「無じる真√N」拠点イベント31  その日も鳳統は例に漏れずせっせと仕事をこなしていた。  元々、劉備軍で軍師を勤め、さらには袁術軍でもまた文官の統括に近しい役職を任じられていた彼女は公孫賛軍の元へと来てからは一軍師として仕事に励んでいた。  これも、北郷一刀という鳳統からすれば不思議な思考回路をしている少年の手回しの結果である。 「えっと、これは……こう、だよね」  一人で確認するように頷きながら仕事をこなす。現在、室内に存在するのは彼女のみである。  この部屋は、人見知りする鳳統が集中して作業に徹することができるようにとの配慮の賜である。  もちろん、出来上がったものは君主である公孫賛や他の軍師、中でも賈駆がじっくりと目を通して不備や不振なところがないか確認している。  それも立場上仕方がないことであることだとわかっているため、鳳統は納得した上で仕事をこなしている。  もっとも、公孫賛たち自身は鳳統を疑っているわけではない。  あくまで、周囲の目があるためである。そのことも鳳統はよく理解している。だから、彼女にとって今の在り方はそれほど苦ではない。 「…………ふんふふん」  徐々に作業もはかどりはじめ鳳統は鼻歌交じりにこなしていく。と、そこへ一人の侍女が入ってくる。 「失礼します」 「あ、どうも。こんにちは」  鳳統は一旦、手を休めると、顔を上げて入室してきた人物を見る。  その侍女は全体的にふりふりとした装飾のついた不思議な服を着ている。それ以上に波打つ髪、優しげな瞳、それは間違いなく公孫賛軍の要人である北郷一刀専属の侍女を務める少女だった。 「お茶をお持ちしました」 「……あ、ありがとう。月ちゃん」 「いえいえ。どういたしまして」  控えめな鳳統の声に月と呼ばれた少女がにこりと微笑み返してくれる。ここ最近、何かと世話を焼いてくれるのだ。  そっと湯飲みを鳳統の机に置くとしずしずと部屋の隅へと下がっていく。それを視界の隅で確認しながら鳳統は湯飲みを口元へと運び、そっと傾ける。  口内へと広がる熱いお茶。その熱は身体中へと程よく回っていく。そして、なによりも―― 「……おいしい」 「ふふ、よかった。雛里ちゃんが気に入ってくれそうなのを選んだ甲斐がありました」  確かに、彼女の言う通りお茶の味は鳳統としても非常に好みに合っている。 「でも、良かったの? 北郷さんの方は……」 「それは、今詠ちゃんがやってるから大丈夫ですよ。ふふ」  そう言って微笑む少女の瞳はきっと彼らの姿が映っていることだろう。  † 「へくち」  執務室、メイド服を着た少女がくしゃみをする。それに伴って彼女の木賊色のおさげがゆらりと揺れる。 「おやおや、これはまた可愛らしいくしゃみだな。詠」 「うっさい! にやにやすんな!」 「いてっ!? なんで蹴るかなぁ、もう」  賈駆に蹴られた足をさすりながら一刀は抗議の視線を送りつける。だが、まったく気にした様子はない。 「政務中に鼻の下伸ばしてるお前が悪い」 「ぱ、白蓮っ!?」  つんとした表情の公孫賛は一切一刀の方を見ようともしない。黙々と書簡に目を通し、記述が必要なものに筆を走らせ、印が必要なものへはぽんぽんと押していく。 「…………ちぇっ。なんだよなんだよ」  口先を尖らせながら一刀も仕事を再開していくのだった。 「ちょっと、そこ間違ってるじゃない」 「え?」  賈駆が指し締めた箇所は確かに誤った記述になっている。頭を掻きながら一刀はその書簡を改めていく。すると、今度は別方向から手が伸びてくる。 「おい、一刀。それ、一部おかしなことになってるじゃないか」 「うそっ!?」  公孫賛に指摘された部分を見ると、確かに普通に考え手もありえないことになっている。 「お前、どうしたんだ?」 「どうせ、変なことでも考えていたんじゃないの?」  心配するように眉を顰める公孫賛とあからまさに呆れの感情を表面に出すかのようなじと眼をした賈駆という対極な意味合いの視線が向けられる。 「あ、あのなぁ……」 「って、ほら、そこ違うじゃない!」 「……ま、またかよ」 「おい、そこもおかしいぞ!」  この後も交互に指摘を受けながら一刀は政務をこなしていくことになるのだった。 「非っ常に、きびしぃぃ~」  †  仕事が一区切りついた鳳統は席に着いて茶を啜る。そして、ふっと息を吐き出すと、ゆっくりと口を開く。 「……あの、月ちゃん」 「はい、なんでしょう?」  小首を傾げる少女。 「その……、どうして、月ちゃんは私のお世話をしてくれるの?」 「え?」 「その、北郷さんのお世話が中心だって聞いてたから……」  そう、いま目の前に座っている少女は本来ならばこんな部屋に来て鳳統とお茶をすするような人物ではない。だが、それとは別に、彼女が鳳統にとってまだ日が浅いとはいえど、ここに来てからの日々において非常に助けとなってくれた存在であるというのも事実だった。  当の少女は、しばし思案を巡らすように瞳を閉じてううん、と唸っていたが、決意を固めたかのようにぱっと目を見開いて鳳統を見つめてくる。 「えっとね、本当は雛里ちゃんには教えちゃ駄目だって言われてるんだけど。実は、ご主人様からのご指示で」 「えっ!?」 「あ、でも、別にわたしも嫌ってわけじゃないんですよ? 雛里ちゃんと一緒にいるの楽しいですし。それに……」  彼女は驚く鳳統を見て慌てたように両手を振って言葉を続けていくが、末尾になると頬を朱に染めて俯いてしまう。 「……どうしたんですか?」 「その、ご主人様はわたしのことを考えてくださるから、嫌がることは強要しませんので」 「……愛されてるんですね」 「へぅ~」  きっと彼女の意思を第一に考えているのだろう。そんな予想も目の前で真っ赤になっている少女を見れば確実であるといえるだろう。もし、少女のことを大事に思っていなければきっと彼女がここまで彼のことで顔を紅くすることもないのだから。 「でも、どうしてだろう。わざわざ御自分の担当である月ちゃんを……」 「あ、それはね。わたしが一番、雛里ちゃんと相性が良いだろうって」 「それって、つまり……今みたいに月ちゃんと仲良くなるとわかってたってこと?」 「ううん。それはどうなのかはわかりません。でも、きっとそうだろうとは仰ってましたよ」  返答を聞いて鳳統はなるほどと思う。こういう他者への気遣いこそが目の前の少女の心を惹きつける部分なのだろう。 「それにしても、雛里ちゃんが人見知りだっていうのも、初めてあったときに納得しちゃいました」 「……あぅ」  そう時間をかけることなく仲良くなれたとはいえ、最初の頃はいささか緊張を禁じ得なかったのは確かだった。それでも他の者たちと触れるよりは気楽さは感じられ、今の関係までそう時間をかけずになれた。 「ご主人様ってば、なにかと雛里ちゃんのこと気になさってました」 「え?」 「わたしには慣れたか、とか、仕事の方で不都合があると言ってなかったか、不満を感じていなかったか、など雛里ちゃんのことについてたくさん質問されちゃいました」 「……そ、そうなんだ」  にこにこと微笑む少女を見て鳳統は何だか北郷一刀に会ってみたくなってきた。そう考えれば考える程、北郷一刀と接したときのことを思い出す。  彼の懐の広さはどれほどなのだろうか、聞いた話では董卓軍の主だった将、それに目の前の少女、月こと董卓、さらには各地にいる元黄巾党の集団をも収めているという。 (……もしかすると、桃香様をはじめとした主要な方々に引けを取らない器なのかな?)  一見するとそのようには思えないのだが、人は見かけによらないということなのだろうか。 「お邪魔するよ」 「月、いる?」  その声と共に入室してきたのは丁度鳳統の始興の中心にいた北郷一刀、それに賈駆だった。 「実は、お茶でも一緒にと思ったんだけど……ほら、お土産もあるし」  そう言って一刀が差し出したのは綺麗に切り分けられた桃。どれも程よく水分を含んでいるようで美味な具合になっている。 「ボクとしては二人の邪魔になるんじゃないかと思ったんだけど」 「そんなことありませんよ。ちょうどわたしたちもお茶にしたところですから」 「そっか。それはよかった。えっと、いいかな?」 「……あ、はい」  訊ねるように視線を巡らせる一刀に二人は頷く。それを確認すると二人はそれぞれ空いている席へと座る。 「いやあ、ようやく政務が一区切りついてさ」 「あんたが一番頑張ってなかったけどね」 「そりゃ、白蓮や詠と比べられたらな」  賈駆の苦言に一刀は肩を竦めながら苦笑を浮かべる。それを見ながら鳳統はくすりと笑みを零す。 「……くすくす」 「ん? どうかした?」 「あんたの顔が変だからじゃないの」 「もう、詠ちゃん」  董卓も加わり、三人でやんややんやと盛り上がる。それがまたおかしくて鳳統は吹き出してしまう。 「……ふふふ」 「ほら、やっぱあんたの顔が――」 「それはもういいから」  ため息混じりにそうつっこむ一刀の姿に鳳統は納得する、こういう人なのだと。こういう何げないところでその人となりがわかるものなのだ。  賈駆のような少女と賑やかに会話をしている一刀だが、呂布のように静かな少女とも和やかに接することもできる。鳳統は呂布と一刀のやり取りを実際に見たことがあるからそれがわかる。 「ふふ、ご主人様。お茶、どうぞ」 「お、ありがとな。いやあ、月は良いこだなぁホント。誰かさんと違ってな」 「なんで、そこでボクを見るわけ?」 「さぁな。ところで、どうかな?」 「え?」  急に話を振られて鳳統は言葉に詰まってしまう。そんな鳳統を安心させようとするかのように笑みを浮かべながら一刀は言葉を続けていく。 「少しは慣れたかな? まあ、まだあんまり日にち経ってないけど」  そう言って頬を書きながら苦笑を浮かべる。どうやら、先日のことが引っかかっているのだろう。 「……あ、その。はい。大分慣れてきました」 「そっか。それは良かった」  鳳統が頷いてみせると、一刀がほっと安堵するように息を零す。 「…………あの、この間はすみません。その……、突然逃げ出したりしてしまって」 「いや、仕方ないよ。あれは人見知りなところがあるっていうのを忘れてた俺が悪いんだからさ」  そう言ってにっこりと微笑むと、一刀はお茶を啜り始める。  その姿を見て、先ほどの話を思い出し、鳳統は頭をぺこりと下げる。 「……そ、そういえば。月ちゃんの件。ありがとうございます」 「っ!? ごほっ、ごほ……」  一刀は目を見開くやいなや咳き込んでしまった。眼には雫が浮き上がっている。 「どうして、それを?」 「あの、実はわたしが……」  董卓はすっと手を挙げながら申し訳なさそうに一刀を見上げる。 「月、話したのか」 「へぅ~。すみません、ご主人様」 「いや、まあ、過ぎたことは仕方がないさ。それに、月と仲良くできてるようだからな。俺はそれで十分だよ」  そう言って一刀は董卓の頭をよしよしと撫でる。されている側の董卓も満足そうな顔をしている。 「へぅ……」 「そんな長々と月に触ってるんじゃない! この変態がぁ!」 「んぅっ!」  賈駆の叫びに呼応するようにして机が跳ね上がりその直後から一刀が顔をしかめる。 「くぅ~」 「ふん。大丈夫? 月」 「もう、詠ちゃん。そんなにぽんぽん蹴っちゃ駄目だよ。それじゃあ、頭撫でてもらえないよ?」 「そうねえ……月がそう言うなら溜めに溜めて一撃必殺にしようかしら……って、ちょっと、月!」 「あはは、詠ちゃんたら照れちゃって……」 「ゆぅ~えぇ~!」 「…………一撃必殺って。な、なにさりげなく物騒なこと言ってるんだよ。ぐぅぅ」  きゃいきゃいとじゃれ合う董卓と賈駆の横で机につっ伏するようにして身体を丸めている一刀が小刻みに震えるながら声すらも震わせる。  それからしばらくぷるぷると震えていた一刀が顔をあげるのを見計らって鳳統は声をかける。 「……あ、あの」 「ん? どうかした?」 「……その、ずっと。言いそびれてしまっていたのですが」  そう言って、鳳統は一度深呼吸をする。そして、心の中でよし、と意気込むと思い切って口を開く。 「……あ、あの。あの時のこと、いろいろとありがとうございました。ご主人様」  あの徐州での騒動からずっと彼に言いそびれていたその言葉を告げた。  また、先程、董卓と二人で話をしているときから不思議なことにふつふつと沸き上がっていた気持ちが最高潮に達っしてしまったがために、鳳統はその感情に引っ張られるようにして思わず彼のことを〝ご主人様〟と呼んでしまっていた。  鳳統が一刀に礼を述べてからずっと沈黙が場を支配している。誰一人として動かない。だが、いつまでもそのままというわけにはいくはずもなく、時は再び動き始める。 「あ、あんたねえ。まさか、また……」  賈駆がじろりと半眼で一刀を睨む。一刀がそれに対してあたふたとし始める。 「ち、違う。別にこれといって変なことは何もしてない。断じてしてないって」 「でも、雛里ちゃんがご主人様って……」 「いや、俺知らない。知らないよ。な、何故、急にそんなことを? なあ、鳳と――」 「……あの、雛里で構いません。……あ、あわわわわ」  真名を預けてみたものの、鳳統は何だか無性に恥ずかしくなってくる。  急速に異常な熱が顔中を駆け巡り、鳳統は何も言えずに俯いてしまう。 「ちょっと、どういうことなのよ」 「だから、俺はしら、知らないって……え、詠! 首がしまって……ぐぇ」  詰め寄る賈駆が一刀の襟をぐいっと掴み、それによって彼の首が思いっきり絞まっている。  だが、賈駆は気付いてないのかぐいぐいと締め上げていく。 「そういえば、白蓮さんはどうしたんですか?」  ふと、思い出したように董卓がそう訊ねると、賈駆が一刀を解放する。  首を押さえて咳き込みがちになりながらも一刀は乾いた笑みを口から漏らす。 「途中までは一緒だったんだけど、急な案件が入ってな。白蓮じゃなきゃさばけないらしくて」 「ホント間の悪さはピカイチよね。白蓮って」  そう言うと賈駆は口元を緩めながら菓子を口へと頬張る。一刀と賈駆からは同情や哀れみが感じられない。つまりは二人からすればいつものことなのだろう。  なんというか、公孫賛はかわいそうな人なのだな、と鳳統は思うのだった。  それから、和やかに進んだ茶会も終わりを迎え、一刀と賈駆はそれぞれの仕事へと戻るため席を立った。 「それじゃ、俺たちはこれで」 「じゃあね。月」 「お二人とも頑張ってくださいね」  音も立てずに出口へと回り込んでいた董卓が静かに扉を開いて、笑顔を向ける。 「…………あ、あの!」 「ん?」  廊下へ出たところで一刀が部屋の方へと振り返る。 「これから……よろしく、お願いします。ご主人様」 「ああ、よろしくな。雛里」  こうして、騒乱の中で劉備、袁術という大陸に名を轟かせた勢力を渡り歩いた軍師鳳統は新たな主人を迎えることになるのだった。  ご主人様と呼んでみた今、彼女は先程まで董卓に抱いていた感情を理解した。  ……そう、それはきっと羨望なのだろう。 ―――――――――――――――――――――――――――――――― † ――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N」拠点イベント32 「まったく、妾に一体何のようなのじゃ?」  玉座の間へと呼び出した袁術、公孫賛軍の元に囚われたはずの彼女は何故か反っくり返っている。 「さすがお嬢さま。自らの立場もお考えにならないのは桁外れな度胸の現れ! よ、三国一の厚顔無恥!」 「うむ。そうであろう。あっはっはっはー!」  張勲の言葉に袁術は一層、貧相な旨を反らして高笑いをする。 「なあ、一刀。あれって」 「言わないでくれ。俺もついていけてないんだ」  どう見ても張勲は褒めてない。それはわかるが、果たしてなかなかきついことを口に出している張勲が悪いのか、はたまたまったく気付いていない袁術が悪いのか……正直、一刀は微妙なところだと思う。 「何を黙り込んでおるのじゃ! 要件があるのならすぐに言わぬか!」 「なぁ、一刀。…………ここ怒るところか?」 「やめとけ。余計にややこしくなる」  そう言って、一刀はため息混じりに顔を向けてくる公孫賛の肩に手を置く。 「なにをぶつぶつ言っておるのかの?」 「いや、なんでもない。それで、お前たちの身柄を一刀の申し出により我が軍で受け持つことになった。だが、事後作業で忙しく碌に話もしていなかったからな。少々、話をしようと思う」 「おお、そうか! では、なんでも言うてみるがよいぞ」 「だそうですので、さっさと仰ってください」 「こ、こいつら……」 「まあまあ、いいからとっとと済ませちゃおうぜ」  袁術と張勲に対して口元をひきつらせる公孫賛を宥めつつ一刀は気付かれないようにため息を吐いた。 「おほん。それでは、据置きのままにしておいた二人の処遇について言い渡す」 「な、なにやら嫌な響きじゃな、のう? 七乃」 「そうですねえ。もしかしたら、お嬢さま、拷問にかけられたりして」 「ぴぃぃぃぃ~」  張勲の言葉に袁術は一瞬で身を縮こまらせてしまった。 「話を拗らせないでもらえないか?」 「あらぁ、なんのことですか?」  そう答えながらも張勲は目をそらす。その態度に公孫賛の肩がぷるぷると震えていく。 「…………」 「白蓮、我慢。な、我慢」 「いや、私はただ、疲れただけだ。麗羽たちとはまた違った面倒臭さがあるぞ、こいつら」  消え入るような声でそう告げると公孫賛はがっくりと肩を落とす。その表情はすっかり疲れ切っている。  一刀はその様子を見て何故か元の世界にいたころに見かけたくたびれたサラリーマンを思い起こさずにはいられない。 「はぁ。ま、いいや。それで、お前らは――」 「何やら用があるとのことだが、どうした?」 「お、華雄。丁度良いところに」  公孫賛の言葉を遮るようにしてやってきた華雄に一刀はこちゃこいと手招きする。 「ほう、一刀もいるのか。それに、袁術か」  一刀たちの方へと歩み寄りながら華雄は共にいる袁術たちをじろじろと観察する。 「な、なんじゃ。な、なぜ妾を睨んでおるのじゃ」 「なんだか、おっかない感じの人ですね」  抱きつく袁術の頭をよしよしと撫でながら張勲が余計な一言を発する。 「おい、なんで来るやいなや悪く言われねばならんのだ? あぁん?」 「そこで、俺に詰め寄るのはやめてくれないかな?」  ずずいと近づけられた華雄の顔は笑みを貼り付けている……だが、目は笑っていない。 「まあまあ、落ち着け、華雄」 「……はじめから落ち着いているわ!」 「ああ、そう」  宥めるように語りかける公孫賛に華雄は納得いかないとばかりに顔をしかめる。 「どうみても、怒ってんじゃん」 「何か言ったか?」 「イエナニモ」  じろりと睨まれて一刀は思わず尻込みする。 「それよりもだ、華雄。お前には」 「実はさ、この二人のことをしばらく任せようと思うんだ」 「一刀、お前なあ」 「ん? どうした、白蓮」  見れば公孫賛は非常に不機嫌そうにむっとした表情をしている。いったいなぜなのか一刀は察することができず首を傾げることしかできない。 「はぁ……もう、いい。それで、かゆ――」 「待て、まてぇ! 何故、私がこやつらの面倒を見なくてはならんのだ!」 「いや、ほら。麗羽たちの相手をしてこういう手合いには慣れてるかなと」  再度詰め寄る華雄に一刀は頬を掻きながら説明をする。だが、華雄は一層柳眉を吊り上げる。 「ふざけるな! これ以上、私の手を焼かせる気か貴様!」 「お、落ち着け華雄。ん?」  荒ぶる猪もかくやという怒りようにどうどうと華雄を慰撫しようとする傍ら一刀は急に大人しくなった袁術に気がつく。 「ひぃぃぃ、わ、忘れておった。こ、ここには麗羽がおるのじゃった……」 「ど、どうしたんだ、これ?」 「うふふ。まあ、いろいろとあるんですよ」  がくがくぶるぶると小刻みに震える袁術に対して微笑みを浮かべている張勲、どういう状況になっているのか一刀にはいまいち把握できない。 「うう、麗羽姉様……勘弁してたも」  何も存在していないはずの虚空に向かって何やら話しかけている袁術、その瞳はすっかり輝きを失って濁りきっている。その姿を見ているうちに一刀は段々心配になってくる。 「本当に大丈夫なのか?」 「このままで良いと思いますよ。お嬢さまが混じってると話進みませんし」  訊ねる一刀に対して何の気もないといった様子で答える張勲、大切にしているはずの袁術が共同不振なのにどこか幸せそうな顔をしている。 「……張勲。お前、あの様子を見て楽しんでるだろ」 「え? そんなことありませんよ?」  呆れの混じった公孫賛の言葉に張勲は口元に笑みを湛えたまま僅かに首を傾げる。 「…………こいつは天然でこうなのか?」 「さあ? 俺にきかれても」  眉尻を下げる公孫賛に対して首を傾げる。公孫賛は肩をガックリと落としてため息を漏らす。 「はぁ……もういい。それで、袁術、張勲。お前らには部屋を移ってもらう」 「はい? それが処遇の内容ですか?」 「いや。処遇は華雄や一刀らの監視下に入ってもらうってことだ。それで、丁度良い機会だから、今いる部屋からの移動も行わせてもらう」  こめかみをぐっぐっと指の腹で押しながら公孫賛がそう告げると、今までがたがたと震えていた袁術の動きがぴたりと止まる。 「別の部屋へ移るのかや?」 「ああ。というか、お前らの私物が届いたんだが……あの部屋じゃ入りきらないんだよ」  かつて寿春から下邳へと運び込まれていたらしい袁術たちの私物。大きなものから小さな小物まで揃っており、またその数が多すぎた。どう計算しても部屋に収納しきれないのである。 「ということは、さらに広い部屋ですか?」 「なんと! やったのじゃ~!」 「うふふ。バカみたいに喜ぶお嬢さまもかわいいですねえ。それで、どこへ移るんです」  片手を挙げて喜びを露わにする袁術を微笑ましげに見つめながら張勲が公孫賛へと訊ねる。 「ああ、荷物だけ今使用してる部屋に入れておいて二人だけ麗羽の部屋に移ってもらおうかと思ったんだが――」 「い、いやじゃ、それだけはいやじゃ。何があろうとも麗羽姉様と同じ部屋はいやじゃ!」 「ふふ、良いじゃないですか。美羽様。たっぷりと可愛がってもらえますよ」 「れ、麗羽姉様のかわいがりって……ひぃぃぃぃ」  張勲が囁くように語りかけると、袁術は大きめの地震にあったかのように再び振動を始める。 「ほ、本格的に頭痛くなってきた……。一刀、後頼む」  頭を抱えながら一刀の肩を叩くと公孫賛は一歩下がる。代わりに一刀が二人の前へと進み出る。 「まあ、そうだろうと思って、あらかじめ俺から麗羽とは別室にするよう頼んどいたよ」 「ほ、ほんとなのかえ?」  ぴたりと制止した袁術がじっと一刀を見つめる。  そんな袁術に視線を送り返すことで一刀は彼女の目尻に光るものがあるのに気がつき、思わず頬を緩める。 「ああ。本当だよ」 「ほんとのほんとじゃな?」 「ほんとのほんとだよ」 「よ、よかったのじゃ~」  震える声を発しながら袁術はその場にへたり込んでしまう。 「あら、残念ですね」 「君は、ホントに酷いな」 「失礼ですね。お嬢さまの可愛いところが見たいという、愛の現れなんですよ」  人差し指をぴんと立てて力説する張勲だが、一刀にはどう考えても一つの今年か思い浮かばない。 「…………歪んでるよ、その愛」 「何か言いました?」 「別に」  暖かさが感じられない満面の笑みを張勲が向けてくるが、一刀はぷいと視線を逸らす。 「おほん。まあ、なんにしても。とにかく、部屋を移ってもらうっていうのはわかってくれたか?」 「うむ、ちゃんと理解したのじゃ!」 「だそうですよ」  満面の笑みで頷く袁術を見て、一刀は単純だなあ、などと失礼な感想を抱く。 「よし。ただ、そうだな……何か問題起こしたら、その時は問答無用で麗羽の部屋に入れるぞ」 「わ、わかっておるわ。な、ななな、なにしろ、妾は良い子じゃからの! の、のう? 七乃」 「…………」 「な、七乃ぉ! なんとかいってたも!」  沈黙を守り続ける張勲の態度に堪えきれなくなったのか、袁術が彼女の腰付近へと縋り付く。 「…………うふふ、溜まりませんね」 「な、ななのぉ?」  涙目で見上げる袁術を見て張勲は瞳を爛々と輝かせている。どう見ても悦に浸っている。 「ホント、歪んでいるな。こいつ」 「……とことん曲がってるな」  華雄と公孫賛がうんうんと頷きあう。 「ななのぉ、妾は良い子じゃろ? のう? 七乃」 「…………ふぅ。そうですね。美羽様はとっても良い子ですよ」 「あ、満足した」  頬に手をそえてほうっとうっとりしている張勲の背中から蝙蝠のような羽根と、黒色で先端が矢印のような形をしている尻尾が出ているように一刀には見えた。 「さて、それじゃあ。なにか騒動を起こしたりしないと約束できるか?」 「うむ!」 「よし、素直でよろしい。それで、多分しばらくは私物を運び込むので時間取られるから、その間は――」  一刀がそこまで告げたところで、五人の元へ小さな影が頭の魔法使いのような帽子をひょこひょこさせながらやってくる。 「…………し、しちゅれいしまちゅ。あぅ。……あ、あの、ご主人様」 「お、丁度良いところに来てくれたな。雛里の元に二人を一時的に預けようと思うんだけど、良いかな?」 「…………え? 美羽ちゃんと七乃さんをですか?」  驚いた表情を浮かべたまま鳳統は袁術と張勲の二人を見る。  実のところ鳳統は袁術と張勲の二人と違って、既に公孫賛軍の一員として働きなかなかの貢献をしている。それゆえ彼女の待遇もまた二人とは異なっていた。  また、面倒を見ていた一刀ならば鳳統にいろいろと話が通しやすくなっており、そのため彼女をこの場に呼んでいたのである。もちろん、袁術との間柄を考慮したうえでもある。 「ああ、そうだよ。どうかな?」 「……はい。別に構いません」  鳳統がそう答えるが、それにいち早く反応したのは一刀ではなかった。 「なんと! 妾は雛里と共にすごせるのかや?」 「ああ。どうかな、二人共」 「妾は構わぬのじゃー!」 「お嬢さまが良いのでしたら」  二人とも笑みを浮かべて肯く。 「よし、それじゃあ。しばらく面倒を頼むよ。雛里」 「……は、はい。おまかせください」 「後、助けがいるようだったら華雄をつけるから存分に力を借りるといいよ」 「おい、それは決定事項なのか!」  柳眉を吊り上げた華雄がのしのしと一刀の方へと歩み寄ってくる。あれだけ強く踏み込んだら床がめり込んでしまうのではと一刀は心配してしまう。 「あら? そういえば、華ごにょごにょさん……いたんですね。すっかり忘れてました」  床の心配などと言う現実逃避する一刀を救ったのは意外なことに張勲だった。おかげで華雄の歩がぴたりと止まった。  そして、華雄は素早く首を動かすと張勲の方を向く。 「お前……もう、私の名前を忘れたのか」 「まあ、諦めろ」  公孫賛が華雄の肩をぽんぽんと気安く叩く。その口元には笑みが浮かんでいる。 「…………その非常に腹の立つ笑みを引っ込めてくれんか?」 「いや、くくっ、すまん……ぷぷっ」  どうやら笑いの琴線にふれるものがあったらしく、公孫賛は手で口元を覆って必死に堪えているおうだが、指の隙間から笑いが漏れている。 「貴様ぁ……」 「ぷぷ、地味なやつはこれだから」 「うわー、本に載せたくなるくらいありきたりな反応ですねぇ」  胸の前で手を組んだ張勲が今度は公孫賛へと語りかけるが、公孫賛自身は今まで漏らしていた笑いをぴたりと止めてしまう。 「それって、もしかして」 「……随分と普通なんですね」 「っ!?」  意外そうに言っているが、その眼からは正直なところ別にどちらでも構わないという意思が伝わってくるように感じるのは自分の気のせいだろうかと一刀は思う。 「……ぷっ、くく」 「華雄、笑ってやるなよ」 「ふん、さんざん私をこけにしたのだ。これくらいはよかろう」  一刀が諫めるものの、華雄は腕組みしたままフンと鼻を鳴らして今にも床に膝をついて崩れ落ちてしまいそうな程脆くなっている公孫賛をじっと見つめる。  しばらく視線を固定した後、華雄はふっと息を吐くととぼとぼと公孫賛に歩み寄る。 「…………なんだか、虚しくなってきた」 「……華雄、今日は呑もう」  公孫賛と華雄はがっしりと肩を組んで互いに頷きあう。  二人の様子に苦笑しつつ、一刀は袁術たちの方へと向き直る。 「さて、それじゃあ、まずは新しい部屋に案内するとしようか。ほら、おいで、袁じゅ――」 「……ふむ。美羽でよいぞ」 「いいのか?」  簡単に許してくれる袁術に虚を突かれたように呆然とする一刀の前で袁術は顎に右手を添えて、その肘を左手で支えるというポーズを取る。 「うむ。謝恩の気持ちをしかと表す。それくらいは名だたる袁家の出である妾なれば当たり前のことなのじゃ。それに、雛里も真名を許しておるようじゃからのう」 「ま、そういうわけですから。よろしくお願いしますね。あと、そうですねえ……雛里ちゃんも美羽様も真名を預けたようなので、私も七乃でいいですよ?」 「ん、ありがと。それじゃあ、よろしくな。二人とも」 「よろしくなのじゃ。主様」 「ぬ、主様って……?」  聞き慣れない呼称に一刀は首を捻る。それに対して袁術がやれやれと肩を竦める。 「ふふん、雛里の主人となったのであろう? ならば、雛里の親友である前に主人である妾の横に並ぶにふさわしかろう? じゃから、主様なのじゃ」 「どんな理論だよ……」  なんだかもう疲れたなと思う一刀に対して、申し訳程度に膨らんでいるようないないような胸を反らして袁術が高らかに笑う。 「ぬははー! なに照れるでない、照れるでないぞ!」 「それじゃあ、ご主人様。美羽様共々よろしくお願いしますね」 「まじかよ……」  口元を引き攣らせる一刀、その背中に冷たい何かを感じて振り返る。そこには忘れがちな二人がいる。だが、先程までと明らかに様子が違う。 「一刀ぉ~、後で倉庫裏な」  公孫賛が眼を覗いた笑みを浮かべながら親指で背後をさす。 「そういえば私もそちらに用事があったな」 「では、共に行くとしよう。一刀……逃げるなよ?」  華雄へと語りかけたのと比べ低い声質で公孫賛が強調するようにそう告げる。 (俺の生命に危機が……)  ごくりと唾を飲み込むと一刀は―― 「さ、行くぞぉ。三人とも」  聞こえなかったふりをして、後は勢いに任せて誤魔化すことにした。  一刀の隣にいる袁術を先頭に鳳統、張勲が続く。 「それにしても、私の知らない間に雛里ちゃんを手込めにしたんですか?」 「してないよ!」 「お嬢さまのこともあるし……もしかして、一刀さんって……幼女嗜好なんですか?」  口元を手で隠しながら張勲は驚愕の様相を見せる。 「いや、違うから! というか、そのうわぁ……って、顔はなんだよ!」 「…………一刀、お前」  その声の方へと顔を向けると、公孫賛と華雄が半歩後退している。その表情からは明らかにどん引きしているのが見受けられる。 「そこの二人も冷めた眼で俺を見るな!」 「やっぱり、倉庫う――」 「さあさあ、ちゃきちゃき行くぞ! 誤解は後で解くことにしようかな。あっははははは!」  この後、部屋を紹介し袁術たちを鳳統に任せた一刀がどうなったのか……それは本人たちのみが知る。