改行による2パターンとなっています。最初は整形なしの素です。 ブラウザでご覧の方は、『ctrlキー+F』を押して出た検索窓に整形と入力して飛んでください。  「無じる真√N30」  一刀率いる対青州黄巾党の集団は、思いがけない出来事により逃げ帰り本隊と合流してしまったと思われる青州黄巾党分隊……そして合流先である本隊への対策を実行するために青州入りを果たした。  一刀は共に驢を進めてきた者たちの方を振り返ると口を開いた。 「さて、早速だが近くの街か村で一休憩入れた後、黄巾党の本拠に行こうと思う」 「あらん、随分急ぐのねぇ」知らぬ間に一刀の傍に寄り添っている貂蝉が答える。  貂蝉を蹴り飛ばしつつ一刀は他の者たちを見る。 「この大陸は今、色々と難しい情況になりつつある……だから、もし俺たちが今回の件でゆっくりしているとその間に何か動きがあったときにすぐに白蓮たちの元へ戻れない。もし、それで白蓮たちに何かあったらやりきれない、だから……正直、俺は少し焦ってる。もし、俺が焦りすぎて変なことしかけたら制してくれ」 「ふふ……随分、心配してるのね。妬けちゃうわねぇん」  今度は背後へと現れた貂蝉がそう言った。 「う、うるさい!」裏拳を放ちながらそう叫ぶか拳の目標である貂蝉は既にいなくなっていた。 「そんなに照れなくてもいいのに……どぅふ。ねぇ、ここにいるみんなのことも同じくらいに想ってるのかしら?」  再び接近していた貂蝉の言葉にぴくりと三人ほど顕著な反応を見せる者がいたが、一刀はそれに気付かずに何気ない素振りで答える。 「ん? 何言ってんだ? 当たり前だろ……そりゃ大事に決まってるだろ……って、どうした三人とも?」  この長い遠征の間、一部の人間の前以外では姿を隠し続けている三人組が一刀の傍へと寄ってくる。 「うふふ……まぁ、ご主人様ったら……いいじゃない、別に。ねぇ、貴女たち?」そう言って三人に貂蝉がほほえみかける。  三にはこくりと頷くと一刀に身体を寄せる。 「やれやれ……それより貂蝉」また貂蝉が近くにいるのを察知して一刀が小声で話しかける。 「なにかしら?」貂蝉もまた同じように声を潜ませる。 「お前には別にやってもらうことがある……街に入ったら話すからちゃんと聞けよ」  一刀は周りに聞こえないよう手で口元を押さえながら貂蝉にのみそっと囁いた。特に寄り添う三人にも聞かれていないかは細心の注意を払う。 「んふふ……一体何かしらねぇ~楽しみだわぁ」  妙にご機嫌な表情になる貂蝉に一刀は一抹の不安を覚える。 「へ、変な勘違いだけはするなよ……気持ち悪いから」 「どぅふっ、そんな照れ隠しをするところも可愛くていいわぁん」 「…………もうやだ」  相も変わらずの貂蝉に一刀はただただため息を漏らすのだった。  そして、最も近くにあった街へと辿りついた後、一刀は貂蝉一人のみを部屋へ残し後はそれぞれ自由行動とした。 「……それで、話っていうのは何かしら?」すっかり部屋が静かになったところで貂蝉が口を開く。 「あぁ、それなんだけどな……実は、青州黄巾党の人たちと会う前に貂蝉にやってもらいたいことがあるんだ」  卓を挟んだ反対側でうかれている貂蝉を一刀は真剣な表情で見つめる。 「あら? そんなに重々しく言わなくても、ご主人様のためなら、わたしはなんだってするわよぉん、うふふ」そう言いながら貂蝉が片目をパチパチと瞬かせる。 「そ、そうか。でも、そうだな……これから頼むことはちょっと、いやかなり大変だ。だからな、もし引き受けてくれるなら一つだけ言うこと聞いてやる」 「え……え、ええぇぇええ!」  貂蝉の瞬きに顔を引き攣らせつつ告げた一刀の言葉に、貂蝉が身体を硬直させる。そのあまりの反応に驚いた一刀はゆっくりと貂蝉へと腕を伸ばす。 「お、おい――」 「う、嘘よ! ご主人様がわたしにそんなことを言うなんて……ふんぬぅ! ふんぬぅ! ふんぬぅぅうう!」  恐る恐る声を掛けようとした一刀の前で貂蝉は急に自らの頬に拳を打ち込み始める。そのあまりにもおぞましく衝撃的な光景に一刀はその身を後ろへと退いてしまう。 「ちょ、ちょっと待てぇぇええ! な、何してるんだお前はぁ!」 「ふんんぬぬぬぅぅうううう! え? 何か言ったかしら?」強力な一発を撃ち込んだところでようやく貂蝉が一刀を見る。 「だーかーらー! 何してんだお前は!」  口から血を垂らしながら見つめてくる貂蝉に更に後退しながら一刀は大声で疑問をぶつける。 「いえねぇ……ほら、ご主人ってばわたしにいつも冷たくあたるじゃない。まるで詠ちゃんみたいに」 「俺はツンデレじゃねぇよ! まぁ、お前にツンツンしてるのは正解だが……」 「もう、素直じゃないんだから」 「いやいや、だからデレてないだろう――」 「それでね、そんなご主人様がわたしに言うことを聞くなんて素敵な言葉を掛けてくれるわけないって思って……もしかしたら夢なのかしらってね」  一刀は言葉を言い終える前に貂蝉に遮られたことで気力が一気に減った気がした。そのせいかため息を漏らす。 「はぁ……普通は頬つまむだけだろ」 「漢女の恋心は時に制御を超えてやり過ぎちゃうものなのよ……うふん」  貂蝉は頬を染めて一刀に対して悪戯な笑みを浮かべ、んべっと舌を出す。 「茶目っ気のある顔をするな……ここにいるのが貴様の奇行に慣れてる俺だけじゃなかったら死人が出てる」 「うふふ……確かに、大人の女が少女っぽさを出すのは反則だったかしらね」 「そういうことじゃないって……」  再度片方の瞼を瞬かせる貂蝉に一刀はただただ嘆息するのみだったが、すぐに気持ちを切り替えて貂蝉を見据える。 「いいか、良く聞けよ」  そう言うと、一刀は貂蝉に顔を寄せるよう手招きする。 「きゅ、急にどうしたのご主人様……はっ!? ま、まさか、ついにわたしを」 「ぐっ……いいから黙れ。そして、耳を貸せ」  ふつふつと怒りが沸き上がってくるが、拳を握りしめることでそれを抑えつつ一刀は貂蝉の片耳を引っ張り口元へと運ぶ。 「え? あ、あん……そんな強引に……んふぅ、耳に息をかけないでぇん」 「えぇい! 気持ち悪い反応をするな! 口閉じてろ……まったく、いいか――」  もだえる貂蝉に毒づきながらも一刀は自分の考えにとって大切であり必要な頼み事をぼそぼそと囁く。 「えっ、それをわたしにって……本気でいってるのかしらん?」 「まぁ、そうなるよな。それが分かってたから俺はその代わり言うことを聞いてやるって言ってるんだ」  言うべきことは伝えたので貂蝉から距離を開けながら一刀は答えた。 「そう……なら、一日わたしに付き合ってくれるかしら?」 「まぁ、それくらいならいいぞ」貂蝉の確認に肯く。 「それじゃあ、契約成立ね」  頬に手を添え穏やかな笑みを浮かべる貂蝉の言葉に一刀は首を縦に振った。  その日、鳳統は街の服屋にいた。この後は装飾を見にいく予定である。それから先にも沢山の予定が"入れられている"。  なんにせよ、今鳳統がいるのは服屋であり、目の前には一人の人物がいる。 「鳳統ちゃん、あんた本当にいい娘だよ……うんうん」 「……は、はぁ」  鳳統は目の前でほろりと涙する店主に驚きつつ、小声で返事をした。 「劉備様たちと別れてまで我らのために残ってくれた……本当に申し訳ない気分です」 「……あぅ」  この徐州でそこそこの期間過ごしたが街に来るときはいつも誰かと一緒だった鳳統は未だに一人で街の住民との接触になれていなかった。故に頬が異常に熱くなっていく。 「袁術の元に付いたふりをしてるんですってね……大変でしょうに」 「…………そ、その……あの……」  街の人間にとって鳳統の事情は既知のことであった。鳳統自信もそのことは既に知っていた。何故なら、劉備軍が徐州脱出の前に街の長に事情を話し、そのまま住民たちにもそれが伝えられていたからだった。  そして、劉備について行くことが可能な者たちは徐州を出て行った。今この徐州、中でも劉備が治めていた郯に残っているのは事情があって移動が不可能であったり、また、鳳統のことを哀れんで残ったりする者たちが多くを占めていた。  目の前の店主も鳳統を哀れんで残ってくれたようなのは伺えるのだが、上手く対応できず、鳳統は自らの人見知りする体質が悲しく思えた。  それでも、その体質はどうしようもなく鳳統は顔を赤く染めて俯くことしかできなかった。 「…………」 「まぁ、頑張ってください。何か力になれることがあったら力になりますんで」 「…………は、はい。ありがとうございます」  店主の耳に届くかどうかの声量だったため鳳統は感謝の言葉をちゃんと伝えられたか自信は無かったが店主は微笑んで頷き、聞き取ったことを示してくれた。  と、その時慌ただしげに足音が二つ鳳統と店主の下へと近づいてくる。 「こらぁ~鳳統をいじめるでない!」 「お嬢さまの言う通りです、許しませんよ!」  足音の方を向いた鳳統の瞳にもの凄い剣幕で駆け寄ってくる袁術と張勲の姿が映った。それは本気で怒らんとしている様子なのが付き合いの浅い鳳統にも分かるほどだった。 「ご、誤解ですって……ただ他愛ない世間話をしてただけです」詰め寄る二人に店主は慌てて両手を振って弁解をする。 「ふむ。そうなのかえ、鳳統?」  表情を緩めて反応を窺う袁術に鳳統は未だ朱に染まる顔でこくりと頷いて「……はい」と一言だけ返した。 「そうか、鳳統がそうだというのならそうなのじゃろうな」 「まったく、お嬢さまが大事にしている鳳統ちゃんに何かあったら、ただじゃおきませんからね」人差し指をたてながら念を押すように張勲が告げる。 「そ、それはもう、肝によぉく銘じてますよ」 「うむ、それならよいのじゃ」  引き攣った笑みで答える店主に袁術は満足そうに笑みを浮かべながら頷く。 「さて、妾の服も見終えたからのう、次は鳳統の服を見立てるのじゃ~」 「…………え?」 「いいですねぇ、さすがお嬢さま、素晴らしいお考えです!」  ぱちぱちと拍手して袁術を称える張勲。高笑いを上げてふんぞり返る袁術。その二人を見ている鳳統の頬を一筋の汗が流れ落ちた。 (…………な、なんかこの人たち凄いよ……朱里ちゃん)  あまりのも賑やかで明るい二人に鳳統は僅かに気圧され、親友の名を心の中で呼んでいた。 「そうと決まれば、さっそく……さぁ! 鏡の前へ」 「…………あ、あの……あぅ」 「よいか店主! 鳳統は妾の大切な友であるゆえ妙な服を勧めるでないぞ」 「は、はぁ……」  友……その言葉に店主は首を傾げながら鳳統を見る。その視線に鳳統はただ乾いた笑みを浮かべるだけだった。  そして、張勲によって仕官出来るよう口利きされた際のことを思い出す。  あの時、張勲は袁術に対して鳳統が能力的に優れていることを軽く説明し「よくわからぬが、すごいということなのかえ?」という袁術の質問に頷いて話を済ませた。それでも意味が伝わっていないのかはたまた判断しかねているのか何やら考え込む袁術。すると張勲は更なる説明を加えた。  その内容が「それとですね、この鳳統ちゃん……何でもお嬢さまとお友達になりたいそうなんですよ」といったものだった。鳳統は張勲の言っている意味が……というよりもその真意がわからないやら妙に気恥ずかしいやらで、ただ帽子のつばで顔を半分隠して様子を見ることしかできなかった。  だが、その説明を受けた袁術は自分と鳳統の身体のある箇所をみて満面の笑みを浮かべて「よし、妾と鳳統はこの時より友となるのじゃ~」と宣言をした。あまりに突飛な展開に鳳統は気を失いかけたがそれを袁術と張勲は許してくれず、そのまま様々な話をすることとなった。そして、それ以降も鳳統は何かある度、どころかそれこそ普段から袁術や張勲の側に置かれることとなった。  そういった経緯を経て鳳統はいまや袁術の友人という立場として迎え入れられていた。  正直、鳳統としてはそのことに対して良いのやら悪いのやらと、複雑な気持ちになっていった。  袁術の近く……それこそ側近といっても言い位置にいることで彼女に献策をしやすくなったのは事実、鳳統にとっても良いことだった……だが、袁術の傍にいることによって彼女の……そして、共にいる張勲の本質に触れ始めたのはあまりよいことではない、鳳統はそう思う。  二人と共に過ごして様々な経験を共にしていき、下手をすれば彼女たちに情が移るようなことが起きかねないからだ。  実際、友人として接している内に鳳統は自分とそう変わらない色々と小さめな少女である袁術という人物に対して、ただの名だけの悪人だというよりも一大勢力を支配する当主として大事なところが少し緩いだけであって、本質はそこまで悪であるというわけではない……そんな余計な事に気がつき始めてしまっていた。 「どうしたのじゃ鳳統?」  一人黙り込んでしまっていた鳳統に袁術が小首を傾げながら尋ねてくる。 「…………あ、いえ」 「きっと、照れてるんですよお嬢さま」鳳統が碌に返事をする前に張勲が代わりに答える。  それに対して、袁術は拳のそこで掌をぽんっと打つ。 「おぉ、そういうことか……うむ、可愛らしやつじゃのう。なっはっは」 「えぇ、そうですねぇ。あ、もちろんお嬢さまも可愛いですよ!」 「そうかそうか! なーはっはっは!」張勲の言葉に無い胸を反らして高らかに笑う袁術。 「…………え、えぇと……」  未だに二人のやり取りについていくことができない鳳統はただ眺めることしか出来ない。そんな彼女に、急に態度を普段のもの――どちらかというと滅茶苦茶なのが普段な気がしないでもないが――である落ち着いた様子へと変え、張勲が鳳統の手を掴む。 「さ、行きましょう。鳳統ちゃん!」 「さぁ、鳳統! 来るのじゃ~!」気付けば、張勲が持っているのと反対の手を袁術が握っている。 「……ふぇ? あぅぅうう~」  袁術と張勲の勢いにのまれた鳳統は、あっという間に鏡の前へと連れて行かれた。その際、店主がほろりと涙を流しそれを布で拭っているのが見えた気がしたが並んでいる服によって一瞬で見えなくなってしまった。 「さぁさぁ、どんどん見ていきましょ~」 「うむ! では、まずこれから見てみるのじゃ!」 「……あわわ」  袁術たちとの生活、それは鳳統にとって色々と新しいことがたくさんあった。そして、劉備軍にいた頃と変わらぬほどに賑やかな生活はまだ始まったばかりだった……一体、この日々が三人にどのような影響を及ぼすのか、今の彼女たちにはわからない。  曹操の本拠である鄄城へと到着した劉備軍はすぐに曹操の臣下たちと顔合わせを果たした。  それからそう刻も経たないうちに、曹操軍のあちらこちらで妙に慌ただしい動きが起きた。そして、そのすぐ後に、その動きはどうやら何処かへ遠征するための準備をしているらしいという情報が諸葛亮によって放たれていた間者の一人から上がってきた。  間者……それはとても役に立つことをしてくれる人だと劉備は思う。だが、あまり好きではない。  一番の理由としてはそれを実行する人物の命が戦場で戦うような兵よりも危機に陥りやすいためである。間者というのは潜入相手の深くに入りこむほど捕えられたときの生存率が下がる……それを劉備は諸葛亮との勉強で学んだ。もっとも、かつての師である盧植の元で色々と学んだ際にも聞いた気はしていた、ただ劉備はそれを忘れていた。そのことを正直に言うと諸葛亮には苦笑され、関羽に呆れられ張飛には大笑いされた。  そして、間者を好になれない理由としてはもう一つあった。  相手の情報をこそこそと探り、謀略の糸口や相手の弱点を見つけたりすることが正直、劉備から見るととても汚い行為に思えたからだ。そんな劉備の心情を読み取っているからこそ、諸葛亮はあえて自身の判断及び責任として放っているのだろう。  そう、あくまで間者を出すということやそこで仕入れた情報を使って多少卑怯とも取られかねない動きを提案、実行に移すこともするのは自分がやったことであり劉備すら騙されていた、もしくは言いくるめたと周りに思わせるために……。  そうすることで、少なからず劉備軍内部での悪印象は諸葛亮が背負うことになる。そして、その諸葛亮の自己犠牲が成り立つというのもまた、劉備が間者を使用することを嫌う理由の一つだった。  間者のことだけでなく、他のことでも……いや、それこそ常に劉備は本当に申し訳ないと思っている。大層な理想を追い求める張本人でもある自分にこれといった秀でた力がないから、周りの力を頼らざるを得ないわけであり、犠牲にしてしまうことさえもある……もっとも周りの仲間や民は違い、劉備には劉備なりの力……というよりは強さがあると言っているのだが。  しかし、劉備にその強さの実感や自覚が無い以上それは本当に存在しているとは劉備には思えない。少なくとも自分自身ではあるとは思っていない。そして、少なくとも劉備基準で考えて自分に何の力も無いから、諸葛亮や関羽、張飛……それに今は傍にいない鳳統など劉備の周囲に常にいた者たちを始め、徐州から自分についてきた民衆まで多くの者たちに負担を強いてきてしまったのだと劉備は考えている。  それが――自分の無力さが――くやしくもあり、そして情けなくもあった。 「………………はぁ」  暗いことを考えたせいで劉備はため息を吐く。もっとも、それだけでなく、今抱えている悩み事も原因の一つであった。  その悩み事というのは、現在劉備が廊下を黙って歩いていることと関係していた。  劉備の面持ちは微妙に緊張で引き攣っている。現在、彼女の傍には誰もいない。義妹……周囲からは忠臣とも言われる関羽すらいない。それが一層、劉備の緊張感を高めていた。  そして、目的地へと辿り着いた劉備は一度深く深呼吸すると、彼女の目的地である玉座の間へと入って行く。そう、劉備は曹操によって唐突に呼び出されたのだ。  自分自身に気合いを込めると、劉備は中へ入る。すると、早速曹操が声を掛けてくる。 「良く来たわね。劉備」  曹操は何故か玉座に座らず、その前に立っている。 「一体……何の用ですか?」  何故自分が呼び出されたのか、それは恐らく今後のことについて……なのだろう、劉備自身もその用件について曹操から何かしらあるだろうとは薄々わかっていた。だが彼女は、てっきり伝令の兵が遣わされるだけかと思っていた。そして、それは参謀であり大切な仲間の一人である諸葛亮も同意見だと言っていた。  故にこの自慢の参謀すら予測できていなかった呼び出しに劉備の全身は激しい緊張に襲われていた。  今、曹操の前にいるのは劉備一人、そして曹操自身もまた一人……つまりは一対一での話なのである。おそらくは普通の話などではない、そう思えて仕方がない劉備は自分の背中を冷たいものが這うのを感じた。  そして、互いに歩み寄る曹操。ついには自分と同じ位置へと降りてきた。正面から見つめあう二人。それは言葉にこそしていないが同じ一勢力を率いる者同士、対等な立場で話そうという曹操ならではの意思の表れのようなものが感じられると劉備は思った。そのことが一層劉備の身体を硬くしていく。  そんな風に劉備が緊張でガチガチに固まってしまったことを察したのか曹操が僅かに口角を吊り上げる。 「そんな強張らないで肩の力を抜いて楽になさい」 「…………」 「はぁ……別に取って喰おうという訳じゃないんだから……あ、でも関羽は是非とも食べたいわね」 「っ!?」  以前から関羽を見る曹操の瞳に怪しい色が秘められたいたのを感じ取っていた劉備は曹操の言葉に思わず身構える。  曹操はそんな劉備に可笑しそうな微笑を投げかけてくる。 「冗談よ。そんな怖い顔して睨まなくてもちゃんと貴女たちが十分な働きをしてくれるなら、彼女には手を出さないと約束するわ……少なくとも、今はね」 「ほ、本当ですか……」  "今は"という言葉に不安を抱きそうなものだが劉備は不思議と関羽の身の危険を感じなかった。  それはおそらく、曹操の言う"今"というのが劉備たちの滞在している間のことであり、いずれ自分の力で手にするという意味のような気がしたからだろう。そして、そんな劉備の予想通りな考えを持つのが曹操という人間なのだ。それくらいのことは劉備にもなんとなくだがわかっていた。  それでも完全には拭い切れていなかったらしい不安が表情に出たのだろう、僅かに諦めと呆れが混じったような表情を浮かべながら曹操がため息をつく。 「疑い深いわね。まぁ、それもしょうがいないのかしらね」 「…………それで、一体用というのは?」肩を竦める曹操に特に反応せず、劉備は用件を切り出す。 「私がすぐにでもここをたつつもりでいるのだけれど……貴女も知っているわね?」 「えぇ、知ってますけど……それが何か?」  いまいち曹操の考えが読めず劉備はただ様子を窺うのみだった。 「率直に言うわ。劉備、貴女にはしばらく私の傍にいてもらうわ」 「え?」急な話に劉備の口から声が漏れる。 「もちろん、都に行く間だけでなく常によ」  何故曹操はそのようなことを考えたのか、それが分からず劉備が首を捻りかけた時、曹操がさらに言葉を重ねた。 「劉備……どうも貴女は現実を見ていない……いえ、見えていないのかしら。まぁ、なんにせよ、貴女の瞳には現実だけが無い……私にはそう思えてならないの。そこで、この曹孟徳の傍に置いて貴女の目に現実というものを焼き付けさせてあげるということよ」 「現実を……」 「そうよ。理想のみを見つめて生きようとしてる貴女に現実というものを見せてあげるわ」  そう言って不適な笑みを浮かべる曹操。劉備にはそれが不思議だった。一体、彼女は自分に何を見せようというのか……いや、それよりもそうすることによって曹操が何を望むのか……今の自分では恐らくわからないし、わかっても理解することはできない。劉備はそんな気がしてならなかった。 「どう? 嫌だというのなら断ってもいいのよ?」 「いえ、受けます」  曹操の狙いはわからない。だが、少なくとも劉備にとって曹操と共に行動することには利点があるように思えていた。  曹操の視点に立って物を見る、それもまた劉備の経験として彼女の中に積み重ねられていくのはたしかなのだから。ならば、受けて損は無いはずだと劉備は考えた。また、自分の現状を考えれば受けないわけにもいかないのだとも思った。  曹操の提案を否定すると言うこと、それは現実を見つめず、むしろ避けると言っているのと同義なのだから。  劉備自身、理想を追い求めすぎているという自覚はあった。それでも何とか理想を目指したいと思っている。それは劉備の信念でもあるからだ。そして、そんな一人の信念も今や何人もの仲間が共に支えてくれている。  そのことが劉備の中で大きな柱となり、信念を貫徹するという誓いを彼女の心に楔のごとく打ち込んでいるためでもある。  だが、先の徐州撤退が劉備の中に一石を投じられた水面のように波紋を引き起こした。  そして、今一度現実を見つめるための動きを取るべきなのではないかと……あの徐州撤退で大切な仲間であり友であり家族であった鳳統を置き去りにする羽目になったのも自分が理想を求めすぎていたからなのではないかと……そういった想いが劉備の中で渦巻き始めていた。  だからこそ、劉備は曹操の誘いにのる。かつて義妹たちと共に旅をしたときのように大陸中に数多存在する現実を眼にするために。 「そう、ならばまず、これから私は遠征をするのだけど、貴女にはそれに同行してもらうことになるわ……いいわね?」 「……はい」劉備はただ黙って首を縦に振った。 「用件はそれだけ。いいわよ、もう戻って」大分軽い口調でそう告げる曹操。だが、その瞳は未だ劉備を捉え続けていた。 「それじゃあ、失礼します」その視線に自らの視線をぶつけながらそう告げると劉備は軽く頭を下げて立ち去ろうとする。 「あ、そうそう……」 「なんです?」  何かを思い出した様子の曹操の声に劉備は足を止める。 「……関羽によろしく伝えておきなさい」 「……えぇ、伝えておきます」  それだけ答えて、劉備は今度こそ玉座の間を出た。曹操のどこまでも真っ直ぐな雰囲気に影響されたからなのか劉備の胸は玉座の間へ向かう前よりも良く反り返り、とても自信溢れる姿をしていた。  曹操との話を終えた劉備は特にどこかに寄り道もせず自軍に与えられた宿舎へと帰った。 「みんな、ただいま」 「桃香さま!」  座ったまま脚をそわそわと上下させる関羽とうつらうつらと船をこぎ始めていた張飛が劉備の姿を見つけて駆け寄ってくる。 「おかえりなのだー!」 「お疲れ様です桃香さま。それで一体、曹操は何を?」  抱きつく張飛の頭を撫で、詰め寄るように訊いてくる関羽を手で制しつつ劉備は答える。 「うん……なんでも、しばらくの間、あの人の近くにいて色々見てみないかって」 「なんですか……それは?」 「えっと、わたしに現実を見せるんだって」 「…………だって、って……何を他人事のように」ため息混じりに関羽が額を抑える。 「えぇ~だって実際、そのまんまのことなんだもん。別に怒ることでも悲しむことでもないし……」 「いえ、それはそうですが……こう、深刻な表情をするなり難しい顔をするなりですねぇ――」関羽がぶつぶつお小言を口にする。  関羽の姿を見た劉備は彼女のお小言など耳に入れず、それよりも関羽に言うべきことがあったことを思い出した。そして、両手を合わせる音で関羽の小言を遮り「そうだ!」と叫んだ。 「な、なんです……急に大声など出して」訝るように関羽が劉備を見つめる。 「愛紗ちゃん!」ずずいと顔を関羽に近づけて語りかける。 「は、はい……」劉備が詰め寄った分下がりながら関羽が返事をする。 「――貞操には気をつけね」 「はぁ?」  意味が分からないといった様子で関羽が眉を潜ませる。 「ふふ……だいたい愛紗ちゃんとしては初めてを捧げるのは珍しく愛紗ちゃんが心を簡単に開いたかず――」 「何を仰っているのかわかりませんが!」劉備の言葉を遮るように関羽が怒鳴る。 「まぁ、愛紗ちゃんの初めてはいいとして」 「だからよくありません!」 「まぁ、おいておくとして」箱を持つように両手の間隔を取り、それを横へずらす動作をする劉備。 「…………桃香さま、冗談は――」柳眉を吊り上げながら関羽が劉備へと詰め寄る。 「曹操さんが愛紗ちゃんによろしくって」  関羽の言葉を遮るように劉備はぼそりと一言そう告げる。 「なっ!?」  劉備の言葉に関羽がまるで石像のように動かなくなる。どうやら、劉備の伝えたい意味が分かったらしい。関羽が再起動する前に劉備は張飛と諸葛亮を連れて部屋を後にした。  丁度、その時関羽の悲鳴が聞こえた。 「ひぃい! と、桃香さま! そ、それは一体どういう意味なのですか……って誰もおらぬではないかー!」 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 整形版はここからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N30」  一刀率いる対青州黄巾党の集団は、思いがけない出来事により逃げ帰り本隊と 合流してしまったと思われる青州黄巾党分隊……そして合流先である本隊への対 策を実行するために青州入りを果たした。  一刀は共に驢を進めてきた者たちの方を振り返ると口を開いた。 「さて、早速だが近くの街か村で一休憩入れた後、黄巾党の本拠に行こうと思う」 「あらん、随分急ぐのねぇ」知らぬ間に一刀の傍に寄り添っている貂蝉が答える。  貂蝉を蹴り飛ばしつつ一刀は他の者たちを見る。 「この大陸は今、色々と難しい情況になりつつある……だから、もし俺たちが今回の 件でゆっくりしているとその間に何か動きがあったときにすぐに白蓮たちの元へ戻れ ない。もし、それで白蓮たちに何かあったらやりきれない、だから……正直、俺は少 し焦ってる。もし、俺が焦りすぎて変なことしかけたら制してくれ」 「ふふ……随分、心配してるのね。妬けちゃうわねぇん」  今度は背後へと現れた貂蝉がそう言った。 「う、うるさい!」裏拳を放ちながらそう叫ぶか拳の目標である貂蝉は既にいなくなっ ていた。 「そんなに照れなくてもいいのに……どぅふ。ねぇ、ここにいるみんなのことも同じくら いに想ってるのかしら?」  再び接近していた貂蝉の言葉にぴくりと三人ほど顕著な反応を見せる者がいたが、 一刀はそれに気付かずに何気ない素振りで答える。 「ん? 何言ってんだ? 当たり前だろ……そりゃ大事に決まってるだろ……って、 どうした三人とも?」  この長い遠征の間、一部の人間の前以外では姿を隠し続けている三人組が一刀 の傍へと寄ってくる。 「うふふ……まぁ、ご主人様ったら……いいじゃない、別に。ねぇ、貴女たち?」そう 言って三人に貂蝉がほほえみかける。  三にはこくりと頷くと一刀に身体を寄せる。 「やれやれ……それより貂蝉」また貂蝉が近くにいるのを察知して一刀が小声で話 しかける。 「なにかしら?」貂蝉もまた同じように声を潜ませる。 「お前には別にやってもらうことがある……街に入ったら話すからちゃんと聞けよ」  一刀は周りに聞こえないよう手で口元を押さえながら貂蝉にのみそっと囁いた。特 に寄り添う三人にも聞かれていないかは細心の注意を払う。 「んふふ……一体何かしらねぇ~楽しみだわぁ」  妙にご機嫌な表情になる貂蝉に一刀は一抹の不安を覚える。 「へ、変な勘違いだけはするなよ……気持ち悪いから」 「どぅふっ、そんな照れ隠しをするところも可愛くていいわぁん」 「…………もうやだ」  相も変わらずの貂蝉に一刀はただただため息を漏らすのだった。  そして、最も近くにあった街へと辿りついた後、一刀は貂蝉一人のみを部屋へ残 し後はそれぞれ自由行動とした。 「……それで、話っていうのは何かしら?」すっかり部屋が静かになったところで貂 蝉が口を開く。 「あぁ、それなんだけどな……実は、青州黄巾党の人たちと会う前に貂蝉にやって もらいたいことがあるんだ」  卓を挟んだ反対側でうかれている貂蝉を一刀は真剣な表情で見つめる。 「あら? そんなに重々しく言わなくても、ご主人様のためなら、わたしはなんだって するわよぉん、うふふ」そう言いながら貂蝉が片目をパチパチと瞬かせる。 「そ、そうか。でも、そうだな……これから頼むことはちょっと、いやかなり大変だ。だ からな、もし引き受けてくれるなら一つだけ言うこと聞いてやる」 「え……え、ええぇぇええ!」  貂蝉の瞬きに顔を引き攣らせつつ告げた一刀の言葉に、貂蝉が身体を硬直させ る。そのあまりの反応に驚いた一刀はゆっくりと貂蝉へと腕を伸ばす。 「お、おい――」 「う、嘘よ! ご主人様がわたしにそんなことを言うなんて……ふんぬぅ! ふんぬぅ!  ふんぬぅぅうう!」  恐る恐る声を掛けようとした一刀の前で貂蝉は急に自らの頬に拳を打ち込み始め る。そのあまりにもおぞましく衝撃的な光景に一刀はその身を後ろへと退いてしまう。 「ちょ、ちょっと待てぇぇええ! な、何してるんだお前はぁ!」 「ふんんぬぬぬぅぅうううう! え? 何か言ったかしら?」強力な一発を撃ち込んだと ころでようやく貂蝉が一刀を見る。 「だーかーらー! 何してんだお前は!」  口から血を垂らしながら見つめてくる貂蝉に更に後退しながら一刀は大声で疑問 をぶつける。 「いえねぇ……ほら、ご主人ってばわたしにいつも冷たくあたるじゃない。まるで詠ち ゃんみたいに」 「俺はツンデレじゃねぇよ! まぁ、お前にツンツンしてるのは正解だが……」 「もう、素直じゃないんだから」 「いやいや、だからデレてないだろう――」 「それでね、そんなご主人様がわたしに言うことを聞くなんて素敵な言葉を掛けてく れるわけないって思って……もしかしたら夢なのかしらってね」  一刀は言葉を言い終える前に貂蝉に遮られたことで気力が一気に減った気がし た。そのせいかため息を漏らす。 「はぁ……普通は頬つまむだけだろ」 「漢女の恋心は時に制御を超えてやり過ぎちゃうものなのよ……うふん」  貂蝉は頬を染めて一刀に対して悪戯な笑みを浮かべ、んべっと舌を出す。 「茶目っ気のある顔をするな……ここにいるのが貴様の奇行に慣れてる俺だけじゃ なかったら死人が出てる」 「うふふ……確かに、大人の女が少女っぽさを出すのは反則だったかしらね」 「そういうことじゃないって……」  再度片方の瞼を瞬かせる貂蝉に一刀はただただ嘆息するのみだったが、すぐに 気持ちを切り替えて貂蝉を見据える。 「いいか、良く聞けよ」  そう言うと、一刀は貂蝉に顔を寄せるよう手招きする。 「きゅ、急にどうしたのご主人様……はっ!? ま、まさか、ついにわたしを」 「ぐっ……いいから黙れ。そして、耳を貸せ」  ふつふつと怒りが沸き上がってくるが、拳を握りしめることでそれを抑えつつ一刀 は貂蝉の片耳を引っ張り口元へと運ぶ。 「え? あ、あん……そんな強引に……んふぅ、耳に息をかけないでぇん」 「えぇい! 気持ち悪い反応をするな! 口閉じてろ……まったく、いいか――」  もだえる貂蝉に毒づきながらも一刀は自分の考えにとって大切であり必要な頼み 事をぼそぼそと囁く。 「えっ、それをわたしにって……本気でいってるのかしらん?」 「まぁ、そうなるよな。それが分かってたから俺はその代わり言うことを聞いてやるって 言ってるんだ」  言うべきことは伝えたので貂蝉から距離を開けながら一刀は答えた。 「そう……なら、一日わたしに付き合ってくれるかしら?」 「まぁ、それくらいならいいぞ」貂蝉の確認に肯く。 「それじゃあ、契約成立ね」  頬に手を添え穏やかな笑みを浮かべる貂蝉の言葉に一刀は首を縦に振った。  その日、鳳統は街の服屋にいた。この後は装飾を見にいく予定である。それから 先にも沢山の予定が"入れられている"。  なんにせよ、今鳳統がいるのは服屋であり、目の前には一人の人物がいる。 「鳳統ちゃん、あんた本当にいい娘だよ……うんうん」 「……は、はぁ」  鳳統は目の前でほろりと涙する店主に驚きつつ、小声で返事をした。 「劉備様たちと別れてまで我らのために残ってくれた……本当に申し訳ない気分で す」 「……あぅ」  この徐州でそこそこの期間過ごしたが街に来るときはいつも誰かと一緒だった鳳 統は未だに一人で街の住民との接触になれていなかった。故に頬が異常に熱くな っていく。 「袁術の元に付いたふりをしてるんですってね……大変でしょうに」 「…………そ、その……あの……」  街の人間にとって鳳統の事情は既知のことであった。鳳統自信もそのことは既に 知っていた。何故なら、劉備軍が徐州脱出の前に街の長に事情を話し、そのまま住 民たちにもそれが伝えられていたからだった。  そして、劉備について行くことが可能な者たちは徐州を出て行った。今この徐州、 中でも劉備が治めていた郯に残っているのは事情があって移動が不可能であったり、 また、鳳統のことを哀れんで残ったりする者たちが多くを占めていた。  目の前の店主も鳳統を哀れんで残ってくれたようなのは伺えるのだが、上手く対 応できず、鳳統は自らの人見知りする体質が悲しく思えた。  それでも、その体質はどうしようもなく鳳統は顔を赤く染めて俯くことしかできなか った。 「…………」 「まぁ、頑張ってください。何か力になれることがあったら力になりますんで」 「…………は、はい。ありがとうございます」  店主の耳に届くかどうかの声量だったため鳳統は感謝の言葉をちゃんと伝えられ たか自信は無かったが店主は微笑んで頷き、聞き取ったことを示してくれた。  と、その時慌ただしげに足音が二つ鳳統と店主の下へと近づいてくる。 「こらぁ~鳳統をいじめるでない!」 「お嬢さまの言う通りです、許しませんよ!」  足音の方を向いた鳳統の瞳にもの凄い剣幕で駆け寄ってくる袁術と張勲の姿が 映った。それは本気で怒らんとしている様子なのが付き合いの浅い鳳統にも分かる ほどだった。 「ご、誤解ですって……ただ他愛ない世間話をしてただけです」詰め寄る二人に店 主は慌てて両手を振って弁解をする。 「ふむ。そうなのかえ、鳳統?」  表情を緩めて反応を窺う袁術に鳳統は未だ朱に染まる顔でこくりと頷いて「……は い」と一言だけ返した。 「そうか、鳳統がそうだというのならそうなのじゃろうな」 「まったく、お嬢さまが大事にしている鳳統ちゃんに何かあったら、ただじゃおきませ んからね」人差し指をたてながら念を押すように張勲が告げる。 「そ、それはもう、肝によぉく銘じてますよ」 「うむ、それならよいのじゃ」  引き攣った笑みで答える店主に袁術は満足そうに笑みを浮かべながら頷く。 「さて、妾の服も見終えたからのう、次は鳳統の服を見立てるのじゃ~」 「…………え?」 「いいですねぇ、さすがお嬢さま、素晴らしいお考えです!」  ぱちぱちと拍手して袁術を称える張勲。高笑いを上げてふんぞり返る袁術。その 二人を見ている鳳統の頬を一筋の汗が流れ落ちた。 (…………な、なんかこの人たち凄いよ……朱里ちゃん)  あまりのも賑やかで明るい二人に鳳統は僅かに気圧され、親友の名を心の中で呼 んでいた。 「そうと決まれば、さっそく……さぁ! 鏡の前へ」 「…………あ、あの……あぅ」 「よいか店主! 鳳統は妾の大切な友であるゆえ妙な服を勧めるでないぞ」 「は、はぁ……」  友……その言葉に店主は首を傾げながら鳳統を見る。その視線に鳳統はただ乾 いた笑みを浮かべるだけだった。  そして、張勲によって仕官出来るよう口利きされた際のことを思い出す。  あの時、張勲は袁術に対して鳳統が能力的に優れていることを軽く説明し「よくわ からぬが、すごいということなのかえ?」という袁術の質問に頷いて話を済ませた。 それでも意味が伝わっていないのかはたまた判断しかねているのか何やら考え込 む袁術。すると張勲は更なる説明を加えた。  その内容が「それとですね、この鳳統ちゃん……何でもお嬢さまとお友達になりた いそうなんですよ」といったものだった。鳳統は張勲の言っている意味が……という よりもその真意がわからないやら妙に気恥ずかしいやらで、ただ帽子のつばで顔を 半分隠して様子を見ることしかできなかった。  だが、その説明を受けた袁術は自分と鳳統の身体のある箇所をみて満面の笑み を浮かべて「よし、妾と鳳統はこの時より友となるのじゃ~」と宣言をした。あまりに突 飛な展開に鳳統は気を失いかけたがそれを袁術と張勲は許してくれず、そのまま様 々な話をすることとなった。そして、それ以降も鳳統は何かある度、どころかそれこそ 普段から袁術や張勲の側に置かれることとなった。  そういった経緯を経て鳳統はいまや袁術の友人という立場として迎え入れられて いた。  正直、鳳統としてはそのことに対して良いのやら悪いのやらと、複雑な気持ちにな っていった。  袁術の近く……それこそ側近といっても言い位置にいることで彼女に献策をしや すくなったのは事実、鳳統にとっても良いことだった……だが、袁術の傍にいること によって彼女の……そして、共にいる張勲の本質に触れ始めたのはあまりよいこと ではない、鳳統はそう思う。  二人と共に過ごして様々な経験を共にしていき、下手をすれば彼女たちに情が移 るようなことが起きかねないからだ。  実際、友人として接している内に鳳統は自分とそう変わらない色々と小さめな少 女である袁術という人物に対して、ただの名だけの悪人だというよりも一大勢力を支 配する当主として大事なところが少し緩いだけであって、本質はそこまで悪であると いうわけではない……そんな余計な事に気がつき始めてしまっていた。 「どうしたのじゃ鳳統?」  一人黙り込んでしまっていた鳳統に袁術が小首を傾げながら尋ねてくる。 「…………あ、いえ」 「きっと、照れてるんですよお嬢さま」鳳統が碌に返事をする前に張勲が代わりに答 える。  それに対して、袁術は拳のそこで掌をぽんっと打つ。 「おぉ、そういうことか……うむ、可愛らしやつじゃのう。なっはっは」 「えぇ、そうですねぇ。あ、もちろんお嬢さまも可愛いですよ!」 「そうかそうか! なーはっはっは!」張勲の言葉に無い胸を反らして高らかに笑う 袁術。 「…………え、えぇと……」  未だに二人のやり取りについていくことができない鳳統はただ眺めることしか出来 ない。そんな彼女に、急に態度を普段のもの――どちらかというと滅茶苦茶なのが 普段な気がしないでもないが――である落ち着いた様子へと変え、張勲が鳳統の 手を掴む。 「さ、行きましょう。鳳統ちゃん!」 「さぁ、鳳統! 来るのじゃ~!」気付けば、張勲が持っているのと反対の手を袁術 が握っている。 「……ふぇ? あぅぅうう~」  袁術と張勲の勢いにのまれた鳳統は、あっという間に鏡の前へと連れて行かれた。 その際、店主がほろりと涙を流しそれを布で拭っているのが見えた気がしたが並ん でいる服によって一瞬で見えなくなってしまった。 「さぁさぁ、どんどん見ていきましょ~」 「うむ! では、まずこれから見てみるのじゃ!」 「……あわわ」  袁術たちとの生活、それは鳳統にとって色々と新しいことがたくさんあった。そして、 劉備軍にいた頃と変わらぬほどに賑やかな生活はまだ始まったばかりだった…… 一体、この日々が三人にどのような影響を及ぼすのか、今の彼女たちにはわからな い。  曹操の本拠である鄄城へと到着した劉備軍はすぐに曹操の臣下たちと顔合わせ を果たした。  それからそう刻も経たないうちに、曹操軍のあちらこちらで妙に慌ただしい動きが 起きた。そして、そのすぐ後に、その動きはどうやら何処かへ遠征するための準備 をしているらしいという情報が諸葛亮によって放たれていた間者の一人から上がっ てきた。  間者……それはとても役に立つことをしてくれる人だと劉備は思う。だが、あまり好 きではない。  一番の理由としてはそれを実行する人物の命が戦場で戦うような兵よりも危機に 陥りやすいためである。間者というのは潜入相手の深くに入りこむほど捕えられたと きの生存率が下がる……それを劉備は諸葛亮との勉強で学んだ。もっとも、かつて の師である盧植の元で色々と学んだ際にも聞いた気はしていた、ただ劉備はそれ を忘れていた。そのことを正直に言うと諸葛亮には苦笑され、関羽に呆れられ張飛 には大笑いされた。  そして、間者を好になれない理由としてはもう一つあった。  相手の情報をこそこそと探り、謀略の糸口や相手の弱点を見つけたりすることが正 直、劉備から見るととても汚い行為に思えたからだ。そんな劉備の心情を読み取っ ているからこそ、諸葛亮はあえて自身の判断及び責任として放っているのだろう。  そう、あくまで間者を出すということやそこで仕入れた情報を使って多少卑怯とも取 られかねない動きを提案、実行に移すこともするのは自分がやったことであり劉備す ら騙されていた、もしくは言いくるめたと周りに思わせるために……。  そうすることで、少なからず劉備軍内部での悪印象は諸葛亮が背負うことになる。 そして、その諸葛亮の自己犠牲が成り立つというのもまた、劉備が間者を使用する ことを嫌う理由の一つだった。  間者のことだけでなく、他のことでも……いや、それこそ常に劉備は本当に申し訳 ないと思っている。大層な理想を追い求める張本人でもある自分にこれといった秀 でた力がないから、周りの力を頼らざるを得ないわけであり、犠牲にしてしまうことさ えもある……もっとも周りの仲間や民は違い、劉備には劉備なりの力……というより は強さがあると言っているのだが。  しかし、劉備にその強さの実感や自覚が無い以上それは本当に存在していると は劉備には思えない。少なくとも自分自身ではあるとは思っていない。そして、少な くとも劉備基準で考えて自分に何の力も無いから、諸葛亮や関羽、張飛……それ に今は傍にいない鳳統など劉備の周囲に常にいた者たちを始め、徐州から自分に ついてきた民衆まで多くの者たちに負担を強いてきてしまったのだと劉備は考えて いる。  それが――自分の無力さが――くやしくもあり、そして情けなくもあった。 「………………はぁ」  暗いことを考えたせいで劉備はため息を吐く。もっとも、それだけでなく、今抱えて いる悩み事も原因の一つであった。  その悩み事というのは、現在劉備が廊下を黙って歩いていることと関係していた。  劉備の面持ちは微妙に緊張で引き攣っている。現在、彼女の傍には誰もいない。 義妹……周囲からは忠臣とも言われる関羽すらいない。それが一層、劉備の緊張 感を高めていた。  そして、目的地へと辿り着いた劉備は一度深く深呼吸すると、彼女の目的地であ る玉座の間へと入って行く。そう、劉備は曹操によって唐突に呼び出されたのだ。  自分自身に気合いを込めると、劉備は中へ入る。すると、早速曹操が声を掛けて くる。 「良く来たわね。劉備」  曹操は何故か玉座に座らず、その前に立っている。 「一体……何の用ですか?」  何故自分が呼び出されたのか、それは恐らく今後のことについて……なのだろう、 劉備自身もその用件について曹操から何かしらあるだろうとは薄々わかっていた。 だが彼女は、てっきり伝令の兵が遣わされるだけかと思っていた。そして、それは参 謀であり大切な仲間の一人である諸葛亮も同意見だと言っていた。  故にこの自慢の参謀すら予測できていなかった呼び出しに劉備の全身は激しい 緊張に襲われていた。  今、曹操の前にいるのは劉備一人、そして曹操自身もまた一人……つまりは一対 一での話なのである。おそらくは普通の話などではない、そう思えて仕方がない劉 備は自分の背中を冷たいものが這うのを感じた。  そして、互いに歩み寄る曹操。ついには自分と同じ位置へと降りてきた。正面から 見つめあう二人。それは言葉にこそしていないが同じ一勢力を率いる者同士、対等 な立場で話そうという曹操ならではの意思の表れのようなものが感じられると劉備は 思った。そのことが一層劉備の身体を硬くしていく。  そんな風に劉備が緊張でガチガチに固まってしまったことを察したのか曹操が僅 かに口角を吊り上げる。 「そんな強張らないで肩の力を抜いて楽になさい」 「…………」 「はぁ……別に取って喰おうという訳じゃないんだから……あ、でも関羽は是非とも 食べたいわね」 「っ!?」  以前から関羽を見る曹操の瞳に怪しい色が秘められたいたのを感じ取っていた劉 備は曹操の言葉に思わず身構える。  曹操はそんな劉備に可笑しそうな微笑を投げかけてくる。 「冗談よ。そんな怖い顔して睨まなくてもちゃんと貴女たちが十分な働きをしてくれる なら、彼女には手を出さないと約束するわ……少なくとも、今はね」 「ほ、本当ですか……」  "今は"という言葉に不安を抱きそうなものだが劉備は不思議と関羽の身の危険を 感じなかった。  それはおそらく、曹操の言う"今"というのが劉備たちの滞在している間のことであ り、いずれ自分の力で手にするという意味のような気がしたからだろう。そして、そん な劉備の予想通りな考えを持つのが曹操という人間なのだ。それくらいのことは劉 備にもなんとなくだがわかっていた。  それでも完全には拭い切れていなかったらしい不安が表情に出たのだろう、僅か に諦めと呆れが混じったような表情を浮かべながら曹操がため息をつく。 「疑い深いわね。まぁ、それもしょうがいないのかしらね」 「…………それで、一体用というのは?」肩を竦める曹操に特に反応せず、劉備は 用件を切り出す。 「私がすぐにでもここをたつつもりでいるのだけれど……貴女も知っているわね?」 「えぇ、知ってますけど……それが何か?」  いまいち曹操の考えが読めず劉備はただ様子を窺うのみだった。 「率直に言うわ。劉備、貴女にはしばらく私の傍にいてもらうわ」 「え?」急な話に劉備の口から声が漏れる。 「もちろん、都に行く間だけでなく常によ」  何故曹操はそのようなことを考えたのか、それが分からず劉備が首を捻りかけた 時、曹操がさらに言葉を重ねた。 「劉備……どうも貴女は現実を見ていない……いえ、見えていないのかしら。まぁ、 なんにせよ、貴女の瞳には現実だけが無い……私にはそう思えてならないの。そこ で、この曹孟徳の傍に置いて貴女の目に現実というものを焼き付けさせてあげると いうことよ」 「現実を……」 「そうよ。理想のみを見つめて生きようとしてる貴女に現実というものを見せてあげる わ」  そう言って不適な笑みを浮かべる曹操。劉備にはそれが不思議だった。一体、彼 女は自分に何を見せようというのか……いや、それよりもそうすることによって曹操 が何を望むのか……今の自分では恐らくわからないし、わかっても理解することは できない。劉備はそんな気がしてならなかった。 「どう? 嫌だというのなら断ってもいいのよ?」 「いえ、受けます」  曹操の狙いはわからない。だが、少なくとも劉備にとって曹操と共に行動すること には利点があるように思えていた。  曹操の視点に立って物を見る、それもまた劉備の経験として彼女の中に積み重ね られていくのはたしかなのだから。ならば、受けて損は無いはずだと劉備は考えた。 また、自分の現状を考えれば受けないわけにもいかないのだとも思った。  曹操の提案を否定すると言うこと、それは現実を見つめず、むしろ避けると言って いるのと同義なのだから。  劉備自身、理想を追い求めすぎているという自覚はあった。それでも何とか理想を 目指したいと思っている。それは劉備の信念でもあるからだ。そして、そんな一人の 信念も今や何人もの仲間が共に支えてくれている。  そのことが劉備の中で大きな柱となり、信念を貫徹するという誓いを彼女の心に楔 のごとく打ち込んでいるためでもある。  だが、先の徐州撤退が劉備の中に一石を投じられた水面のように波紋を引き起こ した。  そして、今一度現実を見つめるための動きを取るべきなのではないかと……あの 徐州撤退で大切な仲間であり友であり家族であった鳳統を置き去りにする羽目にな ったのも自分が理想を求めすぎていたからなのではないかと……そういった想いが 劉備の中で渦巻き始めていた。  だからこそ、劉備は曹操の誘いにのる。かつて義妹たちと共に旅をしたときのよう に大陸中に数多存在する現実を眼にするために。 「そう、ならばまず、これから私は遠征をするのだけど、貴女にはそれに同行しても らうことになるわ……いいわね?」 「……はい」劉備はただ黙って首を縦に振った。 「用件はそれだけ。いいわよ、もう戻って」大分軽い口調でそう告げる曹操。だが、 その瞳は未だ劉備を捉え続けていた。 「それじゃあ、失礼します」その視線に自らの視線をぶつけながらそう告げると劉備 は軽く頭を下げて立ち去ろうとする。 「あ、そうそう……」 「なんです?」  何かを思い出した様子の曹操の声に劉備は足を止める。 「……関羽によろしく伝えておきなさい」 「……えぇ、伝えておきます」  それだけ答えて、劉備は今度こそ玉座の間を出た。曹操のどこまでも真っ直ぐな 雰囲気に影響されたからなのか劉備の胸は玉座の間へ向かう前よりも良く反り返り、 とても自信溢れる姿をしていた。  曹操との話を終えた劉備は特にどこかに寄り道もせず自軍に与えられた宿舎へと 帰った。 「みんな、ただいま」 「桃香さま!」  座ったまま脚をそわそわと上下させる関羽とうつらうつらと船をこぎ始めていた張飛 が劉備の姿を見つけて駆け寄ってくる。 「おかえりなのだー!」 「お疲れ様です桃香さま。それで一体、曹操は何を?」  抱きつく張飛の頭を撫で、詰め寄るように訊いてくる関羽を手で制しつつ劉備は 答える。 「うん……なんでも、しばらくの間、あの人の近くにいて色々見てみないかって」 「なんですか……それは?」 「えっと、わたしに現実を見せるんだって」 「…………だって、って……何を他人事のように」ため息混じりに関羽が額を抑える。 「えぇ~だって実際、そのまんまのことなんだもん。別に怒ることでも悲しむことでもな いし……」 「いえ、それはそうですが……こう、深刻な表情をするなり難しい顔をするなりです ねぇ――」関羽がぶつぶつお小言を口にする。  関羽の姿を見た劉備は彼女のお小言など耳に入れず、それよりも関羽に言うべき ことがあったことを思い出した。そして、両手を合わせる音で関羽の小言を遮り「そう だ!」と叫んだ。 「な、なんです……急に大声など出して」訝るように関羽が劉備を見つめる。 「愛紗ちゃん!」ずずいと顔を関羽に近づけて語りかける。 「は、はい……」劉備が詰め寄った分下がりながら関羽が返事をする。 「――貞操には気をつけね」 「はぁ?」  意味が分からないといった様子で関羽が眉を潜ませる。 「ふふ……だいたい愛紗ちゃんとしては初めてを捧げるのは珍しく愛紗ちゃんが心 を簡単に開いたかず――」 「何を仰っているのかわかりませんが!」劉備の言葉を遮るように関羽が怒鳴る。 「まぁ、愛紗ちゃんの初めてはいいとして」 「だからよくありません!」 「まぁ、おいておくとして」箱を持つように両手の間隔を取り、それを横へずらす動作 をする劉備。 「…………桃香さま、冗談は――」柳眉を吊り上げながら関羽が劉備へと詰め寄る。 「曹操さんが愛紗ちゃんによろしくって」  関羽の言葉を遮るように劉備はぼそりと一言そう告げる。 「なっ!?」  劉備の言葉に関羽がまるで石像のように動かなくなる。どうやら、劉備の伝えたい 意味が分かったらしい。関羽が再起動する前に劉備は張飛と諸葛亮を連れて部屋 を後にした。  丁度、その時関羽の悲鳴が聞こえた。 「ひぃい! と、桃香さま! そ、それは一体どういう意味なのですか……って誰も おらぬではないかー!」