改行による2パターンとなっています。最初は整形なしの素です。 ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。  「無じる真√N34」  孫策はその日、朝早くから戦場へ向けて驢を駆けさせていた。朝方の独特の空気を吸い込み意識をハッキリとさせながら孫策は、隣を走る周瑜に尋ねる。 「それにしても、随分と早くから動くのね」 「当たり前だ、今日は我らがまた一歩先へと進むための戦いなんだからな」  特に孫策の方に顔を向けることもなく周瑜がそう答える。それに対して「ふぅん」とだけ呟いて頷く孫策に周瑜がくすりと笑みを零しながら言葉を付け加えた。 「……実はな、今回の戦に関しては亞莎……おほん、呂蒙に一任しているのだ。まぁ、補佐として穏をつけてはあるがな」 「えっと……亞莎ね。確か、少し前から冥琳たちの元で軍学を習得しようとしてる……あの娘でしょ?」  そう言って、孫策は後ろ髪をお団子にしており、片側のみにレンズのある眼鏡を鼻のみに引っかけるようにしている少女を思い出す。  少女は、呂蒙……字を子明といい、真名を亞莎という。呂蒙は元々は武力に長けた人材であり、武官として仕官していた。だが、その軍備に関する才能を、孫策の妹――二人いるが、上の妹のほう――によって見いだされ、現在、周瑜や陸遜らとともに必死に軍師としての修行を積んでいる。  そして、その呂蒙が軍師という今までとは異なる立場で感じる戦場の空気を知ろうとしているということまで孫策は察し、周瑜の返答を待った。すると、周瑜はすぐに肯いてみせた。 「そうだ。今回はあの娘が軍師として初めて指示を出す戦いというわけなのだ」 「ふぅん、それで朝っぱらからねぇ」 「ふふ……その理由というのがまた彼女の生真面目な性格をよく表しているものなのよ」  少しだけ気が和らいだのか、周瑜が公私のうちの私の面で見せる柔らかい口調を僅かながらも覗かせる。  孫策は特にそこは気にならなかったため、指摘することもなく流して詳細を聞こうと質問を口にする。 「それって、どういうこと?」 「朝方は兵の気力が高いからな……」  そう言って、周瑜はただ頷くだけだった。孫策がその言葉のみで意味をわかるとみたのだろう。  まぁ、現に孫策は彼女が何を言わんとしているか察することはできていた。 「ふぅん。つまりは、そういう基礎に従ってるって事なのね」  孫策のその言葉に周瑜が微笑を称えたまま頷いた。それを見て孫策もまた微笑む。いくら戦場に出た経験があっても軍師としては初めて。だからなのか、どこか初々しさを感じるのだ。 「なんだか、可愛いわね」思わず孫策はそう言った。 「雪蓮はそれでいいかもしれんが、私は一応……いや、なんでもない」  何かを言おうとしてすぐに口をつぐんだ周瑜を見て、孫策は先程から周瑜の乗る馬の速度が速まっている理由を察した。 (なるほど……あの娘に関しては保護者的な想いも割と大きいのね)  ずっと正面を見据えている周瑜の横顔を見ながら孫策も彼女に会わせて馬の脚を速める。呂蒙を心配して、はやる気持ちを抑えているつもりになっている親友の心情を察して……。  向かうは呉郡に居座る"東呉の徳王"と自称する厳白虎が我が物顔で使用している城。  既に、孫策の妹である孫権――字を仲謀、真名を蓮華という――の率いる隊を中心とした孫策軍の隊のいくつかが城へと向かっているのだ。 「だけど、やっぱり心配ね……」  呂蒙を心配する周瑜と同じように孫策もまた心配の種があった。 「お互い、まだまだ後進の育成は終わらないと言うことか」  そう言って周瑜が僅かに口元をほころばせる。そう、実は孫策の妹である孫権もまた実践に関してはそう多く経験しておらず、未だ頼りなさが抜け切れていないのだ。 「そうね……あの娘にはいつか私の後を継いで貰いたいものだわ」 「ふ、雪蓮はただ単に仕事が面倒臭いだけなのだろ?」 「…………さぁね」  図星を指されたものの、孫策は取りあえず惚けておく。 「まったく、貴女という人は……立派なのか、そうでないのかわからないものだな」 「なによぉ~。私だって頑張ってるじゃない」  ため息混じりに呆れたかのような表情を浮かべる周瑜に、孫策は唇を尖らせて文句を言う。 「もちろん、わかっているさ。雪蓮がどれだけ強い想いを持っているかは……」 「そ、ならいいんだけどね」  急に真剣な眼差しで射貫かれて孫策も普通に返してしまった。と、その時、孫策は最近気になっていたことを聞いてみようと、急に思い立った。 「ねぇ、冥琳」 「なんだ?」 「……あなた最近変じゃない?」  そう訊ねるが、周瑜は特に大した反応も見せない。それどころか、普段通りに口を開く。 「少々寝不足なだけよ。気にする必要は無いわ……雪蓮」 「でも……」  『何かが変な気がする』と続けようとする孫策の言葉を遮り、周瑜が盛大なため息を吐いた。 「はぁ……ちょっと夢見がよくないだけよ。だから心配などする必要はないぞ」 「そう……。まぁ、そうだって言うのなら、いいんだけどね」  僅かにこめかみの辺りを抑えて、指圧を加える周瑜の姿を見て、孫策は一先ず下がる。 (きっと、これ以上追求しても何も得られないだろうしね)  内心でそう言いながら項垂れる自分の姿が脳裏に浮かび、孫策はため息を漏らした。  †  厳白虎の率いる賊軍が本拠としている城より二里ほど離れた位置にて、孫策軍の反数ほどで編成された部隊は陣を敷いていた。  幸いにも、ちょうどそこは木々が生い茂る森林で、部隊を隠すには丁度良い立地だった。  その森の中、孫策軍のとある部隊の幕舎、そこには、隊の中心である少女が、臣下らと話をしていた。それは、いま目の前にある に対する攻城戦の仕掛け方に関してである  部隊を率いる立場にある少女……彼女の小麦色の美しい肌、桃色がかり、スッと真っ直ぐに伸びた長い髪、南にある土地出身であるが故の露出度の高い服……それらは、彼女が君主である孫伯符の親族であることを表していた。  もっとも、姉と違い彼女には菱形の特徴的な印など額に存在していないが……とはいっても、それもそのはずであり、あの印は呉王の証であって、決して親族皆がつけるものというわけではないのだ。  そう……この少女の名は孫権。字を仲謀、真名を蓮華という。 「それで、どう攻めるというのかしら?」  そう言って、孫権は妙に身体を強張らせている片眼鏡の少女……呂蒙に語りかける。 「…………」 「……亞莎。蓮華様が聞いておられるのだぞ」  どこともわからない空間を見つめながら沈黙を続けている呂蒙に、彼女以上に切れ長で鋭い目つきをした褌をしめているのが特徴的な甘寧が、彼女の別の特徴でもある強い口調で問いかける。 「思春、あまり強くいわないであげて」 「は。ですが……」 「軍師としては今日が初戦なのよ?」 「少々、配慮がたりませんでした」  そう言って甘寧が引き下がる。この甘寧――字は興覇、真名を思春という――は、孫権に対して、大いなる忠誠を誓っており、何よりも孫権を優先していた。  孫権自身、それは嬉しくもあるのだが、時折、その忠誠心の持て余すことがある。  そのことに関しては、またどうすべきか考えようかなどと適当に結論を出し、孫権は今一度、呂蒙に優しく声を掛ける。 「それで、どうなのかしら亞莎?」 「亞莎ちゃん」  ずっと呂蒙の背後でにこにこと笑みを浮かべて様子を見守っていた陸遜が声をかける。 「あ!? は、はい!」  急に驚いたように一歩下がると、呂蒙はやたらと長い裾で顔の下半分を隠してしまった。ちなみに、一説にはその袖の下には彼女の武器である人解という暗器があるとかないとか。 「落ち着いて。緊張するのはわかるけど、貴女が緊張してしまったら、誰も手を打つことは出来ないの」 「……は、はい。すみません」項垂れながら呂蒙がそう言う。 「それはいいから、速く話を聞かせてちょうだい」そう言って、孫権は瞳を閉じる。  そうすることで、呂蒙の話に集中しようというのだ。 「は。では……え、えぇと、まずですね、相手を上手くおびき出したいと思っています」 「…………それで」敢えて孫権は口を挟まず話を聞き続ける。 「我が軍の最も重要としている目的は、袁術に悟られるよりも速く、揚州の多く、そして、その他の未だ一軍勢として成り立たぬ地域にある小勢力を飲み込み力を付けていくことです」 「…………ふむ、それは確かにそうだな」徐々に孫権も調子を普段のものから変えていく。 「そうなりますと、やはり、攻城戦などで時間を必要以上に費やすわけにはいきません」 「それが、貴女の考えなのね。亞莎?」 「まぁ、大体はそうです」 「一つ、聞いても良いかしら?」 「も、もちろんです」 「なら、聞かせて貰うわ。如何にして敵を吊り上げるつもりなのかしら?」 「は。それは、至って単純。厳白虎と言えば、一応土地を有してはおりますが、その内政は決して褒められたものではありません」 「…………」内政という言葉に孫権は閉じていた瞼をぴくりと動かす。 「民の中で厳白虎に従う者はごく僅か、既にこちらと連絡を取り、内応の手筈を整えています」  そこまで説明して、呂蒙はようやく袖を降ろす。 「そして、すでに忍び込ませた間者と共に民衆が一斉に城から出てきます。厳白虎の軍は半ば無理に民から金銀や宝、作物などを異常とも言える量を搾取することで成り立っています。ですので、民衆が逃亡すれば間違いなく、捉えるために軍を動かします」 「だが、それでも一部しか動かないのではないのか?」  甘寧がそう切り返す。孫権も同意を示すように首を縦に振る。 「そうですね……ですが、その一部になんらかの不備が生じたら話は別です」 「…………そうか!」孫権はカッと眼を真開き、そう言ってみせる。 「おわかりいただけたようですね」 「確かに、それなら芋づる式に奴らを引きずり出せるわね」  そう言うと、孫権は早速それぞれどう動くかを検討し始めるために、それを軍議の議題をそれに移行させた。  †  孫策と周瑜は、孫権たちのいる森よりさらに二、三里程離れた位置に驢を停めて様子を見ていた。 「へぇ、随分と静かにしてるようね」  森から鳥が一羽たりとも羽ばたかないのを見て、孫策はそう漏らす。 「そうね……まぁ、騒がしくせずに機を窺うのもまた基本だからな」 「また基本かぁ……」孫策はそう口にする。  特に感心する様子も見せない周瑜に孫策は内心、苦笑する。 (これくらいは出来て当たり前って感じね……) 「これくらいは出来て当たり前だ……私が直々に鍛えているのだからな」 「ぷっ!」 「ちょっと! 何をしているの、雪蓮!」  思わず吹き出した孫策に周瑜が半眼で睨み付けてくる。 「ご、ゴメンゴメン……なんでもないわ。そう、ちょっとした思い出し笑いよ」 「…………まったく、向こうは非常に緊張感漂う状態だというのに」  責めるような視線で見つめる周瑜に孫策は舌をチロと出して誤魔化す。  まさか、自分の思ったことと同じ事を彼女が言うとは孫策も予想できなかったのだ。 「む、どうやら徐々にだが動き始めたようだな」 「あら、ホント。一体、どうでるのかしらね」  周瑜の言葉にならって森林を見ると、ほんの僅かだが変化が見られる。恐らくは、何かしらの小隊が動き始めているのだろう。 「さて、お手並み拝見といこうか」周瑜が眼鏡を指で上げながらそう呟いた。 「そうね、どれだけ成長できたのかしかと見届けさせてもらおうかしらね」  そう言って孫策もまたじっと戦場となるであろう箇所に視線を向ける。 「…………ところで、一体どうするか冥琳はわかる?」 「あ、あのなぁ……私を誰だと思っているのだ」  なんとなく、投げかけた質問に周瑜が僅かにガクリと身体を傾けた。    †  城の敷地内へと間者を向かわせたところで、孫権は全体に出撃の準備を促した。  そして、各々その用意に徹し始めたところで孫権は一人、厳白虎のいる城の方を見つめる。 「…………私にできるの?」  高鳴る胸の鼓動を押さえつけるように、その豊満な胸をぐっと手で押し込む。だが、効果はない。  孫権は、姉の孫策に「いずれは、孫呉を貴女に引っ張ってもらうことになるかもしれないんだから、今から色んな事になれておきなさい」と言われて、徐々にだがやるべき事、新たに経験することが増えてきていた。  孫権にとって、姉は非常に誇らしい存在だった。ただ、普段の生活だけは誇れないが……。 「姉様……」  孫策の顔を思い出す、日常生活の中、酒を呑んだ時に見せる緩みきっただらしのない顔ではなく、戦場で触れれば怪我をしてしまいそうな程、鋭い表情をである。  正直なところ、自分がその姉のように振る舞えるか……考えてみたことがあった。だが、微塵も自信は出てこなかった。 (姉様はとても立派な王に違いない……その後を私が引き継ぐことなど……本当にあるの?)  実際には、孫策はまだ王ではない。だが、その質は既にかつての孫呉の王であり、孫策、孫権、そして末の妹の母である孫堅――字を文台という――に劣らぬ程のものとなっていると孫権は信じている。  そう、孫権の母、文台の代より孫家に仕えている宿将、黄蓋――字は公覆――も孫策のことについては太鼓判を押している。彼女曰く「策殿は、いまや堅殿と見間違わんばかりの風格を得てきている」とのことだ。 「祭も認める孫伯符……それと比べたら私などまだまだ」  孫権はそう呟いて深く息を吐き出す。 (いけない。今は目の前にある事象をしっかりと見なければ)  自らの内部へと思考が潜り込んで行きかけたのを孫権はなんとか踏みとどまらせる。そして、厳白虎の軍とぶつかる際の留意点を改めて心の中で反復していく。 (必要以上の兵を差し向けない……逃げてくる者たちが上手くやる故、早めの救援はしない……)  そうして、一つ一つ確認していくうちに孫権の思いは未来へと向かっていく。 (我が母国、孫呉……もうすぐ、きっともうすぐ私たちの手に取り戻せるはず)  そう、孫策は現在、袁術の元で客将を務めている。だが、それはあくまで仮初めでしかない。孫策本人、そして、その臣下……もちろん孫権もそうだが、皆、孫呉の復興を心に誓っているのだ。  いまはまだ見えてこないが、まるで夜空に浮かぶ月が雲に遮られて見えないものの、その明かりによって存在する位置だけは知ることができるように、孫権にはその日がそう遠くないことが何となくわかってしまうのだ。 (孫呉を取り戻したら……そう、まずは民たちの生活をしっかりと支えて……)  自分ならば、どう国を立て直すかまで孫権の思考は突き進んでいた。  だが、国について考えたとき、ふと何かが引っかかった。 (なにかしら……なにか、とても重要なことがあったような……)  まるで、一度自分が国を治め、そこで国の内側を重視したことがあるかのような既視感を孫権は覚えた。そして、その時に国の内政だけでなく、他にも大切なことがあったような気がするのだ。 「……気のせい、かしら?」  その正体がわからず孫権は首を傾げる。と、その時、見張りの兵が駆け寄ってくる。 「城門より、我が軍の間者及び、城内にいた民衆が出てきました……陣形は方陣、中央に民を集め、護るようにして動いています!」 「わかった。私たちも動くぞ!」  もやもやとした想いは残るが、今はそれどころではない。孫権は、すぐに指導者として適切な指示を出すことに専念していく。 (私は、多くの兵を護らなければならないんだ……余計な私事に囚われてはダメだ!)  内心でそう自分を叱咤すると、孫権もすぐに動き出した。  †     甘寧はただ黙って大地の窪みに身体を伏せて、遺棄を潜ませていた。  そうしてしばらく待っていると、彼方より複数の足音とそれを追いかける足音と馬蹄の音が甘寧の耳へと届いてくる。 「来たようだな……合図はそろそろか?」  後方に待機している、呂蒙が銅鑼を鳴らして動くべき機を知らせてくれる予定となっていた。甘寧はそれをただじっと待つ。  そして、彼女の元にいる隊の面々も伏せたままじっとしている。そして、徐々に複数の足音や馬蹄の音が近づいてきて、明らかに彼らが近くまで迫っているのを聴覚のみで察することが出来る。  と、丁度その時、後方より多き銅鑼の音が鳴り響く。回数も軍議をしていたときに、呂蒙から伝えられていたものと同じである。  それを確認すると、甘寧は部下たちへと声を掛ける。 「よし、いまだ……行くぞ!」 「応!」複数の声が重なり合う。  そして、甘寧たちは一気に窪みの外へ出た。目の前を丁度厳白虎軍の部隊が横切ろうとしている。 「横撃をかける。遅れるな!」  それだけ告げると、甘寧は一気に駆け出していく。敵軍の兵も、甘寧隊に気付いて対応しようと試みるが、注意が前方にばかり向いていた状態だったために、それは成功しない。 「はぁっ!」  すぐに、甘寧は近くの兵を切り捨てる。一瞬のうちに、その兵は大地に平伏した。  そんなことには目もくれず甘寧は進んでいく。その後に倒れ込む兵たちを残して。 「…………せぁっ! 皆、ついてきているな」  背後で、かけ声一閃といった様子で敵兵を倒していく部下の声や物音を聞いて、そう判断すると甘寧はさらに周囲の兵を叩き斬っていく。 「ひ、ひぃぃいい! か、頭に伝えねぇと!」  一人の兵が、慌てて城の方へと駆けていく。それを味方の兵が追いかけようとするが、甘寧はそれを手で制する。 「待て、追う必要はない」 「ですが……」 「これも、軍師の考えた策のうちだ」  そう言って、甘寧は敵兵と味方の兵が入り乱れる戦場へと駆け出していく。  と、複数の兵が入り乱れる中、甘寧は聞き覚えのある声を耳にする。 「せやぁ!」 「む……明命か!」 「えいっ! あ、思春殿!」  特徴的な形状の武器……長刀"魂切"で敵を斬りつけながら振り向いたその艶のある黒一色の長髪の少女は間違いなく、間者たちと共に城へ入り、民衆を扇動してきた周泰――字は幼平、真名を明命という――その人だった。 「しかと、役目を果たしてきたようだな……せぃ!」  甘寧はあくまで視線や注意は敵に向けたまま周泰にそう語りかける。 「それはもちろん……はっ!」周泰も誰かを斬りながらそう答える。  そして、一瞬出来た余裕を使ってチラリと周泰を見る。先程から気になっているものがあった。 「ところで……その背に負ぶっているものはなんだ?」 「え、べ、別になんでもないです……よっ!」  一瞬、動揺が見せたようで、敵にそこを突かれかけたようだが、周泰はなんとかやり過ごしたようだ。 「ほっ! 先程から、モゾモゾと動いているようだが?」 「そ、そんなことあるわけないじゃないですか……えぇい!」  そう叫びながら周泰が敵兵を斬ったとき、明らかに敵兵の悲鳴でもなく、周泰の声でもない……別の生き物の声が聞こえた。そう「にゃ~」という"鳴き声"が……。 「お前、まさか……」 「し、仕方がなかったんですよぉ!」  すっかり数の減った敵兵を味方が囲んでいくのを見ながら甘寧は周泰とそんな言葉を交わす。 「……またなのだな?」 「だって、だってですね……お猫様が離れてくれなくてこうするしかなかったのです」  周泰が情けない声でそう言うと、背中の猫がまるで彼女の言葉を肯定するように「なぁ~」と鳴いた。 「お前というやつは……」  そう言って、甘寧はため息を吐く。 (離れなかったのは、お前"も"だろ……)  実は、この周泰……部類の猫好きなのである。周泰は間者としての能力は非常に優秀で、それについては甘寧も評価している。だが、唯一といっていい弱点が猫好きなために、忍び込んだ先で猫に会うと一気に集中力が失われがちになるということである。  もっとも、そんな状態になっても仕事はきっちりとこなすため叱る者はいなかったりする。ただ、注意だけは周囲の者たちで行ってはいる。 「な~、なぁ~」背中の風呂敷から鳴き声と共に猫が顔を出した。 「うふふ……お猫様ぁ~」  顔だけ出ている猫の顎を周泰が指でチョイチョイといじくる。その表情は恍惚としている。 「まったく……猫と戯れるのは後にしろ。敵の後続が来るぞ」 「はっ!? さすがはお猫様……心を奪われてしまいます」  我に返った周泰が誘惑に負けないようにと首を左右に振る。  その様子に呆れながら、甘寧は遠くから響き渡る蹄の音と怒声を聞いていた……。  †    呂蒙は、後方から様子を見ながら自分の立てた予測と実際の動きを合わせて考える。 「やはり、敵は増援を送ってきましたか……」  甘寧、周泰の二名がいる以上、初めの部隊をほぼ壊滅状態にするのは可能だとは既にほぼ確実な事として呂蒙の中にあった。 「先程の、追撃部隊がおおよそ、千人程度。今度は、二千……次はこちらからも送るべきですね」  迫り来る新たな敵軍との距離を、目測でおおよそどの程度か計り、呂蒙は、次なる指示を隊の兵たちに出す。 「では、まず先遣隊の皆さんから言ってください。銅鑼の担当は後々出す合図の事があるのでこの場で私と共に待機してください」 「は!」  勢いよく返事をすると兵たちが先へと進み出る。歩兵一千が三層の隊列を組んで駆けていく。兵数で言えば、敵兵の二分の一である。しかし、敵にとっては今回の攻撃は半ば奇襲のようなものであり、士気の面で言えば、明らかに孫策軍の方が有利なのは確かだった。  そして、甘寧隊、周泰隊と敵の援軍がぶつかり合う。数にものを言わせて無理矢理押し込もうとしているのが距離を取った位置にいる呂蒙にも分かる。 「甘寧隊が五百……先程の戦いでも殆ど損失はなし……周泰隊は元々、民の護衛が任務であり、戦闘はあくまで最小限だったから……こちらも被害は少ないですね。となると、兵数は……二百」  呂蒙は、一人で確認を取るように呟きながら、ざっとの計算を頭の中で立てていく。  つまり、敵の増援二千と始めにぶつかったのは計七百前後、だが、普段の調練の成果もあり、甘寧、周泰の指示に従って陣形を上手く整えて応戦している。 (よし、丁度いい頃合いに合流したようですね……)  呂蒙が差し向けた隊が敵を取り囲むように布陣して一気に襲いかかる。押し潰される鰻のように敵の部隊が一箇所からぬるりと押し出される。 「よし、銅鑼を――」  指で回数を指し示しながら呂蒙はそう告げる。  そに合わせて銅鑼が鳴り響く……。その号令に従って、敵軍を追い込んだ一箇所に素早く回り込んだ甘寧、周泰の両隊が襲いかかる。  逃げ場を二つの隊に阻まれ混乱するも、後方は既に一千の歩兵に囲まれてどうにもならなくなっている。  徐々に、敵軍の全長が縮んでいく。そうして、完全に自軍によって包囲が完了したところで、敵軍から白旗があがる。  それを確認すると、呂蒙はすぐさま捕縛の合図を出す。そして、敵兵たちは捕らえられていった。 (これで、敵の損耗はおおよそ三千……元々が一万。そして、間者を通して民衆から仕入れた情報によれば外に出ているのが二千五百……そうなると、城の残りは四千五百あたりとなりますね)  それをすぐに導き出すと、呂蒙は城の方角を見る。今はまだ遠いからか小規模にしか見えない砂煙が立ちこめている。 (おそらくは、追撃部隊に次いで援軍に出した隊も消息を絶った……そうなれば、自然とさらなる増援を出さざるを得ない……少なくとも厳白虎はそのはず)  そして、その呂蒙の読みは当たり、砂埃の小隊は残りの四千五百をさらに刻んだのだと思われる二千の歩兵と五百の騎兵だった。 「うん、よし。ここで追い込みをかけるべきですね……では、銅鑼を!」  そう言って、手で合図する。すると、銅鑼が再び辺りへと響き渡る。今回のは、後退の合図、甘寧、周泰には敵を引きつけながら下がらせることにしてある。  そして、その通りに彼女たちが動き始めた。それに釣られるように敵軍の兵も全身を続けている。もっとも、兵の練度が違うために敵の歩兵では甘寧、周泰の部隊には追いつけていない。また、民衆も戦闘が行われている間に、そっと陣を敷いていた森の方へと逃走させてた。  そこには、未だ孫権の部隊が待機している。だからこそ、そちらへと民衆を行かせたのだ。  その孫権の部隊がいるであろう方向を呂蒙はちらりと見やる。そして、自分がいる隊の近くまで甘寧、周泰らの隊が敵を引き連れたまま後退してきたところで、銅鑼の合図をだす。  再び、指定した回数の銅鑼が鳴る。その瞬間、森から一気に鳥たちが飛び立っていく。  それに続くように二千の騎馬隊が姿を現し、大分兵数の減った城へ向かって一斉に駆け出した。それは、孫策軍の中にある騎兵を最大限まで集めたものだ。  敵もそれに気付いて慌て始めるが、既に後の祭り。距離を十分に離された状態では、もう、孫策軍の騎馬隊には追いつかないだろう。  それに、追いかけさせないために惹きつけた上に足止めをしているのだ。 「後は、向こうがどう出るか……そにれ合う策を展開していけば」  城へ向かう騎馬隊を見送りながら呂蒙はそう呟いた。  †    孫権は、風を感じていた。それはきっと孫策がいつも感じる風……そう、戦場の風。  今、孫権は騎馬隊を率いて厳白虎のいる城へ向けて驢を走らせていた。 「もうすぐ、城だ! 兵数は互角だが、我らの力の方が遙かに上であることをその手で示せ!」 「うぉぉぉおおお!」  孫権の言葉に、兵たちも気合いのこもった声を上げていく。 「随分と様になっていますよぉ~蓮華さま」 「ありがとう、穏。でも、まだまだだわ。雪蓮姉様と比べればたいしたことなど無い」  そう言って、自分を追い込む孫権。それはいつものこと。孫権は自分が孫家の人間であることを誇りに思うのと同時に、責任を背負っているという自覚もしっかりと持っている。  孫家の人間である以上、それにふさわしい態度を取らねばならない……そして、風格を備わらせなければならない……そう孫権は考えている。 「あんまり気を張りすぎては、ダメですよぉ~」間延びした声で陸遜がそう釘を刺す。 「…………気を張りすぎず、ね」  その言葉が孫権の心の何処かに引っかかる。それは、先程抱いた違和感とどこか似ている。  だが、すぐに孫権はそのことを奥へと仕舞い込む。今は、何よりもこの戦いを終わりまでしっかりと導かなければならないのだ。 「いえ、それについては後にしよう。それよりも今は城を落とすことに専念しましょう」 「そうですねぇ、折角亞莎ちゃんがつくってくれた好機ですからねぇ」  そんなことを話している間にも城との距離は縮まっていく。城門がその姿をハッキリと見せ始めている。目を懲らして見れば、城門前には門番がおり、未だ孫策軍と交戦状態に入ったことには気付いていないように見える。 「やはり、先程出したのは……搾取対象を取り逃がさないためだったのか。そうまでして、自らの労を減らし、贅沢をして民を苦しめたいのか……下衆め」  そう吐き捨てるように言うと、孫権は手綱を握る手に力を込める。  仮にも土地を治めんとしている者が、その地に済む民を苦しめることなど孫権には許し難い行為だった。  だが、それでもその怒りのみで動くような真似はしない。手綱を強く握り、それを押さえ込んでいるのだ。 「……冷静にいかなきゃ」 「ふふ、そうです。指揮を執る人間が冷静さを失ってはダメですからね」  孫権の呟きに陸遜がにこりと微笑みながら肯いてくれたことが彼女には少し嬉しかった。 「それじゃあ、もう一つ、お声を」陸遜が周りの兵たちを一瞥してそう言う。  それに頷くと、孫権は今一度声を張り上げる。 「奴らは、未だ油断している状態だ! 我らの大事な歩を更に一つ勧めることが出来るかは諸君の勇気に掛かっている。敵を恐れず、孫呉の魂を見せつけてやるのだ!」  孫権がそう言うと、一際大きな声で返事が起こる。そして、その声にようやく城の門番が気付き、慌て出す。  だが、それはもう手遅れなのだ。門番が門の中へと入り、閉じようとするまでの間に騎馬隊と共に中へと入りこんだ。そして、騒ぎに集まった兵たちを次々と斬り伏せていく。 「この中にいるのは、もう厳白虎の兵のみだ! だが、逃げ遅れた民がいる可能性もある、くれぐれも慎重な行動を心がけよ!」  そう言うと、孫権は街の中に視線を巡らせる。どうやら、逃げ遅れはいないようだ。 「えぇ~い! あ、あらら……?」背後で、間の抜けた声が上がる。  そちらを見れば、陸遜が自分の武器を身体……いや、孫権以上の強大さを誇る胸部にあるもう一つの凶器に絡ませてしまっている。 「な、何をしているの?」 「ふぇぇ~、ぶ、武器がぁ……」  オロオロとして必死に武器を身体から外そうともがく陸遜。その肉体的狂気が敵兵の目を釘付けにしている。 「はっ、い、いまだ! 隙アリ!」  呆然としてた孫権はすぐに我に返って油断しきっている敵を倒していく。  そんなこんなで、敵兵を次々と戦闘不能にしていった頃、先へと進んだ一隊の兵が孫権の元へとやってきた。 「げ、厳白虎を取り逃しました!」 「何だと!」 「ど、どうやら、南下して王郎の元へと向かっているようです」 「そう……仕方がない、ここを治めるだけに留めておくぞ」  そう言うと、孫権は、全ての兵を見渡せる位置へと向かい、声を発する。 「皆の者、聞けぇ! この地を治めていた賊の王、厳白虎は城を捨て、逃げ落ちた。我らが孫呉に立ち向かってきた兵たちよ! これ以上の無駄な血を流す必要もないであろう。即座に降伏せよ!」  そう高らかに孫権が告げると、厳白虎の元にいた兵たちが武器をすて、その場に跪いた。  こうして、厳白虎との戦いは終わった。    †    しばらく、顔何で繰り広げられる戦いを孫策と周瑜はじっと見つめていた。  そして、孫権、陸遜らが城内へと突入してからしばらくの間、孫策は城門だけをずっと見ていた。  それから、少し立った辺りで、城に孫の旗が掲げられた。それを見て、孫策は密かに胸をなで下ろした。隣にいた周瑜も、旗を見た呂蒙の策に掛かった厳白虎の兵たちの動きが止まったのを見て安堵の笑みを一瞬だけ浮かべたのを孫策は見た。 「さ、もういいわよね。行きましょ」 「そうだな。亞莎もさぞかし疲れただろうから労ってやらんとな」  互いにそう言って頷きあうと、驢を走らせて、城へと向かった。  城内へと入ると、すっかり元厳白虎の兵たちは気落ちした様子で縄に囚われていた。 「結構な数を捉えたようね……」 「あぁ、ざっと数百人はいるな」  それを見ながら、孫策はこのうちのどれだけが自分の兵力として使えるのか、また、自分に仕えるのかを考えていた。  と、暫く進んでいくと、 本殿の傍に孫権がいた。 「蓮華、お疲れ様」 「姉様……随分と速かったですね」  驚いた様子で、孫権が孫策の方へと駆け寄ってくる。 「まぁ、ずっと見てたからね」可笑しそうに孫策はそう答える。 「え? そうだったのだすか?」  目を真開いたまま、自分を見つめる孫権に孫策は微笑みかける。 「ようやく、戦場にも慣れてきたのかしら?」 「そうですね……少なくとも以前よりはマシになっていますね」  つまりは、まだ自分では何かが不足していると思っているのだろう。そう孫策は察した。 「ところで、一緒に入った陸遜は?」今まで姉妹のやり取りを黙って見守っていた周瑜が質問をする。 「それなら、捉えた兵たちに関することでやることがあると」 「そう……それならば、いい」  そう、周瑜が答えるとのほぼ同時に、外にいた呂蒙、周泰、甘寧らがやってくる。 「蓮華様! ご無事でしたか!」  甘寧が真っ先に孫権の元へと飛びつく。 「え、えぇ……特に怪我もなかったから。安心して」 「――それならば良いのですが」  そう言うと、甘寧をいつものように孫権の傍らへと下がっていった。  そして、それを見計らうように呂蒙が口を開いた。 「あ、あの……どうでしたでしょうか?」そう言って、呂蒙が周瑜を見る。 「そうね……今回は割と良い判断をしたと思うぞ」 「ほ、ホントですか?」 「あぁ。だが、まだこの程度でうかれるな。孫呉の軍師たる者としてやっていくならば、これくらいは出来て当たり前と思っておくことだ」 「そう……ですよね」  周瑜の厳しめの発言に呂蒙はがっくりと肩を落とした。それを見て、孫策はついつい口を突いて先程の事が出てしまう。 「そう、落ち込まないの。何だかんだ言ってるけど、冥琳はずっと貴女のことを心ぱ――モゴモゴ」 「し、雪蓮……ほら、君主としてやるべきことがあるぞ。亞莎、穏にもしっかり話を聞いておくのよ。今回の良かった点についても、反省点についても教えてくれるはずよ」  周瑜はそう言って孫策の口を押さえたまま引きずっていく。彼女の口調などが普段の柔らかいものになっていることが孫策には可笑しかった。 (結局、そうなのよね……貴女は)  色々、手厳しいことを言いながらもほんの少し甘いところを見せる……それが周瑜なのだ。そして、そんな彼女が孫策は愛おしいのだ。    †    それから、すぐにこの城は孫策軍が管理することとなった。  また、城だけでなく厳白虎の支配下にあった呉郡も、今回のことによって表向きは袁術の……だが、真相は孫策軍の統治下におかれることとなるだろう。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 整形版はここからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N34」  孫策はその日、朝早くから戦場へ向けて驢を駆けさせていた。朝方の独特の空気を吸い込み 意識をハッキリとさせながら孫策は、隣を走る周瑜に尋ねる。 「それにしても、随分と早くから動くのね」 「当たり前だ、今日は我らがまた一歩先へと進むための戦いなんだからな」  特に孫策の方に顔を向けることもなく周瑜がそう答える。それに対して「ふぅん」とだけ呟 いて頷く孫策に周瑜がくすりと笑みを零しながら言葉を付け加えた。 「……実はな、今回の戦に関しては亞莎……おほん、呂蒙に一任しているのだ。まぁ、補佐と して穏をつけてはあるがな」 「えっと……亞莎ね。確か、少し前から冥琳たちの元で軍学を習得しようとしてる……あの娘 でしょ?」  そう言って、孫策は後ろ髪をお団子にしており、片側のみにレンズのある眼鏡を鼻のみに引 っかけるようにしている少女を思い出す。  少女は、呂蒙……字を子明といい、真名を亞莎という。呂蒙は元々は武力に長けた人材であ り、武官として仕官していた。だが、その軍備に関する才能を、孫策の妹――二人いるが、上 の妹のほう――によって見いだされ、現在、周瑜や陸遜らとともに必死に軍師としての修行を 積んでいる。  そして、その呂蒙が軍師という今までとは異なる立場で感じる戦場の空気を知ろうとしてい るということまで孫策は察し、周瑜の返答を待った。すると、周瑜はすぐに肯いてみせた。 「そうだ。今回はあの娘が軍師として初めて指示を出す戦いというわけなのだ」 「ふぅん、それで朝っぱらからねぇ」 「ふふ……その理由というのがまた彼女の生真面目な性格をよく表しているものなのよ」  少しだけ気が和らいだのか、周瑜が公私のうちの私の面で見せる柔らかい口調を僅かながら も覗かせる。  孫策は特にそこは気にならなかったため、指摘することもなく流して詳細を聞こうと質問を 口にする。 「それって、どういうこと?」 「朝方は兵の気力が高いからな……」  そう言って、周瑜はただ頷くだけだった。孫策がその言葉のみで意味をわかるとみたのだろ う。  まぁ、現に孫策は彼女が何を言わんとしているか察することはできていた。 「ふぅん。つまりは、そういう基礎に従ってるって事なのね」  孫策のその言葉に周瑜が微笑を称えたまま頷いた。それを見て孫策もまた微笑む。いくら戦 場に出た経験があっても軍師としては初めて。だからなのか、どこか初々しさを感じるのだ。 「なんだか、可愛いわね」思わず孫策はそう言った。 「雪蓮はそれでいいかもしれんが、私は一応……いや、なんでもない」  何かを言おうとしてすぐに口をつぐんだ周瑜を見て、孫策は先程から周瑜の乗る馬の速度が 速まっている理由を察した。 (なるほど……あの娘に関しては保護者的な想いも割と大きいのね)  ずっと正面を見据えている周瑜の横顔を見ながら孫策も彼女に会わせて馬の脚を速める。呂 蒙を心配して、はやる気持ちを抑えているつもりになっている親友の心情を察して……。  向かうは呉郡に居座る"東呉の徳王"と自称する厳白虎が我が物顔で使用している城。  既に、孫策の妹である孫権――字を仲謀、真名を蓮華という――の率いる隊を中心とした孫 策軍の隊のいくつかが城へと向かっているのだ。 「だけど、やっぱり心配ね……」  呂蒙を心配する周瑜と同じように孫策もまた心配の種があった。 「お互い、まだまだ後進の育成は終わらないと言うことか」  そう言って周瑜が僅かに口元をほころばせる。そう、実は孫策の妹である孫権もまた実践に 関してはそう多く経験しておらず、未だ頼りなさが抜け切れていないのだ。 「そうね……あの娘にはいつか私の後を継いで貰いたいものだわ」 「ふ、雪蓮はただ単に仕事が面倒臭いだけなのだろ?」 「…………さぁね」  図星を指されたものの、孫策は取りあえず惚けておく。 「まったく、貴女という人は……立派なのか、そうでないのかわからないものだな」 「なによぉ~。私だって頑張ってるじゃない」  ため息混じりに呆れたかのような表情を浮かべる周瑜に、孫策は唇を尖らせて文句を言う。 「もちろん、わかっているさ。雪蓮がどれだけ強い想いを持っているかは……」 「そ、ならいいんだけどね」  急に真剣な眼差しで射貫かれて孫策も普通に返してしまった。と、その時、孫策は最近気に なっていたことを聞いてみようと、急に思い立った。 「ねぇ、冥琳」 「なんだ?」 「……あなた最近変じゃない?」  そう訊ねるが、周瑜は特に大した反応も見せない。それどころか、普段通りに口を開く。 「少々寝不足なだけよ。気にする必要は無いわ……雪蓮」 「でも……」  『何かが変な気がする』と続けようとする孫策の言葉を遮り、周瑜が盛大なため息を吐いた。 「はぁ……ちょっと夢見がよくないだけよ。だから心配などする必要はないぞ」 「そう……。まぁ、そうだって言うのなら、いいんだけどね」  僅かにこめかみの辺りを抑えて、指圧を加える周瑜の姿を見て、孫策は一先ず下がる。 (きっと、これ以上追求しても何も得られないだろうしね)  内心でそう言いながら項垂れる自分の姿が脳裏に浮かび、孫策はため息を漏らした。  †  厳白虎の率いる賊軍が本拠としている城より二里ほど離れた位置にて、孫策軍の反数ほどで 編成された部隊は陣を敷いていた。  幸いにも、ちょうどそこは木々が生い茂る森林で、部隊を隠すには丁度良い立地だった。  その森の中、孫策軍のとある部隊の幕舎、そこには、隊の中心である少女が、臣下らと話を していた。それは、いま目の前にある に対する攻城戦の仕掛け方に関してである  部隊を率いる立場にある少女……彼女の小麦色の美しい肌、桃色がかり、スッと真っ直ぐに 伸びた長い髪、南にある土地出身であるが故の露出度の高い服……それらは、彼女が君主であ る孫伯符の親族であることを表していた。  もっとも、姉と違い彼女には菱形の特徴的な印など額に存在していないが……とはいっても、 それもそのはずであり、あの印は呉王の証であって、決して親族皆がつけるものというわけで はないのだ。  そう……この少女の名は孫権。字を仲謀、真名を蓮華という。 「それで、どう攻めるというのかしら?」  そう言って、孫権は妙に身体を強張らせている片眼鏡の少女……呂蒙に語りかける。 「…………」 「……亞莎。蓮華様が聞いておられるのだぞ」  どこともわからない空間を見つめながら沈黙を続けている呂蒙に、彼女以上に切れ長で鋭い 目つきをした褌をしめているのが特徴的な甘寧が、彼女の別の特徴でもある強い口調で問いか ける。 「思春、あまり強くいわないであげて」 「は。ですが……」 「軍師としては今日が初戦なのよ?」 「少々、配慮がたりませんでした」  そう言って甘寧が引き下がる。この甘寧――字は興覇、真名を思春という――は、孫権に対 して、大いなる忠誠を誓っており、何よりも孫権を優先していた。  孫権自身、それは嬉しくもあるのだが、時折、その忠誠心の持て余すことがある。  そのことに関しては、またどうすべきか考えようかなどと適当に結論を出し、孫権は今一度、 呂蒙に優しく声を掛ける。 「それで、どうなのかしら亞莎?」 「亞莎ちゃん」  ずっと呂蒙の背後でにこにこと笑みを浮かべて様子を見守っていた陸遜が声をかける。 「あ!? は、はい!」  急に驚いたように一歩下がると、呂蒙はやたらと長い裾で顔の下半分を隠してしまった。ち なみに、一説にはその袖の下には彼女の武器である人解という暗器があるとかないとか。 「落ち着いて。緊張するのはわかるけど、貴女が緊張してしまったら、誰も手を打つことは出 来ないの」 「……は、はい。すみません」項垂れながら呂蒙がそう言う。 「それはいいから、速く話を聞かせてちょうだい」そう言って、孫権は瞳を閉じる。  そうすることで、呂蒙の話に集中しようというのだ。 「は。では……え、えぇと、まずですね、相手を上手くおびき出したいと思っています」 「…………それで」敢えて孫権は口を挟まず話を聞き続ける。 「我が軍の最も重要としている目的は、袁術に悟られるよりも速く、揚州の多く、そして、そ の他の未だ一軍勢として成り立たぬ地域にある小勢力を飲み込み力を付けていくことです」 「…………ふむ、それは確かにそうだな」徐々に孫権も調子を普段のものから変えていく。 「そうなりますと、やはり、攻城戦などで時間を必要以上に費やすわけにはいきません」 「それが、貴女の考えなのね。亞莎?」 「まぁ、大体はそうです」 「一つ、聞いても良いかしら?」 「も、もちろんです」 「なら、聞かせて貰うわ。如何にして敵を吊り上げるつもりなのかしら?」 「は。それは、至って単純。厳白虎と言えば、一応土地を有してはおりますが、その内政は決 して褒められたものではありません」 「…………」内政という言葉に孫権は閉じていた瞼をぴくりと動かす。 「民の中で厳白虎に従う者はごく僅か、既にこちらと連絡を取り、内応の手筈を整えています」  そこまで説明して、呂蒙はようやく袖を降ろす。 「そして、すでに忍び込ませた間者と共に民衆が一斉に城から出てきます。厳白虎の軍は半ば 無理に民から金銀や宝、作物などを異常とも言える量を搾取することで成り立っています。で すので、民衆が逃亡すれば間違いなく、捉えるために軍を動かします」 「だが、それでも一部しか動かないのではないのか?」  甘寧がそう切り返す。孫権も同意を示すように首を縦に振る。 「そうですね……ですが、その一部になんらかの不備が生じたら話は別です」 「…………そうか!」孫権はカッと眼を真開き、そう言ってみせる。 「おわかりいただけたようですね」 「確かに、それなら芋づる式に奴らを引きずり出せるわね」  そう言うと、孫権は早速それぞれどう動くかを検討し始めるために、それを軍議の議題をそ れに移行させた。  †  孫策と周瑜は、孫権たちのいる森よりさらに二、三里程離れた位置に驢を停めて様子を見て いた。 「へぇ、随分と静かにしてるようね」  森から鳥が一羽たりとも羽ばたかないのを見て、孫策はそう漏らす。 「そうね……まぁ、騒がしくせずに機を窺うのもまた基本だからな」 「また基本かぁ……」孫策はそう口にする。  特に感心する様子も見せない周瑜に孫策は内心、苦笑する。 (これくらいは出来て当たり前って感じね……) 「これくらいは出来て当たり前だ……私が直々に鍛えているのだからな」 「ぷっ!」 「ちょっと! 何をしているの、雪蓮!」  思わず吹き出した孫策に周瑜が半眼で睨み付けてくる。 「ご、ゴメンゴメン……なんでもないわ。そう、ちょっとした思い出し笑いよ」 「…………まったく、向こうは非常に緊張感漂う状態だというのに」  責めるような視線で見つめる周瑜に孫策は舌をチロと出して誤魔化す。  まさか、自分の思ったことと同じ事を彼女が言うとは孫策も予想できなかったのだ。 「む、どうやら徐々にだが動き始めたようだな」 「あら、ホント。一体、どうでるのかしらね」  周瑜の言葉にならって森林を見ると、ほんの僅かだが変化が見られる。恐らくは、何かしら の小隊が動き始めているのだろう。 「さて、お手並み拝見といこうか」周瑜が眼鏡を指で上げながらそう呟いた。 「そうね、どれだけ成長できたのかしかと見届けさせてもらおうかしらね」  そう言って孫策もまたじっと戦場となるであろう箇所に視線を向ける。 「…………ところで、一体どうするか冥琳はわかる?」 「あ、あのなぁ……私を誰だと思っているのだ」  なんとなく、投げかけた質問に周瑜が僅かにガクリと身体を傾けた。    †  城の敷地内へと間者を向かわせたところで、孫権は全体に出撃の準備を促した。  そして、各々その用意に徹し始めたところで孫権は一人、厳白虎のいる城の方を見つめる。 「…………私にできるの?」  高鳴る胸の鼓動を押さえつけるように、その豊満な胸をぐっと手で押し込む。だが、効果は ない。  孫権は、姉の孫策に「いずれは、孫呉を貴女に引っ張ってもらうことになるかもしれないん だから、今から色んな事になれておきなさい」と言われて、徐々にだがやるべき事、新たに経 験することが増えてきていた。  孫権にとって、姉は非常に誇らしい存在だった。ただ、普段の生活だけは誇れないが……。 「姉様……」  孫策の顔を思い出す、日常生活の中、酒を呑んだ時に見せる緩みきっただらしのない顔では なく、戦場で触れれば怪我をしてしまいそうな程、鋭い表情をである。  正直なところ、自分がその姉のように振る舞えるか……考えてみたことがあった。だが、微 塵も自信は出てこなかった。 (姉様はとても立派な王に違いない……その後を私が引き継ぐことなど……本当にあるの?)  実際には、孫策はまだ王ではない。だが、その質は既にかつての孫呉の王であり、孫策、孫 権、そして末の妹の母である孫堅――字を文台という――に劣らぬ程のものとなっていると孫 権は信じている。  そう、孫権の母、文台の代より孫家に仕えている宿将、黄蓋――字は公覆――も孫策のこと については太鼓判を押している。彼女曰く「策殿は、いまや堅殿と見間違わんばかりの風格を 得てきている」とのことだ。 「祭も認める孫伯符……それと比べたら私などまだまだ」  孫権はそう呟いて深く息を吐き出す。 (いけない。今は目の前にある事象をしっかりと見なければ)  自らの内部へと思考が潜り込んで行きかけたのを孫権はなんとか踏みとどまらせる。そして、 厳白虎の軍とぶつかる際の留意点を改めて心の中で反復していく。 (必要以上の兵を差し向けない……逃げてくる者たちが上手くやる故、早めの救援はしない… …)  そうして、一つ一つ確認していくうちに孫権の思いは未来へと向かっていく。 (我が母国、孫呉……もうすぐ、きっともうすぐ私たちの手に取り戻せるはず)  そう、孫策は現在、袁術の元で客将を務めている。だが、それはあくまで仮初めでしかない。 孫策本人、そして、その臣下……もちろん孫権もそうだが、皆、孫呉の復興を心に誓っている のだ。  いまはまだ見えてこないが、まるで夜空に浮かぶ月が雲に遮られて見えないものの、その明 かりによって存在する位置だけは知ることができるように、孫権にはその日がそう遠くないこ とが何となくわかってしまうのだ。 (孫呉を取り戻したら……そう、まずは民たちの生活をしっかりと支えて……)  自分ならば、どう国を立て直すかまで孫権の思考は突き進んでいた。  だが、国について考えたとき、ふと何かが引っかかった。 (なにかしら……なにか、とても重要なことがあったような……)  まるで、一度自分が国を治め、そこで国の内側を重視したことがあるかのような既視感を孫 権は覚えた。そして、その時に国の内政だけでなく、他にも大切なことがあったような気がす るのだ。 「……気のせい、かしら?」  その正体がわからず孫権は首を傾げる。と、その時、見張りの兵が駆け寄ってくる。 「城門より、我が軍の間者及び、城内にいた民衆が出てきました……陣形は方陣、中央に民を 集め、護るようにして動いています!」 「わかった。私たちも動くぞ!」  もやもやとした想いは残るが、今はそれどころではない。孫権は、すぐに指導者として適切 な指示を出すことに専念していく。 (私は、多くの兵を護らなければならないんだ……余計な私事に囚われてはダメだ!)  内心でそう自分を叱咤すると、孫権もすぐに動き出した。  †     甘寧はただ黙って大地の窪みに身体を伏せて、遺棄を潜ませていた。  そうしてしばらく待っていると、彼方より複数の足音とそれを追いかける足音と馬蹄の音が 甘寧の耳へと届いてくる。 「来たようだな……合図はそろそろか?」  後方に待機している、呂蒙が銅鑼を鳴らして動くべき機を知らせてくれる予定となっていた。 甘寧はそれをただじっと待つ。  そして、彼女の元にいる隊の面々も伏せたままじっとしている。そして、徐々に複数の足音 や馬蹄の音が近づいてきて、明らかに彼らが近くまで迫っているのを聴覚のみで察することが 出来る。  と、丁度その時、後方より多き銅鑼の音が鳴り響く。回数も軍議をしていたときに、呂蒙か ら伝えられていたものと同じである。  それを確認すると、甘寧は部下たちへと声を掛ける。 「よし、いまだ……行くぞ!」 「応!」複数の声が重なり合う。  そして、甘寧たちは一気に窪みの外へ出た。目の前を丁度厳白虎軍の部隊が横切ろうとして いる。 「横撃をかける。遅れるな!」  それだけ告げると、甘寧は一気に駆け出していく。敵軍の兵も、甘寧隊に気付いて対応しよ うと試みるが、注意が前方にばかり向いていた状態だったために、それは成功しない。 「はぁっ!」  すぐに、甘寧は近くの兵を切り捨てる。一瞬のうちに、その兵は大地に平伏した。  そんなことには目もくれず甘寧は進んでいく。その後に倒れ込む兵たちを残して。 「…………せぁっ! 皆、ついてきているな」  背後で、かけ声一閃といった様子で敵兵を倒していく部下の声や物音を聞いて、そう判断す ると甘寧はさらに周囲の兵を叩き斬っていく。 「ひ、ひぃぃいい! か、頭に伝えねぇと!」  一人の兵が、慌てて城の方へと駆けていく。それを味方の兵が追いかけようとするが、甘寧 はそれを手で制する。 「待て、追う必要はない」 「ですが……」 「これも、軍師の考えた策のうちだ」  そう言って、甘寧は敵兵と味方の兵が入り乱れる戦場へと駆け出していく。  と、複数の兵が入り乱れる中、甘寧は聞き覚えのある声を耳にする。 「せやぁ!」 「む……明命か!」 「えいっ! あ、思春殿!」  特徴的な形状の武器……長刀"魂切"で敵を斬りつけながら振り向いたその艶のある黒一色の 長髪の少女は間違いなく、間者たちと共に城へ入り、民衆を扇動してきた周泰――字は幼平、 真名を明命という――その人だった。 「しかと、役目を果たしてきたようだな……せぃ!」  甘寧はあくまで視線や注意は敵に向けたまま周泰にそう語りかける。 「それはもちろん……はっ!」周泰も誰かを斬りながらそう答える。  そして、一瞬出来た余裕を使ってチラリと周泰を見る。先程から気になっているものがあっ た。 「ところで……その背に負ぶっているものはなんだ?」 「え、べ、別になんでもないです……よっ!」  一瞬、動揺が見せたようで、敵にそこを突かれかけたようだが、周泰はなんとかやり過ごし たようだ。 「ほっ! 先程から、モゾモゾと動いているようだが?」 「そ、そんなことあるわけないじゃないですか……えぇい!」  そう叫びながら周泰が敵兵を斬ったとき、明らかに敵兵の悲鳴でもなく、周泰の声でもない ……別の生き物の声が聞こえた。そう「にゃ~」という"鳴き声"が……。 「お前、まさか……」 「し、仕方がなかったんですよぉ!」  すっかり数の減った敵兵を味方が囲んでいくのを見ながら甘寧は周泰とそんな言葉を交わす。 「……またなのだな?」 「だって、だってですね……お猫様が離れてくれなくてこうするしかなかったのです」  周泰が情けない声でそう言うと、背中の猫がまるで彼女の言葉を肯定するように「なぁ~」 と鳴いた。 「お前というやつは……」  そう言って、甘寧はため息を吐く。 (離れなかったのは、お前"も"だろ……)  実は、この周泰……部類の猫好きなのである。周泰は間者としての能力は非常に優秀で、そ れについては甘寧も評価している。だが、唯一といっていい弱点が猫好きなために、忍び込ん だ先で猫に会うと一気に集中力が失われがちになるということである。  もっとも、そんな状態になっても仕事はきっちりとこなすため叱る者はいなかったりする。 ただ、注意だけは周囲の者たちで行ってはいる。 「な~、なぁ~」背中の風呂敷から鳴き声と共に猫が顔を出した。 「うふふ……お猫様ぁ~」  顔だけ出ている猫の顎を周泰が指でチョイチョイといじくる。その表情は恍惚としている。 「まったく……猫と戯れるのは後にしろ。敵の後続が来るぞ」 「はっ!? さすがはお猫様……心を奪われてしまいます」  我に返った周泰が誘惑に負けないようにと首を左右に振る。  その様子に呆れながら、甘寧は遠くから響き渡る蹄の音と怒声を聞いていた……。  †    呂蒙は、後方から様子を見ながら自分の立てた予測と実際の動きを合わせて考える。 「やはり、敵は増援を送ってきましたか……」  甘寧、周泰の二名がいる以上、初めの部隊をほぼ壊滅状態にするのは可能だとは既にほぼ確 実な事として呂蒙の中にあった。 「先程の、追撃部隊がおおよそ、千人程度。今度は、二千……次はこちらからも送るべきです ね」  迫り来る新たな敵軍との距離を、目測でおおよそどの程度か計り、呂蒙は、次なる指示を隊 の兵たちに出す。 「では、まず先遣隊の皆さんから言ってください。銅鑼の担当は後々出す合図の事があるので この場で私と共に待機してください」 「は!」  勢いよく返事をすると兵たちが先へと進み出る。歩兵一千が三層の隊列を組んで駆けていく。 兵数で言えば、敵兵の二分の一である。しかし、敵にとっては今回の攻撃は半ば奇襲のような ものであり、士気の面で言えば、明らかに孫策軍の方が有利なのは確かだった。  そして、甘寧隊、周泰隊と敵の援軍がぶつかり合う。数にものを言わせて無理矢理押し込も うとしているのが距離を取った位置にいる呂蒙にも分かる。 「甘寧隊が五百……先程の戦いでも殆ど損失はなし……周泰隊は元々、民の護衛が任務であり、 戦闘はあくまで最小限だったから……こちらも被害は少ないですね。となると、兵数は……二 百」  呂蒙は、一人で確認を取るように呟きながら、ざっとの計算を頭の中で立てていく。  つまり、敵の増援二千と始めにぶつかったのは計七百前後、だが、普段の調練の成果もあり、 甘寧、周泰の指示に従って陣形を上手く整えて応戦している。 (よし、丁度いい頃合いに合流したようですね……)  呂蒙が差し向けた隊が敵を取り囲むように布陣して一気に襲いかかる。押し潰される鰻のよ うに敵の部隊が一箇所からぬるりと押し出される。 「よし、銅鑼を――」  指で回数を指し示しながら呂蒙はそう告げる。  そに合わせて銅鑼が鳴り響く……。その号令に従って、敵軍を追い込んだ一箇所に素早く回 り込んだ甘寧、周泰の両隊が襲いかかる。  逃げ場を二つの隊に阻まれ混乱するも、後方は既に一千の歩兵に囲まれてどうにもならなく なっている。  徐々に、敵軍の全長が縮んでいく。そうして、完全に自軍によって包囲が完了したところで、 敵軍から白旗があがる。  それを確認すると、呂蒙はすぐさま捕縛の合図を出す。そして、敵兵たちは捕らえられてい った。 (これで、敵の損耗はおおよそ三千……元々が一万。そして、間者を通して民衆から仕入れた 情報によれば外に出ているのが二千五百……そうなると、城の残りは四千五百あたりとなりま すね)  それをすぐに導き出すと、呂蒙は城の方角を見る。今はまだ遠いからか小規模にしか見えな い砂煙が立ちこめている。 (おそらくは、追撃部隊に次いで援軍に出した隊も消息を絶った……そうなれば、自然とさら なる増援を出さざるを得ない……少なくとも厳白虎はそのはず)  そして、その呂蒙の読みは当たり、砂埃の小隊は残りの四千五百をさらに刻んだのだと思わ れる二千の歩兵と五百の騎兵だった。 「うん、よし。ここで追い込みをかけるべきですね……では、銅鑼を!」  そう言って、手で合図する。すると、銅鑼が再び辺りへと響き渡る。今回のは、後退の合図、 甘寧、周泰には敵を引きつけながら下がらせることにしてある。  そして、その通りに彼女たちが動き始めた。それに釣られるように敵軍の兵も全身を続けて いる。もっとも、兵の練度が違うために敵の歩兵では甘寧、周泰の部隊には追いつけていない。 また、民衆も戦闘が行われている間に、そっと陣を敷いていた森の方へと逃走させてた。  そこには、未だ孫権の部隊が待機している。だからこそ、そちらへと民衆を行かせたのだ。  その孫権の部隊がいるであろう方向を呂蒙はちらりと見やる。そして、自分がいる隊の近く まで甘寧、周泰らの隊が敵を引き連れたまま後退してきたところで、銅鑼の合図をだす。  再び、指定した回数の銅鑼が鳴る。その瞬間、森から一気に鳥たちが飛び立っていく。  それに続くように二千の騎馬隊が姿を現し、大分兵数の減った城へ向かって一斉に駆け出し た。それは、孫策軍の中にある騎兵を最大限まで集めたものだ。  敵もそれに気付いて慌て始めるが、既に後の祭り。距離を十分に離された状態では、もう、 孫策軍の騎馬隊には追いつかないだろう。  それに、追いかけさせないために惹きつけた上に足止めをしているのだ。 「後は、向こうがどう出るか……そにれ合う策を展開していけば」  城へ向かう騎馬隊を見送りながら呂蒙はそう呟いた。  †    孫権は、風を感じていた。それはきっと孫策がいつも感じる風……そう、戦場の風。  今、孫権は騎馬隊を率いて厳白虎のいる城へ向けて驢を走らせていた。 「もうすぐ、城だ! 兵数は互角だが、我らの力の方が遙かに上であることをその手で示せ!」 「うぉぉぉおおお!」  孫権の言葉に、兵たちも気合いのこもった声を上げていく。 「随分と様になっていますよぉ~蓮華さま」 「ありがとう、穏。でも、まだまだだわ。雪蓮姉様と比べればたいしたことなど無い」  そう言って、自分を追い込む孫権。それはいつものこと。孫権は自分が孫家の人間であるこ とを誇りに思うのと同時に、責任を背負っているという自覚もしっかりと持っている。  孫家の人間である以上、それにふさわしい態度を取らねばならない……そして、風格を備わ らせなければならない……そう孫権は考えている。 「あんまり気を張りすぎては、ダメですよぉ~」間延びした声で陸遜がそう釘を刺す。 「…………気を張りすぎず、ね」  その言葉が孫権の心の何処かに引っかかる。それは、先程抱いた違和感とどこか似ている。  だが、すぐに孫権はそのことを奥へと仕舞い込む。今は、何よりもこの戦いを終わりまでし っかりと導かなければならないのだ。 「いえ、それについては後にしよう。それよりも今は城を落とすことに専念しましょう」 「そうですねぇ、折角亞莎ちゃんがつくってくれた好機ですからねぇ」  そんなことを話している間にも城との距離は縮まっていく。城門がその姿をハッキリと見せ 始めている。目を懲らして見れば、城門前には門番がおり、未だ孫策軍と交戦状態に入ったこ とには気付いていないように見える。 「やはり、先程出したのは……搾取対象を取り逃がさないためだったのか。そうまでして、自 らの労を減らし、贅沢をして民を苦しめたいのか……下衆め」  そう吐き捨てるように言うと、孫権は手綱を握る手に力を込める。  仮にも土地を治めんとしている者が、その地に済む民を苦しめることなど孫権には許し難い 行為だった。  だが、それでもその怒りのみで動くような真似はしない。手綱を強く握り、それを押さえ込 んでいるのだ。 「……冷静にいかなきゃ」 「ふふ、そうです。指揮を執る人間が冷静さを失ってはダメですからね」  孫権の呟きに陸遜がにこりと微笑みながら肯いてくれたことが彼女には少し嬉しかった。 「それじゃあ、もう一つ、お声を」陸遜が周りの兵たちを一瞥してそう言う。  それに頷くと、孫権は今一度声を張り上げる。 「奴らは、未だ油断している状態だ! 我らの大事な歩を更に一つ勧めることが出来るかは諸 君の勇気に掛かっている。敵を恐れず、孫呉の魂を見せつけてやるのだ!」  孫権がそう言うと、一際大きな声で返事が起こる。そして、その声にようやく城の門番が気 付き、慌て出す。  だが、それはもう手遅れなのだ。門番が門の中へと入り、閉じようとするまでの間に騎馬隊 と共に中へと入りこんだ。そして、騒ぎに集まった兵たちを次々と斬り伏せていく。 「この中にいるのは、もう厳白虎の兵のみだ! だが、逃げ遅れた民がいる可能性もある、く れぐれも慎重な行動を心がけよ!」  そう言うと、孫権は街の中に視線を巡らせる。どうやら、逃げ遅れはいないようだ。 「えぇ~い! あ、あらら……?」背後で、間の抜けた声が上がる。  そちらを見れば、陸遜が自分の武器を身体……いや、孫権以上の強大さを誇る胸部にあるも う一つの凶器に絡ませてしまっている。 「な、何をしているの?」 「ふぇぇ~、ぶ、武器がぁ……」  オロオロとして必死に武器を身体から外そうともがく陸遜。その肉体的狂気が敵兵の目を釘 付けにしている。 「はっ、い、いまだ! 隙アリ!」  呆然としてた孫権はすぐに我に返って油断しきっている敵を倒していく。  そんなこんなで、敵兵を次々と戦闘不能にしていった頃、先へと進んだ一隊の兵が孫権の元 へとやってきた。 「げ、厳白虎を取り逃しました!」 「何だと!」 「ど、どうやら、南下して王郎の元へと向かっているようです」 「そう……仕方がない、ここを治めるだけに留めておくぞ」  そう言うと、孫権は、全ての兵を見渡せる位置へと向かい、声を発する。 「皆の者、聞けぇ! この地を治めていた賊の王、厳白虎は城を捨て、逃げ落ちた。我らが孫 呉に立ち向かってきた兵たちよ! これ以上の無駄な血を流す必要もないであろう。即座に降 伏せよ!」  そう高らかに孫権が告げると、厳白虎の元にいた兵たちが武器をすて、その場に跪いた。  こうして、厳白虎との戦いは終わった。    †    しばらく、顔何で繰り広げられる戦いを孫策と周瑜はじっと見つめていた。  そして、孫権、陸遜らが城内へと突入してからしばらくの間、孫策は城門だけをずっと見て いた。  それから、少し立った辺りで、城に孫の旗が掲げられた。それを見て、孫策は密かに胸をな で下ろした。隣にいた周瑜も、旗を見た呂蒙の策に掛かった厳白虎の兵たちの動きが止まった のを見て安堵の笑みを一瞬だけ浮かべたのを孫策は見た。 「さ、もういいわよね。行きましょ」 「そうだな。亞莎もさぞかし疲れただろうから労ってやらんとな」  互いにそう言って頷きあうと、驢を走らせて、城へと向かった。  城内へと入ると、すっかり元厳白虎の兵たちは気落ちした様子で縄に囚われていた。 「結構な数を捉えたようね……」 「あぁ、ざっと数百人はいるな」  それを見ながら、孫策はこのうちのどれだけが自分の兵力として使えるのか、また、自分に 仕えるのかを考えていた。  と、暫く進んでいくと、 本殿の傍に孫権がいた。 「蓮華、お疲れ様」 「姉様……随分と速かったですね」  驚いた様子で、孫権が孫策の方へと駆け寄ってくる。 「まぁ、ずっと見てたからね」可笑しそうに孫策はそう答える。 「え? そうだったのだすか?」  目を真開いたまま、自分を見つめる孫権に孫策は微笑みかける。 「ようやく、戦場にも慣れてきたのかしら?」 「そうですね……少なくとも以前よりはマシになっていますね」  つまりは、まだ自分では何かが不足していると思っているのだろう。そう孫策は察した。 「ところで、一緒に入った陸遜は?」今まで姉妹のやり取りを黙って見守っていた周瑜が質問 をする。 「それなら、捉えた兵たちに関することでやることがあると」 「そう……それならば、いい」  そう、周瑜が答えるとのほぼ同時に、外にいた呂蒙、周泰、甘寧らがやってくる。 「蓮華様! ご無事でしたか!」  甘寧が真っ先に孫権の元へと飛びつく。 「え、えぇ……特に怪我もなかったから。安心して」 「――それならば良いのですが」  そう言うと、甘寧をいつものように孫権の傍らへと下がっていった。  そして、それを見計らうように呂蒙が口を開いた。 「あ、あの……どうでしたでしょうか?」そう言って、呂蒙が周瑜を見る。 「そうね……今回は割と良い判断をしたと思うぞ」 「ほ、ホントですか?」 「あぁ。だが、まだこの程度でうかれるな。孫呉の軍師たる者としてやっていくならば、これ くらいは出来て当たり前と思っておくことだ」 「そう……ですよね」  周瑜の厳しめの発言に呂蒙はがっくりと肩を落とした。それを見て、孫策はついつい口を突 いて先程の事が出てしまう。 「そう、落ち込まないの。何だかんだ言ってるけど、冥琳はずっと貴女のことを心ぱ――モゴ モゴ」 「し、雪蓮……ほら、君主としてやるべきことがあるぞ。亞莎、穏にもしっかり話を聞いてお くのよ。今回の良かった点についても、反省点についても教えてくれるはずよ」  周瑜はそう言って孫策の口を押さえたまま引きずっていく。彼女の口調などが普段の柔らか いものになっていることが孫策には可笑しかった。 (結局、そうなのよね……貴女は)  色々、手厳しいことを言いながらもほんの少し甘いところを見せる……それが周瑜なのだ。 そして、そんな彼女が孫策は愛おしいのだ。    †    それから、すぐにこの城は孫策軍が管理することとなった。  また、城だけでなく厳白虎の支配下にあった呉郡も、今回のことによって表向きは袁術 の……だが、真相は孫策軍の統治下におかれることとなるだろう。