―――コンコン。 「は〜い」 「穏、俺だけど入っていいかな?」 「どうぞ〜」 「失礼するよ」 「うふふ。いらっしゃいませ、一刀さん」 「調子、どうだい?」 「すこぶる元気ですよ。ところで今日はいつもより来るのが早いですね。どうかしましたか?」 「仕事が早く終わったから、今から本を買いに行くつもりなんだけど、何かリクエ…読みたいの、ある?」 「ん〜あるにはあるんですけど…。あ、そうだ! 今日は着いて行っちゃお〜!」 「えっ!? 大丈夫なの?」 「はい! 蓮華様からも『適度な運動も大切よ!』と仰せつかりましたから〜」 「そっか。それじゃ…はい、掴まって」 「ありがとうございます〜」  そう言うと私は一刀さんの手を掴み、ゆっくりと寝床から下りた。  久しぶりの街までの散歩だ。  わくわくとちょっぴりの不安があるけれど、一刀さんと一緒だから大丈夫だよね。 (さ。頑張って歩くよ〜!)  そう心に気合を入れ、大きくなったお腹を優しくさすった。          ― 穏・妊婦さん記 ― 「おや? なんだか前よりも賑やかですね〜」  ぽかぽかの陽気の中、一刀さんと並んで大通りを進んでいた。  大分前に街を散策した時に比べて、人通りが多くなっている気がする。 「水路の整備をかなり進めたからね。陸だと運搬が難しい大荷物も搬入できる様になったんだ」 「へ〜。それ、一刀さんが進めていた案件ですよね?」 「うん。呉の特徴を最大限に発揮出来るようにね」 「そうですか…。もうすっかり呉の重鎮ですね〜」 「穏が出産に集中出来る様に頑張らないといけないからね」  頭を掻きながら照れた様に笑う一刀さん。  可愛いですねぇ♪ 「一刀さんの頑張りは皆から聞いてますよ〜。本当に、頼りにしてます」 「おう! 頼りにされちゃう!」  そう言うと一刀さんは自分の胸をドンと叩いた。  おどけてみせるその仕草に、何とも言えない頼もしさを感じる…。  私の赤ちゃん…。この人が、お父さんなんだよ…。 「そろそろ疲れてきたろ? そこのお店で休もうか」 「…へ? あ、ああ! そ、そうですね!」  うむむむむ。ついつい見惚れてしまいました……。  やるようになりましたね、一刀さん。 「ほふ〜。お外で飲むお茶もまた格別ですね〜」 「お城の中ばっかりじゃ、やっぱり息が詰まるよな」 「そうなんですよ〜! 街に来るのだって本当に久しぶりなんですよ?」 「そっか。なら無理をしない範囲で楽しまなきゃな!」  そんな他愛も無い会話を続ける私達。  けれど、やっぱりこの時が一番落ち着くなぁ。 「あ。そう言えば最近会ってないんですけど、孫登ちゃん達、元気にしていますか?」 「ああ! もう元気過ぎてこっちは疲れる暇なんかないよ」  身振り手振りを交えながら楽しそうに孫登ちゃん達の事を話す一刀さん。  少し前まではその話を聞いているととても幸せな気持ちになれたはずなのに、今は逆にどんどん不安に包まれていく……。  ―――私の赤ちゃんも同じ様に愛してくれるだろうか?  ―――他の子ども達と仲良くなれるだろうか?  ―――そもそも、無事に産んであげる事が出来るのだろうか?  ………怖い…怖い怖い怖い………。  なんで…なんでこんな気持ちが突然沸いてくるの?  何度『自分は大丈夫だ』と思っても、不安の方が大きくなっていく…。 「…の…!……穏! 穏! どうした!? いきなり俯いたまま黙って…」 「………一刀さん…」 「ん?」 「私の赤ちゃんも……愛してくれますか?」 「え?」 「孫登ちゃん達と同じ様に愛してくれますよね? そしてら皆とも仲良くなれますよね?」 「…………」 「私、頑張って産みますから! だから愛してくれますよね!?」  矢継ぎ早に一刀さんに自分の気持ちをぶつける。  こうしないと大きくなっていく不安に押し潰されそうだったから…。  さらに自分の気持ちを吐き出そうとした時、私の手を温かい何かが包み込んだ。  一刀さんが私の手に自分の手を優しく添えていたのだ。  何も言わず、ただじっと私を見つめるその顔は……微笑んでいた。  そして… 「大丈夫。心配しないで」  その力強い一言に、私の心は満たされていく。 「かず…と…さん………」  嬉しさやまだ残る不安等が混ぜこぜになっていく…。  自分で整理がつけられない心に、私はただ涙を流すしかなかった…。 〜 〜 〜 〜 〜 〜  私が泣いている間、一刀さんはずっと私の背中をさすってくれていた。  そのお陰でなんとか落ち着きを取り戻し、当初の目的である本屋まで来る事が出来たのだ。  お目当ての本を手にし、ちょっと上機嫌。  自分でも驚く程、感情の起伏が激しいなぁ…。 「……またにてぃぶるう?」 「そ。マタニティブルー」  城への道すがら、一刀さんは聞き慣れない単語を口にした。 「穏の話を聞く限り、多分マタニティーブルーになったんだと思う」 「あの、それって何なのでしょうか?」 「ん〜、俺も詳しくは分からないんだけど、確か妊娠とか育児とかそう言う事に対する不安が 心に負荷を掛けて、情緒不安定になってしまう事だったと思う」 「あ〜…。正に今の私ですねぇ……」 「穏は聡明だからね。ついつい先の事を考えてしまって、マタニティーブルーになったのかも」  そう言われれば思い当たる節はある…。  1人でいる時なんかは考え込んじゃっていた気がする。  でもこれじゃ原因は分かってもどうしようもない…。  先の事を考えるなと言われても、そんな事は出来ないし…。 「……なあ穏!」  考え込んでいた私の耳に一刀さんの楽しそうな声が飛び込んでくる。 「俺と穏の子どもの名前、今決めよう!」 「へ?」  い、いきなり何を言い出すかなこの人は…? 「そ、そんな急に…」 「いいからいいから! う〜ん…陸…陸…」 「わ…本当に考え始めてる…。て言うか、男の子か女の子かも分からないんですよ!?」 「穏に似た可愛い女の子に決まってるさ!」 「断言ですか!?」 「陸……陸……陸……陸 度夢……?」 「か、一刀さん!? 搾り出した結果がそれですか!?」 「え? 何か問題でも?」 「ふええっ!? 真面目だった!?」 「ほらほら、穏も考えてよ!」 「あうう……」  な、なんなのこれは?  いきなり名前なんて言われても…。 「陸……陸……陸……陸 出亜巣……?」  ダメだ! なんとしても私が考えないと!! 「え〜と………陸…延…。陸延と言うのはどうでしょうか?」 「おおお! いいね! 良い名前じゃないか!」  顔を輝かせ、一刀さんは私のお腹に顔を近づけた。 「陸延。もうすぐ会えるよ。俺も穏も、君が産まれてくるのを楽しみにしているよ」 「一刀さん……」 「穏。俺は君も陸延も、どちらも愛おしく思ってる。それは決して変わることは無い。だから、安心してくれ」  なんだか、不安な気持ちなんて何処かに行っちゃったみたいだ。  『この人と居れば、私は大丈夫!』  『陸延も元気に産まれてきてくれる!』  そう思わせてくれる程、この人は私の中で大きくなってしまった。  だから、私の気持ちを最大限に表す為、あなたをこう呼びます。 「はい! だんな様!」                                 ― おわり ―