「無じる真√N-IF End After Episode-バレンタイン」 「かずぴーはえぇよな」  一刀は、及川のその声で目を覚ました。机にうつぶせになって寝ていた一刀は及川を睨み付けるようにしながら顔を上げる。 「なんだよ、唐突に……というか、俺は眠いんだから声を掛けるな」そう言って再び眠りへ旅立とうとする。 「なんやつれんなぁ」  そう言って及川が制服の後ろ襟を掴む。そのせいで、一刀は下げかけた顔が宙に浮いたままになる。 「お前は……俺を怒らせにきたのか?」 「そんなこと言わんでもえぇやん」 「あのなぁ……」  全く悪びれもせず一刀を吊ったまま及川が片手を拝むように顔の前に添える。 「わかったよ……それで?」及川の手を払いのけながら一刀は肘を机の上に置いて頬杖を突く。 「いや、なんというかかずぴーに幸せな毎日を送っとる姿を見せつけられてるんやから、恨み言の一つや二つは言わせてもらわんと気分悪いっちゅーわけで――」 「お、い、か、わくん? き、み、は、その為だけに俺を起こしたのかなぁ?」  そう言って及川のこめかみを締め付ける。 「いだだだだだ! わ、悪かった! ちょっとした冗談やって……でる! なんか出てまう!」  それからしばらく及川の頭を締め付け続け満足すると一刀は手を離してやる。 「いいから、何を話したかったのかさっさと言えよ……休み時間が終わる」 「痛たたた……勘弁してほしいで。それで……せや、もうすぐやないか!」 「は?」唐突な及川の言葉に一刀は眉をひそめる。 「なんや、自分忘れとんのか? さすがはモテ男やな……嫌味かコラ!」  そう言うと及川がクワッと顔を強張らせる。 「うぉ、そんな顔して詰め寄るな」そう言って及川の顔を手で押す。 「ふぎぎ、モテ男めぇ……今年が週末だから貰えるアテがない人間は哀れとでも思っとるんか!」  鼻息を荒くしながら一刀に詰め寄ろうとする及川。正直、迫力があって怖い。 「だから何の話だよ……」 「何の話だぁ? 今日が何月何日か言うてみい!」 「今日って……二月十二日ってあれ?」  そこまで言ってようやく一刀は思い出す。二月十四日といえばあちこちでピンク色の空間が発生する日である。 「バレンタイン、か?」 「せや、聖バレンタインや!」  机に両手を置いて身を乗り出すようにして及川が叫ぶ。教室のあちこちの視線が一刀たちへと向いている。 (お、俺たちを指さしてヒソヒソとなにか話してるのは気のせいだろうか……)  チラチラと自分たちを見る、他の生徒たちの視線を気にしつつも一刀は及川に視線を戻す。 「今年のバレンタインは日曜……つまりは義理チョコが貰える可能性は限りなくゼロ!」 「あぁ、そういやそうだな」  特に気にもとめていなかった一刀は頬を掻きながら曖昧に頷く。 「やのに、その余裕……貰えるアテがあるとしか思えんわ!」 「別にそんなの――」  そこまで言って、ふと思う。わざわざこの世界まで自分を居ってきてくれた少女たちのうち誰か一人くらいはくれるかもしれない、と。 「やっぱり、あるんやな」そう言って及川が一刀を睨み付けてくる。 「さぁな……それより、授業始まるぞ」 「ちぇっ、絶対聞き出したるからな!」  そう言って、及川はどすどすと機嫌悪そうに一刀の席から離れていく。  その後ろ姿を見送ることなく、一刀は再び机に肘をついてぼうっとする。 (バレンタイン……か)  一体、誰が自分にチョコをくれるのか……なんだかんだ、ほんの少しだけ期待してしまう一刀だった。  † 二月十四日 朝 「ふぁ……ん?」  朝も早くから一刀は眼を覚ました。その理由は、布団にある。なんだか、妙に暖かいのだ。それに狭く感じる。 「な、なんだ?」  頭を掻きながら、ぼんやりと考える。一体何が原因なのだろうか……未だ覚醒していないからか思考がどうにもおかしい。 「あぁ、そうか布団をめくればいいんだな」  どうにも間抜けな感じがする自分に苦笑しつつ一刀は掛け布団に手を掛け持ち上げる。そこで、一刀の思考は一瞬停止する。 「おや、見つかってしまいましたな」 「まぁ、気付かん方がどうかと思うで」 「…………な、何してるんだ星、霞」  一刀の身体を間に挟むようにして星と霞が顔を見合わせている。正直にいうと、何が何だかわからず困惑してしまう。いや、それ以前に唖然としているとしか言いようがない。 「いえ、先程部屋を訊ねて参ったところまだ寝ていたようでしたので」 「朝は寒いからなぁ……暖めてたんや」 「はぁ?」  二人の言葉の意味がわからず一刀はポカンと口を開けたまま呆然とする。 「くくく……驚きのあまり言葉も出ぇへんようやな」 「うむ、だがこれは逆に狙い目!」  星がそう言うと、二人は頷き会う。そこで、一刀が何かと思い二人に意識を向けようとした瞬間、二人がぐぁっと一刀に襲いかかる。 「な、なにを――んぐっ」する気なんだと訊こうとしたが、一刀は口を塞がれてしまう。 「ちゅ……ん、んふ」  一刀の口を塞いでいるもの――そう、星の唇が激しく一刀の口に絡みつく。 「むぅ、先いかれてもうたか……ちぇっ」舌を打ちながらも霞は一刀の身体を拘束している。 「むぐ……ちゅく、ちゅ……んっ」星が鼻から出す息を荒くしながら舌で一刀の口をこじ開ける。 「んぅ……くちゅ――ん!?」  こじ開けられ、一刀の口が開いたところで、何かが口腔内へと流れ込んできた。 「むむ、ん。じゅじゅ……る」 「むふぅ、んっじゅじゅじゅ……ず」  星の口から流されたそれはほろ苦さを含みながらも僅かな甘みを感じる。それでいて、その物体と混ざるようにアルコール独自の深い味わいが染み渡ってくる。そして、二種類のほろ苦さを星の唾液が持つ甘味が上手く抑えている。 「んっ……ぷはぁ」 「ふぅ、ふふ、ちゃんと受け取ってくれましたな」  互いの口が離れたところで、星が口角を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる。 「一体、なん――」 「次は、ウチや!」一刀の声を遮って霞が唇を重ねる。 「んぅ、むぐ」  突然の事に一刀は反応が遅れてしまう。その間に、星が一刀の身体にそのしなやかな腕を絡ませる。 「では、今度は私が抑えるとしよう」 「ほひはほ、へい」口付けをしたまま、星の方に礼をするように手を挙げる霞。 「ん、くちゃ、ちゅ」 「んぅ~」  星の時よりも速く、星の時と同じと思わしきものが一刀の口へと流し込まれる。先程と同じ味わいだが、今回は二度目なのでじっくりと味わうことができる。  よくよく口腔内で霞の舌と一緒に転がすように味わっていると、先程は気付かなかったものがある。何か小さな果物のように思える。甘みとほんの僅かな酸味がその実からしみ出る。  今度は、一刀はあえて強く吸い込む。 「ちゅるるるるる!」 「ふー! んぅっ、くちゅ」  清々しい朝には似つかわしくないような水音が激しく鳴り響く。 「ん……っと」 「……はぁ。これでえぇな」そう言って霞がにこりと微笑む。  彼女との間に引いている光り輝く線を啜ると一刀は、改めて二人を見る。 「で、これは……バレンタインのチョコってことか?」  そう、先程流れ込んできたのはビターチョコ、そして、中にはなにか酒類のものと果物があった。 「ふふ、霞と共に用意させていただいたものです」 「どや……気に入ってくれた?」  霞の言葉と同時に二人が下からのぞき込むように一刀を見つめる。それに対して笑顔を浮かべて一刀は頷く。 「あぁ、十分過ぎるほど満足……ただ、さすがに寝起きには刺激が強い」 「それは確かに言えてますな」そう言って星が微笑を浮かべる。 「ところで、チョコの中はなんだったんだ? 酒っぽかったけど」 「あぁ、そら『ぶらんでー』とかいうのやな」 「うむ。そして、もう一つは『ちぇりー』とやらです」 「なるほど、ブランデー&チェリーか……美味かったな、特に二人のねっとりした液体が絡んでたのがね」  そう言って一刀が微笑むと、二人は僅かに頬を染める。 「そ、そこかいな……なはは」 「まぁ、主らしいと言えばある――一刀殿らしい」  星が敢えて呼称を言い直す。この世界では主君も何もないので名前で呼ばせることにしたのだ。 「なんというか、それが最高の隠し味だったな」  そう言って一刀が口元を舌で拭うと、霞と星はやれやれといった様子で肩を竦める。そして、同時に口を開く。 「変態やな」 「変態だな」 「……おい」  そう言って互いに納得し合いながら自分を見る二人に一刀は半眼で睨む。 「だいたい、人の部屋に勝手に入って布団にまで潜り込んだ人たちには言われたくない」 「おや、これは一本取られましたかな」 「いやいや、ウチらのは可愛いもんやろ。それに比べて一刀のはあかん」  首を左右に振りながら霞がそう言う。 「……ぐ、そう言われると言い返す言葉が無い」 「っと、あまり長居はするべきやないな」 「うむ、そろそろお暇するとしよう」  そう言うと、二人はベッドから降りて扉の方へと向かう。急な動きに一刀は追いかけるのも忘れて声を掛ける。 「え? もう行くのか?」 「えぇ、さすがに一刀殿を我らが独占する、というわけにはいきませぬからな」 「ホントは一日中一緒にいたいんやけどな、なはは」  そう言って霞が笑いながら扉を開く。そして、最後に二人は一刀の方を振り返ると意味ありげな視線を向けてくる。 「せいぜい、今日一日もつよう祈っておりますぞ」 「頑張るんやで、一刀」  そう言って二人は部屋を後にした。  † 二月十四日 午前  扉が閉まってからも一刀は二人の残像でも見えそうな気がしてぼおっと見つめていた。一刀はその残像を思い描きながら、一体何を頑張れと言うのだろうかと首を捻る。と、丁度示し合わせたかのように勢いよく扉が開かれる。 「起きてるですか?」 「うわっ、な、なんだ?」  扉の方を見ると薄緑の髪をしたちっこい少女が立っていた。 「まったく、何をしてるのです」 「え、いや……」 「はやく、ベッドからおりてついてくるのです」 「へ? あ、いや、ちょっと待ってくれ」  一先ず、それだけ言うと一刀は急いで出かける準備を始める。とはいっても、着替えなわけだが。 「さっさとするのです!」 「わかった……って、こっちみんな!」  文句を言いながら一刀を見続ける音々音にそう言って外へ出るよう手をひらひらと振る。 「自分で、脱ぎだして何を言ってるのです」 「いいから、出てけ」  やれやれと肩を竦める音々音にデコピンをかましたくなったが今はそれどころではないと判断して一刀は着替えを再会していく。  そして、準備を終えると一刀は部屋から出る。そこには、音々音だけでなくもう一人立っていた。 「…………」 「待たせたな、恋」  そう言って、もう一人の少女へと歩み寄る。 「ねねを無視するんじゃないです!」 「ねねも悪かったな」 「ふん!」ちゃんと謝ったのにふてくされる音々音。  やれやれと頭を掻きつつ、一刀は改めて二人に来訪の理由を尋ねる。 「で、一体何の様で来たんだ?」 「…………呼びに来た」 「え?」 「いいから、ついてくるのです!」  恋の言葉に詳細をさらに訊ねようとした一刀の手を握ると音々音がずかずかと歩き始める。 「…………恋も」  そう言って恋が音々音とは反対側の手を握る。多少、困惑した状態ではあったが一刀は二人の手を軽く握り返した。  そうして、三人で少し駆け足で向かったのは別の寮にある音々音と恋の部屋だった。この部屋も大分拾い間取りになっている。おそらくはまた、漢女的なナニカの働きかけによるものだろうと一刀は思う。  そんな風に思いを巡らせながら、部屋を見ていると、音々音が手を離して歩き出す。 「ねねは作り途中の物があるので」  そう言って、音々音がキッチンへと入っていく。それを見送ると一刀は恋に促されてテーブルへとつく。 「ふぅん……ねねは恋へ、か」 「…………なんで、ねねは」 「ん?」 「……ねねは、どうして急に恋になにかくれるの?」  どうやら、音々音に事情を聞いていなかったらしく恋が一刀に尋ねてくる。 「あれ? 聞かされてないのか?」 「…………聞いてない。お茶?」  そう言って、恋は自分の言葉に納得がいってないのか言葉を重ねる。 「…………でも、それにしてはねね頑張ってる」  何かを思いながら、そう告げる恋に一刀はこの特別な日について話す。 「あぁ、それはな。今日はバレンタインデーといって、好きな人にチョコをあげる日なんだ。まぁ、主に女の子があげる側なんだけど」 「…………」  一刀の答えを聞いた恋はなにやら考え込んでしまう。 「…………恋、何も用意してない」 「知らなかったんだろ? なら、良いじゃないか。ねねも怒らないって」 「…………でも」そう言って、恋が一刀を見つめる。 「あぁ、俺か?」 「…………」  コクリ  黙って頷く。だが、その様子は彼女を何処か普段よりも小さいものに見せている。 「俺は別に気にしてないよ。別に誰かから貰えるなんて大して期待してなかったから」 「…………あ」 「え? って、どうしたんだ、恋?」  何かを思いだし、急にキッチンへと駆けていく恋を一刀は眼で追う。すると、恋は一旦、立ち止まり一刀の方へ振り向く。 「……ちょっと待ってて」  それだけ言って踵を返してキッチン内へと入っていった。  それから、少しするとキッチンから謎の塊が姿を現した。 「な、なんだぁ?」 「…………これがあった」  謎の塊――巨大な包みの横からひょっこりと顔を出した恋がそう答えたが、一刀にはさっぱりだった。  そのまま、恋はテーブルの上へと包みを置く。重みが割とあるためドシンという音が立った。 「で、これは?」 「…………あげる」 「え、俺に? いいのか?」 「…………」  コクリ、コクリ  一刀の質問一つ一つに恋が頷いて返す。それを見て、一刀は一先ず包みの中身を見ることにした。 「一体、何が……って、これは肉まん……いや、色的にチョコまん?」 「…………」  コクリ  静かに恋が頷く。つまり、いま一刀の目の前にある饅頭の山、その全てがチョコまんだということなのだ。 「でも、どうして?」 「…………お店の人に勧められた」 「へぇ、でもそれだったら恋が自分で食べるべきなんじゃ」 「…………」  フルフル  一刀の質問に恋が今度は首を横に振ることで否定の返答をする。 「それはまた、どうしてだ?」 「…………ばれんたいんのちょこ」 「あぁ、なるほど……これをバレンタインのプレゼントとしてくれるってことか」 「…………」  コクリ  ためらいなく頷く恋。そんな彼女から視線を外し、一刀はチョコまんの山を見る。一体、何十個……いや、三桁いっているのだろうかとすら思える程にチョコまんが溢れかえっている。  そのあまりの光景に引き攣った笑顔を浮かべながら一刀は恋の方を見る。 「そ、それじゃあ、ありがたく頂こうかな」そう言って一刀はチョコまんへと手を伸ばす。 「…………え、えぇと」 「…………じゅるり」  一刀は受け取ったのはいいが、全ては食べれないだろうと予想して、手が宙を迷う。  また先程から、チョコまんをくれた恋自身が未練でもあるかのような視線で渡したチョコまんを見つめているのが視界に入っていた。  そこで、一刀は彼女の思いをくみ取り一言かける。 「ふふ、恋……無理して我慢しなくて良いんだぞ」 「…………」  フルフル  恋は黙って首を横に振る。その反応に首を傾げつつ一刀はさらに問いを重ねる。 「どうしたんだ、食べたいんだろ?」 「…………」  コクリ  今度は首を縦に振って答える。 「なら、食べたら?」 「…………」  フルフル  再び首を横に振る。だが、眼はチョコまんに釘付けのまま……正直、無理してるのが一刀にはわかる。 「じゃあ、どうして遠慮するんだ?」 「…………だって、それは恋がご主人さ――一刀にあげたものだから」 「いや、でも別にだからといって、恋が食べちゃダメってことは無いんだぞ」 「…………」  フルフル  また首を振る。 「なんで、そんなに頑なに拒むんだ?」 「……だって、恋は一刀のために準備できなかった」 「なるほど、それでか。つまりは、用意できなかったうえに、なんとか代わりに渡すものを見つけて俺に渡したわけで、それを自分で食べてしまうようなことまで出来ないってことか」 「…………」  コクリ  どうやら、その言葉への反応は肯定らしい。 「恋は良い子だな」そう言って一刀は恋の頭を撫でる。 「…………?」  恋は理由がわからないのか不思議そうな顔で一刀を見ている。もっとも、顔の変化といっても一刀以外ではあまり多くの者には認識しづらいものではあるが。 「そういう気遣いをしてくれるのはとても嬉しい」 「…………よかった」そう言って恋が口元をほころばせる。 「だけどな、俺のことを思って恋が我慢するのはあまり見たいとは思わないんだ」 「…………そうなの?」  恋が小首を傾げて一刀を見つめる。それに頷きながら一刀は答える。 「あぁ。俺は、恋の笑顔が好きだからな。なんというか幸せそうでこっちもほんわかするんだ」 「…………ほんわか?」 「うぅん、まぁ穏やかな気持ちになるってことだな」 「…………その方がうれしい?」 「あぁ」  最終確認をするようにジッと一刀をその無垢な瞳で捉えてくる恋に一刀は力強く頷いてみせる。 「…………わかった」  そう言うと、恋は一刀の前にある膨大なチョコまんの山から一つ掴む。 「……はむ」そして、口に頬張りもふもふと咀嚼していく。 「ふふ。じゃ、俺も」恋を見て笑みを零しながら一刀は一つ手に取る。 「ね、ねねも混ぜるのです!」  ようやく、キッチンから出てきた音々音も席についた。 「さ、恋殿」 「…………?」恋が音々音の方を見る。  そこには自らの姿を見よといわんばかりにそびえ立つチョコケーキがあった。 「おいおい、これ何段あるんだ?」 「恋殿へのねねの想いはもっとあるのですが、作るのはこれが限界だったのです」 「…………ありがと、ねね」  そう言って恋は僅かに微笑む。それが彼女なりの笑顔なのだ。それを一刀、そして微笑みかけられた音々音も理解している。 「いえいえ、恋殿のためならどんなことだってへっちゃらなのです」 「…………でも、これはみんなで食べる」 「え?」 「ごしゅ――一刀とねねと恋で食べる」 「えぇ、こいつもですか?」 「…………」  コクリ  音々音の言葉に恋は迷いなく頷く。それを嬉しく思いながら一刀は音々音を見やる。明らかに不満顔だ。だが、恋の言葉もない謎の圧力らしきものに押されてか表情に迷いが生じている。 「はぁ、わかったのです」そう言うと、音々音は諦めの表情を浮かべた。 「そうか、それじゃあ切り分けよう」  そう言って一刀はキッチンへいってケーキナイフを持ってくる。 「ねねがやりますので、それをよこすのです」  そう言って一刀からナイフを受け取ると、音々音はケーキを綺麗に切り分けていく。  恋、一刀、ねねとそれぞれ大きさが大、中、小となっている。 「へえ……上手いな」 「当たり前です! ねねにかかれば朝飯前なのです!」 「…………ねね、練習してた」 「ちょ、ちょっと恋殿!」  何故か、恋の言葉に音々音が慌て出す。 「ん? 練習ねぇ……恋にあげるつもりだったのなら初めから切り分けることも……いや、必要なのか?」 「…………ちがう」 「違うのか」 「…………そう。ねねは練習の時も三種類に切り分けてた」 「へぇ、つまりはじめっから三人分の予定だったのか……」 「し、知らないのです」  そう言って、音々音はケーキを乗せた皿を一刀と恋に差し出した。 「さ、食べるとしましょう!」 「ん、そうだな」 「…………もぐもぐ」 「って、速!」 「うむ、もぐ……我ながら良くできているのです」  恋が素早く食べ始めたのに一刀がツッコム間に、音々音も食べ始めた。 「それじゃ、俺も」  そして、三人はケーキとチョコまんを食べてのんびりとした時間を過ごした。 「ところで……」  おおよそ胃が満たされたところで、一刀はそれだけ言って、非常に言いづらそうに音々音をみる。 「なんなんですか! 気になるからさっさと言うのです!」 「鼻……鼻」そう言って一刀は自分の鼻を指さす。 「え?」音々音が真似をするように自分の鼻を触る。  実は、鼻頭にはチョコがついていたのだ。おそらく作るときにでもついたものだろうと一刀は思う。 「ん……ちゅぱっ。甘いのです」指をしゃぶって音々音がそう一言告げた。 「そうか……」 「って、なんで先に言わなかったのですか!」 「いや、敢えてやってるのかと」 「んなわけあると思ってるのですかー!」  そう言って音々音が近距離でのちんきゅーきっくを一刀へと炸裂させる。 「うぐぅ……い、以外と痛い……」 「ふん、ざまぁないのです!」 「…………こら」 「あたっ」  無い胸を張る音々音の頭を恋がコツンと小突いた。音々音が頭をさすりがら恋を見る。 「な、なにをするのですかぁ……恋殿」 「…………食事中に暴れるのはダメ」 「そ、そっちかよ……ガク」  恋の言葉になんとかツッコミを入れたところで一刀はテーブルに伏した。  † 二月十四日 正午  どれ程立ったのだろうか、ふと一刀は眼を覚ます。耳に、扉を叩く音が聞こえたのだ。  半濁とした意識の中、一刀はぼんやりと「誰か来たから出なきゃ」と思い扉へと向かう。そして、開けてみるとそこには一人の少女がおどおどとした様子で立っていた。 「あ、あの……あ、ごしゅ――一刀さん」  そう言ってにっこりと太陽のように微笑む少女を見て一刀の意識は一気に覚醒する。 「月じゃないか、どうしたんだ?」 「え、あの……ご――一刀さんがこちらにいると聞いて、その」 「ん? あぁ、そうか。そういうことか」  そこで、ようやく一刀は思い出す。今いるのは自室ではなく、音々音と恋の部屋だ。 「で、俺に用があって痕跡を辿ってここまで来たって事か……」 「は、はい……それで、ぜひご一緒して頂きたいのですが……」  僅かに頬を朱に染めて月は俯いてしまう。その姿を可愛らしいと思いながら一刀は背後を振り返る。共に来たらしい音々音と恋が立っている。 「む、恋殿との時間を捨てるのですか?」 「…………ねね」 「れ、恋殿?」 「…………今日は、恋たちだけが一刀を拘束しちゃダメ」 「むぅ、そ、それは……」 「…………みんな――のこと、好き」  恋が音々音になにかぼそりと耳打ちしたが一刀には聞き取れなかった。 「はぁ、仕方ないです。行ってくればいいのです」  ため息混じりに肩を落とす音々音と彼女を宥めてはいたが、表情に残念さと寂しさが見え隠れしている恋に一刀は申し訳なく思いつつ、頭を下げる。 「悪いな、二人とも」 「その代わり、ちゃんと埋め合わせはするのです!」 「…………こんどはずっと一緒にいる」 「あぁ、そうだな。それじゃ、月」 「え? あ、は、はい」  今まで、呆然と成り行きを見守っていた月が慌てて先導し、一刀はその横を歩いて行く。 「それで、月が俺を呼びに来た理由って言うのはもしかして……」 「はい。今日はばれんたいん、なので……その、へぅ」  そう言って、月は完熟トマトのように真っ赤になった顔を俯かせてもじもじとしだす。 「そっか……」 「へぅ~」  それから、目的地につくまで月は湯気が出そうな程に真っ赤なまま俯いていた。なお、何度か月がふらついたり、俯いたまま何かしらにぶつかるといったことをして一刀の気のせいでなければ割と時間が掛かった。  そうして、目的の場所の前へと辿り着く。 「あれ? 調理室?」 「実は、お借りしまして……」 「へぇ、そういのもありなのか……」  仕組みはよくはわからないが、どうやら月は校舎内にある調理室を借りたようだ。きっと、彼女の普段の生活態度などからなる信頼によって勝ち得た権利なのだろう。  そう思いながら一刀は扉を開く。すると、中にある調理用の机の一つにいた人影が二人の元へ駆け寄ってくる。 「遅かったじゃない、月……え? どうしたのよ、それ!」  そう言って人影――月の親友である詠が指さしたのは月のおでこだった。そこは幾度となく起こった衝突によってすっかり赤くなっていた。 「顔真っ赤じゃない……さては、こいつになにかイヤラシイことでもされたのね!」 「それかよ! じゃなかった、俺かよ!」  二重のツッコミどころに一刀はわずかにツッコミがぶれてしまったがなんとか軌道修正を行う。 「なによ、違うとでも言うわけ?」そう言って詠がじろりと一刀を睨む。 「う……そ、それは」  あながち、一刀のせいではないとは言えないわけで思わず口ごもってしまう。 「やっぱり、そうなのね……こいつは――」 「え、詠ちゃん。違うの、ただちょっと今日はほら、特別な日でしょ。だから、ちょっと恥ずかしくて、ね?」  そう言い聞かせるようにしながら詠を見る月。 「うぅ……月がそう言うなら」しぶしぶと詠が引き下がる。 「ふぅ、助かった」 「さ、それよりも速く行¥きましょ」  冷や汗を拭う一刀を促すようにして月が調理室の奥へと進んでいく。  その後を応用に一刀と詠が歩き始める。その際に詠が一言ぼそりと告げる。 「本当に、何もしてないんでしょうね?」 「あなたもホントよく疑いますねぇ!」  思わず、そう言い返すも詠は特に反応も見せず僅かに歩を早める。 「それは、そうでしょ……わからないの?」 「…………」  もう、一刀には返す言葉が無かった。ただ黙って続いていく。 「…………月だけだなんて……るい」  前を行く詠が何かを呟いたようだが、特に注意して聞いていたわけではない一刀の耳では聞き取ることは不可能だった。  そうして、なんやかんやと詠と漫才のようなやり取りをしながら月の元へ行くと、そこには見事な料理の数々が並んでいる。 「お昼ですから、ひとまず昼食でもいかがですか?」 「なるほど。そうだな、ちょうどお腹も減ってきたころだし」  月の言葉に頷くと、一刀は月と詠に挟まれるようにして座る。 「さ、食べましょうか」そう言って詠が料理を一刀の皿へと盛っていく。 「うん、そうだね」月も詠の言葉に頷きながら一刀の皿へ料理を盛っていく。 「……………………」  目の前にどっさりと大盛りに盛られた料理に一刀はあ然とする。 「ほらほら、冷めないうちに食べるわよ」 「そうですね、いただきましょう」  そう言って、二人は食べ始める。一刀も、慌てて食べ始めるが量がきつい。  だが、料理の味がよかったために一刀は完食することが出来た。 「ふぅ、満足満足」  そう言って、腹をさする一刀を微笑ましげにみつめる月がガラスの器を取り出した。 「あの、デザートにちょこあいすでもどうですか?」 「お、いいねぇ……暖房も効いててちょっと熱くなってきてたからな」  そう言って、器を受けとる。綺麗な半円を描くそれをスプーンですくい取り、口へと運ぶ。少し頭に痛みが走るがすぐに、とてもスッキリとした気分になる。 「うん、美味い。これって、月が作ったのか?」 「はい、そのためにちょっとここを借りてたんです」  恥ずかしそうに月がそう答える。と、一刀を挟んで反対側に座っている詠が一刀の服をチョイチョイと引っ張る。 「ん」そう言って、茶色いものを差し出す詠。 「お、詠もくれるのか……これは板チョコか?」  何も言わない詠を不思議に思いながら一刀はそれを口へと運び一囓りする。 「……………………か、辛ぁぁぁぁああああ!」  それは、何とも言えない刺激だった。まるで舌にある味覚を感じるための細胞がぷつぷつと死滅していくかのごとき衝撃が襲ってくるのだ。  食べたものが、チョコでなくカレーのルーで、しかも激辛だと気付いたところで一刀は涙目になりながら詠を睨む。 「あっはははははは! バーカ、バーカ! 調子乗ってるからそうなるのよ」 「え、詠ちゃん! 大丈夫ですか?」詠に起こりながら一刀を心配する月。 「ら、らいじょうぶら……ひょっと、ひたがひりひりするらけら」  舌がピリピリとしていて上手く喋れないが、平気であることをアピールするように一刀は月の頭を撫でる。 「あ、あの……それじゃあ、その……あ~ん」  恥ずかしげに頬を染めながら月がスプーンにすくったチョコアイスを一刀の方へと突き出す。 「あーん」何のためらいもなく一刀はチョコアイスを口に含む。  舌の痛みがとてもやわらぐ。 「いや、助かったよ。月。それにしても、詠め……って、あれ?」 「詠ちゃん……?」  いつの間にか席から姿を消した詠に月と共に一刀が首を傾げていると、別の部屋――教員用だろうか――から詠がやってくる。 「ほら、これをいれてあげたから勘弁してよね」  そう言って、一刀と月の前に二つのマグカップを置く。 「ん、これは……ずず」  多少の警戒心を持ちながら一刀は少し、口に含む。 「なるほど……な」  一刀は、中身がなんなのかわかり一人頷く。それを見た月が続いて口に含む。一方の詠は再び別の部屋へ戻り、自分の分をもって戻ってきた。 「あ、そういうことだったんだ……もう、素直じゃないんだから」  月のその言葉に詠は視線を泳がせるが、その顔が朱に染まっているのが月の言葉への素直な返答となっていた。 (そうか……ココアか……これを出すためにあんな小細工を)  そう考えると、一刀は先程までの怒りは消し飛び詠が可愛らしく思えてきた。 「まったく、ホント素直じゃないヤツ」そう言って詠の頭を撫でる。 「フン! なんのことかしらね……」  そう言って、詠はそっぽを向くが、身体はすっかり一刀に寄りかかっていた。  そのまま、三人は詠のいれたココアを飲みながら寄り添い合いながらゆっくりとした時間を過ごしたのだった。  † 二月十四日 昼  月と詠の二人と別れた一刀は、腹ごなしに外をぶらぶらと歩いていた。  そうして、しばらく歩いていると、中庭のほうでなにやら何かを食べているような音が聞こえる。 「なんだろ?」  不思議に思い、そちらに近づいてみた一刀が見たのは、二つの山と二つの人影だった。 「あぁ、二人か」  そう口にした一刀の目に映ったのは猪々子と華雄だった。その言葉が届いたのか猪々子が一刀の方を向く。 「もぐ……ん? ほほ、ふぁふとひゃんか!」 「何言ってるかわかんないんだが」 「ごく、んっ。一刀じゃんか、どうした?」 「いや俺はただ、昼食後の散歩……かな」 「ふぅん」それだけ言うと、猪々子は目の前のラッピングされたものたちから一つを取り出し封を開けて中身を出した。 「それ、チョコか?」 「そうだ、何故か私と言い猪々子といい大勢の女子から渡されてな……」  何処か必死な表情でチョコを頬張りながら華雄がそう答える。 「はは、二人とも女子に人気ありそうだもんな」 「どうしてこうなったのやら」 「まったくだな」  華雄と猪々子は互いに頷きあいため息を漏らした。そんな二人に苦笑しつつ一刀は答える。 「いや、まぁ二人とも格好良い部分があるからだろうな」 「そういうものなのだろうか」 「うぅん、たくさん食べられるのは嬉しいんだけど、さすがにこうも同じものばかりじゃな……」  よく見れば二人の横にあるくずかごは包装紙や空箱で一杯になっている。それに、二人の口元は茶色い食べかすで酷い有様だった。 「いろんな女子からもらったが、月様からはまだ貰っておらん……というか、これのせいで会いにすらいけておらんのだ!」  そう言って華雄がむしゃむしゃとチョコを食べていく。 「はぁ、どうせなら……こう、溶かしたこれを斗詩の躰に塗りたくって一緒に食べたい……」  ぼんやりと空を見上げながらそう呟く猪々子。その口はしっかりと動いている。  一刀は、今の猪々子がぶつぶつと漏らす妄言を聞きながらその様子をちょっとだけ思い浮かべることにする。 「あの豊満な胸の谷間に溶かしたこれを流しこみ、まずはズズ……と啜るだろ。それで、次は全体へとコーティングを施して少しずつ、そう、少しずつ舐めていく……舐め取って行くにつれて斗詩の白く柔らかな肌が露わになり、そこはほんのりと桜色に染まてってて……それで、きわどい位置を舌が這うたびに斗詩は躰を強張らせるんだ」 「……ごくり」 「それから、おっぱいを下乳のほうからすっと舐めていってぐるりと外周を回り、そこから渦を巻くように中心へと向かい最後に突起状の木の実を口に含んでじっくりねっとりと舌でなぶる。それを左右交互に力加減や間隔を変えながらやったら、もちろん下腹部、さらにその下まで舌を動かしていき、今度は口全体でぱくりといっちまうんだ……そして、表側がほぼ全部なくなったら。最後に、斗詩の顔についてるのを舐めていって額、瞼、鼻、顎の輪郭から唇へと言って今まで吸い取ったのを斗詩の中へと注ぐ。そんで裏返すんだ」 「…………で、で?」  たまらず、一刀は先を促す。 「…………何をしているのだか」  そんな華雄の声が聞こえたが敢えて流す。 「うつぶせになった斗詩の後ろ姿に興奮をしながらもやっぱり溶かしたこれを塗りたくるんだ。そして、最初とは逆に今度は首から行くんだ。首から腰まですっと舌を一気に走らせる。すると、斗詩はぞくりと躰を震わせる。それから同じように首、肩、腰にのこるのを舐め取っていく。で、残りは下半身となったら舌ではなくて、唇を這わせて斗詩の肌を吸い込みながら動かしていくんだ」 「……ふんふん」 「そうやって、一気に足まで言ったら足の裏を丁寧に舐める。それこそ指のあいだからなにからじっくりと」  気のせいか、猪々子の顔が赤みを帯びている。だが、一刀は止めない。 「そして、ふくらはぎ、太股、といったら……尻だ、これはもうかぶりつくようにぱくっといくんだ。そして、尻朶をまるで吸盤にでもなったように吸い付きながら移動する。きっと、斗詩のお尻だ……お腹同様ぷにぷにしてるに違いない」 「な、なるほど……」 「なんなんだ、こいつらは……」  まとも華雄が何か言う。しかも、気のせいが視線が厳しい。 「そして、こんどは尻の谷間に残ったチョコをゆっくり焦らすように舐めていくんだ。そして、だんだんゆっくりにされるのになれたところで一気にすっと舌を駆けさせる。そこで、斗詩はかるく悲鳴をあげる……で、後は後ろでも前でも好きな方からじっくりと――ぶはっ!」  そこが猪々子の限界点だったらしい……彼女は鼻血を拭いて机に倒れ伏してしまった。ただ、その表所はどこかやりきった感じのあるとてもすがすがしい笑顔だった。 「お、おい……そこで終わりかよ!」 「いや、これ以上は公序良俗に反するだろ」  頬杖を突きながら板チョコをパキリとかみ砕いて華雄がそう告げる。 「え? も、もちろん、俺だってそう思ってたぞ。ホントだぞ」 「…………まぁ、いい。それより、一刀も手伝え」  そう言って、華雄が二つの包みを一刀に投げ渡した。 「ん、俺はこの二つだけ食べればいいのか?」 「あぁ、だが……ここ以外で食べろ」  何故か頬を染めてそっぽを向く華雄。それを不思議に思いながら一刀が包みに視線を降ろすと、そこには『一刀へ』とかかれたカードが挟まっている。片方には可愛らしいちっちゃな金剛爆斧と斬山刀が描かれている。 (なるほど、二人も一応用意してくれてたんだな……)  そこで、華雄の表情と心情を察して一刀は立ち去ることにする。最後に一声掛けて。 「それじゃあ、俺は行くよ。ありがとな、猪々子、それと――」 「はっ、と、斗詩! まっぱの斗詩は!?」  一刀が華雄の名――いや、この武力を一番に考えなくていい世界で彼女を呼ぶときに使う、以前の外史でいうところの真名――を呼ぶ声は猪々子の寝起きの騒ぎで周りに誰かがいても聞こえない大きさになっていた。でも、どうやら華雄本人には届いたらしく、顔を真っ赤にしたかと思うと、机に顔を密着させて動かなくなってしまった。  その様子を微笑ましく見ながら、一刀は手を振りながら立ち去る。 「それじゃあ、二人ともチョコありがとな!」 「斗詩、全裸の斗詩はどこいったんだ! って、おぉ。じゃぁあな~!」  猪々子が元気よく手を振り返す。その横で華雄が相変わらず机に口付けでもしているような体勢のままひらひらと手を振っていた。  † 二月十四日 おやつどき  華雄と文醜の二人と別れた一刀は、まだ中庭をぶらぶらと歩いていた。 「さて、折角だから速いとこ食べてみるかな」  そう言って包装を解いてそれぞれじっくりと味わう。 「うん、美味いな……」  どちらも、不器用ながらもしっかりと作られている。多少、見ためは前衛的に見えなくもないが味はしっかりしている。  猪々子のほうは、多少角張ってる部分のあるトリュフ……シンプルではあるがよく作ったと思う。  華雄のは、アーモンドの入った石畳チョコだ。少々、長方形ではなく三角ぽいのや台形や菱形があるが……まぁ、アーモンドが飛び出してる以外は特に問題は無い。  そんな風にチョコの品評を行っている一刀の肩を誰かが叩く。 「ん?」 「どうも、一刀さん」  そこいたのは斗詩だった。 「あぁ、斗詩……っ!?」  彼女の姿を目視した瞬間、一刀の脳裏に先程猪々子が駄々漏れにしていた妄想が流れ込む。目の前に本人がいるために余計に躰のラインから肌のきめ細かさまでがわかってしまい、妄想に一層のリアルさを与えている。 「あの? どうしました?」 「……ぶ、ぶはぁ!」  前屈みになって一刀をのぞき込む斗詩。その両腕に挟まれて胸を見た瞬間、一刀は先程の猪々子同様血を拭いた。 (あ、やばい……)  そう感じたときには遅く、一刀の視界は真っ暗になっていた。 「…………ん、うぅん」  風が、心地よい。そんな感想が浮かんだところでようやく一刀の意識は戻ってきた。そして、目を開くと正面に斗詩の顔がある。 「あ、起きましたか?」 「あぁ……悪いな、突然倒れたりして」 「いえ、でも……ちょっと驚いちゃいました」  そう言って斗詩が微笑む。それは二人の近くにある木の間から見える木漏れ日と相まってとても輝いて見える。 「ところで、これって……」 「直接地面はどうかと思って膝をお貸ししたんですけど」 「そうか、ありがとな」  そう言って、一刀は起き上がろうとするがまだ視界がチカチカとして躰がフラリとする。 「ダメですよ、無理しちゃ」 「でもなぁ……」 「私は構いませんから……」  そう言って斗詩は一刀の頭をぐいっと下げて再び彼女の太股へと乗せる。 「それじゃあ、もう少しだけ」 「はい」  正直、一刀はこの感触が味わいたいと思っていた。程よく肉と脂肪がついておりとても柔らかいのだ。擬音で言うならぷにぷにといったところだろう。 「…………いま、何か失礼なことを考えませんでした?」 「イ、イエナニモ……」  何故か逆光になり見えなくなった斗詩の顔の二点――瞳だと思われる――がキラリと光り一刀は躰を縮み上がらせた。 「まぁ、いいですけど。一刀さんなら」 「そ、そうか……」  ころっと表情を変えて微笑む斗詩に一刀は安堵の息を漏らす。 「もっとも、今回は……ですけど」 「肝に銘じます」  そう答えて、一刀は再び瞳を閉じる。  爽やかな風とほがらかな陽射しが気持ちよかった。  そうして、どれ程の時を過ごしたのだろうか、一刀は自分の様態が大分良くなったのを確認して斗詩の太股から上体を起こす。 「ありがと……もう大丈夫だ」 「みたいですね。顔色も良くなってます」 「そういえば、斗詩はどこか行くところだったんじゃないのか?」  ふと気になり、一刀は尋ねて見る。 「いえ、猪々子のところへ行こうとしてただけですから」 「そっか……そういや、さっきあったけどチョコの山に苦戦してたな」 「それじゃあ、言ってあげようかな」  くすりと笑みを零して斗詩がそう言う。一刀はその言葉に肯く。 「それが良いと思うぞ」 「そうですね……あ、そうだ。一刀さん、はい。バレンタインのチョコ」  そう言って、斗詩から両手で丁度覆えるほどの可愛らしい薄いピンクのビニールの包みを手渡される。 「お、ありがとう。斗詩」 「いえ、それじゃあ。失礼しますね」  そう言って、斗詩が先程一刀がやって来た方へと歩き出した。 「どれどれ……へぇ、クッキーか」  それは星形やハート型、それに丸や菱形といった形状をした一口サイズのクッキーにビターとホワイトのチョコがかかっているものだった。  一刀はちょうどおやつどきだと思い、それを一つつまんで口へと放り込む。 「…………うん。やっぱり、さすがは斗詩って感じだな」  そう言って頷きながらまた一つ口へと頬張っていく。  † 二月十四日 午後  斗詩の手作りチョコクッキーに一刀が舌鼓を打ちながら歩いていると。前方から、巨大な筋肉の塊がやってくる。 「あらん、ご主人様」 「げ……」  この日最も合いたくなかった相手と一刀は出会う。そう、筋肉ダルマ……貂蝉だった。 「どぅふふ、この愛を堂々と示せるすんばらしき日、ぶぁれんたぁいんんん! ご主人様のたぁめぬにぃぃいい! 丹精込めてチョコを作ったわよぉぉおおん!」 「うげぇ……」  妙に興奮しきった様子で躙り寄る貂蝉と距離を開けるように一刀は後ずさる。 「ぬふふ、そうして出来たのがこれよぉん! ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううう!」  ズドォォォオオン  奇声を発しながら、貂蝉が異常に大きい包みを前に出した。それは、高さで言えば、貂蝉とほぼどうサイズである。 「な、なんだよこれ……」 「特製、チョコよん! ち、な、み、に等身大のわ、た、しよん」 「…………」  一刀は無性に帰りたくなった。というか帰ろうと試みる。が、回り込まれて失敗。 「他人の話は最後まできくものよん。それで、わたしの全身はわりと甘みのあるスィートなチョコ、お下げはちょっと大人なビターチョコ。そんでもって、愛らしいピンクのヒモパンがストロベリー。どう? おいしそうでしょ? しかも、まだ秘密があって――」 「あぁ、悪いんだけど……イマチョットトリコンデルンダ」 「えぇ!? そうなのぉん?」  残念そうな表情を浮かべる貂蝉に一刀はさも申し訳なさそうな表情を浮かべてみる。 「ウン。ダカラ、コレカラ、オレガイウヘヤニ、トドケテオイテクレ」  そう言って、一刀は自分のではない部屋……悪友である一人の少年の部屋を教える。 「ソウダ、ソレトセッカクダカラ、オマエノメッセージヲカードニカイテソエテオイテクレヨ。タダシ、ナマエナシデ」 「ふふ、なるほど。そうしてわたしの愛の言葉も一緒にいただくのねぇん。わかったわん」 「そ、それじゃあ、またな!」  そう言って一刀は駆け出す。一刻も早く離れるために……そして、胸に湧き送るミクロ程度の罪悪感をかき消すために。 「ね、念のために……」  後を追われていたらと思い、一刀は貂蝉の視界から姿を消すようにたまたま見つけた物陰へと潜り込むようにとっさに曲がる。 「お、か、一刀じゃないか――って、おい!」 「う、うわっ、おまっ……だぁぁぁあ!」  ドン!  物陰に隠れていた先客とぶつかり同時に倒れ込んでしまった。  † 二月十四日 もう一つの朝 「ふぁ……いかんいかん」  込み上げるあくびをなんとか噛み殺すと白蓮は周りをきょろきょろと見回す。 「だ、誰もいないよな」  今、白蓮は一つの建物に忍び込んでいた。といよりは、普通に遊びに来ているようにも見えるが、正直、挙動不審なその行動が目撃されればきっと怪しく見えていることだろうと白蓮は思う。  何故なら、この日は白蓮にとっても非常に大事な日なのである。 「すぅ~ふぅ~」  今日という日の意味を再認識して白蓮は深く呼吸をする。  そして、手に握りしめているビニールの包みを見る。中には白蓮が寝ずに用意したアレが入っているのだ。この日のことを知り合いから聞いたのが数日前。 「さすがに大変だったな……」  その数日を振り返る。慌てて原材料となる茶色の物体が詰め込まれた袋を買いに行き、家に帰ってからは知り合いから譲り受けたレシピを元に湯煎で溶かし、自分なりの工夫をしながら固めていき試食。  何故か、味の調整がきかず、試行錯誤を繰り返した。  そして、昨夜……から今朝まで本番として制作し、あらかじめデザインしていたデコレーションを飾り付け、ついに完成させた。ハート形のそれはちょうど人差し指と親指で挟める程度の大きさで、全部で十個ある。別に十個という数に拘りはない。 「もうすぐだな……」  今日までの流れを振り返っているうちに、白蓮の脚は目的の部屋へと近づいていた。と、近くに差し掛かったとき、何やら話し声が聞こえてくる。 「――では、いくとしようか」 「くふふ……一刀のやつぎょうさん驚くやろうな」  それは、白蓮と目的の人物――北郷一刀の共同の知り合いである星と霞だった。 (てことは、あいつらも目的は同じ……なのか?)  こっそりと様子を窺いながら白蓮は考える。もし、あの二人に見つかったとしたらどうなるのか……間違いなくからかわれつづける日々を送ることになるだろう。  そうなると、一刀と気まずくなり距離が空く。そして、しばらく話すどころか近づくことすら出来ない日々に逆戻り……。 (そ、それだけはダメだ! それはイヤだ!)  未来予測を終えたところで白蓮は一層息を潜ませる。二人にバレないように。  そうして、白蓮がしばらくじっとしていると星と霞が話を終えたらしく、そっと部屋の扉の鍵を開け中へと忍び込む。 「これで一番乗りはあいつらか」  ため息混じりに、入室していく二人の背中を見送って白蓮は壁に寄りかかる。  おそらく二人は、当分の間出てこないだろう。そう結論づけて白蓮はしばらくその場に座り込んで身体の力を抜く。  そして、深いため息の後に瞼を降ろした――――。  † 二月十四日 もう一つの午前 「……あれ?」  再び瞼を開けたとき、白蓮は自分が寝てしまっていたことに気付く。 「しまった……徹夜作業の影響が今頃になって」  そう吐き捨てると白蓮は慌てて一刀の部屋の前へと行く。 「か、一刀ぉ? い、いるかぁ?」声が裏返ってしまう。  が、中から返事は返ってこない。不思議に思い白蓮はかつてとある人物より授かった合い鍵で開ける。  カチャリと音を立て扉のロックが外れると、白蓮はそっと扉を開く。 「…………」  ただただ無言。白蓮はまたもや自らの不運というか、間が悪いというか、なんにせよあまりよくないことが起こっていることを理解した。 「つまり、出遅れたか」  そう呟いて白蓮はがっくりと膝を突く。が、今日ばかりはいつもの白蓮ではない。 「まだだ、まだ終わらんぞ!」  そういってガバっと立ち上がると、白蓮は急いで部屋中を見て回る。何か、行き先を示す者が無いか見落としの無いよう念入りに見ていく。 「何か、何かないか?」  そう言って、探す……机の上と下、引き出しはさすがに良心が咎めるので鍵の掛かっていない者を少しだけ開ける。 (これも目的達成のためであり、ここ数日間の努力を無駄にしないためやむを得ないことなんだ……決してあいつの私生活をのぞき見るつもりじゃない!)  内心でそう言いながら、白蓮は次々と調べていく。  授業で使っているであろうノート、教科書もなにか呼び出しのメモでも挟まっていないかパラパラとめくる。そして、筆箱の中まで見たところで机周辺をあらかた見終えたことになる。 「次だ、次!」  そうして、あまりつかわれていなさそうなキッチンを見るが、特にない冷蔵庫にマグネットで貼ってあるのはせいぜいゴミ出しの日付とカレンダー程度である。  とりあえず、誰かと遊びに行く――この世界で言う"でーと"というものをしにいく回数を調べ、空いている日にこっそりと自分の名前を書いておく。 「これで、よし! ……じゃない!」  満足げに笑顔を浮かべかけて白蓮は自分にツッコミをいれる。やることはやったと、白蓮はキッチンを後にした。そして、今度は一刀が普段使用していると思われるベッドへと近づく。 「…………」  未だ、頭の形を残すように窪んだ枕。乱雑にめくられた掛け布団。そこに少し前まで一刀がいたというのがありありと思い浮かべることが出来る。  そう思うと、妙に身体がうずうずとしてくるのを白蓮は感じた。そして、それを抑えきれず彼女は動き出す。 「せいやっ!」  気合い一閃、白蓮はベッドへと腹ばいになるように飛び乗る。そして枕に顔を埋め、小さく息を吸う。 「すーっ、はぁー」  一刀の匂いがする……その言葉が真っ先に白蓮の脳裏を掠めた。それはまるで戦闘を生き甲斐とする者が戦闘をしているときに感じるのであろう悦楽に似たものが感じられる。  そして、そのまま掛け布団にくるまりベッドの上をごろごろと転がり回る。 「ふふふ……」  顔をにへら、とだらしなく歪ませては頬を朱に染めて掛け布団や敷き布団、もしくは枕へ顔を埋めて身体を撥ねさせる。  そんなことをしばらく続けたところで白蓮は顔をばっと上げる。 「これではただの変態じゃないか! というか、こんなことしてる場合じゃないんだよ!」  慌てて、白蓮はベッドから離れ……ようとしたが、中々身体が言うことを聞かない。 (そういえば、こうやって一刀に関するものに触れたのは久しぶりだな)  一刀の温もり、匂いに包まれている今の情況は彼女のこれまでの生活の中で一、二を争うほどに至福なものだったのである。  だからこそ、身体も動かないのだが……本来の目的を思い出し白蓮はなんとかベッドから離れる。 「で、一刀は……」 「…………」  いつの間にか、扉のところに眼鏡を掛けた男子生徒がいた。 「なんだー! お前ぇ!」 「それはこっちのセリフや!」  ビシッと指さして叫んだ白蓮に眼鏡の男子生徒が言い返してくる。 「なんで、かずぴーの部屋にいるんや! あれか? かずぴーの帰りをまっとるっちゅーことか? くぅぅうう! あんのスケコマシ! 戻ってきたらどうしてやろう」 「ん? 一刀の行方を知っているのか?」 「いや、何処行ったかは知らんけど、なんかちっこい娘に連れてかれたのかは覚えとるで……まさか、子供にまで手を出すとは……恐ろしいやつやで、かずぴー」  何やら、一人でぶつぶつと呟いている男に白蓮は詰め寄る。 「それは、本当か?」 「あ、あぁ……借りてたCDを返すついでに今日一日連れ回して台無しにしたろー思って……うぉっほん! まぁ、用があってかずぴーの部屋に来たら丁度、なんか何考えてるか読み取りにくくてちょっと怖い感じだけどメチャ可愛い娘と今言ったちっこい子に『いいからついてくるのです!』とか言われながらどこかに引っ張られていくところやったんや」 「そうか、助かったぞ!」  それだけ言うと、白蓮は眼鏡の男を押しのけて部屋から出て行く。 (一刀の周りで特別小さくて、口調に特徴があるのは……ねね。そして、無表情といえば恋。あの男子生徒が言っていた組み合わせに該当するのはそれだけだ) 「ちょ、結局なんやったんやー!」  背後で叫ぶ男を無視して白蓮は別の寮へと向かった。 「くそ、あそこで居眠りしたのがいけなかった……」  そう言って舌を打ちながら白蓮は走る。  そうして、白蓮はとある寮の一室を訪れた。そして、慌てるように中の住人へ自らの来訪を伝える。すると、中かからなにやら駆け足で扉へと向かってくる足音が聞こえ、扉が開かれる。 「一体、なんですか?」出てきたのは音々音だった。 「おい、一刀はいるか?」 「あぁ、あれならもうここにはいないのです」 「は? ま、またか……」  音々音の言葉に額に手をやる白蓮。どうやら行き違いになったようだ。とはいえどこかですれ違わないものではないのだろうかとも思う。と、白蓮が一人考えているところに更に人影が音々音の横に現れる。 「…………白蓮」 「え?」  恋だった。彼女は手に何か持っている……肉まんだろうか。白蓮にはよくわからない。 「…………折角だから、白蓮も一緒に」 「あぁ、なるほど。そうですね、さ、ここではなんなので中で話すのです。食べるものはたっぷりありますから」 「…………いく」  そう言って、二人はそれぞれ白蓮の腕を握り引っ張っていく。 「え? いや、わた、私は――あっ」  あっという間に白蓮は中へと引きずり込まれ、扉は無情にも閉まった。  † 二月十四日 もう一つの正午  ようやく、チョコまんとチョコケーキの群れから脱した白蓮はふらふらになりながら校舎へと入り、その一室である調理室へと入っていった。 「おい、一刀はいるか!」 「あら、何しに来たの?」詠が、不思議そうな顔で白蓮を見る。 「いや、一刀がここにいると聞いてな」 「一刀さんなら、先程出て行かれましたよ」 「え?」 「だから、ちょっと昼食食べたらすぐ行っちゃったわよ」  ぽかんと開口したままの白蓮に詠がだめ押しの一言を投げかけてくる。 「う、嘘……」 「残念ながら、ホントよ」 「またかよ……」  そう白蓮が言ったところで、腹も悲鳴を上げた。 「あら? 空腹なの?」 「そういえば……昨日の夜から何も食べてないな」  腹をさすりながら白蓮はそう答える。すると、月がにこりと微笑んで声をかける。 「なら、まだ昼食の残りがありますので食べていきませんか?」 「し、しかしだな……」  そうもいかないと白蓮が言葉を続けるよりも先に彼女の腹が答えてしまう。 「まったく、勝負の前には腹ごしらえ暮らしときなさいよ」 「そ、それはまぁ……一理あるとは思うが」 「それにあいつなら、どこかその辺をぶらついてるわよ」 「そうか、なら、腹ごしらえだ!」  そう言って、白蓮は調理室の奥へと進んでいった。  † 二月十四日 もう一つの昼  昼食を済ませた後、白蓮は何処に行ったのか分からない一刀を捜して歩き回っていた。  適当にあるいていれば出会えると思っていた以外と見つかることもなく、白蓮は困り果てたまま中庭へと歩を向けた。すると、休憩所で寝そべっている猪々子を見つけた。 「おぉ、猪々子じゃないか」 「んぁ? あぁ、いよう」  白蓮が声をかけるとそう言って猪々子は手を挙げた応えた。 「なんだ、お前一人……って、なんだこのゴミは」 「あぁ、さっきまで本当は二人だったんだけどさ――」  そこからは、猪々子が膨れた腹をさすりながらあまりにもゆったりと喋るため白蓮は自分の中で話を纏める。  要約すると、猪々子は先程まで華雄とともに女子生徒たちからもらったものを食べていた。ただ、その途中一刀がやってきて少し話をした後立ち去った。すると、華雄はそれから真っ赤になってなかなか動かず、どうしたのかと見ていると急にがばっと立ち上がり『すまんが、私はこれで』といって自分の分のまだ食べていないチョコを抱えてどこかへと姿を消してしまったのだそうだ。 「へぇ、ということは、このゴミはお前らが食った後か……」 「まぁ、そういうことだけど……ふぁ」  そう言ってあくびをする猪々子。余程眠いのだろうか瞼をおろしてしまった。。 「…………片付けろよ」  白蓮はそれだけ告げて立ち去ろうかとするが、ふと気付く。『一刀に会った』という事実に。 「お、おい、ちょっと待て!」 「ぐ~」 「ね、寝るなよ……って、あのぉ?」  すっかり眠り込んでしまった猪々子を起こそうとする白蓮の背後に人の気配がする。そして、その人物に声をかける。 「君、困るよこんなにゴミをため込まれちゃ。ちゃんと処理するんだぞ」 「は、はい……すみません」  どうやら通りすがりのココ……フランチェスカの関係者のようだ。白蓮は一先ず謝ると、ゴミを分別しながら捨て始める。 「まったく、ちゃんと片付けておくように。後でまた見に来るから」  白蓮がせっせと処理しているのを見ると、関係者は場を後にした。 「くそ、なんで私がこんなことを……」 「ぐ~むにゃむにゃ……斗詩ぃ、今度はおっぱいの饅頭……」となりでは気持ち良さそうに猪々子が寝ている。  その姿を見て拳を握りしめるがそれを使用するほどの暇もないので白蓮は片付けに集中する。  そして、何とか片付けが終わったところで丁度見計らったかのように猪々子が眼を覚ます。 「ふぁぁぁ、よく寝た」 「そうかい。そら良かったな」 「あれ、まだいたんだ?」 「いろいろあってな。それで、聞きたいのだが一刀は何処に行った?」 「行き先は知らないけど、あっちにいったぜ」  そう言って猪々子が指さす方を見る。そして、もう一度猪々子を見と白蓮は礼を言う。 「ありがとな。それじゃあ、私はこれで」  そして、一気に駆け出す。遅れた分を取り戻すために。  † 二月十四日 もう一つのおやつどき  くそ、どこにいったんだ。 「あ、白蓮さん。どうもこんにちは」 「よう、斗詩。今、ちょっと急いでるんだ」  駆け足のままその場で足踏みしながら斗詩にそう答える。 「それじゃ」 「もしかして、一刀さんを追いかけてるんですか?」  白蓮はその言葉に駆け出そうとした脚を止めた。 「なに?」 「ですから、一刀さんを探してるんですよね?」 「あぁ、そうだが……知ってるのか?」  本日何度目になるかわからないな、と思いつつ白蓮は同じ質問をする。 「えぇ、つい先程まで一緒に居ましたので」 「そ、そうか……」  口元が引き攣りそうになるのを堪えて白蓮は頷く。 「この道をずっと行けば、多分いると思いますよ」 「よし、すまんな。助かった、それじゃあな!」  そう言って、白蓮はすぐさま駆け出す。 「頑張ってくださいねー! 喜んで貰えるといいですね!」  そんな斗詩の声に脚をもつれさせそうに形ながらも白蓮は駆ける。徐々に詰まってきた一刀との距離に心臓の鼓動を速くしながら。  † 二月十四日 もう一つの午後  大分、走り続けたところで一刀らしき後ろ姿を見つけた。 「……え、えぇと……ほっ」  かけ声一番、白蓮は物陰へと身を潜めた。 (って、何してるんだ私は!)  自らの意味不明な行動に苛立ちながらも一刀へ声を掛けようと白蓮は身を乗り出す。だが、そこには先客がいた。 「ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううう!」  先客……というか貂蝉が何やら規制を上げて一刀に何かを差し出している。 (デカッ! な、なんだあれ……)  遠目でもその大きさがハッキリとわかる包みに白蓮は手に汗を握りしめる。  距離が少しあるため、中々声が聞き取りきれないがどうやら一刀は貂蝉のプレゼントをあしらっているようだ。  そんな風に白蓮が判断していると、一刀が急に走り出す。しかも、白蓮の方へと向かっている。 「おいおい……ど、どすうる……え、えぇと……やむを得ん!」  白蓮は身を乗り出すのを止めて、再び物陰に隠れる。こうして一刀が通り過ぎたところですぐに声を掛けて手に持っているものを渡せばいいと考えたのだ。  そして、徐々に一刀の足音が近づいてくる。そして、白蓮の隠れている場所に差し迫ったところで白蓮は一刀に声を掛けようと再び身を乗り出す。 「お、か、一刀じゃないか――って、おい!」 「う、うわっ、おまっ……だぁぁぁあ!」  ドン!  何故か、一刀が物陰へと向かってきたために正面からぶつかり、倒れ込んでしまう。  † 二月十四日 夕方  衝撃による痛みが薄れたところで瞼を上げた一刀の瞳に映ったのは一人の少女だった。 「痛たたた……って、白蓮!?」 「か、一刀、お前いきなりこっちにくるんじゃない」  よく見ると、白蓮の手元は茶色い液体でぐちゃぐちゃになっていた。おそらくは作った後、長時間手にでもしていたのだろう。  そして、それによって体温と陽射しで暖められたチョコが徐々に溶け始めたに違いない。しかも、今の衝撃で包装が破れて手にべっとりついたのだろう。なんとなくだが、一刀にはそれがわかった。  と、そんなことを一刀が思っていると、公孫賛が両肩をぷるぷろと震わせる。 「ぐすっ……な、なんでこうなるんだよ……」  どうやら、堪えきれないのか悲しそうな涙後でそう言って。ぽろぽろと涙をこぼし始める。 「一日かけて……一刀に、やっと追いついたと思ったのに……」  その呟きを聞いて一刀はなんとなく、チョコが溶けた理由も彼女が泣いているわけも察することが出来た。 (そっか、ずっと俺を捜してたんだな……それで、長時間もチョコを……)  なんだか、凄く悪いことをしたと罪悪感に苛まれて一刀は白蓮に書ける言葉を思いつくことが出来ない。 「……白蓮、そ、その」 「いや、いいんだ……ぐす、これじゃあ台無しだな」  そう言って、一刀から顔をそらし白蓮が立ち上がる。そして、そのまま去っていこうとするので慌てて一刀は腕を掴む。 「まぁ、待てよ」 「は、離せ……離せよ」 「チョコ……くれるんだろ?」 「だから、すべてパーになったって――ひゃぁっ」白蓮が言葉の途中で妙な声を上げる。  その理由は、一刀が彼女の指を口に含んだからだ。舌を彼女の指に沿って動かす。また、口腔内全体を彼女の指に絡みつかせる。 「ちょ、ちょっと……んはぁ、あぁ」 「ちゅぅぅうう」  白蓮の指を一刀は思いきり吸引する。それこそ、しゃぶりつくすようにしっかりと。もちろん、全体的な動きの後は、細かいケアも忘れない。 「ペロ、ちゅ……」 「ん、あ……ふぅん」  白蓮の爪と皮膚の間に入ってしまっているチョコを舌で拭っていく。一度では取れきれないので何度も何度も往復する。  そうして指が綺麗になった、次の指へ。  そんなこんなで全ての指を舐めると、今度は掌や手の甲に口付けをする。それはまるで鳥が掌に載っている餌をついばむような形だ。 「ちゅ、ちゅ……ん」 「お、おい……もう、いいんぅ!」  軽い口付けを繰り返しては、時折強く吸引する。そして、もちろん舌で拭っていくのも忘れていない。 「ふぅ、大分綺麗になったな」 「はぁ……はぁ……そ、そうだな」 「それじゃ、最後に」  そう言って、一刀は白蓮の薬指を口へと含む。そして、カリっと甘噛みをする。 「ひっ」 「よし、これでいいな」 「な、なにを……」 「ちゃんと受け取った証……かな?」  その言葉通り、ちゃんと白蓮の薬指に跡を残すことができていた。それに満足すると、一刀は感想を述べる。 「それにしても、とても甘いチョコだったな。今日は、ビターなのが多かったからこれはこれで良かったぞ」 「はぁ……はぁ……あ、あのなぁ」 「ん?」  夕日以上に真っ赤な顔で自分を半眼で見つめる白蓮に一刀は見つめ返す。 「いや、なんでもないさ。それじゃ、わ、私は帰る!」  それだけ言うと、白蓮は勢いよく立ち去っていった。一人残された一刀はただただ微笑むだけだった。  † 二月十四日 夜    白蓮と別れて寮の傍へと戻るころには空はすっかり漆黒に染まり、暗くなっていた。 「はぁ、さすがに寒いな……」  白い息混じりにそんな言葉を漏らすもただ寒さがますばかりだった。 (余計な事はするもんじゃないな……)  そう思いながら、一刀はいち早く部屋に戻ろうと廊下を駆ける。 「ん? あれは……」  一刀の先に三つの人影が歩いている。それは三人の少女だった。 「あぁ、天和、地和、人和か」 「あ、一刀ー!」 「どっか行ってたの?」 「どうも、こんばんは」  三者三様に反応を示す少女たちに一刀は笑顔を浮かべ、一先ず侍女の質問に答える。 「ちょっと、外をぶらついてたんだよ」 「ふぅん」意味ありげな視線で地和が一刀を見据える。 「…………」いや、他の二人も同じだ。 「ほ、ホントだって。それより、三人はどうしたんだ?」 「あぁ、ライヴの帰りに一刀さんのところに行こうと思って」 「ライヴ?」 「うん、バレンタインライヴ。ふぁんのみんなに歌と一緒にちょこを配ってきたの」  一刀の質問に天和が答える。それに続くように地和が言葉を重ねる。 「それで、一刀にもちょこをあげにね」  そう言うと、三人が一刀にほんの数センチの台形型のチョコを渡してきた。 「こ、これか……」 「そう、ちっちゃくて可愛いでしょ」そう言って天和が小首を傾げる。 「そ、そうだな……」 「それに、経済的にも優れていますしね」人和が冷静な声でそう付け足す。 「…………あ、あはは」  一刀は、それに対して複雑な気持ちを抱きつつもチョコを受け取って三人へと礼をする。 「あ、あぁ、そうか。なるほどな、いや、わざわざ悪いな。それで……どうする? 上がってくか?」 「うぅん、今日はもう疲れちゃったから……これで」 「そういうわけだから、じゃーねー!」  そう言って、天和と地和が駆けていく。 「あの一刀さん」 「…………ん?」 「本当は、こっちを渡す予定だったんですよ。ふふ」  微笑みながら人和がスッと紙袋を一刀に手渡す。それを呆然としたまま一刀が受け取ると彼女も姉たちに続いて走っていった。 「な、なんだったんだ?」  首を傾げながら一刀は紙袋を開ける。そこには三つのハート型で数十センチという先程のとは比べものにならない大きさの箱が三つ入っていた。 「なるほどな……」  そこで、一刀は気付く。あの台形のチョコは……いわば見本だったのだ。 (ファンに配ったのがあれで、俺にはこっちだぞって意味か……)  回りくどい渡し方だと思いながらも一刀は正直、まんざらでもなかった。  そして、一刀はそれぞれのチョコを食べ比べながら自宅へと戻っていく。  † 二月十四日 帰宅 「ふぅ、これで今日は終わりかな」  妙に長く感じた一日を振り返りながら一刀は伸びをする。とても気持ちが良かった。 「さて、と」  自室に戻り、鍵を開けようとする。だが、鍵は掛かった。 「あれ?」  不思議に思い、改めて鍵を開ける。今度は開いた。つまり、鍵は開いていたわけで、中に誰かがいるということだろう。  そう考えて、一刀は脚を止める。 (ま、まさか……貂蝉)  嫌な想像が過ぎるが、そんな馬鹿なと頭を振ってそれを吹き飛ばす。それでも慎重に室内へと入り、音を立てないようにそっと扉を閉める。 「一体、誰が……」  唾をごくりと飲み込んで室内をゆっくりと忍び足で進んでいく。 「ん? なんだこれは?」  一刀は、キッチンを覗き呆然とする。キッチンのなかは暗くてよく分からないが何かが飛び散ったような跡があり、あちこちに刃物が刺さったようなあとがある。 「…………」一刀はあまりの惨状に息を呑む。 (ま、まさか……強盗? それとも殺人鬼か?)  自分を何が待ち受けているのかわからない恐怖が一刀の胸を締め付ける。心臓がバクバクと強く脈打ち、息が抑えるのが大変なほど乱れている。  そして、事件現場のようなキッチンを後にすると一刀はさらに歩を進めていく。 「今度は……なん――いや、誰だ?」  薄暗闇のなか、何者かが、一刀が以前出したとき、そのままにしていたこたつに入って両腕を卓上に放り出したままうつぶせになっているような姿が僅かに見える。 「……ごくり」  背中に冷たいものが流れ落ちるのを感じながらも一刀は近づいていく。  後三歩、二歩、一歩。 「って、麗羽……?」  そこにいたのは紛れもなく、麗羽だった。さらによく見れば手元には何やら箱がある。そこに『一刀さんへ』と書かれたピンクを基調とし、キラキラとしたスパンコールのような装飾が全体についた封筒があった。  一刀は麗羽を起こさないように気をつけてそっとその封筒を手に取る。そして、封を切ってみると中には一枚のメッセージカードが入っていた。 『Dey――でぃあ、一刀さんへ  実は、斗詩からバレンタインというものについて聞きましたの。そこで、一刀さんはきっと誰からも貰えないのではと思い、仕方がないのでこのわたくしが……このわたくしが! あなたに恵んで差し上げることにしましたわ。ですので、ありがたくいただきなさいな。おーっほっほっほっほ!  Fl――ふろむ 麗羽』  最初の『Dear』――だろうか――と同様に、ペンでぐしゅぐしゅとかき消されかけている最後の『From』――だろうか――という部分の後の麗羽の名前まで読んで改めて封筒を見ると、暗くて見えなかったが『一刀さんへ』の前に文字があり全体で見直すと『恵まれない一刀さんへ』と書かれていた。 (やれやれ……どこまでプライドが高いんだろうな……)  本当は、手紙のあちこちにあるツッコミどころに一言ずつなにか言いたかったがそれは我慢することにする。 「大体、それを渡すためにこんな時間まで待っててくれたんだもんな……言葉に説得力がないだろ」そう言って一刀は肩を竦める。  先程の、キッチンで麗羽が悪戦苦闘しながら作ったのであろうことを思い描きながら一刀はくすりと笑みを浮かべる。わざわざ、一刀の部屋にあるキッチンで作ったと言うことは大分早いうちから部屋に来たはずだ。  そして、チョコを試行錯誤しつつ作り上げ、一刀の帰宅を待っていたのだろう。そして、遅かったために寝てしまったに違いないのだ。 「まったく……」  ため息――とはいっても、顔は微笑を称えており、嬉しい余りに漏らしたものではあるが――をつきながら、箱を手に取る。 「どれ……うぅん、暗くてよく見えないな」  箱からチョコを取り出し一刀は眺める。だが、さすがに電気も付けないまま暗闇で見てもはっきりとは見えない。形は普通のようでそうでないような、どこかトンデモなさそうな感じもするがそうでもないような……よくわからないように一刀は手触りで感じた。 「ま、食べてみるか」  そう言って、なにはともあれと一刀は麗羽特性のチョコを口へと運んだ。 「あ、あへ?」  瞬間、世界が歪む。いや、一刀の視界が歪んでいるのだろうか。それすらももう一刀にはわからない。ただ、一つだけ思うことがあった。 (も、もう少し考えてから口に運ぶべきだった……か)  そこで一刀の意識は途絶えた。  その日、フランチェスカのとある寮から二人の男子生徒が病院へと搬送されたそうな。  † 報告書  フランチェスカで昏倒騒ぎが起きた件について。  当事者である二人の少年……彼らの倒れた原因を探るべく知人らが調査したところ、北郷一刀という少年は賞味期限切れの食べ物を口にしたと本人が証言していた。また、特に原因らしいものは見つからずこちらの調査は断念。  また、もう一人の少年……眼鏡をかけた及川佑。その少年の部屋のほうも彼が倒れた原因があるのではと知り合いなどが調査したそうだが、その結果わかったことは彼の部屋になにか茶色い液体が固まったもの――おそらくはチョコだと思われる――がほんの数グラム分だけ見つかったが、後はとくにいかがわしいもの以外で少年が昏倒した原因らしいものは見つからなかった。  なお、それと同時期に一つの都市伝説が産まれたが関係性は不明である。  ちなみに、その題名は「夜空を駆ける茶色くて甘いマッチョ」である。これは、チョコを揶揄した話であると思われるが何故マッチョなのかは不明。  また、その正体が不審者である可能性もあるため、警察は目撃者が共通して男性であったため、世の男性を中心として警戒するよう呼びかけている。  なお、証言者の一人から聞いたところによると、その茶色く甘い匂いのするマッチョは立ち去る際に一言告げていったらしい。 「次は誰の元へ行こうかしら? どぅふふ」  と。