「無じる真√N50」  董卓が一刀の元を訪れた翌朝、彼女らがいるのとは別の一室。  そこでは、親友がどのような行動を取っているかなど露知らぬ賈駆が寝台で横になって眠りについていた。  布団の中で寝息を立てていた賈駆がもそもそと動き始める。 「むにゃ……」  しょぼつく目を擦りながら彼女は上体を起こしていく。 「ん……。ふあ、よく眠れた……」  あくびを噛み殺しながら賈駆は何度か素早く瞬きをする。昨夜は知らぬ間に眠りについてしまったことに気がつく。  その上、大分調子も良くなっている。まだ多少後遺症のようなものらしい頭の中にはびこる霞があるが、ちょっとした仕事くらいはこなせそうだ。 「……あら?」  寝台のすぐ横にある卓から取り上げた眼鏡をかけながら部屋中を見渡す。  つきっきりで看病してくれていたはずの親友の姿が見当たらない。 「あんなこと言ったもんだから医者でも呼びにいったのかしら……」  顎に手を添えつつ賈駆は瞳を閉じて唸る。彼女が体調を崩した理由……いや、原因でもある謎の記憶の群れ。  賈駆は親友……董卓に対してそれに関する話をした。 「あの時は、熱でどうかしてたのよね……ボクとしたことが」  恐らく、聞かされた方からすれば意味不明な妄言を吐いているように見えたことだろう。そう思えば思うほど賈駆の中に恥ずかしさが込み上げてくる。 「あーっ! 何てことしたのよ……ああ」  頭を抱え、髪をかきむしると賈駆は首を振って恥ずかしさにのたうち回る。 「そ、そうだ。こんなことしてないで、月を捜さないと」  医者を呼ばれても困るのだ。まさか、あり得ない記憶を急に思い出しまして……などと言うわけにもいかない。 「き、着替え……いや、それよりも今は……ええい!」  寝間着のままいくわけにもいかないがもたもたして医者を呼ばれるわけにもいかないと踏んだ賈駆は一刀の世話をするときに着る服をぱっと身に纏う。  薄い寝間着の上からでも多少尺があるめいど服ならばわりと楽に着ることができる。 (それにしても、とうとうこの服にも慣れちゃったわね……)  気がつけば流れるような自然な手つきで素早い手際だけで着れるようになっていた。天の国に存在するものということだったが、今では賈駆の着慣れたもののうちの一着となっていた。  とはいえ、純白の前掛けまでしている暇はないのでそれは無視して飛び出そうとする。  だが、彼女が手を触れるよりも先に扉が開かれた。  そこからぬっと姿を表す一つの人影。 「ん? なにしとんのや」 「え、え? え? 霞……よね? あんた、何してんのよ」  開かれた扉から入ってきたのは目を丸くしている張遼だった。その手には昨日董卓が使用していたのとそっくりな水入りの桶があり、手ぬぐいが縁にかけられている。 「質問に質問でかえすんはあかんで」 「……そ、そんなことよりも月を見なかった?」 「んー? 月かぁ? そんなら、多分どっかで休んどると思うで」 「つまり、霞は交代したってことなのね」 「ま、そういうこっちゃ」  笑顔で頷く張遼を見ながら賈駆は内心では首を傾げていた。 (月が……ねえ)  あまり董卓らしくない。そう思うのは賈駆が彼女との関係を過信しているからなのだろうか。 「それはそうと。まだ寝とらんとあかんよ」 「え?」 「まったく。ちっとばかし調子を取り戻したからって部屋から飛び出そうとするなんて何考えとるんや」 「……うっ」 「で、何着とるんや? ……ああ、もう一つのほうやな。ふうん、いつ見てもかわええよなあ……これ」  いつのまにか寝台の横に桶を置いた張梁は賈駆が現在身に纏っている軍師服とは違う高頻度で着用するそれ――めいど服を手にとってじっと見つめている。 「なっ!? べ、別にいいでしょ。……そう言うあんたはいつもそれよね」  肩にかけている羽織。その下には健康的な素肌がもろに出ている。ただ、割と豊かな胸に関してはしっかりとサラシで隠している。もっとも胸を隠しているわりにへそは丸出しの状態である。  下は袴で左右の股立ちからは褐色の太腿が覗いており、その露出は賈駆の比ではない。  そんないつも通りの格好をした張遼は難しい顔をしている。 「……そうなんよ。やから、ちょっとこう……なんやったかな。ひめちぇん? いや、いめちぇんやったかな?」 「なにそれ?」 「一刀から聞いたんやけど。なんでも、天の国では印象の変わる格好をして新たな魅力を見せて相手の心を鷲掴みにしようとするっちゅうんを示す言葉らしいで」 「それがどうしたのよ?」 「いや……やっぱり、なんでもあらへんよ。ほらほら、はよう脱いで寝間着に戻りい。体調戻うたからって無理すると、完治せえへんよ」  ほんの刹那のことではあったが張遼の瞳に何か妖しい光が宿った、それを見逃さずに捉えた賈駆の心にその光は妙に印象深く残った。 「さ、脱ぎ脱ぎしよかー」 「……ちょ、ちょっと霞。やめなさいって、ボク、自分でできる――って、勝手に脱がすなー!」 「よいではないかー! よいではないかー!」  満面の笑みを浮かべた張遼が一瞬の間に賈駆の服を脱がしにかかる。 「あーれーっ! ……って、何すんのよ!」 「あんたは、一刀にとっても必要なはずや。それなら、万全な状態で補佐してやりぃ」  脱がしたときと同様に素早い手つきで張遼が寝間着の皺を払っていく。 「べ、別にボクはあいつのために働いてるわけじゃ――んもうっ!」  賈駆の反論に適当に相づちを打ちながら張遼は半ば強引に賈駆を寝台へと戻す。賈駆は不満のため息を漏らしながらも仕方なく布団の中へと身体を潜らせることにした。 「まったく、強引なんだから……」 「にゃはは。これも詠を心配しとるからやで」 「今日は妙に優しいわね。月と交代したりするとは思ってなかったわ」  らしくないことをしている張遼をちょっと小馬鹿にするように鼻を鳴らすと賈駆は腿までを毛布で覆ったまま上体を起こした体勢を取る。  流石に今から睡眠を取るというのは難しいからこれで勘弁といったところである。 「あんなあ……ウチらの付き合いがどれくらいか忘れたんか?」  寝台の傍に腰を下ろしながら大きくため息を吐く張遼の姿に賈駆は驚いてしまう。そんな彼女を気にも留めず張遼は言葉を継いでいく。 「あんとき――珍しく天の御遣いって感じを見せた一刀に新しい道を示してもろうてから、ウチら互いに忙しうなってたまにしか顔を合わせられへんかったやろ?」 「そうね。当時の公孫賛軍にボクらと張り合えるほどの能力を有するような者はだれ一人いなかったものね」  これは誇大表現でもなく事実だった。せいぜい、趙雲くらいのものだろう、賈駆たちと同等の優秀さを誇っていたのは。  だからこそ、賈駆も張遼も重要な役割を請け負い、忙しい日々を送ることになったのだ。  張遼は騎馬の増強。編制されてきた新兵たちの調練を行ったり、一刀が引き入れたという異民族との親睦を深めたりとやることが多かった。  賈駆も公孫賛軍において優秀な軍師としての活躍を望まれ、多忙な日々を送っていた。  ただ、袁紹軍との戦いを通してかつて同勢力にいた陳宮や知力的には使い物にならないが使い道はある顔良が参加したこと。  そして最近、劉備に袁術と大陸に名の知れた勢力を渡り歩いた鳳統がやってきたことで彼女の負担は大いに削られることとなっていた。 「ウチらは長い付き合いの仲間や。なのに月だけに世話させるなんて水くさいやろ?」 「そうかしらね?」 「そういうもんや。まったく……、あんたは何かあっても大抵は月、月はどこ~? やもんな。いくら月を溺愛しとるからてそらあんまりやろ?」 「……う」  手厳しいつっこみにさすがの賈駆も言葉を詰まらせる。 「ま、そういうわけやから。たまにはウチの愛ある看護を受けてみなさいっちゅうことや」 「はぁ、わかったわよ。仕方ないわね」  不満を表すように口をとがらしつつも賈駆は内心で戸惑う気持ちと同じくらい気遣う張遼に感謝の念を抱く。  それを悟られないよう、彼女は張遼から顔を逸らすようにして布団に潜り込んだ。  窓から漏れ入る木漏れ日がゆったりとした時間を演出していた。  †  張遼と賈駆が他愛ない会話をしたりして時間を消費している部屋から少し離れた一角。  庭からも廊下からもそこを通らねば彼女らのいる部屋へと向かうことができない箇所で人影が問答をしていた。 「ですから……何故、邪魔をなさりますの!」 「いや、その手にしてるものがだな……」 「なんですの? 軍師さんが体調を崩したと聞いて、このわたくし、こ、の、わ、た、く、し、が! 丹精込めてつくったお粥をお持ちして差し上げると申しているのですわよ。何か問題でもあるというつもりなんですの?」 「いや、それどうみても粥ではないだろ……色がというか、全てが」 「それはそうですわ。このわたくしが工夫を凝らしたのですから、そんじょそこらの貧乏粥とは訳が違うんですわよ」  華雄の前でむすっとした表情を浮かべる袁紹の手にはお盆があり、その上に唖然とする大きさのお椀がのっている。  その中にはどう表現して良いのか分からない色の液状と個体の混じった何かが存在している。  空のように澄み渡っていそうでありながら太陽のようにギラギラとした暑さを感じさせ、森林のごとく静まりかえった雰囲気を覚えさせ海のような荒々しさが浮かび上がる……ようするに摩訶不思議なのだ。 「すいません。本当にすいません」 「お粥くらい別にいいじゃんかよー」  袁紹の隣では顔良が濃藍の髪とたゆんたゆんと音を立てる豊満な胸を揺らしながら何度も頭を下げて謝っている。  それと対になるように位置している文醜は自身の貧しい胸元とは正反対で盆の上に乗っている常識外れの大きさのお椀と比べても見劣りしない巨乳を持っている主君と同様にむくれている。 「駄目だと言ったら、駄目だ。そんなもの食わされた詠がどうにかなったらたまったもんじゃない」  憤然とした態度で袁紹が睨んでくるが、それをものともしない華雄は首を左右に振る。 「そんなものとはなんですの。この袁本初がわざわざつくったお粥に対してあまりにも失礼ではありませんの!」 「そうだそうだー」 「……あ、あはは」 「アホか……」  巨大な縦巻きにしてある金色の髪を振り回さんばかりにくわっと表情を険しくする袁紹の言葉に文醜、顔良、華雄は三者三様の反応をする。 「あ、阿呆!? 言うに事欠いてアホとはなんですの! いくらなんでもあなた如きに言われる筋合いはありませんわ!」 「なんだと!」  激昂する袁紹に対して華雄も徐々に我慢の限度を迎えようとしていく。自覚はないが、周囲曰く辛抱強さがないというその沸点の低さが原因なのだろう。 「そうでしょう? だって、あなたは戦バカなのでしょう。そう聞いておりますわよ。まったく、戦と聞けば目の色を変える……野蛮ですわねえ。だから、お・馬・鹿さんなんですわよ。おーっほっほっほ!」 「なんでかな、あたいもぐさっときたんだけど……」 「それはそうでしょ」  視界の端で貧と書いて継いで乳と書くものを手で苦しそうに抑える文醜とそれに対して眉尻を下げ呆れに彩られた表情をした顔良が肩を竦める姿が映る。 「なんだよ、斗詩ぃー」 「だって文ちゃんてばたまにご主人様に誘われて賊軍討伐に出ても一人で突っ走るじゃない」 「む、だったら止めてくれればいいじゃんかよ」 「だって、それは――」 「わかった。さてはあんにゃろと……」 「飛躍しすぎだよ!」 「くっそー、斗詩ぃ! あたいのこの抱擁で二人の間にあった愛を思い出せー!」 「きゃあー、抱きしめるって言いながらなんで胸を鷲掴みにしてるの! ……って、揉まないでよー!」 「このこのこのぉう!」  ぐにぐにと形を変える顔良の胸、その弾力は凄まじく文醜の指にいたっては埋没してしまいそうなほどめり込んでいる。  そんな意味の分からない掛け合いをしている二人を華雄は完全に視界から排除して再度袁紹を見やる。 「もう、いい加減通していただきたいですわね」 「だから駄目だ。まったく、何度言えば分かるんだ」  ため息混じりにそう告げると、袁紹は一度むくれるものの瞬時に表情を変化させ、口元を斜めにしてにやりと笑う。 「でしたら、粥さんが一度味見すればよいのですわ。そうですわ! わたくしったら、さすが頭が切れますわね」 「断固断る! というか、いい加減私の名前を間違えるな。華雄だ、華雄」 「どっちでも変わりはしませんわよ。それよりも、早く食べなさいな。そして、『私が悪かったです。申し訳ありませんでした、袁紹様!』と平伏しなさい!」 「巫山戯るな、誰がそんなことするか!」 「むう、しかたありませんわね。こうなったら……猪々子! 斗詩さん!」 「あらほらっさっさー!」  いつの間にかどたばた劇を終えた二人が妙なかけ声で返事をする。妙に文醜の顔がつやっとしているのと顔良の顔がげっそりとしつつも火照っているように見えるのは気のせいだろうか。  そんなことを華雄が思っている間に袁紹のお付きである二人がそれぞれ一本ずつ華雄の腕を取る。 「お、おい、何をするんだ! やめんかー!」 「……ごめんなさい」 「な、何故謝る……って、お、おい、近寄るな。麗羽! くるなーっ!」  じりじりと距離を詰めてくる袁紹、そして、それ以上に迫り来るのは彼女の突き出す手の先にある散蓮華。  肌が出ているために涼しげな華雄の背中を冷たい汗が伝う。血がさあっと引いていくのが全身に伝わってくる。 「さあ、覚悟なさい! 今こそ雌雄を決するときなのですわー!」  袁紹の言葉が当人の意図しているであろうものとは違う意味合いで華雄には伝わってくる。そう、まるで生死をかけた決闘のような緊迫感が袁紹を覗く面々の間に流れているのが感じられるのだ。 「うふふ……なぁに、すぐにすみますわよ」  その言葉を耳にしたとき、華雄の瞳はみずみずしさが溢れそうな蓮華が視界いっぱいに迫っている映像しか捉えることが出来なくなっていた。 「は、鼻……私の鼻はどこにいった?」  先ほどまで鼻腔をつく刺激臭のようなものに頭を痛め始めていたのだが、気がつけばそれが感じられなくなっている。 「鼻ならついてるじゃん。何言ってるんだ?」 「え、それって……もしかして」 「嗅覚をやられただと!?」  感覚を潰すほどのものだとは華雄も思わなかった。最早、袁紹の持つそれは恐怖を煽りじわじわと人を死へと追いやる兵器そのもの。  それを前にした華雄の瞳に映る景色がゆっくりと動いている。 (わ、私の命はここまでなのか……いや、まだだ! まだ終わらんよ!)  ここで諦めるわけにはいかない。その言葉が脳裏に過ぎったとき、華雄の中に沸き上がるものがあった。  武人としてここは守り通さねばならないという、まるで汜水関を守ったときのような想い。  ……そう、関羽を相手取ったあのときのように。 「む? 今のは……何だ? 私は何を――」 「ふんふん、ふんふふーん。――げ、麗羽」 「あら、麗羽さまに……粥さんですね」 「何をしておるのじゃろ?」 「さあ? 取りあえず行ってみましょう」 「うむ、そうするかの」  袁術と張勲が近づいてくる声と足音を華雄はそこにいる誰よりも早く、生死の境を前にして鋭敏になっている聴覚で拾い取った。  ――だが、それに気を取られたことこそが致命的な失敗。  注意が逸れた隙をつかれた華雄は到底お粥とは思えないそれを乗せた蓮華を口の中へと押し込まれてしまった。  †  落ち着きを取り戻した賈駆は張遼とゆったりとした時間を送っていた。  はじめは普段の張遼らしくない行動に不信感を抱いていた賈駆も次第に慣れてきたのか気にならなくなっている。 「せやせや、一つ伝えとくことがあったんや」 「何よ?」  ずいっと賈駆に顔を近づけると張梁は神妙な面持ちで理由を語り始める。 「実はな、どっから聞いたんか知らんけど麗羽たちがあんたの見舞いに来ようとしとるらしいんや」 「ふうん、別におかしくはないんじゃない? そこそこ付き合いも長くなってきたんだし」 「いや、問題は訪問することやないんや。どうも特製の粥を用意しとるらしい……」  強調するように告げる張遼の顔がいつになく影を纏っている。あまりに深刻な様子に賈駆もごくりと唾を飲み込む。 「な、なにがあるっていうのよ」 「以前、麗羽が独自の工夫を加えた料理を知らずに食した猪々子が……一時的とはいえ意識不明になったらしいんよ」 「……ああ、そういえばあったわね。そんなこと」  一度だけだが、それで騒ぎになった事を賈駆も覚えている。刺客がまぎれこんだのではなんて話まで出るほどに事態は膨らみを見せたのだが、最終的には顔良の説明によって圧倒的な速さで収束をみせた。  普通に安心する公孫賛や、バカ丸出しで文醜のことしか頭になかった一刀はわかっていなかったが、あの事件はあやうく内部の混乱を生じさせるところだった。  そう、あれこそ文字通り埋伏の毒と袁紹が疑われかねない騒動。  とはいっても、袁紹をそういった用途の使い方をしようと試みる無謀な者などこの大陸に一人としているとは思えない。  いや、それ以前に、袁紹は送り込まれる側でなく送り込む側の人間だったはずである……とてもそうは思えないが。  そんな出来事を思い出した賈駆の額からだらだらと油汗が滴る。 「ま、まさか……ボクまであの毒を……」 「ありうると思うで。ま、今は華雄が足止めしとるさかい、安心しいや」 「そ、そう……」  ほっと深々と息を吐いて胸をなで下ろす。気がつけば添えた手が思いの外震えている。思考よりも肉体の方がよほど恐怖と感じたのだろう。 (つまり本能的に危険だと訴えかけてきたって事よね……)  背中を冷たい汗がつうっと落ちていく。 「何か別のことでも適当に話してくれないかしら。少し気持ちを落ち着けたいわ」 「ううん、せやな。……やったら、最近ちょっとウチに起こったおかしい話でもしよか? 笑えるで」 「それで頼むわ」 「うし、そしたらどこから話そか。そうやな……」  膝を叩いて勢い付けた張遼が「ふむ」と一息吐いて賈駆を見る。瞳には先ほど一瞬だけみた妙な輝き。 「この間の徐州での一件、詠も耳にしとるやろ?」 「ええ、あ――んっおほん。関羽と一悶着あったそうね」 「そうなんよ。あれはちょうど雨が降り始めた中やった……共に馬上で条件に関してはほとんど同等やった。そんなウチらは馬上だとは思えんような動きで打ち合いを始めたんや。唸る青龍偃月刀と空気を斬り裂く飛龍偃月刀が掠め合い火花を散らし、それはも――」 「そういうのはいいから」 「ちぇっ、詠のいけずー」  張遼は話すのをやめて人差し指の腹同士をつんつんと突きあいながら口先をとがらしてしまう。 「ああもう! 拗ねないでよ。いいから、話をつづけなさいって」 「……ええんよ。ウチの話なんぞ詠からしたらつまらんに決まっとるもん」 「聞くわよ、ちゃんと聞くから話しなさいよ」 「そう言われたんならしゃあないな。話したるわ!」 「……調子よすぎ」 「まあまあ、ええやん。ほんで、どこからやったかな……」  ジト眼で睨む賈駆を無視して張遼は笑顔を浮かべまま思案を巡らすように瞳をせわしなく動かすと、すぐに手を打って「せやせや」と言って話を再開していく。 「打ち合いの内容は省いてよ」 「む、本当は講談師ばりに迫力ある語りを聞かせよ思たんやけど本題やないし、やめとくわ。代わりに今度一刀にでも聞かせることにしーよっと」 「…………ボクは知ーらないっと」 「ま、なんやかんやあって勝負は途中で強制的に終わったんや。そこまでは別によかった……せやけどな、互いに引き下がることになったとき、一刀が何か言うとったんや」 「……え?」  賈駆の中にある記憶と思しきもの、その中で一刀と関羽は知り合い……程度では言い表せない関係だった。そのことと何か関係あるのだろうかと注意して話を聞く。 「まるで、何かウチらでは計り知れないことを抱え込んどるような感じで……」 「…………」 「そのときから、ウチもなんだか変な感じなんや。こう、一刀やあい――関羽と会うたことがあるようなそんな記憶に似たもんがな、こうどんどん湧き出てくるんよ。な、笑えるやろ――って、詠?」 「…………」  張遼の言葉も心半分に聞き流しそうになるほどに賈駆は唖然としていた。先日、董卓に確認して自分の思い違いと考えていたことがよもやの形で裏付けされるという意表を突いた出来事に脳内の処理がおいつかない。  震える唇をなんとか動かして彼女は目の前に存在している可能性に問いかける。 「もしかして、霞。あんた、関羽のこと真名で言おうとしなかった?」 「そうやけど……なんで、口に仕掛けたんが真名やって……もしかして、一刀に聞いたんか? いや、そもそもどうしてウチがそれを知ってると思ったんや?」  目を丸くして身を乗り出すようにして訊ねてくる張遼に対して賈駆は首を横に振る。 「実は、ボクも似たようなことがあるの……」 「なんやて? それ、ホンマか?」  張遼は自身の得物である飛龍偃月刀のごとく鋭い眉をぴくりと撥ねさせると賈駆の手を握りしめてくる。 「ええ。そのせいでこうなっちゃったわけで……」 「なるほど。そういや、月はどうなん?」 「ボクも気になったから、一応聞いてはみたんだけど……よくわからないって感じだったわね」 「そか、そら残念やな。ふむ、こうなったら――」 「ぬああああ!」 「ぴぃぃぃぃー!」  張遼が何かを言おうとしたようだが、どこからか飛んできた二つの悲鳴によってかき消されてしまう。 「な、なんや!」 「い、今の叫び声、片方は華雄よね。確か、袁家の足止めしてるって……まさか」 「待ち。華雄が、あのなんとかは風邪ひかんという天の国の言葉を体現する華雄がそう簡単にやられるわけあらへん」 「で、でも今の聞いたでしょ!」 「せやけど、さっきまでぴんぴんしとったんやで。華雄はなあ、かつてはよく『賈駆とは違うのだよ、賈駆とは』なんて渋い笑み浮かべてウチに体力自慢しとったくらい自信持ってたんや。そんなあいつが……嘘や。そんなことあるわけ――」  二人が顔を見合わせて言い争っていると扉がゆっくりと開かれていく。  続いて、ばっくりと切れ目のはいった腰布、胸当程度しかない布地の服という張遼にも劣らぬ露出度を誇る人影が入ってくる。 「ふ、不覚……」  それは、猛将にして良将と謳われた女性……華雄その人だった。  おぼつかない足取りで二人の方へと歩み寄りながら華雄がぱくぱくと口を開けて消え入りそうな声で何かを告げる。 「よ、予想以上だった……あれほどとは」 「ちょ、ちょっと、しっかりしなさいよ!」 「ふ、二人とも、逃げ――ごふっ!」  大きく咳き込むと、華雄は伝えようとした言葉を最後まで言い切ることなく倒れた。  張遼が慌てて、彼女の胴回りと首に手を差し入れて上体を起こすようにして支える。 「し、しっかりせい! 傷は浅いで! ……いや、深いんかな?」 「ごほっ!」 「余計なこと言うなー!」  小首をかしげる張遼の言葉に反応するように血のようなものを吐き出す華雄。  賈駆も寝台からおりて華雄の元へと駆け寄る。 「しっかりしなさいよ。あんたにはまだやってもらわなきゃいけないことがたくさんあるんだから」 「……ふ。よもや、お前かそのようなことを言われるとは思わなかったぞ」  どこを見ているのか分からない瞳。もしかしたら華雄は視覚を奪われているのかもしれない。 「な、なにしおらしい態度取ってるのよ。ほら、起きなさいよ!」 「き、気を付けろ。これは全てあれにやられたのだ……ごほ、ごほ」 「や、やっぱり、あれ……完成してしもうたんか!」 「き、強力だぞ……あれは、きっと……誰も助から――」  とうとう華雄は瞼をゆっくりと下ろし、何も喋らなくなった……事切れてしまった。 「華雄ー!」  二人の叫びが部屋中を揺るがしそうなほどに響き渡る。 「お、恐ろしいのじゃ……お、恐ろしいものを見てしまったのじゃ」  その声の方へと賈駆と張遼が視線をむけると、そこには袁紹を小型化したような少女が全身をがたがたと震わせながらよちよち歩きで入ってくる。 「ちょ、どないしたん? 顔が青ざめとるで」 「んがっ!?」  袁術の方に気を取られた張遼の腕から落っことされた華雄が小さく悲鳴を上げ、がくりと再度気を失う。 「れ、麗羽……。あやつは恐ろしいやつなのじゃ……あ、あれは人の食すべきものではないのじゃ」 「落ち着き。取りあえず何があったんか説明をするんや」  中腰になると、張遼は震える袁術の両肩を掴み優しく問いかける。  袁術は、ちょうど同じ高さになった張遼の瞳を見つめながら震える唇を動かしていく。 「か、華雄は……麗羽たちに無理矢理あれを口へとねじ込まれたのじゃ。その瞬間……ぴぃぃぃぃー!」  壊れた絡繰りのようにがくがくぶるぶると震える袁術、恐らくはそのときの光景を脳裏に描いてしまったのだろう。 「か、顔色が……人間の顔色がああも変わるものなのかのう……ひぃ! け、煙が……」 「な、何があったのよ……」 「わ、わからへんけど。多分、想像を絶することやろうな」  気がつけば二人とも袁術同様に顔が青ざめている。ようやくこの時点になって気がついたことがある。 「ね、ねえ……華雄や美羽がいるってことは……もしかして」 「ま、まずい。はよ逃げ――」 「おーっほっほっほ! お邪魔しわますわよ」  死を司る者の声が部屋の隅まで通り抜けていく。 「邪魔するぜ」 「えっと……その、多分というか絶対にご迷惑をお掛けします」  ずんずんと突き進んでくる死神の後に続くようにして文醜、そして非常に申し訳なさそうな表情を浮かべる顔良が現れる。 「さ、わたくしが試行錯誤を繰り返し作り上げたお粥を超えたお粥をありがたく味わいなさい」 「ひぃぃ……き、来たのじゃ……」  袁紹の姿を視認した袁術がびくりと震えて固まる。そんな少女の元に袁紹ら三馬鹿の背後から出てきたもう一人が歩み寄る。 「あらあら、美羽さまったら。こんなところにいたんですね。急に悲鳴を上げながら走り出すから驚きましたよー」 「あんなものを見せられて平然としておる七乃の方が異常なのじゃ!」 「えー? そうですか?」 「そうなのじゃー!」  現れた張勲と袁術が何やら揉め始める。というよりは張勲におちょくられている袁術が猿のように跳ね回っている。 「ほら、遠慮なさらず。どうぞ、召し上がりなさい」 「えっ!? い、いや、ボクもう治ったからい、いらないわよ?」 「別に体調は関係ありませんわよ? お粥ですもの」 「しまったぁ!」  袁紹のまともな返しに賈駆は自分が思っていた以上に動揺していることを理解して、失敗を悔いるように顔面を掌で覆う。 「さ、折角用意したのですから」  視線を張遼の方へと向ける。 (た、助けて、霞!) 「あんたらなあ、なんで止めへんのや?」 「いや、そう言われてもあたいらじゃ……」 「……ねえ?」  張遼の問いかけに顔を見合わせて難しい顔をする文醜、顔良。二人からは諦めの混じった空気が漂っている。 「あんたらなあ……」  張遼は二人の反応を見て肩を落としつつ、額を掌で覆う。 (呆れてないでこっち見なさいよ!) 「だいたい、姫をちゃんと止められるようなやつはこの大陸に数人いればいいほうだぞ」 「ほ、ホンマに……?」 「恐らくは……はぁ」  ため息混じりに答える顔良。  のん気に会話に花を咲かせている三人を見ていた賈駆は、いい加減にしろという感情が限界まで達した。  瞬間、賈駆は腹の底から声を出す。 「あ、あんたたち何ごちゃごちゃ話してるのよ! ボクを助け――ひぃっ!? く、来るな! は、早く!」 「大人しくなさいな! ほら、美羽さん。抑えなさい」  突然の賈駆の咆吼に眉を顰める袁紹が従妹へと指示を飛ばす。  袁術が背をぴんと伸ばして従姉へと向き直る。 「わ、わかりました麗羽姉さま。って、七乃、なんで妾を抑えて……って、ほれ! 口を開へるへない!」  物音一つ立てずに袁術の背後に回り込んだ張勲が羽交い締めにするように袁術の小柄な身体を押さえ込んでいる。  その上、白く伸びた指をぬめぬめとした粘液が鈍い光を放つ口腔内へと差し入れて袁術の口を思いっきり左右へと引っ張っている。  張勲は腕の中で暴れる袁術をものともせずににっこりと微笑みながら袁紹へと視線を移す。 「麗羽さま、麗羽さまー。どうやら美羽さまがどーしてもそれを食べてみたいと仰っているのですが」  そう言って張勲が袁紹の手元を顎で示す。 「あらまあ。まったく……、美羽さんは本当に子供で仕方がありませんわね」 「ひばふ! ひばひまふっへ、へいはねえはま! ひゃひゃほ、ひひはへんはなさんひゃ~!」 「何を仰っているのかまったくわかりませんけど、それほどまでに我慢できませんのね。仕方のない子ですわねえ」  呆れ混じれの眼を細める袁紹を前に袁術は必死に首を振っているが、張勲の手が邪魔で振り幅が小さく、見ようによっては震えているようにも見えなくはない。 「ど、どうなっちゃうのよ……」  混乱に次ぐ混乱でいまや室内は地獄へと変わろうとしていた。  †  公孫賛は、複数の書類を手に賈駆がいる部屋と向かっていた。隣には陳宮、鳳統。それに、たまたま出会った呂布。  並ぶ四人の中でも一際小さい少女が左右のおさげを振り乱しながら誰よりも慕っている相手に対して熱弁を振るっている。 「よいですか、わざわざ詠なぞの様子を見に行くなどという行動、恋殿には不要なのです」 「……ダメ。詠は仲間」  呂布が首を横に振って諭すように答える。 「はは、ねねの負けだな」 「恋殿がそう言うなら仕方ありませんなあ」 「自然に無視するなよ」  さらっと自分の言葉が流された公孫賛は陳宮を半眼で睨む。 「…………詠、早く元気になってほしい」 「まあ、詠がおらぬと仕事に影響が出てしまうのは事実なのです……むぅ、やはりあやつには早く復帰してほしいものですな」 「おい……だから」  呂布が先程からずっと大事そうに抱えているものを見ながらぽつりと零すように発っした言葉に対してしぶしぶといった感じをこの上なく顔に出しながらも陳宮は首を縦に振って答える。  公孫賛は、また空気へと霧散しそうになる自身の存在をなんとか強調しようとツッコミを入れる体勢に入る。 「……そうですね。私もまだ慣れてないのでもっといろいろと教えてもらいたいです」 「雛里……お前もか」  ツッコミを入れることすらも遮られた公孫賛は肩を落としてがっくりと項垂れる。もっとも、こんな扱いになるのも大分慣れてきたといえば慣れてきている。 (それはそれで、悲しんだがな……) 「何をしょげているのです? ねねたちはただの見舞いではないのですからしゃきっとするのです。影薄」 「なんで、今になって声かけるかなぁ。あと、いい加減影薄はやめてくれ」  陳宮の言葉に前髪を掻き上げるようにして額を掌で覆いつつ、公孫賛は抱えている書類へと目をやる。  この中には昨日の政務に関する要約が載っている。どういった問題があり、どのような対処をしたかを事後でも把握しておくのもまた軍師の仕事なのだ。 「……髪、薄?」 「違うから! そもそもハゲてないだろ、私は!」  悪意の籠もったものと天然、二種類のボケを相手取るのは公孫賛の能力値を遙かに超えているのは間違いなかった。  この後も交互に繰り出されるボケを処理していくことになる公孫賛が音を上げるのは時間の問題に違いない。  †  寝台から見渡す光景は夢か現か幻か。  涙を流しながら拘束から逃れようと暴れたりもがいたりとし続けていた袁術の口へと蓮華が差し込まれた。そして、袁紹によってそれは徐々に傾けられ窪みにあるお粥という名の新兵器が流し込まれてしまった。  その後のことは正直なところ脳内から除去したいと賈駆は切実に思う。  ただ、言えるのは袁術が地に伏したということ。 「あら、美羽さんたら眠ってしまいましたわね。昨晩は夜更かしでもしたんですの?」 「そうかもしれませんね-。お嬢さまったら、仕方ないんですから」  張勲はぐったりとしている袁術を見下ろしながらにこにことした微笑みを浮かべて答える。その声色がどこか嬉しそうなのは何故だろうか。  そんな疑問を抱かせるほど食い入るように生きているのか疑わしく思わせる袁術の顔をのぞき込んでいる張勲から視線を逸らした賈駆の目に映るのは再度自分へと迫り始める袁紹の姿。 「これで、わかりましたわよね? この特製のお粥がどれほどのものか」 「……ええ、恐ろしさがよーくわかったわ」 「はあ? 何を仰ってるのかわかりませんわね」 「まあ、わからないでしょうね」  既に死体同然のブツが二つも存在する異様な光景が広がる室内を全く気にも留めていない袁紹は大物なのかそれともただのバカなのか難しいところである。 「わけのわからないことを仰ってないで、さあ、この袁紹おりじなるの味、しかと楽しみなさい!」 「いやよ! ボク、まだ死にたくない。助けて月ぇ! ……あ、やっぱ来ちゃダメよ、月ー!」  親友までこの混沌に巻き込むわけにはいかないという気丈な決意のもとに賈駆は目の前の凶器と睨みあう。  もう、あと一、二歩詰められたら完全に終わりだろう。  覚悟を決めなければならない。賈駆は唾を飲み込もうとしたが、喉がいつのまにかからからに乾いていて不可能だった。 「……く、賈文和の命運もここまでなのね」 「さあ、さあ、さあさあさあさあ!」  もう駄目だと、賈駆は目を瞑る。その時、廊下から賑やかな声が聞こえてくる。 「ん? 扉が開きっぱなしだな。詠、いるのか?」 「邪魔するのです。おーい、生きてますか?」 「……し、失礼します」 「……詠」  鳳統を中心に陳宮と呂布、あと公孫賛が訊ねてきたらしい。  袁紹も気を取られたらしくそちらを向いている。それを見逃す賈駆ではない。 「あ、あら、どうしたの? な、なにかヨウカシラ?」  袁紹の横を通り抜けて公孫賛たちの元へと逃げる。 「あ、こら! お待ちなさいな」 「麗羽……少々、仕事のことで詠と話さなきゃならないんだが、外してくれないか?」 「なんですの? わたくしが邪魔だと?」 「あー、そういえば。なんだか知らんが、古物商から荷物が部屋に届いてたぞ」 「なんですって! 猪々子、斗詩さん。戻りますわよ」  急に真剣な表情を浮かべたかと思いきや、風のような勢いで袁紹が入り口付近に立ったままの公孫賛を押しのけるようにして外へと出て行った。 「あ、待ってくださいよ。姫ー!」 「本当にすみません。すみません。それじゃあ、これで」  置いてかれた二人も慌てて追いかけていく。三人がいなくなった……正確には袁紹が立ち去ったことでようやく部屋にどれ程ぶりかわからない静けさが戻ってきた。 「助かったわ……ふぅ。いい機転じゃない」 「いや、私は事実を述べただけなんだが」 「…………」 「あのー、私もそろそろお暇しますね。美羽さまを運ばないといけませんので」  いつの間にか袁術を背負っている張勲が一同にそう告げる。おぶわれている袁術はいつもの長い腰布がめくれあがり白魚のようなきめ細かな脚が露わになっている。 「それじゃあ、失礼しましたー」 「……むぅぅ。蜂蜜を入れた水を持ってくるのじゃ」 「ここにはありませんよ。あ、かゆうまさんの血の水ならありますけど」 「かはっ」  意識があるのか無いのか不明なまま袁術は張勲に背負われたまま部屋から出て行った。 「あー、ウチも華雄を医務室につれていかんとな」  口元が真っ赤になっている華雄を背負って張遼が立ち上がる。 「そう、悪かったわね。色々と」 「いや、かまへんよ。おもろかったし。それよりも……」  言葉を途中で切ると、張遼は賈駆へと耳打ちをして部屋を後にした。 「さて、あっというまに人数が減ったわけだが。その様子だと調子も大分戻ったようだな」 「おかげさまでね。ただ、白蓮たちがこなきゃ、もう一度寝込んでいたでしょうね」  先ほどの物体なのか液体なのか判別不可なものを思い出し、あれを口に入れられていたらと想像するだけで賈駆の背筋に冷たいなにかが走り、彼女はぶるりと震える。 「……詠。お土産」  恐らくは見舞いの品であろう蒸籠を呂布が差し出す。お礼をいいながらそれを受け取ると、賈駆はすぐに中身を確認する。 「……肉まん……おいしい。きっと、元気……出る」 「ありがとね、恋。今ほど、肉まんが素晴らしい存在だと思えたことはないわ」  まだ湯気が立ち、肉まん独特の香りが鼻をついて食欲をそそる。肝を冷やし、全身までも冷や汗だらけとなっていた賈駆にはその温もりが非常にありがたい。 「…………」 「あ-、そうね。これは、ここにいるみんなで一緒に食べることにしようかしら」 「…………」  ふるふると首を横に振る呂布。  気を遣っているのだろう。それが微笑ましく、賈駆は表情をほころばせながら彼女に優しく語りかける。 「いいのよ。病み上がりだから、そんなにたくさん食べれないもの」 「…………そう」 「そういうわけだから、ほら、これは卓にでも乗せて、囲いながら話をしましょ」  公孫賛と鳳統、陳宮、そして口元からきらりと光るものが溢れかけている呂布を椅子に座らせて、自らも席に着く。 「それで、話って言うのは? 恋、我慢してないで食べたら?」 「……」  おあずけを守る犬のように肉まんの山を見つめたままじっとしていた呂布がこくりとうなずく。  素早い動作で呂布が肉まんを鷲掴みしてかじりついていく。 「もふもふ」 「ほう……。む! いかんいかん。それで、詠、実は――」 「もきゅもきゅ」 「……とても、美味しそうに食べますね。あの、どうぞ」  鳳統が頬を緩めながら肉まんを一つ取って差し出す。  すると、呂布がさっと一瞬で掴み口へと運ぶ。口はふくれて小動物の食事風景のようである。 「ん。ごく……っ。……もっきゃもっきゅ」 「く……わ、私は真面目に……」  呂布の食事姿を微笑ましく見守る賈駆の視界、その隅っこで公孫賛が両手で抱えた頭を狂ったようにぶんぶんと振っている。 「わ、私は見とれてる場合じゃないんだ……うう」 「恋殿にかかれば影の薄い誰かさんなど一発でころりなのです」  陳宮は口元を斜めに吊り上げてにやりと笑いつつ腕組みして満足そうに頷く。何故、彼女が偉そうなのかは言わずもがなだ。  結局、呂布が全ての肉まんを平らげるまで公孫賛の苦悩と、尊大な態度をとる陳宮のぺちゃ胸反らしは続き、鳳統と賈駆も呂布へ餌やりのように肉まんを交互へ差し出していた。 「さて、ようやく一段落付いたし、話を――」 「政務の事よね。それなら、書類だけ残してくれればいいわよ」 「……そ、そうか」 「ええ。まとめたのはねねと雛里かしら?」  そう訊ねると二人が頷く。 「そう、なら大丈夫ね。的確にまとめてあると思うし、これだけ見れば大体のことはわかるわ。まあ、不明なところは改めて聞くわよ」 「で、では、これで終わりということか」 「そうね。わざわざありがとう」 「う、うむ。それでは、私たちはそろそろ戻るとしよう。仕事もあることだしな」  そう言うと、公孫賛が立ち上がる。それに続いて他の三人も席を後にして、部屋を出て行く。  公孫賛が、しきりに「私、何しに来たんだろ?」と首を傾げていたが、賈駆はきっと自分の命を長らえさせに来たのだろうと心の中で思ったが伝えたりはしなかった。 「ふう。なんだか、急に静かになったわね」  ようやく一人になった賈駆は、書簡を手にして中身を確認していく。  耕地の拡大に伴う問題――対処済。  調練の方法の改善――対処済。  馬や武具の仕入れについて――要検討。  幾つもある案件をじっと黙したまま確認していく。  全ての書類に目を通し内容を把握すると賈駆は書類を卓へと置いて一息つく。  全身の力を抜いて楽にしていると、先ほど張遼が去り際に残していった言葉が思い出される。 『さっきのことやけど、また今度、場を設けて話すことにしよな』 「霞もやっぱり思うことはあるようね。それにしても……あいつ何か隠してるのかしら?」  少年はあまり器用なことが出来るようには思えないが、どうなのだろうか。 (どうなのかしら……。そういえば、あいつ。袁紹軍との決戦前も体調不良を誤魔化してたわね)  当時、高熱、めまいなど多くの症状に見舞われていた一刀は兵士たちにそれを悟らせずに啖呵を切った。それをこなせるだけの精神力があればもしかしたら賈駆を欺くこともできるのかもしれない。  そんな風に一刀について考えるうちに賈駆はふとあることが気になり出してきた。 「あいつと、月……来なかったわね」  騒動があれば少なくとも賈駆の知る少年ならば巻き込まれに来るはずである。  だが、今回は姿を見せなかった……ほとんどの面子が揃っているにもかかわらず。  それに加え、大事な親友ともこの日は一度も顔を合わせていない。都にいたころ……いや、それ以前、涼州にいたころから通算してもこういったことは稀にしかなかった。 「もしかして……。いや、まさかね」  妙な勘ぐりをしそうになる頭を小突いてよからぬ思考を捨てさせると賈駆は扉を見つめる。 「なにかあったのかしら……月」 †  広大な冀州の西部。   布を纏った三人組と軽装に見える露草色の髪をした少女を中心とした一団が趙のとある村を出て広平へと差し掛かろうとしていた。  この一団において一か二番目には武の方面で長けている少女――趙雲は張三姉妹もとい“数え役萬☆姉妹(しすたぁず)”の公演に同行した帰路を進んでいる途中だった。  また、身元がわからないよう身体を覆うような布を纏っている三人こそがその当人たちである。  趙雲ほどの武人が数え役萬☆姉妹が行う今回の公演活動に参加したのは、一つはもちろん護衛という任務のため。  そしてもう一つは一刀の勧めによるものだった。  たまたま、今回の公演で回る地域に含まれていた常山郡。  それを見て、一刀が「折角だから見てくればいいんじゃないか?」という一言を発したところ、あれよあれよという間に趙雲が随伴することが決まってしまった。  そうして、趙雲は数え役萬☆姉妹と共にいくつかの街や邑を周ることになった。  特にこれといって大きな問題もなく無事に公演は終わりを迎え、彼女らは公孫賛らが現在いる鄴へと向けて驢を進めていく。  数え役萬☆姉妹や趙雲と数人は馬での移動だが、貂蝉をはじめとした体力のある面々は歩きである。  そうして編成で行進している中、三姉妹における末妹の張梁が口元を斜めにしながら趙雲の方を向く。 「どうだった? 故郷に久しぶりに戻ってみて」 「ふむ、何事もなく平穏無事であった……といったところだな」  顎に手を置いて趙雲は答える。その様子があまりにも味気なかったからか三姉妹の次女、張宝が眉をしかめる。 「それだけぇ?」 「……ふ。それだけ確認できたのならば、今はそれでよいのだ」  趙雲は透き通るような笑みを浮かべる。同じような質の表情をした貂蝉が頬に手を添えながらにこりと笑う。 「どぅふふ、星ちゃんらしいわねえ」 「どこにいようと我が名は趙子龍。変わるはずなどあるまい」 「……そう。そうであるといいわね」  何故か意味ありげな表情をする貂蝉に内心で首を傾げつつ、趙雲は行きと比べて規模が増した旅団を見回す。 「それにしても、良かったではないか。主に土産ができて」  そう言って、この団体の中心である三人へと声をかける。 「うん! これで一刀喜んでくれるかなぁ?」 「何言ってるのよ、姉さん。ちぃたちが戻るだけでいつも嬉しそうにしてるんだからひっくりかえっちゃうわよきっと!」 「まさか今回の巡業がこういった効果をもたらしてくれるなんて思わなかったわね……これは、後で別に報酬を貰わないと」  三姉妹はきゃっきゃと仲むつまじく語り合っている。その様子に満足した趙雲は顔を逸らして前を見る。 「主は今、何をしておられるのやら」  ぽつりと漏らしながら空を見る、一刀の服装のように真っ白な雲が流されていく。  彼女たちは知らない。  自分たちがとんでもない事件に巻き込まれずに済んでいたことを。  そして、一刀にとって大きな変化があったことを……。次第に動き始めているものがあることを。