第4話 公孫賛の城にて 「そろそろ公孫賛の城か……」 ある荒野での道中、俺と星は馬に乗ったまま、遠くに見えてきた城らしき影に目を向けていた。 目的地である公孫賛の城ももう目の前。馬を飛ばせばすぐにたどり着くだろう。 だが、俺は少々気がかりなことがいくつかあり、星に「ちょっと待ってくれ」と馬を止めさせた。 「どうしたのです、主。もう目的地はそこですぞ」 「いやさ、俺達の目的を再確認しておこうと思って」 愛紗達ともう一度会い、記憶を取り戻すこと。 『鏡』を見つけて、この世界を安定させること。 当面の目標はこの2つだ。 『鏡』に関しては情報が少なすぎる上、見つけるための足もないし路銀もない。 そのため、まずは当面の旅費を稼ぐことができ、さらにそこにいれば愛紗達と出会える可能性がある公孫賛の所へ行く。 しかもなるべく客将になる。1兵士では、将としてやってくるであろう愛紗達と出会える可能性が減ってしまうからだ。 「そもそもさ、公孫賛さんの所に仕官するって、どうやってやるんだ?」 「ああ、それですか。ふむ、そうですなあ……」 以前の世界でも、城にいた時に何度か「仕官したい」とやってきた人が何人かいた。 しかしそういうことは全て朱里や愛紗達に任せてばかりだったので、どんな基準でどういう手続きを踏んで官を雇っていたのかほとんど知らない。 ここは、以前も公孫賛の所で仕えていた星に聞くのが一番いいだろう。 星はしばらく考え込むと頷き、任せてくれとでも言いたげに胸を叩いた。 「私が以前使った方法で問題ありますまい。少々応用せねればなりませんが」 「じゃあ、それに関しては道すがら、おいおい聞かせてもらうとして……まだ問題があるんだよなあ」 「ほう、なんでしょう?」 「まず1つ。星、人前では絶対に俺のことを『主』と呼ばないこと。色々説明するの、面倒だろ?」 そう忠告すると、星は意外そうな顔をした。 「そうでもありませんが。私が刃殿の人柄に触れて、一生仕えることに決めた、とでも言っておけばよいでしょうに」 「いや、それだと色々と……ただの旅人に仕えるってのも変だろ? それに……」 と、俺はそこで慌てて口を閉じた。 「それに?」 星が続きを促すも、俺は「あー」と場を繋ぐ言葉だけを言うに留める。 思わず言ってしまいそうになった言葉は、無理やり引っ込めた。 これは今言うべきことではない。もっと後に……大事な場面で話すことだ。 「……いや、なんでもない。とにかく呼ばないこと。星が俺のことを『主』だと思ってるなら、これは命令だ」 「そこまで言うのなら仕方ありませんな。承知いたしました」 「で、もう1つの懸念材料なんだけど……これだ」 そう言いながら、俺はあるモノを指差した。星の視線もその指が示す先へと向けられる。 俺と星の目が合った。つまり、 「主の顔、ですかな?」 「そう。俺の顔だ。名前も変えて、服も変えた。けど顔はどうやっても変わらない。これが問題なんだ」 「ほう? その凛々しい顔に何か不都合でも?」 笑いながらさらりと恥ずかしいことを言ってくる星。顔が赤くなりそうだったが、そこは顔を逸らしてごまかしておいた。 「覚えてるだろ? ほら、あの荒野で星達が出会った、俺と同じ顔をした男だよ」 「ああ……なるほど。『天の御使い』殿ですな」 面白い、とでも言いたげな顔している星。おそらく『北郷一刀』のことを思い出しているのだろう。 なんとなく面白くないが、話を続けよう。 「……そ。この世界の『北郷一刀』だ。彼と同じ顔っていうのは不都合ありまくりだ。何せ、天の御使いが2人いることになるんだから。 これから時代が進むにつれ、天の御使いの名は広まっていく。なのにこんな顔してたら、」 「余計な混乱を招きかねない、ですかな?」 「そういうこと」 俺は以前、風達と一緒に戦ったあの街での出来事を思い出す。 あの時、曹操軍の増援として現れた夏侯惇は、明らかに俺の顔を見て近寄ってきた。 見つかっていればどうなっていたかは、想像したくもない。同じ顔でいることで混乱を招く。 「だから、極力この顔は人に見せたくないんだけど……」 さすがに顔自体を変えることはできないだろう。 だったら残る方法は、顔を隠すこと。これから曹操とも何度か接触があるであろう公孫賛にもあまり見られたくはない(風と稟はもう仕方ないと割り切っている)。 しかし、今手持ちの路銀はほとんど底を尽きかけているし、顔を隠すのに適したモノは何も持っていなかった。 どうしたものか、と俺が思案していると、星が「何、簡単なことです」とあっけらかんとした表情で言った。 「要は顔の一部分だけでも隠せばいいのです。大抵の者はそれで正体に気付かないもの」 「……まあ、前例があるしな」 この世界では目の辺りに被り物をするだけで、一部の人にはその正体を隠せるようなのだから。 ああ、なんだか屋根の上から高笑いをするあの仮面の事が思い出されて、軽い頭痛が…… 「けど、さすがに蝶々の仮面は嫌だぞ?」 「おや、それは残念。最もあの仮面は今持っていないので貸すこともできませんが」 本当に残念そうな顔している。 華蝶仮面3号なんて嫌だぞ、と俺が呟くと、星はいえいえ、と首を振った。 「3号までならもういますので、主は4号ですな」 「へ? 2号が貂蝉なのは知ってるけど、3号って……って、違う。とにかく、あっても絶対に被らない。それにあれだと顔を隠しきれてないしな」 「手厳しいですなあ。まあ、とにかく顔の一部を隠すだけならこういう手もあります」 星が懐から細長い布を取り出した。少々汚れているが比較的しっかりとした、茶色い布だ。 そして馬から降り、俺に手招きをしてくる。降りろってことか。 星の言う通り、馬から降りて彼女の前に立つ。 「ここをこうして……」 俺の口元に巻かれていく布。鼻の下が完全に隠れていく。 最後に首の後ろ辺りで布が結ばれ、完成した。 「これでよろしいのでは?」 そう問われ、俺は手で自分の顔を確認してみた。 口元は完全に隠れ、顎の輪郭も分からなくなっている。 少々息苦しいが、鼻で息をすればほぼ問題ないだろう。 しかし、これで本当に顔が隠せているのだろうか。 「なんか忍者みたいだ……」 「ニンジャ?」 星が不思議そうにその単語を反復する。また現代の言葉を使ってしまった。失言だ。 星が何やら言葉の意味を知りたそうにしているので、俺はこの世界でも通じる言葉に翻訳してみる。 「んー、俺の国に昔いた、諜報活動専門の兵士って所かな。けどさあ、これだと完全に隠せてないような……」 顔の下半分だけ隠しても、『北郷一刀』を知っている人間が見れば気付くかもしれない。 特に曹操のような勘の鋭い人は要注意だ。 「ああ、待てよ。口元だけじゃなくて頭も隠せばいいのか。ほら、目だけを出すようにして」 「ふむ、確かにそれならほぼ気付かれることはないでしょうが……」 星が微妙に言いよどんでいる。何か気になることでもあるのだろうか。 「何だ?」 「いえ、主の顔がきちんと見られなくなるというのは、どうにも寂しいと思いまして」 「っ! ま、まったく。どうしてそう恥ずかしいことを平然と……」 ククク、と星が笑っていた。 「初々しいですなあ。しかし、寂しいのもありますが、余っている布がもうありませぬ。今はそれでいいのでは? それに伯珪殿、つまりは仕える人間の前で顔を隠すというのは、少々失礼に当たる。  口元だけならまだしも、顔のほとんどを隠すのはお奨めいたしませぬな」 「……そうだな。『北郷一刀』のことを知っている人の前では頭も隠すことにするとして、今はこれで十分か」 心配事もなくなり、俺達は再度馬に乗った。 目指すは公孫賛の住む城。 星の言う「作戦」を道中で聞きつつ、俺達はゆっくりと馬での旅を続ける。 ※ 公孫賛の城の前にある、兵士の調練専用の広場に、今や多くの者達が集っていた。 その身なりは様々だ。質のいい武器を持った屈強そうな男から、農民上がりの貧弱な身体の持ち主まで玉石混合。 比較的男の姿の方が多いのは、やはりここが兵士を募る場所だからだろうか。 そう、彼らは公孫賛が義勇兵を募集した結果集まった人々なのだ。 なんでも公孫賛は、付近に頻繁に現れるようになった盗賊――おそらく黄巾党だろう――に対抗するための兵士が足りなくなり、こうして一般から募集するようになったらしい。 兵役につけば食料と給金が貰え、活躍でもすれば褒美も貰える。 腕に覚えのある者や、農家の次男・三男坊がこぞってこれに参加する意志を見せたようだった。 広場には500人ほどいるのではないだろうか。義勇兵としてはなかなかの集まり具合だろう。 そして、その中に俺と星も紛れ込んでいるのだった。 「すごいな……義勇兵ってこんなに集まるものなのか?」 人の熱気に揉まれながら、俺はひとしきり感心する。 以前の世界ではいきなり県令になってその街で兵を募ったので、こういう風に一般から兵士を募集する光景は初めて見る。 「時代の流れですな。世が乱れると大志を抱く者や、職を失う者が出てくる。そういう者が兵士になるのですよ」 星は槍を布で磨いていた。これから始まる大舞台のための準備といった所か。 「では主。一世一代の演技、期待しておりますぞ」 「主って呼ぶなって。まあ、大丈夫。やってみるさ……ん、誰か壇上に出てきたな」 義勇兵の集団の前に、1人の武将らしき男が現れた。簡易に作られた木の壇上に立ち、俺達の事を見渡している。 男は大きく息を吸って、大声で演説し始めた。 「我らの求めに応じ、これだけのつわもの達が集まってくれた事、誠に大義である! ここに我らが城主に代わって私が礼を述べよう!」 「うおおおお!」 義勇兵達が雄たけびを上げている中、俺は、その武将の後ろに赤毛の女性がいるのを見た。 以前の世界でも見た、その赤と白を基調にした鎧にきりっと引き締まった顔。 公孫賛、その人に間違いなかった。 懐かしい。以前の世界での董卓連合の時以来か。 公孫賛がここにいるのは、城主自ら義勇兵の集まり具合を見に来た、という所か。真面目な彼女らしい。 壇上に立つ男は続けて演説する。 「諸君らの主だった仕事は盗賊退治である! 奴らに家族を殺され、土地を奪われた者も多かろう! その憎しみ、恨み、全て奴らにぶつけてやるのだ!」 「おおおおお!」 沸き立つ群衆。己の力を誇示する者が武器を天に掲げる。 こういう場面、嫌いではないが、壇上に立つ男はあまり好きではなかった。 「主、どうされた? 眉間に皺が寄ってますぞ」 「いや……ああいう扇動の仕方は嫌いだな、って思っただけだから」 「ふむ……左様か」 「ああ。気にしなくていいよ。それと呼び方」 「おっと。申し訳ない」 悪びれない星。多分わざとだろう。 それにしても、と俺はまだ続く武将の演説に耳を傾ける。 どうしてもあの武将と、城主だった頃の自分の言葉とを比較してしまう。こういう考えは控えた方がいい。 自分の目的を果たす上で、以前の世界での自分の立場なんて余計なことなのだから。 壇上の武将がさらに呼びかけていく。 「ではこれより、この義勇兵を率いる部隊長を決める! 指揮自体は我ら武官が行うが、実際の戦場で皆を率いて戦う者が必要だ! 我こそはと思う者、前に出よ!」 星の言っていた通りの展開になってきた。 武将の損失を出さないために、部隊長を義勇兵の中から選ぼうとしているのだ。 俺の隣にいた星が、ずいっと人を押しのけて前へと進み出た。 他にも何人か、屈強そうな男達が自信満々の表情で前へと出てくる。 俺はひとまずこの場で待機。舞台に出るのはもう少し後だ。 「む……思ったより人数が多いな。しばし待て!」 前に出てきた人数は星も含めてゆうに20人は超えている。500人の部隊に対して20人は、少し多すぎるだろう。 100人につき1人の部隊長、そしてその5部隊をまとめる大隊長が1人、といった所だろうから。 前に立つ武将は、少し後ろに下がると椅子に座っていた公孫賛と話を始めた。 ここまでは予定通り。そしてこれ以降も台本通りの場面が続いていくことだろう。 まず武将が再び壇上に立ち、こう言う。 「己の腕に自信のある者が名乗り出てくれたのは結構! しかし、その腕が真のものか、一度試してみよ、との我が主からのお達しだ!」 そう、そして急遽空いた場所に縄が張られ、正方形の陣が作られていく。 義勇兵と城の兵士達が移動し、陣を囲んでいった。簡易の武舞台といった所か。 「名乗り出た者同士でその腕を競え! そして最も武芸達者でこれはという人物には将官の地位も与えよう!」 「おー!」 群集から歓声があがる。そりゃそうだ。一兵士からいきなり将になれるチャンスが来たわけなのだから。 しかし、これは兵士を発奮させるための釣り餌。たかだか義勇兵から将官になれることなんて、滅多にない。普通は。 武将が示したルールは、要約すれば以下のものだ。 1つ、陣の中にて刃を潰した武器を使い、1対1で戦う。 1つ、1度勝った者は続けて次の候補者と戦う――つまり勝ち抜き戦。 1つ、全員が1回ずつ戦った後、最も勝利数が多く、公孫賛の目に止まった者を隊長とする。 1つ、故意に怪我させたり、あまりにも卑怯な戦い方をしたりした者は即失格とする。 武を競い合う大会だと思えば、これぐらいの約束事は当然だ。 公孫賛側からすれば、これで将来有望な武将を見極め、かつ既存の兵士達にも発奮を促す意図があるのだろう。 所詮は義勇兵。いくら自信があってもそれほど腕に差はないはず。白熱した戦いが繰り広げられ、城内もおおいに盛り上がる。 そのはずだった。 そう、 この大会には1人のジョーカーがいるのを、彼らは知らない。 「では最初の試合といこう。我こそはという者は名乗り出よ!」 「はっ! 益州出身の李宗と申します! 私に戦わせていただきたい!」 出てきたのは槍を持った若い男だ。身軽そうな身体をしていて、かなりの使い手のように見える。 最初に強烈な印象を与えて将にしてもらおう、という魂胆だろうか。 「よし! 出て来い! 相手をする者はいるか!?」 武将がそう呼びかけるが、しかしなかなか次の者が出てこない。互いに牽制し合っているのか、様子見なのか。 先に出た方がいいぞー、と俺は心の中で彼らに呼びかけてみる。無駄だけど。 しばらくして、すっと細い腕が1本、屈強な男達の間から挙がった。 不適な笑みを浮かべて前に出る女性が1人。 「では、私がお相手仕ろう」 ここから星の独壇場が始まるわけだ。 ※ もちろん、星がそこらの自信過剰な男達に負けるわけがない。一太刀だって浴びるはずもなかった。 まず勇敢にも最初に名乗り出た李宗とかいう青年を、自慢の槍の切っ先を(星は自分の槍を使うことにこだわり、『少しでも相手を傷つけたら私の首を切ればよろしい』と言って許可を貰った)1秒も経たずに顔面の前で寸止めし、相手を降参させてしまった。 さらに続けて出てきた剣使い、弓使いも一瞬でのしてしまう、圧倒的な強さ。 ここまで来ると他の者もさすがに星の実力に気付き始めたのか、それまで意気揚々としていた「自信家」達は一斉に意気消沈してしまった。 しかし、「一度は戦わなくてはいけない」というルールがあるため逃げることもできない。 絶対に負けると分かっている戦いに赴くことほど、怖いことはないだろう。青い顔をしている者すらいる。 結局、男達は揃って星の槍さばきに怯え、試合が始まって少し圧倒されただけですぐに降参してしまうことになった。 そうしてこの大会は星の1人勝ちに終わったのだった。 ※ 「おー! すごいなお前! 名はなんと言うんだ!?」 星の武に思わず見惚れてしまったのだろう、ダンマリを決め込んでいたはずの公孫賛がやおら星の前に出て、彼女を褒め称えた。 星は慇懃な調子で公孫賛の前にひざまずく。 「姓は趙、名は雲、字は子龍と申します。以後、お見知りおきを」 「お前ほどの者がこんな1部隊に収まるなんてもったいないな! よければ私の所の将に、いや客将でも、」 「ぶしつけながら、公孫賛殿。1つ頼み事がございます」 来た、と俺は思った。ここからが以前の世界とは違うシナリオだ。 星と2人で考えた台本。俺の出番はもうそこまできた。 ふぅ、と1つ大きく深呼吸し、心を落ち着かせる。 「ん? なんだ?」 「実は私の旅の友もここに来ているのですが、その者も私と同等の力の持ち主なのです。  しかし『こういう場で戦いたくはない』と言って、前には出て来ませんでした。  そして今、私はこうして首座につきましたが、友と戦わずしてのこの誉れは納得できないのです。  よければ、公孫賛殿から友に戦うよう、命じてくださりませぬか? さすれば彼も戦わざるを得ないというもの」 唯一の長台詞を、詰まることなく華麗に演じきった星。さすが華蝶仮面として街の人気者をやってきただけのことはある。 さて、果たして俺は台本通りに演じることができるかどうか…… 「そうか。お前がそこまで言うのならよほどの者なのだろうな。では、この趙子龍の友という者! 前に出て来い!」 きた。 俺は震えそうな足を押さえつけ、前に進む。俺の前にはかなりの人だかりがあったが、俺が少し動いただけで左右に移動してくれた。 まるでレッドカーペットのように、舞台への道筋ができあがる。 もう一度深呼吸して俺は前へと進み、公孫賛の前で立ち止まった。 公孫賛は俺の顔を見ると、「ふむ」と興味深そうに観察してくる。 「それほどの使い手には見えないが……お前、名はなんと言う?」 「……刃と申します」 口が布で巻かれているため、声が少しくぐもってしまった。 しかし公孫賛は気にしていない。それよりも名前がそれだけしかないことを不思議に思っているようだった。 「じん? 姓や字はないのか?」 「俺にはこの名前しかありません」 「そうか……へー」 少し不審そうに俺のことを見ている。名が1つしかない、というのは確かに怪しまれても仕方ない。 やっぱり姓や字も適当に作っとくべきだっただろうか…… 大丈夫かと不安になりそうだったが、公孫賛の後ろで星が俺のことを見ているのに気付き、すぐに背筋を伸ばした。 ここでへこたれていてはいけない。星のためにも、愛紗達のためにもここは気合を入れる所だ。 俺がそう気を張っていると、公孫賛がまだ俺のことを見ていることに気がついた。 先ほどからずっとだ。微妙に頬が赤いように見えるのは気のせいか? 「では公孫賛殿、手合わせの許可を願えますか?」 星が声をかけると、公孫賛はハッとした表情をした。 「あ、ああ、そうだったな。よし、それでは刃に剣を渡してやれ!」 近くにいた兵士から刃の潰れた剣を貰い、代わりに腰にさげていた日本刀を袋のまま預ける。 そして星と共に戦う舞台へと上っていく。 数歩の距離だけ離れ、俺と星はそれぞれ武器を構えて対峙した。 これも当然のことだが、俺達は本気で戦わない。そんなことをすれば俺がコテンパンにやられて終わりだ。 だから、これはあくまで演技だ。俺が星と同じぐらいの武を持っているという……演技。 ただし、演技と言っても公孫賛や他の武将達を騙すほどのものでなければならない。 素人に毛が生えた程度の腕しか持たない俺では、少々荷が重いが、やるしかない。 星が俺の目の前で槍を構える。何度か一緒に鍛錬をした時と同じような雰囲気だったが、その目は本気の色をしている。 そう、俺は周りを騙すために星の本気の攻撃を一度だけ受けなくてはいけない。 右腕辺りを狙うと事前に決めてはいるが、この威圧感、はっきり言って怖い。 「では、はじめ!」 「はあああ!!」 公孫賛の合図と同時に、星の槍が一閃。 俺は剣道の型通り、右腕辺りを防御する構えを取る。 ガキンッ、という鉄の音が大きく響いた。 「おーっ!」 観衆が湧いている。 これまで星は対戦相手を一撃の下に沈めてきたのに、今回俺が初めてその攻撃を防御することができたのだから、湧き立ってもおかしくない。 しかし俺はそれどころではない。きちんと剣で受けたのに、手がめちゃくちゃ痺れた。 こんな攻撃を星は連続して放つことができるのだから、彼女の恐ろしさがよく分かるというものだ。 「はっ! はっ!」 そこから若干攻撃の速さが緩くなる。これも打ち合わせ通りだ。腰付近を軽く突くだけ。威力はない。 これぐらいなら俺でもさばける。 そして俺の反撃が一度、星の頭めがけて振り下ろされるが、彼女は軽々と避けてしまう。 それからはまるで演舞だ。俺の素人のような動きに合わせて、星が舞うように槍を振るい、宙に浮く。 これがまともな一騎討ちに見えるのは、もっぱら星のおかげに他ならない。 俺は彼女の動きに合わせるので精一杯、いやそれすら危うくなっていく。 俺の体力がなさすぎた。何度か刃を合わせただけで身体に悲鳴があがり、疲労がたまっていく。 しかし動きを鈍らせることはできない。あくまで星とは「良い勝負」をしなくてはならないのだから。 「最後だっ!」 星のその気合が、この演舞の終わりの合図。 思いっきり胸に向かって槍を突いてくるので、俺はそれを避け、大きな隙ができた星の首元に剣を振り下ろす。 そして当たりそうになった所を――きちんと寸止めだ。 「勝負あり! 刃の勝ちだ!」 公孫賛の宣言によって、ようやくこの舞台に幕が下りた。 「おおおおおお!!!」 歓声が沸き起こる中、俺はふぅ、と息をつき、わざとらしく膝をついた星の腕を取って立たせた。 周りに人がいないため、星が囁く。 「やりましたな、主」 「はぁ、はぁ……だから主って言うなって」 星の方が3倍は動いているのに、俺だけが息切れしているのがどうにも情けない。 彼女の腕を掴んでいるのも、本当は俺が支えられているだけなのだ。 「すごい戦いだったなー!」 「男の方は地味だけどきちんと攻撃も避けたもんな!」 「凄いぞー! 2人ともー!」 ありがたいことだ。きちんとこの演技を楽しんでくれたらしい。 公孫賛も輝くような笑顔で俺達の目の前まで走り寄ってきた。 「いやー! ほんとにすごかったぞ! 趙雲も刃も、それだけの力があるんだ! よければここで客将にでもなってくれないか!」 俺と星は顔を見合わせた。ここまで上手くいっていいのだろうか、と互いに微笑みあう。 「もちろんです。よろしくお願いします」 俺がそう頭を下げると、再び観衆から声が上がった。 星が隣で微笑んでいるのが分かる。 観客からのお褒めの言葉を預かり、これで舞台は終了だ。 なんとかなった。これで目的に一歩近づくことができる。 そう安心した時だった。 「待たれよ!」 俺は忘れていた。 舞台にはアンコールがあるのだということを。 ※ それは公孫賛配下の武官の怒鳴り声だった。 この競技会が始まった当初はニコニコ顔で見物していたはずだったが、今やその顔は般若のように歪んでいる。 彼は公孫賛の前に立つと素早く跪き、勢いよくまくし立て始めた。 「公孫賛様! 素生も知らぬ者をいきなり2人も客将にするなどと、そのようなこと、お考え直しくださいませ!」 「2人共強いからいいじゃないか。私達には将が足りないって、いつも言ってただろ?」 公孫賛がやれやれと言った口調で返すが、しかしこの武官は引き下がらない。 「あまりにも怪しすぎます! 特にこの男!」 武官が俺を睨んだ。憎くて憎くてしょうがない、という目で、俺は思わずたじろいでしまう。 「顔を隠し、名もろくに名乗らぬ男など、信用なりませぬ!」 「けどなあ……腕が立つのは見ただろ? 官にするわけじゃなくて客将なんだ。いいじゃないか」 「ならば、この私が直接この者の腕を確かめます! その後、再びご判断ください!」 「うーん、仕方ない奴だなあ」 雲行きが怪しくなってきて、俺は思わず息を飲んだ。 この男と俺が戦う? いや、待ってくれ。そんなことは…… しかし、公孫賛は結局、 「分かった、認めよう」 愕然とした。俺とこの世界の武将が戦う? 武官は俺を睨みつけながら、「受けるか?」と呼びかけてくるが、俺はこの急な展開に何も答えることができなかった。 代わりに星が俺の前にずいっと立った。まるで護ってくれるかのように。 「では、私がお相手しよう」 しかし武官は首を横に振った。 「お主に勝った所で、この者に勝ったことにはならぬだろう!」 武官として、最も強い者と手合わせしたい。そう思っているのだろう。 だから、負けた星ではなく俺とやる。至極当然な願いだ。 星もそれが分かっているからこそ、これ以上強く言えない。ここで星が無理やり前に出ては、かえって怪しまれる。 しかもこの申し出、断るわけにもいかなかった。 武が評価されて客将にしてもらったのだから、ここで断ればその武の権威は落ちるし、俺の腕も怪しまれる。 だが、俺がまともに勝負して勝つ可能性など…… 「さあ、刃とやら! この申し出、受けるのか!?」 星が振り向き、俺の方に向かってなにやら呟いている。 かすかに聞こえる声は「理由をつけて断れ」とでも言っているようだった。 しかし、何を言ってもあの武官は納得しない。観衆もいつの間にか声をあげ、この戦いが成立するのを望んでいる。 やるしか、なかった。 「分かった、やろう」 「刃殿!」 星が驚いた顔で俺を見た。今度は主とは呼ばなかった。約束は守ってくれたということか。 だったら、俺もきちんと約束を守らなくてはいけない。 少しは強くなると決めたのだから、こんなピンチぐらい乗り切らなければ。 「大丈夫」 そう小声で告げ、俺は星の横を通り過ぎ、舞台の中央に立った。 武官も鼻息荒く兵士から剣を受け取り、俺の前に立った。 「じゃあ、一太刀を身体に入れた時点で勝負あり、でいいか?」 俺がそう提案すると武官は大仰に頷いた。負けるわけがない、という顔をしている。 しかし、こちらも負けるつもりはない。 一応、策はあるのだから。 ※ これはもう懐かしくも感じられる、以前の世界でのこと。 忙しい政務の合間をぬって、俺はよく仲間達に稽古をつけられていた。 「せめて自分の身は守れるように」。俺自身もそう思っていたため、厳しいながらも結構気合を入れて続けていたものだ。 稽古の相手は主に愛紗や紫苑で(鈴々は……言うに及ばず)、俺のような少し剣道をかじっただけの者でも根気よく付き合ってくれて、「少しはマシになったか」レベルにまで引き上げてくれた。 ただしそれでも戦場で生き残れるほどじゃないし、武官と一騎討ちを行えるわけもない。 だが、この稽古中にこんなことがあった。 それは愛紗に稽古をつけてもらっていた時のことだった。 「ご主人様、今の打ち込みですが……」 「はぁ、はぁ……ご、ごめん、ちょっと息を整えさせて」 その日は丸一刻木刀を振りっぱなしで、ようやく愛紗に休憩の許可を貰った所だったので、俺は盛大に庭の地面の上に寝転ばざるをえなかった。 一方の愛紗は息1つ乱れていない。こういう所で男のプライドがずたずたになる。いや、そんなものはもう残ってないか。 「では、そのままお聞きください。最後の打ち込みなのですが、どうにも不思議だったのです」 「ふ、不思議?」 息切れも収まり、俺は起き上がって愛紗の困惑顔を見つめた。 「はい。なんと言いますか、距離感がつかめなかったというか……  本来は3歩かかるはずの距離を、まるで1歩で縮めてきたかのような、そんな錯覚を覚えたのです。  なので最後の打ち込みは私も少し焦りました」 「焦ったって、完璧に防いでたじゃないか」 「打ち込みの速さそのものはさほど――っと、失礼しました」 「いや、いいよ。そりゃ俺の力じゃね……けど、そうか、距離感か。  んー、多分歩き方の問題じゃないかなあ」 「歩き方、ですか?」 「うん。俺はさ、元の世界で、じいちゃんとか学校の『部活』……いや、えーと『道場』で剣の稽古をつけてもらってたって言っただろ?」 「ああ、はい、聞いたことがありますね」 「うん、剣道って言うんだけど、その剣道の足運びってけっこう独特なんだ」 俺は立ち上がり、その辺りに転がっていた木刀を拾い上げた。 そして疲れた身体に鞭を打ち、正眼で構える。 「普通、人間って歩く時、足を地面から離して前に進むだろ?」 俺は普通に人が歩くように右足を前に出し、左足で踏み込んだ。 愛紗はそれを見て頷く。 「はい、そうですね」 「けど、剣道では地面から離さず、こうやって滑るようにして前に進むんだ。『すり足』って言うんだけど」 俺は実際に「すり足」で移動してみせる。踵を上げず、さっ、さっと直線的に前に進む「すり足」。 剣道や柔道、相撲などの日本の武道では初歩の初歩に習うことだ。 この動きはこの時代の中国にはまだない……はず。日本の武道独特のものらしいし。 実際、愛紗はこの動きを見て驚き、なおかつ首を傾げていた。 「どうしてそんな歩き方を? それでは移動の速度が落ちると思いますが」 「うん、確かに普通に走るよりは遅い。けど、そうだな、敵と1対1で向き合ってるって想像してみてよ。  お互いに武器を構えて、向かい合ってる。そういう時、愛紗は走ったり跳んだりする? 逆に間合いを計って、動かないんじゃないんかな」 「そう……ですね。一騎討ちでは特に」 敵と戦っている場面を想像しているのか、愛紗は何度か青龍偃月刀を振り回す。ちょっと顔に当たりそうになった。怖い。 気を取り直し、俺は説明を続けた。 「そういう時に重要なのは、速さよりも瞬発力――つまり急に動いたり止まったりできることのはずだろ?  瞬発力があれば、相手の隙を見つけた時に一気に近づいて打ち込める。  すり足っていうのは、そういう動きをするのに最も適した歩き方、ってこと」 他にも「体力の消費が少ない」とか「バランスを崩しにくい」などの利点はある。 剣道を始めた頃は、このすり足をできるようになるまでずっと道場を歩かされたものだ。 愛紗はこの歩き方に随分関心があるようだった。 「なるほど……天の武術というのはまた独特なのですね」 「まあ、ただの剣道の基本だけどね。他にも重心の配分とかあるけど……」 「重心? 興味深いですね……ご主人様からこのような話を聞けるのは滅多にないことですし、聞かせていただけますか?」 「こう、上半身を動かさずに――」 ※ 上半身を動かさず、踏み込み足も作らない。 確か愛紗にはそう言って実演してやったっけな。 その歩き方を見た彼女は大いに驚き、どうやるのか教えてくれとまで頼んできたのは、良い思い出だ。 何せそれまで稽古となると俺がコテンパンにのされて終わりだったので、彼女に何か教えるというのはとても新鮮だった。 だからこそ、こんな時に思い出したのだろう。 俺は刃の潰れた剣を持ち、威圧感たっぷりに笑っている武官を見た。 気持ちはとても落ち着いていた。 「では、始め!」 公孫賛の合図がかかるが、しかしまずは互いに様子見に入るだけだった。 あちらとしては、星と戦っていた時の姿が目に焼きついているはずだ。そう簡単に切り込もうとは思えないだろう。 こちらも、力の差が歴然としている相手に、迂闊に手は出せない。この策は一度限りのものなのだから。 「……くっ」 じりじりと互いに距離が縮まっていく。空気が張り詰める。まるで戦場で戦っているかのような緊張感だった。 「おらあああ!」 「うっ!」 武官が斬りかかって来た。しかし先ほどの星の突きよりは遥かに遅い。 なんとか剣で受け止める。続いて第2撃が来るが、これは避けた――と思ったら、頬の辺りに鋭い痛みが走った。 ジワリと熱さが滲むように広がり、口元に巻いていた布が垂れ下がる。どうやら少しかすってしまったようだ。 「む、貴様……」 まずい。相手はこのたった二合の打ち合いで疑いを持ち始めたようだった。 このままでは、俺が本当は物凄く弱い人間であるという、致命的な真実に気付きかねない。 時間がない。力で押し切られてしまう前に、早く決着をつけてしまわないと。 俺は頬から流れてくる血には気にも留めず、正眼の構えのまま、相手から3歩の距離の所で静止する。 目に力を入れて思いっきり睨みつけ、できるかぎり威圧してやった。 だが、もはや俺の実力を疑い、そう怖くはないと思っている武官は、ニヤリと一瞬笑みを浮かべ、露骨に足を前に出した。 ここだ。 相手が剣を大きく振り上げたその時、俺は愛紗に教えたあの歩法を実践する。 そして、3歩の距離を1歩の時間で縮め、大きく相手の胴に向かって剣を振る。 「はっ!」 もちろん、寸止め、だ。 ぴたりと、時間が止まったかのように感じた。 武官は振り上げた剣を下ろすこともできないまま、胴にそえられた剣を驚きの目で見つめている。 誰がどう見ても、1本、取っていた。 「おおおおお!」 「見事! 刃殿の勝ちだ!」 公孫賛の締めの言葉と共に観衆が再び湧いた。 俺は剣を下ろし、ふぅと大きく息を吐く。 なんとか奇襲は成功してくれた。 踏み込み足を作らないとは、前足を出す時には後足で踏み込まないということだ。 だったらどうやって前に進むのか? 愛紗からも不思議に思われたが、それは簡単、ただ単に意識して前に倒れようとすればいいだけだ。 そこで前足をそっと出してやれば、それだけで前に進める。これは簡単な重心の操作だ。 そうやって前に進めば、後足で踏み込む分の時間が短縮され、通常よりも素早く前に進むことができる。 普通の歩き方に慣れている人ならば、まるで瞬間移動したようにも見えるだろう。 ただし、こんな搦め手が通用するのは一度だけ。俺がもう一度この武官と戦えば、きっとこの動きにも対応されてしまう。 一度限りのチャンス。きちんとできてよかった。 俺は星に手でも振ってやろうと公孫賛の隣に目を向けたが、しかしそこには彼女の姿がなかった。 どこにいったのだろう、と思って周りを見渡すが、ふと武官の様子がおかしいことに気付いた。 「この……匪賊風情がー!!」 いきなり怒声をあげた武官は、俺に向かって再び剣を振り上げた。 もはや構えも取っていない俺は、それに反応することさえできない。 やられる……! 襲い来る刃に目を瞑った瞬間、ゴンッ!という鈍い音が武官から聞こえた。 途端に武官は白目を向き、剣を振り下ろすことなくその場に崩れ落ちてしまった。 「な、何が……?」 俺は素早く周りを見渡した。 公孫賛や周りの観衆は、熱気に包まれたままで何か起きたことにも気付いていない。 悪あがきをした武官を、俺がとっちめたぐらいにしか思っていないのではないだろうか。 俺は、頬の切り傷を少し垂れ下がった布で抑えて止血する。痛みはあるが、それほど深くはないようだった。 そこで俺は、武官が立っていた場所に小さな石が落ちているのに気がついた。 親指ぐらいの大きさで、先ほどまで舞台にはこんなものはなかったはずだ。 俺は彼女の姿を探した。 すると、湧きに湧いている観衆の波間から、特徴的なあの白い帽子が見えた。 (星……) 俺が見ていることに気付いた星は、ぺこりと一度頭を下げると、再び観衆の波の間に紛れていった。 彼女は何時になく神妙な顔つきをしていた。 ※ それ以降、将官から反対意見が出ることもなく、俺と星は無事公孫賛の客将として迎えられることとなった。 城に招待され、適当に話を聞いた後、部屋を1つあてがってもらえて、ようやく一安心だ。 俺は誰もいない自室にて、ベッドに寝転がりながら「あ゛ー」とおじさん臭い声をあげていた。 「今日はさすがに疲れた……まさか真剣勝負まですることになるとはなあ」 頬の怪我はすでに手当てがされており、口元を隠す布の下には薬が染み込んだ綿が貼られている。 俺は口布を外し、綿の上から傷に触ってみた。痛みはもうほとんどない。これなら跡も残らないと医者には言われている。 「ふぅ……」 傷を撫でていると、あの武官との1対1での戦いを思い出し、思わず身震いしてしまった。 あの勝利は本当に運が良かった。剣道の歩法という隠し玉はあっても、俺とあの人では根本的な実力に差がありすぎだ。 もしあれが失敗していたら、と思うと怖くなってくる。 いや、そもそも俺だけの勝利じゃない。その前に行った星との手合わせがなければ、武将は最初から全力で来ていただろうし、 何よりあの試合の後、暴走気味に襲ってきた武官に石を投げて気絶させたのも、結局の所星なのだ。 「はあ……ほんと俺って非力だよなあ。自己嫌悪がひどくなりそうだ」 彼女がいなければ、こうやって公孫賛の所に身を寄せることはできなかっただろう。 本当に、星の記憶が戻ってくれて良かったと、今更ながらにあの月見酒の時間に感謝する。 「そういえば、星の奴、元気なかったな……」 あの試合の後、公孫賛の話を一緒に聞いていた時の星の様子を思い出す。 いつもなら軽口の1つや2つ交えるだろうに、今日はずっと口を閉じていた。 さすがに客将として迎えられた初日ぐらいは、真面目にしていた方がいいとの考えだろうか。 だが、俺ともあまり目を合わせてくれなかったのはどうしてだろう…… コンコン、というノックの音がした。 しかしそれは扉からのものではない。窓の外からだ。 そんなことをするのは、俺の知る限り1人しか(いや、紫苑もだったか?)いない。 「星か? いいよ、入ってくれ」 そう声をかけると、窓がゆっくりと開き、いつもの白い衣装が翻した星が部屋に飛び込んでくる。 「……夜分遅くに申しわけありませぬ」 「うん? そんなに遅くないだろ。まだ寝るにも早いしね」 「左様か……」 いつになく星の声色に重さがあった。表情も浮かない。何か思いつめているような様子をしている。 俺はその姿を不思議に思いながらも、「いやー、無事に客将になれてよかったな」と明るく声をかけてやった。 「これで愛紗達にも会えるはず。何時頃になるかは分からないんだけど…… 星は、客将になってどれぐらいしてから俺達と会ったんだ?」 「さほど時間は経っていなかったはずですが……それよりも、主」 「また主って呼ぶ――ん? そうか。今は2人きりだから、って、あれ?」 俺がそう言いかけた所で、突然星の姿が目の前からいなくなった。 いや、違う。星が急に両膝を床についていたのだ。右手で左の拳を包み込み、頭を大きく下げている。 『稽首』だ。城主だった時に、謁見した街の有力者達がさんざんやってきた礼……日本風に言えば土下座に近い動作だ。 「せ、星? どうしたんだ?」 「この度はまことに申しわけありませぬ!」 「え、え?」 突然の謝罪。わけがわからなかった。 何か悪いことでもしたというのだろうか。頭を地面につけるほど下げる星の態度はひどく荘重で、冗談にも見えなかった。 「な、何で謝るんだ? 顔をあげてくれ」 そう頼むものの、星は素早く首を横に振った。 「いえ、今回は私の愚考が悪因となり、主にあのような危険な目にあわせてしまいました。  主の勇気と機転によって事なきを得ましたが、私は仕える者として決して許されぬ失敗を犯したのは明白。  つきましてはこの趙子龍、どのような罰でも甘んじてお受けする所存でございます」 「いや、待って、待ってくれ! 何言ってるんだよ。謝る必要なんかないんだって!」 俺は無理やり彼女の腕をとって立ち上がらせた。 その腕はとても細く、こんな女性に土下座なんてやらせたことに、俺はとても心が痛んだ。 「しかし……私のせいであるのは間違いないでしょう?」 星は納得がいかないようだったが、俺はきっぱりと「それは違う」と答えた。 「あの作戦は俺が星と話し合って決めたことだ。そりゃあ、発案者は星だろうけど、俺も話を聞いて納得した。  あんなことになるだなんて予想するのは無理だし……責任があるとすれば、星だけじゃなく俺にもあるはずだ」 「……責任が? 何故でしょう」 「部下の失敗は上司の責任……いや、少し違うな。んー、俺と星が2人で考えて実行したんだから、2人に責任があるのは当然の事だろ?」 星は目を見開いて驚いていた。どうやら俺の言ったことはかなりおかしいことらしい。どこがおかしいのかいまいちよく分からないが。 少しの間考え込んだ星は、ふっと小さく笑った。 「やはり主は主ですな……主の仁の心、痛み入る」 「そんな大層なものじゃないって。ただ単に俺にも責任があるっていうのと……仲間にそんな風に礼をされるのは見たくないだけだよ」 軽口を叩くように言うと、星は楽しそうに、かつ懐かしそうに微笑んだ。 「仲間……そうでしたな。主はこのような礼をいつも嫌がっておりました」 「ああ。けど、愛紗達以外の人は『そんな恐れ多い!』って最後まで畏まったままだったけどね」 笑いあう俺と星。ようやくいつもの調子に戻ってくれたようだった。 俺は椅子に座り、この世界に来て久しぶりに飲むお茶を星にも淹れてやった。 月が淹れてくれたものに比べれば味はまだまだだが、星と飲めばやけにおいしく感じる。 いや、星は酒の方がいいのかもしれないな。 「ですが、主、私にはまだ謝らなければならないことが」 「え? いや、もうないはずだけど」 「いいえ。愛する者を傷つけてしまったという後ろめたさがあります」 星はそう言って、俺の右頬にそっと触れ、薬の染みた綿をゆっくりと剥がした。 まだカサブタにもなっていない傷が空気に触れ、少し痛む。 だがその痛みも、星の眼差しが深く俺を捕らえているせいか、だんだんと甘いものに変わっていった 頬を撫でる星の手を、優しく握った。 「じゃあ、どうすればその後ろめたさは晴れるかな? 好きにしていいよ」 「御意。では……」 俺の頬に顔を近づける星。そのまま唇を傷に向かって―― 「おーい、刃。今日はすまなかったなー。あいつ、血の気が多く……て……」 いきなり部屋に入ってきた公孫賛が見たのは、俺に身体を預けて今にも頬にキスしようとしている星の姿だった。 これは誤解される……いや、誤解というよりも真実を見られた、とでも言うべきか。 公孫賛はしばらくの間俺達のことを凝視していた。呆然とした表情をしている。 そして俺が何か声をかけようとした所で、顔を急激に赤くし、 「し、失礼しましたー!!」 と、まるで猪――公孫賛だったら白馬?――のように走り去ってしまった。 「あー……これはまずい、のかな?」 「伯珪殿であればさほど問題はないでしょう。それにしても、伯珪殿はここでも純情なのですなあ」 大層楽しそうに笑う星はもはや俺の傍から離れて立っている。 さすがにあんな可愛い闖入者が来た後となれば、どうにも続きなんてやりにくい。 「元々、傷の具合を見るだけでしたので」 星はそう言って肩をすくめ、俺はやっぱり今日もお預けか、ともてあます若い衝動をどうどうと治めるのだった。 こうして、俺達は無事公孫賛の軍に入り込むことができ、これから愛紗と鈴々が会えるのを待つのであった。 第4話 終わり