―― 踊れ踊れ歌姫よ   ―― 歌わず踊る君は美しい  02「開始」 「一刀に王の座を譲ろうと思うの」  俺と再会した翌日、宴会の席で華琳の言い出した言葉に、周囲は騒然とした。 「華琳様、それは一体どういう意味ですか!?」  口火を切ったのは桂花だが、無理も無い。 華琳に一番心酔しているのは桂花だし、付き合いが俺を除くと三番目に長いだけに魏の 歴史に誰よりも深く関わっている。特に政治などの関係は華琳の二人で基礎を作り上げた と言っても過言ではないし、誰よりもこの国のことを知っているからこそ、華琳の言葉に 対する戸惑いも大きいのだろう。  だが華琳は真顔で桂花を見返すと、 「言った通りの意味よ。ただ言葉が足りなかったのも事実だし、順を追って説明するわ」  吐息を一つ。 「そうね、分かりやすい部分から行くと、生産と貿易の話からかしら。この国に限らずの 話だけれど、今の時代、主に生産しているのは何か分かるわよね?」 「食糧ですね」  秋蘭の言葉に頷き、それに稟が付け加えるように、 「今の時代、とおっしゃられましたが、それはつまり」 「そう、歴史の流れを見ていくと分かることだけれど、時が流れていくにつれて生産する ものや貿易に使われるものも変わっていくわ。それは十年、百年単位の話になるけれど。 そしてここからが本題になるのだけれど、そうね、季衣。貴女はこの大陸の内、どの位の 人達が飢えず凍えず暮らしていけているか知っているかしら? 大まかで良いわ」  突然話を振られた季衣は驚いたような表情を浮かべ、少し考えた後でうなだれると、 「すいません、分かりません」 「そう、それが実情。民という視点で考えると、殆んどの者が知らないのも問題だけれど、 これは文官が把握しておけば良いわ。で、話を戻すけれど、生活が苦しいのは九割以上よ。 本当に死活問題だ、という者に限ると大分数字は変わると思うけれど、富裕層と貧困層の 格差がこれだけはっきりしているのは不味いことだわ」  俺は訳が分からないといった表情をしている春蘭の方を向き、 「つまり言葉は悪くなるけど、一部の金持ちが富を独占しているってことだよ。自虐的な ことは言いたくないけど、例えて言うなら俺が華琳にべったりで、春蘭は華琳に会う時間 が全然無いってことだ。そしたらどうする?」 「何だと北郷貴様殺すぞ」  そういうことだよ、と言うと、半分納得したような表情を浮かべた。残り半分は刀の柄 に乗せられたままの手が代弁しているので、俺は何も言わない。藪を突いて出てくるのが 蛇程度なら凪や桂花がビビるくらいで済むが、出てくるのは蛇ではなく魏武の大刀の本気 なのだから物理的に俺の首が飛ぶ。  華琳は視線だけで春蘭の行動を制すると、 「続けるわよ? このままの状態が続けば、さっき春蘭が一刀にしたような状態、つまり 不満も出るし一揆なども起こりかねない。今だって武力で抑えている地方もあるくらいで、 これは深刻な問題なの。まぁ、ここまでは普段から会議で言っているから春蘭を除いて皆 分かっていることだとは思うけれど」 「か、華琳様?」 「無視して続けるわよ? 食料も育ちにくい、特に見るものも無いせいで人も訪れにくい、 そんな場所に住む人達は何をすれば良いか分かるかしら? ハイ、再び季衣!!」 「うえぇ、また私ですか?」  季衣は分かりやすくうろたえたが、流琉は笑みを浮かべ、 「頑張って。ほら、うちの村でもあったでしょ?」 「あ、特産品ですね。ありました、野生の熊の肉を使った熊饅頭!! たまにハズレで眼球や 爪が具になっていたのが好評で!!」 「そして食料が少ない土地では、その土地で取れた名物を利用した加工品を作れば良い、 というところで話は終わらないのが難しいのだけれど。そういうとき、どうすれば良いか 分かるかしら? 季衣……と見せかけて沙和!!」  大丈夫だろうか、と思ったが、沙和は笑みを浮かべ、 「特産品は物とは限らないの!! 人も立派な財産、という話なの!! 例えば射練や愚土とか 一流の服飾店舗の本店が固まっている州は土地も痩せてて観光資源も無いって話だけど、 直接新作を買いに向かう人が多かったりするので金銭面でも潤っているし本店自体が一種 の観光資源になっているという話なの!! 他の土地でも似たようなことをすれば何の特徴 も無い土地でも一気に化けることが出来るかもしれないの!!」  本気で驚いた。普段がアレな感じなだけに、仮に答えられたとしても補足が必要になる かもしれないと思っていたが、どうやら見誤っていたらしい。申し訳なくなると同時に、 皆変わっているんだな、と思う。  沙和の言葉に華琳は頷きを返し、 「そう、それで良いわ。一例として考えているのだけれど、一刀の世界の学校という施設 を作ろうかと思っているの。宦官を育成する為の場所ね。独学で学ぶよりは効率が良いし、 そこで精神の基礎を学ばせたら実際に宦官になった後の素行不良も少しは減るでしょう。 それに奨学金制度と言うらしいんだけど、貧しい者には国から補助金を与え、実際に働き 始めたら返して貰えば良いわ。給与から直接引けば良いから、踏み倒される心配も無いし」  ここまでの話を理解出来ているか華琳は皆の顔を見渡し、一カ所で視線を止めた。  その視線の先、霞は難しい顔をして、 「うん、それなら資源も無く農作も出来ない土地でも利用出来ると思うけど、でも問題が あるで。結局それは、出来る人間を相手にした話や。沙和っちの大好きな服飾だって才能 が要るし、宦官を目指すにも出来ん人が居る。学ぶ土台も無く、体も弱く、何も出来ない 人はどうなるか、という話や。その辺りはどう考えとるん?」  それは俺の世界、現代日本でも大きな問題だ。  こちらでも実際、そういった人は少数だが存在した。そういった人は生活保護という形 で生活する為の資金を得ていたが、こちらの世界では難しい話だ。現代日本ならば技術が 発達しているので飢えたり凍えたり、なんて人は極少数だったし、経済格差も存在するが ここまで極端なものではない。九割以上の貧困層を相手にそのようなものを施行したら、 国庫が一瞬で空になってしまうのは目に見えている。  どうするのかと様子を見ていると、華琳は俺の方を向き、 「一刀、それは貴方の持ってきたものに答えがあるわ。例の紙を出してちょうだい」  言われ、俺は懐から一枚の紙を取り出した。  向こうでプリントアウトしてきたものは量が多いが、膨大過ぎるので、殆んどは漢女に 運搬を頼んでいた。しかしすぐに実用化出来そうなものは華琳や真桜に見せるために俺が 持つことにしていて、昨夜華琳に見せた際、その内の一枚が明日の宴会で絶対必要になる と言われたものだ。それをどのタイミングで出すのかと思っていたが、このタイミングで 出るとは思わなかった。  それに印刷されているのは、ミシンの設計図だ。当然この世界で使われている筈はなく、 誰もが不可思議なものを見るようにしている。これが何の役に立つのかと全員が強い疑問 を含んだ視線を向けてくるが、品質はそれなりに保証出来る。ここから千年以上先の時代、 スピーディに正確に、質が均一な品の大量生産を目的として大活躍することになるものだ。 現代産のようなプラスチックのカバーが付いたものではなく、本当に初期のもの。基本的 には安い合金と木材で作られているし、こんな時代にドリル槍なんてものを作り出す真桜 の技術さえあればミシン自体の実用化は不可能ではないだろう。仕組み自体も、全自動籠 編み機という謎商品の応用で行けるだろうと思う。  さて実際どうなるか、と真桜を見ると、これが何をするものか気付いたらしい。 「隊長、これって縫物するからくり?」 「正解。これはミシンって言う道具で、手縫いとは比べ物にならない速さで、しかも正確 に等間隔で縫うことが出来る。で、一番の問題なんだけど、作れそうか? 縮尺とかは後 で説明するし、その大きさで答えも変わるんだろうけど」 「うん、多分行けると思うけど、作るのが面倒そうやなぁ」  それを聞いて、華琳の言ったことの意味が分かった。  機械自体の性能が可能になるというなら、 「製造工程の細分化か」 「あ、成程な」  霞や軍師達も気付いたらしい。 「つまり部品一つ一つの製造を、それぞれ割り振るのですね。あまり大きくない木材部分 なら霞の言った弱い人達でも作れそうですし、後は技術者が組み上げれば良い」 「そうね。それに担当をあらかじめ決めておくっていうやり方なら、部品の問題で不具合 が生じた時も責任を明確に出来るし、対策も立てやすいわ。しかも、それだけじゃない。 次は、そうね……春蘭は無理だし、凪、イケるかしら?」 「おい華琳、今春蘭の名前を出す意味があったのか?」  キャラもあるしいつもの流れと言えばいつもの流れだが、これはもう軽い苛めの域だ。 桂花が邪悪な表情をして、春蘭がうなだれて、秋蘭と季衣と流琉に慰めている。だが季衣 の「大丈夫です、私も分かりませんから」という言葉はどうかと思う。  そして話を振られた凪は首を捻り、 「流通でしょうか? 弱者という言い方はあまり好きではありませんが、そのような本当 の弱者は村や集落から移動するのも大変な筈ですし、それに一カ所に集中して住んでいる 訳ではありません。それに部品を作る木材にしても、土地によって木の質や量が変わって くるので、肥沃な土地はともかく、痩せた土地では不利になります。ならば定めた場所で 質の良い木を切り出し、それを各地に運んだ方が良いかと思います。その運搬も一つの職 と言えますし、これも土地などが関係なく利益が入ります」  どうでしょうか、と伺うように小首を傾げるが、華琳は苦笑を浮かべ、 「半分正解。でも、よく考えたわね」 「ありがとうございます」  華琳にそう言ってから、凪は俺を見た。何か物欲しそうな顔をしているので頭を撫でて やると頬を赤らめ、嬉しそうな表情を浮かべる。子犬系と言うか、こうしている凪は本当 に可愛くて癒される。普段が凛々しい感じなだけにギャップもあり、それは尚更だ。 「続きを言える人は居るかしら?」  華琳が視線を回すと、元気に手を挙げる姿があった。  サイドの三つ編みを振りながら主張する姿を見て華琳は頷き、 「はい、じゃあ流琉」 「か、華琳さま物凄く酷いの!! せっかく隊長に褒めて貰いたかったのに!!」  華琳は再び苦笑を浮かべると、短く吐息をした。 「分かってる人に当てたら、こうして皆に言わせてる意味がないでしょう? これからの 流れを考えると人材は幾ら居ても足りないわ。それこそ文官も武官も関係なくね。だから 流れも全員に把握しておいてほしいし、皆に自覚を持って欲しくて、本来なら文官で話す ようなことを敢えてこんな形で話しているのよ? 外道行為をしている訳ではないわ」  最後の一言が無ければ素直に関心出来たのに、何故余計なことを付け加えるのだろうか。 「で、流琉。分かる?」  必死に考えているらしく、十数秒が無言のまま経過する。華琳が急かすことも無く笑み を浮かべたまま考えている様子を見ているのは、さっき沙和に言ったこともあるのだろう けれど、例え武官であろうとも政治について自分で考える、ということを重要視している からだろう。春蘭は良い意味で例外だが、思考を停止して武器を振るうだけなら、それは 獣と変わらないし、人としての成長が停止するということでもある。  更に数分が経過し、ようやく顔を上げると、 「安価な衣服の供給が増え、生活が物理的に豊かになる、ということですか? あと全体 の仕事が増えることで、職にあぶれてる人も減ると思います」  恐る恐る言うが、正解だ。 「正解よ、よく出来ました。細かい流れも言えるわね?」  はい、と元気に返事をし、 「まず衣服の件ですが、最初はからくりを作ることで費用は掛かると思いますけれども、 ある程度の台数が確保出来ていれば、そこから衣服の大量生産が可能になるということで 一気に供給量が増えます。服って高いですけれども、それは一つ一つ制作に手間が掛かる からなんです。縫う、という時間がどのくらい減るかは分かりませんけれど、例えば半分 になるというならそこに掛かる人件費が半分になりますから。それに沙和さんの大好きな 射練や愚土なんかは人気の職人が作っているので意匠を凝らすという意味で費用が上乗せ されている部分が有りますけれども、作りやすい単純な構造の服を作ることが基本になる と思いますので、その辺りでも費用を削ることが出来ると思いますね」 「な、何だか流琉ちゃんにまで苛められている気がするの」  流琉は沙和に三回程謝ると、再び華琳の方を向いて、 「職についてですが、大量生産向けの単純労働になるということなら昼夜を問わず続ける ようにすれば良いと思いますし、それに伴って労働人数も増えますね。そして大陸の各地 に店舗を作るようにすれば各地で安価な服が買えるようになりますし、その運搬に必要な のもやっぱり人ですから、また職が出来ます。因みにこれは寒い地方の人達を使うと良い んじゃないでしょうか? そちらでは作物が作りにくいので職も少ないですし、流通分の 費用を削った服を買えるという特権を与えれば喜ぶと思います。やはり他の場所よりも服 の枚数を多く必要としていると思いますし」  華琳は驚いたような表情をしているが、それは俺も同意見だ。自分で補足までしっかり 入れているし、全国展開や地方の特色も考慮に入れて話している。 「良い答えね、私の考えと殆んど同じよ。実際にやるとなれば細部を更に詰めていくこと になると思うけれど、概ねそのような流れでやろうと思っているわ。他にも天の国の知識 を利用して何個かからくりを取り入れようと思っているし、同様の流れが作れると思う。 霞、どうかしら?」  霞は何度か頷き、 「ま、そこそこ納得は出来た。じゃあ次行こか」  そうね、と華琳は頷き、 「ここまでは大陸内だけの話になるのだけど、ここから話すのは大陸の外側の話になるわ。 まぁ、外側と言っても地続きなんだけどね。羅馬とか、そっちの方よ。ここからは一刀の 話を基調とするから実際とは少し差異が生じるかもしれないけれど、そこは後で詰めると いう方針で行くから突っ込み入れたくなっても我慢しなさい。良いわね?」  全員が頷いたのを見ると、 「これは大陸が豊かになった後の話になるのだけど、どうしても頭打ちになる部分が出て くる筈なのよ。国と言うものに捉われている以上は発想や技術なんかは勿論、土地が限定 されているなら資源にも限界が来る筈だしね。ただ生きていくならそれでも構わないって 話だけれど、人である以上は絶対にそこで納まらないわ。だから他の国の文化を取り入れ、 限界を伸ばしていこうという考えよ。実例としては今のミシンというからくりや、一刀の 服とかがそれに当たるわ。ミシンはこれから千年以上後に天の国以外の土地で考え出され、 それを取り入れたという話だし、一刀の服の、あぁ、昔着てた白い奴ね。それの原材料と 石油というものは、天の国から何万里も離れた場所で採れるという話よ。天の国は資源に 乏しく、技術と貿易によって貧しい状態から世界有数の富んだ国に発展したという話だと 聞いた。私達もいずれ、そうやって他の国の資源や技術に頼ることになると思うのだけど、 ここで大事になるのは何か分かるかしら?」  非常に簡単な問題だ。  華琳は少し考えた後で、 「春蘭、答えなさい」 「え? ナメられないこと、ですか?」  全員が驚愕の表情で見るが、これは分からない方が問題だろう。  ただ華琳は少しがっかりした表情で、 「もう少し面白い答えを期待していたのだけど、概ね正解よ。そう、肝心なのはナメられ ないこと。格下に見られたら無茶も言われるし、上前を撥ねられる可能性も有るわ。なら どうすれば良いか、簡単な話よ。相手をビビらせれば良い。こちらの方が上だと、少なく とも、同格以上だと思わせれば良いだけよ。そして、ここから最初の発言に繋がってくる のだけれど、何人かは分かった人が居るみたいね? 良い流れだわ」  傍目から見ても華琳のテンションが上がってきているのが分かる。戦の時にも度々見る ことが出来たその表情は、とても楽しそうだ。強い相手を叩きのめして上に上がって行く ことや難しい問題を解くのが大好きな華琳らしい、覇王の根源とも言うべき荒ぶる気性が 存分に発揮されていた。  次は誰にしようか、と目を輝かせ、 「そうね。一回も会話に参加してないし、風?」  珍しく寝ることも無く、ひたすら考え込んでいるようだった風を指名すると、 「そうですねー。お兄さんが魏の王になるということと、国内の急激な変化。つまり魏が 生まれ変わる、ということにする訳ですね。こう言っては難ですが、華琳様が王のままの 状態で変化を持たせても、政策の延長と取られてしまいます。そうするよりも、新たな王 と新たな技術。しかも天の国からのものとすれば民に非常に強い衝撃を与えることになる でしょうし、今の政策に不満を持っていた人達にも希望を与え、支持を得ることも出来る のではないかとー。他の国から見ても、突然現れて国を急激に進化させた王が居るという ことを考えれば、どうしても侮ることなど出来なくなりますしー。そんな感じでしょうか?」 「そうね、分かりやすい説明ありがとう。ま、これは戦時中にも行った風評操作と大して 変わらないしね。相手や規模が大きくなったというだけで」  でもね、と華琳は邪悪な笑みを浮かべ、 「ただ政権を交代するんじゃ詰まらないから、一つ考えたのよ。だってそうでしょう?  表立ってするにしても裏からするにしても、どうせ基本的な政治を行うのは私や文官達に なるのだから、もう一つ民に納得させるものが必要になるじゃない。衝撃と理解、被害を なるべく与えずに納得を得ようとするなら、この二つの事柄が必要なのよ」  だから、と華琳はどこから取り出したのか絶を振って妙なポーズを決め、 「模擬選を行って、一刀が勝ったら王の座を譲ろうと思っているのよ!!」 「待て華琳!! そこまでは打ち合わせに無かったぞ!?」  当然よ、と華琳の顔は余裕の満ちた普段のものに変わり、 「相手の何歩も先を行くのが覇王というものよ。それに天の知識を持つ者を客将ではなく 完全に支配下に置き、そして知識を活用すれば問題ないでしょう。直接王にするよりかは 支持率が下がるかもしれないけれど、それを上手く乗りこなせば良いだけのこと。もしも 上手く行かなかったらそれも天命というものよ」 「さっきの話と矛盾する上に、何でも天命と言えば良いと思ってるだろ!!」  いや、華琳なら上手く行かせるんだろうけれど、微妙に納得が行かない。 「因みに全員参加よ。それと模擬選の際、どちらに着くかは私の采配ではなく、それぞれ の判断に任せるわ。どちらに着くべきか自分の意志で判断するように、分かったわね?  勿論、一般兵についても同様よ。桂花、全軍に伝えておいて」  詳しい日時などは追って説明するわ、という言葉でこの話は終了となり、数分の後には 宴会の続きとなったが、一部を除いて殆んど全員が浮き足立っていた。 ? ? ?  その話から丸一日が経過し、どうなったかと言えば、結果的には変化が無かった。  誰もが考えている途中なのだろう、というのは俺の考えだが、間違ってはいない筈だ。  アプローチをして手勢を増やそう、とは思わない。そうするよりも各自の判断を待って 答えを聞くのが良いだろう、というのが俺の考えだ。それに個人的にアプローチしようと 思っている人材は一人だけ居るが、それ以外では誰がどちら側に着くのかの予想は出来て いるので、そこからどう戦略を立てていくのか、という方が問題だ。  百戦錬磨の軍師達に対抗出来るとは思わないが、何もしないよりはマシだろう。  そんなことを考えながら未だ開きっぱなしだった落とし穴を埋めていると、ノックの音 が部屋の中に響いた。 「入って良いよ」  華琳の指示でエロ本はしっかりと捨てたし、見られても困る物は存在しない。  部屋の戸を見て、数秒。  誰だろうか、と視線を向けると、意外な猫耳頭巾が立っていた。 「何だ桂花か華琳なら居ないぞ確か今夜は凛を呼ぶとか言ってたから私室に向かえばって 言うか要点だけ絞って言うと返れよ!!」 「何だとは何よ!! って言うか息継ぎすらしないで追い返すとはどんな量見よ!!」  桂花にだけは言われたくなかったが、珍しく桂花から訪ねてくるのだから、それなりに 真面目な話なのだろう。テンションもいつも通りだし、これは挨拶のようなものだ。 「でもお前さ、普通に華琳の方に着くんだろ? それにお前のせいでエロ本捨てることに なったし、ここに居ても利は無いだろ」 「後者が本音ね?」  最低、と言いながらも部屋に入ってくると、勝手に部屋に入ってきて勝手に椅子に腰を 下ろした。こちらを睨みながらなのは昔からなので構わないが、どんな話なのだろうか、 と幾つか候補を考える。一番分かりやすいのは華琳に言われて落とし穴の処理をしに来た というものか罰として俺の性処理を命じられたことだが、時期を考えると、最初に考えた 真面目な話の可能性の方が高い。俺への詫び関係なら露骨に嫌そうな表情を浮かべている だろうし、それ以外でなら俺に近付こうともしないのが桂花という少女の行動パターンだ。  そして真面目な話にも幾つか種類があるが、俺に降伏を勧めに来たか探りを入れに来た というところだが、恐らく前者だろうと判断した。間違っても俺の側に着くなんてことは 無いだろうし、その辺りは普通に除外したが、そう自然に判断出来るくらい普段から酷い 扱いを受けていた事実に悲しくなってくる。  俺も作業を中断すると桂花の対面に座り、何か手荷物を持ってきていたことに気付いた。 見ればそこそこな大きさの壺のようなもので、 「酒か?」 「部下達が持って行けってうるさかったのよ。私の意思じゃないわ、勘違いしないでよ」  そこまで自惚れてはいないが、 「なら直接言いに来れば良いのに」 「アンタ本気で馬鹿なの? 今は無職とはいえ王の候補だし、一年前は華琳様の客将とか 凪達の上官とかやってたのよ? 特に文官はここ一年で急に増えたし、アンタを噂でしか 聞いたことが無いって人の方が多いんだから、気楽に挨拶に来れる訳無いでしょうが」  そう言えばそうかもしれないが、どのような噂になっているのだろうか。今日の昼間、 城の中を散歩していて女性の文官に挨拶をしたところ露骨に逃げられたが、噂とは無関係 だと思いたい。こちらをチラ見して「種馬」「変態」「孕ませ」など嫌な感じの単語が頻繁 に聞こえてきたのも、きっと俺には無関係だろう。 「噂を流したのは私だけどね」 「お前はわざわざ喧嘩を売りに来たのか!!」  そんな訳ないでしょう、とこちらを睨むと桂花は勝手に壺の蓋を開き、持参の器に注ぎ 始めた。華琳には媚を売りまくっているが俺にはその一割も愛情を向けてくれないという 性格は分かり切っているが、ここまで俺に対してフリーダムだっただろうか、と思う。  だが桂花は俺の視線を気にしたような様子も無く一息に飲み干すと、 「アンタ、どうするつもりよ?」 「どうするも何も、全力で戦うつもりだよ。文句があっても聞かないぞ?」  そうじゃないわよ、と首を振った。あまり酒に強いイメージが無いから酔いは大丈夫か と一瞬心配したが、桂花はこちらをじっと見てくるだけだ。 「アンタ、華琳様に何吹き込んだのよ? アンタが帰ってきて、急に王座を譲り渡すって 話になって、それで何も無い訳ないでしょうが」  気付かない方がおかしい話だが、ここまで単刀直入に聞いてくるとは思わなかった。  しかし、と否定の思考を浮かべ、聞かれたからには答えねばならないのか、とも思う。  どう答えるべきかと考えるが、現状で持っているのは、桂花や普通の民達から見たら、 妄言と言えるようなレベルのものだけだ。俺や漢女のような『外史側』の外の視点を持つ 者や、異常な程の客観的な視点を持つ者でなければ信用出来ないだろうし、そんな視点を 持つ者はここから遙かに後でなければ出てこないだろうと思う。冗談としてならこの世界 を作られたものだという人は少なくないだろうが、きちんと理論立てて考えるとなったら 話は変わってくる。ビックバンという学説を唱えたのが誰だったのかも知らないし、どの 年代でその科学者が出てきたのかすらも覚えていないが、それはマクロの視点が発見され 定着してからだ。到底信じて貰えるようなものではない。  そもそも俺自身、この世界が成立する理論を詳しく知っている訳ではないし、 「難しい話だ」  一言で表現すると、桂花は鼻で笑った。 「まぁ、華琳様程になれば馬鹿な話に騙される訳がないし、アンタも流石に無意味な話は してないだろうから構わないけど。必要ならば華琳様の方からおっしゃって下さると思う から大して心配してる訳じゃないけどね」  ここからが本題よ、と言って腕を組み、真顔になると、 「十日後の模擬戦、どう考えてるかを聞きに来たのよ」  勝たねばならないとは思っているが、確実に勝てるとは思っていない。相手は諸葛亮や 周愈を相手にして勝ち続けてきた覇王だ、勝てると思う方が間違っているというものだ。 桂花からしたら、思い上がりも甚だしいという感じなのではないだろうか。相手としては 不足極まりない、と自覚するだけの頭はある。これからすることを考えれば情けないこと しきりだが、最初のハードルが高いことは分かりきっていたことだ。  だが、それでこそ、だろう。  何しろ俺の最終目標は世界を相手にして、しかもそれを叩き潰すことだ。  俺がそのようなことを考えている間にも桂花は酒を飲み進めていたらしく、連続して器 の中に注がれる音が聞こえてくる。と言うか本当に大丈夫だろうか。霞などならともかく、 本気で心配になってくるペースだ。 「ほどほどにしとけよ」 「うっさいわね、アンタに心配される程、私も落ちぶれちゃいないわよ」  随分と酷い物言いだ。 「で、真面目な話。アンタ、例えば一人も手勢が出来なかった場合、どうするつもりよ?」  邪悪な笑みを浮かべているが、本気で言っていないことは発音のニュアンスで分かる。 桂花なら、どのような感じで集まるかは大方の予想が付いているのだろう。  俺は昼間に書いた、将の集まり方の大まかな予想を書いた書簡を取り出すと、桂花の前 に差し出した。本当は今の内から決めるのは良くないが、桂花の意見ならば俺などがする 予想よりは遙かに出来の良いものが出来る筈だ。心理の読み合いと戦略の立て方で、真剣 な状態の桂花の上に立てるような者など数える程しか居ない。  桂花はしばらくそれを無言で見ていたが、不意にこちらに空いた手を差し出した。 「何?」 「空気読みなさいよ、この流れなら筆を出すのは当然でしょ?」  ハードルが高い。  だがせっかく添削をしてくれるのだから好意を無駄にすることも無いだろう、俺は筆を 机から取って来ると渡す。どのような感じになるのだろうかと思うが、まさか全体にバツ を付けるなんてことは流石にないだろうと思う。大きく変えるなら新しく書く方が早いし 何箇所か、というのが妥当な感じだろうか。  アルコールがそれなりに入っている筈だがさらさらと筆の動きに淀みはなく、一分程度 で書簡は戻ってきた。もう俺の部屋に来る前に考えをまとめていたというところだろうか。  戻された書簡の中、バツが当日のシフトに入っていて参加出来ないというのは注釈付き なので分かりやすかったが、目を引かれたのは馴染みの深い有力な将達の部分だ。昨日の 宴会に参加していた各員の性格を考えて、それなりに上手く出来ていると感じたが、桂花 から見たら見当外れも良いところだったらしい。  元・北郷隊の三人は凪以外の名前が削られているし、その代わりに入っているのは季衣 と流琉の名前だ。この二人は春蘭と秋蘭とのセットになると思っていたし、北郷隊の三人 も同様に考えていたが、軍師的な視点で見ると違うらしい。繋がりよりも各個人の性格や パーソナリティを重視した結果なのだろう、と思う。その辺りは俺には真似し辛い部分だ。 しかし一番驚いたのは、軍師の部分だ。 風と凛の内、凛の名前が消され、その代わりに書いてあったのは、 「桂花、お前がこっちってどういうことだ?」  嫌がらせかと思ったが、ここで極論を出すのは愚か者のすることだろう。幾つか候補を 作り出し、そこから消去法で答えを出すのが正しい選択だ。そして候補を出すならば相手 の個性を正しく見極め、それに理論を組み合わせるのが重要だということは間違いない。  俺は桂花の大きな個性を考え、二つ程思い付く。大きな個性と言うのは、大雑把という ことではなく、普段からそれが際立っているということだ。  一つは華琳命のガチレズだということだが、更に付け加えるならドMの変態だ。  もう一つは超直進系の武官である春蘭と犬猿の仲であるということだ。  その二つを組み合わせると、瞬時に答えが出た。 「春蘭を合法的にボコボコに出来る上、敵として華琳にお仕置きされまくるという魂胆か」 「真面目な話だって言ってるでしょう!? 空気読みなさいよ!!」  間違っていたか、かなり良い線を行っていると思ったが残念だ。  桂花は、ふン、と鼻息を出すと、 「それも理由の一端ではあるけど、流石に王を決める戦いで馬鹿をするつもりは無いわよ。 良い? 頭が哀れなアンタにも分かるように説明してあげるから、その性欲と煩悩まみれ の貧相な脳をしっかり働かせて聞きなさいよ」  何故説明を受けるだけなのに、しかも一応は味方である筈の相手から聞かされるのに、 こんなに罵倒されなければならないのだろうか。俺が何をしたのか。 「最初から妙だと思ってはいたけど、確信を持ったのは天の国のからくりの話を出された ときよ。そこから国を富ませる話になり、最終的には他所の国相手に貿易を仕掛けるって 話になったわよね。ここで気付かないのは馬鹿だけよ」  一泊。 「アンタ、汚れ役になるつもりで戻ってきたでしょ?」  何とも鋭いが、桂花の言葉は続いていく。 「国が富んで、世界も統一出来る。それだけなら私も気にしないのだけど、非難を浴びる のはアンタになるだろうし。でも最後に華琳様に言ったわよね?」  打ち合わせと違うって、と言われ、俺もやっと華琳の発言の意図に気が付いた。むしろ 丸一日経ったというのに気付いていなかった自分を馬鹿だと思う。 「華琳様に汚れ役を引き受けさせる訳にはいかないのよ。一年前は乱世の奸雄と言われて いたけれども、世界を相手にしたらそんな風評だけでは済まされないわ。規模が違うし、 私は華琳様を信頼しているけれども、何があっても死なないと思っている訳ではないのよ。 華琳様だって人間だし、殺す方法なんて腐る程あるわ」 「なら敵になってでも止める、ってか」 「それを見越しての発言でしょう? 馬鹿じゃあるまいし、各自で判断しなさいってのは 好悪じゃなく、模擬戦の後のことを考えなさいってことでしょ」  そういうことよ、と言って、桂花は空になっていた器の中に酒を注いだ。  ところで、と結局持ってきた酒を一人で飲み干し、 「アンタ、悪い癖が酷くなってない?」 「何だよ、急に」  悪い癖、というならば思い当たることは少なくない。無意味に言いがかりを付けてくる のは普段通りだが、視線は真面目なものだ。 「気付いてないかもしれないけど、アンタ、一人になりたがる癖があるのよ」  そんなことはない、と思いたい。俺はどちらかと言えば社交的な方だと思うし、種馬と 不名誉な称号を与えられることは不満だが、普段から近くに誰かが居たような気がする。 向こうに居た時もこちらに居た時もそれは変わらないし、一人で居るときがなんとなく目 に着くことが多かったというならば、それこそ全員がそうだろうと思う。それぞれに仕事 というものが存在するし、休みが合致するなんてことは珍しいことだ。  だが桂花は首を振り、 「自主的にどうか、という話よ。節操無いくせに、誰かを誘うってことは少ないでしょ」  それとも節操無いからかしら、という言葉に、鼓動が一つ高鳴った。 ? ? ?  どうしようかなー、という言葉を聞いて、霞は眉根を寄せた。 「どうするも何も、もう決めてるんと違うの?」  そうなんだけどねー、と机に突っ伏す風を見ると、吐息を一つ。  街の外れにある屋台の一角だ。最初は霞と風は席を並べていたが、今は風の方に酔いが 回ってきた為、すぐに横になれるよう別途で設置された多人数向けの席に移動した後だ。 幸いなことに客足も今日は少なく、だからこそこうしていられるが、これ自体を珍しいと 霞は首を傾げた。  普段から全力で頭のおかしい桂花や凛と違い、風は若干個性は強いものの自覚している 部分は有るし、他の者に比べても自制の利く方だ。無意味に寝るという厄介な芸風はどう かと思うがボケを逃すと不満を見せるし、寝ているかと思えば意見を求められても真面目 に答えたりもする。凛の鼻血を止めたりという突っ込み部分もあるし、グダグダな流れを 良しとしない性格だというのが霞の風に対する認識だ。鼻血に関してはもはや流れ作業的 なものも感じるが、それも含めてのものだ。  それが明確な流れを提示しようとしないのは、 「待ってるとか、そんな感じか?」  それもどうかという印象がある。  華琳の性格もあるのだろうが、魏の者全体の特徴としては何かを求めたり決めたりした 場合、問題さえ無ければ即座に行動に移る。春蘭や桂花などは経過を無視して極論を出す ことが稀に発生するが、それも速攻精神が骨の髄にまで染み込んでいるからだ。  数秒。  風は頷き、身を倒し、 「寝るなや」 「おぉ、つい答えを出したくなくて寝てしまいました」 「いや、芸風は分かっとるけどな。夜中でしかも酔っとると、マジなんか判断が難しいし」  これはすみません、と風は身を起こすと再び机に突っ伏し、 「でもねー、お兄さんってアレだから、なんとなくねー」  分かるわ、と霞も頷き、二人で見るのは城の方角だ。 「今頃、誰か連れ込んでたりしてな……模擬戦関係なく」 「否定出来ないのが残念だよねー。華琳様の方は凛ちゃんだっけ?」  せやね、と霞は酒の器を空にすると、 「で、一刀の方は何も言ってこんの?」 「残念ながら」  だからこうして二人で飲んでるんでしょー、と言うと霞は苦笑。 「難しい話やな」 ? ? ? 「難しい話だな、俺にも分かるように言ってくれ」  そう言うと、桂花は眉根を寄せ、 「自覚がないとかは分かりきっていることだけど、説明を求められると腹立つわね」  自覚がない悪癖というのは厄介だ。 「いや、悪い部分は直したいしさ。桂花に嫌われてるのは知ってるけど、それが少しでも マシになって仲良く出来れば、それに越したことはないし」  言うと、だから馬鹿なのよと溜息を吐かれた。 「世の中には二種類の人間が居る。人の上に立つ人間と、下で支える人間よ。もっと簡単 に言うと、愛する側の人間と愛される側の人間。能力の有る無しとか本人がどう思うかは 関係なく、その人間の本質とも言えるものよ」  桂花の人生観と言うか人間論、なかなか面白そうだと思い何故か手付かずだった秘蔵の 酒を取り出してくると、テーブルの上に置いた。歴史に名を残す洵文若の御高説だ、その 説法を酒の肴に出来るなど、こんなに凄いこともそうは無いだろう。 「例えば華琳様が分かりやすい例ね、あの方は愛される側の人間。だからこそ大陸の覇王 となることが出来たと言っても過言ではない。能力もそうだけれど、有能なだけでは人は 着いてこないもの。逆に無能な王でも魅力があれば人は集まる、蜀のようにね。極論的な 例だけど、実際そうだったし、分かるわよね? そして問題になるアンタのことだけど、 アンタは愛する側の人間だということよ」  それは分かっている。 「節操の無さを言っているんじゃないわ、本質の問題よ。誰彼構わず手を出すことも問題 ではあるけれど、そこが問題な訳じゃない。相手も愛する側だから、情愛を訴えられれば 応えるのも当然だと思うし、アンタの場合は相手から求めてくる場合があるのも理解して いるのよ。主観で言えば気に食わないけど、理屈としては納得出来ないことも無いしね。 でも問題は、華琳様との場合なのよ。愛する側と愛される側、その二つが組み合わさると 愛する側同士の場合よりも結びつきが強くなる。特にアンタと華琳様の場合、男女という 組み合わせもあるし、逆の要素も僅かに持っているから、殊更強いわ。私達みたいな愛人 扱いではなく本命扱いされている自覚くらいはあるでしょ?」  驚いた。  俺が本命扱いされていたという事実ではなく、桂花がこんなにも冷静に客観的な視点で 物事を捉えていたということにだ。風と最初に交わった日に、軍師は客観的に物事を見る ところから始まるといったようなことを言っていたが、正直な話、桂花がここまで自分を、 そして俺のことを見ているとは思っていなかったからだ。侮っていた、という訳ではない けれど、何だか申し訳なくなってくる。 「そしてアンタは強く華琳様を求めているけれど、理屈の部分では華琳様が忙しいという ことを理解しているから、表の意識の部分で、積極的に会おうという選択肢は除外される。 だから一人になろうとするし、二番目以降の正直オマケ扱いの人間に誘われると断らずに 付き合うことになり、ついつい手を出してしまう。その結果が種馬よ」  最後に酷いことを言われたが、冷静に論理立てて説明されてみると正しく聞こえるし、 自分のことながら物凄い人間だと思ってしまう。  しかし、これはきっと真実の一つだとも思う。  愛する側と愛される側、という人間論は現代日本でも珍しい考え方ではないが、こんな 真剣に考えたことがなかったからこそ驚きがあり、メジャーな考え方だから納得もする。 しかし一つ、違和感のようなものを覚えた。言葉にし辛いし、それがどこかと問われると 答えることが出来ないが、ただ何かが違うと反論したくなるような、小さな刺のような、 本当に些細なもの。  理解もした、納得もした、桂花の言い分は恐らく正しい。  ただ、正しいだけで何かがきっと違うのだ。  黙り込んだ俺を怪訝そうな表情でこちらを見ながら桂花は俺の酒を注いだ盃を傾けつつ 指先でテーブルの表面を叩いた。一定のパターンとリズムで作られるそれは、一つの曲の 様にも聞こえる。上機嫌なのだろうか。俺と一緒に居て上機嫌というのも珍しいが、その ことを言うと何かと否定されそうなので言わないが。  そのまま考え込んでいると、ぽつり、と何かが屋根を打つ音が聞こえてきた。  そのままそれは連続し、雨か、とぼんやりと思う。一昨日も夜に雨が降ったし、帰って 来たばかりなのに雨が多いと思った。まだ三日しか経っていないので、その内の二日が雨 だというのも単なる偶然なのかもしれないが、少しばかり気が滅入る。  外の様子を見て、吐息を一つ。  皆は何をしているだろうか、と思った。 ? ? ? 「雨ですねぇ」 「雨だな」  城門の脇にある詰所、その中で若い兵士がごちると、向かいに座った中年の兵士が吐息 と共に目を伏せ、短く答える。珍しくも無い光景だ。  しかし若い兵士の頭の中にあるのは天気のことではなく数日先のことで、 「おやっさん、どう思います?」 「どうって何だよ? 要点を説明しろ」  考えるのは三日前に門を潜る姿を見た、一人の青年のことだ。  そのときは大した注意をすることもなく、手荷物を持っていないことを珍しいと思った だけだったが、そういった身一つで街に入る者も少なからず存在する。貧乏な文官が何か 報告があって寄るだけといったことや、親族に呼ばれるといったこともあるだろう。  まさか、あの人がなぁ、と呟き思い出す姿は、普通の町人のものだ。一年前、要事の際 に着ていたという天界の衣装も無ければ、特に人と変わった部分も無い。自分は当時辺境 の山中にある貧しい農村で暮らしていた為に噂でしか聞いていなかったし、曹操が大陸を どうこうしたということも雲の上の話でしかなかった。こちらに出稼ぎに来てから教育の 一環だという名目で先輩から興奮混じりで曹操と天の御遣いだという青年の武勇伝を聞か されたが、そんなものかと思っただけだ。  自分にとっては糧を得ることの方が大切で、王が変わるとかいう話は興味の範疇外だ。  だからどちらに着くのかも決まってはおらず、強いて言うなら今までと同じように曹操 の側に着こうと思っているが、そう話すと中年兵士は噛み潰したような笑みを見せた。 「なら俺とは敵同士になるな」  理由を問うと中年兵士は笑い声を漏らし、 「なに、俺は元々警邏の方で採用されたんだがな、そのときに隊長には散々世話になった。 凄い人だぜ、あの人はよ。警邏の部門はな、最初は微々たるもんだった。それが不満だと 思ったらしく、あのおっかない曹操様が相手だってのに、勝手に増強の手回しをして強引 にそれを認めさせやがったらしい。俺が入ったのもその頃でな、その話を聞いてどんな奴 かと思えば馬鹿でスケベでヘタレな兄ちゃんだった。部下にしょっちゅう飯をタカられて いたしな。笑っちまったが、でもよ、そんな俺に兄ちゃんはどうしてくれたと思う?」  中年兵士は目を細め、 「一緒にどうか、と笑いながら誘ってくれたんだ。そのときに俺は悟った、俺はこの人の 下で働いて行くんだ、とな。隊長が居なくなった事実が嫌で逃げるみたいに俺はこっちに 移転願いを出したが、そんな奴は少なくないと思うぜ?」  中年の感傷は気持ち悪いだけだがな、と付け加えるが、それを聞いて思うのは、 「その人のこと、大好きなんですね」 「そうだな。嫁と子供と隊長、上位三つが揺らぐごとはねぇさ。それによ、一度天の国に 帰ったって話なのに戻って来たってのは、つまりそういうことなんだろう」  だから、と中年は笑みを濃くし、 「手加減しねぇぞ」  視線を強め、宣言する。  それを見て、どんな人なんだろう、と若い兵士はどちらの側に着くか迷い始めた。 ? ? ?  雨が降り始めたという理由で店仕舞いを言い渡され、酔いも酷く回っているという理由 もあって、風は自分の邸に戻っていた。女中に部屋に入らないようにだけ言って寝具の中 に飛び込み、うつ伏せになる。  部屋の中は暗く、雨の音も煩く、気分は最悪で、こういった状態は好きではない。  正しく言えば、好きではなくなった、だ。  それが何故か、いつからかと考えれば、答えはすぐにやってくる。 「お兄さんに」  抱かれた日からだ。  その日の、腕の中で抱かれ眠ったという記憶は鮮烈な色彩を持ったまま、今も失われて いない。その後も何度も抱かれる日があったが、やはり記憶の中で一際色濃く残っている のは初日のことだ。あのときに感じた安堵は、格別のものだった。  だからこそ普通であり、日常であった筈の一人寝が寂しく物足りないものになった。  贅沢と言うのか我儘と言うのか、あさましい娘だ、と自分で思う。  表に出すことはないが、きっと自分が一番それを欲していて、それが叶わぬから嫉妬の 感情で苦しくなる。 『お兄さんは他の皆のことが好きだから』  こらえることが出来ず、思わず口にしてしまった言葉だ。 『だから風は、好きになってあげないのです』 子供のようだ、と風は思い、敷布を握る。 分かっている、と目を閉じ、思い起こすのは過去の光景だ。 一刀は十分に愛してくれたし、精一杯気遣ってくれた。手慣れていると皮肉を言った後 でも、風を抱き締めるのは初めてだと言ってくれたが、そこでも嬉しさと同時に醜い感情 が湧いてきたのを覚えている。他の人はどうなのか、『風を』という表現を使ったのは嫌だ、 このまま二人で死んだらどうなるか、と。  独占したい、と火が点くことも少なくなかった。  他の娘のように、一刀だからと諦めることは難しい。  だから自重して無理やりにでも納めなければ、きっと暴走してしまうだろうと自覚する。 他の娘のように北郷や一刀と名前で呼ばずにお兄さんと呼んだり、そんな必要はないのに タメ口ではなく丁寧語で会話しているのも、その為だ。その線を自覚し、使っているから こそ抑えられているが、きっとどちらかを破ってしまったら我慢が出来なくなるだろう。 近付きたいのに距離を置かなければ壊れてしまうというジレンマは、強く心を苛んでくる ものだが、嫌われたくないという一心が支えている、そんな状態だ。  は、と吐息をして、体を転がした。  目を開くと見慣れた天井があり、窓の外では相変わらず雨が降っている状態だ。  そして反対側、扉の方に視線を向け、 「何を期待してるんだろ」  馬鹿みたい、と呟き、再び目を閉じた。  一刀の顔を思い浮かべ、手が自然と股間の方へと伸びてくる。  一刀が居ない間に増えた一人遊びだ。自分で自分を慰めることは一刀に会う前からあり、 それは抱かれる前でも何度かあったが、一刀がいなくなってからは想像付きのものへ変化 したもので、行為の後に空しくなるのは理解しているが止められない。 「お兄さんが、悪いんですからね」  今は部屋の中に居ない者に語りかけるように、風は呟く。 「風の体を開発しておいて」  恨み事だと理解している。 「勝手に居なくなって」  逆恨みだとも理解している。 「今も、ここに居なくて」  だが手指の動きは止まらず、下着の上から秘列を撫で、空いた手が胸元に伸びた。 「風を、こんなにも、寂しがらせて」  胸元を弄りながら思い出すのは、最初に交わった日のことだ。甘い、と一刀は言ったが 胸の肉も他の肌と変わらない。汗が浮けば塩の味がするし、洗った後では無味となる。  それでも理解出来たのは、きっと体ではなく心も含めた全体に意識が向いていたからで、 「甘い、ですか?」  実際に相手が存在するように、舐めやすく胸を摘み、乳首を持ち上げた。敏感になった 肌が布地が擦れ、思わず声が漏れた。舌のように水気も無ければ、ぬめりも存在しないが、 舐められているようだ、と考える。布地を連続して擦らせれば比例した数の声が漏れるし、 股間部分に当てた手指の先には僅かに湿気が感じられた。  そこを軽く押しこむと指先に当たる湿り気が増し、僅かだがぬめりのような感触もある。  普段ならばもう少し抑え目だが、濡れる速度が速いのは一刀が帰ってきているからか、 と冷静な部分で判断する。  や、と声が漏れ、 「嫌ぁ」  意味を持った呟きになる。 「またお兄さんに、いやらしい娘だって」  そう言った一刀の顔を思い出し、途端に蜜液の量が増した。見られている、と感じて首 を軽く振り否定しようとするが、肌に感じる下着の布地の感触は既に、湿っているという 言葉で表現出来るものではない。濡れている、と自覚出来る程に、下着には大量の愛液が 染み込んでいた。既に肌に張り付くようになっている布地の感触を煩わしく思い、布越し に割れ目を弄んでいた下着を脱ごうとすると、粘度の高い水音がした。  スカートをたくし上げて視線を送ると、そこにるのは無毛な未成熟の陰部と自身の水分 によって色が濃くなった布地、そして間に掛かる細い粘液の糸で、頬が熱くなるのを自覚 した。一人でしていて、こんなになったのは初めての経験で、風は軽く目を伏せて吐息。  あさましいだけじゃなく、 「風は」  いやらしい娘なのです、と呟いて寝具の下から取り出したのは、二の腕程度の大きさを 持つ箱だ。中に入っているのは一刀に抱かれた後、真桜になんとなく作って貰った、 「お兄さんの」  それと変わらない大きさと形の張り型だ。真桜の自信作という言葉通り良く出来ていて、 その上内蔵した小型の発条によって回転駆動もする。細かい仕組みは知らないが螺旋槍の 応用らしく、回転の速度や強さを自在に変えることが出来るもので、小柄な自分の体にも あまり負担の掛からないように最弱設定にすれば殆んど動きというものは感じられない。 だがそれを自然体に近いと思っているし、長い時間楽しめるので、風は気に入っている。  留め金を外して駆動を開始させると、一息に差し込んでいく。  本人と回数もこなしているし、器具自体も何回も利用しているが、自分の腕より一回り 程度小さな大きさのそれを挿入する瞬間はいつも、貫かれるより裂かれるようだと考える。 肉の溝を割り開いて進んでいくそれの先端部分、横に大きく張り出したカリに膣内のヒダ が擦れ、差し込んでいる最中だというのに声が漏れるし、止めようと思っても腕は意志を 否定するように先端を奥へと導いていく。  やがて最奥に辿り着いて挿入は止まるが、全てが入りきっていない張り方を見る度に、 不格好だと思う。抱き合っているときは特に気にならなかったが、単体で入っている状態 で見ると自分と大きさも太さも噛み合っていないように見えて、無理して一方的に求めて いるとすら感じる。  それでも止められず、人間で言う付け根の部分。ゼンマイが入っている小箱型の基部を 掴むと、緩い速度で出し入れを開始した。 「お兄、さん」  内臓を引きずり出されるような感じを覚えながら引き出していくと、熱を持った吐息が 零れ、衣服越しでも熱いと感じた。は、と口を開き、犬のように連続させて、合間に呼ぶ のは自分だけが呼ぶ一刀の名前だ。 お兄さん、と呼ぶのは自分だけだが、風は不意に目を細め、 「一刀、さん」  呼んでみると、鼓動が高くなった。  蜜壺から伝わる快楽が急激に増し、目尻には大粒の涙さえ浮かんだ状態だ。 『決まってても、言いだせないかぁ』  屋台での別れ際、霞が言っていたことを思い出す。 『待つのも良いけどな、一刀は無理に誘うことはせんやろうし』  分かっている。  自分から力になりたいと言えば喜んで迎え入れてくれるだろうが、参加を本人の意思と している以上は求めてくるのではなく、答えを言い出すのを待つ人間だ。待って、応えて、 例えば自分のような相手ならば頭を撫でてくれるが、 「それじゃ、駄目なのです」  一刀の方から求めて欲しいと思うのは贅沢なのだろう、と風は思い、 『それが嫌なら露骨に待ってるっていう態度見せんと無理やろなぁ。まぁ、一刀相手じゃ どこまで行くかも分らんけどな、肝心な部分で鈍いし』  苦笑交じりだった霞の声は、分かりきっているという本音を混ぜたもので、 『殻を壊さんと、雛鳥は生まれてくることも出来んもんや』  最後の一言には寝ることで誤魔化してしまったが、分かっている、と風は表情を歪めた。 「風は、絶対に着いていきますから」  陰部から響く音は既に大きな水音で、風の全身は僅かに痙攣を開始していた。  抜き差しが難しくなる程に張り型は強く締め付けられており、僅かな回転でもその刺激 は全身に伝わってくる。視界は涙で歪んだものになり、思考は靄がかかったような状態だ。 「だから、風を」  言葉を最後まで言わず、あ、という単語を連続させて数は仰け反った。 「お兄さん」  数分の間を置き、 「こちらに来て、風の真名を最初に呼んだ人」  この人は、 「風を選んでくれるでしょうか?」  呟き、風は目を閉じた。 ? ? ? 「大丈夫か?」  ベッドの中、桂花は頬を赤く染めながら俺の顔を一瞬だけ見て、すぐに目を逸らした。 その仕草はあまりにも桂花らしく、そして可愛らしい。荒く呼吸している背を撫でると、 一瞬身を震わせたが、俺が相手でも気持ちが良いのか行為に身を任せてきた。 「屈辱だわ」  ぼそり、と呟く声が聞こえてくる。 「アンタにこんな姿を見せるだけならまだしも」 「大丈夫だって、生理現象だろ?」  頭も撫でてやると、涙を浮かべてこちらを睨みつけてきた。 「うるさい!! あんな醜態、華琳様にも見せたこと無かったのに!! 忘れないと殺すわよ、 むしろ今殺す!! 磔刑火刑生前土葬斬首刑水刑どれか選びなさい!!」 「選らばねぇよ!!」  恐ろしいことを考える奴だ、この殺人陰陽師め。しかも分かりにくい五行表現だし。  そして桂花は大声を出したせいか、再び顔を赤から青に変えた。  桂花が俺のベッドで寝ているのは別に色っぽい理由ではなく、純粋に酔っているからだ。 どうやら桂花が持参した酒は度数が結構強いものだったらしく、それを一人で片付けたが 話をしている内に酔いがかなり回ってしまったようだ。俺と口論するのは普段と同じだが その最中にいきなりゲロを吐かれ、あまりにも酷い展開に引くのを通り越して恐怖した。 突発的に鼻血を吹き出す稟の芸風も酷いが、それ以上だ。瞬間的に昂ったり醜態を見せる のは桂花の芸風だが、何でもミックスするのは良くない。  取り合えず枕元に水の入ったコップを置くと、これ以上刺激しないように部屋を出た。  翌朝枕元がゲロ臭くなっているかもしれないが、今は気にしない方が良いだろう。  これからどうしようか、と考え、向かう先は厨房だ。  外は雨が降っているが、厨房なら酒の肴もあり、夜勤の誰かが居るだろうから暇潰しに 事欠かないだろう。見知った顔で無かった場合は、それこそ外で雨見酒とくれば良い。  霞辺りだと話が弾むだろう、と考えて歩いていると、俺を呼ぶ声がした。  一瞬気のせいかと思ったが、それは連続したもので、しかも焦りを帯びたものだ。  声の方角は風の邸のもの、当たりを付けると俺は疾走を開始する。  一歩目からトップスピードに乗れていると自覚し、なるべく直線的に進んでいく。  足の回転数よりも振り幅を重視した、速度に重点を置いた走りだ。  何度も通った道筋なので道順は頭の中ではなく体に染み込んでいるし、深夜と言うこと もあり人影が少ないのも幸いした。  駆ける。  周囲の景色が流れるように動き、人も壁も柱も背景となる。  邸に入り、俺を呼びとめようとしている女中さんに兵を呼ぶように頼むと、速度を上げ 風の私室に向かった。何度も俺を呼ぶ声はお兄さんではなく一刀と名前を呼ぶものに変化 しており、途中で途切れる中には荒い呼吸のようなものも混ざっている。  更に加速。  足が悲鳴を上げているが、黙れ、と意志の力で抑え込む。  風が、大好きな女の子が呼び求めているんだ、と。  桂花に散々言われたことだが、そんなことは気にしない。風が大事であることには異論 など挟ませないし、種馬という謗りも甘んじて受けよう。ただ守りたいと、そう思いつつ 意志と体は前へ前へと進んでいく。  ドアを蹴破るように開き、部屋の中に視線を巡らせると、 「お兄さん?」  何故か顔を赤くし、バイブを引き抜いている風の姿があった。  無言。  あまりの気不味さに背中から汗が吹き出すが、風は目を閉じ、 「……ぐう」 「寝るな!!」  俺は思わず突っ込んだ。 ? ? ? 「本当に申し訳ございませんでした」  超土下座だ。  だが、それよりも強いのは風が無事であったという安堵だ。 「でも、良かったよ」 「風景がですか……風なだけに」  ……何も言うまい。  風の名誉の為にも、この発言は無かったことにした方が良いだろう。 俺は強引に笑みを浮かべ、 「風が無事でだよ」  言うと、風の顔が赤くなった。  あまりの可愛さに抱き締めたくなったが、もう夜も遅いし、それに抱きしめるだけでは 済まなくなるだろう。自制心の弱さには定評も自覚もある俺だ。  おやすみ、と言って踵を返し、一歩目を踏み出そうとした瞬間、小さな音が鳴った。  雨の音が響く中でも確かに聞こえたそれは、ベッドが僅かに軋む音と床に軽く柔らかい ものが触れた、ぺたりという音だ。そしてそれが出す答えは一つで、それの答え合わせを するように服の裾を引かれる感触があった。  直接は振り向かず裾にだけ視線を向けると、小さく摘んだ細い手指がある。その表面に 光を反射するものが付着していて、それが先程まで風がしていたことを想起させた。  不味い、と考えたが一歩が踏み出せず、その場に硬直する。  振り払うのは簡単だが、それすらも出来ず、留まる俺の背には雨で冷えた空気とは別の、 温度と確かな質量のあるものがぶつかってきた。  お兄さんは、と声が聞こえ、 「風が、誰を想ってあんなことをしていたか、分りますか?」  背中の布地越しでも分かる鼓動は早鐘のような速度で、擦りつけられるようにしている 薄い、だが弾力を持った部分の二つの先端は硬くなっていた。  数秒。  裾を払うようにして摘まんでいた風の手を外すと一瞬だけ寂しそうな声がしたが、その 続きが発せられるより先に俺は風の唇を塞いでいた。  幼い子供と変わらない矮躯を抱き締め、緩いカーブの髪を撫でながらベッドに押し倒す。 「久し振りだから我慢出来ないぞ?」 「昨日、華琳様と楽しんだのではないのですか?」  知っていたのか、それともカマをかけたのか分からないが、俺の答えは一つだ。 「風を抱くのは一年振りだ」  初めてを貰った時も似たようなことを言ったな、と思いながら風の顔を見ると、耳まで 赤く染めた顔があった。回数こそ少ないが赤面する姿は記憶にある、だがここまで真っ赤 に染まっている姿を見るのは初めてのことだ。恐らく稟も見たことが無いのでなないか、 と思うと嬉しさが込み上げてくる。  言葉にするのも勿体無く、代わりに何度もキスの雨を降らせた。 頬に、瞼に、髪に、額に、全てを埋め尽くすようにキスを重ね、最後に唇に俺のそれを 重ねる。何度も啄むようにして柔らかさと弾力を楽しむのは、風も気に入っていた方法だ。 他の娘よりも敏感な体の風は、快楽を引き出すものよりも、キスという行為自体を楽しむ ことが出来るこっちの方が合っているのだろう。  ひたすら口付けを繰り返し、唇を味わっていると、は、と少し苦しそうな声がして唇の 端から唾液が零れてきた。それを舐め取り、甘い、と言うと、おかしそうに表情を緩めた。 「なら、風にも分けて下さい」  元々は風の唾液だが、下らないことは無視して再び唇を重ねた。風のそれを割り開き、 口内に舌を滑り込ませると、積極的に舌を絡めてくる。 「あまり、味がしないのですが」 「量が少ないからかな」  ならもっとですね、と言い、こちらの髪の中に手指を滑り込ませ、頭を掻き抱くように しながら密着度合いを上げてきた。隙間も存在しない程の密着だ、唇の端から零れた吐息 が頬に当たり、くすぐったさと熱さに、只でさえ昂っていた自分のものが更に大きくなる。 痛い程に張り詰めたそれが腹に当たるのがくすぐったかったのか、零れる吐息が短い間隔 で数度連続した。同時に小さく震わせた柔らかな風の身が擦れて、それだけで気持ち良く なってくる。自分のものながら、随分と自由奔放な息子だ。  だが我慢が足りないのは親譲りだ。  俺も風と一つになりたい、そう思い風のスカートの下、股間部分に指を這わせてゆく。 細いが肉もきちんとある太腿を撫で、そして中心に向かって掌を滑らせていくと、違和感 のようなものがあった。  まだキスしかしていないというのに濡れている。  立っている俺が言うことではないが、キスだけでここまでなってくれた、ということが 非常に嬉しくなり、抱き締めを強くした。 「さっきの張り方ですけど」  ぽつり、と風が呟いた。 「お兄さんの形に、なってるんですよ?」  華琳が等身大俺フィギュアの魔改造に使っていたというアレか。  更に言うなら根元に何個かボリュームゲージのようなものが見えたが、あれは可動式の ものだったのだろうか。つくずく古代の技術を超越していると言うか、無駄な方面に才能 が突出していると言うか、俺が居なくても相変わらず真桜だなと思った。勿論良い意味だ。  苦笑していると風は俺の股間に手を伸ばし、肉棒を取り出すと、 「お兄さんの形に馴染んでいるので、しっかり、埋めて下さい」  言われ、我慢が限界に達した。  風がうつ伏せになり、こちらに尻を突き出すような姿勢になるのと同時に突き入れる。  一息に奥まで突っ込むと、ほぼ全部に包まれるような熱が伝わってきた。ほぼ全部、と いうのは風が小柄過ぎて全てが入らないからだが、それは風としているからこそだ、とも 言えるものだ。改めて風と繋がっているという実感が湧き、最初から激しく腰を前後する。 一年が経ち、その間も俺のレプリカまで使っていたというのに締め付けは強く、千切れて しまいそうだとすら思う。  結合部から聞こえてくるのは一年前と変わらず量の多い愛液が擦れる水音で、それは俺 の太腿を濡らす程になっている。未成熟な体を守る為の防衛本能もあるのだろうが、それ だけではないということは時たま痙攣する背を見れたり、断続的に強くなる締め付けなど を感じたりすると分かる。しっかり感じてくれているという認識は自惚れではないだろう。  更に気持ち良くなって欲しいという思いと、風の可愛い顔を見たさに覆いかぶさるよう な姿勢になった。風の体に負担が掛からないよう片腕で体を支え、もう片方の手を上着の 裾から中へと滑り込ませる。  相変わらず手触りの良い肌の上に掌を滑らせ、なだらかな胸を撫でるように揉んでいく。 限界まで硬くなっている先端を指先で捏ね、摘み、弄び、軽く爪を立てるようにすると、 大きく背が震えた。華琳もそうだが、普段があまり素直ではないだけに、こちらの行動に ストレートに応えてくれるという状況は好ましいと同時に酷く興奮する。  だが聞こえてくるのは高い嬌声ではなく、くぐもったような声だ。  風の顔を見ると、頬を赤く染めたままシーツを噛むようにして堪えていた。色白なので 分かりにくいが、良く見れば手の方も唇と同様に、只でさえ白い肌の色を無くす程に強く シーツを握り込んでいた。  こうして堪えている姿も良いが、せっかくの二人きりの状況だ。 多少意地が悪いことは自覚したが、俺は素の風が見たいと思い、 「風の声を、聞かせてよ」  耳元で囁くように言うと、目尻に軽く涙を浮かべ、いやいやと首を振った。 「ひょひゅう、ひゃんひ、ひはへふ、はや」  恐らく、女中さんに聞かれるから、と言っているのだろう。  だがそれは言い訳だと分かっている。 「大丈夫だよ」  こちらを見上げてくる風に笑みを向け、 「さっき、大きな声で自分を慰めてただろ?」  言って耳を甘噛みし、大きな動きで最奥を突くと、風はシーツを口から離して大きく背 を仰け反らせた。それと同時に、今までで一番の強い締め付けが来る。本気で俺のものが 千切り取られてしまうのではないかと危惧する程の締め付けだ。  その刺激に俺の方にも限界が来たが、抜くどころか動かすことも出来ず、そのまま風の 膣内へと放出する。奥にぶつけると言った方が正しいと思える勢いの射精は十数秒かけて 終了し、ようやく萎えて引き抜けば自分でも少し引くくらいの量の精液が溢れ出してきた。 「随分、出しましたねー。これはもう、妊娠確実なのです」 「相手が風なら、俺は嬉しいよ」  今は稼ぎが無いけどな、と苦笑しつつ風の体を抱え、そのままの状態で仰向けになる。 ちょうど俺の胸の上に風が寝ている姿勢だ。思い出してみれば、これも初めての時と同じ 姿勢だが、意図した訳ではなく全くの偶然だ。そのことすらおかしく思え、自然と笑みが 零れてしまう。  そして笑みの後に来るのは欠伸だった。  今日一日は考えることが多かったし、昨日もそれは同じだが、皆に再会出来たり翌日に 重大な会議が控えることになってハイになっていた昨日と違い、今日は安堵のみの状況だ。 眠くなっても仕方なかろう、と言い訳にも開き直りにも似た考えを持つ。  ただ俺の上でゴロゴロしている風は可愛いし、気持ち良さそうにしているのを無理矢理 中断させるのも忍びないので、しばらく今の状態でいようと思った。 ? ? ?  そう言えば、と風は呟き、顔を横に向けた。 「結局、言えませんでしたね」  視界の中央に映るのは、先程まで自分と繋がっていた一刀の顔だ。  雨が降っているままなので泊まりを勧めて、現在は自分を腕枕しつつ寝息をたてている 状態だが、表情は安らかなものではなく、 「そんなに重くはないと思うのですが」  重要な意味を持つ墓参りの際に無様な姿は見せたくないと、昨日の、一刀が消えてから 一周年の日の為に体重調整はしっかり行った筈だ。数日で急激にデブになる筈もないし、 きっと脳が他人に比べて重いからだろうと自分の中で結論を出しつつ目を閉じた。  眠るのは特技だ、幸せが薄くならない内に寝ようとすると、は、と吐息が聞こえた。  それは明らかな苦しみを持ったもので、起こそうかと思った瞬間、風は息を飲んだ。  聞き間違いかと思ったが、再度聞こえてきた声ははっきりとしたもの。 「お兄さん?」  名前を呼んでも反応は返ってこずに、変わりに三度目の同じ言葉が来た。  死ぬな、と。