「無じる真√N」拠点イベント30  昼下がりの廊下を本や書簡の塊が歩いていた。いや、正確にはそれを両手で持った北郷一刀である。  いつもの学生服を着た彼は、そのポリエステルの生地に皺がつくのも気にせず本をしっかりと抱き留めている。 「やれやれ……こんなにも借りっぱなしだったとは」  見えにくい前方を注意しながら一刀はぼやく。  内政のために書庫より持ち出した資料の数が知らぬうちに二桁に達していたのだ。しかも、一刀一人が使用したわけでもない、むしろ、賈駆と陳宮という軍師組が主に使用していたのだが、何故か片付けは一刀に回ってきていた。  彼女らに言わせれば、「ボクたちは忙しい身なのよ」「だから、お前が持っていくのです」とのことだ。 「まったく、俺だって暇人じゃないんだぞ」  そう言ってから一刀は何気なく廊下の天井を見上げる。質素な造り、別に資金がないわけではない。ただ、公孫賛が過剰装飾を望まず、また許さないためだ。  下邳城と比較すれば全く違う。 「……普通、だな」 「普通で悪いか?」 「え?」  何気なく口にした呟きに返事が返ってきて一刀は自分でもねじきってしまうのでは思うほどの勢いで首の向きを変える。  そこには眉尻を吊り上げた公孫賛の顔があった。気持ち頬が膨らんでいるように見えるのは彼女の怒りを一刀が感じ取ったからだろうか。 「どうせ、私は普通だ」 「いや、白蓮?」 「あぁ、普通さ。普通だよ! 普通の何が悪いんだ! ……違う違う、誰が普通だぁあ!」 「え? いや、ちょっと」  一人で盛り上がっている公孫賛、睨み付けてきたり首を振ったりと戦を前にしたときばりの忙しさ。置いてきぼりの一刀が間に割り込む隙がまったくない。 「普通? 普通ってなんだよ? そうさ、普通ってなんなんだよ。普通がなんなのか、それが重要だろ」 「あぁ、どうしよ……。よし、こうなったら」  ぶつぶつとなにやら意味の分からないことを口にする公孫賛をちらりと確認すると、一刀は決意を胸に頷く。 「ごめん!」 「……普通は私? 私が普通? って、一刀ぉぉおお!」  自分を呼ぶ声を無視して一刀は駆ける。積み重ねられた本がぐらついて危なかったが今振り返るほうが危険である、そう本能が語りかけてくる。  そして、一刀は絶妙な均衡を保ちながら全力で走り続けるのだった。  † 「……はぁ、はぁ」  本を床に置いたところで、一刀は額へと纏わり付く汗を拭う。結局、一度も公孫賛の方を見ることなくこの書庫まで走ってきてしまった。  公孫賛の罵倒やら誰かの甲高い悲鳴やら聞こえてくるのを無視して一刀はひた走った。一体背後で何があったのか今更になって気になったが考えも仕方のないことだと自分に言い聞かせ、一刀は気持ちを切り替える。 「さ、急いでこれを片付けないとな」  数冊の書簡を手に一刀は棚が幾つも並ぶ深き森へと足を向ける。多少の乱れはあるが基本的には種類別に仕分けがされた書簡の数々。どれか一つを手にとって……などということは一刀としてはごめんこうむりたいところである。  仕事上、読まねばならないものは読むが、それ以外のときにはなるべく眼にしたくはない。 「なんといっても、文字がな」  苦笑混じりに書簡の内容を思い出す。この世界では口で交わすほうの言葉は通じる。なのに、文字だとなぜか勝手が違ってくるのだ。この世界、もとい三国志時代に基づく(のかどうかは定かではない)ものとなっているのだ。  そのため、一刀にはその全てを理解するだけでもなかなか大変だったりする。 (ま、それでも勉強したからな)  前に彼がいた外史で仕事に支障をきたすということでみっちり勉強したのだ。 「あれからいろいろあって、今も俺はこうしているわけだが……それにしても、懐かしいな」  当時を振り返りながら一刀は書簡を棚へと戻していく。その口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいる。  鼻歌交じりにご機嫌な調子で片付けていく一刀。あっちへ運び、こちらへ運びと書庫の中を何往復もしていた。  そんな中、一冊の本だけが手元に残った。 「これは、なんなんだ?」  その本だけは今までの棚とは分類が異なっているらしく、どれにも当てはまらなかった。 「えっと、まだ見てない棚は……」  周囲をキョロキョロと見回しながら一刀は書庫を歩き続ける。どこを見ても棚、棚、棚。正直、この中から正解を探すのは骨が折れそうだ。  そう思うだけで肩が重くなるのを前の外史からの付き合いである少女たちについての情報のごとく明確に感じながら一刀は正解の棚を探し続けるために足を動かし続ける。  そうこうしてるうちに、一刀は奇妙なものを書庫の片隅に存在しているのを認めた。  この場所は普段ならば人が寄りつかないほどに暗闇に覆われているようなところだ。窓が遠いために日の光も届かず、松明に灯りをつけなければよく見えない程だ。  そんな一角に一刀は、盛大に盛り上がっている本の山を見つけた。それもいくつも積み上げられている。 「誰だよ、棚に片付けずにこんなところに積んだの。仕方ない、片付けるとしよう――」  ため息混じりに手にしていた本を近くの棚に一度置いて本の山へと近づく。余程使われていなかったのか、棚からはほこりが舞っていて少々鬱陶しい。 「……こ、こんな位置に脚部を? あわわ」 「ん?」  何か声が聞こえた、そんな気がして一刀は本が積みかさなってできた山々の隙間からそっと向こうを窺う。  暗闇に慣れ始めてきた目をよく懲らしてみる、そこには本棚の隙間に座り込んでいる人影が見受けられる。その手には一冊の本があるようだが、その題名まではこの暗さでは判断がつかない。  一応、対象である人影の隣に灯りをこうこうと放っているろうそくが立っているようだが、角度の問題か、人影が小柄であること以外はよく確認できない。  声も何かを喋っている程度にしか聞き取れないため判断がしづらい。 「……あわわわわ、こ、こんなところを」 「あれは……」  本の内容に対する反応に合わせて揺れるとんがり帽子。  確か、鳳統という劉備軍で軍師をしていた少女だったなと思い出した一刀は、要塞と化した本の数々を前にして声をかけるか考え込む。 (何か、重要な文献を見てるんだったら邪魔になるだろうし……)  一刀の位置からでは彼女の顔は見えない。真剣な表情をしているのかもわからない。ただ、熱心さだけは雰囲気というか空気というか目には見えない伝達手段で嫌と言うほど伝わってくる。 「あわわ~」 「…………ううん、どうしようか」  そう呟いた一刀の鼻に先ほど舞い上がったほこりが入りこんでくる。 「あ、あへ? へ、へ、へっくし!」  堪えきれず、くしゃみをしてしまったのと同時に本でできた壁の向こうでがたがたと物音がする。 「……だ、誰? あ……きゃっ!」  その可愛らしい悲鳴が聞こえるやいなや、雪崩となって本が崩れ落ちていく。一刀は慌てて両手を差し出す。その上に何冊もの本が積み重なっていく。 「うおっ! お、重い……」 「……あわわ、散らかっちゃった。え?」  足下に散らばる本を見つめていた鳳統は俯きがちだった顔を上げて一刀の方を見て瞳の動きを止めた。 「…………あ、あわわわわ」 「え? ちょっと……どうし――」 「……あわわ」  一刀の声を遮るように叫び声を上げた鳳統、その顔がみるみる真っ赤に染まっていく。 「……え、あの、その……あわわ」 「ど、どうしたの?」  自由に空を飛ぶ鳥のごとく縦横無尽に動きまわる鳳統の瞳、どう考えても動揺している。  あまりの驚きように一刀もどうしたらよいのか判断が付かない。  二人の間になんともいえない空気が流れる。と、その時だった。注意が一刀に向いていたせいか半ば放心しているような状態だった鳳統の手から持っていた本がどさりと落下した。  その瞬間、二人の視線が交錯する。先にあるのは本の題名。 「あ」  それはどちらが発した声だっただろうか、もしかしたら同時に二人のそれが重なったのかもしれない。  そんなことは関係なく、一刀と鳳統の視線は一点に集中したままになっている。  一刀は何度も頭の中で題名を復読していた。ただ、それを口に出すことはしない。ただ思ったのは、さすがは諸葛亮と仲が良い娘なだけはあるなぁ、ということだけだった。  そんな風なことをまったく顔に出さず認めている一刀の前で鳳統がぷるぷると震え出す。 「だ、大丈夫?」 「…………」  何も言わない鳳統は一刀と目を合わせようとしない、というよりも定まっていない。そして、しまいには 「あわわ、な、にゃんでもありましぇ~ん!」 「ちょ、ちょっと!?」  鳳統は顔を紅くして走り去ってしまった……。  彼女を追おうとしたが、ろうそくが灯されたまま放置されていたのに気がついて足を止めた。置いていくわけにも行かず、鳳統の後ろ姿へと向けて伸ばしていた手を引っ込める。  一刀はろうそくを拾いながらもう片方の手で頬を掻きつつ苦い笑みを浮かべる。 「ううん、やっぱり最初のうちは仲良くなるのはちょっと難しいのかな」  これまで数少ないとはいえ、彼女と接する機会のあった一刀は鳳統が人見知りな性格をしているのをそれとなく察してはいた。それに、彼女と再会する切欠となった袁術との件の際はそれなりに話せたとはいえ、あれは緊急事態だった。  鳳統自身も必死だったために気にする余裕がなかったのも理由だったのだろう。  それに、今回のは失敗だったと一刀からしても思う。なにしろ彼女がちょっと子供には見せられない類の本を熟読していたということを知ってしまったのだから。 「しかし、これはないよな」  鳳統が落としていったそれを手に持ってそれとなくぱらぱらと頁をめくる。なかなかに刺激的な内容である。 「取りあえず、これをどうしようかね」  口ではそういいながらも一刀の視線はいまだ本の中身に向けられていた。久しぶりに眼にした過激な内容の本に一刀は思わず唾を飲み込む。  ごくりと、喉が鳴るのを合図にするようにして足音が駆け寄ってくる。 「あんた、一体なにしたのよ!」 「へ?」  急に声をかけられた一刀は間抜けな声を発しながら顔を上げる。ゆっくりと眼を動かしていくと、その視線の先には二人の少女が立っていた。 「詠と、……月?」 「…………」  何故か、董卓は口を閉ざしたまま一刀を見つめている……いや、むしろ睨んでいてメイド服の柔らかなイメージと反発し合って異様な雰囲気を醸し出している。気のせいかその瞳は潤んでいる。 「彼女、涙を浮かべてました」 「え、それって……? あっ!?」  視線で刺し貫いてくる董卓の言葉に一刀は察した。彼女たちは先ほど書庫から出て行ったばかりの鳳統を見たのだ。だとしたら、二人が怒るのもわからないでもないが、さすがに勘違いさせたままはまずい。  そう思い、一刀は弁解の言葉を口にしようとする。だが、賈駆に先手を取られてしまう。 「なんだか顔がすごく赤らんでいたわ。まさかとは思うけど……、あんた、あの娘を恥ずかしめるようなことでもしたんじゃないでしょうねぇ?」 「するか!」  半眼で睨む詠に一刀は即座に返答する。 「じゃあ、あの様子はどう説明するんですか?」  董卓がじっと見つめながら一刀に問いかける。声は普段とそう変わりない落ち着いたものだ。なのに、不思議と一刀は重圧を感じずにはいられない。 「そうよ! このエロ人間! 人でなし! 折角、ボクが手伝ってあげようと思って来たっていうのに……あんたは」 「違うから! それは誤解なんだって。……というか、手伝いってなんのことだ?」 「っ!?」  ふと気になり、指摘すると、賈駆は息を呑んで瞳孔を一際大きくした。彼女が一体何を言っているのか一刀にはいまいち思いつかないのだが、どうやら言うつもりはなかったことのようだ。  急に顔中を真っ赤にして瞳を泳がせている。そんな賈駆の口はまるで蟻の巣にでもなってしまったかのように言葉を発するという役割を放棄している。  その代わりをするように董卓が口を開く。 「詠ちゃんは、わざわざご主人様が資料を片付けられるのをお手伝いしようと思ってたんです」 「え、……そうなのか?」  さんざん、多忙な軍師組に雑用同然の扱いを受けていたと思っていたために一刀は驚きも露わにしたまま賈駆を見る。 「ふ、ふん! そんなわけないでしょ。月も余計な事は言わなくて良いから。ね?」 「ううん。そうもいかないよ、詠ちゃん。いいですか、ご主人様。そのために、わざわざ着替えまでしてきた詠ちゃんの気持ちがわかりますか?」  そう言われて一刀は改めて賈駆の姿を見る。こちらも董卓同様メイド服姿だった。その普段の軍師姿ではないという事実が彼女の真意をゆうに物語っている。  それを理解して一刀は素直に頭を下げる。 「すまなかった。二人とも」 「はぁ。ま、いいわよ。どうせ、すぐにこの場でスケベがなおるわけでもないし」 「そうだね。それに、ご主人様だから」  二人は同意を表すように頷きあっている。 「なに、その納得の仕方」  この外史に来てからはそっち方面に関しては控えてきただけに一刀にも不満がむくむくと湧き上がってくる。だが、二人の視線がそんなちっぽけな自尊心ごと一刀を凍てつかせる。 「だいたい、そんなもの手にして熱弁されてもねぇ」 「さすがに、それは」 「なんのこと……って、うお!」  二人の視線の先へと目を向けると、先ほど鳳統が落としていった艶本を手にしたままだった。 「いや、これは、違う! 違うんだ」  慌てて艶本ごと手を振るが二人の目は疑惑の色に染まりきっている。そんな目で見られては一刀も自らの日頃の行いを疑いそうになる。 「…………」 「そんな目で見ないでくれ~」 「……あ、あの」  そっと片手を挙げた董卓が一刀を見る。頬をひくつかせながら一刀はなんとか笑みをつくってみせる。 「な、なにかな?」 「その……、ご主人様って、そういった趣向を凝らしたものが好きなんですか?」  険しい目つきの賈駆とは反対に董卓は先ほどから変わることのない潤んだ瞳で艶本を見つめている。そんな異なった反応を見せる二人だが、顔に朱色が差し込んでいるのだけは共通していた。  一刀にはそれを気にする余裕があるわけもなく、手振り身振りでわたわたと動く。 「だから、話を聞いてくれぇ!」  手伝いに来たという二人だったが、彼女たちの誤解を解くために四苦八苦した一刀の疲労は増すことになるのだった。