「無じる真√N44」   公孫賛軍の一部隊が見えたところで、鳳統は隊全体を制止する。 「これより、私は公孫賛軍との交渉に向かいます。くれぐれも攻撃はしないようにしてください」 「し、しかし……」  鳳統の言葉を聞いた副指揮官が心配そうに鳳統を見つめる。その視線を受けながら鳳統は、本当に自分が袁術軍の中で受け入れられてしまたのだなと妙な感慨におそわれる。 「……大丈夫ですから。ちゃんと待っていてください」 「は!」  背筋をびっと伸ばして軍令をとる兵士に頷くと、鳳統は目の前で十文字の牙門旗を風にたなびかせている部隊へ向けて駆け出した。  その隊の反応は意外なものだった。てっきり、鳳統に対して大いに警戒をしてくると思ったがすんなりと迎え入れてくれた。  そして、その隊を率いる隊長でもある少年の元へいとも簡単に通してもらうことができてしまった。  十文字の旗、そして、彼の着ている不思議な素材の白き衣……間違いない、今自分の目の前にいる少年こそ、天の御使い、北郷一刀なのだ。鳳統は彼の顔をみるまでもなくそれを確信した。  そして、歩みよる足音に耳を澄ませ、ゆっくりと視線を挙げていき相手の顔をみつつ、自己紹介をする。 「わ、私は……その、鳳統といいます」 「あぁ、久しぶりだね。それで、俺に話があるってことだけど……一体どうしたの?」  特に警戒するような様子も見せず、にこやかな表情を崩さない少年……北郷一刀。そう、あの反董卓連合で一度出会った人物に相違なかった。  彼は終始笑みを絶やさずに鳳統を見ている。その裏で一体何を考えているのか、鳳統には読めない。  だが、そんなことは今気にすることではない。そう判断して鳳統は彼女はもう後がないという想いそのままに一刀を見上げる。 「その……美羽ちゃん……いえ、袁公路を助けてほしいんです」 「袁術か。確かに、現状は凄いことになってるみたいだもんな」  討伐軍として赴いているという話なのに、まるで他人事のように告げる一刀に違和感を覚えつつも鳳統は返答する。 「……はい。私が少し離れてるうちにとんでもないことを」  震えそうになるのを拳を握りしめる力を強めてこらえる。  人との触れあいになれてないからなんだ。そんなの友達が酷い目にあうのに比べれば大したことない。  そう心で自らを奮起させ、再度一刀を見つめる。 「まぁ、いいよ。こっちもちょっと事情があるしね……そっちに何か事情があるようにさ」 「……ほ、本当ですか?」 「あぁ、まかせてくれ……と、言ってはみるけど、大丈夫か、霞?」 「まったく、女の頼みっちゅうとすぐそれや。まぁ、ええけどね」  肩を竦めやれやれと首を横に振る張遼に一刀が頭を掻く。 「別に、女の子と見ると見境無しにしてるつもりはないんだけどな……」 「そんな話はどうでもええ。それで、お嬢ちゃん。現状はどないなっとるん?」 「……あ、はい。その、一応、曹操軍の足止めをして、こちらまで来る時間を稼いでいたのですが、曹操さん本人が合流すればそれもあまり長くはもたないかと」 「なるほどなぁ。やっぱ、ウチが行かへんとあかんな」 「霞? いけそうなのか?」 「アホ、ウチを誰や思うとるんや。"神速の張遼"、その名は伊達やないで」 「そっか。そりゃそうだな。それじゃあ、頼まれてくれるか? 曹操軍か余所の諸侯が袁術を捕らえる前に」 「応! まかしとき」  そう答えるやいなや、張遼が馬へとまたがり、少数の騎兵と共に駆け出した。 「いいか、くれぐれも袁術軍と遭遇するなよ。無用な戦闘は避けなきゃいけないんだから」 「わーっとる。その辺は他の奴らに囮を任せたで!」  その声に一刀が頷く頃にはもう既に張遼の姿は遠くなっていた。 「…………美羽ちゃん」 「大丈夫」 「え?」  頭に感じる暖かい温もり。それは鳳統の師であり、また親のような存在だった水鏡に抱かれたときに感じたのと似ていて不思議と触れられている部分がぽかぽかとする。 「大丈夫さ。霞ならやってくれる。っと、俺たちもすぐに後を追うとしようかね。あ、そこの人」  恥ずかしさに頬を朱色に染めながらもながらも鳳統が意を決して見上げたときには一刀はすでに一人の兵士へと声をかけていた。 「悪いんだけど、詠のとこに言伝を頼むよ。北郷隊はこれより先遣隊として出発した張遼の後を追うってね」 「は、はぁ……」 「あと、当初の目的を果たすのにちょうど良い展開になった、とも伝えてくれないか?」 「は……は、はい!」  直立にびしっと背筋を伸ばすと、兵士はすぐさまどこかへと駆けていった。それを鳳統が驚きに瞳を瞬かせながら見送っていると、一刀がそっと声をかけてきた。 「頼む。袁術を救うためにも、霞の後続としてしっかりと補助するためにも、道案内をしてほしい」 「……わかりました。でも」 「ん?」 「……その、なんで、北郷さんまで行くんです? 張遼さんだけでも、十分なんじゃ――」 「念には念をってね。不測の事態があったときのために、別にもう一つの道を用意しておかなきゃならない……違うかな?」 「いえ、それはそうですけど」 「なら、いいじゃないか。ま、本音を言えば……霞一人に任せっきりというのも格好悪いし……ちょっと情けなさ過ぎる気がするからかな。あはは」  頬を掻きながら照れくさそうに笑う一刀を見て、鳳統はなんとなく劉備たちが彼に親しみを抱く理由を察した。  彼は優しいのだ。この乱世には珍しいお人好しなのだ。そして、そのくせ、本人はそれをおおっぴらにはしていない……もしかしたら自覚がないのかもしれない。 「だけど、霞やほかのみんなに俺も行くって言えば止められるから、こういう形でしか動けないんだけどね」  ため息混じりにがっくりと頭を垂れる一刀の姿に鳳統は堪えていたものを吹き出してしまう。 「……くす」 「あ、あれ? 俺、何かおかしなこと言ったかな?」  首を傾げながら一刀が乾いた笑いを口から漏らす。それがまたおかしくて鳳統は一層笑いを堪えられなくなる。 「……ふふ。そっか、そういうことなんだ」 「え、えぇと……まぁ、いいや。それより、ほら、行こう」  そう言って差し伸べられる掌。鳳統は一瞬も躊躇することなくそっとその手に触れる。  そして、二人は一頭の馬に乗り、一隊を率いて出発の体勢に入った。 「よし、準備もいいかな」 「あ、あの……何故、相乗りなんですか?」  後ろから一刀に抱えられるようにして騎乗している鳳統が眼を白黒させながら問いかける。  が、彼はただ、満面の笑みでにこりと笑う。 「俺、これでも霞や猪々子、斗詩……というか、馬術愛好会の面々に徹底的にしごかれてるんでね。多少は乗馬技術はあるんだ」 「……んっ、そ、そうでなくて……この体勢とそのことになんの関係が?」  息巻く一刀の鼻息が鳳統の勿忘草色の後ろ髪、その生え際……所謂うなじにかかってくすぐったく、それによって桜色に顔を染めながら鳳統は抗議の念を抱きながら一刀を見上げる。 「だから、君が自分で馬を走らせるよりは俺が連れて行く方が速く前進できるのさ」 「……そ、そうですか。わかりました」 「さて、それじゃあ、今度こ、そ?」 「…………?」  急に言葉を失う一刀を訝りつつ、彼の視線の先を見ると、いつの間にか隣に洋紅色をした二本の触覚のようなものをぴょこぴょこと揺らせている少女がいた。  少女は、何故、自分が凝視されているのか理解で規定なのか首を傾げている。 「れ、恋……いつの間に?」 「…………恋とご主人様はいつだって一緒」 「え、えぇと、いや。でも、恋は確か、詠たちの方に」 「……華雄に任せた」 「んなっ!」  呆気にとられたのが丸わかりの表情をする一刀……顎が外れてしまいそうな程に口をあんぐりと開けて呆然としている。 「…………」  対する少女はただ黙って一刀の反応を見ている。 「まったく、しょうがないな……ま、いいか」 (……え? そんな簡単に。い、いいんですか?)  鳳統は内心で疑問を抱かずにはいられなかった。あまりにも承諾が軽すぎる。 「とはいえ……まったく。あぁ、後で詠にどやされんのはきっと俺なんだろうな……」  そう言ってとほほと一刀が肩を落とす。それによって彼の体重が少しだけ鳳統にのしかかる。  あまりよく知らない人との密着に鳳統の心臓はパンパンに腫れた革袋のごとく今にも破裂して薄っぺらな皮になってしまいそうになる。 「あぁ、もう。よし、何にしても。行こう!」  気を取り直した一刀が声高に叫ぶ。彼が全身に力を込めているのが抱きかかえられている鳳統にも伝わってくる。  同時に、多少の震えがあるようにも感じ取れた。 (……なんだろ?)  不思議に思い、そっと一刀の顔をのぞき見る。彼の顔は真剣そのもの、先ほどまでのどこか陽気な……悪く言えばおちゃらけた雰囲気は消し飛んでいる。 「……あの、緊張、してるんですか?」 「そりゃあね。実を言うとさ、俺はもともと前線に出て敵を倒すことができるような人間じゃないんだ。いつも仲間に護られてきた。どんな危険な場所に立とうとも必ず誰かがいてくれたんだ……だから、こうやって、自ら危険なことをするっていうのは……慣れないんだ」  苦笑を浮かべてそう答える一刀に、鳳統は何と言っていいのか言葉に迷ってしまう。彼の瞳は、どこか違う世界を見ているような不思議な色をしていたから……。 「……ご主人様」 「恋? あぁ、そっか。今は恋がいるんだよな。ありがとな、恋」  そう言って、一刀は隣で今にも駆け出さんとする馬の上でじっと彼を見つめている少女の頭を撫でる。  いままで、何げなく二人のやり取りを眺めていた鳳統はあることに気付く。 (よく見てみたら、この人……呂布さんだ!)  そう、少年に頭を撫でられてうららかな陽気を浴びて気持ち良さそうにしている猫のごとき表情をしている少女は紛う事なき呂布である。  反董卓連合の時には虎牢関最大の要、そして、徐州の下邳に住み着きなんとも対処しがたかった存在……そう、"天下無双"や"飛将軍"といった異名をもつ最強の武人と謳われる呂布だ。 「…………そんな人を軽く扱うこの人って」  驚きで鳳統の中が一杯になる。張飛、関羽ですら刃が立たなかった相手をまるで普通の少女のように扱っているのだ、この少年は。そんな光景を見せられてしまっては鳳統の脳内が感嘆符で埋め尽くされるのも無理はない話というものである。  鳳統の中で、北郷一刀という少年がますます不思議な人物となっていく。 「……い、いったい。この人は――あっ、きゃあああ!」  ぶつぶつと考察を交えながら鳳統が呟いているうちにどうやら動き出したらしく、鳳統は危うく舌を噛みそうになるのだった。  †  一刀の元より、先行していた張遼隊。  その先頭で、張遼はある光景を目撃していた。斥候からの情報により張勲が敷いているという本陣へむかって別の騎馬隊が突撃をかけんとしているところだった。  それは……装備、旗、それらから関羽の隊であることがわかる。  そんな中から関羽が隊の先頭を置き去りにして飛び出し、勢いよく袁術軍の元へと駆けはじめる。 「あかん、あら本気や」  関羽の周囲から漂う殺気に張遼は思わず舌打ちをする。  早めにこの地へとこれたこと……そう、自らが仕える主の指示に従ったことはあながち……いや、大いに間違ってはいなかった。  あの、ただならぬ雰囲気を纏う関羽ならば、袁術だろうと問答無用に、そして躊躇泣くその頸を撥ねるだろう。  そう、それほどに関羽の様子が遠目から見てもおかしい。  普段の――とはいっても虎牢関でその戦いを目撃しただけだが――関羽ならば武人としての心に基づき武で敵を制することはするが進んで力を持たぬ敵の命を狙うことはないはずだった。  少なくとも、戦場で刃を持ってたたき伏せようという心持ちでは勝てない相手でもなければ。 「こら、一刀の判断に従って正解やったな」  そう呟くと、張遼は馬の腹を蹴って一気に崖を駆け下りて関羽との距離を縮めていく。  そんな彼女の脳裏に出撃する際に耳にした一刀のささやきを思い出す。 「多分……他に先を越されたらお終いだ。だから頼む」  そう口にした一刀の顔が苦悶によって歪むのを堪えるように僅かな歪みを見せたところまで思い出すと、張遼は馬の片腹を蹴り、僅かに横に移動しつつ、関羽との距離を縮める。 「…………」  関羽は一切、何も言わない。  ただ、真っ直ぐと前を見据えている。  張遼は突出している関羽の真横にぴたりと馬をつけて並走を始める。 「待たんかい! 関羽!」 「…………なんだ?」 「あ、あんた袁術を殺る気なんか?」 「我が主の敵だ、あやつは」  淡々と答える関羽。だが、張遼には感じ取ることができる。それは、関羽からは明らかに抑え切れていない憤怒とすぐにでも相手の命を奪ってしまいたいという衝動にかられ発している殺気。 「そら、あかんな」 「なんだと?」 「ウチんとこのご主人様が袁術を所望や」 「……意味がわからんな」  互いに、前を見たままの体勢で会話を続ける。二人を運ぶ馬の速度はいっこうに下がることなく、それどころか更に加速を続けていく。 「なんにせよ、あんたにあのちびっ子を討たせるわけにはいかんのや」 「……邪魔を」 「は?」  関羽が何かを呟いた。それを聞き逃した張遼は僅かばかり身を寄せて聞き返す。 「邪魔をするな!」  かつて張遼が虎牢関で遠目からとはいえ見た関羽とは似ても似つかぬほどの感情が感じられない冷水のような声と共に青龍偃月刀が空を切り裂き張遼に襲いかかる。 「ちぃっ!」  迫りくる狂気をすんでの所で飛龍偃月刀で打ち払おうとする。  青龍偃月刀の強い打ち込みに耐えきれず、飛龍偃月刀が踊り狂う。 「な、なんつぅ力や!」 「せぇい!」  想像以上の衝撃に驚いている張遼にすぐさま二撃目が半円を描くようにして迫る。  それをギリギリのところで防ぐ。 「反応もさせへんとか、どんだけぇ!?」  そんな張遼の言葉に何の反応も返すこともないまま関羽の猛攻が続けられていく。  †  公孫賛軍本隊から突出してどれ程駆けたのだろうか……ただ、闇雲に前進してたためにそれはわからない。  それでもかなりの距離、時間をかけて進んできた。  さすがに、これ以上は無理だと判断した一刀は一度馬を休ませるために一度その背から降りて、森の中で二人身を潜めていた。  だが、それももうしばらく過ごした。そして、二人はそれまで座り込んでいた箇所を後にして立ち上がる。 「さ、そろそろ行こうか」 「……はい」  やはり、時間の経過と共に不安が膨れあがってきたのだろう。一刀の隣でうつむきがちな姿勢のまま返事をする鳳統の顔には生気が宿っていない。  その様子に彼女の信条へと思いを致し、頭を捻る。そして、よしと意気込むと彼女の頭へそっと抱き込むようにして触れる。 「彼女のことが心配で焦る気持ちはわかるよ。だけど、今はしっかり確実に前に進むことを考えよう。君が無事、辿り着かなきゃ意味がないんだから」 「……は、はい!」  ほんの些細な程度、それでも鳳統の顔は光が差したように明るさを取り戻していた。 「さ、行こう。ほら、恋も起きて」 「…………むにゃ、ご主人しゃま?」  草むらに寝そべり、ぐっすりと安眠状態へと陥っていた呂布へ声をかけながら一刀は鳳統の手を取って馬へと乗せようとする。  だが、それは途中で止まる。近くの木々や草がざわざわとざわめきだって射るのだ。  それは一つの方向から集中的に聞こえてくる。鳳統が息を潜めて、じっと様子を窺うように身を縮こまらせている。  一方の一刀は寝ぼけた呂布が絡みつかれていた。彼女を解こうとしようにも音を立てるわけにも行かず四苦八苦、そんな一刀の耳に届く音が段々と多きkなっていく。そして、 「おーい!」 「ご主人様ー!」  遠くから二騎の兵士が駆け寄ってきた、それは一刀のよく知る二人だった。 「猪々子、斗詩じゃないか」 「やっと追いついた」  汗を拭いながらそう告げる顔良を見つつ、一刀はどうしたのだろうかと思い眉を顰める。 「一体、どうしたんだよ。白蓮たちのほうに残ってたんじゃないのか?」 「あんな茶番付き合ってらんないって」  そう、文醜の返答通り公孫賛軍と鳳統隊は見せかけのぶつかり合いをしていた。  そんなことをする理由……それは、周辺諸侯、そして何よりも両軍へと間者を放っているだろう曹操軍に両者の狙いを気付かれないようにするためのものだった。 「だからって、お前らなぁ」 「いいじゃん、華雄も白蓮様も派手に活躍して目立てるんだし」 「というのは建前で、本音は面倒だから押しつけてきたんだろ」 「はは、そ、そんなこと……ありませんよぅ?」  声を上ずらせながら答える顔良の顔を一刀はじと眼で睨む。顔良の額を汗が伝う。 「あ、あはははは……はは。ごめんなさい」 「ちょ、斗詩!」  観念した顔良に文醜が驚きを見せるが、それを遮るように一刀は文醜の肩を掴む。 「猪々子? 何か言うことは」 「ごめんなさい」  顔良と一刀の顔を交互に見た末にしょんぼりと肩を落とすと、文醜も頭を下げた。 「うむ、素直でよろしい」  それを見て、一刀は頑固親父のような面持ちで深々と頷くと表情を一転させ、ふっと口元を緩める。 「まぁ、麗羽のこともあるんだろうしな」 「あ、それは……」 「なんだよ、わかってたんなら無駄に話をほじくるなよ」 「はは、悪い悪い」  むくれる文醜に対して、少々悪のりがすぎたと一刀は頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。  そんな二人を見て乾いた笑みを浮かべながら肩を竦める。 「それよりですね、あの……ご主人様の仰るとおり麗羽様のためにも私たちは袁術さんの元へ一刻も早く向かうつもりです。ですが、ご主人様は霞さんのほうへ向かってください」 「霞? なんで?」  繋がりのない話に一刀が首を傾げる。 「実は、ご主人様が出発された後、斥候からの情報で霞さんの隊が何処かの騎馬隊と接近したらしいんです。幸い、まだ接触は行われていないそうなんですが、それでも何やらややこしいことになってるみたいなんです」 「ややこしいこと?」 「はい。どうもその騎馬隊より突出した何者か……速すぎて確認は取れていませんが相当の手練れを相手取って戦闘を開始しているようなんです」 「な、なんだって! 霞……よし、それなら、行くべきだな」  張遼のことを一刀は信頼している。だから、彼女が簡単にうち破られるとも思っていない。  それでも行かずにはいられない。もしも……そんなことがあっては堪らないから。 「それでだけど……恋、一緒に来てくれるか?」 「うん」  珍しく即返事をする呂布に一刀は拍子抜けしそうになるが、首を振って疑問を霧散させる。  一刀が言ったところで助けになれることなど少ない。だがら、呂布が共に来てくれるならそれ以上に望むべききことはないのだ。  そう自分自身に確認を取るように内心で反復すると、一刀は全員を一通り見回して頬を張る。 「よし! それじゃあ、行くとしようか」  そう言って馬のせに乗る一刀とは別に顔良が鳳統を自らの方へと招き寄せる。 「それじゃあ、鳳統ちゃんは私の馬にどうぞ」 「くれぐれも気をつけろよな」 「二人もな……それと、鳳統ちゃんも」  鳳統の身柄を受け取る顔良と文醜の二人を一瞥すると、一刀は呂布と共に再び馬の脚を動かせ始める。  そして、徐々に走り始める馬の背で顔良たちの方を振り返ると、一言だけ残そうと叫ぶ。 「それにしても、麗羽も部下に恵まれてるもんだな!」  それに対して二人は驚いた顔をしていたが、すぐに笑みを湛える。 「主とか部下じゃありません、いわば家族のようなものですから」 「その親族だからな、お嬢のほうはあたいらがなんとかしとくぜ!」  びしっと親指を立てる二人を見てくすりと笑みを零すと、一刀は前へと向き直る。 「それじゃあ、俺たちも家族のために早く行こう。恋」 「…………」  呼びかけに対して首を縦に振って答える呂布に頷き返しながら一刀は馬の速度を上げ始めた。  †  かれこれ、どれ程の間打ち合っていただろう……そう思わざるをえないまでに絶大な時間のようであり、それでいて刹那の間であるような時が経過していた。  張遼は気がつけば目の前で襲いかかる手を緩めない鬼神に追い詰められていた。  先ほどまで手にしていた飛龍偃月刀は落馬の衝撃でこぼれ落ち僅かに離れた位置に落ちている。 「これで……」  青龍偃月刀がその刃で雨の雫を切り払いながら張遼に向けてまるで引き放たれた矢のごとく迫り来る。  張遼は落とした飛龍偃月刀へと即座に手をやる。  拾って受ける……瞬時に考えるが、それでは一手足りない。  距離を詰める刃。  飛び退くか? いや、この時点ではもう手遅れだ。では、どうする?  無論、ダメ元で飛龍偃月刀を振り払うしかない。  やはり間に合わないか。張遼はそう思いながらも飛龍偃月刀の刃を関羽へと襲いかからせる。  青龍偃月刀との距離が圧倒的な迫力でせまりくる。 (よくて相打ちっちゅうとこやな……まぁ、ただで死ぬわけにはいかへん。とめるんや、こいつを!)  張遼は眼を反らさない、視線で関羽を貫き、同様にその身体を貫くために。  対する関羽も冷めた瞳で張遼を見下ろしている。そして……いままで主に呼吸のためにしか使われていなかった口から淡々とした声が出てきた。 「……終わりだ」  急に降り止む雨。張遼には、その関羽の声が響き渡るように感じた。  そして、光を後に引きながら襲い来る刃。本来なら斬撃を想像し身を固めるところだが 「ぐっ!?」  うめき声。漏らしたのは張遼ではない。その証拠に彼女の身体に青龍偃月刀の感触はない。 「な、なん……だと?」  苦渋に満ちた顔をする関羽、その先にある青龍偃月刀が宙で止まっている。いや、止められている……方天画戟によって。 「…………ダメ」 「りょ、呂布、だと?」  関羽が小さく舌打ちをして、距離を取る。 「れ、恋? どうして?」 「…………ご主人様が行けって」 「あっちゃあ、こうなるって見越してたんか」  掌で額を打って張遼は項垂れる。 「…………そうじゃない」 「へ?」 「…………霞も強い、関羽も強い」  関羽からは視線を外さないまま告げられた呂布の言葉。それでようやく一刀の意図が見えてくる。 「つまりは、どっちかが死ぬっちゅう可能性がある……と」 「…………」  コクリ  呂布が黙ったまま頷く。それが何よりの肯定を意味していた。  確かに先ほどの予想外の出来事がなければ張遼と関羽の戦いは拮抗していただろう。そして、どちらかはわからないが地に倒れていたのは間違いない。  もっとも、今危なかったのは張遼だったが。 「あんの、女好きは……そうまでして両方の美女が欲しいっちゅうんか」  呆れ半分に張遼は苦い笑みを浮かべる。お人よし極まれりとはこのことだ。ここに呂布がいるということは一刀の護衛が手薄になるということ……そうまでして関羽と張遼のどちらも死なせたくなかったのだろう。 「ホンマ、ようわからんわ」 「先ほどから、何を話し込んでいる!」  肩を竦める張遼が顔を上げると、苛立たしげに関羽が二人を睨み付けていた。 「ん? せやから、ウチらのご主人様のことや」 「ご主人様……だと?」  関羽が吊り上げていた柳眉を波打たせ、困惑を僅かに面に出した。 「せや。我らがご主人様、北郷一刀や」 「なっ!?」  今度は完全に関羽の表情が変わる。その殆どとを埋め尽くす驚愕。そして、何故かうっすらとした嫉妬のようなものが張遼には隠れ見えている気がした。  と、固まる三人の元へ一頭の馬が近づいてくる。その背には、 「ぜぇ、はぁ……ひぃ、ひぃ。や、やっと追いついた」  話の中心となっていた北郷一刀が息を切らせた状態で馬の首にもたれかかるようにして乗っていた。 「一刀、あんたまでなにしとんのや!」 「いや……ぜぇ……元々、恋と一緒に向かって来てたんだけど……ひぃ、俺遅いから恋に先行させたんだ」  ゆっくりと馬から降りると、一刀は三人の元へと歩を進めてくる。 「……何故、ここに」 「関……羽?」  思わぬ人間の登場に関羽の様子が変貌していく。一瞬だけ喜色をそれでいてすぐに苛立ちの表情を浮かべている。 「とにかくだな、愛紗も霞もこの辺で矛を収めて――」 「口を挟まないでいただきたい!」 「関羽?」  雷鳴のごとく声を荒げる関羽に一同の視線が集まった。  †  下邳城の一室、そこで袁術は籠もりっきりになっていた。 「はぁ、まったく……雛里もおらんし、七乃も出て居るし……退屈なのじゃ」  そうぼやきながら袁術はハチミツ入りの茶を啜る。身体の芯から温まる。 「何か、こう妾を舞い踊らせるような事はないのかのう」  ほうっと茶の熱も混じった息を深く吐き出汁ながら袁術が視線を窓へと向けるのと同時に扉が勢いよく開かれ、張勲が中へと駆け込んでくる。 「た、大変なんです! お嬢さま」 「騒がしいのう……なんじゃ、一体」  滴る汗も拭うことすら忘れて捲し立てるように両腕をあれこれと動かしながら何かを語ろうとする張勲に袁術は一杯の茶を差し出す。 「取りあえず、これでも飲んで落ち着いてはどうかのう」 「あ、そうですね」  そう答えるやいなや張勲が袁術の手から湯飲みを取ってんくんくと喉を鳴らしながら飲み干していく。  そして、その濡れそぼった唇から湯飲みを話すときりりとした緊張感溢れる表情を浮かべる。 「って、こんなことしてる場合じゃないんですよ」 「だから、何があったのかを離せといっておるではないか。ほれ、早く話してたも」 「あ、はいはい。実は、ですね……寿春から兵士がやってきまして」 「ふむ、それで?」 「それが……その、孫策さんに寿春を制圧され、奪取されたようなんです」 「な、なんじゃとぉ~!」  人差し指をつつきあいながら上目がちに申し出る張勲の言葉に袁術は叫ばずにはいられない。 「う、裏切ったのか。あやつは!」 「みたいですね。しかも、どうやらこちらへ向けて進軍してきているようですし、本気で討たれちゃうかもしれませんよぉ」 「ど、どどど、どうするのじゃ!」  入室してきたときの張勲のようにわたわたと両手を動かしながら袁術は室内を右往左往する。 「曹操軍も徐々にとはいえ、確実にこちらへと迫っていて防衛の要でもある本陣もいずれは破られちゃいますよ。しかも……雛里ちゃんの方は公孫賛軍との戦闘を続けているようですし、その上、孫策さんの反乱まで抑えることはできませんよぉ~」 「ひぃぃいい! 八方ふさがりとはまさにこのことじゃぁ!」  張勲と袁術は身の危うさを確信し、互いに手をとって床へとへたり込みながら泣きべそをかき始める。  それから一頻り悲鳴を上げると、二人はすっくと立ち上がりそそくさと部屋を後にする。 「な、なにはともあれ、逃げましょう。もう、それしかありませんよ」 「う、うむ。そうじゃな……あ」  張勲の言葉に袁術は首から上が飛んでいってしまいそうなほどの勢いの頷きを何度も繰り返すが、あることに気づき立ち止まる。 「ちょ、ちょっと、どうしたんです。お嬢さま」 「のう? 雛里は……雛里はどうなるのじゃ……妾たちのために戦っておる雛里はどうなるというのじゃ!」 「お嬢さま……」  同じく歩を留めた張勲を見上げ袁術は縋り付く。親友となり、家族も同然となった鳳統……彼女を置き去りにして逃げていいのか、そうまでして逃げたいのか、自分への疑問がわき出てくる。 「嫌じゃ、雛里を置いて妾たちだけで逃げるなぞ、嫌なのじゃ。お願いじゃ、七乃ぉ、せめて、せめて、雛里が帰ってくるまで待ってたも!」 「……わかりました。雛里ちゃんも一緒の方が私としても良いと思いますしね」  そう言って微笑む張勲、その笑顔が袁術にはとても光り輝いて見えて彼女の胸に飛び込まずにはいられなかった。 「ななのぉ~」 「お嬢さまぁ~」  ひしっと互いに抱きしめ合う。 「お嬢さまは本当にお友達想いですねぇ。いえ、家族想いであらせられますね!」 「むご……な、ななの……くるし、もが」  少々抱きつく位置が悪かったのか、袁術の顔は張勲に備わっている二つの山に埋もれ、呼吸も満足にできない状態へと陥っていた。  それからしばらくして、なんだか良い香りに包まれたまま袁術はお花畑へと旅立つことになった。 「あ、あはは……蝶々がひらひら待っておるのじゃ~」 †  雨のあとの土の濡れた匂いが漂う中、張遼は動けずにいた。 「頼みますから……これ以上、私にその顔を見せないでいただきたい」 「……愛紗?」  伏し目がちにそう告げた関羽に一刀の顔に困惑の色が差す。 「お願いします……本当に」  何故なのだろうか、拒絶の言葉を発している関羽のほうまでもが苦悶を如実に物語る表情をしている。  まるで、相手だけでなく自らをも切り裂く諸刃を振り回しているかのように。 「…………」 「ど、どうしたんや、一刀。何か言い返さへんのか?」 「……いや、な」  妙に歯切れの悪い一刀に張遼は眉を顰める。その心の内に何を抱え込んでいるのか、今の張遼に知る術があるはずもなく、ただただ二人の成り行きを見守ることしかできない。 「私を……これ以上、困らせないでください」 「……そうか、そうなんだな。愛紗」  何処か納得したような仕草をする一刀に張遼はますます事態が飲み込めなくなる。 「それでも。それでも、もし私の前に……いえ、桃香様の進む道に障害として現れるのならば、そのときは例えあなたであっても私は――」 「愛紗~! どこなのだ!」  関羽が何か言おうとしたようだが、遠くから駆け寄ってくる声にかき消されてしまう。 「鈴々、一体何事だ!」 「何言ってるのだ! もう期限なのだ。だから、愛紗もすぐに戻るのだ」  駆けつけてきた少女に関羽が文句を言うが、言い返される。よく見ると、少女は劉備軍の張飛だった。 「く……そうか、もう、そんな時間か」  今様色の髪につけている虎の髪飾りと同様に眉尻を吊り上げた表情をしながらの張飛による抗議に関羽は苦虫をかみつぶしたような面持ちで渋々と頷く。 「今回はこれにて終わりと致しましょう。では!」 「……ちょ、少しは事情を説明しいや!」  そんな張遼の追求の言葉を無視して、関羽と張飛はこの場を後にするように颯爽と踵を返して駆け出した。  あれだけ命をかけた戦闘を繰り広げたというのにあっさりと後退されてしまうのだから張遼としても納得がいかない。  だが、そんな彼女の憤りとは裏腹に関羽との距離は離れていく。一体関羽に何があったのか、そこまで思いを巡らせたところで張遼はふと、思う。  一刀は先ほどの会話から何を感じ取ったのだろうかと。そして、ちらりと彼の顔をのぞき見る。 「愛紗……」  遠ざかる関羽の背を見つめる一刀の瞳が見るに忍びないほどの悲しみに彩られている。そんな気がしたからだろうか?  張遼の胸の中に妙な切なさが蠕動するようにざわめきだちはじめていた。