学校からの帰り道。 クラスの雑用を押しつけられて普段に比べ大分遅くなり、気持ち早めに自転車を漕いでいたその道中に見慣れた人影を見つけた。 普段は何かしら騒がしかったり慌ただしかったりするのだが、今は珍しいことに随分と落ち着いた様子で歩いている。 (いや、まあ落ち着いているというよりもぼーっとしてるだけなんだろうけど) 後ろからでも、特徴的なくせ毛が脚の進みに合わせてぴこぴこと揺れているのが良く見える。 はて、とっくに帰ったはずなのになんでこんなところをうろついているのかと思いつつ、追いかけて声をかける。 「おーい春蘭ー」 その声を聞いて(声を聞く前から反応してたようにも見えたが)、春蘭がこちらを振り向く。 「北郷か、どうしたこんなところで」 「クラスの仕事でちょっとな。春蘭こそどうしたんだ? とっくに帰ったものだと思ってたけど」 「うむ、この近くに華琳様が気に入りそう菓子屋がないだろうかと探しておったのだ。それで少し遅くなってしまってな」 よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに得意げな春蘭。 忠君と言うか何というか。以前に比べて華琳も自由な時間が増えたんだから春蘭がやることもないと思うんだけど。 まあ本人が好きでやってるんだからいいんだけどな。 「へぇ。で、見つかったのか?」 「いや、駄目だな。それなりのものは幾つかあったが華琳様の舌を満足させる程のものとなると中々……。  だが一つだけ良さそうなのを見つけた。と言っても売り切れていたので味見は出来なかったのだがな」 一転してしょんぼりとする春蘭。相変わらず表情が子供みたいにころころ変わるな。見てて飽きない。 それはそうと、華琳が気に入るようなものを出す店なんてこの近辺にあるのだろうか。下手な店に連れて行ったらそれこそいつぞやの屋台荒らしの二の舞になりそうだ。 「あー……華琳はグルメだからな」 「ぐるめ? とはなんだ北郷?」 おっと、こっちに来てそれなりに経ったから通じる言葉も増えてきたけどまだまだ通じない言葉があるんだよな。 「なんだっけ、……ええと、美食家?みたいなものかな……って向こうでも言わなかったか?」 以前もこんなやりとりをしたような気がする。まあ似たようなやりとりを何度もしてるから勘違いかもしれないけど。 「むむむ、そんなことは知らんぞ。そもそもこっちの言葉はわかりにくいのだ。けーきだの、わっふるだの、まふぃんだの、まかろんだの、すこーんだのどれも似たようなものではないか」 なにがむむむだ。 ついでに、それらとグルメとかそういった言葉とは違うのではなかろうか。 春蘭達からしたら似たようなものなのか? 多分春蘭だけだど思うぞ、というのは心の中だけに留めておく。 「その辺りは詳しい人以外は全部解ってる人いないと思うぞ。華琳は当然のように把握してそうだけど」 「そうだろうそうだろう。さすが華琳様だ」 「それで、もう帰るところ?」 おそらくそうだろうとは思うのだが、確認の意味も込めて聞いてみる。 「うむ」 案の定春蘭も帰るところだったわけだが、二人で歩いて帰るのもどうなんだろう。 今の時間が時間だから家に戻るのは少し遅くなってしまう。 ならば、と俺は一つ提案をしてみた。 「後ろに乗っていかないか? 歩くよりは早いと思うぞ」 「む……、だが、しかしな」 即断即行の春蘭にしては珍しく言いよどむ。 そういえば春蘭は自転車苦手なんだったな。走った方が良いとかいって練習すらしなかったんだっけ。 なんでもペダルを踏んで漕ぐという行為が気に入らないというか苦手らしい。霞なんかはバイクを気に入って瞬く間に免許をとって乗り回しているのだが。 けど後ろに乗るだけなら関係ないしな、 「大丈夫だよ。乗ってれば良いだけだから。漕ぐ必要ないし」 「そ、そうなのか? ……そこまで言われては仕方ないな、では失礼するぞ」 「しっかり捕まっておけよ」 「う、うむ」 女性にしては珍しく……なのかは判らないけど跨って座り、両腕を脇の下から通して組む。 どんだけしっかり捕まってるんだ、と思わず笑みがこぼれる。……というか柔らかいものが背中に当たってるのだが。 でも指摘したらきっと殴られるんだろうなあ。 まあ別に不快なわけでもないし、むしろ嬉しい限りだし、幸いにしてにやけてるだろう顔を見られることも無いわけで。このまま行かせてもらおう。 「よーし、じゃあ行くぞー」 「おう」 頭をこくこくさせているのが解る。というかくせ毛が首筋を上手い具合にくすぐっていてむず痒いのだが、無視してこぎ始める。 動き始めたのと同時に、締め付ける腕の力が強くなった。 息を吐くのと合わさって肺の空気が全て押し出される。ついでに少し変な声が出た。 それが気になったのか、多少スピードが出て安定したので余裕がでたからか、春蘭が口を開く。 「何か言ったか?」 「いや、別に」 春蘭の腕の力が強すぎた、なんて言えない。情けないし、もしそれで暴れられたら確実にバランスを崩す。 基本的に春蘭は野生染みた勘で誤魔化しや嘘には気付くのだが、自転車に気をとられているせいか大丈夫だったようだ。 と言っても所詮は春蘭なので煙に巻くのは簡単なんだけどな。 ……そのまま暫くして、春蘭もやっと慣れてきたのか腕の力が緩んできた。 背中の感触が無くなって少しばかり寂しくもあったけど、十分堪能したから良しとしよう。相変わらず首筋がむず痒いけど。 そんな中、聞き慣れた声がした。 「自転車の二人乗り? 原始的ね。  さすが脳筋女と脳漿が精液の脳みそ精液漬け男と言ったところかしら」 「桂花?」 声がした方に顔を向けると、車の後部座席の開いた窓から桂花の顔が見えた。 って桂花の奴タクシーになんか乗ってるのかよ。しかももしかしなくても嫌味言うためだけに徐行運転させてるのか。 「じゃあね、私は先に行くけどあんた達はいつまでもチンタラしてると良いわ」 窓を閉め、タクシーが加速して過ぎ去っていく。 (それにしても桂花のやつ、もうタクシーを使いこなすとかどれだけ順応してるんだか。流石は魏の三軍師ってとこか……ん?) 脚に違和感を感じて、目を向ける。 俺の足の上に、もう一つ足が後ろから伸びて乗っている。心霊現象とかそういった類のものではなく、春蘭の足だ。 「……ぞ」 「ん? 何か言ったか?」 「……んぞ」 反応がないのでどうしたー、と後ろの様子を伺おうとする。 その瞬間、緩んでいた腕が再び万力のような強さで締め付け、裂帛の気合を帯びた咆哮が耳元で爆発した。 「負けんぞ!!」 グン、と凄まじい力で春蘭がペダルを(俺の足ごと)踏む。 見る見る間に自転車は加速して、他の自転車をどんどん追い抜かし、タクシーへと迫っていく。 周囲の人々が信じられないような顔で、信じられないようなスピードで走り去る自転車を眺めているのが辛うじて見えた。 耳がキンキンと耳鳴りし、異常な風切り音と相まってまともに聴覚が働かない。 ていうか足!、足が痛い。ハンドルが、早すぎてハンドルが! 俺が声にならない悲鳴を上げている内に、自転車はタクシーへと並び、追い越した。 抜き去る一瞬にちらりと目に入った、珍しく呆然とした桂花の表情がやたらと印象に残った。 ……うん、気持ちはわかるよ。俺だって普通のママチャリでここまでスピード出せるとは思わなかったもの。 「ふはははは、思い知ったか桂花め。  それにしても自転車というのも捨てたものではないな。思いの外良いではないか」 やたらと上機嫌な春蘭の声が聞こえる。 桂花を追い抜いたからか、結構な速度が出ることが解ったからか、あるいは両方か。 理由はともかく、目を輝かせた春蘭の顔がありありと想像できる。 どうでもいいから耳元であまり大声を出すのは止めてくれないものだろうか。折角回復してきた耳鳴りがまたぶり返した。 追い抜いたのだからペダルを踏むのを止めて欲しいのだが、後ろの春蘭さんはそんな様子を微塵も見せない。 天井破りに上昇を続けるテンションに追随するようにこれでもかと漕ぎ続け、その速度はいまだに上昇を続け、道路を走る車と付かず離れずの位置をキープするほどだった。 車と同じ速度で走る二人乗りの自転車。そんな尋常じゃない光景が警察に見つかるのは時間の問題だった。 この暴走は、サイレンを鳴らしたパトカーと少しばかりのカーチェイスもどきを繰り広げ、それに春蘭が気付くまで続いた。 一応法定速度内だったものの二人乗りを咎められて厳重注意を受け、それに不満げな春蘭を宥めつつ家に着いたときは案の定というか桂花が先に到着しており、また春蘭が不機嫌になった。 後日、春蘭が自転車に乗れるようになったのは余談である。 しかもその後買った自転車はちょっと信じられないような値段のロードバイクであり、バイクもかくやというスピードで走り回って周辺の噂にまでなっている事について、俺は全くあずかり知らない。