──真√── 真・恋姫†無双 外史 北郷新勢力ルート:第八章 終焉の時 **  呉を征し、江南を平定してその進路を西へと向けた魏軍は、蜀への二つの入り口のうちの一つ、永安の側から蜀へ入り、江州に迫っていた。  そこを守るは天下の名将、黄忠。正史においては五虎将の一人に数えられる、弓の名手である。  そんな彼女は、迫り来る魏の軍勢を城壁の上から見やりながら、小さくため息をついた。  江州を守る自軍の数は、約十万。これは蜀・呉連合を合わせた総数の、約四分の一に上る。だが、対する魏軍は江南を征した折にいくつかの豪族を傘下に加え、その数約六十万。  その差は六倍……言うなれば、絶体絶命。だが、退くわけにはいかない。  自分達の後ろには、志を同じくする中間達が──そして、守るべき者達が居るのだから。 『お母さん、ちゃんと帰ってきてね』  それは、娘との約束。違えてはならない、破るわけにはいかない、約束。  なればこそ── 「……生きるために、私は修羅ともなりましょう」 … …… ……… 「江州城主へ告ぐ!!」  江州城前面に展開した魏軍より進み出た曹操が、その凛とした声を張り上げる。 「最早お前達に未来は無く、大陸の行く先はこの曹操の手の内にある!  なればこそ、我らへ降りその門を開くがいい!」  だが、それに答える声はない。  最も曹操とて元より答えがあるとは思っていなかったのであろう、城を一瞥したあと、その踵を返した。  軍中へ戻った曹操は、その右手をゆっくりと上げ、 「全軍に告ぐ。眼前の江州を攻め落とし、蜀攻略の橋頭堡とせよ!  ……攻撃、開始!!!」  振り下ろし、開戦の時を告げた。 … …… ……… 「…………来ましたか。……明命ちゃん」  江州城城壁より、怒涛の声を上げて迫りくる魏軍を見やる黄忠はそう呟くと、共に参軍している呉の将を呼ぶ。  それに応え、周泰はまるで初めからそこに居たかのように、その姿を現した。 「はい、解っています。後は手はず通りに」 「ええ。……気を付けて、無理はしないでね?」  そう心配そうな顔を見せる黄忠へ、 「はい。私とてこのような所で無駄死にするつもりはありません。……もう一度、逢いたい人がいますから」 「……そう、じゃあ、絶対に生きて……ううん、いっそのこと勝って、その人に戦勝報告しないとね?」 「はいっ!」  ニコリと、花の咲く様な笑顔で返事をして、戦場へと赴く周泰の後姿に向ける黄忠の視線は、どこまでも優しかった。  その背を見送った黄忠は、表情を引き締めて迫りくる魏軍へとその視線を向ける。そしてその右手を挙げると、その合図を待っていたかの様に、城壁の上にずらりと兵が並ぶ。  それを一瞥し、兵達の様子に乱れがない事を確認した黄忠は、魏軍がある程度の距離にきた瞬間にその右手を振り下ろした。 「斉射!!」  その声と共に魏軍に降り注ぐ矢の雨は、次々と魏兵を骸へと変えて行く。  続けて、事前に定められた手はず通りに第二射、第三射と放たれる矢群は、進軍する魏軍の歩みをわずかに鈍らせた。  それを見計らい、黄忠は再び大きな合図を送り、次いで放たれるは火矢。  それがある点へと着弾し、数瞬遅れた時である。 「うわあああ!!!」 「火が!火があああ!!」  突如として地面に炎が広がり、数箇所からはズドンッと言う轟音と共に地面が爆ぜる。  そして魏軍先鋒を中程から分断する、炎の壁が走った。  その瞬間── 「突撃ーーー!!」  城門が開かれ、それが開ききる間も惜しいとばかりに、掛け声と共に周泰率いる部隊が魏軍へとぶつかった。  その間も、迫りくる魏軍の後続には、炎の壁越しに黄忠率いる弓隊の連続射撃が続いている。  黄忠と周泰に任されたのは、出来得る限りの時間稼ぎである。  彼我の戦力差はどうすることもできないのは変えようの無い事実だ。  ならばどうするか?  簡単なこと、そのままぶつかれば多勢に無勢であるならば、敵の数を絞って各個撃破に持ち込むのだ。  その為、迫りくる魏軍先鋒をなるべく城壁近くへ寄せ、周泰の部隊を当てる。その後、その先鋒の頭を越す様に後続部隊へと弓の連続射撃にて足止めをし、その間に周泰が魏軍先鋒を倒すのである。  この時注意すべきは、敵先鋒に当たる位置だ。  近すぎては打って出る時に敵に城内への侵入を許すし、遠すぎては味方の矢の巻き添えになる。  この近すぎず遠すぎずの位置が難しい。  無論、矢のみで敵後続を完全に足止めする事など不可能である。だからそれに、足止めできる物を併用した。そう、火計だ。  黄忠達はあらかじめ地面に長い溝を掘り、そこに油を染み込ませた藁や、更には火薬をもつめていたのである。言うなれば、簡易式の地雷であろうか。  しかしながら、炎とていつまでも燃え続けている物でもなく、魏軍も消火を行うだろう。溝が然程大きな物でも無い為、強引に突っ切る事が出来る場合もあろう。更に言えば、炎の無い場所まで回り込めば、突破は簡単だ。  つまりは、さほど長い時を稼げる物でも無い以上、六倍の兵力の相手へ打って出ると言うこの作戦自体、無茶の極みなのである。  だがそれでも、その無茶を成さねばならない──譲れぬ物の為に。  怒号と気合が交差し、断末魔と悲鳴が満ちて行く。  そんな中、周泰は一際その鬼気迫ると言わんばかりの姿を晒していた。  彼女の愛刀『魂切』が閃くたびに、魏軍兵の命が一つ、また一つと消えていく。 「あああああああああ!!!!!!」  雄たけびと共に突貫し、閃光の如くその刃を閃かせ、雑草の如く命を刈り取るその姿に兵が怯んだ瞬間、まるで今までそこに居たのが幻であったかの如く、彼女の姿が掻き消える。  その直前までに発していた激烈なまでの気配を瞬時に殺し、目の前に居るのにまるで居ないかの如く錯覚させる、気殺。  その姿が次の犠牲者の前に存在感を現した時、そこにもう一つ、骸が生まれる。  それは正に、魏兵にとっては『死神』であったであろう。  だが──  いかにその武が凄まじかろうと、彼女とて所詮は一人の人間であった。 「今だ!一斉にかかれ!!」  周泰がまた一人の兵の命を刈り取った瞬間、魏軍兵長の掛け声と共に十名程の魏兵が周泰へと群がる。  いかに武の達人とて、攻撃し終わった後と言う物には、多かれ少なかれ隙が生まれる。その瞬間を狙われれば、いかに周泰とて、容易に捌ける物ではない。だが。 「ぐあっ!」 「ぎゃあああ!」  連続で上がる悲鳴。  見れば、周泰へと向かった兵のうち二人が、矢を受けて倒れていた。  その瞬間、わずかにできた隙間から脱し、再び魂切が数度閃き、彼女に群がった魏兵の数と同じだけの骸が生まれた。  周泰はちらりと城壁の方を一瞥し、小さくぺこりと頭を下げると、再び敵兵に向かっていった。 … …… ……… 「……ふう」  構えていた弓を少しさげ、黄忠は小さく息を吐く。  周泰を襲った兵の内二人を貫いた矢。それを放ったのは無論黄忠である。  いくら城壁間近での戦闘とはいえ、ここから周泰の箇所まではそれなりに距離はあり、ましてやこの乱戦において、正確に敵兵を射抜く事など、常人にできるものではない。  だが、彼女の名は黄忠。大陸に名を響かせる弓の名手。事弓矢においては、かの呂布ですら足元にも及ばぬ弓神。  いくら常人に出来ぬ事であれ、彼女にそれが不可能であろうはずが無い。  一瞬眼を瞑りもう一度息を吐いた黄忠は、再び戦場へとその視線を向け、愛弓『颶鵬』を引き絞った。 … …… ……… 「おおお!!」 「ぐあああ!!」 「痛えええ!!痛ええよおお!!!」 「死ねええええ!!」 「たす、助けてくれええ!!」 「ぎゃああ!!」  そんな声が各所に響き、永劫にも思える剣戟の音、それが一瞬だけ止んだ。  後に残ったのは、荒い息を吐く周泰率いる部隊と、魏軍先鋒の屍、そして今だ上空を飛び交う矢の雨である。  そう、周泰は見事、魏軍先鋒の分断した部隊を打ち破ったのだ。  だが、次の瞬間には矢の雨と、勢いを弱めた炎の壁ををかいくぐった魏軍の後続部隊がやってきていた。  さすがにこのままではまずい。周泰隊の誰もがそう思った瞬間である。  ジャーンという銅鑼の音が城より響いた。合図だ。  その音を聴いた瞬間、周泰隊の面々は前方──魏軍へ向けて、懐から取り出した小瓶を一斉に投げつけた。  陶器の割れる音が響き、次の瞬間、城壁より放たれた多量の火矢が降り注ぐ。  そして小瓶の割れた位置に着弾した火矢はその炎を大きくする。そう、投げつけた小瓶の中に入っていたのは油だ。  そして周泰隊の兵たちは、油入りの小瓶をさらに投げつけその炎を大きくする。  炎に直接阻まれなかった者も、やはり突如上がった火炎に一瞬ではあるが怯む。戦闘開始直後に爆発交じりの火計を食らっているのだから、それも無理はない。  そしてそれを眼くらましに、周泰隊は一斉にその踵を返し城内へと退却していった。その動揺から立ち直り、また炎に阻まれた魏軍がそれを避けて来た時には既に、周泰隊はその姿を消していたのである。                            ◇◆◇  江州において、魏軍と蜀呉連合軍が激しい戦いを演じているのと時を同じくして、ここ洛陽は西、函谷関においてもまた、激しい剣戟の音が響いていた。もっともこちらにおいては、守るのが魏軍であったが。 「衝車、前へ!!」  賈駆の掛け声と共に城門破砕兵器である衝車が、函谷関の門へ打ち付けられ轟音を立てる。  それを止めようと、城壁の上から衝車へ向けて矢が放たれ、さらにそれを止めんと井蘭が繰り出されて矢を放つ。それに対し、井蘭へ向けて火矢が放たれ、その隙に門を破壊せんと衝車が門へと打ち付けられる。  繰り返されるは戦いの連鎖。回り回るは血潮の輪廻。  一刀はその様子を本陣よりひたと見据えていた。  目をそらす事無く、敵が、味方がその命の花を散らす様を、見つめ続ける。  それは彼がこの地に来てから、決して変える事のない覚悟。  それは、他者の命を使い、他者の命を奪う事。  それは……他者の命を、背負うと言う事。  漠然と、彼は感じていた。それが終わりを見せる日は近いと。恐らくは、この一連の戦いに幕が下りるときがその時だと。  そう、終わりの時は、近い。                            ◇◆◇ 「攻めろ攻めろ攻めろ攻めろーーーー!!!」  戦場に木霊する夏侯惇の声に応え、魏軍が江州城へと押し寄せる。  途切れることなく押し寄せる魏軍を捌く黄忠と周泰にとって、現状は全くの想定外であった。  彼女等……ひいては彼女等に指示を与えた軍師達の予測では、攻める前に痛烈な一撃をくらった魏軍は、完全にとは言わねども、多少なりともその矛先を鈍らせると思われた。  それゆえの先の、無茶を押しての作戦であったのだ。  だが蓋を開けてみれば、魏軍はその勢い留まることを知らず、まるで退く事を知らないとばかりに昼夜を問わず攻め寄せてくる。  既に三日。  最早江州城に篭城する黄忠、周泰等の軍は疲労の極みであり、むしろ良くぞ三日も持たせたと言っても過言では無いと思える程、魏軍の攻めは激烈であったのだ。  そして、黄忠は最早これ以上は耐え切る事は出来ないと判断し、撤退を決断した。  予定よりもかなり早いが致し方ない。そう思わせる程に味方の疲労の色は濃く、事実、これ以上篭城を続けていれば、全滅は必至であることは、誰の眼から見ても明白であったのだ。  決断したからには行動は早い。  その日の深夜、魏軍の攻めが弱まった瞬間を見計らい、黄忠と周泰率いる軍は、魏軍の包囲を突破して後方へと退却していった。 「……よろしいのですか、華琳様?」  暗闇の中、江州城から退却していく蜀呉連合軍の影をひたと見据える曹操へと、荀ケが問いかけた。 「ええ。……彼女等とて、足掻くだけ足掻いて負ければ、さすがに反抗する気も失せるでしょう?  それよりも、すぐに江州城へと入り、明日一日兵達を休ませたらすぐに次へ向かうわよ」 「御意」  曹操の言葉に答えた荀ケは、蜀呉の軍勢が完全に引き払うのを見計らって、江州占領の指示を出しに行くのであった。                            ◇◆◇ 「それじゃ、詠、ねね、後の指揮はまかせるよ」 「ええ、任されたわ。一刀達もしっかりね!」  賈駆の言葉に「ああ」と頷いた一刀は、十万の兵を率いて函谷関を後にした。  彼の後に続くは、程c、郭嘉、趙雲、呂布、馬岱。 「うぅ〜恋殿ぉ〜……お側に居られぬねねをお許しください〜」 「……ねね、しっかり」  それらの背を見送った賈駆と陳宮は、昨日落としたばかりの函谷関へとその足を向けた。 「ほな、詠、これからの行動を指示してくれんか?もう方針はきまっとんのやろ?」  函谷関に入った賈駆と陳宮を出迎えたのは、張遼のそんな言葉だった。  そして彼女の横には残る武将──華雄、馬超。そして彼女等の後ろには、彼女達のの配下の将達が居並ぶ。  そんな面々を見渡し、賈駆は一言「ええ」と頷くと、 「それじゃ……っと、その前に、向こうに兵を割いてこっちの兵力は減ったわけだけど、兵達の士気はどう? 「問題無えぜ。やっぱり、昨日の張三姉妹の激励公演が大きかったみだいだ」 「そう。それじゃ、将の皆は?」 「……それこそ愚問だ」  賈駆の問いに、馬超と華雄が答え、賈駆はそれに満足そうに一度頷くと、再度、居並ぶ将を見渡して声を張り上げた。 「いい?この戦の勝敗は、ボク達の働きに掛かっているといっても過言じゃない!次の洛陽攻略戦こそが、この戦全体に大きく影響すると思いなさい!」 「「「応!!」」」 「では、作戦を説明するわ──!」 … …… ……… 「来たか……」  洛陽において陽軍と対峙する夏侯淵は、遠くに砂塵を眼にしてそう呟いた。 「凪、迎撃の準備は?」 「はっ、すでに完了しております」 「そうか、わか……何だと!?」  楽進の応えに返事を返そうとした夏侯淵は驚きの声を上げる。  洛陽近くまで来ていた敵軍が、突如二手に別れ一方は洛陽へ、そしてもう一方は取って返しながら南下を始めたのだ。  洛陽から南へ下った先に何がある?  その応えは、この魏に住む彼女等には考えるまでも無かった。 「まずい、奴らの狙いは許都だ!」 「くっ……私が追撃します!」  夏侯淵の言葉を聴いて、すぐに申し出た楽進の言葉に頷いて返す夏侯淵は、洛陽に迫る敵軍の半数を迎え撃つため、自らも急ぎその場を後にした。  そのすぐ後、楽進率いる部隊は、洛陽へと迫る敵軍を迂回するように、南下する方の陽軍を追う。  楽進、夏侯淵供に、恐らくは……いや、十中八九は罠であろうと判断したが、放っておくわけにもいかない。  だが、やはりその危惧はすぐに現実のものとなった。  楽進隊がある程度城から離れ、洛陽に向かっていた陽軍が、そろそろ矢の射程圏に入ろうかとしたその時である。  その洛陽に向かって来ていた方の陽軍が、突如としてその進路を反転、楽進隊へと猛追を始めたのだ。  そしてそれと時を同じくする様に、楽進に追われつつも南下していた側の陽軍が、突如反転、楽進隊への迎撃体制を取った。 「くっ!!やはり罠かっ!!」  だが、それに気づいたとて、勢いづいていた軍はそう簡単に止まる事は出来ず──  楽進隊は、その前後を陽軍に挟撃されるという、最悪の事態に陥っていた。  楽進隊が挟撃された事は、洛陽に居る夏侯淵にも伝わっていた。 「やはり罠であったか……皆のもの、味方を見殺しにするな!すぐに出るぞ!!」  こうなれば陽軍の狙いは明白であった。  そう、許昌を狙うと見せかけて魏軍をおびき出し、各個撃破する。  仮にその狙いを見破られたとしても、本当に許昌を落としてしまえばいいと言う、二段構えの策だ。  結果として魏軍は否応も無く軍を二隊に別ける他はなく、夏侯淵は歯噛みしつつも、楽進を救うために洛陽から出撃した。  だが。  陽軍を指揮する賈駆は、そのさらに上を行ったのである。  夏侯淵は、楽進隊を挟撃する敵軍へと迫った時に、己の失態を悟った。そう、楽進を背後から襲っているはずの敵が、自分たちへと迎撃体制を整えていたのだ。  そして、陽軍と激突した夏侯淵の耳に、洛陽からジャーンジャーンと言う、危急を知らせる合図の銅鑼の音が入った。 「計られた!!これも……二段構えの囮かっ!!」  そう、賈駆は軍を二つではなく、三つに別けていたのだ。  無論、楽進隊を抑える部隊も、夏侯淵隊を抑える部隊も相手より少なくなってしまうのは確かであるが、もう一隊がほぼ敵の出払った洛陽を落とすまで持ちこたえるだけであれば、問題は無い。  そして──。 「申し上げます!洛陽が陥落いたしました!!」  一方にとっては朗報であり、もう一方にとっては悲報であるその報せが、両軍に同時に届く。  直後、突如帰る場所を失った魏軍は大混乱を起こし、波に乗った陽軍は猛攻をかける。  ……例え数で勝っていようとも、混乱に陥った部隊は脆い。  それは、中原の覇者たる魏軍においても、同義であった。  洛陽会戦。  楽進、夏侯淵供に捕縛されると供に、捕縛と戦死、重症を含め、魏軍はその5割を失う。  これは事実上、魏国守備軍の壊滅を意味し、奇しくも賈駆が言った通り、この戦いがこの大陸を巡る決戦の勝敗を別けることとなったのだ。                            ◇◆◇  江州を落とした魏軍はそのまま兵を成都へと向ける。  そして数日の行軍の末、成都城を半包囲するような形に陣を敷いていた。  無論この間、蜀呉連合が手をこまねいて見ていたわけではない。が、それでもやはり魏軍の侵攻を鈍らせる事はできなかったのだ。  それを受け、劉備と孫策は話し合いの末、その覚悟を決めた。  決戦。  曹操もまた、その雰囲気を感じたのであろう。  城の門が開けられ、軍が出てくるとともにその体制が構築されるのを、己らもまた軍を展開しつつ、静かに待つ。  そして──  ──眼前に相対する劉備をひたと見据え、曹操は言う。 「民とは……人の心とは弱いもの。だからこそ、ただ一つの強い力を持った国が統一し、導いて行かねばならない。それこそが、この大陸が取るべき最善の未来なのよ」  それに対し、劉備はキッと曹操を見返しながら、己の思いを強く吐露した。 「違う!互いに信じあう心が有れば、人は強くなれます!  互いを思いあう心が有れば、何よりも良い未来を築けると……私は信じています!!」  そして、きゅっとその瞳を静かに瞑り、言う。  そこに想い浮かぶは、一人の男性。  こことは違う地から来て、それでもこの大地に生きる人たちの為に戦い続けてきた青年。 「それが……私があの人と出逢って、感じることができた想いですから」  そう言って、再び開けた彼女の瞳には、確固たる自信が満ちていた。  そんな劉備の様子に、彼女の想いの強さを、そして彼女が誰を思い浮かべたのかを察したのであろう、曹操はふっと小さく笑みを浮かべる。 「そう……なれば、目指す未来は似ていれども、我らの道は決して交わらぬ道。  貴方の思い浮かべる者が私にとっての最大の障壁であるのと同様に、私もまた、貴方の進む道の壁となりましょう。  さあ、剣をとりなさい、劉玄徳。己の歩みを止めぬ為に」  そう言い切る姿は、劉備には強くも儚く、厳しくも優しく、そして何よりも気高く見えていた。  だからこそ、告げる。 「はい。……ですが、曹操さん。目指す先が似ているのならば、私は貴方とも、必ず解り合えると信じています。  だから、私は貴方と戦います。  貴方と戦い、貴方に勝ち、私の理想を貴方に認めてもらいます。  ……今はまだ道が交わらないのであれば……無理矢理にでも、交えてみせましょう!」  そう言い放ち、愛剣たる『靖王伝家』を構える劉備。対する曹操もまた、その得物たる大鎌『絶』を構え、劉備へと突きつけた。  掲げるは誇り、賭けるは未来、目指す道行を照らす導は、剣戟の賛歌。さあ、戦いを始めよう──。                            ◇◆◇  一方で右翼を任されている関羽は、劉備の剣と曹操の鎌が幾度と無くぶつかる様子を遥か遠めに見て、その様子に助けに飛び込みたいと思いつつもこの場に釘付けにされていた。  彼女の前には今、隻眼の猛将、魏武の大剣と称される夏侯惇が居るからだ。  剣と剣がぶつかり、槍と槍が火花を散らし、兵と兵が命を削る。  この右翼は今、この戦場において最たる激戦の地となっていた。  そしてその激戦の中心となっているのは、関羽と夏侯惇の二人の激突であったのだ。  二人には最早、言葉など無い。  国を賭け、誇りを賭け、威信を賭けて、ただ己の武をぶつけ合うのみ。                            ◇◆◇  鉄の打ち合う音と共に、劉備がその手にした剣ごと弾き飛ばされ、地面を幾度と転がり倒れ付した。  そのまま動けぬ彼女へ向けて、曹操は言う。 「あきらめなさい、劉備。最早貴方達に勝ち目は無い。大人しく孫策等と共に私の軍門に降りなさい」  だが、劉備はそれでも尚もがき、剣を己の身体を支える為に使い、立ち上がる。  その顔は俯き、表情をうかがい知る事は出来なくとも、全身に玉の様な汗が浮かび、その限界が近いことは察せられた。  だが、それでも。  彼女は顔をゆっくりと上げ、ひたと曹操を見据えた。  その瞳からは今だなお、光は消えない。 「……いや、です……!……私はまだ動ける……っ  私を信じてくれる……みんなのためにも…………私は、まだ、負けられない!!!」  それは正に、魂からの叫び。  だからこそ、その潰えぬ想いの強さは曹操にも届く。  だからこそ、曹操は決めた。最後まで、と。 「…………いいでしょう、劉玄徳。何度でも何度でも何度でも!その想いの全て、私に示しなさい!!」  そして再び、その武器を構えた。 「私はその全てを叩き伏せ、その全てを飲み込んでみせようぞ!!」                            ◇◆◇  蜀の将達が魏の将に掛かりきりになっている間、それでも魏軍の攻撃を凌いでいられたのは、偏に呉の将達のおかげであった。  彼女らは数で勝る魏軍に対し、ここは一歩も引かぬとばかりに先陣を切って見せ、それに後押しされるかの如く、蜀の兵達もまた一歩も引かずに踏みとどまっていられた。  加えて彼等を指揮するのは、知将と名高い諸葛亮、鳳統さらには周瑜、陸遜である。  最も、それだけの条件が揃っていて尚、純粋な数の差と言う物は大きく、ようやく戦力が拮抗していた状態であったが。……いや、むしろこの場合は、よくぞ互角の状況へと持っていったと言うべきであろうか。  つまりは蜀呉連合にしろ魏軍にしろ、現在の互角の状況から事態を好転させるために『何か』が必要な状態であった。  その『何か』は、魏軍にとっては偏に曹操が劉備を倒す──この場合、彼女の心を折る、といった方が正しいか──事である。  対して蜀呉連合にとっての『何か』は、言うなれば『数の差』を少しでも埋めるための戦力の供給であり、全戦力を投入している現状にあっては叶わぬ事であった。  つまり状況は正に蜀呉にとって絶望的であり、そしてそれを正確に把握している分、指揮を執る四人の心中は穏やかでは無かった。  そう、そんな時だったのだ、彼等が現れたのは。  戦場を俯瞰し、指揮を取りながらも好転できぬ状況に歯噛みする諸葛亮達の下へ、伝令の兵が飛び込んでくる。  その報告を聴いた瞬間、鳳統はこの場を諸葛亮へと頼み、戦場とは反対の方向へ城壁上を駆けていき、周瑜がその後を追う。  そして、そこで二人が眼にしたのは、北方より砂塵を巻き上げて押し寄せる軍であった。 「「来てくれた」」  それを見た二人が、同時につぶやき、それに気づいて互いに顔を見合わせ、思わず笑みを浮かべる。。  その軍に掲げられるは『陽』の文字。翻るは十文字の牙門旗。  そう、蜀呉連合にとっての『何か』が、今正に現れた瞬間であった。                            ◇◆◇  関羽と時を同じくして、魏延もまた遠めに見る劉備の危機にその心を焦らせていた。 「桃香様あああ!!……そこをどけええええ!!!」  叫びながら、眼前に群がる魏軍の兵達を、己が武器である巨大な金棒『鈍砕骨』でなぎ払い、劉備へ向けて駆け出そうとするも、彼女の目の前に、身の丈程もある円盤が轟音と共に突き刺さり、その足を止められてしまう。 「何者だ!!」 「私の名は典韋!華琳様の邪魔はさせません!」  魏延の誰何の声に応える様現れた少女は、彼女の武器たる円盤『伝磁葉々』を引き寄せつつ構えて言った。  それに対して魏延もまた鈍砕骨を構えなおす。 「そこを退け!桃香様は、この私が助け出すのだ!」 「残念ですが、ここを退く訳にはいきません」 「ならば……押し通るのみ!!」 「……やれるものなら!」  そして、互いの得物がぶつかり合う轟音が響き渡った。 … …… ………  遠心力を持って振り下ろされる伝磁葉々を、鈍砕骨で打ち返す。  魏延の鈍砕骨が単純な重量級の破砕武器であるのに対し、典韋の伝磁葉々は言うなれば、鎖や紐の先端に錘をつけた武器である、流星錘を巨大にした物である。  彼我の膂力においては互角であるが、武器の射程に関しては典韋に利が有る為、遠目に劉備が曹操に弾き飛ばされるのを見つつ、魏延は完全にこの場に足止めをされていた。  そして再三の轟音と共に、互いに距離をとり武器を構えなおす。  最早周囲一帯は魏延と典韋の戦いの余波で地面に幾つもの穴が開いており、地形の悪さと魏延自身が焦っているのも相まって、彼女は進むことが出来ない。 「……っこのままでは……」  主を救うことが出来ないと、もう駄目なのかと半ば諦めかけたその時、倒れ付した劉備がよろよろと立ち上がる姿が視界に入った。 「…………私は、まだ、負けられない!!!」  離れているにも関わらず、確かに劉備の叫びが届く。  それを聴いた魏延は己を恥じた。  主が諦めていないのに、彼女を守ると誓った己が諦めて如何するのか。  そうだ、もう、桃香様を助けるのは自分でなくとも良い。そんな小さな事に拘ってなどいられない、と。  今この場において、余裕がある者など居ないであろう事は承知の上。  だが、それでも。叫ばずには居られなかった。 「誰か……桃香様を助けられる者は居ないのかああーーーーーー!!!」  魏延は思う。  自分が道を切り開けば、誰かが桃香様の下へ駆けつけてくれるであろう。例えそれが一兵卒であってもいい。桃香様への助力になれば、誰であっても。  だからこそ、叫んだ次の瞬間には、己の身を犠牲にしてでも劉備への道を切り開こうと四肢へ力を篭めたそう、その時であった。 「こ こ に 居 る ぞーーーーー!!!」  応える声が、響いた。                            ◇◆◇  幾度目かの攻撃に弾き飛ばされた劉備は、朦朧とした意識の中で、己の体が再び地に打ち付けられるだろう衝撃を覚悟した。  だが、覚悟したそれは訪れる事は無く、代わりに訪れたのは、優しく抱きとめられる感触であった。  彼女は、その感触に己を抱きとめた相手を見上げ──。 「──もう、大丈夫」  それは、その相手が言った言葉か。それとも、己が思った事か──。  それまで必至に己を貫き続けた少女は、静かに意識を手放した。  陽軍の攻撃は、それまでまるで蜘蛛の糸のごとき細さの均衡を保っていた両軍の戦線を崩した。  関羽と夏侯惇が激戦を繰り広げ、進むも退くも叶わぬ状態であった右翼は、徐々に蜀呉連合軍が圧し始め、魏延が奮闘しつつも、じわじわと圧されていた左翼の蜀呉連合軍はかろうじて互角に持ち直す。  そして中央──。  ここは曹操が劉備との一騎打ちの為に突出する形となっており、劉備がその意識を手放した後もその形は変わっていなかった。  なぜならば。  その気を失った劉備を労わる様に抱きかかえる、一人の青年が現れたからだ。  陽国国主、北郷一刀。  今この時に彼と彼率いる陽軍が現れた事は、魏軍の兵たちにとっては己の窮地を知らせるに等しいものであった。  敵援軍がどれほどの数が居るのか判らない上、その中でも特に精鋭が配されているであろう総大将の部隊。  それが今現在、突出し周囲を敵兵に囲まれた状態の自分たちの前にいるのである。  そしてその事実は、魏軍の兵達の平静を打ち壊すには十分であった。  そう、それまで曹操と劉備の戦いを、蜀軍兵達と戦いながらも見ていた魏軍兵は、その劉備が気を失った瞬間、爆発したのである。 「…………あいつを殺せば終わりだ……」  それは、誰かから漏れた声。  だがそれは、魏軍の兵達が皆どこかに思った事であったのだろう。  自分たちにとって、一度とて負ければ終わりになるであろう先の遠い戦い。遠征に次ぐ遠征、戦いに次ぐ戦い。  それらを終わらせることの出来る手段が、そこにある。 「ああああああああああ!!!!」 「殺せ!殺せ殺せ殺せえええ!!!」 「うわああああ!!!死ねええええ!!!」  その“狂気”とも呼ぶべき感情は、瞬間的に周囲に“伝染”した。 「ひっ!」  そしてその魏軍の様子に、蜀軍の兵達は一歩、“退いて”しまった。  それは、きっかけ。  対峙する者達が。己の前に居る“敵”が。弱気になったその瞬間──“獲物”に変わる。 「……なっ!お前たち、待て!」  暴走した兵達は、曹操の制止の声も聴かずに一刀と劉備へと襲いかかった。  だが、その『暴走』は、更なる『暴力』によって打ち払われる。  襲い掛かる兵と一刀達の間に、赤毛の少女が割り込んだ。  彼女の正体に気づいた者は、咄嗟にその足を止め、気づかなかった者達は、邪魔をするなら斬るとばかりに襲い掛かる。  だが、襲い掛かった者達は、少女の一振りで数人まとめて弾き飛ばされ、打ち据えられr、その命を散らした。  その圧倒的な武を目の当たりにした、足を止めた者達は少女の正体を確信する。 「……呂布だ……」  誰かが、絶望と供につぶやく。  そしてそれは瞬く間にその場に居る者達へと広がり、ほとんどの魏兵は蛇に睨まれた蛙の如く、動く事すら叶わなかった。  形勢の逆転しそうな戦況。目の前には、敵の総大将が居るというのに、立ちはだかるは万夫不当の猛将。その場の魏軍兵に突きつけられた現状は、正に絶望であった。  そしてその時、決定打がもたらされる。 「そ、曹操様!曹操様に申し上げます!!」  敵の目の前だと言うのに、飛び込んでくる伝令。  それはまさに、火急の事態が発生したと言わんばかりであり、その伝令のただならぬ様子に、周囲の将兵達にも動揺が走る。  その伝令は、曹操に対して何事か耳打ちすると、曹操に命じられて魏軍本陣へと向かった。  一刀は“それ”の内容がわかっているとばかりにその伝令を見逃し、ひたと曹操を見据える。  曹操もまた、一刀を見据え、二人はその視線をはずすことなく、絡めあう。  そして曹操は、己が武器を掲げて、言った。 「北郷一刀。貴方に一騎打ちを申し込む」  ざわり、と、周囲がざわめく。  突然の申し出。現状において、一刀がそれを受ける謂れは無いのは明白である。受けずとも、現状であれば押し切って勝てる可能性のほうが高いのだから。  兵力は互角、されど、士気が違うのだ。  連戦に次ぐ連戦、そしてソレを終わらせることが出来る、と思った矢先に突きつけられた、大きすぎる壁である呂布の存在。  それは、大半の魏軍の兵の士気を挫くのに、十分であったのだ。  そんな中発せられた、先の曹操の言葉。  一刀は曹操の眼をひたと見据え──。 「わかった。その一騎打ち、受けよう」  再びざわめく、周囲。  特に動揺したのは陽軍だが、無理もあるまい。  そして一刀を守るべき立場である呂布もまた、驚いた顔で一刀を見つめ──その表情からナニカを察したのか、こくり、と小さく頷いた。  一刀は抱きかかえていた劉備をしずかに地面へと寝かせ、そして一歩脇に避けた呂布の横を通りぬけて曹操に対峙する。  一刀は剣を鞘に入れたまま、居合いの如く構え、曹操は絶を一刀へ向けて構える。 「北郷一刀。この一撃をもって、“貴方の首をもらいうける”」 「……来い、曹猛徳」  次の瞬間──  曹操は一刀へ向けて猛烈に駆け出し、絶を振り抜き──  一刀は剣を鞘に収めたままに、“己の首の高さに掲げて”曹操へ向けて踏み出す。  ガヂリという鈍い音を立て、一刀の剣の鞘と、“一刀の首を目掛けて振りぬかれた”曹操の絶の柄がぶつかり──  その時初めて、一刀は絶を鞘で抑えたままに、曹操へと更に一歩踏み込みつつ、剣を抜き放ち、突きつける。  曹操の喉下で、ピタリ、と止まった剣が、その場の勝敗を決していた。  少し腕の立つものが見れば、それがまるで予定調和のようであったと気づくであろう。  現代人が見たならば、まるで時代劇の殺陣の様だと言うかもしれない。  だが、それでも── 「──私の負けよ、北郷。好きにしなさい。  ……全軍に次ぐ!誠に遺憾なれど、我は一騎打ちに破れ、また、洛陽と許昌が落とされたと言う報告を受けた。  速やかに武器を捨て、投降せよ!」 ──戦いは、終わりを告げた。  あの時曹操にもたらされたのは、洛陽と許昌、そしてそれに続き次々と領土が落とされていると言う報告であった。  それは偏に、今この場で北郷一刀を討つことができなければ、完全なる魏軍の敗北を意味していた。  だが、前述の如く立ちふさがるは、最強を誇る呂布である。  そう、言うなればこの時点で魏軍は“詰んで”居たのだ。  だからこそ、曹操は一刀へと一騎打ちを申し出た。  それは、言うなれば兵達を“納得”させるための一手段。  彼女は自身と言う存在が、魏軍全体に及ぼす影響と言うものを熟知している。その彼女が、敵の大将との一騎打ちで敗れればどうなるか?  恐らく兵達は、無駄に歯向かって命を落とす、などという事はなく、投降するであろう。  それゆえの申し出。  そして一刀は、その意を悟り、汲んだのである。  ──結局、この激戦を無事に生き残ったのは陽一国であった。  陽に後背の激戦を制された魏、そしてその魏に落とされた呉は言わずもがな、蜀もまた領土深くまで侵攻を許し、大きく疲弊した。  その為、劉備は重臣たちとの協議のすえに、ある決断を降した。  陽との併呑である。  劉備にとって、大事なのは己が理想を叶えることでもある。そして北郷一刀の人柄、思想は、彼女の理想に沿うものでもあり、決して否定されるものではなかったからだ。  無論、それが己の手で成しえるのならば言う事は無いのだが、事ここに至ってはそうも行かない状況であった。  そう、魏との戦により大きく兵を減らしすぎた今、外憂よりもむしろ内憂──領内の治安の維持すらギリギリの状況になりうる。  自らの理想は、自らの力で叶える。それはいい。だがその為に民を苦しめては本末転倒であろう。そして劉備には、それは決して許せなかったのだ。  それゆえの、降伏。  こうして──後漢の動乱、黄巾の乱に端を発した大陸の覇権を巡る戦いは、陽による統一と言う形で幕を閉じたのである。  そして──  その時は、訪れる。