―― 君が居て、僕が居る  ―― 僕が居て、君が居る 04「歌姫」  風の言葉に、俺は自分の耳を疑った。  大戦時代、風が程立から程cへと改名した理由は知っている。  華琳に使えるようになった際、日輪を風が持ち上げているという夢を見たからだ。  だが逆に言えば、それは華琳を支えるという意思表示でもあるし、それを捨てるという ことは意志の放棄とも取れるものだ。  だが華琳はいつもの唇の端を釣り上げた笑みを見せ、 「成程、風は一刀の方に付くのね」 「それだけではありません。お兄さんが魏の王になっている間はずっと、少なくとも華琳 様やお兄さんが企んでいることを終えるまでは、程立で行こうと思っています」  一拍。  こちらを試すような風の無言が続き、最初にそれを破ったのは俺だ。  この空気に耐えられなかったと言うよりは、 「まぁ、遅かれ早かれ、元から全員に言うつもりはあったし。構わないよな?」  問うように華琳に視線を向けると、思い頷きが返ってくる。 「でも、説明は私がするわ。確認したいこともあるし、一刀も幾つか隠していることとか あると思うから、そこの部分を問い質す意味も込めて」  視線が怖いが、そうも言っていられないだろう。  華琳は、まず、と前置きし、 「一刀が元の世界に帰った理由、風はこれをどう推測する?」 「それは、お兄さんが本来行われる筈の歴史を否定したからではないでしょうか? 実際、 定軍山以降、お兄さんは何度も倒れている訳ですし」 「私も最初はそう考えていたのだけどね、一刀に聞くまでは」  だが、そうなれば否定するべき材料が幾つもあり、 「人が死ぬことを変えることが歴史を否定するというのなら、大前提として間違っている ものがあるのよ。あまりにも馴染み過ぎていて忘れていたし、私も一刀に聞くまでは当然 のように思ってはいたのだけれど」  は、と吐息し、 「張三姉妹って、向こうの方と形式は違うとはいえ黄巾党の党首だったのよね」  本来ならば、彼女達は死んでいる筈だ。  それを取り込み、募兵に利用したなどという記述は存在しないし、他にも、その例外が 何人もいる。例えば董卓は王允の計略によって死んでいる筈だし、呂布も陳宮も、死んで いる筈の人間が、例外という言葉では納まりきらない程に大勢居る。  そもそも人間関係自体が妙な部分が多いのだ。  大きな流れや出来事が史実に沿って存在していた為に、あまり気にしていなかったが、 例えば呉の陸孫さんや呂蒙さんなど、関係が逆転していたように思う。他にも、諸葛亮や 凰統が恐ろしい程早期に劉備さんの軍に入っていたり、 「ここの歴史は、向こうにとって正しくはないけれど、それでも正常に機能しているのよ」 「ですが、それは他の国の話だからなのでは?」 「他の国でも死ぬ筈の者が生きてるし、こちらの国も季衣や流琉の参入など、向こう側の 歴史と食い違っているそうだし。衣服や文化も向こうの当時とは違うらしいわよ?」  例えば、 「向こうでは当時、麻雀も無かったというし、下着も存在しなかったらしいのよ!!」  一気にテンションが下がるが、俺と風は無視をして、 「ならば、消えた理由というのは」 「流れに逆らった結果、身を滅ぼした。本来行われる筈だった歴史を否定したというのは、 正解だけれど、それが意味していることを読み取れなかったのは私の数少ない汚点ね」  つまり、と無意味に派手に足を跳ね上げ、組み替えて、 「こちら側での正しい歴史が正しく行われなかった、ということよ」  それに風は眉根を寄せ、 「正しい歴史、とは?」 「そうね。単純に言うと、本来ならば一刀が王になって三国を平定する筈だったのよ」  無言。  風は半目で華琳を見て、次に俺を見て、天井を見て、それを何度か繰り返し、 「……無理でしょう」  発せられたのは、残酷な一言だ。 「お兄さんが決して無能とは言いませんが……」 「変な気を使わなくて良いよ、事実だし」  それで、と華琳は言葉を続け、 「ヘタレ凡人な一刀は消えてしまったけれど、こうして戻ってきたわ。再度の機会を携え ながら、ね。ここまで言えば、風にはもう分ったでしょう?」  華琳は、ふン、と鼻を鳴らし、 「ここから先は私も説明がし辛い部分もあるし、一刀も何か隠しているみたいだから一刀 に説明させた方が良いかしら。良い一刀、今回は誤魔化し無しよ?」  最初の説明の時は帰って来たばかりということで動揺していたこともあり、一部を勢い に任せて誤魔化すことが出来たが、今回は風に華琳、二人を相手に話せということだ。  今回はそれも通じないだろうと思うし、もしかしたら風に正史側の言葉を教えた者にも 関係しているかもしれない。ここで隠すのは得策ではないと判断し、俺は吐息。 「まず最初にかなりキツいことを言うけど、突っ込みは無しだ。質問は随時で構わない」  風の頷きを確認し、 「こっち側、所謂華琳達が生きている世界だが、これは作られた世界だ。簡単に言うと、 俺を起点として作られた本のような世界だと思ってくれて良い。その証拠は提示できない から証明も出来ないけれど、まずはこれが前提条件として話を聞いてくれ」  いきなりの話に風は馬鹿か気狂いを見るような蔑みの表情を向けてきたが、仕方ない。 俺だって未だに信じることが出来ないし、証明する手立てが無い以上は妄言の類に入ると 言っても過言ではない。華琳に最初に話したときなどは、とても優しい顔で頭を抱えられ、 一時間に及ぶフォローと言う名の説教をされた。  風は蔑みを含んだ半目のままで、 「お兄さんを起点と言っても、現にお兄さん以前の歴史が存在しているのですが」 「それは用意されたものだ、と言うしかないよ。残酷な言い方になるけど、俺が最初風に 会うまでの歴史も過去も存在しない」  はっきりとした物言いに、風は眼を伏せた。当然だ。風にだって華琳にだって、大切な 人や尊敬していた人が居た筈で、その人の存在さえも否定することになるからだ。過去を 否定するということは、そういった意味が強いからこそ、言い辛かった。華琳でさえ目を 伏せているが、ここを乗り越えなければ話は先に進まない。  俺は手を打ち、意識をこちらに無理矢理向けさせると、 「俺が消えたのは、その本の主人公であったにも関わらず、脇役に徹したところだ。俺の 役目は主人公だが、その役割を演じなかった。だから世界と言う名の読者から不満を買い、 強制的に役を降ろされた。だが、ここで一つ問題が発生する」  大丈夫だ、ここまでは話すことが出来ている。  二人は黙って聞いている状態だが、何を思っているのだろうか、と考えつつ、 「主役が消えたということで、本自体が不要とされそうになった」  だから、俺は帰ってきた。 「概念的な話になるけど、つまり世界が消滅するってことだ。国も人も、何もかもが」  そんなの、耐えられる訳がない。  少数だけなら向こうに移ることで消滅を避けることが出来るらしいが、俺はそんなこと 望んでいない。俺は知っている、街の人々の命も温もりも。行きつけだった屋台の主人は 実は外道だったが、基本的には楽しく気前の良い人だし、美人で巨乳の嫁さんの腹の中に 子供まで居る。一緒に街の警邏をしていた仲間達も外道だしすぐに食事をたかってくるが、 苦楽を共にした思い出は消えていない。  何もかもが大切だ、俺はどれかを切り捨てることなんか出来はしない。  だからこそ、 「俺は再度の機会を得て、戻ってきた。詳しい仕組み自体は俺にも説明出来ないけれど、 俺が戻ってこれるように世界を安定させるのに一年が掛かった。それが今までの話だけど、 そこで再び発生した問題がある」  それが、 「どのようにして世界を納得させるか、って話になるんだ。これが小説とか演技なら全て 真っ白な状態に戻して、もう一度やり直す、という方式でも良いけれど」  それでは、全てが消えてしまうのと変わらない。 「俺は、皆に死んでほしくない」  俺は吐息し、頭の中を整理する。 「それに俺の役割というのは三国の頂点に立つことだけれど、今更戦争も出来ない」  そして提示された方法が、 「再演、という方法だ」  再演、という言葉を繰り返してくる風に頷きを返し、 「少し面倒な言い方になるけど、概念的な三国時代を行うんだ。魏、呉、蜀をもう一度、 今度は俺が手に入れる。そして俺が三国の王になった後で今までの歴史を封印し、上書き すれば世界は俺を主人公と認め、消滅もしなくなる筈だ」  少なくとも、説明を受けた限りでは、と苦笑を零すと、 「一気に胡散臭くなりましたねー」 「シメる部分で出来ないのよね、一刀は」  瞬間的に蔑まれた。  だが俺はくじけることなく笑みを浮かべ、 「要は一度世界を概念的に滅ぼして、作り変える、って感じになるんだけど。勿論、実際 に人の記憶が消える訳でもないし、歴史が消滅する訳でもない。書物で俺の歴史を、口伝 で世界の歴史を残す、って形で両方を残す方式になると思う」  正史側では実際にそんな感じだったらしいので、問題はないだろう。  しかし疑問が一つ残り、 「ここまでは華林も納得しているかどうかはともかく、理解はしている筈だ。でも、何で 模擬戦なんかしようと思ったんだ?」 「それは簡単よ。実際に納得させる口実が必要だから」  貴方は知らないでしょうけどね、と華琳は前髪を掻き上げ、 「蜀も呉も、貴方を信用していないからよ」  それはそうだろう、と思うが、 「はっきり言うと魏の者以外は、誰も一刀が天の御遣いだなんて思わないのよ。情報戦略 だと思っていた方が筋が通るし、実際に姿を見た者なんて数える程度。それが今更御遣い でござい、なんて出ても胡散臭いだけだわ。だったら魏の王をねじ伏せた男が天の御遣い だったって話の方が分かりやすいし、御遣いだと信じて貰えなくても他の国に立つことに 筋が通るというものでしょう?」  感服した、と言う他にない。俺もそこまで考えていなかったが、確かにそうした方が筋 も通るし不満も少ないだろう。華琳が納得ずくで行ったというより、華琳から持ちかけた 模擬戦ならば、誰もが俺の実力だと認めることになる。情よりも理屈や実力を重視すると いう華琳の性格は誰もが知っていることだし、少なくとも御遣いなんてものよりは説得力 があるだろうとは思う。  それに模擬戦という方法の利点は、俺自身の純粋な実力が勝利に直結するものではない ということだ。個人での戦闘ならば華琳の方に圧倒的に分があるが、集団戦闘においては 余程の例外的な強さでなければ策や陣形によって幾らでも戦いようがある。  感心していると、溜息が聞こえた。  それは呆れたような表情の華琳から発せられたもので、 「しっかりしなさい、こんなのが通じるのは今回だけだし、そもそも通じない可能性の方 が高いと思った方が良いのだから」 「うん。ごめ……」  ん、と言いきる前に、 「なら、あの方はどのような意味を持つのでしょうか」  風が呟いた言葉に、華琳が視線を鋭いものにした。 「詳しく話してみなさい」  あの方、というのは恐らく風に正史側の言葉を教えた者のことだろう。 「先日ですね、お兄さんを着けている方が居りましてー。どの程度、天界の知識を持って いるかは図れませんでしたが、言語においては多少の持ち合わせがあるようでした」  ですが、と風は視線を落とし、目を伏せ、瞼まで閉じて、 「ぐう」 「寝るなよ」  突っ込むと、普段の無表情でこちらを見上げてきた。 「いえ、作られた世界の部分で出来なかったものですから、今が一番の機会かと」  寝芸も悪くはないが、もう少し空気を読んで欲しい。 「ですが、彼女はお兄さんの目的を知っているようでしたね」 「一刀、心当たりは」  彼女、という部分で漢女の類かと思ったが、着け狙っていたというならば、ニュアンス が若干違うように思える。それに知っているのは他に居ない筈で、首を捻ると、風は顔の 前で軽く手を振った。 「彼女はお兄さんが自分のことを知らないと言っていたので、聞いても無駄だと思います。 ついでに言えば、風も正体は見抜けませんでしたね」  ただ、と風はタオルで額に浮いた汗を拭き、 「自分は裏の進行役で、その存在を知っている者が居た方が良いと、そう言っていました」 ? ? ?  放たれた椅子の足を見て、星は迷いなく飛んだ。  脚力に加えて石突きで路面を押しての高速で、着地点を狙わずに飛ぶタイプの大跳躍だ。  身を捻り上空を見ながら飛べば、椅子の足は自分の股の間を通り抜けて行った。発射の 速度を重視したのか弦の引きが甘かったことと、先端が鏃のような鋭いものではなく安定 を得る為の面であったことから速度は遅いもので、それ故に回避出来たのだと理解するが、 疑問が湧いた。不規則に揺れながらのものだったが、それでも理解出来るのは、 「最初から私を狙っていなかった?」  そんなことはないだろう、と思う。  それなら最初から戦闘になどなりはしないし、自分が若干追い付いていない感じは有る ものの実力は拮抗しているようなものだ。そんな余裕は存在しないだろう、と考えるが、 もしそうなのだとしたら、とも考える。  そうなのだとしたら、相手は何をしようとしているのか。  左手で路面を殴り、反発力で身を起こして、数度のステップで体制を整える。  背後の方向に跳躍しながらの姿勢で視線を上げれば、陽光を背後に置いた背が見えて、 星は迷わず槍を構え、腕を引いた。背後からの一撃というのは性分に合わないが、そうも 言っていられない状況だ。今まで相手に隙が無かった状況で、ようやく巡ってきた好機だ。 これを逃せば次はいつになるか分からないし、正々堂々を謳って倒されてしまっては後に 控えた朱里がどうなるか分からない。  加速の為に身を捻り、撃ち込もうとしたところで、しかし『亡霊』は次の行動を開始。  膝を畳み、背を丸めての空中での回転を重ね、 「先を読め、と言った筈じゃが?」  目が合った、と思った瞬間、星は穂先をぶち込んだ。  威力も速度も申し分なく、更には空中で回避行動も行えない。  通常ならば直撃だが、響いたのは肉を貫く音ではなく、金属がぶつかり合う音だ。  何故だ、と思い、音の発生源を見れば、理由が明らかになった。  『亡霊』は腕を突き出していて、拳の先には弓が握られていた。それも通常のように、 本体部分を握っているのではなく、弦の部分だ。星の槍『龍牙』の構造上、死角と言える 部分が存在する。その一つが分かれた穂先の間だが、通常の戦闘でなら相手の武器を挟み、 捻って弾くなど有効に使えるし、大抵の物ならば内部の角度と突き込む勢いに任せて切断 することが出来る。  だが金属を切断する程のものではないし、今のように弦を握った状態で腕を突き出し、 弓を盾にされれば、容易に無効化されるものだ。  無論、誰にでも出来る訳ではないし、どのような状況でも出来る訳でもない。  だが相手は確実にそれをこなし、更に言えば体勢が悪かった。  相手も地上に居るのなら、更に力で押し込んでいけば弦が肌に食い込んで、後の弓での 攻撃を防ぐことが出来るかもしれないし、相手が耐えきろうと力で返してくれば弓が馬鹿 になるか弦が切れるかするだろう。  だが空中では支えになるものがなく、それ故、金属製の弓は強いしなりを持って相手を 飛ばす為の反発力となる。  飛んだ。  距離を離され、更には『亡霊』が着地した地点から新しい椅子が二つ飛んできた。  今度は破壊するのではなく、ダッキングでの回避だ。  連続で行うのは、ダッキングで折り畳まれた体による加速。  身を落ちるように傾け、空気の抵抗を減らし、脚部だけでなく背筋をも利用しての加速 で瞬時に距離を詰め、出来るだけ前に出る。実力派の弓兵にとって、三歩分は既に得意な 武器の間合いだ。とにかく距離を詰めねばやられるのは自分だし、三歩以内の距離ならば 弓を引かれても十分に対応出来る。  進む。  身を捻り、だが外したり逸らされた場合にも対応出来るよう重心を下げ、突き込む。  それを意識しながら進み、視界に入ってくるのは弓を引いた『亡霊』の姿だ。  だが何故か矢の代わりになるようなものは無く、それ以外にも妙な違和感があった。  背に悪寒が走り、星は瞬時に減速。石突きを路面に突き込み強制的に制動を掛けた直後、 眼前を鋭い打撃が通過し、弦が揺れる鈍い音が後から響いてきた。前髪が数本千切れて宙 に舞い、自分の直感に感謝する。  相手の攻撃の原理は簡単だ。  矢を飛ばす為に弓はしなるが、戻ろうとする反発力は通常の打撃よりも高速で、それを 打撃に利用したものだ。踏み込みや体の捻り、肩、肘、手首までもを連続させたそれは、 視認速度を軽く凌駕するもので、星は目を細めて歯を噛んだ。  選択肢が狭まっている。  遠距離は間合いの外だし、近距離では相手の技量もあるが、槍に比べて短く主に曲線で 構成されている弓の方が打撃武器として強い。そして槍の専門である中距離では、先程の 打撃が待っている。隙の大きな攻撃なので連発は出来ないだろうが、相手が防御に徹して しまえば崩すのは難しいのは今までの戦闘で理解している。  ならば、どう攻略しようか、と考えたところで『亡霊』は軽くステップを踏み、 「更に一段階上げる、構えよ趙子龍」  槍を地に突いた、と思った瞬間、超高速での浴びせ蹴りが飛んできた。  視認は出来た。  先程自分が行った回避の応用で、弓を使っての押し出しを利用したものだ。ステップを 踏んでいたのは弓を地に押し込む力を強くする為のもので、それを含めた推力を蹴りへと 転化させたものだ。  柄を盾にして星は回避するが、一瞬判断を迷い、選んだものは吹き飛ばす為の押し出し ではなく腕の関節を緩衝材にしての受け止めだ。  今までのパターンなら、ここで相手を突き放す為の力を加えれば再び不利な状態に入る。 それだけは避けなければ、と思い、ここから接触に持っていくのが狙いだ。  相手を倒す為の手順は、ここまで考えていて先程思い付いた。  相手の動きを止め、逸らすのではなく受け止めるタイプの防御を行わせ、そこに追加で 最大級の一撃を叩き込む。  ならば第一の課題をどうするかと考える星の視界の中、驚愕する光景が飛び込んできた。  背を丸めて柄に着地した『亡霊』はそのまま身を伸ばして駆け上り、 「これにて閉幕、と」  穂先に蹴りを叩き込まれた。  仰向けに姿勢を崩す中、いつ拾ったのか椅子の足を矢にした弓が、こちらの顔面狙いで 弦を引き絞られていた。  だが、これも攻略法がある。  先程の違和感で一つ気付いたことがあり、それは『亡霊』の行動にはどこか一つ、必ず 抜け道が残されているということだ。不自然と思える程に、彼女の行動には決定的に抜け ている場所がある。思えば、最初から提示されていたことだ。『推測しろ』という言葉は、 要は自分を上回ってみせろ、ということでもあり、自分に勝ってみせろ、ということでも ある。正しい道筋を辿っていけば、そこに到達出来るのだから、と。  そこに含まれている意味を考えるなら、『亡霊』が満足する結果を出せ、ということでも あるし、それさえ見せてくれたら負けても構わない、ということだ。  舐められている、と舌打ちするが、ならば乗って倒してやるまでだ。  星は思考を流れに乗せ、どうすれば良いのか道筋を推測する。  現在相手は近接の空中に居て、こちらは槍を持ったまま仰向けに倒れている状態だ。  既に矢は放たれており、まずは矢を回避することが第一条件となっているが、それだけ では足りないだろう、と思う。辿り着くのは更にその先、いかに相手を含めた行動に繋ぐ ようにしていくかで、相手は空中に居て移動が不可能というオマケまでしてくれているの だから、それを利用しない手はないと判断する。  結論は出た。  星は腹に力を込めると背を丸め、宙を蹴り上げた。身を上空へと跳ね飛ばすような蹴り は相手を狙ってのものではなく、その背後に向けてのもので、それに付随して視界が回る。  身体が背の方向に引っこ抜かれるのを感じながら、視界の中央を矢が通り過ぎていくの を見つつ、狙いの姿勢は完了する。  石月を支点に弧を描き、出来あがるのは槍を腕の代わりにした到立姿勢だ。  星は動きを更に連続、両足を広げながら前面へと振り降ろし、『亡霊』の胴体を腿で挟み 込むようにしっかりホールドし、膝の裏で弓を押さえて完全に固定する。  動きはそこで終わらない。  重力と腕力を連動させ、引き抜くように槍の柄を引き寄せて、 「これで如何か!!」  『亡霊』の腹へ穂先をぶち込んだ。  金属音。  絞り出すような声と共に音が響くが、それは武器で防いだ際の澄んだものではなく、鎧 を打ったときに生じる鈍いものだ。この戦闘で初めてのまともな当たりにしては若干残念 な音だと思うが、それは姿勢が不安定なものだったということと、狙いが甘かったという だけのことで、当たりは当たりだ。  そして当たりには基本的にオマケが一本付くものだ。  姿勢を固定したまま身を落とし、星は地で丁度バウンドしている椅子の足に『亡霊』の 背を容赦無く叩き込む。鎧を着ているのは分かるが相手は受け身も取れないような姿勢で、 今の打撃で肺からも空気が絞り出されている状態だ。緩衝材となるものが減った今では、 重量を追加した投げは辛いものである筈だ。  音が響く。  鎧に叩き潰され、木片が破裂する音が響き、『亡霊』は路面に転がった。 ? ? ?  どういうことだ、と思考は混乱しっぱなしだ。  俺の目的を知っている、というならば、その後の相手の行動は大きく三種類に分類する ことが出来る。俺の味方をするか、敵対するか、観察するかだが、情報が少なすぎる。  俺の思考が伝わったのか、風はこちらを見上げ、 「少なくとも敵対することはないと思いますよ。目的が同じ、とも言っていましたから」  目的が同じ、と言っても、ここから更に行動が二分される。  三国の王を目指すか、世界の崩壊を防ぐか、という二択だが、 「どっちだと思う?」  問うと、難しい顔をされた。  後者ならば良いが、前者ならば話は酷く厄介なものになる。  俺が王になったとしても世界を安定させるかどうかは賭けに近くなるが、その正体不明 の者が王になったとして、そこからどのような変化が起きるかは俺も知らされていない。 そもそも存在を先程初めて知ったのだし、居るかもしれないとすら思っていなかった。  裏で話を進めるというならば応援してくれるのは有り難いが、そう考えるのは楽観的に 過ぎるというものだ。この話は世界全ての存在が問題になるし、いざ最悪の事態が起こり 打つ手が消えてしまってからでは意味がなくなってしまう。  しかも、 「時間も無いからな」  風が説明を求めるように、こちらを見上げてきた。 「その謎の人のことで説明する機会を逃したけど、俺の方には時間制限もある」  それがいきなり華琳が王位を譲ると言った理由でもあり、目下最大の悩みでもある。  時間をかけて説得出来れば良いが、そうも言っていられないのは、 「一年しか時間が無いんだよ」  俺がここに来てから、消えるまでの時間だ。  同じ期間で華琳と同じように三国を手に入れる、というのが前提的な条件だ。華琳でも 一年がかりで行ったことを俺が同じ期間で行うのですら難しいと考えているのに、その上、 妨害までされる可能性もあると考えると、余計に滅入ってくる。  未だ大きな問題になっているらしい五胡の相手などを例外とするが大きな戦争は無いに しても、その代わりに治世の問題が山のようにあり、再演を行う程の時間がどれ程残され ているのか悩みは増すばかりだ。  だが時間が待ってくれないというのは、一年前、実際に消えてしまった俺自身が誰より 理解している。  それに他の国の重鎮に会う機会が少ない、というのも問題だ。  大戦時なら、幾らか乱暴な方法だが戦争を仕掛けるということで会うことも出来たし、 それによって帰化に加えるという方法が可能だった。しかし今は戦争を行うことも出来ず、 相手の国を乱さないという条件で俺の下に付かせなければならない。  相手が俺を、ただ魏の王として素直に受け入れてくれるのならば問題はないが、それは 難しいということも知っているし、それを説得するにしても機会は三国会談という場所に 限定されてしまう。  何か合法的に他国に赴くことは出来る方法があるなら説得の時間を取れるのだろうが、 そんな方法があるのだろうか、と考えていると、腹が鳴った。  あまりにも緊張感のない腹だが、 「そういえば昼飯を食ってなかったな」 「そうですね、下手な考え休むに似たり、という言葉もありますし。お昼にしましょうか」 「ちょうど秋蘭と流琉が天界の料理を作っているみたいだったし、それにしましょうか。 貴方達も一緒で構わないわ、色々意見も聞きたいだろうし」  一気に空気が和んだものになり、何を作っているのか、という話になった。  俺が渡したレシピはそれなりに数が多かったので、どのレパートリーで来るのか予想は 出来ないが、それもまた楽しみでもある。  だがまずは厨房に向かうのが先だ。  考え込んでいる内に熱くなり、脱いでいた上着を着ようと背後に手を伸ばすと、 「はい、どうぞ」 「ありがとう」  声が来たので、その方向に手を伸ばす。  だが残念なことに俺の手は制服を掠め、変わりに何か柔らかいものをホールドした。  擬音で言えばムニュウという感じだが、感触的には無乳と言うよりは豊乳という感じだ。  もしかして流琉辺りが作ったものを持ってきてくれたのかと思い、引き寄せようとして みるが、動く気配がない。そもそも饅頭系のレシピは無かった筈だが、揉んで何か確かめ ようとすると、それよりも遙かに柔らかいものだった。  こねるように掌で転がし、揉んでいけば布のような感触があり、「やん」という甘い声も 付いてきた。何やら聞き覚えがある声だと思い、振り向けば、 「一刀、久し振りー」  何故か俺に乳を揉まれた天和の姿があった。  不思議だ、と思いながら、 「何で俺におっぱい揉まれてんの?」 「いえ、一刀さんが自発的に揉んでいたのですが」 「いきなり揉むとか、相変わらずエロというか種馬というか。おっぱい差別しないでよね!!」  地和と人和の姿もあり、 「一刀」 「お兄さん」  声に背後を見れば、半目でこちらを見る客観的に貧民層の姿があった。 ? ? ? 「ごめんなさい」  俺は土下座していた。  メンバー的に巨乳が一人に貧乳が四人なので、空気が冷たい。  だが、それより思うのは、 「本当に久し振りだけど、何か軽くない?」 「いや、だってねぇ?」  と地和は首を傾げ、 「ちぃ達、基本的に仕事で一刀に会わないし」 「少し長い講演に出てただけ、って思えばねぇ」 「帰ってくる、って信じてたので」  成程、と思うが、それでも嬉しい。三人とも、こんなに俺のことを信じていてくれた、 という事実に目頭が熱くなるが、抱きしめようと立とうとすれば、背中を華琳に踏まれて 土下座の姿勢を強制的に継続させられた。  華琳が人和に結果の報告を聞いている中、風はしゃがみ込んで俺に視線を合わせ、 「お兄さん、一つ思い付きましたが」 「それは俺がまともな姿勢の時に話せないこと? あと白か、似合ってるよ」  頭上から物凄い殺気が降ってくるが、気にしない。 「恐妻家になりますねぇ」 「え、一刀と華琳様、結婚するの?」  不安そうな声で天和が問うてくるが、いきなり結婚まではどうかと思う。  華琳のことは愛しているし、結婚となれば嬉しいが、 「どうだろうな」  言うと、頭上から声が来た。  からかうような声で、 「あら、一刀は嫌なの?」 「と言うか、必然的にそうなりますねー。お兄さんが王になり、華琳様の位置を実質的に 継続させようとするのなら、華琳様に婿入りということになりますからー」  そこまで考えていなかったが、言われてみればその通りだ。  いきなり重い単語が出てきて焦るが、 「そ、そうだ!! 風の思い付きって何だ?」  話題を強制的に変えると、全員が溜息を吐いた。  風は俺の頬を撫でながら、 「蜀や呉に向かうのなら、天和ちゃん達に付いて行けば良いのです。幸いな事にお兄さん の顔は各国の重鎮以外には割れていませんし、三人の付き人としてなら怪しまれないかと 思いますし、命を狙われることもないでしょう。裏の方でも、戻ってきたばかりで各国の 情報が足りなかったり自分が持ち込んだ政策が適用出来るかの視察が必要だ、という理由 を出せば一応の格好は付きますね。天の知識は当人にしか分からない部分がある、という ことを言っておけば何とかなるでしょうし」  そして大使とか何とか言って、各国の王に会った後で説得すれば良い訳か。  俺が王になった後でも実際に全体の指揮を執るのは華琳だろうし、政策方面でも問題は 特に発生しないだろう。言ってて悲しくなるが、俺が出せるのは政策の知識のみであるし、 それは全てプリントしてきているので居ても居なくても殆んど関係ないということだ。  良い案だと思うが、疑問も一つあり、 「皆の説得はどうする?」  自慢ではないが、はっきり言って俺は凡人だ。  そんな俺があの有名武将相手に交渉をして王であることを認めさせるなど、まず不可能 だとしか思えない。それ程の頭があるのなら、お飾りの王になどならずに魏で政を行って いるだろうし、そもそも今回のような事態を引き起こさなかった筈だ。  そこをどう補うのか、と思っていると、風は首を傾げた。  一体、何を言っているのか、とでも言うように。 「いえ、風は普通に付いていくつもりでしたけど、それだけでは御心配ですか?」  絶句した。  後進の官が揃ってきているのも知っているし、一人が抜けてもいきなり崩れる程に魏の 人材の層が薄いとは思わない。だからと言って風は古参の一人だし、権限も大きく、風が 長期間抜けても何も問題が発生しないと思う程に俺は楽観的ではないし、それは風自身が 一番分かっているだろう。  それなのに何故、と視線で問うと、 「世界の存続と国一つ、どちらが大事かは理解出来ているつもりですが」  それはそうだが、俺が思うのはそのようなことではない。  俺の荒唐無稽な話と実際に肌で感じている国の実情、その二つを天秤に掛けて、馬鹿な 話に比重を置いた理由だ。もし俺が風の立場なら間違いなく国に残ることを選択している だろうし、他の者も恐らくそうするだろうと思う。  大戦時なら通じたかもしれない幻想も、今の時代は与太話にしかならない。  人は殺される恐れを無くし、誰もが己の力で世を良くしようとしているが、それはあく までも現実に則したものである。  なのに、 「何故?」  今度は言葉にすると、風は笑みを浮かべ、 「お兄さんは違う種類の人間なので分からないかもしれませんが、世の中には、愛と幻想 の中でしか生きていけない人間が存在するのです」  その言葉に、頭上から息を飲む音が三人分聞こえてきた。  それが誰かは実際に見なくても分かる。張三姉妹は、正にそれの象徴だからだ。大戦の 幕開けとも言える黄巾の乱、その間接的な火付け役となった三人は、風の言うように愛と 幻想を振り撒き、その種火によって燃え上がった愛は幻想と複雑に混ざり、巨大な力へと 変化した。俺がその種類の人間じゃない、というのは疑問が残るが、 「風もこっち側の人間だろう?」  明らかに現実を見るタイプ、桂花や稟と比べても、遙かに華琳側の人間だと思える。  だが風は首を振り、 「それはお兄さんの買い被りなのです。幻想は壊せません、愛は殺せません。大戦時代は 皆さんが全力を出してくれたお陰で叶っただけで」  こちらを真っ直ぐ見詰めてきた。  背が、一気に冷たくなる。  風は、こんなにも深い色の目をしていただろうか。 「貫けないかもしれないと思っていても」  気分が、悪くなる。 「風は愛と幻想を追い続けていたのです」  あの日から、ずっと。  そう俺の耳元で囁き、風は立ち上がった。 「華琳様、そろそろお兄さんを開放しないと顔色が少々マズいのです」  少しして背中から圧力が消えたが、気分は悪いままだった。 ? ? ?  周々の背に揺られ、朱里は思考を重ねていた。  あの者は、『亡霊』は何者か、と。  気にかかるのは、星の言った『あの時は気のせいかと』という部分だ。  天の御遣い、北郷と再会した際に妙な人物が居たという話は聞いている。国交において 魏の巨大な客将である北郷のことなので報告は受けているが、戻ってきた当日にいきなり 監視をしているような雰囲気だったり程cと会話をしていたらしいと不自然な部分が多い ということもあり、ひとまず保留にしておいた問題だが、失敗したかと後悔する。自分が せっかく洛陽に居るのだから、その利点を使い、会っておけば良かったという判断だ。  ならば対策を立てることも出来ただろうし、何か新たな考えも浮かんだだろう、と思う。  しかも目的も分からない。  聞いたばかりの時は北郷を狙う存在が居るという程度の判断での保留で、蜀の潔白だけ 示していれば追及をされることも無く、逆に相手の非を責めることで国交も多少は有利に 運べるかと思っていたが、それでは済まなくなった。  まさか、こちらにも攻めてくるなんて、と顎に手を当て思考を重ねる。雛里がこの場所 に居れば更に議論を重ねることが出来るが、残念なことに一足先に蜀に帰っている。  ならば一人で考えるしかない。  北郷を監視し、程cと会話をし、自分と星を狙う。  単純に考えるなら大戦時に敗れた者か新興勢力、漢外の勢力のどれかが程cと繋がりを 持って世を乱そうとしているか、もしくは、 「魏を潰そうとしているか、ですね」  曹操の覇道の経歴上、恨みも多いし、魏という国自体巨大なので、それ単体でも魅力が 多いものだ。例えば自分が相手の立場ならば、簡単に理論を組み立てることが出来る。  北郷は天の御遣いという得体の知れなさもあるし、大きな影響力もあるので監視する。 変な行動を起こされないように見張るという意味と、もし曹操が死んだ場合、王位につく ことを阻害するためだ。星を狙う理由も、魏を狙うという意味では非常に攻めやすいから というもので説明出来る。程cの旧知であり他国の重鎮である星ならば、魏の領内で死ぬ ようなことになれば、十分に攻め入る理由になるからだ。しかも程cが内通者なら弱点も 知りやすいし、程c自身が魏の重鎮ということもあって、その後の転覆劇も非常に簡単な ものになるだろう。国を潰す上での基本であり、典型的な例でもある。  だが問題も幾つかあり、一つは程cがそのような人物ではないと思えることだ。聞けば 程cは曹操に使えるに辺り改名した名のようだし、星から聞いた話でも人格的にそういう 愚挙は犯さないような人物だと思える。  そして第二の理由で、これが一番の理由でもあるが、単純に国として強いということだ。 三国最強であり、しかも呉とも蜀とも同盟を結んでいる現状では、喧嘩を売るのは無謀と いう他にない。漢中のほぼ全土を敵に回して喧嘩を売るような者は存在しないし、しても 余程の馬鹿だ。そのような馬鹿が仮に国を得たとしても曹操以上に何か出来るとは思えず、 結果無駄になるだけだろうと思う。  ならば、と考えようとしたところで、急に身が跳ねた。  急停止に体が前につんのめり、顔面が小蓮の後頭部に直撃するが、痛みよりも先に思う ことは彼女の匂いだ。今までは思考に没頭していたので気付くことは無かったが、改めて 意識してみると、甘い、女性特有のものが鼻先に漂ってくる。それに加えて乳臭いと表現 するのは憚られるが、幼い少女のものも混じり、香気に思わず息を飲んだ。雛里のものと 少し似ているが、確かに違うそれに意識を奪われそうになりながらも気分を落ち着かせる 為に吐息すると、眼前の小蓮の背が小さく震えた。 「へ、変なことしないでよ?」 「あ、す、すみません」  吐息が露出していたうなじをくすぐったらしいが、すぐに表情は真剣なものに変わり、 「見て」  小蓮の肩越しに前を見ると、星と『亡霊』が格闘していた。  星が槍を軸に足を使った妙な投げをしているが、表情の見えない『亡霊』と明らかに息 が切れている星の姿に、どちらが優勢なのか判断が難しいと思う。元々武には詳しくない というのもあるが、呼気も表情も判断出来ない現状では安堵することは出来ない。  今まで自分達と並走していた明命は相手方に向かって疾走を開始しているが、 「どうしたんだろう?」  問うような声が、小蓮の口から漏れた。  どうしたのか、と問うよりも先に、 「周々、どうしたの? 怖くても、勇気出さないと駄目だよ」  もしかして、と朱里は考える。もしかして、先程の急停止は小蓮が行ったものではなく 周々が自発的に行ったものだとしたら、と。  幾つか推論が思い浮かび、朱里は焦りを覚えた。  この無垢な友達が傷付いてしまうのではないか、と。  焦れたらしく小蓮は飛び降り、一人でも先に行こうとするが、 「何で!?」  上着を噛まれ、背後に投げられた。  それを朱里は先程体験している。  自分の大切な人が傷付かないようにという気遣いの表れでもあり、 「貴女は、分かっているんですね?」  問うと、悲しそうに喉を鳴らされた。 ? ? ?  は、と吐息して『亡霊』は立ち上がる。 「ようやく気付いたか、ひよっこめ」  膝が震え、背も丸くなっているが、 「あれで支えも無しに立てるか、敵ながら見事」  賞賛すると、鼻で笑うような声が返ってきた。 「言った筈じゃ、小娘。黄泉ツ平坂を越えて来た、と。死にもせんような打撃なんぞは、 儂には効かん。儂を超えるなら、それこそ」  死を超えろ、と吼え、『亡霊』は姿勢を正すように地を踏み抜いた。  路面が割れ砕け、激震の音が耳に響く中、星は槍を構えた。  考えるのは一つで、死を超えるということの意味だ。  今まで何度も死兵の相手をしてきたし、屍の山も越えてきた。そうしなければ生きては いけなかったし、今後も必要になればそうする覚悟も胸中にはある。自分は武人で、多少 政治の心得はあるものの、究極的には武の道でしか生きていくことが出来ないからだ。  その辿り着く先が死というものならば、それを超えろというのは何を超えれば良いかと いうことになる。  来る。  『亡霊』が背に手を突っ込み、そこから取り出されたのは数本の矢だ。  隠し持っていたことは今更気にならないし、舐められていた、とも思わない。今までの ものから考えると、きっと必要な手順だったのだろう、と考え、同時に今まで亡霊が自分 に求めていたことを理解した。  自分を鍛えていたのだろう、と。  ならば弓兵の本分である矢を取り出したということは、 「最終段階、か」  腰を落とし、眼前を見据え、突きの姿勢に入り、 「来い」  一言、言った。  相手は僅かにフラついている状態だが、ここで追撃を行うのは礼儀に反する。  ただ負けるかもしれない、と思い、すまん、と桃香に心中で口に詫びた。貴女の部下が 己の非力さ故に、負けてしまうかもしれません、と。  言い方は悪くなるが、辺境の貧乏国家である蜀が辛うじて成り立っているのは、桃香の 人徳と呉や魏に対抗出来る力の二本の柱が存在するからだ。その内のどちらか一本が折れ てしまえば国を存続する力が少ないと思われ、漢外の勢力に攻め込まれたり、魏の統治の 下に置かれるかもしれない。攻め込まれても他の二国に助けてもらえるし、魏も一応は蜀 の面目を保つ為に何か手を打ってくれるだろうが、どちらにしても良いことではないし、 自分の主である少女は苦しく悲しい思いをするだろう。  星は、それを申し訳なく思う。  だが、ここで卑怯な行いをするのも、 「筋が通らん」  それを曲げることは、自分を曲げることであり、自分が死ぬことと同じだ。  勝ちたい。 「趙雲殿」  横から聞こえてきた声に視線を向けると、そこには黒の長髪を持った少女が立っていた。  記憶の中を探り、出てきた名前は、 「周泰殿か」 「はい、周幼平、盟友の声によりまかり越しました。ご助力致します」  周泰は緊の表情だったものを僅かに緩め、 「朱里さんが言っていました。自分は何でもするから、趙雲殿を助けて欲しい、と」  朱里が真名を預けたか、と星は頷き、 「星で良い」  短く言い、視線を『亡霊』に戻す。 「御助力感謝する。ならば頼もう、一瞬で良いので相手の動きを止めて欲しい」 「委細承知致しました」  動く。  矢が放たれるのと同時、周泰は疾走を開始した。  速い、と言うよりも、疾い、という速度で身を沈め、捻り、回すようにして矢を打撃。 矢の腹を叩き、逸らしていく動きは威力よりも速度を重視したものだ。込める力は決して 強いものではないが、それで良い。大事なのは鏃の向きを変えることで、後は角度と推力 によって矢は自動的に逸れていく。正確な見極めが重要な行動だが、 「然り、か」  思い出すのは最初に会ったときの紹介で、他国での情報収集など隠密活動を行う役職に 就いている、といったことだ。相手を倒すよりも生きて情報を持ち帰るのが重要であるが 故に体得した技術なのだろう、と思う。  飛来する攻撃は最早無く、後は攻撃を叩き込むだけだ。  星は駆け出し、距離を目測する。  九尺五寸、それが一番威力を出せる距離だ。  辿り着く。  周泰の蹴りが『亡霊』の顎を垂直に打ち抜くのを見ながら、星は『龍牙』を投擲。 「穿て」  鳴る。 「響け」  鳴り響く。  想起するのは、龍の声。  星は身を回し、地を噛むように震脚を響かせ、 「鳴り響け、龍よ。神鳴る声よ!!」  全力で石突きを蹴撃した。  脚部の底面はそれを完全にアジャストし、『龍牙』は星最高の推力を得た。 「星・雲!!」  砲をぶっ放す、と言うよりも雷轟のような音が響き、 「神・妙・撃!!」  咆哮と共に一切合財、全て巻き込み、鎧の破片を撒きながら『亡霊』は吹き飛んだ。 ? ? ?  食欲が失せ、俺は皆に断って部屋に戻るところだった。  あのままでは恐らく風とまともに会話出来なかっただろうと思うが、少し後悔もある。  せっかく風もこちらの陣営に入ってくれると言ってくれたのに、そのお礼も言うことが 出来なかったし、理由を聞くことも出来なかった。  恐らく名前を戻したことも関係していると思うが、それを聞いたら俺はどうなっていた のだろうか、と考え、そこで首を振った。 「猜疑的になってるな」  先程の風の目も気のせいかもしれないし、華琳だけでなく風にまで俺が戻ってきた理由 を言ったので、少しハイになっていたのだろう、と結論する。  だが肩の荷が若干下りたのも確かなことで、 「後は慣れるだけだな」  他の皆に話すときの予行練習になったと思えば良い、とポジティブに思考を切り替えて 部屋の戸をノックする。むしろ相手が風だったから話しやすかったのも事実だし、他の人、 例えば桂花や春蘭だったらどうなっていただろう、と恐ろしいことを考えながら戸を開き 自室に入ると、新しい人影があった。  銀の長い三つ編みを揺らし、こちらに振り向いたのは、 「凪か。どうした?」  問うと、こちらに深く一礼してきた。  普段から礼儀正しいし、俺などに必要以上に敬意を払ってくれるが、ここまではっきり 礼を尽くしてくるのは滅多に無いことだ。 「本日は、数日後に控えた模擬戦についての御報告に参りました」  どちらに参加するか、というものか。  真桜と沙和の姿が見えないのは珍しいが、桂花の予想もあり、恐らくその通りになった のだろう、と予想する。 「既に本人達から報告は受けているかもしれませんが、真桜と沙和は華琳様の陣営に入る とのことです」  頷くと、凪は首を傾げ、 「驚かないのですね、隊長をあれだけ慕っていたというのに」 「まぁ、そんな予測もあったし。俺の考えじゃないけど」  桂花はこちらを一瞥すると、再び紙面に視線を落とした。俺が出る前に言っていた情報 のまとめは既に終わっているらしく、再び俺の持ってきたプリントを読んでいるらしい。 ここで妙な口を挟まないようにしている、と言うより、情報の収集に集中したいのだろう と考える。俺と華琳のどちらが王になるにしても、その後は新たな政策で更に忙しくなる のは明白なので、時間のある内に出来るだけ把握しておきたいということなのだろう。  それよりも、と俺は言葉を繋げ、 「凪はどっち側に?」  俺と桂花、どちらも予測は俺の側だが、それは飽くまでも予測だ。  凪はこちらを見て、数秒無言。  一瞬視線を落とし、すぐに俺の顔を見つめ、 「その前に、一つだけお伺いしても宜しいでしょうか?」  空気が張り詰めたものに変わった。 「隊長には、意志が有りますか?」  問いは抽象的なものだ。  試されている、と思うが、答えを間違えれば失うのは凪の獲得権ではなく俺に寄せられ ている俺への信頼だ。凪は俺を慕ってくれているし、それは子犬のように無垢なものだが、 決して盲目的に慕ってくれている訳ではない。  俺と桂花、凪の三人だけならば先程の風にしたような話をしても良いだろうが、流石に 戦後に起用された新人も居る場所では話しにくい。彼らにはまだ早いだろうし、下手に話 をして狂人のレッテルを張られたり不信を持たれたりするのは流石に不味い。昔から居る 面子なら多少荒唐無稽でも見限るなんてことは無いと分かっているが、俺のことを名前で しか知らない者に対してもそうだと思える程に気楽な性格じゃない。  問いの意味を考え、 「俺は王になる」  なりたい、ではなく、 「必ず『なる』、それが俺の意志だ」  俺の力が足りなかったせいで世界が滅びるというならば、 「足りないものを乗り越えていく為の力が必要だ」  だから、 「俺の力になってくれ」  頭を下げ、言うと、小さく笑うような声が聞こえた。 「相変わらずですね」  視線を上げれば、そこにあったのは表情を硬いものから微笑みに変えた凪の顔で、 「承知致しました。最後まで私は、隊長の刃となりましょう」  ありがとう、と凪の頭をなでようとした直後、背後から声が来る。  幼さの残る二人分の声で、 「うわ、一番乗り越されちゃったかな」 「季衣ってば、順番とか関係ないでしょ、もう」  振り向けば、季衣と流琉が立っていた。  一番乗りと言っていたが、 「二人とも、俺の方に入るの?」  桂花の予想通りだが、素直に驚いた。どういった経緯でこちらに入るのかは聞いてない ので本人が建てた筋道と全く同じではないのだろうが、それでも結果的には予測の通りに なっている。 「因みに春蘭様と秋蘭様は華琳様の方だって」  そうか、と考え、残るのは霞のみだが、その先に言うべきことがある。 「ありがとう、三人とも」  三人の頭を撫でると、嬉しそうな声が返ってくるが、 「でも凪も残念なことに一番乗りじゃないな。一番最初は桂花だ」  言うと、三人分の驚愕の視線が桂花に向けられた。  桂花はうっとおしそうな表情で俺を見ると舌打ちを一つ、 「今回だけよ。最終的に華琳様の為になる流れを考えて、今・回・だ・け・北郷の側へと 入ることにしたの。でなければ誰が変態精液種馬野郎の部下になるのよ!!」 「いえ、私は自発的に」 「そういう意味じゃないわよ!!」  良い感じにテンションが高いが、三人は黙って流し、 「ところで桂花様、その首に掛けているものは何ですか?」  怒鳴ったせいか額に軽く浮いた汗をタオルで拭っていた桂花は、露骨に慌てた表情で首 に掛けていたタオルを外した。背後に隠すように持ち、視線まで逸らして、 「別に、何でもないわよ」 「いや、隠すものでもないだろ」  元々は全員分持ってきたものだし、実際に使った感想も聞いてみたかったので、桂花が 勝手に使っても文句はない。むしろ桂花は正確がアレなので、自発的に使ってくれた方が 嬉しいし感想も聞きやすくなるというものだ。華琳が命令しても素直に答弁出来ない程に 俺に対して敵対感情を持っているので、今回みたいなケースは非常に幸運だと言える。  だが指摘するのも意地が悪いし、桂花も説明しようとしないので俺が説明しようとした ところで、機織り機の図面を見ていた工官が口を開いた。  彼は小さく咳払いをして、 「これこそは御遣い様がお持ちになられた天の国の聖なる布地。数から察するに、歴戦の 武官、文官様など栄誉有る方のみに送るものと思わすれば、摩訶不思議なる梱包具を用い 保管されていたことも含め、天の国でも恐らく希少なものであると思われます」  おぉ、と三人が驚愕するが、 「いや、そんな高いもんじゃないよ? 素材は木綿だし、値段的にもラーメン一杯とかと 同じか安いくらいだから。向こうの価格だけど」 「天の国の食品物価は恐ろしいんだね」 「え? 季衣、本気で言ってる?」  流琉が先程とは別の意味で驚愕の視線を季衣に向けたが、実際に三人に渡してみると、 三人とも普通に首にタオルを掛けた。タオルを首に掛けるのは普通のことだが、三人とも スポーツ系の服装なだけに異常に似合っている。元々は首掛け専用のグッズではないが、 それ専用と思える程だ。  ふむ、と凪は首に掛けたままのタオルを見て、 「端が折り込まれていますが、縫って固定されていますね。しかも縫い目が非常に細かく、 しかも均一です。天の国の服飾職人は全員このような技術を持っているのですか?」 「いや、手縫いじゃない。ほら、前の会議でミシンのことを話しただろ。あれで縫われて いるんだ。向こうでは全自動化されてるけど、会議に出した設計図のあれでも、この程度 だったら殆んど一瞬で終わる筈だよ」  おぉ、と感嘆の声が上がった。 「まぁ、詳しい説明は後にするとして」  吐息し、言おう、と決断する。  もう風には言った、華琳の他に知っている者が居るなら躊躇う必要など無い。  開き直りにも近い感覚を持ちながら、 「今夜、四人ともまた部屋に来てくれ。嫌かもしれないけど、桂花もだ」  言うと、息を飲む音が聞こえた。 「その、沙和と真桜もですか?」  凪が控えめに訪ねてくるが、別軍になった手前、誘い辛いという気持ちも分かる。  だが言わなければならないことだし、どちらが王になるにせよ早い段階で知っておいた 方が良いのではないか、と思えてきたからだ。 「流琉と季衣は、春蘭と秋蘭を頼む。桂花は稟を引っ張ってきてくれ」  霞は俺の方で呼べば良いだろう。  桂花は何故か露骨に嫌そうな顔をして、 「一つ聞くけど、それって人目に付かない方が良いことかしら」 「そうだ」  げ、と嫌そうな声が聞こえるが、いつものことなので無視をする。真面目な話の際にも 俺への嫌悪アピールを忘れない桂花だが、それに乗ってやれる程、今の話は軽いものでは ないし、俺もボケてやるような余裕もない。  流琉が桂花の言葉に続くように何故か顔を赤らめ、 「その、華琳様とは済ませたので、順序的に私達、ってことでしょうか」 「あぁ、ついでに言うなら風とも済ませた。それで、早い内に他の皆もって思ったんだ」  凪も何故か頬を染め、 「その、全員纏めて、ということでしょうか?」 「うん、そりゃ一人ずつだと効率が悪いし。俺も上手く出来るか自信は無いけど、華林も 手伝ってくれるだろうから安心してくれ」  再び、息を飲む音が聞こえ、 「大事なことだとは思いますが、その、内容と言うのは」  俺は他の文官達を見た。  仕事の手を止め、こちらを真剣な表情で見ている。  出来れば仲間内だけで済ませたい話だが、変に秘匿して不審を持たれるのも良くないと 判断し、どうすればギリギリのラインで納得して貰えるかを考えた。出すべき情報は出し、 しかし内容は最小限に、いかに納得させられるか。  俺は数秒考え、答えを出した。 「俺の通り名に関係することだ」  昔からの方針が変わっていなければ、天の御遣い関係の話は魏の中でも結構な重要機密 となっていた筈だ。華琳直々に、一部の者以外は詳しい内容について話すことを禁じてた 話なのだから、辛うじて引き下がって貰えるだろう。  数秒。  無言の時間が続き、 「変態」  いきなり桂花に罵倒された。 「真剣な表情で何をいやらしいことを言っているのよ!! 一昨日は華琳様で、昨日は風で、 今夜は残りの全員とか、どれだけ性欲が余ってるのよ!!」  待て、話が噛み合っていない。 「何でエロい方向に飛躍するんだよ?」 「だってそうでしょう、自分で言ったんじゃない!! 自分で言ったことも覚えてないの? その頭蓋の中には精液しか詰まってないのかしら!?」 「え? あれ?」 「アンタの通り名って言ったら『魏の種馬』の他に何があるってのよ!!」 「待て、そっちじゃない!! そんな下品な方向じゃなく、もっと他にあるだろ!! ほら、凪 もポカーンとしてないで!! 『御遣い』、『天の御遣い』!!」  指摘すると、桂花は黙り込んだ。  五秒。  十秒。  三十秒程無言が続き、その時間を掛けて俯いていた桂花はおもむろに顔を上げ、 「わ、分かってたわよ!!」  明らかに会話の内容が矛盾しているが、まさかと思い他の三人に視線を向けると露骨に 顔を背けられた。他の文官達は既に紙面に視線を落としており、時折竹簡に筆を滑らせる 音が聞こえてくる。  抗議をしたが、文官の一人が顔を上げて眉根を寄せ、 「あの、出来ればお静かに願いたいのですが」 「俺を蔑むの、もしかして国としての伝統芸になってる?」  ははは、まさか。と言われ、安堵するが、 「荀ケ様の指導の賜物です」 「お前が犯人か!!」  邪悪な笑みを浮かべ、鼻で笑われた。 「実際その通りでしょ? 華琳様を筆頭に重鎮全員とまぐわっておいて言い逃れしようだ なんて思わないわよね? 三国唯一の非処女国家とか言われたらどう責任取るつもりよ!!」  うわぁ、と流琉が引き攣った顔をしているが、桂花のテンションは更に高くなり、 「しかも非処女国家にしておいて一年間もトンズラこいたり、帰ってきて早々に意味不明 な発言したり、挙句の果てには自分勝手にフラフラと!! アンタ一体何様のつもりなの!?  待ってる人のこととか考えなかった訳!? 無能ここに極まれりだわ!!」  最後に、ふン、と鼻を鳴らし、桂花はそっぽを向いた。  どうしたものか、と頭を掻くと、背後から裾を引かれた。  振り向けば三人の苦笑じみた微笑があり、 「お察し下さい、隊長。桂花様も寂しかったのです」 「桂花様、兄様のことをかなり気に掛けていたんですよ」  小声で言っていたにも関わらず、桂花には聞こえたらしい。  こちらを睨むと歯を剥き出しにして、 「黙りなさい!!」 「だって桂花様、華琳様に何回怒られても庭に落とし穴掘ったりしてたし。……邪悪な顔 をしながらだけど」 「それに文官の人達を叱る時も、『北郷の方がまだマシだったわよ!!』とか言ってましたし。 ……その後、何故か邪悪な顔をしてましたけど」 「隊長が戻って来たと報告した際にも『誰も近付けるな』と言って隊長の邸に掃除用具を 持って向かわれていましたね。……邪悪な顔をしながら」  掃除をしてくれていたのも桂花だったのか、と驚きを覚えるが、それよりも驚いたのは 桂花が俺のことをそのように捉えてくれていたということだ。三人が今言ったことが事実 なのだとしたら、相当なツンデレだ。邪悪な表情なのは非常にアレだが、俺に対し好意を 持ってくれていたことを素直に嬉しく思う。  見れば文官達も生温い視線を桂花に向けており、 「……な、何なのよ、この空気は」  だって、ねぇ、と全員が頷き合って確認しているのを見ると、桂花は喉を?き毟った。  普通なら見苦しいと思うのだろうが、非常に可愛いらしく見え、 「ありがとうな」  礼を言うと、一瞬で顔を赤く染めてそっぽを向かれた。  今までの空気を打ち消すように桂花は咳払いを一つ、 「で、その話ってのは何なのよ?」 「……俺が王になる為の話だ」  王、という単語に反応するものがあった。 「ねぇ」  と季衣が不意に声を出し、無垢だが、しかし真剣な表情で、 「兄ちゃん、王って何だろうね」  嫌なタイミングで聞かれた。  季衣のことだから、風などのように狙って言ったのではなく思い付いたので言ってみた だけなのだろうが、ここで答えるのには厳しい質問だ。  ここで返答を間違えると俺の立場が悪くなるだけでなく、今夜の話にも間違いなく悪い 影響が出てくるだろう。それは避けたいと無難な答えを出しても、ここには桂花を中心に 多数の文官が揃っている。下手な誤魔化しなどは通じないし、華琳の居る城に勤める程の 実力を持つ文官達は、凡人の俺なんかとは比較にならない程の頭脳の持ち主だ。回答の更 に上を行く問いを投げかけてくることになるだろう。  喉が渇く。  頼りない頭をフルに稼働させ、出来る限りの答えを出そうとする。  ここは俺一人で、ヒントを出してくれる者は居ないが、日和ろうとする感情を強制的に オミットした。これは俺の問題だし、これからも俺が答えていかなければならない問題だ。 華琳が己の力で答えを出し続けたように俺もしなければならないし、それを上回る必要が ある場面も必ず出てくる筈だ。  掌に滲む汗を見られないように拳を握り、は、と吐息する。  考えろ。  ここで、何を言えば良いのかを。  俺が王になる為に。  俺が弱かったせいで失われそうになる全てを、決して失わせない為に。 ? ? ?  遅れてきた兵の足音を聞きながら、朱里は『亡霊』に近付いていった。  確かめなければならない。  つい先程出来た友達を、悲しませないようにする為に。  接近する。  少し身を起こせば打撃されるような距離まで近付き、そこで流れるような声を聞いた。  決まった旋律を持ったそれは、歌だ。  自分が布に隠された顔を覗き込もうとした瞬間にそれは途切れ、 「この世界とは音楽のようなもの」  胴に強い打撃を食らった影響か、元々低かった声は更にしわがれたものになっているが、 確かにそう呟くのが聞こえ、 「ならばお主たちは歌姫よ」  どういった意味合いだろうか、と朱里は思考する。  兵が『亡霊』を捉えようとする光景を見る中、背後から小蓮や明命の声が聞こえ、 「大丈夫で……」  振り向き様、答えようとして、 「ぅおン待ちなさーいッッ!!」  太陽を背後に、上空から巨大な何かが飛来するのを見た。  ―― 次回予告 ―― 「王とは」  歌 「王っていうのは」  唄 「王というものは」  詩 「王?」  誰もが『うたう』 次回『W.E.S.209』01:05「答え合わせ」 おまけ 「霞」  一刀の言葉に霞は目尻に浮いた涙を拭い、頷いた。 「さあさあ、銭まくど!! 銭まくど!!」  叫ぶ声が木霊する。 「銭まくさかい風流せい!! 仕事忘れて風流せい!!」  大勢の兵が見る中、霞が投げたあらゆる物が舞い、 「北郷・一刀の最後の帝納めや!!」 「音だ、音を出せ!!」  叫ぶ一刀の声に、音が鳴る。  笛。  太鼓。  楽器を打ち鳴らす者も居れば、手を叩いて拍子に乗る者も居る。  ある者は歌を唄い、ある者は武器を楽器のように打ち鳴らし、 「ん!! うん!!」  満足そうに一刀は頷き、 「歌え、踊れ!!」  声に、音に、歌に合わせて全てが騒ぐ。 × × ×  光景を見ながら、華琳は吐息し、 「一刀と居ると、毎日が風流みたい」 「変な方ですね、一刀様は」  明命の言葉に、華琳は頷いた。  だが頷いた上で涙の浮かんだ笑みがあり、 「でも、大好き」 「私もですよ」  明命が笑みを返した。 「わ、私も踊ってくる」  照れたような表情で華雄が駆けていく。 × × ×  北郷・一刀はその後、洛陽の街に邸を構え、隠居した。  そして生涯、二度と王になることはなかったという。 没理由:馬鹿過ぎるし、最後にパロは良くない