「無じる真√N」拠点イベント33  その日、張勲の前には朝も早くからすっかりからっぽになった壷を手にする袁術の姿があった。  主君である少女を頬に手を添えてうっとりした表情で見つめている張勲。  彼女からすれば袁術の困り顔だけで袁紹の飲茶の一つや二ついける自信がある。  袁術の持つ壷は一件からっぽだが空しさで満杯になっている。だが、そんなものは何の役にも立つはずなく袁術は指をくわえて中をのぞき込んでいる。 「むう……、七乃ぉ~。ハチミツが切れてしもうたのじゃ」 「あら、仕方ありませんね。補充してもらうとしましょうか」  下邳より運びこまれた私物に含まれていたハチミツたっぷりの壷の数々。  何十にもわたるそれらはみな没取され食料庫へと運ばれてしまった。  それでも一刀の説得により袁術の元へ定期的に一壷ほどは与えられる約束となっていた。だが、それっぽっちで袁術を満足させられるかと言えば是ではない。  それは現在蛙のようにぷっくりと膨らんでいる袁術の頬に良く表されている。 「まったく。妾にかかれば一壷のハチミツなぞちょちょいのちょいのぷーなのじゃということがわかっておらぬのじゃ」 「美羽さまがもう少し我慢を覚えてくれれば長持ちするんですけどねえ」 「そんなもの妾には不要なことなのじゃ」  ふふん、と鼻で笑う袁術。あまりにもささやかすぎてしているのかどうか分からないが一応胸を張っているらしい姿勢で大層偉そうである。いや、袁術からすれば自身は偉いのだ。  そんな完全に調子に乗っている袁術を張勲は瞳を煌めかせながら見つめる。 「うわぁ、さすが美羽さま。我が儘っぷりは伊達じゃありませんね。よ! 強欲姫!」 「なっはっは! 妾の器は並ではないのじゃ!」 「常人外れの唯我独尊ぶり! さすがです!」 「うむうむ。あーっはっはっはっは!」  それからしばらくの間、袁術の笑いが収まることなく彼女が朝食にありつくのが大分遅くなることになるがそれは既につまみ食いを始めている張勲には関係のないことだった。  結局、随分と遅れて袁術が朝食を済ますのを待ったうで張勲は彼女を連れて部屋を後にする。 「さっさと、行っちゃいましょう」 「はっちみっつ~。はっちみっつ~。るるららら~」  鼻歌交じりに軽い足取りでスキップをする袁術の手を繋いだまま張勲はしっかりと目的地へと誘導する。  袁術の鼻歌が二番を終える頃には二人はようやく食料庫の前へと到着した。  袁術軍が保持していた者と比べると些か惨めさがあるようにも見えるその倉庫の大きめの扉はしっかりと閉められている。  換気のときだったら開け放たれているだろうから勝手に忍び込めたのにと、張勲は内心で毒づく。  そのまま食料庫の方へと歩を進めていくと、人影を見つけることができた。おそらくは見張りなのだろう。  張勲はその人物へと近づいてく。 「あのぉ~すみません」  張勲は袁術と繋いだ手もそのままに食料庫の前に座り込んでいる人物へと話しかける。 「ん? なんや」 「ちょっと、ハチミツの壷を一つ取り出したいのですが」 「……許可はあるんか?」  担当らしい人物は訝しむような視線で張勲を射貫く。  その鋭い目つきにたじろぎかけるが張勲は作り笑いを浮かべてなんとか頷く。 「え、ええ。ありますよぉ?」 「ふうん……。な、嘘やろ。それ」  にかっと笑みを浮かべる女性……確か張遼といったはずである。  そのすみれ色の髪の毛に近しい色をした袴と羽織、その下で胸に撒かれているサラシと、その姿はどちらかというと男らしさが溢れているように見えるが女性である。 「あらぁ……わかっちゃいます?」  先ほどまでの鋭い視線から解放された張勲は頬を掻きつつ苦い笑みを浮かべる。 「当たり前や」 「あの……見逃してもらえません?」 「ん~どないしよっかなぁ~」  張遼が腕組みして考える素振りを見せ始めると痺れをきらした袁術が前へと出る。 「なんじゃ、それくらい良いではないか。あのハチミツ、妾に召し上げられた方が何かとよいであろう?」 「さすがお嬢さま。発送が非凡すぎます。よ! 歩く非常識!」 「なーっはっはっは! もっと妾を褒め称えてたも!」  満面の笑みを浮かべる袁術。張勲にはその表情がたまらない。  思わず「……はぁ」とため息を零してしまうくらいだ。 「……あっははは。なんや、あんたらなかなかおもろいやん」 「む?」 「はい?」  張勲と袁術を見ながら大笑いする張遼に二人は顔を見合わせる。 「なにがそんなにおかしいのじゃ?」 「く、ホンマにわかっとらんのか……あーっはっはっは! こら、ええわ」 「あのう、それでハチミツを持っていってもよろしいでしょうか?」  張勲は袁術の言葉に一層笑いを増していく張遼にそろりと切り出す。  すると、張遼は愉快そうに形作っていた口をにやりと歪ませる。 「実はな……ウチ、倉庫番やのうてなぁ。いやぁ、スマンなあ」 「えぇぇぇ!」  にやにやとした厭らしい笑みの張遼が述べた言葉に袁術と張勲は重なるように大声を上げる。 「で、では、なにをしとるのじゃ!」  袁術が張遼へと詰め寄る。 「いや、ウチもちょっと欲しいもんがあってな」 「へえ。なんなんです? 欲しいものって」 「これや、これ」  そう言いながら張遼は人差し指と親指で造ったわっかをくいくいと口元で何度も傾ける。 「なんじゃ? おしゃぶりかえ?」 「阿呆! なんでウチがおしゃぶりくわえなあかんのや!」 「ぴぃぃ~!」  くわっと表情を強張らせた張勲に袁術は一歩後退し身を強張らせる。張勲にとってその表情は極上の一品である。  袁術のその表情さえ見られるならば、高級料理も投げ捨て……はせずに彼女を眺めながらじっくりと味わいながら食するだろう。 「あらあら……うふふ」 「うふふって、怯えとるけど、このまんまでええんか?」 「え? いやですねえ。こういうときはじっくりと目に焼き付けるのが最優先じゃないですか」  あまりにも野暮な張遼の言葉に張勲はつい当然のことを言ってしまう。  よほど、常識的なことを言ったのが間抜けに見えたのか張遼はすっかり黙り込んでしまう。気のせいか、彼女の口元はひくついている。 「それにしても、美羽さまってばどんな表情も素敵ですねぇ」 「…………うわぁ」  張遼がぼそりとなにか呟いたようだが張勲は袁術観察に集中してそれを意識から遮断する。 「うぅぅ、そんな怒らなくともよいではないか」 「い、いや、ウチも別にそんな本気で怒ったりはしてへんて」 「ほ、本当かえ?」  ぐずりながら答える袁術は信用できないとでも言うように張遼の方へ一切顔を向けようとしない。 「あ、当たり前やろ。どんだけ怒りっぽいと思われとんのや、ウチ」 「あ-、多分。アレが原因ですね」 「ん? なんか心当たりあるんか?」  縮こまった袁術に困り果てた表情で頭を掻いていた張遼が張勲の言葉に即座に反応する。 「実は、私や美羽さまのお世話をか……あれ? えっと……あぁ、かゆうまさんが担当してまして」 「華雄な。そんで華雄がどうしたん?」 「事あるごとにお嬢さまが奸雄さんに叱られまして……ちょっとそれらしい素振りを見せられるだけであの通りなんです」 「はぁ……しょうのないやっちゃな。それと〝華雄〟や」  ため息混じりに張遼が袁術へと歩み寄る。そして、腰を屈めて袁術と視線を合わせる。 「ええか。何かと怒りんぼなんは華雄くらいのもんや」 「ほんとかえ?」 「おう! よう見てみい。ほら、ウチ笑っとるやろ」  そう言って張遼はにいと白く健康な歯をむき出しにするようにして笑う。  袁術がおそるおそるといった様子で彼女の顔を見る。 「せやから。そんな怯えんでええ」 「ほっ。……べ、別に妾は怯えてなぞおらんかったのじゃ!」 「なはは。うん。まあ、ええよ」 「そうか。なにがよいのかはわからんが。よいと言うのならよいのじゃろう。あーっはっはっは!」 「おおざっぱな性格。さすがは適当にやってもなんとかなる袁家のお嬢さま」 「おいおい、そら褒めとらんのとちゃう?」  呆れの色が濃い瞳で張遼が見てくると、袁術は笑うのを止めて張勲の方を見る。  「そうなのかえ?」 「まさか。美羽さまのように何をやっても笑えるような方を褒めずに貶すなんてことありえませんよ」 「そうであろうな。ほれ、お主も遠慮なく妾を褒め称えて構わんぞ」 「いやはや、ホンマおもろいやっちゃな」  胸を張る――とはいっても、全然無いので張ってるのかわかりにくい――袁術を見て張遼は愉快そうに笑う。  そんな彼女とは対照的に張勲は普段の表情へと戻って袁術へと声をかける。 「それはそれとして、美羽さま。こんな真っ昼間からお酒を所望するような駄目人間な呑兵衛の相手はこれくらいにして別の所に行きましょう」 「ちょ、なに人聞きの悪いこと言うとんねん!」 「うむ、ではまいるとしよう。いくぞ、七乃!」 「はぁい。それじゃ、私たち行きますね」  そう言うと、二人は再度屋内へと戻ることにするのだった。 「ウチは今日、休みもらっとるだけやで~」  †  酒を催促しに訪れていたという張遼を残して二人はさらなるハチミツ入手の手段を求め城内を歩いていた。 「どうするのじゃ、七乃?」 「そうですねえ。でしたら、一刀さんに頼みましょうか」  困ったときの北郷一刀、心が広いのかはたまたお人好しなのか、無能なバカなのか。それは分からないが彼は利用できる。  もっとも、度が過ぎれば袁術が酷い目にあうので張勲は自分なりには弁えているつもりだ。本音としては困り果てる袁術が見たい気がしないでもないのだが。  張勲が散々な目に遭う袁術の姿を想像しているうちに一刀の部屋の前に到着していた。 「よし、いくぞ。七乃」  そう意気込むと袁術が扉をノックする。 「ぬ~し~さま! あっそぶのじゃ!」 「ふふ、目的を忘れるトリ頭な美羽さまも素敵です」  袁術が声をかけてからしばし待つと、ゆっくりと扉が開かれる。 「あ、あの……」  それは、一刀の世話係を務めているという月という少女だった。 「む? 主様はどうしたのじゃ」 「あ、あの、ご主人様は今お仕事に出ていまして」 「なんと! 折角妾が訊ねてきたというのにいないというのかえ!」 「へう、そう言われましても……」  少女は憤慨する袁術にたじろぐ様子を見せる。 「ならば、どこにおるのじゃ?」 「執務室で政務を行ってます」 「そうか、よし。七乃、行くぞ。ついてまいれ」 「はいはい~、それじゃ、月ちゃん。邪魔してごめんなさいね」  思い立つやいなや猪もかくやというぐらいに駆け出す袁術の後を追うように張勲も歩を踏み出す。 「あ、いえ。でも、ご主人様のお邪魔だけはしないでくださいね」 「それは、保証できません。では美羽さまが焦れてきたようなので行きますね」  そう言うと、既に先へと進んだうえで張勲の方を振り返ってなにやら「遅いと」喚いている袁術の方へと駆け出すのだった。 †  現在袁術と張勲は門へむかってとぼとぼと歩いていた。いや、正確には袁術のみが、である。張勲はその隣で微笑みを浮かべている。  その原因は執務室に突撃した際に賈駆から激しく叱られた上、部屋から放り出されたことにあった。しかも、最悪なことに一刀はたまたま席を外していたため擁護してくれる人間がいなかった。  いや、一応公孫賛もいたのだが、無論つかえるはずもなく宥めの言葉を賈駆に無視されて項垂れるだけの役立たずだった。  そんな事があったために未だ袁術は身を縮こまらせながら歩いてるのだ。 「うぅ、なんで妾が怒られねばならんのじゃ」 「まあまあ。代わりに付き添いの人と一緒に街に出ても良いって許可を頂けたんですから。過去よりも未来のハチミツのことでも考えた方がいいですよ」 「そ、そうじゃな。うむ、早くハチミツを食べたいのじゃ!」  袁術はすっかり表情を明るくして足取りも軽く飛んでいってしまいそうなほどふわふわとした調子で待ち合わせ場所である門まで歩いていく。  張勲も彼女の笑顔を見ながらついて行く。  そうして、待ち合わせ場所へ辿り着くと、そこには三つの影があった。 「あら、美羽さん。遅かったですわね」 「ひっ。麗羽姉さま……」  そこにいたのは袁術と同じく袁の姓を持つ袁紹だった。毛先から少しの分のみの巻き髪で済ましている袁術と異なり長く美しい髪のほぼ全部をグルグル巻きにしている、所謂縦ろーるでありまるで竜巻をいくとも身に纏っているかのようである。  袁紹は白い腰布、赤みがかった服とそれを腰元でとめている青みがかった布というどう見ても普段着であり、気のせいか外出しそうな雰囲気を醸し出している。 「ああ、こうして麗しき袁家の二人が再会した。これは、とても素晴らしいことに違いないですわ」 「いや、ちょっと。まっ――」  何やらじゃれあう二人を余所に張勲はあらに眼を動かす。 「麗羽さま、何したんだろ?」 「さ、さあ。あの感じだと碌な事じゃないのは確かだよね……」  袁紹とともにいる文醜、顔良が袁紹には聞こえないように何やら話している。二人とも袁紹と似た服装で、腰布は同じ白、上着の意匠は袁紹と同じで顔良は髪と似た濃藍に誓い色、文醜も青磁色の髪と同じような色をした服を着ている。  そして、腰に巻いている布はまるで三人で上着の色と交換したかのように顔良は文醜の服に似た色、文醜は袁紹の服の色に似たものをつけている。  張勲はひそひそと何事かを話している二人に声をかける。 「あのう……」 「ん? あ、七乃じゃん」 「どうしました?」 「それは、こちらが言いたいですよ。どうして、お三人がこちらにいるんです?」  袁術の震える声を耳で楽しみながら張勲は二人に尋ねた。 「え? だって、お二人の付き添いで街に行くことになってるからですけど?」 「なんだ、知らなかったのかよ」 「ええ、誰かと一緒にとは聞いていたんですけどね」 「な、七乃! なな、ななのぉ……」  今にも消えてしまいそうなか細い声が張勲の耳へと届く。  何かと思いそちらを向くと、袁術が袁紹に正面から抱きかかえられてグッタリしている。 「あら? どうなさったの美羽さん」 「れ、麗羽さま! その無駄にデカイ胸のせいっスよ」 「なんですってえ! このわたくしの美しくかつ豊かな胸にむかって無駄とはなんですの! 無駄とは」 「ちょ、そんなこと言ってる場合じゃあないですよー!」  文醜の言葉に噛みつく袁紹、そしてそれにツッコミを入れる顔良と場は大分慌ただしくなっていく。  これは今日一日、袁術で楽しめるだろうと張勲は半ば確信を得つつ袁紹の元へと歩み寄る。 「あの、麗羽さま。お嬢さまがその素晴らしくても使い道がない宝の持ち腐れな胸をみて卒倒したようなので一旦離れてもらえませんか?」 「あら? 宝……ふふ、そうですわね。このわたくしの宝玉にも勝るとも劣らないバインバインな胸はぺったんこ美羽さんには少々毒でしたわね」  そう言うと、袁紹はにこやかな笑顔で袁術を手渡してくれる。 「れ、麗羽さま……いまのって多分褒めてる訳じゃ――」 「ほら、お嬢さま。ハチミツ売り切れちゃいますよー」  なにやら背後で袁紹に話しかけようとする声があったが張勲はそれを遮るように袁術へと呼びかける。 「う、ううん……は、ハチミツは妾のものじゃ!」 「もう、大丈夫ですね」  かっと目を見開いて両手で拳を握りしめながら天を突く袁術にうんうんと頷いて袁紹たちを見る。 「なにはともあれ、一先ず街へ向かいませんか?」 「そうですわね。じっくりと街を案内して差し上げますわ」 「れ、麗羽姉さまも御一緒なのですか?」 「もちろんですわ。さ、行きますわよ美羽さん」  こうして何をどう間違ったのか袁紹を先頭として一行は街へと向かうことになるのだった。  †  街に出たところで袁術はハチミツを買いたがっているようだったが、袁紹に強引に連れられて街をじっくりと回ることになってしまった。  そうして振り回される袁術もまた可愛いものだと思い張勲はだまって彼女たちについて行く。 「さて、次はどこへ行きましょうか。ねえ、美羽さん」 「で、ですから、麗羽姉さま。妾は――」 「そうですわ! いろいろと面白い品を取り扱っている店があるんですの。是非ともそこに行くとしましょう」 「え? ちょ、麗羽姉さま――っ!?」  思いついたことを言うやいなや、袁術の言葉を無視して袁紹はずんずんと歩を進めていく。二の腕を掴まれている袁術に抗う術もなく引きずられるようにしてずるずると進んでいる。 「麗羽さま、はりきってるなあ」 「ちょっと、美羽さまが可哀想かな? ね、七乃さん」 「え? 仲むつまじくていいじゃないですか。ふふ」 「…………と、斗詩、こいつどうなってんだ?」 「う、ううん。これも一つの愛なんじゃないかな……わからないけど」 「何か?」  寄り添って張勲の方をちらちらと見ながらぼそぼそとささやきあう二人に歩み寄る。 「な、なんでもないって。ほら、行こうぜ。置いてかれちまうぞ」 「あ、待ってよ。文ちゃん~」  慌てて駆け出す文醜に続くように顔良もいってしまう。張勲もその後を追っていくのだった。  それから袁紹、袁術の二人に追いつく頃には目的の店へと到着していた。 「さあ、着きましたわ!」 「あの……ここって、なんの店ですか?」 「さあ? アタイもよくわかんね」  張勲の質問に首を捻る文醜に変わって顔良が答える。 「えっとですね。麗羽さまの遊び――こほん、暇つぶしの道具が主に置いてあるって感じですかね」 「へえ」  張勲が感心していると、店の奥から袁紹の声が聞こえてくる。l 「何か新しいものは入りましたの?」  どうやら、店主と話をしているようだ。と、そんな袁紹の横にいつの間にか顔良と文醜が控えている。  しばらく観察してみると袁紹の足りない言葉を文醜がさらにややこしくして、それらを顔良がなんとか修正しているようだ。 「おや、これは一体……なんなのかや?」  その声で振り返ると、袁術が一つの品を気に留めたようだ。  それは何やら男性の指くらいの幅で普段着の生地くらいの厚さをした板のような紙だった。  銀のようなそれの先端以外を深緑の紙が覆っている。  そして、それは長方形の外装に頭だけ出すような形で収まっている。外装をよく見ると、銀と深緑のそれと同じものが何枚か積み重なるようにして収納されている。 「さあ、何かの札でしょうか?」 「よく見てみようかの……ほお、なかなか艶やかな色彩じゃのう」  袁術はそう言いながら札を引っ張る。確かに、表面には何やら文字だか絵柄かわからないものが白や赤で描かれている。  と、張勲がそれを観察していたとき、袁術が悲鳴を上げて飛び上がる。 「ひぃっ!」  何かが袁術の指に食らいついている。彼女は痛みのせいかはたまた驚きのよるものか、右手をぶんぶんと振っている。  だがそれは取れていない。  張勲は主君の哀れな姿を堪能しようとじっと見つめる。  すると、袁術の右手にあるものの形状がはっきりとしてくる。  それは袁術が取り出した札で、その後半部分からなにやら別の細いなにかが伸びており、札とそれによって袁術のかわいらしい小さく細い指が挟まれて真っ赤になっている。 「な、なんなのじゃこれは~」  悶えている袁術を余所に張勲は商品名を見る。 「ええと、がむぱっちん? よくわかりませんね」 「あら、それに引っかかりましたの?」 「れ、麗羽姉さま……」  先程まで店の奥へと入りこんでいた袁紹がいつの間にか戻ってきていた。その横にはお供の二人もいる。 「こんなちんけなものに引っかかるなんて、相変わらず美羽さんはおバカさんですわねえ。おーっほっほっほ!」 「う、うう……また、このような惨めなところを麗羽なんぞに……っ!? い、痛いのじゃ~」 「あら? 取れませんわねえ?」  ぶつぶつと何事かを呟いている従妹を助けようと思ったのか袁紹はがむぱっちんとやらを取り外そうとする。  だが、一向に取れない。 (そりゃ、仕掛けの部分を握りしめてるのだから取れるはずもありませんよねぇ)  張勲は理由を察したが特にそれを指摘するでもなく、別のことを質問する。 「えっと……それで、これってなんなのですか?」 「簡単なことですわ。これは携帯型の罠なのですわー!」 「罠……ですか?」 「ええ。一刀さんが以前仰っていたのですけれど、天の国にはこうした絡繰りで幼少のみぎりより罠に対する警戒心を育んでいたそうですわ。まあ、このわたくしほどともなればこんなもの、ちょちょいのちょいのお茶の子さいさいといった感じで優雅で華麗な回避をなすのですけれどね。おーっほっほっほ!」  そう言って袁紹は高笑いを始める。張勲はその姿をバカ丸出しだなと思いながら眺める。 「でも麗羽さまだって確か試作品を見せてもらったとき思いっきり引っかかってたよな?」 「うん。それで激怒してご主人様のことタコ殴りにしてたよね」  張勲の横で文醜と顔良がヒソヒソと語り合っている。 「……一刀さんの知識って碌なものありませんね」 「確かになあ」 「……ふ、二人とも」  乾いた笑みを浮かべる顔良の横で小さな影がじたばたと動く。 「うう、七乃ぉ。これ取って、取ってたも~」 「ああ、はいはい。それじゃあ、じっとしててくださいね」  ぐずりながら未だにがむぱっちんなるものと格闘を繰り広げている袁術の右手をとってゆっくりと装置を外していく。 「はい、取れましたよ」 「うう~、まだヒリヒリするのじゃあ」  赤くなっている袁術の指にちょうくんはそっと息を吹きかける。 「ひぃぃ」 「もう、逃げないでください。ふぅ、ふ~」 「ににゃっ!?」  がむぱっちんによってむき出しに誓い状態になっている指に息を吹きかけるたびに袁術の身体がピンと弓なりになる。  それから張勲は満足するまで袁術で遊んだ。  気がつけば日も天高く聳えている。そこで、一行は昼食を取ることにした。その場で仕返しを試みた袁術の被害にあったのが文醜だったりしたが、基本何事もなく食事は終わった。  そうして、昼過ぎの街巡りが始まる。 「さて、お次はどうしましょう。悩みますわね」 「麗羽姉さ――」 「そうですわ! 折角ですから、美羽さんに服屋を案内しますわ。そのついでにわたくしが似合いそうなものを見繕ってさしあげますわ」 「いや、結構ですって、いやぁ~!」  袁術を連れて袁紹は爆発するかのように走っていく。張勲も置いていかれないように顔良たちとともにそれを追いかける。  三人と袁紹らは合流すると、ゆっくりと歩いて服屋を訪れるのだった。  店内は意外と小綺麗で間取りの関係か明るい感じがする。なかなか印象の良い店である。 「ううん、これもいいですわね」 「おお、さすがは麗羽姉さま。素敵な服ですね」  身体にあてがわれる服を見て袁術は喜んでいるようだが、どう見ても煌びやかな装飾に目がいっている。 「次は、これなんていかがかしら?」 「ほおぉぉぉー!」  どうやら、似たもの同士でもあるが故に良い感じで意気投合できているようだ。 「斗詩、これ着てくれよぉ~」 「いやいや、無理無理。だって、それ、布っていうか……紐じゃん」 「だから、アタイだけに、な?」  なにやらいかがわしい意匠の下着を手に迫る文醜にたじろぎながら顔良が後退している。 「こっちは、こっちでイチャイチャ楽しそうですね」  少々手持ちぶさたになりながら張勲も店内を歩いてみる。なかなか良い嗜好の服がある。  そうして袁術に似合いそうな服をみているうちに再び袁術の元へと戻ってしまう。 「麗羽姉さま、次はなんですか?」 「そうですわねえ……これは?」  袁紹がある服……というよりは明らかに下着的な意匠のものを手に取って首を傾げる。すると、女店主が補足を入れる。 「ああ、そちらはなんでも天の国にある、みずぎとやらで、その中でもせくしい路線のすりんぐしょっと……だったかな? まあ、そんな名前の商品です」  にこにこと満面の笑みを浮かべる女店主に対して「ふうん」と意味ありげな視線でスリングショットを見つめながら袁紹は頷いた。 「では、こちら。少々試着させていただきますわ」 「はは! こちらへどうぞ」  袁紹の言葉に女店主はすかさず試着室への扉を開ける。 「え? ちょ、ちょっと……麗羽姉さま。これは、さすがに」 「大丈夫ですわ。美羽さんならきっと似合いますわよ」  袁紹はそう言うと袁術の腕をとって歩き出す。袁術が従姉の手にある上下繋がった布らしきものを見た後、意味ありげな視線を送ってくるが張勲は微笑んで手を振って見送ることにした。  それからしばらくわくわくと胸を高鳴らせながら張勲がまっていると、最初に袁紹が出てきた。 「ほら、美羽さん」 「無理無理無理無理無理ぃ!」  抵抗するような物音がするが袁紹によってずるずると引きずられるようにして袁術が出てくる。 「うわあ……大胆」  張勲も思わず目を奪われてしまう。なにしろ袁術の格好ときたら露出が高すぎるのだ。  上下一体となっている一枚の桃色の布、しかも胸にしても股間部にしても大事なところをギリギリ隠している程度でその幅は文醜が額にしている布以上に細い。せいぜい袁術の瞳くらいである。  それによって隠されているまな板の上にある二つの小さな果実と両脚の間にある蜜壷がいまにもはみ出そうになっている。更に袁紹によって一回転させられる姿を見てわかったが、後ろ姿はほぼ全裸である。  そして、何よりも張勲の心を惹きつけるのは服の大きさがあっていないのか落ちそうになる肩紐に相当する部分を必死になって抑えているところであった。  †  袁術は後悔していた。  調子づいて袁紹のなすがままになっていたのは失敗だった。服屋ならばそう酷い目には遭わないと思っていた。  だが、これまでで上位に食い込むほどの災難に彼女は見舞われている。 「あら、やっぱり少々余裕が出ちゃってますわね」  そう言いながら袁紹は袁術が持っていた肩紐部分を奪い、ぐいぐいと上へと引き絞っていく。  袁術は下半身に圧迫感を覚える。布地が袁術の中心を責めている。 「ちょ、ちょっと……んっ、麗羽ねえさま……引っ張らないでたもぉ~」 「むむむ……なんだかしっくりきませんわね。ほっ! はっ!」  袁紹がかけ声に合わせて肩紐を上方へと引っ張る。それと連動して袁術の股間部分から自分でも可愛らしいと思う小ぶりなお尻の方へかけての布地がぐいぐいと食い込んでいく。  食い込んでくる布が痛い。それと同じくらいに妙に身体がうずうずする。 「はぁっ、だ、だめ……やめて……いた――ひっ!?」 「もうちょっと、こう後ろへひっぱるべきですわね」  今度は手をするすると動かしていき、袁術の背後へと周り後方へと強く引っ張る。 「あっ、こ、こんどは……こすれ……んぅっ、むねにこすれるぅ、くぅ。や……んぅっ!」  袁紹がくいっくいっと引っ張るせいで布地がずれて袁術の胸元を……とくに先端の辺りを擦る。さらに、力を込められると押し潰すようにして圧迫されて変な苦しさと切なさが袁術の胸に走る。  袁術はあまりにも刺激が強いため、懇願の想いを込めて震える手を袁紹へと伸ばそうとそる。  だが、その手が目標へと届く前に止まる。袁紹が与えてくる感覚が身体から力を抜いてしまうのだ。 「んぅ……、はぁぁ! や、ほんとに……や、めて。れいはね……ぇさま」 「ううん。イマイチですわね。それ、それ!」 「くぅん! こ、これ以上は……」  その時、店に新たな客が入ってきたことで袁術は言葉を最後まで発することができなかった。  †  昼までに政務を終えた一刀は警邏のために街にきていた。  隣には紅の髪が青空に良く生える呂布。その手には山盛りの肉まん。本日の一刀の昼ご飯の残りである。  簡単に言えば、警邏という名の散歩である。 「しっかし、ねねも蹴らなくてもいいだろうに」 「……後で恋が叱っておく。あむあむ」  一刀の呟きを聞き取った呂布が肉まんを頬張りながら答える。 「いや、いいよ。そこまでしなくて」  それでも呂布の心遣いを感謝して頭を撫でる。髪がくしゃっとなるが嫌がる素振りもない。 「ねねも恋と出かけたかったんだろうし、俺が羨ましかったんだろうからな。だから、代わりにこういう感じで撫でたりして労ってあげな」 「…………」  呂布は黙ったままこくりと頷いた。  そしてまた肉まんを頬張り始める呂布を微笑ましく見ながら陳宮のことを思い出す。  一緒に警邏に出るため呂布の元へ行ったとき陳宮は軍師会議で同行できないとのことで非常に妬ましそうに一刀を睨み付けていた。 (流石に、おちょくったのは不味かったか)  軽く小馬鹿にしたら陳宮キックをもろに食らったのである。  そのときのことを思いだして蹴られた箇所を撫でながら一刀は思考を打ち切った。 「それにしても、どこいったんだ」  そんなことをぼやきながら周囲を見渡しながら歩いている一刀の瞳がある店の前で止まる。  なにやら騒がしい。しかも聞き覚えのある声である。他の民はみな、敬遠して近づこうとはせず離れている。 「まさか……恋、肉まんは――って、もう食べ終わったのか」 「…………ちょっと物足りない」  二十個はあった肉まんを知らない間にぺろりと平らげていた呂布がぼおっとした姿で呟いた。  店に入るのに肉まんを食べながらというのも些か行儀が悪い気がして忠告しようとしたがいらぬ心配だったようだ。 「じゃ、入るぞ」 「…………」  頷く呂布を横目に一刀は店の扉を開いた。  彼の瞳に映ったのは判断しづらい状況のダブル袁家だった。 「な、なにやってるんだ?」 「…………楽しそう?」  呆然しながら奥へと進む一刀に気付いた顔良と文醜が近づいてくる。 「ご主人様じゃないですか。どうしたんです?」 「お、恋もいるじゃん」  一刀が二人に返答しようとすると、別の方向から悲鳴があがる。 「……ふぇっ!? ぬ、主様、見ないでたもぉ~!」 「え? というか、なんだよその格好」  あまりにもセクシーな出で立ちの袁術に一刀の瞳は釘付けとなる。以前一刀がデッサンしたスリングショットを身につけ、その瞳は潤みを帯びている。  また、熱がこもり始めているのか彼女のきめ細やかな肌が赤みを増している。しかも、秘部の部分がつらくなっているのか両腿をもじもじと擦り合わせている。  さらに圧迫された胸はぴったりと密着している布にその先端にあるらしい蕾を形取っている。 「てい!」 「あぁぁぁ、目がぁ! 目がぁぁぁぁ!」  声からすると張勲だろう人物の指によって目つぶしを受けた一刀は悶えるように床をごろごろと転がる。 「…………大丈夫? ご主人様」 「あ、ああ。なんとか……というか、七乃、お前普通は掌で目元覆うくらいに留めるだろう!」  涙が浮かぶ眼で睨み付けるが張勲は笑顔を浮かべてち、ち、と指を振る。 「いえ、なにしろ美羽さまの艶姿を見て眼を血走らせる変態豚野郎ですからね。下手に手を近づけて舐められたくはありませんよ」 「しないから! 舐めるとかどこまで変人扱いなんだよ。たく、近々俺に対してどんなイメージを持ってるか全体で意識調査するべきかもな……」  特にエロ方面に走った覚えは……いや、スケベ心が出ることはなきにしもあらずだったが、それでもエロガッパな印象を与えるようなことをした自覚は一刀にはない。あくまで多分だが。  そんなこんなでちょっとしたコントを繰り広げていた一刀たちの元を離れて呂布が袁紹の元へと向かう。 「…………意地悪はよくない」  袁紹の正面にたって呂布は首を横に振る。 「何を仰りますの? これはすっぴんしっぺですわ」 「それを言うならスキンシップな」 「だから、見ちゃダメですって」 「ぐぉぉぉ、だから眼はやめなさいってば!」  ようやく元に戻った眼が再び機能停止する。 「そう! 一刀さんの仰った通り、ちきんひっぷですわ!」 「…………?」 「くぅ、痛た。あっとだな、……スキンシップというのは、簡単に言えば親しい者同士が仲良く触れあいとかをすることだよ」  まだ痛みの残る眼を瞬かせながら一刀は補足説明をする。 「…………二人は仲良し?」 「美羽さまも麗羽さまも親族ですから、それはもちろん」  呂布の言葉に返答したのは袁紹でもなければ袁術でもなく張勲だった。 「…………そう」  それだけ言うと呂布はすすと下がり一刀の隣の位置へとおさまる。 「さて、理解していただけたようですし、続きを」  そう言うと、袁紹は再び袁術をいじくり始める。 「ひぅっ、にゅ、にゅししゃまが……みていま……くぅ」 「ふふ、女は見られて美しくなるものですわ!」  使いどころを間違えているようにしか思えないことを言いながら袁紹が怪しげな、それでいて艶っぽさのある笑みを浮かべる。 「みゃ、みゃって……いや、もうやめれ……」 「おいおい、これとめた方が良いんじゃないのか、七乃?」  流石に不味いことになってきたと思い張勲に声をかけた一刀、 「せい!」  その視界が捉えたのは二つの肌色。そして、かけ声一発のそれにより一刀は再びよろよろとよろめいた。 「またかよぉぉぉ! くそっ、麗羽、ストップ! 美羽のエロ水着姿で俺の目がヤバイ!」  もう何度目になるかわからない目つぶしの痛みによって眼を押さえながらの一刀の叫びによって場は収まるのだった。  † 「主様のおかげでたすかったのじゃ」 「いやいや。どうってことないよ」  服屋での一件を治めた後、一刀たちは城へと戻るため大通りをのんびりと歩いている。  後ろの方では袁紹たちが呂布に餌――もとい食事を与えることに夢中になっている。 「一刀さんがしたことといえば、美羽さまの艶やかな姿に鼻の下のばした後、床に這いつくばってただけですもんね」 「お前は反省しような」  平気な顔して毒づく張勲を一刀はジト眼で見る。意味をなさない気はするがせめてもの抵抗である。 「それより、ハチミツの壷が空になったんですけど」 「ああ、それならさっき霞から聞いたよ。それで警邏のうちにちょっと確保できたから美羽の部屋に送っておいたよ」 「ほ、ホントかえ!?」  袁術は興奮し来た様子で一刀の学生服の裾をぎゅっと掴む。 「ああ。ほら、さっき詠が美羽の事をちょっときつく追い出しちゃったっていうじゃないか? だから、そのお詫びだよ」 「主様、ありがとうなのじゃ!」  そう言うと袁術は満面の笑みで一刀の腕に抱きつく。  その姿に妙な感傷が沸きそうになり一刀はそれをごまかすように彼女の頭に手を乗せる。  綺麗に整えられている髪が乱れないようになるべく優しく丁寧にそっと撫でる。 「いやいや。どうってことないよ」 「…………」 「あれ?」  先程と同じ返しをしたのに張勲の毒舌が来ない。不思議に思い張勲を見るが、彼女はまるで何かを計るかのような瞳で一刀をじっと見つめている。 「なんだよ、どうしたんだ?」 「いえ、ちょっと思うところがありまして」 「ふうん、ま、いいや。ほら、戻ろうぜ」  そう言うと一刀は歩き出す。その片腕に袁術をぶら下げたまま。 「あ! 待ちなさいな。このわたくしを置いてどんどん先に進むとはなにごとですの!」 「お、おい!?」  袁術の反対側の腕を取る袁紹。  急なことに一刀が眼を白黒させていると、袁術がぐいと腕を引っ張る。 「む、ほれさっさと行くのじゃ主様!」 「ほらほら、ちんたらせずに行きますわよ!」  二人の袁家に引っ張られながら一刀はゆっくりだった城への帰り道を進む歩を早め、駆け出していく。 「やれやれ。ダブル袁家が揃うとホント、賑やかさも二倍……いや、それ以上だな」  口元をほころばせながらそう呟いた一刀の声は風に乗り、空を紅く染める夕闇の中へと流れていくのだった。