「無じる真√N-IFEnd AfterEpisode-ホワイトデー」 「あ、明日……か」  白蓮は布団の中、一人呟く。あの2月14日に起こった『一刀にしゃぶられた事件』から速くも一月経とうとしていた。  あまりにも衝撃的な事件故、白蓮はなんだかんだと一刀との接点を持たずに凄そうと試みていた。だが、そんなことを彼女が考えたときに限って不思議と願うことと反対の事が起きてしまう。  その結果、ほぼ毎日なにかしらの切欠で一刀と顔を合わせていた。 「特に変な素振りはなかったが……」  特にあの事件に関する様子は一刀からは見られなかったことを白蓮は思い出す。 「し、しかし……まったく眠れない」  瞑っていた瞼をぱっと開く。暗闇の中ぼうっと宙を見つめる。一刀の顔が浮かび白蓮は頬が熱くなるのを感じた。 (い、一体、一刀は何を……ナニを? な、ナニ……だと) 「って、う、うぁぁぁぁああああ!」  急に気恥ずかしくなり白蓮は布団の中でごろごろとのたうち回る。  それでも白蓮の頭を支配する妄想は止まらない。 (な、ナニがナニでナニしてナニ!?) 「ぬぁぁああああ!」  一層の絶叫と共に転がる速度をさらに増していく。 (ね、眠れん! 眠れないいぃぃ!)  結局、白蓮は別の寮生に叱られるまで転がり続けることとなるのだった。  † 「結局、一睡もできなかった……」  机の上で組んだ腕にぐったりと顔を埋めながら白蓮はそう呟く。  昨夜の間ずっと動悸が収まらず、結局白蓮は徹夜する羽目になったのだった。おかげで朝からずっとあくびが止まらない。  何度目になるかわからないあくびを噛みしめると白蓮はチラチラと部屋の入り口へと視線を向ける。 (全然来ないな……)  今朝に至るまで眠ることができなかった白蓮は、結局早朝から机に向かうことにした。  それからずっと彼女は想像を巡らせていた。いつ彼が自分に接触を行うのか、と。二月十四日に自分が行ったように早朝から来るのでは、と思い玄関でしばし待機してみたり、朝食の誘いがあるのでは、と昼前まで何も食べずにそわそわとし続けたりと自分でも意味の分からない行動をしていた。 「……あいつ、まさか私のことを忘れてるんじゃ」  ふと過ぎった考えを口に出してみる。それが妙に現実的でまた、可能性として高いように感じられる。  何しろ、彼の周りには数多くの少女たちが取り巻いている。以前、白蓮がいた世界でなら彼女自身の立場もあり、彼との間柄に関しては少女たちとの間に多少の違いがあることを見いだせていた。 「でも、ここじゃあ私もあいつらも……」  そう、この世界では少女たちと白蓮の間に違いはない。全員が平等な立ち位置にいる。 「そして、私は目立たない」  それぞれ特徴のある少女たちと比べて自分にはこれといったものがない……白蓮はそれを自覚していた。  そういったことがあるからこそ、白蓮は自分が忘れ去られているのではという可能性を思いついてしまったのだ。 「なんだかな……そう思うと段々不安に」  一度胸に抱いた不安は消えることなく徐々に大きくなっていく。 「そ、そうだ!」  嫌な予感を振り切るように立ち上がると白蓮は玄関へと駆け出す。そして、一気に外へと出ると目的の場所まで脚を留めることなく向かう。 「ど、どうだ……」  目的のブツを射程範囲内にとらえると白蓮は恐る恐る手を伸ばしていく。そして、そのブツ――郵便桶――を開錠し、開け放つ。  いつの間にか口の中に溜まった唾液を飲み込んでいく。喉がごくりと音を立てる。  そして、白蓮は視線を中へと向ける。 「……な、何も無い?」  中にはこれといって手紙などは無かった。ゴミ一つ無く綺麗なままだ。その光景を瞳に焼き付けながら白蓮は乾いた笑いを漏らす。 「は、はは、やっぱり……あるわけないんだ」  そうして口にしてみると、現実が改めて白蓮の心にずしりとのしかかってくる。その重みに負けるように肩を落とすと、白蓮はとぼとぼと部屋へと戻っていった。  † 「まったく、何やってるんだか……」  詠はそうぼやく。 「でも、最近は季候も大分変わりやすいし、しょうがないよ」  隣で苦笑を浮かべながら月が卵を割る。 「それでも、風邪を引くって言うのは体調管理がしっかりしてないからでしょ」 「まぁ、そうだろうね。でも、それって体力低下も原因なんじゃないかな?」 「な、べ、別にボクはあいつを疲れさせるようなことは……」  早口でそう答えるが、詠にも心当たりがないわけではない。詠にしても話の中心である彼を一人じめして散々に絞ったことはある。 「別に詠ちゃんが、とは言ってないんだけどね」  そう言って月が可笑しそうにくすくすと笑い出す。 「むぅ。で、でも、笑ってる月だってそうでしょ?」 「ふふ、どうかな」  月はあくまで手元を見ながらそう答える。だが、詠にはわかる。その嬉々とした声色、僅かにほころんでいる口元、それらが明らかに自分の言葉に対して肯定的であると。 「結局、節操がないからなのよね。つまり自業自得ね」 「ううん、優しい人だからだよ」 「女性関係にだらしないだけよ」  そう答えながらも詠は言葉とは裏腹に内心で月の言葉に頷いていた。彼は優しいのだ。だからこそ、詠も含めた多くの少女たちを均等に扱ってくれるのだ。  そして、例え疲れていても詠たちにはそれを見せないのだ。 「でも、だからこそ詠ちゃんも私も――」 「わーわー聞こえなーい。聞こえないわよー」  手だけまるで別の生き物であるかの様に動かしながら月が何かを言おうとするのを詠は大声でかき消す。 「もう、詠ちゃん。病人がいるんだから静かにね」 「ちょ、月!?」  急に柳眉を吊り上げる月に詠は驚く。確かに、寝室には彼がいる。というか、寝込んでいる。  何故、詠たちがいる部屋で彼が寝込んでいるのか。それはここが彼の部屋だからだ。  あまり使用された形跡の見あたらない台所がそれを良くあらわしている。 「それより、ほら手が止まってるよ。詠ちゃん」 「あ、いけない」  月に指摘され、詠は停止していた手を動かし始める。彼のために……。  † 「うぅん……どうするかな。全然来る気配がしない」  寝台にもたれかかりながら白蓮は天井を見つめる。  手紙の有無を確認してからずっと白蓮は彼の訪問を待っていた。だが、来ない。 「やっぱり、私の事忘れてるのか?」  先程以上に不安で一杯になる胸。なんだか落ち着かず、白蓮はあちこちに視線を巡らせる。 「これ以上は待ってても意味がないか……」  いっそ自分から……そう考えてみるが、それも嫌だ。白蓮は再び天井を見る。 「ずうずうしいか? ううん」  白蓮は腕組みして考え込む。彼の元へ自分から行くか、否かを。  正直なところ、行きたいとは思っている。だが、もし白蓮が自分から期待して行って彼に何か良くない印象を与えてしまっては……そんなことが頭を過ぎってしまう。 「ううぅぅ」  膝を抱えて躰を丸めてうなり声を上げる。どうしたらいいのかわからないもどかしさが白蓮の中で曇天の雲のように影を作っている。 「行くべきか、行かないべきか……」  白蓮は躰をダルマのように前後にユラユラと揺らしながら考える。 「あぁ、どうするかなぁ」  悩んで思わず瞳を閉じたらバランスが崩れて白蓮ダルマは横に倒れてしまった。  † 「う、うぅ~ん……ピ、ピンクのヒモパンが脱げ――はっ!?」  一刀は、ふと目を覚ました。それと同時に額に冷たい感触を認識する。  一体、何がどうなっているのかわからず一刀は頬を掻いてみる。 「えっと……」 「あんた、倒れたのよ」 「え?」  急に声を掛けられたことに驚きつつ一刀はそちらを見る。 「ボクと月の前でいきなりね」 「……あぁ、そっか」  そこで一刀の頭にもようやく記憶が蘇ってくる。一刀は、今朝ホワイトデーのお返しのために少女たちの元へ行こうとしていたのだ。  だが、途中で月と詠の二人に出会ったところで気を失ったのだ。 「そっか。あれ? もしかしてここまで運んでくれたのか?」 「まぁね。月と二人がかりだったけど大変だったわ」 「それは悪かった。ごめんな」 「別にいいわよ……原因はこっちにもあるんだし……」  一刀の謝罪の言葉に詠はそっぽを向いて一人でぶつぶつと呟いている。残念ながら一刀の耳には届かない。 「それで、どう?」 「そうだな、目覚め一番に詠の顔を見たのは素直に良かった」 「な!? ば、バカ! そうじゃなくて、あんた熱があったからどこか躰に異変はないかって訊いてんのよ!」 「あぁ、そういうことか」  真っ赤になって怒鳴りつけてくる詠に苦い笑みを浮かべつつ一刀は頷く。 「そうだな、少なくとも部屋を出た時よりはマシだな」 「そう。よかった」  そう言うと、詠は胸をなで下ろすような仕草をする。 「あら、大分寝汗酷いわね」 「え? あぁ、それは夢見が悪かったからだな」  何かとても嫌な夢を見ていたことだけは覚えている。内容は忘れてしまったが。 (もしかすると生存本能が消したのかもな……)  あまりにも覚えてなさ過ぎることに一刀はそんなことを考えてしまう。 「それじゃあ、着替えが必要ね。もってくるわ」  そう言うと、詠が何処かへと姿を消す。  それから一刀が一人でぼおっと過ごしていると詠が換えの服と洗面器を持ってやってきた。 「悪いな。詠」 「いいわよ。それより、ほら……脱ぎなさいよ」  タオルの入った洗面器を枕元に置くやいなやの詠の発言に一刀はぎょっとして彼女の顔を見る。 「い、いや、それなら速く部屋からだな……」 「あんたは服を脱げばいいのよ!」 「ちょっと、言葉が怪しくないか、それ」 「っ!? うるさい!」  バシン!  そんな音を立てて一刀の頬に赤々とした紅葉の葉が出来上がった。 「痛たた……」 「ほら、どうせ躰動かないんでしょ」  そう言って詠が一刀の服を脱がせていく。 「やっぱり、恥ずかしいんだけど……」 「ボクだって同じなんだから黙ってなさい」 「すみません」  真っ赤な顔の詠にピシャリと切り捨てられ一刀は黙って俯いてしまう。  そして、あれよあれよという間に一刀は下着一枚となっていた。 「……これも変えるべきよね」 「待った。さすがにそこは自分でやる。というか、やらせてください」  一刀は、自分の下着へと手をかけている詠の腕を掴んで懇願する。 「面倒臭いから、いいわよ。ボクがやる」 「そういうことでなくて」 「いいから、黙ってなさ――」 「え~いちゃ~ん?」 「ひっ」   いつの間にか詠の背後に忍び寄っていた月の声に詠ばかりか一刀も驚いた。 「何してるのかな?」 「い、いや……ほら、躰がだるそうだから代わりに着替えさせようと」 「でも、自分でやるって言ってるんだよねぇ?」  慌てて弁解する詠に月の鋭い指摘が刃物のように突き刺そうとしている。 「そ、それは……」 「でも、実際どうなんですか? 自分で出来そうですか?」  そう言って月が一刀を見つめる。 「えぇと……多分、大丈夫」 「体中拭けます?」 「それくらいなら」 「そうですか、それじゃあ私たちは出てますね。着替え終わったら声を掛けてくださいね」  どこか悲しげな瞳でそう告げる月に一刀は悪いことをしているような気がしてならなかった。 「あぁ、その……やっぱりお願いできるか?」 「はい!」  今度の月は満面の笑みを浮かべた。その隣で詠がぽかんと開口している。 「詠はどうするんだ?」 「ふん、月にしてもらえばいいじゃない。そっちの方がいいんでしょ?」 「いや、二人一緒にやってくれ」  そう言うと一刀は腕を差し出す。 「あ、でも下着のとこは自分でさせてくれ」  それから、一刀は二人に隅から隅までタオルで拭いてもらうことになった。  すっかり綺麗になったところで服を着替え、詠と月は作ったという卵酒を置いて出て行った。 「ふぅ、暖まるな……」  卵酒をすすりながら一刀は安穏としたため息を漏らす。  その息が吐き出されきるのとほぼ同時に、誰かが入ってくる。一刀がそちらを見ると、恋と音々音だった。 「…………」 「バカが風邪を引いたと聞いて見に来ました」 「帰れ」  ズビシ 「あいたっ!?」  失礼千万な音々音の殆どむき出しの額にデコピンをくらわせて一刀はそう吐き捨てる。 「な、なんて失礼なやつなのです!」 「…………ねねが悪い」  額を抑えながら唸る音々音に恋の一言が突き刺さる。 「れ、恋殿!?」 「そういうわけだ、帰れ」 「ぐぅ……」  ここぞとばかりの一刀の言葉に音々音が唇を噛みしめる。 「冗談だよ。わざわざ来てくれたんだ。感謝はしてるさ」 「初めから、素直にそう言えばいいでしょうに」 「お前が原因だろうが」 「なんですとぉ!」  両手で頬を押し当て驚愕を露わにする音々音の頭に恋がぽんと手を置く。 「……ねね」 「むぅ」  唇を尖らせたまま音々音がむくれる。 「なんにせよ、来てくれたのは嬉しかった。ありがとな……二人も」  そう言って一刀は二人の頭をわしゃわしゃと撫でる。  しばらく撫でていると恋が一刀の手を握り、頭から離した。 「…………今日は逆」 「え?」 「…………恋が撫でる」  そう言うと、恋が一刀の頭を子供によしよしとするようにして撫でてくる。 「……速く、元気になって」 「ありがとな、これならあっという間に元気になれるよ」  「……うん」  僅かに、それこそ一刀にしかわからないほどの笑みを浮かべて恋が頷いた。  それから恋は止めど頃がわからなくなりそうな程長く一刀の頭を撫でていた。すると、傍に控えていた音々音が声をかける。 「恋殿、そろそろ出ましょう」 「…………?」  恋はよく分からないのか首を傾げる。 「寝かしてやりましょう」 「…………」  恋は音々音の言葉に首を縦に振ると一刀の方を見た。 「…………それじゃあ、いく」 「あぁ、くれぐれも躰には気をつけろよ」 「…………」  恋は一刀の言葉に頷くと、部屋を出て行った。それを確認すると、一刀は未だ残っていた音々音の方を見る。 「悪いな」 「別に、お前に何か言われる理由なんてないです。ねねは、ただ恋殿に風邪をうつされては困ると思っただけなのです」 「だからこそだよ」  恋の場合、何も言わずにいると長々といてしまいそうだった。そうすると風邪がうつるのではと一刀は心配していた。だからこそ、音々音の促すという行為は有り難かった。 「ま、なんだ。恋の健康管理は任せる」 「ねねに全て任せておけばいいのです」  そう言って音々音が部屋を出ようとする。その途中で音々音が脚を止める。 「そうそう」 「ん?」 「速く元気になってください。恋殿がお待ちしています。それに……ねねも待ってるのです」  ボソボソと呟くと音々音は逃げるようにして出て行った。  誰もいなくなった空間を一刀は苦笑じみた表情で見つめていた。  それから、しばらくぐっすりと眠り多少時間が経過した頃、なにやら部屋の外が騒がしくなったことで一刀は眼を覚ました。 「な、なんだ?」  驚いた一刀が上体を起こしたところで丁度人が入ってきた。 「あらあら、本当にいましたわ」 「よっ!」 「すみません、ご迷惑おかけします」 「失礼する」  麗羽、猪々子、斗詩の三人と華雄だった。何だかんだでこちらでも華雄と彼女たちとは付き合いがあるようだった。 「あなた、風邪をお引きになったんですって?」 「え? まぁ、そうだな」 「だらしないですわねぇ、わたくしなんか一度も引いたことありませんわ! おーっほっほっほ!」 「まったくだな! だらしがないぞ、一刀! 私のように常に鍛えていれば風邪なぞ引かんぞ!」  何が誇らしいのか高笑いを上げる麗羽とを腕組みして一人頷く華雄を余所に一刀は二人に小声で話しかける。 「なぁ、本当なのか?」 「うぅ~ん、ちょっとわかりませんね」 「でも、麗羽さまやあの華雄ならありそうじゃね?」  一刀と斗詩は思わず同時に頷いてしまった。そう、俗にナントカは風邪を引かないというのだ。  もっとも、それを言うなら目の前にいるこの薄緑の髪をした少女も同じだよな……と一刀は内心で付け加えた。 「なんですの? その妙な生暖かな視線は!」 「というか、微妙に哀れみを含んでいないか?」 「いえ、なんでもないですよ」 「そうそう、やっぱ建康が一番だなって」 「その点、麗羽さまや華雄は元気が溢れまくってるなって思っただけっすよ」 「…………そうですの?」 「そうかそうか、まぁ、そうだな」  猪々子の言葉に麗羽が一刀と斗詩の方を見る。それに対して二人はコクコクと首を縦に振った。 「まぁ、いいですわ。様子を見に来ただけですから、これで失礼しますわ」 「そんじゃな~」 「失礼しました」 「自分の体調くらいしっかりと管理するのだぞ」  何故か胸を張って出て行く麗羽の後ろで、猪々子は手を振り、斗詩が頭を下げて麗羽の後に続いていった。華雄も一言一刀に告げるとすぐに出て行った。  それからまもなくして次の訪問者がやってきた。 「一刀! 風邪引いたんやってな!」 「お見舞いにきましたぞ」  そう言って星と霞が一刀の元へと歩を進める。 「悪いな、二人まで」 「いえ、こういときはお互い様ですよ」 「しっかし、風邪を引くとはなぁ」  何か言いたげに見つめてくる霞に一刀は興味を引かれる。 「な、なんだよ?」 「いや、あんま裸で寝過ぎちゃあかんで」 「ぶっ!」  ニヤケ顔で霞が発した言葉に一刀は盛大にむせてしまう。 「げほ、げほ、何を言ってるんだ」 「それは、もちろんナニ……でしょうな」  今度は星が意味ありげな笑みで一刀を見る。そのせいで、またむせる。 「ごほごほ、あぁもう! そういう話を病人にしないでくれよ」 「そら、日頃の行いっちゅうもん次第やろ」 「…………」  さも当然といった表情でのたまう霞に一刀は二の句が出ない。 「霞、ここは一旦出るとしよう」 「それもそうやな。あんま普段のような掛け合いさせるわけにもいかへんしな」  そう言うと、二人は一刀の寝台を後にしようとする。なんだかんだでこの二人、冷静な判断も出来るのだ。  そんなことを思いつつ、二人に言うことがあったのを思い出し一刀は慌てて声をかける。 「あ、あとさ……白ワインがあるから。それが二人へのホワイトデーの贈り物だよ」  一刀は、そう言うと二人に置いてある場所を教えて彼女たちが部屋から出るのを見送った。 「あ、そういえば他のみんなへのプレゼントはどうしよう……」  部屋の中にしまったままの少女たちへのプレゼントに想いを馳せながら一刀は再び横になった。  † 「結局、来てしまった」  そう呟くと、白蓮は先程からまったく反応がない扉を前にしながら辺りを見回す。きっと第三者から見たら不審者に違いない。そう考えつつ、白蓮は扉へと手を伸ばす。  なんと、扉は何の抵抗もなくすんなりと開いてしまった。 「ど、どうする……いや、行くしかない」  多少の戸惑いを感じながら白蓮は中へと入っていく。気のせいか、中から人の気配を感じる。  その気配は、奥へと進むにつれてはっきりとしていく。 「何人かいるのか?」  その割には誰も出てこなかったが……そのことに首を傾げながらも白蓮は進み行く。  そして、ついに気配の元へと辿り着く。  そこには何とも言い難い光景が広がっていた。テーブルを囲むように座る少女たち。机の上には様々なつまみ類や酒などが散乱している。 「ひっく、詠ちゃんは素直じゃないね」 「うぅ……ボクは素直じゃなくないってばぁ」 「これは中々に美味だな」 「そうやな、こうふわっと口ん中に広がる芳醇な香りとさらっと流れていく喉ごしはたまらへんなぁ」 「なんですの、このお酒は! 高貴なわたくしによく合っているではありませんの! やはり、どこに行ってもわたくしは高貴な存在なのですわ! おーっほっほっほ!」 「斗詩~暖かいなぁ! 温いなぁ!」 「ちょっと、猪々子! 服の中に入ろうとしないでよー! きゃー!」 「いつも、私は仲間はずれか……ぐす」  白蓮には阿鼻叫喚の地獄絵図としか思えなかった。 「な、何してるんだお前ら……」  白蓮は頬を赤く染めて楽しそう……なのかよくわからないが、メチャクチャに騒いでいる少女たちに唖然としながらも声を掛けてみた。  その声にいち早く反応したのは霞だった。 「お、白蓮やん。取りあえず、これでも呑んどき」  そう言ってなにやら白濁した液体が入ったマグカップを白蓮に向けて突き出してくる。  なんだろうかと思いつつ白蓮はそれを口へと含んだ。  † 「ん……ちょっと躰が楽になったな」  一刀は倦怠感などが失せていることに気づき、軽く躰を動かす。 「これも、みんあのおかげかな」  そう言って、一刀は寝台から降りる。 「まだ、いるかな?」  折角なので、余裕のあるうちに少女たちに礼を言おうと一刀は部屋を後にする。 (ついでに飲み物も取ってくるかな……喉が乾いたし)  そんな事を考えながら歩く一刀の目に少女たちの姿が飛び込んでくる。  そこには、呆然と立ち尽くす白蓮と他の少女たちがいた。気のせいか一様に皆、顔が赤い。  どうしたのかと一刀が思っていると白蓮が何かを口に含んだ。そして、それを口から話すと急に大声を張り上げる。 「おい、これ酒じゃないか!」  白蓮が器の中身に驚いた様子で霞たちの方を見る。 「そうや、酒やさ、け」  そう言って霞が僅かに桜色になった顔でにやける。その手には先程から呑んでいる白ワインがあった。 「あのなぁ、何も病人のいる部屋で酒盛りをする必要はないだろう」 「えぇやん、一刀だって静かすぎると寂しいって」 「いやいや、そうじゃないだ――んぐっ」 「さぁさぁ。白蓮殿も呑もうではありませぬか」  白蓮の口に酒瓶の先を突っ込むと流し込むようにどぶっどぶっと白蓮の中へと注いでいく。 「んぐ、んぐ……」  気のせいか、徐々に白蓮の瞳がトロンとまどろんでいっている。 (おいおい……いくらなんでもそれは無理が……さすがに躰に悪いだろ)  アルコールの強いものを大量に摂取したらどうなるのかを想像し、結果として倒れる白蓮を思い描いて一刀は顔を青ざめる。  それでも、星や霞をとめる余力など無く、一刀はぼうっとその光景を見続ける。  しばらくして、ようやく二人から解放された白蓮がふらりと座り込む。顔は項垂れていて一刀からではよく見えない。  内心心配しつつ、白蓮を見つめていると、彼女はすっと立ち上がりおぼつかない足取りで一刀の方へと来る。  そして、その距離が大いに近づいたところで白蓮が頭を上げて一刀を見つめる。どうやら、一刀の存在に気がついたようだ。  その顔は、とても嬉しそうな笑顔……というよりは完全に緩みきっている。しかも、満遍なく朱色に染まりきっている。 「ひぃっく、一刀ぉ~」 「……え?」 「びゃれんたいんのときは散々、しゃぶりつくしたよにゃぁ」 「ほう」  星が、興味深そうに一刀と白蓮を交互に見やる。 「ちょ、ちょっと、白蓮?」 「でゃあからぁ、こぉんどは、わたひがひゃぶってやるぞぉ!」 「や、やめてとめて誰かとめて!」  目が据わり、有言実行間違いなしとしか思えない白蓮の様子に一刀は慌てて他の者たちを見る。 「…………」  皆、僅かに頬を染めてじっと成り行きを見守っている。 「え? ちょっと、待って――」 「さぁ、いくぞぉ!」 「ぱ、ぱいれ――あっ!」  その日……三月十四日、一刀は風邪とは別の理由で頭が真っ白になった。  そして、少女たちは白濁に染まることとなった。 番外編 「く、やるわね……」  夜、木々の間にある歩道の上で貂蝉は目の前にいる『敵』を見つめていた。そして、向こうも貂蝉をじっと見ている。  互いの視線が交錯する。  サークル状の線を描くように二つの影が同じ方向へと回っていく。 「ふしゅるるる……ご主人様のもとへはわたしがいくわ」  貂蝉とまったく同じ口調、声色で喋る影。その影が月の光に照らされて徐々に姿を見せる。その肌は茶色だった。股間を覆う布のらしき部分は桃色。  その外見はまさに貂蝉だった。 「まさか、ここまでわたしに忠実になるとは……」  目の前にいる自分そっくりの存在に貂蝉はかつての自分の行動を後悔する。  それは二月十四日……いや、それよりも少し前のことだ。貂蝉は、愛する少年のためにチョコを作った。それは貂蝉をモチーフにした等身大のものだった。 「それで満足しておくべきだったわね」  貂蝉は、見た目が自分に似ただけで満足しきれずさらにディティールに凝って自分のコピーといえるくらいまでのクオリティにしてしまった。 「ふぅぅぅうう……さっさと、逝け。オリジナル」  その声だけが残り、チョコ貂蝉の姿が消える。 「うぬぬぬぬ。チョコの分際で生意気なぁ……」  そう貂蝉が唸るのと同時に背後の空気が僅かに乱れるのが伝わってくる。 「ふしゅる。もらったわぁん!」 「おっと、そうはいかないわよぉん!」  背後から膝蹴りを放つチョコ貂蝉に即座に反応し、貂蝉は同じように膝蹴りを放つことでブロックする。  互いの膝がぶつかる。 「く、随分とパワーがあるじゃないの」 「くくく……わたしだって、今は自立した一人の漢女なのよん!」  そう言ってにやりと笑うチョコ貂蝉の膝はチョコとは思えない程の硬度を誇っている。 「くぅぅうう! 自分自身を……そして、ご主人様を愛するが余りにここまで恐ろしいものを作ってしまうとはぁ~」  嘆きながらも貂蝉は右の拳をチョコ貂蝉へと突き出す。 「ふんぬぅ!」 「なんのぉう! 甘いわよ、オリジナル!」  今度は、貂蝉の拳とチョコ貂蝉の拳がぶつかりあう。 「さすがはわたし……やるじゃないのぉん」 「ふふん、そっちこそオリジナルらしくそこそこやるわねぇん」  互いに不適な笑みで見つめ合う。 「だけど、今のオリジナルじゃあ……わたしは倒せないわぁ!」 「な、なに……このチカラは」  チョコ貂蝉の躰からチョコとは違う匂いが漂い始める。 「どぅふ、しゅる!」 「ふんぬぅ!」  チョコ貂蝉の拳が次々ととんでくる。貂蝉はなんとかそれに応じているが、徐々に遅れが出始める。 「ほらほら、どうしたのぉん?」 「く、くぅぅ……なんという強さ!」  一方的に圧され、貂蝉の顔が歪む。  対するチョコ貂蝉は口元を邪な形に歪める。 「どぅふふ……あの二月十四日からわたしは様々な経験を積んだわ」 「なんですってぇ?」 「幼さの残るかわいい子から大人びたクールなお人、熱くて溶けてしまいそうな彼……そして、わたしは多くのことを得た!」 「な、なんてこと……」  二月十四日より、時折男性が意識不明で運ばれるという事件があり、そこに共通してチョコの欠片があったというのを愛する彼から聞いていた貂蝉は最悪の想像をする。  そして、拳をぐっと握りしめる。そして、目の前の宿敵を睨み付ける。 「……なら、尚更許せないわね。あなたも、そして漢女の風上にも置けない外道を誕生させてしまったわたし自身も!」 「吠えても無駄無駄ぁ!」  襲い来るチョコ貂蝉の拳のラッシュ。 「星ちゃん、朱里ちゃん、ご主人様……みんな、わたしに力を貸して!」  そう叫ぶと、貂蝉はヒモパンから一つの面を取り出し目元へと装着する。瞬間、光があたりを包む。 「どぅふふ……愛と勇気の名の元に艶美な蝶が舞い降りる! 華蝶仮面二号! この世界にも参上!」  そして、貂蝉は華蝶仮面へと変身を遂げた。 「ふしゅ……それが、どうしたというのよぉん!」 「ふ、あなたは所詮は貂蝉のコピー!」  襲い来る拳をいなしながら貂蝉は断言する。 「華蝶仮面としてのわたしには敵わないのよぉん!」 「な、なんですってぇ!」  驚きを見せるチョコ貂蝉……ノリはいいようだ。 「さぁ、くらいなさい。最大最高の一撃を!」 「なぁにぉお! 返り討ちにしてあげるわん!」  互いに叫び合うと、一気に勝負を決めようとそれぞれの最高の一撃を放ち合う。 「ん? なんや?」  迫り来るチョコ貂蝉との間に歩道を歩いていた通行人が立ちふさがる。 「眼鏡の坊や! どきなさぁい!」 「ひ、ひぃぃいい! あ、あんときの化け物チョコやないか!」  少年は驚きのあまり、ずれた眼鏡を直すことすら出来ないほどに硬直している。 「だ、だめぇ! このままじゃ、ま、間に合わない!」  そう叫びつつも貂蝉は自分の躰を制止しようと試みる。だが、間に合わない。  せめて逃げて、そう思い少年を見るが、よく見れば気を失っている。 「も、もう、らめぇぇぇえん!」  悲鳴にも似た声を貂蝉があげ、無関係な人間を巻き込んでしまうことに対する後悔に眼を瞑る。  ドスッ  そんな音と共に確かに肉体へとめり込む感触がした。  そのすぐ後、膝を突く音がしたのを耳にして貂蝉は瞳を開く。 「え? どうして……」 「ぐ、ぐぅぅ……」  そこには跪いたチョコ貂蝉とその後ろに横たわる眼鏡の少年の姿があった。 「まさか、あなた……かばったの?」 「どぅ、どぅふふ……漢女の本能には逆らえなかったってことね」  その言葉に貂蝉は眼を真開く。 「ま、まさかあなた……そこの彼を」 「おっと、その先は言うの禁止よん」  驚愕したまま視線だけ少年へと向ける貂蝉に、チョコ貂蝉はぶるぶると震える手をやっとのことで口元において人差し指だけ立てて「しーっ」という仕草をとって苦笑した。 「そう……甘いわねぇ、チョコだけに甘いわぁん!」  あまりにも分かり易いチョコ貂蝉の行動に貂蝉は頬を染めて腰をくねらす。 「ちょ、ちょっとぉ! あんまり騒がないでちょうだぁい。恥ずかしいじゃないのぉ!」 「ふふ、よくわかったわ。あなたからするその匂い、それは彼のものなのね」  そういって貂蝉は鼻をひくつかせる。改めて匂いを吸い取ってみれば、少年のものとチョコ貂蝉からするチョコの香りに混じった匂いが一致していることがわかる。 「だって、この人は……わたしにとって初めての……」  そう言ってチョコ貂蝉は顔を背ける。 「どぅふふ……なるほど、確かにあなたは漢女だったわ」 「いろんな男の子たちと出会った。でもね、やっぱりこの人の事があって何も……出来なかったのよねぇん」  頬に手を添えて微笑むチョコ貂蝉の顔はとても母性に満ちあふれていた。 「そう、なら……気絶しちゃってるし部屋に運んであげたら?」 「そうね。そうしましょう……うっ」  貂蝉の言葉に頷きながら立ち上がろうとしたチョコ貂蝉が顔をしかめる。 「そ、そういえば……さっきの一撃、よく効いたわぁん」  そう言って口端を上げるチョコ貂蝉の躰にはヒビが走っている。 「…………仕方ないわねぇ」 「え?」 「わたしも行くわ。向こうであなたの傷を治してあげるわん」 「悪いわね……」 「いいのよ。わたしはあなたの親のようなものなんだから」  そう言って互いに笑い合う。  こうして、貂蝉は自らが生み出した漢女と仲直りした。  これ以降男性が病院へとかつぎ込まれる頻度は減り、奇妙な事件はさっぱりと姿形を消していった。  そう、たった一人の被害者を除いて……。