改行による2パターンとなっています。最初は整形なしの素です。 ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。  「無じる真√N33」  青州の 済南郡……冀州と面したその土地のとある山奥に黄巾党の本拠地はあった。 「ありがとう、助かったよ」 「…………」  一刀の言葉に、男――腰に黄色い布をつけている――は口を開かずに首を小さく縦に動かした。  男は、孔融が苦労してようやく捉えた青州黄巾党の一兵士だった。  青州黄巾党の兵は統率が良く取れており、倒れるときは皆一様に倒れ、逃走するときは一人も漏れがないように上手く逃走するため孔融が一人捉えるのすら一苦労だったのは致し方ないことだった。  そして、この黄巾党の男は孔融の元では中々口を割らなかったらしく先日――貂蝉に作業を頼んだ日の前日に孔融の元から討伐隊の方でなにか役に立つようならということで護送の兵と共に連れてこられた。  一刀は、すぐさま対青州黄巾党ように用意していた策を使い、男を陥落したのだ。 「さて、どうなるかな」 「どぅふ、きっとうまくいくわよ……」 「…………うぅ」  男がうめき声を漏らした。それを一刀は同情的な視線で見る。念のためということで男は縛り上げられていた。ちなみに、いまこの場には護衛の兵士などはいない。何故なら、討伐隊自体がこの岩がごつごつとして目立つ山から十三里程度距離をとった位置に布陣して待機しているからである。  それならば、誰が拘束した男を抑えているのか。もちろん、力に特別自信があるわけでもない一刀がするはずもない。何せ、これから青州黄巾党の者たちと合おうというのに余計な事は出来ない。  そうなると、自ずと誰が男を抱えているのかがわかる。それは、一刀の護衛も兼ねて唯一同伴してきた貂蝉だった。 「どぅふ、できればご主人様も抱えておきたいわねん。お護りするためにも」 「そんなことせんでも、自分の身くらいは守れる」  正直、大勢に襲われたらどうしようもないが、厚い筋肉に埋もれて生き抜いてもきっと自分の精神は死んでいるに違いない。  そんな馬鹿なことを考えていると、一刀たちの目の前にそこそこ大きめの屋敷のようなものが姿を現した。その門の前にいる男たちが一刀に声をかける。 「なんだ、貴様らは……そこにいるのは我が同胞じゃないか!」 「あぁ、そのさ。ちょっと話がしたくて来たんだ」  目を剥いてぎょろりと睨む門番に、一刀は来訪の趣旨を伝える。 「はぁ?」 「あぁ、その、俺は北郷一刀。公孫賛軍で……って俺の役職って何だろ?」 「さぁ、なにかしらねぇ?」  ふと気付いて、貂蝉に聞くが首を傾げるだけだった。  公孫賛は私的な参謀のようなことを言っていた気もするがそれでいいのだろうかと考えながらも一刀は結局ぼかすことにした。 「まぁ、何かやってる人間だ。それで今回は、平和的に交渉を行いに来た」 「交渉?」  門番はちらりと一刀を見やる。会話を始めてから、彼らの視線は主に貂蝉に向いていた。 「そ、交渉。だから、青州黄巾党の統率者に合いたいんだけど」  そう言って、門番を見ると、彼らは僅かに交代しながらヒソヒソとなにやら話し合っている。  そして、なにやら揉めながらもコソコソとなにやら二人だけで何かやりとりを交わして、一人が喜んで中へと入って行き、もう一人がガックリと肩を落として一刀の方を見る。まるで、視線に隣の筋肉達磨を入れないようにするかのごとく。 「あぁ、いま頭のもとへ行かせたからしばし待て」 「わかった。上手くいくといいな」  門番の言葉に頷きつつ、一刀はそう口にした。  それから、しばらくすると再び門が開かれて先程の門番の片割れに連れられて三人の男たちがやってきた。 「お前か、俺らに話があると言ったのは?」  中央の男がそう言って一刀をじっと見つめる。いや、睨む。 「ほ、本当に他の兵士がいないんだな」 「調べに出したやつも離れた位置に待機している以外はいないっていってたな」  左右の大柄に小柄という対照的な男たちがそう漏らすのを聞きながら一刀は中央の男の言葉に応える。 「あぁ、俺は北郷一刀。公孫賛軍で役職不め――おほん、やっかいになってる者だ」 「ほぅ、それは俺たちと敵対してる者ってことだな?」そう言って、男は一刀を睨む。 「まぁ、勢力として見るとそうなっちゃうかな」  頬を掻きながら困った表情で一刀はそう答える。 「随分とぶっちゃけた物言いだな」  男が、少しだけ驚いた表情を浮かべる。 「俺自身は敵対しようとは思ってないしね」 「なに?」 「ここだけの話、そっちにとって良い報せを持ってる」 「…………」 「あ、アニキ?」 「ど、どうしたんだな?」  一刀の言葉をよく噛みしめるように黙って考え込む男……恐らくは青州黄巾党の頭だろう。彼の様子を両脇にいる仲間が心配そうに見ている。 「まぁ、少しその報せっていうのが気になる。話を聞くくらいはしてやるよ」 「い、いいんですか?」小柄の男が青州黄巾党の頭……アニキと呼ばれる男に尋ねる。 「別にこいつ一人中に入れたところで特に影響はないだろ」  小柄の男に視線を向けることなくアニキはそう答えた。 「というわけだ、中にこい、ここで立ち話するのもなんだからな」 「それは、助かる」 「どぅふふ、よかったわね。ご主人様」 「で、こいつはなんなんだ」貂蝉を指さしながらアニキが一刀に尋ねる。 「え、えぇと……生物としての分類は不明。役割は……まぁ、俺の付き添いだな」 「うふぅん、よろしくねぇん!」  そう言って、貂蝉が唇に手を添える。そして、青州黄巾党の頭であるアニキに向かって手を放つ。気のせいか、表現しがたい色をしたハート型の何かが飛んでいるように見える。  そして、それは彼の腹あたりに当たる。 「ぐわぁぁぁあああ! な、なんじゃあ、こりゃぁぁぁああああ!」  腹を押さえてアニキが叫ぶ。それを二人の仲間が慌てた様子で抱きかかえる。 「あ、アニキ!?」大柄の男が苦しむアニキを心配そうにつぶらな瞳で見つめる。   小柄な男は、精神的苦痛に顔を歪ませるアニキから視線を外して一刀を睨み付ける。 「お、おいお前、やっぱり俺らを討ちにきたんだな!」 「ち、違うって! お前も余計な事するんじゃない!」  男たちに弁解しながら一刀は貂蝉に蹴りを入れようとする。それを避けながら貂蝉があひるのくちばしのように口先を尖らせる。 「んもう、なんなのよぉう! あなたたちったら。そんな反応されたらわたし、傷ついちゃうわん」 「おぇぇぇぇええええ」  両手首を反らすように曲げた状態の両拳を顔の左右に添えて身体を揺する貂蝉に一刀を睨んでいた小柄の男が嘔吐く。 「いいから、黙ってろ!」 「ちぇっ、しょうがないわねぇ」  一刀が貂蝉に再度の勧告をしているとアニキがようやく落ち着いた様子を見せる。 「ぐ、ぐぅ……この命を奪われるときが来たかと思った」 「す、すまない。こんな酷い目に遭わせるつもりはなかったんだ」  慌てて、青州黄巾党の面々に対して謝罪をする一刀。それに対して、彼に肩を貸していた大柄の男が答える。 「し、信用ならないんだな」 「悪かったった。本当に申し訳ない。どうお詫びしたものやら……」 「く……速く、あの化け物とは距離を置きたい。あんた、あの化け物をここに置いておくんだ。そうじゃなきゃ話をするため中には行くことを許可しねぇ」  息も絶え絶えといった様子でアニキがそう告げる。 「あ、あぁ、すまない……そんなことでいいなら」 「ちょっと、ちょっとぉ! なぁんでわたしだけ駄目なのよぉ!」  腰をくねくねと動かしながら貂蝉が抗議の言葉を口にする。 「うるせぇ!」アニキが叫ぶ。 「うるさい!」それに重なるような一刀の怒声。 「な、なによぉ……意地悪なんだから、もう」  ふてくされた表情で貂蝉は大人しく門のそばの壁にもたれかかる。傍にいる門番が恨みがましく一刀を見ている。  門番の呪うような視線を無視して、一刀は青州黄巾党の頭もといアニキに声をかける。 「そ、それじゃあ速く中へ行こう」 「……うっぷ。そうだな」  口元を抑えるアニキを先頭に男たちと一刀は青州黄巾党の本拠へと入っていった。  †  とある一室、そこでは水音が響き渡っている。その発信源で影がもそもそと動いている。  その影は、金色の長髪を器用にも床には付けないように上手く座っている。その小柄な体躯は影の正体が少女であろうということをはっきりと物語っている。  そして、その少女は自らのきめ細やかでほっそりとした手を上下左右、あらゆる方向に動かしてその瑞々しい彼女の壺をかき回しては蜜をすくい取り、顔へと運んでいる。  それはキラキラと煌めき、輝かしい糸を彼女の手元から壺にかけて引いている。  そして、それを繰り返していくうちに彼女は気分が高揚していくのを感じる。とどまるところを知らない彼女の欲求は手の動きを止めるどころかその速度をさらに増していく。  彼女の手が激しく、そして速く動き壺のナカをかき回すにつれて水音もどこか大きくなっていく。 「ぴちゃ……ぴちゃ」 「あらあら、いけませんよぉ」  背後からした声に少女がびくりと身体を震わせる。 「な、なんじゃ、って七乃ではないか」 「お嬢さま、ハチミツはさっきので終わりといったはずですよ」  そう言って張勲が、袁術の手にする壺を取り上げる。 「あぁ、ハチミツがぁ〜」 「もう、目を離すとすぐこれなんですから……あまりハチミツばかりとりすぎると虫歯になっちゃいますよ」 「むぅ、それはそれで困るのじゃ」 「でしょ? ですから、もう駄目です」  そう言って、張勲がハチミツを元々置いてあった場所へと戻した。それを袁術は指をくわえて見続けることしかできない。 「さ、部屋に戻りましょう」  そう言って、張勲が袁術の手を引く。 「うぅ……ハチミチ……」  袁術は、未だ未練がましくハチミツを見つめ続ける。そんな袁術に張勲が笑顔で語りかけてくる。 「お嬢さま、雛里ちゃんだって頑張ってるんですから、お嬢さまも頑張って我慢してください」 「そうじゃな……うむ、決めたのじゃ! 雛里が戻るまで妾はハチミツを我慢するのじゃ!」  張勲の言葉を聞いて、袁術は考えを改めた。  今、鳳統は徐州の北部で何やら活動している黄巾党討伐へと出ているのだ。そして、そのことをよく考えたからこそ袁術は親友が無事に帰ってくるのを祈願するのを兼ねて禁ハチミツをしようと思い立ったのだ。  そんな袁術の心情を察してかどうかは知らないが、張勲が薄洙で称える。 「おぉ、お嬢さまにしては凄い決意です!」 「そうじゃろ?」  袁術は賞賛の言葉をかけてくる張勲に視線を向ける。すると彼女は首を縦に振り、笑顔で袁術を見つめ返す。 「えぇ、素晴らしい! さすがはお嬢さま!」 「うむうむ、のう、七乃? 妾がハチミツを我慢するの以上、雛里の方も上手くいくかえ?」 「それは、もちろん! お嬢さまがハチミツを我慢するということ、それはそれはとても大変なことなんですから!」 「そうかえ? ようし! 雛里のためにも妾はハチミツを頑張って我慢し続けるのじゃ!」 「おー!」張勲が手を天に向かって突き上げる。 「やるのじゃー! なーっはっはっは!」  袁術は張勲と同じように手を挙げて高笑いをする。そした、ハチミツへの未練を残すことなく部屋から出て行った。 (雛里のことを思えば、ハチミツの我慢くらいどうってことないのじゃ〜)  今は、遠くにいる親友に袁術は想いを馳せる。どうか、彼女が無事であるようにと……。  † 「それで、俺らに話す事って言うのはなんなんだ?」  目の前で座り、どっしりと構える青州黄巾党の頭であるアニキがそう一刀に尋ねる。 「あぁ、その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」 「ん? 質問だと?」 「あぁ、もちろん答えられる程度でいいんだけどね」  訝るように見てくるアニキに一刀は両手を振りながらそう付け加えた。 「なら、まぁいいが。何が聞きたい?」 「そうだね、やっぱり、この青州黄巾党の活動理由かな」  そう、これは今回の行動においてとても大事なことである。一刀の予想が外れてしまっていたとしたらそれは大いに不味いことなのだから。だからこそ、念のためにここで訊ねておく。 「あぁん? そんなもの聞いてどうするってんだ?」アニキが眉を潜ませる。 「やっぱり、相手のことも知っておくべきだと思ってね」  適当に返事を返しながらも一刀の顔は笑っていない。場に漂う緊張感もさることながら単身、賊の本陣に突っ込んだようなものである現状の凄さも相まってといった感じにより一刀は真剣な表情を崩さない。 「ふぅん、変なやつだな。まぁ、いい。語ってやろう我らの旗揚げ理由を!」  拳を握りしめてそう言うアニキの瞳はどこか燃えているように見えた。 「そもそも、俺らはただの村人でしかなかった」  どうやら、アニキによるこの集団の過去話は彼ら自身の話から始まった。 「毎日、貧困と闘いながら必死に生きていた」 「…………」 「だが、そんなある日のことだ。俺らは出会った、天使たちに」  瞼を閉じて、感慨深げにそう告げるアニキ。よく見れば、先程からいる小柄な男や大柄の男も同じような表情をしている。 「それが、てんほーちゃん、ちーほーちゃん、れんほーちゃんだった」 「天和、地和、人和?」 「そうだ!」  聞き返した一刀にもの凄い剣幕でアニキが肯定の言葉を述べる。一刀が、その勢いに圧されて黙って頷くと、アニキは、こほんと咳払いして話を再開した。 「彼女たちは、旅芸人であり歌を歌って日々を過ごしていたそうだ」 「それで?」 「俺らは彼女たちの歌に聴き惚れた。そして、不思議とつまらなかった日々が輝いて見えた」 「それは凄いな……」  アニキや青州黄巾党の者たちの顔は当時を思い出したのかとても爽やかな表情を浮かべている。 「彼女たちが村にいる間、俺らはとても毎日を充実させていた。それぞれの仕事をして、その疲れを彼女たちの歌で癒していた」 「なるほど」 「だが、彼女たちは旅芸人。俺らの村から旅立つときは来る」 「そうだろうな」 「だから、俺は共に彼女たちに深く惚れ込んだやつらと話し合い、役萬姉妹――それが彼女たちの名前なんだが、その役萬姉妹と共に旅に出ることにした」  徐々に、一刀は自分の予想があっていることを確信し始めていた。 「そして、各地を移動していく中、彼女たちを応援する会の会員は増えていき、目印である黄巾を使うようになった。そして、俺たちは元祖黄巾党となった」 「やっぱりそうなんだな……」  大陸中に散らばった黄巾党残党の中でも活動が活発な青州黄巾党……それは"彼女たち"に近しい位置にいた者が関わっている可能性があることはなんとなくではあるが一刀にも想像出来た。  もちろん、その点に関しては一刀は自分自身の考えだけでは不安だったため、軍師であり一刀もその頭脳を大いに信頼している賈駆にも確かめておいた。彼女曰く「まぁ、あるんじゃないの」とのことだった。その後に「そんなに心配ならボクがついていってあげてもいいけど?」などと言われ苦笑した。もちろん、貴重な戦力を連れ回すわけにもいかないので、一刀自身が丁重にお断りしたのだが。  そんなこんなである程度正解である確率が高いとは踏んでいたのだが、やはり、実際に自分の予想が当たっている可能性が高まってくることがなによりも一刀の心を安堵させる。  そういった事情から一刀が内心でほっと一息ついて間もアニキは話を続ける。 「つまり、俺らは一時期大陸中に広がった黄巾党の一員でしかなかった」 「あぁ」 「その時だって、俺らは役萬姉妹の歌に生きる意義を見いだしていた」 「そこまでか……」  一刀も彼女たちの歌はとても素晴らしいものであると思っていた。だが、まさか人を生かし続けるほどとは思わなかった。そのため、アニキの発言に感嘆の声を漏らした。 「だが! 各地にいた諸侯が、朝廷の命令にしたがって俺らを討ち取りに来やがった!」  どんと床を叩いてアニキが怒鳴る。余程、その時の事が腹立たしいのか、僅かに息が荒々しくなっている。 「俺たちは、最後の最後まで闘った……彼女たちを護るために。だが、結局俺らは曹操のとこにいる夏侯惇とかいうやつに蹴散らされて散り散りになって逃げることとなった」 「曹操……夏侯惇」  懐かしい名前に、一刀は心中複雑な思いが過ぎる。そして、彼女たちと会った最近の記憶を思い出す。 (確か、連合に参加したときが最後だったかな)  ふと、一刀は彼女たちが今何をしているのか気になったが頭を振ってそのことを振り払った。 「でだ、あの騒乱から逃げ延びた後だ……彼女たちが曹操から逃げ切りながらも董卓に討たれたという話を耳にしたのは」  暗い表情でそう吐き捨てるように言ったアニキは拳をギュッと握りしめる。その仕草から彼の思いが少しだけわかり一刀は一層緊張し唾を飲み込んだ。 「それからすぐだったな、仲間と共にこの青州に辿り着いた俺はここを基点として新たな黄巾党を結成した……それが俗に言う青州黄巾党ってやつだ」 「なるほど……つまり元の黄巾党から系譜的にその本筋を受け継いだのがここの黄巾党か」 「そうだ。そして、俺らの目的はただ一つ。俺らの生き甲斐だった彼女たちを死へと追いやった諸侯のヤツらを成敗することだ!」  そう言って一刀を見つめるアニキの瞳はとても真っ直ぐなものだった。彼がいかに少女たちを純粋に応援してきたのかが伺える。  いや、この場にいる誰しもがアニキと同じ眼差しをしている。 「そうか、ありがとう。よくわかったよ」 「で、今度こそ聞かせてくれるんだろうな?」  若干、疲れた表情でそう尋ねるアニキ。やはり過去の古傷を開くようなことをしたのが効いているのだろう。 「あぁ、実はな……」  そして、一刀は語り始める。この長きにわたる遠征を行った理由でもある彼らに伝えるべき事を――。  † 「んもう……なんでここまできて置いてけぼりにされなきゃならないのかしらん」  貂蝉は、一人門の前で両頬を膨らませて呟く。正直、納得がいかない。貂蝉にだって同席する権利はあったはずなのだ。だが、悲しいかな惚れた男の言うことなら何だろうと構わず聞いてしまうのが貂蝉であり、漢女なのだ。 「はぁ、わたしってば損な性格してるわよねぇん。そう思わない?」 「…………」見張りはただ沈黙を通すのみ。 「もう、この人はつまらないし……はぁ、ご主人様はご無事かしら」  貂蝉はため息混じりにもう片方の手で肘を支えながら頬に手を添えて考え込む。  ガサガサ 「あらん?」  一瞬、森のほうから音が聞こえた。といよりは、森の藪からだ。門番の兵は聞こえてなかったようで特に反応を示さない。貂蝉は彼に言おうかと思ったが無視され続けた腹いせに敢えて何も言わず、自分で見に行く。 「ふんふふん〜ちょっと、お散歩にでも行こうかしらん」 「ほっ」貂蝉の言葉に見張りが何故か安堵のため息を吐いた。  そんなことも気にせず、貂蝉は音のした方へと歩いて行く。  隠れている何者かに気付かれないように足音をさせずに距離を詰めつつ、斜めに移動して背後に回り込む。 「あらあら……」貂蝉は微笑を浮かべる。  それは見覚えのある後ろ姿だったからだ。一刀が貂蝉と共に連れてきた三人。今はボロ布を羽織っているためその姿が表には出ていないがその特徴的な空気で察することが出来た。 「やっぱり――ここに」 「速く――きましょ」 「ねぇ、やめ――」  三人の話声が少しずつ貂蝉の耳にも届き始める。貂蝉は微笑ましく話し合っている三人を眺めつつ、そっと近づいていく。 「うふふ、あなたたち、何してるのかしらん?」 「っ!?」  三人が息を呑み、身体を強張らせる。そして、恐る恐るといった様子で貂蝉の方を振り返る。 「まぁ、ご主人様の事が気になったってとこかしらね? 可愛いわなぇ……どぅふふ」  そう言って、貂蝉は三人に歩み寄りながら笑みを投げかけた。  †  公孫賛は、仕事を一度終えて、昼食をとっていた。そして、料理を口に運ぶために動かしていた手を止める。そして、彼女は一人物思いに耽りはじめる。 「はぁ、あいつは今どうしているんだろうか……」  公孫賛の言う「あいつ」は数日前に連絡のために兵をよこしてきたがそれは成功の報せではなく、予期せぬ事態があり、青州黄巾党の分隊を逃走させてしまったため、彼らを追って青州入りするといった内容だった。  それを受け取ったとき、公孫賛は一刀に関することではもう何度目になるかわからない頭を抱えるという行為をとった。 「まぁ、それも仕方がないのだろうがな」 「どう仕方がないのですかな?」 「決まってるだろう……あいつは変なところで責任感が強すぎるんだよ――って、あれ?」  独り言を呟いていたはずなのに返事があり、それに流れるように答えたがすぐにおかしいことに公孫賛は気がついた。 「まったく、主が気になるのはわかりますが、もっと気っかり持って頂きたいものですな。白蓮殿?」  そう言って公孫賛の位置から卓を挟むようにして座っている趙雲――真名を星という――が口角を吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべる。 「お、おおお、お前、いつから!」 「ふむ、白蓮殿が食事中に手を止めてなにやら上の空になった辺りからですかな」 「それは、最初っからって言うんだよ!」さらっと言われた言葉に公孫賛は卓に手を突きながら叫ぶ。  瞬間、周囲の視線が公孫賛に集まる。その視線から逃げるように公孫賛は急いで座り直す。そんな彼女を可笑しそうに見つめながら趙雲が口を開く。 「まぁ、そうともいいますな。で? やはり主のことですかな」 「お、お前には関係ないだろう!」そっぽを向いてそう答える公孫賛。 「それは違いますぞ。北郷一刀は我が主であり、主が気に懸ける白蓮殿はやはり主同様私も気にしなければならない存在なわけですから」  そう言って趙雲が彼女にしては珍しく優しげな笑みを浮かべる。 「う……わ、わかったよ。答えればいいのだろう?」 「えぇ、それでは聞かせて頂きましょう」公孫賛の返事を聞いた途端、趙雲は表情をころりと変えてニヤリと不適な笑みを浮かべた。 (だ、騙されたぁ!)  内心で、趙雲の態度の代わりの様がなんなんのか公孫賛はすぐに悟った。ただの演技……公孫賛の他者が言うところの「お人好し」という損な性格を利用するためのものだったのだ。  そう、公孫賛を心配して安心させるような笑みを浮かべているように見せかけたことは、演技だったのだ。そのことに気付くも後の祭り、既に公孫賛は話すと言ってしまっていた。  なので、彼女はため息を漏らすと、諦めたように話し始めた。その胸に秘める想いを。 「星は、今一刀が青州黄巾党の対策にいっているのは知っているな」 「えぇ。そういえば、賊軍を討伐して戻ってみれば主の姿がなかったときはさすがに、少々驚きはしましたな」  当時を思い出すように趙雲がそう言う。 「それでなんだが、あいつ今青州にいるらしいんだ」 「ほう、それはまた何故ですかな?」  趙雲が聞き返してくる。まだ彼女には一刀からの報せについて話していなかった。というよりも間が悪く、中々話す機会がなかっただけである。 (なにせ、一人に話すのに一日以上掛かってるんだからな……)  さすがに、今回ばかりは自分の間の悪さが公孫賛は信じられなかった。そんなことも相まって公孫賛は精神的に少々疲れており、それがまた彼女の気分を暗くさせていた。 「なんでも予期せぬ事態に陥ったんだとさ」  公孫賛は呆れの混じった声でそう言うと、卓に肘をついて頬杖をつく。趙雲が、そんな公孫賛の言葉に僅かに瞼のあたりをぴくりと動かしたように見えたが、すぐに正常なものとなる。  そして、趙雲は軽く息を吐き出すと、脚を組み治しながら口を開いた。 「ということは、まだしばらくは戻ってこれない、というわけですな」 「あぁ、それは間違いないだろう。それに加えて、あいつの考えがどれほどの確率で滞りなく勧められるのかもわからないから余計にわからないんだよな」 「なるほど、だから白蓮殿は食事も碌に喉を通らないほど心配しておられると」 「ば、バカ言うな! 私は食事くらい普段通りに取ってるぞ! 見ろ!」  そう言って、公孫賛は未だ更に残る料理をすくうと口の中へと勢いよく放り込んでいく。 「んぐっ! ごほっごほっ」 「そのような変わった食べ方はあまり感心しませんな」  趙雲がくすくすと、可笑しそうに笑っているのを耳にして、公孫賛はむせて潤んできた瞳で彼女を睨み付ける。 「けほ、けほ……お前、わざとか?」 「さぁ、どうでしょな」  肩を竦めると、趙雲は水を公孫賛へと差し出してきた。公孫賛はそれを受け取ると、一気に飲み始める。 「んぐ、んぐ……ぷはっ。いやぁ、すまんな」 「いえいえ、お気になさらなくて結構ですよ」 「そうか……あれ?」  今のやり取りは何か可笑しいような……そう、公孫賛が考えたところで趙雲がしゃべり出す。 「そうそう、そう言えば……あれには驚きましたな」 「あれ?」 「えぇ、数え役萬☆姉妹……いえ、張三姉妹がよもや元黄巾党の首領だったということです」 「あぁ、あれか。だが、星は私から間接的に聞いたからまだマシだぞ。一刀の口から直接聞かされた時はひっくり返りそうになってしまったぞ、私は」  そう言いながら、その時の事を思い描く……一刀は、我に策ありと言って貂蝉と天和、地和、人和の三姉妹……通称数え役萬☆姉妹とドクダミ――ではなく黒薔薇の君を呼び寄せて欲しいという要望を出した。  そして、一刀がその理由として述べたのが「彼女たち三姉妹こそ、かつて大陸を震撼させた黄巾党の首領である張角と、その妹である張宝、張梁なんだ」とうものだった。  なお、その際に一刀の言葉の途中で何やら思い出した賈駆が「あぁぁああー! あんたまさか!?」等と叫び、一刀につかみかかろうとして華雄に止められるという騒動もあった。  それも、追々話を聞いていくうちにわかったのだが元々賈駆が所属していた董卓軍……そう、当時は張角たちを討ち取ったとされていた彼女たちが実は張三姉妹を匿っていたのであり、賈駆は最近の忙しさとその話題には誰も触れなくなり、三姉妹も最早張角、張宝、張梁の名を半ば捨てたような状態にあったため忘れていて、一刀が話し始めて思い出したのだそうだ。  だが、賈駆が一刀に飛び掛からんとした理由はそこではなく、一刀が彼女たちを連れて青州黄巾党と武力を一切用いず、話し合いのみで解決しようとしていることを察したから、というものだった。そして、公孫賛には何故、その理由で賈駆が怒り出したのかわかる。  きっと、彼女も一刀の身を心配したのだ。一刀がろくに兵を引き連れずに一応敵勢力の元へと以降としているのだから。  そして、そのことを賈駆だけでなくその場にいた者たちが詰問したところ、一刀はそのために貂蝉も呼び寄せるのだと答えた。一刀曰く、「ヤツほど恐ろしく、それでいて頼れる存在はないさ」ということだった。確かに、貂蝉は存在するだけでかなり強烈だと公孫賛も思う。だが、一刀の貂蝉への信頼はそんな程度ではないようにも感じた。  そこまで公孫賛が記憶を掘り返したところで、趙雲が再び話し始める。 「しかし、主も無茶をなさる……せめて、この趙子龍が戻るまで待っていただきたかったものだ」 「まぁ、しょうがないだろ。多分、どっちにしてもお前は連れて行ってはもらえまい」 「はぁ、あの方は見た目の割に頑固な一面がありますからな」  そう言って、仕方がないといいながらカラカラと愉快そうに笑う星。 「まったくだな。そうそう、星と同じようなことを霞が言ってたな……そう言えば」 「ほう。そう言えば、霞も私と同じく出ていたのでしたな」 「そうなんだよ……それで、大分怒っててな『黙ってウチを置いていくなんて一刀のヤツぜぇったいに許さへん!』とかなんとか言ってな、正直近くに寄るのも恐怖を感じたぞ」  ゲンナリとした表情で、そう告げる公孫賛。実際、精神的な部分をそれによって削られたのは事実だった。 「それで、どう治めたのですかな?」  興味深そうに公孫賛を見つめながら趙雲が訊ねる。 「いや、治めたというか……別の方向へ怒りを向けさせたんだ」 「別の方向?」 「あぁ。置いていった一刀ではなく、一刀が勝手に危険な地へ行こうとするのに何故、武力では他者よりも優れる華雄がついて行かなかったのかとな……」 「なるほど」  趙雲はそう言うと、なんども可笑しそうに頷く。どうやら、彼女はこの問題すり替え対象が華雄である理由まで察しが付いたらしい。だが、公孫賛は一応説明だけはする。 「まぁ、そこからはあっという間だったな。霞の罵詈雑言に売り言葉に買い言葉といった感じで華雄が対応し始めてな、そのまま稽古という名の決闘までしだしてな」 「それはまた、おもしろいものを私は見逃したものですな」  そう言った趙雲の表情は本当に残念そうだった。 「あのな……あれ程ヒドイことはないぞ。あの戦いでどれだけ城の設備やらなんやらが破壊されたか……」 「おやおや、何と言って良いのか困りますな、それは」 「だろ。しかも、どこから聞きつけたのか文醜まで加わりやがって……もうボロボロだったんだよぉ!」  卓に手をつき、趙雲に詰め寄るように顔を突き出す公孫賛。対する趙雲は先程まで綻ばせていた口元を僅かに引き攣らせている。 「まぁ、最後はあいつらが体力を消耗したところを恋に取り押さえて貰ったから最悪の事態は間逃れたが……正直、一刀を恨まずにはいられなかったな」 「主よ……帰ってくるときは気をつけるべきかもしれませんぞ」  趙雲が、何かぽつりと呟いたが公孫賛はそれを聞き取る余裕など無く、愚痴をこぼし続ける。 「だいたい、その霞を華雄にぶつける案だって元々は詠が考えたものなんだ! なのに、あいつはあいつで知らない間に自分の仕事に没頭しやがって……気がつけば、面倒なことは全部私に回ってきてた!」 「…………は、はは」乾いた笑みを趙雲が漏らす。 「笑い事じゃない! せめて、星がいれば……いや、お前がいると炎に火薬をぶち込むようなことになるな」  途中まで、星がいたらどうなるか想像し、公孫賛は一人うんうんと頷く。 「ず、随分と酷い言われ様ですな」 「うるさい、うるさ〜い! 私の苦労を知ってから言え!」  そう言って公孫賛は残りの料理を怒りのままに口の中へと掻っ込んでいく。また喉につまり咳き込んだ。  そのためか、はたまた当時を思い出してか、公孫賛の瞳から一筋の濡れた道筋が輝いていた。  † 「――というわけなんだ」  ようやく一刀はこれまでの自分が辿った道のり、そして、張三姉妹を引き取った経緯を話した。  もちろんその内容は、黄巾の乱が集結を迎える際、張三姉妹は実は董卓軍に保護されていたと言うことから、その董卓軍に諸侯の矛先が向けられることとなった後に、公孫賛軍の一員として連合軍に参加した一刀を信用してくれた董卓軍の面々の尽力があり、その結果、彼女たちを公孫賛軍が匿うことに成功したということまでである。 「なるほどな、つまりはお前の元に彼女たちがいると……」 「まぁ、そういうことになるね」  腕組みして、ただ黙って一刀を見つめていた青州黄巾党の頭であるアニキが発した言葉に一刀は肯く。 「だから、ここにいる人たちの生き甲斐を取り戻すことは可能なんだ」 「…………」アニキは瞳を閉じながら再び口を閉ざした。一体、その胸の内で何を思うのか? 「どうだろう、働き口がないって言うならうちで雇うけど?」 「…………」まだ、沈黙。 「アニキ?」  男たちも次第に心配になったのか、各々複雑な表情でアニキを見つめている。一刀も彼ら同様アニキの言葉をじっとして待つ。しばらくの間、妙な沈黙が流れる。  そして、アニキは瞼を上げて口を開いた。 「お前の話、よく考えてみたんだ」落ち着いた声アニキが語り始める。 「あ、あぁ……」 「正直、それが本当なら飛び跳ねたいほどに嬉しいことではあるな」 「まぁ、そうだろうな。うん、きっと俺もそうなると思う」 「そうか……ただ、確証が何一つ無いって言うのがな」  そう言ってアニキが一刀を見つめる。表情は、疑念に満ちているというわけではないが決して信用しているとは思えない様相を呈している。 「さすがに、俺も大勢の人間をまとめてる身だからな……おいそれとお前の言葉を鵜呑みには出来ない」 「…………そう、だな」 「だから、どうにもこうにもといった感じになっちまうんだよなぁ」  頭を掻きながらそう漏らすアニキに一刀は内心、肝心な最後の詰めが甘かったことを痛感した。いや、正確には詰めのこと自体は失念していたわけではない、結果として持ち寄ることが出来なかっただけなのだ。  何故なら、一刀も当初はその辺りのことを考えていたが、黄巾の乱当初持っていたものなどもうほとんどなく、残っているものも普段から使用していたものというよりは彼女たちが個人的に大事にしていたものばかりであり、物証は諦めるしかなかったのだ。 「な、なら――」 「かといって、そっちが連れてきた俺らの仲間の言葉を、というわけにもいかないんだぜ」一刀の言葉を遮るようにアニキが釘を刺す。 「…………」  先手を打たれては一刀も何も言えない。もっとも、連れてきた黄巾党の一員の話も大した証拠にはならないとは思っていた。 「信憑性の無い言葉に乗せられて仲間たちを危機にさらすわけにはいかねぇ。だから、悪いが帰れ」 「なっ!? も、もう少し話を聞いて」 「アニキがあぁ言ってるんだから、帰ってもらうんだな」 「そう言うわけだ、おら、立てよ!」小柄な男が一刀の腕を掴み引っ張る。 「だから、話を――」  その瞬間、一刀と男たちの情報から凄まじい破壊音鳴り響いた。  ズドォォオオン  そして、その音はついには話し合いの場を設けていた一刀たちのいる部屋の天井まで達した。そして、その天井もいま突き破られて落下してくる。  バキバキ  メリッ  ドォォォォオオオオン  そんな激しい音と、砂埃を宙へ舞わせながら何かが落下してきた。  しばらくは、男たちも一刀も動けずにいた。視界が塞がれ、耳も僅かに耳鳴りが生じている。  そして、なんとか一刀の聴覚が回復したころ、他の男たちも同様らしく、急に慌ただしくなり始める。 「な、なんだ!」 「し、侵入者なんだな!」 「ちくしょー、どこだ……まさか、テメェの差し金か?」  小柄の男のその言葉によって周囲の視線が自分に集まっている……完全にはまだ視界が晴れていない一刀でもそれくらいは感じ取ることができた。  そして、どうしたものかと内心焦り始めたところで落下物がもそもそと動き出す。 「ふぅ……なんだか、月ちゃんのところに行った時を思い出すわねぇん」  その影が発した声は、一刀にとってとても聞き覚えのあるものだった。 「お前、貂蝉なのか?」 「どぅふふ、ご主人様、ごめんなさいね。でも、どうしても知らせたいことがあって」 「ふつうに、入ってこいよ!」 「だってぇ、あの頑固な門番が入れてくれないんですものぉ〜」  砂埃などが落ち着き、完全に見渡しのよくなった室内で筋肉達磨が身体をくねくねと踊らせている。その姿を見た黄巾党の数人が膝を突いた。 「おぇっ」 「……うわぁ」 「な、なんだありゃあ……」  そんな反応をしめす仲間のなか、アニキは一刀の方をじっと見つめながら筋肉の悪魔を指さす。 「お、おい、あれ……」 「あぁ、その申し訳ない。あいつたまに暴走するんだ」  頭を掻いて非常に謝罪の意を持っていることを伝えるような表情でそう告げるが、アニキは口をパクパクと開閉させるだけで声を発しない。 「で、一体、俺に何を知らせようとしたんだ?」 「それがね……実は、この娘たちがついてきちゃってたみたいなのよ」  そう言って、貂蝉はその両腕で抱えているボロキレを見せる……いや、正確にはボロボロの布に包まれたナニカ――三つあるが、どれもぐったりとしており貂蝉の言葉からわかるような人間とは思えない。 「おいおい、マジかよ」  ぽつりとそう漏らしたところで、一刀はハッとこのことで困惑していた自分の情状況を打破出来ることに気がついた。だが、一刀が口を開くよりも先にアニキが言葉を発していた。 「ちくしょう! 騙しやがったなぁ! やっちまえ!」  その声に従って、部屋にいた男たちが襲いかからんとして一刀を囲み出す。何故か、彼らは貂蝉には近づこうとしない。 (げ、まずいなこりゃ……速くしないと、外のやつらも来るよな)  さすがに、激しすぎる音と衝撃に室外にいた他の者たちも駆けつけてくるだろう。そのことを予期しつつ、一刀は背中に冷たいものが流れるのを感じた。 「う、うぅん……って、一刀!」  それは一刀のよく知る三姉妹の長女の声だった。 「あらん、やっとお目覚めのようねぇ」 「あまりに、落下の衝撃が凄くて意識が飛んでいたようね……」  布で見えないが、恐らく声の主である末女は眼鏡の位置を修正していることだろう。 「それより、はやくおろしなさいよぉ〜!」  貂蝉に文句を言っているのは間違いなか卯次女だろう。  そして、そんなやり取りを耳にした男たちの動きがぴたりと止まった。 「え、おい? 今のってまさか……」 「いや、そんな馬鹿な……本当なのか?」  辺りになんとも落ち着かないようなそわそわとした空気が流れる。そして、青州黄巾党の人間たちは一様にざわめき出す。 「少しは口を閉じてられないのかお前ら!」  アニキがそう叫ぶことでそのざわめきもぴたりと止んだ。そして、アニキは恐る恐るといった様子で一刀の方を見やる。 「どうやら、証拠の方から来たみたいだ」そう言って笑いかける一刀。 「ま、マジかよ……」  未だ、呆然とした表情がぬぐい去れていないアニキを横目に一刀は三人の元へと歩み寄る。 「まったく、無茶するなよ」 「無茶はどっちよ!」  そう言って、ボロ布を取り払った地和が一刀に飛びつく。 「おっとと……おいおい」 「えい!」 「え? ちょっ!」  なんとか地和を抱き留めながら一刀が困った表情を浮かべたところに重なるように天和が飛び掛かる。  一つ目の衝撃が消えきらないうちに二つ目が追加されたために一刀はよろよろと数歩後退し、尻餅をついた。 「痛てっ。急に抱きつくなよ、危ないだろ?」 「それは無茶なことばかりする一刀さんにだけは言われたくないですね」そう言いながらも一刀に手を差し伸べる。 「そう言うなよ……人和」  差し出された手を握って立ち上がりつつ、一刀は三人を見る。と、そこでようやく硬直が溶けたらしいアニキが声をかける。 「おいおい、あんた。俺らにもちゃんとだな……」 「ん? あぁ、悪い。正真正銘、役萬姉妹だよ」 「もっとも、今は数え役萬☆姉妹だけどね」  一刀にしなだれかかったまま天和が捕捉する。 「あなたは確か、長い間私たちの応援してくれてましたよね」そう言って人和がにこりと笑う。 「ちゃんと、ちぃたちは覚えてるんだから!」ビシッと人差し指を立ててそう告げる地和。  青州黄巾党の頭であるアニキ……いや、ほかの者たちもそんな彼女たちの姿をなんども瞬きを繰り返してそれが現実であることを確かめる。 「そ、そうか……お三方が無事でなによりでさぁ」  そう言うと、アニキはぽろぽろと涙をこぼし始める。気がつけば部屋にいる青州黄巾党の面々は皆、顔をくしゃくしゃにして雫を流し続けている。  それからしばらくの間、青州黄巾党の誰しもが涙を流し続けていた。中には歓喜の声を上げる者までいた。  そして、ようやく落ち着きを取り戻したように見えた頃、アニキが一刀に向かって声を掛ける。 「確かに、あんたの言ったことは本当だったようだな」 「なんとか、信じて貰えたみたいだな」  ようやく、一刀は安心することが出来た。とはいっても、肝心なのはここからなのだ。 「そこで、もう一度問わせて貰うんだけど、彼女たちのいる俺たちの元へ来ないか?」 「……そうだな、役萬姉妹――いやさ、数え役萬☆姉妹が生きていてまだ活動を続けていたと知ったからには応援せずにはいられれねぇな!」 「そ、それじゃあ」 「あぁ、いいだろう。どうせ、もう暴れる理由もなくなっちまったしな」  そう言ってアニキは一刀へと歩み寄り手を差し出す。 「ありがとう。これで交渉成立だな」一刀はアニキの手を握りしめる。 「あぁ。よろしく頼む」アニキが力強く握り返しててくる。  そうして、場は丸く収まり、青州黄巾党の活動は終わりを迎えた。 「あ、そうだ。多分、まだこのことを知らない人が沢山いると思うんだけど」  和やか空気の中、一刀がアニキに訊ねる。 「ん? まぁな。結構な数がいるからなぁ……どうすっかなぁ」  顎に手を当ててアニキが考え込む。それに対して一刀は提案をする。 「俺に考えがあるんだけど……」 「あん? 考えだって?」 「あぁ、実は用意済みなんだよ……まぁ、最初とはちょっと予定が違ったけど」  そう言って一刀は照れ隠しに頬を掻く。実際は、ここにいる青州黄巾党の人々を説得するための最終手段とする予定だった。もっとも、それ以前の問題に悩まされる結果となったのだが。 「それでなんだけど、とある場所に集めて貰いたいんだ……まぁ、広さとかを説明するからそこに入る分だけ何度かにわけて送ってくれないか?」 「わかった。やってやるよ」  一刀の質問にアニキが頷く。それを見て、一刀はさっそく準備に取りかかる。 「貂蝉、三人と一緒に先に戻っててくれ」 「わかったわん。くれぐれも気をつてけてねん」 「あぁ、それじゃあ俺はここの人たちと話し合った後、そっちに行くから」  一刀がそう言うと貂蝉は三人を抱えて天井の穴へと跳んでいった。 「さぁ、詳しい話をしようか」  この一連の出来事の終焉を迎えるために一刀は男たちと向かい合った――。  †  袁術軍、鳳統隊は黄巾党討伐のために徐州の東海郡での休息も終えて大分北上し、ついに北部にある琅邪郡へと辿り着き、陣をしいていた。  だが、目的である黄巾党の姿は全く見えない。討伐のためにやってきたことを敢えて宣伝し、かつて張飛がされたように適当な出迎えがあると思っていたのだが、その様子すらない。 「…………なんだか、変」  妙に静かな琅邪郡の山々を見ながら鳳統は一人呟く。劉備軍にいたときに聞いた話では派手に進軍しようと、裏をかいて一切情報をもらさぬようにして軍を向かわせたときも、黄巾党の軍とは軽い衝突があったという報告を受けていた。  だが、現在鳳統隊の付近には一切黄巾党の気配はない。  そんな奇妙な様子になにか裏があるのかと鳳統が考えを巡らせていると、一人の兵が陣へと駆け込んでくる。  それは、先に偵察に送っていた斥候だった。 「報告!」 「……どうしました?」  妙に焦りを帯びた様子の斥候に、鳳統は内心で動揺しつつも話を訊く。 「こ、黄巾党残党の行き先がおおよそわかりました!」 「……え!? それはどこですか?」  まさかの報せに鳳統の気持ちも僅かにはやる。 「それがどうも、青州黄巾党と呼ばれる一味と合流し、現在青州に滞在している公孫賛軍の一隊の元へと向かっている模様です」 「……そ、それは大変なことなんじゃ。ここは、援護に行くべきですかね」  報告を聞いて、すぐさま結論を出そうとした鳳統に斥候は言葉を重ねる。 「あの……それが、ちょっと変なのです」 「え?」 「どうも青州黄巾党の者たちは投降する姿勢のようでして……おそらく、この徐州から旅立った黄巾党残党もまた同じと思われます」 「それはまた、どうして……」  不可思議な現象に鳳統は声を漏らさずにはいられない。  少なくとも、青州黄巾党と言えば、周辺諸国でも中々手に負えず放置したままとなっていた勢力だった。それが、最近勢いのある公孫賛軍とはいえ、たかが一体に平伏す……それは本当に異常なことである。  しかも、この徐州で暴れ回っていた黄巾党残党までも降伏させそうな流れだというのだ。  理解できずに鳳統が険しい表情を浮かべていると、斥候がなにやら言いたげに鳳統を見ていた。 「どう……しました?」 「しょ、少々、思うところがありまして!」 「……なんです?」  緊張気味に答える斥候にゆっくりと鳳統は聞き返す。 「し、私見ですが、きっと天の御使い殿の力によるもと思っております!」 「天の御使い……ということは、その公孫賛軍の一隊というのは、北郷さんが率いる部隊なんですか?」 「は! 掲げる旗は十文字でしたのでおそらくそうではないかと」 「……なるほど、わかりました。一応、様子だけは見晴らせておいてください。後はもう戻りましょう」  そう言って、数名の斥候や間者を放ち、残りは陣を引き払う準備を始めさせた。  天の御使い……北郷一刀という少年。彼がその謎の一隊を率いているという報告を聞いて鳳統は心のどこかで納得してしまった。 (確かに……あの人は、何だか不思議な感じがする人だった)  もっとも、その辺りに関しては鳳統よりも、親友の諸葛亮の方がより強く感じているらしいが。  以前、徐州についてから大分たったころ……そう、丁度後に報せによってわかった公孫賛軍が袁紹軍に打ち勝ったとされた日の数日後あたりのときだった。  諸葛亮は鳳統だけに言っていたのだ「北郷さんならきっと勝利を引き出すんじゃないかって思ってたんだ……根拠もないのにおかしいよね」と、鳳統はその言葉を聞いて非常に驚愕したのを覚えている。 (朱里ちゃんが見込んでいる北郷さん……か)  正直なところ、鳳統は少し、彼を直に見てみたいと思った……もちろん反董卓連合の時に一度会っているが、その時よりも今の方がおおいに興味が湧いているのだ。 「……でも、仕方ないよね」  そうぽつりと漏らし、鳳統は北方へと背を向ける。袁術の待つ、帰るべき場所へ戻るために。  と、そこへ一頭の馬を駆って何者かがやって来た。 「袁術軍の隊とお見受けするが、統率者は何処か?」 「……あの、私です」  護衛の兵と共に鳳統はその人物の前へと出る。 「実は、我が主よりこの琅邪郡も正式に袁術軍の元へつくという申し出をしに参った次第なのです」 「つまり……あなたは使者さんなのですね?」  そう訊いた鳳統に、目の前の人物はこくりと頷いた。ということは、つまり琅邪郡に陣取っている豪族の元から来た早馬だということなのだ。 「……でも、また何故このような急な形できたんですか?」 「実は、ここだけの話、我が主は黄巾党と手を組んでおりました……といっても、半ば脅されていたようなものですが」  顔を俯かせて語り出す使者を鳳統は黙って見続ける。 「いかんせん、力がある豪族とは言え、黄巾党残党のような数だけは多い者たちとは勝負にならなかったのです」 「…………なるほど」 「ですが、少し前になって彼らは突然青州へと向かうと言い出しまして……」  それは鳳統が得ていた情報とピッタリと合っていた。 「そして、黄巾党は我が主たちとの協力態勢を打ち切り、この琅邪郡、ひいては徐州を出て行きました」 「……わかりました。私一人では決めかねますので、これから帰還するのでご同行をお願いします」  そう言うと、使者はこくりと頷く。そして、代わりにその旨を伝えるために兵を送ることを願い出たので鳳統はそれをしかと受理した。  こうして、鳳統は北郷一刀という少年の行動の余波を受け、特に兵を損じることもなく本来の目的以上に良い成果を上げて城へと戻ることとなった。  †  一刀が貂蝉に作らせた会場、そこの窪みに多くの青州黄巾党の人間が集まっていた。そして、舞台上に三つの影が出たところで窪み……もとい客席はこのときまで彼女たちの登場はもちろんのこと、生存を知らなかったため、驚愕の声が飛び交い、巨気乱舞といった様子となる。 「うぉぉぉぉぉぉおおおおお!」 「てんほーちゃんだー!」 「ちーほーちゃんもいるぞー!」 「れーんほーちゃーん!  辺り一帯が騒然として、静まりかえる様子など微塵もない。それを眺めていた三人の少女が口を開く、初めは長女である。 「みーんなー! お久しぶりー!」 「わぁぁぁぁぁああああああ!」  天和の声に観客が叫び声を上げる。 「ちぃたち、みんなとまた敢えてとっても嬉しいのー!」 「うぉぉぉぉぉおおおおおお! 俺たちもだぁぁぁぁああああ!」  地和が手を振るのに大勢が腕をぶんぶんと振って答える。気のせいか、互いの腕がぶつかり合っている。 「わたしたちはいろいろあったけど、またみんなの元に来れたよぉ!」 「ぐぅぅぅ、ほんどうにえがっだよぉ〜!」  涙を拭いながらそうハッキリと言った人和に、客席は涙声で一杯となる。 「それじゃあ……いつものいくよー!」  天和が、そう言うと三姉妹は一度口を閉じ、会場もしん、と静まりかえる。そして、再び天和が口を開く。 「みんな大好きーー!」 「てんほーちゃーーーん!」 「みんなの妹」 「ちーほーちゃーーーん!」 「とっても可愛い」 「れんほーちゃーーーん!」  三人と客とのやり取りが終わり、今は一際大きな観声が起こっている。そして、最高の盛り上がりを見せ始める中、三人が互いを見合わせて頷き合う。そして、同時に口を開いた。 「役萬姉妹改め、数え役萬☆姉妹の歌、楽しんでいってね!」 「わぁぁぁあぁああああああ!」  そして、それらが終わると、このためにわざわざ呼び寄せた数え役萬☆姉妹のための曲を弾く者たちが演奏を始める。  多くの歓声が送られるなか、三人は歌う。皆、長旅の疲れなど見えないほどにその姿はとても活き活きとしている 「この調子なら、上手くいくかな」  会場から少し離れた位置で一刀はそう呟く。  会場及び、三姉妹の警備は貂蝉と、青州黄巾党の頭であるアニキ、そして、彼の腹心だという先程の話し合いの席でもアニキの傍にいた小柄の男……チビ、そして、大柄の男デク、といった面子が中心となり行っているため一刀の出番は無かった。  というよりも、一刀は他にしなければならないことが急遽出来てしまったのだ。それは徐州より北上してきた徐州の黄巾党残党の者たちのことだった。  先に来ていた使者の話によれば、彼らはどこからか数え役萬☆姉妹のことを聞きつけ、やってくるのだという。そして、青州黄巾党同様、一刀の元に降るというのだ。  そのため、一刀は急いで準備をして徐州にいた黄巾党残党との話し合いをしに向かうこととなったのだった。 「さて、三人もまだまだ頑張るんだから、俺もやらなきゃな!」  そう言って、一刀は馬に跨る。  背後では、次の青州黄巾党分隊が会場に入り始めていた。数え役萬☆姉妹の舞台はまだ始まったばかりなのだ。 「よし、行くか。よっと!」  一刀は馬を走らせる。その背に三姉妹の歌を背負いながら。 「ほわぁぁ、ほっ、ほっ、ほっわぁぁあぁぁ! ほああぁぁあー! ほわぁぁああああ!」  そして、これから会いに行く者たちよりも一足早く打ち解けることができた者たちの観声に送られながら――――。 エピローグ  慌ただしかった日々を終えて、公孫賛の元へ戻った一刀を待ち受けていたのは説教だった。 「まっらく、お前というヤツは……ひっく。いきなり、予定が変わっただの、賊討伐の延長でよその州まで少数で行くだのと無茶をして」 「はい、すみません。反省します」  鬼のような表情で責める公孫賛に一刀は正座してただただ平謝りをし続ける。 「しかも、お前の行動のせいれ……ういっく……私やこの城にろれらけの負担がかかったと思うんら!」 「……わかりません」 「そうだろうなぁ! わからないだろうな、お前には!」  かれこれ一時間以上は怒られているが、いっこうに公孫賛の怒気が収まる気配はない。 「城のあちらこちらは壊れ、私の心も壊れそうになるわ……おい、聞いてるか?」 「あぁ、聞いてるよ……ってか、酔ってないか?」  ずっと敢えて無視していたのだが、さすがに耐えられず一刀は訊ねる。公孫賛の顔が赤い原因でもあるそれについて。 「私は酔っれらんかいらいぞ!」 「呂律回ってないぞ」 「うるひゃい! 口答えをするんららい!」 「いや、だから」 「そもそも、お前は私を大事にひらさすきだ!」 「はい、すみま――へ?」 「そうらろ? らいじにしようと思ってないからいつも私に心配を掛けるのら!」  何らや目が据わった状態になった公孫賛がずかずかと一刀との距離を詰める。 「お、おい……白蓮?」 「らぁ、一刀? お前は本当にわたひをあいひてるか?」  一刀の両肩をがしりと掴み公孫賛が座った眼で一刀の瞳をのぞき込む。 「え? いや……何を言ってるんだ?」 「らいたい、最近、わらひと合う機会すら設けていらいきがするんらが? ふぃっく」 「そ、ソンナコトハナイゾ」 「……なら、ちゅ〜とやらをひろ」 「いっ!?」  それは、衝撃的な申し出だった。いくらなんでも玉座の間で酔っぱらった太守と口付けをかわすというのはさすがの一刀でも不味い気がしてならない。 (くそ、こんなことならキスやらチューやらの単語を教えるんじゃなかった)  以前、酔っぱらった際に口付けをもっと違った言い方はないかと趙雲と霞と呑んでいるときに聞かれて答えたことがあったが、それがまさかこのような形で返ってくるとは一刀も思わなかった。 「さぁ、さぁ、さぁ!」  ずい、ずい、ずいいと顔を近づける公孫賛。彼女の前髪が鼻頭にかすれて一刀は非常にくすぐったく感じるが、それ以上に彼女の酒気の混じった息が鼻に掛かる距離まで詰められていることに対しての動揺の方が大きかった。  一刀は説教をされて正座し続けていたために、上半身のみを後ろへ退いている今の状態では逃げるのに限界があった。 「ま、待て白蓮! だ、誰かが入ってきたらどうするんだ!」 「そんらもの、知るか!」  そう言って、唇を突き出した公孫賛が迫り来る。退路はない。ならば、もう受けて立つしかないと覚悟を決めて一刀は目をつぶって一気に顔を前へと突き出す。 「……あれ?」  だが、一刀の唇は宙を切っただけだった。不思議に思い瞼を開けると公孫賛がぐったりと横たわっていた。 「まったく、どこに行ったのかと思えば、このようなところでよもやこんな羨ましいことをしておられるとは……」 「って、星!?」 「やれやれ……主も主ですぞ。まったく何をしておられるのやら」  呆れた表情で視線を送ってくる趙雲から一刀は目をそらす。そして、気になったことを訊ねることにした。 「ところで、何で白蓮は酔っぱらってたんだ?」 「それは、まぁ色々ありましてな……何から話せばよいか」 「どういうことだ?」  少し考え込むような素振りを取る趙雲に一刀は首を傾げる。 「実は……つい先程まで孔融殿と酒を呑んでおられましてな」 「え? 孔融って……あの青州にいた?」 「えぇ、これからは公孫賛軍の一員となるということで挨拶と杯を交わしに来たとかなんとか」 「はい?」  意味も事情もまったくわからない一刀は呆然としつつ趙雲に聞き返す。 「おや、それもこれも主が交した約束の結果ではありませぬか」 「いやいや、俺知らないよ?」 「ですが、孔融殿は言っておりましたぞ。ほとほと困り果てた孔融殿の代わりに青州黄巾党をなんとかするのなら青州を譲り渡すと」 「はぁ!?」衝撃の事実に一刀は声を張り上げる。 「何を驚いておられるのですか? 御自分が交わした約束でしょうに」 「ちょっと待ってくれ。俺は確か、青州黄巾党をなんとかするかわりに青州を自由にさせてもらうって……まさか」 「どぅふ、そのまさかなぁのよぉん」 「ちょ、貂蝉……」  いつの間にか背後にいた貂蝉に一刀は詳しい説明を求めるように眼で訴えかける。 「あの日、使者と話をしたとき、ご主人様ってば勘違いをしてたのよ」 「勘違い?」 「『青州黄巾党をどうにかするかわりに青州を好きにさせてもらう』これはどう聞いても、青州を譲れといっているようなものでしょ?」 「い、言われてみればそんな気もするが……だけど、普通はそう思ったら断るだろ?」 「いえ、それは違いますぞ」 「え?」  言い返す一刀に今度は趙雲が説明をする。 「青州黄巾党に荒らされていい加減、孔融殿も限界だったそうですから。本当に青州黄巾党をどうにかしてもらえるのならば公孫賛軍の下につくくらいは構わなかったのでしょう」 「…………つまり俺は自分で気付かないうちに狡猾な取引をしたと」 「まぁ、そうも取れなくはないですが。実際に主は綺麗に事を治めたではありませんか。その点に関しては孔融殿も誠に感服しておりましたぞ」 「そ、そうか……」  孔融が怒っていないようで一刀はほっと胸をなで下ろす。 「それに、その見事なまでの手際と謎の丸め込みに惚れ込んでおられるようでいずれは主と共に仕事がしたいともおっしゃっておられましたよ」  そう言って趙雲が不適な笑みを浮かべる。 「謎の丸め込みって……」 「さしずめ、天の御使いの力といったところでしょうな」 「いや、あれは俺じゃなくて天和、地和、人和の三人とこいつのおかげだよ」そう言って一刀は親指で貂蝉を指さす。 「あらん、わたしにも感謝してくださるのねん」 「まぁ、世話になったのは事実だからな」 「おやおや、随分と中がよろしくなったようで」 「んなこたぁない」  一刀は趙雲の何かを探るような笑みを見ると、手を振って即座に否定する。 「んもぅ、照れちゃって……ご主人様ってば可愛いわねぇん」 「たまに褒めるとこれかよ」そう言って一刀は舌を打つ。 「まぁ、その点はおいておくとしましょう。それで、先程の話ですが、張三姉妹および彼女たちを匿っていた董卓軍を生きたまま迎え入れたことも白蓮殿が話したのですが、どうもそれすらも天の御使いの先見によるものだと思われておりますぞ」 「うぇ、本当に!?」  根幹の部分までも勘違いされ、最早言い逃れる方法が無いことを知った一刀は頭を抱える。 「まぁ、良いではありませぬか。人から評価されるだけのことを確かにしたのです。胸を張るべきだと思いますぞ」 「なぁんか釈然としないんだがな」  頭を掻きながら一刀はようやく立ち上がった。 「まぁ、それもまたあるじの二つの名の宿命なのでしょうな」  最後は、趙雲のその言葉で締めくくられてその話は終わった。  こうして、かつての黄巾の乱の再来となるのではと思われた青州黄巾党の暴動は天の御使いの力によって大陸中にその被害が及ぶ前に未然に塞がれたということになったのだった。  †  孔融との食事会を終え、孔融が一旦青州へと戻るのを見送った後、公孫賛は先日まともに取り組めなかったために溜めこんでしまった仕事を片付けるため廊下を歩いていた。 「しかし、どうしても昨日の記憶の大半が思い出せない……」  孔融と酒を呑み、会合を終えて別れてどこかの部屋へと入ったところまでは覚えていたのだが、その先がいまいち良く思い出せない。誰かと会っていた気がするのだがそれもわからない。 「あ」 「ん? おぉ、一刀。昨日戻ったそうだな……って何処へ行くんだ!」  何故か一刀は公孫賛の顔を見た途端、笑っているような、いないような複雑な表情を浮かべると、踵を返して逃げ出してしまった。 「な、なんなんだ?」  遠ざかっていく一刀の背中に手を伸ばしたまま公孫賛は立ち止まる。そして、その場で考えてみる。 (昨日の記憶が無い私……昨日帰ってきた一刀……なんだか余所余所しい態度……)  いまのところわかっている情報を並べてみて、公孫賛はとても嫌な予感がした。 「本当に、昨日の私は何をしたんだ?」 「知りたいのですかな?」 「うわぁ!? びっくりした……」  気配も音も無く背後に忍び寄った趙雲に驚いて公孫賛は距離を取る。 「それで、昨日何があったか知りたいのですかな?」 「う……」 (な、なんだか怖いが……どうする……聞かない方が良いような気もするが……)  よくわからない恐怖を内心感じつつも好奇心と先程の一刀の不可解な反応が気になるということで結局は聞くことを決意する。 「えぇい! 聞かせて貰うぞ! これでは夜も眠れないだろうからな」 「では、お話ししましょう……実は――」  公孫賛は、ここで聞かされた趙雲の話のために結局は夜も眠れない日々を送ることになるのだった。  ちなみに、この後に思い詰めた公孫賛が自らと一刀の命を経たんとしたりして一騒動起こしたのだが、それは敢えて割愛とする。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 整形版はここからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N33」  青州の 済南郡……冀州と面したその土地のとある山奥に黄巾党の本拠地はあ った。 「ありがとう、助かったよ」 「…………」  一刀の言葉に、男――腰に黄色い布をつけている――は口を開かずに首を小さ く縦に動かした。  男は、孔融が苦労してようやく捉えた青州黄巾党の一兵士だった。  青州黄巾党の兵は統率が良く取れており、倒れるときは皆一様に倒れ、逃走する ときは一人も漏れがないように上手く逃走するため孔融が一人捉えるのすら一苦労 だったのは致し方ないことだった。  そして、この黄巾党の男は孔融の元では中々口を割らなかったらしく先日――貂 蝉に作業を頼んだ日の前日に孔融の元から討伐隊の方でなにか役に立つようなら ということで護送の兵と共に連れてこられた。  一刀は、すぐさま対青州黄巾党ように用意していた策を使い、男を陥落したのだ。 「さて、どうなるかな」 「どぅふ、きっとうまくいくわよ……」 「…………うぅ」  男がうめき声を漏らした。それを一刀は同情的な視線で見る。念のためということ で男は縛り上げられていた。ちなみに、いまこの場には護衛の兵士などはいない。 何故なら、討伐隊自体がこの岩がごつごつとして目立つ山から十三里程度距離を とった位置に布陣して待機しているからである。  それならば、誰が拘束した男を抑えているのか。もちろん、力に特別自信があるわ けでもない一刀がするはずもない。何せ、これから青州黄巾党の者たちと合おうと いうのに余計な事は出来ない。  そうなると、自ずと誰が男を抱えているのかがわかる。それは、一刀の護衛も兼ね て唯一同伴してきた貂蝉だった。 「どぅふ、できればご主人様も抱えておきたいわねん。お護りするためにも」 「そんなことせんでも、自分の身くらいは守れる」  正直、大勢に襲われたらどうしようもないが、厚い筋肉に埋もれて生き抜いてもき っと自分の精神は死んでいるに違いない。  そんな馬鹿なことを考えていると、一刀たちの目の前にそこそこ大きめの屋敷のよ うなものが姿を現した。その門の前にいる男たちが一刀に声をかける。 「なんだ、貴様らは……そこにいるのは我が同胞じゃないか!」 「あぁ、そのさ。ちょっと話がしたくて来たんだ」  目を剥いてぎょろりと睨む門番に、一刀は来訪の趣旨を伝える。 「はぁ?」 「あぁ、その、俺は北郷一刀。公孫賛軍で……って俺の役職って何だろ?」 「さぁ、なにかしらねぇ?」  ふと気付いて、貂蝉に聞くが首を傾げるだけだった。  公孫賛は私的な参謀のようなことを言っていた気もするがそれでいいのだろうかと 考えながらも一刀は結局ぼかすことにした。 「まぁ、何かやってる人間だ。それで今回は、平和的に交渉を行いに来た」 「交渉?」  門番はちらりと一刀を見やる。会話を始めてから、彼らの視線は主に貂蝉に向い ていた。 「そ、交渉。だから、青州黄巾党の統率者に合いたいんだけど」  そう言って、門番を見ると、彼らは僅かに交代しながらヒソヒソとなにやら話し合っ ている。  そして、なにやら揉めながらもコソコソとなにやら二人だけで何かやりとりを交わし て、一人が喜んで中へと入って行き、もう一人がガックリと肩を落として一刀の方を 見る。まるで、視線に隣の筋肉達磨を入れないようにするかのごとく。 「あぁ、いま頭のもとへ行かせたからしばし待て」 「わかった。上手くいくといいな」  門番の言葉に頷きつつ、一刀はそう口にした。  それから、しばらくすると再び門が開かれて先程の門番の片割れに連れられて三 人の男たちがやってきた。 「お前か、俺らに話があると言ったのは?」  中央の男がそう言って一刀をじっと見つめる。いや、睨む。 「ほ、本当に他の兵士がいないんだな」 「調べに出したやつも離れた位置に待機している以外はいないっていってたな」  左右の大柄に小柄という対照的な男たちがそう漏らすのを聞きながら一刀は中央 の男の言葉に応える。 「あぁ、俺は北郷一刀。公孫賛軍で役職不め――おほん、やっかいになってる者だ」 「ほぅ、それは俺たちと敵対してる者ってことだな?」そう言って、男は一刀を睨む。 「まぁ、勢力として見るとそうなっちゃうかな」  頬を掻きながら困った表情で一刀はそう答える。 「随分とぶっちゃけた物言いだな」  男が、少しだけ驚いた表情を浮かべる。 「俺自身は敵対しようとは思ってないしね」 「なに?」 「ここだけの話、そっちにとって良い報せを持ってる」 「…………」 「あ、アニキ?」 「ど、どうしたんだな?」  一刀の言葉をよく噛みしめるように黙って考え込む男……恐らくは青州黄巾党の 頭だろう。彼の様子を両脇にいる仲間が心配そうに見ている。 「まぁ、少しその報せっていうのが気になる。話を聞くくらいはしてやるよ」 「い、いいんですか?」小柄の男が青州黄巾党の頭……アニキと呼ばれる男に尋 ねる。 「別にこいつ一人中に入れたところで特に影響はないだろ」  小柄の男に視線を向けることなくアニキはそう答えた。 「というわけだ、中にこい、ここで立ち話するのもなんだからな」 「それは、助かる」 「どぅふふ、よかったわね。ご主人様」 「で、こいつはなんなんだ」貂蝉を指さしながらアニキが一刀に尋ねる。 「え、えぇと……生物としての分類は不明。役割は……まぁ、俺の付き添いだな」 「うふぅん、よろしくねぇん!」  そう言って、貂蝉が唇に手を添える。そして、青州黄巾党の頭であるアニキに向か って手を放つ。気のせいか、表現しがたい色をしたハート型の何かが飛んでいるよ うに見える。  そして、それは彼の腹あたりに当たる。 「ぐわぁぁぁあああ! な、なんじゃあ、こりゃぁぁぁああああ!」  腹を押さえてアニキが叫ぶ。それを二人の仲間が慌てた様子で抱きかかえる。 「あ、アニキ!?」大柄の男が苦しむアニキを心配そうにつぶらな瞳で見つめる。   小柄な男は、精神的苦痛に顔を歪ませるアニキから視線を外して一刀を睨み付け る。 「お、おいお前、やっぱり俺らを討ちにきたんだな!」 「ち、違うって! お前も余計な事するんじゃない!」  男たちに弁解しながら一刀は貂蝉に蹴りを入れようとする。それを避けながら貂蝉 があひるのくちばしのように口先を尖らせる。 「んもう、なんなのよぉう! あなたたちったら。そんな反応されたらわたし、傷ついち ゃうわん」 「おぇぇぇぇええええ」  両手首を反らすように曲げた状態の両拳を顔の左右に添えて身体を揺する貂蝉 に一刀を睨んでいた小柄の男が嘔吐く。 「いいから、黙ってろ!」 「ちぇっ、しょうがないわねぇ」  一刀が貂蝉に再度の勧告をしているとアニキがようやく落ち着いた様子を見せる。 「ぐ、ぐぅ……この命を奪われるときが来たかと思った」 「す、すまない。こんな酷い目に遭わせるつもりはなかったんだ」  慌てて、青州黄巾党の面々に対して謝罪をする一刀。それに対して、彼に肩を貸 していた大柄の男が答える。 「し、信用ならないんだな」 「悪かったった。本当に申し訳ない。どうお詫びしたものやら……」 「く……速く、あの化け物とは距離を置きたい。あんた、あの化け物をここに置いてお くんだ。そうじゃなきゃ話をするため中には行くことを許可しねぇ」  息も絶え絶えといった様子でアニキがそう告げる。 「あ、あぁ、すまない……そんなことでいいなら」 「ちょっと、ちょっとぉ! なぁんでわたしだけ駄目なのよぉ!」  腰をくねくねと動かしながら貂蝉が抗議の言葉を口にする。 「うるせぇ!」アニキが叫ぶ。 「うるさい!」それに重なるような一刀の怒声。 「な、なによぉ……意地悪なんだから、もう」  ふてくされた表情で貂蝉は大人しく門のそばの壁にもたれかかる。傍にいる門番 が恨みがましく一刀を見ている。  門番の呪うような視線を無視して、一刀は青州黄巾党の頭もといアニキに声をか ける。 「そ、それじゃあ速く中へ行こう」 「……うっぷ。そうだな」  口元を抑えるアニキを先頭に男たちと一刀は青州黄巾党の本拠へと入っていった。  †  とある一室、そこでは水音が響き渡っている。その発信源で影がもそもそと動いて いる。  その影は、金色の長髪を器用にも床には付けないように上手く座っている。その 小柄な体躯は影の正体が少女であろうということをはっきりと物語っている。  そして、その少女は自らのきめ細やかでほっそりとした手を上下左右、あらゆる方 向に動かしてその瑞々しい彼女の壺をかき回しては蜜をすくい取り、顔へと運んで いる。  それはキラキラと煌めき、輝かしい糸を彼女の手元から壺にかけて引いている。  そして、それを繰り返していくうちに彼女は気分が高揚していくのを感じる。とどま るところを知らない彼女の欲求は手の動きを止めるどころかその速度をさらに増して いく。  彼女の手が激しく、そして速く動き壺のナカをかき回すにつれて水音もどこか大き くなっていく。 「ぴちゃ……ぴちゃ」 「あらあら、いけませんよぉ」  背後からした声に少女がびくりと身体を震わせる。 「な、なんじゃ、って七乃ではないか」 「お嬢さま、ハチミツはさっきので終わりといったはずですよ」  そう言って張勲が、袁術の手にする壺を取り上げる。 「あぁ、ハチミツがぁ〜」 「もう、目を離すとすぐこれなんですから……あまりハチミツばかりとりすぎると虫歯に なっちゃいますよ」 「むぅ、それはそれで困るのじゃ」 「でしょ? ですから、もう駄目です」  そう言って、張勲がハチミツを元々置いてあった場所へと戻した。それを袁術は指 をくわえて見続けることしかできない。 「さ、部屋に戻りましょう」  そう言って、張勲が袁術の手を引く。 「うぅ……ハチミチ……」  袁術は、未だ未練がましくハチミツを見つめ続ける。そんな袁術に張勲が笑顔で 語りかけてくる。 「お嬢さま、雛里ちゃんだって頑張ってるんですから、お嬢さまも頑張って我慢して ください」 「そうじゃな……うむ、決めたのじゃ! 雛里が戻るまで妾はハチミツを我慢するの じゃ!」  張勲の言葉を聞いて、袁術は考えを改めた。  今、鳳統は徐州の北部で何やら活動している黄巾党討伐へと出ているのだ。そし て、そのことをよく考えたからこそ袁術は親友が無事に帰ってくるのを祈願するのを 兼ねて禁ハチミツをしようと思い立ったのだ。  そんな袁術の心情を察してかどうかは知らないが、張勲が薄洙で称える。 「おぉ、お嬢さまにしては凄い決意です!」 「そうじゃろ?」  袁術は賞賛の言葉をかけてくる張勲に視線を向ける。すると彼女は首を縦に振り、 笑顔で袁術を見つめ返す。 「えぇ、素晴らしい! さすがはお嬢さま!」 「うむうむ、のう、七乃? 妾がハチミツを我慢するの以上、雛里の方も上手くいくか え?」 「それは、もちろん! お嬢さまがハチミツを我慢するということ、それはそれはとても 大変なことなんですから!」 「そうかえ? ようし! 雛里のためにも妾はハチミツを頑張って我慢し続けるのじゃ! 」 「おー!」張勲が手を天に向かって突き上げる。 「やるのじゃー! なーっはっはっは!」  袁術は張勲と同じように手を挙げて高笑いをする。そした、ハチミツへの未練を残 すことなく部屋から出て行った。 (雛里のことを思えば、ハチミツの我慢くらいどうってことないのじゃ〜)  今は、遠くにいる親友に袁術は想いを馳せる。どうか、彼女が無事であるようにと ……。  † 「それで、俺らに話す事って言うのはなんなんだ?」  目の前で座り、どっしりと構える青州黄巾党の頭であるアニキがそう一刀に尋ねる。 「あぁ、その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」 「ん? 質問だと?」 「あぁ、もちろん答えられる程度でいいんだけどね」  訝るように見てくるアニキに一刀は両手を振りながらそう付け加えた。 「なら、まぁいいが。何が聞きたい?」 「そうだね、やっぱり、この青州黄巾党の活動理由かな」  そう、これは今回の行動においてとても大事なことである。一刀の予想が外れてし まっていたとしたらそれは大いに不味いことなのだから。だからこそ、念のためにここ で訊ねておく。 「あぁん? そんなもの聞いてどうするってんだ?」アニキが眉を潜ませる。 「やっぱり、相手のことも知っておくべきだと思ってね」  適当に返事を返しながらも一刀の顔は笑っていない。場に漂う緊張感もさることな がら単身、賊の本陣に突っ込んだようなものである現状の凄さも相まってといった感 じにより一刀は真剣な表情を崩さない。 「ふぅん、変なやつだな。まぁ、いい。語ってやろう我らの旗揚げ理由を!」  拳を握りしめてそう言うアニキの瞳はどこか燃えているように見えた。 「そもそも、俺らはただの村人でしかなかった」  どうやら、アニキによるこの集団の過去話は彼ら自身の話から始まった。 「毎日、貧困と闘いながら必死に生きていた」 「…………」 「だが、そんなある日のことだ。俺らは出会った、天使たちに」  瞼を閉じて、感慨深げにそう告げるアニキ。よく見れば、先程からいる小柄な男や 大柄の男も同じような表情をしている。 「それが、てんほーちゃん、ちーほーちゃん、れんほーちゃんだった」 「天和、地和、人和?」 「そうだ!」  聞き返した一刀にもの凄い剣幕でアニキが肯定の言葉を述べる。一刀が、その勢 いに圧されて黙って頷くと、アニキは、こほんと咳払いして話を再開した。 「彼女たちは、旅芸人であり歌を歌って日々を過ごしていたそうだ」 「それで?」 「俺らは彼女たちの歌に聴き惚れた。そして、不思議とつまらなかった日々が輝い て見えた」 「それは凄いな……」  アニキや青州黄巾党の者たちの顔は当時を思い出したのかとても爽やかな表情 を浮かべている。 「彼女たちが村にいる間、俺らはとても毎日を充実させていた。それぞれの仕事をし て、その疲れを彼女たちの歌で癒していた」 「なるほど」 「だが、彼女たちは旅芸人。俺らの村から旅立つときは来る」 「そうだろうな」 「だから、俺は共に彼女たちに深く惚れ込んだやつらと話し合い、役萬姉妹――そ れが彼女たちの名前なんだが、その役萬姉妹と共に旅に出ることにした」  徐々に、一刀は自分の予想があっていることを確信し始めていた。 「そして、各地を移動していく中、彼女たちを応援する会の会員は増えていき、目印 である黄巾を使うようになった。そして、俺たちは元祖黄巾党となった」 「やっぱりそうなんだな……」  大陸中に散らばった黄巾党残党の中でも活動が活発な青州黄巾党……それは" 彼女たち"に近しい位置にいた者が関わっている可能性があることはなんとなくでは あるが一刀にも想像出来た。  もちろん、その点に関しては一刀は自分自身の考えだけでは不安だったため、軍 師であり一刀もその頭脳を大いに信頼している賈駆にも確かめておいた。彼女曰く 「まぁ、あるんじゃないの」とのことだった。その後に「そんなに心配ならボクがついて いってあげてもいいけど?」などと言われ苦笑した。もちろん、貴重な戦力を連れ回 すわけにもいかないので、一刀自身が丁重にお断りしたのだが。  そんなこんなである程度正解である確率が高いとは踏んでいたのだが、やはり、 実際に自分の予想が当たっている可能性が高まってくることがなによりも一刀の心を 安堵させる。  そういった事情から一刀が内心でほっと一息ついて間もアニキは話を続ける。 「つまり、俺らは一時期大陸中に広がった黄巾党の一員でしかなかった」 「あぁ」 「その時だって、俺らは役萬姉妹の歌に生きる意義を見いだしていた」 「そこまでか……」  一刀も彼女たちの歌はとても素晴らしいものであると思っていた。だが、まさか人を 生かし続けるほどとは思わなかった。そのため、アニキの発言に感嘆の声を漏らし た。 「だが! 各地にいた諸侯が、朝廷の命令にしたがって俺らを討ち取りに来やがっ た!」  どんと床を叩いてアニキが怒鳴る。余程、その時の事が腹立たしいのか、僅かに 息が荒々しくなっている。 「俺たちは、最後の最後まで闘った……彼女たちを護るために。だが、結局俺らは 曹操のとこにいる夏侯惇とかいうやつに蹴散らされて散り散りになって逃げることと なった」 「曹操……夏侯惇」  懐かしい名前に、一刀は心中複雑な思いが過ぎる。そして、彼女たちと会った最 近の記憶を思い出す。 (確か、連合に参加したときが最後だったかな)  ふと、一刀は彼女たちが今何をしているのか気になったが頭を振ってそのことを振 り払った。 「でだ、あの騒乱から逃げ延びた後だ……彼女たちが曹操から逃げ切りながらも董 卓に討たれたという話を耳にしたのは」  暗い表情でそう吐き捨てるように言ったアニキは拳をギュッと握りしめる。その仕草 から彼の思いが少しだけわかり一刀は一層緊張し唾を飲み込んだ。 「それからすぐだったな、仲間と共にこの青州に辿り着いた俺はここを基点として新 たな黄巾党を結成した……それが俗に言う青州黄巾党ってやつだ」 「なるほど……つまり元の黄巾党から系譜的にその本筋を受け継いだのがここの黄 巾党か」 「そうだ。そして、俺らの目的はただ一つ。俺らの生き甲斐だった彼女たちを死へと 追いやった諸侯のヤツらを成敗することだ!」  そう言って一刀を見つめるアニキの瞳はとても真っ直ぐなものだった。彼がいかに 少女たちを純粋に応援してきたのかが伺える。  いや、この場にいる誰しもがアニキと同じ眼差しをしている。 「そうか、ありがとう。よくわかったよ」 「で、今度こそ聞かせてくれるんだろうな?」  若干、疲れた表情でそう尋ねるアニキ。やはり過去の古傷を開くようなことをしたの が効いているのだろう。 「あぁ、実はな……」  そして、一刀は語り始める。この長きにわたる遠征を行った理由でもある彼らに伝 えるべき事を――。  † 「んもう……なんでここまできて置いてけぼりにされなきゃならないのかしらん」  貂蝉は、一人門の前で両頬を膨らませて呟く。正直、納得がいかない。貂蝉にだ って同席する権利はあったはずなのだ。だが、悲しいかな惚れた男の言うことなら何 だろうと構わず聞いてしまうのが貂蝉であり、漢女なのだ。 「はぁ、わたしってば損な性格してるわよねぇん。そう思わない?」 「…………」見張りはただ沈黙を通すのみ。 「もう、この人はつまらないし……はぁ、ご主人様はご無事かしら」  貂蝉はため息混じりにもう片方の手で肘を支えながら頬に手を添えて考え込む。  ガサガサ 「あらん?」  一瞬、森のほうから音が聞こえた。といよりは、森の藪からだ。門番の兵は聞こえ てなかったようで特に反応を示さない。貂蝉は彼に言おうかと思ったが無視され続 けた腹いせに敢えて何も言わず、自分で見に行く。 「ふんふふん〜ちょっと、お散歩にでも行こうかしらん」 「ほっ」貂蝉の言葉に見張りが何故か安堵のため息を吐いた。  そんなことも気にせず、貂蝉は音のした方へと歩いて行く。  隠れている何者かに気付かれないように足音をさせずに距離を詰めつつ、斜め に移動して背後に回り込む。 「あらあら……」貂蝉は微笑を浮かべる。  それは見覚えのある後ろ姿だったからだ。一刀が貂蝉と共に連れてきた三人。今 はボロ布を羽織っているためその姿が表には出ていないがその特徴的な空気で察 することが出来た。 「やっぱり――ここに」 「速く――きましょ」 「ねぇ、やめ――」  三人の話声が少しずつ貂蝉の耳にも届き始める。貂蝉は微笑ましく話し合ってい る三人を眺めつつ、そっと近づいていく。 「うふふ、あなたたち、何してるのかしらん?」 「っ!?」  三人が息を呑み、身体を強張らせる。そして、恐る恐るといった様子で貂蝉の方を 振り返る。 「まぁ、ご主人様の事が気になったってとこかしらね? 可愛いわなぇ……どぅふふ」  そう言って、貂蝉は三人に歩み寄りながら笑みを投げかけた。  †  公孫賛は、仕事を一度終えて、昼食をとっていた。そして、料理を口に運ぶために 動かしていた手を止める。そして、彼女は一人物思いに耽りはじめる。 「はぁ、あいつは今どうしているんだろうか……」  公孫賛の言う「あいつ」は数日前に連絡のために兵をよこしてきたがそれは成功 の報せではなく、予期せぬ事態があり、青州黄巾党の分隊を逃走させてしまったた め、彼らを追って青州入りするといった内容だった。  それを受け取ったとき、公孫賛は一刀に関することではもう何度目になるかわから ない頭を抱えるという行為をとった。 「まぁ、それも仕方がないのだろうがな」 「どう仕方がないのですかな?」 「決まってるだろう……あいつは変なところで責任感が強すぎるんだよ――って、あ れ?」  独り言を呟いていたはずなのに返事があり、それに流れるように答えたがすぐに おかしいことに公孫賛は気がついた。 「まったく、主が気になるのはわかりますが、もっと気っかり持って頂きたいものです な。白蓮殿?」  そう言って公孫賛の位置から卓を挟むようにして座っている趙雲――真名を星と いう――が口角を吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべる。 「お、おおお、お前、いつから!」 「ふむ、白蓮殿が食事中に手を止めてなにやら上の空になった辺りからですかな」 「それは、最初っからって言うんだよ!」さらっと言われた言葉に公孫賛は卓に手を 突きながら叫ぶ。  瞬間、周囲の視線が公孫賛に集まる。その視線から逃げるように公孫賛は急いで 座り直す。そんな彼女を可笑しそうに見つめながら趙雲が口を開く。 「まぁ、そうともいいますな。で? やはり主のことですかな」 「お、お前には関係ないだろう!」そっぽを向いてそう答える公孫賛。 「それは違いますぞ。北郷一刀は我が主であり、主が気に懸ける白蓮殿はやはり主 同様私も気にしなければならない存在なわけですから」  そう言って趙雲が彼女にしては珍しく優しげな笑みを浮かべる。 「う……わ、わかったよ。答えればいいのだろう?」 「えぇ、それでは聞かせて頂きましょう」公孫賛の返事を聞いた途端、趙雲は表情を ころりと変えてニヤリと不適な笑みを浮かべた。 (だ、騙されたぁ!)  内心で、趙雲の態度の代わりの様がなんなんのか公孫賛はすぐに悟った。ただの 演技……公孫賛の他者が言うところの「お人好し」という損な性格を利用するための ものだったのだ。  そう、公孫賛を心配して安心させるような笑みを浮かべているように見せかけたこ とは、演技だったのだ。そのことに気付くも後の祭り、既に公孫賛は話すと言ってし まっていた。  なので、彼女はため息を漏らすと、諦めたように話し始めた。その胸に秘める想い を。 「星は、今一刀が青州黄巾党の対策にいっているのは知っているな」 「えぇ。そういえば、賊軍を討伐して戻ってみれば主の姿がなかったときはさすがに、 少々驚きはしましたな」  当時を思い出すように趙雲がそう言う。 「それでなんだが、あいつ今青州にいるらしいんだ」 「ほう、それはまた何故ですかな?」  趙雲が聞き返してくる。まだ彼女には一刀からの報せについて話していなかった。 というよりも間が悪く、中々話す機会がなかっただけである。 (なにせ、一人に話すのに一日以上掛かってるんだからな……)  さすがに、今回ばかりは自分の間の悪さが公孫賛は信じられなかった。そんなこと も相まって公孫賛は精神的に少々疲れており、それがまた彼女の気分を暗くさせて いた。 「なんでも予期せぬ事態に陥ったんだとさ」  公孫賛は呆れの混じった声でそう言うと、卓に肘をついて頬杖をつく。趙雲が、そ んな公孫賛の言葉に僅かに瞼のあたりをぴくりと動かしたように見えたが、すぐに正 常なものとなる。  そして、趙雲は軽く息を吐き出すと、脚を組み治しながら口を開いた。 「ということは、まだしばらくは戻ってこれない、というわけですな」 「あぁ、それは間違いないだろう。それに加えて、あいつの考えがどれほどの確率で 滞りなく勧められるのかもわからないから余計にわからないんだよな」 「なるほど、だから白蓮殿は食事も碌に喉を通らないほど心配しておられると」 「ば、バカ言うな! 私は食事くらい普段通りに取ってるぞ! 見ろ!」  そう言って、公孫賛は未だ更に残る料理をすくうと口の中へと勢いよく放り込んで いく。 「んぐっ! ごほっごほっ」 「そのような変わった食べ方はあまり感心しませんな」  趙雲がくすくすと、可笑しそうに笑っているのを耳にして、公孫賛はむせて潤んで きた瞳で彼女を睨み付ける。 「けほ、けほ……お前、わざとか?」 「さぁ、どうでしょな」  肩を竦めると、趙雲は水を公孫賛へと差し出してきた。公孫賛はそれを受け取ると、 一気に飲み始める。 「んぐ、んぐ……ぷはっ。いやぁ、すまんな」 「いえいえ、お気になさらなくて結構ですよ」 「そうか……あれ?」  今のやり取りは何か可笑しいような……そう、公孫賛が考えたところで趙雲がしゃ べり出す。 「そうそう、そう言えば……あれには驚きましたな」 「あれ?」 「えぇ、数え役萬☆姉妹……いえ、張三姉妹がよもや元黄巾党の首領だったという ことです」 「あぁ、あれか。だが、星は私から間接的に聞いたからまだマシだぞ。一刀の口から 直接聞かされた時はひっくり返りそうになってしまったぞ、私は」  そう言いながら、その時の事を思い描く……一刀は、我に策ありと言って貂蝉と天 和、地和、人和の三姉妹……通称数え役萬☆姉妹とドクダミ――ではなく黒薔薇 の君を呼び寄せて欲しいという要望を出した。  そして、一刀がその理由として述べたのが「彼女たち三姉妹こそ、かつて大陸を 震撼させた黄巾党の首領である張角と、その妹である張宝、張梁なんだ」とうものだ った。  なお、その際に一刀の言葉の途中で何やら思い出した賈駆が「あぁぁああー!  あんたまさか!?」等と叫び、一刀につかみかかろうとして華雄に止められるという騒 動もあった。  それも、追々話を聞いていくうちにわかったのだが元々賈駆が所属していた董卓 軍……そう、当時は張角たちを討ち取ったとされていた彼女たちが実は張三姉妹を 匿っていたのであり、賈駆は最近の忙しさとその話題には誰も触れなくなり、三姉妹 も最早張角、張宝、張梁の名を半ば捨てたような状態にあったため忘れていて、一 刀が話し始めて思い出したのだそうだ。  だが、賈駆が一刀に飛び掛からんとした理由はそこではなく、一刀が彼女たちを 連れて青州黄巾党と武力を一切用いず、話し合いのみで解決しようとしていること を察したから、というものだった。そして、公孫賛には何故、その理由で賈駆が怒り 出したのかわかる。  きっと、彼女も一刀の身を心配したのだ。一刀がろくに兵を引き連れずに一応敵 勢力の元へと以降としているのだから。  そして、そのことを賈駆だけでなくその場にいた者たちが詰問したところ、一刀は そのために貂蝉も呼び寄せるのだと答えた。一刀曰く、「ヤツほど恐ろしく、それで いて頼れる存在はないさ」ということだった。確かに、貂蝉は存在するだけでかなり 強烈だと公孫賛も思う。だが、一刀の貂蝉への信頼はそんな程度ではないようにも 感じた。  そこまで公孫賛が記憶を掘り返したところで、趙雲が再び話し始める。 「しかし、主も無茶をなさる……せめて、この趙子龍が戻るまで待っていただきたか ったものだ」 「まぁ、しょうがないだろ。多分、どっちにしてもお前は連れて行ってはもらえまい」 「はぁ、あの方は見た目の割に頑固な一面がありますからな」  そう言って、仕方がないといいながらカラカラと愉快そうに笑う星。 「まったくだな。そうそう、星と同じようなことを霞が言ってたな……そう言えば」 「ほう。そう言えば、霞も私と同じく出ていたのでしたな」 「そうなんだよ……それで、大分怒っててな『黙ってウチを置いていくなんて一刀の ヤツぜぇったいに許さへん!』とかなんとか言ってな、正直近くに寄るのも恐怖を感 じたぞ」  ゲンナリとした表情で、そう告げる公孫賛。実際、精神的な部分をそれによって削 られたのは事実だった。 「それで、どう治めたのですかな?」  興味深そうに公孫賛を見つめながら趙雲が訊ねる。 「いや、治めたというか……別の方向へ怒りを向けさせたんだ」 「別の方向?」 「あぁ。置いていった一刀ではなく、一刀が勝手に危険な地へ行こうとするのに何故、 武力では他者よりも優れる華雄がついて行かなかったのかとな……」 「なるほど」  趙雲はそう言うと、なんども可笑しそうに頷く。どうやら、彼女はこの問題すり替え 対象が華雄である理由まで察しが付いたらしい。だが、公孫賛は一応説明だけは する。 「まぁ、そこからはあっという間だったな。霞の罵詈雑言に売り言葉に買い言葉といっ た感じで華雄が対応し始めてな、そのまま稽古という名の決闘までしだしてな」 「それはまた、おもしろいものを私は見逃したものですな」  そう言った趙雲の表情は本当に残念そうだった。 「あのな……あれ程ヒドイことはないぞ。あの戦いでどれだけ城の設備やらなんやら が破壊されたか……」 「おやおや、何と言って良いのか困りますな、それは」 「だろ。しかも、どこから聞きつけたのか文醜まで加わりやがって……もうボロボロだ ったんだよぉ!」  卓に手をつき、趙雲に詰め寄るように顔を突き出す公孫賛。対する趙雲は先程ま で綻ばせていた口元を僅かに引き攣らせている。 「まぁ、最後はあいつらが体力を消耗したところを恋に取り押さえて貰ったから最悪 の事態は間逃れたが……正直、一刀を恨まずにはいられなかったな」 「主よ……帰ってくるときは気をつけるべきかもしれませんぞ」  趙雲が、何かぽつりと呟いたが公孫賛はそれを聞き取る余裕など無く、愚痴をこぼ し続ける。 「だいたい、その霞を華雄にぶつける案だって元々は詠が考えたものなんだ! な のに、あいつはあいつで知らない間に自分の仕事に没頭しやがって……気がつけ ば、面倒なことは全部私に回ってきてた!」 「…………は、はは」乾いた笑みを趙雲が漏らす。 「笑い事じゃない! せめて、星がいれば……いや、お前がいると炎に火薬をぶち 込むようなことになるな」  途中まで、星がいたらどうなるか想像し、公孫賛は一人うんうんと頷く。 「ず、随分と酷い言われ様ですな」 「うるさい、うるさ〜い! 私の苦労を知ってから言え!」  そう言って公孫賛は残りの料理を怒りのままに口の中へと掻っ込んでいく。また喉 につまり咳き込んだ。  そのためか、はたまた当時を思い出してか、公孫賛の瞳から一筋の濡れた道筋が 輝いていた。  † 「――というわけなんだ」  ようやく一刀はこれまでの自分が辿った道のり、そして、張三姉妹を引き取った経 緯を話した。  もちろんその内容は、黄巾の乱が集結を迎える際、張三姉妹は実は董卓軍に保 護されていたと言うことから、その董卓軍に諸侯の矛先が向けられることとなった後 に、公孫賛軍の一員として連合軍に参加した一刀を信用してくれた董卓軍の面々 の尽力があり、その結果、彼女たちを公孫賛軍が匿うことに成功したということまで である。 「なるほどな、つまりはお前の元に彼女たちがいると……」 「まぁ、そういうことになるね」  腕組みして、ただ黙って一刀を見つめていた青州黄巾党の頭であるアニキが発し た言葉に一刀は肯く。 「だから、ここにいる人たちの生き甲斐を取り戻すことは可能なんだ」 「…………」アニキは瞳を閉じながら再び口を閉ざした。一体、その胸の内で何を思 うのか? 「どうだろう、働き口がないって言うならうちで雇うけど?」 「…………」まだ、沈黙。 「アニキ?」  男たちも次第に心配になったのか、各々複雑な表情でアニキを見つめている。一 刀も彼ら同様アニキの言葉をじっとして待つ。しばらくの間、妙な沈黙が流れる。  そして、アニキは瞼を上げて口を開いた。 「お前の話、よく考えてみたんだ」落ち着いた声アニキが語り始める。 「あ、あぁ……」 「正直、それが本当なら飛び跳ねたいほどに嬉しいことではあるな」 「まぁ、そうだろうな。うん、きっと俺もそうなると思う」 「そうか……ただ、確証が何一つ無いって言うのがな」  そう言ってアニキが一刀を見つめる。表情は、疑念に満ちているというわけではな いが決して信用しているとは思えない様相を呈している。 「さすがに、俺も大勢の人間をまとめてる身だからな……おいそれとお前の言葉を 鵜呑みには出来ない」 「…………そう、だな」 「だから、どうにもこうにもといった感じになっちまうんだよなぁ」  頭を掻きながらそう漏らすアニキに一刀は内心、肝心な最後の詰めが甘かったこ とを痛感した。いや、正確には詰めのこと自体は失念していたわけではない、結果と して持ち寄ることが出来なかっただけなのだ。  何故なら、一刀も当初はその辺りのことを考えていたが、黄巾の乱当初持ってい たものなどもうほとんどなく、残っているものも普段から使用していたものというよりは 彼女たちが個人的に大事にしていたものばかりであり、物証は諦めるしかなかった のだ。 「な、なら――」 「かといって、そっちが連れてきた俺らの仲間の言葉を、というわけにもいかないん だぜ」一刀の言葉を遮るようにアニキが釘を刺す。 「…………」  先手を打たれては一刀も何も言えない。もっとも、連れてきた黄巾党の一員の話も 大した証拠にはならないとは思っていた。 「信憑性の無い言葉に乗せられて仲間たちを危機にさらすわけにはいかねぇ。だか ら、悪いが帰れ」 「なっ!? も、もう少し話を聞いて」 「アニキがあぁ言ってるんだから、帰ってもらうんだな」 「そう言うわけだ、おら、立てよ!」小柄な男が一刀の腕を掴み引っ張る。 「だから、話を――」  その瞬間、一刀と男たちの情報から凄まじい破壊音鳴り響いた。  ズドォォオオン  そして、その音はついには話し合いの場を設けていた一刀たちのいる部屋の天 井まで達した。そして、その天井もいま突き破られて落下してくる。  バキバキ  メリッ  ドォォォォオオオオン  そんな激しい音と、砂埃を宙へ舞わせながら何かが落下してきた。  しばらくは、男たちも一刀も動けずにいた。視界が塞がれ、耳も僅かに耳鳴りが生 じている。  そして、なんとか一刀の聴覚が回復したころ、他の男たちも同様らしく、急に慌た だしくなり始める。 「な、なんだ!」 「し、侵入者なんだな!」 「ちくしょー、どこだ……まさか、テメェの差し金か?」  小柄の男のその言葉によって周囲の視線が自分に集まっている……完全にはま だ視界が晴れていない一刀でもそれくらいは感じ取ることができた。  そして、どうしたものかと内心焦り始めたところで落下物がもそもそと動き出す。 「ふぅ……なんだか、月ちゃんのところに行った時を思い出すわねぇん」  その影が発した声は、一刀にとってとても聞き覚えのあるものだった。 「お前、貂蝉なのか?」 「どぅふふ、ご主人様、ごめんなさいね。でも、どうしても知らせたいことがあって」 「ふつうに、入ってこいよ!」 「だってぇ、あの頑固な門番が入れてくれないんですものぉ〜」  砂埃などが落ち着き、完全に見渡しのよくなった室内で筋肉達磨が身体をくねく ねと踊らせている。その姿を見た黄巾党の数人が膝を突いた。 「おぇっ」 「……うわぁ」 「な、なんだありゃあ……」  そんな反応をしめす仲間のなか、アニキは一刀の方をじっと見つめながら筋肉の 悪魔を指さす。 「お、おい、あれ……」 「あぁ、その申し訳ない。あいつたまに暴走するんだ」  頭を掻いて非常に謝罪の意を持っていることを伝えるような表情でそう告げるが、 アニキは口をパクパクと開閉させるだけで声を発しない。 「で、一体、俺に何を知らせようとしたんだ?」 「それがね……実は、この娘たちがついてきちゃってたみたいなのよ」  そう言って、貂蝉はその両腕で抱えているボロキレを見せる……いや、正確には ボロボロの布に包まれたナニカ――三つあるが、どれもぐったりとしており貂蝉の言 葉からわかるような人間とは思えない。 「おいおい、マジかよ」  ぽつりとそう漏らしたところで、一刀はハッとこのことで困惑していた自分の情状況 を打破出来ることに気がついた。だが、一刀が口を開くよりも先にアニキが言葉を発 していた。 「ちくしょう! 騙しやがったなぁ! やっちまえ!」  その声に従って、部屋にいた男たちが襲いかからんとして一刀を囲み出す。何故 か、彼らは貂蝉には近づこうとしない。 (げ、まずいなこりゃ……速くしないと、外のやつらも来るよな)  さすがに、激しすぎる音と衝撃に室外にいた他の者たちも駆けつけてくるだろう。 そのことを予期しつつ、一刀は背中に冷たいものが流れるのを感じた。 「う、うぅん……って、一刀!」  それは一刀のよく知る三姉妹の長女の声だった。 「あらん、やっとお目覚めのようねぇ」 「あまりに、落下の衝撃が凄くて意識が飛んでいたようね……」  布で見えないが、恐らく声の主である末女は眼鏡の位置を修正していることだろう。 「それより、はやくおろしなさいよぉ〜!」  貂蝉に文句を言っているのは間違いなか卯次女だろう。  そして、そんなやり取りを耳にした男たちの動きがぴたりと止まった。 「え、おい? 今のってまさか……」 「いや、そんな馬鹿な……本当なのか?」  辺りになんとも落ち着かないようなそわそわとした空気が流れる。そして、青州黄 巾党の人間たちは一様にざわめき出す。 「少しは口を閉じてられないのかお前ら!」  アニキがそう叫ぶことでそのざわめきもぴたりと止んだ。そして、アニキは恐る恐る といった様子で一刀の方を見やる。 「どうやら、証拠の方から来たみたいだ」そう言って笑いかける一刀。 「ま、マジかよ……」  未だ、呆然とした表情がぬぐい去れていないアニキを横目に一刀は三人の元へと 歩み寄る。 「まったく、無茶するなよ」 「無茶はどっちよ!」  そう言って、ボロ布を取り払った地和が一刀に飛びつく。 「おっとと……おいおい」 「えい!」 「え? ちょっ!」  なんとか地和を抱き留めながら一刀が困った表情を浮かべたところに重なるように 天和が飛び掛かる。  一つ目の衝撃が消えきらないうちに二つ目が追加されたために一刀はよろよろと 数歩後退し、尻餅をついた。 「痛てっ。急に抱きつくなよ、危ないだろ?」 「それは無茶なことばかりする一刀さんにだけは言われたくないですね」そう言いな がらも一刀に手を差し伸べる。 「そう言うなよ……人和」  差し出された手を握って立ち上がりつつ、一刀は三人を見る。と、そこでようやく硬 直が溶けたらしいアニキが声をかける。 「おいおい、あんた。俺らにもちゃんとだな……」 「ん? あぁ、悪い。正真正銘、役萬姉妹だよ」 「もっとも、今は数え役萬☆姉妹だけどね」  一刀にしなだれかかったまま天和が捕捉する。 「あなたは確か、長い間私たちの応援してくれてましたよね」そう言って人和がにこり と笑う。 「ちゃんと、ちぃたちは覚えてるんだから!」ビシッと人差し指を立ててそう告げる地 和。  青州黄巾党の頭であるアニキ……いや、ほかの者たちもそんな彼女たちの姿をな んども瞬きを繰り返してそれが現実であることを確かめる。 「そ、そうか……お三方が無事でなによりでさぁ」  そう言うと、アニキはぽろぽろと涙をこぼし始める。気がつけば部屋にいる青州黄 巾党の面々は皆、顔をくしゃくしゃにして雫を流し続けている。  それからしばらくの間、青州黄巾党の誰しもが涙を流し続けていた。中には歓喜 の声を上げる者までいた。  そして、ようやく落ち着きを取り戻したように見えた頃、アニキが一刀に向かって声 を掛ける。 「確かに、あんたの言ったことは本当だったようだな」 「なんとか、信じて貰えたみたいだな」  ようやく、一刀は安心することが出来た。とはいっても、肝心なのはここからなのだ。 「そこで、もう一度問わせて貰うんだけど、彼女たちのいる俺たちの元へ来ないか?」 「……そうだな、役萬姉妹――いやさ、数え役萬☆姉妹が生きていてまだ活動を続 けていたと知ったからには応援せずにはいられれねぇな!」 「そ、それじゃあ」 「あぁ、いいだろう。どうせ、もう暴れる理由もなくなっちまったしな」  そう言ってアニキは一刀へと歩み寄り手を差し出す。 「ありがとう。これで交渉成立だな」一刀はアニキの手を握りしめる。 「あぁ。よろしく頼む」アニキが力強く握り返しててくる。  そうして、場は丸く収まり、青州黄巾党の活動は終わりを迎えた。 「あ、そうだ。多分、まだこのことを知らない人が沢山いると思うんだけど」  和やか空気の中、一刀がアニキに訊ねる。 「ん? まぁな。結構な数がいるからなぁ……どうすっかなぁ」  顎に手を当ててアニキが考え込む。それに対して一刀は提案をする。 「俺に考えがあるんだけど……」 「あん? 考えだって?」 「あぁ、実は用意済みなんだよ……まぁ、最初とはちょっと予定が違ったけど」  そう言って一刀は照れ隠しに頬を掻く。実際は、ここにいる青州黄巾党の人々を 説得するための最終手段とする予定だった。もっとも、それ以前の問題に悩まされ る結果となったのだが。 「それでなんだけど、とある場所に集めて貰いたいんだ……まぁ、広さとかを説明す るからそこに入る分だけ何度かにわけて送ってくれないか?」 「わかった。やってやるよ」  一刀の質問にアニキが頷く。それを見て、一刀はさっそく準備に取りかかる。 「貂蝉、三人と一緒に先に戻っててくれ」 「わかったわん。くれぐれも気をつてけてねん」 「あぁ、それじゃあ俺はここの人たちと話し合った後、そっちに行くから」  一刀がそう言うと貂蝉は三人を抱えて天井の穴へと跳んでいった。 「さぁ、詳しい話をしようか」  この一連の出来事の終焉を迎えるために一刀は男たちと向かい合った――。  †  袁術軍、鳳統隊は黄巾党討伐のために徐州の東海郡での休息も終えて大分北 上し、ついに北部にある琅邪郡へと辿り着き、陣をしいていた。  だが、目的である黄巾党の姿は全く見えない。討伐のためにやってきたことを敢え て宣伝し、かつて張飛がされたように適当な出迎えがあると思っていたのだが、そ の様子すらない。 「…………なんだか、変」  妙に静かな琅邪郡の山々を見ながら鳳統は一人呟く。劉備軍にいたときに聞い た話では派手に進軍しようと、裏をかいて一切情報をもらさぬようにして軍を向かわ せたときも、黄巾党の軍とは軽い衝突があったという報告を受けていた。  だが、現在鳳統隊の付近には一切黄巾党の気配はない。  そんな奇妙な様子になにか裏があるのかと鳳統が考えを巡らせていると、一人の 兵が陣へと駆け込んでくる。  それは、先に偵察に送っていた斥候だった。 「報告!」 「……どうしました?」  妙に焦りを帯びた様子の斥候に、鳳統は内心で動揺しつつも話を訊く。 「こ、黄巾党残党の行き先がおおよそわかりました!」 「……え!? それはどこですか?」  まさかの報せに鳳統の気持ちも僅かにはやる。 「それがどうも、青州黄巾党と呼ばれる一味と合流し、現在青州に滞在している公 孫賛軍の一隊の元へと向かっている模様です」 「……そ、それは大変なことなんじゃ。ここは、援護に行くべきですかね」  報告を聞いて、すぐさま結論を出そうとした鳳統に斥候は言葉を重ねる。 「あの……それが、ちょっと変なのです」 「え?」 「どうも青州黄巾党の者たちは投降する姿勢のようでして……おそらく、この徐州か ら旅立った黄巾党残党もまた同じと思われます」 「それはまた、どうして……」  不可思議な現象に鳳統は声を漏らさずにはいられない。  少なくとも、青州黄巾党と言えば、周辺諸国でも中々手に負えず放置したままとな っていた勢力だった。それが、最近勢いのある公孫賛軍とはいえ、たかが一体に平 伏す……それは本当に異常なことである。  しかも、この徐州で暴れ回っていた黄巾党残党までも降伏させそうな流れだという のだ。  理解できずに鳳統が険しい表情を浮かべていると、斥候がなにやら言いたげに鳳 統を見ていた。 「どう……しました?」 「しょ、少々、思うところがありまして!」 「……なんです?」  緊張気味に答える斥候にゆっくりと鳳統は聞き返す。 「し、私見ですが、きっと天の御使い殿の力によるもと思っております!」 「天の御使い……ということは、その公孫賛軍の一隊というのは、北郷さんが率いる 部隊なんですか?」 「は! 掲げる旗は十文字でしたのでおそらくそうではないかと」 「……なるほど、わかりました。一応、様子だけは見晴らせておいてください。後はも う戻りましょう」  そう言って、数名の斥候や間者を放ち、残りは陣を引き払う準備を始めさせた。  天の御使い……北郷一刀という少年。彼がその謎の一隊を率いているという報告 を聞いて鳳統は心のどこかで納得してしまった。 (確かに……あの人は、何だか不思議な感じがする人だった)  もっとも、その辺りに関しては鳳統よりも、親友の諸葛亮の方がより強く感じている らしいが。  以前、徐州についてから大分たったころ……そう、丁度後に報せによってわかっ た公孫賛軍が袁紹軍に打ち勝ったとされた日の数日後あたりのときだった。  諸葛亮は鳳統だけに言っていたのだ「北郷さんならきっと勝利を引き出すんじゃな いかって思ってたんだ……根拠もないのにおかしいよね」と、鳳統はその言葉を聞 いて非常に驚愕したのを覚えている。 (朱里ちゃんが見込んでいる北郷さん……か)  正直なところ、鳳統は少し、彼を直に見てみたいと思った……もちろん反董卓連 合の時に一度会っているが、その時よりも今の方がおおいに興味が湧いているの だ。 「……でも、仕方ないよね」  そうぽつりと漏らし、鳳統は北方へと背を向ける。袁術の待つ、帰るべき場所へ戻 るために。  と、そこへ一頭の馬を駆って何者かがやって来た。 「袁術軍の隊とお見受けするが、統率者は何処か?」 「……あの、私です」  護衛の兵と共に鳳統はその人物の前へと出る。 「実は、我が主よりこの琅邪郡も正式に袁術軍の元へつくという申し出をしに参った 次第なのです」 「つまり……あなたは使者さんなのですね?」  そう訊いた鳳統に、目の前の人物はこくりと頷いた。ということは、つまり琅邪郡に 陣取っている豪族の元から来た早馬だということなのだ。 「……でも、また何故このような急な形できたんですか?」 「実は、ここだけの話、我が主は黄巾党と手を組んでおりました……といっても、半 ば脅されていたようなものですが」  顔を俯かせて語り出す使者を鳳統は黙って見続ける。 「いかんせん、力がある豪族とは言え、黄巾党残党のような数だけは多い者たちと は勝負にならなかったのです」 「…………なるほど」 「ですが、少し前になって彼らは突然青州へと向かうと言い出しまして……」  それは鳳統が得ていた情報とピッタリと合っていた。 「そして、黄巾党は我が主たちとの協力態勢を打ち切り、この琅邪郡、ひいては徐 州を出て行きました」 「……わかりました。私一人では決めかねますので、これから帰還するのでご同行 をお願いします」  そう言うと、使者はこくりと頷く。そして、代わりにその旨を伝えるために兵を送るこ とを願い出たので鳳統はそれをしかと受理した。  こうして、鳳統は北郷一刀という少年の行動の余波を受け、特に兵を損じることも なく本来の目的以上に良い成果を上げて城へと戻ることとなった。  †  一刀が貂蝉に作らせた会場、そこの窪みに多くの青州黄巾党の人間が集まって いた。そして、舞台上に三つの影が出たところで窪み……もとい客席はこのときまで 彼女たちの登場はもちろんのこと、生存を知らなかったため、驚愕の声が飛び交い、 巨気乱舞といった様子となる。 「うぉぉぉぉぉぉおおおおお!」 「てんほーちゃんだー!」 「ちーほーちゃんもいるぞー!」 「れーんほーちゃーん!  辺り一帯が騒然として、静まりかえる様子など微塵もない。それを眺めていた三人 の少女が口を開く、初めは長女である。 「みーんなー! お久しぶりー!」 「わぁぁぁぁぁああああああ!」  天和の声に観客が叫び声を上げる。 「ちぃたち、みんなとまた敢えてとっても嬉しいのー!」 「うぉぉぉぉぉおおおおおお! 俺たちもだぁぁぁぁああああ!」  地和が手を振るのに大勢が腕をぶんぶんと振って答える。気のせいか、互いの腕 がぶつかり合っている。 「わたしたちはいろいろあったけど、またみんなの元に来れたよぉ!」 「ぐぅぅぅ、ほんどうにえがっだよぉ〜!」  涙を拭いながらそうハッキリと言った人和に、客席は涙声で一杯となる。 「それじゃあ……いつものいくよー!」  天和が、そう言うと三姉妹は一度口を閉じ、会場もしん、と静まりかえる。そして、 再び天和が口を開く。 「みんな大好きーー!」 「てんほーちゃーーーん!」 「みんなの妹」 「ちーほーちゃーーーん!」 「とっても可愛い」 「れんほーちゃーーーん!」  三人と客とのやり取りが終わり、今は一際大きな観声が起こっている。そして、最 高の盛り上がりを見せ始める中、三人が互いを見合わせて頷き合う。そして、同時 に口を開いた。 「役萬姉妹改め、数え役萬☆姉妹の歌、楽しんでいってね!」 「わぁぁぁあぁああああああ!」  そして、それらが終わると、このためにわざわざ呼び寄せた数え役萬☆姉妹のた めの曲を弾く者たちが演奏を始める。  多くの歓声が送られるなか、三人は歌う。皆、長旅の疲れなど見えないほどにそ の姿はとても活き活きとしている 「この調子なら、上手くいくかな」  会場から少し離れた位置で一刀はそう呟く。  会場及び、三姉妹の警備は貂蝉と、青州黄巾党の頭であるアニキ、そして、彼の 腹心だという先程の話し合いの席でもアニキの傍にいた小柄の男……チビ、そして、 大柄の男デク、といった面子が中心となり行っているため一刀の出番は無かった。  というよりも、一刀は他にしなければならないことが急遽出来てしまったのだ。それ は徐州より北上してきた徐州の黄巾党残党の者たちのことだった。  先に来ていた使者の話によれば、彼らはどこからか数え役萬☆姉妹のことを聞き つけ、やってくるのだという。そして、青州黄巾党同様、一刀の元に降るというのだ。  そのため、一刀は急いで準備をして徐州にいた黄巾党残党との話し合いをしに向 かうこととなったのだった。 「さて、三人もまだまだ頑張るんだから、俺もやらなきゃな!」  そう言って、一刀は馬に跨る。  背後では、次の青州黄巾党分隊が会場に入り始めていた。数え役萬☆姉妹の舞 台はまだ始まったばかりなのだ。 「よし、行くか。よっと!」  一刀は馬を走らせる。その背に三姉妹の歌を背負いながら。 「ほわぁぁ、ほっ、ほっ、ほっわぁぁあぁぁ! ほああぁぁあー! ほわぁぁああああ!」  そして、これから会いに行く者たちよりも一足早く打ち解けることができた者たちの 観声に送られながら――――。 エピローグ  慌ただしかった日々を終えて、公孫賛の元へ戻った一刀を待ち受けていたのは説 教だった。 「まっらく、お前というヤツは……ひっく。いきなり、予定が変わっただの、賊討伐の 延長でよその州まで少数で行くだのと無茶をして」 「はい、すみません。反省します」  鬼のような表情で責める公孫賛に一刀は正座してただただ平謝りをし続ける。 「しかも、お前の行動のせいれ……ういっく……私やこの城にろれらけの負担がか かったと思うんら!」 「……わかりません」 「そうだろうなぁ! わからないだろうな、お前には!」  かれこれ一時間以上は怒られているが、いっこうに公孫賛の怒気が収まる気配は ない。 「城のあちらこちらは壊れ、私の心も壊れそうになるわ……おい、聞いてるか?」 「あぁ、聞いてるよ……ってか、酔ってないか?」  ずっと敢えて無視していたのだが、さすがに耐えられず一刀は訊ねる。公孫賛の 顔が赤い原因でもあるそれについて。 「私は酔っれらんかいらいぞ!」 「呂律回ってないぞ」 「うるひゃい! 口答えをするんららい!」 「いや、だから」 「そもそも、お前は私を大事にひらさすきだ!」 「はい、すみま――へ?」 「そうらろ? らいじにしようと思ってないからいつも私に心配を掛けるのら!」  何らや目が据わった状態になった公孫賛がずかずかと一刀との距離を詰める。 「お、おい……白蓮?」 「らぁ、一刀? お前は本当にわたひをあいひてるか?」  一刀の両肩をがしりと掴み公孫賛が座った眼で一刀の瞳をのぞき込む。 「え? いや……何を言ってるんだ?」 「らいたい、最近、わらひと合う機会すら設けていらいきがするんらが? ふぃっく」 「そ、ソンナコトハナイゾ」 「……なら、ちゅ〜とやらをひろ」 「いっ!?」  それは、衝撃的な申し出だった。いくらなんでも玉座の間で酔っぱらった太守と口 付けをかわすというのはさすがの一刀でも不味い気がしてならない。 (くそ、こんなことならキスやらチューやらの単語を教えるんじゃなかった)  以前、酔っぱらった際に口付けをもっと違った言い方はないかと趙雲と霞と呑んで いるときに聞かれて答えたことがあったが、それがまさかこのような形で返ってくると は一刀も思わなかった。 「さぁ、さぁ、さぁ!」  ずい、ずい、ずいいと顔を近づける公孫賛。彼女の前髪が鼻頭にかすれて一刀 は非常にくすぐったく感じるが、それ以上に彼女の酒気の混じった息が鼻に掛かる 距離まで詰められていることに対しての動揺の方が大きかった。  一刀は説教をされて正座し続けていたために、上半身のみを後ろへ退いている今 の状態では逃げるのに限界があった。 「ま、待て白蓮! だ、誰かが入ってきたらどうするんだ!」 「そんらもの、知るか!」  そう言って、唇を突き出した公孫賛が迫り来る。退路はない。ならば、もう受けて立 つしかないと覚悟を決めて一刀は目をつぶって一気に顔を前へと突き出す。 「……あれ?」  だが、一刀の唇は宙を切っただけだった。不思議に思い瞼を開けると公孫賛がぐ ったりと横たわっていた。 「まったく、どこに行ったのかと思えば、このようなところでよもやこんな羨ましいことを しておられるとは……」 「って、星!?」 「やれやれ……主も主ですぞ。まったく何をしておられるのやら」  呆れた表情で視線を送ってくる趙雲から一刀は目をそらす。そして、気になったこ とを訊ねることにした。 「ところで、何で白蓮は酔っぱらってたんだ?」 「それは、まぁ色々ありましてな……何から話せばよいか」 「どういうことだ?」  少し考え込むような素振りを取る趙雲に一刀は首を傾げる。 「実は……つい先程まで孔融殿と酒を呑んでおられましてな」 「え? 孔融って……あの青州にいた?」 「えぇ、これからは公孫賛軍の一員となるということで挨拶と杯を交わしに来たとかな んとか」 「はい?」  意味も事情もまったくわからない一刀は呆然としつつ趙雲に聞き返す。 「おや、それもこれも主が交した約束の結果ではありませぬか」 「いやいや、俺知らないよ?」 「ですが、孔融殿は言っておりましたぞ。ほとほと困り果てた孔融殿の代わりに青州 黄巾党をなんとかするのなら青州を譲り渡すと」 「はぁ!?」衝撃の事実に一刀は声を張り上げる。 「何を驚いておられるのですか? 御自分が交わした約束でしょうに」 「ちょっと待ってくれ。俺は確か、青州黄巾党をなんとかするかわりに青州を自由に させてもらうって……まさか」 「どぅふ、そのまさかなぁのよぉん」 「ちょ、貂蝉……」  いつの間にか背後にいた貂蝉に一刀は詳しい説明を求めるように眼で訴えかけ る。 「あの日、使者と話をしたとき、ご主人様ってば勘違いをしてたのよ」 「勘違い?」 「『青州黄巾党をどうにかするかわりに青州を好きにさせてもらう』これはどう聞いても、 青州を譲れといっているようなものでしょ?」 「い、言われてみればそんな気もするが……だけど、普通はそう思ったら断るだろ? 」 「いえ、それは違いますぞ」 「え?」  言い返す一刀に今度は趙雲が説明をする。 「青州黄巾党に荒らされていい加減、孔融殿も限界だったそうですから。本当に青 州黄巾党をどうにかしてもらえるのならば公孫賛軍の下につくくらいは構わなかった のでしょう」 「…………つまり俺は自分で気付かないうちに狡猾な取引をしたと」 「まぁ、そうも取れなくはないですが。実際に主は綺麗に事を治めたではありません か。その点に関しては孔融殿も誠に感服しておりましたぞ」 「そ、そうか……」  孔融が怒っていないようで一刀はほっと胸をなで下ろす。 「それに、その見事なまでの手際と謎の丸め込みに惚れ込んでおられるようでいず れは主と共に仕事がしたいともおっしゃっておられましたよ」  そう言って趙雲が不適な笑みを浮かべる。 「謎の丸め込みって……」 「さしずめ、天の御使いの力といったところでしょうな」 「いや、あれは俺じゃなくて天和、地和、人和の三人とこいつのおかげだよ」そう言 って一刀は親指で貂蝉を指さす。 「あらん、わたしにも感謝してくださるのねん」 「まぁ、世話になったのは事実だからな」 「おやおや、随分と中がよろしくなったようで」 「んなこたぁない」  一刀は趙雲の何かを探るような笑みを見ると、手を振って即座に否定する。 「んもぅ、照れちゃって……ご主人様ってば可愛いわねぇん」 「たまに褒めるとこれかよ」そう言って一刀は舌を打つ。 「まぁ、その点はおいておくとしましょう。それで、先程の話ですが、張三姉妹および 彼女たちを匿っていた董卓軍を生きたまま迎え入れたことも白蓮殿が話したのです が、どうもそれすらも天の御使いの先見によるものだと思われておりますぞ」 「うぇ、本当に!?」  根幹の部分までも勘違いされ、最早言い逃れる方法が無いことを知った一刀は頭 を抱える。 「まぁ、良いではありませぬか。人から評価されるだけのことを確かにしたのです。胸 を張るべきだと思いますぞ」 「なぁんか釈然としないんだがな」  頭を掻きながら一刀はようやく立ち上がった。 「まぁ、それもまたあるじの二つの名の宿命なのでしょうな」  最後は、趙雲のその言葉で締めくくられてその話は終わった。  こうして、かつての黄巾の乱の再来となるのではと思われた青州黄巾党の暴動は 天の御使いの力によって大陸中にその被害が及ぶ前に未然に塞がれたということ になったのだった。  †  孔融との食事会を終え、孔融が一旦青州へと戻るのを見送った後、公孫賛は先 日まともに取り組めなかったために溜めこんでしまった仕事を片付けるため廊下を歩 いていた。 「しかし、どうしても昨日の記憶の大半が思い出せない……」  孔融と酒を呑み、会合を終えて別れてどこかの部屋へと入ったところまでは覚えて いたのだが、その先がいまいち良く思い出せない。誰かと会っていた気がするのだ がそれもわからない。 「あ」 「ん? おぉ、一刀。昨日戻ったそうだな……って何処へ行くんだ!」  何故か一刀は公孫賛の顔を見た途端、笑っているような、いないような複雑な表 情を浮かべると、踵を返して逃げ出してしまった。 「な、なんなんだ?」  遠ざかっていく一刀の背中に手を伸ばしたまま公孫賛は立ち止まる。そして、その 場で考えてみる。 (昨日の記憶が無い私……昨日帰ってきた一刀……なんだか余所余所しい態度 ……)  いまのところわかっている情報を並べてみて、公孫賛はとても嫌な予感がした。 「本当に、昨日の私は何をしたんだ?」 「知りたいのですかな?」 「うわぁ!? びっくりした……」  気配も音も無く背後に忍び寄った趙雲に驚いて公孫賛は距離を取る。 「それで、昨日何があったか知りたいのですかな?」 「う……」 (な、なんだか怖いが……どうする……聞かない方が良いような気もするが……)  よくわからない恐怖を内心感じつつも好奇心と先程の一刀の不可解な反応が気 になるということで結局は聞くことを決意する。 「えぇい! 聞かせて貰うぞ! これでは夜も眠れないだろうからな」 「では、お話ししましょう……実は――」  公孫賛は、ここで聞かされた趙雲の話のために結局は夜も眠れない日々を送るこ とになるのだった。  ちなみに、この後に思い詰めた公孫賛が自らと一刀の命を経たんとしたりして一 騒動起こしたのだが、それは敢えて割愛とする。