「無じる真√N」拠点10  公孫賛軍に保護され、幽州へと連れてこられてからそれなりの日数が経過したある日の 昼下がり、月は詠と一緒に中庭でお茶を飲んでいた。  月は、自分のお茶には目もくれず、目の前にいる詠がお茶をすするのをじっと見つめて いた。それに気づいたのか詠がにこりと笑う。 「ふぅ、月のお茶は本当においしいわ」 「ふふ、よかった。詠ちゃんに気に入ってもらえて」  月は、詠の感想を聞き安心したところでお茶をすする。どうやら月自身が考えていた通 りにいれることができたようだ。  詠の専属侍女となってから月は、詠の好む茶葉からはじめ、いれる際の濃さや温度など を研究してきた。そして、それらは成果として徐々に現れていた。  月がお茶をいれるようになった頃から、詠は褒めてくれていた、だけれども、それが彼 女の優しさであることを月は気づいていた。だからこそ、月は努力を続けた。大好きな彼 女が心から美味しいと思えるお茶を入れたかったから……。 「それにしても、この一時は本当に癒されるわ」 「詠ちゃんはいつも頑張ってるもんね」  お茶をすすりながら、あまり他の人には見せることのない自分だけに見せてくれる穏や かな表情を浮かべる詠。  それを微笑みながら見つつ、月は彼女の役に立てていることに嬉しさを感じていた。  元々、詠はいつも自分のために頑張ってくれていた、それに比べ、自分は彼女に何もで きなかった……そんな想いを月は抱いていた。  その想いは、ここに来てから一層強くなりつつあった。そんな折、一刀からお茶はそれ 自体の様々な要素、そして……いれる人次第で、飲む人の心を和らげることが出来ると聞 かされた。そこで、彼女は大切な人のために美味しいお茶をいれようと決意した。  それから月は、侍女仲間の人たちからお茶についての知識を学んだ。もちろん、侍女と しての仕事がないときであり、そのような時まで付き合ってくれる彼女たちに月は感謝し ていた。  それを、実際に口にすると侍女仲間は可笑しそうに笑うと、自分たちは月がとても良い 子だから教えて上げたくなると言い、さらに、だから、好きでやっているから感謝なんて しなくていいのよ、と続け、柔らかい笑みを月に向けてくれた。  それが月にはとても嬉しかった。  宦官たちの動きに巻き込まれていた頃、宮中ではそのような表情を向けてくれるものは いなかった。それでも笑顔を浮かべる者はいた。ただ、それは顔に笑顔という仮面を貼り 付けているだけの偽りの笑いだった。  そんなことを思いだし、月は自分をあの悪夢のような世界から救い出してくれた彼に改 めて感謝の念を抱く。 「……え、聞……る? ねぇ、ゆ……たら。ゆーえ!」 「ふ、ふぇ!? ゴホッ、ゴホッ」  ここに来てからの事に想いをはせていると、突然横から大声が耳に入り、驚いて変な声 がお茶と共に、口から漏れる。 「ちょ、ちょっと、月!? 大丈夫? ごめん」 「ケホッ……だ、大丈夫、ちょっと驚いただけだから」  心配そうに見つめてくる詠に手を振って平気であることを強調する。 「そ、そう。でも、月ったらボクが話しかけても返事してくれないんだもの」 「え? そうだったの……ごめんね、詠ちゃん」 「ううん、別にボクは気にしてないから。それより、どうしたの? さっきから上の空だ ったわよ」 「うん……なんていうかね。今、幸せなのかもって思って」 「…………そう」  何気なく思ったことを告げると、詠がとても優しい笑顔で月を見た。  "あの頃"はいつも厳しい表情を浮かべていた詠の顔から再び笑顔を見れたことが月には 嬉しくて仕方がなかった。 「ふふ、こうやって詠ちゃんの笑顔を見れることも幸せ」 「そうかしら……まぁ、ボクも月の笑顔が見れて嬉しいけどね」  互いに笑顔を浮かべながら見つめ合う、それがだんだん可笑しく思え、どちらからとも なく、くすくすと笑い始める。そんな時、 「う、うわあぁぁ! おぉ、ゆ、月に詠か。すまないが、か、匿ってくれ!」 「ちょ、な、何よいきなり!」 「へぅ〜」  突然茂みから現れた男、もとい一刀に二人は笑顔を一変させ驚愕の表情を浮かべた。 「じ、実は今追われててな……も、もうすぐ"ヤツ"が来る。俺は、そこに隠れるから、俺 の行方を聞かれたら関係ない方向を伝えてくれ」  そう言うやいなや、一刀はすぐに机の下へと潜り込んだ。 「ちょ、ちょっと何考えてるのよ!」 「……え、詠ちゃん。少しの間だけなんだし、隠れさせて上げようよ」 「う……月がそう言うならしょうがないわね」  詠が渋々了承したところで、遠くから地響きをあげながら何かが走ってきた。 「ぐふふふふ〜ご主人様はどこかしら〜」  妙に色気づいた声を発しながら筋肉達磨が二人の元へとやってきた。 「あらん、月ちゃんに、詠ちゃんじゃな〜いの。二人でお茶かしら。うふ、いいわねぇ。 と、こ、ろで、ご主人様を見かけなかったかしら?」 「あいつねぇ、あいつは……」  そこで詠がちらりと机を見る。それを見た月は、詠が次の言葉を発する前に応える。 「そ、それなら、あっちに行きました!」 「あら、そうなの。ありがとうね月ちゃん」  筋肉達磨は、二人に向けて片目をぱちりとさせるとすぐさま駆けだした。 「待っててねぇ〜愛しのご、主、人、さ、まぁ〜ん!」  そのまま、声と姿が遠くなる。その姿を月は少し羨ましげに眺めながら見送った。自分 もあの人のように積極的にならたらという想いを心に秘めながら。  そして、筋肉達磨の姿が完全に消えたところで月は一刀へと声をかける。 「行きましたよ」 「おぉ、ありがとう月」  そういって、机の下から這い出してきた一刀の顔は何故か真っ赤だった。 「……何で月だけなのよ。っていうか、あんたなんて顔してるのよ」 「ん? あぁ、詠もありがとう……って顔がどうしたってんだよ」 「はぁ、あんた、今ものすごくしまりのない顔してるわよ」 「そ、そそ、そんなことはないぞ。うん、断じてない」  詠の指摘に、一刀は肩をびくりとさせ、妙に早い口調になった。ただ、月から見ても何 というか変な顔だった。 「……まぁ、いいわ。用が済んだのならさっさとどっか行きなさいよ。ボクは"月と"お茶 してるんだから」 「あぁ、そうかい。それは悪かったな。じゃあ、俺はこれで」  詠のきつい言葉に、苦笑しながら一刀が立ち去ろうとするのを見て月はほんのわずかに 勇気を出した。 「あ、あの……もし、良ければ、その……ご一緒にお茶しませんか?」 「え、ゆ、月?」 「えぇと、いいのか? 俺が一緒でも」  詠と一刀が驚く中、月はさらに言葉を続ける。 「はい、私は詠ちゃんと北郷さんに仲良くなってもらいたいですから」 「そっか…………だ、そうだが、どうかな詠?」 「うぅ……月がそう言うなら」 「はは、それじゃあ二人から許可を貰えた事だし、俺も加えてもらうよ」  いかにも、渋々といった様子の詠に苦笑しつつ一刀が机に近づく。 「あ、あの、どうぞこちらへ」 「あぁ、ありがとう」 「ゆ、月!?」  一刀がどちらにしようかと考えるような仕草をする瞬間を見て、月はすぐに自分の隣の 席を指し、座るよう促した。それを見た詠は、まるで狐につままれたかのような表情を浮 かべている。  なんだか、月にはそれが面白かった。ほんのわずかに行動するだけで普段と違うモノが 見れるとは思っていなかった。そして、それならば、今までよりほんの少しだけ積極的に なっても良いかもしれないと思うのだった。  それから、一刀を加えた三人で何気ないことを語り合いながら過ごした。  そんな会話のなか、突然詠が、一つの提案を切り出した。 「ねぇ、もしよければだけど……これからも月とお茶を一緒にしない?」 「へ? どうしたんだ、詠」 「……癪だけど、この娘、あんたのこと気に入ってるみたいなのよ。だから、ボク専属じ ゃなくて、あんたと兼用の侍女にして貰えないかってことよ」 「え!? ゆ、月はどうなんだ? やっぱり詠と一緒のままがいいだろ?」 「……そうですね。確かに、私……詠ちゃんと一緒がいいです。だけど、北郷さんとも一 緒がいいんです」  明らかな意志を瞳に宿し、月が一刀に応える。その気迫に押されたのか一刀が僅かにさ がる。そして、 「そうか、なら……よろしくな、月」  一刀は、すぐに姿勢を戻し笑顔を浮かべる。それは、月の心を暖かくしてくれた。  その瞬間、更なる欲求が彼女を襲う。目の前の彼を、優しくて暖かい一刀を"ご主人様" と呼びたいという欲求が強まった。  彼をそう呼ぶのは月の元々の願望だった。貂蝉が彼をそう呼ぶのを見たとき、不思議と 自分もそう呼びたいと思ったのだ。だが、自分はあくまで詠専属の侍女。故に彼をそう呼 ぶことをためらっていた。  だが、今、詠の計らいによって彼の世話も担当するという願いが叶った。  詠の方を見ると、再び、柔らかな笑みを月に向けていた。その顔が、これでいいんでし ょ? と言っているように感じる。それに対し月は、満面の笑みでうなずいて応える。そ して、一刀の方を向き、自分の望みを伝える。 「あ、あの……ご主人様って呼んでもいいですか?」 「!? えぇと……」  その瞬間、一刀がどこか苦しそうで悲しそうな表情を浮かべた。それが月にはたまらな く辛く感じた。 「へぅ……すみません」 「あんたねぇ」 「ま、待ってくれ! べ、別に嫌なんて言ってないだろ。月がそれを望むなら俺はそれで いいぞ。うん、本当に!」  落ち込む月の姿に加え、詠に刺し殺すような視線を向けられた一刀が、慌てるように告 げた言葉、それは月の願いを承諾するものだった。それを月が知覚すると同時に、頭に重 みを感じる。それは一刀の手だった。まるで、子供をあやすように優しく頭を撫でてくれ ていた。それが心地よく何も言えなくなりそうだった月は余力のある内に言葉を発した。 「ありがとうございます……ご主人様」  そして、月はそのまま暖かな手のひらによってまどろむのだった。  その後、完全に寝てしまっていた月は、何か大きな音によって意識を覚醒させた。ぼん やりとする中、何か声が聞こえる。 「い、いや、白と黒っていう組み合わせは確かによかっげふぅ」  声の途中で打撃音が聞こえる。そちらの方に視線を向けるがいまだぼやけていてよく見 えない。 「あんた、やっぱり見てたんじゃない!」 「い、いや……あれは不可抗ぐほぉっ」  一刀が詠の問いになにやら答えている途中で大きな打撃音がして一刀の声が消え、沈黙 が訪れた。そして、その沈黙によって再び月は眠りにつくのだった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「無じる真√N」拠点11  詠は、足早に廊下を歩いていた。その後ろから詠の動きに合わせるような足音が聞こえ てくる。 「いつまでついてくるのよ」  思わず舌打ちする詠。それも致し方ない。なにせ、その足音は、たびたび詠の後を追い 、一日中つきまとっていたのだから。 「はぁ、あんた何なの?」  あまりの鬱陶しさに振り返りながら詠は問いかける。 「ん? いや、詠はどういう風に過ごしてるのかと思ってね、ただ見てるだけさ」  にらみつけていることなど気にもせず、爽やかな笑みを浮かべる一刀に詠のいらだちが ますます増える。 「あんた……しょっちゅう見に来てるわよね。暇なの?」 「ん? まぁ、仕事の合間や休みの時に来てるだけだからまぁ、暇な時に来てるわけだし 、暇なのかと言われれば、暇だ、と答えるしかないな」 「…………はぁ」  のほほんと正直に答える一刀を見て詠はため息を漏らさずにはいられなかった。何せ、 一刀は言葉通り、暇さえあれば詠の様子を見に来ているのだ。 「そんなにボクを信用できないわけ?」 「ん? いや、俺は見張りとかそういう役割があって来てるんじゃなくて、ただ興味を持 っているだけなんだが」 「はぁ? 興味って何によ」 「詠に」 「! は、はぁ〜!? 意味わかんない事言わないでくれる!!」  先程までの緩い顔でなく、真面目な表情で言われ思わず動揺する詠。 「まぁ、俺のことは気にしないでくれよ」 「そう言われたって……」  文句を呟きつつも詠は追い返すのを諦める。そして、当初の目的である軍部へと向かう 。その後を、やはり一刀は歩いている。  結局、軍部にて詠が一通りの意見を言い終えるまでの間、一刀は引っ付いていた。  一日の仕事を終えた詠は、月と共にお茶を飲んでいた。 「まったく、あいつは何なのよ」  愚痴をこぼしつつ、お茶菓子をつまむ詠。それを微笑みながら月が見つめてくる。それ を訝りつつ、詠は尋ねる。 「どうしたの? 何か良いことでもあったの?」 「ふふ、詠ちゃんてば素直じゃないなぁって思って」  そう言って、月はお茶をすする。その言葉に対し、詠は思わず立ち上がって反論する。 「な、何言ってるのよ。ボクのど、どこが素直じゃないって言うの?」 「詠ちゃん、本当はご主人様が一緒にいる理由に気づいてるんでしょ?」 「え!? し、知らないわよそんなこと……」  思わぬ指摘を受け、詠は顔を真っ赤にし、徐々に小声になる。なんだか体まで縮んでい くような気分だった。 「ふふ、やっぱり気づいてるんだね詠ちゃん。もし、良かったら教えてよ」 「……はぁ、わかったわ。月にだけだからね。秘密よ。絶対だからね!」  念を押す詠に、月はくすりと笑う。そして、うん、わかった、と言って頷く。 「まぁ、月も薄々気づいていると思うけど……あいつってさ、私が軍部や、隊の訓練に行 くときについてくるのよ」 「へぇ、なんでだろう?」 「それは……ボクの予想では、恐らくそこには兵や武官がいるからよ」  割と前から気づいていた違和感とその理由を述べていく詠。そう、一刀は文官たちとの 話し合いや、月と二人でいたいときには姿を消していることが多かったのだ。詠のそばに いるのは、大抵、多くの兵や武官がいるところへ所用で詠が訪れるときだった。 「でも、なんでそういう時なんだろ?」 「多分だけど、それはボクがここでは、元は彼らの敵なうえに新入りでそのうえ、女だか らよ、きっとね」  そう、詠は気づいていた、一刀がいないときに自分に向けられる一部の兵や武官からの 悪意ある視線、すなわち、あきらかな敵意。 「兵や武官の中には頭まで筋肉で出来ているようなのもいるのよ。そいつらは、きっとボ クの事を憎んでいたり、見下しているのでしょうね」 「そ、そんな……」 「それが現実なの。文官たちは、頭脳をつかうことが仕事なだけあってボクのことを理解 してくれている。でも、一部の兵や武官は違う。ボクは華雄や霞とは違って武を嗜んでな いからね。彼らからすれば、ボクは非力で口達者の小うるさい女程度にしか思えていない でしょうね」 「ひどい……」  実情を聞かされた月の顔がみるみる青くなる。 「それを危惧したんでしょうね……あのお人好しは。現に、あいつが一緒にいるからボク は本来受けるはずだった敵意の八割以上を受けずにすんだわ」 「そっか……」  先程まで、初めて聞かされた実情に対し、顔を青ざめていた月だが、それらと、一刀の 行動がつながっているとの説明を受けて徐々に表情を明るくしていく。 「あいつのおかげなのかしらね。どうやら、そういった連中にも認められてね、最近は、 そういった敵意を浴びせられる事もとくになくなったわ」 「そうなんだ」 「そうよ。ただ、あいつが未だにボクにつきまとっている意味はよく分からないわ」 「ふふ、それも嘘でしょ。詠ちゃん」  さすがに恥ずかしくなり、ごまかすように一刀の文句を言おうとしたが、月に切り捨て られる。 「そ、そんなことは……ないわ」 「じゃあ、私が代わりに言うよ。ご主人様は――」 「やっぱりいい! いいから、言わないで。本当は、なんとなくわかってるから」  そう、詠には分かっていた。一刀が今もついてきているのは、本当に詠のことを心配し ているからであることを。そして、それが過保護といっても良いほどに詠を大切に思い、 実際に大切にしてくれているということの表れであることも――。 「それじゃあ、詠ちゃんは、今度ご主人様に会ったときに言わないといけないことがある ってことだよね?」 「うぅ、月ってなんか変わったわよね……」  どこか、少し前までの消極的な態度と違い、明るく、そして僅かな積極性を感じさせる ようになった月に感動しつつ、おかげで痛いところをつかれる現状に詠は複雑な想いを抱 く。そして、それにより困惑の表情を浮かべていた。 「そうかな? でも詠ちゃんも少しずつ変わってると思うよ」 「そうかしら?」 「うん、なんだか丸くなった気がする」 「ボクが?」 「うん、特にご主人様といるときなんて……すごくそう感じる」 「そ、そんなことないわよ。どっちかと言うと、月の方がすごいじゃない。なんだか積極 的で月じゃないみたい」 「へぅ……そ、そんなことないよぅ」 「あら? やっぱり、いつもの月ね」 「もう! 詠ちゃんたら〜」  そうして二人して笑い合う。今のように、互いに気軽な言葉を言い合って笑うことが出 来るなど洛陽にいた時には想像も出来なかった。  特に月は、洛陽ではいつも暗い影が差していた。それが今ではかつての明るさを取り戻 し充実した日々を過ごしている。  詠は、思う。ほんの少しくらい、本当にちょぴっとくらいならばあのお人好しに感謝し てもいいと。自分たちをあの終わることのない悪夢から救い出してくれたことを……そし て、いつも自分を見守ってくれていることを――。  数日後、その日の詠は休みをもらっていた。そこで、自室にて月とお茶を楽しむことに したのだった。 「さて、準備万端ね。って、月?」 「えっとね……もう一人、"お客さん"が来るから」 「え?それって――」  誰なのかと尋ねようとするのと同時に部屋の扉を軽く叩く音がする。そして、 「おーい、入っていいか?」 「あ、今開けますね。ご主人様」  一刀が部屋へと入ってきたのだった。どうやら彼が、月の呼んだお客様のようだ。 「今日は、悪いな。お茶会に参加させてもらって」 「いえ、私たちが誘ったのですから気にしないでください」 「……え? たちって……え?」  月の言葉に混乱し、上手く言葉が出ない詠。それを可笑しそうに見つつ、月が耳打ちし てくる。 「だって、詠ちゃんは一刀さんに"言うこと"があるんでしょ?」 「!?」  月の言葉に思わず、詠の体が跳ね上がる。顔はもう火照り赤く染まっている。 「ん? どうしたんだ?」 「な、何でもないわよ! ふん!」 「な、なんだ?」  詠は、恥ずかしさのあまり、思わず一刀から顔をそらしてしまう。それに対して一刀は 、首を傾げるが気にとめずお茶をすすりだした。 「もう、詠ちゃんたら……」 「うぐっ、わかってるわよ」 「?」  月に呆れた視線を向けられ、どもる詠。一刀は、それをただ不思議そうに見る。  それに気づき、詠は慌てて咳払いをする。 「ちょっと、いいかしら」 「ん? なんだ?」 「その……だから……えぇと……あ、あ」  なんとか、言葉にしようとするが上手く出てこない。横をちらりと盗み見ると、月が胸 の前で拳を握りしめているのが見える。さらに小声で、頑張れ詠ちゃん、と言っているの が聞こえる。  親友が応援してくれている。だからと言って口に出せるわけでもない。だが、気合いを 込め、発する。 「あ」 「あ?」 「あほんだらぁ!」 「おごぉ!?」  詠は、気がつけば、恥ずかしさのあまり、なぜか拳を繰り出してしまっていた。そして 、その拳は一刀の真芯をとらえてしまい、彼の意識を刈り取った。 「ご、ご主人様〜!」  月の悲鳴が響き渡ったところで、お茶会はお開きとなってしまった。  意識を失ってから数刻経ち、ようやく一刀は意識を取り戻す。 「あ、あれ?」 「やっと起きたわね……」  気がつくと、どうやら一刀の体は横になっているらしい。そして、頭には柔らかい感触 があった。 「ん? これは……おぉ!」 「こっち側に顔を向けんな!」 「んがっ!?」  奇声を発する一刀。  それは、気がついた一刀が、顔を詠の方へ向けた際、魅惑の三角地帯の中に黒い布地が ちらりと覗いているという光景を一刀が視界にとらえるのと同時に拳骨が頭に振り下ろさ れたためだった。 「いてて……で、何で俺は詠に膝枕されているんだ?」 「そ、それは……あんたが気を失ったのはボクのせいなわけで……」  顔を赤らめつつ、ごにょごにょと呟く詠。それを見て、一刀は先程の惨劇を思い出す。 「そっか……まぁ、気にしないでくれよ。何か事情があったようだし」  彼女の膝から離れ、立ち上がりながら微笑を浮かべる一刀。大抵、彼女による攻撃を食 らう際には、自分に非があることを一刀は承知していた。それ故に、今回も自分の失敗に よるものと思っていた。 「いえ……あれはあくまでボク自信の失態なのよ……だから」  予想外なことに詠はどこか消極的だった。そしてさらに予想外なことが一刀の目に飛び 込んでくる。何故か詠は、一刀が侍女として働き出した月に渡し、いまや侍女たちの制服 となっているメイド服を着ていた。  ちなみに、詠が着ているのは、一刀が月にメイド服を用意した際にお揃いということで 詠に渡していたものだった。 「詠、何故にそんな格好をしてるんだ?」 「だ、だからさっきのお詫びにボクがお茶を入れてあげるってことよ」 「そ、そうか……」  いまいち実感のわかないまま一刀は席に座る。そして、いそいそと準備を始める詠の後 ろ姿を眺める。 (まさか、また詠のメイド姿が拝めるとは……懐かしさと……嬉しさに……それと……… …なんだか、複雑な気分だ……)  そんな事を考えつつ、一刀は詠が動くたびにエプロンを止めているリボンが揺れるのを 目で追いながら微笑ましげな視線を送るのだった。  そして、苦戦しながらも詠は作業を終え、一刀の元へとお茶を持ってきた。 「はい、お茶……その、今日は、悪かったわね」 「いやいや、おかげで、詠のメイド姿を見れたし、お茶も入れてもらったからな、言うこ となしだよ」 「ふ、ふん! そもそも何なのよ、このめいど服ってやつは、ひらひらしすぎじゃない」 「何を言うんだ。メイド服って言うのは――」  それから、一刀は延々と詠にメイド服の良さを伝えようと試みるが結局呆れられるだけ だった。  そして、騒がしくも楽しい時間は過ぎ、お茶を飲み終えた一刀は最後に詠に礼を言う。 「今日はありがとうな詠」 「べ、別に元々ボクが悪かったんだからいいわよ……そ、それと」 「ん?」 「その……色々と……あ、ありがとう」  もじもじとしながら詠が礼を述べた。一刀には、それがこれまで彼女たちの事を想い、 色々動いたことに対するものであるのを感じ取った。 「いや、どういたしまして」  だからこそ、一刀も行動を起こして良かったという笑みを浮かべて詠を見つめた。 「!! べ、別にあんただけに感謝してるわけじゃないんだからね!」  照れ隠しなのか、頬を赤く染めた顔で一刀に一瞥をくれると、詠は、ものすごい速度で その場から立ち去っていった。一刀はそれを暖かなまなざしで見送るのだった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N」拠点12  霞は、白蓮から呼び出しを受け歩いていた。ただ、目的地は白蓮の部屋でもなく、玉座 のまでもなかった。  その事に疑問を抱きつつ歩いている内に目的地である厩舎へと到着した。  そこには、一人の青年がいた。"あの争乱"の中、たった一人で自分たちを救おうと奔走 したお人好し、北郷一刀だった。  彼は、霞に気づくと、片手をあげながら近づいてくる。顔にあの一刀特有の笑みを浮か べながら。 「よぉ、霞。白蓮に呼ばれて来たんだろ?」 「おっす一刀! なんや一刀がウチに話があるんか?」  どうも一刀は霞が来ることを知っているようだ。彼の様子からそれが伺える。 「まぁな、ちょっと中にいる馬を見てくれないか」 「えぇで、おぉ! これはまた……」  思わず感嘆の声を漏らす霞、そこには、白馬や茶毛の馬や黒毛の馬などがずらりと並ん でいた。さらに、そのどれもが、毛並みや肉付きを見る限り、よく管理されているのを伺 うことができる。  さすがは白馬をかる将軍、通称白馬将軍と呼ばれ、白馬義従と呼ばれる部隊を従えてい る人物、公孫伯珪だけのことはあると霞は思った。 「で? 一体ウチに何をさせるるもりや……まさか、こんなところでウチを」 「何を考えてるんだよ! 違うわ! 全く……」 「何怒っとるんや? ウチはただ、ここで馬の管理に開け暮れさせられるくらいにコキ使 う、とでも言われるんかなって思っただけやけどな〜」 「うっ……いや、何でもない気にするな」  霞の指摘を受け、一刀は顔を真っ赤にしてプイッとよそを向いてしまった。 「何や? どないしたんや?」  何気なく尋ねようとするが思わず顔がニヤつく。何せ一刀が予想以上にからかい甲斐の ある人間だと分かってしまったのだから。 「頼む、もう聞かないでくれ……自分が情けなくなる」  がっくりと肩を落とし想像以上に落ち込んだ様子の一刀に霞もさすがに慌てる。 「じょ、冗談やって! ウチが悪かったって、な? 一刀……一刀?」  慌てながら一刀に語りかけながら、あらためてよく見ると、一刀の両肩が震えている、 いや、全身がぷるぷると震えていた。 「くっ、くく、さ、それじゃあ、さっさと行こうか」  笑い声をこらえつつ、突然笑顔になった一刀が歩き出す。そこにきて霞は自分がしてや られたことに気がついた。動揺したのも、落ち込んだのも演技だったのだ。 「くぅ〜、やられたっちゅうわけか。ホンマおもろいやっちゃな」 「ん? どうしたんだ霞?」 「何でもあらへんよ。ほな、行こか」  自分の予想を超えた行動をする一刀に霞はますます興味をひかれていたが、それを隠す ように一刀の背中をぐいぐいと押していく。 「お、おい、行き過ぎる行き過ぎる!」 「ん? おぉ、ここなんやな……って、なんやこいつがどうかしたんか?」  一刀に言われ立ち止まった霞の前には彼女の愛馬がいた。 「あぁ、これから霞には馬術に関する稽古を施してほしいんだ」 「へぇ、それは一刀にか?」 「ん? まぁ、俺もついでに教えてもらおうとは思うけど」  そのとき、厩舎にぞろぞろと妙な服装をした集団が現れた。 「お、ちょうど来たみたいだな。実は彼らを霞の隊に組み込めるだけ組み込もうかと思っ てるんだ」 「あの装飾からいうと烏丸族やな?」 「そう、彼らは馬の扱いに長けていてね。そこで同じく、馬の扱いに長けている霞に彼ら の連携について稽古をしてほしいんだ」  霞の言葉にうなずきつつ、烏丸族を見やる一刀。 「う〜ん、ウチがやっても大丈夫なんかな? 烏丸族って余所者にはあまり従わないって 聞いたで」 「あぁ、それなら大丈夫。彼らの長は意外と好意的でね。俺ともよく話してるし、あの人 を通せば指示は伝わるよ」 「は、はぁ……」  そう告げた一刀は、その事を烏丸族の長と話している。その様子は確かに親しい者同士 の行う会話に見える。  霞には、ますます一刀が不思議な存在に思えてしまっていた。 「さて、話もついたから後は霞次第なんだけど、どうかな?」 「まぁ、ウチでよければえぇで」 「ありがとう、霞」  霞が承諾すると、一刀は笑顔で礼を述べた。  そして、一刀は烏丸族に準備の指示を出し始めた。それに会わせ霞も準備を始めるのだ った。 「ほな、ここで休憩や。各自体を休めてや〜」  訓練が一段落ついたところで霞は、休憩の指示を出す。それに従うように兵たちが動い ていく。それを見た霞も休憩に入った。 「はは、ばてばてやな」  休憩に入ってすぐ、霞は地面に仰向けに倒れている青年の元へと歩み寄る。  彼が休憩の指示を出してすぐに、倒れ込むようにして地面に寝そべりはじめたのを霞は 視界にとらえていた。  それを見た瞬間は、さすがにひやっとしたが近づくにつれて、ただバテているだけであ ることが判明し、ほっと胸をなで下ろした。 「あ……あのなぁ、俺は……ついでに……教えてくれればいいって……言っただろうが… …それを……本気で……やりや……がって」  息も絶え絶えに寝そべった状態のまま、一刀が霞に愚痴をこぼす。霞は、それに対し、 意地悪く笑う。 「何いうとるんや、一刀だけ特別あつかいするわけにはいかんやろ。やから、同じように しごいたったんやないか」 「……俺は……一般人に毛が……生えた程度……なんだぞ」  霞の言葉に、荒い息を交えながら答える一刀。本当は、喋らずにひたすら酸素を吸収し たいに違いない。  だが、そんな状態であっても、ちゃんと霞の言葉に返答するのがいかにも彼らしいと霞 は思った。 「なはは、まぁ、元々一刀が求めたことやん。やったら、頑張り」 「はぁ、わかったよ。頑張ってみるさ」  ようやく、息が整った一刀が霞の言葉に返事をする。どうやら、もう大丈夫なようだっ た。それを機とし、霞は再び兵を集め出す。 「ほな、訓練再開や!」  そして、再び訓練が始まるのだった。  烏丸族を含めた騎馬隊訓練も終え、一刀は霞と共に厩舎へと戻った。その際に烏丸族へ は解散を告げ、二人で霞の馬を返しに向かっていた。 「今日はありがとうな。お疲れさん」  厩舎の兵に愛馬を預ける前に、霞がそっと愛馬の体を撫でながら一日の働きを労う。  愛馬を愛でる霞は、普段の彼女からは想像することなど出来ないくらいに、母性に満ち た表情をしていた。  一刀はその姿から目を離すことが出来なかった。 「ほな、よろしゅうな。それじゃあ、戻ろうや」  兵に愛馬を任せ、霞が一刀の方を振り返る。その顔はもう普段の霞だった。 「あ、あぁ……そうだな」 「ん? 何やぼぉっとして……もうへたれ込んだんか?」  反応が鈍くなった一刀の顔を霞が不思議そうにのぞき込む。 「え? あぁ、確かに疲れて体が、がたがただよ」 「くくく、あかんなぁ。あれくらいで悲鳴あげとるようでは、まだまだやで」 「はは、手厳しいな」  互いに、笑いながら歩き出し厩舎を後にした。  それからは、互いに他愛ない話をしながら歩いていた。何気ない会話を続けていく中で 、一刀は先程の話をし始めた。 「そうそう、さっき厩舎の前でぼぉっとしてたのはさ、疲れたからじゃないんだよな」 「ほぅ、そうなんか? なら、なんでや?」  何気なく言った一言に霞が興味深そうに尋ねてきた。その様子は先程、愛馬を愛でてい たときの姿とは似ても似つかないほど無邪気だった。  そんなことを思い、苦笑を浮かべつつ、霞の質問に答える。 「いや、なんて言うか、馬を撫でてるときの霞って普段の姿に負けないくらい、別の魅力 で溢れてるなぁって思ってたんだよ」 「な、何言うとるんや!?」  よっぽど驚いたのか霞はその場で固まってしまった。 「いや、本当に俺はそう思ったよ。なんて言うかすごく優しい顔をしてた。いや〜、意外 な一面を見たね。思わず見ほれたもんなぁ」 「変なこと言わんといて〜な」  一刀が、一人で満足し、頷きながら歩きはじめると、霞がその背中を慌てて追いかけ始 めた。  その後ろ姿は、片や体を引きずるように歩き、片や妙にぎこちないというなんとも不格 好なものだった。  そんな二人の姿を見た者たちは、皆、笑顔を浮かべ、微笑ましげに彼らの姿を見送って いた。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N」拠点13  仕事を終えた一刀は廊下を歩いていた。 「今日は、割と少なかったから早く終わっちゃったな……空いた時間どうするかな」  部屋に戻ろうか、それとももう少しブラブラしようか一刀は考える。 「一刀、ちょうどいいところに。今、時間はあるか?」 「ん? 白蓮じゃないか、どうしたんだ? まぁ、仕事も終わって暇ではあるけど」 「なら、悪いんだが……警邏に出てくれないか?」 「ん? 別にかまわないけど」  ちらちらと一刀の顔色をうかがいながら尋ねてくる白蓮に苦笑しつつ了承の意を伝える 一刀。すると、白蓮がぱぁっと顔を明るくする。 「それじゃあ、悪いが参加してくれ。実は、一人病欠でな」 「そうか、それじゃあ行ってくるよ」  一刀は、白蓮から出発前の警邏隊がいる場所を聞き出すやいなや駆けだした。  白蓮から教えられた場所へ行くと確かに警邏隊が集合していた。 「ふむ、どうしたものか……」 「お〜い」  何やら悩み込んでいる華雄の姿を警邏隊の中に見つけた一刀は声をかける。一刀の存在 に気づいた華雄が視線をそちらへと移す。 「北郷か、どうした?」 「いや、俺も今回警邏に代理で参加するんだ」 「そうか、ならばもう出発可能だな」  そして、一刀が参加する趣を隊の兵たちに伝え街へと繰り出すのだった。  警邏を行うため隊が分散した際、一刀は、華雄と共に行うことになった。 「いや〜、気のせいか以前より人が増えてるな」  一刀は道を歩きながら周囲を見渡し感嘆の声を上げる。 「ほう、そうなのか?」 「あぁ、なんというか人の数も増えてるんだが……それに加え、活気づいてきてる」  一刀の答えを聞いた華雄が街を見渡す。その視線を一刀も追う。  先程から、あちらこちらで威勢の良い声が飛び交っている。それは……とても賑やかで 、明るい光景。 「笑顔……か」  人々の表情を見て感慨深げにそう漏らす華雄に一刀は視線を変えることなく、声をかけ る。 「どうした?」 「いや、何でもない。ただ、ここは笑顔が溢れていると思ってな」 「そうだな……これも白蓮が頑張って内政を行い、星が守ってきたからあるんだ……まぁ 、今は華雄たちも頑張ってくれているんだよな」 「ふ……お前はどうなのだ?」 「俺か? 俺は……まぁ、やれることやってるって感じかな。白蓮のように政治的な事を たくさんしているわけでもないし、星のように武力で平穏を守ってるわけでもない。ただ 、この街を歩き回って見守るくらいだな」  改めて考えることで、一刀は他の者たちの大変さを再認識させられた。そして、 (そのうち、ちゃんと労った方が良いな)  そんなことを密かに決意するのだった。  それから警邏を順調に進めていると、華雄が何かに気づく。 「ん? どうした華雄」 「……あそこを見ろ」  華雄が指す方へと一刀が視線を向けると、店と店の間の空間に男の子がしゃがみ込んで いた。顔を俯かせているため様子は分からないが、とても元気には見えない。 「どうしたんだろうな? とりあえず行ってみよう」 「うむ、様子が変だな」  互いに頷き、男の子のもとへと歩み寄る。男の子の前にしゃがみ込むと一刀は出来る限 り優しく声をかける。 「どうしたんだい?」  一刀が声をかけた瞬間、男の子はまるで堤防を破壊してあふれ出る水のように涙を流し 、泣き出してしまった。  泣きながらあげる声を聞いてみると、どうやら迷子らしいということが判明した。 「よっぽど不安だったんだな」  頬を掻きつつ、一刀が男の子を宥めめようとするよりも早く、華雄が動いていた。  中々、泣き止まずにいる男の子の両肩に華雄は手を置き、目線をあわせ語りかける。 「泣いてばかりではいかんぞ。男なのだろう、いつかは大切なモノを守るのだろう? な らば、心を強くもて! 泣いてその場でうずくまるばかりではなく、自ら動くことを覚え るのだ!」  華雄の強く響く声に驚いたのか男の子は泣き止み、ただこくりと頷いた。それを見た華 雄はフッと表情をゆるめ、男の子に言い聞かせるように語りかける。 「わかったのなら、それでいい。変わろうと思った以上お前は変わることが出来る。だか ら精進するんだぞ」  男の子は華雄の言葉と頭を撫でる手によって笑顔を浮かべ、頑張る、と息巻いた。 「よし、ならば、さっそく行動だ。親を捜そうではないか」 「そうだな、俺も――」 「それは、当たり前だろう」  華雄と男の子のやり取りを微笑ましく見守っていた一刀が声をかける。それに対し、華 雄が普段通りの顔に戻って答えてきたことに、一刀は苦笑いを浮かべた。  それから、子供の手を華雄と一刀がそれぞれ握り、探しながら歩いた。  そして、それからそう長い時間をかけずに母親は見つかった。  なお、その際、母親からお礼の言葉とともに、お二人ともお似合いですわ、などという 言葉を受け、二人の間に妙な空気が漂うことになった。  城へと戻った二人は、ぼやいていた。 「しかし、あの母親には参ったな」 「まったくだ、よりにもよってこの武の道一本で生きてきた私が、そこらにいる町娘のよ うに見られるとは思わなかったぞ」 「いや、俺は意外と女性らしいところがあるように思ったぞ」 「何を言っておるのだお前は!」  一刀が実際に感じたことを口にするやいなや華雄が怒鳴り返してくる。 「いや、あの子に語りかけてるときの華雄はなんて言うか頼りなるお姉さんって感じだっ たぞ」  一刀は、素直な感想を述べてみる。華雄はそれに対し、ただため息を吐くだけだった。 「私は、真名と共に女らしさなど捨てたはずなのだがな……」 「え?」  ぽつりと華雄が呟いた一言に一刀は驚き視線を向ける。 「ふぅ、まだ残っていたのだな……女としての私は」 「華雄?」 「いや、何でもない気にするな……」  それだけ答えた華雄はその場から立ち去っていった。  一刀にはそれを、ただ見つめ続けることしかできなかった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N」拠点14  一刀は今、一つの小屋の前にいた。その後ろにあからさまに気分を害していますと言わ んばかりの三人の少女がいる。さらにその後ろには筋肉達磨がいた。  しばらく、誰も口を開かない。が、耐えかねたのか三人の少女の一人、地和が声を上げ る。 「ちょっと〜!! 何なのよこれ!」  そういって、少女は目の前の小屋を指さす。それに対して一刀はただ静かに、冷静を装 い答える。 「じ……事務所? 兼、練習場?」  一刀の解答は疑問系だった。しかも声が震えている。正直彼も動揺しているのだ。白蓮 から、三姉妹の事務所に使える物件が見つかったと言われ三人を連れてきてみれば小屋と 小さな舞台があるだけだった。 「うぅん……さすがに、これは……」  さすがの天和も笑顔がさえない。 「でも、仕方ないわよ。ここはそこまで裕福って訳でもないでしょうし」  人和はただ冷静に国の分析と現状の解析を行っていた。そんな妹を見て、地和はさらに 不満な声を上げる。 「だけど、私たちは洛陽を中心に多くの人たちから人気を集めていたのよ! そんな私た ちの事務所が……こんなボロ小屋だなんて、納得いかな〜い!」  そんな三人を見て、一刀もいたたまれない。彼女たちを保護した後、歌手活動を再開す る許可をとって浮かれていたのだ。  だから、彼女たちとお茶を一緒したとき、軽々しく彼女たちと共に頑張ろうなどという 、約束を交わしてしまった。  あまり無責任な自分に一刀は嫌悪感を抱きそうになる。 「あのね……これでもご主人様が頑張ってあちこち掛け合ってくれた結果なの。だから、 あまり文句は言わないであげてくれないかしら」  明らかに苛立っている地和をなだめながら筋肉達磨、もとい貂蝉が三人に対して言い聞 かせる。 「ふ〜ん、まぁ、それならしょうがないかな……」 「うん、そうだね。よくよく考えれば、こうやってまた活動を始められること自体が有り 難いことなんだもんね」 「そうね。あの時だって最初の規模はさほど大きくなかったわけだし……一から始めまし ょう」  何故か、三姉妹は貂蝉の言葉に肯定的だった。気のせいかやる気もわいてきているよう に見える。  貂蝉は、やはり人格者ではあるんだと再認識する一刀。 「うふふ、ここがわたしとご主人様の愛のお城となるのねぇ〜」  そういって、怪しい動きをする貂蝉。それを見て、一刀はこれさえなければなぁ……と 本気で頭を抱えそうになる。 「さぁ、すぐに事務所を使い物になるようにしましょう」  人和がさっそうと歩き出す。それに天和、地和も続く。 「ちょっと、待ってくれ。鍵がかかってるから」  急にやる気になった三姉妹に戸惑いつつ一刀は小屋の鍵を開けはなった。 「…………」  中を見た瞬間、さきほど小屋の外観を見たとき同様、誰も口を開けなくなった。  室内は、所々板が割れ、部屋の角角ごとに蜘蛛の巣が張られている。さらに床の駆けた 部分から草が生い茂っている。 「これは……ないわ」  地和が、ぼそっと呟く。誰も口にしないが、それがこの場にいる全員の総意だろう。 「ま、まぁ……とりあえず、まずはここを使い物にしないとな……」  一刀が苦笑いを浮かべつつ三姉妹の方を向くと、そこには誰もいなかった。ただ筋肉達 磨が微笑んでいるだけだった。 「……うふ」 「おい、三人はどうした?」 「すぐに駆けだしていったわ」 「……はぁ、まぁこれじゃあ仕方ないか……」  ため息をはきつつ一刀はしゃがみ込む。 「とりあえず、俺はこの草をむしり取るから、貂蝉は大工道具と板とか修復に役立つ物を 回収してきてくれ」 「ふふ、ご主人様ってば、相変わらずお優しいんだから……わかったわ、それじゃあ行っ てくるわね」  そう告げるやいなや貂蝉の姿が消えた。気がつけばかなり遠くに砂塵を巻き上げながら 走っている姿が見えた。一刀は、それを苦笑を浮かべた顔で見送りながら草むしりを再会 した。  それから、黙々と草をむしっていると、一刀は背後に気配を感じた。貂蝉かと思い顔を 向けると、そこには一刀と同じように草をむしっている人和がいた。 「……人和?」 「私たちの事務所なのに一刀さんだけに任せるわけにはいかないから」  それだけ言うと、人和は再び黙って草をむしり始めた。一刀もそれ対し、苦笑を浮かべ つつ、そうか、とだけ返し草むしりを再開した。  正直、いつの間に戻ってきたのか一刀には分からなかったが、人和という少女が、冷静 で表情をあまり変えることはないが、基本的には、良い子なのだろうということだけは分 かることができた。  その後も二人でやったからなのか、草は一切なくなっていた。 「さて、次はこの埃と蜘蛛の巣だな。あ、人和は疲れただろうから休んでてくれ」 「え、でも……」 「俺はさ、こういう雑務も結構やってるからね。何というか慣れてるし、疲れないんだ」  そういって、一刀は力こぶをつくり、ニカッと笑い元気さを強調する。それを見た人和 がくすりと笑う。 (へぇ、笑うとかわいいじゃないか……いかんいかん、今は仕事だ)  ついその微笑に見とれそうになるが、すぐに作業の準備に入る。  人和には小屋の外にある舞台で休んでもらい、すぐに可能である蜘蛛の巣除去の作業に はいった。  近くにあった木の枝を使い蜘蛛の巣を巻き取っていく。意外ときれいにとれたことで、 一刀は作業に熱中しはじめる。    それから、各部屋の蜘蛛の巣を取り払っていったが、どうしてもとれない箇所があった 。それは天井付近にはられている分だった。  一刀の身長だけでは足りず、かといって踏み台になりそうな物の中で、高さがあるもの はなかった。 (どうするかな……やっぱり人和に手伝ってもらうしかないかな)  どうしようもなく、人和を呼びに行こうと入り口の方へ視線を向けるとそこには地和が いた。 「困ってるみたいね。なら、このちぃに任せて」  そう言って地和が一刀の元へと寄ってくる。 「それじゃあ、悪いけど俺が担ぎ上げるから蜘蛛の巣をこれに巻き付けてくれるかな」  一刀は、地和に木の枝を渡すとその場にしゃがみ込む。  木の枝を受け取った地和は、一刀の頭を太ももで挟むようにして立つ。  地和の位置を確認した一刀は、彼女のバランスを崩さないように細心の注意を払いつつ 立ち上がる。 「大丈夫か?」 「うん……思ったより高くてビックリしたけど大丈夫」 「よし、それじゃあ、そこのやつを頼む」  それから、二人は阿吽の呼吸で蜘蛛の巣を除去していった。    最後の蜘蛛の巣が除去できたところで一刀は、地和をゆっくり床へおろした。  ちょうど、その時に貂蝉が大工道具を持って戻ってきた。 「ご主人様〜、道具もってきたわよぉん」 「そうか……よし! 蜘蛛の巣の除去も終わったところだし、後は俺がやるから、地和は 休んでてくれ。舞台のところに人和がいるはずだから、そこで一緒にいてくれ」 「分かった……また手伝えることがあったら言ってね」  一刀は、その言葉に、その時は頼む、とだけ答え貂蝉の持ってきた道具を受け取る。そ れを見つつ、地和は小屋から出て行った。  一刀が作業の準備を始めていると、貂蝉が 「それじゃあ、わたしは修復用の板とかを取りに行ってくるわね」  と告げて、再び風になった。それを視界の隅にとらえ、見送りつつ一刀は作業にとりか かった。  始めに高い位置の埃を落としていき、床に集まった埃をはらい集めたところで一刀は、 三度、人の気配を感じた。  さすがに今までの流れで一刀も気づいた。 「天和、どうした?」 「あの……ごめんね。わたしも手伝う」  そう言って天和も掃除の手伝いを始めた。それを微笑ましく想いながら一刀は掃除を再 開する。  それから、二人は上手く連携をしながら掃除をこなしていった。そして気がつけば後は 、修復をして家具を入れるだけという段階までになっていた。 「よし、それじゃあ、後は部屋を拭くだけだし、天和は休んでてくれ。妹たちも舞台で休 んでるだろうから行くといいんじゃんないかな」 「う〜ん、あ、そうだ!」 「ん?」 「ううん、何でもないよ。それじゃあ、また後でね」  元気よく小屋から出て行く天和に返事を返し、後ろ姿を見送ったところで、一刀は桶と 布を運ぶ。  気のせいか、先程は桶が二つあったように感じたが、今は一つしかない。  一刀は、それに対して、不思議に思い首をひねるが、結局は気にするのをやめ拭き掃除 をはじめるのだった。 「さてと、さっさと終わらせるか」  一刀は、白蓮に拾われてから日の浅い内は雑用をしていた……その中には、城内の拭き 掃除なんてものもあった。そして、それを乗り越えた一刀はいわゆる拭き掃除の極みに達 しかけていた。  故に、小さな小屋一つの拭き掃除など軽いモノだった。 「おっとここも、あそこもだな……それにここも」  他の者なら気づかないようなところまで拭き取っていく。    ひたすら黙々とこなし、気がつけば拭き掃除も終わり、後は貂蝉を待つだけとなってい た。そこで、今度は舞台の掃除をしようと決め、小屋を出た。 「……はは、なんだ。結局休んでないんじゃないか」  一刀はそこで見た光景に対して、笑わずにはいられなかった。 「さ、次は拭き掃除だね……一刀さんも頑張ってるし」 「さぁ、ちゃっちゃと終わらせるわよ! 一刀に負けてられないんだから」 「こっちは三人だから、きっと一刀さんより早く終わるわ」  三人が、せっせと掃除をしていた。  しかも、ここに来るときまでは人和以外の二人は名字である北郷で呼んでいたはずなの だが、今は下の名前で呼んでいる。  それを見て、ようやく三人に認められたのかなと思った。  その後も、一刀は邪魔しないように隠れて様子を見ていた。掃除をしている三人はとて も良い笑顔をしている。  その姿が一刀には、これから、不死鳥のごとく蘇り、活動を始めることを楽しみしてい るように思えた。  そして、掃除が終盤にさしかかったのを確認したところで一刀は持ってきた荷物をあさ り彼女たちを労う準備を始めた。  三人の舞台掃除が終わったのだろう。地和が声を上げた。 「これで、お〜わり!」 「綺麗になったね」 「なんだか昔を思い出す……」  三人が感慨にふけっているところに一刀はそっと近づく。 「三人とも、お疲れ様」 「!?」  一刀が声をかけると三者三様の驚きを見せた。 「ほ、北郷さん?」 「あれ? 掃除してた時みたいに一刀って呼んでくれないのか?」 「!? み、見てたの?」  天和の言葉に微笑を浮かべながら疑問を投げかけると、それに地和が反応を示した。 「あぁ、拭き掃除を始めるあたりからね」 「……声をかけてくれても良かったのでは?」 「いや、なんだか三人の顔が輝いていたからね。邪魔しちゃ悪いかと思ってね」  至極まともな意見を言う人和に一刀は穏やかな笑顔で返す。 「う〜ん、そうだね。確かに楽しくなってたんだよ」 「そうそう、何だか活動を始めた頃を思い出してきたんだよね」 「だから、その……声をかけないでいてもらえて、かえって良かったのかもしれません」  三人とも、先程同様どこか輝かしい笑みを浮かべていた。  そして、三人はそれぞれの言葉で、舞台は歌い手にとって大事なモノだから、自分たち で掃除したという趣の事を一刀に語った。 「そっか……まぁ、何にせよお疲れ様ってことで、お茶でもどうかな?」  そういって一刀は用意したお茶を三人に手渡す。それに対し、三人は三者三様のお礼を 述べ、すすり始める。 「それで、小屋の方はどうなりましたか?」 「あぁ、あっちなら後は貂蝉が帰ってくるの待ちだな」 「ふ〜ん、それじゃあ、しばらくはここでお茶だね」  地和が一刀の言葉に応える。が、彼女は先程からお茶菓子やお茶請けに用意した肉まん に意識が向いており、ちゃんと聞いているかは分からない。  天和も同じようにお茶菓子やお茶請けに夢中になっている。人和も、気になるのだろう 、ちらちらと一刀とお茶菓子、お茶請けを交互に見ている。  それに苦笑しつつ、一刀はにこりと笑い頷くことで食べるよう促す。  それから三人がお茶菓子やお茶請けに夢中になっているのをほのぼのとしながら一刀が 眺めていると、一陣の風がその場に吹き荒れる。そして、 「ただいま、ご主人様〜」  修復や補修に使う板を持った貂蝉が現れた。 「お、ありがとうな、貂蝉。さて……それじゃあ、さっさと済ませるか」 「えぇ、今日中に完成させたいですものね」  一刀が立ち上がり、小屋へと向かう。それに貂蝉が続く。 「あ、それならわたしも出来るだけ手伝う〜」 「ちぃも何かやるわよ〜」 「せめて仕上げは私たちも手伝います」  三人も二人の後に続いて小屋へ向かった。  それからは、それぞれが役割を分担し、修復作業へ移ったのだった。  全員で協力したからか、思ったよりも早く作業は終了し、城へ戻るまえに街で夕食を食 べていくことにした。  ちなみに、勘定は一刀持ちだった。  懐が寒くなったことに一刀がとほほ……、とため息を漏らしていると、 「ありがとう。一刀さん」 「一刀、ごちそうさま〜」 「すみません、一刀さん」  三人が、それぞれ、らしい言葉をかけてきた。  その顔に浮かぶ表情を見て、まぁ、たまにはありか、と一刀は呟き、苦笑を浮かべるの だった。  そのとき、ふと、背後に気配を感じ、一刀は視線を向ける。 「ご馳走様、ご主人様。悪いわね、あれだったら、わたしの体で……」 「断る!」  そう叫んですぐに、一刀は筋肉達磨から逃げるように城へ駆け出すのだった。  その背に、三姉妹の笑い声を受けながら――。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N」拠点15  月の映える夜、貯蔵庫の中に一つの影が蠢いている。 「ふむ、これがよかろう」  その影は、大事そうに二つの包みを抱えながら貯蔵庫から出てきた。 「さて、霞にも声をかけねばな」  そう呟き、霞の部屋へと向かい始める。 「そうだ……その前に」  が、星は途中であることを思いつき、別の部屋に立ち寄る。 「ふむ、いないようだな……仕方ない、そこの者、すまぬが伝えてほしいことがあるのだ が、少し良いか――」  部屋の主がいなかったため、星は近くにいた侍女に伝言を残して立ち去ることにした。 それから、本来の予定である霞の元を訪ねた。 「ん? あぁ、星か……なるほど、でどこにするんや?」  霞は、星が抱える包みを見て尋ねてきた理由を察したらしく話が滞ることなく進んだ。  そして、霞を連れ星は中庭へと向かった。 「さて、それではさっそく」 「いよっ! まってました〜」  星が一つ目の包みをほどくと、霞が手拍子を打った。 「ふふ、ではまず一杯を、ささ」 「おっ、こりゃすまんな……おっとと」  霞に杯を渡し、酒をそそいでいく。入れ終わると霞から杯を渡される。 「ほな、お礼に」 「ふふ、かたじけない」  星の杯にも酒がつがれていく。そして注ぎ終わると、互いに杯を口元へもって行く。 「月を見ながらっていうのは、やっぱえぇなぁ」 「そうだな、この杯にそそがれた酒の水面にうつる月と空に浮かぶ月、二つの月を一度に 見れるのも、また格別」  互いに、風情を楽しむと、くいと杯を傾け中身を口内へと流し込んでいく。 「くぅ〜こりゃ、上手い! 極上の酒やな」 「それはそうだろう、我が秘蔵の酒の一つなのだからな」  はじめの一杯を飲み干し、互いに笑みを浮かべる。片やフフ……と、片やニパッといっ た、いわば静と動の笑みを……。  それから、互いに酒を飲み交わし、徐々に会話も弾んできたところで一人の人物の話題 になった。 「……にしても、一刀っておもろいやっちゃな」 「ふふ、そうだろう。あの方は実に興味深いのだ」 「なんちゅうか、ウチが予想する以上のことをする時があるしな」 「そうだな、何というか天の御使いと言われるだけのことはあるというものだな」  一刀の話題になってから二人はより饒舌になり、気がつけば二人とも、酒を飲む手を止 めて会話に熱中していた。  そして、互いの知る一刀について語っていく、星からは白蓮とのことや、指輪の話…… さらには、洛陽を基点に始まった動乱が起こる前に星が頼まれた事まで話していた。  それを聞きながら、ニヤニヤとした笑みをうかべていた霞も、最後の話にはさすがに目 を見開いて驚いていた。  その驚きようは、酒が抜けたのかもしれないと思えるほどだった。 「かぁ〜、そこまでとは……ほんま、わからんやっちゃなぁ」  しかし、霞は手元の一杯をくっと飲み干すと豪快に笑い出した。その様子は星の見立て 通りで、これは美味い酒が飲めると密かに思うのだった。  そして、今度は霞の話を聞き始める。共にこの地に来てからの一刀と元董卓軍の面々と の関わりについての話だった。  霞の話によれば、元々、あの大きな流れの中、たった一人、彼女たちを救おうと奔走し ていたことで彼女たちの中ではそれなりの存在となっていたが、ここに来てからの生活の 中で彼の人となりに触れ、その存在が大きくなりつつあるのだそうだ。 「くっ、あっははは、そうか、相変わらずのようだな」  その話を聞いて星は、一刀の相変わらずな様子に思わず吹き出してしまう。  さらに盛り上がる二人は一刀に関する話を肴に酒をどんどん飲み進めていく。  しばらく飲み交わしているうちに霞がもう一つの包みに興味を示す。 「ところで……それは、なんや?」 「ん? おぉ、出すのを忘れていたな」  そう言って、星は二つ目の包みをとく。出てきたのは一つの瓶だった。これもまた星の 秘蔵の一品である。 「これはな、酒を飲む際には是非とも出そうと思っていたものだ」 「これは……メンマ?」  瓶をあけ、中身を取り出す星を霞が不思議そうに見る。 「うむ、大陸中を回った際に様々なメンマ職人と出会い、材料、調理などをそれぞれの達 人に頼み作って貰った、まさに、至高の一品なのだ!」  星は、用意したメンマについて語るうちに興が乗り、酒を次々と飲み、気分を盛り上げ ていく。  そして、ゆっくりとメンマを一つ摘むと、口へと運ぶ。 「やはり……素晴らしい味、食感だ」 「へぇ、ならウチも一つ貰うで」  星と同じように霞がひとつを摘み口へと放る。 「おぉ、こりゃ、確かに美味い! しかも、酒によう合っとる」 「ふふ、そうだろう。だが、あまり食べないでもらおうか」  一つ目を飲み込むやいなや、二つ目に手を伸ばす霞にそれとなく忠告する。 「何せ、もう一人味わっていただく方がいるのでな」 「ん〜? ……あぁ! なるほど」  星の言葉に霞がニヤリと笑う。どうやら、星の意図を察したらしい。 「で? いつ頃来るんや?」 「うむ、先程部屋を訪ねた際に伝言を頼んできたのでな、恐らく、もうすぐ来るはずだ」  その時、二人の元に足音が近づいてきた。   二人がそちらへ視線を向けると、そこには先程まで話題にあげていた青年が二人の元 に向かい歩み寄ってきていた。  やってくる青年を二人は笑顔で見つめる。その頬が赤く染まり、目が蕩けている。星は 、それを酒のせいとしておこうと考え、ふと霞の方を向く。すると、向こうも星の方を見 ていた。  二人して同じことを考えていたことに気づき、たがいにくすりと笑い合う。 「随分と楽しそうだな」  近づいてきた青年が笑いながら声をかけてくる。それに対し、二人は微笑を浮かべた。 「遅いで〜一刀! こんな美女二人を待たせるんやない」 「ふふ……さぁ主よ、早くこちらへ来てくだされ。そして……共に盛り上がりましょう」 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  「無じる真√N」拠点16  その日も、街は賑やかだった。そんな中、休みをとった一刀は白蓮と共に露店を見てま わっていた。 「へぇ、最近はいろんな店が出てるんだな」 「そっか、白蓮はあまり見に来れてないんだったな」 「一応、時々は見に来てるんだけどな」 「そっか……」  白蓮の多忙さを今一度、再認識した一刀は複雑な思いを抱く。そんな一刀に対して、白 蓮が明るく返す。 「おいおい、そんな顔するな、私はそれでもいいと思ってるんだ。確かに忙しいからな、 そりゃあ大変ではある……だけどな、その分、こうやってみんなの笑顔を見れる。私には それで十分だ」 「白蓮……」  白蓮の言葉に心が少し軽くなった一刀は微笑みを浮かべる。そんな一刀の様子に白蓮は 安心したのか、さらに言葉を続ける。 「それに、一刀がこうやって街に連れてきてくれるしな」 「……白蓮」 「お、おい。ちょっ」  白蓮の想いに心打たれた一刀は、思わず彼女の頭を撫で始めてしまう。  それに伴い、白蓮の顔が一瞬にして真っ赤に染まる。その顔は、熟した林檎を彷彿とさ せる程だった。 「偉いな、白蓮は」 「…………」  そんな二人に対し、道行く人々は、微笑ましげな視線を一瞬だけ向けては、過ぎ去って いく。一刀はその視線に首を傾げながらも白蓮の方を見る。  そのとき、通り過ぎた通行人の肩が白蓮の背中にぶつかった。押された白蓮は、足に踏 ん張りがきかなかったのか、一刀の方へ倒れ込んできた。 「おっと、危ない……大丈夫か?」 「………………あぁ」  白蓮の体を抱きとめつつ、様子を尋ねる。反応は、イマイチはっきりしない。  そんな白蓮を見つつ、どうしたのものかと一刀が考えていると、子供の集団が二人の元 へと駆け寄ってきた。 「あ〜太守様と御使いの兄ちゃんが抱き合ってる」 「ほんとだ!? うわ〜」  子供とは、正直なもので興味津々といった様子で二人へ視線を向けてくる。そんな、子 供たちの声を聞いて、一刀は今の自分たちの状態が他人からどう見えているのかに気づい た。  そこで、慌てて腕の中の白蓮へと視線を向けると、今にも煙をあげそうなほど真っ赤に なっていた。 「わ、悪い……って大丈夫か!?」 「ぽ―――」 「ぱ、白蓮?」 「ふぇ? ……え? ……!!」  すっかり、のぼせた様子だったためなのか、白蓮は一刀の問いに対して反応が遅かった 。そして、急に目を見開き、顔をさらに真っ赤にし、口をパクパクと開閉して動揺をあら わにし始めた。 「あ、ああああ、あの」 「お、落ち着けって。ほら、深呼吸して」 「す〜は〜、す〜は〜」 「そうそう、どうだ、落ち着いたか?」 「あ、あぁ、大分落ち着いたよ」  深呼吸をして、白蓮はなんとか落ち着きを取り戻した。  だが、そこへ子供たちが追撃をかけてくる。 「太守様ったら、だ〜いた〜ん」 「すっごい、顔真っ赤だ。ははは」 「うわ〜、すご〜い」 「ちゅーしないの? ちゅーしないの?」  子供たちの声に気づくと、白蓮は再び顔を赤面させた。そして、ゆらりと体を揺らしな がら子供たちの方へと向き直ると、怪しげに目を光らせる。 「お前ら〜、からかうんじゃない!」 「きゃ〜太守様が怒った〜」 「太守様と御使い様はあっちっち〜、あっちっち〜、ははは」 「すご〜い、またお顔が真っ赤になった」 「ちゅーは? ちゅーは?」 「こらー、まてぇ!!」  笑いながら逃げる子供たちを、からかわれた白蓮が必死になって追いかける。  そんな、微笑ましい光景を見て、一刀に思わず頬を綻ばすのだった。  それから、しばらく白蓮と子供たちによる追いかけっこは続いた。  その間、気がつけば、そんな賑やかな光景を一刀だけでなく、近くを歩いている街の人 たち、露店の店主たちといった周りの人々が頬を綻ばせて眺めていた。  当人たちも、どこか追いかけっこを楽しんでいるように一刀には見えた。  それから、大分走り回った後、白蓮によって全員が捕まり、追いかけっこは終わった。  そして、子供たちは満足そうな笑顔を浮かべて二人の方を一瞥し駆けだしていく。 「それじゃあ、太守様、ばいばーい」 「気をつけるんだぞ〜」 「…………」  子供たちと同じような笑みを浮かべながら見送る白蓮の顔を、一刀は横目で見つつ口の 端をつり上げ微笑を浮かべる。 「ふぅ、まったく。あいつら……すまんな一刀」 「はは、すごく良い笑顔してたぞ。白蓮」 「な、何言ってんだお前は」 「いや、子供と戯れる姿も良かったぞ」 「ううう、うるさい!」 「お、おい……待てって」  一刀の言葉に顔を赤くした白蓮は一人ずかずかと足早にその場を立ち去る。一刀も彼女 を追いかけていった。  そんな二人に街の人たちが様々な声をかけてくる。 「おいおい、夫婦喧嘩か?」 「御使いの旦那、彼女は大事にしなきゃあいけませんぜ」 「太守様ってば何だかかわいいわね」  そんな言葉を耳にした白蓮は、一層速度を上げ城へと逃げ帰っていった。  完全に置いてけぼりを食らった一刀は、仕方ないと諦め、近くの店へと立ち寄る。折角 なのでお土産を買うことに決めたのだ。 「おじさん、点心をこれで買えるだけ」 「あいよ、そんじゃこれ」  一刀が、店主から点心の入った包みを受け取り立ち去ろうとすると、 「彼女は大事にした方がいいですよ」 「……あのさぁ、今街で俺と白蓮ってどういう認識されてるんだ?」  店主から、先程街の人たちからかけられた言葉と同様の事を言われ、一刀は転びそうに なりながらも店主の方へと向き直る。 「へぇ、お二人はもうそれこそ相思相愛、婚姻も間近だとか」 「いっ、一体いつの間にそんな噂が……」  一刀は、自分の知らぬところで妙な話が広がっていることに首を傾げる。  そんな一刀を見て、店主がその答えを口にする。 「いえ、お二人の様子を見ていれば誰もがそう思っていますよ」 「そうなのか……」 「えぇ、今では、街の常識の内の一つとなってますね」 「はは……そうなんだ、教えてくれてありがとう」  一刀は、店主から知らされた事実に苦笑しつつ、店から離れなる。その際、先程から気 になっていたことが、一刀の頭の中でようやく合点がいっていた。  街の人たちの反応は勿論、子供たちまであのような事を言っていたのはこの噂……もと い、街の常識が原因であったという訳だったのだ。 「……っと、それよりも、点心が冷めないうちに白蓮のところに行かないとな」  一刀は白蓮がいるであろう城の彼女部屋へといち早く向かうため走り始める。  その途中、店主の言葉を思いだしながら一刀は、この話を白蓮の耳には入れないように しておこうと密かに決意するのだった。 (白蓮にこんな話を耳にして変な動揺を起こされても困るからな……そうだ、警邏の兵に でも言って口止めさせておこう)