「長安を訪れるのも久し振りだわ」 「そうね。前に来てから一年も経っていないのにね」  詠の言葉に、月が感慨深そうに頷いた。  長安──古くは高祖劉邦の時代、前身である咸陽も含めると秦代から首都として栄えた 古の王都である。  光武帝劉秀により洛陽が都として定められたものの、かつての首都は今なお大陸文化の 中心であり、戦略上の重要拠点でもあった。  詠も入洛当初は何進と宦官達の政争により荒れ果てた洛陽よりも、この長安に遷都して 新しい政治を行うよう進言した事がある。  またこの街ならば洛陽よりも涼州に程近い為、不測の事態にも対応をとり易いとの思惑 もあったのだ。  しかしその時は月がまずは洛陽に住む民の心を安んじ、無辜の民が理不尽な不幸に見舞 われない制度を確立するべきと主張した為に実現する事はなかった。  そして、今── 「まさかこんな形で戻って来る事になろうとは、思っても見なかったわよ」 「仕方ないだろう。この街を会談の地にするってのが曹操の条件だったんだから」 「だからって敵地の真ん中で……。中立の漢中とか襄陽辺りで行うってのがボクの当初の 予定だったってのに」  会談への参加を同意した曹操は、その会場にここ長安を指定したのだ。  何処かの国の領土で会談を行う事については詠が難色を示したが、魏領とは言え洛陽や 許昌に比べると曹操の威光が届いていない事を考慮し、最終的な合意に至った。  そして今、月と一刀の他に詠・恋・翠の五人が涼州代表として赴いている。 『恋殿が行かれるのなら、当然このねねもついて行くのですぞー!』  と息巻いていた音々音は、軍師が二人とも国を離れる訳にはいかないとの詠の説得や月 の懇願、恋の『めっ』等を受けて渋々西涼に残る事を了承したのだった。 「場所はどこだって良いよ、詠ちゃん。それよりもようやく話し合いの場につく事が出来 るんだもの。私はその事の方が嬉しいな」 「まあ、月の気持ちも分かるけどね。それにしてもホント、よくあの曹操が承諾したもの よ。条件付きとは言え、ね」 「それに関しては楽進に感謝するしかないな。アイツが魏への使者を務めてくれなかった ら、ここまで上手く事は運ばなかっただろうからな」 「はい。きっと私達に対してはまだ複雑な感情を抱いているでしょう。それでも大陸全体 の平和の為に、この大任を果たしてくれました。でもその為に楽進さんは……」 「だからこそ、この会談は成功させないとな。彼女がしてくれた事、絶対無駄には出来な だろ?」  一刀の言葉に月と詠が頷いた。    会盟の場に曹操も呼ぶ事を提案すると、当然の事ながら蜀の使者達は難色を示した。  魏延などはあからさまに反発をし、またも桔梗から叱責を受けたりしている。 「そ、そもそも曹操さんが応じるとも思えません。私達も孫呉も涼州も曹魏とは対立して いる、言わば敵同士ですよ?そんな敵だらけの中に、一国の王がのこのこと現れる筈など ありえません!」 「そこは俺達がなんとしても曹操を引っ張り出す。諸葛亮さんは劉備さんや孫策さん達に 渡りを付けてくれるだけで良い」 「何故そこまで曹操さんに拘るんですか?西涼は幾度も曹魏から攻撃を受け続けた、仇敵 の間柄ではありませんか。私達と同盟を結べば華北をほぼ手中に収めた曹操さんとも対抗 出来る勢力となるんですよ?」 「うん、確かにそれは可能かも知れない。でも曹操はこの大陸に絶対必要な人材なんだよ。 それは施政を見ても軍事に関わる行動を見ても明らかだろ?」 「それは……確かに……」  諸葛亮が口ごもる。  曹操があらゆる分野において不世出の天才である事は彼女も認めているのだ。 「ですがそれなら何故曹操さんに降らず抗い続けているんですか?曹操さんなら涼州だっ て上手く治めてくれるんじゃないですか?」 「曹操なら、な」 「……なるほど。つまり曹操さんが存命の内しか保たないと」 「一人の天才が作った平和は、その天才が居なくなった途端、簡単に崩壊する。始皇帝が 崩御した後の秦を考えれば分かる事よね」 「そう。曹操さえ居なくなれば自分が取って代われると考える野心家はきっと出てくるだ ろうし、そうでなくても器量の足りない者が後を継げば人々の目にはどう映るか」 「血脈だけで地位を手に入れた凡君に侫臣が媚びへつらう。再び民衆は国家に失望するわ」 「王に失望した人々は新たな英雄を求めるようになる、ですか」 「けど英雄が待たれる世の中ってのは、その世界が乱れてるって事さ。政治が上手くいっ てるのなら、人々は政になんか関わらず自分達の生活に没頭するからね」 「それならいっそ英雄を作らずに安定だけを手に入れると?ですけど英雄は人々の心の拠 り所にもなる存在です。今の様な世の中では、どうしてもその存在は必要になると思いま すけど」 「その辺の事も考えてる事があるんだ。だから話し合いたいんだよ、この乱世を収める力 を持つ、英雄候補達に。大丈夫、少なくとも君達の王様は俺達と近い考えを持っている様 に思えるから」  一刀の言葉に諸葛亮はしばし逡巡する。  じっと一刀の顔を見ていた彼女は、やがて一刀の目に何かを見たか小さく頷いた。 「分かりました。それでは我が主、劉玄徳その旨を伝えます。呉にも私達の中から使者を 出します。関わりの薄い皆さんより、同盟国である我が国から話した方が理解を得られ易 いでしょうし」 「ああ、助かる。なら魏には俺達が話そう」 「大丈夫なのですか?涼州は魏と戦時にあると言って良い状況ですが」 「確かにね。でもだからこそ曹操はボク達の事を認めている筈よ」 「それは言えるかも知れませんね。戦力差では圧倒的な筈の魏の攻撃を幾度も退けている のですから」  諸葛亮が納得したように言う。 「それでは魏についてはお願いします」 「任せてくれ」 「──とは言ったものの、どうしたもんかなぁ」  一刀は頭を悩ませていた。  諸葛亮に話した言葉に嘘は無いものの、実際に曹操を説き伏せるとなったら誰が行くか と言う問題がある。  順当に考えれば筆頭軍師である詠が行くべきではある。 「けど今の時期に詠に国を離れられるのはなぁ。かと言ってねねじゃ荷が重いだろうし」  音々音は将来性こそ高いものの、性格は直情的な上にまだまだ経験が不足していた。  荀ケを始めとする老練な魏の軍師達に太刀打ちできるとは思えない。  それ以外の将は武勇は高くとも智を戦わせるのには長けていなかった。 「強いて言えば桔梗さんぐらいなんだけど……そういう堅苦しい仕事って面倒くさがりそ うだしなぁ」  戦いとたまの調練以外ではもっぱら杯を傾けている姿しか浮かばない。 「やっぱり俺が行くべきかな」  天の御遣いと言う肩書きに曹操が興味を持てば話を聞いて貰える可能性はある。  しかし自身を謀りに来た詐欺師と思われれば── 「曹操って男嫌いって聞くしなぁ……」  その場で斬り捨てられてもおかしくはなかった。 「でも普段はみんなに命を懸けてもらってるんだからな。俺も自分の出来る事をやらない と、霞や死んでいった皆に顔向けできないか」  自分自身に気合を入れ、頬をパンと叩く。 「さっきからブツブツと何を言ってるんだ?」  と、横から声を掛けられた。 「ん?ああ、楽進か」 「いつも能天気な顔をしているくせに、今日は随分と頭を悩ましているんだな」 「能天気は酷いな。こう見えて色々考えなくちゃならない事は多いんだぜ。今だって──」  魏への使者を選ばなくてはならない事を話して聞かせた。 「それでお前が自分で行こうと考えているのか?」 「まあ消去法ではあるけどね」 「……死ぬな」 「え?」 「お前が本物の天の御遣いと認めるのは、天意が涼州にあると認めるようなもの。覇道を 目指す華琳様にとっては甚だ不都合だろう。天子を惑わす紛い物として打ち首になるのが 関の山だな」 「け、けどそうすると涼州とは……」 「決定的に敵対するだろう。だがいずれにしても戦わなくてはならない相手ならば、魏に よる侵略と言う形よりも、偽の御遣いを仕立てて天下を誑かさんとする逆賊の討伐と言う 体裁を取った方が世への聞こえも良いのではないか?」 「うっ……それは確かに。……すると俺が行くってのは」 「その話し合いの場を設けると言う目的から考えると無為でしかないと思う」 「そっか……」  一刀は肩を落とした。  しかし楽進の言う事も尤もと言えた。 「それじゃあ誰が良いのかなぁ。やっぱり桔梗さんに頼むしか……それともねねに……」  再びブツブツと呟きながら思考に没頭してしまう。 「……ごう……が……こう……」 「いっそたんぽぽとかあれで意外と頭は回るかな?いや、でもアイツの場合話をまとめる よりも火に油を注ぐタイプか……」 「……ごう?……郷。おい、北郷!」  荒げた声で名を呼ばれ、一刀がハッと顔を上げた。 「え?あ、ああ、ゴメン。つい考え込んじゃって。で、何?」 「自分が行こうか、と言ったんだ」 「へ?行くって……何処へ?」 「だから魏への使者にだ」 「え……?……………………えええぇぇぇっ!?」 「そんなに大きな声を出すな」  楽進が顔を顰めた。 「いや、だってお前……あ、もしかして俺達の仲間になってくれるのか?」 「莫迦を言うな。自分はどこまでも曹孟徳の家臣だ。……だが、この国のあり方も決して 間違ってはいない。人々の表情を見てそう思った。苦しい生活を送っている者はあんな顔 で笑う事は出来ない。あれがかつて霞様が守ろうとしたものなら、自分もその先にあるも のを見てみたい。そう思っただけだ」  訥々とした口調ではあったが、その言葉には想いが篭っていた。 「うん、分かった。お願いするよ。月や詠には俺から話しておく」  一刀が言うと、楽進はコクリと頷いた。 「必ず、華琳様を話し合いの場に着かせて見せる」  そう言って翌日、楽進は洛陽へ向けて出立した。  そこでどのような会話がなされたのかは一刀は知らない。  だがその言葉通り、曹操は会盟を受諾した。  そして──楽進は国を追われた。    兵士に案内されて到着した会場では既に会談の主だった面々が揃っていた。  右手には劉旗を立てた劉備一行がいる。  劉備本人の他、諸葛亮や関羽など顔見知りの少女達に加えて見知らぬ妙齢の女性も居た。  更に劉備の横で居心地悪そうにしている少女が居るが、旗に公孫の字が織り込まれてい る所から見ると、袁紹に敗れた後に劉備に庇護されたと言う公孫賛だろうか。  そして劉備達と反対側には紅の孫旗を掲げた呉の集団が居る。  一刀や月は初対面であるが、中心に立って大きな存在感を放っている褐色の美女おそら くが小覇王孫策、その隣で何事か囁いている黒髪の女性が名軍師として名高い周瑜であろ うと推測された。  他にも数人の将がいるがほぼ全員に共通しているのが── (呉の人達って……何て言うか……ばいんばいんだな)  等と言う事を考えていた一刀だったが、詠に足を踏まれ息を詰まらせた。  涙目で講義するも冷たく一瞥されてすごすごと引き下がる。  気を取り直して正面に目を向けると、曹の旗を靡かせた魏の面々が集まっていた。  天下に名高い両夏侯を始め李典・于禁・許緒・典韋・荀ケ・郭嘉・程cと、猛将智将が キラ星の如く揃っている。  そしてその中心に立つのは一人の小柄な少女だった。  しかしその身体から沸き立つ覇気や威厳が少女に只ならぬ存在感を与えている。  その武威は両脇に控える夏侯姉妹と比べても引けをとらない。  北方の巨人と呼ばれる所以を、一刀達は目の当たりにした気分だった。 「ようこそ董仲頴。それとも董漢帝国相国殿、とお呼びするべきかしらね?」 「……董卓、で結構です。今更そんな肩書きに意味はありませんから」  皮肉の篭った曹操の挨拶にそう返すと、月は改まって諸侯に頭を下げた。 「今日はお忙しい中お集まり頂きありがとうございます」 「礼なら後にしてくれない?」  そう言って立ち上がったのは呉の中心にいた先ほどの女性だった。 「お初にお目に掛かるわね、董卓。呉の孫策よ」  女性──孫策が名乗った。 「説明してくれるかしら?私達が当初打診されていたのは対曹魏同盟を組むと言う話だっ た筈なのに、その曹操を囲んで魏の領土で会談を行う事になった理由をね」 「それについては俺の方から説明させてもらうよ」 「何者?」  孫策の眼光が一刀を射抜く。 (流石に迫力あるな。でもここで腰を引いてる場合じゃないぞ) 「俺の名前は北郷一刀。世間一般では天の御遣いなんて分不相応な二つ名で呼ばれてるけ どね」 「ああ、あなたが管路の占いに出てたって言う。あんなもの、眉唾も良いところだと思っ ていたのだけれどね」  一転孫策の視線が侮蔑を含んだものに変わる。 「帰りましょ、冥琳。時間の無駄だわ」 「お、おい!」 「生憎と山師の戯言に付き合っている暇は無いの。急いで国に帰って、魏に対する備えを しなくてはならないのだもの。それと、こんな茶番に引っ張り出してくれた涼州にもね」 「まあ、待て、雪蓮。まだ彼等の真意を聞いていない」 「あら?我等が軍師殿は山師の言葉に興味があるの?」 「その山師が圧倒的な兵力差を覆して曹操に勝利したのは事実だ。それに洛陽の街に敷か れていた治安体制、あれも非常に斬新で見事なものだった。少なくともただの山師風情に 出来る事では無いだろう」 「んー、なるほどね。そう言われてみればそっか。良いわ。ここはあなたの顔に免じて、 この子達の話に付き合って見ましょ」 「と、言う事だ。早速聞かせてもらおうか。だがいい加減な話でこの周公謹の目を欺ける 等とは思わぬ事だ。我等を謀ろう等としたのなら、相応の報いを受けると思ってもらおう」  周瑜の言葉を合図として、初っ端から剣呑な雰囲気の中、会談は始まった。   「連邦制?」  一通り自己紹介をこなした後、一刀の発した耳慣れない言葉に、曹操のみならず一同が 首を傾げた。  ちなみに会談に参加している面々は、魏が主だった将のほぼ全員、蜀は劉備・関羽・張 飛・趙雲・諸葛亮・黄忠──これが先程の妙齢の女性だった──と公孫賛、残る呉は孫策 と周瑜の他に孫策の妹孫権・宿将黄蓋・副軍師陸遜・孫権の側近である甘寧が来ていた。 「へぅ〜」 「むむむ」 「はわわ」  月や詠、それに諸葛亮が甘寧を除く呉の将達を何やら恨めしそうな目で見ている。  特に諸葛亮は自軍でも劉備と黄忠に挟まれ、どこと無く悲しげに胸を押さえていた。  その姿が小動物的な愛らしさを感じさせ、一刀は思わず口元を綻ばせた。 「何が可笑しいのかしら?」 「──っと。いや、ゴメン、何でもない」  曹操に見咎められ、慌てて表情を引き締める。 「まあ、厳密には違うんだろうけど、便宜的に俺の世界にある言葉を使わせてもらった」 「それで、その連邦制とやらは一体何なの?」 「その前に訊きたいんだけど──孫策さん?」 「なぁに?」 「孫策さん達の呉って、ここからかなり遠いよね?この街に来て見てどう思った?街並と か、人々の生活風景とか」 「ん?んー、そうねぇ……建物の感じや人々の服装なんかは全然違ってたわね。それに海 が遠いせいでしょうけど、潮の香りがしないわ。市場に並んでいるのも野菜や肉はあるけ れど、魚は干し魚か精々川魚くらいだったし。後は江東の人達に比べてこの街の人は動き が忙しないって感じたかな。まだちゃんと見て回ったわけじゃないし、ざっと見た感じで はそんな所かな?」 「充分だよ。──それじゃ劉備さん」 「ふぇ!?わ、私!?」  突然水を向けられ、劉備が目をぱちくりさせる。 「劉備さんは元々幽州の人だろ?」 「うん、そうだよ。幽州は啄県の楼桑村って所の出身なの」 「なら益州に入った頃は生活習慣とかの違いで戸惑ったりしたんじゃないかな?」 「そうだねぇ、確かに色んな風習があるんだなぁとは感じたかなぁ。幽州では安かった品 物が成都ではびっくりするぐらい高かったり、その逆もあったりしたし、お料理の味付け とかも結構辛いのが多いんだよねぇ。でもまあ、美以ちゃん達の所ほどじゃないけど」 「その子達は?」 「南蛮の子達ですわ。美以ちゃんと言うのが南蛮王孟獲の事なんです」  黄忠が口を挟んだ。 「そう言えば蜀は南蛮も併合したんだっけ」 「併合、と言うのは少し違いますわね。あの子達はあくまで蜀へ遊びに来てる立場ですか ら。何かあれば協力関係は取れるでしょうけど、基本的にあの子達を政治的にどうこうと するつもりはありませんわ」 「あら、黄漢升と言えば人無しと言われた益州に於いて知略と武勇を兼ね備えた傑物だと 聞いていたのだけれど、随分甘い事を口にするのね。あなた程の人材なら我が軍に来ても 存分に働けると思っていたのに」 「あらあら、うふふ。随分と評価して頂いている様で光栄ですけど、それは買い被りと言 うものですわ。わたくしは公に於いては劉玄徳の一家臣、私に於いては娘を愛する一人の 母親に過ぎませんもの。唯一つ訂正させて頂くなら、南蛮の子達に政治的なものを求めな いのは別に心情的な甘さではなく、単に難しい事を話してもダメと言うだけの事なんです けれどね」 「あははぁ……美以ちゃん達ってその手の話をしようとしたらすぐ寝ちゃうもんねぇ」 「うむ。基本的に食べてるか走り回って遊んでるか寝てるかのどれかですね」 「鈴々よりおバカなのだ」 「本当に猫さんみたいですからね」 「ふむ、今度マタタビ酒でも飲ませて見ましょうか」 「お前達、結構酷い事言ってるぞ?……まあ、同感ではあるが」  口々にそんな事を言う仲間達に、公孫賛が控え目に突っ込んでいた。 (一体孟獲って何者なんだろう?)  一刀がそんな感想を持って辺りを見回すと、月達のみならず、魏や呉の面々も同様の感 想を抱いているらしい事が表情から見て取れた。 「ま、まあそれはともかく、やっぱり劉備さんも文化の違いとかは感じたって事なんだよ な?それじゃあ公孫賛さん」 「こ、今度は私か!?──ゴホン。うん、良いぞ。何でも訊いてくれ」  咳払いをして心を落ち着けた公孫賛が居住まいを正す。 「それじゃ訊かせてもらうけど、確か幽州って良い馬が多い事で有名なんだろ?」 「ん?ああ、そうだ。幽州は山地が多くて耕作には適さない場所が多いんだが、良馬に恵 まれているお蔭で生業を立てられている者達が沢山いるんだ。中には遠く洛陽辺りまで足 を運ぶ馬商人もいるんだぞ。かく言う私も、幽州で産出される良馬を集めて随分と騎馬隊 には力を入れたものだ。白馬義従と言えば一時期は北方最強とも謳われたんだぞ。──そ れも結局は人材と物量の差に敗れた訳だが……」  国を失った事に未だ立ち直れていないのか、公孫賛の言葉は最後の方が尻すぼみになっ てしまっていた。 「はは……と、とにかく公孫賛が馬に愛着を持ってるのは分かったよ。それで、幽州では 馬が歳を取って戦に使えなくなったらどうしてるの?」 「ん?そんなの決まってるだろ。繁殖の為に放牧して、それも出来なくなったら死ぬまで 牧でのんびりと過ごさせるんだ」 「うん、そうか。そうだな。──なあ、翠。涼州も良い馬が多くて、それを使った騎馬戦 法が主流なんだけどさ、馬が年老いたらどうするのか、聞かせてやってくれよ」 「ええっ!?あ、あたしがここで言うのか!?ちょっとそれは厳しくないか……?」 「頼む」 「うーん……ああ、もう、分かったよっ!」  言いよどむ翠だったが、一刀の真剣な眼差しに不承不承折れた。 「あー、何て言うか……涼州では戦えなくなった馬はな、特に良い馬を除いては潰して肉 にするんだよ」  言い難そうに翠が口にすると、案の定公孫賛が目を見張った。 「何だと!?生死を共にした馬を殺すなんて、お前はそれでも騎馬武者か!?」 「あ、あたし等だって好きで殺してるんじゃないんだよ!涼州は土地が荒れていて、餌に なる草が少ないんだ。砂漠だって近いし。だから戦えない馬を何時までも飼っておける余 裕なんて無いんだよ!だから本当に良い馬だけを大切に育てて、育てられない馬は間引く 事になるけど、それだってあたし達の血肉になるんだから決して無駄死にじゃない!」 「土地が貧しいって事はそこに棲む動物達も少ないって事だから、馬肉は涼州人にとって 重要な栄養源なんだ」  翠の言葉を一刀が補足する。  事情を説明されると公孫賛は気まずそうに目を伏せ、一言「すまん」と詫びた。 「いや、別に公孫賛さんを責めるつもりは無いよ。むしろそういう反応が当たり前の地域 もあるって分かったのが重要なんだ」 「つまりは何が言いたいのかしら?」  やや苛立った様子で曹操が結論を促した。 「要するにさ、この大陸は広過ぎるんだよ。広いから色々な土地があって、色々な人々が 暮らして、その場所ごとに様々な風習がある。ある地域では禁忌とされる様な事でも別の 地方へ行けば誰もが当たり前に行っている行為だったりする。それを一つの国が一つの法 で統一しようとする事が間違ってると思うんだ。俺の世界ではこの国の様に領土的野心で 戦争を起こす事は殆ど無い。少なくとも俺の居た時代ではね。戦争の火種となるのは大概 が経済的不安定や宗教問題、そして民族紛争だ。強い国が弱い国を武力や経済力で抑え付 け、自分達の倫理や利益を押し付ける。抑圧される側はいつか暴発して暴動や内紛に発展 し、そこに大国が介入して更に泥沼化するって言う悪循環がいつも世界の何処かで起こっ てる、そんな世界だったんだ。俺は大した取り得も無い普通の学生だったから、そんな世 界状況なんてよくは分かってなかったけど、それでも内戦やテロの様な陰鬱なニュースは 幾らでも見てきた。それらが兵士達の戦う表立った戦争よりも、よっぽど悲惨な結果を生 み出すって事もね」 「なるほど、ね。それが天の世界の世情と言うのなら、とても貴重な情報だわ。後半少し 意味の分からない言葉があったけれど、言いたい事は良く分かったわ。けれど──それが 一体どうしたと言うのかしら?貴方の世界の指導者と私は違うわ。貴方の世界で上手くい かないからと言っても私が同じ失敗をする理由にはならないわね。貴方の世界の指導者達 が無能だった、それだけの事よ」  曹操が傲岸不遜な眼差しを一刀に向け、そう答えた。 「確かに君は凄く優秀な人なんだろう。君が天下を統一したら、もしかしたら俺達の世界 の様な形にはならず、上手く大陸を治めていけるのかも知れない」 「フン、華琳様なら当然だ!」 「姉者、口を挟むな」  曹操に睨まれ妹に窘められた夏侯惇が小さくなって引っ込むのを待って、一刀は言葉を 続けた。 「じゃあ一つ訊きたいんだけどさ、曹操は幾つまで生きるつもりなの?」 「っ!?」  曹操が言葉を詰まらせた。 「天下を統一するのがどれほどの天才だとしても、いや天才だからこそ後を継ぐ人間の器 量が足りなければ平和って簡単に壊れるんじゃないか?俺の国はこの大陸に比べたらほん のちっぽけな島国だけど、群雄割拠する戦国時代ってのがあって、何年も戦乱が続いてた 時期もあったんだけど、一人の英雄が遂に天下を統一したんだ。でもその英雄が死ぬとす ぐにその後継者を巡って大きな戦が起こったし、その戦に勝って新しい天下人となった人 間の元では幾つも粛清が行われたって聞いてる。俺の国を例に出すまでも無く、この大陸 だって始皇帝や劉邦が死んだ後の国がどうなったか分かるだろ?」 「けれどそれは後継者をしっかりと育てれば──」 「ならその後継者はどうやって選ぶんだ?まさか曹操ほどの人が優秀な人間の子孫は須ら く優秀だ、なんて思ってないだろ?だったら漢朝がここまで乱れている筈は無いもんな。 でも他人を後継者として指名するといっても上手くは行かないだろ?この国は血筋を大切 に思う風習があるから──もっともこれはこの大陸に限っての話じゃないけどな──他人 が後を継ぐなんて中々認められないだろう」 「貴方ならより上手いやり方を提案できると言うの?」 「最良かどうかは分からない。同じようなやり方をとってる俺の世界の国でも色々と問題 はあるようだしね。でも将来的な事を考えたら、たった一人の天才が作り上げた平和より は長く続けられるんじゃないかと思う」 「……聞かせてもらうわ」  それから一刀が語った案はこうだった。  まず漢帝国皇帝は現状のまま存続させる。  但し一切の政治的権限は無くし、血筋を尊ぶ人々の心の拠り所として残すと言う。  為政者には各州を治める刺史と全土を纏める宰相を置く。  為政者は個人で全て決められるわけではなく、あらゆる制度は議会を通して決定する。  宰相・刺史・文官等の政治家は全て任期を決め、新たな政治家は庶人の支持によって決 定される。  実際に行政を行うのは科挙を通った役人で、こちらは特に任期を設けないが立法に携わ る権限は一切無いものとする。  法律は殺人・暴行・窃盗等の明らかな犯罪に関しては国全体で禁止するものの、それ以 外の細かな法は全て州毎に定める事とする。  法の制定は議会で行うが、法を犯した者への裁きは予め専門の科挙を通った司法官に一 任し、それ以外の者は喩え宰相や皇帝であっても不干渉とする。  国軍の出動に関しては宰相にのみ、その権限を与える。  但し国軍の出動は外敵の侵入や大規模な反乱に対してのみ発動し、それ以外の小規模な 反乱や盗賊討伐に関しては各州の警備隊で対応する。  警備隊は不殺を基本とし、犯人の裁きは出来うる限り司法の手に委ねる。  その他州法に背く行いをした者も、各州の警備隊が逮捕する権限を有するが、他州に逃 亡した場合には全ての州での逮捕権限を持つ連邦警察に協力を依頼できる、等々。 「この場にいる人達には一切の野心を捨てて、この国の未来を担う礎になって欲しい」  一刀は最後にそう締め括った。 『……………………』  三国の代表達は一様に唖然とした表情を一刀に向けていた。  沈黙が場を支配し、やがて── 「プッ……クスクス……フフッ、フフフフ……」 「か、華琳様っ!?」 「アハッ、アハハハハッ!!」  曹操が声を上げて笑い出した。 「アハハハハ……ハァ……ああ、可笑しい。よもやこの曹孟徳を捕まえて、只時代の礎に なれなんて言う人間がいるとはね。あの許子将ですら『治世の能吏、乱世の奸雄』と評し たと言うのにね。北郷一刀と言ったかしら?中々面白い人間ね。その名前、覚えておきま しょう」  曹操が心底愉快そうに笑ってそう言った。 「え?それじゃ──」  曹操の様子に手応えを感じ、一刀が喜色を浮かべかけたその時だった。 「けれどね、北郷。──我が志をお前如きの舌先三寸で折れると思うな、下郎!」  曹操が立ち上がって一刀に怒声をぶつけた。  その小さな体躯が、身に纏った覇気で何倍にも見えるほどの迫力だった。 「今私がお前の言に乗って国の為に礎となったとして、我が天下に夢見て戦い散って逝っ た者達はどうなる!?数多の戦に命を懸け、我に希望を託して付いて来た者達に対して、 何と言い訳が立つと言うのだ!?我が力が及ばずして志半ばに斃れるのならやむを得ない だろう。だが、この孟徳自らが志を捨ててしまっては、幾多の兵に、霞に、あまりに申し 訳が無いではないか!」 「そうだ!お前達は霞を、我等の戦友を奪った敵ではないか!」 「ああ。私達はその一点に於いて、決して貴公等を許す事は出来ない」  夏侯姉妹が一刀に向かって鋭い眼光を向ける。 「せや!姐さん死なせた落とし前はきちんと付けさせてもらうで!」 「そもそも凪ちゃんが国を追われたのだってお前達びちぐそ野郎共のせいなのー!」  李典と于禁が姉妹に同調した。 「そうだそうだ!お前達なんかボクがやっつけてやるんだから!」 「季衣、少し落ち着いて。──でも、私も皆と同じ気持ちですから」  巨大な鉄球を振り回そうとする許緒を抑えながらも、典韋が一刀を睨んだ。 「軍師としてこの様な場で感情的になるのは控えるべき行為ではあるのですが……貴方達 に怒りを覚えていると言う点では同様ですね」 「霞ちゃんの死に対してはお兄さん達に全ての責があるわけではないのは分かっているん ですけどねー。とは言え必ずしも感情が理性に付いていかないのが人間と言うものですか らー」  比較的穏やかな郭嘉と程cの目にも怒りの色が浮かんでいた。 「そもそもアンタみたいな下衆で汚らわしい男なんかがこの場に居て華琳様と対等に口を 利いてるなんて事態が間違ってるのよ!アンタなんか厠で溝鼠と一緒に糞尿に溺れて死ね ば良いのよ!て言うか今死になさい!でも刃物なんか使って華琳様の領土を下衆の血で汚 したりはしないでよね。そうね、死ぬまで息を止め続けるってのはどう?それなら何処も 汚れずにすむから。でも死体は涼州まで持って帰ってね。この辺に埋められたりしたら土 が腐っちゃうから」  最後に荀ケから最大級の罵倒が飛んできた。  ポンポンと罵声を投げ掛けられ、一刀は怒ると言うより呆気に取られてしまう。  ようやく言葉が頭に染み込み、流石に言い返そうと一刀より先に怒り心頭に達した者が 居た。 「好き勝手な事を言ってんじゃないってのよ!黙って聴いてればいい気になって、ボク達 が霞を死なせたですって!?ふざけんじゃないわよ!元はと言えばアンタ達が袁紹や袁術 なんかの尻馬に乗って反董卓連合軍なんて馬鹿げた物を作り出したのが原因でしょ!あん な物が無ければ、霞は今だってボク達の仲間だったし、李鶴や郭達だって死ぬ事なんか 無かったのよ!曹操だけじゃないわ!劉備も、孫策も、アンタ達は皆同罪よ!ボク達にし てみたらアンタ達こそが仲間の仇なんだって事を忘れないでよね!」  詠が肩で息を吐きながらその場の全員を睨め回した。 「あー、連合軍に関してはあたしも耳が痛いけど、魏の言い分が勝手だって言うのは同感 だな。あたし達の領土に土足で踏み込んで来たのはそっちの方なんだし」 「何だとぅ!?お前達が素直に華琳様の軍門に降っていれば済む話ではないか!」  翠が詠に賛同すると、今度は夏侯惇がいきり立った。  思わず背中の大剣に手を掛けると、恋が無言で方天画戟を構えた。  そんな一触即発の状況を打ち破ったのは── 「止めて!」 「と、桃香様!?」  劉備だった。  彼女は関羽が押し止めるのも構わず両者の間に割り込むと、手を広げて言った。 「確かに反董卓連合軍については私も申し訳なく思っているし、謝って済むことじゃない と分かってます!でも、今この場に皆さんが集まっているのは、そう言った互いの過去を 水に流しても平和を築こうとする想いがあっての事じゃないんですか!?そんな一時の感 情で再び争い合う様な、その程度の気持ちでここへ来たんですか!?」 「劉備さん……はい、あなたの言うとおりです!私達が感情的になってる場合じゃない。 私達はただ、この国の行く末を考えなくちゃいけないんです。──だから詠ちゃん、それ に翠さんや恋さんも。私達が争いの火種になるような事は控えなくちゃダメだから。魏の 皆さんもここは引いてください」 「ああ、もう、ボクが軽率だったわよ」 「悪い、あたしも頭に血が上ってた」 「…………ごめん、なさい」  月の懇願に気を削がれたのか、詠達は口々に詫び、夏侯惇達も気まずそうに腰を下ろし た。 「劉備さんもありがとう。君の言葉が無かったら取り返しのつかない事態になってたかも しれないよ」 「いえ!元々私達は天下を獲るなんて事にはそれほど興味なくて、ただ皆が笑って暮らせ るそんな世界が来れば良いって思って起ち上がっただけだから、もし北郷さん達の言うや り方でそういう国を作れるのなら、それに協力したいって思ったんです」 「……うん、絶対にそんな国にするよう頑張るよ。けどその前にもう一度お礼を言わせて もらうよ。ありがとう」 「はい!」  劉備が満面に笑みを浮かべた。 「ふぅん……皆が笑える世界、か……。私達が目指してたのもそんな世界なのよね。ねぇ、 冥琳?」 「……ああ、そうだな」 「孫策さん?」 「元々は袁術に奪われた江東の地を取り戻す為って感じだったんだけどさ、いざ動き出し て見たら世の中には意外に苦しんでる人が多いって分かってきたのよね。だからどうせな ら私達の手でそんな人達皆を助けちゃおうって思ったわけ」 「姉様、それではあまりに軽いノリの単なる思い付きに聞こえるではありませんか」 「だってその通りなんだもん」  孫権に窘められるも孫策は何処吹く風の様子だった。 「まあ雪蓮の思い付きは何時もの事ですから。諦めて下さい、蓮華様」 「それでも何とかなっちゃうのが雪蓮様凄いところなんですけどねぇ〜」 「ハハハ、そんな所も堅殿によう似ておられるわい」 「ちょっと、よしてよ祭ぃ。私はあんなに鬼じゃないんだから」 『あはははは』 「えっと……?」  先程まで緊迫した空気を放っていたとは思えないほど、和やかな空気で笑い合う呉の諸 将に、一刀が怪訝な表情を浮かべる。 「雪蓮様、僭越ながら申し上げると北郷殿が戸惑っているようですが。内輪で盛り上がる のも良いですが、先に我等の見解を述べられては如何でしょう?」 「あっと、忘れてたわ」  甘寧の言葉に、孫策がハッと振り返った。 「まあ要するに我が孫呉もあなた達の掲げる政策に協力しても良いって事よ」 「え……?あ、え、ほ、本当に!?」 「んー、正直言うと折角取り戻した江東の統治を他人に委ねるって言うのは引っ掛かるん だけどねぇ。でもそれなら民衆がずっと私を選びたくなるような政を行えば良いって事で しょ?なら何も問題は無いわよね」 「うん、ありがとう、孫策さん」 「あはは、孫策さんだなんて止めてよ。雪蓮で良いって」 「えっ!?」 「ちょ、雪蓮!」 「姉様!?」  その発言には流石に一刀のみならず、呉の面々も驚きの声を上げるが、当の雪蓮は全く 意に介す事もなく、 「良いのよ。だって私、何だかこの子の事を気に入っちゃったんだもん。まあ、何処がっ て言われたら困るんだけどね。何て言うか、勘ね。ビビッと来ちゃったんだ」  奔放なその物言いには、さしもの美周郎や妹姫も苦笑するしかなかった。 「あ、あの、それじゃ私の事も桃香って呼んでください!」  すると今度は劉備までがその様に言ってきた。  当然側近達が止めるも、 「これから協力して国作りに励まなくちゃならないんだもん。お互いに信頼し合わないと そんな事出来ないよ」  と言う桃香の言葉に反論する事も出来ず、逆に関羽を始めとした全員が一刀に真名を預 ける羽目になってしまった。 「それじゃ改めて宜しく、桃香、雪蓮」  二人に手を差し出し、堅く握手をする。  その際、つい二人の胸元に目が行ってしまった。 (!……不謹慎だぞ、俺!で、でも大きいな……)  この二人に匹敵するのが涼州では桔梗くらいである為、あまり大きな胸には耐性の無い 一刀が思わず生唾を飲み込んでしまう。  と、不意に裾が引っ張られた。 「え?」 「…………へぅ」  振り返ると月が涙目で睨んでいた。 「あ、ち、違う!月、これは違うんだって!」 「知りません!」  プイッと拗ねる月を慌てて宥める一刀だったが、ふと視線を感じて顔を上げると、曹操 達が呆れた様に彼等を眺めていた。 「さて、茶番は終わった?ならそろそろお引取り願っても良いかしらね?」 「待ってくれ!まだ曹操達から承諾を貰っていない!」  一刀の言葉に曹操が目を細めた。 「それなら否、と答えた筈よ?我等の覇道が気に入らないと言うのなら、あなた達三国で 同盟を結んで我が曹魏に立ち向かえば良いのではなくて?その上で我等に勝ったなら、そ の後はあなた達の望む治世を行えば良いのよ。無論、私達はあなた達を叩き潰して覇道を 進めるつもりだけれど」 「それじゃダメなんだよ!俺達の政策は国のあり方を大きく変える事だ。当然各所から大 きな反発も起きてくるだろう。特に既得権益を守りたい貴族や豪族、代々重職に就いてい る様な人間達からはね。そう言った混乱を未然に防ぐ為にも、優秀な人材は幾ら居ても足 りないくらいなんだ。特に曹操、君の様な人材は絶対に外せない。俺達にはどうしても君 達の協力が必要なんだよ!」 「……………………そう、そんなに私達の力が必要なの?」  真剣な表情で頭を下げる一刀をジッと見下ろしていた曹操だったが、やがて口を開くと そう訊ねた。 「──あ、ああ、勿論!」 「良いでしょう」 「ま、まさか、華琳様っ!?」  荀ケが悲痛な声を上げる。 「落ち着きなさい、桂花。誰も唯でとは言っていないわ。──北郷一刀、今から私の提示 する条件を満たしたなら、あなた達の言う政策に協力してあげても良いわ」 「俺達に出来る事なら何でも!」 「良い心掛けね。それでも条件を言うわよ。我等の提示する条件は唯一つ。──戦で我が 曹魏の精兵に打ち勝ちなさい」 「……………………え?」 「聞こえなかったの?我等と戦って勝て、とそう言っているのよ」 「いや、聞こえてたけど……いや、でも、それじゃ……」 「何を呆けているの?我等は常に武力を持って覇を競い、敵を従えて来た。力は我が曹魏 の象徴と言うべきものよ。我等に言う事を聞かせたいと言うのならば、それ以上の力を示 して見せると言うのは当然の事でしょう?」 「け、けど、それじゃ結局は……」 「あなた達が手加減をして私達を殺さない様にするのは自由よ。それで私達が敗北を認め るに充分な状況を作り出したなら、我等は全力を挙げてあなた達に協力するわ。尤も、私 達は一切の手加減をするつもりなど無いけれどね」 「ちょ、ちょっと!戦ならもう何度もボク達が勝ってるじゃない!」  曹操の言い分に、堪らず詠が口を挟んだ。 「確かに奇策を以って敗れたのは認めるわ、賈文和。けれどそれで力を示したと言えて? 古来奇策とは弱者が強者を破る為に使うものよ。現にあの時だって我等がなりふり構わず 三度攻め込んでいたら涼州は陥ちていた。そうではなかったかしら?」 「グッ……!で、でも実際には呉や蜀の動きが気になって攻め切れなかったじゃない!」 「それについてはあなたの言うとおりね。けれどそれはあくまで結果論に過ぎないわ。も し本当にあなた達が力を示すと言うのなら、五分の条件で堂々と我等に打ち勝つ意外に無 いと思うのだけれど?」 「それこそそっちに有利なだけじゃない!元々の兵力に大きな隔たりがあるんだから、ど うやったって五分の条件なんかになりようが無いわよ!」 「なら私達の兵力をそちらに合わせましょうか?今の涼州が動かせる兵力と言えば……そ うね、およそ三万と言ったくらいかしらね」 「う……」  図星を指され、詠が言葉を詰まらす。 「フフッ、ならば我等も精鋭三万で相手をしましょう。戦場は五丈原でどうかしら?」 「待ってくれよ!俺達は本当にこれ以上誰も死なせたくないんだ!」 「それはそちらの都合でしょう。我等がそれに付き合う謂われは無いわ」 「けどそれは──」 「ならこうしたらどうですか?」 『え?』  いきなり会話に割り込んできた桃香の示した案は、一刀も驚くものだった。   「結局また曹魏と戦う羽目になるとはな」 「う……ゴメン、俺の力が足りなかったばっかりに」  呆れた様な表情の華雄に対し、一刀は素直に頭を下げた。  会談を終えてからおよそ一月、一刀達は曹魏との決戦を迎えるべくここ五丈原に布陣し ていた。 「一刀さんの所為なんかじゃないです!それを言ったら私だって……へぅぅ」 「それに関してはボクにだって責任あるしね。ま、それでも桃香のお蔭で少しはマシな状 況でやれるんだから、それで良しとしましょ」 「ああ、彼女には本当に感謝してるよ」  本陣に立てられた『董』の旗を見上げながら、一刀はそう答えた。  今回の戦限定の規則を定める。  それが桃香の提案した案だった。  降伏の意を表した者、武器を手放した者は即座に戦死扱いとなり、以後その者への攻撃 は不可とする。  部隊を指揮する将が敗れた場合、その部隊の兵全てを戦死者と見做す。  一度戦死者扱いとなった者が再び参戦する事は不可とする。  勝敗は君主が死亡扱いとなった時点で決着とする、等である。  尤も使用する武器の制限等を設けているわけではないので全く死傷者を出さないと言う 訳にはいかないのだが、それでも本来予測し得るよりも大幅に抑えられるのは確かだった。 「けど本当に連環馬は使わなくて良いのか?この広い台地なら、あれを使うのに絶好の地 形だと思うんだけどなぁ」 「絶好だからだよ。あれを知ってるのにわざわざ使い易い場所を戦場に指定してきたって 事はさ、あれを破る自信があるって意味なんだろう」 「あ、なるほどね〜。あれ?でもそれってそんな簡単に思いつくものなの?」 「思いつくさ。曹操ならね」  蒲公英の疑問に一刀はそう答えた。 「そうでないとしても、今回は使わないつもりだったけどね」 「何でだよ?」 「分かるだろ?あれは、人が死に過ぎる」 「……ああ、なるほどな」  かつての凄惨な光景を思い出し、翠も眉を顰めた。 「となれば正真正銘の真っ向勝負となる訳であるが、勝算はどう考えておられるのかな、 我等が軍師殿は?」 「フン、勝って見せるわよ!その為に何日もねねと一緒に作戦を練ったんだから。董卓軍 の筆頭軍師としては、毎度コイツの奇策に頼るのも情けないしね」  やや意地の悪い桔梗の問い掛けに対し、詠は不敵に笑ってそう返した。 「よし、みんな準備は出来たみたいだな」  頃合いを見計らって一刀が諸将を見渡した。 「皆、俺達はこの戦には絶対に勝って、これを最後の戦いにしなくちゃいけない。負けれ ば曹魏は完全に俺達の敵に回る事になる。そうなったら喩え蜀や呉と連携して魏を倒した としても、俺達の理想は潰えると思ってくれ。それだけ彼女達は得難い人材なんだ」  一刀の言葉に皆が頷く。 「じゃあ、往こうぜ!」 『応っ!』 「うおらぁぁぁ────っ!!出てきやがれ────っ!!」  先陣を駆る翠が魏軍を求めて声を上げる。 「ならばこの夏侯元譲が相手をしてやろう、錦馬超!」  それに対し名乗りを上げたのは夏侯惇だった。 「夏侯惇か!相手にとって不足は無いぜ!」 「私は不足だな。私の目的は呂布なのだ。さっさとお前を片付けて、奴を探しに行かせて もらうぞ」 「何だとぉっ!?だったら本当に不足かどうか、この錦馬超の槍を受けて見やがれっ!!」  翠の槍と夏侯惇の大剣がぶつかり合った。   「さーてとっ、たんぽぽの相手は誰かなぁっと」  蒲公英が戦場をキョロキョロと見回しながら馬を駆っていると、前方にこちらへ向かっ て来る部隊が目に入った。 「居たのー!良いかこの玉無し野郎共!激辛麻婆塗りたくった鉄棒で糞穴の処女を掘られ たくなかったら、前方に見えるあの蛆虫共をさっくり血祭りに上げてやれなのー!」 『お、応っ!!』  異様な緊張状態に包まれた于禁の部隊だった。 「……何あれ?なんか下品だなぁ。それに本当なら『私を倒せる者がいるか!』『ここに いるぞー!』みたいなノリで格好良く登場したかったんだけど。って、そんな事言ってる 場合じゃないか。折角のご指名だもんね。それじゃ行くよ、皆!──涼州一の美将馬岱、 華麗に見参っ!!」 「ねえ、流琉。ボク達の相手って誰かな?あんまり弱っちそうなのは嫌だよね。あの馬岱 とかって奴とかさー」 「でも呂布さんとか出て来たら、私達だけじゃ抑えられないよ?それこそ春蘭様と秋蘭様 の二人掛かりだって勝てるかどうか……」  虎牢関での恋の鬼神っぷりを思い出した典韋が思わず身震いをする。 「そんな事無いって!春蘭様達なら呂布にだって絶対勝てるよ!だってお二人とも、あの 時よりずっと強くなっていらっしゃるもん!」 「う、うん、きっとそうだよね!季衣の言うとおり。今は弱気になってる場合じゃないも の。それより私達は私達のやれる事をやりましょ!」 「よーし、それじゃボク達の相手は、っと」 「私が相手ではどうだ!?」 『えっ!?』  不意に掛けられた声に驚いた許緒と典韋が振り向くと、小高い丘の上から二人の部隊を 見下ろす黒備えの集団が居た。  旗印は漆黒の華一文字──華雄の部隊だった。 「お、お前は華なんとかって奴!」 「水関で関羽さんに瞬殺された人ですよね?」 「華雄だっ!関羽に敗れたのは確かだが、涼州でも矛を交えた相手なのだから名前ぐらい 覚えておけっ!」  華雄が微妙に傷付いた表情を浮かべた。 「でもあんまり弱っちい奴の名前覚えてもなー」 「この人って涼州攻めの時はどんな戦いぶりだったっけ?」 「んー、覚えてないっ!」  典韋に問われるも、許緒はあっさりと思考を放棄する。  二人の様子を見て、華雄の表情にみるみる怒気が浮かんできた。 「ならばこの華雄の力がどれほどのものか、己の腕で確かめて見ろぉっ!」  華雄の怒声と共に、部隊が一斉に駆け出した。    恋はひたすらに戦場を駆けていた。  彼女に従うのは僅かに百騎余である。  しかし恋の動きに付き従う事が出来ると言う点に於いて、彼等はまさしく大陸最強の兵 士達と呼べた。  恋達の目前には、『郭』と『程』の旗を掲げる二部隊が展開していた。  その兵数は合計でおよそ七千。  だが七十倍の敵にも臆する事無く、恋はただ馬を走らせる。 「敵の旗は深紅の呂旗!最強の相手ですが何としてもここで食い止めますよ!」 「ちょっと厳しいかとは思いますけど、皆さん頑張るのですよー」  部隊を率いる郭嘉と程cが兵達に下知を飛ばす。  その真っ只中に恋達は突っ込んだ。 「クッ、臆するな!迎え撃て!」 「密集態勢を取って敵の足を止めるのですー!」  必死に兵を動かす二人だったが、後方で全軍の采配を取るのは得意と言え、前線指揮官 等は務めた事の無い彼女達にとって、恋は余りに荷が重過ぎる相手だった。  結局散々に翻弄された後、恋は両軍に一兵の犠牲も出さぬまま二人の部隊を駆け抜けた のだった。 「……やられました。完敗です」 「ひゃー、あれは止められませんねー。戦術とか部隊の士気とか、そう言った要素を全て 飛び越えた次元の強さなのですよー」 「しかし華琳様から兵をお預かりして置きながら何と無様な……」 「まあまあ、稟ちゃん、元気を出して。いずれにしても後は桂花ちゃんに後事を託すしか ないのですぅ……すぅすぅ……」 「こんな時にまで寝るなっ!」 「おおっ!」  そんな二人を抜いて走る恋の目が、風に靡く一本の旗を捉えた。  豪奢な青藍の織布に織り込まれた旗印は『曹』の一文字。  曹操の牙門旗だった。  恋の馬が速度を増した。   「呂布は行ったか」  夏侯淵は伏せていた兵を動かしながら、恋の走り去った方向に目を向けていた。 「桂花達で大丈夫なのか一抹の不安はあるが……ここは信じて自分の仕事をするまでだな」  そう呟き夏侯淵は兵を進めた。  その動きは隠密行動のそれで、積極的に敵を討とうと言うものではない。  それもその筈で、魏の筆頭軍師荀ケが彼女に与えた役目は涼州軍の本陣を急襲して月を 討ち、短期に決着を付けると言う物だった。  荀ケの案では喩え恋を曹操の本陣に近付ける事になったとしても、涼州軍の目的を考え れば曹操本人を害する事はまずあり得ない。  ならばとそれを逆手に取り、月の首級を挙げる事を最優先としたのだ。  そしてその役目に最も適したのが、誰よりも遠くから標的を討つ事の出来る夏侯淵だっ た。  彼女は茂みや岩陰を通り、徹底的に敵を避けて涼州軍の本陣のみを目指した。  こまめに斥候も放ち、情報収集にも力を入れた。  それが功を奏したか、幾度目かの斥候か遂に涼州の本陣を発見したとの報告が入った。 「立っている旗は二本!『董』と『厳』です!」 「ふむ、厳顔は本陣に残ったか。だが董卓本人が戦えない事を考えればそれも当然か。だ がその程度の事は想定内の事態だ。我等はこのまま進み、必ずや董卓を討ち取るぞ」 『ハッ!』  恋から遅れる事およそ十里の位置に、部隊を進める一刀達の姿があった。  一万余の兵数を擁する部隊が掲げるは、丸に十文字と『賈』と『陳』。  彼等が涼州軍の主力部隊だった。 「恋が郭嘉と程cの部隊を抜けた様よ」 「恋殿なら当然なのです」  詠の報告に音々音が胸を張る。 「なら次は俺達の番だな。しっかり相手を抑えないと」  軍師に対しては直接部隊をぶつけ合うよりも、戦局を見て要所要所に兵を投入される事 の方が厄介だった。  無論それは一刀達にも言える事なのだが、人的問題から已む無く詠と音々音の両軍師が 敵軍師の相手を務める事になったのだ。 「莫迦にしないでよね。相手が七千に対してこっちは一万よ。これで抑えられなかったら、 ボク達が郭嘉や程cと比べて余りに無能って事じゃない。これでもずっと董軍を率いて幾 つもの戦いをこなして来たって自負はあるんだから、ボクの力をきっちり見せてあげよう じゃない!──陣を鶴翼に展開して敵を包囲するわよ!総員、進めぇぇ──っ!!」 『おおおぉぉぉ──っ!!』  詠の号令に、天を震わせる程の喊声が応えた。   「相変わらずやるな、錦馬超!だが今日こそその頸貰い受けるぞ!」 「へっ、でかい口を叩くと後で後悔するぜ!あたしの頸は片目で獲れるほど安くないんだ からな、盲夏侯!」 「貴様っ!その名で私を呼ぶなと、何度言ったら分かる!」  目にも止まらぬ高速の突きと、大気すら断ち切る勢いの斬撃が交錯する。  武器を交える事数十合を数え、未だ勝敗の行方は見えない。  その戦いの激しさに、先に限界を迎えたのは二人の乗る馬だった。  二人の馬は共に千里を走ると謳われた名馬ではあるが、それ程の二頭が共に膝を折り地 に横たわる。 「うわっ!?」 「ちぃっ!」  両者互いに地面に投げ出されながらもすぐに立ち上がり、再び得物を構えて対峙する。 「まだまだぁっ!」 「こちらの台詞だっ!」  全身から湯気を立たせながらも、全く疲れた様子も見せずに切り結ぶ翠と夏侯惇。  周りの兵士はそれを見守る事しか出来ないでいた。 「何故貴様等は華琳様の前に立ち塞がる!?あの方がどれほどの覚悟を持って起ち上がっ たか知っているのか!」 「覚悟なら月だって負けてないぜ!それに曹操に従えない理由ならこの前北郷が説明した だろ!お前達こそなんで邪魔するんだよ!?」 「フン、そんな難しい話をされて私が理解できるものか!私はただ華琳様を信じて付いて 行くだけだ!」 「ハハッ、難しい話が苦手ってのはあたしも同感だな。ならやっぱりあたし等に相応しい のは──」 「フッ、力でぶつかり合う事だな」 「けど正直お前の顔もそろそろ見飽きてきた頃なんだよな」  言いながら翠が槍を大きく引く。 「同感だ。私もいい加減決着を付けたいと思ってたところだ」  夏侯惇も剣を正眼に構えた。 「ならこれが──」  二人の身体に闘気が漲り、 「ああ、文字通り──」  呼吸が揃い、そして── 『最後の、一撃だぁぁぁ────っ!!』  互いの全身全霊を籠めた、最高の突きが繰り出された。  二つの切っ先は寸分違わず相手のそれを捕らえ、中空で静止する。  そして次の瞬間、 「えっ!?」 「うおっ!」  両者の刃にピキピキと亀裂が入ったかと思うと、一気に砕け散った。  無残な残骸となった武器を呆然と見つめる二人。 「つまりこれは……」 「私達二人とも戦死した、と言う事か?」 「そのようだな」 『はぁぁぁぁ……』  大きな溜息を吐いて、二人はその場にへたり込んだのだった。   「ほらほらほらほぁ!なになに?その程度なの?」  蒲公英と于禁の戦いは終始蒲公英が優勢に進めていた。  まだまだ荒削りながらも翠譲りの槍捌きは、双剣を振るう于禁に全く攻撃を許さず防戦 一方に追い込んでいる。 「ほらほらさっきの威勢はどうしたのさ?たんぽぽはまだまだ本気じゃないんだよ?」 「うー、霞様や凪ちゃんの仇も取れず、こんな所で負けちゃう訳には、いかないのー!!」  初めて于禁が攻勢に転じた。  しかしその動きも蒲公英は完全に見切っていた。 「甘いっての!てやっ!」  蒲公英が槍を横薙ぎに振ると、于禁の持つ剣が一本弾き飛ばされた。 「ああっ!?」 「ふふん、次はそっちを弾いて勝負を決めさせてもらうね」 「ううっ……く、悔しいの……」  それでもなお残った剣を構えて必死に立ち向かおうとする。  そんな于禁に蒲公英が止めを刺そうとした時だった。 「待てぇぇぇいっ!沙和はやらせへんでぇぇぇっ!」  土煙を上げて突っ込んできた李典が、蒲公英と于禁の間に割り込んできた。 「真桜ちゃん!」 「無事やったか、沙和!?」 「う、うん!」  于禁が頷きながら安堵の息を漏らした。 「ちょ、ちょっと二人掛かりなんてずっこいよ!」 「ほなここからはうちが相手したるわ。沙和はちょっと休んどき」 「真桜ちゃん、気をつけてなの!」 「応っ、任しとき!」  蒲公英が抗議すると、李典が前に進み出て独特の形をした槍を構えた。 「アンタのその変な槍、戦い辛くて嫌なんだけどなー」 「変て言うな言うたやろ!?」  蒲公英の言葉に激昂した李典が突き掛かって来た。  その攻撃自体は受け止めたものの、回転する螺旋状の刃に削られ槍の柄がギャリンと嫌 な音を立てる。 「うーん、やっぱやーめた!」  突然蒲公英がそう言って馬首を返した。  そしてそのまま一目散に駆け出す。 「ちょっ、逃げる言うんか!?」 「だってやっぱりその槍嫌いなんだもーん。じゃあねー!」 「あ、阿呆っ!今更逃がすかいっ!」  慌てて李典が蒲公英の後を追い掛けた。 「待てぇっ!」 「待てって言われて待つ莫迦は居ないって!」  必死に追い縋る李典を、蒲公英は右に左に馬を操り相手を翻弄する。 「ちょこまか動くなっちゅうねん!」 「そっちこそしつこいってば!──きゃっ!?」  振り返ってそう言葉を返す蒲公英だったが、その拍子に手綱の操作を誤ったか馬が急に 態勢を崩した。  何とか転倒は避けたものの、蒲公英の馬は完全に足を止めてしまっていた。 「もらったでぇっ!」  その隙を好機と、李典が一気に仕掛けた。  そして── 「くふふ、掛かった」  蒲公英がニヤリと会心の笑みを浮かべた。 「へ?──どひゃああぁぁぁっ!?」  ズボッと音を立て、李典が馬ごと地面に沈んだ。 「な、何やこれぇぇぇっ!?」  李典の絶叫が響き渡る。 「へっへーん。こんな事もあろうかと、この辺に仕掛けて置いたんだよん」  落とし穴に嵌った李典を見下ろし、蒲公英がクスクスと笑いながら答えた。 「こ、こんの卑怯もん!」 「チッチッチッ、それは敗者の負・け・惜・し・み」  口元で人差し指を振る蒲公英は李典の罵声も意に介さない。 「んー、これでたんぽぽの勝ちだけど、可哀想だからこれは返してあげるね」  そう言うと蒲公英は、李典が穴に落ちる瞬間思わず手放してしまった槍を拾い上げると 穴底へと放り込んだ。 「さ、これで後はさっきの于禁をやっつければ、この戦はたんぽぽが一番の大活躍かも」 「そうは問屋が卸さないのー!」 「うきゃああっ!?」  いきなり背後から声が掛けられ、于禁が剣を突き出してきた。  咄嗟の事ではあるが、蒲公英は辛うじてその攻撃を受け止める。  しかしそれも一瞬の事で、なんと槍の柄があっけなく折れてしまった。 「な、何でぇぇぇっ!?」  それは単なる偶然だったのか、それとも于禁の執念が呼び込んだ奇跡なのか、彼女が突 いた場所は先程蒲公英が李典の攻撃を受けた時に削られ脆くなっていた所だったのだ。 「真桜ちゃん、仇は討ったの!今度は沙和が他の人を助けて来るの!必ず勝って戻って来 るから待っててなのー!!」  そう言って于禁は部隊を引き連れその場を走り去った。 「ちょ、待って、せめてここから出してってぇぇぇぇっ!!」 「あ……あ……あ……あ……」  後には助けを求める李典の叫び声と、真っ白になった蒲公英だけが残されたのだった。    華雄は許緒と典韋の二人を相手に、互角以上の戦いを繰り広げていた。 「フッ、子供と侮っていたが中々やるではないか!」  迫り来る鉄球を打ち払い、飛び交う円盤を避けて逆に巨大な斧を振るう。 「どうしよう、季衣。この人、本当に強いよ!?」 「ウン、華なんとかなんて名前のクセに生意気だよね!」 「だから私の名は華雄だ!いい加減に覚えろ、この糞餓鬼共が!」 「誰が糞餓鬼だぁっ!」 「失礼な人ですねっ!」 「失礼なのはどっちだ!?」  子供の様な口喧嘩を飛ばしながらも、その戦いは真剣そのもので、依然激しい攻防を繰 り返していた。  特に曹操の親衛隊長を務める程の二人を相手に一歩も退かない華雄の姿には、魏の兵士 達ですら感嘆の眼差しを送っていた。 「もうっ!こんな単純でいかにも脳筋っぽい奴に、何でボク達が二人掛かりで勝てないん だよ!?こんな所でもたもたしてられないのに!」 「この人言葉では挑発にすぐ乗ってくる様なんだけど、戦い方はずっと冷静なままなのよ。 もっと頭に血が上って大振りとかしてくれるかと思ったんだけど」  二人の会話が耳に入ったのか、華雄が口元に自嘲気味な笑みを浮かべた。 「かつて私は自分の武に驕り、お前達の言う様に簡単に敵の挑発に乗って敗北を喫した。 その為に多くの戦友を失う事となった。だから同じ過ちはせんと決めた。董卓様の悲願を 叶える為にも、今度こそ負ける訳にはいかんのだ!」  華雄が必殺の構えを取った。  相対する許緒と典韋は、その姿を前に小さく目配せすると互いに頷き合った。 「華雄の気持ちも分かるけど、負けられないのはボク達だって同じなんだもんね!」 「だから今から私達は、あなたを斃す為だけに戦います、華雄さん!」  二人が始めて華雄の名を呼び、そしてこちらも全霊を籠めて構える。  微動だにせず対峙する三者だったが、やがて緊張の余り典韋の額を伝う汗が微かに彼女 の左目の視界を遮った瞬間、華雄が動いた。 「でぇぇぇりゃああぁぁぁ──っ!!」 「クッ!」 「流琉!」  一瞬反応の遅れた典韋の円盤を弾いて懐に飛び込むと、その小さな身体を蹴り飛ばす。  振り向きざまに迫っていた鉄球を斧で受け止め、すかさず鎖を掴んで引き寄せた。  そのまま柄を握ったままの許緒ごと鎖を振り回し、起き上がって今まさに攻撃を行おう と構えていた典韋めがけて投げ飛ばす。  咄嗟に許緒の身体を受け止めた典韋だったが、勢いを殺しきれずに二人まとめて地面に 倒れ込んだ。  二人が身体を起こそうとした時には既に華雄が斧を彼女達の喉元に突き付けていた。 「終わりだ」 「…………分かったよっ!」 「…………私達の負けです」  華雄が短く言うと、悔し涙を浮かべながら二人が自分の武器を手放し降参の意を示した。  それを見て華雄が表情を和らげる。 「フッ、これでようやく私も自分の役目をこなせたな」 「何?お前はもう戦いに行かないっての?」 「別に私達を見張っていなくても、こっそり他で参戦するようなズルはしませんよ」  許緒達が怪訝な表情を浮かべた。 「いや、単に私もここまでと言う事だ」  その言葉を言い終えるや否や、華雄の持つ斧が砕け散った。 『え!?』 「お前達は本当に強かったぞ。身体は小さいくせに、その攻撃の重さと言ったら戦神もか くやとの程だ。お蔭で幾度も戦歴を共にしてきたこの業物が、限界を迎えてしまったぞ」  そんな華雄を呆然と見ていた二人だったが、 「え、と……それって、もしかして……」 「ボク達がもう少し粘っていたら……」 「負けていたのは私の方だったな」  ニヤリと笑った華雄の言葉に、今度こそ二人の目が点になる。 『ええええぇぇぇぇ────っ!!』  一瞬遅れて二人の声が響き渡った。   「曹魏の部隊が接近してきたと?」  物見の報告を受け、桔梗が櫓の上に姿を現した。 「ハッ!あれです!東南の方角およそ五里と言った辺りかと」 「ふむ?おおぅ、あれか。旗印は『夏侯』とな。夏侯惇か夏侯淵か。……この短時間にこ こまで来るには武勇のみならず、機略も必要か。なれば──」 「ぐわぁっ!?」  桔梗の顔を掠めるように風が疾り、すぐ後ろに立っていた兵士から悲鳴が上がった。  数瞬遅れてドサッと鈍い音がする。 「やはり夏侯淵のようじゃな」  眉間を貫かれ櫓から落ちた兵士を一瞥すると、再び敵部隊を睨み桔梗が獰猛な笑みを浮 かべた。 「ようし、者共、準備は良いな!?この戦、降参すれば死ぬ事は無いが、我等だけは別と 思え!我等はこの場を絶対に守りきらねばならぬのだ!命を惜しんで勝てる戦ではないぞ! 全員死兵となって敵を打ち砕け!」 『応っ!!』  最も過酷な戦場にあって厳顔隊の士気は高かった。 「良い返事じゃ」  配下の様子に桔梗は再び笑みを漏らした。  同時に愛用の弩弓を構える。  着物の裾を肌蹴て櫓の柵に足を掛けると、すらりとした美脚が太股まで露わになった。 「では往くぞ、厳顔隊の猛者達よ!命を惜しむな、名を惜しめ!所詮この世の生など泡沫 の夢に過ぎん!夢は醒めればただ消えるのみよ!なれば目覚めるその時までは存分に暴れ てやろうではないかい!」 『おおおおぉぉぉぉ────っ!!』  艶やかな姿と勇壮な檄に、兵士達の戦意が最高潮に達する。 「では全員構えぇぇいっ!!──撃てぇぇぇぇっ!!」  桔梗の号令と共に矢の雨が夏侯淵隊へと降り注いだ。 「フン!」  矢が届く直前、夏侯淵が部隊の進行方向を九十度曲げた。  それでも部隊後方に居た兵士が数十人落馬する。 「まだまだぁっ!続けて撃てぃっ!」  天を覆う勢いで厳顔隊が矢を射続ける。 「調子に乗るなっ!」  夏侯淵隊が騎射をしながら陣の前を横切ると、射抜かれた桔梗の部下が次々と櫓から落 ちた。 「怯むなっ!弩兵、斉射っ!」  桔梗の下知を受け、櫓の下に伏せていた弩兵隊が柵の隙間から射掛けた。  騎手よりも馬を狙った矢が突き刺さると、驚いた馬によって振り落とされる兵士が続出 する。  その様な攻防が幾度も繰り返された。  しかし両軍の死傷者ばかりが増え、戦況には殆ど変化が無い。 「チィッ、あまり陣に近付くと弩の餌食か。とは言え離れて射ち合っていても埒が明かん」  攻めあぐねる夏侯淵はそんな状況に歯噛みしていた。 「おい、夏侯淵よ!」  そんな夏侯淵に桔梗が櫓の上から声を掛けた。 「厳顔か。何用だ?」 「こうしていても互いに被害が増えるばかり。それは共に望まぬ事と思わんか?」 「フッ、確かにその通りだが、それで一体どうしたいと言うのだ?素直に華琳様の軍門に 降りたいと言うのなら歓迎するがな」 「残念だがそれは聞けぬ話よ。この老骨、既に月殿に預けておるのでな」 「ならば、やはり──」 「察しが良いの。そうよ、わしとお主の一騎打ちと洒落込もうぞ」 「うむ。これ以上華琳様の兵を損ねるは忍びないからな。それが最良の手か」 「では今から下へ降りるから暫し待て」 「無用だ。その程度の高みを利点と考えていては私には勝てぬぞ」 「ははは、言うではないか。負けた時の言い訳にするでないぞ?」 「貴殿こそ寄る年波を言い訳にはせぬ事だ」 「それこそ要らぬ心配よな。まだまだ若造に遅れを取る厳顔ではない」 「そう願いたいものだな。──では往くぞ」  適当な位置まで馬を走らせて間合いを取ると、夏侯淵が弓を構えた。 「応よ!」  桔梗もまた、狙いを定める。  ピリピリと緊迫した空気が辺りを包み、互いの目には相手しか入らない。 『はああぁぁぁっ!!』  同時に気合を発し、渾身の矢を放った。  光が疾る。  それぞれの目標を目指して飛んだ矢は、紛う事無く相手を捉えていた。  夏侯淵の放った矢は桔梗の肩当を砕いて左肩に深々と、桔梗のそれは夏侯淵の額へと。 「フフッ……見事……だ……」  ドオッと音を立てて夏侯淵の身体が馬から落ちる。 「しょ、将軍!!」 「夏侯将軍っ!」  夏侯淵の部下が落馬した彼女へと駆け寄った。 『へ?』  横たわる夏侯淵を見た兵士達が一様に呆気に取られた表情と変わる。 「……ん……?」  兵士達に囲まれた夏侯淵が、額に貼り付いた*を引き剥がした。 「何だ……これは……?」  軽い脳震盪を起こしているのか焦点の揺らぐ目で手にした矢を見ると、その先端には鏃 の代わりに吸盤が取り付けられていた。 「はははははっ!!中々に粋な趣向であったろう?出来うる限り死なせるな、と言うのが 我が主の命であったからな。わははははっ!」  きょとんとする夏侯淵達の様子を見て、桔梗が心底愉快そうに高笑いを上げた。 「フッ……フフフフッ……」  笑い転げるその姿を見ている内に、釣られて夏侯淵の口からも笑いが零れた。 「フフフッ、これでは負けを認めざるを得んな」  そう告げると、彼女の部下達も一斉に武器を捨て降伏の意を示した。 「これ以上は無い負けだったぞ、厳顔。よもやこの私が董卓へ近付く事も出来んとはな。 それで董卓は何処なのだ?旗の下か?まさかお前の戦う姿を見ずに隠れている等と言う事 はあるまい」 「いや、見てはおられんな」 「何だと?」 「何故なら月殿は居らぬからな」  涼州軍の主力一万に対し、数で劣る郭嘉・程c隊はよく戦線を持ち堪えていた。  前線指揮の経験が少ないとは言え、流石に曹魏の誇る名軍師達である。  だが対する詠も超一流の軍師であるし、副軍師の音々音もメキメキと力を付けていた。 「拙いですね。徐々にこちらが押されつつあります」 「やはり良い軍師ですねー、賈駆ちゃんは。こちらの弱い所を的確に突いて来ますよー」 「感心している場合ではありませんよ、風。このままではいずれ戦線が崩壊します」 「何か一手向こうの想定外の事態が起これば、戦況を立て直す事も可能なんですけどねー」  それはこの場に於いては何の根拠も無い、単なる希望的発言に過ぎない。  しかし何より欲しいその一手が舞い込もうとしていた。 「よし、もう一息!このまま一気に押すわよ!」 「右翼少し薄くなってるですぞ!左翼はもう少し広がって、敵を横に回り込ませない様に するのです!」」  一万の兵を己が手足の如く動かす詠と、僅かな隙を埋めるかの様に堅実な用兵を見せる 音々音は、素人同然の一刀から見ても良い組み合わせに思えた。 「うん、このままなら何とか向こうを抑えて、恋の援護にも向かえそうだな」  一刀がそんな呟きを漏らした途端だった。 『うわああぁぁっ!』 『な、何だっ!?』  後方の兵士達の悲鳴と共に、突如陣形が乱れた。 「どうしたの!?一体何事!?」  詠が状況報告を求める。 「て、敵襲です!」 「敵って……今頃誰がよ!?」 「掲げられた旗は『于』、数は二千です!」 「于禁!?チッ、討ち漏らす相手が出て来るのは予想してたけど、寄りによってこの局面 で現れるなんて!」  詠が苛立たしそうに舌打ちした。 「どうするのです?」 「抑えるしかないでしょ!?幸い于禁は魏の武将の中でそれほど武を得意としていない様 だし、用兵の仕方によっては兵士達でも対応出来る筈よ」 「けど郭嘉や程cはどうするんだ?こっちに異変が起きた事がバレたら、一気に攻勢に転 じて来るぞ?」 「そんなもん、とっくにバレてるわよ!ほら、敵陣が大きく動き出してるでしょ?」 「え?あ、ホントだ!ま、拙いんじゃないか?」 「狼狽えてんじゃないわよ!良いからアンタはさっさと別働隊引き連れて恋の援護に向か いなさいよ!」 「いや、だって、今この状況で俺が抜けたら──」 「何か変わるって言うの?言っとくけど、ボクもねねもアンタが居ないくらいでどうにか なるほど落ちぶれちゃいないからね?けど恋にとってはアンタがちょこっと敵の目を引く だけでも充分な援護になるの。それに、あの子を最後の一手に踏み切らせるのもアンタが 最適だしね。──ねね、于禁への対応は任せても良い?」 「フン、誰に物を言ってるのです?あんなへっぽこ眼鏡、ねねの相手ではないのです」 「……その渾名はボクもちょっと引っ掛かるものを感じるけど……まあ、良いわ。なら、 そっちは任せたわよ!」 「合点なのです!──だからお前はさっさと恋殿を手助けに向かうのです。但し、万が一 にも恋殿の足を引っ張るような真似をしたら、新技のちんきゅー卍きっくをお見舞いして やるから覚悟しておくのですぞ?」 「りょ、了解」  何やら物騒な台詞に身震いしながら一刀が頷いた。 「よし、それじゃ皆俺に付いて来てくれ!」 『ハッ!』  一刀の号令に一千程の兵士が付き従う。 「詠、ねね、後は頼んだぞ!──それっ!」  二人が頷くのを確認すると、一刀が馬腹を蹴って駆け出した。 「さぁて、それじゃここからはきっちり敵を押さえ込むわよ!」 「いい?前陣が崩れたらすぐに後陣が前に出るのよ!崩れた前陣は一旦後ろに回って陣形 を建て直して速やかに待機!これを繰り返して敵に陣形が無限に続いている様に錯覚させ るの!絶対に華琳様の下まで辿り着かせてはダメよ!ここで持ち堪えていれば秋蘭が本陣 を陥として董卓の頸を奪るから、それまでは死んでもこの場を守り抜きなさい!」  間近に迫る呂旗を前に、荀ケが次々を兵達に指示を送る。  そこを抜かれればすぐ後ろに控える曹操には五百程の護衛しかいない。  その為に荀ケが立てたのが、一見兵士を使い捨てにする様なこの策だった。  恋が攻撃には手加減をし極力走り抜け様とするだろうと見越しての作戦だった。  事実虎牢関の様に恋が本気で攻撃をするつもりなら両夏侯将軍を擁しても止められる成 算は殆ど無い。  もしそうなら恋を無力化する作戦を最優先に取っただろう。 「ほら、来たわよ!第一陣、構え!」  騎兵の突進力を殺す長槍隊を前衛に、牽制の為の弓隊を後衛に置いた二枚重ねの陣を一 組として、十六段に亘って展開した変則型の魚鱗陣である。  荀ケは絶対の自信を持って敷いたこの布陣は、まさに期待通りの成果を上げていた。 「…………困った」  低く構えて槍を突き出す前衛の所為で無理な突進は出来ない。  自分は兎も角、後に続く部下が避け切れるとは限らないからだ。  また断続的に飛んでくる矢も、当たる様な位置に来る事は殆ど無いが地味に鬱陶しい。  回り込もうとしても巧みな用兵でそれを阻んでくる。  本気で仕掛ければ簡単に突破出来るが、敵兵を傷つける事は一刀の意に反する。 「…………ん……?」  恋は困り顔で首を傾げた。 「呂将軍、如何なされますか?」  兵士の一人が指示を求めた。 「……………………恋が、往く」 「え?ま、まさかお一人で……?」 「それは流石に無謀では……」 「…………大丈夫。皆は待ってて」  言うと恋は馬を降り、一人敵陣へ向かって歩みを進めた。  魏兵達が慌てて槍を突き出し矢を射掛けるが、避けもせず無造作に武器を振るう。  それだけで向けられた槍の殆どが半ばから断ち切られた。  矢などはそもそも掠りもしていない。 「…………どけ」  恋が睨むと、それだけで一段目は戦意を喪失した。  続く二段目・三段目も無人の野を行くが如く恋は歩を進めていく。  しかし陣が進むと流石に全力で恋を止めようとする者が増えてきた。  既に抜かれた陣の残兵にも再び挑もうとする者が出てきており、十段目を抜いた頃には さしもの恋も身動きを取るのが困難になっていた。  乱戦に近い状態なので敵も槍や弓は使えないが、代わり剣を抜いて斬りかかってきた。  体術でそれらを躱していた恋の身体に、敵兵の攻撃が掠り始めた頃、 「恋────っ!無事かぁ────っ!?」  援軍を引き連れた一刀が現れた。 「おおっ、北郷様!」 「よくぞおいでくださいました!」  恋の部下達が口々に歓声を上げた。 「皆無事で良かった!それで恋は!?」 「呂将軍はあの中にお一人で」  一人が敵陣を指差した。 「申し訳ありません!我等が不甲斐無い所為で将軍が……」 「恋なら大丈夫だよ。本当にヤバかったら本気で行って良いって言ってあるし。まだ本気 じゃないならそれだけの余裕があるって事さ」  自分達の至らなさを詫びる兵士にそう返すと、一刀は敵陣へと馬首を向けた。 「今から俺達が敵陣に陽動を掛けるから、皆も援護を頼む」 『ハッ!』  兵達の返事を背に、一刀は敵陣へと突撃を敢行した。  その姿は翠や霞達とは比べるべくも無い、ただ馬にしがみ付いているだけの不恰好な様 だったが、不思議と兵士達の勇気を奮い起こさせた。  そして誰よりその姿に奮い立った者が一人。 「……ご主人様!」  恋の身体に力が漲る。  片手で一人の兵士を持ち上げると他の兵士達目掛けて投げ飛ばした。  ぶつけられた兵士達が目を回す。  すると倒れた兵士を掴み上げ、また別の兵士へと投げ付ける。  そんな出鱈目な攻撃に、精強で知られる魏兵の顔色が変わった。  一方で一刀達が陣を掠める様に走り回る為、外の攻撃へも備えなくてはならない。  魏の兵士達は一気に恐慌状態へと陥った。 「ちょ、ちょっと、何やってんのよ!?落ち着きなさいよ、アンタ達!北郷の部隊なんて 牽制に過ぎないんだから無視して良いのよ!呂布にだけ意識を集中して、しっかり陣を組 み直しなさいってば!」  浮き足立つ兵達に荀ケが必死で下知を下すが殆ど意味を成さない。  その隙を恋が見逃す筈も無く、一気に加速して陣を駆け抜ける。  十二段目・十三段目・十四段目と走り抜け、十五段目を抜けると最後陣の後ろに煌びや かな『曹』の旗が棚引くのが見えた。  その根元には僅かな兵に守られて立つ曹操の姿もある。  だが絶体絶命とも言えるこの状況にあってなお、曹操は泰然とした態度を崩す事無く、 不敵な笑みすら浮かべるその姿からはまさに覇王の威厳が放たれていた。 「下がっていなさい、桂花」  最後の一陣が破られたのと同時に曹操が足を踏み出した。 「い、いけません、華琳様!ここは一旦お退き下さい!」 「この期に及んで敵に背を向けるような輩に、天下を手中に収める資格があると思う?」 「しかし、華琳様──」 「皆あちこちで死力を尽くして戦っているわ。ここまで攻め込まれてしまったのは、敵が 一枚上手だったと言うだけの事よ。けれど──」  曹操がその巨大な鎌を、恋に突きつける様に構えた。 「この身が打ち砕かれようとも、我が誇り・我が信念は砕く事叶わせない!それが喩え天 下に並ぶ者無き最強の武人であっても!」  曹操が大鎌を振るった。  すかさず方天画戟で受け止める恋だったが、その振りの鋭さと攻撃の重さに目を見張る。  続け様に二度三度と曹操が攻撃を繰り出すのを全て受け止めながらも、恋は肌が粟立つ のを感じていた。 「…………こいつ、強い」  天下無二とも言える不世出の天才曹孟徳は、武に於いても超一流だった。  恋の目に焦りが浮かぶ。  勝てない相手ではない。  しかし手加減は出来ない相手だった。  曹操は絶対に死なせるわけにはいかないと言われている恋は、動きにやや切れが無い。  片や曹操は全力で斬り込んで来る為に、恋は徐々に守勢へと追い込まれていた。 「恋!!」  駆け付けた一刀が名を呼んでも、恋はその姿をちらりと視界の端に収めただけで首を横 に振った。  その間にも曹操の攻撃は激しさを増し、そして遂に── 「もらった!」  鎌の湾曲部分に絡み取られた方天画戟が、恋の手を離れた。 「恋──っ!!」 「やりました、華琳様!!」  一刀と荀ケ、それぞれが同時に対称的な表情で声を上げた。 「見ての通り呂布はこの私が下したわ。後は董卓と貴方を討ち果たすだけね、北郷一刀。 どうやらこれで私の勝ちが──」  そこでドドドドッと地鳴りが響いてきた。 「何事っ!?」  曹操が辺りを見回す。 「華琳様、上です!」  悲鳴に近い荀ケの声に、曹操は背後を見上げた。  曹操が本陣を置くこの場所は、背後がすり鉢状の断崖に囲まれた天然の城砦とも呼べる 位置にあった。  本来なら本陣を守る城壁である筈の崖であるが、今その崖を駆け下りてくる数十騎の兵 の姿があった。  そしてその先頭を駆けるのは── 「と、董卓っ!?」  曹操が驚愕に目を見開いた。  咄嗟に身体を捻り、目前に迫った月達の突進からは辛うじて身体を躱した。  だが体勢を崩し、思い切り地面へと倒れ込んでしまう。 「華琳様っ!?」 「させるか!」  慌てて駆け寄ろうとする荀ケより先に、一刀が曹操を押さえ付けた。  荀ケの方は月に付き従っていた兵士達に遮られ、二人の下へ迎えない。 「ちょっと華琳様に何をするつもりよ!?離れなさいよ、この変態!下衆!痴漢!種馬! 強姦魔!好色漢!脳味噌白濁男!全身精液孕ませ無双野郎!」 「……おい、幾らなんでも人聞き悪すぎるだろ……」  半狂乱の荀ケに罵声を浴びせ続けられ、一刀が若干傷付いた表情を浮かべる。  周りの兵士の白い視線が痛かった。 「クッ……放しなさい、下郎!お前如きがこの私に触れる事を誰が許したか!」 「負けを認めてくれるなら放すよ」 「何を……!?調子に乗るなっ!」  怒りの形相で一刀の身体を跳ね除けようと曹操が暴れる。  しかしいかに戦士として一流とは言え、そこは小柄な少女である。  体格差のある相手にしっかり押さえ込まれては、抜け出す事は難しい。  肩口に咬み付かれ、太股の辺りを膝で蹴られても一刀はじっと耐えて押さえ続けた。  そうやってもがく曹操の目が、不意に一刀のそれと合った。  自分を見つめる一刀の瞳を真っ向から見返す。  暫し一刀と視線を交わす曹操だったが彼の目に何を見たのか、やがて諦めた様に小さく 息を吐くと、 「……分かったわ。負けを認めましょう」  そう言って握っていた鎌を手放したのだった。 「よっしゃああぁぁぁぁ──っ!!」 「わーい、勝った勝ったぁっ!!」 「よくやったな、北郷!」 「うむ、でかしたぞ!」 「珍しく決めたじゃない」 「ま、今日のところは褒めておいてやるのです」  何時の間にか集まって来ていた涼州の将達が歓声を上げた。  その興奮は一般の兵士達にも伝わっていき、大きな勝ち鬨となって戦場に響き渡った。 「か、一刀さん、やりましたね!──へぅっ!?」 「おっと!」  膝がガクガク笑っている状態の月が、一刀に駆け寄ろうとして転ぶ。  そんな彼女を抱き止めた一刀が、そのまま抱き締める様にして身体を支えた。 「最後は月のお蔭だよ。あれが無きゃあのまま負けてた」 「えへへ、これでも涼州人ですから、馬は結構得意なんです。それに、皆さんに特訓もし てもらいましたし」  そう言って月が顔を向けたのは、彼女に従って逆落としを敢行した兵士達だった。  彼等は全員が張遼騎馬隊の生き残りであった。 「華琳様ぁぁぁっ!」 「華琳様、我等が至らぬばかりに、申し訳ありません」 「がりんざばぁぁ……」  夏侯惇が真っ先に曹操の下へと跪き、夏侯淵がそれに続いた。  荀ケは号泣しながらただ立ち尽くしていた。  その他の将達も悔し涙を浮かべて俯いている。  曹操がそんな部下達を見回して言った。 「皆、面を上げよ!」  朗々とした声に、魏の将が一斉に顔を上げた。 「胸を張りなさい!我等は正々堂々と戦い、その結果敗れたのだ!それはただ敵が我等よ り強かったと言うだけの事。何ら恥じる事など無いのだから!」  そう告げると曹操は振り返り、月の元へと歩み寄った。 「改めて負けを認めるわ、董卓。新しい国作りに我等の力が必要と言うのなら、遠慮なく 言いなさい。存分に働いて見せましょう」 「はい!宜しくお願いします、曹操さん!」 「華琳、で良いわ」 「……はい、華琳さん。では私の事も月、とお呼び下さい」 「謹んで受けましょう、月」  ここに戦乱の終結が宣告された。  その瞬間、敵味方問わず全ての将兵から歓声が上がり、天高く響き渡ったのだった。    五丈原の決戦から一月、長安では戦乱終結を祝って記念祭が開かれていた。  主催者は月と華琳が連名で務めた。  呉や蜀からも来賓を招いての大掛かりな祝祭である。  かつての敵味方が手を携え合う光景に、一刀は顔を綻ばせた。  新政策への準備も順調に進んでいる。  最も難題と思われていた皇帝からの政権分離だったが、現皇帝の劉協があっさりと受諾 したのが大きかった。 『よほど陛下に信頼されているのね』  とは華琳の言である。  外戚の伏氏は当初反対したが、彼等自身には野心が無くあくまで帝への忠誠から出た発 言である為、協直々に説得されると素直に従っていた。  激しい抵抗が予想される貴族達への通告はこれからだが、最大の既得権益所持者であっ た皇帝がそれを放棄した事で何としてもやり遂げると、詠達文官は息巻いている。  場合によっては叛乱を起こす輩が出るかもしれないが、大陸でも最強を誇る武将達が協 力体制にある今、それらは瑣末な問題と言えた。  選挙による為政者の選出は、これまで諾々と支配される事に慣れた民衆にとって戸惑い も大きかったが、自分達の望む人間に治めてもらえる可能性があるとして、概ね好意的に とらえられている様である。  尚、初代大統領には華琳が、それ以外の各州刺史や議員達も戦乱終結の立役者達の中か ら選ばれるであろうと言うのが大方の意見だった。 「ようやく、動き出したんだな」  小さく独りごつ。  城壁の上から祭の灯りを見下ろしていると、やがて大きな花火が上がった。  次々夜空に大輪の花が咲く。 「綺麗ですね」  後ろから声を掛けられた。  振り向くと微笑みを浮かべる月の姿があった。 「うん」  一刀が頷くと、月がそっとその隣に寄り添った。  そのまま言葉も無く、二人で天空を彩る光の華に目を奪われる。  やがて光が途切れると、月がポツリと口を開いた。 「往くんですか?」 「……ああ、約束だったからね」  一刀はそう答えると月へと向き直った。  身体を抱き寄せると月は一刀の胸へと顔を埋めた。 「でも必ず戻って来るよ。月の居る、この国に」 「……約束……私とも約束、してくれますか?」 「うん、約束する」 「なら、待ってます。ずっと……」 「月……」  一刀は月の顔を上げさせると、頬を伝う涙を拭い顔を近付け、そのまま唇を重ねた。  長い、長い口付けだった。  時に優しく、時に激しく、いずれ訪れる別れを惜しむ様に。  何時しか二人は一糸纏わぬ姿となって月明かりの下で睦み合っていた。  互いの愛情を確かめ合う二人を見守る者は天ともう一人だけ。 「……莫迦一刀。絶対帰って来なさいよ。このまま月をほっぽったままなんて許さないん だから」  呟いた声が二人に届く事は無かった。    半年後── 「おい、たんぽぽ!遅れてるぞ!」 「ちょ、ちょっと待ってよ、姉様!幾らなんでも速過ぎない!?」  先頭を駆ける翠に必死で食らいつく蒲公英だったが、その息はとうに切れていた。 「ばっか野郎!これぐらい付いて来れなくてどうすんだよ!大陸最強の涼州騎馬隊が、各 州合同の警備隊演習で無様な姿を晒す訳にはいかないんだからな!」 「それは分かってるけどさぁ。大体どうして刺史の姉様が自ら演習に出るのよ?」 「あたしが出ないで誰がこの隊を率いるんだよ!幽州だって刺史の白蓮が出るんだろ?あ そこは強敵だからな。絶対負けられないぜ!」 「勝ち負けとかじゃないっての……」  蒲公英が疲れた表情で呟いた。 「ンクッ……ンクッ……ンク、プハァッ!フフッ、やれやれ。相も変わらず血の気の多い 刺史殿じゃな」  二人の様子を肴に杯を呷ると、桔梗はそう言って楽しそうに笑うのだった。  翠は涼州刺史として国境警備などに忙しい日々を送っている。  最初は政治の場に就く等は面倒だと拒否していたが、今では諦め自ら騎馬隊を指揮して 涼州の野を走り回る事で日頃の鬱屈を晴らしているらしい。  蒲公英は翠の補佐として、猪突猛進気味な従姉を抑えるのに手を焼く毎日だった。  政務に忙しい翠の代わりに部隊を率いる事も多く、武将としての腕も上がっている。  桔梗は結局益州には戻らず、涼州でのんびり暮らす事に決めた様だった。  しかし彼女の豊富な人生経験は、大いに翠の助けとなっている。   「おお、こんな所に居たのか、華雄」 「ん?」  華雄が振り向くと、立っていたのは愛紗だった。 「ああ、もう会談は終わったのか?」 「うむ。元々今日の議題はこちらへ出向く口実で、本音は月殿の様子を見に来る事だった からな。桃香様などは会談の間中ずっとそわそわしていたし、あれでは話の内容も殆ど耳 には入っておらんかっただろう」 「ククッ、いかにもらしいな」  困ったものだと溜息を吐く愛紗に対して華雄が笑みを零した。 「ところで愛紗は良いのか?一緒に見ていなくて」 「いや、私はああ言う場は何となく気恥ずかしくてな。どうもそう言う事に縁が無かった せいか──え?」 「ん?どうかしたか?」  ポカンとした表情で固まっている愛紗に、訝しげな表情で華雄が訊ねる。 「お前、もしかして今、私の真名を呼ばなかったか?」 「ああ。いけなかったか?確か以前預けてもらったものと記憶しているが」 「いや、勿論構わない。しかし今まで呼んでもらった事は無かったからな。お前の故郷の 風習については聞いていたし」 「ああ、そうだな。しかしこれから新しい時代が始まろうとしているのだ。私だけ何時ま でも古い因習に囚われている必要はあるまい?」  晴れやかな顔でそう言う華雄の姿に、愛紗の口元が思わず綻んだ。 「確かにそうだな。ふむ。ならばお前の真名も私に教えてもらえるのかな?」 「私の真名か?私の真名はな──」  華雄は今も月の一の家臣として付き従っている。  かつての猪武者は、今や知勇兼備の名将として大陸中にその名を轟かせていた。   「うわぁ、大きくなったねぇ」  月のお腹を撫でながら、桃香が満面の笑みを浮かべる。 「六ヶ月に入りましたから」  対する月の表情はこの上なく幸せそうだった。 「良いなぁ。私も子供が欲しくなっちゃう」 「アンタね、一州を預かる身で軽々しい事言うんじゃないわよ」  指を咥える桃香に向かって、詠が呆れ顔でつっこんだ。 「大体子供は一人じゃ出来ないのよ?アンタ、相手に宛てはあるの?」 「そ、それは……。あ、そうだ!北郷さんが帰って来たら貸して貰うってのはどうかな?」 「ブッ!な、何言ってんのよ、アンタはぁっ!」 「えー、ダメ?」  眦を吊り上げて怒鳴る詠に向かって桃香が頬を膨らませた。 「そんなのダメに決まってるじゃない!」 「次は詠ちゃんの番だもんね?」 「ちょ、ちょっと!月は月で何を言い出すのよ!?」 「あー、そう言う事かぁ」 「アンタも、納得するんじゃない!」  必死に否定する詠だったが、耳まで真っ赤になったその顔では説得力など皆無だった。 「でもそう言う事なら、私はその次でも良いよ?」 「それも難しいと思いますよ?他にも待ってる人はいっぱい居ますから。詠ちゃんの次が 翠さんでしょ?あとたんぽぽちゃんに、華雄さんに、桔梗さん」 「ふーん、モテるんだねぇ」 「だから勝手に話を進めないでよぉ」 「あのね、詠ちゃん」  と、不意に真面目な顔になって月が詠を引き寄せた。 「私ね、ここに一刀さんの赤ちゃんが居て、今凄く幸せだよ?」 「え?えと……うん、それは知ってるけど……」 「でもね、詠ちゃんが同じ様に感じてくれるなら、もっと幸せだと思うの」 「でもボクはアイツの事なんて……」 「好き、だよね?」 「……………………(コク)」  長い沈黙の後、詠は真っ赤な顔で小さく頷いた。  その答えに月は、心から嬉しそうに笑うのだった。 「うーん、こんな可愛い子達を待たせるなんて、罪な男だね、北郷さん。羅馬だっけ、目 指してるの?」 「はい。平和になったら羅馬へ行くって言うのが、霞さんとの約束でしたから」 「羅馬かぁ。遠いね。無事で居ると良いね」 「ああ、それなら大丈夫よ。だってアイツに付いて行ったのって──」  月は雍州刺史に任じられ、ここ長安で一刀の帰りを待っている。  か弱いばかりだった少女は、最近母親としての貫禄が出て来たと言うのが専らの噂だ。  詠は当然ながら月の側近として辣腕を揮っている。  州議会議員ではなく、国政を担う立場に進むよう期待する声も多いが、本人は何処まで も月の補佐をしていくつもりらしい。  そして一刀は──  ぐぎゅるるるるぅ、と聞き慣れた音が響き渡った。  疲れた様な表情で一刀が後ろを振り向く。 「……………………」  恋がジッと見つめていた。 「恋、もしかしてお腹空いた?」 「……………………(コク)」 「でもさっきご飯食べたばっかりだからなぁ」 「……………………でも、ペコペコ」 「けど俺達旅の途中だからさ、食料は出来るだけ節約しないと──って、そんな悲しそう な顔しないでくれよ」  この世の終わりみたいな表情を浮かべる恋に、一刀が途端に狼狽える。  と、不意に背後から殺気が突き刺さった。 「ち・ん・きゅ・ー・大旋回きぃ────っく!!」 「ぐぶぉはぁぁっ!!」  重力を無視したかの様な音々音の跳び蹴りに一刀の身体が吹っ飛ぶ。 「恋殿を悲しませるとは何事なのです!恋殿が空腹を訴えたら、お前は素直に食べ物を差 し出せば良いのです!」  ふんぞり返る音々音に対し一刀は反論する気力も無い。  渋々と荷物を開けると食事の用意を始めた。 「全くお前等何しに付いて来たんだよ。恋ならどこの州でも警備隊長として引っ張りだこ だろうし、ねねだって出馬してれば当選確実って言われてたんだろ?」  一刀が言うと、恋がギュッと一刀の裾を握ってきた。 「…………ご主人様、恋と一緒に居るって言った。もう、ご主人様居なくなるの、嫌」 「恋……」 「フン、ねねは恋殿がそうまで言うから仕方なく付いて来てやったのです!」 「いや、お前は要らんだろ」 「何を言うのです!恋殿が行く所、ねねは何処までもご一緒するのです!仲間外れは許さ ないのですぞ!」 「わ、分かったからちんきゅーきっくの体勢に入るな!」  一刀が慌てて音々音を宥める。 「お前は少しねね達に対する感謝が足りないのです。それに──そもそも余計な人間と言 うのなら、何でコイツがここに居るのです!?」  そう言って音々音はもう一人の同行者を指差した。 「自分が居ては何か不都合があるのか?」  モソモソと干物を齧りながらそう答えたのは楽進だった。 「敵だったクセに何を言ってるですか!」 「もう戦乱は終わった。敵も味方も無いだろう」 「だったら国に残って働けば良いではないですか!」 「ねねじゃないけどそれが良かったんじゃないのか?華琳だってそれを望んでたんだろ?」  一刀も音々音に賛同した。  元々楽進が魏を追われたのは、華琳の信念と一刀達の理想の間で揺れる彼女の苦衷を察 し、自らの意思で選ばせようと言う華琳の心配りからだった。  両者が和解し共に歩むと決めた事で楽進が華琳の下を離れる理由は無くなった為、再び 自分の下で働かないかと誘われていたのだ。 「……自分は霞様の望んだ光景を、代わりに見たいと思う。それに、お前が本当に正しい 人間かまだ見極めていない」  楽進が一刀を見つめて言った。 「まだ疑ってるのかよ。何時になったら認めてくれるんだ?」 「それはお前次第だ。自分が納得出来なければ何時までも監視し続けるぞ」  と、音々音がボソッと呟いた。 「ホントはこいつと一緒に居たいだけなのではないですか?」 「っ!?」  途端に楽進の顔が真っ赤に染まった。 「…………へ?」 「ち、違うっ!これはそんなんじゃ……」  必死に否定する言葉はどんどん小さくなっていった。  この様子なら彼女が一刀に真名を許す日も遠くは無いだろう。 「……まったく。お前と言う男は何処まで節操が無いですか」 「え?これ、俺の所為?」 「フン、この様子では帰る頃には人数が増えているのではないかと心配なのです」  やれやれ、と呆れる音々音に対し、一刀は苦笑を漏らすしかなかった。  そしてふと東に顔を向けると、その方角で彼を待つ最愛の少女に思いを馳せた。 (必ず、戻るからな) 「何を一人でニヤニヤしてるのですか?」 「いや、何でもないよ。──それじゃ、そろそろ出発しようぜ」  そう言って一刀は腰を上げると、空を見上げた。  澄み渡った空は、何処までも蒼く広がっていた。