この何の刺激も無い日々が、俺を少しずつ腐らせていくのがわかる。 気力というものが湧いても湧いてもたまることなく抜けていく。 悠久の大地を駆けた記憶、共に歩んだ仲間、そして愛した少女達。そのどれもが今ここには存在しないからだ、そう言ったら言い訳になるだろうか。 部屋の天井のしみが、俺をあざ笑っている様にも見えた。体を起こしていたら、涙が流れていたかもしれない。誰に見られているわけでもないのに涙を流す姿を見せたくなくて、俺はひたす天井をにらみつけていた。 ああ、俺だって最初は納得しようとしたさ。 俺は華琳と、その仲間達が天下を取る手助けをするためにあの世界に行った。そして、目的を果たしたからこそ帰ってきた。そう納得しようとしたんだ。 だから笑顔で華琳のまま別れて、笑顔のまま生きていこうと決意した筈だった。 だけど、そんなのはただ俺が格好をつけていただけだった。あの時俺は華琳に縋り付いてでも、帰りたくないんだと涙を流すべきだった。そしてそうすれば――――もしかしたら帰ってこなくてすんだかもしれなかったのに。 本当に寂しがりやで情けないのは、何のことはない自分だったんじゃないか。強がりも虚勢も、何も俺に残してくれなかったっていうのに。 それは全て過ぎたことで、俺は今ここで寝転がっている。彼女達に誇れる自分なんてもうどこにもいやしないさ。 この世界に戻ってきて初めの内は悲しいながらも知識を集めたり自分を鍛えたりもしてみた。 図書館に行って本を読み、いつも以上に道場に行って竹刀を振ってみた。一緒にいた彼女達に恥ずかしくないような男になろうと。そしていつか又会える時に見返せる自分になってやろうと。 それも長くは続かなかった。一年、たった十二回月が回っただけなのに俺は自分の行動がただの言い訳だったとわかってしまった。 もしも又あの世界に行ける事があれば、そんな仮定に縋っている自分を必死に騙していただけだったんだ。惨めで、哀れな、負け犬の発想だ。豚のエサにもなりゃしない。 結局もう体も、心も、その場から動くことができずただじっと後ろを振り向いたまま前に進むこともしないで。何をしても無駄なような気がして、俺はどんどん腐っていく。 こんな姿を彼女達が見たらなんていうかな。慰めてくれるのか。それとも、頬をはって叱咤激励してくるのか。もしかしたら見切りをつけて背を向けるかもしれない。 だがその全てが俺の想像の内だけでの出来事で、もう現実に起こる筈が無いって事実が更に俺を打ちのめして。 「…………ああもうっ!」 寝返りを打ってベッドが軋む。ただの音から耳を逸らせても、心が軋む音から耳をそらせることなんかできはしない。 彼女達の声が聞きたかった。幻聴でもいいから、彼女達の声が聞きたかった。一年、たった一年あわなかっただけで褪せていく彼女達の記憶に縋っていたかった。 「…………」 枕に顔を突っ伏すと意識がそのままベッドに沈んでいくような気がする。 胡蝶の夢、そう華琳は言っていた。果たして彼女は今、無と為り大地の息のりゅうりゅうたるに耳を傾けているのだろうか。 彼女達との出会いから別れまでそのすべてが夢幻であったのならば、それこそ荘子の教え通りに生きていけるかもしれない。 だが断ずることができない。諦めたくは無い。でも、諦めなければ前へと進めない。 俺の中で彼女達は、もうかけがえのない現実だったのだから。いつだって過去と現実は乗り越えなければ前には進めない。そして、乗り越えてしまったからには戻ることができない。 「俺は、どうすりゃいいんだよ……」 倦怠感に包まれながら、俺の意識が沈んで溶けていく。 意識が消える間際、小さな光がまぶた越しに見えた気がした。 「――――――華林」 その言葉を最後に暫く、部屋に寝息以外の音が無くなった。 やがて、その寝息すらも無くなる事になる。 北郷一刀、五月病により不登校となってからおよそ一ヶ月が過ぎた日の事であった。