改行による2パターンとなっています。最初は整形なしの素です。 ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。  「無じる真√N」拠点27 「惚れ薬ですの?」  それは袁紹が遅く起きた朝……といよりは昼近くのこと。知らぬ間に街へと出かけていた文醜が妙な箱を持って帰ってきたのだ。 「そうみたいっすね」 「で、なんでそんなモノを買ってきたりしたんですの?」  もっとも基本的な疑問に袁紹は眉をひそめる。 「いえ、斗詩に飲ま――なんか面白いことに使えないかなって思いまして」 「最初のほうが少々気になりましたけど、まぁいいですわ。それより、それ……わけていただけます?」 「一体、何に……はっ!? まさか……あ、あたいに」 「何をおっしゃるんですの。だいたい、薬の存在を知ってる人間に使うわけないではありませんの……しかも、狙ってる人間に薬をわけてくれなんて言うわけがないでしょうに」 「いやぁ、麗羽さまならあり得るかなって」 「……猪々子。貴女、暗にわたくしのことを愚者だとおっしゃっていますわね」 「ち、違いますよ。やだなぁ、そんなこと言うわけ無いじゃないですか」  明るい笑みを浮かべながら否定する文醜。その笑みを湛える口元が引き攣り、眼が泳いでいるのは袁紹の気のせいだろうか。 「まぁ、いいですわ。それで、わけてくださいますの?」 「あ、はい。いいっすよ」 「では、この容器に」  そう言って、袁紹は手頃な小さい容器を差し出す。「それじゃあ」と前置きして、その容器へと薬が注がれていく。 「よし、こんなもんかな」 「悪いですわね」 「いいっすよ。どうせあたいは斗詩にしか――いえ、大して使う気なんてないっすから」 「そう、あまり無茶はするのではありませんわよ」  文醜に「くれぐれも」と言うと袁紹は外へ出るため扉へと向かう。 「あれ? どこに行くんです?」 「ちょっと、出かけてきますわ」  そう言うと袁紹は扉へと手を掛ける。 「あ、そうそう……薬は数時間程度しか効かないそうですから。くれぐれもそこんところに気をつけないとダメっすよ」 「えぇ、わかりましたわ」  文醜の注意に頷くと袁紹は部屋を後にした。  †   「今日は休みだし、街にでも出るかな」  廊下を歩きながら一刀は一人呟く。 「ここんところ忙しかったし、たまには骨休めしないとな」 「あら、こんなところにいらしたの」 「ん?」  不意に声をかけられた一刀は顔だけ後ろを向く。そこには大きな渦巻きを携えた金髪の少女が立っていた。 「……げっ」 「なぁにが、げっ、ですの!」 「な、なんでもない。気のせい気のせい」 「……まぁ、よろしいですわ。それより、ちょっとわたくしに付き合いなさいな」 「断る」  短くそう答えると一刀は正面を向いて歩き出す。 「ちょ、ちょっと! このわたくしがわざわざ声をかけたのになんですのその態度は!」 「俺は、これから街に行くんだ」 「な、ならわたくしも同行しますわ」  慌てて、駆け寄る袁紹の声に一刀はため息を漏らす。 「それなら構わないよ」  そう言うと、一刀は歩を止め袁紹が横に並ぶのを待つ。 「まったく。最初からおっしゃりなさいな」 「それで? 用があるんだろ?」 「それは、まぁ追々ですわ」  何故か不適な笑みを浮かべる袁紹を不思議に思いつつも一刀は「ふぅん」とだけ答えるのだった。  それから街に出てぶらぶらとしていると、袁紹が騒ぎ始めた。 「喉が渇きましたわ! カラカラでもうひからびそうですわ」 「そうだな。俺もちょっと喉渇いたし、茶屋にでも寄るか」  丁度、近くまで来ていたためすぐに寄ることにした。そして、二人は屋外――とはいっても表の道だが――にある席へとついた。 「さて、適当に頼もうか」 「なんだか、庶民的な店ですわね」 「俺の懐事情じゃこれくらいが限界なんだよ」 「甲斐性がありませんわね」 「そういうこというやつには何も奢らない」 「じょ、冗談ですわよ……まったく、それくらいもわからないんですの?」  袁紹がバカを見るような視線を向けてくることに一刀が何か反論を言ってやる、そう思い口開こうとしたところで店員が茶を運んできた。 「はい、どうぞ」 「あぁ、すいません」  茶を受け取り、一刀が飲もうとすると、 「あら、それは何ですの?」  袁紹が一刀の背後を指さした。 「え? どれ?」 「だから、それですわ」 「ん? どれだよ」  顔だけ振り返っても見えないので、一刀は卓に湯飲みを置き、身体全体で背後を向く。 「何も無いみたいだけど?」 「……よし、これで……え? あ、あらあら。気のせいでしたわ」 「なんだ、気のせいか」  何かブツブツと呟いていた袁紹に、一刀は自分がからかわれたのだと理解した。 「さ、そんなことよりお茶を飲むとしましょう」  そう言って、袁紹が湯飲みを持った。その時、彼女の背後ギリギリを影が通過した。 「や~ん、猪々子ってば何か変だよ~」 「待てって、そして、コレを飲め! 斗詩ぃ~!」  ドン!  何やら袁紹の側を走り抜けた少女を追いかけているらしいもう一人の少女が袁紹にぶつかる。その反動で、袁紹が手にしている湯飲みから茶が飛びはね、袁紹の指に掛かる。 「あ、熱っ!」  そして、袁紹は反射的に手を離してしまう。  ゴトン。そんな音を立てて湯飲みが倒れる。そこから卓の上に茶がダラダラとあふれ出るのを袁紹は呆然と見つめている。  一刀は袁紹がやけどしていないかと指をのぞき見て、無事であることを確認し、すぐに席を立った。そして、店内へと入ると店員へと近づく。 「……すいません! 台ふき貸して貰えますか?」 「はいはい、どうぞ」 「どうも、すみません」 「いえいえ、おかまいなく」  ニコニコと愛想良く笑っている店員に一礼すると、一刀はその場を後にした。 「い、猪々子……何をしてらっしゃるの、あの娘は?」  一刀が台ふきを借りて袁紹の元に戻ると、彼女は既に見えなくなった少女の方に向かって何やら呟いていた。  そのことに首を傾げつつ、一刀は濡れてしまった卓を拭いていく。幸い、卓の上に広がっただけで後はどこにも被害は移っていなかった。  一通り拭き終わると、一刀は自分の湯飲みを袁紹の前に置く。 「ほら、これでも飲んで落ち着きなよ」 「え、えぇ……そうですわね」  未だ駆け抜けていった少女たちの方を呆然と見つめながら袁紹は茶を口へと運んだ。やはり、余程喉が渇いていたのだろう。喉から気持ちの良い音が聞こえてくる。  少し冷めたからか、袁紹はあっという間に飲み干してしまったようだ。 「ふぅ、落ち着きました……わ?」 「ん?」 「わたくしのお茶は……こぼれましたわよね」  袁紹がまるで壊れた絡繰りのようにカクカクと首を動かして一刀の方を見る。 「あぁ、そうだな」 「では、これは?」 「俺のを代わりに渡したんだけど?」 「え? そんな……だ、だってこれには」  何故か袁紹は、非常に困った顔……というか青ざめた表情をしている。 「でも、さっき喉が乾いてカラカラだって言ってたろ? 一応、お茶をまた持ってきて貰うことにはしたけど、それよりは速く喉を潤わせたいだろうと思ったんだけど……」 「え、えぇと、その……ですわね」  何やら一刀と茶を交互にチラチラと盗み見て口をもごもごとさせる袁紹。 「あぁ! そういうことか。なぁに大丈夫だよ。俺はまだ口付けてないから」 「え、いや……そうでは――うっ」  何か言おうとする途中で袁紹が顔を俯かせる。 「ど、どうしたんだ? な、何か……異物が混入してたのか?」 「い、いえ、別に……何も入っていませんわよ。心配性ですわね、うふふ」  顔を上げた袁紹。彼女の表情は非常に穏やかな笑みを浮かべている。まるで、どこぞのお嬢さまのようだな、一刀は今の袁紹を見て真っ先にそう思った。  そして、同時に背中にぞわっと冷たいナニカが走る感覚があった。 「ほ、本当に大丈夫なのか?」 「えぇ、問題ありませんわ。相変わらず、お優しい方ですわね」 「…………怖っ」  いやに物腰の柔らかい袁紹に一刀は恐怖を覚える。  そして、その反応が間違いでないことを一刀は知ることとなった。  茶屋を出て、街を歩き始めたところで急に袁紹が腕を絡ませてきたのだ。 「お、おい……何を?」 「ふふふ、良いではありませんの」 「……う」  相変わらず微笑みを浮かべている袁紹。正直、普段が普段なため不気味でしかない。 「それとも……嫌、だとおっしゃるの?」 「そ、そんなことはないさ」  不安に声を震わせて訊ねられてまで拒否するほど一刀の心は強靱ではなかった。そのうえ、よく見れば瞳が潤んでいる。 「さ、それでは色々と見て回りましょう」  結局は、袁紹の提案に一刀が抗うことなど出来ないという構図は変わらないのだった。  それから、散々街中を連れ回された挙げ句、袁紹に引っ張られるまま一刀が辿り着いた先は周囲を森に囲まれた広原だった。  そこは、障害物となる木も大きな岩などもなく非常に見晴らしも良く、風も端から端まで通り、とても気持ちがよい。 「ここは、わたくしのお気に入りの場所ですわ」  そう言って微笑みながら袁紹が草の上に腰掛ける。それに習うように一刀も隣に座る。 「へぇ、いつから来るようになったんだ?」 「ふふ、あなたや他のみなさんが忙しそうに駆け回ってる間……ですわ」  そう答える袁紹の顔は夕日による紅い陽射しの挿し加減もあるためなのか、一刀には少し寂しそうに見えた。 「そっか、ごめんな」 「え? 何故、謝るんですの?」 「随分とほったらかしにしちゃったみたいでさ。ホントごめんな」 「仕方ありませんわよ……だって、一刀さんはわたくし……いえ、御自分の護りたいモノのために戦っているではありませんの」 「うぅん……実際に戦ってるのは俺じゃないけどね」  そう言って一刀は苦笑しつつ、気恥ずかしさを誤魔化すように袁紹の頭をそっと撫でる。高貴な身分にいたというだけあってか、髪の毛は非常にきめ細やかで繊細な肌触りがする。 「あなた、誰にでもこうしてらっしゃいますわよね?」 「…………そ、そう、かな?」  心当たりがあるため一刀は僅かに口ごもる。そんな一刀の言葉を聞いて、可笑しそうに笑いを零しながら袁紹が一刀の方にしな垂れかかる。  そして、そのまま一刀の腰に腕を回してきた。  そにより、一刀の横腹に、今現在、彼の周囲にいる少女たちの中でも上位に位置し、また数が少ないため非常に貴重と思えるほどに豊満で弾力性のある袁紹の胸がグッと押しつけられる。 「ふふふ。でも、それは悪いことではないのですわ。きっと」 「どういうこと?」 「だって、あなたの手はとても――え?」  そこで、袁紹が目を見開き一刀を驚いた表情で見つめる。  それから数秒、空白の時間が出来る。  一刀が、不思議に思い声を掛けようとした瞬間、 「こ、これは……か、勘違いするんじゃありませんわ!」  バチーン  辺りに乾いた音が響き渡った。その後に残ったのは紅葉のように赤く腫れた頬をさするでもなく呆然とする一刀。そして、顔を真っ赤にしている袁紹だった。 「……え?」 「で、ででで、ですから、これはわ、わたくしの本意ではありませんの」  慌てた仕草で回していた腕を袁紹が放す。ちょっと残念に思いながらも、それ以上の戸惑いで一刀の頭はいっぱいだった。 「ちょ、ちょっとした事情があってこうしてしまいましたけど、別にわたくしの意思ではないんですのよ?」 「そ、そうか、そうだよな……麗羽に限って、こういうことを望むわけ無いよな。うん」 「そうですわよ。さて、わかったのならわたくしは失礼させていただきますわよ」 「う、うん……そっか」 「ふん!」  最後にキッと鋭い刃物で突き刺すように一刀を睨み付けると、袁紹はドスドスと地面が破壊されるのではと心配したくなるような音を立てながら力強い足取りで帰って行った。 「な、なんだったんだよ……」  後のに取り残された一刀の背中を沈み行く夕日が照らしていた。  †  散々な一日だったと頭を抱えながら部屋へと戻った袁紹。扉を開けて中へと入った途端、顔良が彼女のもとへと駆け寄ってくる。 「た、大変ですよ。麗羽さま!」 「なんですの? わたくし、今は少々調子が悪いので速く休みたいのですけれど」  先程から止まらない動悸のせいで袁紹の頭はぼうっとしていた。気のせいか顔も火照っている。もしかしたら熱があるのかもしれない。  速く横になりたい、そう思い袁紹は寝台の方を見る。一つの寝台に文醜が大の字になって寝ている。 (わ、わたくしがあの薬のせいでどれだけ大変だったか……猪々子にはあとでよぉく教えてさしあげますわ)  文醜を見つめるうちに袁紹は自然と目つきを険しくしていた。 「あの、麗羽さま?」 「あら? なんですの?」  袁紹が首を傾げながら見つめると、顔良はため息を吐いた。 「ですから、話があるんですって」 「あぁ、そうでしたわね。それで?」 「そのですね、良く聞いてくださいよ」  神妙な面持ちになる顔良。 「とっとと言いなさいな」 「で、では。麗羽さま……実はですね、この薬って惚れ薬ではないみたいなんです」 「はぁ?」  顔良が口にした事実が信じられず袁紹は眉間にしわを寄せる。 「どうやら、飲んだ人間が初めて見た人に惚れるのではなく、元々好意をもっている相手を見ることでその想いが膨れあがるという効果だったみたいですね」 「そ、そんなわけ……ありませんわ」  わなわなと肩をふるわせながら袁紹は首を横に振る。そんな袁紹の前で顔良が薬の入っていた箱を開ける。そして、中から何かを取り出す。 「でも、ちゃんとこの薬と一緒に仕舞われていた書簡にそう書いてありますよ」 「う、嘘ですわ! う、嘘に決まってますわ! そ、そんな……こ、このわたくしがよりによってあ、あんな……あり得ませんわ」 「ちょ、麗羽さま、どこへ!」  よろよろとつたない足取りで袁紹が扉へと近づくと一気に開け放ち、外へと飛び出す。 「い、いやぁぁぁぁああああ! これは悪い夢ですわぁぁぁぁああああ!」 「麗羽さまー!」  宵の闇の中へと駆ける袁紹の背中に向けて発せられた顔良の声が空しく響き渡った。  † 「ふわぁ……今日はちょっと速いけど、もう寝よう」  疲労感が半端ではないから……特に精神的に。そう思うのと同時に一刀は先程の光景を思い出す。何故か頬を張られた自分、顔を真っ赤にして怒りを露わにしながら逃げてしまった彼女。 「一体、なんだったんだ?」  結局、何が何やらわからないまま夜を迎えることとなってしまった。 「ま、明日にでも聞いてみるか」  そうして、部屋の灯りを消そうとしたところで扉が叩かれる。 「おい、一刀。いるか?」 「ん? 華雄……だよな」  一体、何事だろうか。そう思いつつ、一刀は扉を開ける。 「おぉ、まだ起きてたか」 「今寝ようとしたところだよ」 「そうか。いや、それよりも麗羽を知らんか?」 「え? 麗羽がどうかしたのか?」  一瞬、麗羽という名前に反応しかけるが冷静を装って聞き返す。  華雄は非常に真剣な表情を浮かべる。 「実は……麗羽が姿を消したらしい」 「……本当か?」 「あぁ。よくは知らないが斗詩曰く、自室で何やら個人的な話をしていたら急にどこかへと駆けていったそうだ」 「…………わかった。俺も探しに行くよ」 「いや、それは私や他に手の空いてる者たちでやる」 「それでも……それでも俺は探しに行く。もしかしたら俺もその失踪に関わってるかもしれないんだ」 「どういうことだ?」  華雄が訝るように一刀をじっと見つめる。 「まぁ、いろいろあったんだよ。今日一日でね」  それだけ答えると、一刀は華雄の横をすり抜けて駆け出す。 「悪い、華雄。ごめんな」 「お、おい、一刀!」 (もしかしたら……あそこに)  余り知られていない場所へ一刀は向かう……麗羽と今一度話をするために。  † 「はぁ、なんでこうなるんですの」  お気に入りの場所。先程は、夕日に染まり燃えるように紅かった広原……今は月明かりに照らされ静かな水面のように大人しかった。そこで袁紹は膝を抱えてため息を吐く。 「……最初の考えと全然違う……違うじゃありませんの」  元々、一刀を陥落しようとちょっとした悪戯のつもりで企んだことだった。一刀をメロメロにしてしまえば公孫賛軍の実権を握りやすくなるのでは、なんていうお茶目心だった。  だが、ささいな事を切欠に袁紹が陥落される側となってしまった。 「だいたい、あんな男のことなど別に……」  そこまで言ったところで一刀の顔が浮かぶ。笑顔、まるで袁紹を慈しむような笑顔。困ったような苦笑。袁紹や顔良、文醜のやり取りを見守るような微笑ましげな表情。 (よく考えるといつも、ヘラヘラと……)  いや、そうじゃない。彼は優しい笑顔を浮かべていただけだ。決して、怒りや悲しみを初めてとする負の感情が含まれるような表情はしていなかっただけだ。 「…………よくわかりませんわ」  一刀は、決して袁紹を見下さない。もちろん、それが当然だろうとは袁紹は思っている。思ってはいるが、正直、最初は捕虜として酷い扱いを受けるような気がしていた。  だが、実際にはそんなことはなかった。彼は本当の意味で保護者のようだった。袁紹たちをずっと見守っていた。 「……とはいえ、こ、恋心など」  抱いていない……ずっとそう思っていた。それなりに共にいれば楽しめそうだとは思っていた。 だが、彼を好きになっていたとはこれっぽっちも感じていなかった。  正直、一刀などゴボウ程度の認識だった。そう、そんな存在だった。 「はぁ、やってられませんわ」  空でこうこうと輝き続ける月を見上げ、袁紹は髪を掻き上げる。  何にせよ、少なからず好意を抱いていたということを自覚してしまった。 「……どうしたらよいのかしら」 「何がだ?」 「ですから、あの人とどう接する――っ1?」  背後から聞こえた声に何気なく返事をしかけて、袁紹は息を呑む。 「やっぱり、ここか……」 「な、ど、どうして?」  声を掛けてきた人物が横に腰掛けたのを感じた袁紹はそっとそちらを見る。 「ここは麗羽のお気に入りの場所なんだろ。それにみんな探してたぞ」 「べ、別に一刀さんが来なくても」  月明かりを浴びる一刀の横顔を見る。着ている特殊な服のせいなのか神秘的な雰囲気を放っているように見える。 「それにさ、さっきのことが気になってたから」 「…………あ」  そこで、先程の事を思い出す。薬がきれたと思われるところで逃げたのだ。 「なんかあったのか?」 「別になにもありませんわ」 「…………」 「…………」  一刀は何を言えばいいのかわからないのか、はたまた言葉を脳内で選別しているのか、黙り込んでいる。袁紹も彼の言葉を待ち口を閉じる。  ふと、一刀の方をちらりと盗み見る。 (よく見れば、それなりに整った顔立ちをしていますわね……って、違いますわ!)  妙な感想を抱く自分の頭を袁紹はポカポカとこづき回す。 「ど、どうしたんだ?」 「な、なんでもありませんわよ!」 「……な、なんで怒るんだよ」  袁紹が怒鳴りつけると、一刀は普段の情けない表情を浮かべた。 (や、やっぱり間違いですわよね……こんな男をわたくしが……)  そう思えば思うほど袁紹の胸の鼓動は速くなる。 「別に怒ってる訳ではありませんわ。ただ、ちょっと調子がおかしいだけですわよ」 「おいおい、なら外に出てるのはマズくないか?」 「ちょっと風にあたっていただけですわ」 「あぁ、そうかい」  特に視線も交わすことなく会話を続ける二人。  今なら、彼の目を見なくてすむ状態なら言える。そう思い、袁紹は口を開く。 「それと」 「ん?」 「今日は、少々わたくし変でしたの」 「だろうな」 「ですから、今度また――」 「一緒に出かけてくれないか?」 「え?」  自分が言おうとした言葉を先に言われ麗羽はぽかんと口を開けてしまう。そんな麗羽に一刀が微笑みかけてくる。 「ダメかな?」 「ふん、今度はちゃんとしたところに連れていっていただきますわよ。この高貴なわたくしに会う店を探しておくことをお勧めしますわ。おーっほっほっほ!」 「やっぱ、そういうほうが麗羽らしいよ」  クスクスと可笑しそうに笑う一刀。 「ホント、いつでもヘラヘラしてますわね」 「そうかな?」 「そうですわよ」 「うぅん、不真面目が表に出てるのかもな」  腕組みした一刀が真面目な表情でそんなことをのたまう。 「ふふ。でも、その方が一刀さんらしいですわよ」 「おっと、こりゃ一本取られたな」  一刀が苦笑混じりに頭を掻く。そんな彼から視線を逸らすと袁紹は立ち上がる。そして、改めて少年の方を見る。 「さ、戻りますわよ。ついてらっしゃいな」  そう言ってわがままな姫は手を差し出す。 「へいへい……そんじゃ行くとしましょうかね。お姫様」  少年は姫の手をそっと取り立ち上がる。月明かりに照らされたその手は青白く光って見えた。  少年の特徴である白き衣と姫の象徴とも言える細く美しい髪が輝き、とても幻想的だった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 整形版はここからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N」拠点27 「惚れ薬ですの?」  それは袁紹が遅く起きた朝……といよりは昼近くのこと。知らぬ間に街へと出かけていた文 醜が妙な箱を持って帰ってきたのだ。 「そうみたいっすね」 「で、なんでそんなモノを買ってきたりしたんですの?」  もっとも基本的な疑問に袁紹は眉をひそめる。 「いえ、斗詩に飲ま――なんか面白いことに使えないかなって思いまして」 「最初のほうが少々気になりましたけど、まぁいいですわ。それより、それ……わけていただ けます?」 「一体、何に……はっ!? まさか……あ、あたいに」 「何をおっしゃるんですの。だいたい、薬の存在を知ってる人間に使うわけないではありませ んの……しかも、狙ってる人間に薬をわけてくれなんて言うわけがないでしょうに」 「いやぁ、麗羽さまならあり得るかなって」 「……猪々子。貴女、暗にわたくしのことを愚者だとおっしゃっていますわね」 「ち、違いますよ。やだなぁ、そんなこと言うわけ無いじゃないですか」  明るい笑みを浮かべながら否定する文醜。その笑みを湛える口元が引き攣り、眼が泳いでい るのは袁紹の気のせいだろうか。 「まぁ、いいですわ。それで、わけてくださいますの?」 「あ、はい。いいっすよ」 「では、この容器に」  そう言って、袁紹は手頃な小さい容器を差し出す。「それじゃあ」と前置きして、その容器 へと薬が注がれていく。 「よし、こんなもんかな」 「悪いですわね」 「いいっすよ。どうせあたいは斗詩にしか――いえ、大して使う気なんてないっすから」 「そう、あまり無茶はするのではありませんわよ」  文醜に「くれぐれも」と言うと袁紹は外へ出るため扉へと向かう。 「あれ? どこに行くんです?」 「ちょっと、出かけてきますわ」  そう言うと袁紹は扉へと手を掛ける。 「あ、そうそう……薬は数時間程度しか効かないそうですから。くれぐれもそこんところに気 をつけないとダメっすよ」 「えぇ、わかりましたわ」  文醜の注意に頷くと袁紹は部屋を後にした。  †   「今日は休みだし、街にでも出るかな」  廊下を歩きながら一刀は一人呟く。 「ここんところ忙しかったし、たまには骨休めしないとな」 「あら、こんなところにいらしたの」 「ん?」  不意に声をかけられた一刀は顔だけ後ろを向く。そこには大きな渦巻きを携えた金髪の少女 が立っていた。 「……げっ」 「なぁにが、げっ、ですの!」 「な、なんでもない。気のせい気のせい」 「……まぁ、よろしいですわ。それより、ちょっとわたくしに付き合いなさいな」 「断る」  短くそう答えると一刀は正面を向いて歩き出す。 「ちょ、ちょっと! このわたくしがわざわざ声をかけたのになんですのその態度は!」 「俺は、これから街に行くんだ」 「な、ならわたくしも同行しますわ」  慌てて、駆け寄る袁紹の声に一刀はため息を漏らす。 「それなら構わないよ」  そう言うと、一刀は歩を止め袁紹が横に並ぶのを待つ。 「まったく。最初からおっしゃりなさいな」 「それで? 用があるんだろ?」 「それは、まぁ追々ですわ」  何故か不適な笑みを浮かべる袁紹を不思議に思いつつも一刀は「ふぅん」とだけ答えるのだ った。  それから街に出てぶらぶらとしていると、袁紹が騒ぎ始めた。 「喉が渇きましたわ! カラカラでもうひからびそうですわ」 「そうだな。俺もちょっと喉渇いたし、茶屋にでも寄るか」  丁度、近くまで来ていたためすぐに寄ることにした。そして、二人は屋外――とはいっても 表の道だが――にある席へとついた。 「さて、適当に頼もうか」 「なんだか、庶民的な店ですわね」 「俺の懐事情じゃこれくらいが限界なんだよ」 「甲斐性がありませんわね」 「そういうこというやつには何も奢らない」 「じょ、冗談ですわよ……まったく、それくらいもわからないんですの?」  袁紹がバカを見るような視線を向けてくることに一刀が何か反論を言ってやる、そう思い口 開こうとしたところで店員が茶を運んできた。 「はい、どうぞ」 「あぁ、すいません」  茶を受け取り、一刀が飲もうとすると、 「あら、それは何ですの?」  袁紹が一刀の背後を指さした。 「え? どれ?」 「だから、それですわ」 「ん? どれだよ」  顔だけ振り返っても見えないので、一刀は卓に湯飲みを置き、身体全体で背後を向く。 「何も無いみたいだけど?」 「……よし、これで……え? あ、あらあら。気のせいでしたわ」 「なんだ、気のせいか」  何かブツブツと呟いていた袁紹に、一刀は自分がからかわれたのだと理解した。 「さ、そんなことよりお茶を飲むとしましょう」  そう言って、袁紹が湯飲みを持った。その時、彼女の背後ギリギリを影が通過した。 「や~ん、猪々子ってば何か変だよ~」 「待てって、そして、コレを飲め! 斗詩ぃ~!」  ドン!  何やら袁紹の側を走り抜けた少女を追いかけているらしいもう一人の少女が袁紹にぶつかる。 その反動で、袁紹が手にしている湯飲みから茶が飛びはね、袁紹の指に掛かる。 「あ、熱っ!」  そして、袁紹は反射的に手を離してしまう。  ゴトン。そんな音を立てて湯飲みが倒れる。そこから卓の上に茶がダラダラとあふれ出るの を袁紹は呆然と見つめている。  一刀は袁紹がやけどしていないかと指をのぞき見て、無事であることを確認し、すぐに席を 立った。そして、店内へと入ると店員へと近づく。 「……すいません! 台ふき貸して貰えますか?」 「はいはい、どうぞ」 「どうも、すみません」 「いえいえ、おかまいなく」  ニコニコと愛想良く笑っている店員に一礼すると、一刀はその場を後にした。 「い、猪々子……何をしてらっしゃるの、あの娘は?」  一刀が台ふきを借りて袁紹の元に戻ると、彼女は既に見えなくなった少女の方に向かって何 やら呟いていた。  そのことに首を傾げつつ、一刀は濡れてしまった卓を拭いていく。幸い、卓の上に広がった だけで後はどこにも被害は移っていなかった。  一通り拭き終わると、一刀は自分の湯飲みを袁紹の前に置く。 「ほら、これでも飲んで落ち着きなよ」 「え、えぇ……そうですわね」  未だ駆け抜けていった少女たちの方を呆然と見つめながら袁紹は茶を口へと運んだ。やはり、 余程喉が渇いていたのだろう。喉から気持ちの良い音が聞こえてくる。  少し冷めたからか、袁紹はあっという間に飲み干してしまったようだ。 「ふぅ、落ち着きました……わ?」 「ん?」 「わたくしのお茶は……こぼれましたわよね」  袁紹がまるで壊れた絡繰りのようにカクカクと首を動かして一刀の方を見る。 「あぁ、そうだな」 「では、これは?」 「俺のを代わりに渡したんだけど?」 「え? そんな……だ、だってこれには」  何故か袁紹は、非常に困った顔……というか青ざめた表情をしている。 「でも、さっき喉が乾いてカラカラだって言ってたろ? 一応、お茶をまた持ってきて貰うこ とにはしたけど、それよりは速く喉を潤わせたいだろうと思ったんだけど……」 「え、えぇと、その……ですわね」  何やら一刀と茶を交互にチラチラと盗み見て口をもごもごとさせる袁紹。 「あぁ! そういうことか。なぁに大丈夫だよ。俺はまだ口付けてないから」 「え、いや……そうでは――うっ」  何か言おうとする途中で袁紹が顔を俯かせる。 「ど、どうしたんだ? な、何か……異物が混入してたのか?」 「い、いえ、別に……何も入っていませんわよ。心配性ですわね、うふふ」  顔を上げた袁紹。彼女の表情は非常に穏やかな笑みを浮かべている。まるで、どこぞのお嬢 さまのようだな、一刀は今の袁紹を見て真っ先にそう思った。  そして、同時に背中にぞわっと冷たいナニカが走る感覚があった。 「ほ、本当に大丈夫なのか?」 「えぇ、問題ありませんわ。相変わらず、お優しい方ですわね」 「…………怖っ」  いやに物腰の柔らかい袁紹に一刀は恐怖を覚える。  そして、その反応が間違いでないことを一刀は知ることとなった。  茶屋を出て、街を歩き始めたところで急に袁紹が腕を絡ませてきたのだ。 「お、おい……何を?」 「ふふふ、良いではありませんの」 「……う」  相変わらず微笑みを浮かべている袁紹。正直、普段が普段なため不気味でしかない。 「それとも……嫌、だとおっしゃるの?」 「そ、そんなことはないさ」  不安に声を震わせて訊ねられてまで拒否するほど一刀の心は強靱ではなかった。そのうえ、 よく見れば瞳が潤んでいる。 「さ、それでは色々と見て回りましょう」  結局は、袁紹の提案に一刀が抗うことなど出来ないという構図は変わらないのだった。  それから、散々街中を連れ回された挙げ句、袁紹に引っ張られるまま一刀が辿り着いた先は 周囲を森に囲まれた広原だった。  そこは、障害物となる木も大きな岩などもなく非常に見晴らしも良く、風も端から端まで通 り、とても気持ちがよい。 「ここは、わたくしのお気に入りの場所ですわ」  そう言って微笑みながら袁紹が草の上に腰掛ける。それに習うように一刀も隣に座る。 「へぇ、いつから来るようになったんだ?」 「ふふ、あなたや他のみなさんが忙しそうに駆け回ってる間……ですわ」  そう答える袁紹の顔は夕日による紅い陽射しの挿し加減もあるためなのか、一刀には少し寂 しそうに見えた。 「そっか、ごめんな」 「え? 何故、謝るんですの?」 「随分とほったらかしにしちゃったみたいでさ。ホントごめんな」 「仕方ありませんわよ……だって、一刀さんはわたくし……いえ、御自分の護りたいモノのた めに戦っているではありませんの」 「うぅん……実際に戦ってるのは俺じゃないけどね」  そう言って一刀は苦笑しつつ、気恥ずかしさを誤魔化すように袁紹の頭をそっと撫でる。高 貴な身分にいたというだけあってか、髪の毛は非常にきめ細やかで繊細な肌触りがする。 「あなた、誰にでもこうしてらっしゃいますわよね?」 「…………そ、そう、かな?」  心当たりがあるため一刀は僅かに口ごもる。そんな一刀の言葉を聞いて、可笑しそうに笑い を零しながら袁紹が一刀の方にしな垂れかかる。  そして、そのまま一刀の腰に腕を回してきた。  そにより、一刀の横腹に、今現在、彼の周囲にいる少女たちの中でも上位に位置し、また数 が少ないため非常に貴重と思えるほどに豊満で弾力性のある袁紹の胸がグッと押しつけられる。 「ふふふ。でも、それは悪いことではないのですわ。きっと」 「どういうこと?」 「だって、あなたの手はとても――え?」  そこで、袁紹が目を見開き一刀を驚いた表情で見つめる。  それから数秒、空白の時間が出来る。  一刀が、不思議に思い声を掛けようとした瞬間、 「こ、これは……か、勘違いするんじゃありませんわ!」  バチーン  辺りに乾いた音が響き渡った。その後に残ったのは紅葉のように赤く腫れた頬をさするでも なく呆然とする一刀。そして、顔を真っ赤にしている袁紹だった。 「……え?」 「で、ででで、ですから、これはわ、わたくしの本意ではありませんの」  慌てた仕草で回していた腕を袁紹が放す。ちょっと残念に思いながらも、それ以上の戸惑い で一刀の頭はいっぱいだった。 「ちょ、ちょっとした事情があってこうしてしまいましたけど、別にわたくしの意思ではない んですのよ?」 「そ、そうか、そうだよな……麗羽に限って、こういうことを望むわけ無いよな。うん」 「そうですわよ。さて、わかったのならわたくしは失礼させていただきますわよ」 「う、うん……そっか」 「ふん!」  最後にキッと鋭い刃物で突き刺すように一刀を睨み付けると、袁紹はドスドスと地面が破壊 されるのではと心配したくなるような音を立てながら力強い足取りで帰って行った。 「な、なんだったんだよ……」  後のに取り残された一刀の背中を沈み行く夕日が照らしていた。  †  散々な一日だったと頭を抱えながら部屋へと戻った袁紹。扉を開けて中へと入った途端、顔 良が彼女のもとへと駆け寄ってくる。 「た、大変ですよ。麗羽さま!」 「なんですの? わたくし、今は少々調子が悪いので速く休みたいのですけれど」  先程から止まらない動悸のせいで袁紹の頭はぼうっとしていた。気のせいか顔も火照ってい る。もしかしたら熱があるのかもしれない。  速く横になりたい、そう思い袁紹は寝台の方を見る。一つの寝台に文醜が大の字になって寝 ている。 (わ、わたくしがあの薬のせいでどれだけ大変だったか……猪々子にはあとでよぉく教えてさ しあげますわ)  文醜を見つめるうちに袁紹は自然と目つきを険しくしていた。 「あの、麗羽さま?」 「あら? なんですの?」  袁紹が首を傾げながら見つめると、顔良はため息を吐いた。 「ですから、話があるんですって」 「あぁ、そうでしたわね。それで?」 「そのですね、良く聞いてくださいよ」  神妙な面持ちになる顔良。 「とっとと言いなさいな」 「で、では。麗羽さま……実はですね、この薬って惚れ薬ではないみたいなんです」 「はぁ?」  顔良が口にした事実が信じられず袁紹は眉間にしわを寄せる。 「どうやら、飲んだ人間が初めて見た人に惚れるのではなく、元々好意をもっている相手を見 ることでその想いが膨れあがるという効果だったみたいですね」 「そ、そんなわけ……ありませんわ」  わなわなと肩をふるわせながら袁紹は首を横に振る。そんな袁紹の前で顔良が薬の入ってい た箱を開ける。そして、中から何かを取り出す。 「でも、ちゃんとこの薬と一緒に仕舞われていた書簡にそう書いてありますよ」 「う、嘘ですわ! う、嘘に決まってますわ! そ、そんな……こ、このわたくしがよりによ ってあ、あんな……あり得ませんわ」 「ちょ、麗羽さまどこへ!」  よろよろとつたない足取りで袁紹が扉へと近づくと一気に開け放ち、外へと飛び出す。 「い、いやぁぁぁぁああああ! これは悪い夢ですわぁぁぁぁああああ!」 「麗羽さまー!」  宵の闇の中へと駆ける袁紹の背中に向けて発せられた顔良の声が空しく響き渡った。  † 「ふわぁ……今日はちょっと速いけど、もう寝よう」  疲労感が半端ではないから……特に精神的に。そう思うのと同時に一刀は先程の光景を思い 出す。何故か頬を張られた自分、顔を真っ赤にして怒りを露わにしながら逃げてしまった彼女。 「一体、なんだったんだ?」  結局、何が何やらわからないまま夜を迎えることとなってしまった。 「ま、明日にでも聞いてみるか」  そうして、部屋の灯りを消そうとしたところで扉が叩かれる。 「おい、一刀。いるか?」 「ん? 華雄……だよな」  一体、何事だろうか。そう思いつつ、一刀は扉を開ける。 「おぉ、まだ起きてたか」 「今寝ようとしたところだよ」 「そうか。いや、それよりも麗羽を知らんか?」 「え? 麗羽がどうかしたのか?」  一瞬、麗羽という名前に反応しかけるが冷静を装って聞き返す。  華雄は非常に真剣な表情を浮かべる。 「実は……麗羽が姿を消したらしい」 「……本当か?」 「あぁ。よくは知らないが斗詩曰く、自室で何やら個人的な話をしていたら急にどこかへと駆 けていったそうだ」 「…………わかった。俺も探しに行くよ」 「いや、それは私や他に手の空いてる者たちでやる」 「それでも……それでも俺は探しに行く。もしかしたら俺もその失踪に関わってるかもしれな いんだ」 「どういうことだ?」  華雄が訝るように一刀をじっと見つめる。 「まぁ、いろいろあったんだよ。今日一日でね」  それだけ答えると、一刀は華雄の横をすり抜けて駆け出す。 「悪い、華雄。ごめんな」 「お、おい、一刀!」 (もしかしたら……あそこに)  余り知られていない場所へ一刀は向かう……麗羽と今一度話をするために。  † 「はぁ、なんでこうなるんですの」  お気に入りの場所。先程は、夕日に染まり燃えるように紅かった広原……今は月明かりに照 らされ静かな水面のように大人しかった。そこで袁紹は膝を抱えてため息を吐く。 「……最初の考えと全然違う……違うじゃありませんの」  元々、一刀を陥落しようとちょっとした悪戯のつもりで企んだことだった。一刀をメロメロ にしてしまえば公孫賛軍の実権を握りやすくなるのでは、なんていうお茶目心だった。  だが、ささいな事を切欠に袁紹が陥落される側となってしまった。 「だいたい、あんな男のことなど別に……」  そこまで言ったところで一刀の顔が浮かぶ。笑顔、まるで袁紹を慈しむような笑顔。困った ような苦笑。袁紹や顔良、文醜のやり取りを見守るような微笑ましげな表情。 (よく考えるといつも、ヘラヘラと……)  いや、そうじゃない。彼は優しい笑顔を浮かべていただけだ。決して、怒りや悲しみを初め てとする負の感情が含まれるような表情はしていなかっただけだ。 「…………よくわかりませんわ」  一刀は、決して袁紹を見下さない。もちろん、それが当然だろうとは袁紹は思っている。思 ってはいるが、正直、最初は捕虜として酷い扱いを受けるような気がしていた。  だが、実際にはそんなことはなかった。彼は本当の意味で保護者のようだった。袁紹たちを ずっと見守っていた。 「……とはいえ、こ、恋心など」  抱いていない……ずっとそう思っていた。それなりに共にいれば楽しめそうだとは思ってい た。 だが、彼を好きになっていたとはこれっぽっちも感じていなかった。  正直、一刀などゴボウ程度の認識だった。そう、そんな存在だった。 「はぁ、やってられませんわ」  空でこうこうと輝き続ける月を見上げ、袁紹は髪を掻き上げる。  何にせよ、少なからず好意を抱いていたということを自覚してしまった。 「……どうしたらよいのかしら」 「何がだ?」 「ですから、あの人とどう接する――っ1?」  背後から聞こえた声に何気なく返事をしかけて、袁紹は息を呑む。 「やっぱり、ここか……」 「な、ど、どうして?」  声を掛けてきた人物が横に腰掛けたのを感じた袁紹はそっとそちらを見る。 「ここは麗羽のお気に入りの場所なんだろ。それにみんな探してたぞ」 「べ、別に一刀さんが来なくても」  月明かりを浴びる一刀の横顔を見る。着ている特殊な服のせいなのか神秘的な雰囲気を放っ ているように見える。 「それにさ、さっきのことが気になってたから」 「…………あ」  そこで、先程の事を思い出す。薬がきれたと思われるところで逃げたのだ。 「なんかあったのか?」 「別になにもありませんわ」 「…………」 「…………」  一刀は何を言えばいいのかわからないのか、はたまた言葉を脳内で選別しているのか、黙り 込んでいる。袁紹も彼の言葉を待ち口を閉じる。  ふと、一刀の方をちらりと盗み見る。 (よく見れば、それなりに整った顔立ちをしていますわね……って、違いますわ!)  妙な感想を抱く自分の頭を袁紹はポカポカとこづき回す。 「ど、どうしたんだ?」 「な、なんでもありませんわよ!」 「……な、なんで怒るんだよ」  袁紹が怒鳴りつけると、一刀は普段の情けない表情を浮かべた。 (や、やっぱり間違いですわよね……こんな男をわたくしが……)  そう思えば思うほど袁紹の胸の鼓動は速くなる。 「別に怒ってる訳ではありませんわ。ただ、ちょっと調子がおかしいだけですわよ」 「おいおい、なら外に出てるのはマズくないか?」 「ちょっと風にあたっていただけですわ」 「あぁ、そうかい」  特に視線も交わすことなく会話を続ける二人。  今なら、彼の目を見なくてすむ状態なら言える。そう思い、袁紹は口を開く。 「それと」 「ん?」 「今日は、少々わたくし変でしたの」 「だろうな」 「ですから、今度また――」 「一緒に出かけてくれないか?」 「え?」  自分が言おうとした言葉を先に言われ麗羽はぽかんと口を開けてしまう。そんな麗羽に一刀 が微笑みかけてくる。 「ダメかな?」 「ふん、今度はちゃんとしたところに連れていっていただきますわよ。この高貴なわたくしに 会う店を探しておくことをお勧めしますわ。おーっほっほっほ!」 「やっぱ、そういうほうが麗羽らしいよ」  クスクスと可笑しそうに笑う一刀。 「ホント、いつでもヘラヘラしてますわね」 「そうかな?」 「そうですわよ」 「うぅん、不真面目が表に出てるのかもな」  腕組みした一刀が真面目な表情でそんなことをのたまう。 「ふふ。でも、その方が一刀さんらしいですわよ」 「おっと、こりゃ一本取られたな」  一刀が苦笑混じりに頭を掻く。そんな彼から視線を逸らすと袁紹は立ち上がる。そして、改 めて少年の方を見る。 「さ、戻りますわよ。ついてらっしゃいな」  そう言ってわがままな姫は手を差し出す。 「へいへい……そんじゃ行くとしましょうかね。お姫様」  少年は姫の手をそっと取り立ち上がる。月明かりに照らされたその手は青白く光って見えた。  少年の特徴である白き衣と姫の象徴とも言える細く美しい髪が輝き、とても幻想的だった。