──真√── 真・恋姫†無双 外史 北郷新勢力ルート:第五章 涼州攻防 **  河北四州、ならびに徐州をその手中に収めた曹操は、更なる南進を行う前に、後顧の憂いを絶つ事を決める。  狙うは涼州。対するは、名君、馬騰。  軍備を整えた曹操軍は、すぐに西進を開始した。 ──馬騰領・武威── 「…………はぁ」  涼州は武威、その城内にある一室より出てきた馬岱が、小さくため息を漏らす。  出てきた部屋は、現在病床に伏している馬騰の居室だ。  そんな彼女に馬超が声を掛ける。  馬騰に馬岱が呼ばれたのは、曹軍西進の急報に急いで軍備を整えて居る時であった。 「たんぽぽ……母上は何だって?」 「あ、お姉様。……うん、援軍要請に行けって」 「援軍要請〜?……母上は、自分達だけじゃ勝てないって思ってるのか……?」  馬岱の言葉に不満気に声を上げた馬超へ、馬岱が神妙な雰囲気で答える。 「どうだろ?……そう言った雰囲気は出してなかったから、念のためかもしれないけど……。 他家には、何かあった時の責任は全て自分がとるって言ったみたい」 「……まぁ、母上は連合の盟主だしな。それはそうだろうけど……」  あまり釈然としない感じで、「あたしらだけでも平気だと思うんだけどな」と続ける馬超。 「それで、援軍要請はどこに?」 「……お姉様、解ってて訊いてるでしょ?  この辺りで、侵攻してくる曹操軍に対しての援軍要請を頼める勢力なんて、一つしかないよ?」  馬超はそんな馬岱の言葉に、 「……だよなぁ。じゃあ、北郷殿には宜しく言っておいてくれ」  と、苦笑を浮かべながら返した。 ──北郷領・漢中──  一刀達の元へ、馬騰よりの使者として馬岱が訪れたのは、曹軍が安定を落としたとの報が入った時であった。  恐らくは、これほどまでに曹操軍の勢いがあるとは思わなかったのであろう、その様子は沈痛で、 反董卓連合の時に見せていた快活な様子も鳴りを潜めている。  馬騰からの書状の内容は、曹軍の涼州侵攻に対する救援要請。そしてそれを受け、漢中では軍議が行われていた。 最も、涼州へ向かうという事で大勢は決しているのだが。  そんな中、稟が声を上げる。 「……では、益州はいかがなさいましょうか?  軍部も整い、周辺を騒がせていた賊徒も鎮圧しました。これでようやく、一刀様が気にしておられた、 益州の民を解放する準備が整ったと言う所です」  それに対して、一刀は小さく頷くと、 「……確かに、益州の民を放って置いて良いとは思わないよ。 けど、だからといって、俺達に救援を求めてきた馬騰さん達を見捨てるなんて事は、絶対に駄目だ。  ……それに、益州を救えるのは俺達に限ったことじゃないしね。南の方で動きも有るようだし…… 彼女等なら、悪政を働くってことは無いだろ」  一刀の言葉に、その場に居た者たちはその人物──劉玄徳の姿を思い浮かべ、それは確かにと納得する。 「そう言うわけだから、涼州に向けての出陣準備を。  それと風、劉備さんに一筆書くから、至急届ける様に手配して」 「かしこまりましたー。では皆さん、準備にかかりましょうかー」  風のその言葉を合図に軍議は終わり、解散となった。 「ああは言っておられましたが、実際は稟殿とて、涼州へ向かうべきだと思っていたのでしょう?」  軍議の後、出陣後の方針を決める為に軍師達が集まった中で、音々音が稟に声をかけた。  現状を鑑みれば、確かに益州へ兵を向けて領土を増やすという選択肢も有る。が、その場合、 先程一刀も言っていた様に、南……劉備達にも動きが見られ、良くて劉備軍との折半。悪ければ潰しあいになる上、 曹操軍に北を押さえられる事態にも成りかねないのである。それを踏まえれば、音々音の言った通り、 涼州へ向かい曹操軍を退け、涼州勢へ多大な恩を売っておいた方が良いのは明白なのだ。 「無論です。ですがだからと言って、別の見解や意見を蔑ろにするわけには行きませんからね。 他の者が言い辛い様な意見も全て踏まえた上で、大局を検証して結論を出す。それが軍師の務めです」  そう答えた稟は、「それに……」と続けると、 「一刀様もそれは解って下さっていますから。……何も問題はありません」                       ◇◆◇ 「……では、一刀様」 「ああ。みんな、気をつけて」 「うむ」 「任しときい!」  漢中を発った北郷軍は、道中二手に別れ、稟、華雄、霞はその進路を東へ向ける。  その姿を見送った一刀等は、その進路を西──天水へ向けた。  斥候の報告によると、天水は既に曹操軍の手に落ちているらしい。故に、いかに早く武威へ辿り着けるかは、 天水をどれだけ早く落とせるかにかかっているだろう。  今ここに──北郷軍の、涼州攻防戦の幕が上がる。  天水は行路の接点となる重要な拠点である故に、涼州軍との戦闘を終え天水を占領した曹操は、天水の守備に楽進と于禁を残した。  その于禁は、天水城の城壁から迫り来る敵軍を見渡しながら思わず呻いていた。  「も〜!!何で北郷軍が攻めてくるの〜!?」  彼女としては、攻めて来るにしても、天水を取り戻そうとする涼州軍の別働隊あたりであろうと思っていたのだ。 そのため、突然の北郷軍の侵攻は余りにも予想外で、慌てふためいてしまっていた。  そんな彼女へ、背後から楽進が近づき、軽く小突く。 「落ち着け、沙和」  そう言って指差す先には、北郷軍の十文字の牙門旗と共に、橙色の『馬』の旗が。 「あれって……涼州の?」 「うん。……恐らく援軍要請に出ていたんだと思う」  そう楽進が言った時、北郷軍から銅鑼の音が響き渡り──掲げられる『賈』の旗と、紫色の『董』旗。  それは、天水、そして涼州において未だ大きな影響力を持つ董卓が存命し、北郷軍に居る事を内外に知らしめる確たる証拠。  その情報は、北郷軍の様子を見ていた兵士達や、好奇心から外の様子を密かに覗いていた街人により、瞬く間に広まり──  天水の民にとって、北郷一刀と言うのは複雑な相手だった。  かつて黄巾の乱においては、この地を善政を持って治め、この地に住む全ての者に愛されていた、董卓の危機を救った人物。  そして反董卓連合においては、暴政の限りを尽くしたと……彼女を知る者にとっては到底信用できぬ噂される董卓を、 討ち取ったと言われる人物。  董仲頴は、北郷一刀を信頼している。それは、彼女自身が公言してはばからなかった事だ。  それ故に天水の民は、董卓の噂が信じられない物であるのと同様に、北郷一刀が董卓を斬ったと言うのもまた、 到底信じられない噂話だと一蹴していた。  だが、董卓と賈駆はその姿を消し、董卓の部下だった者達が、北郷一刀へ降ったのもまた事実であり、 いつしか──北郷一刀が董卓を討ったのは事実であるのでは無いか、と言う思いが強くなっていた。  否定と肯定。  相反する思いに挟まれた人々の心は、まるで左右から引かれるゴムの様に、その内に発しきれぬ力を溜めていく。  そしてその力の拮抗は──天水に現れた北郷一刀が十文字の牙門旗の横にそっと寄り添うように立てられた、 『董』の旗によって崩され──  その溜められた力は、天水を獲った曹軍に対する暴動と言う形で、発現された。 ──曹操領・長安── 「井蘭(せいらん)隊、前へ!!」  稟の指示が飛び、城壁よりも高く組まれた車輪付きの弓櫓が、歩兵に押されて前進する。  北郷軍はこの度の遠征において、二種類の攻城兵器を用意した。  一つがこの井蘭。  仕様は前述の通りであり、本来であれば絶対的有利をとられる、城壁上の敵兵を排除する為の物である。  そしてもう一つが「雲梯(うんてい)」  台車の上に折りたたみ式の梯子を搭載し、城壁への侵入を従来よりも容易にするためのものだ。  一刀等と別れた稟達は、曹軍の補給線を断つ為に、現在長安を攻めている。  洛陽から出陣した曹操軍は、長安、安定、天水と攻め落としながら進軍している為、後方に残す兵は少ないと踏んでの事だ。  案の定長安を守る兵数は然程多くはない様だ。この分であれば、門が開くのも時間の問題であろう。 「手早く片付けて、早く一刀様の援護に向かわなくては……」  戦況を見つつ指示を飛ばしていた稟は、そう考えた所で小さくかぶりを振った。 「……最後まで油断をしてはいけませんね。気を引き締めなくては……」  そう呟くと、いかなる不測の事態が起きてもいい様に考えを巡らしつつ、再び前線へ指示を飛ばしていった。 ──劉備領・永安──  劉備達の下へ北郷軍からの書簡が届いたのは、益州攻略の為の出陣準備も終えようかと言う時であった。  書簡は二通。  一通は言わずもがな、君主である劉備へ。そしてもう一通は…… 「あわわ、私に……ですか?」  書簡を受け取った鳳統は、自分に書簡が来るとは思ってもおらず、ただ困惑した表情を浮かべて居た。 「……北郷殿は、何と?」  “あの”天の御遣いが、無意味な書簡など送るまい、と、書簡を読み終えた劉備と鳳統へ、 幾ばくか緊張した様子で関羽が問いかけると、先に劉備が口を開いた。 「うん、自分が言う事じゃないだろうけど、益州の民をよろしくって」 「……それだけ……ですか?」  が、その内容は関羽が思っていたよりも、はるかに普通の事。  肩透かしを食らったような面持ちで問う関羽へ、劉備は「私の方はね」と返した。 「雛里ちゃんの方は?」  その言葉で、皆の視線が鳳統へと向くと、それまで真剣に、そして不安気に書簡を読んでいた鳳統は、 その顔を書簡より上げると、静かにその内容を語り出した。 「はい……桃香様への書簡の内容が先程のだとするならば、恐らくは……私の方が本命かと思われます。  書かれていましたのは……  “それ”は天の知識と言えど不確定なれば、杞憂に終わる事を願う。  なれど、万に一つの可能性も在る故に、ご忠告申し上げる。  一つ、『“落鳳破”に気をつけよ』  二つ、『目立つ行動は控えよ』  三つ、『伏兵に注意せよ』  四つ、『いかなる場合においても、矢に注意せよ』  貴女に武運在らん事を。  必ずや、壮健な姿で再び見える事を心より願う。  ……以上です」 「……んと、つまりどう言う事なのだ?」  言いたい事が今一よく解らなかったのだろう、張飛がそんな声を上げる。 その顔は、「伏兵や弓矢に気をつける」のは当然の事であろうに、何故わざわざそんな事を?と言っている様だ。  そんな彼女へ、諸葛亮が一刀の言葉の意味を説明する。 「鈴々ちゃん、北郷さんはこう言っているんです。  落鳳破と言う何か……恐らくは場所でしょうか。雛里ちゃんが伏兵と矢によって危険な目に遭う…… 最悪、死ぬ事になるかもしれない、と」  『死ぬ』と言う単語が出た時に、鳳統が一瞬ビクリとする。 「……よしっ!じゃあ皆、それを踏まえてしっかり準備しよっか?」  すっかり暗くなってしまった雰囲気を吹き飛ばす様に、劉備は玉座より勢い良く立ち上がると、皆を見渡しながら言った。 「そうならないために、北郷さんも事前に知らせてくれたんだし、大丈夫だよ!」 ──天水──  天水を無事に攻め落とした一刀等は、恋と音々音、そして馬岱を武威へ先行させ、事後処理の為に天水に留まっていた。  尤も、処理事態は簡易に済ませ、直に恋達の後を追う心算ではあるが。  そんな中、先の戦いを思い出しつつ、 「それにしても、風も思い切った事するわね?ボク達の存在をおおっぴらにするなんて」  と、半ば呆れた様に詠が言った。 「まあ、生存を隠してた一番の理由である、両袁家が滅んでしまいましたからねー。  多少の問題は出るでしょうが……天水の人達や月ちゃんのご両親を安心させたい。 ……と、ご主人様に言われてしまいましたから」  流石に、暴動が起きるとは思いませんでしたが。と苦笑を浮かべながら風は言った。  その答えに、成る程……と思いつつも、きっかけはやはり一刀なのかと思う詠であった。  生きていた涼州軍守備兵長の一人の話によると、当初涼州軍は伏兵を主体とした急襲部隊で、 進軍する曹操軍へ昼夜を問わず戦闘を仕掛けるという戦法を採り、上手く曹操軍の進軍速度を遅らせ、 また、気力と体力を消耗させることが出来ていた。  だが、ある日を境に急襲部隊……特に深夜間の部隊に志願する兵が、若い者を中心に激減。  結果、曹操軍の進軍を許し、天水を易々と落とされてしまったという。  一刀等が調査を進めた所、どうやら原因は、この辺りで夜になると旅芸人の公演が行われ、 皆それを見に行っていたらしいと言うのだ。  一刀はすぐに周辺へ斥候を放つ。状況からして、その旅芸人は間違いなく曹軍の差し金であろうし、 何よりも──国家の大事において尚、兵すらも惹きつけたその旅芸人一座に興味を持ったからだ。  そして、天水の北西の辺りにて、撤収しようとしている一団を見つけたという報告が入った。 「ほれほれ、急ぎぃ!急がんと敵さん来てまうでぇ!」  三姉妹の護衛として付いて来ていた兵達へ、李典の叱咤の声が飛ぶ。  旅芸人一座こと、張三姉妹とその護衛である李典は、天水陥落の寸前まで味方の鼓舞のために公演を行っていた。  それは確かに功を奏し、天水が落ちるまでの時間を僅かながらにも稼ぐことが出来ていたのだが、 それ故に自らを窮地に立たせてしまった。 「李典様!撤収準備整いました!」 「よっしゃ!ほなとっとと……」  避難民に偽装した兵の報告に、退却の支持を出そうとしたその時であった。彼女等の周囲に多数の兵が現れる。 「…………こらあかんわ……」  ざっとみただけでも自分達の倍を超える兵数に、思わずため息が出る。  「強行突破しますか?」と問われ、改めて冷静に周囲と、自分達の状態を見渡し、 「そうやな……って言いたい所やけど……多勢に無勢過ぎるわ。大人しくしよか。  幸い相手は北郷軍やし、理不尽な扱いはされんやろ」  その言葉に、兵達も構えていた武器を納め、力無く肩を落とした。  現在、北郷一刀の前には、六名の人物が並んでいる。  内二人は見知った顔で、一人は一刀にとって忘れえぬ、初めて身体を重ねた相手。 いつかこうして、戦場にて相対す事になるだろうと覚悟していた人物。  そしてもう一人は、よもやこのような所で逢うとは思ってもみなかった相手。 一刀がこの世界に来てから初めて――“天の御遣い”ではなく、“北郷一刀”として接してくれた人物。 彼女と逢っていたのはたった一月程の間だったけれど……それでもやはり、一刀にとって忘れえぬ人物であった。 「……れん……」  そして思わず、予想だにしなかったその人物の名を呼んでいた。  その声に、「れん」と呼ばれた少女がビクリと身じろぎし、伏目がちにしていた顔を上げると、静かに一刀を見つめる。  絡み合う視線。  不意に……つっと、「れん」の瞳から、雫が一つ、零れ落ちた。  それは──とても大きな、想いのひとひら。  「れん」はそれをぬぐいもせずに、ひたと一刀を見つめ── 「久しぶり、一刀」  やわらかな、微笑みを浮かべた。  そしてそれを見て──二人の姉は互いの顔を見合わせ、確りと頷きあうと、決意を固める。 「北郷さん」  天和が言う。 「私達は、あなたの下へ降ります」 ──益州──  益州侵攻を開始した劉備軍は、途中江州城にて黄忠を降し、仲間に引き入れる。  さらに進軍を続ける彼女等は黄忠の助言に従って、大きく迂回する形にはなるものの一度北上して梓潼へ向かい、 そこの太守である厳顔と魏延を降して味方とすると、一路成都を目指す。  そして──彼女等は、とうとう“その地”へと足を踏み入れていた。  ──落鳳破。  それは小高いがけに囲まれた、渓谷の様な地であった。  その地に差し掛かった劉備軍の主だった将達──特に鳳統であるが──に、緊張が走りぬける。 「皆さん……いかがなさいましたか?」  そんな劉備達の様子を疑問に思った黄忠がそう訊くと、鳳統がすっと彼の書簡を差し出した。 「……これは……そうですか」  それを見た黄忠と厳顔、それに魏延が、皆の様子に得心がいったと頷くと、直に周囲の警戒に入る。  一行が落鳳破の中ほどへ差し掛かったころであろうか、鳳統の横を守っていた黄忠と厳顔が、何かに気付いた様子で周囲を見渡し、 「来ます」  そう言って武器を構えた瞬間──飛翔音と共に周囲に多量の矢が降り注ぎ── 「雛里ちゃん!!」  ぱさり、と、彼女の被っていた帽子が、地に落ちた。 ──馬騰領・武威──  武威へ篭る涼州軍へ止めを差さんとする曹操軍であったが、正に曹操が攻撃の合図をせんとしたそのとき── 鳴り響く銅鑼と共に、曹操軍の左手後方にある丘の上に、軍勢が現れる。  掲げられる四つの旗は、涼州軍にとっては救いを、曹操軍にとっては……悪夢を、もたらした。 「十文字……北郷軍?馬の旗と共に有ると言う事は……涼州の援軍か……っ」  その旗を見て、曹操が呻くように呟く。  援軍自体も脅威ではあるが、問題はそれではない。残る二つの旗のうち一つ── 「真紅の呂旗…………」  それは誰の呟きか。  まるでそれを合図とするかのように、真紅の呂旗を掲げる騎馬隊は、丘を飛ぶように駆け下りて来る。  そしてその先頭を猛然と進むは、赤毛の少女── 「りょ……呂布だあああああ!!!」  再びの誰とも知れぬ誰かが叫んだ。そう、彼女の名は呂奉先。飛将と謳われし、三国一の武神。  迫り来る恋の姿に、ざわざわと、うろたえる様な空気の広がる曹操軍であったが、 「呂布など、何するものぞ!!」  彼女の進まんとする方向より、そんな叫びと共に一人の武将が飛び出した。 「あれは?」  それを見て、曹操が隣に居た夏侯淵へと疑問の声をかける。 「あれは……武安国ですね。武に自信があると聞き、参軍させていたはずです。  実際一線級とは言えませんが、それなりに腕は立つようです」  夏侯淵がそんな説明をしている間に、二人の距離は見る間に縮まっていった。そして、武安国がその得物である鉄槌を振り上げ、 「呂布、覚悟おぉ!!」  振り貫かんとした次の瞬間── 「…………お前、うるさい」  無造作に切り払った恋の方天画戟が、迫り来る巨大な鉄槌を弾き飛ばし、そのまま武安国の胴を薙ぎ払っていた。  この武安国と言う武将、夏侯淵の言うように、決して弱い武将ではなかった。  一線級とは言わずとも、一般兵であれば数十人が束になっても敵わぬような人物であり、 周囲の将達にもその武は一目置かれる存在であった。  にも関わらず──それをかの武神は、小うるさい羽虫を払うかの如く、一合も持たす事無く切り捨てたのだ。  それは正に一瞬にして、曹軍に極限の緊張と畏怖を植えつけていた。  武安国を切り捨てた恋率いる一団は、そのまま曹操軍の一角を我が物顔で蹂躙してから武威の門前へと到達する。 そして直に馬岱が開門を求めると、恋が曹軍へと睨みを利かせる中、悠々と入っていった。  兵の最後の一人が入城した後、恋は曹軍に対して方天画戟を一振りすると、堂々と武威へと入って行く。 その無言の背中は、『この城を落としたくば、己を倒してみよ』……そう物語っている様であった。  中に入った直後、外にまで聞こえるのではないかと言う程の歓声が沸き起こる。  無理もあるまい。正に滅亡に瀕していたその時に、飛将軍というこの上も無い援軍が来たのだから。  そして、恋の隊より遅れる事二日。北郷軍の本隊が、曹操軍の背後より現れた。  無論、この間曹操軍が何もしなかったわけではない。夏侯惇、夏侯淵を中心に武威を攻め続けたのだが、 援軍到着による涼州軍の指揮の上昇、武威の包囲を突破される際に見せ付けられた呂布の力への畏怖、 そして完全に守りに徹せられた事により、攻めきる事が出来なかったのだ。  そしてこれにより、涼州軍を追い詰めた曹操軍が、北郷軍により追い詰められるという事態に陥っていた。  動くに動けぬにらみ合いになってから二日。曹操軍の下へ、北郷軍よりの使者が訪れる。 「華琳様、北郷軍より軍使が参っております」 「……軍使?」 「はっ。どうやら停戦交渉のようですが」  荀ケの言葉に、曹操が訝しげな顔で返した。  現状追い込まれて居るのは曹操軍の方である。  無論彼女とてただでやられるつもりなど無いが、北郷・涼州軍にしてみれば、一気呵成に攻めてくれば多大な被害は出ようとも、 曹操軍を殲滅するまたとない機会のはずだ。  まさか、その『多大な被害』を嫌ったか?  そう考え、一瞬否定しかけたものの、北郷一刀が噂に聞く通りの人物であればそれも有りうるかと思い直した。 「いいでしょう、軍使に会うわ」  どちらにしても、話を聴くだけ聴いても変わりあるまい。そんな事を考えつつ、曹操は軍使が来るのを待ち構えた。  結論を言えば、軍使は停戦交渉の使者であった。  条件は、曹操軍は速やかに軍を洛陽まで引く事。その代わり北郷軍は、天水にて虜囚にした楽進、李典、于禁を解放し、 涼州軍・北郷軍共に追撃は行わないものとする。  報告によれば既に天水、安定、長安も落ちている。  このまま戦っても勝てる見込みは薄く、例え勝てたとしても被害は甚大であろうし、配下の命も無駄に散らす事になりかねない。  必要であれば、配下に「死ね」と命じる冷徹さを持つ曹操であるが、決して非道な人間ではない。 ましてや、例え一兵卒と言えど、時間をかけて調練をし、育てた精兵なのだ。無駄死にさせるつもりなど毛頭無い。  故に……この提案に、曹操は歯噛みしながらも頷くしかなかった。  曹操の承諾後、直に三人は解放され、曹操軍へと帰還を果たす。  その三人の口から、張三姉妹が北郷軍に降った事を知らされると、曹操はただ静かに「そう」とだけ言って頷いた。 逆に憤慨したのは荀ケだった。 「……あの三人っ!華琳様に掛けていただいた恩義を仇で返すなんて!」 「桂花、止めなさい。元よりあの三人と結んだ契約は対等の物よ。  こちらが場を提供し、彼女等が徴兵を手伝うと言うね」  そう曹操に諭され、荀ケは口惜しそうにしながらも「……はい……」と頷く。 「いい子ね、桂花。  ……では、兵を纏めて撤退の準備をしなさい。速やかに、されど堂々とね」 「はっ。直に取り掛かります」  その翌日、約定通り曹操軍は洛陽へと撤退していった。                       ◇◆◇  曹操軍撤退より約五日。一刀、風、稟、そして月と詠の五人は、武威にある馬騰の居室に呼ばれ、訪れていた。  そこには馬騰の他、馬超に馬岱、そして生き残った涼州豪族の長が一人、待っていた。 「……この様な格好で申し訳ありません」  寝台に上半身のみを起こした格好で馬騰が言う。  それに対して、一刀は「構いません。辛いなら横になって下さって結構ですよ」と言うと、 今回自分達を呼んだ理由を尋ねた。 「はい、先ずはこの度の救援に対する御礼を。この度は……有難う御座いました。  そしてもう一つ……お願いがありまして……」 「お願い……ですか?」 「はい。……この度の曹操の侵攻により、多くいた涼州豪族も、私達馬家と、ここに居る韓遂のみになってしまいました。  そして私自身もまた、この様に病床の身にあります。  ……言うなれば、曹操自身は去りましたが、その脅威は未だこの涼州を追い詰めている状況にあるのです。  お願い……と言うのは他でもありません。我々を、北郷様のご旗下に加えて頂きたいと言う事。 ……我ら涼州は、北郷様へと帰属致したいと思っております」  そこまで言うと、馬騰等一同は静かに頭を垂れる。  それに対して一刀は……何と言えばいいのかわからず、固まっていた。 正直言って、この様な展開になるとは思っても居なかったからである。  そんな彼へ馬騰は静かに微笑みかけ、言葉を続ける。 「失礼ですが、もし……救援にかこつけて、涼州を支配するような形になってしまったとお思いでしたら、それは違います。  貴方様は、私達と特に深い付き合いがあったわけでは無いのにも関わらず、私達の要請にお応えくださり、 多くの犠牲を払いながらも、我らを助けて下さいました。  その義徳の篤さに……我々は貴方様ならば、主に仰ぐに相応しいと思ったからこそ申し上げているのです」  そこまで言って馬騰は一度言葉を区切り、その視線を月と詠に向ける。 「それに何より……貴方様の下にはかの董仲頴がいらっしゃいますので、涼州や雍州の民も、不満は無いでしょう」  そこまで言われて、一刀は腹を括った。何より彼女等が決して引かないであろう事は雰囲気で解る。  念のため風達の顔を見回すと、皆確りと頷いてくれていた。 「……わかりました。その話、受けましょう。至らない所も多々あるでしょうが、精一杯やらせていただきます」  一刀のその言葉を聴いて、馬騰らは一様にほっとした表情を浮かべた。  先に挙げたように、この度の曹操の侵攻により、涼州を支配していた豪族も馬騰と韓遂を残すのみになってしまった。  彼女等にしてみれば、自力で立て直すのが難しい……出来たとしても、膨大な時間が掛かるであろう事は容易に推察でき、 一刀に断られた場合、再び曹操の侵攻されて支配されるか、下手をすれば異民族である五胡の手に落ちる恐れすらあったのだ。 「私達も協力させていただきますので……よろしくお願いします」  そう言ってもう一度静かに深く礼をする馬騰へ、一刀は頷き返しつつ、 「ただ……馬騰さんは、ゆっくり休んで、お身体を治してくださいね」  苦笑まじりに言うのであった。 ──北郷領・漢中──  それから約十日。大まかな事後処理を済ませとりあえず漢中へと帰還した一刀の元へ、親善の使者として三人の人物が訪れていた。  一人は薄青の髪を左右で結んだ、小柄な少女。  残る二人は、薄紅色のチャイナドレスの様な服の、豊満な肢体の女性と、その彼女に良くにた面影の、小さな女の子。  そう、鳳統と黄忠、そしてその娘の璃々である。  既に謁見の間にて正式な挨拶は済ませ、今は城内の一室へと場を移している。  別に何か内密な話があるわけではなく、単に謁見の間では一刀の傍に行けなく、璃々が不満そうな顔をしていたからである。 そこに居るのは、前述の三人と、一刀と風、そして星。 「この度は有難う御座いました……」  部屋に入って席に着いた直後、鳳統がそう言って頭を下げる。  それが恐らく落鳳破の事であろうと判断した一刀は、 「俺は別に何もしていないよ。ただちょっと気になった事を書簡にしたためただけだしな」  そう言う一刀へ、鳳統はそっと手に持っていた帽子を差し出した。 「……?……これは……」  解らずもそれを受け取った一刀は、その帽子に大きな穴が開いているのを見つける。 「それは、矢が貫通した穴ですわ」  黄忠は言う。鳳統があと一瞬伏せるのが遅ければ、その穴が開いていたのは彼女の頭であったろうと。 「……私が助かったのは紛れもなく、御遣い様の書簡を見て、伏兵と矢に注意していたからに他ありません……」 「そっか……アレが役に立ったか……」 「はい。ですから……その、何もしていないなどと言わないで下さい。  その……少なくとも、私にとって御遣い様は命の恩人であることに間違いないのですから……」  そう上目遣いに言う鳳統へ一刀は「ああ」と頷き、もう一度帽子に目を移してから、 「でも、本当に無事で良かったよ」  と、心からの安堵の笑みを浮かべた。  そんな二人の様子を見ていた黄忠が、声を掛ける。 「北郷様、一つお聞きしてよろしいですか?」 「?……ええ、なんでしょうか」 「北郷様は、今回何故彼女へ忠告をしたのでしょうか?聞く所に寄れば、雛里ちゃんとは一度顔を会わせた事があるだけだとか。  ……言ってしまえば、彼女を助ける義理など無いはず。もっと言えば、落鳳破で彼女が死んだ場合、 ば桃香様の益州遠征が失敗に終わり、後々北郷様が益州を手中に収める事が出来たかもしれません。  なのに何故……態々雛里ちゃんを助けるような書簡をお送りになられたのでしょうか?」  その問いに対して、一刀は一度う〜んと唸り、 「……別に、そんな所まで考えて無かったな。  確かに今黄忠さんが言った通り、鳳統さんとは一度会っただけだけど……言い換えれば、一度は会った事の有る顔見知りなんだよね。  その知り合いが危険な目に遭うかもしれない事が解っていて……それが自分の利にならないかもしれないからって、 放っておく事は俺には出来なかった。……それだけだよ」  そんな一刀の言葉と表情に何かを感じたか、黄忠は「解りました。不躾な事を訊いて申し訳ありません」と頭を下げた。 「別に良いですよ。普通に考えれば、何か裏があるのかと思っても仕方の無い事でしょうし。  ……そうですね、強いて言うなら……劉備さん達とは、今後も良い関係を続けて行ければ良いと思ってるってとこでしょうか」  そう笑いながら言う一刀へ、鳳統は軍師として、確りと頷いて返した。 「……それはこちらも望む所です。この度はそのための親善の使でもありますから。  そ、それでですね……その、御遣い様には、わ、私の真名を預けたいと思いまして……その、私の真名は雛里でしゅ!  ………………あわわ、噛んじゃいました……」  そんな鳳統──雛里の様子を微笑ましく思いながら、一刀は自分には真名が無いので、一刀と呼んで欲しい事を告げると、 「では……私の事は紫苑とお呼び下さい」 「はい……って、黄忠さん?」  突然何故?と問いかける一刀へ、黄忠──紫苑はふふっと笑みを浮かべ、 「少々思うところが有りまして……強いていうなら、実は璃々が将来北郷様のお嫁さんになりたいと申しいるので……  将来の旦那様になら、真名を預けてもよろしいかと……」 「あわわ……」 「ほぅ……」 「おやおや……」  そんな紫苑の言葉に、雛里と星と風の視線が一刀へ……正確に言えば、一刀と、彼の膝の上で幸せそうにしていた璃々へ向けられ、 「やれやれ……このような小さな娘にまで、主の毒牙は伸びておりましたか」 「おいおい……」  当然の如く入る星の言葉に、心底疲れたような声で返す一刀であった。                       ◇◆◇  こうして、曹操の西進に端を発する涼州及び雍州の動乱は、彼の地方の北郷軍への帰順と言う形で一応の幕を降ろした。  この間、劉備軍は益州を併呑する事に成功しており、これにより大陸の情勢は、四つの大勢力による分断支配となった。、  そして──時代は新たな局面を迎える事となる。 おまけ 「…………………………」 「え〜っと……」 「…………………………………………」  座り込む凪に、何と声を掛けたものかと沙和がオロオロしていると、その様子を真桜が呆れたように見ていた。 「なにしとんねん……」 「ふえぇ〜……真桜ちゃん、凪ちゃんが怖いのー……」  その沙和の言葉に、ああなるほどと納得する。  確かに今の雰囲気の凪には声を掛けるに掛けられない。 「あ〜…………まぁ、しゃーないやろ……折角再会できたのに、美味しい所全部人和にもってかれたからなぁ……」  そうしみじみと語りながら、これは当分機嫌直らんやろなぁ……と思う真桜であった。