―― 頑張ろう  ―― 誰の為に? 05「答え合わせ」  上空から高速で突っ込んでくるのは、巨大な人の姿をした人影だ。  最初に覚えた感想は、 「変態さんですか!?」  肌が浅黒く、長身で、筋骨隆々の姿をしている。  それは良い、そこまでは良いが、それ以外が問題だ。  禿頭に長く伸びた揉み上げを三つ編みにし、更には女物の下着まで身に着けているのは 何を主張しているのか朱里には分からない。服装は個人の好みだ、と個人的に思っている。 だが男なら男、女なら女らしい服装をしているべきだと思うし、この変態の服装は一体、 どちらに分類すべきなのか瞬間的に大いに悩み、しかし結論を出した。  これは正に、漢女の服装だ、と。  理性が否定をしてきているが、漢女なら仕方ない、そう納得する。  轟音。  路面が割れ、土煙が舞い、衝撃に周囲の兵が吹き飛ばされるが、漢女なら仕方ない。 しかし朱里は別のものを見て驚愕した。  その人影が身に付けているそれは見覚えのあるもので、 「華蝶の、仮面」  揚羽蝶に似たそれを被っていたのだ。  どういうことだ、と星の居る方角を見ると、彼女は既に疾走していた。  『龍牙』を腰溜めに構えた基本のスタイルだが速度は既に全力以上で、 「朱里、どけ」  短く言われて朱里は慌てて横に跳び、直後に脇を白い影が通過していく。  考えるのは謎の人影の現れた理由だ。  普通に考えるのならば、『亡霊』が捕まりそうになったのを庇いに出てきたというものだ。 だが腑に落ちない点がある。 それは相手が華蝶の仮面を被っていたというところだ。目線こそ若干隠れてはいるが、 一度でも華蝶仮面の姿を見ているならば、余程アレな感じの者以外その正体が自分達だと いうことは誰が見ても丸分かりだ。作りが同じだという点を考えれば間違いなく自分達を 視認したことが有る筈だが、そんな姿で自分達の前に出てくるという意味が分からない。 正体を誤魔化すだけならば、それこそ方法は幾らでもある。『亡霊』のように長衣や外套で 体を隠したり、仮面を被るにしても別の意匠があるだろう。  それなのにわざわざ今の姿で出てくるということは、 「見せつけている?」  視線を交戦中の星と変態の方に向ければ、視線が合った。  変態的な人影は良い笑みを浮かべ、何故か筋肉を誇示するような姿勢をキめ、背筋に汗 が浮かんできた。関わってはいけないと本能が全力で警報を鳴らしているが、変態は星を 軽くあしらいながら様々な意匠の型をキめている。気持ち悪い、と汗の量が増え、朱里は 先程出来た友達を見た。  明命は星の援護に回っており、小蓮は、 「行って周々!! え? 駄目、無理? 駄目なの!?」  役に立たない。  ある意味正解だと思うので、責める気にはならない。  轟音。  星と明命が纏めて吹き飛ばされ、変態の姿が消えたと思った直後、 「ちょっと失礼するわよん」  背後から野太い声が掛けられた。  背から吹き出る脂汗の量が一気に増し、自分を覆う程の巨大な影の中、朱里は振り向き、 「…………ッ!!」  息を飲んだ。  目の前にはくっきりと割れた腹筋があり、下の方に僅かに見える桃色の物は考えたくも 無いが、きっと恐らくそれなのだろう。更に下に視線を向ければ恐らく八百一本で頻繁に 見ているものの実物が布を被って存在しているのだろうが、駄目だ、考えたくも無い。  本気で現実から意識を乖離させたくなったが、朱里は無理矢理意識を奮い立たせ、 「何者ですか?」  震える声で、しかしはっきりと問うた。  数瞬。  視線を上げ、目を合わせると、返事が来た。 「通りすがりの踊り子よん♪」  全員が黙り込み、互いに視線と頷きで意見を合わせ、 「嘘だーーーーー!!」  その場の全員が絶叫した。 ? ? ?  王とは、と俺は息を吐き、意見を纏めた。  二人を見て、拳を握る。  無言。  やや緊張を覚えながら、唇を開き、 「王とは」 「ちょっと待ちなさい」  言い損ねた。  声を掛けてきた桂花を見るが、彼女は唇をへの字に曲げ、腕を組んでこちらを睨み、 「二人とも、聞くのは構わないけど、それは今必要な事かしら?」  その言葉に季衣と流琉は首を傾げ、俺を見た。  二人の気持ちは俺も何と無く分かる。確かに今必要でもないかもしれないが、だからと いって止める必要も無いからだ。むしろ何故止めるのか、という表情を浮かべているが、 桂花は吐息しタオルで無意味に額を擦った。汗は浮かんでいないが、このパフォーマンス はどのような意味があるのか、それを考えていると、桂花はおもむろに立ち上がり、吐息。 「北郷、今晩の会議で何か面倒なことを言うつもりなんでしょ?」  確かに面倒と言えば面倒な話だが、 「しかも御遣い絡みってことは、王としての意見も出る筈。違うかしら?」  違わない、むしろ本題に絡んでくるものだ。  そこまで考えて、己の迂闊さを呪った。  確かに今現在でもある程度は意見を纏めているが、夜の会議で今二人に言ったこととの 矛盾やずれが生じれば、結果的に歪みを生むことになる。そうなれば今後のことにも確実 に影響が出てくるし、下手をしたら何も出来なくなる。  それは避けなければいけないことで、桂花はいち早く気付いたのだろう。 「そうだな、二人とも、もう少し待ってほしい」  俺は下手に取り繕うよりも正直に話すことを選んだ。 「今無様な話をするよりも、もっと意見を纏めた後でしっかりと話したい。今晩には絶対 に話すから、それまで我慢しててくれ。頭が悪いなりに頑張るからさ、頼む」  最後の自虐が少し保身臭いとは自分でも思ったが、数秒経ち、二人は頷いた。  誤魔化したのではなく、きちんと考える時間を貰ったと思い、俺は三人に感謝した。 ? ? ? 「御主ら、余裕あるのう」  『亡霊』の言葉に、朱里は息を飲んだ。  確かに考えてみれば、『亡霊』との戦闘疲れが残っているとはいえ、この変態は明命と星 の二人を相手に軽くあしらってみせて、更には手を伸ばせば自分をいつでも攻撃が出来る 位置に立っている。強さは恐らく呂布と同格で、それに対抗出来るような者はこの場には 存在しないのだ。  不味い、と思った直後、こちらに向かって手が伸びてきた。  反射的に目を閉じ、来るべく衝撃に対して身を固くするが、 「え?」  何も来ない。  目を開くと、変態が『亡霊』を肩に担いでいた。 「もう、無茶のし過ぎよ」 「すまんの。だが、物語の鍵となる一人じゃ。今のままでは足りぬ、と判断した。だから 少し鍛えてやっただけのことよ、後悔はしとらん」  何か意味の分からないことを言っているが、不意に亡霊がこちらを見た。  目が合う。  そしてようやく顔が見えたが、大部分が包帯に覆われているので視認が出来ない。  ただ奇麗な薄紫の瞳だ、と思い、見惚れそうになり、 「再見」  笑った、と思った直後、変態と『亡霊』の姿が消えていた。 ? ? ? 「と、以上が諸葛亮殿、趙雲殿、周泰殿、孫尚香殿、他多数の兵からの報告になります。 念の為、各人には護衛の兵をそれぞれ50名ずつ派遣しておきましたが、定期報告によると 例の騒動以降、賊は出現していないとのことです」  『亡霊』とやらの正体は何となく予想が付いている程度だが、もう一人の変態の正体は 完全に分かった。と言うか、あいつは何をしているんだ、と頭が痛くなる。  夜の会議の席、俺が本当の目的を説明する前に重大案件として稟から臨時報告が行われ たのが今のものだが、どうしたものか、と心が沈む。現場にここの面子が居なかったのが せめてもの救いというものだが、こんな特徴を持つ者がそう何人も居るとは思えないので 出てきた瞬間に酷い状況になるだろう。  バッシングを受けるか、混乱するか。  華琳位タフな精神構造なら大丈夫なのだろうが、桂花に至っては朝のアレでトラウマを 抱えているかもしれないだけに油断が出来ない。  稟の説明を聞き、華琳は頷くと、 「そちらも大きな問題ね。あの趙子龍が太刀打ち出来なかったという変態の方は特に注意 すべきだとは思うけれど、情報が足りない今では結論を出そうとするだけ無駄と言うもの。 このまま要警戒、となるのが通常の流れになるのだけれど」  だけれど、という言葉に全員が眉根を寄せた。  特に風の言っていた者、『亡霊』と名付けられた者は、俺の話にも関わってくる。  もう少ししたら来る筈だ、と思い、俺は説明を開始した。 「ここからは俺が話す。一応、華琳と風には事前に説明してあることだけど、色々あって 全員に話しても良いと結論してのものだから、なし崩しだとは思わないで欲しい」  そして、 「今から話すのは、冗談抜きだ。俺が王になる理由も含んでのことだから、出来る限りは 真面目に聞いて貰いたい。それに昨日の夜、桂花が話してくれたことや、季衣と流琉が俺 に問うたことへの回答もあるから、二人とも安心してくれ」 「何で二人なのよ」  桂花が睨んできたが、俺は無視をした。 「まず、俺が戻ってきた理由の説明からだが、簡単に言うと世界が滅ぶのを阻止しに来た」  三度目の説明ともなれば慣れが発生するのか、意外と簡単に言葉が出た。  説明においては、まず芯を最初に伝えるのが先だ。そこから段々と説明という肉を加え、 完成させていけば良い。そして全員に伝わったか確認しようと視線を回すと、何故か全員 が微妙な表情をしていた。  数秒。  凪がおずおずと手を上げ、 「場を和ませようと冗談を言うのは結構なのですが、ここは真面目に」 「今までの中で一番酷いよ!?」  流石に凪に言われるとは思わなかったので、少し落ち込むが、 「これは真面目な話だ。それに俺は今から、和めなくなるくらい酷いことを言わなければ ならない。覚悟して聞いてくれ」  一泊。 「今の俺達が居る世界は『音楽』のようなものだと『亡霊』が言ったらしいが、その意味 が示しているのは何か分かるか」 「皆で一つの世界を作っている、ということやろ」  霞が、何を今更、という表情で言ってくるが、意味合いが若干違う。  他に発言者は居ないかと視線を回し、ある箇所で止まった。  桂花がこちらを睨み、 「この世界が、『作られたもの』だとでも言いたい訳?」  完全に理解しているらしい。  華琳に視線で説明を促されると、一歩前に進み出て、舌打ちを一つ。 「今までの情報を聞いてたら、嫌でも分かるわよ。例えば私達の歴史を見ても、天の国の 歴史と多少の差異が存在しても、赤壁のあたりまでなら大まかな流れは同じなのよね?  名前、立ち位置、能力、それが一致していて、更に私達が『亡霊』曰く『歌姫』ならば、 結論は一つしか生まれない」  は、と桂花は吐息し、 「私達は時間軸で言う所の千二百年後、北郷が存在した天の国から見ると外側の位置に、 後発的に作られたものであるということよ。そうでしょう、北郷」  かなりシビアなことをバッサリ言われたが、その通りだ。  軍師以外の皆はいまいち理解出来ていないようだが、桂花が嘆息し、 「つまり過去を題材にした小説の登場人物のようなものよ」  仮定が全て事実であるならば、と付け加えて桂花は言葉を締めたが、それでも全員の顔 は疑問の色を浮かべたままだ。当然だろうな、と思う。全員には今まで生きてきた記憶が 存在する訳だし、用意されたもの、だなんて自覚が有る筈も無い。華琳や風には記憶さえ 用意されたものだと厳しい言い方をしてしまったが、流石にこの場で言うのは躊躇われた。 この二人ならば受け入れてくれるかもしれない、という甘えがあったのは事実だし、流石 に全員に言うのは止めておこう、と思うのが卑怯だということも分かっている。  華琳と風に視線を送ると、無言で首を横に振られた。  だがいつかケジメはつけなければならない、いつか必ず言うことになる、と覚悟をして 咳払いで場の空気を戻すと、 「桂花の言葉を借りて、『小説』として説明をしていくけれど、まず世界は俺を起点に物語 が始まったと思ってくれ。俺が起点になったからには俺が主人公になっている訳なんだが、 その物語の部分。そこで問題が発生した」  ふむ、と稟がこちらを見て、 「その物語と言うのは流星が降ってきた時点。私と風、そして星が一刀殿に出会ったのが 開始と考えると、最終決戦が終わった辺りまで、という考えで良いのですか?」  本当はエピローグ的に華琳との別れの部分まで含むらしいが、概ね間違いは無いだろう。  頷くと、稟は微妙そうな表情になり、 「憶測で言うならば、主役がヘタレだったせいで華琳様に主役の座を奪われ、打ち切りを 食らった、という感じでしょうか?」  他人に言われると辛いものがあるが、その通りだ。 「補足すると、そのせいで小説自体まで人気の憂き目に会い、刊行がままならなくなった、 という感じですねー。つまり世界の崩壊はお兄さんが駄目だったせい、と言う訳でー」 「当然よ、北郷如きが華琳様を差し置いて主役なんて出来る筈が無いわよ」 「あれ、でも、だったらウチら巻き込まれ損?」 「たいちょーがタマ無しなせいでせっかくやってきた平和が水泡に帰すとか、本当に勘弁 して欲しいのー」 「閨の中でしか性能高くない主人公とか、最悪ですね」 「いえ、寧ろ隊長の場合、分類が失敗しただけなのでは。その手なら需要は高いです」  最後の凪のフォローが非常に痛い、何て無自覚砲台だ。  未だに混乱している春蘭と季衣、何も言わずにおいてくれている秋蘭と流琉が愛しい。  俺は手を打ち鳴らし、全員の視線をこちらに向けさせ、 「だけど、俺も大好きな皆が消えてしまうのを避けたいと思い、名誉挽回の機会を貰った。 それが俺の帰還であり、今回俺が行おうとしている『再演』だ。簡単に言えば、俺が本来 行う筈だった三国の平定、これを行う訳だ」  再び全員の顔に疑問が浮かび、それを代表するように稟が問うてきた。  稟は俺の顔を見ると、眼鏡の縁を指先で押し上げ、 「本来行う筈だった、ということは、既に行われているということですよ? それを行う ならば以前と同様の問題が起きなければ意味を成さないと思うのですが、それは如何様に するつもりでしょうか? 既に黄巾の者も居なければ、その後に続く大きな敵も居ない。 三国は成り立っていますが、既に同盟を結んでいる状況では三国の平定など不可能かと」  稟の説明に桂花も頷くが、それは俺も既に考えた問題だ。  過去と同じような流れを求めても、言い方は悪いが『敵役になる』蜀や呉が存在しない 以上は不可能だと言わざるを得ない。だからと言って無理矢理に喧嘩を吹っ掛けても意味 が無いことは分かっている。むしろ平和が消え、再び大陸が戦火に飲み込まれれば不利益 の方が遙かに多いことなども分かりきっている。そもそも華琳も望まないだろうし、俺も そんなことは全く望んでいない。  ならばどうするか、俺は必死に考えた。  この世界から外れていた一年の間、発展の為の情報収集以外の殆どの時間を費やして、 何度も思考を重ね、そして出た結論は、 「ならば、向こうから喧嘩を吹っ掛けさせてしまえば良い」  それが、俺が見つけた『再演』だ。  華琳の通ってきた覇道は何か、それを考え、 「華琳は、覇道をどう考えていた?」 「それは」  一瞬黙り込み、凛は目を伏せた。  沈黙が続き、五秒、十秒と時間が経過する。  近過ぎて見えていなかった、と言うよりは、分かり過ぎているので見落としてしまって いたのだろう。当然のことには、人は意外と気付きにくい。  誰もが黙る中、空気が冷えて行くのが分かる。  言い出しにくい、という雰囲気もあるだろう。何しろこの国の王の心を言葉にしろ、と いう無茶振りだ。自分の敬愛する王の志を間違って認識していたら、という恐れは有るし、 そうなった自分を情けなく思うのは間違いない。俺も最初、華琳に確認をしたときは緊張 したし、俺と同様にあの時代を駆け抜けた皆なら俺と同じ筈だ。  そのような空気の中、季衣はおずおずと手を上げ、 「華琳様、一つ、確認しても良いですか?」 「その心意気や良し、好きに質問なさい」  華琳は笑みを浮かべ、大きく頷いた。 「馬鹿みたいな質問で申し訳ないんですけど、この前の貧困がどうとか、って話は、その」 「当然、私の願いよ」  良かった、と笑みを浮かべ、 「なら、きっと」  季衣は笑みを浮かべ、 「大陸の皆が幸せになって欲しいと、それを貫く意志ですよね?」  無垢で純粋な性格というのは、汚れを持たずに物事を見るということだ。  その答えに華琳は満足そうに頷き、 「合格よ」  えへへ、と季衣は笑みを浮かべた。 「そう、もっと単純に言うなら、己の志を認めさせることで」  それはつまり、 「三国の民に、俺の意志を認めさせる、俺自身を認めさせるということだ」  俺は立ち上がり、桂花、季衣、流琉の三人を見つめ、続いて全員を見て、 「俺の言う『再演』というのは、そういうことだ。魏の王として始まり、他の二国にも俺 が王だと認めさせ、そして改めて俺の名のもとに三国を平定する。孫策さんや劉備さんが 華琳を王と認めたのは、華琳が王でも良いと理解し、納得したからだ」  ならば、 「俺は俺を『王』と認めて貰い、本物の『王』になる」  吐息し、熱を持っているな、と自覚しながら、 「季衣、流琉、二人が昼に俺に問うた言葉がある。『王』とは何か、と」  理性が、思考が、心が、本能が、答えを叫べと訴えかけてくる。 「『王』とは、『王』で有り続けようとする者のことだ」  心が、言葉が急かされる。 「そして桂花」  彼女を指差し、 「世界には『愛する者』と『愛される者』の二種類が居ると言ったが、俺はそれに敢えて 否と言わせて貰おう。それは間違っている、と」  あのとき感じた違和感は、既に消えている。  頭の中が異常にクリアになり、言うべき答えを導き出している。 「俺は三種類目だ」  言え。 「北郷・一刀は『人を愛する者』でもなく『人に愛される者』でもなく」  言ってしまえ。  俺にしか言えない言葉だ、遠慮など必要ない。 「『世界と共に有りたい者』だ!!」  無言。  静寂とも言える空気が広まり、俺の言葉の熱の残滓が僅かに残っているような状況だが、 悪い空気ではない。俺も後悔はしていないし、言いたいことは全て言ったつもりだ。 「一刀、少しハネ過ぎよ」  華琳が苦笑して言うが、 「まぁ、そういうこと。表の目的は以前に説明した通り、裏の目的は今言った通り」  華琳は全員を見渡し、 「何かここまでで異論のある者は居るかしら?」  反論は来ない。  その事に俺は安堵し、そして二人を見た。 「季衣、流琉、今の言葉で納得して貰えたなら嬉しいけど」  どうだろう、と視線で問うと、二人は頷き、 「その、ありがと、兄ちゃん」 「ありがとうございます、兄様」  これで一段落した、と俺は吐息し、 「そろそろ出てきても良いんじゃないか」  言うと、そうね、と野太い声での返答が来た。  声の方向に視線を向かわせると、一人の漢女が立っていた。  褐色の長身に鍛え込まれた筋肉を纏い、禿頭に三つ編み揉み上げ、ピンクの紐パン一枚 という外見も今は見慣れたものだ。最初こそ俺も戸惑ったが、慣れとは恐ろしいもので、 今では殆んど気にならなくなっている。彼女の明るく気さくで、しかし人格者でもあると いう性格も手伝ってか、今は一つの信頼のようなものを持っている。  貂蝉はこちらにウインクを一つ投げ、 「ご主人様、格好良かったわよん。思わず心の下半身に血液が集まっちゃったわぁ」 「物理的にも集まってるだろ!!」  これが無ければ、更に良い。 「皆にも紹介しようと思っていたんだけど、どうにも機が掴めなくて遅くなった。彼女は」  改めて皆の方に振り向くと、ひ、という短い声が聞こえ、 「桂花様、しっかり、お気を確かに!!」  一人脱落していた。  他の皆を見てみれば酷い状況で、春蘭と秋蘭は季衣と流琉の目を覆って隠しているし、 沙和と真桜は怯えた表情で凪の背後に隠れている。その凪も既に拳に闘気を溜めていて、 凪と同様に霞も同様に露骨に険しい表情で構えを取っているし、風は現実逃避の為なのか、 それとも先程までは展開上出来なかった普段の芸風を貫くつもりか既に眠っていた。稟は 「華琳様が化け物に、ぬぅ、新分類」と鼻血を出して倒れており、華琳も怯えた表情で、 「一刀、な、何よ、この非現実的な生物は!?」 「ンまぁ、覇王も恐れる美貌だなんて。美しさは罪ね!!」  奇妙なポーズをキメキメで、ウインクを一つ。  華琳が脱落し、 「秋蘭、残った左目も潰してくれ!! お前が私の目になってくれ!!」 「無理だ姉者、私も正視は出来ないし、今この手を離せば流琉が死ぬ」 「一刀、こいつを倒したら今度こそ一緒に羅馬に行こうな」 「し、霞様!! それは確実に死亡展開になります!!」  予想以上にカオスだ。  つい十秒前までは俺の演説の後の良い空気になっていた筈だが、何だろう、この空気は。  どうしようかと判断に迷っていると、不意に風が目を覚まし、 「しょーもない」 「それは言ったら駄目だ!!」  取り敢えず俺は突っ込んだ。 ? ? ?  全員が落ち着いたのを確認すると、俺は咳払いを一つ、 「紹介するよ。今回、俺がこっちに戻る為の手伝いをしてくれたり、この世界『外史』の 説明などを俺にしてくれた奴だ」 「貂蝉よ、よ・ろ・し・くねん☆」  語尾に付いた不愉快なものに殺意が湧いたが、俺は説明を続ける。 「ついでに言うと、昼間のも」  視線を向けると貂蝉は頷き、 「それも、ア・タ・シ」  だろうな、と思っていたが、周囲の空気が一気に冷え込んだものに変わった。  基本的に会議場に武器の持ち込みは禁止されているので全員が徒手空拳という状態だが、 そのような状態でも武官は達人クラスばかりだ。凡人ならば例え百人単位で襲い掛かって きても蹴散らすのだろうが、貂蝉が負けるビジョンが思い浮かばない。  皆が弱いのではなく、彼女が強過ぎることを俺は知っている。  この中で一番素手での格闘戦に向いている凪は俺を庇うように移動し、 「隊長、お下がりください」  害はない、と説明しようとした直後、声が響いた。  それは若干しわがれた女性の声で、 「止めんか!!」  かつかつと、床を打つ硬質な足音が響いた。 「喧嘩っ早いのは魏の芸風かのう」  そちらに視線を向ければ、空間に人影が追加されていた。  全身を覆い隠すように長衣を身に纏った者で、つい先程稟の説明で話題にもなった、 「『亡霊』さんですか、御久し振りですね」  風の声に、はは、と笑い声が響く。 「御久し振りじゃな、若い軍師殿」 「むぅ、風はこれでも立派な成人女性ですが」  緊張が高まり、空気は冷たいと言うよりも、肌に刺さるような痛いものに変わった。  動く。  最初に動いたのは春蘭だ。  春蘭は身を低く沈め、這うように駆け、 「っは!!」  床に手を着いての水面蹴りだ。  同時に秋蘭が会議の経過をしたためていた筆を投擲、そして連続する動きで疾走を開始。  合わせるように霞も動き、『亡霊』に接近。  そこまでが、俺に視認出来た動きだった。 ? ? ?  これは、と視線を細め、秋蘭は身を跳ね上げた。姉が相手の姿勢を崩して、自分が上空 からの打ち下ろしをすれば、普段ならばそれだけで終わる。人は普通立ち技を行う際には、 上半身での行動なら下半身で重心と安定を、下半身での行動ならば上半身でのバランスを 取りながらでないと容易く姿勢を崩し、大きな隙が生まれるからだ。だから上下二階層の 攻撃を仕掛ければ片方には対応出来ずに、片方の直撃を食らうことになり、結果敗北する。 基本とも言える戦術だが、基本とは昔からの研究の成果とも言えるものだ。  だが視界の中では、既に貂蝉が行動を開始していた。  姉が疾走の慣性を利用した水面蹴りを放っているが、相手はそれを僅かな動作で回避。  跳んで避けるのではなく、両膝を上げる動きでの回避だ。跳んで避けるのなら上昇の為 の溜めが僅かながら必要になり、その硬直の瞬間には無防備になってしまう。普段の戦闘 ならば相手は速度に付いていけずに直撃を食らい、倒れるのだろうが、相手の回避は常識 を無視した回避だ。だが溜めを無視した脚部のみの移動は、同時に重心を移動させること にも繋がってくる。  ふざけた姿勢の中ですらも相手に今まで隙が見えなかった以上、突くのはそこしか無い とは思うが、相手は更に行動を連続させてきた。  高速での脚の打ち降ろしだ。  両足での振脚にも似た動きで床を打ち、乾いた音が響く。  それだけでは終わらず、相手は右脚を差し出すように前へと伸ばし、不味い、と思った 直後、姉が足で投げられた。  インパクトの瞬間の音質からするに打撃ではなく投げられたと理解したが、 「敵意が無い?」  山なりの軌道も着地を容易にする為かもしれないが、しかし油断は出来ない。  視界の中では既に相手に筆が迫っていて、それをどのように対処するかでその後の行動 が決定する。狙いは頭部ではなく胴体、投擲は自分の専門ではないし、大したダメージも 期待出来るものではないが、一瞬でも気を反らすことが出来ればそれで良い。  どうなるか、と浴びせ蹴りの為に身に力を込めていると、相手は両腕を大きく左右へと 突き出して、身を大きく回し始めた。  剛腕でのスウィングで筆は軽い音を立てて弾かれるのを見ながら、自分の身が相手の中 に吸い込まれるように飛び込んでいくと錯覚する。  捉えられた、と思った直後、視界が大きく回り、 「っ!!」  ぶん投げられた。  浮遊感と高速で変化する視界の中、霞も同様に『亡霊』に投げられているのが見えた。 ? ? ?  それぞれの個所で破裂するような快音が数度連続で響き、俺は慌てて叫ぶ。 「止めろ、敵じゃない!!」 「いえ、既に終わっています」  何が、と思った瞬間、三人が吹き飛んでいた。  見事な山なり軌道で宙を舞い、着地の足音が三人分響く。  どういうことだ、と凪に視線で問うと、 「三人が投げられました」  返ってきた答えはシンプルなものだった。 「やるやないか、まぁ、ウチは半分の力も出して無かったけどな」 「儂は四割じゃ」 「あ、武器も馬も無いから二割か」 「儂は弓が本分じゃからのう、それを考慮すると一割じゃの」  子供みたいな口論が繰り広げられているが、俺は黙って視線を反らし、貂蝉を見た。 「馬鹿なことしてないで説明してくれよ、何で『亡霊』が」  否、 「黄蓋さんが、この場所に居るのかを」  最後に名前を出したのは半分賭けのようなものだが、俺なりに何個か根拠は有る。  一つは、死んで舞い戻って来たという言葉。  一つは、弓を使う年期を経た兵であるという趙雲さんの言葉。  最後の一つは確実なものとは言えないが、外の言葉を使っているという点だ。  これは俺の憶測でしかないが、こちらの人が死んだ後、どこに行くのかということだ。 俺は死んだとは言えないが、一度はこちらの世界から消えた身だ。この世界において俺が 重要な人物だったと言うのならば、それは彼女も同様だと考える。俺がこの世界から弾き 出される最終的なサインは赤壁の時点で出ていたが、赤壁の最も重要な鍵となったのは、 恐らく黄蓋さんだ。彼女が居なかったら連環の計は成立しなかったし、彼女が消えたから こそ呉の人達は負けたくないと思い、最後に魏は蜀と呉の同盟を相手にすることになった のだろうと俺は思う。  そしてキーパーソンが消えれば、それは只の死体とならずに、 「こちら側に来ていたんじゃないのか?」 「概ね正解じゃが、少し違う」  顔が隠れているのではっきりとは分からないが、『亡霊』は恐らくこちらを見て、 「『正史』ではなく、貂蝉の側じゃ。そちらで色々学ばせて貰った、色々な」 「待ちなさい」  華琳は立ち上がり、 「そちらで勝手に話を進めていないで、私達にも説明しなさい。特に『亡霊』、貴女は一度 死んだと言うのなら、何故ここに居るの?」  あぁ、死んだ、と言って『亡霊』は長衣を剥ぎ、姿を見せたが、それに場の全員が息を 飲んだ。痛々しい、という表現も生温いと感じる程だ。  両腕の肘から先と両脚の膝から下には包帯が巻かれ、そこの根元から僅かに見える肌は 褐色よりも更に濃い色に変色していた。顔面も左半分が包帯で覆われているし、恐らくは チャイナドレスのような服で隠されている部分の随所にも、同じような火傷の跡が残って いるのだろう。人間は皮膚の三分の一が焼けると死ぬと聞いたことがあるが、それを考慮 すると生きていること自体が不思議だと思える。この世界は何でもアリとか、武将は根性 や基礎スペックが違うとか、そのような問題ではない。  それに、痛々しいとは別に、湧き上がってくるものがあった。  美しい、と素直に思う。  長い白銀の髪も、薄紫の瞳も、包帯で一部は隠されているが、自分という存在を頑なに 主張する表情も、どれもが生命力に満ち溢れているように思えた。  一度死んだなどと、とても思えない。 「黄が」 「儂は実際こうしておるが、だが死んだ。だからこそ名を持ってはならぬ。故に」  『亡霊』と呼んでくれ、と彼女は言いきった。  だが疑問が残る。 結局彼女は、華琳の問いには答えていない。  彼女は笑みを浮かべ、 「ここに居る理由は、そこの小僧を助ける為じゃ」 「ご主人様は起点だから例外とするけど、基本的に異分子が関与してはいけないのよん。 それでも全てを理解しているならともかく、そこまでの知識は持ってないでしょう?」  あぁ、と華琳は納得したように頷き、 「だからこっちが原産の彼女に手助けして貰う、ってなるのね」 「順応が早いの」  『亡霊』の言葉に、華琳は呆れたように吐息した。  軽く首を振り、 「諦めたのよ。ここまでスッ飛んだ展開ばかりだと、突っ込みを入れる気にもならないわ」  それもそうかもしれないが、華琳らしくない。  華琳のことだから何か考えがあるのかもしれないが、それがどこまで及ぶのか凡人の俺 には想像もつかないので余計な詮索はしないことにした。下手な考え休むに似たり、とは 良く言ったものだと思う。  次に思考の向かう先は『亡霊』で、問題は一つだ。  彼女を信用しても良いのか、というもの。俺は貂蝉を信用しているし、その貂蝉が信用 しているのなら問題は無いだろうと理性は結論を出している。だが『亡霊』は一度、実際 に赤壁の際に華琳を騙しており、しかも今日の昼間には趙雲さんとの戦闘行為まで行って いるのだから、とも考えてしまう。  本当の目的が分からない以上は、安易に信用して良いのだろうか、と本能が告げる。  華琳だったら、それを含めて『天命』だと言い切り、そして問題そのものを飲み込み、 乗り越えてしまうのだろう。だが今は俺の物語で、問題を与えられているのも俺自身だ。 俺には華琳のような気量はないし、凡人が出来ることなどはたかが知れている。  後々になって酷い事になるなら、と臆病な自分が顔を出し、 「いや、駄目だな」  誰にも聞こえないように、俺は吐息した。  駄目なのは『亡霊』などではない、俺自身だ。  俺は先程、この場の全員にはっきりと言った。  王とは、王で居ようとする者だと。  北郷・一刀は世界と共に在り続けようと思う者だと。 「『亡霊』よ、一つ聞かせてほしい」  なんじゃ、と疑問の表情が向けられ、 「風に、俺と目的は同じだと言ったらしいが、嘘は無いな?」  視線が真っ直ぐに返される。  この緊張感は、過去に何度か味わったもの。  ある時は華琳を相手に、ある時は他の国の武将を相手に。  俺の姿ではなく、心を覗き込もうとするような、意志の塊のような視線だ。  丸裸にされたような気分になりながら、 「答えてくれ」  数秒。 「魏も蜀も知らんが、呉は儂の家族じゃ。それは今でも変わらん」  それを聞いて、俺は納得した。  華琳を謀ったのも、根っこの部分を言えば呉を守る為だった。  家族が殺されようとしているのに、黙って見ているような奴は居ない。  彼女は自分の命を掛けて、家族を守ろうとした。  それだけで信じる理由は充分だ。  理由は本当の意味で俺と同じだ。もう『外史』の世界から外れたのだから、これ以上は 本来無関係だ。世界が滅びようが、自分が死ぬ訳ではない。自分が新しく手に入れた日常 が何事も無く続くだけだというのに、その安全を放り出して再び死地に戻ってきた。  今度こそ自分が死ぬかもしれないのに、大切な人が消えていくのを黙って見ているのが 出来なかったのだろう。  甘いとか、お人好しとかではなく、純粋に大切な人を守りたいだけだ。 「頼む」  俺は短く言って、頭を下げた。 「一刀が良いと言うのなら、私も異論は挟まないわ。誰か他に異論は?」  華琳は周囲を見渡し、 「風?」  風は普段の無表情で立ち上がり、 「異論では無いのですが、一つ宜しいでしょうか?」  一拍。 「何故、星ちゃんを襲ったのでしょうか?」  場が、何度目かの緊張に包まれた。 「星ちゃんと接触した理由は何となく分かります。風と星ちゃん、それに稟ちゃんは最初 にお兄さんに接触した人間ですから。風と稟ちゃんは魏に在住しているのでいつでも接触 出来ますが、星ちゃんは今や蜀の重鎮ですからね。こちらに居る内に会っておきたかった というのは理解できますが、そこから更に襲う理由が分からないのです」  珍しい、と思った。 「下手をすれば国際問題にもなりますし、世界をどうこうと言うのなら、それこそ危険な 行為は避けるべきだと思うのですよ。最初の三人が不味い状況になったりすれば、『亡霊』 さんから見ても良くないのではないですか?」  風が、本気で怒っている。  『亡霊』は、ふむ、と頷き、 「友を殺されかけて怒るのは分かる、が」  何だろう、何か違和感のようなものがある。 「それは必要だったから、と言えば納得して貰えるか?」  ぴくり、と風の右眉が跳ね上がった。  傍目から見ても険悪な空気で、俺は稟を見たが、そちらも同様に険しい表情だ。  考えてみれば、分からなくも無い。もしかしたら稟は風以上に怒っているかもしれない。 昼間のことを報告したのが稟だということは、知らせを最初に聞いたのも稟だいうことだ。 その時から溜め込んでいたいたのならば、それは相当なものだろう。  俺は吐息し、風の方を向いた。 「風、事情を聴くまでは何も言うな」  ですが、と予想通りの反応が来たが、俺は意識して視線を鋭いものに変えた。 「程立」  声を抑え、 「名前を戻したのなら、俺の言うことには従ってもらう」  本当はこんなやり方は好きではないが、そうも言っていられないだろう。  普段の風ならば、おれもこんな対応などしたりなどするつもりはないが、昼間に見せた ものがある。あの風らしくない、不気味な視線は、どういった意味のものか。少なくとも 今まで見たことが無かったものである以上、どこかが変わっているのかもしれない。無論、 それが本当の風である可能性も無いとは考えられないが、気を抜くよりは良い。  俺は『亡霊』に向き直り、 「説明してくれ」 「そうじゃな」  腕を組み、思案の声が来て、 「始まりの三人だから、というのは程立殿の言った通りじゃがな。その前に幾つか確認を したいことがある。それは今後の予定じゃ」  華琳と二人で立てた予定は、要所だけで言ってしまえば簡単なものだ。  三国会談は年に四度なので、三ヶ月後のもので俺の即位を表明。  そこで当然反発は起こるだろう、と予測が立っているので、俺が中心となって立案した 制度や三ヶ月間の実際の政策の効果、また天の国の技術によって人の暮らしの向上などを お題目として理屈での納得を行って貰う。  その後は呉か蜀に向かい個人として認めて貰い、二回目、三回目のの会談で、その国に 即位を認めるように発表して貰う。最初は大使として向かう予定だったが、昼間には役萬 ☆姉妹の付き人として向かった方が目立ちにくく、また障害も少ないだろうという結論が 出たので変更になったが、大した問題ではない。  最後の一国も同様に行い、四回目の会談で歴史を概念的に書き換え、『再演』終了となる 筋書きだ。勿論予定通りに行くとは思っていないが、結果的に四回目で『再演』を終える ことが出来れば良いので、どちらかの国に半年を掛ければ良いとも言える。  片方の国を攻略するのに半年掛かったとしても、他の二国が認めれば残りの一国も受け 止めるのに思考の余地が出てくるだろう、という見通しだ。  あくまでも理想論だけれど、と言葉を締めると、『亡霊』は何度か頷き、 「それで問題は無いとは思うが、呉と蜀、どちらから攻める?」  どちらか、と言われたら、 「それは呉だと思っている」  何故じゃ、と問われ、 「それは」  と、そこまで言ったところで制止の声が掛かった。 「それは今、必要なことですか?」  若干苛ついた声色で風が遮り、 「そうですね、先に質問をしたのはこちらです」  稟が続くように声を挟んできた。  良かろう、と『亡霊』は視線を鋭いものに変え、 「鍛えたかった、というのも有るが、大きな理由は示威行為じゃな」  場が凍った。  全員が視線を交わし、 「あの年で未だに性欲を、相手が居ないのでしょうか」 「ババァなのにジイとか」 「お婆ちゃんになってもあんな風にはなりたくないのー」 「むしろ戦闘でしか興奮出来ない変態性が問題やろ」  春蘭と秋蘭は無言で季衣と流琉の目を塞ぎ、華琳は俯いて、 「魏の王として詫びさせて頂戴」  自分が言うならともかく、流石に部下が下品な冗談を行うのは耐えられなかったらしい。  続けても良いのかと『亡霊』に視線で問われ、俺は頷いた。 「では無視していくが、趙雲殿は今や蜀の重鎮じゃ。それ故に、問題が発生する」  『亡霊』は稟を見て、 「蜀の現状はどんなものか、なるべく辛辣に言ってみよ」  辛辣に、という言葉に稟は小首を傾げ、 「そうですね。辺境の貧乏国家、といった感じでしょうか。王は人徳はありますが能力は 低いもので、配下の有能な少数の文官が国家を支えている状態です。更に言うならば資源 も少なく、銅と塩の二大資源が無ければ一瞬で潰れてしまいそうですが、それすら朝廷が 厳しく管理をしている現状、生き地獄の真っ只中かと」  酷過ぎる。  だが、なんとなく言いたいことは分かった。 「つまり俺達がバランサー、調整役となっている現状だけど、それは華琳がそうしようと しているからだ。だが俺が即位すれば、それが継続されるとは限らない。それどころか、 国家として重大なものを搾取される可能性まで出てくる、と向こうは考えるかもしれない」  そこまで単純な話ではないだろうが、 「国家を重要視した場合、どうしても敵側に回ってしまうんだな」  然り、と返答が来た。 「ならば外に敵が居ると思わせた方が良いし、貂蝉が今だけ出たのも『亡霊』が個人情報 を出さなかったのも、そう思わせやすいからだろ。それに今は、孫尚香さんや周泰さん、 諸葛亮さんも居るのに、それらには手を出さなかった」  思考は連続し、 「俺が返ってきたのと同時期と考えると、天の御遣い絡みの問題が発生していると考える だろうし、後は風や稟と接触したという噂でも流せば、趙雲さんも問題について考えると いう流れになる。それこそ蜀に戻っても、その方法は通じるだろうし。呉の方は自分の国 だから幾らでも方法は有るだろうけど、蜀には繋がりが少ないから今みたいな方法を利用 したんだろう、とかいう感じかな」  俺の説明に、全員が驚愕の視線を向けた。  だが視線が向いたのは『亡霊』ではなく、何故か俺の方で、 「一刀殿、どうしてしまったのですか?」 「何でアンタが賢い発言をするのよ?」 「俺も勉強したんだよ!!」  畜生、会話のテンポが悪い。  『亡霊』は半目で全員を見ると、頭を何度か掻き、 「取り敢えず、納得はしてもらえたか?」  納得はしていないのかもしれないが、理解はした、と言うように風は頷いた。  この問題も後で俺なりにフォローしておくべきだろう。  それにまだ話すべき問題は幾つかある。 「それで『亡霊』は、どこまで俺をフォローしてくれるんだ?」  相手が現代語を使えると知っていれば、日常会話は非常にやりやすい。こちらに一年間 居たとはいえブランクも幾つかあるし、ニュアンス的に横文字から変換し辛い語も幾つか 存在する。完全ではないのだろうが、二人で会話をする際、そのような気遣いが多少減る のは非常にありがたいし、もし可能ならばプリントの説明役を手伝って貰えば単純に人手 が二倍になるので早く終わらせることも可能だろう。  『亡霊』は小首を傾げ、 「どこまで、と言われても、出来ることと出来ないことがあるしの。儂は現在死んでいる 筈の身じゃから大っぴらに姿を見せることは出来ぬし、元々は呉の人間じゃから魏の内部 にも疎い。手伝えることは多くないし、『再演』の助言ぐらいのものじゃが」  難しい問題だ。 「簡単じゃない」  華琳は俺を見て、 「以前私がしていたように、一刀の個人的な客将として振舞って貰えば良いだけよ。判断 はその都度行えば良いだけだし、名前なんて適当に名乗れば良いわ。外見にしてもまさか 呉の黄蓋が生きていたなんて誰も思っていないし、包帯で隠れているから確信する者など 殆んど居ない筈よ」  ばっさりと言い切り、それで良いのだろうかと思ったが、考えてみれば董卓さんなども 蜀で名前を変えてメイドなどをやっていたことを思い出す。最終決戦後の宴会でその事を 知った時には酷く驚いたものだ。てっきりキャラ的にアダルトな体系で童貞狩りが趣味だ と自己紹介するようなドSお姉さんと思っていたので、そのギャップもあったが。まさか メイド姿が良く似合う大人しめの清純な少女だとは思ってもみなかった。  この世界は奥が深い、と全員を見て頷いた。  だが俺の客将になるということは、 「模擬戦なんかには出しても大丈夫かな?」  幾らそっくりさんで誤魔化すにしても、あの時代を生き抜いてきた兵も少なくはない。 それに皆馬鹿ではないし、弓やら髪やら巨乳やらを見て気付くと思うのだが、その辺りが 心配だ。変に兵達に猜疑を持たれても困る。と言うかこちらに戻ってきてから、猜疑心を 持たれないように気を使ってばかりだ。後ろめたいことは一切していない筈なのに、妙に 疲れて困る。  様子を伺ってみると、 「儂は構わんが、そちらとしては」  言って『亡霊』は風を見たが、風は頷き、 「大丈夫だと思いますよー。むしろ隠すことの方が、色々と勘繰られるかもしれないかと」  そうなのだろうか、という疑問はあるが、風が良いと言うのならば何か考えがあるのだ ろうと思うことにする。俺では到底風に太刀打ち出来ないし、一番反対しそうな風が良い と言うのなら無用な詮索はしないことにする。 「あ、そう言えば聞いてなかったけど、霞と稟はどっち側に入るんだ?」  桂花の見立てでは二人とも華琳の方に入るだろう、となっているが、 「まぁ、私は華琳様の方ですね。この身は華琳様に捧げたもの、魏の王が一刀殿になった としても、考えは変わりません」 「ウチも華琳の方。理由はまぁ、言いにくいけど」  霞は苦笑し、 「一刀は信用出来んから、とか、そんな感じか」  ぎ、と歯ぎしりのような音が聞こえ、目を向けると凪が物凄い表情で霞を睨んでいた。 「……どういう意味でしょうか?」  あー、と霞は髪を描き、バツの悪そうな顔をした。  恐らく悪意は無いのだろう。  霞は少し首を捻り、 「いやな、ウチも一刀のことは大好きやし、個人的に信用もしとる。この場合の信用って 言うのはつまり、王としての技量の問題や。確かに一刀はウチらには無い発想も持ってる、 人望もある。新しい王としては悪くないかもしれんが、しかし華琳と比べると能力は低い」  それにな、と逆接する言葉を繋げ、 「魏の中で皆が納得しても、呉や蜀が納得するかというのは別問題や。特に蜀の劉備とか からしてみれば、噴飯ものやと思うで。一刀の技量や性格は劉備に近いものがあるけど、 それを真っ向から叩き潰した魏がそんな一刀を王にしたら、そら妙な話になるやろ」  ぐ、と俺は言葉に詰まってしまった。 「だからと言って一刀を王に今までの方向性で政治、となったら華琳の方が当然上やし、 神輿にでもしたら王を変えた意味が問われる。それどころか、痛くも無い腹を探られたり、 最悪、色に溺れて即位させた王と見られて魏の王の質が疑われる」  そうか、このパターンは、俺も知っている。  細かい部分は違うが、霞は一度、これと同じことを経験している。 「霞は、俺や華琳を董卓さんと同じ目に合わせたくないんだな」 「まぁな。皆の為に頑張っている人が馬鹿を見て、それで最後は四面楚歌なんて下らんわ。 『再演』にしたって、他の道もあるかもしれんし」  だから、と霞は再び苦笑を浮かべ、 「ウチが納得出来る『王』になるまでは、敵対させて貰うわ」  ま、仕事は真面目にするから安心し、と締めた。  ふむ、と『亡霊』は頷き、 「話はこれで一段落といったところか」  だが、彼女は小首を傾げ、 「何故皆、首にタオルを掛けてるんじゃ?」 「突っ込みが遅いよ!!」  全員が突っ込んだ。  ―― 次回予告 ―― 「巨乳だろ」  誰かが言えば 「貧乳に決まっているだろう」  誰かが返す 「おっぱい、おっぱい!!」  叫ぶ、叫ぶ 「成人女性?」  そこには夢が詰まっているのだから 次回『W.E.S.209』01:06「開戦」