その王は強かった。  男に対し背を向け、引き止めたい気持ちを…その胸にすがり付きたい気持ちを必死に抑え、冷静に見送るつもりだった。  だが、男は言った。  王に対し、「女の子」だと。  王の好意に対し、「愛していた」と。  王は…少女は男の名を口にする。 二度、三度と。    その日、少女は泣いた。              ― 一刀、帰る/その時、魏は動いた ―  大陸全土を巻き込んだ大きな戦が終わり早数年。  魏の王・曹操孟徳の手腕により戦後処理は驚く程スムーズに進み、各国の協力もあってか大陸は今までに無い安寧の時を過ごしていた。  その立役者である彼女はとある森の中を歩いていた。  休みの日には初心を忘れないように橋玄さまのお墓へ行く事が多くなっていた。  ただこの数年間、彼女が今のように一人でいる時には… 「はぁ…」  …と、ため息を漏らす事が多くなっていた。  それは戦後復興の為か、国交維持の為か、それとも未だ動きを見せない五胡との戦の為か………恐らくそのどれにも該当しないだろう。  プライベート時、彼女から『魏の王』という肩書きはなりを潜め、一人の女性――華琳となる。  その華琳が考えている事の多くは、今はもういない男についてであった。 「失って、初めて分かる大切さ…か」  声に出してみれば、それは当たり前でとても陳腐に感じられる、何度呟いたかも分からないこの言葉。  そして華琳にとっては“あの日”から胸に染みついたとても大切な言葉でもあった。  だがそれは同時に、彼女の心に大きな疑問を残していった。  ―何故あんなにも落ち着いていられたのか?                      ―それは私も同じだった。我慢していたのだろう。  ―実は別れが惜しくなかったのか?                      ―否、彼も帰りたくないと言った。  ―最後だから嘘をついたのか?                      ―彼はそんな不誠実な真似はしない。    そんな自問自答を繰り返した末… 「はぁ…」  …本日何度目かのため息となるのであった。  〜 〜 〜 〜 〜 〜 「え…?」  思わず声が漏れる。  橋玄さまのお墓の前に立つ人物…その後ろ姿には見覚えがあったから。  つい先程まで考えていた、彼と似ていたから…。  慌てた様子で振り返ったその人物は、少しの間を置いた後、顔をくしゃくしゃにしながら駆け出した。 「華琳!!!」  魏の王・曹操孟徳の真名を叫んで。  大陸広しと言えど、華琳が他人…しかも男に真名を許している人物は後にも先にも一人しかいない。  神の御遣い 北郷一刀  突然の展開に華琳の頭の中は混乱していた。 (あ、あら…? 幻覚…? )           (でもこんなにハッキリと)      (少しやつれている?)  (あんなに走って転ばないかしら…)                 (まさか間者が化けて?)                                                               (わーいかずとだー)  ……突然の展開に華琳の頭の中は『完全に』混乱していた。  整理がつかないまま、華琳は一刀の腕の中に収められた。 「会いたかった…! 何度も挫折したけど…何度も諦めようと思ったかも分からない…。けど、帰って来れた…帰って来れたよ…!」  その言葉だけで分かる……彼の苦悩を……彼の想いを……。  しかしこの華琳と言う女性もまた同じ様に悩み、そして彼を想っていた。  だからであろうか、少しの……イタズラ心が芽生えたのは。 「……………」 「…華琳?」  そっと一刀の体が離れていく。  その温もりを惜しみつつも華琳は口を開く。 「…あなたは誰?」 「………え? 今、なんて……。じょ、冗談だよな?」 「………」 「そんな…そんな……。 き、君は華…曹操じゃない…のか?」 「ええっと、私は…そ、曹丕よ」 「そ、曹丕…?」  咄嗟に思いついた名前……では無かったりするのだ、これが。  一刀が消えてから数ヶ月は『もしかしたら一刀との子が出来ているかも…』という淡い期待を抱えており、その時に考えていた子どもの名前だ。  『曹操ではない』のだから多少は驚くだろうと考えていたが、 「…………え、ええええええええええええええ!!!!」  一刀の反応は想像を超えていた。 〜 〜 〜 〜 〜 〜 「……なるほど。それでやっと帰って来れた、と言う訳ね?」 「そう…なんだけどね……」  事のあらましを聞き、彼がどれほど苦労してきたのかを知る事ができた……が、今更『実は華琳でした』なんて言い辛い雰囲気となってしまった。  しかも“曹丕”が一刀の世界でも曹操の子どもの名前なんて、想像だに出来なかったのだから。  ちなみに華琳の考えた 『曹丕と他の皆』 の設定は以下の通りである。    1.華琳結婚。その相手との間に出来たのが曹丕。    2.曹丕、昔話風に一刀の話を聞きながらすくすくと成長。    3.他の皆も所帯を持つが子は授かっていない。(名前を聞かれると面倒だから)    4.そして現役で将。(旅に出ている面々を除く)    5.その他諸々  ここまでくればもう“少し”のイタズラではすまない。 (もうこうなればなる様になれ…ね)  とりあえず開き直る。  そして生気が抜けたかの様にうな垂れている一刀へ声を掛ける。 「ねえ、いつまでそうしているつもりなの?」 「………」 「はぁ。そんなに落ち込む程、お母様の事が好きだったのかしら?」  芽生えるイタズラ心・その3。  ちなみにその2は上記の『設定集』だ。  自分で言っておきながらドキドキしている華琳へ向け、一刀が顔を上げる。 「…娘である君の前で言うのは気が引けるけど、愛していたよ。いや、今でも愛している。だからこうして帰ってきたんだけど…さ」  物憂げに、だがしっかりと彼は口にした…“今でも愛している”と。  正直、今すぐにでもその胸に飛び込みたい衝動に駆られるが、 (こ、ここで明かしては王の名折れ!)  と、意味のよく分からない我慢の仕方で耐え抜いた。  それでも顔が紅潮していくのは抑えられない。 (うぅ…。 一刀のバカ…)  手で仰ぎながら熱くなった顔を冷ます。 「そ、それで一刀はこれからどうしたいの?」  なんとか動揺を見せないようにしつつ問いかける。  当の一刀は何故か呆けているようであったが。 「ちょっと聞いているの?」 「あ、ああ、これから…か…。なあ、曹丕さん」 「何かしら?」 「俺が話した皆の予定、知ってるかな?」 「ええ、把握しているわ。それがどうかした?」 「一目だけでもいいから、皆の様子を見てみたくてね」  一拍の後、彼はこう言った。 「なんて言うか、草葉の陰からってやつさ」  あまりにも苦しそうなその笑い顔に胸の奥を締め付けられるが、引っ込み所を完全に見失った華琳は黙って頷くことにした。  まぁそれとは別のもう一つの気持ち…『もう少し二人きりでいたい』というのもあった訳だが。 (ここからはどうなるのかしらね…? 全員、私の意図に気づけば良いのだけれど…) 〜 〜 〜 〜 〜 〜 「武官は勘が鋭いからちょっと遠目になってしまうわね」 「皆の実力はよく知っているからね。仕方がないさ」 (さて、ここなら大丈夫でしょ。 凪、沙和、真桜。 頼むわよ) 「それじゃ、はいコレ」 「あれ? これは…双眼鏡?」 「ええ。あなたの話を基に真桜が作りあげたものよ」 「へぇ、とうとう完成したんだな。この話をした時は華り…曹操も興味津々だったもんな」 (覚えててくれたんだ……けど…) 「……娘の前だからって気を使わなくても良いわ。お母様が許しているのだから、普段通り真名で呼んでも構わないわよ」 「あ、う、うん。ありがとう」 「はぁ… 何故そういうどうでもいい所にまで気が回るのかしらね…」 「ん? 何か言った?」 「何でもないわ」  そう言うと一刀から顔を背ける……そのニヤケ顔を隠す為。  どうやら一刀が“変わっていない”事がたまらなく嬉しいらしく、頬の緩みが戻らない様子である。  〜 一方、時間は少し戻って 〜 「ねぇねぇ二人とも」 「なんや沙和?」 「あそこの丘の上…もう気づいてる?」 「華琳様と……隊長だな」 「せやな」 「え〜!? なんでなんでそんな冷静なの〜!? 隊長だよ! ぜったいぜったい隊長だよ!!」 「落ち着きぃな沙和。 そんなんうちらかて分かっとる。 正直、直ぐにでも声を聴きに行きたいわ」 「だが、華琳様がご一緒に居られながら隠れる様な真似をしているのは何故だ? 何かしらの意図があるからだろ?」 「うぅ〜! そうかも知れないけど〜!」 「仮にや、隊長が少ししか“こっち”に居られへんかったとしたら、華琳様はうちら…ちゅーか、皆に隠すような殺生な事はせえへんて」 「そう言う事だ沙和。 我らが主、華琳様を信じろ。 そして、その心中もお察しして差し上げろ」 「…そっか…うん、そうだね! 嬉しいのは沙和達だけじゃないもんね!」 「そーいうこっちゃ! しっかし隊長、ようやっと戻って来たんやな。 待ちくたびれたで…なぁ凪?」 「まったくだ。 一段落ついたら早速抱いてもらわねば」  こけっ 「な、凪ぃ〜〜〜〜」 「凪ちゃん、三人の中で覚醒率がハンパないの〜。 この淫○め〜」 「へ、変な事を言うな! 私はただ隊長に喜んで頂きたいだけだ!! その、まぁ、私自身も…ゴニョゴニョ」 「まったく…ま、その気持ちはよ〜分かるけどな! でも、抜け駆けは無しやで?」 「最初は三人とも気持ち良くしてもらうの〜! あ、それはそれとして、向こうには行けないとしても何か出来ないかなぁ?」 「何かしら歓迎をしたいって事か?」 「そう!」 「…そうだな。それくらいなら華琳様も許して下さるだろう」 「ふむ、ほんなら…。 新兵共!! ちと集まりや!!」  〜 視点は戻って 〜 「な、なんだありゃ?」 「…さしずめ“御遣いの陣”と言った所かしら」 「まさか、俺が居た時もああやって遊んでたんじゃないだろうな…?」 「さてね。それじゃ時間も惜しいし、次に行きましょうか」 (上手く伝わっていたみたいね。 それにしてもあの陣はあんまりではないかしら………嫌いじゃないけれどね…) 〜 〜 〜 〜 〜 〜  元北郷隊の三人から離れ、次の場所への移動中、一刀は積極的に話しかけてきた。  その様子に華琳は小さな嘆息をもらしていた。 (相変わらず隠すのが下手ね…)  “曹丕”に心配をかけまいと明るく振舞う一刀。 (まぁでも…)  その様子を気にかけながらも、華琳は少しずつこの状況を楽しみ始めていた。  イタズラ中としても、一刀と一緒に居られるのだから。 (次は親衛隊ね。 先程の反応から察するに…) 「ちょ、えええええええええ!?」 (はい、予想通りの反応をありがとう)  とりあえず心の中でツッコミをいれておく。 「ちょっと一刀! 静かにしなさい!」 「だ、だって! 季衣と流琉はどんなに頑張っても十代くらいにしか見えないんだけど!?」  ごもっとも。  と言うより、その通りなので仕方が無い。 「我が魏軍、七伝説の一つよ? それで納得しなさい」 「何その七伝説って!? これクラスのが後六つもあるの!?」  華琳のさらりとついた嘘に予想以上の食いつきを見せる一刀。  ツッコミ気質も相変わらずな様である。 「だから落ち着きなさい。 いい加減静かにしないと見つかるわよ?」 (もう見つかっていると思うけれどもね) 「うっ…す、すまない」  一刀はまだ納得した様子が無く、眉根を寄せている。  こういう時は大抵良からぬ事を考えているものだ。 「…何故かしら。 あなたがとても失礼な事を考えている様に感じるのだけれど?」 「い、いやいや! 何でもないです!」  非常に分かりやすいのもまた、彼の良い所である。  〜 一方、時間は少し戻って 〜 「総員! 本日の訓練は中止する! 速やかに解散!!」 「は? し、しかし夏侯惇将軍…」 「黙れ!! これ以上は言わん! 解散だ!!!」 「はははははいいぃ!! そそそそ、総員解散! 駆け足! いいい急げ!!」  ダダダダダダッ 「…姉者、落ち着け」 「これが落ち着いていられるか! あの不埒者、戻って来たかと思ったら既に華琳様に手を出しているではないか!!」 「しゅ、春蘭さま…いくら兄ちゃんでもそこまでは…」 「そ、そうですよ。 もう少し様子を見ませんか?」 「うむ、流琉の言うとおりだぞ姉者」 「だ、だが…!」 「まあ待て。 二人とも、北郷に気付いていながら冷静なのは何故だ?」 「あ、はい。 会いに行きたいのは山々なんですけど、野暮じゃないかなって」 「華琳様がああして隠れるフリをしていらっしゃる理由は一つしかありませんから」 「だ、そうだぞ姉者。 それでもヤツの首を取りに行くか?」 「ぬぅぅぅぅぅぅぅ」 「ふふふ。この様な姉者も久しぶりだな」 「桂花様と言い合いはあっても、ここまでのは無かったですもんね」 「それにしても、二人ともそこまで華琳様の御心を汲める様になっていたとは…立派になったな」 「えへへへ」 「があ!!」 「うわ! ビ、ビックリしたぁ…」 「このままでは収まりがつかん! 季衣! 私の部屋からアレを持って来い!!」 「ええ! アレって、アレですか!?」 「そうだ!」 「か、華琳さまが見てますよ?」 「もう“本物”が居るのだ! 問題あるまい!」 「でも…」 「いいから行け!!!!」 「うひゃあ! は、はい! 流琉、手伝って!」 「う、うん」  タッタッタッタッタ (あぁ…。 嫉妬で我を忘れている姉者も可愛いな…) 「秋蘭!」 「ん? なんだ?」 「わ、私はどこもおかしくはないか!?」 「おかしい…と言うと?」 「服装とかだ! その…あ、あやつの前でだらしない真似をして、なめられる訳にはいかぬからな!」 「……………心配するな姉者。 いつも通り、凛々しいぞ」 「そ、そうか!」 (ダメだ…! 可愛すぎる…!!)  タッタッタッタッタ 「お待たせしました! 等身大(体重までぴったり)一刀くん人形参上です!」 「よし、そこへ置け!」 「よいしょ…っと。 それで春蘭さま。 この兄ちゃん人形をどうするんですか?」 「なに、一足先に“歓迎”してやろうと思ってな」 「と、言いますと?」 「簡単な事だ。 今の思いをぶつける…それだけだ」 「なるほどなるほど…」 「ねえねえ季衣」 「なに?」 「こう言うのはどう? ゴニョゴニョ」 「なあ姉者。 多少“手荒”になっても構わんのだろう?」 「構わん。 元よりそのつもりだ」 「ふふ。 それでは“歓迎”してやるとするか」 「準備は出来たか? ならば季衣、流琉、行け!」 「「はい!」」  ダダダダダッ (兄ちゃん…!) (兄様…!) ((もう絶対に離さないから!!))  ガシッ! メキメキメキッ! (一刀、女を待たせるな…。 もう少し早く帰って来い)  バチコンッ! クルクルクルクルクル… (一刀………死ぃねえええええええええ!!!!)  ズガンッ!! クリティカルヒット!!  〜 視点は戻って 〜 「あぁああぁああ!」 「……何故あなたが痛がるのかしら?」 「い、痛くないけど、痛い…痛すぎる…」 「はぁ…」 (春蘭には後でお仕置きが必要ね……何故、隠していたのよ…!) 〜 〜 〜 〜 〜 〜 「そういえば霞の姿が見えなかったけど…」  魏においても一部の人間しか知らない隠し通路を通り、城内へ向かう途中、一刀がポツリと訪ねた。 「霞はね、張三姉妹と旅に出ているわ」 「…そっか。本当に行ったのか」  あまり驚いていない様子の一刀に、華琳は少しだけ眉をひそめた。 「知っていたの?」 「ん、そんな話をした事があるんだ。霞は旅に、三姉妹は歌で全国制覇をしたいってね」 「そう…… 私は直前まで知らなかった…。あの娘達ったら…」 「どうかした?」 「何でもないわ。ただ、元気にしているかなって」 「大丈夫さ。なんたってあの霞がついてるんだ。それに三姉妹の元気の良さ、知ってるんだろ?」 「ふふ。確かにね」 「霞達にも会いたかったけど、仕方がないか」  そう言って一刀は空を見上げる。  寂しそうな…けれども少しだけ微笑むその表情から霞達の事を考えているのだろう。  その様子を華琳は黙って見つめていた。 (将来を話せる程、心を許せる相手になっていたのね…。 きっと“一緒”に行きたかったのでしょうね。 少し、妬けちゃうかな…) 〜 〜 〜 〜 〜 〜 (さて、今の時間で言えば多分……あ、居たわ)  桂花、風、稟の三人が卓を囲み話し合っているのを見つける。 (さて、桂花が大人しくしてくれればよいのだけれど…)  今回のイタズラ最大の山場・桂花を迎えた華琳と一刀。 「………なあ」  華琳の心配をよそに、一刀の声からは気が抜けていた。 「何かしら?」 「魏って不老の薬でも出回っているのか…? それともゴッドハンドエステティシャンでもいるのか?」 「さあ? 私の知る限り前者みたいな怪しい薬は出回っていないし、“ごどはんどえすててぃしゃん”なんて聞いた事もないわ」 (あら…何かしらこの『触れてはいけないものに触れた』感は…) 「違う! ゴッドハンドエステティシャンだ!」 「ご、ごど…?」 「ゴッドハンドエステティシャンだ!」 「ああもういいわ。とにかく今見ている事が全てよ」 (思い出した、華佗だわ…。 それにしてもこの二人、同じ事を言うわね……一体何がいけないのかしら?)  〜 一方、時間は少し戻って 〜 「……………」 「……………」 「……………」 「私…ちょっと疲れているのかしら…」 「…桂花、あのこそこそと移動しているのは…」 「言わないで!」 「落ち着きましょう桂花ちゃん。 あれは間違いなくお兄さんですよ」 「何故……なんであいつがいるのよ…!? しかも華琳様までご一緒だし!」 「ふむ。 華琳様が先導していらっしゃるご様子ですし、あのおかしな移動は“ワザと”ですね」 「そうですねー。う〜ん、隠れているようで隠れていない…なんとも絶妙」 チガウ! ゴッドハンドエステティシャンダ! 「………ねぇ。 あのバカ男は一体何がしたいの……」 ゴッドハンドエステティシャンダ! 「さぁ? でも、隠れているのに大声をだす辺り、流石はお兄さんだと思うのですよ」 「未だにご自分の存在が知られているのにまったく気付かないなんて…。 まあ華琳様がご一緒ですし、なんら問題はないかと」 「そこが問題でしょうが、まったく…。 大体なんで今頃帰ってくるのよ……遅すぎるっての…」 「まあまあ。 ともあれ一刀殿も息災なようですし、良かったではないですか」 「良くないわよ。 大体ね、あいつが戻って来たと言う事は、あんたも夜の相手をさせられるかもしれないのよ?」 「えっ…………『こっちの方も息災だったぜ!』などと言われながら私の目の前には一刀殿のあまりにも息災な“モノ”が現れ、それを口にねじこまれ白濁とした液が口内に………ぷはっ!」 「きゃあっ!」 「おおー! 華琳様との“ひと時”でも見る事が無くなった鼻血が再び! お兄さんお手柄です!」 「どこがお手柄なのよ!」 「ふんがふが…」 「よもやとんとんする日がまた来るとは…。 お兄さん、風からのお礼(?)の気持ち、受け取って下さい」 「……お礼?」  〜 視点は戻って 〜  一刀、土下座中。 「すみませんすみませんすみませんすみません」 「……行くわよ」 「は、はい」 (それにしても、意外とあっさりと終わったわね……なぜあの場面で鼻血が出たのかは気になるけれども…) 〜 〜 〜 〜 〜 〜  桂花達の所から移動し、いよいよ次は“華琳”との対面となった時、一刀から意外な言葉が発せられた。 「橋玄さまの所へ……戻ろうか」  そう一言だけ告げ、以降は黙ったまま歩き出した。  玉座へ行き、そこで種明かしを予定していた華琳は少なからずうろたえた。 (ここまで来て今更なぜ…? いえ、それよりも『華琳には会いたくなくなった』とでも言うの?)  悶々とした思いを抱えたまま、一刀の後ろについて行く。  そして、橋玄さまのお墓の前。 「ん〜〜〜はぁ…。曹丕さん、案内してくれて本当にありがとう」 「これで満足したのかしら?」  背伸びをし、笑顔で明るく話しかける一刀。  それを打ち消すかの様に低く、冷徹な言葉を返す華琳。  華琳が聞きたいのはその胸中であり、お礼の言葉ではないのだから。  一刀もそれを察したのか、笑顔を消し、真剣な表情で華琳を見つめた。 「覚悟していたとはいえ、辛いよ」 「…そう」 「ああでも、皆の中で俺が“重荷”になっていないって事には安心したよ。殆どネタ扱いされてたけどね」  そう言って苦笑する一刀。 (ねた…?)  いつもであれば、一刀はこちらが分からない言葉を直ぐに察し、言い直し、もしくは最初から分かる言葉で話してくれる。  今のではそれが無い……つまり、それ程思いつめているという事なのだろう。 「でも…その気持ち以上に寂しさが込み上げてきてね…。胸が張り裂けそうだったよ」 「……お母様に会わない理由もそれかしら?」  一刀の皆に対する想いは、あの頃から一つも色あせてなどいない。そして… 「…流石は華琳の娘さんだ。正解だよ」  華琳に対する想いも。 「そりゃ華琳が幸せでいてくれるのなら本望さ。けどね、今でもこんなに苦しいんだ…。俺には…もうこれ以上耐えられそうにない」  一刀に対し、背を向ける……あまりの嬉しさに自然とこぼれる涙を隠すために。 「ま、まぁこうなったのも俺が悪いんだし、気にしないでよ!」  それを“曹丕が悲しみのあまり背を向けた”と勘違いしたのだろう一刀は、明るい声をあげた。 「きょ、今日はさ! 俺なんかの為に魏のお姫様を付き合わせちゃって悪かったね! せっかくの休みを使ってもらって本当に感謝してるよ!」   ―――華琳の心は本当の意味で満たされた。 「……ねぇ一刀」 ―――けれども一つだけ許せない事がある。 「ん、何かな?」 ―――“また、泣かされた” 「良い事を教えてあげるわ」 ―――だから、これが最後の“イタズラ”   「この魏に、姫なんて存在しないのよ」 ―――“一刀を、泣かせてやるのだ”                                ― おわり ―