かつん、と硬質な音が響いた。  閉じていた目を開き、音の出所に視線を向けると、予想と同じ光景が広がっている。  彼女の背後、控える将の並びまでもが思い描いていたのと同じということで少し嬉しく なるが、それを表情に出さずに玉座から立ち上がる。背後から支えようとしてくれた亞莎 や紫苑に視線で制止をかけ、まずは一歩を踏み出した。  は、と吐息し、笑みを浮かべて眼前の少女を見据え、これまでのことを思い出す。  本当に、様々なことがあった。  始まりは、彼女に拾われたこと。  終わりは、寂しがりな彼女の精一杯の強がり。  そして終わりの始まりは……。  後悔でもなく、未練でもないこれは、きっと男の意地のようなものだ。  今度もきっと、彼女の泣き顔を見ることは無いと思うけれど、泣かせてしまうだろうと いうことは分かっている。きっと彼女は皆の前では余裕そうな表情を浮かべて、その後で 一人になったとき、泣いてしまうだろう。  だが、それでも構わない。  二歩目を踏み出すと、背後からも揃って足を踏み出す音が聞こえてきた。  皆にもかなり迷惑をかけたが、それもここで終わりだ。 「風」 「はーい」  振り向かず名前を呼ぶと、一歩前に出る気配がある。 「凪、霞、流琉、季衣、霞、亞莎、明命、詠、華雄、雛里、紫苑、翠、愛紗」  それぞれの返答と共に進み出る気配があり、それに押されるようにして、俺は更に一歩 前進した。これで合計三歩、彼女との距離は確実に近付いている。  それは戦の始まりが近付いているのと同じ意味だ。  少女の、少女達の足音はこちらに向かって近付いてくるし、俺の足も止まらない。  互いに足並みを揃えている訳でもないが全ての足音が同時に鳴り響き、一歩という単位 の中で二歩分が縮まっていく。倍の速度で進んでいるのは、きっと会いたいと思っている からだろう。初めての逢瀬のときのように逸る気持ちは、鼓動の倍鳴りも合わせて四倍の 速度で、意思を体を前へ前へと駆り立てる。  それを快いと思い、この感情をいつまでも続けていたいという思いも抱くが、それこそ 終わってしまえ、という気持ちの方が強い。これが終わるということは、愛しい彼女が俺 の手の届く場所に来るのだから、と。 「お兄さんお兄さん、言うまでもないことですが、揺らいでは駄目ですよ」 「分かってるよ」  進む、足を踏み出す、もはや駆け足とも言えるような速度での前進だ。  やがて止まり、そこに見えたのは、各国の武将だ。  近い、という表現では納まらない。  目測で十歩程、一瞬で手を伸ばせる距離にまで対峙する。 通常の戦では考えられない程の至近距離だ。 僅かな眉の動き一つですら見える距離は今までも数少ないと言うのに、それに加え殺気 というものまで付いてくる。彼女はこんな経験を何度も繰り返したのだろうが、それでも 余裕を持てなかったというのだから、普通なら俺には過ぎたものだ。  先走る意思を代弁するように、無意識の内に手が腰元に伸びていた。南海覇王の柄尻の 硬い感触が掌に当たり、金属に吸われる体温が心の熱を僅かに冷ます。 「あら、もう始めるつもり? まだ舌戦もしていないと言うのに」  言葉自体は疑問形だが、そこに含まれているのは僅かな否定の感情だ。  それに苦笑を返し、柄尻から手を離した。 「そうだな、すまない」  改めて、と言うように俺は更に一歩を踏み出し、 「久しぶりだな」  眼線の少女に向ける笑みを強くした。  金の髪を特徴的な巻き型にし、青の衣装に身を包んでいる少女、かつて大陸の覇者だと 謳われた彼女は、更に強い笑みを返してくる。  そうだ、これで良い。寧ろこうでなくてはいけない、俺が望むことを叶える為に。 「しばらく見ない間に、更に美人になった」 「三日で久しぶりとは、帝様も随分とせっかちなものね。人の上に立つ者は余裕を持たな いと駄目よ。あなたは今まで、私の何を見ていたのかしら?」  それとも私に会えないのがそんなに寂しかったのかしら、と唇の端を歪めてみせる。 「ねぇ、一刀?」 「そうだな、これからのことを考えると尚更。でも止めるつもりは無いんだろう?」  なぁ、華琳、と言うと返ってくるのは強い頷きだ。 「そうね、貴方を生かしておく訳にはいかないもの」  始まる、と思った直後、それは来た。 「帝とは何か!! 答えよ、北郷一刀!!」  華琳は控えていた桂花から絶を受け取ると空気を切る音を響かせ、スナップに近い腕の 動き一つでこちらに先端を向けてくる。 「帝とは全ての民の進むべきを見て、そして導く者!! 過ちを正し、足りぬものを補い、 民を整えることは官の役目ならば、それが進むべき道を先導することこそ帝の役目なり!! なればこそ、私は問いたい!! 貴殿はそれを間違いなく行ってきたのかを!!」  華琳は声を張り上げ、石突きで床を穿ち、 「人が泣かぬ世は道の先にあるか!!」  桃香がこちらに目を向けた。 「民が愛する王が、帝が有るのか!!」  雪蓮が、蓮華が、小蓮がこちらを見た。 「全ての民が正しく生きていける世は存在するのか!!」  華琳は叫び、一歩前に出る。 「この戦こそが人が生きる歴史の境目ならば、己の大義を正しく答えてみせよ!! 我らが 民の矛、民の盾、そして力だと言うならば」  一瞬目を伏せ、 「それが何所に向かい、何に辿り着くのかを!! 返答は如何に!!」 「俺は帝だ」  華琳の背後、恋が動く気配がしたが、桃香の指先の動き一つで制された。以前に会った 時も感じたが、人の成長というものの凄さを感じる。二年前の最終決戦時、華琳と戦った 時に見せた意志の強さは王の自覚というものに昇華されている。素晴らしい、と思うのは 上から目線で考えているからなのだろうか。その辺り、やや高慢になっていたらしいこと に驚きの感情を覚えた。 「帝こそ国そのものなれば、思うが儘に進むが道理」  だから、 「先にあるものも、帝の世界だ」 「帝も人よ」 「人であり、しかし国だ」 「国とは民と大地」 「それを持つ者こそ帝だ」 「帝は死ぬけれど、それだけでは国は死なないわ」 「ならば国とは何だ?」 「人の意志よ」 「人の意志は一つではない」 「様々な意思が集う場所よ」 「それの上に立ち、意志となるのが帝だ」 「ならばそれは、きっと揺らぐわ」 「民の感情には揺らぎが無いと?」 「それを抱えて生きていき、意志の代弁をしながらも、己の意志と違えずに出さぬが帝!!」 「もしも、それが滅びだと言えば?」 「民はそれを望んでいないと言うわ」 「滅ぶべきが道だと言うならば?」 「それは道とは言わないわよ」 「ならばどうする?」 「それを殴り倒し、そして言うのよ」  だん、と床を踏み鳴らし、 「私達は間違っていない、と」  眼尻に涙を浮かべ、 「滅びたくない、と」  それを袖で乱暴に拭い、 「生きていたい、と!!」 「さあ、それじゃあ始めよう」 「ええ、そうね。始めましょう」  突き出した南海覇王に、華琳の絶が触れ、鈴の音にも似た音が小さく響く。 「世界を滅ぼす為の戦いを」 「世界を護る為の戦いを」 「全てを終わらせる為の戦争を」 「全てを始める為の戦争を」 「俺と」 「私と」 「「全ての意志の名のもとに」」  そして、全てが始まった。  ―――― 話は一年前に遡る。