「無じる真√N-拠点イベント37」  陽気な陽射しが気持ち良い昼下がり。そんな天気とは裏腹に彼の前では荒々しい男たちが怒声を上げて動き周り、それによって空気は乱れ、周囲は緊張感に支配されていた。  そこは城郭の一角、とある通りの店前だった。  そのため、彼らから一定の距離を置いたところには街の住民やらなんやらがぞろぞろと集まり何事かと様子を窺っている。 「おら! なめんなぁ!」 「くっ、ひ、怯むな!」  ぼろきれを纏った厳めしい男たち三十人近くで構成された集団と、甲冑に身を包んだ偉丈夫十数人の集団が揉めている。  互いに武器を持っており、金属が擦れ合うような音が留まることなく続いている。  とある飯店で大暴れをした賊とどこからか沸いて出てきた仲間。そして、それを制するためにきた警邏の兵たちがやりあっているのだ。 「もっと、離れて! 危ないから離れるんだ!」  一刀もその戦闘に加わりつつ、野次馬へ向けて声を掛ける。  いくら普段共にいる少女たちと比べると弱く思えるとはいえ、賊の一人を相手にして不覚を取るようなことはない。 「そらぁ!」 「うおっ、危なっ!?」  男が短剣によって放った一閃をすれすれで交わす一刀。その前髪を小指の爪程度切り落とされる。  ならばと突きを放ってくるがそれもぎりぎりで避ける。  普段から常識外れな強さを誇る者たちと共にいるためか、動きは見えている。 (とはいえ、それは守り……攻めだとやっぱり互角ってところか?)  それでも、なんとか男の攻撃をいなしつつ、兵たちに命令を飛ばす。 「いいか、絶対に逃がすんじゃないぞ! しくじれば、住民に被害が及ぶし、拡大していくことになる」 「応っ!」  店の入り口でこちらを睨む賊の男たちを中心として、一刀たちは半円を描くように囲む。  じりじりと剣を構えながら距離を詰めていくと、賊の一人が声を上げる。 「ようし、いい加減適当に何人かぶっ殺してとんずらするぞ!」 「おうっ!」  一斉に男たちが一刀と警邏隊によってできた壁にぶつかってくる。  人数の差もあって攻撃を剣で受けるだけで精一杯な状態となってしまう。 「へへっ、よく見りゃ、この孺子、良い服着てるぜ」 「頸を撥ねたら身ぐるみ剥いじまうかあ?」 「いいねえ」  口々に野太い声で小汚く笑うと男たちは一刀に向かって一斉に武器を振り下ろしてくる。  どうやら、逃げる前に金目のものを奪うことに方針転換したようだ。 「ぐっ」  さすがに数人相手では一刀も分が悪くなってくる。他の兵はと視線を巡らせるが、皆一様に応戦するだけで手一杯、一刀の救援は無理そうである。 「おらおらおらおらぁ!」 「ひゃひゃひゃひゃひゃー!」  何合も攻撃を受けているうちに一刀の腕は痺れ、一撃を受けるたびに一歩一歩後退してしまう。  なんとかこの状況を打開しなければと思考を巡らせる。  警告の甲斐あって離れた住民たち。  賊が暴れた飯店には、置いてきぼりとなった店主がいる。  店主は持ち帰り用の肉まんを売るための屋台から一刀を心配そうに見ている。一刀がそれを男たちの肩越しに視認したとき、 「これで終わりだっ!」  一際大柄なガタイを誇る男の声に従っていくつもの刃が振り下ろされた。  一刀は身を屈めてそれを交わすと、男たちの間をごろごろと転がるようにしてすり抜ける。 (逃げられる危険もあるけど、こいつらの頭なら間違いなく……こっちを狙う!)  そんな一刀の予想は的中し、男たちは彼が退いたことによって警邏隊の壁に出来た穴から逃げようとはせず、振り返って一刀を追いかけてくる。 「ちょこまか逃げてんじゃねえ!」 「大人しく、イっちまえよ!」 「あばばばば!」 「嫌だね!」  一刀はにやりと笑うと大ぶりでゆっくりと下段の攻撃を放つ。 「へっ上ががら空きだぜぇ!」  馬鹿にするように放たれたその一言によって全ての刃が一刀の頸を狙い上段から振り下ろされる。 「今だっ!」  一刀はその場で腰を落とし、へたり込むようにして一瞬で身の丈を半分にする。瞬間、がかっという音とともに店前の屋台に賊の得物が刺さり、それによって一瞬の隙が出来る。  一刀は、動揺する男たちとすれ違うようにして素早く背後に回る。 「よしっ、これで――ぐっ!?」  そのまま立場を逆転しようとした一刀の頬に衝撃が走り、熱を帯びたようにかっとあつくなる。  どさりと一刀の身体が地面に倒れ込む。  口内に広がる地の味とじんじんとする頬の痺れ、ようやく一刀は自分が殴り飛ばされたことに気がついた。 「な、なんだ……?」  頬をさすりながら起き上がり、即座に視線を巡らせると、少し離れたところに兵と数人の男が倒れている。 (あの兵が倒し損ねたヤツがこっちに来たのか……)  恐らくは、先ほどの会話を聞いて一刀の身ぐるみを剥ぎに来たのだろう。 「あ、あと一歩だったってのに……」 「へへ、残念だったな」  にたにたと笑う男が一刀を蹴り上げる。腕で塞ごうとするが先程の一撃が綺麗に入ったらしく、反応が遅れる。 「がっ……」  吐き出した唾液に混じり、血が口から流れ出る。殴られた際に切った口内の傷から出たものだろう。  そんな一刀をあざ笑うようにいたぶる男。その背後では屋台から得物を抜き取った賊がぞろぞろと一刀の方へと向かってくる。 「さて、いい加減、終わりにしちまうか。安心しな、ひと思いに――」 「おいおい、なんだてめえはっ!」  自分の言葉を遮るように響き渡った怒声に男の笑みが硬直する。そのまま賊の男はゆっくりと背後を振り返る。一刀も何事だとそちらへ視線を向ける。  賊徒たちが邪魔でよく見えないが彼らの仲間が急にやってきた何者かに語りかけているようだ。 「おい! どこからきた!」 「…………好きな匂いがする」 「な、なんだてめぇ! 無視すんのか?」 「………………?」 「あん? 何首傾げてんだ、むしろ、こっちが首を捻りたいわ! って、なにきょろきょろしてんだ!」 「…………どこ?」  突如現れた人物につかつかと数人の賊徒が詰め寄っていく。その隙間から一刀の視界に来訪者の姿が映る。  瞬間、唐突に姿を現した少女と一刀の目が合う。彼女は一刀の姿を目視するやいなや、ゆっくりと目を見開き、柳眉を逆立てた。 「れ、恋?」 「…………………………コロス」  一言、たった一言彼女が低く、ぞっとするような声で呟いた瞬間に全ては無に帰していた。いつの間にか彼女は方天画戟を振り抜いており、賊徒の群れは宙に舞い上がっていた。  まるで、巣立ちを迎えたツバメの群れのように優雅に空を飛んでいる男たちを見ながら一刀は唾をゴクリと飲み込む。 「た、助かったようだが、あれ、大丈夫か?」  一刀が胸をなで下ろすのと同時に空中浮遊を満喫していた男たちが少し離れた位置にぼとりぼとりと落下していく。  各々、落下の衝撃であちこちを痛めたり傷を負って血を流したりと凄惨な光景を紡ぎ出している。 「いでぇよぉ……」 「…………まだ」 「……ひっ」 「………………まだ、終わりじゃない」  無表情で呂布が方天画戟を構えた瞬間、一刀は泡を食って彼女の元へと駆け寄る。 「ま、待て! 恋、ストップ……いや、待ってくれ!」 「…………ご主人様」 「もう十分だろ。こいつらは恋に動けないくらいに痛めつけられたんだ。何もこの場の判断だけで始末することはないよ。後で罪に見合う罰を受けさせればそれでいい」 「…………でも、ご主人様を傷つけた」 「恋」 「…………………………………………わかった」  歯切れの悪い返事をすると、呂布はしゅんとうなだれる。頭の天辺から伸びる触覚のような洋紅の髪までもが頭を垂れている。 「ふう。聞き分けが良くて大変よろしい」  態とらしく咳払いをすると、一刀はしょんぼりしている洋光色の頭をくしゃくしゃと撫でる。 「……んっ」 「助けてくれたことは素直に嬉しかったよ。ありがとな」 「…………ご主人様が無事なら、いい」  顔を俯かせたまま答える彼女の顔はほんのり赤く、つい先程までは鋭く、見るもの全てを斬り捨ててしまいそうだった瞳は細められ穏やかなものとなっている。  二人の間にまったりとした時間が流れていく。 「あの……非常に申し訳ないのですが、少々良いでしょうか?」 「え? 何が申し訳ないんだ?」  声を掛けてきた兵の普段以上に畏まった態度に一刀は疑問を抱く。 「いえ、お二人の世界を邪魔してしまうことがです」 「……変な気の回し方しなくていいから。それで?」 「実は、賊どもの被害を受けていた飯店の店主からこちらをお渡ししてほしいと」  そう言うと、兵は大事そうに抱えていた小さな子供一人くらいなら入りそうな大袋を手渡してくる。  受け取ってみるとそこそこの重さをしている。 「こ、これ何?」 「肉まん……だそうです。呂布将軍がご一緒なので、こういった形でお礼をと申しておりました」 「おいおい、受け取っちゃったのか?」 「はっはっは。北郷様には言われたくありませんな」 「はは、そりゃそうか。ま、一応、言っておかないとさ、後々詠あたりに何も言わずに受け取ったなんて知られたらまずいんでね」 「違いありませんな」  一刀はそれに頷いて答えると、兵と共に笑い合う。街の民から謝礼としてちょっとしたものを貰う、それは一刀自身もしていること。素直な感謝は受け取っておくということなのだ。  もっとも、それが大金であったり宝玉など高価なものであったりする場合は別となるが。 「とはいえ、ちょっと量が多くないか?」 「まあ、それに関しても呂布将軍がいるからこそってことのようです」 「なるほどな」  公孫賛軍において底なし胃袋を持つと言われる内の一人である呂布ならば、この程度の量の肉まんならぺろりと平らげてしまうことだろう。 (しかし、やっぱり、この量はまずいな。今度払っておくかな)  今は店主の気持ちを汲んでおくことにするが、後日代金を持って再び店に寄ろうと一刀は決めた。 「さて、この成らず者どもは我らにお任せ下さい。後の処理に関してもこちらで済ませますので、北郷様は呂布将軍とそれを」  そう言って兵士は一刀が抱え込むようにして持っている大袋を指し示す。 「まあ、呂布将軍が食べるところを見られないのは非常に心残りではありますが、仕方ないでしょうな。では、みんな、行くぞ!」 「おうっ!」 「あ、待った!」  駆け出そうとする彼らを呼び止めて、一刀は大袋に手を突っ込む。中からほかほかの肉まんを取り出すと、一刀はそれを兵たちに渡していく。 「ほら、仕事中だけど一個ずつなら食べられるだろう」 「よいのですか?」 「なに、感謝されるべきは俺や恋だけじゃない。みんなもだろ?」 「ありがとうございます。さ、気合い入れて後始末するぞ、もぐ!」 「はふはふっ!」」  活気漲る兵たちに別れを告げると、一刀たちはのんびりと街の中を歩き始める。 「さて、どこで食べるか……やっぱり、城に戻ったほうがいいかな」 「……あ」 「ん? どうしたん――っ!?」  一刀の口は言葉を言い終える事ができなかった。何故なら、その前に目の前の少女の唇で塞がれてしまったからだ。  重ねられた唇の合間を彼女の舌が這う。  丁寧に拭うようにして舌が一刀の口や口腔内を蠢いていく。  唇同士の間からぴちゃぴちゃという水音が立ち続ける。しばらく経つとその音は徐々に小さくなっていき、彼女は一刀の口周りをぺろりと舐めて、そっと顔を離した。 「な、なな、なんで?」 「…………ご主人様、怪我してる」 「え? あ、そうか」  先ほど殴られた時から一刀の唇や口周りは口腔内などから出た血で赤く染まっていた。  つまり、彼女の行動は血による汚れを取るためか、傷口に唾をつけるという迷信に従ったといったところだろう。  無邪気な彼女らしい行動だったに違いないと一刀は結論づける。 (……て、あれ?)  一人納得しようとした彼の視界に映った呂布の顔は先程までよりも赤い気がする。一刀の血がついてしまったとかそういう冗談でもなく、酒にでも酔ってしまったかのようにほんのりと桜色にそまっている。 (恋はわかってやったのか? ……いや、ありえないな)  自分のよからぬ考えを即座に否定して一刀は首をぶんぶんと振る。純朴であり純粋、そんな彼女が狙ってこういうことをするとは一刀には到底思えない。 「十割以上ありえないな」 「…………?」 「あ、いや。なんでもない。さて、これをどうにかしないといけないし。城に戻ろう……か?」 「……あわわ」 「………………」 「………………」 「………………」  呂布はともかく、他二名までもが黙り込み静かな間が続く。砂で汚れた白き衣の天の御遣い、最強と謳われた天下無双、主に軍事に強い名軍師、鳳雛。  見る者によっては凄い取り合わせだが、皆だまって気まずそうにしている。これは一種、異様な空間とも言えそうである。  一刀はそれを打破するようにがちがちの動きで鳳統に歩み寄り疑問を投げかける。 「……ああっと、ヒナリサン? いつからそこに」 「……あわわわわ」  目を見開いたまま呆然としている鳳統。一刀は彼女のくりっとした可愛らしい瞳の前で手を振ってみる。 「もしもし? 見えてるか?」 「あわわ……っ、み、見てません、私、お二人の口付けなんて見てません」 「い、いや、待って。ご、誤解しないでくれ。恋にはそういうつもりはないんだ。純粋な親切心なんだよ」  一刀は混乱している鳳統に手振り身振りも交えつつ事のあらましを説明し、呂布が取った行動の理由を懇切丁寧に説明していった。 「…………そうだったのですか」 「まあ、そういうわけなんだよ」 「……いえ、そうでなく。恋さんは……そうなんですね」 「ん?」 「……なんでもありません」 「そういう言い方は、なんか気になるけど、まあいいか。それより、どう? 雛里も一緒に肉まん食べないか?」 「肉まんですか? でも、ご主人様は確か、本日のご予定は……」 「いや、警邏は他の連中が気を利かしてくれたよ。それよりは民の感謝の念をしっかりその身に宿せってさ」  そう告げながら一刀は大袋の中から湯気と匂いを辺りに放っている肉まんを取り出してはにかむ。  鳳統はくすりと笑うとこくりと小さく首を縦に振る。 「……ふふ、なるほど。それは大事ですね」 「というわけで、どうかな?」 「……では、ご相伴にあずからせて頂きます」 「それじゃあ、肉まんが冷めないうちにさっさと城に戻るとしようか」  †  鳳統、呂布と共に城へ戻ると、一刀は中庭にある東屋へと赴いた。  呂布と向かいあうように腰掛ける一刀の横には鳳統が座っている。  ここに来る前に彼女は救急箱を持ってきて隣に座り、一刀の治療をしてくれたのだ。 「さ、少し時間はかかったけど、食べるとしようか」 「……あぅ、ごめんなさい」 「いや、き、気にするなって」 「……はぅ」  がっくりと肩を落とし沈み込んでいる鳳統。その理由は、彼女の行った治療にあった。  向かいあうようにして口を彼女に見て貰いながら治療を受けたのだが、普段やらないことに緊張したのか鳳統は終始「あわわ」と悲鳴をあげながら失敗を連発していた。 (あやうく、消毒薬を普通の飲み物のように流し込まれかけたもんな……)  治療中のやり取りを思い出し苦笑を浮かべそうになるのを堪えながら一刀は鳳統の肩をぽんぽんと叩く。 「まあまあ、それより食べよう」 「…………」 「ほら、恋なんかもう我慢出来ないって感じだ」  お預けをくらった犬のようにじっと肉まんを見つめている呂布は、涎を垂らしそうなほどに熱い視線を送っている。  それを見て鳳統も口元を綻ばす。 「……ふふ、そうですね。それでは」 「いただきます」  誰ともなく告げた号令とともに山盛りに積まれた肉まんをそれぞれ手に取る。一刀は片手で掴むと掌に収まりきらない豊満で柔らかなそれを口に含む。  肉汁が程よく染み込んだ生地と絶妙な歯ごたえの餡が一刀に口腔内の傷の痛みを忘れさせる。 「はふっ、はふっ、こりゃ美味い」 「……はむ。具材も歯ごたえ十分ですね」  両手で持った肉まんをリスが木の実を食べるときのように小さな動きで頬張る鳳統も笑みを浮かべている。  そして、呂布はというと二刀流といった様相で肉まんを食べていた。 「……あむ。もぐ……あむ」 「……うわぁぁ、早いですね」 「そうだな。だけど、恋は見てる側も不思議と嬉しくなるような食べ方をしてるからまた凄い」 「……なんだか、見てるだけでもう胸がいっぱいになっちゃいますね」 「だな」  そう言いながら一刀は肉まんの残りをぱくりと食べ、ふうと一息吐く。  それに反応したかのように呂布が一刀の方を見て小首を傾げる。 「……ご主人様、食べないの?」 「ん? ああ、俺はいいよ。この一つ、それに恋を見てれば十分満たされるから。むしろ、これ以上を望んだら罰が当たりそうなくらいだよ」 「…………な、成る程、鷦鷯深林に巣うも一枝に過ぎず。そうして欲張らず、手にした幸せを十二分に味わおうというお考えは素晴らしいことだと思います」 「そういう難しい事じゃないよ。俺は、ただ、こうやって恋がいて、雛里がいて一緒にのんびりと過ごす。こういう時間が好きなんだよ。ま、こうしていられる幸せさえあれば高望みはしないってことかな」 「……そうですね。難しく考えず、この瞬間を楽しむのも一つの幸せなのかもしれません」  鳳統がにこりと微笑むのを眺めながらお茶を啜っていると、一刀は全ての肉まんを食べ終えた呂布がじっと自分を見ていることに気がついた。 「あれ? どうしたんだよ、恋。あ、もしかして足りなかったのか? ごめんな、また今度買ってくるからさ、今日はこれで我慢してくれないか?」 「…………違う」  呂布がふるふると首を振る。 「違うのか? 本当に? えっと……それじゃあ」 「………………戻る」 「あ、おい、恋!」 「……行っちゃいましたね」  手を伸ばす一刀に振り返ることなく、呂布はすたすたと歩いていってしまった。  所在なく浮いている腕を組むと、一刀は腰掛けに深くもたれかかりながら首を傾げる。 「一体、どうしたっていうんだ?」 「……ううん、どうしたんでしょうね」 「雛里でもわからないのか?」 「…………恋さんの考えは読めそうで読めませんから」 「そうか、よく考えればそうかもな」  誰にも読み取れない思考。  何者にもとらわれないたった一人の呂布。  だからこそ、彼女は天下無双と呼ばれる程の強さを誇るのかもしれない。  †  賊徒による騒動から数日経ち、口の傷も治り始めた頃、一刀は再び大袋を抱えて中庭を歩いていた。  先日の肉まんの代金を払うのと、急に立ち去ってしまった呂布ともう一度食べようと買いに行ったのだ。  もっとも、先日分の代金は粘りに粘ったことで受け取って貰えたが、購入した肉まんにおまけをしてもらったため結局は代金を払った意味があったのか微妙になってしまった。 「あっちのが一枚上手だったな……やれやれ」 「おや、主。そのような大きな袋を持って如何なされた?」 「ああ、ちょっとね。あ、そうだ、星もどうかな? これから恋と一緒に肉まんを食べようと思ってるんだけど」  そう言うと、趙雲は一刀の持つ大袋を見つめたまま考え込む。 「ふむ、あそこの肉まんは筍がまた格別ですからな」 「へえ。やっぱり、筍には眼がないのか」 「まあ、そうですな。どれ、袋は私が持ちましょう」 「いいよこれくらいは。それより、恋を呼んできてくれないか?」 「御意」  趙雲の姿が城内へと消えていくのを見送ると一刀は東屋へと向かい、先にお茶などの用意をしておく。  それから、大して時間も経たないうちに趙雲は戻ってきた。 「お、おかえり。こっちは準備できたぞ」 「ほう、主が入れたのですかな」 「まあ、な。流石に月が入れたのには数段劣るけど」  湯飲みにお茶を注ぎながら一刀は苦笑を漏らす。  そこへ、一刀が肉まんを買う理由であり、本来の目的である呂布がやってくる。 「…………ご主人様、呼んだ?」 「ああ。実は、この間の店に行ったんで肉まん買ってきたんだ。一緒に食べないか」 「何で、恋殿がお前と食べなければならないのです」 「あれ? ねねも来たのか」  呂布の後ろからひょっこりと姿を表したのは黒と白を基調としたダボダボの上着にカットジーンズと縞のニーソックスという活動的なのかそうでないのか判断に迷いそうな服装をした小柄な少女だった。  彼女は腕組みしたまま一刀を上目で睨んでくる。 「何か文句でもあるのですか?」 「いや、無いよ。ほら、恋の隣でいいだろ」  湯飲みを配しながら二人を椅子へと促す。呂布に続いて陳宮が左右で結った若緑の髪を揺らしながら席へと着く。 「仕方ないので付き合ってやるのです。さ、恋殿、遠慮無く食べてくだされ」 「一応、俺が買ってきたんだけどな」 「なんですか? 恋殿に食べるなと?」  一刀の言葉にぴくりと静止すると、陳宮は表情を一片させて一刀を威嚇してくる。 「いや、ねねの言う通りだ。俺たちは一つで良いから後は全部食べていいぞ」 「ねねの分も差し上げます。さ、どうぞ召し上がってくだされ」  そうして、呂布の前に山盛りの肉まんが置かれる。  先日とは違い、わいわいと少々賑やかにやっていく四人……いや、静かにしている呂布を除いた三人。  それは今まで何度も訪れたのと代わらぬ一時になると思われた。だが、今日は少し様子が違った。 「恋? どうしたんだ、いつもならもっとバクバク食べるのに」 「恋殿?」 「これは随分と珍しい光景ですな」  山盛りの肉まんを前に呂布が黙ったまま動かなくなっている。始めに一つ食べたきり、彼女は手を付けようとしていない。 「どうしたんだよ。調子悪いのか?」 「…………」  呂布はふるふると首を左右に振る。 「もしや、恋殿は何か病にかかられたのでは! ああ、なんてことなのです。ずっと共におったというのにまったく気づきませんでした……この陳宮、一生の不覚ですぞ!」 「…………違う」  頭を抱え込んでわめいている陳宮に対して呂布は冷静に首を横に振る。 「病気じゃないのか? でも、調子が悪いとか、そういうのはあるんじゃないか?」 「…………ううん。そうじゃない」 「では、一体、いかような理由があるというのだ?」  顎に手を添えて興味深そうに訪ねる趙雲に呂布は表情を変えることなく普段通りの口調で返答する。 「………………鷦鷯深林に巣うも一枝に過ぎず」 「おお、恋殿は莊子を知っておられたのですか」 「いや、それは多分……この間の」 「何かご存じなのですか、主」 「ああ、実はな――」  呂布に夢中になっている陳宮を余所に一刀は趙雲に先日の鳳統との会話について耳打ちする。 「ほう、そのようなことがあったのですか」 「ああ、恐らく恋はそのことで何かあるんだと思う」 「そこぉ! 何をヒソヒソと話しているのですか! 恋殿が一大事なのですぞ!」 「い、いや、なんでもない……それで、恋。急にそんなこと言い出したのと食べないのはやっぱり関係してるのか?」 「…………から」 「れ、恋殿!?」  呂布の答えを待っていた一刀だったが、唐突に悲鳴にも似た声を上げた陳宮によって思わず仰け反ってしまう。 「きゅ、急にどうしたんだ、ねね」 「うるさいのです!」 「な、なんなんだ?」 「…………だから、恋は肉まんをたくさん食べたくても食べたくない」 「え?」  呂布の言葉の意味が分からず一刀は首を捻りつつ、聞き返そうとする。だが、呂布はそれよりも早く先日同様に席を立ってしまう。 「…………もう、戻る」 「あ、恋。ちょっと待ってくれ」 「ちんきゅーきーーーーーっく!」 「痛ってぇぇぇぇええ!」  呂布の後を追おうとする一刀に向かって陳宮が椅子を踏み台として一段と高く舞い上がった状態からのちんきゅーきっくを放ってくる。  強力なちんきゅーきっくをモロにくらった一刀は東屋から転がるようにして飛び出る。 「な、何するんだよ」 「うっさいのです! 恋殿に一体何をしたのですか! 催眠ですか! 怪しげな妖術ですか! 天の世界にある秘術ですか! ええい、ねねの恋殿を返すのです!」 「さっきから、なんなんだよ! というか、見てないで助けてくれ、星」 「いえ、ねねの気持ちもわからぬでもないので」  にやにやとたちの悪い笑みを浮かべたまま卓に頬杖を突いて趙雲は動こうともしない。 「どっちの味方だ!」 「正義の味方ですが?」 「いや、確かにそうかもしれないがっ!? ちょっ、危なっ!?」  一刀がぎりぎりで避けた場所に穴が空いている。どうやら陳宮は本気で怒っているようだと一刀は直感する。 「ちいっ、逃げるなー! ねねのちんきゅーきっくで潔く散るのですー! お前が、お前のようなへぼいやつが、なんで、なんでなのですかぁ! なんで……」 「ね、ねね?」  陳宮が急に立ち止まる。不思議なことに一刀には今の彼女の身体が普段以上に縮んでいるように見える。 「く……覚えてるのです!」  捨て台詞を残すと、陳宮はだっとその場を後にして駆け出す。  ぐんぐんと遠くなる背中を見ながら一刀はただ目を丸くしたまま呆然と立ち尽くすことしかできなかった。 「主、取りあえず。茶でも飲んで落ち着かれよ」 「すまん。何か今日はよくわからないことだらけだ」  髪をかきむしりながら唸る一刀が啜ったお茶はもう温くなっていた。 (恋に逃げられ、ねねに逃げられ、熱にも逃げられたか……)  一刀は肩を落としてため息を漏らす。 「主よ。あまり、深く考えすぎぬ方がよいかと思いますぞ」 「でもな。俺にとっては星にしたってあの二人にしたって大切な存在なんだ。やっぱり心配になるんだよ」 「……恐らく、先程のは間違いではなかったのでしょう」 「何のことだ?」  唐突な趙雲の言葉に一刀は眉を顰める。 「ねねが言ったとおり、恋は病にかかっておるのですよ」 「何だって!」  もしかしたら自分の知らない病気があるのだろうか。そんなことを考えた瞬間、一刀の胸に不安が押し寄せる。一度、経験した世界の知識があるとはいえ、病のことまでは流石に把握できていない。 「ど、どうすればいいんだ! い、医者が必要か? く、薬は!」 「落ち着かれよ。その病は医者の手には負えぬでしょうな。しかし、治せる者ならばおりますよ」 「ほ、本当か?」 「ええ。ただし、その者に見て貰えるかは恋次第といったところでしょうな」 「そ、それじゃあ、すぐ恋に」 「無粋ですぞ。主」 「え?」  一刀は思わず息を呑む。そして、趙雲の言葉を冷静に待つ。 「別にその病のせいで死ぬことはありませぬ。むしろ、誰しもいつかは乗り越えねばならぬものなのですよ」 「…………そうなのか。それじゃあ、俺がじたばたしても意味ないんだな」 「しかし、時機がくれば主にも……いえ、主だからこそ、してやれることが見つかりましょう」 「本当にそうなればいいんだがな」 「必ずやってきます。我が秘蔵のメンマを全て賭けてもよいですぞ」 「そこまで言い切るんなら信じて待つことにするよ」   もし、呂布にとって自分が必要となるのなら何でもしてあげよう。いつからだろうか、壁が出来たはずの一刀の心にそんな気持ちが蘇っていたのは。  変化を見せているのは呂布だけでなく、もしかしたら一刀自身もそうなのかもしれない。  †  一心不乱に走り続けた陳宮は普段人通りの少ない廊下へ出ると、すぐに壁に背を預けた。  額に浮かぶ汗を拭い、弾む息を整えながらその小さな胸を押さえる。 「はあ……はあ……なんで」  自然と握りしめた拳に力が籠もる。それは怒りからくる力みであるのは間違いないだろう。  だが、それが誰に対するものなのか、彼女自身わからない。  中庭にいたときは一刀がたまたまいたから発散先にしたが実際は彼に対して怒っていたのかすら定かではない。 「あいつに悪いことをしてしまったのです」  わかってはいたが、無性に一刀にこの胸に宿ったもやもやをぶつけたかった。 「何故、何故なのですか、恋殿」  天井を見上げながら陳宮はぽつりと呟いた。  彼女の胸は今にも張り裂けそうな程に掻き乱されてしまった。  他の者は気付かなかったようだが、彼女にだけは聞こえていたのだ。先ほど、呂布が静かに発した小さな呟きが……。 「なぜ……なのです。恋殿」   ――――恋は、ご主人様といられるだけで幸せだから