「無じる真√N」拠点29  ある日、主立った諸将の姿が消えた。いや、正確にはそれぞれが普段いる場所、私室などにいないのだ。  一体どこへ消えたのか……それはとある一室だった。  そこにはいくつもの影が輪になるように並んでいる。 「え〜おほん」  中心にいる人影……公孫賛が仰々しく咳払いをする。そして、そこに集う面々を一通り見渡すと、再度口を開く。 「これより、馬術愛好会の結成会を行う。いいな」  その問いかけに皆が頷く。 「では、点呼を行う。まず、私、公孫賛。次に星」 「ここにおりますぞ」  纏められた露草色の後ろ髪を揺らしながら趙雲が特に反応するような素振りもたいして見せずに返事をする。  彼女は、白龍という名の白い駿馬を大事にしている。 「斗詩」 「はい」  切りそろえられた真っ直ぐな濃藍の髪同様に大人しい印象を感じさせる声で顔良が返答する。  そして、彼女の隣に連れ添うように座っている少女へと視線を移す。 「猪々子」 「うっす」  自然な流れかたをした青磁色の髪に青いバンダナが生える文醜が軽く手を挙げる。  顔良と文醜は元が馬賊ゆえ、馬のことには眼がなく大事にしている。 「霞」 「はいはい」  頭の後ろで手を組んだままのんきな声色で返事をする張遼。  彼女ほど馬の扱いに長けているものもこの大陸においてはそういないだろう。なにしろ神速≠ニ謳われるほどなのだから。 「恋」 「…………」  返事がない。そのせいで僅かながらも場に沈黙が流れる。  動物が好きで、また家族としているというから馬もまた好き……だとは思うが、正直なところは公孫賛にはよくわからない。  もしかすると、馬には興味がなかったのだろうかと思いつつ再度訊ねてみる。 「恋?」 「…………」  こんどは頷いた。  それだけの返答だが、公孫賛はひとまずはそれでよしとして、この会合の結成において目玉でもある少年へと視線を向ける。 「そして、一刀」 「なんで、俺まで参加しなきゃならないんだよ」  ため息混じりに半眼で睨む一刀に公孫賛はにっこりと微笑む。 「うむ、それはついでだ」 「おい!」 「ははは。冗談だ、冗談。この会の結成に一役買ったんだ。参加してもらうほかないだろ?」 「ぐ……それを言われるとなんとも」  そう、この会の結成を公孫賛が思いついたのは一刀の何げない一言が切欠だった。  それは、とある軍議の後だった。  改めて集まっている諸将を見回した一刀が何げなく「馬と縁のある面子が集まってるんだな」と呟いたのだ。  その言葉を聞き逃さなかった公孫賛の脳裏に雷に打たれるかのごとく一つの考えが舞い降りてきた。  それが、この馬術愛好会≠セった。  事の馴れ初めを思い出していた公孫賛の耳が何か音を拾う。 「あー、おほん、おほん」  何度も咳払いする者がいる、しかもわざとらしい。なんだろうかとそちらを振り向いた公孫賛は顔を引き攣らせる。  そして、彼女は素早く頭を垂れる。 「…………すまん」 「……バカにしているのか?」  素直に頭を下げたのにも関わらず、相手は憤慨している。 「いやぁ、本気で忘れてた」 「…………」  ついには押し黙ってしまった。公孫賛は妙な汗を掻きながらその人物の名を呼ぶ。 「というわけで……華雄」 「ふん、もう呼ばんでよいわ」 「いや、本当にすまなかった」  すっかりへそを曲げてそっぽを向いてしまった華雄に公孫賛は苦い笑みと変な汗を浮かべる。 「まぁまぁ、白蓮も悪気があったわけじゃないんだし」 「しかしだな……」 「それに、白蓮も結構忘れられることあるし」 「おぉい!」  渋る華雄へと一刀が語りかけるが、その内容に対してはさすがに公孫賛も黙ってはいられない。思わず先程の一刀と同じようなツッコミをしてしまう。 「地味と言われる者同士だからこそ、忘れないと思ったのだがな」  その華雄の言葉が矢となって公孫賛の胸を貫く。なんとも表し難いほどの申し訳なさが貫かれた部分から広がってくる。 「……すまん」 「だから、もういいといっておるだろう」 「よし、じゃあ、これまで。それよりも早く話を進めようぜ」  一刀の言葉を最後に場は一度仕切り直され、華雄もため息混じりに許してくれた。 「さて、それではまず、我が会結成最初の活動についてだが、一刀?」 「あぁ、ちょっとな……実は前から考えていたことがあって」  包みを持って全員を見る一刀に公孫賛は首を傾げながら様子を見守る。 「実は……ほら、これ」  そう言って差し出されたのは、 「これは、鞍と鐙?」  馬へ騎乗する際に使用する鞍、そして、それを補佐する鐙だ。それも複数ある。  何を考えているのだろうか、公孫賛がそう訊ねようとするのを遮るように一刀が説明を始めた。 「みんなへのプレゼント……じゃなかった記念品だな」 「へぇ、もらってええんか?」 「あぁ」  興味ありげに鞍と鐙を見つめている張遼に一刀が一組差し出す。それを受け取る張遼の顔は疑問に満ちている。 「なぁ、なんかいつものと違わへん?」 「あぁ、いつもは片足しでしか鐙をつかってないだろ。それは両側……というか両脚で使うように変えてあるんだ」 「へぇ……」 「ほら、俺は霞の調練に付き合うことがあるだろ? その時にさ、片側だけだとやっぱり座ってるときの負担が大きいと思ってさ」 「確かに、そうやな」  納得したように張遼が頷く。それに対して頷き返しながら一刀が説明を続ける。 「それ使って両脚で踏ん張れるようにすれば、楽になると思うんだ」 「なるほど、つまりは、ウチらの尻を心配してっちゅうことやな」 「…………」 「な、なにその眼……ち、違うから。別にそんな意図じゃないからな?」  場にある全ての瞳が放つ視線に一刀が血相を変えて自己弁護を始める。  それでも冷たい視線は止まない。もちろん公孫賛も「このスケベ野郎」と言わんばかりに見つめる。 「ん? なんやこれ、」  多くの視線に貫かれて一刀が身悶えている中、ただ一人、鐙をまじまじと見つめていた張遼がぽつりと漏らす。 「……そ、それかあ! それはな――」 「あ、逃げた!」 「黙らっしゃい!」  文醜の指摘に一刀が言い返すが、逃げたとしか見えないのだから、その言葉に力はない。  だけど、張遼が気付いた何かが気になるため公孫賛はそちらを見る。どうやら他の者たちも同様らしく一刀と張遼の間に目を据えている。 「こほん。とにかくだ。これ、このリボンっていう布はみんなに合わせてそれぞれ色を別にしてあるんだ」  そう言いながら一刀は包みを完全に解いて中にある鞍と鐙の山を表へと出した。 「つまり、このすみれ色のがウチの分っちゅうわけやな」 「そういうこと、ほら、他のみんなのもあるよ」  そう言って一刀が輪の中心へと山を運んでくる。各々自分に合うというものを受け取るためにそこへと群がる。 「うぅん、まずは――」 「私だ!」  誰よりも前へと進み出たのは華雄だった。 「また、忘れられても困るからなぁ」  そう言ってじろりとガンを付けてくる華雄に公孫賛は乾いた笑いで返すことしかできない。 (根に持ちすぎだろ! そんなんだから目立てないんだ!)  腹の中に不満を抱える公孫賛を余所に配布は進んでいく。 「華雄はこれ、紺色」 「うむ、感謝するぞ」  どことなく嬉しそうに頬を綻ばせながら華雄が元の席へと戻っていく。 「それで、星は薄青だな」 「大事に使わせていただきますぞ、主」  うやうやしく受け取る趙雲、その瞳は本当に感謝しているようだ。 「それで、恋は紅色かな」 「…………」  不満があるのかないのか窺うことのできない顔をしているが、一刀の様子を見る限り満足しているらしい。 「えぇと、それで斗詩は……青紫だな」 「ありがとうございます」  何度も何度も鞍と鐙を見ながら顔良が軽い足取りで下がっていく。  それを満足そうに見送りながら一刀が次の鞍と鐙へと手を伸ばす。 「それで、猪々子は――」 「もちろん、この、翠色のだろ?」  今までの流れを見てだろうか、文醜が勝手に手に取る。だが、一刀は首を横に振る。 「いや、違うんだ。それは、また別の人にと思ってね」 「ふぅん、じゃあ、あたいのは?」 「あぁ、これだ」 「真っ白……だな」 「純粋無垢そうな猪々子にはぴったりだろ?」 「はぁ!? な、なにいってるんだよ! もう……ま、ありがたく貰っとくぜ」  言葉の割に鼻歌を交えて機嫌良く席へと戻る文醜。そんな彼女を見ながら公孫賛は呆然としていた……何故なら自分こそ白≠セと思ったから。 「か、一刀……私のは?」 「え?」 「いや、私……真名は白蓮≠セし、異名は白馬長子だし……普通は白だと思うだろ? なあ?」 「…………」 「お、お前まさか……」  急に黙す一刀に公孫賛は受け取るために突き出した両手はそのままに全身を震わせる。 「ぷっ」 「……笑うな!」  背後で吹き出した何者かに公孫賛が血走らんばかりの瞳で睨む。そこにいたのは、華雄だった。  先程の恨みとばかりにあざけり笑う華雄へと公孫賛は鈍い音を立てながら歩み寄る。  対する華雄は胸を張って当然とばかりの顔をしている。 「ふん、自業自得だろう?」 「なっ!? 華雄……お前ぇ!」 「む、やるか? 影薄!」 「なんだと、地味女!」  互いに微妙な大きさの胸と額を擦り合いながらにらみ合う。 「あぁ、待った待った!」  泡を食って一刀が間に入りこんできて二人の距離を離す。 「さっきのは、冗談。白蓮のもちゃんとあるから」 「ふざけるな!」  思わず怒鳴る公孫賛だが、不思議なことに華雄と同時でまるで張三姉妹の歌声のごとく綺麗に重なっていた。 「ごめんなさい」 「まったく……それで、私のは?」 「ほら、これだよ」  そう言って差し出されたのは先程文醜に渡されたものと大差ない鞍と鐙だった。 「同じ白か?」 「ふふ、よく見ろよ」 「むむむ……あっ、これは!」  よく見ると、差し込んでくる日の光によってきらきらと煌めいている。 「もしかして、これって……」 「あぁ、俺の服からちょっとだけ生地を、ね」  そう言ってにこっと微笑む一刀の顔が公孫賛には眩しいほどに輝いて見える。 「白蓮には、一番世話になってるからな。ちょっとは差別化を図ろうと思ってね」 「一刀、お前ってやつは……」  一刀の心遣いが妙に嬉しくて公孫賛は思わず感極まってしまう。そして、その感情の昂ぶりが抑えきれず公孫賛が抱きつこうとした瞬間、一刀に他の誰かが飛びかかる。 「なんや、それ!」 「白蓮様だけ、特別かよ! ぶーぶー!」 「ちょっと、それはあんまりじゃありませんか?」 「さすがにこれはどうかと思いますな、あ〜る〜じ?」 「なんで、同じ地味属性のはずなのにやつだけ優遇されるのだ!」 「ちょ、ちょっと待って、お願いだから――」 「…………」 「え? 恋? なに、その眼。拗ねてるのか? って、あ痛たたたたた!」  じぃっと一刀を見つめていた呂布が彼の上へとのしかかる。それに続けとばかりに折り重なるように少女たちが乗っていく。 「ちょっと、苦しいって……うぎゃ〜」  一刀の断末魔を聞きながらも公孫賛はこっそりと部屋の出口へと赴いた。そして、 「そ、それじゃあ、今日の馬術愛好会はこれまで! じゃあな」  そう宣言して駆け足で屋外へと飛び出すのだった。  †  公孫賛は部屋から逃げ出てきたのだが、そのまま逃亡はせず、近くの物陰に隠れてしばらく様子を窺っていた。  激しい物音や何かが折れるような音、そして、この世のものとは思えない悲鳴。それらのどれも余すことなく部屋の外にまで聞こえてきていた。  そして、妙にすっきりした表情で出てくる諸将。だが、一刀だけは一向に出てこない。  どうしたのかと、部屋を覗くと、 「きゅう〜」 「か、一刀!」  何故か顔中がぬらぬらとテカっている一刀が倒れていた。  公孫賛が駆け寄ると、どうもその際に鳴った足音に反応したらしく一刀が大きく飛び退いた。 「ひぃぃ、これ以上吸わないでぇ!」 「な、何があったんだ、一体……」  粘液で顔中べとべとになっている一刀を遠目に見ながら公孫賛は首を傾げる。 「って、なんだ。白蓮か」 「おいおい、どうしたんだよ。何をされたんだ?」 「も、黙秘権を行使します!」 「はぁ?」  急にきりっとした真剣な表情で答える一刀に公孫賛はわけがわからずぽかんと開口する。 「まぁ、いいか。ほら、行くぞ」 「……外にいないよな。い、いないよな?」  挙動不審な一刀を訝しみつつも公孫賛は彼の肩を押して部屋の外へと無理矢理追い出す。  外に誰もいないことに安堵する一刀を連れて公孫賛は歩み始める。  暫く足を動かしたところで公孫賛は、ようやく落ち着きを取り戻したらしい一刀に先程気になったことを訊ねてみることにした。 「なぁ、あの翠色のって結局誰のためのものだったんだ?」 「あぁ、あれ? あれは……ちょっと、訳ありなんだよ」 「訳あり?」 「そう。今すぐには渡せないんだよ。いや、実際の所は渡す機会があるかどうかもわからないんだけどな。ただ、もし今度会えるなら渡したいんだ……」  そう答えながら一刀は空を見上げている。その瞳はどこの誰を映しているのだろうか……公孫賛には知る由もない。  ただ、その人物が彼にとってとても大切な存在なのだろうということだけがわかり、公孫賛は軽い嫉妬を覚え、そっと一刀の腕を取り抱きつくのだった。 「お、おい白蓮!」 「うるさい。まだ、ふらついてるんだから、これくらいは我慢しろ!」  どこの誰かは知らないが、負けたくない。それは、公孫賛の胸にある嘘偽りのない正直な……気持ち。