「無じる真√N-拠点35」  陽の光が辺りを照らす早朝、この日珍しく袁紹は起床していた。それだけでなく普段着への着替えも終え手間の掛かる髪型も既に調整済みだった。  そんな袁紹によって取り巻きの二人はたたき起こされ真剣な表情をした彼女に席に着くよう促された。  唐突に目を覚ますことになった顔良たちは着替えを済ませるとすぐさま腰を下ろす。 「……ふあ。なんすかこんな時間から」 「…………」  目を擦りながら文醜が訊ねるが袁紹は口を閉ざしたまま鋭い眼差しで見えない何かを睨み付けるかのようにじっと宙を見つめている。  沈黙が辛くなってきたころ顔良はそっと声をかける。 「麗羽さま?」 「……あの男」 「ふぁい? ……ふあぁあ……むにゃ」  なかなか話が始まらなかったからか眠気がぶり返してきたらしい文醜があくびを噛み殺しながら半分ほどしか開いていない瞳で袁紹を見る。 「昨日、あの男は〝仲破茶通婦子〟をあんな幼い子供に与えていたのを覚えていますわね」 「はい。でもご主人様がそうしたいと思ったのなら別に問題ないんじゃありません?」 「何を仰いますの。あれがどれほどの価値を持つかわかってるんですの?」  じろりと鋭角な目つきで睨み付けられ顔良は僅かに身じろぎしながらも「ええ」とだけ言って頷く。 「まあ、あれの開発に携わったからこそ麗羽さまも贅沢できたわけだしな」 「ふふん、違いますわよ猪々子。この袁本初が持つ高貴さに見合ったものは初めから我が手中に収められるべき運命にあったのですわ。故にあれくらいの買い物など当然のことなのですわ。おーっほっほっほ!」  口元に手を添えて袁紹は高らかに笑う。実際の所はそこまでの買い物が普段からできることはない。半ば強引に申請を通すことはあれど基本はかつてのように贅沢三昧とはいかない。 「でも、昨日の買い物でせっかくの褒賞をほとんど使っちゃいましたよね?」 「だからなんですの? このわたくしの手にかかればあの程度の功績など、いくらでもたてられるではありませんの」 「えー? そうっすかねぇ?」 「なんですのその顔は」  胡散臭いものを前にしたときのような疑わしげな瞳をする文醜に心外とばかりに袁紹は眉を顰める。 「だって、実際の所これといったことしてないから長い間見張りみたいなのが……えっと、なんだっけあいつ? ま、いいや。あいつがつきっぱだったじゃないんすか?」 「か……なんとかさん、でしたわね。ですが、それだって今や自由に外に出られるようになったのですから今更言うことでもありませんわよ。そもそもあれだってこのわたくしの活躍があったればこそ」 「いや、あれは斗詩やあたいがアニキの手伝いしてるうちにすんだことだったはずっすよ。あれだって最終的にはアニキのおかげのようなもんだったし……」 「ぐ……そ、そうだったかしら。いえ、そうではありませんわ! わたくしが役立たずの穀潰しだったわけではありませんわ。そう、今まではあの男や白蓮さんがこのわたくしに機会を与えようとしなかったのがいけないのですわ!」 「うわぁ……言っちゃっていいのかな、そんなこと……というか、それって……」  ずばっと根幹の部分を言い放つ袁紹に顔良の眉尻はくたっと下がり口元には苦笑が浮かび無自覚に掌でそのひくつく口を覆っていた。  確かに何かを成す機会を袁紹は与えられていなかった。共にいる文醜や顔良は賊討伐なども含め色々と仕事を与えられることもあったにも関わらずだ。  だが、袁紹には何も無かった……というよりも、一刀たちから見ても彼女自身に合う仕事に心当たりがなかったのだろう。  もし、本人たちがいれば口を揃えてこう言うだろう、「麗羽に何かさせたら碌な事にならない。だから、じっと大人しくしていてもらうに限る」と。 「才能豊かなわたくしをこんな部屋に縛り付けておいてそのくせ外出は見張りつき……よく考えれば凡人らしい対応でしたわよね。『食客数千人、名声諸侯に聞こゆ』といわれた斉の宰相、孟嘗君を見習って人材を愛すべきではないのかしら?」 「は、はあ……」 「そもそも――」  ぷりぷりと怒りだした袁紹に適当な相づちを打ちながら顔良は乾いた笑いしか出ない。 (むしろ、ご主人様は靖郭君のごとく周囲の制止も聞かずに麗羽さまを重んじてくれてるような……)  そして、袁紹同様な扱いを受ける者たちはそれぞれが斉貌弁もかくやという働きをしている。そんな信頼と報いによってこの勢力は成り立っている。顔良はそれを体験を通して学んでいた。 「そう、このわたくしを手元に置いておこうとするのならば威王や宣王のようであるべきなのですわ」 「はあ、そうっすか」  珍しく弁の立つ袁紹だが、聞いているのが文醜であるゆえ反応はもちろんこれといってない。  文醜は明確に言えば脳筋と揶揄される種類の人間である。脳まで筋肉になってしまったのではとすら思える思考回路の造りからそう言われる。主に華雄がその実例だったりする。  ちなみに顔良は軍を支えるため、袁紹に召し抱えられてからは一応通常以上の勉強はしてきた。それでも分類するならば賈駆や陳宮、鳳統らとは異なり、文醜と然程代わりはしない方に位置づけされることだろう。  対して袁紹は知識に関してならばかなりのものがある。今や大陸中に名の知られた曹操と机を並べた仲であるのだからそれも当然の話である。  もっとも、生来の非凡――もっとも悪い意味であるが――な思考や感性的な部分によって袁紹は膨大な知識を全くと言ってよいほど有効活用ができていない。つまり無駄にものを知っているのである。  そんな宝の持ち腐れを地でいく袁紹が額に手を置いて盛大に溜め息を吐く。 「はあ。嘆かわしいですわ。平凡な統治者によってわたくしの非凡なる才能は日の目を見ることなく消えゆくのでしょう」 「あ-、たしかにあの人平凡ですね。うん、地味に普通っすね。いや、地味〝で〟普通か?」 「あ、あはは、ひどい言われようだなぁ……白蓮さま」  何と言っていいのかわからず困惑の笑みを浮かべる顔良。否定しないのはあくまで間違ったことを言っていない気がしなくもないからである。 「斗詩さんも思うでしょう? このわたくしの才能は現状によって枯らされようとしておりますわよね?」 「んー、どうなんでしょうね」  あやふやに答えながらも顔良は内心では思いっきり首を横に振っていた。  一刀の元に引き取られてから袁紹は元来兼ね備えていた資質をむしろ一層開花しつつあるように思える……そう、歩く事件製造絡繰りという才能を。 「……? 斗詩さん?」 「はいはーい! あの麗羽さま」 「なんですの?」  顔良の方を訝しげに見ていた袁紹が自己主張するように挙手している文醜の方を向く。 「結局、何が言いたいんですかー?」 「…………さて、斗詩さん」 「うわっ、あからさまな誤魔化し方したよこの人!」  堂々と話を折り曲げる袁紹に文醜が目を丸くしている。だが、当人は気にも留めず話を続ける。 「本日も出かけますわよ」 「え? また何か買うんですか?」 「違いますわ。一刀さんを観察するつもりですからさっさと部屋に向かいますわよ」  拳を握りしめて決意を感じさせる瞳で宣言をする袁紹。非常に珍しい姿に顔良は内心驚きを覚える。 「えー、何でそんなことするんすか?」 「敵を知り、己を知ればなんとやら。まずは敵情を知らねばなりませんの。ですが、どうしても嫌だというのなら猪々子一人で留守番でもしていなさいな」  そう言うと袁紹はさっさと部屋を出て行こうとする。 「行きますって、もう……そもそも敵って麗羽さまは一体何と闘うつもりなんだ?」 「まあまあ。文ちゃん」  不満を隠しもしない文醜を宥めながら顔良も廊下へと出て行く。  どうやら昨日顔良が思ったとおり、北郷一刀に何か普段と違うことが起こりそう気配である。  果たしてそれは良い意味でなのか悪い意味でなのか……それはまだわからない。  †  廊下を歩きながら一刀は大きく開けた口であくびをする。幸い誰もいないため存分に空気をはき出せた。  昨日、子供と衝突した際についた汚れを落とすのに時間が掛かったために寝不足気味だった。 「一張羅ってのは本当に面倒だな……」  一刀の来ているポリエステル製の学生服はこの世界に一着しかない。それゆえに代理など存在してるはずもない。そのため汚れるたびに洗濯などにも気を遣う必要があった。  そうして時間をかけたにもかかわらず未だスッキリとしない着心地に一刀は微妙に顔をしかめていた。 「ん? あれは」  廊下の先にこちらへとやってこようとしている袁術と張勲の姿を見つけた一刀は普段の顔に戻ると二人に声をかけようと僅かに早足になる。 「おはよう。美羽、七乃」 「おはようなのじゃー!」 「おはようございます。一刀さん」  一刀が手を挙げると、反対側から向かってくる二人は歩を速めることもなく変わらぬ速さの足取りで近寄ってくる。それでも袁術は元気いっぱいで太陽に向かって咲き誇る向日葵のような元気ぶりを見せてくれる。 「どうしたんです? こんな早くから」 「いや、この時間から仕事の日があるんだよ、割と高頻度でね。そういう二人こそどうして?」 「あぁ、それはですねかず――」 「七乃ぉ! 言うでないわ馬鹿者!」  何かを口にしようとした張勲の腕を引っ張って袁術が廊下の壁に寄る。 「直接言うやつがあるか……まったく。そそっかしいのう、七乃は」 「すいませーん」 「ふっふっふ……、しかしこれはこれで丁度良いのじゃ」 「そうですね。これは絶好の機会ですよ、美羽さま」  一刀を横目で見ながら二人はこそこそと話しているがだだ漏れであり、会話の内容から二人が何かを企んでいるのを窺い知ることができる。  些かの警戒心を抱きつつも一刀は二人の様子をただ黙って見守る。  話し合いを終えた二人が一刀の元へと戻る。 「主様、主様ー。少々妾へ視線を留めたままにしてたもれ」 「わかったけど一体どうしたんだよ?」  首を傾げて疑問を投げかけた一刀を無視して袁術はゆっくりした動きでつま先を立てて背伸びをする。徐々に二人の身長差が縮まっていく。  段々と頭突きでもしてきそうな姿勢を取る袁術に一刀が何をするつもりだろうかと思うのと同時に、袁術が口元をにやつかせる。 「うふふ、主様。何かこう、すべきことがあるのでは――」 「あ! あれは何でしょう」  廊下から見える庭園の方を指さして張勲が大きめの声を出す。 「え? どれどれ?」  袁術が何か言っていた気もするが、一刀はそれよりも張勲の指が指し示す先に気を取られ目を懲らしてそちらをじっと見つめていた。  視線を何かあるらしい箇所及びその近辺に何度も巡らしてみるが何も見つからない。 「何もないような気がするんだが……」 「あらぁ? 見間違いだったみたいですねぇ」  悪びれもせず至っていつも通りな様子で小首を傾げる張勲。 「おいおい、何と間違えたんだよ。それで、美羽はさっきなんて――」 「あのぉ……それより」  一刀の言葉を遮りながら張勲は人差し指をピンと立てて惚けた表情をしながら口を開く。 「時間、大丈夫なんですか?」 「あっ! ……やばっ、忘れてた。悪い、俺はこれで!」 「ちょ、ちょっと主様ー! 妾の――もがっ」  袁術の呼ぶ声が背に降りかかってきたが途中で途切れる。一刀がちらりと背後へ目をやって確認すると袁術が張勲によって口を塞がれていた。 「もがーもががーもがっ!」 「……うふふ、美羽さまってば――」 「さすがに、朝っぱらからの大声は迷惑になると判断したか……いや、七乃らしくないな。にしても……はぁ。どやされるな、こりゃ」  じゃれあう二人から視線を戻すと、向かう先で待つ鬼の面を想像して一刀は背中が重くなるのを感じた。  †  廊下を一目散に進んでいく一刀の背中が完全に見えなくなったところでようやく袁術は拘束から解放された。 「ぷはっ、な、何をするのじゃ七乃!」  怒りを露わにして袁術は睨み付けるが張勲は何処吹く風、にこにこと微笑んでいる。 「え? だって、美羽さま。御自分で仰ったじゃないですか……『直接言うやつがあるか』って」 「わざわざ口真似せんでよいわ……ふぅ、確かに妾が言うたのう」  張勲の言うことももっともとばかりに袁術は腕組みして頷く。 「でしょう? ですから、美羽さまがばらしちゃいそうだったのを抑えるためにああしたんですよ」 「なるほど、そうであったか。うむ、ご苦労であったな、七乃」 「いえいえ、美羽さまのためですからこれくらいどうということありませんよ」 「そうかそうか、あっはっはー! その忠実ぶり妾は誇りに思うぞ七乃よ!」 「あっははー。美羽さまは本当にあれですね。頭の一文字に獣偏が似合いそうですねえ」 「……?」  張勲が何を言っているのか分からず袁術は小首を傾げる。張勲はただ口元に微笑を称えたままだった。  そのまま張勲は疑問を抱える袁術の手を引いて歩き出す。 「さ、次の作戦を考えましょう」 「う、うむそうじゃな。ところで、獣偏ってどういう意味なのじゃ?」  自然と話題を変えようとする張勲に質問を投げかける袁術だったが邪魔するように廊下の角から乱入者が現れる。 「あーらあらあらあらあら。美羽さんではありませんの」 「れ、麗羽……姉さま」  掘削に使用したら非常に便利そうな巻き髪をいくつもぶら下げた従姉の袁紹がそこにはいた。 「こんなところで何をなさってるんですの?」 「え、えっと……いや、七乃と散歩にでも行こうかと……空気もおいしいですから」  目一杯頭脳を回転させて取り繕う言葉を並べていく。気がつけば思考に集中した影響であるかのように廊下を進んでいた足が止まっていた。 「あら? 変ですわね。美羽さんがいたのは一刀さんの部屋がある方ですわよね? 外に出るにしても美羽さんの部屋からすると一刀さんの部屋とは方向が違うのではなくて?」 「…………そ、そんなことより。麗羽姉さまはどうしてこちらへ?」  なんと答えても良い結果が返ってこなさそうだと判断し袁術はあえて質問に質問で帰す。 「そ、それは……そうですわ! あの男が斗詩さんをたぶらかそうとしているというので猪々子と共に少々お灸を据えに行こうとしていたのですわ。おーっほっほっほ!」 「な、なんと……主様がそのようなことをしたのですか!?」  袁紹の言葉に軽い衝撃を受けながらも袁術は確認するように聞き返す。  すると袁紹は素早く首を縦に振りながら見えない誰かを捲し立てるように早口で喋る。 「ま、間違いありませんわ。だから、斗詩さんと猪々子と共にこうしてわたくし自らがわざわざ来たんですの。ですわよねえ、二人とも」  袁紹が振り返って二人に同意を求めるが当の二人は張勲と何やら話している。 「あまりそのような雰囲気は感じませぬが?」 「そ、それよりも。散歩に行くんでしたらさっさと行ったらどうですの?」 「麗羽姉さまこそ、主様の元を訊ねるのならお早くするべきなのでは?」  早いところ袁紹と道を別にしたいと思いつつそう促すが袁紹は渋い顔をするだけで答えようとしない。 「麗羽姉さま?」 「……はあ、そうですわね。ほら、二人ともさっさと行きますわよ」  そう言って袁紹はせかせかと足早に歩き出す。その後を慌てておつきの二人がついて行く。 「あれ? 麗羽姉さま。そちらは部屋と反対ですけど?」 「どうせ、いないのですから行く必要ありませんわ」  その言葉を残し袁紹たちは去っていった。 「むむむ? 何故、あやつは主様がおらぬと知っておったのじゃ?」 「さあ、どうしてでしょうね?」 「不思議じゃのう」 「美羽さまの頭ほどじゃありませんよ」 「ん?」 「お嬢さまの可愛さは不思議ですと行ったんですよ。ふふ」 「うむ、妾の魅力はそう簡単には推し量れぬのじゃー!」  ご機嫌になる袁術。もう袁紹のことについての疑問は消えていた。 「さ、それよりも一刀さんの周囲にいる人にでも当たってみませんか? 雛里ちゃんとかいいと思うんですけど」 「雛里か、うむ、そうじゃな。そうするとしようかの」  張勲と顔を見合わせると袁術は鼻歌交じりの軽い足取りで袁紹が消えたのと同じ方角へと駆け出すのだった。  † 「ようやく解放された……」  午前の政務を終えた一刀は腰をとんとんと小突きながら廊下を進む。今日も今日とてこってりと絞られたわけで緊張状態に陥った身体のあちこちがガタガタになっている。 「たく……詠ももう少し優しくしてくれてもいいのに」  そう漏らしながらも厳しい態度を取るのは一刀を思えばこそ……それは元いた時代において一学生でしかなかった一刀にも十分身にしてみている。  だがそのことと多少は緩めてほしいと思ってしまうことは関係なく、疲労感もぼやきも止めようと思って止められるものではなかった。 「大丈夫ですか?」 「どうしたんだよアニキ」 「いや、ちょっと疲れたなと。それよりもどうしたんだ二人してこんなところで。何か用事でもあるのか?」 「ん? ああ実はさ、麗羽さまから面倒なことを押しつけられちまってよー」  頭を掻きながら溜め息を吐き出す文醜。袁紹によって周りが迷惑を被るのはむしろ普通のことなのだと一刀もすっかり慣れてきており特にそこに関しては何も言わない。 「面倒ごとって何のことだ?」 「そりゃあ――もが」 「文ちゃん!」  慌てて文醜の口を閉ざす顔良に一刀は首を傾げる。 「あ、あはは。何でもないんですよ」 「いやでも、猪々子が今何か」 「いえいえ、ちょっと失礼しますね。ほら、文ちゃん」  妙に硬くぎこちない笑みを浮かべると顔良は文醜の耳をひっぱりながら廊下の隅へと移動する。 (何か朝もこんなことあったような気がするな……)  自分の周りで一体何がと一刀は懐疑的になる。何よりも両者が共に袁家関係者なのが妙に不安を掻き立てる。  と、一刀の鼓動が嫌な予感に早鐘のようになり始めたところで三人の元へ足音が近づいてくる。 「なんですの、その顔は。相変わらずなっさけない男ですわねえ」 「……悪かったな。情けなくて」  呆れ返ったように半眼で見てくる袁紹に一刀はため息混じりに答える。 「そんな当たり前のことどうでもよいのです。それよりも……その」 「……?」  先ほどから顔良や文醜に感じていたのと同じ感情が一刀に湧いてくる。一体何が言いたいのか、そして躊躇している理由がなんなのかがわからない。天上天下唯我独尊が別名と行っても差し支えないような袁紹にしては異常だ。  疑問に継ぐ疑問で一刀は次に何を言えば良いか迷う。 「どうしたんすか麗羽さま。ちゃっちゃと言えばいいじゃないですか。あた――」 「お黙りなさい!」 「な、なんだよ、唐突に……」  大声を張り上げた袁紹に一刀は耳を押さえながら抗議の声を上げる。  袁紹は何故か眼を泳がせながら頬を掻いている。 「で、ですからその……ですわね」 「あー、悪い。ちょっと用があるんで時間かかるようならもう行くぞ」 「え? お、お待ちなさいな!」 「いや、待ち合わせだから遅れるわけにもいかないんだよ。それに言い出しにくい話ならまた後でゆっくりと聞いた方がいいと思うんだ。なんだったら部屋に来てくれればいい」  そう言うと、一刀は要領を得ないまま三人に別れを告げて待ち合わせ場所へと向かうおうと足早にその場を後にするのだった。  †  袁紹たちは逃がした一刀をそのまま放置するのをよしとせず、すぐさま後を追っていた。  少々真剣な表情をしている彼女をすれ違う者たちがじろじろと見てくるがそんなこと袁紹には関係なかった。  よほど急いでいるらしく一刀は廊下をほぼ全速力で駆けている。  何とか声をかけようと体力自慢の文醜を先に行かせようとするが、その前に一刀が人と衝突してしまう。 「どこ見てやがるのですか!」 「それはこっちの台詞だよ……ったく」  睨み付ける陳宮をいなしつつ一刀はもう一人の方を見る。 「よ、恋。もしかして昼食か?」 「…………」  短い間隔でこくりと頷く。  よく見れば呂布の手には大きな包みが収められている。口からは湯気が漂っておりそれを見てるだけで空腹感が気になり始めてしまい袁紹はそっと腹部をさする。 「しかし、急ぐのはいいが、ちゃんと周囲に注意を払うんだぞ」  一刀は苦笑を交えながらも陳宮の頭をぽんぽんと掌で叩き軽く撫でる。 (な、なんですってー! 今のどこにそんなことする理由があったんですの!) 「気安く触るなです!」  一刀の手から逃れた陳宮が廊下の壁を使用して三角飛びをして上空へと舞う。 「ちんきゅーーーーきーーーーーーーーーーっく!」 「ぶるぅあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」  奇妙な悲鳴を発しながら一刀が空を切り裂き優雅に舞う。  そして、無様に顔面から着地。 「…………痛ぅ」 「ふん。ざまーみろなのです!」 「……ねね」  胸を張る陳宮を戒めるように呂布がじっと見つめる。  たったそれだけのことだが陳宮はたじろいでいる。そして、がくりと項垂れた……どうやら負けたらしい。 「あの方たちは一体何をしているんですの?」 「さあ? ……あ、アニキがいっちまう!」  一刀は起き上がりついでに呂布の頭までも撫でると苦笑混じりに立ち去ってしまう。  袁紹たちも追いかけようとするが、既に彼の姿は小さくなり尾行は断念せざるを得なくなってしまった。  仕方なく取り残されたままの呂布と陳宮の元へと歩み寄る。 「まったく、あいつはほとほと迷惑なやつなのです」 「……あれはねねが悪い」 「で、でも――」 「ちょーっとよろしいかしら?」 「なんなのです。くるくるおばさん」 「おばっ!? 相変わらず失礼ですわね、このチンクシャは!」  一瞬で沸点に達した袁紹は怒鳴り声を上げる。すると何故か左右の文醜と顔良に腕を拘束される。 「麗羽さま、大人げないっすよ」 「そうですよ。ここは寛大な心でいきましょうよ」 「……ま、まあ仕方ありませんわね。この慈愛の伝道師たるわたくしですからこれくらいのことで起こったりはしませんわ」 「なんだか面倒くさそうなおばさんですのぉ」  肩を竦めてそう言うと陳宮は鼻で笑う。袁紹の中でぶちっという音が鳴る。 「ま、またおばさんと……ちょっと、恋さん! 一体このちびっこ軍師にどのような教育をなさってるんですの?」 「ちびっこって言うなー!」 「…………」 「え、ええと……聞いておりますの?」 「…………」  小さく頷く呂布。  どうにも袁紹には呂布の反応が判別しにくく感じられてしょうがない。そう思い眉を顰める袁紹に呂布がぺこりとお辞儀する。 「…………ごめんなさい」 「い、いえ。いいんですのよ」  感情の程が見えてこない呂布にまともに怒りをぶつけても意味はないと判断し袁紹は話を切り替える。 「それで、どうしてあなた方は一刀さんにその……あれをされたんですの?」 「何を言ってるのかわからないのです」  小首を傾げる陳宮に袁紹は口ごもりながら説明をしていく。 「なるほど……言いたいことはわかりました。しかし、力にはなれないのです」 「何故ですの? このわたくしが頼んでいるのですわよ!」 「そう言われてもねねは望んでされているのではないわけで、勝手に向こうが頭を触ってくるのですからへぼ主人の誑かし方なんて知るわけがないのです」 「た、誑かすわけではありませんわ。無論、やろうと思えばそれくらいわけありませんけれど」 「ですよね。だって今麗羽さまが追い求めてるのって昨日のあれを見たから――」 「おだまりなさい! それじゃあ、恋さんはどうしてかおわかりなのかしら?」  そう言ってみたものの本人の表情からして答えは期待できないだろう。そう袁紹が達観するのと同時に代理とばかりに陳宮が答える。 「恋殿は純粋ですから……そこに惹かれるのです」 「それだったらあたいと同じだな」 「恋殿とでは意味が違うのです。恋殿はまさに純真無垢。そっちは純粋な馬鹿……一緒にしないでもらえますか」 「ば、馬鹿だとコノヤロウ!」 「やる気ですか!」  ふーと喧嘩腰の猫のようににらみ合う文醜と陳宮。だが、呂布が先ほど一刀と揉めたとき同様に諫める。 「…………ねね」 「恋殿ぉ」  呂布に怒られて陳宮がしょぼくれる。 「へへん。ざまーみろ」 「文ちゃん」 「な、なんだよ斗詩……」 「小さい子相手にそれは流石にみっともないよ」 「誰が小さい子なのですかー!」  今度は文醜を叱る顔良に食ってかかる陳宮。  騒々しい少女たちを見ながら袁紹は溜め息を吐いて肩を落とす。 「なんだか参考になりませんわね……」  これといった収穫もなく袁紹は首を捻る。  こうなればもっと別を当たるしかないと袁紹は行き先について思案を巡らしていくことにした。  †  袁術は中庭にある休憩所で湯飲みを持って座っていた。晴れ晴れとした空から降り注ぐ陽射しが庭を一層のどかなものへと変化させている。  無論、湯飲みには蜂蜜たっぷりのお茶が入れてある。  蜂蜜茶を啜りながら袁術は思ったことを目の前でにこにことしている張勲に訊ねる。 「のう、七乃」 「なんですか?」 「もしかしてわかっておったのではないのか?」 「なにがですかー?」  張勲がのんびりとした声色で返答する。顔は寸分違わぬにこやかな笑みのままである。 「雛里が仕事で自室におらぬということじゃ」 「ああ、そのことですか」 「やはり、知っておったのであろう?」 「ええ、知ってましたよ。当然じゃないですか」 「……なんで妾に教えずにおったのじゃ」  僅かに低い声で問いただすが、張勲は相も変わらず脳天気な顔をしている。 「だって、やる気になっていたようでしたからそれを台無しにしては悪いじゃないですかー」 「むう、そう言われると怒るに怒れぬのじゃ……うむ、気遣いご苦労」 「いえいえ美羽さまのためでしたらそれくらいなんでもありませんよ。それでですね。実はこの後の雛里ちゃんの予定、仕入れておきましたよ」 「ホントかえ?」  予想外の報告に袁術はわずかに腰を上げる。 「はい。実は、もうすぐこちらを通るはずなんです」 「なんと、それを見越してここでお茶にしたのかや?」  袁術は身を乗り出して張勲の顔を見つめる。 「ええ。事前に情報を抑えて先手を打つ。そうすれば果報は向こうからやってくるものですからね」 「それは大義であったのじゃー! しかし七乃もたまにはまともなことを言うものじゃな」 「そうですね。美羽さまほどではありませんけど」 「うははー! そうであろうな。うむ、妾ほど理に適った者はそう居らぬ。麗羽なんぞに至ってははそれこそ妾の足下にも及ばぬであろうぞ」 「どっちもどっちですし。そもそもが逆なんですけどね……ま、かわいいからいいですけど」  張勲の言葉もご機嫌真っ盛りな袁術の耳には届かなかった。  と、そんな二人から見える位置を小さな影がとことこと走っている。 「お、あれは雛里じゃな。七乃の言う通りじゃったの」  いつもと異なり鳳統はとんがり帽子を被っていない。代わりに一刀曰くバブーシュカなるもので頭部を覆っている。しかも、董卓が普段来ている服に似たフリル付きの前掛けをしている。 「どうしたんでしょう? 何やら急いでいるようですけど……手に持ってるのは何なんでしょうね」 「なんにしても行けばわかるのじゃ、ほれ七乃、ついてまいれー!」 「はいはーい」  二人はささっと軽い足取りで鳳統の方へと向かって僅かに駆け足になって向かう。と、その時、 「お、雛里もちょうど来たって感じだな。それで一体何の用なんだ? そんなに息を切らせて走ったりするようなことなのか? まさか、結構重大な話だったりするのか?」  今まで死角になっていた箇所に一刀の姿を見つけた。 「ぬ、主様!? い、いかん……隠れるのじゃ、七乃」  突然現れた一刀に気が動転する中袁術はそう言うと張勲と共に近くの茂みへと身を潜める。 「はぁ……はぁ、あ、あのお菓子を作ったのでもしよければと思いまして……ふぅ」 「へえ、美味そうだな。どれ早速一つ……」  額に僅かな汗すら浮き上がっている鳳統に対して嬉しそうに微笑みながら一刀は彼女の持つ手籠から一つ摘んで口へと頬張る。  目を瞑り一刀はよく味わうようにしてもごもごと口を動かしていく。 「んっ……うん。美味いよ。すっごくおいしい。甘いんだけど丁度良い感じで調整されてるから逆にさっぱりして食べやすいな」 「……良かったです。まだ結構あるので良かったらこの後、一緒に食べませんか?」 「うーん、非常に魅力的な誘いなんだがこれから街の警邏に行かなきゃいけないんだ。ごめんな」 「……いえ。お仕事お疲れ様です」  口では一刀を気遣っているがその表情は隠しているようだが僅かに曇っている。袁術にはそれがはっきりとわかる。これもそれなりの時間をともに過ごした結果であると袁術は自負している。 「ま、主様には雛里の演技は見破れぬであろうがな」 「そうでもないみたいですよ」  張勲の言葉に再度二人へ意識を戻す。 「本当にごめんな。それと……ありがとな」  一刀の言葉が袁術の耳に届いたとき、一陣の風が吹き、それによって飛び交う砂埃のために彼女は思わず目を閉じてしまう。 「ぬぅ……眼にゴミが入ったのじゃ。んっ、――あ」  再び開いた袁術の瞳には先日見た幼女のように幸せそうな空気を振りまく光景が映った。  僅かに腰を屈めた一刀、その腕の伸びる先には朱に染まる顔でうつむきがちな鳳統。  いつも彼女の身長を増やしている先の折れたとんがり帽子が今は無い。そのため一刀は布越しとはいえ鳳統の頭を満遍なく撫でることができている。 「うむむ……雛里……裏切り者めえー」  鳳統の裏切りに袁術は頬を膨らませる。  ぷうと膨らんだ袁術を余所に一刀と鳳統の会話は続き、ようやく一刀がその場を後にしようとする。 「それじゃ、俺はこれで。また今度声かけてくれると嬉しいかな」 「……あ、はい。そのときは是非!」  互いに手を振って別れる二人、袁術の機嫌は未だ曇りのままである。 「ずるいのう……雛里」 「美羽さまと違う意味で保護欲がかきたてられる娘ですからね……」 「そうなのかえ?」  頬の空気を抜きながら袁術は首を傾げる。 「ですから、美羽さまにもそういった魅力があるということなんですよ。ほらほら、自信を持ってくださいよー」 「……そうじゃな。うむ、妾に不可能はないのじゃ!」 「それはどうでしょうね?」 「水を差すでないわ!」  張勲につっこみを入れた勢いで袁術は駆け出す。いまだ幸せなそよ風を巻き起こす発生源へ向けて。  †  主人の姿が見えなくなるまで鳳統は小さくではあるが手を胸元で振っていた……小さくではあるが胸なのである。  暖かな気持ちにぽわぽわと地に足が付いていない状態の鳳統の耳に地響きのようなものが入りこんでくる。  砂煙が舞いそうな勢いで駆けてくる人影がそこにはあった。何事かと全身を固くする鳳統の前でその人物が止まる。 「…………」 「えっと……美羽ちゃん?」 「……のじゃ」 「え?」  興奮しきった様子の袁術が荒い息に交えて言葉を発するが聞こえない。鳳統は対応に悩みつつ再度聞き返そうとする。  そのとき、僅かにうつむきがちだった袁術がばっと顔を上げる。 「雛里はずるいのじゃ!」 「……え? え?」 「ずーるーいーのーじゃー! 雛里はずるいのじゃー!」  どたばたと暴れる袁術。その姿はまるで山で遭遇した猛獣の猛々しさを彷彿とさせる。 「え、えっと……」 「どうすれば雛里のようにやれるのじゃー!」 「……な、なんのこと?」  急に責めるような言葉を並び立てられても鳳統にはどうしようもない。  それに袁術がだだっ子同然と化している理由も彼女が何を知りたいのかも不明確すぎる。それでは鳳統が答えたく思っても答えようがない。 「えっとですねー、一刀さんと懇意になるにはどうしたらよいのでしょうか、というのをお聞きしたいんですよ」 「……あ、七乃さん」 「どうもー、こんにちは」  いつの間にか袁術の傍に姿を現した張勲が頬を緩めたまま鳳統に向かってふりふりと小さく手を振る。  ぺこりとお辞儀をして返すと鳳統は額に人差し指を当てながら袁術へ声をかける。 「……えっと、ご主人様と仲良くなりたいの? でも美羽ちゃんだって十分仲良しでしょ?」 「ちーがーうーのじゃー! そういうのじゃなくて別のことなのじゃー!」 「あわわ……と、とにかくおちちゅいて……はぅ」  暴走している袁術に鳳統もどうしたものかと内心混乱状態へと陥り始める。  そんな二人を取りなすように張勲が袁術へ話しかける。 「ほら、美羽さま。ちゃんと説明しないと雛里ちゃんが困っちゃいますよー」 「……むう。それもそうかもしれぬな」  張勲の一言ではたと我に返る袁術。鳳統は自身も落ち着こうとほっと胸をなで下ろす。  気を取り直すと改めて袁術に根本部分を問いかける。 「……それで何が知りたいの?」 「うむ。それはじゃな。主様にその……あの。のう、雛里よ」  指をもぞもぞと動かしながら袁紹が伏し目がちに見てくる。 「……なんですか?」 「雛里はどうして頭をなでなでしてもえるのかの?」  袁術の口にした質問が予想外すぎて鳳統は瞬間、思考停止に陥った。  †  部屋の中に四人の少女らがいる。その中でも一人だけ際だって深刻な顔をしている。  それは目の前の少女が羨ましがりそうな巨大な乳房を上方へ押し上げるように腕を組んだ袁紹だった。  丁度良く時間が空いていた董卓に彼女の部屋で話を聞こうと試みているところである。 「ご主人様との仲ですか?」 「そうです。月さん、貴女は一刀さんと過ごす時間というのを他の方々よりも多くお持ちだとお聞きしましたけれど、その辺りどうなんですの?」 「それは、まあ、ご主人様のお世話が私の主な仕事ですから」  そういってにこりと微笑む董卓。その笑みは幸せをよく噛みしめた者こそがなせるもの。  袁紹は確信する。この少女から話を引き出すことができれば勝ったも同然であると。 「では、単刀直入に聞かせてもらいますわよ。先程、一刀さんに……あ、頭を……触られていたようですけれど、一体どうしてなのかしら?」 「え? み、見てたんですか」 「無論、ばっちりと見ましたわ」 「……へぅ」  顔中を真っ赤に染める董卓。頭から湯気が出るのではないかとすら思える。 「あらら、固まっちまいましたねえ」 「ちょっと、まだ答えてもらっておりませんわよ!」  興奮した袁紹が董卓の両肩を掴んで前後に揺する。董卓の小さな頭ががくんがくんと揺れて彼女は眼を白黒とさせている。 「へ、へぅぅ……め、目が回りますぅ」 「れ、麗羽さま、落ち着いてくださいよ。それじゃあ、答えられませんってば」 「そ、そうですわね。申し訳ありませんでしたわ」 「い、いえ……お気になさらず……うぅ」  手を振って気にしてないと表しているが頭の方はいまだ揺れており眼がくるくると回っている。 「そ、それで……一体、どうやったんですの?」 「真心を込めてご主人様のために……お世話をしただけです」 「そんな回りくどい言い方でなく、詳しく教えてくださいな」 「そう言われましても、その……本当に身の回りのお世話をしただけですので。お部屋のお掃除をしたりお茶をご用意したり……私にできることをしただけなんです」 「本当にそれだけですの? 何か特別な物を送ったりとか」 「してませんよ。むしろ、ご主人様から頂くことの方が多いかもしれません」 「ど、どうしてですの……わたくしなんて稀にしか……」 「あ、でもご主人様のお世話とお礼に関してでしたらそちらの斗詩さんも」 「なに? ホントか、斗詩!」 「え? な、何二人とも、顔が怖いよ……ちょ、ちょっ――」  今まで袁紹の傍にいながらも隠していた事実に彼女は顔良へと詰め寄る。文醜も目を血走らせながらじりじりと距離を詰めていく。  そうしてついには顔良の背中が壁に付くまで追い込むと袁紹は彼女の瞳をのぞき込むようにして問いかける。 「さあ、キリキリ白状しなさいな! 一刀さんに頭をなでられたと? どうなんですの!」 「そ、それはその……」 「そういや、ちょくちょくいなくなったりしてたが……まさかその度にああいう格好でアニキの元に?」 「…………も、黙秘しても?」 「駄目!」袁紹と文醜は同時に答える。 「ひーん。た、助けて月ちゃん……」 「月さん……そうですわ! 斗詩さんが自分から言えないというのならば月さんにお聞きしましょう」 「それいい考えですよ麗羽さま。よし、斗詩はあたいが動きを封じておくので今のうちに」  そう言うと文醜は顔良を包み込むように抱きしめる。息の荒さとその異常な眼差しからすると乙女に襲いかかる変質者のようだと袁紹は密かに思う。  顔良が悲鳴を上げているようなきもしなくはないが袁紹はそれを無視して董卓の前に再度腰を下ろす。 「では、語っていただけますかしら?」 「は、はあ……ええと……」  董卓が困ったように視線を漂わせる。袁紹はただ黙って彼女が答えるのを待つ。そう、ただただ強い視線を送りながら待つ。  と、そこに 「月-、いる? ……って、何これ」  董卓と同じ格好をした賈駆が入ってくる。 「あら? どうしたんですの、その格好」 「べ、別になんでもないわ! それよりも、あんたたち月のところで何をしていたのよ」  眉を吊り上げながらきっと睨み付けてくる賈駆。袁紹はそんな眼から視線を逸らすことはしない。 「いえ、少々情報集めに来ただけですわ。さ、月さん。邪魔が入りましたが今度こそ……」 「なんのこと? 月、こいつらに何を強要されてるの?」 「あの、斗詩さんと一緒にご主人様のところに行った時のことで」 「ああ、そのことね。そういえばわざわざ専用のめいど服まで作ったていたわよね」  瞬間、袁紹の視界から外れたところで妙な圧迫感が発生する。袁紹もすかさず発生源付近を睨み付ける。 「ひぃぃー、お願いですから……あ、あまり余計な事は言わないでもらえませんか」 「あれ? もしかしてボクいらないこと喋ったかしら?」 「そんなことありませんわよ。十分役に立ちますわ」 「そう、それじゃあ――」 「なんですってぇ!」 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!」  その後、顔良の悲鳴が留まるところを知らぬ程あたりに何度も響き渡ることになった。  †  日も暮れてすっかり辺りも漆黒に塗りつぶされた頃。ようやく一日の予定を終えた一刀は重い足を引きずるようにして自分の部屋へと向かって歩いていた。  彼はこの一日の間であった妙な出来事を思い返していた。 (麗羽といい美羽といいなんだったんだ……)  どちらもいまいち要領も得られなかったという共通点。そこに何があるのか一刀は不安を覚えずにはいられない。 「そういや、麗羽どうしたのかな……」  後々話を聞くなんて行っておきながら自室へ戻れることになったのは夜も遅い。袁紹の性格からしてこんな時間まで待っているとは思えない。  せいぜい顔良、文醜を遣いとして来させるくらいしかしないだろう。  そんなことを思いながら戸を開けると、そこには予想だにしていなかった光景が広がっていた。 「おわっ、な、なんだ?」 「お、おかえりなさいませ……」  混じり合う二つの声にぴたりと足を止める一刀。その視界には顔を紅潮させているところから放つ雰囲気まで似ている金髪の凹凸二人組が手を前で組んだままうつむきがちに上目で見てくる姿があった。 「え、ええと……二人ともどうしたんだ? というかその格好は……何?」  待ち構えていた二人の格好は、先ほどの出迎えの言葉同様に彼女らの性格に全くあっておらず一刀は違和感を覚えっぱなしである。  何とも言えない一刀を訝しむようにしながら袁紹が近づいてくる。 「どうしましたの? 早く、中に来れば良いではありませんか」 「そうなのじゃ。ほれほれ、とにかく腰を落として楽にするとよいのじゃ」  二人に腕を引っ張られながら一刀は改めて姿を上から下までじっくりと眺める。 (いやいや、よく見ればこれはこれで……)  落ち着いて見れば二人ともメイド服を良く着こなしている。いやに自信たっぷりで高圧的なのを覗けばまあまあといったところ。  袁紹はすらりと伸びた足を梅の花のように白い靴下が膝上まで覆っており、きゅっと締まった足首からむっちりとした太腿まで自然と眼でなぞってしまう。 (ハイニーソックスに丈の短いフリルのスカートか……うおっ、まぶし――)  一刀は先ほどから高低差があれば間違いなく中身が見えるだろう薄桃色の腰布と腿靴下の間にちらりと見える袁紹の太腿が目に付いていた。その露出具合は普段と大差ないはずなのに服装が違うだけで反応が変わってしまっている。 「どうじゃ? 似合っておるかの?」  そういって訊ねてくる袁術の服は柑橘系の果実のような橙色。そして、袁紹とは異なり袁術の靴下は短く、足首までしかない。 (ショートクルーに裾の広がりが大きいスカート、美羽はどっちもフリルがついてるようだが……うむ、いいアクセントになっているな……)  鳳統が履いているような靴下は小柄な袁術にもよくあっており、彼女の幼さがより強調されている。  何にしてもどちらもよく似合っているのは間違いない。 「特注ですのよ。これ」  席に一刀を座らせると袁紹は「ふふん」と鼻をならしながら生地を摘んでみせる。  それに驚くよりも一刀の内心は「きっと麗羽のことだから何か無茶な注文をしたのは間違いないんだろうな」という仕立てを担当したであろう服屋への同情で満ちあふれていた。 「……にしても、またどうして。いや、というかなんでそんなことまでしてるんだ?」 「まあまあ、主様。それはおいおいわかるはずなのじゃ。それよりも、何かしてほしいことなぞないかのう?」 「ううん、そうだな……何でもいいや。こうして二人の貴重な姿を見てるだけでも大分癒やされるし」  背もたれに寄りかかって二人を視界に納めてじっくりと観察する。 「そ、それは当然ですわ。ですが、それでは意味がないんですの」 「そうなのじゃ、ほれ、頼み事をさっさと言ってみるがよいぞ!」 「そう言われてもな……」  一刀は返答に窮して黙り込む。袁紹にしても袁術にしても下手に何かをさせれば一刀自身に災いが降りかかってくることは間違いないと予測されるからだ。  沈黙を通す一刀の態度をどう受け取ったのか袁紹は自信ありげに胸を張る。 「わかりましたわ」  メイド服の前掛けが腰布からくびれた腰までしか覆っていないため袁紹の胸に実っている巨峰がたゆんたゆんと揺れるさまが一刀にもしっかりと観測可能となっている。  袁紹は従妹にはとても真似のできないであろう動きをする象徴的な存在に眼を奪われている一刀にいつもの出所不明な自信で満ちあふれた笑みを浮かべる。 「いいでしょう。貴方が遠慮しているのはよくわかりました。ならばいつもあの娘たちにさせていることを言ってごらんなさいな」 「それは名案です。是非ともそれでいきましょう。さ、くるしゅうないぞ。言うてみるがよい」 「いや、別に……遠慮したわけじゃ……はぁ。そうだな、まずしてもらってるのはお茶の準備とか」 「まかせるのじゃ!」  飛び跳ねるようにして袁術が駆けだす。彼女はしばらくして湯飲みなどを乗せた盆を持って戻ってきた。 「主様、どうぞお茶を」 「お、ありがとな」  感謝の念を忘れずに湯飲みを受け取るが、袁術は一刀をじっと見たまま動かない。 「え、ええと……」 「…………」 「な、なにか?」  掌にお茶の熱さを感じて喉をごくりと鳴らしながらも一刀は飲むことができない。 「こう、何かあってもしかるべきではないのかや?」 「さ、さあ?」  袁術の何かを期待する瞳に気圧されながら一刀は首を捻る。 「むぅ……」 「さ、そんなことより冷めないうちに飲むべきではありませんの?」  何かを求められているのかがわからない一刀が頬を掻いて答えに迷っているのを余所に袁紹は湯飲みを袁術から奪うようにして手に取ってさりげなく一刀の隣を陣取る。 「そうじゃな。折角のハチミツ入りのお茶が勿体ないのからの」 「ふぅ、よかった……ん、うまいな」  ほのかな甘みと茶の温もりに心を落ち着けながら一刀は袁紹と逆隣に座った袁術を見る。  茶を啜ると袁術は良い出来に納得がいったのか頷く。だが、どこか満足そうではない。 「でも、以外だな。こういうのって七乃がやってるんだと思ってた」 「うむ。普段はそうじゃ。今回は雛里に教えて貰って頑張ってみたのじゃ」 「ふうん、そっか。それじゃ、じっくりと味わって飲まないといけないな」  そう言って微笑みかけると一刀はゆっくりと茶を口へと注ぎ丹念に味わっていく。  無為に扱っていないのに何故か袁術はむくれている。不満を詰め込んだかのように頬をぱんぱんにさせた状態のまま上目で一刀を睨んでいる。 「それよりも一刀さん。ここのところ仕事に追われているようですが肩がこったりしているのではなくて?」 「んー、確かにそうかもな」 「では、おほん」  咳払いをするやいなや袁紹は立ち上がり一刀の肩を揉み始める。 「ん、気持ちいいな……」 「随分と凝っていますわね。かちかちではありませんの」 「そうかな。他に気にすることがありすぎて今じゃもうわからなくなってきてるよ」  まったりとした時間が過ぎていく。  袁紹に肩を揉まれるというのは非常に珍しいことだった。それもメイド服に身を包んでいるなど天変地異の前触れなのではと一刀が懸念してします程、普通に考えるとあり得ないことである。 (ちゃんとやればできるんじゃないか……)  かつて滅茶苦茶にやられた時の事を思い出しながら一刀は口元をほころばす。  そんな緊張に硬くなったり癒やされてほだされたりと逆に一刀の身体に悪そうな時間は終わりを迎えた。 「ありがとな」 「別にこれくらい構いませんわよ」  すました顔で静かに着席すると袁紹が身体を寄せてくる。気がつけば袁術の方も距離が狭まっているように思える。  しだいに詰まる空間。  そして、 「い、いたい……痛いんですけど」  ぐりぐりと頭をこすりつけてくる二人。左右から一刀の顔を挟み込むようにしているため頬にめり込んできて口腔内が圧迫されて歯と内壁が互いにつぶし合おうとして痛みを発していた。 「むむむ、美羽さん。邪魔ですわよ」 「れ、麗羽姉さまこそ、主様が辛そうなのでやめたらどうなのですか?」  ぐりぐりぐりぐりぐりぐり  互いに牽制し合う二人は更に力を込めて一刀の顔を圧縮しようとしてくる。 「い、いだだだ。と、斗詩も七乃もなんでこういうときにいないんだよ……」  このような状況で本来ならば止める役である顔良。そして、事態を好転させるか悪化させるか賭けになる張勲。その両者ともこの場にいない。文醜がいない分に関して一刀は逆に良かった気がしないでもなかった。 「むぅ、まだまだ!」 「負けないのじゃー!」  ごりごりごりごりごりごり 「あ、あがががががが」  このままでは歯がくだけ頬の肉が引きちぎられてしまう。そう感じた一刀は咄嗟に鰻が握りしめてくる掌から逃げるように左右から来る力の流れを利用して後方へと押し出されるような形で頭を動かす。  が、次の瞬間、 「う、うわわわわ」  体勢を崩した一刀はぐらぐらと揺れる椅子と共に背後へ向かって倒れてしまう。  背中をしたたかに打ち付け、衝撃がみぞおちあたりまで響き苦しくなる。  一拍子遅れて後頭部が硬い床に微妙な加減で叩きつけられる。 「あ、もう無理です……」  その一言を残して一刀の意識はメイド地獄から離脱した。  †  しばらくして一刀は背中に妙な硬さを感じて目を覚ました。  痛みの残る頭を動かして確認するとどうやら並べた椅子の上で寝かされていたらしい。 「重かったんじゃないのか?」  お世辞にも力持ちとは言えない二人が一刀を乗せたのだろうか。  そんなことを思いつつ一刀は身体を起こす。 「いてて……こぶになってないだろうな」  後頭部をさすりながら一刀は部屋中を見渡す。そしてその眼の動きは一点で制止することになった。  寝台の上で健やかな寝息を立てる二人のメイドを見つけたからだ。  互いに抱き合うような体勢になっており袁術の顔が半分近く袁紹の谷間に埋もれている。一刀はそれがちょっと羨ましかったりそうでなかったり。  袁術の素足と白がまぶしい袁紹のニーソックスのむっちり脚が絡み合いがっちりと互いを離さないようにしている。 「随分幸せそうに寝てるな」  ふっと息を漏らすと一刀は寝台へ歩み寄り二人の顔をのぞき込むようにして見下ろす。 「むにゃ……ぬしさまぁ……頭なで……ふみゅう」 「やれやれ。人の寝台を勝手に占領してここまで気持ちよく寝れるもんかな」 「うるさいですわよ! 駄男……それよりさっさと撫で……すぅ……」 「こっちもかよ……やれやれ、寝顔だけはお嬢さまだな」  苦笑を漏らしつつ一刀は二人の似た髪質の頭をそっと撫でる。  起こさないよう力を抜いたまま動かしほのかに体温を感じている掌。  二人の髪を巻き付けて似ていながらも些細な質感の違いを探索する指。 「ま、たまにはいいかもな。こうやって二人の髪に触れるのなんて稀だし……多分、させてくれないだろうしな」  すやすやと寝息を立てる二人を見ながら一刀はふっと息を漏らし全身から力を抜く。  迎えが来るまではこうしておくのもいいだろう。そう決断して一刀は手の動きを延々と続けていく。  ふと、一刀は思う。  ――貴重な体験というのはする方だけでなく、される方もそう思うものなのだろうか? 「にしても、二人の目的って一体何だったんだろう」  眠る袁紹と袁術の頭を撫でながら一刀は首を傾げるのだった。