──真√──  反董卓連合解散より約二月。  厳しい冬も終わりを見せ始めたある日、ある一つの知らせが、大陸を駆け巡った。 『公孫賛、袁紹との戦いに敗れ、落ち延びる──』  それは、群雄割拠の時代の終わりにして、英雄達による淘汰の時代の幕開けを告げる烽火であった。 真・恋姫†無双 外史 北郷新勢力ルート:第四章 中原繚乱 ──公孫賛滅亡より十日……劉備領・徐州・下丕城──  反董卓連合の後、その奮戦振りを讃えられた劉備は、徐州牧を命ぜられ、居を下丕へと移していた。  その下丕城にある一室に、劉備軍の重臣たる将達が集まっている。  会話の内容は無論、先程届いた報告──公孫賛滅亡──に関してであることは言うまでもない。 「白蓮さんを降した袁紹は河北四州を手に入れ、後顧の憂いを絶ちました……次に取る道は、南西か南東か……」  机に広げられた地図を見ながら諸葛亮が呟く。 「朱里ちゃんはどっちを取ると思う?」 「……恐らく……十中八九は南東かと」  劉備の問いに答える諸葛亮の顔は、苦々しげだ。  それも無理はあるまい。南東……それはすなわち彼女等自身のことなのだから。 「我等がこの地へ赴任してからまだ二ヶ月。攻めるなら日の浅い今が一番効果的でしょうから……」  諸葛亮に同意するように言う鳳統のその言葉に、全員が重苦しい雰囲気になる。 「とにかく、今は州境の監視を強化しつつ、兵の調練を主体にした内政を行うのが肝要かと」  そして、諸葛亮のその意見でその会議は締めくくられた。  そう、幾ら嘆いた所で、敵は待ってはくれない。ならば、出来ることを精一杯やるしかないのだから。  その翌日、城門前に、公孫賛を名乗る人物が訪れていた。 ──公孫賛滅亡より十三日……袁術領・寿春──  袁術が滞在する寿春。そこの謁見の間に孫策が呼び出されたのは、ある晴れた日の昼下がりだった。 「喜ぶのじゃ、孫策よ!お主に徐州攻略の先鋒を勤めさせてやるぞ!」  呼び出した孫策を玉座から見下ろし、いきなりそんなことをのたまった袁術を半眼で見やり、 「……いきなりすぎて話が見えないんだけど」  溜息を吐きながら、呆れたように言ってやる。……最も、その程度の態度で怯む連中ではないのだが。  そんな孫策へ、袁術は「仕方ないのう」と前置きし、 「なんでも麗羽めが、公孫賛を降して河北四州を治めるに至ったようなのじゃ!」 「……つまり、同じ袁家として負けてはいられない……と?」 「うむ!その通りなのじゃ!」 「…………ふむ……」  袁術の言葉を受け、孫策は何事かを考えると、 「…………わかったわ。その先鋒、確かに引き受けましょう」  見る者が思わずゾクリとする様な笑みを浮かべ、頷いた。 ──同日……寿春・孫策の館──  袁術の下から戻った孫策は、直ぐに現在住んでいる館に居る将達を集めると、中庭にて円陣を組み、軍議を始める。  彼女等が袁術の下へ身を寄せるようになってから、軍議は常にこの場、この形式で行われる。  それはやもすれば雑談の様にも見せかけ、また開けた中庭の中心にて行われる為に、  間諜による傍聴を防ぐという役割もある為だ。  自分達の身が袁術の手の内に有る以上、このような形式は不本意なれど、致し方の無い事であった。 「……徐州に対する侵攻作戦か……」  孫策から袁術に呼ばれた理由を聴いた周瑜は、そうぽつりと呟くと、直ぐに思考の海へ潜り込んだ。  尤も、この侵攻作戦の先鋒を引き受けた孫策の意図は、この場に居る者達にとっては考えるまでもなく明白であり、 今周瑜がその思考を巡らせているのは、その意図を如何に効率よく、こちらに有利に進めるかである。 「ふむ…………ここはやはり、劉備に協力を仰いで、前後からの挟撃しかあるまいな」 「……となると、蓮華達にも存分に働いてもらう必要があるわね」  周瑜の出した結論に返した孫策の言葉に、周瑜も頷きで返す。 「……というワケだから、冥琳、劉備に密使を立てて、袁術の侵攻を知らせて。  これは絶好の機会よ。……我等の悲願を、成し遂げましょう」  強く決意を籠めた孫策の言葉に、皆それぞれに強く頷くのであった。 ──袁術軍軍議より五日……袁術領・寿春── 「うははははーー!!往けぃ孫策よ!妾の為に劉備めらをけちらすのじゃ!」  そんな袁術の楽しげな声に、孫策は隠すことも無く、一つ大きく溜息を吐く。 「……ええ、存分にやらせてもらうから……覚悟しときなさい?」  それは、およそ味方にかける言葉ではなかったのであるが、それ気にする事も無く、袁術は孫策達を送り出し、 自軍はゆっくりとその後を着いていった。  孫策軍に掲げられる旗は、孫・黄・周。  本来であれば後ろに控えているはずの孫の牙門旗が、総大将でありながら先頭を猛進している意味に、 終ぞ気付くことは無く。 ──翌日……孫策軍・建業──  長江は南、建業の地に、孫仲謀の朗々たる声が響き渡る。 「聴け、孫呉の兵達よ!  ついに永きに渡る屈辱に、終わりを告げる時が来た!  耐え難きを耐え、忍び難きを忍びしは、今この時を迎える為に他ならない!  さあ、剣を取れ!槍を掲げよ!我らが悲願を成し遂げる為に!  命を惜しむな!名を惜しめ!今こそ、我ら孫呉が宿願を掴み取る時!!  ……全軍、出陣せよ!!」  号令一下、孫権率いる孫策軍精鋭三万は、一路北西へと行軍を開始する。  狙うは袁術が首、唯一つ。 ──公孫賛滅亡より二十日……袁紹領・冀州・南皮── 「オ〜ッホッホッホ!オ〜ホッホッホッホ!!」  冀州は南皮城の謁見の間に、袁本初の高笑いが響き渡る。  玉座の前に集まった重臣達を睥睨しながら、この城の主たる袁紹は、静かに立ち上がった。 「皆さん!今こそこの河北四州の覇者、袁本初が天下統一へ向けて、大いなる一歩を踏み出す時ですわ!」  芝居がかった様な仕草で、ばっと大仰に手を振り払い、高らかに宣言する。 「次なる目標は徐州!さあ、このわたくしの為に存!分!に戦いなさい!!」  それから四日後、二枚看板たる文醜、顔良を筆頭とする袁紹軍三十万は、徐州へ向けて進軍を開始した。 ──袁術・孫策軍出陣より二日……劉備領・徐州・下丕城── 「申し上げます!!」  その日、劉備達が軍議を行っていると、その場へ息せき切った伝令が飛び込んで来た。  「何事だ」と関羽が問い質すと、伝令は息を整え、報告を始める。 「はっ。先程早馬による報告があり、袁術軍が我が方へ向け出陣とのこと!先鋒は孫策軍!」 「来ましたか……」  その報告を受け、その場に居た者達の顔が引き締まる。 「……予定通りだね。じゃあ皆、頑張ろう!」  劉備のその言葉を合図に、防衛準備にかかるのであった。  ……そしてその二日後、ついに孫策軍と、劉備軍が戦場にて相間見える。  下丕から南へ一日程下った所で、劉備と孫策は互いに軍を背後に置き、向かい合っていた。 「久しいわね、劉備。反董卓連合以来かしら?」 「はい、お久しぶりです。……あれからもう二ヶ月。あっという間でした」 「まったく。……でも悪いわね、今回は手伝ってもらっちゃって」 「いえ……私達の場合は、どちらにしても戦わなければ生き残れない立場ですから。  お礼を言うのはこちらの方ですよ」  そんな会話の後に軽く笑い合うと、孫策は己が軍の方を向き直り、スラリと腰に佩いた宝剣『南海覇王』を抜く。 「聴け!我が勇者達よ!!  我らが敵は前方に非ず!我らの敵は後方……今こそ、怨敵たる袁術を討ち、奪われし孫呉の地を取り戻す時!!  さあ、掲げし武器に誇りを篭めよ!我らが目指す未来は、この勝利の先にある!!」  言い放つと同時に南海覇王を高々と掲げると、 「「「「おおおおおおおーーーーーーーー!!!!!!」」」」  兵達もまた呼応するかのように、各々が武器を掲げて、盛大な雄叫びを上げた。 ──袁術・孫策軍出陣より五日……袁術軍・本陣──  其れは正に、寝耳に水の事態であった。  本陣に控える袁術と、その側近たる張勲の元へ、次々と悪い報せが飛び込んで来る。 「右翼接敵!旗は黄!鳳!張!」 「左翼、攻撃を受けています!旗は周、関!」 「七乃〜!どうなっておるのじゃ!どうして孫策軍が劉備どもと一緒に攻めてくるのじゃ〜!」  押し寄せる敵の旗の、思ってもみなかった文字にオロオロとしつつ、張勲に詰め寄る袁術。 「そんなの決まってますよ〜〜!孫策さんが……」  そんな袁術に対して、こちらもまたオロオロとしながら張勲が口を開いたその時、 「申し上げます!前方に敵影を確認!旗は劉!諸!公!……それに孫です!!」  張勲の言葉の続きを説明するかのような報告がもたらされた。 「孫策さんが裏切ったんですよ〜〜〜!!」  この後、何とか強襲による混乱を建て直し、孫策・劉備連合軍と接戦まで持ち直した袁術軍であったが、 翌日の深夜、背後から孫権率いる精鋭部隊による急襲を受ける。  それと呼応する様に掛けられた、孫策・劉備連合軍の夜襲に、袁術と張勲はほうほうの体で寿春へ退却したのであった。 ──袁紹軍出陣より二日……曹操領・洛陽── 『袁紹軍、徐州へ向けて出陣す──』  細作より受けたその報告を皮切りに、洛陽では出陣準備が着々と進められていた。  玉座に座る曹操に、猫耳頭巾をかぶった軍師、荀ケが進捗を報告する。 「華琳様、業への本隊及び、輜重隊の準備が整いました」 「そう。……別働隊の方は?」 「そちらも滞り無く」  その答えに曹操は満足げに笑うと、 「では……出陣を」  静かに命を下した。 ──袁紹軍出陣より三日……寿春近郊・劉備軍陣地──  袁術との戦も佳境、寿春攻略中の劉備軍本陣へ、その伝令が飛び込んで来たのは、夜明けも近い頃であった。 ──袁紹軍出陣す。その数、三十万。  予想はしていた。だがあまりに悪いタイミングに、諸葛亮と鳳統は強く歯噛みする。  彼女らはすぐに孫策の元を訪問し、事情を説明して下丕へ戻る事を告げる。 「雪蓮さん、ごめんなさい。私達は下丕に戻って、防備を固めようと思います。  ……袁紹軍がこちらに進軍を始めたって言う報告があったんです」  ちなみに、真名は協力体制をとって暫くした後、互いに許し合った── 「ええ、こちらでも確認したわ。  ……こっちはもう私達だけで平気だから、すぐに戻りなさいな」 「はい。……雪蓮さん、御武運を」 「ええ。……桃香もね」  この後すぐに退陣準備を終えた劉備軍は、一路下丕へ向けて移動していった。 ──袁紹軍出陣の報より二日……劉備軍本隊──  袁紹出陣の報を聞いてから、急ぎ下丕へと戻ろうとする劉備達へ、曹操が業へ向けて出陣したとの報告が入る。 そしてそれに続き、袁紹軍が西へ転進したとの報告。 「なんとか助かって良かったね」  安心した様に言う劉備へ、諸葛亮と鳳統はコクリと頷きつつも、その表情は未だ和らぐ事は無い。 「はい。ですが、勝った方はどちらにしろ、遅かれ早かれこちらに攻めて来るのは明白です。 今は下丕に戻り次第、防備を固める事が肝要かと」 「うん、分かったよ」  諸葛亮の言葉に頷き、劉備は改めて表情を引き締めた。 ──曹操軍出陣より四日……曹操軍本隊──  洛陽を発って、業へと兵を進める曹操の下へ袁紹軍転進の報が入り、荀ケが曹操へとその旨を報告する。 「華琳様、予想通り、袁紹軍はこちらへ向けて転進した模様です」 「そう。……では予定通り、我らはこのまま東進し、官渡へ布陣。そこで袁紹軍を迎え撃つ!」  曹操の下知に、各所から勇ましい返事が上がる。  そしてそれを受け、曹操はさらに言葉を続けた。 「この戦いを、河北統一の為の橋頭堡とする!各員、奮励努力せよ!」  その言葉に、各所から先ほどよりも威勢の良い返事が上がるのだった。  翌日、官渡へ着いた曹操軍は、袁紹軍を迎え撃つ為に軍を展開して行った。 ──劉備軍退陣より三日……寿春──  激戦の末に袁術軍を打ち破り、城内へ逃げ込んだ袁術を追って寿春城へ入った孫策は、城内の一角へと、 袁術達を追い詰めていた。  孫策の前には今、抱き合いながら震え上がる、袁術と張勲が居る。 「……覚悟はいいわね?」  孫策はそう言うと、南海覇王を抜き放ち、大上段に構えた。  途端、張勲が孫策と袁術の間に立ち、 「おおおおお願いですからぁ〜……斬るのは私だけにして、美羽様は助けてあげてくださいぃぃ〜〜」  震える声で必死に嘆願する。  其れに対して孫策が何か言うより早く、袁術が口を開いた。 「だ、だだ、だだだめじゃ!!こ、殺すなら妾だけにして、七乃は助けて欲しいのじゃぁぁ」  こちらも震える声で、目尻に涙を溜めながらも、張勲に抱きつきながら必死に言う袁術。  そんな彼女達を、孫策は剣を振りかぶったままじっと見据える。  そしてその振りかぶった南海覇王を──静かに、降ろした。 「「「……え?」」」 「…………」  上がった疑問の声は、袁術と、張勲と……後ろで様子をじっと見ていた孫権。  もう一人、随伴していた周瑜は、何も言わずにその様子を見つめるのみ。  その表情から読み取れるのは、『何となくそんな気がしていた』と言ったところだろうか。  孫策は南海覇王を鞘へとしまうと、腰に手を当てて袁術達を冷たく睨み、 「……もう二度とこの地を踏まないと……私の前に顔を出さないと誓うなら、一度だけ助けてあげる」  その突如降って湧いた救いの言葉に、袁術と張勲はコクコクコクと頷いていた。  だが──それを良しとしないのは孫権である。 「何故ですか姉様!!」  苦労してここまで追い詰めた怨敵を、態々見逃そうとする姉の愚行に、荒々しい声を上げる。  其れに対して孫策は軽く肩を竦めると、 「だって仕方ないじゃない?何かふと一刀の顔思い出しちゃったのよねー。 あいつならこんな奴等でも助けるんだろうなーってね。そしたら何だか、斬る気が失せちゃったわ。  ……と言うわけだから、袁術に張勲。せいぜい『天の御遣い』に感謝することね」  そう言って、さっさと行けと言わんばかりに手を払った。  それに応じて脱兎のごとく逃げていく袁術達を、燃えるような眼で睨みながら見送った後、 孫権も腹立たしげにその場を後にした。 「……あらら、あれは当分機嫌直らないわねー……」 「今まで散々屈辱を味わわされた相手をあっさり見逃したのだ、無理もない」  他人事の様に苦笑を浮かべる孫策にそう言う周瑜であったが、その表情は穏やかだ。 「……そう言う冥琳こそ、怒ってないのね?」 「……まぁ、何となくそんな気はしたからな」 「あら珍し」  そんな、普段理詰めで語る周瑜にしては珍しい物言いに驚きつつ、 「まったく……ちょっとの間に、私も甘くなったもんだわ」  遠く空の下にいる人物を思い浮かべるのであった。 ──袁紹軍転進の報より二日……劉備軍本隊──  下丕まであと一日と迫った劉備達は、その行軍を止めざるを得ない状況へ追い込まれていた。 『下丕城、曹軍十万にて包囲さる──』  それは、余りにも予想外の報告であった。 「……別働隊ですか……っ」  悔しげに歯噛みする諸葛亮へ、その情報をもたらした伝令は、息も絶え絶えに報告を続ける。  それによると、州境の関所からここまで、あらゆる伝令という伝令を捕殺され、 情報をもたらすことができなかったようだ。  彼がここ──劉備達の下へ来ることが出来たのも、他数の仲間達の、挺身のお陰に他ならなかった。  そして、彼は続けた。 「恐れながら……申し上げます!  ……最早……下丕に包囲に耐える力は無く……落城も時間の問題であります……。  しからば……!劉備様におかれ……ましては……、この地を逃れ、再びの飛躍の時の……為に、 そのお力を蓄え下さりますよう……。  これは我ら兵と……下丕の住民……たちの……総意であり……ますれば…………」  そこまで言い切ったその瞬間……全ての力を使い果たしたと言わんばかりに、伝令の兵はその息を引き取っていた。  わずかの間、重苦しい沈黙が流れた。  そしてそれを、諸葛亮の言葉が破る。 「……私達に残された道は、大きく分けて三つあります」  全員の顔を見渡し、言葉を続ける。 「一つは、曹操さんに降伏すること。……ですがこの場合、下手をすれば桃香様は斬られるでしょう。  もう一つは、徹底抗戦。……正直申し上げますと、勝ち目はまず有りません。私としては、 袁紹軍三十万よりも、曹操軍十万の方が脅威です。それに何より、我が方の兵力が有りません。 ……何しろ袁術さんと戦ったばかりですから。  そして最後の一つ……先ほどの伝令さんの言った様に、この地を捨て、逃げる事です」  現状を鑑みれば、最後の一つが今取るべき最良の道である事は、この場に居る全員が良く解っていた。  だがだからこそ──『逃げる』と言う選択肢しか選べない自分達に、関羽と張飛は悔しげに顔を歪めた。  ギリギリと、握り締める関羽の拳からは、爪がその手に食い込んでいるのであろう、 赤い鮮血がポタリポタリと流れ出る程に。 「愛紗ちゃん、落ち着いて」  その様子を見咎めたのか、劉備がそっと関羽の手を取り、その拳を優しく開かせる。 「……私達は再起を図るために、ここ徐州を脱します。  ……朱里ちゃん、力を蓄えるのに良い場所はあるかな?」  毅然と言い放った劉備に訊かれた諸葛亮は、現在己が知り得る大陸の情勢を思い浮かべる。 「……朱里ちゃん、益州は?」  悩む諸葛亮にそう言ったのは鳳統だ。それを聞いて、諸葛亮は瞑目していた目を開いた。 「……うん。そこしかないね。  桃香様、最後に聞いた細作の報告によりますと、益州では前主劉焉が死亡し、彼女の生前より続いていた、 娘の劉章と重鎮の張魯の跡目争いが激化し、民は困窮に喘いでいると聞きます。  故に我らは、この益州を落とし、民を助け、そして力を蓄える為の本拠地とすべきかと」 「………………うん、わかったよ。それじゃあ……」 「──ですが、本当に、よろしいのですか?」  諸葛亮の説明を受けた劉備が、しばし黙考した後頷き、行動の指示をしようとした所で、 諸葛亮がその言葉を遮る様に口を開いた。 「幾ら私達にとっては『民のため』と言う目的があろうと、今私が説明した方法は益州の方達からしてみれば、 言ってしまえばただの侵略行為に他なりません。  ……それこそ、場合によっては今回の袁術さんや袁紹さん、曹操さん方と何ら変わり無いと思われるやもしれません」  そんな諸葛亮の言葉に、劉備は小さく、されど確りと頷く。 「ねえ朱里ちゃん、私が目指すこの大陸の未来……知ってるよね?」 「『みんな』が……誰しもが幸せになれる国……ですか?」 「そう。……けど、私だってそれが物凄く難しい……ううん、不可能に近い事だって言う事は解ってる。  人それぞれに感じる幸福は違う……『みんな』が幸せに何て言うのは、ただの理想論だって。  けど私は、その理想を追い求めたい。どんなに難しくても、厳しくても、その道を進んで行きたい。 一歩ずつでも。だから……"今はまだ"『みんな』を幸せに出来ないなら、手を届かせる事が出来る、 立場の弱い困ってる人から助けようと思う」  静かに、されど確りと。己の決意を確かめる様に語る彼女の心には、一人の青年の姿が浮かんでいた。  敵と味方に翻弄され、揺れ動き悪くなる状況に悩み、苦しみながらも、諦める事無く進み続け、 最善ではなくとも、その時手に出来る最良の結果を掴み取った青年。  彼のその姿を見て、劉備は自分もそう在りたいと強く思った。そして、この乱世の先に目指す、 己の未来をもう一度振り返り、考え、悩み──。 『理想の厳しさは理解している。けれど、決してそれを諦めない』  それが、劉玄徳が達した結論だった。  それは、一見すれば前と変わらない目標。けれど、そこに篭められた想いは、強く、硬い。 「……その為なら、侵略行為と言われても構わないのですか?」  再びの問いを発したのは、関羽。  それに対して、劉備は深く大きな頷きで返した。 「……わかりました。では時間もありません、すぐ行動に移りましょう」 「はい。……では、我々はここから南下し、長江へ出ます。  そこで船を調達し、水路にて長江を遡った先に有る益州の入り口、永安を目指しましょう」  そして、諸葛亮のその言葉を合図に反転。全速をもって、南へと進路を向けた。 ──袁紹軍西へ転進より四日……袁紹軍・本隊──  業へ向かったと言う曹操軍を止める為に西へ進軍する袁紹軍に、曹操軍が官渡へ布陣したとの報告が入った。 「良い度胸ですわ、華琳さん!良いでしょう……その勝負、受けて差し上げますわ!!  皆さん、我々も官渡へ向かい、そこで華琳さんを叩き潰しますわよ!!」  袁紹は、曹操が業に向かわずに官渡に留まり、袁紹軍を待ち構えている事を知るとそう言い放つ。  翌日、官渡へ入り、本陣を構築した袁紹は、工兵に命じて何かを作り始めた。 ──袁紹軍官渡入りより二日後……官渡地方──  今、ここ官渡において、曹操軍十五万と、袁紹軍三十万が対峙する。  さあ、始まりの銅鑼を鳴らせ。戦いの幕を開けよ。この地の覇者を決するは、今この時。  史実とはまた違った様相を見せるこの戦いは、曹軍を西、袁軍を東へと配し、幕を開けた。  まず初めに動いたのは袁紹軍。その物量を活かし、曹操軍を半包囲する形で展開する。  其れに対し曹操軍は、夏侯惇率いる騎兵隊が包囲の最も薄い部分へと突撃、突破しようとするも、 その動きを読んだ袁紹軍により防がれ、攻めあぐねていた。                       ◇◆◇  幾度も場所やタイミングを変えて攻撃するものの、ことごとくうまく対処される状況に、 曹操は忌々しげに袁紹を見やる。 「まさか麗羽ごときがこうまでやるとは……思ったよりも厄介ね、あの櫓」  曹操の言う通り、袁紹は今回の戦いに、大きな移動式の物見櫓の様な物を用意していた。 その櫓からであれば、戦場のある程度まで俯瞰できるであろう。  そこから曹軍の陣形を読み、うまく対処しているのである。……主に顔良が、であるが。 「袁紹の場合は、単に目立ちたいだけ……の様な気もしますが」 「それは……間違いなく有るでしょうね。でも結果として、それを効果的に使われているのは変わり無いわ。  ……それで桂花、アレ、どうにか出来るかしら?」  悪態をつく荀ケにそう問いかけると、荀ケは一瞬だけ考えるそぶりを見せたあと、大きく頷いた。 「はい。確実に処理するのであれば、夜まで持ち堪え、夜陰に乗じての奇襲にて破壊するのが良いかと。  今すぐにであれば……多少強引に、ですが、火計にて処理する事が可能かと」 「そう……あなたはどちらが良いと思う?」 「はっ。今すぐに行うのが宜しいかと存じ上げます。  夜まで耐えるにしても、アレがある限り、こちらの被害ばかりが大きくなるのは確実でしょう。  それならばいっそのこと、多少無理をしてでも今すぐに破壊してしまうのが宜しいかと」  曹操はそんな荀ケの説明に満足げに頷き、 「では桂花、あなたに一任する。見事アレを破壊して見せなさい」 「御意!」                       ◇◆◇  袁紹と共に櫓のに立ち、戦場を俯瞰しながら指示を飛ばしていた顔良は、曹操軍の動きが変わった事に気づく。  今までの騎兵部隊単独、もしくは数部隊のみによる突破を試みる時に見られていた、該当部隊のみの動きではなく、 全軍が動いている感じ。 「……まずいかも」  曹操軍の狙いは明白、この櫓だ。そして動きを変えてきたと言うことは、何がしかの策を練ってくるはず。  そう思い至った顔良は、何があってもすぐに対応できるよう、周囲を警戒させる。  ……彼女にとっての誤算は、寡兵である曹操軍は、“何がしかの策を用いて”この櫓に対処してくるであろう、 と思い込んでしまった事だろうか。  次の瞬間行われるは、騎兵部隊を頂点とした、楔形陣形による一点突破。  まず弓兵部隊からの斉射。それに続き騎兵部隊が突撃し、歩兵部隊が続いて、騎兵を援護する。  結果──夏侯惇を中心とした曹軍騎兵部隊は、袁紹軍の包囲を抜けだした。 「ごめんなさい、姫〜〜!突破されちゃいましたぁ〜!!」 「何をやってるんですの、顔良さん!!」 「だってまさか力技で来るとは思わなかったんですよぉ……」  そんな言い争いをしているうちに、袁紹と顔良の乗る櫓へと肉迫していた騎兵部隊は、櫓へ向けて『何か』を投擲する。  直後聞こえた、陶器が割れる様な音に続き、広がる炎。そして燃える櫓。  おそらく先ほどのは油壺だろう。火の勢いが強すぎる。  ……結局、火を消すのは無理と判断した顔良が、火を消せと駄々をこねる袁紹を引っ張って櫓から脱出。  曹操軍の騎兵部隊は、突如櫓を失って混乱気味の袁紹軍を再度突破し、本隊へと戻る。  その後、両軍共に一度態勢を整えるために引き、にらみ合いの形へと移っていた。                       ◇◆◇  にらみ合いの形になってから五日。ついに戦局が動く。両陣営に、徐州陥落の報がもたらされたのだ。 「やってくれましたわね!あんのクルックル小娘!!」  無論、これを良しとしないのが袁紹だ。彼女はすぐに全軍を出撃させると、曹操陣営へ迫る。  だが曹操も直ぐに全軍を出し、これを迎え撃つ態勢に入った。  先に動くは、やはり袁紹。だが、此度は包囲ではなく、全軍による突撃。数に物を言わせた物量作戦。  それに対して曹操は、袁紹先鋒の騎兵部隊を槍兵部隊で受け止める様に向かえ撃つ。  突撃の勢いを止められた袁紹軍は、直ぐに騎兵を転進、軽く間を取った所で弓兵による斉射を浴びせるも、 それに合わせる様に曹操軍からも弓兵による矢の雨が降り注いだ。  それは正に一進一退の攻防。だが徐々にであるが、数に勝る袁紹軍が押し始めていた。  そして、二枚看板たる文醜を中心にした、幾度目かの騎兵部隊の突撃によって、 これまでで最も敵前線を押し込む事に成功した。  そして次の瞬間、戦局が一変する。 「今ですわ!一気に押し切りなさい!!」  珍しく的確な指示が袁紹から飛んだ、そうその瞬間── 「曹孟徳が誇る兵達よ、今こそその武勇を示す時!突撃ーーー!!」  号令一下、十万の曹操軍が“袁紹軍の背後から”突撃した。掲げられる旗は、蒼の夏旗、そして楽旗。  …徐州を平らげた、夏侯淵と楽進である。  そして、突如現れた曹軍十万に背後を強襲された袁紹軍が混乱を起こした瞬間、曹軍本隊十五万が、反攻に転じた。  袁紹軍三十万に対し、怒涛の勢いで前後から挟み撃つ、曹操軍二十五万。最早、数に優劣はない。  ──結果、士気に勝る曹操軍は袁紹軍を打ち破り、官渡における戦いに、勝利を収めた。  そしてその破竹の勢いに乗せて業、晋陽、南皮、北平と攻め落とし、僅か一月半にて、 袁紹との河北四州を巡る戦いを制したのである。  名は曹操、字は孟徳。  混迷を深める乱世において頭角を現した、覇王の進む道を遮るものは、未だ在らず。