無じる真√N 拠点イベント09  とある侍女が見た、これまたとある騒がしい日常の中で起こった話……それは世を震撼させた黄巾の乱が治まってからそれなりに時が経った日のことである。 「あの、何か御用でしょうか?」  侍女がそういって無駄のない静かな足取りで入室したのは、この城の主、公孫賛の私室だった。 「あ、あぁ……実は、その、な」 「……?」  何故か、視線をあちらこちらへと泳がせながら顔を俯かせたり天井を見上げたりと挙動不審な様子の主に侍女は首を傾げる。 「……じ、実は、ちょっと訊きたいことがあってな」 「はぁ、訊きたいことですか」 「あぁ。まぁ、ちょっとした意見をだな。その……述べてもらいたいのだ。もちろん、正直なものをだぞ」  妙に頬を朱く染め上げながら凄む公孫賛に侍女は僅かに後退しかける。 「それというのはだな……これだ」  公孫賛がまるで虎穴に飛び込まんばかりの勢いで手を突き出してくる。その掌にあったのは―― 「……髪飾り、ですか?」 「うむ。これがもっとも似合う付け方というのをだな。少々研究しようと思ってな。ただ、やはり、自分の目だけじゃ不安は残る……そこで、他者の視点から見ておかしくないかを見てもらいたいのだ」  視線を遠いどこかへと反らしながら説明をする公孫賛を見て、侍女は無礼だとは思いながらも可愛らしいと思ってしまった。  なにしろ、普段は勇猛果敢に賊を討伐し、また、異民族からは白馬長史として恐れられているような人物が必死に髪型について考えを巡らせているのだ。  ……その普段との差は意外としか言いようがないだろう。 「ふふ、もしかして、あのお方のため……ですか?」 「な、べべべ、別に一刀のことは……あのだな、その」 「どうなんですかぁ?」  一層顔を焔のごとく赤々とさせる公孫賛に侍女は己の立場も忘れてそれはもう親しげににやにやとした笑みを浮かべながら詰め寄る。 「はぁ、実はこの髪飾り……あいつから貰ったんだ」 「まぁ! それはようございましたね」  肩を落として、白状した公孫賛に侍女は口元に手をあてながら目を丸くして驚く。  それに対して、公孫賛はため息をはいて一層項垂れる。 「だけど、まだあいつにはつけたところは見せてないんだよ」 「もしかして、貰っただけで胸がいっぱいだったんですか?」 「ぐ……ま、まぁ、そんなところだ」  苦虫をかみつぶしたような顔で唸る公孫賛を前に侍女は、なんだかんだいっても好きな異性が現れるとこうも変わってしまう者なのだなと妙な感慨にふけってしまう。 「では、そうですね。僭越ながらお手伝いさせていただきます」 「うむ、頼む」  こうして、公孫賛改造計画が始まったのだ。もっとも、髪型一つの話ではないか、そういわれてしまえば終わりではある……だが、女からすれば重大事なのだ。  だから、改造といっても差し支えないのである。  なんにしても、公孫賛を良く見せるための計画は始まり、それからしばらくの時をかけて研究をするのだが、その結果については侍女はしらない。  何故なら、それは公孫賛と目当てである彼の二人のみしか知り得ないことなのだから。  †  その侍女は結末をその目で見ることはなかったが、その代わりに髪型の研究期間中にあった一騒動だけは当事者以外では誰よりも近くで見ることができた。  その事件と呼ぶにはくだらなく、それでいて日常と言うには少し違う出来事は公孫賛と彼女の想い人である北郷一刀との間で起こったのである。  それは、彼女と公孫賛が髪飾りの付け方についていろいろと意見を交わし始めて少しした頃のことである。  その日も、侍女はいつも通り公孫賛の私室を訪ねるために廊下を歩いていた。  そして、いざ扉を開けて中に入った彼女の瞳に最初に映り込んできたのは、 「え? えぇと、どうなさいました?」 「うぅ……」  寝台に顔を埋めて僅かに肩をふるわせる主の姿だった。  一体、何事かと内心慌てつつも侍女としての嗜みは忘れずそっと近づく。 「あの、どうしたのですか?」 「……ぐす、スマン。お前の協力は無駄だったかもしれん」 「え? それって、どういう意味――」 「うぅ……なんでなんだぁ!」 「ちょ、ちょっとそんな、ごろごろと転がったりしたら――きゃっ」  思わず身体を硬くさせた侍女の前では、頭を抱えながら寝台の上で芋虫が横に転がるように身体を動かしだした末に床へと落ちた公孫賛が床にへばりついていた。 「なんでなんだぁ!」 「ちょ、ちょっと、落ち着いてください」  床の上で節足動物もかくやという動きをしだす主に流石に侍女の止めがはいる。 「と、とにかく事情を、事情をお教えください」 「はぁ、はぁ……な、何があったかをこの口で言えと……」  その言葉にびくっと肩をふるわせる侍女の瞳には嫌に目が据わっている公孫賛の姿が映る。 「ほ、ほら、お話しくだされば何か助けとなることがあるかもしれないではありませんか」 「そ、そうだといいのだがな……まぁ、一人でうじうじしていても仕方がないか」  宥めるように語りかけた侍女に公孫賛は肯き、何があったのかを語り始めようと深呼吸をする。  それが終わるのを黙って待ちながら、侍女は唾を飲み込む。ごうりという音が嫌に響いている気がする。  一体、我らが主の悩みはなんなのか……そう思うだけで緊張感が沸いて出てくる。 「実はな、最近……あいつが、あいつが私を避けるんだ!」 「はぁ?」 「ん?」 「こほん、いえ。それで? 他には?」  つい、親しい者に接するときのような態度を取りかけたのを誤魔化すように咳払いして訊ねるが、 「いや、それだけだが?」  公孫賛はきょとんとした顔をして何を言ってるんだという意思をもろに発している。  いやいや、まさかと内心で思いつつ侍女は確認するようにゆっくりと訊き返す。 「……本当に?」 「本当に」 「冗談でなく?」 「あぁ、いたって真面目だ」  真剣そのままの表情で頷く公孫賛を前にして侍女は妙に肩から力が抜ける。結局は、彼……北郷一刀という少年に関する話だったのだ。 「はぁ……気のせいではないのですか?」 「いや、そんなはずはない。明らかにおかしかったのだ。 ほら、お前と髪型について話し合うようになった日あっただろ?」 「えぇ、それがどうかしましたか?」 「その翌日、久しぶりに長めの休息が取れそうだったから一刀に髪飾りの礼でも改めて言おうと思ったんだ。なのに妙に余所余所しくて、しかもすぐにどっかいってしまった……」 「…………」  抑揚のない声で事情説明をされることがこんなにも寒気を誘うものだということを侍女はこのとき初めて知った。  そう思い背筋を震わせていてよく気付いていなかったが、公孫賛が何も無い宙を呆然とながめている、気のせいかその瞳は暗く淀んでいる。 「あんな急に避けられるなんて、私にはもう何が何だか」 「でも、あの髪飾り……もらったのでしょう? なら、そう簡単に態度を変えられたりはなさらないでしょう」 「だが、あいつの場合は突拍子もないことをするのが当たり前だから」 「いくら突拍子といっても好意的な態度を見せてすぐに嫌悪的態度をとるようなことはないのではありませんか?」  変に悪い方向にものを考え始めている公孫賛に侍女は首を傾げながら質問や意見をしていくが、いまいち反応がない。 「きっと、何か心変わりが……いや、もしかしたら、私が気付かないうちに何かを……」 「あなた、急に避けられるって言ったでしょうに……一体、あの方といつ会ったと?」  混乱しすぎて訳の分からないことを口にし始めた公孫賛に侍女は深く息を吐く。  それに気付く余裕も無いらしい程に衰弱している公孫賛が力なく首を縦に振る。 「そ、そうか……そうだな……じゃあ」 「はぁ。もう、いっそのこと直接尋ねて見れば良いのでは?」 「そ、そうしようとも思ったが……いざ、あいつの元へ行こうとすると足がだな――」 「はいはい、不安なんですね」  瞳を潤ませて見つめてくる自分の主を見て、侍女は内心で「こんな人だったかな……」などと思ってしまう。 「仕方ありませんね。ついていってあげますから。頑張ってください」 「ほ、本当だな? 本当についてきてくれるんだな?」 「えぇ、ですから。ほら、さっそく行きましょう」  さすがに、こんな状態じゃ髪型研究どころの話ではない、ということで二人は一刀の部屋へと向かうのだった。 「なぁ、やっぱり、明日に――」 「ダメです。ほら、行きますよ」 「うぅ……そ、そうだ、心の準備をだな」 「どうせ、また良くない方、良くない方へと考えが向くんですからやめなさい」  などという、やり取りを交わした末についに彼……北郷一刀の私室前へと立った。  公孫賛は、すっかり顔を青ざめて変な汗をかいている。 「ほら、勇気を出して」 「う、うむ」  かちこちで、その固さ岩のごとしといわんばかりの動きで頷くと、公孫賛が扉を小突く。 「はぁい」  中から、少年の声が返ってくる。そして、なにやらがさごそという音がするやいなや足音が扉へと走り寄ってくる。  そして、扉が開かれる瞬間、 「……くっ、や、やはりダメだ……っ!?」 「いけませんよ」  公孫賛が土壇場に来て逃げ出そうとする。だが、侍女が彼女の襟首を掴み、その場に留まらせる。  その間に、部屋の主が顔を出す。 「ん? 何か用……って、ぱ、白蓮」 「……む?」  妙にぎこちない対応の一刀に侍女は眉をしかめる。これは公孫賛を嫌っているとかではなく、なにか気まずそうな想い抱えた表情に見える。  そのことから、なんとなく事の成り行きがおおよそ把握できた侍女は公孫賛の代わりに一刀に用件を伝える。 「実は折り入ってお話させていただきたく存じまして」 「俺に? まぁ、いいや。中に入りなよ」  そう言って一刀が入室を促す。それを見て侍女はすぐさま公孫賛の背後に回って、その背中を両手で思い切り押す。 「ほら、後は一人で頑張ってください」 「え? ちょ、待てって。いや、ちょ、ちょっと」 「ど、どうなってるんだ?」 「無関係な者は同席はご遠慮させていただくだけですわ」  おほほ、と上品に笑うと侍女は公孫賛と一刀の二人を中へ押し込み、扉をそっと閉め……ず、僅かに隙間を空けて中を覗く。 「…………」  どちらともなく口を閉ざし、室内は沈黙に支配されている。 「もう! ほら、早く言うんですよ」  もどかしさを感じてそう叫びたくなるのを抑え、小声でそう呟く。まるでそれが届いたかのように公孫賛が動く。 「あ、あのだな……その、お、お前は――いや、そうじゃない」  何かを言いかけて頭を振ると、公孫賛が一刀を見つめる……あまりに力が籠もりすぎて睨んでいるようにも見えなくもない。 「わ、私は……その、お前に……一刀に、何か酷いことでもしたのか?」 「へ?」  対する、一刀は困惑の表情を浮かべているだけだ。 「……だ、だってぇ……おまぇ……ぐす、わ、わたひのこと……避けてるじゃないか」 「……え? い、いや、ちょ、ちょっと待った」  嗚咽混じりに抗議をする公孫賛に一刀が慌てふためく。それを見ながら侍女は、自らの予想通りだと確信を持ち、そっと扉に手を添える。 「俺はこの間髪飾りを渡したときに白蓮が怒ってたみたいだから、悪いことしたなと思ってだな……その、怒ってるんじゃないの?」 「そ、そんなわけなだろ……ばかぁ!」  頬を掻いて困った顔をしている一刀に対して公孫賛が発したその叫びを合図にするようにして侍女は静かに扉を閉じた。  そして、一刀の私室に背を向ける。 「まったく。あんなに世話のかかる方ではなかったはずなんですけどね~」  誰にともなくそう告げると、侍女は鼻歌交じりにその場を後にした。その口元に微笑を浮かべながら。