすると、三人が目指していた場所らしきものが見えてきた。森の中、こんもりと盛り上がっているのは、家……だろうか。色からして蔦で編み上げられたものだとばかり思っていたが、さらに近づいて見れば、石造りの廟のようなものの表面を、びっしりと蔦が覆っているのだった。 「大王しゃまー」 「獲物とってきたにゃ!」 「……ぴかぴかの真っ白さんにゃ……」  三人はその建物の中へと入っていく。出入り口は俺を抱えても十分通れるくらい高く、大きく開いている。見たところ、扉は存在していないようだ。  石造りのその中は思ったよりも明るい。どうやら天井部分は元々無かったか、あるいは後から崩落していて、代わりに生い茂った蔦が屋根となっているようだ。その蔦の隙間から光が回ってきているのだろう。  見慣れない光景にきょろきょろと周囲を見回している俺の視界が急に揺れる。どさりと落とされたのだ。 「いてて……」  尻を打った衝撃に身をよじっていると、真っ白な猫に覗き込まれた。いや、違う。また別のかわいらしい女の子だ。  真っ白な毛皮に身を包んだ女の子は、頭の上になにか小さな動物をのせている。頭に出っ張った大きな耳といい、緑に近い薄い髪の色といい、人間離れしているように見えるが、その顔や体つきは人間にしか見えない。しかもかわいい女の子にしか。 「なんにゃ、これは?」  ぴこぴこと大きな耳を蠢かし、俺の顔を見下ろす女の子が、三人に向けて訊ねる。 「獲物にゃ!」 「獲物ですにゃ」 「……獲物にゃん」  だから、その獲物というのはやめてほしい。無邪気な声で言われると、怖いじゃないか。これ以上好き勝手にされるわけにもいかないと、俺は身を起こした。 「いやいや、俺は獲物じゃなくてだね……」 「うにゃ? これ、喋るにゃ。ぴかぴか光るにゃ!」  ぴかぴかというのは、俺の服のことだろうか? たしかに薄っぺらい白のポリエステルだから、反射は激しいと思うけど。  白い毛皮の女の子は、俺が喋った時にわずかに身を退いていたが、すぐに興味津々といった様子で身を乗り出して来た。そのまま俺の体をじろじろと観察し、時折ふんふんと鼻を鳴らして匂いをかぎ、ぎゅっと肩を掴み、ついには俺のほっぺたをべろんと舐めた。途端に後ろに控える三人が感嘆の声をあげる。 「にゃんだ、こいつ、人間だじょ」  味見するように俺の頬と首筋を舐めた後で、女の子は俺を縛っていた蔓を切り落とした。どうやってやったのかよくわからなかったが、彼女の手の内で一瞬煌めくものが見えたような気がする。刃物を持っているか、あるいはそれこそ猫のように爪が出るのか……。  俺は強張った体の各所を揉みほぐしながら、座り直し、彼女に答える。 「うん。人間だよ」 「じゃあ、獲物じゃないじょ」 「そうにゃん?」 「獲物じゃにゃいのかー」 「……真っ白なのに……」  女の子が宣言すると、後ろの三人が残念そうに呟く。本気で獲物だと思っていたのだろうか?  「ああ、よかった。わかってくれたか。食べられるかと思ったよ」  茶化すようにそう言うと、大まじめな顔で首を振られた。 「人間は食べたりしないじょ。だいたい、人間は血を抜くのが大変すぎるにゃ」  いやいや、そんな理由?  背筋が寒くなるような気がしたが、あえてそのあたりを無視して、俺はこの状況を把握しようと努める。 「あのさ、訊きたいんだけど」 「なんにゃ?」  くりんと首をひねられる。素直に答えてくれそうなので、俺は訊ねてみる。 「ここって何処かな?」 「南蛮にゃ!」 「なんばん?」  鴨? あるいはオランダ?  いやいやいや。  混乱してしまったが、どうもそういうものではなさそうだ。胸を張って主張するところを見ると、なにかもっといい意味でもあるのだろう。  しかし、いずれにせよ、俺の知っている場所ではない。 「それで……君たちは?」 「ん? みぃは南蛮大王孟獲にゃ! 後ろのみんなはみぃの子分にゃ!」  彼女は再び胸を張ってそう宣言した。  そうして、俺――北郷一刀は確信したのだ。  おとぎ話の世界に来てしまったと。  2.おとぎの国の暮らし  木の実を抱えて歩いていたら、急に足を取られてすっ転び、泥に顔を突っ込んでしまった。痛みは特になかったが衝撃に驚いた俺は、わたわたと体を震わせて起き上がる。その途端にかかるいくつもの声。 「かじゅとが転んだにゃ!」 「おばかー!」 「……ひっかかったにゃん」  声がしてきた方を見るまでもない。ミケ、トラ、シャムの仕業だ。見れば、足に絡みついているのは、蔓で作られた輪っか。簡易な罠が、泥の中に隠されていたらしい。 「こら! 人の通るところに仕掛けちゃだめだって言ってるでしょ!」  泥まみれながら、なんとか威厳を持って大きく手を突き上げる。しかし、ずっと向こうで笑い声をあげている三人にはまるで堪えていないようだった。 「そんなのひっかかるの、かじゅとだけにゃん!」 「やーいやーい」 「……ひっかかるほうが、わるいにゃん」  猫のような女の子たちは、まさに猫のように優雅に身を翻し、林の中に消えていく。 「まったく……」  幸い潰れていなかった木の実を拾い、俺は苦笑する。いま着けているのはしっぽが縫い付けられた腰布だけなので、体についた泥を払えばそれで済む。  南蛮大王孟獲こと美以――よくわからないが、そういう名前があるらしい――の『お前、みぃと同じで白いから気に入ったにゃん』という鶴の一声で南蛮での生活を保障された俺は、かように『からかわれる対象』として過ごしているだ。  それも、まあ、しかたないかもしれない。なにしろ俺は間違いなく厄介者だからだ。  彼女たち南蛮の民は基本的に狩猟と採集の民だ。最初に俺を捕まえたように、動物を捕らえ、魚を――釣るのではなく――捕らえ、木の実を拾う。これを基本として生活している。  しかし、彼女たちほど素早くも強くもない俺は狩りでは役立たずだし、なにが毒でなにが食べられるものなのか見分けられないために森に生える植物を採ってくるのにも向いていない。  それでも毎日食事を分けてくれるし、雨風を避ける場所も用意してくれたし、いま着ているような衣類だって作ってくれる。  基本的に、彼女たちはとても優しいのだ。  こんな状況ではからかったり面白がったりする相手だと認識されていてもしかたないというものだ。なにしろ、本気で虐められることはないのだから。  元の生活に戻るのは、早々に諦めた。美以に頼んで、密林が終わるところまで連れていってもらってからだ。  まばらになった木々の向こうは、開けた平地で、その向こうに峨々たる山壁が連なっていた。その麓には土塀で囲まれた、見慣れない様式の村らしきものが小さく見える。  どう考えても現代日本の風景ではなかった。日本どころか、現代の風景とも思えない。 『ここは熱帯を模した植物園かなにかで、美以たちはそこにキャンプに来て、遊んでいる』という、自分でも信じていなかったわずかな可能性も無くなった。  さらに言えば、森が終わるあたりまででも一日かかったというのに、ぽつんと点のように見える村まで歩き、そこから人里の様子を探ろうというのはあまりに無謀に思えた。美以たちのように接してくれるとは限らないし、なにより言葉が通じる相手かどうかもわからないのだ。  そんなわけで、ともかくここでの生活を確立すべく動き始めたのだ。  美以たちから任せられるのは保存場所へ獲物を運ぶといったたいしたこともない仕事だけなので、その合間に、俺が出来ることはないかと考える。  まず、手を着けたのは水だ。こっちに着いてから数日はお腹がぴーぴー言っていたのだが、どうもその原因は水なのではないかと推測したわけだ。  小説や漫画で見たような知識まで総動員して、小石や砂、布きれなどを使って濾過する装置を作り、煮沸を繰り返してみたら、これがなんとかなったようで綺麗な水を得ることが出来るようになった。俺の体がこちらに慣れた可能性もあるが、トラたちが飲んでいる水をそのまま飲むと相変わらず腹を下すので、ある程度の効果はあるのだろう。  しかし、現地の人間はこれまで通り川の水で十分なわけで、俺のためには役立っても、美以たちになにかしてあげられるわけではない。  さて、では、なにが出来るだろう、と頭を悩ませている時、ふとそれが目に入った。 「ねえ、美以」  最初に運び込まれた石造りの大きな家――美以の家だ――の広間での食事の最中、葉っぱで作られた器に置かれた赤茶色の小石のようなものを持ち上げて、俺は声をかける。これは岩塩の塊で、皆、塩気が欲しいときに適当に舐めるのだ。 「なんにゃ?」  焼いた魚にかぶりついていた美以に岩塩のかけらを振ってみせる。 「このかけら、もっとないの?」 「ん? あるにゃ。かじゅとはそんにゃのが欲しいのにゃ?」 「うん。ちょっと使ってみたくて」  不思議そうな反応だったが、美以は三日後には大きな岩塩の塊を持ってきてくれた。間が開いたのは、取りに行っていたのではなく、忘れていたのだろう。  いつものことだ。  それでも、きちんと約束を守ってくれるのが美以たちなのだ。  岩塩を手に入れた俺は、それを砕いて粉末状にして、魚に塗り込んだ。あるいは水に溶かして作った塩水の中に肉をつけ込んだ。  料理に少し手を加えようと思ったのだ。  なにしろ、南蛮の料理方は二つしかない。  直火で焼くか、なんでも混ぜて煮込むかだ。あとは、生でそのままというのもある。  新鮮な材料なので、それでも美味しかったりはするのだが、工夫してみても悪くはないだろう。味噌が入手できればいいのだが、手に入らないものは仕方ない。  そうして試行錯誤の末、魚と塩で出汁を取った鍋物をなんとか作り出した。具は薄切りにした肉と、みなが採ってきた草、固い木の実といったもの。煮立ったそれを、塩水と採集した木の根などを混ぜたタレにつけて食べてもらうといったものだった。 「どう……かな?」  見慣れぬ食べ物を、ふーふー冷まして口にした美以たち四人の顔を見回す。その四人を囲むように、数十人の女の子たちが集まっている。全員が、ミケ、トラ、シャムとそっくりの顔をしていた。  これは俺の想像でしかないのだが、この同じ顔をした娘たちは、ミケ、トラ、シャムを代表者とする三つの部族なのではないだろうか。そして、美以はその部族をまとめる王というわけだ。  ただし、この推論について突っ込んで聞いて見たことはない。  『みんなクローンにゃ』とか『量産工場があるにゃ』とか言われたらとても怖いからだ。  ちなみに、ミケ、トラ、シャムの三人は常に美以の側にいるし、俺をよくからかって遊んでいるので、他の娘たちと見分けがつく。だが、ミケの仲間たち――面白いくらいにそっくりな顔と体つきだ――の一人一人を見分けろと言われたら、それは無理だ。  そんなたくさんの同じ顔が固唾を呑んで代表者四人の動きを見ている。返事がないことに、俺は手に汗がにじみ出るのを感じた。  だが、次の瞬間、四人揃って爆発した。 「おいしいにゃ!」 「うまーーーっ」 「うまうまにゃ!」 「目がさめるくらいおいしいにゃん!」  すばらしい反応。再び美以が鍋から肉を引き出しはじめると、それにつられたのだろう、みながどっと鍋に群がった。あっという間に具材はなくなり、俺は次々追加を求められる。  そうして、あちあち、はふはふと楽しげな声が続き、ようやくみながお腹いっぱいになったのだろう、そこら中に寝転がり始めた。そこで、既に満腹になり頭の上の動物――実は象なんだそうだ――を下ろしてごろごろしていた美以が立ち上がり、俺の側に寄ってくる。 「おいしかったじょ!」  満面の笑みで話しかけられる。そのあまりのあけすけな歓喜の感情に、思わず微笑みを返していた。 「ああ、ありがとう。嬉しいよ。また別の料理も作ってみるね」  丸焼きにしてもやり方は色々ある。肉汁を利用して色々と味付けをしてみるのもいいし、こうして出汁をとるのも出来るとなれば、料理のレパートリーも増やせるだろう。 「にゃ? おいしいもの、これ以外にも作れるにゃ?」 「まだ試作中だけど、色々と考えているよ」 「す、すごいにゃ!」  目を丸くする美以。彼女はそのぷにぷにの肉球を俺の肩にのせると、大きく声をあげた。 「よし、これからはかじゅとの事を兄と呼ぶにゃ!」 「兄?」  それを聞きつけたか、ごろごろしているシャムたちが、床から俺を見上げる。 「にぃにぃにゃ?」 「あにしゃまかー」 「……にい様……にゃん?」 「うむにゃ。皆にも伝えるにゃ。これからは美味しいものを作ってくれるかじゅとを敬うにゃ!」  美以は楽しげに宣言する。喜んでくれるのは嬉しいが、なんだかくすぐったい。だが、他の皆は目を輝かせて美以の宣言に同意していた。 「わかったにゃ」 「わかったにょ!」 「……了解にゃん」  こうして、俺の地位は、南蛮の皆の中でランクアップしたのだった。  3.おとぎの国の闖入者  俺が南蛮に来てから、約五百日が過ぎた。  年で数えたいところだが、南蛮の季節は、暑いか、もっと暑いか、ちょっと暑い程度の差しかないので、四季で年を考えるのは難しい。まして、カレンダーなどあるはずもない。  だから、南蛮に住み着いて十数日目にしてようやく思いついた、板に線を刻む方法で数えた日数で考えるしかない。おそらく数日の誤差はあるが、ざっと大づかみで捉える分には問題ない。  その日数で言うと、五百日。慣れ親しんだ暦で言うと、一年半ほどが過ぎたというわけだ。  その間、俺はすっかり料理番となっていた。あとは、皆と遊び、相変わらずよくからかわれたりもしたが、厄介者という感覚は俺にはなくなっていた。おそらく、みんなにも既に無かったろう。  にい、にいと慕ってくれるのもあったが、なによりも……。 「ふみゃあ……」  俺の腹の上で裸の美以が丸くなる。南蛮のみんなの中でも彼女にだけは生えている尻尾がくるりんと俺の足に絡みついた。俺の精を三度注がれたことで、彼女の発情は収まったらしい。  発情、そう、発情だ。  南蛮の皆には、発情期があった。唐突に、牡が欲しくなってしかたなくなるらしい。感情的なものではなく、より肉体的なものだ。  その相手として選ばれたのが、俺だったというわけだ。  手近にいた牡だからというのはもちろんあるだろう。しかし、それだけではないとも思う。  というのも、俺に近しいほど発情期が頻繁に起こるからだ。  美以やミケ、トラ、シャムは定期的に発情期を迎える。一方で、あまり俺と触れあっていない面々は、せいぜい百日に一度とか三百日に一度発情期になるくらい。甚だしきは一度も発情期を迎えなかったりしている。  それは、肉体に対して感情もまた影響を与えている証拠だと思われる。  実際の所、この傾向には助かっていると言っていいだろう。  外見はよく知っている娘だとはいえ、あまり親しくない――しかもちっちゃな――女の子を抱くのには未だに罪悪感があったりするし、なにより南蛮のみんなを相手しないといけないとなると、体が保たない。  それでも百人近くを相手にしているのだから、我ながら大したものだ。  俺が生きてきた常識とは確実に異なる。破倫と言われてもおかしくない状況だ。しかし、それでも俺はこの役割を嫌だとは思わなかった。  自分自身の肉の快楽はもとより、苦しげに身をよじる美以たちを助けてやれることがなにより嬉しかったから。  自分の言葉と矛盾するようではあるが、たとえそこまでの知り合いでなくても、大きな生活共同体としては一体である面々だ。情はあるし、苦しんでいるなら助けたいと感じる。  なによりも、こうして俺の上で丸くなって安心している女の子の姿はとてもかわいらしい。  俺は美以の頭をなでてやりながら、自らの息を整える。  体を重ねた回数で言えば、いまこうして抱きしめている美以が最も多い。おそらく、それだけ俺を認めてくれているのだろう。しかし、まだ彼女は俺の子を孕んでいない。実は、同じように回数の多いミケ、トラ、シャムの間にもまだ子供はいない。  だが、幾人か、子をなした相手もいた。  一、二度閨を共にしただけで妊娠した娘もいたし、何度かの逢瀬の後に母となった者もいる。  実に三十人ほどの俺の子が、この地で元気に走り回っているのだった。  あるいはこれが俺がここにいる理由なのかも知れない。そうも思う。  子供たちを南蛮のみんなに授けるために、俺はここに来たのではないか。  その推測が正しいかどうか、それはわからない。ただの自己正当化かもしれないし、本当に運命とやらが俺を引き寄せたのかも知れない。そのあたりのことに答えは出ないだろう。ただ、自分がどう感じ、どう考えて生きていくかだ。  かつての自分ならば原始的と切って捨てたような暮らしの中、俺はたしかな幸せと温もりを感じていた。  そして、腕の中にあるものをたしかに守っていかねばならないと思いつつ、夢の中へと沈んでいくのだった。  彼女を見つけたのは、ミケ、トラ、シャムの三人だった。 「大王しゃまー」 「にいにいー、たいへんにゃー!」 「……また拾ったにゃん」  三人が連れてきたのは、泥にまみれた女性だった。銀の髪に、膚も露わな装束。シャムが運んできた大きな武器は、あれは、斧だろうか。ハルバードとかいう戦斧に似ている。 「……どうしたの、この人」 「森のはしっこで倒れてたにゃ!」 「あちあちにゃん!」 「……いきだおれにゃん」  寝かされている彼女に触れてみると、ミケの言うとおり、膚が熱い。熱を出して倒れたという所か。何度か頬を叩いてみたが、声もあげない。完全に意識を失っているようだった。 「どうする、美以」 「うみゅう……。兄はどう思うにゃ?」 「うーん」  俺は広間を見回す。ここに置いておくのはまずいように思った。これがただの風邪程度ならいいが、変な病気ならば危ない。ひとまず隔離しておくべきだろう。 「どこか、ちょうどいい場所ないかな? 彼女を置いておけるような。できれば水が手に入るところがいい」 「じゃあ、裏の洞穴がいいにゃ。奥に泉が湧いてるにゃ」 「よし。じゃあ、運ぼう」  そうして、彼女は草を敷き詰めた寝床が設けられた洞穴に運び込まれることになった。  洞穴の奥で湧く水に浸した布で汗を拭き、意識のない彼女の口に木の実の汁を注ぐ。  それを続けること三日。ようやく彼女はわずかに意識を取り戻した。 「聞こえる? 聞こえるかな? 君の名前は?」  ぼんやりと開かれた彼女の目を覗き込む。俺の顔を認識しているのかいないのか、焦点のあっていない瞳がゆっくりとさまよった。 「名前は?」  もう一度、大きく訊ねる。すると、ふと琥珀の瞳が俺を射貫いた。その眼光の鋭さに、身が震える。 「な、名前を教えてくれないか?」  なんとか声を押し出す。獣の様な恐ろしい気配が消え去って、疲れ切ったような表情が彼女の顔に浮かぶ。 「我が名は……華雄」  かすれた声で彼女はそう言うのだった。 「殺すなら殺せ。董卓様を失って、私……は……」  それだけ言って限界というように彼女は再びまぶたを下げた。  華雄という名前には、わずかに聞き覚えがある。ましてや、董卓とくれば。  俺はまるで雷に打たれたかのような衝撃が体中を走るのを感じていた。  三国志の世界……だって?  4.おとぎの国に迫る危機  一日経つと、華雄は身を起こせるほどに回復していた。がつがつと貪るように肉を食べ、魚を食いちぎり、木の実を貪る。ひたすらに食べ続ける彼女を、美以ですら呆れたように眺めていた。 「ふう……」  山と積まれた食料を食べきった彼女は俺たちを見る。美以がその眼光に対抗するように、ふーっ、と歯をむいた。だが、華雄はそれを気にした風もなくきょろきょろと辺りを見回すばかり。 「私の得物は?」 「え? ああ、斧なら、その奥にたてかけてあるけど」  俺が指さす先を見て、彼女は一つ頷く。 「うむ。さて、人心地着いた。世話になったようだな。礼を言う」 「お前、強いにゃ。何者にゃ?」  美以が警戒を解かずに呟く。それに対して、華雄は肩をすくめて短く返すのだった。 「華雄だ。官軍の将さ」  そこから彼女が話した事をまとめると、こうなる。  俺たちの住む森の北方には、漢の土地がある。そこで、彼女はその土地を治める王朝の将をやっていたようだ。しかし、各地で乱が起こり、ついには都にいる董卓に向けて各地の群雄が兵を差し向けるほどになった。  その戦いに負けた後、群雄勢力がそれぞれ大きくまとまる中で、彼女は賊退治をしながら、諸国を巡っていたという。その後、袁術と組んで国を建てたものの、大陸に残存した大勢力の一つである蜀に滅ぼされた。そうして追われているうちに、南蛮の土地までやってきたのだという。  まさに三国志の世界であった。  さらに、改めて訊ねてみたところ、俺の知っているような有名な武将は、皆、女性のようだった。 「そうか、孟獲って……あの孟獲なのか」  話を一通り聞き終えて、俺は横に立つ美以を見る。見上げてくる顔はきょとんとしたものだ。それはそうだろう。彼女は最初から南蛮大王孟獲と名乗っている。それを自らの知識の中の孟獲と結びつけられなかったのは俺の落ち度に過ぎないのだから。  いや、しかし、そうなると……。  俺は、心の中に浮かび上がった疑問にかられて、思わず華雄の肩に両手をかけていた。 「お、おい、なにをする」 「兄?」  二人の呆気にとられたような声に、俺は体を戻す。 「す、すまん。だが、一つ教えてくれ。赤壁の戦いはどうなった?」 「ん? ああ。赤壁では魏が負けた。現状では、あれほどの大戦(おおいくさ)はしばらくないだろう。小競り合いは続くだろうが……。私を追う連中を出せたということは、ある程度安定していた証拠だろうさ」  皮肉げに言う彼女。だが、俺はそれに同調する余裕もなかった。思考と記憶がぐるぐると頭の中を巡る。 「そうか……」 「どうしたにゃ?」  美以が心配そうに俺の腰布を引っ張る。その動きにはっと意識を取り戻し、淡く笑みを浮かべてみせた。 「いや……。少し考えてみたい。華雄さん。また明日話しましょう」 「ああ。そうだな。私も休むとしよう」  そうして、俺は心配げな美以を安心させるためにことさら明るく振る舞った後で、一人眠れぬ夜を過ごしたのだった。  翌日、俺は再び美以と共に華雄がいる洞穴に向かった。見はりなどはたてていないが、彼女はそこにいると確信していた。なにしろ、ここから逃げてどうなるというものでもないのだ。  それでも彼女の姿を洞穴の中で見つけたときは、少しほっとした。ただ、まさか狭苦しい洞穴の中で斧を振るっているとは思わなかったが。 「魏、呉、蜀。三国が危ういながらも均衡を保っている……。そう言ったね」  汗を拭い終えた華雄に、俺は切り出す。美以は黙って俺のするのを見ていた。 「うむ。いずれ魏は再び南進するだろうし、呉、蜀もそれを警戒し、また北方へ出る機を窺っているだろう」 「そう……」 「それが、どうしたのにゃ、兄?」  美以が訊ねてくるのに、すうと息を吸って答える。 「いや、そうやってしばらくは膠着しているとしたら、なんらかの打開策をそれぞれ考えるだろうな、と思って」  二人の視線を受けて、俺は先を続ける。 「各国共に、国力、兵力の増強を狙うと思うんだ。元々土台がしっかりしている国は順当に統治しているだけでもなんとかなるけど、追い詰められた国がどうするか」 「どうするにゃ?」 「俺の知っている歴史の話だと、そういう弱い国はなんとかして、自分の勢力を強くしようとする。相手を弱めるか、自分が強くなるしか生き残る道はないからね。そうして、もし、手近なところで領土が広げられそうなら、そうするはずなんだ」  そこまで言ったところで、華雄がなにかに気づいたように獰猛な笑みを浮かべた。 「蜀にとっては、ここが手近な新しい領土、か」  その通りだ。俺の知識の中では、諸葛亮が南征を敢行する。勢力を伸ばすためとは限らない。後背で何ごとも起こらぬようとりあえず叩いておくということも考えられるのだ。  物語では、七縱七禽といって、七度捕らえ、七度放って、諸葛亮は孟獲を心服させた。しかし、実際にはもっと血なまぐさいものになってもおかしくはない。 「ショクとかいうのが、攻めてくるにゃ?」 「そういうこともあるかもしれないってこと」  心の中の不安……いや、恐怖を押し殺しながら、俺は答える。いまは、まだ可能性にすぎないし、なにより、こんなかわいらしい美以たちを、無惨に蹂躙するやつらがいるとも思えない。  だが、それは俺の願望にすぎないかもしれないのだ。 「大丈夫にゃ。みぃはとっても強いにゃ。それに、子分たちもみぃ程じゃなくても強いのにゃ!」  ちいさな胸をはって、彼女は言う。元気いっぱいの声で、自分の言うことを微塵も疑う様子なく。  彼女の手が俺の手の中にすべりこむ。柔らかな肉球が膚を柔らかく押す。  そうして、彼女はほんのわずかに悲しそうな表情をして、こう言うのだった。 「だから、兄は、そんな顔しちゃだめにゃ!」  びっくりしてしまった。  いや、当たり前のことだと言うべきだろうか。  俺の不安など、美以にははなっからお見通しだったというわけだ。 「ああ、そうだな」  俺は言う。笑いながら。 「そうだな、美以」  ぐっと彼女の手を握りしめながら。 「にゃ!」  美以は楽しげに一言そう言った。 「お前たち、蜀に抵抗する気か?」  俺たちの様子を黙って見ていた華雄が顎に片手をあてながら訊ねかける。 「当たり前にゃ。南蛮はみぃのものにゃ。森に入ってきたら、やっつけてやるにゃ」  まるで当然のことというように返される返事。美以にとって、それは、本当に自明の理なのだろう。 「そうか」  華雄は一つ頷くと、ふっと笑った。その表情の透明さに、俺は胸が高鳴るのを感じた。 「よし、では、私も協力しよう。色々と世話になったからな」 「……ほんとにゃ? みぃが見たところ、お前、結構強いのにゃ」  美以は値踏みするように彼女を見つめる。それに対して、迷い込んできた武人はまっすぐに俺たちを見つめて言うのだった。 「ああ。我が武は最強。きっとお前たちの役に立つだろう」 「こ、これを着るのか?」  数日後、完全に復調した華雄は美以の家の広間で渡されたものを手に固まっていた。虎ではなく黒豹を模したらしい頭巾と、それとおそろいの腰布。もちろん、真っ黒尻尾もばっちりだ。 「みぃのお手製にゃ! ミケたちよりいっぱい毛皮を使った力作にゃ!」  美以の言うとおり、ミケ、トラ、シャムがつけているものより大きく、肩口まで毛皮が達する。ちょうど華雄の鎧は肩が開いているし、そこに被さる形だ。とはいえ、けして動きにくいと言うほどでもない。腰布も、これまでだってほとんど隠れていなかったようなもので、それに代わるには十分だ。  尻尾に関しては……なにも言うまい。 「き、着ないとだめか?」  いや、俺にすがるような視線を向けても無駄ですよ、華雄さん。南蛮に協力すると言ったのはあなたなんですから。  まあ、俺は久しぶりに学生服を引っ張り出して着ているんだけれど。なにしろ、この服は森の中で目立つので、俺を守るのに役立つのだとか。 「南蛮の将軍として動くなら、着た方がいいかと……」 「くうぅっ」  そうして、南蛮軍は白虎たる大王孟獲と、黒豹華雄によって率いられることになるのだった。    (真・恋姫†無双 みなみのくにのちっちゃなおうさま 前編・終 後編へ続く)