「無じる真√N-拠点イベント36」       『逆転軍師』  夜空に月と星々が瞬く中、城の外に造られた舞台には灯りが満ちあふれ、客席に集まった多くの民衆たちは声を張り上げ贔屓の相手に声援を送っている。  熱気が充満しているそこから少し離れた小屋。  その部屋の中で二つの影が向かいあっている。外の喧騒は一枚隔てた壁の向こうのこととなっていて別世界の様にすら思える。 「……い、いけないわね……もう」  片方の影が困ったように頬に手を添える。 「でも……もう……ない……なきゃ」  佇む相手を無視して影は荒い息を整えることなく部屋を後にした。  †  この日、公孫賛軍の本拠地へと帰ってきていた数え役萬☆しすたぁずが公演を行っていた。  それは凱旋記念を祝した公演だった。そして、三人はそれを見事にこなし、影ながら見守っていた一刀もほっと胸をなで下ろすことができた。  一刀は興奮冷めやらぬ民衆の喚声に包まれて未だ盛り上がりを見せている会場を背にしてのんびりと歩く。 「さて、折角だしみんなにお茶でも用意しておくかな」  よく考えると久しぶりのマネージャー業といえる。書類とにらめっこすることの多くなった最近の政務と比べると非常にこの仕事は楽しく、一刀は知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。 「そういや、白蓮はどうしたんだろ?」  折角の記念すべき日でもあったので政務を軍師組に任せて公孫賛も来賓としてこの公演を見学しに来る予定だったのだ。それなのに彼女は結局、公演が終了した今の今まで姿を見せることはなかった。  おかしいと思って首を捻りつつも一刀は、しすたぁずの事務所の扉を開く。 「な、なんだこりゃあ!」  扉を開けた一刀の前には予想だにしない光景が広がっていた。  何ら異変のない一室の中、床に倒れている人影が他の雰囲気と比べ異様に浮いている。  横を向いたままうつぶせとなり、その顔には紅がかった髪がかかっている。  髪の隙間からは白目が覗いており、少なくとも意識はなさそうだ。 「な、何があったんだ……」  恐る恐る、一刀はその人物へと近づいていく。  その顔は一刀もよく知っているものだった。 「こ、これは一体?」 「あ、一刀!」 「っ!?」  背後から聞こえた声に飛び跳ねると一刀は恐る恐る振り返る。そのとき、何か妙な音が耳に届いたが、それを遮るように少女の大声が室内を支配した。 「どうしたの……って、何よこれ!」 「ちぃちゃん? うわっ、え? どういうこと?」 「……姉さん。ここは任せるわ。私は華雄さんを」  それからのことはよく覚えていない。  唯一確かだったのは、眼鏡を掛けた少女に連れられた華雄によって腕を固められた一刀が城へと連行されたこと。  †  翌朝、急遽押し込まれた部屋で一晩過ごした一刀は一人椅子に座って項垂れていた。  公孫賛が倒れているのを発見して駆け寄った後のことは朧気にしか覚えてない。  何が起こったのか。そんなことすらもわかってない。  気がつけば、一刀は椅子に座らされていた。そして、かつて一刀自身がとある人物に教えたあいまいなルールに基づいた裁判ごっこにて、被告人として捌かれることを華雄から伝えられた。 「なんでこんなことに……」 「ちょっと、あんた何したのよ!」 「詠!」  扉が勢いよく開かれ、そこには腰に手を当てて訝しむ賈駆と息を弾ませている董卓の姿があった。  軍師とそれに仕える侍女にも見える組み合わせの二人はゆっくりと一刀の方へとやってくる。  驚き、思わず立ち上がった一刀も二人の方へと歩み寄っていく。 「月に呼ばれて来てみれば……一体、何の騒ぎって……まあ、あんたが誰か殺したって話よね」 「違う! 俺じゃない! というか、そもそも白蓮は――」 「あーはいはい。皆まで言わなくていいわ。それより、状況について簡単に説明しなさい。あんたが現場に訪れた時の状況と何故疑われているのか」  腕組みして目の前の椅子に座った賈駆に一刀は事の経緯を語っていく。 「――というわけなんだ」 「ふうん。で? あんた本当にやってないわけ?」 「え、詠ちゃん……」 「断言する! 俺じゃない。もしかして……詠は俺のことなんて信じられないってことなのか?」 「私はご主人様はやってないって信じてるよ。たまたま運悪く疑われてるだけだと思う……証拠とかはないけど」 「月、ありがとう。俺の見方は月だけだ……」  何よりも第一に自分の言葉を優先して信じてくれる董卓に一刀は思わずほろりとする。 「べ、別にボクだって疑ってるわけじゃないわよ。……いいわ、ボクがあんたの無実、証明してあげる」 「詠ちゃん……」  胸の前で手を組んでいる董卓の顔がぱあっと明るくなる。賈駆は照れくさくなったのかぷい、とそっぽを向いてしまう。 「おお! ありがとう、詠!」 「ちょ、ちょっと……抱きつかないで……あっ、耳に息が……」 「ありがとう……ありがとう」  小柄な身体を一刀はぎゅっと抱きしめてひたすら感謝の念を告げるのだが、 「いい加減にしろ!」  何故か顔面真っ赤にした賈駆に頬を張られて椅子に倒れ込むのだった。  †  賈駆は唐突に頬を張られたことで眼を白黒させていた一刀を無視して部屋を後にすると、しすたぁずの事務所を捜査することにした。  もちろん、現場に残された証拠がないか確認するためだった。  しかし、成果はこれといってあげられなかった。 「流石に、遺留品とかはなかったわね。これといって証拠になりそうなものもなかったし……参ったわね」 「やっぱり、華雄さんたちが持って行っちゃったのかな? ……あれ? ねえ、詠ちゃん」 「どうしたの、月?」 「これ、なんだろう……」  董卓が不思議そうに近づいたのは棚。ちょうど、死体が転がっていた場所の隣に物言わぬ証人のようにそれはそびえ立っていた。 「あら、一部留め具が出ちゃってるわね……さては組み立てした人間の不手際ってことね」 「うん。それもそうなんだけど、ほら、ここ……何かくっついてる」 「え? あら、これは……布の欠片と……紐?」  飛び出た留め具の先に親指ほどの大きさの紺色の布と箸程度の長さの桃色の紐がぶらさがるようにして巻き付いていた。 「なんか、どっちも見覚えがあるような気がするわね……」 「それって、もしかしたら何かの役に立つんじゃないかな?」 「そうね。一応、出廷の際に提出してみることにするわ」  意味があるのかわからない。それでも、もしかしたらという希望と証拠として曖昧なそれを持って賈駆は城へと戻ることにした。  †  しんと静まりかえった中、向かいあう二人の軍師。  かたや一刀を助けるための弁護人。かたや一刀に有罪判決を叩きつけるために全力を尽くす検事。  その中間にいて中立を意味している裁判長。  舞台は整い、北郷一刀を捌く法廷が今、開廷されようとしていた。 「えっと……あっ、これより、公孫賛様殺人事件の裁判を行います」 「いや、白蓮は――」  一刀の言葉は裁判長担当と思しき張勲の打ち付ける木槌――どう見ても工具である――の音によってかき消された。 (こんなことなら……裁判ごっこなんかするんじゃなかった……)  つい先日、袁紹に暇つぶしの相手を命じられた際に丁度おやつの窃盗……というよりはつまみ食いが発生し行ったのが裁判ごっこだった。 (あの時は、容疑者は一人。あっという間の決着だったが……今度は俺が被告席に着くことになるとは。というか、なんでよりによって七乃なんだよ! せめて斗詩にしろよ!)  頭を抱え込みたくなるのをぐっと堪えて一刀は弁護席の賈駆を見る。彼女の親友である董卓もきっと傍聴席から二人の事を見守ってくれていることだろう。 「弁護側、検察側、準備は良いですか?」 「弁護側、準備完了してるわ」  賈駆は些か緊張しているのかしきりに眼鏡を弄っている。 「検察側……もとより」  対する陳宮は返答しながら自信ありげな眼でちらりと一刀を見やる。 (あんにゃろう……)  彼女の瞳は暗に一刀を絶対に有罪にしてみせると物語っている。それに気がついた一刀は無意識にぎりっと歯軋りする。 「えへん。それでは、検察側……冒頭弁論を」 「うむ。わかっておりますぞ。華雄殿!」 「おう、任せろ」  検事である陳宮の要請に応え、気のせいか普段以上に張り切った様子の華雄が証言台へと立つ。 「事件は、『数え役萬☆しすたぁず』の凱旋公演の後に起こった。現場は、しすたぁずがこっちに帰ってきてるときに使用している事務所……こっちは第二で舞台同様城の外にある。主に控室の補助的な用途で使用されているようだ」  それは一刀が訪れた場所で間違いないだろう。  だが、実際に見ていないためか張勲は眉を顰める。 「その……建物の構図はわかりませんか?」 「では、こちらの上面図を……」  そう言って取り出した書簡を華雄が広げていく。その内容を全員がまじまじと見つめるが、正直なところ意味不明な部分が多い。  代表して賈駆が顔をしかめつつ華雄に尋ねる。 「なにこれ?」 「だから、上面図だ」 「あの……ところどころ、壁がなかったり、部屋が穴だらけだったりしてますよ? あと、全体的にいびつですね」 「ああ、薄くなってるところは墨が擦れてしまってな。それで、墨を増やしてみたんだが……今度はぽたぽたと垂れてしまったのだ」 「……おいおい」 「あと、線の歪みはまあ、私は筆より戦斧を握る仕事が主だからな。仕方あるまい」 (それで済む話じゃないだろ……これ)  役に立つのか立たないのか分からない上面図を見る一刀の額に汗が浮き出る。 「では、証人続きを」 「うむ。この上面図を見ても分かるとおり現場の出入口は一つだった。そして、そこには目撃者……これは数え役萬☆しすたぁずの三人だ。ちなみに、彼女たちはずっと公演をしていたので容疑からは外れている」 「なるほど。それで、被告はどこにいたのですか?」 「言うまでもなく、死体の傍だ。そこに被告が立っているのを彼女たちが目撃し、私に通報したということだ。これは、もうどう考えても決まりだろうな」 「異議あり! それはあくまで状況証拠じゃない。決定的な証拠はないの? それと、死因は?」 「無論……全て答えることは可能だ」  指を突き刺した賈駆の威勢をものともせず華雄は不敵に笑う。 「まず、死因。これは、目立つ外傷もないことから毒を盛られたか……あるいは、何か特殊な方法で内蔵機器に損傷を与えたかといったところだろう。これが臨時で得た報告書だ」 「はい。受理しますよー」  張勲裁判長は華雄からそれを受け取ると、同じな様の資料を賈駆にも回す。彼女は本野少し内容を確認しただけで何か気になる点を見つけたらしい。 「華雄」 「む? なんだ」 「外傷はないって言ってるけど、後頭部にたんこぶができてるじゃない」 「そうだったか? あ、あれ?」 「ふう。証人、しっかりしてくださいよう。無駄に時間が掛かるじゃないですか」  首を捻る華雄にやれやれと張勲裁判長が肩を竦める。 「なんにしても、それは直接的な死因ではないのは確かだ」  肩を落としつつ華雄はそう断言する。 (詠にびしっと突っ込まれてもそこは変えないって事は……本当なんだろうな) 「それで証人、決定的な証拠というのはあるのですか?」 「無論。それは……これだ!」 「えっと……なんですか、それは」  華雄が高々と掲げたくしゃくしゃの布に視線が集まる。一刀は一瞬でそれが何かわかり口元をひくつかせる。 「最初はこれがなんであるか曖昧だったが、どうやら被告人の下着だったようだ」 「えっ!? ご主じ――じゃなかった。被告人の下着!」  法廷内(仮)にいる傍聴人(仮)――とはいっても仲間内からの選抜である――が騒然となる。 「せ、静粛に! 証人は証拠の提出……はやっぱりいいです。遠目に見るだけで止めておきます」  僅かに頬を赤く染めてちらちらと証拠を見る張勲裁判長。 (なんだろ……ああいった態度される方がむしろ恥ずかしい) 「次にこれが証拠となった理由だが、実は被害者はこいつを強く握りしめていた。つまり、被告人はその……あれな行為に及んだ後、何らかの……いや、痴情のもつれから被害者を襲った。命果ててゆく中、被害者は最後の力でコレをその手につかみ取ったのだ。我々に犯人を伝えるために!」  そう言って華雄が一刀の方をかっと睨み付けてくる。 「いや、だから、そもそも白蓮――」 「異議あり!」  一刀が一言反論を述べようとしたが、それを遮るように賈駆から一声入る。華雄はそれを挑戦的な目つきで迎え撃つ。 「何かおかしいところでもあったか?」 「おかしい以前の話よ。あんたたち、あいつの服をよく調べたの?」 「……? どういうことですか?」  張勲裁判長が一刀の方を見ながら不思議そうに首を傾げる。 「別に被害者には裂傷や刺傷などは無かったから返り血があるなしは関係ない――」 「そうじゃないのよ」  華雄の発言に対し、賈駆はそれは間違っていると言うようにゆっくりと首を左右に振る。  そして、びしっと一刀の方を指さしてくる。 「被告人が捕まった際に下着を履いていたとすれば検察側の推論は一気に崩れ去るってことよ!」 「な、なんだとぉぉぉ!」 「……し、しかし……確認を取るためにはここで被告人に脱いで貰うことに」 「いやいやいやいや! 異議ありだ! 異議あり! やだよ、脱がないからな! 俺はそんなことしても興奮しない……かどうかは別にして、世間体として不味い!」 「ですよね……もし、履いてなかったらそれこそ……モロ」  そこまで言うと張勲裁判長はきゃっと可愛い悲鳴をあげて態とらしく木槌で顔を隠してしまう。 (その微妙に木槌の頭部の下から覗く全開の瞳はなんなんだ……)  冷静にそんなことを考えていた一刀だったが、いつの間にか法廷中(仮)の視線が自分の下半身へと注がれていることに気がつき、ささっと手で隠す。 「む! 隠しましたぞ!」 「あ、怪しいですね……や、やはり……下着は履いてないのですか?」 「何コレ……もういや」  いくら仲間内で行われている裁判ごっことはいえ、最早公開セクハラ同然の体を成してきた裁判長らの仕打ちに一刀の頬をすっと熱いものが流れ行く。 「どうなんだ、答えろ!」 「……履いてるよ! もう、いいだろこれで」 「し、しかし……実際に証明していただかないと」 「頼むよ、七乃。勘弁してくれ」 「法廷係員。被告人を脱がしてください」 「七乃ぉぉぉぉおお!」  冷酷な命令に愕然とする一刀へ文醜法廷係員と顔良法廷係員が歩み寄ってくる。 「悪く思うなよ。アニキ」 「ごめんなさい。でも、大人しくしてればすぐにすみますから」 「……ま、待て! はやまるんじゃない!」 「異議あり!」  一刀のズボンに文醜と顔良の手が掛かると同時に賈駆の声が響き渡った。 「なんですか、弁護人。今はご主人様を脱がす時間なので後にしてくれませんか?」 「……いや、それじゃ遅いわよ。それより、よく見なさい……後ろ、破れてるのよ」 「え? 嘘! マジかよ!」  賈駆の指摘に驚き、その場で自分の尻を見た一刀は確かにそこが破れていることに気がついた。 「ほ、本当に破れてます。あ、ぱっくりあいたところから布が出てますね……どうやら、これでは検察側の主張は通らないようですね」 「うわぁ……いつやったんだこれ。あっ、思い出してきたぞ」 「どうかしたの? 被告人」  一刀がぽつりと漏らした一言を賈駆が拾い上げる。  一刀は頭を掻きながらズボンの一部が破れた理由を語ることにする。 「いや、この破れた跡を見て少しだけ思い出したんだ。確か、俺……倒れている白蓮を見つけてすぐ駆け寄ったんだ。そしたら、そのすぐ後に地和に声をかけられて、驚いてたこともあって慌てて振り向いたんだよ。そのときに棚に引っかけて破いたんだろうな」 「それがなにか?」 「いや、破れてる理由だよ。そうそう、前から言おうと思ってたんだ、あの棚、留め具が一部はみ出てるから気をつけるようにって」 「そんなどうでもいいことをべらべら喋って何がしたいのですー! まったく……そういうくだらない話は有罪が決まってからたっぷり話せば良いのです」  なんとなく思い出したことを語ってみたのだが、やはり怒られてしまう。 「はは……ごめん」  一刀はぷりぷりと怒っている陳宮に対して苦笑を浮かべるしかなかった。確かにこの場ではどうでもいい話だった。もっとも、有罪になるのは嫌だが。 「被告人は検察側の言う通り、もう少し考えて発言してくださいよ。もう……面倒なのはこっちなんですから」  ぶつぶつと文句を言う張勲裁判長が自分の世界に入らないようにするためか、しばし何やら考え込む素振りを見せていた賈駆が机を叩いて自分の方へと気を向けさせる。 「裁判長! それよりも、今、大事なのは検察側の主張が通らないということよ」 「あ、そうですね。どうです?」  うんうんと頷きながら張勲裁判長が陳宮の返答を窺う。 「ふん、まともな主張として成り立っているわけがないわ。大体、あんな巫山戯た証拠品役に立つはずが――」 「おっと、勘違いしてもらっては困りますなー」  ち、ち、と指を振りながら陳宮がふふんと鼻を鳴らす。 「裁判長。情事の後の殺人……それは、検察側の主張ではありませんぞ」 「え? そうなんですか?」 「何言ってるのよ。さっき――」 「だから、待てと言っておるのですよ。詠」  腕組みして首を横に振る陳宮。 (動きがさまになってないな……)  のん気にそんな感想を抱いていた一刀だったが次の瞬間、驚かずにはいられなかった。 「このばっちい下着は、現場に被害者が訪れたことを証明するもの。そして、その目的があのボンクラ……被告人と会うことだったという証拠なのです」 「な、なんですってぇぇええ!」 (お、俺の下着を公然とばっちいとか言わないでくれよ!)  場の空気と違う意味で衝撃を受ける一刀を更に追い詰めるように陳宮は話を続ける。 「そもそも、さっきの殺害の時機についての発言は猪が急いて飛び出してしまっただけ……実際には、今申したとおり、ちゃんとした理由もあり、その上、それを証明するための証人も呼んであるのです」 (う、嘘だろ……証明できるなんて馬鹿な!)  汚物扱いされた自前の下着……つまり、検察側が提出した証拠。それに証人、徐々に一刀の立場は危うくなっていく。  一刀は今自分が崖の上に立っているような気分を覚えていた。 「わかりました。では、その証人を出廷させてください」  †  事態は真綿で首を絞めるようにゆっくりと被告人及び弁護側を追い詰めていく。  賈駆は突破口がつかめずに歯がみする。 「よりによって、今度は証人ですって……」  証拠の提出のみなら何かしらつけいる隙もあったはずだ。  しかし、証拠の正当性を証明するための証人がいるとなると事態はややこしくなる。 (やっぱり、証人の言葉を切り崩していくしかないわね) 「では、事件前夜。被害者と共にいた人物を証人として出廷させますぞ。証人!」 「うむ。いつでも良いぞ。しかし、面白い取り組みだな。この天の国の裁判を真似るというのは」  露草色の髪をふわっと舞い上げながらさっそうと証人席に現れたのは趙雲だった。 (せ、星……どういうこと)  口元に手を添えた趙雲が不適……弁護側からすれば不穏な笑みを浮かべている。 「それでは、証人。被害者と共にいたときのことを話していただけますか?」 「構わぬぞ。そうだな、あれは夜も大分遅くなった頃だ。私と被害者は酒屋へと赴き一献やっていたのだ」 (一献ねえ……)  酒好きの趙雲ならばそれもあり得るだろうし違和感はない。 「その時、被害者はもの凄く荒れていたな。どうやら、悪酔いしていたらしい。内容は個人的なこと故、敢えて語りはせぬが――」 「ちょっと待ちなさい。もしかしたら、そこに今回の事件の鍵があるかもしれないわ。星、何を話したのか、ちゃんと話してくれないかしら」 「……良いのか?」 「え?」  ちらりと賈駆の方を見て趙雲は口端を更にぐぐっと吊り上げてにやりと笑う。 「では、証人は会話の内容を証言に付け加えてください」 「仕方あるまい。あの時、被害者は被告人との間柄についての愚痴をこぼしていた」 (な、なんですって……これは、不味いわ)  嫌な予感がびんびんに全身を駆け巡り、賈駆は即座に口を挟む。 「異議あり! 関係のないことを語るのは時間の無駄よ!」 「異議あり! 事件の真相を知るためと強要したのは弁護人のはずですぞ!」 「検察側の異議を認めます。弁護人の主張は却下します」  首を振る張勲裁判長に続きを促された趙雲は肩を竦める。 「やれやれ。語れと言ったり語るなと言ったり……方針をハッキリと決めてほしいものだな」 「ぐっ……」 「それで、ああ、被害者の愚痴だったな。まあ、それはよくある色恋についてに他ならない。被害者も君主である前に恋する乙女だったということだな」 「なるほど。被害者は被告人のことを憎からず思っていたのですね」 「ああ。そんな愚痴を延々と聞かされて正直嫌気がさした私は、そこそこに切り上げて被害者を連れ帰ろうとした。そのときのことだ、店主がやってきて包みを手渡されたのは」 (包み……まさか!) 「店主曰く、我々が訪れる前、店で酔っぱらい同士による喧嘩があった際、主……いや、被告人がそれを諫めたらしい」 「それが包みと何か……はっ!? まさか、善良な民から礼金として大量のお酒を搾取したとか?」 「それならば、私もご相伴にあずかりたいところではあるな。しかし、誠に残念なことにそれは叶わぬ夢だった」 (つまり……中身はお酒じゃなかったということね。となると、やっぱり……) 「包みに入っていたのは、被告人の下着、もとい、その証拠品だったのだ」 「どういうことでしょうか……あ、もしかして露出癖が」 「異議あり! 俺にはそんなものない……はず」 (なんで、自信なさげなのよ!) 「被告人の異議は非常に信憑性が薄いため却下します」 「なんで!?」  精神的衝撃に仰け反る一刀。もしかしたら彼は真性の変態なのだろうか。そんな疑惑を抱きつつも、賈駆は証言の続きに耳を傾ける。 「どうやら喧嘩によるいざこざの際、まさに酒を浴びるほど喰らったそうだ。そして、びしょ濡れとなった服の代わりに店主のものを借りて着替えた。下着は、その時に忘れていったものらしい」 「それで、どうなったのですか?」 「下着を受け取った我らは持ち主である被告人の部屋へ向かったのだ。しかし、しすたぁずの公演準備が朝早くからあるためか被告人は既に床についていた。それ故、下着は被害者に預けたまま私は迎え酒を呑むため自室へと戻った。以上だ」 「ちょっといいかしら」  趙雲の話を聞いてなお、賈駆の中には浮かび上がった疑問符が残っている。 「ほう、何か気になる点でもあったか?」 「まあね。あんたと別れてから事件までの被害者の行動については証明できないのよね?」 「ふむ。まあ、今日はこうして呼び出されるまで真面目に仕事を――」 「異議あり! 星に限って〝真面目〟に仕事なんて――」 「被告人、ちょっと黙ってて貰えますか?」  余計なツッコミを入れた一刀が張勲裁判長の命によって文醜、顔良両法廷係員によって猿ぐつわを嵌められる。「んーんー」と唸る姿が滑稽で誰しもが吹き出しそうになる中、張勲だけは自然な表情を浮かべている。 「要するに、弁護人の主張はこうですね。検察側は証拠品の正当性を証明すると発言しているも実際にはそれは実行できていないと」 「ま、そういうことになるわね」 「どうですか、検事?」 (ふん。自信過剰が仇となったわね)  賈駆はほくそ笑みたくなる気持ちを抑えて陳宮を睨み付ける。だが、彼女は逆に不適な笑みを浮かべ返してきた。 「ふむ。そうくることは予測済みですぞ」 「え?」 「元々、この証言だけで証拠品の説明を完了させるつもりはありませんでしたからな。次の証人を出廷させたいのですが、よろしいですかな? 裁判長」  陳宮はそう述べながらちらりと賈駆の方へと視線を向けてくる。その瞳は戦場において自分の策が見事に的中し、勝利を確信したときの色をしている。 (まずいわね……向こうの流れに乗せられてる。証言にもぶれはない。次の証人を崩すしかないわ!) 「検察側の申請を許可します。法廷係員、次の証人を……って、あれ? どうしましたかー?」 「いやあ、ちょっと、あれはアタイらには手が付けられそうにないんだけど」 「どうしても私たちが連れてこないと駄目ですか?」 「当たり前です。さ、ほら行った行った」  木槌をぶらぶらと振って追い払うような仕草を取る張勲裁判長。だが、その手からすっぽぬけた木槌が文醜法廷係員の頭に直撃する。 「いだっ!」 「あ、すいませーん。……早くしてほしいものですね。私は、こんな茶番さっさと死刑でもなんでも告げて終わらせて、さっさと美羽さまで遊びたいんですから」 (さっさとを態々二回も言うほど飽きたのね。それに、何か不穏な発言を聞いた気もするけど……今はそんなこと無視ね)  頭をさすりながら出て行く文醜法廷係員らを視線から外すと、賈駆はこれまでの証言及び尋問にて手にした情報を整理していく。  公演前夜、被害者は趙雲と酒屋で呑んでいた。そこで被告人の下着を手にした。  その後、被害者はその日の夜は被告人の下着を持ったままだった。  そして、事件現場にて被害者はその下着を握って倒れていた。 (十中八九、犯人じゃない! あいつ、本当に無実なんでしょうね)  疑いの眼を被告人席へと向けると、一刀が縋り付くような眼で賈駆の方を見てくる。それを目視して賈駆がため息をはくのと同時に法廷(仮)にずかずかと入ってくる人影があった。 「まったく! なんなんですの! このわたくしに用事があるといっておいて長々と待たせて。こう見えても……いえ、ご覧の通り、わたくし忙しい身ですのよ!」 「れ、麗羽……また、七面倒なのが証言台に……」  ますます先の見えない事態に賈駆は痛み出す頭を抱えるのだった。  †  豪華な装飾をさりげなくあちこちに身につけた袁紹が証言台で不服そうな表情を浮かべている。  金色に輝く髪を弄りながらむすっとした顔をしている彼女に張勲裁判長が声を掛ける。 「えーと。それで、証人、被害者と下着の繋がりを証言してください」 「証人……証言? ああ! ……もしかして、これは例の裁判ごっことやらですの? なるほど、これは良い暇つぶしになりそうですわね。よいでしょう。この袁本初、華麗に、雄々しく、優雅に証言いたしますわ!」 (どんな証言よ! それに今暇つぶしって言ったわよね……あのくるくるパー)  常識外れの縦巻き髪をいじりながら袁紹は証言を始める。 「実は、公演の途中、白蓮さん……いえ、この場合被害者ですの? そう、被害者を目撃しておりますわ」  いかにも名門を鼻にかけたといった大仰な、人によっては見てて僅かに苛立ちを覚えそうな仕草で語る袁紹に陳宮は涼しげな顔で質問をする。 「被害者を見ていると……それはいつのことですかな?」 「そうですわね。あれは、丁度公演が最後の〝あんこーる〟というやつが始まるちょっとまえですわね。会場から客たちがそんなことを叫んでいるのが聞こえましたわ」 (〝あんこーる〟……それって確か、もう一曲歌ってくれという客の頼みだったわね) 「証人、どこで被害者を見たのかしら?」 「それは……お城ですわ」 「ちょっと、漠然としてるわね。もう少し詳しくお願いできないかしら」  どこかもやもやとした声色になっている袁紹を見て、賈駆は密かにとある感情を抱き始めていた。  それは疑惑。 (麗羽のやつ。何か嘘を言っているわ。恐らくはそこが攻めるべき場所)  取り繕う証言はほころびを生じ、証人は嘘を重ねる。知力の足りない軍師がよく陥る戦術上の失敗と同じである。 「それでは麗羽さま……じゃなかった、証人。正確に、どこで被害者を見たのか、証言をお願いします」 「……そうですわね。あれは、そう、被害者の自室ですわ。ちょっと用事があったので訊ねましたの」 「待って、その用事というのは何かしら?」 「別にたいしたことではありませんわ。個人的な事情を根掘り葉掘り聞くのは野暮ってものですわよ」 「ぐぅっ!?」 (なんで、こういうときだけ無駄に口が回るのよ!)  揺さぶりを掛けようとするも逆に返り討ちに遭い賈駆は舌を鳴らす。 「はあ。結局、わたくしにできる証言はこれだけですわ。申し訳ありませんわね。痛ましい事件なのにお役に立てず」 「いえいえ。証言してくれるだけで充分ですよ。さて、それじゃあ、もう覆しようもないでしょうから被告人に判決を――」 「異議あり!」  面倒臭そうに木槌を振り上げた張勲裁判長がぴたりと静止して賈駆の方を見る。  賈駆は机を叩き威勢良く胸を張り、真っ直ぐと貫く矢のように堂々とした声を袁紹へ向けて打ち込む。 「裁判長! この証人の発言……矛盾がありすぎるわ」 「矛盾ですか? それは、どのあたりに」 「ねね! あんたもわかってるんじゃないかしら? 証人が被害者の姿を城……それも被害者の自室で見ることは不可能だった」 「な、何を仰るんですの! わたくし確かに白蓮さんの自室で――」 「異議あり……よ。あんたはさっきこう証言しているわ。『会場に響き渡る〝あんこーるを求める声を聞いた』ってね」 「それが何か?」 「あああああっ!」 「あら、ねね。わかってなかったのかしら? そう、証人は城内にいたと発言したわ。しかし、それは先程の証言と矛盾しているってことになるのよ。城の、それも被害者の自室にいて城の外にある公演会場の声が聞こえるわけがないのよ。例え、どれだけ大音響だったとしてもね!」 「な、なんですのぉぉぉぉおおおお!」  縦巻き髪を振り乱しがちに袁紹が顔をいやいやするように左右に振る。 「い、異議ありですぞ! 音のことはなんらかの勘違いかもしれないのです。それだけで証人を嘘つきとするのは如何なものですかな」 「確かに、もしかしたら街中がしすたぁずの凱旋にうかれてたから勘違いした……あり得る事ね」 「そ、そうですわ。わかってるではありませんの」  袁紹が先程よりもせわしなく縦巻きにしてある髪の毛先をいじる。  それを焦っている証拠だろうと見切りをつけながら賈駆はゆっくりと首を横に振る。 「残念ながら、矛盾はそれだけじゃないのよ。被害者が〝あんこーる〟のとき自室にいていつ、現場に到着するかしら? 普通に考えれば被告人が訪れたあとになってしまうじゃない!」 「う、嘘ですわぁぁああ!」 「な、なんですとぉぉぉぉおおおお!」  巻き髪を逆立てて叫ぶ袁紹と両手で頬を挟み込んで悲鳴を上げる陳宮。  二人の声と同時に法廷内(仮)が風に揺れる木々のように、にわかにざわめきだつ。 「静粛に! 静粛に! 騒ぐ人は麗羽さまのお手製特別料理を喰らわせますよ」  一瞬でぴたりと声が止み、凄まじい沈黙が法廷内(仮)を埋め尽くした。 (木槌の効果というよりは……麗羽の料理よね。どれだけ、驚異的な存在になってるのよ!)  誰しもが恐怖し口を閉ざした中、当の袁紹はがくりと項垂れていた。 「証人、証言は正確にお願いします」 「申し訳ありませんわ。今度はちゃんとお話ししますわ」 「では、こんどこそ被害者を目撃した、そのときのことを証言してください」 (既に、麗羽の証言は崩れ始めている。場合によってはここで流れを変えることができるはずよ! いえ、必ず変えてみせるわ。賈文和の名にかけて!) 「……正直にお話しますわ。実はわたくし、あの日、少々思うところあって被害者を尾行しておりましたの」 「び、尾行ですか? それはまたどうした……」 「なにやら変な下着の入った包みを持って顔はきょろきょろ、全身はおどおどと挙動不審な様子を被害者が見せておりましたので、この猪々子がラーメンの香りで店を判別できるように犯罪の発生を予言する鼻が何か犯罪の臭いがすると教えてくれましたの」 (どんな鼻よ……なんで袁家ってのはこう常識外れなのよ)  一応、賈駆は異論を挟んでみる。 「異議あり。人間としてありえないわ」 「ふふん。これは所謂第六感というものをわたくしなりにちょっとしゃれた言い回しをしただけですわ。やれやれ、これだから感性のない方は……」 「……ぐぅ」 (なんで、逆にこっちが駄目なヤツみたいな眼でみられなきゃならないのよ) 「それで、尾行していて何を見たのですか?」 「被害者の後を追っていると、彼女は外へと出ましたの。それで、公演を行っている舞台から少し離れた小屋へ入っていきましたの。あとは、わたくし知りませんわ」 「ちょっと待ちなさい。中に入ったのを見送った後、あんたはどうしたの?」 「……ちょっとよろしいかしら? 詠さん」 「何よ?」 「一応、わたくし、証人ですのよ。いわばお客様、それ相応の態度ってものがあるのではなくて?」 「なっ……ぐぐぅ。しょ、証人、答えていただけますか? そのあと、どうしたのですか……ぐっ」  拳をギュッと握りしめながら賈駆はなんとか訊ねる。 「やればできるではありませんの。被害者が事務所の中へ消えた後、わたくしはすぐにその場を後にして帰ることにしましたわ」 「やけにあっさり帰ることにしたわね?」 「モチのロンですわ。わたくし、誰かさんと違って個人的領域に踏み入るほど野暮ではありませんの」 「モチのロン?」 「“無論”、“勿論”をわたくし風にこじゃれてみましたの」 「……証人、証言ははっきりと正確にと頼んだはずよ」 「な、なんですの! また、わたくしにケチを付けようというんですの!」  それを見て、半ば確信を得た賈駆は証拠品と共に彼女の発言の矛盾を指摘する。 「あんたは、さっきこの〝下着〟のことお口にしたわよね。確かに、被害者はこれを握りしめていた。でも、おかしいのよ、これを剥き出しで手にして、しかも外をぶらつくなんてあり得ないわ!」 「異議あり! 弁護人の主張は強引なのです! もしかしたら、被害者は下着を普通に剥き出しで手に持って歩く程、変態だったのかもしれませんぞ」 「何言ってるのよ。こいつはさっき、包みに入ったと発言したのよ!」 「し、しかしですな――」 「あー、面倒なので検察側の異議は認めません」 「なんですと!」  ついには頬杖をつき始めた張勲裁判長の一言に陳宮が衝撃を受けて固まる。そんなわけのわからないやり取りは無視して賈駆は追求を続けていく。無論、お客様相手としてではない。 「一体、いつ被害者が下着を手にしているのを目撃したというのよ!」 「そ、それはあのそのいつこのどの……わ、わかりませんわ!」 「わからないの一言で済む話じゃないのよ! 答えなさい!」  逆ギレする袁紹を前に賈駆は、だん、と机を一層強く叩きつける。それは彼女の中にある強烈な想いを体現していた。 (間違いない、麗羽は事件の真相を知っている可能性があるわ。……絶対にそれを引き出して見せるのよ!) 「さあ、答えて、証人!」 「ぐ……くぅぅ……し、仕方ありませんわね。貴女には負けましたわ。わたくし、まだ隠していたことがありますの……」  がっくりと項垂れた袁紹がぽつりぽつりと新たな証言を始める。 「実は、部屋に入ったのを見送ったのは〝あんこーる〟よりも割と前でしたの。それから、一度公演の方へ向かったのですわ。美羽さんが特別出演してると聞きましたので」 「へえ……意外ね」 「そうでもありませんよ。美羽さまの歌声は天使の声。小さなお友達から大きなお友達までを魅了して止まないんですよー」 (そういや、七乃は美羽にべったりだったわね。ちょっと歪んでるけど)  張勲裁判長の捕捉に頷きつつ、賈駆は袁紹の話に集中する。 「いざ公演に向かえば、無駄に大きい輩がわんさかいるではありませんの。わたくし、まったく前に進めなかったので斗詩さんと猪々子に道を空けさせましたの」 「は? ふ、二人も一緒にいたわけ?」 「いや、違うぞ。アタイら二人とも警備にかり出されてたんだよ」 「なるほど、そういうわけね。しかし、凱旋公演ということで山ほど警備が配置されていたのに、その中からよりによってあの二人を見つけ出すとは……ある種恐ろしさすら覚えるわね」  薄ら寒さすら感じる賈駆。気がつけば検察席にいる陳宮の顔色も優れていない。  そんな法廷内(仮)を支配する空気もものともせず、袁紹は語り続ける。 「まあ、何だかんだと前進しましたの。それで、ようやく舞台の前までついたと思ったら、歌い終えたばかりの三人娘に追い出されたのですわ!」 「そりゃそうでしょうねえ……」 「まったく。このわたくしを誰だとお思いなのかしらね。あの小娘ども!」 「それで? そこで終わりじゃないんでしょ?」 「ええ。わたくし、腹立たしさを抑えてその場を後にしましたの。これも、寛大で雄大なわたくしの心のなせる業ですわね」 (あんたが雄大なのは頭に回すべき栄養を吸収した胸と空っぽの頭にぶら下げてる縦巻きでしょうが)  袁紹が組んだ腕の上に乗せている二つの巨峰を睨み付けながら賈駆は先を待つ。 「それでも、無礼な態度は如何なものかと思いましたので、何か一言ご忠告はして差し上げるべきと思い、例の小屋を訪ねましたの」 「で、では、麗羽さま……じゃなかった証人は被告人よりも前に現場を訪れていたんですね」 「ええ。それで、わたくし扉をあけてみたのですけれど、中で何かどさりという物音がしたのですわ。もう、わたくし驚いてしまいまして。それでも、この勇敢なる袁本初、こそ泥の類かもしれないと思い、中を覗いてみたのです。そうしたら、なんと! 被害者が倒れているではありませんの」 「な、なんですとぉぉおお! き、聞いておりませぬぞ! そんなこと」 「それはそうですわよ。わたくし誰にもおっしゃておりませんもの」 「な、何故なのです!」 「そんなの決まってるではありませんの。こんなこと言ったりしたらわたくしが疑われてしまうではありませんの」  髪を掻き上げながら涼しげに答える袁紹に陳宮は机に上体を伏せがちにして唸る。 「つまり、あんたが真の第一発見者だったというわけね。そして、そのとき、被害者が握りしめていた証拠品を眼にしたと」 「ええ、ずばりぃ! その通りですわ」  法廷内(仮)がどよめきに包まれる。今まで語られることのなかった真実に皆動揺しているのだろう。  そんな中、渦中の人物はふうと息を吐いて肩を竦めている。 「それにしても、趣味の悪い下着を履いておりますわよね……あんなのわたくしなら絶対履きませんわね」 「あれ、被告人のですよ」 「被告人って言うと……なんてことですの! わたくし、繊細かつ美しく、かつ神々しくもある、この手で直に触ってしまいましたわ! 斗詩さん、すぐに何か消毒するための薬を持ってきなさい」 「ふごふご!」  手を挙げて自己主張している一刀。恐らく『異議あり』とでも言っているのだろう。だが、猿ぐつわのせいで意味不明な唸りにしかなっていない。  張勲裁判長はそんな彼を無視して先を進めていく。 「触った……ということは、一度死体の傍まで行ったということですか?」 「ええ。何を握りしめているのかと思って……で、ですけれど、わたくしは何もしておりませんわよ!」  いつの間にか、法廷内(仮)の疑いの視線は一刀から袁紹へと対象を変えていた。 「裁判長、被告人よりも前に現場に訪れ、現場に足を踏み入れた人物がいた。これは重大な事実よ!」 「あ、やっぱりそうなりますよねー。えへん。つまり、この証人こそが真犯人であり、被告人の下着を有効活用して罪をなすりつけたと。では、判決を――」  張勲裁判長がやれやれと首を振りながら木槌を持ち上げるが、賈駆はそれを制する。 「待った。そうではないのよ。今、この証人は〝下着〟の〝持ち主〟を聞いてひどく衝撃を受けていたわ。つまり、罪をなすりつけることはしていなかったのよ」 「ど、どういうことですか?」  賈駆の発言に呼応して法廷内(仮)が一層強くざわざわと騒然さを増していく。 「要するに、私たちはまだ真相に辿り着いていないって事よ」  賈駆の一言により、完全に法廷内(仮)にいる殆どの者たちが口々に語り合い始めてしまう。  場は騒然となり、木槌の音は虚しく響き渡るだけとなり、結局一時休廷となった。  †  被告人控室もとい、最初に一刀が入れられた部屋に賈駆たちは戻っていた。  緊迫した空間から出た賈駆は一先ず大きく息を吐き出す。 「ふう。なんとか、ここまできたわね」 「いやー、凄いな詠。はじめはヤバイって思ってたのに状況をひっくり返しちゃうなんてな」 「あのね、そんな気楽に構えてる場合じゃないわよ。重要なのはこれから。一体、誰が白蓮をやったのか……その一点にかかってるのよ。下手すれば、また逆転されかねないわ」  自分に言い聞かせるようにそう告げると、賈駆は顎に手を添えて考え込む。 「いや、そもそも白蓮は――」 「詠ちゃん!」 「月……どうしたの?」 「その、何か一声かけたくて……きっともう少しだと思うから頑張って」  上目がちに応援のことばをくれた親友に賈駆は力強く頷く。 「もちろんよ。絶対に真相を暴き出してやるんだから」 (真犯人が誰なのかは知らないけど、このボクから逃げおおせられるとは思わない事ね) 「絶対に、白蓮さんの仇をとってあげて、詠ちゃん」  手をぐっと組んでいる董卓に頷いてみせると、賈駆はきゅっと口を結ぶ。 「だから、白蓮は――」 「おい、弁護人と被告人。そろそろ戻れってさ」  何か一刀が言おうとしていたようだが、賈駆たちを呼びに来た文醜の声によって聞き取ることはできなかった。  †  戻った法廷内は未だに僅かなざわめきが後を引いていた。  そんな中、弁護席に戻った賈駆は正面にいる陳宮の顔が青ざめていることに気がついた。  何があったのか、恐らくは検察側として余りよくないことが起こったのだろう。  そんなことを賈駆が考えている間に、法廷は再開された。 「では、検察側。先ほどの証人の証言を再度……どうしましたか?」 「ありえないのです。あのくるくるおばさん……」 「裁判長、さっさと進めてはどうかしら?」 「そうですね。では麗羽さま、もう一度お願いします」 「別に構いませんけれど、もう話すことはありませんわよ」 「いえ、聞いておきたいことが一つあるわ」  困ったように眉を曇らせる袁紹に賈駆はどうしても尋ねたいことがあった。 「証言を聞いた限り、扉をあけるときのあんた、どうも別の何かに気を取られていたように思えるのだけどどうかしら?」 「な、何故それを……どうしてわかったんですの!」 「では、それを証言して貰いましょうか……はい、どうぞ」 (もう、投げやりになってきてるわね。七乃)  完全に飽きてきたのだろう。張勲は片手だった頬杖を両手に変えている。 「そう、あれは現場へ向かうときでしたわ。なんとなく空を見上げたんですの。黒く染まった一面に星々が瞬き、月もこうこうと輝いていたのですけれど、欠けておりましたの」 「欠けていた? 月が?」 「ええ、大きな影によって。あれはきっと未だ誰にも知られていない怪鳥ですわね。このわたくし以上に巨大な身体で空を飛んでおりましたの。わたくし、それに気を取られてしまったのですわ」 「か、怪鳥って……本気で言ってるの?」 「だから、証言させたくなかったのです……これだけは」 「ううん、非常に申し上げにくいのですが、この証人の証言は信頼に足るものか疑わしいですね。どうですかねえ、弁護人」 「そうね。ボクはいいと思うわよ。この証言」 「ほ、本気で言っているのですか! 詠」 「ええ。ボクは至って本気よ」  狼狽えている陳宮に真剣な眼差しを向けて賈駆ははっきりと頷く。 「しかし、これ以上審理を進めるのは難しいんじゃないですか? だから、さっさと判決――」 「ちょっと、お待ちなってぇぇん!」 「だ、誰ですか、獣の遠吠えのような声を上げたのは」  ざわざわと法廷内(仮)が騒がしくなる。その中を、一際大きな巨体がずんずんと歩み出てくる。 「わたしよ、わ、た、し。大陸一の漢女、貂蝉ちゃんよん」 「な、何しに来たのよ……」 「決まってるじゃないの。証言しにきたのよん」 「い、異議ありですぞ! そんなの認められるわけが」 「検察側の異議を却下します。面倒なのでいい加減ぱぱっと話聞いて決着を付けちゃってください」  普通ならあり得ない理由で貂蝉の証言は認められることとなった。  賈駆としては願ったり叶ったりであるため素直にそれを受け入れる。陳宮も諦めたらしく自らの仕事を全うする。 「仕方ないのです……証人、名前と職業を」 「貂蝉。職業は踊り子、兼、ご主人様の愛の奴隷よん」 「んーんー!」  凄まじく鋭い視線と軽蔑の眼差しに晒された一刀がなにやら唸っているが誰も相手にしない。 「それで、一体何を証言するつもりなのよ」 「んふふ。実は、わたし白蓮ちゃんと会ってるのよ。アンコールが入る前の最後の曲が終わった後からご主人様が発見するまでの間にね」 「な、なんですとー!」 「そういうことは、もっと早く言いなさいよ!」 「だって、みんな公演の後片付けをわたしに押しつけて帰っちゃったんじゃないの。もう、ひどいわん! それで今着いてみればご主人様が裁判にかけられてるって言うじゃないの」 「正確にはごっこなんですけどねー」  張勲裁判長のやる気のない声を無視して賈駆はじっと貂蝉を見据える。 「それじゃあ、あんたの知ってること全部話して貰おうかしら」 「うふん。お任せあ、れ」 (気持ち悪くなってきたけど……我慢、我慢よ) 「一通り、〝当初の予定〟が終わった後、わたし一度事務所に戻ってるの」 「当初の予定?」 「つまり、アンコールでやる曲を覗いた一通りの流れよ」 「なるほど、つまり麗羽が向かったのと同じくらいの時刻となりそうね」 「うふ、そうね。でも、多分、わたしの方が早かったのねきっと」 「つまり、証人が会ったとき被害者はまだ倒れていなかったと?」 「ええ。ちょっとした理由で戻った事務所でばったり会ったんですもの」 「待った!」  この瞬間、賈駆の中で全てが一本の糸……いや、紐となってつながった。 「証人! この紐に見覚えはないかしら?」 「あらん? それ、わたしの下着の一部じゃないの」  貂蝉がそう答えた瞬間爆発したように法廷内(仮)が喧騒を極めた。 「静粛に! もう、本当にうっさいですねえ。本気で麗羽さまの料理を喰らいたいようですね。法廷係官、ぐだぐだ騒いでた人に特製料理を」 「裁判長! そんなことは後にしてちょうだい。それよりも、ようやくこの事件の真相が明らかとなったわ!」  賈駆はそう宣言すると、机に両手を付き、睨み付けるように鋭い視線を張勲裁判長へと向ける。 「真相ですか……面白そうですね。語ってみてください」  張勲裁判長に頷くと賈駆はこれまでの審理において出た内容について自分なりに整理した紙を手にして自分自身に確認するようにして語り始める。  このややこしい事件に決着をつけるために。 「被害者は事務所を訪れた際。証人と鉢合わせとなったのね、おそらく。そして、驚いた証人は被告人同様急に振り返りその下着の紐を棚に引っかけたのよ」 「あらん。さすがは詠ちゃんねえ。そこまでわかってるなんて驚きだわ」  不気味な笑みを浮かべた貂蝉に賈駆はひるむことなく視線をぶつける。 「証人。その時にあったこと、詳しくあんたの口から説明して貰えるかしら?」 「ええ。構わないわよん。実はね、凱旋公演ということでわたしも普段以上に張り切ってたのよ。そしたらね、その影響で衣装の耐久力が持たなくなっちゃったのよ」  そう言って貂蝉は自分が履いている桃色の下着を摘む。 「なるほどね。確かに、公演中にそれが取れたら大事故よね」 「だから、わたし……事務所に密かに置いておいた予備の衣装を取りに行ったの。そしたら、丁度白蓮ちゃんが来てね。びっくりして振り返ったの。そしたら、棚の留め具に紐が引っかかって千切れて……その、衣装がぬげちゃったのよ。きゃっ、恥ずかしいぃん」  賈駆はぞわりと背中の産毛が逆立つのを感じながらも証言を最後まで聞く。 「白蓮ちゃんってば、びっくりしたのか、何も言わず包みと中から出した下着を手にしたまま呆然と立ち尽くしちゃって。本当は、声を掛けたかったのだけど、ほら、あの時アンコールのこともあったから、わたしってば慌てて出て行っちゃったの」  そこで貂蝉の証言は終了した。 「なるほど。しかし、証人の言う通りならその時はまだ立っていたということになりますよね? どうなんですか、弁護人」  「簡単な事よ。さっき、麗羽がした証言を思い出してみなさいよ。巨大な怪鳥のような影を見たといっていたわね。あれは、間違いなく、この怪人でしょうね」 「なるほど」 「ああん、ひどいわん! せめて宙を華麗に舞う妖精といってちょおだぁぁい!」  くねくねとヘビの様にうねる貂蝉を無視して賈駆は辿り着いた真相を解説していく。 「麗羽はその影に気を取られて扉の開閉に注意を示さなかったのよ」 「わ、わかったのです! それで後頭部のたんこぶと物音が繋がるわけですな!」 「そう。既に魂が消え、抜け殻と鳴った白蓮の後頭部に扉が接触。麗羽も当時苛立っていたようだから勢いよく開いたのでしょうね」 「そして、被告人が見た光景が完成したというわけですね。なるほど」 「つまり、被害者は証人のナニかを目撃した際に精神的な衝撃を受けて事切れたというわけよ」 「ふう。つまりこれは悲劇的な事故死であったというわけですか。これで全てに答えが出ましたね。やっとこの裁判も終わりを迎えたようですね……面倒臭かったですねぇ」  深々と息を吐き出すと、張勲裁判長は姿勢を正して木槌を持ち上げる。 「今回の事件……いえ、事故は非常に複雑怪奇なところがありました。しかし、紐解いてみれば、結局ははじめに検察が述べた通り、下着が鍵でしたね。そして、被害者はちゃんと鍵を握りしめていたのですね」  そこまで言うと、張勲はふっと息を吐き出し、木槌を振り下ろす。 「被告人、北郷一刀に判決を言い渡します。……無罪!」 「わぁぁぁぁあああああ!」  法廷内(仮)は喚声に包まれ、一刀に対して祝福の言葉がかけられる。  こうして、公孫賛殺人事件の法廷は閉廷したのだった。  †  一刀に対する無罪判決が下されてしばし立った頃、法廷(仮)の扉を開く者がいた。 「いつつ……まだ、後頭部がずきずきする」  頭をさすりながら入った人物は高々と宣言してみせる。 「この裁判、ちょっと、待ったぁ!」  しんと静まりかえった室内に彼女の声だけが響き渡る。 「殺人事件となっているが、そもそも、私は死んでないぞ! ……って、あ、あれ? 誰もいない……」  もぬけのからとなった法廷(仮)に佇む彼女には扉から入る風が妙に痛々しく感じられる。  彼女はぷるぷると全身を震わせて腕を持ち上げる。 「なんでこうなんだ、いつもいつも……」  振り上げた拳を勢いよく下ろしながら人差し指を突き出し、公孫賛は誰もいない法廷内へ向かって叫ぶ。 「異議あり!」