改行による2パターンとなっています。最初は整形なしの素です。 ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。  「無じる真√N36」  その日、一刀は城の一室で内務を行っていた。半ば無理矢理、公孫賛から分割してもらったものだ。  もともと、公孫賛は青州に関する一刀の功績を考え、休暇を与えると言っていたが一刀はそれよりも新たに統治下に入った青州の事が気になり、余分な休みを貰ってしまうような真似はしていられるはずがなかった。  そのため、青州に関するものも混じったために膨れあがってしまった公孫賛の仕事を一刀はある程度の量でしかないが、強引に奪ってきたのである。 「えぇと……これがこっちか。で、あれが……そっちで」  そういって、分類分けをしていく。これはかつての外史で経験を積むうちに覚えたやり方である。自らが対応できる範疇のものはすぐに対処を施すが、わからないものに関してはその道に長けたものにまかせることにしている。  そうして一刀は書簡の山を黙々と片付けていく。  一つ、また一つ処理されていく書簡……そうして、書簡も大方片付いた頃だった、部屋の扉が開かれたのは。 「主、失礼しますぞ」 「ん? あぁ、星か。どうしたんだ?」視線は書簡に向けたまま一刀は返事をする。 「いえ、少々気になることがありましてな」  意味ありげな笑みを浮かべながら趙雲が一刀の方へと歩み寄ってくる。  それに対して、一刀は書簡から一旦視線を外し、趙雲の方を見る。 「ちょっと待っててくれないか。もうすぐ終わるからさ」 「ふむ、では失礼して」  そう言うと、趙雲は寝台へと腰掛けた。その様子を視界の端で確認すると一刀は再び書簡へと目を通していく。 「えぇと、そうか……これがこうだな」  書簡の内容が意味するところを表面だけでなく、裏に潜む事情のことまで考慮して判断を下していく。これも経験と慣れだった……もっとも、ツンツン軍師賈駆に散々絞られてようやく学んだのだが……。 「ほぅ……これもまた主の姿というわけなのだな」  寝台の方から呟きが聞こえるが、一刀はそれを一々気にするほど集中力が散漫ではない。故に一刀は趙雲の漏らす言葉を流していく。  それから一刀は、寝台の方から注がれる趙雲の視線を感じながらも黙々と作業を続け、仕事を終えるのだった。 「さて、こんなもんかな」 「お疲れ様です、主」 「あぁ、ありがと」  一刀は、そう言って労いの言葉をかけてきた趙雲の方を改めて向く。  趙雲は、寝台に座って一刀の方を見ている。一刀は、寝台に座っている趙雲の足先から太腿まである白いニーソック、次に戦場を駆け巡りよく引き締まっており、それでいて戦闘を幾度も経験しているとは思えぬほどきめ細やかな肌質をしている脚へと視線を巡らせる。  また、その脚は組まれていて、僅かにその付け根と彼女の腰回りを隠す布との間にある空間がチラチラと見え、その奥にある禁断の領域まで見えてしまいそうだ。  両腕も組まれており、その間に収まった巨峰がきつそうに圧迫されている。  そのまま一刀は視線を上へとずらして趙雲の顔を見る。瞳はじっと一刀を捉えており、口元は僅かに歪んでいる。 「ふふ……やはり、長きにわたる旅の間もあの三姉妹には手を出されなかったようですな」 「……まぁね」  唐突に何を言い出すのだろうかと思いつつ、一刀は趙雲の様子を窺う。 「今の主の視線の動きを見る限り、相当いろいろなものが溜まっておられるのではないですかな?」 「さぁてね」  そう言うと、一刀は含み笑いをしてみせる。趙雲はそれをどうとったのかニヤリと不適な笑みを浮かべる。 「まぁ、どちらにしても恐らく辛抱たまらないのでは?」 「なんのことだか」  反応を探るような視線を送ってくる趙雲に対して一刀は特に反応は見せない。 「おやおや……我慢は毒というものですぞ」 「別に我慢なんかしていないさ」  そんな言葉を交わし合うと、一刀はじっと趙雲を見つめる。趙雲もまた口を閉じて一刀を見つめ返している。まるで、一騎打ちをする武将のようである。 「ふぅ、まったく強情な御方だ」 「だから、何の話だよ」 「定期的に女を抱くのもまた男の甲斐性だと思いますが?」 「…………はぁ」  ついには直接的な攻撃をしてくる趙雲に一刀は肩を落とす。 「そもそも、一度相手をした白蓮殿ともご無沙汰なのでしょう?」 「っ!?」   唐突な一言に一刀は思わず吹き出してしまう。 「おや、知らないとでも?」 「…………」 「さすがに、御自分で処理なさっていたとしても……限界があるでしょう」 「そんなことはない」 「またまた、ご謙遜を。主のモノはそれはそれは凄まじいと聞いておりますぞ」 「それも白蓮か……」 「えぇ、洗いざらい吐かせましたので」 「そ、そうか」  あの時の事を赤裸々に語られたことに一刀は多少驚きはしたが、それよりもそんな話を語らされてしまった公孫賛が哀れでならなかった。 「ですので、一つ私もお相手をと……」 「それは、中々嬉しいお誘いだな」  そう言って、一刀は頬を掻きながら笑みを浮かべる。 「ふふ、そう言われると思いました――」 「――だが、断る!」  そう言うと一刀は、口元を歪めて笑みを多少悪質なモノへと変えてみせる。 「主、何故それ程までに……ま、まさか、不能に!?」 「人聞きの悪いことを大声で言わないでもらえませんかねぇ!」  立たない噂が立つなんて皮肉の効いたうわさ話など一刀にとっては御免被りたいことである。 「では、何故?」 「…………別に何だっていいじゃないか」  そう言って話を切り上げようとするが、趙雲は納得いかないらしく一刀の方へと歩み寄る。  チュッ 「お、おい」 「こうやって、口付けをしてもまったく燃え上がった様子もない……何故ですかな?」  そう言って、趙雲は再び寝台へと腰を下ろす。 「それは……」 「それは?」 「いや、やっぱり何でもない」 「…………」  一刀の答えに満足できてないのか腕組みをして趙雲は何かを考える素振りを見せる。一刀はその間何もすることなくじっと待ち続ける。  そして、ようやく趙雲が口を開く。 「女子に対して多少なりとも強引に責めるのもまた男の甲斐性ですが、主にはそれが感じられませんな」 「つまり何が言いたい」 「よもや、主は貂蝉と――」 「それ以上は言うんじゃない!」  何やら不吉なことを言われそうになったため、一刀は慌てて自らの言葉を趙雲の言葉に被せる。 「何がいけないのですか?」 「いや、何がって……」 「この躰には魅力がないとでも?」  そう言って、趙雲がその場で上半身を倒し前傾姿勢を取りつつ、両腕で乳房を圧迫して強調する。 「…………いや、星は十分魅力的だと思うぞ」 「ならば、何故?」  一刀は、薄々気づき始める。趙雲の言いたいことに。それでも、一刀はそれに答えるつもりはない。 「魅力的だと思っているのならば、何故手にしたいとは思われないのですかな?」 「…………」 「ふ、なるほど、主にはそのような度胸はありませぬか」  その言葉を聞いて一刀は一つの決意を胸にして座っていた椅子を後にするようにして立ち上がる。    †   「もう~! なんかつまんなーい!」  そう叫んだのは髪を両側で白い布で留め、その部分が円状になっている小柄な少女だった。 「これこれ、そのようなこと思っても口にだすものではないぞ」  それを咎めるような言葉を発しながらも視線は目の前に広がる兵たちへと向けているのは女性。彼女は褐色の肌、薄紫の髪、溢れんばかりにムチムチとした躰をした熟れた果実のような雰囲気を纏っていることから大分熟練した将であることが伺える。  彼女たちは、孫策軍が少し前に落とした劉繇が治めていた曲阿、その拠点にて兵たちの調練を行っていた。もっとも、少女――孫尚香、真名は小蓮――はただの見学だが。 「ほら、そこ! 遅れておるではないかしっかりせんか!」  女性――黄蓋、字は公覆、真名を祭という――がそう怒鳴りつけると、対象の兵は次の動きの際には、他に遅れずキビキビとした動作になっている。 「まったく……劉繇は一体どのような調練を課しておったのだ」 「そりゃあ、ロクなことはしてなかったんじゃないの」  ため息混じりに黄蓋が口にした言葉に孫尚香が頭の後ろで手を組みながら答える。 「大体、散々調練してこのざまとはなんたることじゃ! まったくもってなっとらん」 「というか、祭の調練が厳しすぎるだけなのかもよ~」 「別段、厳しくしておるつもりはない。儂の部隊に混ぜて同等の扱いをしておるだけじゃ」 「ふぅん……でも、それってあの兵たちからすれば厳しいんじゃないの」 「だから、違うと言っておるじゃろ。よく見てみい、ちゃんとついてきておる兵の方が多いではないか」  そう言いながら黄蓋は指示を出していく。それに従って、兵たちの形態が次々と変わっていく。陣を敷く行為をなんども繰り返して覚えさせていくのだ。 「ま、シャオにとってはどうでもいいことなんだけどね……ふああ」  黄蓋の話など何処吹く風といった様子であくびをする孫尚香に黄蓋はため息を漏らす。 「やれやれ……まったく、小蓮様はそういうところばかり策殿に似おって」  孫尚香……彼女の自由奔放な感じは姉である孫策に性格の面では似ており、また、その容姿は桃色の髪、褐色の肌という孫策、孫権という二人の姉……さらには母親である孫堅、字を文台によく似ている。といはいえ、その身体つきはふくよかさのある二人の姉と比較すると真逆だったりする。  そこまで考えが及び、黄蓋は僅かに口端を歪める。きっと、兵たちには見えていないから大丈夫だろう。  そんな黄蓋に孫尚香はさらに愚痴をこぼす。 「だってシャオはどうせお留守番しかさせてもらえないんだもん」 「それは今の儂だって同じじゃ。若い者ばかりで呉郡獲得にはげみおって――ほらそこぉ!」  そこまで言って、黄蓋は動きの鈍い者へに渇を入れる。 「でも、祭は出られる時があるんだからいいじゃん」 「まぁ、小蓮様はまだまだお子様じゃからな」 「も~! シャオは子供じゃないのにぃ!」  ぷうっと頬を膨らませてむすっとした表情を浮かべる孫尚香。その様子に特に反応はせず黄蓋は最後の指示を出す。 「まぁ、あの二人にとって大切な妹なのは事実じゃからな。危険な眼に合わせようとしないのは仕方ないことじゃろうな」  丁度黄蓋がそう言ったところで、兵たちの動きがぴたりと止まり、最後の陣形へと移行した。それを視認した黄蓋は兵たちに最後の言葉を継げて、解散させた。 「お疲れさま、祭」 「別にこれくらいどうってことなどないわい」  そう言って黄蓋は愉快そうに笑う。 「そ。まぁ、祭にすればそうかもね」  それだけ言うと、孫尚香がこの場を後にするように歩き出す。それに続くようにして黄蓋も歩を進める。 「ねぇ、お姉ちゃんたちがシャオのこと大切にしてるってホントかな?」 「何を今更、あっはっは!」  両手を腰に当てて豪快に笑って見せる。 「だってぇ……最近二人ってばシャオの相手全然してくれないんだもん」  僅かに下を俯きながらそう漏らす孫尚香に黄蓋は笑みを零しかけるが口元を引き締める。 「それは忙しいうえに我ら孫呉の大事な時機じゃからな……仕方あるまい」 「それはそうだけど……」 「なに、揚州を治めることには余裕も出てきておるだろうから、その時にでも目一杯甘えればよい」 「別にシャオは甘えたいってわけじゃ……」 「どれ、今日は儂が老体に鞭打ってお相手するとしようかの」 「……祭」  開口したままの孫尚香の肩を叩いて促し、黄蓋はこの日は孫尚香の相手をして過ごすことにした。    † 「…………わかった」  一刀が下を向いたままゆらりゆらりと揺れながら近づいてくる。 「え?」 「星がそこまで言うなら、俺も我慢はやめだ!」  そう言うやいなや、一刀が趙雲の方へと飛び掛かってくる。 (あ、主は一体何を!)  予想外の一刀の行動に趙雲は反応が遅れてしまう。そんな間に、一刀が鼻息を荒くしながら趙雲の身体に覆い被さってくる。 「ちょ、ちょっと……主?」 「…………星が悪いんだからな」  垂れた前髪でいまだ見えない一刀の顔。それが趙雲に大きな不安を抱かせる。何故か、普段の彼の笑顔が見たくてしょうがなかった。だが、一刀は一切普段の様子を見せない。 「あ、ある――」 「それじゃあ……いくぞ」  そう言って、一刀の手が趙雲の身体へと伸びてくる。 「ちょ、ちょっと――」  趙雲は何とか逃れようと躰をくねらせてみる。だが、馬乗りされた状態ではあまり意味がない。また、一刀の両脚によってしっかりと躰を固められてしまい動くに動けない。 「え、主、な、何を……」 「ふふ……星も好きものだな、そうやって抵抗して一層燃えさせるのか」  その言葉に趙雲が唖然としているうちに、彼女の両腕は一刀の片手によって手首を押さえつけられて動け無くされてしまった。 それはあっという間の出来事だった。そのため趙雲は碌に反応も出来ずにいいようにされてしまった。  距離が縮まった一刀の口から漏れる息がとこか荒くなっている。それは緊張と動揺による趙雲の呼吸が乱れているのとは別の理由で荒々しくなっているように思える。  そのことに何か危機を感じて趙雲は、慌てて大声で彼を制そうと試みる。 「あああ、主、主ぃ! ま、待った! 待ったを申し出たい!」 「問答無用!」  そう叫ぶと、一刀が趙雲の横腹を撫で上げる。それは声や息遣い、瞳の荒々しさとはうって変わって優しく、それでいて貪るようなさわり方だった。  そして、そのままの手つきで流れるように手が腰へ辿り着く、それを逐一感覚で受け取っている趙雲は背筋がぞくりとする。 「うっ……」  何故か、一刀に押さえ込まれた腕に力が入らない。いや、趙雲はいま、目の前にいる男を初めて怖いと思っている。そして、その恐怖によって身体中から力が抜けてしまっているのだ。 (な、なんなのだこれは……聞いてはおらぬぞ、こんなの) 「星……はぁ、はぁ」 「……くぅ、主」  もう鼻先に男の息が当たる程、互いの距離が縮まっている。そにより、ようやく見えたその瞳は血走っており、まるで獣のようだと趙雲は思った。そして、この獣は自分を喰らい尽くそうとしているのだ……そんな感想を抱いた。その瞬間、趙雲の背筋にぞくりと悪寒が走り抜ける。 「い、いや……」  震える口先でなんとか制止の言葉を言おうとする。 「さんざん……挑発しておいてそれはないだろ?」 「っ!?」  一刀に普段の彼からは想像出来ない程、荒い声色による言葉を耳元で囁かれ、趙雲の身体は先程とは打って変わって力が入り強張ってしまう。 (わ、わからぬ……もう、自分の身体がわからぬ……)  趙雲はもう何をどう考えればいいのかわからなくなっていた。様々な情報が一気に頭に駆け巡ってきてそれぞれを整理して考える暇すらない。 (わ、私が悪いのか?) 「さぁ、星も普通じゃ満足しないだろうから激しくいこうか!」  そう叫ぶと、一刀が趙雲の服の胸の部分に手を掛ける。恐らく、彼が力を込めるだけで一気にそれは趙雲のたわわな果実から、まるで皮むきのようにするりとはがれていくだろう。  そして、そこから一刀によって……どうされてしまうのだろうか?  趙雲にはその先がわからない、そして怖い。普段の一刀と違う、男の部分をさらけ出した彼が一体何をするのかがわからないのだ。少なくとも普段の一刀ならば安心して身を委ねられただろう。だが、今目の前にいる男には何もされたくないと思う。  そして、その感情が頂点に達した時、趙雲は思いきり悲鳴を上げた。 「い、いやぁぁあああ!」 「…………」 「も、もうや、やめて……」  震える声で趙雲はなんとかそう言った。それに抑止効果があるかはわからないが言わずに入られない。ぎゅっと瞑っていた瞳をちらりと開けて男を見やる。  男は、俯いていた。その表情は影となり窺い知ることは出来ない。それが一段と趙雲の恐怖を煽る。と、その時男の口から何か音が漏れた。 「く、くくく……」  よく見れば、目の前にいる男は、まるで少年のような……いや、街で悪戯をする悪ガキのような表情を浮かべて口端をつりあげてニカッとした笑みを浮かべて可笑しそうに笑っている。 「……ぐす、あ、主?」 「あっははは。いやぁ、悪い。ここまで怖がるとは思わなくてさ」 「すん、すん……ふや?」  優しく語りかける一刀を趙雲は見上げる。彼の顔や纏う空気は普段の……そう、趙雲が好ましく思っているものだった。 「でも、これでわかったろ?」 「ぐしゅ……ふえ?」  未だに涙がとまらず、まともに聞き返せないので趙雲は瞳で訊ねる。 「男ってものは、おいそれとからかうものじゃない。安易にからかっていれば、いずれはこうなるんだってことがだよ」 「そ、それは」  一転して真剣な眼差しで射貫かれて趙雲は口ごもる。 「大体、迫られて泣いちゃうくらいなら無理に経験者ぶるもんじゃないぞ。まったく」  そう言って一層明るい笑みを浮かべると、一刀が趙雲の髪をくしゃっと撫でる。 「ぐす、むぅ、私は子供ではないのですが」 「何言ってるんだか。俺にとっては星だって子供な面があるように見えるよ」  抗議の視線を向けるも、一刀に軽くいなされて趙雲は文句の行き場がなくなり黙り込む。  そんな趙雲に微笑みかけながら一刀は頭をなで続けてくれる。そのとき、趙雲はふと思ったことを実行してみることにする。 「ふむ、少々……精神的に疲れましたゆえ、しばし胸をお借りしますぞ」  そう言って、趙雲は一刀の胸にしな垂れかかってみる。急に体重を預けたが、一刀の身体はとくに反動はなかった。それはつまり、一刀の身体が貧弱というわけではないと言うことだ。 (意外とガッシリしておられるのだな……ふふ) 「お、おい。まったく、しょうがないな」  そう言って、一刀が困った様子で頬を掻く。 「ふふ、主のせいなのですからしかたがありませんな」  胸に顔埋めながら趙雲はそう告げる。 「まぁ、いいけどな」  ため息混じりに一刀がそう答えたかと思うやいなや、彼の手が趙雲の腰へと回され、趙雲はそっと抱きしめられた。そして、もう片方の手が彼女の頭を再び撫ではじめる。  しばらくはその体勢のまま静かな時間が経過していった。 「どう? 落ち着いた?」 「えぇ、もう大丈夫です」  そう言って趙雲は一刀から離れる。そして、ゆっくりとした足取りで歩き出す。 「主、今日の所は引き上げます。何しろ、情けなき姿を晒してしまいましたからな」 「はは、俺からすれば可愛かったけどな」 「……やれやれ。では、失礼」  一刀の言葉に肩を竦めると、趙雲は部屋を後にした。  廊下を歩きながら趙雲は一人、心の中であることを決意をしていた。 (今回は後れを取ってしまったからな、次は……主が過激な趣向を好むことを前提としていかねば!)  拳を密かにぎゅっと握りしめて趙雲は口端を吊り上げるのだった。  †  趙雲が部屋を出てすぐ、一刀もまた廊下へと出ていた。何となく、一人で外をぶらつきたくなったのだ。  なお、一刀の足取りが普段やり手の趙雲を上手くやり込めたことに対する歓喜で軽くなる……などということはなかった。  それどころか、一刀は肩を落としてとぼとぼと歩いてた。 「はぁ、やりすぎたかな」  一刀はそう言って深く深く息を吐き出す。その海の底ほどもありそうな長いため息は彼の悔恨の程を良く表している。 「……やっぱ、あぁなるんだよな」  先程のやり取りを思い出し一刀は頭をぶるんぶるんと振る。一刀には自身の取った行動が趙雲に対してそれなりの効果をもたらすだろうとは予想できていた。 「なにせ、俺はズルしてるんだからな……」  そう、一刀には外史と世界のうち、いまいる"ココ"へとやって来る前、彼は別の外史にいたことがある。そこは一刀自身が突端となる事で物語が始まり、そして終わりを迎えた世界であり物語だった。  そう、つまり今の一刀は物語をひいては世界における物事を一通り経験してきたということである。 「いろいろあったもんなぁ……」  昔を思い出した一刀の口から感慨深げな声が漏れる。 「だけど、さすがに……大人げなかったな」  多くの経験を積んできたからこそ、一刀は先程自らが決行した行為を思い出してはため息をついているのだ。もう少し、別のやり方があったのではないかと。 「はぁ……やっぱり、難しいな」  一刀が、"外史という世界"を一周したからこそ手にしてしまった少女たちに関する記憶や共に過ごしたことで得た経験、それらが今の一刀に重荷のようになっていた。 (みんなとの付き合い方が難しくなってきたな)  一刀がそう考えるのも致し方ないことなのである。先の件でもわかるが、一刀は前の外史で出会った少女に関してはそれなりに知識や記憶を持っている。そのため、彼女らが取り繕っている部分なども簡単に見破れてしまうのだ。  それでも、少女たちと関係性としての距離が空いていれば問題はないが、近頃はその距離も縮まり、前の外史の記憶に触れるような出来事も増えてきていた。 (まぁ……だけど、わかるっていっても完璧にってわけじゃないんだよな)  多少予想外なことや、時折ある一刀自身が本心に基づいて行動を起こしてしまうことなどがあれば、それによって一刀の予想とズレることもある。  だとしても、一刀は高確率で少女たちの相手をすることが出来てしまう……少なくとも自分ではそうだと思っている。 「……はぁ」  あまりにも気持ちが重くなり、一刀は項垂れる。 「あらん、ご主人様どうしたの?」 「ん? あぁ、貂蝉か」 「さっきから、随分とくらぁい表情をしてるけどどうかしたの?」 (てことは、少し前からいたのか)  立っている位置からして廊下を反対側から歩いてきたらしい貂蝉の姿に一刀はそれまで気がつかなかった。 「いや、ちょっとな」 「……なにか悩み事かしら? わたしでもよければ聞くわよん」 「…………」  僅かに、間を空ける。一刀はその間に考えてみる……長らく抑えてきた想いを打ち明けるかどうか。  もし、仮に誰かに話すとしたら貂蝉ほど適した人物はいないだろう。何せ一刀以外で唯一前外史に続いてこの外史でも共に過ごしているのだ。だから、二つの外史に挟まれているが故に起こってしまった一刀の想いを……悩みを聞いてもらう相手として貂蝉は最適なのだ。 「わかった、それじゃあちょっとだけ聞いてくれないか」 「えぇ、構わないわ。元々ご主人様の元に行く予定だったから」  それから二人は中庭へと出て誰も来ない辺りで腰を下ろす。 「それで、一体何を悩んでいるのかしら?」 「それなんだけどさ、俺は白蓮や他のみんなとどう接していくべきなのかなって」 「…………」 「なんていうかさ、俺は前の外史に関する記憶が残ってる」  一刀が、たどたどしくそう言うと、僅かに表情を曇らせながら貂蝉が頷く。 「そうね、確かにあるわね」 「それでさ、そうなると俺は白蓮や華雄、それにねねや麗羽たちみたいにあまり関わりが深くはなかった娘は別にして、星とかさ前の外史でも割と長い間一緒にいた娘たちを相手にする場合は……俺にはある程度どうすればいいかわかってしまうわけだ」 「それは間違いないわね」  そう言って肯く貂蝉に一刀は「だろ?」といった意味合いを込めて視線を送り話を続ける。 「それこそ俺は、彼女たちに関してなら、使う獲物や真名、それに趣味趣向までわかってしまうわけだろ? それってさ、つまりは彼女たちの心を掴みやすい位置にいることができてるってことだと思うんだよ」  一度、言葉を切って貂蝉を見る。貂蝉は黙って一刀を見て何も言わない。それを先を促しているのだろうと判断して一刀は話を再開する。 「だから……俺には許されないんだよ、彼女たちとこれ以上距離を縮めることは」  そう、その言葉を一刀はずっと戒めのように頭の中で渦を巻かせていた。恋愛ごとに話が発展しそうなときはその渦に巻き込ませてうやむやにしてしまい、それによって偽りの冷静さを持って惚けてみせていた。  貂蝉は、そんな一刀の考えを読み取ったのか複雑な表情を浮かべている。 「……なるほどね」 「大体さ、今いるこの俺……北郷一刀という存在は普通じゃない。少なくともこの外史では……そうだろ?」 「あの娘たちとの関係を築く上では確かに特殊よね」  そうなのだ、彼女たちと接する上で一刀は明らかに特殊な……いや、異常な位に優位な位置にいる、もしくはそこへと辿り着くことが容易に出来てしまうのだ。それは如何なる他者とも比べものにならないほどの優位性を誇っているということなのである。 「さすがにさ、それは駄目だと思うんだ」  それは一刀の心のそこからの言葉だった。彼女たちの操縦方法をそれなりに心得ているからこそ、一刀は彼女たちと出来るだけ深い仲――前の外史における大切な少女たちとの関係――にはならないように、それこそ一線を引こうとすら試みていた。  そして、一刀自身がその線を越えないように、また少女たちに超えさせないようにしてきた。  だからこそ、一刀は今まで自分から彼女たちに恋愛面で接するようなことをしなかった。  趙雲や張遼の誘惑にも乗らず、冷静を装ってきたのもその現れであり、愛だの恋だのを語るようなこともしてこなかったのもまたその一例である。  つまり、少女たちと"仲間としての親交"を深めることはしても、"恋愛ごと"に関する行動は基本取らないようにしていたのだ。 「そうさ……俺は、彼女たちと必要以上の関係にはならないよう――」 「でも、最近は彼女たちの積極性に押され気味よね」 「うっ!?」  そう、貂蝉の言葉通り、少女たちが異様に積極的になりつつあるために困惑し始めているのは確かだった。 「それでも……それでもだ! 俺はやっぱり、彼女たちに好意を素直に向ける気にはならないんだ」 「…………それが、ご主人様なりのやさしさなのね」  やはり貂蝉は鋭い、一刀は改めてそれを実感した。  そう、今ある一刀は少女たちについて様々な事を知っている。それはきっと卑怯なことであり、本来あるべき自然の摂理に反するものなのだ……誰が何と言おうと一刀はそう思っている。  だからこそ、少女たちに一刀は手を出さない。  もしかしたら、彼女たちはこの外史においては、一刀ではなく他の誰かと結ばれる可能性だってあるのかもしれないのだから……そして、それを本来あり得ない程の優位性を持った自分が割り込んで台無しにすることなど一刀には出来なかった……いや、したくなかった。  それは、彼女たちが大切だからこその苦悩である。 「でも、白蓮ちゃんのことはどうなのよ」 「そこなんだよなぁ……」  頭を掻きながら一刀はぼやく。  そう、一刀の造った警戒線を超える唯一の例外が出来てしまったのだ。  それが、この城……いや、それ以上に広大な土地の主となってしまった少女……公孫賛――字を伯珪と言い、真名を白蓮とする――だった。  彼女は、一刀がこの世界と別離を果たそうとしていた夜に彼の元を訪れ、肌を重ねた。それはつまり、今まで必死に守ってきた一線を一刀に越えさせてしまったのだ。 (あの時は、世界……いや、この外史との別れを前に心が弱ってたのかもしれないな)  そう、あの時、少なからず一刀の心にはこの外史に対する感傷のようなものがあった。そして、それ故に、一刀の堅固な防壁もどこか弱っていたのだ。 「……あの時、白蓮と会ってしまったのが何よりもまずかったんだよなぁ」 「あらん、どうして?」 「それはな……」  一刀は一度ため息を吐くと、当時を振り返りながら語り出す。 「例の日、俺の元に訪れてきた白蓮はさ、普段の彼女からは決して感じられないくらいに必死な感じ感じがしたんだ。なんていうのかな、白蓮の口から発せられた言葉や彼女の両眼から送られてくる強い視線なんかがそれを伝え来るんだよ」  それに、体中が恐怖にでも襲われているかのようにガタガタと震えていた様子も一刀の心を揺さぶっていた。  もっとも、後から聞いてみれば白蓮の挙動不審さの原因には袁紹軍との戦が勃発する前に一刀と貂蝉が話していた、一刀と外史の間にある問題のことを聞いてしまい、一刀が消えることを知ってしまったことも含まれていたらしい。 「なるほどね、それでご主人様はどうなったの?」 「あぁ、そうして白蓮の強くて真っ直ぐな想いは俺の心を深く貫いた……」  そして、それによって一刀が完全に押さえ込んだと思っていた、この外史と別れてしまうことに対する恐怖や寂しさなどを心の奥底から一気に掘り起こしたのだ。 「じゃあ、白蓮ちゃんのことは動揺して……なのかしら?」 「いや、そうじゃない……悪い、そうじゃないんだ。どうも、正直に語れなくなってるみたいだ」  素直な想いを認めようとしない自分に一刀は頬を掻きながら苦笑を漏らす。 「違う……違うんだ。あの時、俺は白蓮の瞳から溢れる涙を拭いたかったんだ。俺の存在が消えることを知っていながら堪え続け、ため込んでしまっていた彼女の涙を……」 「そう、そうなのね。ふふ、ご主人様らしいわね」  公孫賛は特別な夜に一刀の前で露わにするまで、一切、一刀の消滅に対する動揺を見せずにいたのだ。誰も気付かないほどに。  それほどまでに公孫賛は気丈に振る舞っていたのだ。そんな彼女から溢れ出した想いを前に一刀は黙ってなどはいられなかった。 (……いや、もしかしたら一時期様子がおかしかったのが動揺の表れだったのかもしれない)  今にして思えば一刀にもそれがなんとなく想像出来る。 「白蓮ちゃんのことを思って……ね、ホントご主人様ってば損な性格ね」 「いや、それだけじゃない……きっとあの時には既に俺は白蓮のことが……」  そこまで口にして、一刀は言葉を切る。 「これに関しては、お前にいうことでもないな」 「んまぁ、残念ねぇ」 「悪いな。でも、これは俺の中で向き合いたいことだから」  当時の一刀には急すぎて自分の心がどう彼女を捉えて、あのような行動を取らせたのかわからなかった。  だが、刻が経つにつれて一刀はその想いを徐々に理解し始めていた。  その気持ちはきっと……かつての外史で一刀が共に生きた少女たちに抱いた思いと同じなのだろう。  だからこそ、一刀は今もまだ深く悩んでいるのだ。  公孫賛だけじゃなく、彼女を共に支えてくれる者たちに対する想いを大きくしてはならない、それでも少女たちを……愛したいという想いの狭間で一刀の心は揺れている。  そして、公孫賛との距離がぐっと縮まったがゆえにわかったその思いは一刀に複雑な思いを抱かせていた。 (俺は……ここにいるみんなと別れたくない……嫌われたくない)  そう、一刀の中にある自身にとって卑怯な事実。それを知った少女たちが自分から離れていってしまい、ついには失ってしまうのではないかという不安と恐怖が一刀の心に楔のように深く深く打ち込まれているのだ。 「あの娘たちのこと……本当に大事に思っているようね」  そう言って貂蝉はこの日初めて普通に笑った……そう一刀には思えた。 「そりゃ、そうさ……みんな俺にとっては大切すぎる存在だよ」  その言葉通り、一刀にとって今共にいる少女たちは掛け替えのないものだった。だからこそ、少女たちに嫌われることが余計に恐ろしいのだ。  その恐怖心は……少女たちと離れてしまうのではという不安は、非常に強い万力でググッと締め付けられているかのような苦しみを一刀の胸に覚えさせるまでとなっていた。 「それに……いや、やっぱりいいや。悪い、ここまでにしよう」 「それでいいの?」  表情を曇らせながら貂蝉が一刀を見つめてくる。 「あぁ、話したら少しだけだが落ち着いたからな」  無理矢理、笑顔を作りそう告げる。 「それで、貂蝉は俺に何か用があったんじゃないのか?」 「…………いいわ。今日はやめておくことにするわ」 「え? どうしてだよ」 「今のご主人様には話すべきではないわ……後日、落ち着いた時にさせてちょうだい」  そう言うと、貂蝉は一刀が反論をするよりも速く、立ち去ってしまった。 「……やっぱ、あいつには敵わないな」  一刀が未だ平常時の精神に戻っていないことを貂蝉は悟ったのだろう。そう考えて呟いた一刀は、深く息を吐いて自分自身の心と向き合おうと思考の渦へと飛び込んでいく。 (俺の中には、あの頃の"みんな"への想いが残ってる……)  そう、この外史に来てまもない頃、趙雲や関羽、張飛などとの一刀のみが認知している再会を果たした時も、非常に内心で動揺したほどだ。それくらい、一刀はかつてのことが気になっていたのだ。 (ま、だからこそなんだよな)  そういった前の外史の少女たちのことや、今の少女たちとのこと……それ等を考えた結果、一刀は一つの結論導き出していた。  それは、一番距離が近づいてしまっているであろう公孫賛と一旦距離を置くことだった。実際、彼女とはあまり接触をしないようにしていた。  ところが、それによって公孫賛が暴走しかけるという事態が起こり、一刀はまたもや考え直さなければならなくなっていた。 (それに、白蓮には大きな借りがあるからな……)  そう内心でぼやきながら一刀は困惑に満ちた表情を浮かべながら頭を掻く。  最早一心同体とまで言えるほどに愛し合った者たちとの別れを経てこの外史で生きることとなった一刀、その心中にはそれは大きな傷となって残っていた。  だが、別れを迎えてこの外史へとやって来た時、その傷の影響を受ける暇もないほど公孫賛および公孫賛軍に付き合って一刀は様々な事をしてきた。  そして、そこで公孫賛を初めとした様々な少女たちとの触れあいを行ってきた。そのことは一刀が心に負った傷を素早く治療し、一刀が自覚して症状が重くなる前に大分癒してくれたのだ。  それが、公孫賛から受けた"大きな借り"だった。 (もし、白蓮に出会わなかったらどうなってたことか……)  公孫賛と出会わず、あの場所を旅立って一人大陸を歩いていたら一刀の心はきっと折れていただろう。そして、そのことを想像するだけで一刀は背中に冷たいものが流れていくのを感じた。 (正直なところ、今でもあの頃のみんなを思えば心は痛む。だけど、少なくともこの外史で初めの頃に再会した時と比べれば今はかなりマシになってる)  そう、心が癒され余裕が出来たからこそ董卓を……いや、彼女とその家族たちを救うことが出来たのだと一刀は思う。  そして、一刀は今傍にいる少女たちとの生活に満足していた。 (これって、やっぱり裏切りなのかな……)  ふと、一刀の脳裏に愛紗と呼んでいた少女を初めとした以前の外史で共に過ごした少女たちの姿が過ぎる。少女たちは、一刀に対して「裏切り者」だなどといって恨めしげに睨む……というようなことなどはせず、ただただ悲しげに一刀の方を見ている。そんな姿が一刀の頭の中に浮かんでくる。それほどまでに彼女たちは優しかった。  そして、一刀の事を愛し、また一刀も愛していたのだ。  一刀は以前の外史にいた少女たちの顔を思い描きながら内心で今までもう何度行ってきたか分からない言葉を告げる。 (わかってるよ、みんな。だからさ、俺は"みんな"だけを出来る限り……あ、愛し続けたいと思っているんだ)  この想いもまた、公孫賛との距離を最低限程度に置くことにした理由の一つだった。 (でも、あの騒動で……俺はつい、心の箍が外してしまった……)  先程、貂蝉には言わなかったが、一刀が無意識下に放り込んでいた公孫賛への想い、それが特別な夜、彼女を前にしてあふれ出てきて止めることができなかったのだ。そして、それによって、あの夜一刀は自分の心に突き動かされ公孫賛と一つとなったのだ。  外史との別れを乗り切ったとき、一刀はそのことを思いだし複雑な思いに駆られた。これは恐らく貂蝉ですら感じ取れてはいないだろう。  前の外史で愛した……そして、愛してくれた少女たちへの操を守りきらなかったこと。そして、そんな想いを抱きつつも抱いてしまった公孫賛。  その二つの間に挟まれて一刀は罪悪感に苛まれていた。 「俺はどうすればいいんだろうな?」  そんな愁いを帯びた一刀の呟きが北の大地に吹き荒れる風に乗っていく。  † 「うぅーん、今日は一杯遊べたから、ちょっと満足かも」 「これで満足してもらわねば儂の身体がもたぬわ」  隣でにこにこと嬉しそうに笑う孫尚香に対して黄蓋は疲れた表情でそう答える。 「まぁ、でも……たまにはこうやって気を抜くのもいいものでしょ」 「それは、そうじゃが」  肉体的……といよりは、子供に付き合ったがために精神的な疲れを感じている黄蓋は返事を僅かに濁す。  それに対して孫尚香がにやりと笑みを浮かべる。 「そ、れ、に、美味し~いお酒だって手に入ったんだから」 「それに関しては確かに収穫ありといえるのう」 「でしょ。ならいいじゃない」 「…………やれやれ」  よく言うものだと黄蓋は思う。街で黄蓋が子供に囲まれて困惑している黄蓋に対して、孫尚香は助けの手を差し伸べる訳でもなく、子供に混じってじゃれついてきたうえに子供たちを先導しはじめたのだ。  それによって黄蓋の疲れは倍増されたのだった。 「ま、これはこれでよかったかもしれんな」  黄蓋は、誰に言うでもなくそう呟く。  実際、ここのところ劉繇の元から降ってきた兵たちの調練や、この地に関する政にもある程度追われて鬱憤が溜まっていたため黄蓋にとって、孫尚香の言う通り確かによい気晴らしにはなっていた。  そう思いつつ肩をぐるりと回す。 「さて、戻ったらまた頑張らんとな」 「頑張ってね、祭」 「手伝おうとは言わぬあたり、策殿そっくりじゃな」  黄蓋は孫尚香をちらりと見る。ほほをぷくーっとふくらませて不満の意を表している。 「シャオはお姉様みたいにぐーたらじゃないもん!」 「なら、手伝いをしてもらおうかのう」 「え、えぇと……」  急に孫尚香はそっぽを向いて歯切れが悪くなる。 「ま、まぁ、それは追々ってことで~! 先戻ってるから~」  それだけ言うと孫尚香は一切黄蓋の方を向くことなく駆けていった。 「まったく……誰に似たのだか」  そうぼやきながら黄蓋はゆっくりと彼女の後を追っていった。  この一日でなんだかんだあったが黄蓋が城へと戻る頃にはもう日は暮れていた。そして、彼女が戻るやいなや連絡兵と面投資を行うこととなった。 「それで、一体どうした?」 「は。実は、呉城が落ちました。無事、呉郡を統治下に置くことに成功」 「ほう、頃合いだとは思っておったが、策殿たちにしては少々遅かったのう」 「それが、今回は周瑜様及び当主は参加しておられませんでしたので」 「なんと、ということは権殿か」 「孫権様と呂蒙様が中心となっておりました」 「そうかそうか、かっかっか! それはよかった!」  連絡兵の言葉に黄蓋は膝を打ちながら豪快に笑う。 (そうか、ついに権殿も孫呉復興へ向けて一歩を踏み出しおったか)  それは黄蓋に取ってなによりも愉快な話だった。彼女が仕えた孫堅、その娘たちが成長し黄蓋が愛する孫呉を取り返さんとしている……それは黄蓋に取って非常に喜ばしいことだった。  その嬉しさを隠すことなくおおっぴらに出すように笑っている黄蓋に連絡兵がおどおどと声を掛けてくる。 「そ、それと当主より、言伝があります」 「申してみろ」 「では。もうまもなく、江東の制圧に本腰を入れる。相手は会稽太守王郎及び、元呉城の当主厳白虎。黄公覆は隊を率いて合流せよ、とのことです」 「そうか。わかった。了解の旨、しかと伝えよ」 「は!」  軍令を取ると、兵は駆け足で部屋から出て行く。恐らくは、すぐにでも出発することだろう。 「さて、儂も準備をせねばな」  そう言うと、黄蓋は立ち上がり、共に曲阿に残っている孫策の臣下へと話を通しにいくことにする。 「まずは、隊の編成……それに、ここを任せるのは誰にするかじゃな。そうじゃ、太史慈もつれていくか」  太史慈は元劉繇の部下で非常に武に長けた人物だった。だが、劉繇郡では大して良い扱いは受けていなかったらしい。  先の劉繇軍との戦において孫策の元に結果としてついた。黄蓋が調練をしてくなかでなんどかあったがつかえるのは間違いなかった。  そうして、色々と話すべき事を考えながら歩く黄蓋はふと、脚を留める。 「そうじゃった……小蓮様はどうするかのう」  間違いなく、孫家の末女は付いてくと駄々をこねることだろう。 「それが何よりの悩みじゃな」  こめかみを人差し指で圧しながら黄蓋はどうしたものかと天を仰いだ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 整形版はここからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N36」  その日、一刀は城の一室で内務を行っていた。半ば無理矢理、公孫賛から分割してもらった ものだ。  もともと、公孫賛は青州に関する一刀の功績を考え、休暇を与えると言っていたが一刀はそ れよりも新たに統治下に入った青州の事が気になり、余分な休みを貰ってしまうような真似は していられるはずがなかった。  そのため、青州に関するものも混じったために膨れあがってしまった公孫賛の仕事を一刀は ある程度の量でしかないが、強引に奪ってきたのである。 「えぇと……これがこっちか。で、あれが……そっちで」  そういって、分類分けをしていく。これはかつての外史で経験を積むうちに覚えたやり方で ある。自らが対応できる範疇のものはすぐに対処を施すが、わからないものに関してはその道 に長けたものにまかせることにしている。  そうして一刀は書簡の山を黙々と片付けていく。  一つ、また一つ処理されていく書簡……そうして、書簡も大方片付いた頃だった、部屋の扉 が開かれたのは。 「主、失礼しますぞ」 「ん? あぁ、星か。どうしたんだ?」視線は書簡に向けたまま一刀は返事をする。 「いえ、少々気になることがありましてな」  意味ありげな笑みを浮かべながら趙雲が一刀の方へと歩み寄ってくる。  それに対して、一刀は書簡から一旦視線を外し、趙雲の方を見る。 「ちょっと待っててくれないか。もうすぐ終わるからさ」 「ふむ、では失礼して」  そう言うと、趙雲は寝台へと腰掛けた。その様子を視界の端で確認すると一刀は再び書簡へ と目を通していく。 「えぇと、そうか……これがこうだな」  書簡の内容が意味するところを表面だけでなく、裏に潜む事情のことまで考慮して判断を下 していく。これも経験と慣れだった……もっとも、ツンツン軍師賈駆に散々絞られてようやく 学んだのだが……。 「ほぅ……これもまた主の姿というわけなのだな」  寝台の方から呟きが聞こえるが、一刀はそれを一々気にするほど集中力が散漫ではない。故 に一刀は趙雲の漏らす言葉を流していく。  それから一刀は、寝台の方から注がれる趙雲の視線を感じながらも黙々と作業を続け、仕事 を終えるのだった。 「さて、こんなもんかな」 「お疲れ様です、主」 「あぁ、ありがと」  一刀は、そう言って労いの言葉をかけてきた趙雲の方を改めて向く。  趙雲は、寝台に座って一刀の方を見ている。一刀は、寝台に座っている趙雲の足先から太腿 まである白いニーソック、次に戦場を駆け巡りよく引き締まっており、それでいて戦闘を幾度 も経験しているとは思えぬほどきめ細やかな肌質をしている脚へと視線を巡らせる。  また、その脚は組まれていて、僅かにその付け根と彼女の腰回りを隠す布との間にある空間 がチラチラと見え、その奥にある禁断の領域まで見えてしまいそうだ。  両腕も組まれており、その間に収まった巨峰がきつそうに圧迫されている。  そのまま一刀は視線を上へとずらして趙雲の顔を見る。瞳はじっと一刀を捉えており、口元 は僅かに歪んでいる。 「ふふ……やはり、長きにわたる旅の間もあの三姉妹には手を出されなかったようですな」 「……まぁね」  唐突に何を言い出すのだろうかと思いつつ、一刀は趙雲の様子を窺う。 「今の主の視線の動きを見る限り、相当いろいろなものが溜まっておられるのではないですか な?」 「さぁてね」  そう言うと、一刀は含み笑いをしてみせる。趙雲はそれをどうとったのかニヤリと不適な笑 みを浮かべる。 「まぁ、どちらにしても恐らく辛抱たまらないのでは?」 「なんのことだか」  反応を探るような視線を送ってくる趙雲に対して一刀は特に反応は見せない。 「おやおや……我慢は毒というものですぞ」 「別に我慢なんかしていないさ」  そんな言葉を交わし合うと、一刀はじっと趙雲を見つめる。趙雲もまた口を閉じて一刀を見 つめ返している。まるで、一騎打ちをする武将のようである。 「ふぅ、まったく強情な御方だ」 「だから、何の話だよ」 「定期的に女を抱くのもまた男の甲斐性だと思いますが?」 「…………はぁ」  ついには直接的な攻撃をしてくる趙雲に一刀は肩を落とす。 「そもそも、一度相手をした白蓮殿ともご無沙汰なのでしょう?」 「っ!?」   唐突な一言に一刀は思わず吹き出してしまう。 「おや、知らないとでも?」 「…………」 「さすがに、御自分で処理なさっていたとしても……限界があるでしょう」 「そんなことはない」 「またまた、ご謙遜を。主のモノはそれはそれは凄まじいと聞いておりますぞ」 「それも白蓮か……」 「えぇ、洗いざらい吐かせましたので」 「そ、そうか」  あの時の事を赤裸々に語られたことに一刀は多少驚きはしたが、それよりもそんな話を語ら されてしまった公孫賛が哀れでならなかった。 「ですので、一つ私もお相手をと……」 「それは、中々嬉しいお誘いだな」  そう言って、一刀は頬を掻きながら笑みを浮かべる。 「ふふ、そう言われると思いました――」 「――だが、断る!」  そう言うと一刀は、口元を歪めて笑みを多少悪質なモノへと変えてみせる。 「主、何故それ程までに……ま、まさか、不能に!?」 「人聞きの悪いことを大声で言わないでもらえませんかねぇ!」  立たない噂が立つなんて皮肉の効いたうわさ話など一刀にとっては御免被りたいことである。 「では、何故?」 「…………別に何だっていいじゃないか」  そう言って話を切り上げようとするが、趙雲は納得いかないらしく一刀の方へと歩み寄る。  チュッ 「お、おい」 「こうやって、口付けをしてもまったく燃え上がった様子もない……何故ですかな?」  そう言って、趙雲は再び寝台へと腰を下ろす。 「それは……」 「それは?」 「いや、やっぱり何でもない」 「…………」  一刀の答えに満足できてないのか腕組みをして趙雲は何かを考える素振りを見せる。一刀は その間何もすることなくじっと待ち続ける。  そして、ようやく趙雲が口を開く。 「女子に対して多少なりとも強引に責めるのもまた男の甲斐性ですが、主にはそれが感じられ ませんな」 「つまり何が言いたい」 「よもや、主は貂蝉と――」 「それ以上は言うんじゃない!」  何やら不吉なことを言われそうになったため、一刀は慌てて自らの言葉を趙雲の言葉に被せ る。 「何がいけないのですか?」 「いや、何がって……」 「この躰には魅力がないとでも?」  そう言って、趙雲がその場で上半身を倒し前傾姿勢を取りつつ、両腕で乳房を圧迫して強調 する。 「…………いや、星は十分魅力的だと思うぞ」 「ならば、何故?」  一刀は、薄々気づき始める。趙雲の言いたいことに。それでも、一刀はそれに答えるつもり はない。 「魅力的だと思っているのならば、何故手にしたいとは思われないのですかな?」 「…………」 「ふ、なるほど、主にはそのような度胸はありませぬか」  その言葉を聞いて一刀は一つの決意を胸にして座っていた椅子を後にするようにして立ち上 がる。    †   「もう~! なんかつまんなーい!」  そう叫んだのは髪を両側で白い布で留め、その部分が円状になっている小柄な少女だった。 「これこれ、そのようなこと思っても口にだすものではないぞ」  それを咎めるような言葉を発しながらも視線は目の前に広がる兵たちへと向けているのは女 性。彼女は褐色の肌、薄紫の髪、溢れんばかりにムチムチとした躰をした熟れた果実のような 雰囲気を纏っていることから大分熟練した将であることが伺える。  彼女たちは、孫策軍が少し前に落とした劉繇が治めていた曲阿、その拠点にて兵たちの調練 を行っていた。もっとも、少女――孫尚香、真名は小蓮――はただの見学だが。 「ほら、そこ! 遅れておるではないかしっかりせんか!」  女性――黄蓋、字は公覆、真名を祭という――がそう怒鳴りつけると、対象の兵は次の動き の際には、他に遅れずキビキビとした動作になっている。 「まったく……劉繇は一体どのような調練を課しておったのだ」 「そりゃあ、ロクなことはしてなかったんじゃないの」  ため息混じりに黄蓋が口にした言葉に孫尚香が頭の後ろで手を組みながら答える。 「大体、散々調練してこのざまとはなんたることじゃ! まったくもってなっとらん」 「というか、祭の調練が厳しすぎるだけなのかもよ~」 「別段、厳しくしておるつもりはない。儂の部隊に混ぜて同等の扱いをしておるだけじゃ」 「ふぅん……でも、それってあの兵たちからすれば厳しいんじゃないの」 「だから、違うと言っておるじゃろ。よく見てみい、ちゃんとついてきておる兵の方が多いで はないか」  そう言いながら黄蓋は指示を出していく。それに従って、兵たちの形態が次々と変わってい く。陣を敷く行為をなんども繰り返して覚えさせていくのだ。 「ま、シャオにとってはどうでもいいことなんだけどね……ふああ」  黄蓋の話など何処吹く風といった様子であくびをする孫尚香に黄蓋はため息を漏らす。 「やれやれ……まったく、小蓮様はそういうところばかり策殿に似おって」  孫尚香……彼女の自由奔放な感じは姉である孫策に性格の面では似ており、また、その容姿 は桃色の髪、褐色の肌という孫策、孫権という二人の姉……さらには母親である孫堅、字を文 台によく似ている。といはいえ、その身体つきはふくよかさのある二人の姉と比較すると真逆 だったりする。  そこまで考えが及び、黄蓋は僅かに口端を歪める。きっと、兵たちには見えていないから大 丈夫だろう。  そんな黄蓋に孫尚香はさらに愚痴をこぼす。 「だってシャオはどうせお留守番しかさせてもらえないんだもん」 「それは今の儂だって同じじゃ。若い者ばかりで呉郡獲得にはげみおって――ほらそこぉ!」  そこまで言って、黄蓋は動きの鈍い者へに渇を入れる。 「でも、祭は出られる時があるんだからいいじゃん」 「まぁ、小蓮様はまだまだお子様じゃからな」 「も~! シャオは子供じゃないのにぃ!」  ぷうっと頬を膨らませてむすっとした表情を浮かべる孫尚香。その様子に特に反応はせず黄 蓋は最後の指示を出す。 「まぁ、あの二人にとって大切な妹なのは事実じゃからな。危険な眼に合わせようとしないの は仕方ないことじゃろうな」  丁度黄蓋がそう言ったところで、兵たちの動きがぴたりと止まり、最後の陣形へと移行した。 それを視認した黄蓋は兵たちに最後の言葉を継げて、解散させた。 「お疲れさま、祭」 「別にこれくらいどうってことなどないわい」  そう言って黄蓋は愉快そうに笑う。 「そ。まぁ、祭にすればそうかもね」  それだけ言うと、孫尚香がこの場を後にするように歩き出す。それに続くようにして黄蓋も 歩を進める。 「ねぇ、お姉ちゃんたちがシャオのこと大切にしてるってホントかな?」 「何を今更、あっはっは!」  両手を腰に当てて豪快に笑って見せる。 「だってぇ……最近二人ってばシャオの相手全然してくれないんだもん」  僅かに下を俯きながらそう漏らす孫尚香に黄蓋は笑みを零しかけるが口元を引き締める。 「それは忙しいうえに我ら孫呉の大事な時機じゃからな……仕方あるまい」 「それはそうだけど……」 「なに、揚州を治めることには余裕も出てきておるだろうから、その時にでも目一杯甘えれば よい」 「別にシャオは甘えたいってわけじゃ……」 「どれ、今日は儂が老体に鞭打ってお相手するとしようかの」 「……祭」  開口したままの孫尚香の肩を叩いて促し、黄蓋はこの日は孫尚香の相手をして過ごすことに した。    † 「…………わかった」  一刀が下を向いたままゆらりゆらりと揺れながら近づいてくる。 「え?」 「星がそこまで言うなら、俺も我慢はやめだ!」  そう言うやいなや、一刀が趙雲の方へと飛び掛かってくる。 (あ、主は一体何を!)  予想外の一刀の行動に趙雲は反応が遅れてしまう。そんな間に、一刀が鼻息を荒くしながら 趙雲の身体に覆い被さってくる。 「ちょ、ちょっと……主?」 「…………星が悪いんだからな」  垂れた前髪でいまだ見えない一刀の顔。それが趙雲に大きな不安を抱かせる。何故か、普段 の彼の笑顔が見たくてしょうがなかった。だが、一刀は一切普段の様子を見せない。 「あ、ある――」 「それじゃあ……いくぞ」  そう言って、一刀の手が趙雲の身体へと伸びてくる。 「ちょ、ちょっと――」  趙雲は何とか逃れようと躰をくねらせてみる。だが、馬乗りされた状態ではあまり意味がな い。また、一刀の両脚によってしっかりと躰を固められてしまい動くに動けない。 「え、主、な、何を……」 「ふふ……星も好きものだな、そうやって抵抗して一層燃えさせるのか」  その言葉に趙雲が唖然としているうちに、彼女の両腕は一刀の片手によって手首を押さえつ けられて動け無くされてしまった。 それはあっという間の出来事だった。そのため趙雲は碌に反応も出来ずにいいようにされてし まった。  距離が縮まった一刀の口から漏れる息がとこか荒くなっている。それは緊張と動揺による趙 雲の呼吸が乱れているのとは別の理由で荒々しくなっているように思える。  そのことに何か危機を感じて趙雲は、慌てて大声で彼を制そうと試みる。 「あああ、主、主ぃ! ま、待った! 待ったを申し出たい!」 「問答無用!」  そう叫ぶと、一刀が趙雲の横腹を撫で上げる。それは声や息遣い、瞳の荒々しさとはうって 変わって優しく、それでいて貪るようなさわり方だった。  そして、そのままの手つきで流れるように手が腰へ辿り着く、それを逐一感覚で受け取って いる趙雲は背筋がぞくりとする。 「うっ……」  何故か、一刀に押さえ込まれた腕に力が入らない。いや、趙雲はいま、目の前にいる男を初 めて怖いと思っている。そして、その恐怖によって身体中から力が抜けてしまっているのだ。 (な、なんなのだこれは……聞いてはおらぬぞ、こんなの) 「星……はぁ、はぁ」 「……くぅ、主」  もう鼻先に男の息が当たる程、互いの距離が縮まっている。そにより、ようやく見えたその 瞳は血走っており、まるで獣のようだと趙雲は思った。そして、この獣は自分を喰らい尽くそ うとしているのだ……そんな感想を抱いた。その瞬間、趙雲の背筋にぞくりと悪寒が走り抜け る。 「い、いや……」  震える口先でなんとか制止の言葉を言おうとする。 「さんざん……挑発しておいてそれはないだろ?」 「っ!?」  一刀に普段の彼からは想像出来ない程、荒い声色による言葉を耳元で囁かれ、趙雲の身体は 先程とは打って変わって力が入り強張ってしまう。 (わ、わからぬ……もう、自分の身体がわからぬ……)  趙雲はもう何をどう考えればいいのかわからなくなっていた。様々な情報が一気に頭に駆け 巡ってきてそれぞれを整理して考える暇すらない。 (わ、私が悪いのか?) 「さぁ、星も普通じゃ満足しないだろうから激しくいこうか!」  そう叫ぶと、一刀が趙雲の服の胸の部分に手を掛ける。恐らく、彼が力を込めるだけで一気 にそれは趙雲のたわわな果実から、まるで皮むきのようにするりとはがれていくだろう。  そして、そこから一刀によって……どうされてしまうのだろうか?  趙雲にはその先がわからない、そして怖い。普段の一刀と違う、男の部分をさらけ出した彼 が一体何をするのかがわからないのだ。少なくとも普段の一刀ならば安心して身を委ねられた だろう。だが、今目の前にいる男には何もされたくないと思う。  そして、その感情が頂点に達した時、趙雲は思いきり悲鳴を上げた。 「い、いやぁぁあああ!」 「…………」 「も、もうや、やめて……」  震える声で趙雲はなんとかそう言った。それに抑止効果があるかはわからないが言わずに入 られない。ぎゅっと瞑っていた瞳をちらりと開けて男を見やる。  男は、俯いていた。その表情は影となり窺い知ることは出来ない。それが一段と趙雲の恐怖 を煽る。と、その時男の口から何か音が漏れた。 「く、くくく……」  よく見れば、目の前にいる男は、まるで少年のような……いや、街で悪戯をする悪ガキのよ うな表情を浮かべて口端をつりあげてニカッとした笑みを浮かべて可笑しそうに笑っている。 「……ぐす、あ、主?」 「あっははは。いやぁ、悪い。ここまで怖がるとは思わなくてさ」 「すん、すん……ふや?」  優しく語りかける一刀を趙雲は見上げる。彼の顔や纏う空気は普段の……そう、趙雲が好ま しく思っているものだった。 「でも、これでわかったろ?」 「ぐしゅ……ふえ?」  未だに涙がとまらず、まともに聞き返せないので趙雲は瞳で訊ねる。 「男ってものは、おいそれとからかうものじゃない。安易にからかっていれば、いずれはこう なるんだってことがだよ」 「そ、それは」  一転して真剣な眼差しで射貫かれて趙雲は口ごもる。 「大体、迫られて泣いちゃうくらいなら無理に経験者ぶるもんじゃないぞ。まったく」  そう言って一層明るい笑みを浮かべると、一刀が趙雲の髪をくしゃっと撫でる。 「ぐす、むぅ、私は子供ではないのですが」 「何言ってるんだか。俺にとっては星だって子供な面があるように見えるよ」  抗議の視線を向けるも、一刀に軽くいなされて趙雲は文句の行き場がなくなり黙り込む。  そんな趙雲に微笑みかけながら一刀は頭をなで続けてくれる。そのとき、趙雲はふと思った ことを実行してみることにする。 「ふむ、少々……精神的に疲れましたゆえ、しばし胸をお借りしますぞ」  そう言って、趙雲は一刀の胸にしな垂れかかってみる。急に体重を預けたが、一刀の身体は とくに反動はなかった。それはつまり、一刀の身体が貧弱というわけではないと言うことだ。 (意外とガッシリしておられるのだな……ふふ) 「お、おい。まったく、しょうがないな」  そう言って、一刀が困った様子で頬を掻く。 「ふふ、主のせいなのですからしかたがありませんな」  胸に顔埋めながら趙雲はそう告げる。 「まぁ、いいけどな」  ため息混じりに一刀がそう答えたかと思うやいなや、彼の手が趙雲の腰へと回され、趙雲は そっと抱きしめられた。そして、もう片方の手が彼女の頭を再び撫ではじめる。  しばらくはその体勢のまま静かな時間が経過していった。 「どう? 落ち着いた?」 「えぇ、もう大丈夫です」  そう言って趙雲は一刀から離れる。そして、ゆっくりとした足 取りで歩き出す。 「主、今日の所は引き上げます。何しろ、情けなき姿を晒してしまいましたからな」 「はは、俺からすれば可愛かったけどな」 「……やれやれ。では、失礼」  一刀の言葉に肩を竦めると、趙雲は部屋を後にした。  廊下を歩きながら趙雲は一人、心の中であることを決意をしていた。 (今回は後れを取ってしまったからな、次は……主が過激な趣向を好むことを前提としていか ねば!)  拳を密かにぎゅっと握りしめて趙雲は口端を吊り上げるのだった。  †  趙雲が部屋を出てすぐ、一刀もまた廊下へと出ていた。何となく、一人で外をぶらつきたく なったのだ。  なお、一刀の足取りが普段やり手の趙雲を上手くやり込めたことに対する歓喜で軽くなる… …などということはなかった。  それどころか、一刀は肩を落としてとぼとぼと歩いてた。 「はぁ、やりすぎたかな」  一刀はそう言って深く深く息を吐き出す。その海の底ほどもありそうな長いため息は彼の悔 恨の程を良く表している。 「……やっぱ、あぁなるんだよな」  先程のやり取りを思い出し一刀は頭をぶるんぶるんと振る。一刀には自身の取った行動が趙 雲に対してそれなりの効果をもたらすだろうとは予想できていた。 「なにせ、俺はズルしてるんだからな……」  そう、一刀には外史と世界のうち、いまいる"ココ"へとやって来る前、彼は別の外史にいた ことがある。そこは一刀自身が突端となる事で物語が始まり、そして終わりを迎えた世界であ り物語だった。  そう、つまり今の一刀は物語をひいては世界における物事を一通り経験してきたということ である。 「いろいろあったもんなぁ……」  昔を思い出した一刀の口から感慨深げな声が漏れる。 「だけど、さすがに……大人げなかったな」  多くの経験を積んできたからこそ、一刀は先程自らが決行した行為を思い出してはため息を ついているのだ。もう少し、別のやり方があったのではないかと。 「はぁ……やっぱり、難しいな」  一刀が、"外史という世界"を一周したからこそ手にしてしまった少女たちに関する記憶や共 に過ごしたことで得た経験、それらが今の一刀に重荷のようになっていた。 (みんなとの付き合い方が難しくなってきたな)  一刀がそう考えるのも致し方ないことなのである。先の件でもわかるが、一刀は前の外史で 出会った少女に関してはそれなりに知識や記憶を持っている。そのため、彼女らが取り繕って いる部分なども簡単に見破れてしまうのだ。  それでも、少女たちと関係性としての距離が空いていれば問題はないが、近頃はその距離も 縮まり、前の外史の記憶に触れるような出来事も増えてきていた。 (まぁ……だけど、わかるっていっても完璧にってわけじゃないんだよな)  多少予想外なことや、時折ある一刀自身が本心に基づいて行動を起こしてしまうことなどが あれば、それによって一刀の予想とズレることもある。  だとしても、一刀は高確率で少女たちの相手をすることが出来てしまう……少なくとも自分 ではそうだと思っている。 「……はぁ」  あまりにも気持ちが重くなり、一刀は項垂れる。 「あらん、ご主人様どうしたの?」 「ん? あぁ、貂蝉か」 「さっきから、随分とくらぁい表情をしてるけどどうかしたの?」 (てことは、少し前からいたのか)  立っている位置からして廊下を反対側から歩いてきたらしい貂蝉の姿に一刀はそれまで気が つかなかった。 「いや、ちょっとな」 「……なにか悩み事かしら? わたしでもよければ聞くわよん」 「…………」  僅かに、間を空ける。一刀はその間に考えてみる……長らく抑えてきた想いを打ち明けるか どうか。  もし、仮に誰かに話すとしたら貂蝉ほど適した人物はいないだろう。何せ一刀以外で唯一前 外史に続いてこの外史でも共に過ごしているのだ。だから、二つの外史に挟まれているが故に 起こってしまった一刀の想いを……悩みを聞いてもらう相手として貂蝉は最適なのだ。 「わかった、それじゃあちょっとだけ聞いてくれないか」 「えぇ、構わないわ。元々ご主人様の元に行く予定だったから」  それから二人は中庭へと出て誰も来ない辺りで腰を下ろす。 「それで、一体何を悩んでいるのかしら?」 「それなんだけどさ、俺は白蓮や他のみんなとどう接していくべきなのかなって」 「…………」 「なんていうかさ、俺は前の外史に関する記憶が残ってる」  一刀が、たどたどしくそう言うと、僅かに表情を曇らせながら貂蝉が頷く。 「そうね、確かにあるわね」 「それでさ、そうなると俺は白蓮や華雄、それにねねや麗羽たちみたいにあまり関わりが深く はなかった娘は別にして、星とかさ前の外史でも割と長い間一緒にいた娘たちを相手にする場 合は……俺にはある程度どうすればいいかわかってしまうわけだ」 「それは間違いないわね」  そう言って肯く貂蝉に一刀は「だろ?」といった意味合いを込めて視線を送り話を続ける。 「それこそ俺は、彼女たちに関してなら、使う獲物や真名、それに趣味趣向までわかってしま うわけだろ? それってさ、つまりは彼女たちの心を掴みやすい位置にいることができてるっ てことだと思うんだよ」  一度、言葉を切って貂蝉を見る。貂蝉は黙って一刀を見て何も言わない。それを先を促して いるのだろうと判断して一刀は話を再開する。 「だから……俺には許されないんだよ、彼女たちとこれ以上距離を縮めることは」  そう、その言葉を一刀はずっと戒めのように頭の中で渦を巻かせていた。恋愛ごとに話が発 展しそうなときはその渦に巻き込ませてうやむやにしてしまい、それによって偽りの冷静さを 持って惚けてみせていた。  貂蝉は、そんな一刀の考えを読み取ったのか複雑な表情を浮かべている。 「……なるほどね」 「大体さ、今いるこの俺……北郷一刀という存在は普通じゃない。少なくともこの外史では… …そうだろ?」 「あの娘たちとの関係を築く上では確かに特殊よね」  そうなのだ、彼女たちと接する上で一刀は明らかに特殊な……いや、異常な位に優位な位置 にいる、もしくはそこへと辿り着くことが容易に出来てしまうのだ。それは如何なる他者とも 比べものにならないほどの優位性を誇っているということなのである。 「さすがにさ、それは駄目だと思うんだ」  それは一刀の心のそこからの言葉だった。彼女たちの操縦方法をそれなりに心得ているから こそ、一刀は彼女たちと出来るだけ深い仲――前の外史における大切な少女たちとの関係―― にはならないように、それこそ一線を引こうとすら試みていた。  そして、一刀自身がその線を越えないように、また少女たちに超えさせないようにしてきた。  だからこそ、一刀は今まで自分から彼女たちに恋愛面で接するようなことをしなかった。  趙雲や張遼の誘惑にも乗らず、冷静を装ってきたのもその現れであり、愛だの恋だのを語る ようなこともしてこなかったのもまたその一例である。  つまり、少女たちと"仲間としての親交"を深めることはしても、"恋愛ごと"に関する行動は 基本取らないようにしていたのだ。 「そうさ……俺は、彼女たちと必要以上の関係にはならないよう――」 「でも、最近は彼女たちの積極性に押され気味よね」 「うっ!?」  そう、貂蝉の言葉通り、少女たちが異様に積極的になりつつあるために困惑し始めているの は確かだった。 「それでも……それでもだ! 俺はやっぱり、彼女たちに好意を素直に向ける気にはならない んだ」 「…………それが、ご主人様なりのやさしさなのね」  やはり貂蝉は鋭い、一刀は改めてそれを実感した。  そう、今ある一刀は少女たちについて様々な事を知っている。それはきっと卑怯なことであ り、本来あるべき自然の摂理に反するものなのだ……誰が何と言おうと一刀はそう思っている。  だからこそ、少女たちに一刀は手を出さない。  もしかしたら、彼女たちはこの外史においては、一刀ではなく他の誰かと結ばれる可能性だ ってあるのかもしれないのだから……そして、それを本来あり得ない程の優位性を持った自分 が割り込んで台無しにすることなど一刀には出来なかった……いや、したくなかった。  それは、彼女たちが大切だからこその苦悩である。 「でも、白蓮ちゃんのことはどうなのよ」 「そこなんだよなぁ……」  頭を掻きながら一刀はぼやく。  そう、一刀の造った警戒線を超える唯一の例外が出来てしまったのだ。  それが、この城……いや、それ以上に広大な土地の主となってしまった少女……公孫賛―― 字を伯珪と言い、真名を白蓮とする――だった。  彼女は、一刀がこの世界と別離を果たそうとしていた夜に彼の元を訪れ、肌を重ねた。それ はつまり、今まで必死に守ってきた一線を一刀に越えさせてしまったのだ。 (あの時は、世界……いや、この外史との別れを前に心が弱ってたのかもしれないな)  そう、あの時、少なからず一刀の心にはこの外史に対する感傷のようなものがあった。そし て、それ故に、一刀の堅固な防壁もどこか弱っていたのだ。 「……あの時、白蓮と会ってしまったのが何よりもまずかったんだよなぁ」 「あらん、どうして?」 「それはな……」  一刀は一度ため息を吐くと、当時を振り返りながら語り出す。 「例の日、俺の元に訪れてきた白蓮はさ、普段の彼女からは決して感じられないくらいに必死 な感じ感じがしたんだ。なんていうのかな、白蓮の口から発せられた言葉や彼女の両眼から送 られてくる強い視線なんかがそれを伝え来るんだよ」  それに、体中が恐怖にでも襲われているかのようにガタガタと震えていた様子も一刀の心を 揺さぶっていた。  もっとも、後から聞いてみれば白蓮の挙動不審さの原因には袁紹軍との戦が勃発する前に一 刀と貂蝉が話していた、一刀と外史の間にある問題のことを聞いてしまい、一刀が消えること を知ってしまったことも含まれていたらしい。 「なるほどね、それでご主人様はどうなった の?」 「あぁ、そうして白蓮の強くて真っ直ぐな想いは俺の心を深く貫いた……」  そして、それによって一刀が完全に押さえ込んだと思っていた、この外史と別れてしまうこ とに対する恐怖や寂しさなどを心の奥底から一気に掘り起こしたのだ。 「じゃあ、白蓮ちゃんのことは動揺して……なのかしら?」 「いや、そうじゃない……悪い、そうじゃないんだ。どうも、正直に語れなくなってるみたい だ」  素直な想いを認めようとしない自分に一刀は頬を掻きながら苦笑を漏らす。 「違う……違うんだ。あの時、俺は白蓮の瞳から溢れる涙を拭いたかったんだ。俺の存在が消 えることを知っていながら堪え続け、ため込んでしまっていた彼女の涙を……」 「そう、そうなのね。ふふ、ご主人様らしいわね」  公孫賛は特別な夜に一刀の前で露わにするまで、一切、一刀の消滅に対する動揺を見せずに いたのだ。誰も気付かないほどに。  それほどまでに公孫賛は気丈に振る舞っていたのだ。そんな彼女から溢れ出した想いを前に 一刀は黙ってなどはいられなかった。 (……いや、もしかしたら一時期様子がおかしかったのが動揺の表れだったのかもしれない)  今にして思えば一刀にもそれがなんとなく想像出来る。 「白蓮ちゃんのことを思って……ね、ホントご主人様ってば損な性格ね」 「いや、それだけじゃない……きっとあの時には既に俺は白蓮のことが……」  そこまで口にして、一刀は言葉を切る。 「これに関しては、お前にいうことでもないな」 「んまぁ、残念ねぇ」 「悪いな。でも、これは俺の中で向き合いたいことだから」  当時の一刀には急すぎて自分の心がどう彼女を捉えて、あのような行動を取らせたのかわか らなかった。  だが、刻が経つにつれて一刀はその想いを徐々に理解し始めていた。  その気持ちはきっと……かつての外史で一刀が共に生きた少女たちに抱いた思いと同じなの だろう。  だからこそ、一刀は今もまだ深く悩んでいるのだ。  公孫賛だけじゃなく、彼女を共に支えてくれる者たちに対する想いを大きくしてはならない、 それでも少女たちを……愛したいという想いの狭間で一刀の心は揺れている。  そして、公孫賛との距離がぐっと縮まったがゆえにわかったその思いは一刀に複雑な思いを 抱かせていた。 (俺は……ここにいるみんなと別れたくない……嫌われたくない)  そう、一刀の中にある自身にとって卑怯な事実。それを知った少女たちが自分から離れてい ってしまい、ついには失ってしまうのではないかという不安と恐怖が一刀の心に楔のように深 く深く打ち込まれているのだ。 「あの娘たちのこと……本当に大事に思っているようね」  そう言って貂蝉はこの日初めて普通に笑った……そう一刀には思えた。 「そりゃ、そうさ……みんな俺にとっては大切すぎる存在だよ」  その言葉通り、一刀にとって今共にいる少女たちは掛け替えのないものだった。だからこそ、 少女たちに嫌われることが余計に恐ろしいのだ。  その恐怖心は……少女たちと離れてしまうのではという不安は、非常に強い万力でググッと 締め付けられているかのような苦しみを一刀の胸に覚えさせるまでとなっていた。 「それに……いや、やっぱりいいや。悪い、ここまでにしよう」 「それでいいの?」  表情を曇らせながら貂蝉が一刀を見つめてくる。 「あぁ、話したら少しだけだが落ち着いたからな」  無理矢理、笑顔を作りそう告げる。 「それで、貂蝉は俺に何か用があったんじゃないのか?」 「…………いいわ。今日はやめておくことにするわ」 「え? どうしてだよ」 「今のご主人様には話すべきではないわ……後日、落ち着いた時にさせてちょうだい」  そう言うと、貂蝉は一刀が反論をするよりも速く、立ち去ってしまった。 「……やっぱ、あいつには敵わないな」  一刀が未だ平常時の精神に戻っていないことを貂蝉は悟ったのだろう。そう考えて呟いた一 刀は、深く息を吐いて自分自身の心と向き合おうと思考の渦へと飛び込んでいく。 (俺の中には、あの頃の"みんな"への想いが残ってる……)  そう、この外史に来てまもない頃、趙雲や関羽、張飛などとの一刀のみが認知している再会 を果たした時も、非常に内心で動揺したほどだ。それくらい、一刀はかつてのことが気になっ ていたのだ。 (ま、だからこそなんだよな)  そういった前の外史の少女たちのことや、今の少女たちとのこと……それ等を考えた結果、 一刀は一つの結論導き出していた。  それは、一番距離が近づいてしまっているであろう公孫賛と一旦距離を置くことだった。実 際、彼女とはあまり接触をしないようにしていた。  ところが、それによって公孫賛が暴走しかけるという事態が起こり、一刀はまたもや考え直 さなければならなくなっていた。 (それに、白蓮には大きな借りがあるからな……)  そう内心でぼやきながら一刀は困惑に満ちた表情を浮かべながら頭を掻く。  最早一心同体とまで言えるほどに愛し合った者たちとの別れを経てこの外史で生きることと なった一刀、その心中にはそれは大きな傷となって残っていた。  だが、別れを迎えてこの外史へとやって来た時、その傷の影響を受ける暇もないほど公孫賛お よび公孫賛軍に付き合って一刀は様々な事をしてきた。  そして、そこで公孫賛を初めとした様々な少女たちとの触れあいを行ってきた。そのことは 一刀が心に負った傷を素早く治療し、一刀が自覚して症状が重くなる前に大分癒してくれたの だ。  それが、公孫賛から受けた"大きな借り"だった。 (もし、白蓮に出会わなかったらどうなってたことか……)  公孫賛と出会わず、あの場所を旅立って一人大陸を歩いていたら一刀の心はきっと折れてい ただろう。そして、そのことを想像するだけで一刀は背中に冷たいものが流れていくのを感じ た。 (正直なところ、今でもあの頃のみんなを思えば心は痛む。だけど、少なくともこの外史で初 めの頃に再会した時と比べれば今はかなりマシになってる)  そう、心が癒され余裕が出来たからこそ董卓を……いや、彼女とその家族たちを救うことが 出来たのだと一刀は思う。  そして、一刀は今傍にいる少女たちとの生活に満足していた。 (これって、やっぱり裏切りなのかな……)  ふと、一刀の脳裏に愛紗と呼んでいた少女を初めとした以前の外史で共に過ごした少女たち の姿が過ぎる。少女たちは、一刀に対して「裏切り者」だなどといって恨めしげに睨む……と いうようなことなどはせず、ただただ悲しげに一刀の方を見ている。そんな姿が一刀の頭の中 に浮かんでくる。それほどまでに彼女たちは優しかった。  そして、一刀の事を愛し、また一刀も愛していたのだ。  一刀は以前の外史にいた少女たちの顔を思い描きながら内心で今までもう何度行ってきたか 分からない言葉を告げる。 (わかってるよ、みんな。だからさ、俺は"みんな"だけを出来る限り……あ、愛し続けたいと 思っているんだ)  この想いもまた、公孫賛との距離を最低限程度に置くことにした理由の一つだった。 (でも、あの騒動で……俺はつい、心の箍が外してしまった……)  先程、貂蝉には言わなかったが、一刀が無意識下に放り込んでいた公孫賛への想い、それが 特別な夜、彼女を前にしてあふれ出てきて止めることができなかったのだ。そして、それによ って、あの夜一刀は自分の心に突き動かされ公孫賛と一つとなったのだ。  外史との別れを乗り切ったとき、一刀はそのことを思いだし複雑な思いに駆られた。これは 恐らく貂蝉ですら感じ取れてはいないだろう。  前の外史で愛した……そして、愛してくれた少女たちへの操を守りきらなかったこと。そし て、そんな想いを抱きつつも抱いてしまった公孫賛。  その二つの間に挟まれて一刀は罪悪感に苛まれていた。 「俺はどうすればいいんだろうな?」  そんな愁いを帯びた一刀の呟きが北の大地に吹き荒れる風に乗っていく。  † 「うぅーん、今日は一杯遊べたから、ちょっと満足かも」 「これで満足してもらわねば儂の身体がもたぬわ」  隣でにこにこと嬉しそうに笑う孫尚香に対して黄蓋は疲れた表情でそう答える。 「まぁ、でも……たまにはこうやって気を抜くのもいいものでしょ」 「それは、そうじゃが」  肉体的……といよりは、子供に付き合ったがために精神的な疲れを感じている黄蓋は返事を 僅かに濁す。  それに対して孫尚香がにやりと笑みを浮かべる。 「そ、れ、に、美味し~いお酒だって手に入ったんだから」 「それに関しては確かに収穫ありといえるのう」 「でしょ。ならいいじゃない」 「…………やれやれ」  よく言うものだと黄蓋は思う。街で黄蓋が子供に囲まれて困惑している黄蓋に対して、孫尚 香は助けの手を差し伸べる訳でもなく、子供に混じってじゃれついてきたうえに子供たちを先 導しはじめたのだ。  それによって黄蓋の疲れは倍増されたのだった。 「ま、これはこれでよかったかもしれんな」  黄蓋は、誰に言うでもなくそう呟く。  実際、ここのところ劉繇の元から降ってきた兵たちの調練や、この地に関する政にもある程 度追われて鬱憤が溜まっていたため黄蓋にとって、孫尚香の言う通り確かによい気晴らしには なっていた。  そう思いつつ肩をぐるりと回す。 「さて、戻ったらまた頑張らんとな」 「頑張ってね、祭」 「手伝おうとは言わぬあたり、策殿そっくりじゃな」  黄蓋は孫尚香をちらりと見る。ほほをぷくーっとふくらませて不満の意を表している。 「シャオはお姉様みたいにぐーたらじゃないもん!」 「なら、手伝いをしてもらおうかのう」 「え、えぇと……」  急に孫尚香はそっぽを向いて歯切れが悪くなる。 「ま、まぁ、それは追々ってことで~! 先戻ってるから~」  それだけ言うと孫尚香は一切黄蓋の方を向くことなく駆けていった。 「まったく……誰に似たのだか」  そうぼやきながら黄蓋はゆっくりと彼女の後を追っていった。  この一日でなんだかんだあったが黄蓋が城へと戻る頃にはもう日は暮れていた。そして、彼 女が戻るやいなや連絡兵と面投資を行うこととなった。 「それで、一体どうした?」 「は。実は、呉城が落ちました。無事、呉郡を統治下に置くことに成功」 「ほう、頃合いだとは思っておったが、策殿たちにしては少々遅かったのう」 「それが、今回は周瑜様及び当主は参加しておられませんでしたので」 「なんと、ということは権殿か」 「孫権様と呂蒙様が中心となっておりました」 「そうかそうか、かっかっか! それはよかった!」  連絡兵の言葉に黄蓋は膝を打ちながら豪快に笑う。 (そうか、ついに権殿も孫呉復興へ向けて一歩を踏み出しおったか)  それは黄蓋に取ってなによりも愉快な話だった。彼女が仕えた孫堅、その娘たちが成長し黄 蓋が愛する孫呉を取り返さんとしている……それは黄蓋に取って非常に喜ばしいことだった。  その嬉しさを隠すことなくおおっぴらに出すように笑っている黄蓋に連絡兵がおどおどと声 を掛けてくる。 「そ、それと当主より、言伝があります」 「申してみろ」 「では。もうまもなく、江東の制圧に本腰を入れる。相手は会稽太守王郎及び、元呉城の当主 厳白虎。黄公覆は隊を率いて合流せよ、とのことです」 「そうか。わかった。了解の旨、しかと伝えよ」 「は!」  軍令を取ると、兵は駆け足で部屋から出て行く。恐らくは、すぐにでも出発することだろう。 「さて、儂も準備をせねばな」  そう言うと、黄蓋は立ち上がり、共に曲阿に残っている孫策の臣下へと話を通しにいくこと にする。 「まずは、隊の編成……それに、ここを任せるのは誰にするかじゃな。そうじゃ、太史慈もつ れていくか」  太史慈は元劉繇の部下で非常に武に長けた人物だった。だが、劉繇郡では大して良い扱いは 受けていなかったらしい。  先の劉繇軍との戦において孫策の元に結果としてついた。黄蓋が調練をしてくなかでなんど かあったがつかえるのは間違いなかった。  そうして、色々と話すべき事を考えながら歩く黄蓋はふと、脚を留める。 「そうじゃった……小蓮様はどうするかのう」  間違いなく、孫家の末女は付いてくと駄々をこねることだろう。 「それが何よりの悩みじゃな」  こめかみを人差し指で圧しながら黄蓋はどうしたものかと天を仰いだ。