――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――      「無じる真√N14」  水関を落とした後、董卓軍の将である女性、華雄と話をしていた一刀は、その間に、 劉備軍と孫策軍で話をしていたことを桃香の口から聞かされる。  互いの利益が一致していることの再確認、そして桃香が通る道、その先に力なき正義に 意味はないという桃香とは異なる価値観を持つ曹操が立ちはだかるであろうということに 関する話をしたとのこと。  それらを聞かされた一刀は疑問を抱き桃香に尋ねた。 「なぁ、何でそれをわざわざ俺に?」 「えっとね、孫策さんによろしく伝えて欲しいって言われたから」  それを聞き、一刀はますます分からなくなり首を傾げる。 「それとね、是非とも今の話と伝言を伝えて欲しいって言われて」 「成る程……って伝言?」 「うん、『今度、是非ともお酒を交えて話がしたいわ』だって」 「どういうつもりなんだ?」 「さぁ、どういうことだろうね?」  孫策の残した言葉の真意が測れず、二人して首を傾げる。  その後、虎牢関へ向けての準備の途中だったことを思い出し作業に戻るのだった。  虎牢関についての情報の確認を始めようとすると、劉備、北郷共同軍に袁紹からの伝令 を預かっていると言う人物が訪ねてきたとの報告を受ける。  その報告を受け、通す様に桃香が伝える。その様子を視界の隅に捉えながら一刀が、誰 にともなく呟いていることに、華雄は気付いた。  彼女は、現在、約束を守り一刀の側に居り、そのため、一刀の呟きを僅かながらも耳に することが出来た。 「……虎牢関でも恐らく……」  その呟きの内、聞こえた部分から考えると、一刀は既に伝えられる内容について目星が 付いているのではないかと華雄が思っていると、当の一刀が華雄の方を向き、話しかけて きた。 「あのさ、華雄。次の虎牢関での戦いは後方に下がっていたらどうかな?」  一刀は、至って普通といった表情を装っている。ただ、本人はそのつもりであっても実 際には、一刀の感情を表すように揺れている瞳をごまかすことが出来ておらず、他人が見 ればその心情は一目瞭然だった。華雄もまたそれに漏れず、その瞳に気付いた。 「いや、そのような"気遣い"は無用だ。」  自分に告げられた提案を華雄は一刀両断した、一刀の言いたいことを理解している故に である。普段以上に引き締まった表情からは決意じみたものが感じられる。 「さしずめ、董卓軍の兵が傷つくところを見せたくないとでも言いたいのだろう。そのこ とをお前が気にする必要はない。こうなった時点で、覚悟は出来ている。だから、そんな 目をするな」  そう言ってため息をつく華雄。瞳を閉じ、どこか呆れているかのような表情を浮かべて いるが、内心は一刀の気遣いに対する呆れと戸惑いによってその多くが占められていた。  それも致し方ないことではある。自分に降ったわけでもなく、捕虜になっているわけで もない、いつ裏切ってもおかしくない相手を気遣う人間を華雄は今まで見たことが無かっ たからである。それに加え、現在彼女がこの場を自由に歩いているのに誰からも指摘され ない現状も彼女の戸惑いを増す要因となっていた。  現在、連合に参加している諸侯たちは華雄の現状を勘違いしている。北郷一刀の元に降 ったと思われているのである。もちろん彼自身はそのような事は一言も言ってはいない。  華雄には、その行動の本当の狙いが何であるのか知る術はない。ただ、本当のことが周 りに知られれば、彼、ひいては公孫賛軍が危ないということだけは分かる。  それだけのリスクを冒してまで自分を、そして目的の少女を助けようとしていることが 華雄に一刀の真剣さを感じさせていた。それと同時に、この行動の根幹にあるのが自分が 聞かされた理由なのかと困惑もしていた。それ程までに目の前の男のような種類の人間に 会ったことなど"唯一の例外"を除き、皆無だったのである。  その唯一の例外とは、彼女が仕えていた"董卓"である。実際にどうなのかは分からない ものの、一刀と似たようなことを行う位に優しいことを華雄は知っていた。そして目の前 の男、北郷一刀もまた、そんな董卓の人となりを知っているからこそ、何とかしようとし ているのだろうと華雄は思った。  そういった様々なことを考慮した上で、華雄はようやくほんの僅かとは言え、一刀を信 頼に足る存在かもしれないと思い始めたのだった。  馬超は、することもなく突っ立っていた。その隣では彼女によく似た少女が、暇そうに している。目の前にいる男たちは、そんな彼女たちから目を離さないように厳しい視線を 向け続けている。  現在、彼女たちは、劉備、北郷共同の陣の中へと通して貰うため、待っている所であっ た。隣の少女は、先程から目の前の兵に話しかけたりしているが、堅物らしく返事を返し てこない。  何も反応しないことに不満を持った少女が再び暇そうにし始めたところにちょうどよく 一人の兵がやってきた。 「お二方、どうぞお通り下さい!」  馬超は、目の前にいる劉備軍の兵に礼を言うと、やってきた兵の案内に従い、陣の中へ と入った。共に来た少女がそれに続く。  しばらく進み、中心部と思わしき場所へとたどり着く。そこには、将らしき人物が数名 集まっていた。  馬超には、彼女たちが自分たちの姿を見て身を固くしたように思えた。それを裏付ける ように、彼女たちの表情には緊張が走っている。 「えぇと、劉備と北郷はここにいるか?」  用件を済ませるため、目的の人物たちを探す。彼女の質問に対する答えは、すぐに返っ てきた。 「あ、はい、劉備は私です」 「で、俺が北郷」  集まっていた数人の内、桃色の髪をした女性と、光を反射する珍しい服を着た青年が返 事をする。 「そうか、あんたたちか……何というか大変だな」  馬超は、二人については多少耳にしたことがある。この荒れた大陸で徳に重点を置く人 物、それが劉玄徳その人であると。  また、幽州に降り立った天の御使い、そして、その名に恥じぬ心の持ち主であると噂さ れる、北郷一刀。そんな民を重んじる二人に対して、馬超は、少なからず興味を持ってい た。そんな二人も今は厳しい状態であることも馬超は知っている。 「ホントホント、あの袁紹とか言う人も意地悪だよねぇ〜」  隣の少女が気楽そうに、二人に声を掛ける。 「それで貴方たちは?」  少女の態度を別段気にも留めず、劉備は、こちらに尋ねてくる。 「あたしは、馬騰の代理で来た馬超ってんだ。よろしくな」 「で、わたしがお姉様の従姉妹の馬岱」  その場にいる者たちが納得したところで、馬岱が事情を説明する。 「それでね、袁紹って人から伝令を預かってるの」 「虎牢関での話かな?」  馬岱の話に、一刀が聞き返す。その様子を見て、まるで初めから内容を知っていたかの ようだと思いつつ、馬超は返答する。 「あぁ、『虎牢関において劉備、北郷の共同軍は前曲を務めること』だそうだ」 「またなんだね……」 「仕方ないさ」  馬超が伝令の内容を伝えると、劉備は肩をがっくりと落とした。それを見て、馬超の心 が少し痛む。一方の一刀からは、やはり、すでに分かっていたかの様な冷静さを持ってい るように感じられた。  袁紹からの伝令を伝えたことで、場は沈黙に包まれ、気まずい雰囲気となってしまって いた。  そんな中、馬超は頬を掻きながら宙に視線を漂わせる。 「えっと、あたしには何というか同情する……としか言えないや」 「だけど、ホント酷い話だよねぇ〜」  馬超は重々しく、馬岱は明るく、といった対照的な様子で桃香たちに声を掛けた。 「まぁ、決まってしまったことはしょうがないさ。いつまでも落ち込んでないで次の戦い に備えないと」 「それにいざとなれば中軍のあたしたちがなんとかするさ」  妙にさっばりとした一刀の言葉に首を傾げながら、馬超はそれに合わせるようにした。  そんな馬超の言葉に続いて、劉備軍の軍師が口を開いた。 「えっと、桃香様の元で軍師を務させて頂いている、諸葛孔明といいます。馬超さん、馬 岱さん以後お見知りおきを」 「……同じく、鳳統士元です。」  二人の少女が自己紹介を行い、その可愛らしい頭をぺこりと下げる。それに対して馬超 、馬岱の二人も返した。互いの挨拶が終わると、孔明がこほんと咳払いをして空気を一新 し、語り出す。 「それで……次の虎牢関についてですが、"飛将軍"と呼ばれる呂布さんが控えているはず です。それに、水関から退却した張遼さんもいるはずです」 「そうだな、奴らにとっても最後の要だからな……」  孔明の説明に馬超が頷く。 「……きっと、死にものぐるいで抵抗してきます」 「そうだよな、虎牢関が落ちれば、後は洛陽だもんな。向こうも必死になるだろうな」  鳳統の言葉に一刀が続く。 「しかし、呂布か……中々の強者と聞いているな、"三国無双"、もしくは"天下無双"と呼 ばれている程らしいしな」 「うむ、私としては一度手合ってみたいとは思うがな」 「鈴々も興味あるのだ」  愛紗、鈴々、星といった、他の追随を許さないほどの強さを誇ると名高い三人は、呂布 に興味津々な様子だった。 「ですが、何よりも今考えるべきはどうやって相手を引きずり出すか、ですね」 「そっか、水関の時のようにいくとも思えないもんね」  孔明の言葉に桃香が頷く。馬超も口には出していないが、水関で上手くいったのは相 手が華雄だからだと思っている。恐らくここに居る者の多くもそう思っているだろう。  故に、次の虎牢関では水関以上に手こずること間違いないと考えているのだ。 「ただ……もし、呂布さんが噂以上の人だったとしたら……きっと始めに出てくると思い ……ます」 「成る程な……確かにあり得るかもな」 「ん? それはどういう意味なんだ?」  控えめに喋る鳳統の言葉に、一刀が頷きながら同意する。馬超にはその言葉の意味がよ くわからず、一刀に尋ねる。 「あぁ、天下無双の強さを誇る呂布が率いる隊が俺たちに一当てする。そうすればこっち は混乱してしまう……その状態で別の隊から攻撃を受ければ、完全にこっちの隊は乱れる ことになる……後はそのまま持ち直せなければ前曲は全滅ってことになる」 「そして、その混乱は連合軍の内、曹操さんや孫策さんたちの軍みたいに士気が高い軍な らまだしも、それ以外には伝わってしまいます」 「そうなれば……連合軍は大打撃を受けてしまいましゅ」  一刀の説明の続きを孔明、鳳統が語っていく。最後に噛んでしまったのは愛嬌といった ところだろう。  そんな説明を聞いた馬超は感心したように頷き、そして、 「しっかし、二人ともちっこいのに賢いなぁ。それに北郷も顔に似合わず、頭が良いんだ な、意外だ」  余計な一言を口にした。 「小さいは余計です!」 「……です」 「そうだよ、お姉様」 「あ、あはははは…………ごめん」  馬超は、孔明と鳳統に親の敵でも見るような目で凝視され、馬岱からはジト目で睨まれ 空笑いを浮かべた後、素直に謝罪した。彼女たちの様子から、三人が自分の体に劣等感を 抱いているのが伺える。 「別に小さいことなんて気にしなくてもいいのに」 「え?」  一刀が急に発した言葉に驚く小さい三人。 「小さかろうが大きかろうが、重要なのはその人の人となりだろ?」 「そう……ですね。えへへ」 「……ぁぅ」 「へぇ、わかってる〜」  一刀は三人をを宥めるように語りかけた。その際に頭を撫でられていた孔明と鳳統は一 刀の言葉に頷いて応えた。二人の顔は先程までの不機嫌さが消え去っており、代わりに頬 が赤く染まっていた。馬岱はそんな二人と一刀を興味津々に見ている。 「ん? どうかしたかい」 「え!」  孔明と鳳統が納得した様子を見たからか、一刀は二人から手を離し、今度はじっと見て いた馬岱の頭に手を乗せる。された馬岱からすれば、予想外だったたようで驚いて声を上 げた。  馬岱は、その性格、そして強さ故、あまり周りの男性から頭を撫でられたことが無かっ った。例外としては親族など近しい存在くらいだ。女性にしてもそれと同じようなものだ ったなと馬超は思った。だが、よく考えれば自分も似たようなものだと気付き、軽く落ち 込む。  何はともあれ、つまるところそういった理由で、馬岱は一刀の行動に対し過剰な反応を 見せてしまったのだが、そんなことが一刀にわかるはずもなく、頭を掻きながら、申し訳 なさそうに謝りだしてしまう。 「あれ? あぁ、もしかして嫌だったのかな、ごめん。つい癖で」 「うぅん、そんなことないよ。こういうのは久しぶりだから、ちょっとびっくりしちゃっ ただけだよ」 「そっか……」  そう言って、一刀は先程孔明と鳳統にしたのと同じように馬岱の頭を撫でる。馬岱もそ れを自然に受けている。それを見て馬超は、やはりそういうことの出来る男なのだと思っ たが、そこに自ずと違和感を感じた。 (あれ? ……何であたしは北郷を見て"やっぱ"なんて思った?)  馬超は答えのでない疑問に首を傾げていたが、馬岱が満足したのを確認した一刀が頭か ら手を離し自由になったのを見計らい、声を掛けた。 「いやぁ、助かったよ」 「いやいや……それより、俺の顔がどうとか言ってなかったか?」 「いっ! き、気のせい気のせい!」  一刀にジト目で見られ、馬超は慌てふためいた。それ故に、一刀の口の端が、吊り上が っていることに気付かなかった。  そして、慌てる馬超がなんとかごまかすために一刀に詰め寄ろうとすると何かにつまず き前へ転んでしまう。 「うわぁ! …………え!?」  そのまま前へ倒れそうになるがすぐに固いものにぶつかって、重力に引かれ、地面へと 向かっていた体が止まった。 「おっと、危なかったな」  馬超の顔に当たっていた固いものは一刀の胸板だった。それなりに鍛えているらしく、 固く、逞しかった。 「……あれ? …………はっ! うわぁぁ!! な、なななな」  一瞬、不思議な感覚が馬超の体を過ぎったが、すぐに自分の状況に気付き一刀を突き飛 ばすようにして離れた。その拍子に一刀が尻餅をついてしまう。 「あたた……」 「わ、悪い。びっくりして」 「いや、いいさ。それよりも怪我は無いみたいだな、良かった」  立ち上がり、服に付いた砂を払いながら一刀が笑顔で告げる。 「あ、あぁ……ありがとう」  最後の方はごにょごにょと呟くような声になっていた。それを見た馬岱が意地の悪い笑 みを浮かべ馬超に声を掛けてくる。 「くふふ、どうしたのお姉様? ちゃんと言わないと〜」 「そ、それは……はっ! まさか、お前〜!」  また、ごにょごにょと口ごもるが、途中で先程つまずいたものについて考えが浮かぶ。  躓いたのは、石にしては大きく、かといって、それ程の大きさの物など見あたらなかっ た。そして、先程自分の近くに一人の人物が居た。そしてそれが馬岱であったことを思い い出し、"犯人"が誰だったのか思い当たった。そんな馬超を見て、馬岱が舌をペロッと出 して笑う。 「あらら、ばれちゃった?」 「お、お前という奴は〜!」  馬岱によって仕組まれた事に気付いた馬超は、体を震わせ怒りを露わにする。 「まずっ! えっと、それじゃあ、じゃ〜ね〜」  しまった、といった表情を浮かべた馬岱が後ずさりながららこの場を後にする。 「あ! こらぁ! ……それじゃあ、あたしもこれで。待てぇ!」  それを見て、馬超は慌てて別れを告げ、逃げる馬岱を追いかけるのだった。  馬超は、馬岱を追いかけながら、先程感じた感覚を思い出し首を傾げる。 (しっかし、さっきアイツに抱きとめられた時に"懐かしい"って感じたのは何故だ?)  馬超は知らない、自分を見ていた一刀の瞳に隠された想いを、そこに自分が感じた感覚 と同質のものが含まれていたことを……。  虎牢関の城壁から連合軍を見下ろしている者たちがいた。その中の一人は、先程水関 より退却してきた張遼だった。 「やっぱ、あかんかったか……」 「まぁ、仕方ないわ"アレ"は。あんな猪を制御してほしいって言いはしたけど、無理だっ てことはこっちも分かっていたもの」  僅かに唇を噛みしめ、握りしめた拳を振るわせていた張遼を眼鏡を掛けた少女、賈駆が 宥める。その言葉に本音が多分に含まれていることに気付き、張遼の肩からほんの少し力 が抜けた。 「まぁ、何にせよここで奴らを返り討ちにしてやるのです。ですよね、呂布殿」 「ちんきゅの言うとおり……守る」  どこか気の強そうな少女、陳宮の言葉に応えたのは褐色の肌をした呂布。彼女は城壁の 縁の上に立ち、赤色の髪を風になびかせながら、ただ悠然と連合軍がやってくる方向を見 つめている。 「そうやな、あの娘を守るためにウチも退いてきたんやからな」 「そうね、今はただあいつらを何とかすることだけに邁進しましょ」  そして、四人は気を引き締め先程までと打って変わり触れれば火傷してしまいそうな程 、真剣な表情を浮かべた。 「それじゃあ、作戦を言うわよ。呂布隊がまず敵に一当てしてすぐ引っ込む。呂布隊の力 を持ってすれば敵を混乱させることができるはず。そこで今度は呂布、張遼の両部隊によ る速攻をかけて更なる混乱を引き起こさせ、向こうの前曲を崩してちょうだい。それから 、すぐに中に戻ってきて。その際に、虎牢関に戻ってくる張遼、呂布の両部隊を追撃しよ うとする敵部隊を城壁から狙い撃つわ」  そこで一呼吸し、賈駆は再び口を開く。 「ボクたちは連合軍の消耗を狙う。その上で、一に敵の殲滅、二に敵の足止め、これがこ の戦いでの目標よ」  賈駆の説明を聞き、張遼は気合いを入れる。 「よっしゃ、あいつらに目に物見せたる! ……ん? な!? ……あ、アレは」  その時、張遼は連合の前曲にいる一つの隊のところで視線が止まった。そこで見たモノ は張遼の思考を中断させた。 (な、なんでや……なんで!?)  愕然とした表情で連合軍を見ている張遼に 賈駆が声を掛けてくる。 「どうしたの?」 「へ? な、何でもあらへんよ」 「そう? そうは見えなかったんだけど……」 張遼が何とかごまかそうとするが、どこか様子がおかしいままだった。それを訝りなが ら見る賈駆。 「なぁ、悪いんやけどウチも呂布隊と一緒に初めっから出てもええかな?」 「何言ってるのよ。そんなの無理にきまってるでしょ」  張遼はダメ元で賈駆に尋ねるが、あっさりと断られる。それでも彼女は諦められなかっ た。両手を顔の前で合わせ頼み込む。 「そこを何とか」 「本当にどうしたの? なんだかおかしいわよ」 「すまん、どうしてもこれだけはゆずれへんのや」  目を閉じ、今にも爆発しそうな感情を堪えながら賈駆へ頼む張遼。そんな彼女の様子に 何かを感じたのか、賈駆が先程よりは落ち着いた様子で張遼に語りかけてくる。 「何か理由がありそうだけど、そうもいかないわ。ボクたちが"ここ"にいる理由は分かっ てるでしょ?」 「分かっとる……分かっとるんや……やけど……」  張遼は、こんなやり取りを水関でしたのを思い出した。ただ、その際は自分が止める 側であったのだが……。 「はぁ、あんたってホント頑固ね……しょうがないわね。作戦変更よ」 「そこは真っ直ぐって言うてぇな。でも、ありがとうな、詠」 「べ、別にただここで言い合ってもしょうがないと思ったからよ」  折れてくれた賈駆に感謝する張遼。もっとも賈駆の方はその感謝を素直に受け取れない 性格のためそっぽを向いてしまったが、張遼もそのことをよく分かっているのでクスリと 笑うだけだった。 「それじゃあ、呂布隊と共に張遼隊も門の前に陣取って貰うわ。後は……そうね基本的に はさっきの作戦通りにしましょう。その上で敵の動きを見て指示を出すわ」  賈駆は、そう言いながらも尚も策を考えていた。そんな賈駆に張遼は声を掛ける。 「いや……アンタはウチが出たらすぐ、月の元に向かうんや」 「え? そんなことできるわけないでしょ!」 「あかんで詠、月を任せられるんはアンタしかおらへんのや」 「でも……分かったわ。なら、いいこと、呂布隊と共に、門の前に陣取りなさい。そして 、そこからは作戦通り敵の前曲を崩すのよ、後は機を見て、あんたたちも逃げなさい」  賈駆が反論しようとしたが、張遼が本気の時に見せる真剣な表情をしていたためか、素 直に言うことをきいた。賈駆としても、自分にとって大事な少女を常に側で守るべき人間 が今、彼女の側に居ないことも分かっているのだろう。現在、護衛を付けてはいるが、そ れでも安心は出来ていない……張遼にはそれが分かっていた。  もし、張遼が逆の立場だったとしても、賈駆同様その提案をはねのけることなど出来な いから。張遼がそんことを思っていると。 「そんじゃ、まぁ行ってくるで!」 「絶対……死ぬんじゃないわよ」  張遼は、賈駆に手を振りながら自分の隊の元へと駆けていった。それを見詰めながら賈 駆がぽつりと呟いた言葉に苦笑しながら……。  張遼が自分、そして呂布の隊が集まっている場所へと向かうと呂布が近づいてきた。 「……詠は?」 「あぁ、詠なら月んとこに向かわせたで。別にえぇよな?」 「……うん」  張遼の問いに対し、あくまで無表情のまま頷く呂布。これは、ただ単に彼女の特性であ り、別に怒っているわけでも不機嫌なわけでもない。  故に張遼はその答えに満足し、本題へと移る。賈駆から言われた唯一の指示を伝え、 「そんじゃ、陣を敷くとしようや」  張遼は自らの隊、そして呂布隊と共に門へと向かった。  門の前に、陣を敷いた彼女たちは迫り来る軍勢を見据えながら話し合いを始める。 「さて、ここからや……」 「呂布殿さえいればあんな奴らなど、どうとでもなりますぞ」  張遼の言葉に返答したのは陳宮だった。彼女は誰よりも呂布を慕っている軍師である。 それ故に誰よりも呂布を信頼していた。 「まぁ、そうやろうけどもう詠はおらんのや、なら事前にしっかり作戦を立てんとあかん やろ? 軍師もアンタ一人やし」 「それもそうなのです。ともすれば、すぐに作戦を立てますぞ」 「取り敢えず、敵の前曲については報告通り。水関と同じで劉備とかいうぽっと出の軍 と、公孫賛軍から送られた一部隊や」  もう既に目視出来る位置まで来ている連合軍を見やる張遼。本当ならすぐにでも飛び出 して行きたいところだった。それほどまでに彼女の心は先程見た光景に惹きつけられてい た。 「どうしたのです?」 「ん? あぁ、すまんすまん。なんでもあらへんのや」  不思議そうに見てくる陳宮に張遼は顔の前で手を振りながら、否定する。 「まぁ、いいのです。それより最初は奴らを混乱させるのが目的なのですが……」 「あぁ、取り敢えずウチは公孫賛軍の一隊を中心に相手をさせてや」 「そうなると、呂布殿には劉備軍の主軸の相手をして頂くことになります」 「……」  陳宮の言葉に、呂布が頷く。間の感覚から、彼女も理解できているのだろう。 「それと、奴らを混乱させた後、隙を見て戦線から離脱や、えぇな」 「……………………」  呂布が、先程のように頷くが、今度は、間が長い。これは彼女が分かっていない時の反 応であった。 「分かっとらんやろ? えぇか、アンタらは、機を見て離脱せい」 「……だめ」 「え?」 「恋……守る」 「っちゅーてもな……」  張遼がなんとか説得しようとすると、横から陳宮が自信満々に声を掛けてくる。 「大丈夫ですぞ、この陳宮が必ず呂布殿を生還させてみせるのです」 「しゃあない、まかせたで」  張遼は、陳宮を信じ、呂布を任せることにした。 「さて、前曲は劉備軍がほとんどで、一部隊だけ公孫賛軍、どうみても薄いのですが、そ れに続く、孫の字と曹の字が厄介なのです」 「となると、前曲を崩したところで逃げるのが一番なんやろうな」 「そうなるのです。張遼隊の退き際の判断はご自分でしてもらいますぞ」 「あぁ、それでかまへん」 そう告げて、張遼は二人に背を向け自分の隊の元へと歩き出した。 「さっ、呂布殿、我々も準備をしますぞ」 「……」  陳宮の言葉に呂布が頷いているのを背に感じながら、張遼は自分の隊へと趣き、隊の調 整を行うのだった。  張遼たちが着々と準備を行っている頃、連合軍前曲、劉備軍では出陣準備中の愛紗と鈴 々が何やら揉めていた。 「鈴々がやるのだ!」 「そうはいかぬ、私に任せて貰おう!」  何かを巡って言い争っている二人を桃香は、二人の軍師とともに、一歩退いた位置から 見ていた。 「むー! ずるいのだ! 鈴々だって呂布と戦いたいのだ!」 「呂布が噂通りだとすれば、かなりの使い手、ならば私が相手をするのが道理!」 「意味わかんないのだ!」 「えぇい! 大人しく言うことをきかぬか!」  あくまで呂布戦を譲るつもりのない愛紗に鈴々が食い下がる。どうしたものかと孔明と 鳳統が悩んでいる中、桃香は口を開いた。 「駄目だよ。二人とも! さっき一刀さんに言われたことを忘れたの」 「桃香様……」 「むぅ……」  桃香に注意され、二人も一刀の言葉を思い出し大人しくなる。 「もう、あれほど一刀さんが一人で対応するなっていってたのに……二人と来たら」 「申し訳ありません」 「ごめんなさいなのだ」  シュンとなり、頭を下げ謝る二人を見て桃香はフッと表情をゆるめる。 「分かってくれればそれでいいの」  桃香としても二人の事を想うからこそ言っただけで怒っていたわけではない。それに二 人が思わず戦いたくなることも、共に過ごしてきた桃香にはわかっていた。それでも彼女 にはこれだけは譲れないのだ、彼女には二人も必要だから……戦力だとかではなく、彼女 の"心の支え"として。 「でも、あの一刀さんが本気で警戒してたけど、そんなに凄いのかな?」  桃香はそう言いながら、先程一刀が自分の隊に戻る際に見せた真剣な表情を思い出して いた。白蓮の元で過ごしていた時、自分の相談に乗ってくれた際にも真剣だったが、その 表情とはまた異なる質のもので、一種の決意めいたものを桃香に感じさせた。 「そうですね……あそこまで真剣な顔をして仰ったのですから、一刀殿の言うことには従 っておくのが賢明でしょう」 「うーん、鈴々としては戦ってみたいのだ……でも、お兄ちゃんがあぁ言ってたし、止め ておくのだ」  二人も、一刀の事を思い出したのか納得するように頷いている。どうやら二人とも、も う落ち着いたようだ。その際、桃香は二人が僅かに嬉しそうな顔をしていることが気にな ったが、口には出さなかった。 「さぁ、落ち着いたところでどうするか考えよう」 「はい、桃香様」 「うん!」 「よし! それじゃあ、二人とも大丈夫?」  愛紗たちの返事を聞いた桃香は、軍師二人に作戦があるか尋ねる。 「はい、もう考えてあります。呂布隊が出てくることは間違いないと思います。ですので 、そこを上手く利用します」 「ほう、利用とな?」 「……はい、えぇと、その……私たちにあるのは非常に心許ない戦力です。きっと呂布さ ん自体は、愛紗さんと鈴々ちゃんが相手をして頂ければ足止めできる……と思います」  孔明の説明に、関羽が聞き返す。鳳統が孔明の説明を引き継ぎ、それに答える。 「ですが、呂布さんの隊と私たちでは持っている兵の質が異なります。恐らくこちらの数 人で向こうの一人を相手にしなくてなりません。愛紗さんたちならば、逆に大勢の呂布隊 の兵を相手に一人でやり合えるでしょう。しかし、先程述べたとおり、お二人には呂布さ んを食い止めて頂かなければなりません」 「う〜ん、そうなるとやっぱり厳しいよね……」 「あ、あにょ……でしゅから、私たちは向こうの攻撃を真っ向から受けません」  不安そうに、顔を俯かせる桃香に、鳳統が慌てて言葉を付け加えた。 「にゃ? それじゃあ、一体どうするのだ?」 「それはですね。先の水関で見学してた曹操さんにも働いて貰います」 「曹操殿?」 「はい、現在、曹操さんの軍は左翼を担当しています。そこで、私たちは、敵に軽い手応 えを感じさせつつ、被害は最低限に抑えながら後退し、曹操さんの軍を巻き込みます」 「なるほど……安全と思っているところに敵軍が攻めてくれば対応せざるを得ない訳か」 「はい、そして、おそらく右翼を担当している孫策さんの軍もこちらに合わせて動いて くると思われます」 「成る程ね、確かに曹操さんと孫策さんの軍が動いてくれれば、わたしたちの被害は大分 減るね」  孔明の説明に愛紗が感心したように頷く。桃香も素直に感心していた。そして、孔明、 鳳統という二人の軍師と出会え、本当に良かったとも思った。 「で、ですが……愛紗さんたちが呂布さんを食い止めてもらうのが、最低条件となり…… ます」  鳳統が愛紗たちの方を見て告げる。その言葉は、忘れないようにと釘を刺している風に 思えそうだが、桃香は、彼女が愛紗たちを心配しているのだということを理解している。  故に、そっと鳳統の頭を撫でる。"あの人"がしたのと同じように。 「大丈夫、愛紗ちゃんたちは強いんだから」 「その通りです。我々の事なら心配無用。安心して、お任せを。軍師殿」 「そうなのだ! 鈴々たちなら大丈夫なのだ」 「……はぅ」 「ふふ、みんなの言うとおりだよ。愛紗さんたちを信じようよ。それで、私たちは私たち で、出来る事をやろう」 「……うん」  孔明の言葉に、鳳統は頬を朱く染めたまま、こくりと頷いて見せた。 「さ、出陣だね!」 「応!」  桃香の言葉に、各々が返事をする。  そして、劉備軍は戦場へと向かう。この戦いの決着をつけるために。  劉備軍が出陣を始めたのに合わせ、"公孫賛軍所属"北郷隊も出陣を開始した。  虎牢関も視野に入り、そろそろ戦闘開始の時が近づきつつある頃、一刀が星に近づいて きた。星が、何かと思い一刀の方を見る。 「星、頼みがある」 「頼みですか?」  普段は見せないような表情で自分を見る一刀に星は、少し気を引き締める。 「あぁ、次の戦いで、呂布隊に攻め込まれるのは、おそらく規模の小さい俺たちより、大 きな的となる劉備軍のはずなんだ。多分その際に、愛紗と鈴々がれ……呂布への対応にあ たると思う。そこで、星には愛紗たちの元へ行って彼女たちと共に呂布の相手をして欲し いんだ」 「私が行かなくとも、愛紗たちならば、大丈夫でしょう」 「いや、絶対に星が必要となる」  星としては、如何に呂布が強くとも愛紗と鈴々が組めば何とかなると思っていた。しか し、一刀の表情は、そんな星の思いを大きく変えてしまった。 「それほどまでに呂布は強いと?」 「あぁ、断言できる。少なくとも三人じゃないと厳しいと思う」 「……わかりました。それではすぐに向かうとしましょう」 「悪いな。星」 「私は、主の命に従うまで。よってお気になさることなどありませぬ」 「それでも、ありがとう」 「まったく、頑固な御方だ……」  クスリと微笑を浮かべながら、援護に向かうため、準備を始める星。自分よりも呂布を 高く評価する一刀に対して、本来なら不満を抱いただろう、しかし、星は不思議と嫌だと は思わなかった。 「さて、主をあれ程まで警戒させる呂布とは如何なる者なのか確かめるとしよう」  そう呟きながら、星は呂布が居るであろう虎牢関を見据えた。  虎牢関、城門前の陣では、陳宮が隊の兵たちに指示を終え、檄を飛ばしていた。 「よいですか! これより赴くは死地! 故にそれ相応の覚悟をするのです」  陳宮のその言葉を、兵たちはただじっと聞き入っていた。 「呂布殿からも何かお言葉を」 「……みんな、がんばる」 「聞いたか皆の者! 呂布殿は、皆の活躍を期待しておりますぞ!」  ここで、ついに兵たちの気合いの込められた叫びが轟いた。ここに居る者たちは、呂布 からすれば、家族のようなものであり、兵もまた呂布を家族のように思っているのを陳宮 は知っている。また陳宮は、その中でも最も呂布を想っているのは自分であると確信して いた。  そんな大切な呂布の方を向き、確認を取る。言葉を交わさなくとも陳宮には呂布の言い たいことが分かる。そう陳宮は信じている。 「では、呂布殿も準備が出来たのでこれより出陣なのです」  陳宮の言葉に従い、隊が動き出す。 「絶対に……呂布殿はこの陳宮がお守り致しますぞ」  陳宮は、誰にも聞こえないように小さく呟いた。それが聞こえたのか呂布が陳宮の頭を 撫で始めたのに驚き、呂布の方を向く。 「呂布殿?」 「……大丈夫……ちんきゅもみんなも……」  他人には気疲れにくい呂布の優しい瞳が陳宮を移す。その顔はどこか優しげだった。 「……月たちも……守る」  呂布の顔が再び無表情になる。 (いや、発する雰囲気からすればこれは決意! 呂布殿が本気になったのです!)  陳宮は呂布の決意を汲み取り、自分も全力で呂布を補佐することを誓う。その想いが 口を突いて出たのか、呂布の名前を呟く。 「……呂布殿」 「………………」  だが、呂布は何故か首を横に振る。何が気にくわなかったのだろうと陳宮が訝ると、 呂布が口を開く。 「……恋」 「ま、まさか、この陳宮めに真名をお許しになって下さるのですか?」 「……」  呂布は、ただ頷く。もちろんそれが肯定の意であることを理解している陳宮は、目を見 開き、喜びのあまり跳ね上がりそうになる。そして、捲し立てるようにしゃべり出す。 「りょ、いえ、恋殿! この音々音の真名をお預かり下され!」 「……いいの?」 「もちろんなのです!」 「……わかった。それじゃ、ねねって呼ぶ」 「りょ〜かい! なのです!」  興奮している陳宮とは対照的に、呂布はあくまで無表情のまま応じているように見える 。しかし、その口端がわずかに上がっていることに陳宮は気付いていた。 「……いってくる」 「恋殿! 奴らに目にもの見せてやってくだされ!」  呂布は、陳宮の言葉に頷くと、一気に駆けだした。  反董卓連合の後曲、煌びやかな兵で彩られた軍の中央に一人の兵が駆け込む。 「呂布隊、劉備軍に向かい突撃を開始してきました」 「あら? どうやら虎牢関攻略が始まったみたいですわね」  兵の報告を受け、袁紹が悠然と構えながら前方を見据える。その横では袁紹の二枚看板 の内の一人、文醜が頭の後ろで手を組みながらのんびりと喋り出す。 「いいなぁ、あたいも呂布と闘りあいたかったな〜」 「ちょっと文ちゃん、いくら何でもあの呂布さんと戦うって言うのは無理があるよ」  相棒の一言に、冷や汗を掻く顔良。彼女とて呂布について耳にしたことがなかったわけ ではない。 「でも、呂布って強いって噂だし、一戦交えたかったんだけどな」 「もう、文ちゃんてば……」  尚も前方を見ながら、ぼやく文醜を顔良は困り顔で見ることしかできなかった。 「って、姫は?」 「あれぇ? どこ行ったんだ……まったく、袁紹さまはいつもこうなんだから」 「文ちゃんだって、すぐいなくなるくせに……」  自分のことを棚上げする文醜に顔良がぼそりと呟く。 「ん? 何か言った?」 「な、何でもないよ!」  顔良の呟きを聞き取ったのか、文醜が聞き返してくる。顔良はそれに対して慌てて首を 横に振って否定する。 「ふーん、ま、いいか。それより、袁紹さまどこ行ったんだろ」  そう言って、文醜が辺りを見回す。それに続くように顔良も辺りを見回す。すると、 「さぁさぁ、もっとちゃきちゃきと準備を進めなさいな」  兵たちに何やら指示を出している姿があった。二人がそちらへ近づくと、話の内容が聞 こえてくる。どうやら、軍についての指示のようだった。 「あれ? 珍しいですね、袁紹さまが直接指示だしするなん、もごっ」 「ちょっ、文ちゃん……」  文醜が、不要な一言を口にしたのに対し顔良は思わず口を押さえるが後の祭りだった。 「どういう意味かしら文醜さん?」 「もがっ、いや、ほらいつもは後ろで威風堂々と構えてるじゃないですか」  眉をつり上げ尋ねてくる袁紹を見て、ようやく自分の発言に気付いたのか口元から、顔 良の手をどけると慌てて妥当な言葉を並べ立てた。 「成る程、そうですわね。文醜さんの仰るとおり、私はいつでも華麗で優雅で壮麗に戦い の行方を見詰めていましたわね。おーっほっほっほ!」 「で? 一体何をしていたんですか袁紹さま?」 「何って、きまっているではありませんの?」  文醜の質問に何をわかりきったことをといった様子で答える袁紹。顔良からしても何を していたのか分からなかった。 「いや……わかんないっすよ袁紹さま」 「やれやれ、しょうがありませんわね。よーくお聞きなさい。私は先の水関での失敗を 反省し、今回は、虎牢関入城に際して、行軍をより華麗で優雅で壮麗なものとするため今 の内から準備をさせていたのですわ」 「あ、あははは……さっすが袁紹さま」 「あはは、取り敢えず止めないと……」  袁紹の突飛もない思いつきに空笑いする文醜、その隣で顔良はどう止めるべきか頭を抱 え悩むのだった。  総大将がそんな阿呆な事をしているのとは対照的に、劉備軍には緊張が走っていた。 「―――以上が今作戦の概要だ。質問がある者は―――いないようだな。では、これより 、我らは前衛として呂布隊を迎え撃つ。皆は、くれぐれもまともに相手をしようなどと考 えるな。奴らの攻撃を、受け流すことを忘れることのなきよう」 「失礼します。関将軍……」  一人の兵が、指示を飛ばしている愛紗の元へと趣き、礼をする。愛紗が何事かと、そち らを向くと、呂布隊が動き出したという報告を聞かされる。  愛紗は、自分の前に並んでいる兵たちを見渡し、辺りに向け、声を上げた。 「よし、それでは、呂布は私と鈴々にまかせ、他の者は残りの敵兵を引き連れ、各自後方 へ下がれ!」  先程、孔明、鳳統に指示された作戦を頭に描きつつ愛紗は自分の兵たちに号令を出す。 それに合わせるように、張飛隊でも鈴々が同じ内容の号令を掛けていた。  そんな二人を不安げな目で見詰める桃香。 「みんな……上手くやってくれるといいね」  先頭で指示を飛ばしている愛紗を見ながら桃香が呟く。彼女たちが行っている作戦、こ れは劉備軍の損傷を最小限に抑えるためのものだった。 「大丈夫です。お二人を信じましょう」 「お二人とも……強いですから」  この作戦の提案者である、孔明と鳳統が不安そうに前方を見詰める桃香に声を掛ける。 「うん、そうだよね。信じるって決めたんだもん。最後まで、信じてあげないといけない よね」  二人の言葉を聞き、不安に染まっていた顔を無理やり元に戻す。そして、迫り来る呂布 隊を見詰めた。  桃香たちが見詰める先では、今まさに劉備軍と呂布隊の前衛同士が激突し始めていた。 交戦開始から、徐々に範囲が広がっていく。あっという間に、そこかしこに、兵たちの怒 号が飛び交う。それに重なるように、刃が交わる音や兵たちが大地を駆ける音が聞こえて くる。  そんな中、劉備軍は、作戦通り呂布隊からの攻撃を真正面から対処せず、上手く勢いを 残させたまま後退していた。軍の中心にいる二人の将と側近の兵数人を覗いて―――。  周りの兵たちが続々と前進している中、呂布は、劉備軍の中から突出してくる隊が視野 に入る。  呂布は、それを見つつも、ただ突き進む。一人でも多く彼女の敵を倒すために。 「……邪魔」  呂布が方天画戟を一降りするだけで目の前にいた十人近い兵が吹き飛ぶ。その兵が更に 周りの兵へとぶつかり薙ぎ倒していく。それを何度も繰り返していく内に呂布の前に敵は いなくなった。再び前へ駆け出そうとすると、そこに一つの声が響く。 「さすがは、呂奉先! その姿、まさに一騎当千、天下無双。我らの相手に不足なし!」  そこには呂布に向かってくる二人の少女が居た。片方は黒髪、もう片方は虎の髪飾りが 印象的な少女だった。その虎の髪飾りをしている少女が声を上げる。 「呂布ー! 鈴々たちが相手をするのだ!」  そのまま二人の少女は、呂布の目の前に立ちふさがった。 「止めた方が良い……」 「にゃ?」 「それはどういう意味だ?」  呂布の言葉に二人は、訝るような表情を浮かべる。 「……お前たちじゃ、勝てない……お前たちより強いから」 「にゃにおー」 「にゃんだ……じゃなかった。何だと!」  呂布の忠告を聞いた二人は怒り出した。どうやら、諦めるつもりはないらしい。 「……わかった。戦う」 「そうこなくっちゃなのだ! 我が名は張翼徳! 劉備軍の将なり!」 「同じく、関雲長! ……呂布よ、悪いが我々二人を同時に、相手をしてもらうぞ」  二人の名乗りを受ける呂布は、小さな声で返す。 「……呂奉先……それと、その判断は正解」 「ふ、それは先程言った、お前の方が強いから、という訳、かっ!」  呂布の言葉に返しながら愛紗が突っ込んでくる。しかし、呂布からすればその程度の一 撃を返すことなど他愛ないことだった。 「……甘い」  突きの一撃を腕以外微動だにせず大降りな一撃ではじき返した。その勢いで突きを放っ た愛紗は後退する。 「くぅ! 予想以上に重い一撃だ」 「強烈な一撃だったら鈴々だって負けないのだ!」  顔を顰める少女に変わり、今度は鈴々が飛び出した。呂布に向け、上段から力強く蛇矛 を振り下ろす。 「……無駄」 「にゃあ!」  その一撃を先程より力が伝達しやすい体制で弾くのではなく、打ち返した。その一撃で 先程の愛紗同様、返された勢いによって後退する。 「……二人同時じゃないの?」 「言われずとも、行くぞ! 鈴々!」 「応! まかせるのだ愛紗!」  呂布の疑問に、答えるように愛紗と鈴々が、呂布の左右へ回り込む。 「……来い」  二人が止まったところで、呂布は二人を促す。それに合わせ二人が掛け声と共に斬りか かる。 「……まだまだ」  呂布は、二人が自分の射程範囲に入る際の僅かな差を瞬時に判断し、先に届いた愛紗の 側から、円を描くように方天戟を一降りする。たったそれだけで、二人の斬撃を弾き返し た。 「そんな馬鹿な!?」 「にゃにゃ!」 「……この程度じゃ無駄……逃げた方が良い」  方天画戟を首の後ろに乗せ、上下させながら呂布は、二人にただ淡々と告げる。 「ふ、行ってくれるではないか。だが、我が力がこの程度だと思うな!」 「鈴々だって、まだ全然実力をだしていないもんねー!」  愛紗と鈴々が口の端をつり上げ、にやりと笑う。それを見て呂布も僅かにだが、似た笑 みを浮かべた。 「……それなら楽しみ」  呂布隊が劉備軍を追い、勢いよく前進している最中、張遼はその様子を見ていた。 「はぁ〜関羽か、恋相手に中々やるやん…………って、まずい! あのままやと戻ってこ れへんやないか!」 「あぁ、恋殿……」  先に、一当てのため出ていた呂布隊を見詰め、張遼は苦虫を噛みしめたような表情でで 舌打ちをした。もう一人の将、陳宮は不安そうに見詰めている。  二人が、こうも不安に駆られるのは、現在の戦況にあった。今のところ、一見すれば、 上手く劉備軍を退けているように見えるが、戦場に劉の旗が落ちている数は僅かしかない 。それが物語っているのは、実際には、劉備軍が行っているのは敗走ではなく、作戦の一 部であるということ、そして、おそらく劉備軍の狙いは両翼にいる孫策、曹操、両軍へと 繋ぐつもりであることも張遼には把握できた。だが、それを忠告するべき陳宮も呂布と別 れてしまっている。さらに呂布自身も劉備軍の将二人と戦っている内に隊と距離が離れ初 めている。 (すまん、詠……ウチもう限界や……)  ため息を吐くと、一気に酸素を取り入れ口を開く。 「よっしゃ! ちょっと早いかもしれへんけど、そろそろ動くとしようやないか!」 「なんですとー!」  驚く陳宮を余所に、張遼の声に兵たちが轟音の如き叫びを上げて応える。 「よし、ウチと一部の兵のみで奴らの内、規模の小さい十文字の牙門旗の元へ向かう。残 りは、呂布隊の援護及び、退避の連絡に向かえ! アンタは詳しい指示を出しつつ、頃合 いを見て、恋に撤退の指示を頼む」 「わかったのです。それでは、これより我らも呂布隊に続き、連合を攻め隙を作りに行き ますぞー!」  陳宮の指示に従い、兵たちが勢いよく返事をする。それを確認し張遼が自分の率いる兵 たちに作戦開始の号令を聞かせる。 「張遼隊、出陣や! 全力でいくから全員しっかりついてこいや!」  そう告げて、張遼は駆け出す。その背で部下たちの返事の声と続く蹄の音を受け、張遼 は更に速度を上げた。苦悩する自分の顔を部下に見られないように。 (やっとや……これで、確認出来る。ウチの勘違いやったら、えぇんやけど……)  張遼は、未だに信じられずにいた……先程、城門で視認した存在『華雄』を……それも そのはずである、張遼は華雄という人間をよく知っているのだから……。  猛将華雄、その名は董卓軍でも広く知れ渡っており、悪く言えば猪突猛進型の性格、良 く言えば真っすぐな性格で、一度忠を誓った董卓に対して誠心誠意尽くしていた。そして 、自らの武に誇りを持っており、かなりの強さを持ちながらも、驕り高ぶるような真似は せず、それ故、部下たちからの信頼も熱い将だった。  そんな『誇り』と『忠』を大事にしている華雄が、敵軍の一人の将らしき男の側に居た こと、つまり降ったということが張遼には信じられなかった。  だからこそ張遼は近くで確認したかった。自らの目でしっかりと、そこにいたのは華雄 ではなく似た人間だったと、思い違いだったと確信したかった。それ故、出陣を願い出た のだ。そして、今は真っ直ぐに十文字旗の元へ向かっている。 「さて、あそこにおるんは本物かそれともニセモンか……」  そう呟いている間に、徐々に距離は詰まっていく。そしてもう視認できる位置まで来た 時、張遼は息を呑んだ。白い服の男の横に彼女は見つけたのだ、先程の人影を―――。  張遼が"華雄らしき"人物を捜している頃、呂布隊は尚も劉備軍を追いかけ、徐々に連合 軍の両翼へと迫り始めていた。それに伴い、曹操軍、孫策軍を巻き込み、戦局が混乱し始 めていた。  一方、その呂布隊の隊長である、呂布はというと愛紗、鈴々組を相手に、未だに劉備軍 前方で戦闘を繰り広げていた。  愛紗の青龍刀、鈴々の蛇矛が同時に振り下ろされる。  呂布は、それを方天戟で迎え撃つ。  三つの武器が正面からぶつかり合い、火花を散らす。 「くっ、これでも駄目か!」 「……今のは良かった」 「な、なんか、余裕があるのだ……」   未だ呂布は、無表情だった。多少、体力を消耗してはいるが、顔に出るほどではない 。それに対し、愛紗たちは僅かに息が乱れていた。そして、呂布を見据え何やら考え始め る。そんな二人に、声が掛かる。 「どうやら、呂布の強さとは相当なようだな」 「……だれ?」  新たに現れた人物に呂布は首を傾げる。 「星!」 「何でここにいるのだ?」 「うむ、我が主の命で二人の援護に参ったしだい」 「一刀殿の!?」 「あぁ、二人でもこの戦闘は厳しいものになるだろうとのことだ」 「そんなことないのだ! 鈴々たちだけでも十分だったのだ」 「ほぉ、その割には二人の方が押されているように感じるのだが」 「ぐっ、そ、それはだな星」 「それに、呂布にはまだ疲れが見えないようだが?」 「……」  その人物は、助けに来たはずの二人を気落ちさせていた。  それに、どこか飄々とした雰囲気を持っている。呂布は、それがなんだか不思議だと思 った。目の前の人物は、どこかつかみ所がない。  呂布がそんなことを考えていると、その人物がこちらを向く。 「さて、呂布よ。この趙子龍も混ぜてはもらえぬか?」  新たに登場した人物を呂布は不思議そうに見る。彼女の放つ雰囲気は武人のもので間違 いない。その強さは他の二人同様侮れないと呂布は思う。だが、彼女はそれ以上に自分の 腕に自信があった。 「……かまわない」 「そうか、ではさっそく。はぁ!」  飄々とした態度から一瞬で真剣な表情へと代わり素早く呂布との距離を詰める。  そのまま、突きを放つ星。それに呂布は、僅かに驚くが、それを表情には出さず、動揺 もすることなく、振りあげた一撃で弾く。 「これは、また強い一撃。成る程確かに厄介な相手だ……」 「今度は、三人で……来い」  この三人を相手にするとなるとどうなるかは呂布自身にも分からない。  ただ、心にあるのは、恐怖ではなかった。むしろ、強い三人と戦えることを、どこか楽 しみだと思い、妙な高揚感が胸に広がり始めている。 「後悔してもしらぬぞ」 「今度は、余裕も持てなくしてやるのだ!」 「ふ、その強さしかと見せて頂くとしよう」  三者三様に反応し、じりじりと呂布の正面、左右へと位置取りを始める。 「……」  呂布は、三人の動きを見つつ、深呼吸をして神経を高める。ちょうど息を吐いたところ で、地面を蹴る音が呂布の耳に届く。  その瞬間、三方向から質の違う一撃が襲いかかった。  先程から、劉備軍の前衛にて行われている呂布と三人の戦いを見詰めながら、一刀はた め息を吐いた。 「やっぱり、あの三人でも呂布相手には厳しいよな……」  今まで固唾を呑んで見守っていた一刀が、呂布と激しい戦いを繰り広げている三人の元 へ向かおうと進み初める。 「何か手でもあるのか?」 「ん? まぁ、上手くいくかはわからないけどね」  華雄に尋ねられ、振り返る一刀。その瞳には、言葉とは裏腹に強固な自信が伺える。  華雄が、一刀について行くため進み始めるのと同時に大地を揺るがしながら、一つの敵 部隊が彼女たちへ向かって来た。  その先頭では、雷鳴のごとき叫びで華雄の名を呼ぶ、兵を引き連れた一人の女性が向か って来ていた。 「!?」  華雄にはその声は聞き覚えがありすぎた。何せ長い間共に過ごした人物だからである。 また、一刀もその人物が自分の知っている人物であると思った……何故なら、彼の記憶の 中に適合する人物がいたからだ。 「張遼か……」 「あぁ、間違いない」  確認するように尋ねる一刀に華雄は頷いて答える。そして華雄は、一刀に向き直り、 「仕方がない、あいつは私が引き受ける。お前は趙雲たちの元へ行け」  まるで、何事も無いかの様な落ち着いた様子で進言をした。それを聞いた一刀は目を見 開いた後、不安な面持ちで華雄を見つめた。 「で、でも元々仲間なんだろ? 大丈夫なのか?」  一刀が訊いている"大丈夫"が、寝返らないのか? ではなく、戦うことになっても大丈 夫なのか? であることを直感で理解した華雄は何のためらいもなく答える。 「気にするな、これくらいで気が引けるほどヤワではない」 「わかった。くれぐれも無茶はしないでくれ」  それだけ言って、一刀は華雄に背を向ける。そんな一刀を華雄は目を細めて見つめるの だった。顔に困惑した表情を浮かべながら……。 (つくづく変な男だ……あぁも簡単に背を向けるとは。それになによりも、私が裏切る可 能性より先に私の精神面を気にするとは……本当に変わった男だ)  そう思いながらも、そんな一刀に心の何処かで好感を抱いており、僅かながら口の端が つり上がり、他人には分からないほどではあるが笑みを浮かべているのだが、彼女自身は まだ気が付いていなかった。 「さて、董卓様のためにもここは何とかしなくてはな」  目を閉じ、深く息を吸いこみ精神を集中させる。今の彼女は感情に捕らわれず、自然な 状態だった。そして、息を吐き出す。 「よし!」  華雄は目を開き、ゆっくりと張遼の元へと進み出ていった。その目はただ、迷うことな く真っ直ぐ前だけを見ていた。  一方の張遼は、華雄を視界に捉えると、一気に速度を落とし華雄の前へと出た。そして 馬から降り、華雄と向き合うように立った。それを見て華雄が口を開く。 「張遼……」 「……」  至って普通の表情を浮かべているが槍を握りしめる手は震え力んでいることが伺える。 その様子から、彼女が静かな怒りに満ちていることが華雄には分かった。  張遼は、華雄に対してただ静かに問いかけた。 「なぁ、どういうつもりや?」 「……」  張遼のただならぬ様子を見て、華雄がどう答えるべきか思案していると。痺れを切らし た張遼が表情を一変させ、目を見開き、まるで羅刹のような怒りの表情を浮かべて大声で 華雄を怒鳴りつけた。 「どういうつもりや? アンタ……ウチらを裏切ったんか!!」 「今も私は董卓様の事を想っている」 「ならなんでや? なんで奴らと共にいるんや」 「こちらにも事情があってな」 「事情? どんな事情があれば裏切れるっちゅうねん!」 「裏切ってなどいない!」 「信じられるか、ど阿呆!」  華雄の言葉など端から信じないとばかりに怒声を上げる張遼。華雄は更なる罵声を浴び せられることを覚悟したが、そんな思いとは裏腹に張遼は静かになった。 「……まぁ、ええわ」 「む? どうした」  突然静かになった張遼を訝りながら見る華雄。 「言葉ではどうとでもなるさかい、ウチは信じることは出来ひん。やから、問答はここで 終いや。それよりもアンタの心を推し量るためにも刃を交えようやないか!」 「確かにそうだな、己の力で証明するのが一番だ」  僅かに笑みを浮かべつつ華雄は答える。そんな表情を見ても張遼は無表情から変化させ ることは無かった。  華雄が身構えようとすると、対峙していた張遼は、構えをとらずに後ろを向き、側近と 思しき兵に声を掛ける。 「そういうわけや、あんたらは他の連中とこ行って撤退の準備をせい」 「し、しかし……」 「ウチらの話……聞いとったんなら、わかるやろ」 「……わかりました。これより! 我らは他の隊の援護をしつつ撤退する」  張遼が言い聞かすと、中々諦めようとしなかった兵がようやく、他の兵を連れ移動を始 める。それを背にしながら、張遼が華雄の方へとむき直す。 「すまん。待たせてもうたな」 「ふ、別に構わん。さて、それでは一切の状を捨て」 「闘るとしようや!」  その言葉を切欠に、互いに武器を構える。  両者に、隙は一切無い。それでも互いに手にする武器の切っ先の如き視線を向け合う。  その視線が交わった瞬間、互いに一歩を踏みしめる。  同時に動き出したが、そこは張遼、神速の名はただ馬術が長けているのを表しているだ けではなかった。華雄が一歩踏みしめる間に彼女は何歩も踏みしめ、距離を詰めてきた。  華雄とて伊達に彼女と共に過ごした期間があったわけではなく、張遼に関してそれなり に知っているはずだった。  しかし、張遼の本気は華雄の想像していた速度を優に超えていた。  尋常でない速度のまま放たれた突きが華雄に触れようとする。が、その寸前に横に飛び さることで華雄は何とか回避する。  そしてすぐに、張遼を睨み付ける。張遼はすでに突きを放った際の後ろ足を軸にして、 身を翻ていた。  張遼は、速度を落とすことなく、そのまま華雄の方へと向かってくる。張遼は一歩で距 離を詰め、華雄に向かって大きな横振りによる一撃を放つ。  華雄は、その一撃を僅かに下ることでり避ける。だが、切っ先が僅かに触れ、華雄の皮 膚を薄く切り裂いた。だが、傷など気にも留めず、張遼が振り抜いたことで出来た隙を見 定め、華雄は後ろの脚で踏み込む。  そして、華雄は戦斧を張遼が槍を振り抜いた方向から斜めに振り下ろした。  現在、曹操軍では、兵たちが戦闘準備に取りかかっていた。曹操軍の将、夏侯惇もまた 、軍師の指示に従い準備をしていた。  "現在、呂布の部隊が劉備軍を蹴散らしながら近づいてくる"その報告を受けたときは軍 の全体に僅かながら動揺が走った。  しかし、この曹操軍は並の軍とは違う。鍛え方が違うのだ。兵の一人一人が武だけでな く精神面でも強くなるための鍛錬を積んできた。故に、すぐに動揺を消し去り、すぐに指 示を待つ体勢に入った。  もちろん、主である曹操を始め、軍の中枢の将たちは一切動揺などせず、即座に対応に かかった。  軍師である荀ケが劉備軍の考えを悟り、苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら、対応 策を述べ、それを曹操が判断し、決定した策に従い夏侯惇たちはすぐに準備を開始した。  そして、夏侯惇に与えられた指示は、呂布隊に必要以上に攻め込ませないために呂布隊 の勢いを殺すことも兼ねて速攻をかけ返すというものだった。  指示を受けた後、夏侯惇はすぐに準備に取りかかった。兵たちに指示を出し、自分もす ぐに準備も始めた。  準備をしながら、先程荀ケが述べた劉備軍の狙いについて思い出す。なんでも呂布隊を 引き連れつつ、こちらに下がり、そのまま巻き込もうとしているらしい。  夏侯惇には、それがよく分からなかった。彼女からすればそんな面倒くさいことなどせ ず、真正面から叩き潰せばよいと思っているからだ。実際にそれを口にしたところ、荀ケ に呆れられた。それにはムッとしたが、夏侯惇の愛しい主、曹操と妹の夏侯淵に、その方 がらしいと言われ、満面の笑みで返した。  ちなみに、その話の後に夏侯淵より分かり易い説明を受けて夏侯惇はようやく理解する ことができ、やはり妹は頭が良いと感心したのだった。  そんなことを思い出しているうちに、兵たちの準備が完了したという報せが入る。ちょ うど自分の準備も完了していたため、すぐに隊の元へ向かった。 「よし、これより、呂布の部隊との戦闘に入る。お前たちの強さを見せつけてやれ!」  夏侯惇の声に、兵たちが大声で返してきた。それに満足した彼女は、劉備軍と戦いつつ 迫り来る呂布軍に向かって進み始めた。  他の戦闘が繰り広げられている場所から、離れたところで金属同士がぶつかる音が響き 渡る。  偃月刀の刃が上方から振り下ろされる。  先程よりも速度が上がり、その一撃は、まるで雷。  呂布はそれにひけをとらない速度で打ち返す。  その瞬間を狙うかのような下方からの蛇矛の一撃が彼女の左側から襲う。  呂布は、慌てずに豪腕から放たれたような、力強い一撃を、大地に対して水平な軌跡を 描きながらの一撃で受け止める。  瞬間、火花が散り、弾き合った二人は、火の粉のように勢いよく、後方に飛んだ。  後方に飛ぶ呂布の背後から、名手により放たれた矢の如き龍牙による突きが放たれる。  背でそれを感じた呂布は、振り子のように後方へと振り抜く一撃で弾く。  その一撃で、背後にいた星が吹き飛ぶ、が、猫の様に上手く着地する。その顔を一筋の 汗が流れ落ちていた。よく見れば、息もあがっているようだ。 「よもや、これほどとは……天下無双は伊達ではない……か」  他の二人も同じような状態のように見える。 「くっ! これが呂布か!」 「でも、あいつも疲れが見え始めているのだ」  三者三様に感想をこぼす。そして鈴々の指摘通り、呂布は僅かに息があがっていた。 「……まだ全然平気」  僅かに疲れが出てきたがまだ戦える。何より相手であるこの三人の方が疲弊しているよ うに見える。ならば、負ける要因はない。呂布はそう考える。 「……やむを得ぬな」 「愛紗? どうしたのだ?」  呂布を見据える愛紗が今までで一番するどい視線を呂布にぶつける。それを鈴々が不安 そうに見上げている。 「星、鈴々、悪いが少々下がって貰えぬか?」 「なんでなのだ?」 「愛紗……お主、まさか!?」  星が目を真開いて愛紗を見る。鈴々はわからず首を傾げる。呂布もまた予想がつかない 。ただ、今まで以上に気を引き締める必要があるように感じている。 「呂布よ、確かにお主は強い」  二人が距離を取ったのを確認した愛紗が呂布に近づく。呂布はそれをただ見詰める。 「だからこそ、これから行うことに価値がある」  刃の如き鋭さをもった視線が呂布に注がれる。愛紗が何をしようとしているのか彼女に は想像できないが、やはりただ事ではないことだけは分かる。 「呂布よ、止めるなら今だぞ」  愛紗が青龍偃月刀を構える。まるで周囲の空気と同化しているかのような自然体、それ は彼女の最高の状態なのだろう。 「…………」  呂布は、彼女の相手をするにふさわしいよう、全力で迎え撃つことを決める。  両者とも構えのまま、動かない。まるで人形のようである。だが、発する雰囲気が人形 ではないことを物語っている。  そして――二人の間に吹いていた風が止む。  愛紗たちのいる場所から少し離れた位置、北郷隊と張遼隊の一部が接触している場所で 二人の武人が交戦している。  戦斧と槍が激しくぶつかる。  突く。なぎ払う。振る。払う。  まさに一進一退の攻防。どちらも譲らない。  互いに武器が交錯し動きが止まる。  その瞬間、両者共に蹴りを放ち、互いに突き飛ばし合う。  距離が空いたところで、張遼が頬から滴る血を舌で舐め取る。 「はぁ、はぁ、やるやないか……」  先程、華雄が振り下ろした一撃をぎりぎりでかわした際に受けた時による傷。  その傷が出来てから、拭う間など無いほどに互いに攻めあっていた。 「ふ、どうした。……へばったか?」 「あ、アホ言うな。んなわけあるか」  華雄の言葉の合間に荒い息遣いが混じる。彼女が自分同様に疲弊し始めていることを張 遼は察する。 「すぅ……よし、まだまだウチは元気や」  張遼は深呼吸をして、落ち着いたのを感じる。華雄も同様なようだ。  瞬間、左へ僅かに動く、それに華雄がつられ僅かに動く。  それに合わせ、すぐさま右側へと動く。  大地を蹴る一歩で華雄の正面右へと滑り込みなぎ払う。  華雄が何とか戦斧でそれを防ぐが、重心が不安定なため軽い。  張遼が掛け声を上げながら、押し切る。  まるで赤子のように頼りない足取りでふらつく華雄。  その隙を逃さず、張遼は肩越しに一撃を振り下ろす。 「もろたぁ!」 「ちぃぃ!」  華雄は、体勢を崩しながらも張遼と同じように戦斧を振り下ろす。  戦斧の刃に触れ、張遼の一撃がぶれる。  それでも、華雄の太腿に僅かにかする。  反動に耐えられず、華雄が勢いよく地面に倒れ込む。  すかさず、張遼がそこへ突きを放つ。  華雄はそちらへ視線を向けず、素早く体を捻り張遼から距離をとる。 「くっ……張遼」 「やっぱ、強いな……華雄」  張遼が槍を抜きながら華雄を見る。華雄は既に立ち上がり戦闘態勢に入っている。  それに合わせ、張遼もすぐに構えをとる。  右翼担当の孫策軍では、二人の女性が劉備軍の方を見詰めていた。 「しっかし、やってくれたわね」 「そうだな、私たちまで巻き込んでくるとは……おそらくは諸葛亮だろう」 「後は、もう一人のちっちゃい子かしらね」  そう言って孫策は、宙に視線を向ける。先程、劉備軍で見かけた少女を思い出している のだろう。周瑜も同じように思い出す。 「確か、鳳統だったな」 「えぇ、きっとあの二人が劉備ちゃんたちを"先"へと連れて行くでしょうね」  劉備の元にいる二人の軍師も気になるが、周瑜は更に気になる人物がいた。 「そういえば、北郷の側に華雄がいるらしい」 「へぇ、あの華雄が降ったの?」 「連合内ではそう結論付いている」 「"では"ってことは、あなたの考えは違うのね?」 「あぁ、実際に北郷から華雄が降ったという報告は上がっていない」 「えぇ! それじゃあ、どうしてそんな話が出回っているの?」 「華雄が大人しくしているからだ。それ故、降ったものと周りが思い、それが全体に広が ったのだろう」 「ふぅん。でもさ、大人しくしているならやっぱり降ったんじゃない?」 「まぁ、そうだとは思うのだが、もしも…そこに何か裏があるとしたら」  そこで一旦、息をはき出す。未だ視線は戦場に向いている孫策の背中が自分の言葉の先 を求めている。周瑜は、再び視線を孫策同様戦場へと向ける。 「あの男、北郷に対して我々は侮らず、注意すべきだろう」 「でも、まだ何とも言えないと思うわよ」 「ほぅ、それは何故だ?」 「強いて言うなら……勘かな?」 「そう……」  孫策の"勘"、それは周瑜からしても驚異を覚えるほどの的中率を誇っている。故に、彼 女には頷くことしかできなかった。  だが、周瑜自身にもあった……"勘"というものが。その勘らしきものは、彼女に、北郷 一刀は孫策と同等の資質を持つ男であると告げている。 (馬鹿馬鹿しい。何故、この周公謹とあろう者が、"勘"などというものを信じなければな らないのだ)  自分の考えを打ち消すように首を左右に振る。  周瑜は気付かない、孫策の視線の先にいるのが誰なのか。 「ふふ……不思議な人。やっぱり、いつか飲み交わしたいわね」  "勘"などに影響されそうになった自分を律するように指で眉間を押さえて集中していた 周瑜は、そんな自分の動揺を見た孫策の呟きすらも、聞き流していた。  愛紗は、目の前にいる強敵のみに視点を合わせる。  呂布という存在は、ここで命を張ってでも倒すにふさわしい相手。それが、愛紗から見 た呂布という武人だった。 「呂布よ、我が命をかけた一撃、受けるがいい!!」  愛紗は精神を鋭敏にし、最高の一撃を放つため地面を踏み込む。呂布もそれに合わせて 姿勢を変える。  そして、互いに飛び出そうとしたところで、間に一人の人物が現れた。 「ちょっと、待ったぁぁ!」 「!!」 「な、一刀殿!」  北郷一刀だった。急に止まったため、愛紗は思わず倒れそうになる。それが隙となると 思い、慌てて視線を移すと、呂布は立ち止まっていた。  何故か攻め込んでこなかった呂布に、愛紗が違和感を感じていると。 「…………誰?」 「俺は、北郷一刀。幽州を治める公孫賛の元で世話になっている」  首を傾げながら尋ねる呂布に、一刀が律儀に答える。 「れ、呂布……もう戦うのは、止めてくれないか?」 「……退けない」  一刀が、真剣な表情で呂布と見つめ合っている。先程まで目の前に立ちはだかる者を躊 躇無くなぎ払ってきた呂布を見ていた愛紗には意外に見える。 「それは、やっぱり守るためなのか?」 「……」  一刀の質問にこくりと頷く呂布、本当に素直に応じている。やはり何かがおかしいと感 じる。 「なぁ、"彼女たち"は俺が何とかするって言ったらどうする?」 「……月のこと?」 「あぁ、そうだ。それと、彼女を大事に思っている人もだ」 「…………信じられない。…………それに、他のみんなも……守らないといけない」  呂布と一刀は、何かを話しているようだが、愛紗にはその意味が分からない。 「そうか……なら、約束しよう」 「…………約束?」 「そうだ。俺はあの娘たちを何とかする。だから、君は守るべき人たちを連れて逃げてほ しい」 「…………わかった」  一刀の提案に素直に頷いた呂布は、武器を下げた。それに合わせて呂布の後方から砂塵 が舞い上がる。同時に、呂布の周辺に火矢が突き刺さり辺りに燃え渡る。 「恋殿!今が機ですぞ!」 「……わかった。行こう、ねね」  呂布の元に、一人の少女が現れ彼女を連れて行こうとする。それに続いて呂布が振り返 り、駆けだそうとして顔だけこちらに向ける。 「もし……約束を破ったら」  ぽつり、ぽつりと呟く呂布。一刀はそれを黙って聞いている。 「……お前の首を貰う」 「あぁ、約束だ」  一刀の返事に満足した呂布は、一気に駆けていき、その姿は火に紛れて見えなくなって いった。  すぐに、近くにいた兵を、消化作業に移らせる。その間、愛紗は一刀に近づいた。 「一刀殿、お見事です」 「ん、何のこと?」 「呂布を丸め込んだことですよ。よくあのようなことが出来ますね」 「いや、あれは相手があの娘だから出来たんだよ」  その時の一刀の瞳は、ここではないどこか遠くを見ていたように愛紗は思った。 「ですが、何故私の攻撃を中断させたのですか?」 「ん〜まぁ、どっちにも死んで欲しくなかったからかな?」 「しかし、私はここであやつを倒せるならこの命惜しくはありませんでした」 「……駄目だ。そんなの駄目だ!」 「!? え?一刀殿?」  突然、一刀が声を荒げ、愛紗は驚き動揺する。今まで、一刀がここまで感情的になるこ となど見たことが無かったからだ。 「……ここで、愛紗を失えば、桃香が悲しむだろ?」 「…………一刀殿」  感情的になったのは一瞬で、すぐに静かになった一刀が愛紗に優しく語りかける。愛紗 は、その言葉は事実を述べているが、そこに一刀の真実は無いようにに思えた。  何故なら、一刀の瞳が――愛紗を見つめるその瞳が、愛紗を失う可能性に対する悲しみ で満ち溢れていたように見えたから――。  張遼の心は揺れていた。その原因は目の前にいる人物――華雄だった。  張遼の頬を一筋の汗がつたう。先程、華雄に傷を負わせ、張遼は有利になったはずだっ た。しかし、気がつけば、押され始めている。 (何でや……何で華雄の動きに迷いが無いんや?)  不思議でしょうがなかった。味方を裏切り敵に付いたのなら普通は攻撃にしても迷いが 生じるはずである。しかし、華雄の放つどの一撃にも迷いなど見えず、真っ直ぐな軌道を 保っていた。むしろ、それだけの実直さを貫き通す華雄に、張遼のほうが迷い始めていた 。自分が何かを見落としているのか、はたまた、勘違いをしているのか、自分の選んだこ の道が間違っているのだろうかと。 「くっ、本当に裏切ってないっていうんか……」  理解しきれない現状に張遼は、思わずぼやく。対峙する華雄を見やるが、やはり隙など 無い。むしろ充実しはじめているように感じる。 「ふぅ、どうした。張遼」 「何でもあらへん。行くで華雄」  未だに真っ直ぐな視線を向けてくる華雄を見て、張遼は、迷いを捨てる。ここで余計な 想いを抱けばそれが隙を作り出す。故に張遼も華雄をただ真っ直ぐ見つめる。  自分にも譲れないものがある。大好きな者たちのため、目の前にいる"敵"に負ける訳に はいかない。  そして、張遼は散漫だった集中力を高める。ただ勝つためだけに。 「やるっきゃないんやな」  その呟きが風に乗るよりも速く、張遼は駆け出す。  華雄がその動きに対応して肩越しに戦斧を振り下ろす。  張遼は、腰をかがめ、その刃をくぐり抜け、内側へと滑り込む。  張遼の体によって斧を引き戻すことが出来ない華雄に隙が生じる。  その華雄の体を張遼は、薙ぎ払おうとする。  しかし、華雄は更に前に踏み出し張遼に頭突きをかました。 「ぐぁっ」 「つぅ」  踏み込まれたため、張遼の一撃はまともに当たらず、華雄の脇腹に柄の部分で殴りつけ ただけになってしまった。そして、柄を華雄につかまれる。  互いに武器をおさえることで動けなくなる。  どうしたものかと、張遼が考えていると。離れたところで陳宮の声が聞こえた。どうや ら火計を使い逃走を図るようだ。そこで、気になる呂布の方をちらりと見る。 「な、何や……あれ」  そこには信じがたい光景が移っていた。先程、華雄の側にいた男が呂布の前に手ぶらで 立っている。それに対し、呂布も構えをといている。  それから何事かを話した後、火計が行われ逃走を始める呂布が火の隙間から見えた。対 峙していた男に負傷など一切なく、呂布が大人しく退いたことが伺える。  張遼は、思わず視線だけでなく顔もそちらに向けてしまう。それが失敗だった。  瞬間、空と大地と男がぐるりと回る。いや、正確には張遼の体が回っていた。   動揺した隙に、華雄に足払いで投げ飛ばされたことにようやく気付く。そして、気がつ けば空を見ていた。  仰向けになった張遼の首筋に、華雄の戦斧が突きつけられる。 「これで、終わりだ張遼」 「はぁ、油断してもうた」  諦めのため息を吐く張遼。きっと、もう自分は助からない。張遼は覚悟を決める。 「さて、お前には大人しくついてきて貰おうか」 「は? 何をいってるんや?」 「お前には真実を知って貰う必要がある。というか、それからどうするか考えろ」  華雄が張遼の槍を拾い上げ、抱えると同時に戦斧を引っ込める。妙にあっさりと身を退 いた華雄に、張遼は首を傾げる。 「ま、ええわ。あんたの指示に従おうやないか」  これで、華雄が真っ直ぐな目をしている理由を知ることができるかもしれないと思い、 張遼は、しばらく付き合うことを決める。 「それと、お前の隊の兵も預けてもらうぞ」 「わーてるって。悪いけどまかせるで」  他の兵たちと共に逃げず、未だ呆然としている兵たちの一人に、張遼は、隊の残存兵た ちへの伝令を任せると、その兵は勢いよく返事をして駆けていった。 「さて……何が待っとるのか楽しみやな」  張遼は、せめてもの強がりを口にしながら華雄の背を追った。  戦場から、多くの兵たちが駆けている。その先頭には二人の少女がいた。 「さぁ、もうすぐ逃げ切れますぞ……って恋殿?」 「……………………」  少しでも、気分を明るくさせようと思ったのか、陳宮が語りかけてくる。だが、今の呂 布には、それに反応する余裕は無かった。 (あの人は誰? 北郷。それは分かってる。でも、何故…………あんな目をしていた?)  呂布には、先程戦いに乱入してきた男――北郷が気になっていた。全力で攻撃を繰り出 そうとする愛紗に対して、呂布も全力で相手をしようとしていた。  その間に入り込むなど、自殺行為である。にもかかわらず止めるために入ってきた。最 初は、向こうの三人を心配しているのだと思った。  だが、彼が呂布の方を向いたときにそれが違うことに気付いた。劉備軍の人間を見るの と同じような目で自分を見てきたのだ。  まるで、愛しいものをみるような、それでいてどこか哀しそうな瞳で見つめてきた。  故に、何者なのだろうかと思ってしまう。名前が北郷であることも。幽州から来た人物 であることもちゃんと分かっている。しかし、それでも誰なのだと思う。 「…………それに」 「恋殿?」 「…………何でもない」 「??」  呂布が、思わず口に出してまい、陳宮が不思議そうに顔を覗いてくる。普段と変わらな い顔でごまかすと、陳宮は、首を傾げながらも納得する。 (それに、北郷一刀…………あの姿を目にすると胸がキュンってなる)  今まで感じたことのない感覚。それ故、彼女にはわからない。その感情が何であるのか など。そして、彼女自身気付いていない。その感情もあったから、素直に一刀の言うこと を聞いていたことに――。  呂布隊が退いた事で、連合軍は勢いを取り戻す。そして、気がつけば最も活発に動いて いた曹操軍が虎牢関を落とし、一番乗りを果たした。  それに続いて、連合軍が続々と虎牢関へと入城していく。もう対抗する兵は一人もいな かった。  「ようやく、虎牢関の戦いも終わりか……」  劉備軍に続き、虎牢関入城を行いつつ、一刀は戦場だったところに広がる凄惨な光景を 見やる。多くの兵や馬が倒れ、各軍の旗や、武具が散らばっていた。  そして、周りの兵たちが慌ただしく動く中、一刀は人知れず緊張をしていた。この虎牢 関を超えたことでもう後は洛陽を目指すだけなわけで、一刀の目的ももうすぐ達成しよう としている。  そこまで考える中、もう一つ気になることがあった。華雄のことである。張遼の相手を するといったまま、未だ帰ってきていない。 「どうかしましたかな?」 「いや、華雄はどうしてるかと思ってね」  隣にいる星が、気になったのか尋ねてきたのに対し、素直に返す一刀。 「きっと戻ってくるでしょう。だから、安心なされよ、主」 「そ、そうかな?」 「ふ、少なくとも私だったら、主の元へならば、何があっても戻りますぞ」 「はは、嬉しいことを言ってくれるな、星」  一刀は、しれっと、好意を表してくれる星に思わず照れる。 「まぁ、戻ってくると信じて待つしかないか」 「そうですな。我らはただやることをしておくとしましょう」  星が他の兵の元へと向かい作業に参加する。一刀は、もう一度、戦場から虎牢関へと向 かってくる兵たちを見やり、一呼吸すると、すぐに星の後を追うのだった。  多くの兵が動き回っている中、張遼は、自分の隊の残存兵を引き連れ、連合軍の中を華 雄の後に続いて進んでいた。  しばらく進み、華雄が一つの隊と合流する。張遼たちもそれに続き、その中枢部に進ん でいく。  その中にいる一人の人物に、華雄が声を掛ける。 「北郷」 「おぉ、華雄! 無事だったんだな?」 「あぁ、張遼を連れてきた。"あの話"をしてやってくれ」  華雄が男――一刀に声を掛ける。振り返った一刀は、満面の笑みで華雄を迎える。本当 に華雄が戻ってきたことを喜んでいるようだった。彼をよく知らない張遼から見てもそれ がわかる程である。だが、会話の中で華雄の言った"あの話"といものの内容がなんなのか はわからない。  ただ黙って、成り行きを見守っていると、一刀が張遼に近づいてくる。 「分かったよ、華雄。……張遼だね。俺は、北郷一刀、よろしく」 「張遼、字は文遠や」 「それじゃあ、張遼、それと華雄もちょっといいかな」  一刀が、張遼の方を見て、手で促す。近づくと、華雄共に肩を抱かれ、円陣を組まされ る。よっぽど、周りの耳にいれたくないことなのだろうか?  そんなことを張遼が考えていると、一刀が懐をあさる。 「えぇと、あった……これを見て欲しい」 「なんや、これ?」  二つの書簡を渡される。 「こ、これは!」  華雄の手を借りながら、一つを開き、驚く張遼。そして、恐る恐る二つ目を開く。 「なっ!?」 (なんやコレは! この兄ちゃん、本気でこんなこと考えとるんか?)  驚きに目を見開いたまま、一刀の方を見る。一刀は、ただ黙ってこくりと頷くことで、 その返答をしてきた。 「そ、そうか…………それで、華雄は"事情"があるってゆうてたのか」 「あぁ、分かっただろ"事情"が」 「しかし、これだけじゃ、信じきることも出来へんやろ?」  実際、驚いたし事実ならば張遼にとっても嬉しいと思う。しかし、だからといってすぐ に信用できる訳でもない。  ならば、華雄はどうして信用できたのか。張遼には、それが疑問でならない。書簡を一 刀に返す張遼が訝っているのに気付いたのか、一刀が口を開く。 「あぁ、それはさ、俺の首をかけることで信用して貰ったんだ」 「な! アンタ、本気で言っとるんか?」 「張遼、この男は本気だ。だからこそ、私をずっと近くに置いているのだ。北郷の言葉が ウソだったときに、首を落とせるようにな」 「はぁ〜、アンタも変なやっちゃなあ」 「はは、よく言われるよ」  あまりにも馬鹿げた言動に張遼が呆れると、一刀は、頭を掻きながら、苦笑いをする。 「で? この後どうするつもりなんや?」 「そうだな、華雄が張遼を連れてきてくれたのは助かったかな」 「? どういう意味だ?」  一刀の言葉に、首を傾げる華雄。張遼もよく分からない。どういう意味かと、視線で一 刀に問いかける。 「いや、どうせなら張遼には、一足先に洛陽に行って貰おうかと思う」 「はぁ!? 自分が何を言うてるのか、わかっとるか?」 「あぁ、神速の張遼ならどの軍よりも速く辿り付けると思うんだけど、どうかな?」 「そら、ウチやったら誰よりも先につける自身はある……そやけど、ウチが逃げるとか思 わんのかいな」  あまりに不用心な発言に、張遼は呆れを通り越して、むしろ興味がわいてきている。こ の男は、どこまでお人好しなのだろうか、どこまで馬鹿なのだろうか等、色々なことが張 遼は気になり始めていた。 「う〜ん、そうだな……俺としてはゆ、董卓たちが無事なら問題ないんだ。だから、董卓 たちを連れて逃げてくれるなら、別にそれも構わないと思ってるんだ。なにせ、俺の第一 目標は、董卓の命の無事だからね。まぁ、俺としては洛陽から逃げた後のことが心配だか ら保護したいと思ってるんだけどね」 「…………はぁ、ようわかった。アンタは阿呆やろ」 「いやいや、何故いきなり貶されなければならないんだ?」 「いや、私もそう思うぞ」 「華雄まで……」  張遼の言葉を否定しようとした一刀は、華雄にツッコミを入れられ項垂れる。それを見 て、張遼はやはり面白い人間だと思った。 「まぁ、ええわ。ウチが先に、保護しに行く」 「ありがとう。張遼」 「それでや、ウチの隊の残存兵をアンタに預ける」 「え? いや別にいいんだけどな」 「いや、約束をする上での、ウチからの証みたいなもんや。素直に受け取っといて欲しい んやけど、どや?」  一刀が、徳を持って本当に助けるつもりである以上、それに対して義で応えるのが張遼 の素直な思いである。 「分かった。張遼がそう言うなら、一応預かる。よし、これで決まりだな」 「そうやな」 「それじゃあ、時期を見て頼むよ」 「あぁ、まかしとき」  互いににやりと笑い合う。張遼は、何となく彼女たちが一刀に保護されるのも良いのか も知れないと密かに思うのだった。  それから、張遼は一刀の側に居るよう言われ、側に居た。何でも側で大人しくしていれ ば連合内部に誤った情報が流れるらしい。  それによって、華雄も降ったという事実の無いまま。降ったと連合中から認識されてい るらしい。一刀は、それを張遼でも行うつもりでいるようだ。  それを聞いた張遼は、ようやく華雄が言っていた"降ったわけではない"という言葉の意 味を理解することが出来た。  一刀の、無理矢理従わせようとしていない行動が、何故か自分の興味を引き出していく 。そして、そんな変化が、張遼にこのまま彼の側に居るのも悪くないかもと思わせ、それ が張遼には、とても不思議だった。もしかしたら、華雄も同じような想いを抱き、徐々に それが強まってきたのだろうかと考える。実際、華雄を見たとき、あの少女への想いだけ でなく、別の想いも含まれているように思えた。 「ま、今はどうでもえぇか」  難しく考えるのを止め、一刀の方へと歩み寄る張遼。 「ん? どうかした?」 「いや、とりあえず挨拶をしよう思てな。よろしゅう」 「あぁ、よろしく」  張遼の挨拶に笑顔で返す一刀。その笑顔はどこか、この争乱の中心にいる少女と似て、 どこか暖かみのあるもののように感じた。 「そういや、この事知っとるのはアンタだけなんか?」 「いや、白、公孫賛も一応、知ってる。それと」 「私も存じているぞ」 「アンタは確か趙雲やったな」 「あぁ、そうだ。よろしく頼むぞ。神速の張遼殿」 「はは、そない大層なもんやないって。昇り龍殿。なはは」  互いに、通り名で呼びあって笑い合う。張遼は、星に対し、一刀とは違った意味で面白 いと思った。  それから北郷隊は、他の軍と同じように虎牢関をすぐに出発した。規模が小さい隊だっ たからなのか、北郷隊は、他の軍よりも比較的速く移動することが出来ていた。  そして、洛陽が近づいたとき、張遼が出発の準備に入る。 「よし、これで完璧や。もう出発可能や」 「そっか、それじゃあ頼む」 「おう、まかしとき。そっちこそ、"場所"を間違えたりせんようにな」  真剣な表情で語りかける一刀に、張遼はいつもの笑顔で返した。 「くれぐれも董卓様のことを頼むぞ」 「あぁ、必ずアンタと再会させたるからな」  そして、洛陽の方を向き、張遼は駆け出す。大切な者たちを迎えに行くために。  洛陽の市街を二人の少女と数人の護衛が駆けていた。  息も絶え絶えな少女が、もう一人の少女に手を引っ張られている。 「はぁ、はぁ、詠ちゃん。私もう」 「はぁ、はぁ、もう少ししたら休みましょう。だから、頑張って、月」  詠が月の手を改めて握り直し、声を掛ける。すぐに月も頷き二人して再び走り出す。  それから、しばらく走り続け、裏路地に入ったところで一息つく。 「しかし、虎牢関まで落ちるなんて……」  詠は、先程受けた報告を思い出す。ある程度耐えてくれていたようだが限界を迎え、そ れぞれが撤退したらしい。 「……はぁ、とうとう私たちだけになっちゃったね」  月が俯く。その瞳には光るものがある。震える頭を撫でながら宥める詠。 「大丈夫、みんな無事みたいだから。それに、月の側にはボクがいるもの」 「うん…………ありがとう。詠ちゃん」  そっと目元を拭い、笑顔を見せる月。詠は、その顔を見て、絶対に彼女を守ってみせよ うと改めて決意する。  ほんの少し、穏やかな空気が流れる中、複数の足音が近づいてくる。慌てて身構える護 衛。詠と月も身を固くする。そして、曲がり角から足音の主が現れる。 「はぁ、はぁ、ちょっと! ちぃたちを置いてくんじゃないわよ!」 「ぜぇぜぇ、、地和姉さん、あまり大きな声を出さないで」 「ひぃ、ひぃ、ふぅ。やっと追いついたよ」  そこに居たのは、張三姉妹だった。大分前に董卓軍が保護をしたのである。 「あ、あんたたち、何で?」  驚いた詠は、ずれた眼鏡を直すのも忘れて尋ねる。 「たまたま、この街に戻ってきていたの。そしたら、随分とまずいことになってるって耳 にて。それで、街中を探しいる時にあなたたちを見つけたから追いかけてきたの」  詠の疑問に、三姉妹の頭脳である、三女の人和が答えるが、その答えは、詠を納得させ ることが出来ていない。 「何を言ってるの? 何でボクたちについてきたのよ」 「私たちは、あなたに雇われている身。というのもあるのだけれど、私たちは、個人的に あなたたちが好きだから、最後まで付き合おうと思ったの」 「みんな……」  人和の言葉に、月が目を潤ませる。 「そう、わかったわ。その代わり後悔しないでよ」  詠は、呆れたようにため息をはく。だが、内心では嬉しいとも思っている。もちろん詠 は、表にはだすつもりはないのだが。  詠の言葉に、三人は元気に返事をする。それを見て、笑顔を浮かべる月。 「…………ありがとう」 「え? 何か言った?」 「ふふ、何でもないわ」  本音をぽつりと呟く詠に地和が聞き返してきたが、もちろん二度言うつもりはないので ごまかした。 「さ、だいぶ休憩もできたし、そろそろ行きましょう」  四人の方を伺い、歩き出そうとする詠。すると、再び足音が近づいてくるのに気付く。 今度は、複数ではなく一人のようだ。 「ちょっと待って、誰か来たわ」  護衛が前に出てくるのに合わせて、詠が下がる。その背に月を隠すようにして、身構え る。そして、誰かが角から現れた。 「ここにおったんか!」 「霞!?」  意外な人物の登場にその場の誰もが驚く。 「はぁ、よかった……まだ無事みたいやな」 「どういうこと? あんた確か虎牢関で討たれたって聞いたわよ」 「ん? まぁ、敗れはしたんよ。で、問題はその後や」  時間がないためか、慌てた口調で喋る張遼。その様子は、敵の手下になったようには見 えない。 「実はな、連合軍の中に、月たちを保護したいって言う奇特な奴がおるんや」 「はぁ!? 本気でそんなこと言ってるわけじゃないわよね?」 「いや〜これが、本気も本気、これでもかってくらいに本気や」  何がおかしいのか、にこやかに笑う張遼。それが、詠の心をより一層苛立たせる。 「あんた馬鹿なんじゃないの! そんなの裏があるに決まってるわ!」 「…………それに関してはウチからは何とも言えへん。ただ、そいつの側には華雄がおる ……あの華雄が」 「え! 華雄が?」  衝撃の事実に、月が思わず口を挟む。それも致し方ないと詠は思う。  何故なら、上がってきた報告では、華雄は水関で討ち取られたとされていた。月はそ れを大いに悲しんでいた。その華雄が生きているというのだから驚くだろう。  だが、詠は別の意味でも驚いていた。何せ、華雄が敵将の側にいるなど、彼女を知る者 からすれば天変地異の前触れではないかといっていいほどのことである。それ程に、華雄 は月に対して忠誠を誓っており、義に熱い人間だったことを誰もが知っているのだ。  詠が、そういった理由から唖然としていると、月を宥めている張遼が話を再開する。 「あぁ、月を助けるんだって騒ぎたいのを抑えて大人しゅうしとる」 「そう……でも、やっぱり信用できないわね」 「なら、どうしてウチが今ここにおるのか、わかるか?」 「…………わからないわ」 「そいつの考えは、何よりも月たちの無事を優先したいそうや」 「どういうこと?」 「実は、ウチだけが一足先にここに来たんや。そん時、尋ねたんや、『ウチが逃げたらど うする?』ってな。そしたら、今言った通りで、月たちの無事が優先事項だから月たちを 連れて逃げるなら構わないっていったんや。そんな奴がおるなんて信じられるか? 信じ られへんやろ。それくらい、アイツは阿呆や、というか、阿呆としか思えないほどにお人 好しなんや」 「…………」 「それに、洛陽を捨て、涼州に逃げるつもりなんやろうけど、もし、実際に無事逃げれた としてもその先はどうするんや? ずっと逃げる事なんてほぼ確実に無理や、間違いなく 追い詰められる。そして、結局、安全な暮らしなんて得られへんはずや」 「…………」  張遼の言葉に、詠は何も言い返せない。何故なら彼女の言葉が正しいと言うことを詠は 理解しているから。 「なら、やっぱ保護してもらえばええんやないか?」 「はぁ、霞には負けたわ。とりあえず、そいつとは会ってみるわよ」 「よっしゃ、ほな、ここから立ち去るとしよか」  張遼が背を向けて、角から様子をうかがう。安全を確認したのか手で招き寄せる。  張遼は、詠たちから僅かに距離を取り、先行する。それに、護衛、詠、月、天和、地和 、人和、残りの護衛の順で続く。  街の様子が先程までと比べ落ち着いている。どうしたのかと辺りをうかがうと、別の地 区から炊き出しの煙と香りが上がっているのが見える。どうやら、連合軍の一部が洛陽に 入城してきたらしい。  よく見れば、他の地区も騒がしい。どうやらそちらにも連合軍がいるようだ。  それらを頼りに、張遼が慎重に道を選んでいく。そうして選んだ道を駆け抜ける。そし て、再び裏路地に入ったところで立ち止まる。 「どうしたの?」 「ん? あぁ、ここで待ち合わせの予定や」 「成る程、それじゃあ、後はここで待ってればいいのね」 「あぁ、取り敢えず息を整えてゆっくり待つとしようや」  張遼の口調は、軽いのだが、実際には入り口を警戒している。自分たちを気遣いつつも 、守ることもわすれない。詠は、この時ほど、本当に自分たちの周りには良い人たちがい たのだと実感したことはなかった。  それから、しばらく落ち着いていると。複数の足音が近づいてきた。それを耳にした張 遼が、表情を引き締め構えを取る。 「張遼、どうやら保護できたみたいだな」  現れたのは、白く、陽の光を反射する服を着ている青年だった。 「あぁ、ちゃんと連れてきたで」 「ありがとう。張遼」  張遼に頭を下げる青年が詠たちの方へと近づいてくる。 「さて、俺は北郷一刀。現在、訳あって公孫賛軍の元で世話になってる。で、董卓と賈駆 でいいんだよね?」 「…………」  名前で確認をとろうとする一刀をじっと見たまま詠は黙る。ここにきて、油断をして捕 まったでは笑い話にもならないからだ。そう考え、詠は、さりげなく、一刀と月の間に立 つように位置取りをする。 「そんな怖い顔で睨まないで欲しいな賈駆ちゃん」 「ちゃんづけで呼ぶんじゃないわよ!」  妙な呼ばれ方をして、思わず怒鳴り返してしまう。すぐにその反応が自分が賈駆である ことを証明していることに気付き、はっとなるがすでに襲い。慌てて顔を向けると、目の 前の一刀は、にやにやと笑っていた。 「それじゃあ、賈駆でいいんだな。それと、そっちが董卓ちゃんだね?」 「ち、違う! ボクが董卓よ!」  意味をなさないと分かっていても月を庇うことを止めない詠。そんな詠を一刀が見つめ る。その瞳はどこか微笑まし気だと詠には思えた。 「大丈夫だよ、賈駆。君の大切な董卓ちゃんに酷いことをするつもりはないから」 「…………」 「賈駆、安心するがいい。北郷が何か危害を加えようとしたら、私が首を切り落とす」 「華雄!」  一刀の背後から、現れた華雄の姿に、月と詠の言葉が重なる。今まで詠の後ろにいた月 が華雄の元へと歩み寄る。そして、近づく華雄をそっと抱きしめた。 「華雄、無事だったのですね」 「はい。申し訳ありません、董卓様。私は水関を守れませんでした」 「いいのですよ。貴方が生きていてくれただけで私は嬉しいのですから」 「有り難きお言葉」  華雄が月をそっと抱きしめ返す。月の瞳から一筋の雫が流れ落ちた。それを見て、詠は 覚悟を決める。 「分かったわ。あんたに保護して貰うことにするわ」 「ありがとう、賈駆。でも、その前に取り敢えず、やっておかなきゃならないことがある んだ」 「やっておくこと?」 「そう、ここ洛陽にて、暴君董卓の始末をする」 「あんた!」 「貴様!」 「落ち着き、二人とも。まだ、詳細を言うとらんやないか」 「……」  怒り狂いそうになる詠と華雄を張遼が宥める。詠は、月のことが絡むとどうしても冷静 でいられなくなる。こればかりは、詠自身、自覚はあるが直すことが出来ない。  対する一刀は、苦笑いを浮かべていた。取り敢えず自分たちが落ち着くのを待っていた ようだ。 「ごめん、勘違いさせちゃったね。俺が言いたいのは、暴君董卓という幻想を殺すってこ と」 「成る程、そういうことね」 「む? どういうことだ?」  詠はその説明で納得する。張遼たちも納得しているようだったが、華雄だけはよく分か っていないようだ。それを無視して一刀は語り続ける。 「幸い、連合の中で董卓ちゃんの顔を知っているのは俺と後は、きっと数えるほどしかい ないみたいだった。だから、ここでその名前だけ死んで貰うことにする」 「あぁ、そういうことか。ん? なんだお前らその目は」  今更、言葉の意味を理解する華雄に哀れみや呆れの目が向けられる。無論、詠の視線は 、両方を含んでいる。 「だから、董卓ちゃんにはその名前を捨てて貰って偽名でも名乗って貰おうかと思う」 「それじゃあ、ボクの賈駆という名前は?」 「あぁ、それは取っておいてくれ」 「へ?」  予想外の返答に、詠は思わず言葉を失う。予想では、董卓、賈駆を討ち取ったとすると 思っていたからである。  董卓を討ち取ったと言えば名を上げることが出来る。その上、同じく中枢人物である賈 駆を討ち取ったと言えば、さらに名を上げることが出来る。  自分たちを助ける代わりにそれくらいは求めると思っていたが、違うと言われた。詠に はもう、一刀が何を考えて保護しようとしているのかが分からなかった。 「賈駆には、そのまま軍師賈駆として、俺を手伝って欲しい。まぁ、これを俺が君たちを 救う理由の一つだとでも思ってくれればいい。それと、ほとぼりが冷めた時に、その名前 があればどこにでもいける。だから、名前はそのままで良いんだ」 「あんた、一体何なの?」  詠は、一刀が未来のことまで考えていることに驚く。しかも、その言い様は、保護はす るが、いつか去りたくなったときに去っても良いと言っているようなものなのだ。  ここまで話して、詠は、先程張遼が阿呆としか思えないほどのお人好しと言っていた意 味を実感した。 「良いかな? 董卓ちゃん」 「はい…………」 「ありがとう。それと、大変だったね」  一刀が、体をかがませて視線を月に合わせて話しかけた。そして、月の頭をなで始める 。詠は、それを見て妨害しようと思ったが、月に違和感を感じて止めた。 「ぐすっ、あれ? なんでだろう? 安心したら涙が」  月の瞳からぽろぽろと雫が落ちていく。詠には、それは、今まで溜めていた分だけ出て いるように思えた。改めて、自分の判断は良かったのかも知れないと思いつつ、月を見て いると、一刀が月をそっと抱きしめた。 「うん、もう大丈夫だからさ。思いっきり泣いて良いぞ」 「ふ、ふぇぇ」  一刀の優しい声、言葉によって月は、一刀の服をきゅっと掴み更に涙を流す。そんな、 月を見る一刀の瞳がどこか哀しげな光を宿している、詠にはそう見えた。 「……ごめんな」 「ふぇ?」 「………………俺はさ、君たちが悪くないことは知っていたんだ。なのに、出来たことと 言えばこうやってギリギリの所を救うことだけ――」 「それ以上、ご自分を責めないで下さい」  一刀がぽつり、ぽつりとその場に居る者たちに対して、謝罪の言葉を告げていくが、そ れを、いつの間にか泣き止んだ月が遮る。詠も、月の言葉に同感だった。詠には、今回の 騒動に立ち向かうことの厳しさが分かる。自分だって月に仕える身として、正しいと思っ たことでも月に危険が及ぶようなことはさせない。一刀もまた、公孫賛という大事な人の ことを思い、迷惑を掛けたくなかったのだろうということが、詠にはなんとなく理解する ことが出来た。 「私は、北郷さんが危険をおかしてまで助けに来て下さったことにとても感謝しています 。だから、どうかそんな泣きそうなお顔を見せないで下さい」 「はは、慰めていたはずなのに俺が慰められちゃったな」  いつの間にか、頭を撫でる側と撫でられる側が入れ替わり、月が一刀の頭を撫でていた 。それを見た詠は、相変わらず優しい娘なのだと実感していた。 「変なところを見せちゃったな。さて、それじゃあ、星。噂の件、頼めるかな」 「うむ、任されよ」  一刀の頼みを引き受けた女性が、街の雑踏へと消えていった。 「さて、それじゃあ……えぇと、董卓ちゃんの偽名はどうするかな」 「あの…………月でいいです」 「え? それって真名なんじゃないのか?」 「はい、でもいいんです。助けて貰った御礼と思って下さい」 「う、うーん。俺は御礼として受け取るって言うのもどうかと――」 「せっかく、月が言ってくれてるんだから、あんたは黙って受ければいいのよ!」  月の言葉に、うだうだと言っている一刀に、詠が怒鳴りつける。 「わ、分かった。それじゃあ、喜んで呼ばせて貰うよ、月」 「はい!」  一刀に、真名を呼ばれ、月が嬉しそうに微笑む。それを見て、詠の心の中に複雑な想い が過ぎる。 「ボクの事も詠って呼んでいいわよ」 「え?」 「だから、あんたに真名を預けるって言ってるのよ」 「いいのか?」 「いいって言ってるでしょ! 受けなさいよ!」  アホみたいにぽけっとした顔をしている一刀を急かす詠。 「わ、わかった。それじゃあ、詠。よろしくな」 「ふ、ふん! 言っておくけどボクは、月だけ真名を預けさせるのが可哀想だから預ける んだからね。勘違いするんじゃないわよ。ボクはアンタに懐柔されたりなんかしないんだ から!」  なんとなく気恥ずかしくて顔をそらす詠。その頬が照れて朱くなっているが気付いてい ない。 「ほぅ、ならウチも預けとこか。ちゅうわけで、霞や」 「ありがとう、霞」  詠に続いて、張遼が一刀に真名を預ける。それを華雄が複雑そうな瞳で見詰める。 「その、なんだ、ちょっと事情があってな。私には真名というものが無い。悪いな」 「いや、俺も無いし、気にする必要は無いぞ」 「そ、そうか。それならいいんだが」  一刀が笑顔を浮かべて気にしてないと強調する。それを見た華雄はほっとしたようだ。 「あ、ねぇねぇ、私たちもつれってもらえるのかな?」 「え、えぇと君たちは?」 「あ、私は、天和。えっと、妹たちと一緒に歌を生業としてるの」 「で、わたしが妹の地和。よろしくね!」  地和がウインクをするが、一刀はただ微笑を浮かべるだけだった。詠には、その反応を 見た地和が、ほんの少しむっとしたように思えた。 「私は人和。それで、どうなんですか?」 「ん?あぁ、もちろん構わないよ。かわいい子が多い分には悪くはないからね。はは」  本気とも冗談とも取れない発言をして一刀が笑う。詠が、それにツッコミを入れようと すると、一刀が笑みを浮かべたまま詠たちを見る。 「それじゃあ、俺のことも好きに呼んでくれて良いから」  一刀が、真名を預かったことに対して呼び名の自由をもって返してきたのと同時に、先 程の女性が戻ってくる。 「主、噂を流してきました。それと、そろそろ袁紹たちがまた無茶をしようとして居る様 子。急いだ方が良いかと」 「分かった。それじゃあ、すぐ行こうか」  そして、女性を先頭に街の中にある公孫賛軍の陣へと向かった。  その道中、煌びやかな鎧を身に纏った兵たちと出くわしてまった。どうやら、袁紹軍の 兵のようだ。 「おや、公孫賛軍の北郷殿ではありませんか。む、その者たちは?」 「あぁ、この人たちは街の住民だよ。俺が保護したんだ」 「…………住人にしては服装がすこし派手な気がしま――」  その兵は、言葉を最後まで口にすることはなかった。兵たちの後方から砂塵を舞い上げ て走ってくる何かが、兵たちをはじき飛ばしたのだ。 「あらん? ごめんなさいね。わたしったら、慌てん坊だから。うふふ」  その何かが砂塵の中から姿を現した。 「あら? そこにいるのは、月ちゃんに詠ちゃん、霞ちゃんに、華雄ちゃんもいるじゃな いの! それに役満姉妹の三人じゃない。よかったわ〜合流できて」 「ちょ、ちょっと。あんたどこ行ってたのよ!」  詠は、いつの間にか姿を消していた紐パン一丁の筋肉達磨に語気を強めて、尋ねる。 「あらあら、詠ちゃんってば、再会できて嬉しいのは分かるけど、そんなに興奮しちゃだ 、め、よん。うふ」 「くぅぅ」  詠は、体をくねくねとさせて、ウインクをしてくる筋肉達磨に怒りを覚え、コブシを握 りしめた。 「まぁ、実際のところ、"あの二人"を知人に預けてきたのよん」 「まさか、劉協たちを? その知人って大丈夫なの?」 「わたしが信頼を置いている漢女だから大丈夫よ」  筋肉達磨が、重要なことをしていたこを知ったことで詠は、握りしめた拳をゆるめた。 「……あら、そこにいるのは」  そう言って、筋肉達磨が一瞬で後ろを向いていた一刀の前に回り込む。 「げっ!」 「やっぱり、愛しのご主人様じゃないのぉ〜!」 「ぐあぁぁ、やめろぉぉ! 離せ!」  筋肉達磨が一刀を抱きしめる。何故か、めきめきという音が一刀の体から聞こえてくる 。その音を聞いても誰も止めない。何故なら、その場の全員が筋肉達磨の発した『ご主人 様』に動揺していたのだ。 「いい加減に離さんか!」 「あぁん、そんなに暴れたら、いやぁん」 「ぐぇ、だ、だが今しかない!」  一刀が、もがき、暴れると何故か、筋肉達磨が急に顔を朱く染める。それと同時に、一 刀の体を、抱きしめている腕から力が抜けているように見える。どうやら一刀もそれに気 付いたのか、その隙をついて脱出をはかり、見事、成功していた。そして、一刀はすぐに 、筋肉達磨から距離を取った。 「ぜぇ、ぜぇ、久しぶりだな」 「そうね。随分と変わったみたいね。ご主人様」 「で? お前も一緒に来るのか?」 「それは、もちろん。愛しの貴方と共に居ることこそ漢女の幸せなんだから」 「そ、そうか……」  どこか、懐かしい人物と再会をしたといった感じで話す筋肉達磨と一刀。微妙に一刀が ひいているのを見て、詠は一刀にそっち方面の趣味があるわけではないのだろうと勘違い を正していた。恐らく、この場の全員が一緒の考えだろう。 「まぁ、いいや。さっさと進もう」  どこか青ざめた顔をしている一刀が仕切り直し、再び、進み始めた。  公孫賛軍の陣では、一人の青年を中心に複数の人物が集まっていた。。 「さて、私は公孫賛、字を伯珪という。よろしくな」  まず、白蓮が自己紹介を始めた。実際、初めて見る顔ばかりでいささか困惑している。 ただ、一刀から事情説明を受け、月たちを保護することには、同意していた。ちなみに、 その際白蓮は、非常に喜んだ一刀に感謝をされ、勢い余った一刀に抱きつかれ、紅潮した りもしてしまった。 (いかん、思い出すだけで恥ずかしい……)  白蓮が自分の世界に入りかけていると、一刀が月たちの方を見やる。 「えぇと、俺の事はさっき説明したし、別にいいよな」 「あの、ちょっと気になった事があるのですが」  一刀が、自己紹介は既に済ましてあるため必要ないだろうと告げたところで、人和が一 刀に質問を投げかける。 「もしかして、北郷さんはあの"天の御使い"なんですか?」 「ん? まぁ、そう呼ばれているよ。実際の俺は、そんなすごくもないんだけどね」  その言葉に、場が騒然となる。元董卓軍の面々の多くが動揺していた。どうやら、そこ に関しては説明していなかったようだ。 「質問はそれだけかな? なら、俺はこれで」  そう言うと一刀は、全体を見回して、質問者がいないことを確認し、話を終えた。 「では、次は私が」  そして、一刀の側にいた星が自己紹介を始める。 「我が名は趙雲、字は子龍。我が主、北郷一刀殿に付き従い公孫賛軍に所属している。こ れから、色々とよろしく頼む」  星が自己紹介を終えると、それに続いて、今度は月たちの番となる。 「えっと、董卓、字は仲穎。真名は月です。董卓の名は捨てるので真名で呼んで下さい。 これからよろしくお願いします」 「賈駆、字は文和。真名は詠よ。月だけを真名で呼ばせるわけにも行かないから、呼んで もいいわ。よろしく」 「張遼、字は文遠や。よろしゅう頼むな〜」 「我が名は華雄。それだけだ。よろしく頼む」  元董卓軍の面々の自己紹介が終わり、張三姉妹と筋肉達磨が自己紹介を始める。 「えぇと、長女の天和でーす。よろしくね」 「次女の地和です! よろしく〜」 「三女の人和です。以後よろしくお願いします」  三者三様な自己紹介な仕方だった。三人の性格がよくあらわれていると白蓮は思った。  長女の天和は明るく元気でどこか柔らかい雰囲気、次女の地和は、利発な感じで可愛ら しい、といった感じだったが、白蓮には裏があるように思えた。所謂、女の勘というやつ である。そして、三女の人和に関しては、冷めているというか冷静な人物だと感じた。  三人の自己紹介が終わったのを見計らい、一刀が、強制的に自己紹介の場を、終わらせ ようとするが、そうはいかなかった。 「うふふ、わたしは貂蝉。この三人の付き人兼、踊り子として、共に各地を回っていたの 。そして、愛しいご主人様の愛の、ど、れ、い。ぐふふ」  目映いばかりの微笑を浮かべる貂蝉の自己紹介が終わり、全員の視線が一刀に移る。当 の一刀は、何やら必死に弁解している。 「違うぞ、俺は普通だ! 女の子が好きなんだよ! 誤解しないでくれぇ!」  一刀の言い分では、知り合いではあるのだが、変な関係ではないらしい。それを聞いて 白蓮は、ほっと息を吐き、安堵するのだった。  全員の自己紹介が終わったところで、次の話題へ移る。  白蓮は、元董卓軍の面々を見据えながら話を始める。 「それじゃあ、今後の事についてだが、まず、華雄、張遼、詠には、うちで働いて貰うわ けだ。で、その配属についてだが」 「うむ、それなら私は北郷の隊に入れ欲しいのだが」 「え? それはまた何故だ。華雄」  話の途中での華雄の申し出に白蓮は戸惑う。そして、この流れになんだか既視感のよう なものを感じていた。 「うむ、私は趙雲に破れた訳だからな、ならばその主につくべきかと思ってな」 「な!?」 「あ、それなら、ウチは華雄に負けたんやし、一刀んとこ行かなアカンな」  華雄の言葉に白蓮が唖然としていると、張遼がにやにやと笑いながら華雄の言葉に続い た。 (また優秀な人材が一刀の元に…………しかも女だし)  白蓮は、思わず愚痴りそうになるが、心の中だけで抑えた。 「ボクは、そうね…………やっぱり、保護されたそいつの隊に行くべきなのかしら?」 「ふふ、そうしたいんでしょ。詠ちゃん?」 「な、ななな何言ってるのよ、月。べ、別にボクはどこでもいいのよ。ただ、恩もあるわ けだからそうするべきかなって……」  詠が、月に必死になって弁解をしているが、その態度で言っても説得力がないな、と白 蓮は思う。そして、一刀の元へ、次々と女の子たちが集まっていることが腹立たしかった 。もちろん、表にはださないわけだが。 「正直、私としては納得出来ない…………だが、確かに今回の一件の責任を取って、一刀 には彼女たちの面倒を見て貰うことにしよう」 「えぇ、俺が?」 「彼女たちもそれを望んでいるようだし、いいんじゃないか?」 「まぁ、みんながそれでいいなら俺としても歓迎だけどね」  そうか、とだけ答える白蓮。誰かから、『ボクは、別に望んでないんだからね!』とい う声が聞こえたが無視した。 「よし、それじゃあ。それで決定とし、次は、と……月の処遇についてだが」 「あのさ、それに関しては俺に案がある」 「ほぅ、それじゃあ、その案とやらを聞かせてくれないか、一刀」 「あぁ、俺が思うに侍女になってもらうっていうのが無難な所だろう」 「うむ、まぁ、確かにそれが無難だな」  一刀の提案に白蓮も頷く。確かに、自分たちの元で保護するとは言っても、ただで面倒 を見る程の余裕はないわけで、何かしら仕事をして貰わなければならない。その中で、最 も、月に出来そうなのは侍女だとは白蓮も思う。だが、納得するものもいれば、しないも のもいるわけで、 「ちょ、ちょっと待ってよ、何で月が侍女なんて!?」  憤慨した詠が、一刀にくってかかる。それを宥めつつ、一刀が説明を続ける。 「いや、それで、月には"詠専属"の侍女になって貰えばいいんじゃないかと」 「へ?」 「ほら、そうすれば、いずれ名軍師賈駆として、どこかの国へと行く際に、専属の侍女と いうことにしておけば、月も一緒に連れて行けるだろ」 「…………成る程、あんたにしては上出来だわ」  その説明に納得したのか、詠が満足そうにする。当人である月の方を見ると、嬉しそう にしている。だが、白蓮には、僅かに残念そうな表情をしているようにも見えた。もしか したら、侍女として世話をしたい相手でもいたのかもしれない。  白蓮がそんなことを考えている間に、月に関する話は終わりを迎え、次の話題へと移っ ていた。 「それじゃあ、役満姉妹の三人なんだけど、ご主人様が面倒を見てあげてくれないかしら 。もちろん、出来るときでかまわないんだけど」 「いや、貂蝉がすればいいだろ?」 「うふふ、そうもいかないでしょ? わたしだってここでは新入りなんだから」 「…………そ、そうか。まぁ、出来るだけするさ」 「うふ、じゃ、決定ね」  貂蝉がにこりと笑い、三姉妹に関する話は、素早く結論を迎えた。何故か自分が口を挾 む間さえなかった。  と、そんな彼女たちの処遇が決まったところで、食事の準備が出来たとの報告が入り、 その日の活動を終えることとなった。  こうして、公孫賛軍に新しい仲間、もとい家族が出来たのだった。  そして、朝廷内の権力争いから始まった争乱は幕を閉じた。  さまざまな要因によって、悲惨な運命に翻弄され続けた少女、董卓――いや、月は一人 の青年の行動により、少し欠けてしまってはいるが、彼女の大切な人たちとの暖かい生活 を取り戻すことが出来たのだった。  その一人の青年は、気付いていない。この一連の戦の中で、彼のとった行動に意味があ ったということに。しかし、気付いていなくとも、やがてその結果が彼の前に現れること となるはずである。  時代は、次の局面へと移行を始める――。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― おまけ 無じる真√N外伝「がんぱれ白蓮ちゃん」 ※お笑い要素が高いです。 ケース1:一刀が桃香たちとともに前戦に出ることになった時 「……」  白蓮はいらついていた。それはもう、私不機嫌です! と言わんばかりだ。おかげで周 りの兵がいなくなっている。ちなみに文官は真っ先に離れた。  そんな中、一人の兵が恐る恐る近づく。 「……あ、あの何を怒られているのですか?」 「むぅ、何だか私はいつもこんな役目ばっかりなきがするぞ……とか思ってなんかいない ぞ! 本当だぞ!」 「……もうわかりましたので失礼します」  白蓮は口では否定しているが、頬をふくらませしかめっ面をしている今の状態では、実 際どうなのか、尋ねた兵でなくとも分かってしまうのだが本人は気付いていない。  そんな白蓮を見て苦笑しながら兵が下がるが、もう既に白蓮の目は兵を捉えていなかっ た。そして、また黙り込んでしまう。 「……」  しばらく、黙ったまま考える。どうにか現状を打破出来ないかと、もとい自分も前曲に 出られないかと……。 「そうだ、私が直接指揮をすると言えば」 「なりません」 「ぐぅ、やってきてすぐ却下はないだろ」  いつも間にか訪れていた文官に独り言を却下され、白蓮は思わず口籠もってしまう。 「いえ、北郷様の元へ行きたいというお気持ちは分かりますが、われわれ本隊の指揮をし ていただかなかればなりません。どうか、そのことをお忘れ無きよう」 「なっ! べ、別に一刀は関係……わかった」  白蓮は、真っ赤になって言い返そうとするが、文官がにこやかに自分を見ているのに気 付き、すっかり意気消沈し、素直に頷き―――もとい項垂れ返事をした。 「さて、それではさっそくお願いしますよ」 「……はい」  にこやかな文官に促され白蓮は公孫賛軍の指揮を開始するのだった。  兵たちが精力的に動いているのを確認して空を仰ぎ見る。 「どうせ……お前は、今頃桃香たちと……」  そこで、一旦、瞳を閉じる。辺りで作業を行っている部下たちの喧噪が聞こえる。 (だけどここに、"あいつ"の声が無いだけで物足りないんだな……)  そんなことを思ってしまった自分に気付き、真っ赤になる白蓮。すっと瞳を開く。 「…………ばか」  空を睨み付けながら呟いた言葉は風に乗って流されていった。 ケース2:一刀が、水関から華雄に関する報告を送ってきた時 「なにぃ!? ど、どどどどういうことだ!」  白蓮は思わず声を上げてしまいすぐに口を押さえるがまったく意味をなしていない。白 蓮が声を上げたのには訳があった。それは、前戦にいる一刀が送られてきた一通の書簡だ った。  そこには、華雄はしばらく自分と共にいる。兵を何とか預かっていて欲しい。とだけ書 かれていた。  改めて書簡の内容を確認していると、近くにいた部下が白蓮が声を上げたのに驚き、何 事かと近づいてきた。白蓮は慌てつつ書簡をしまい、ごまかす。それを訝りながら部下が さがったのを確認し、ため息をつく。 「はぁ、まったく……あいつは、どれだけ厄介ごとを抱え込むんだ」  呟きながら頭を抱える白蓮。自分が最も大きな"厄介ごと"を抱え込んでいることに気付 いてはいない。  それから、白蓮はすぐに「よしっ!」と気合いを入れ、書簡を綴り始める。北郷隊が 水関を守っていた華雄隊を押さえ込んだという功績に対する褒美として華雄隊の残りを預 からせて欲しいという内容だった。  白蓮は、書簡を書き終えると手の空いていそうな兵に声を掛けた。 「おい、ちょっといいか?」 「は! なんでありましょうか?」 「あ〜悪いんだが、これを"総大将"の元に送ってくれ」 「かしこまりました」  兵は勢いよく返事をすると陣から駆けて出て行くのを見送った白蓮は、前戦への兵の補 給について手続きをするため部下のもとへと向かうのだった。  その後、総大将である袁紹から返ってきた書簡を見ると中には、 『華雄隊の残存兵を先の戦いでの褒美として与えることを、私、袁本初が許可致しますわ 。まぁ、元々名家の出である私のものにするにはふさわしくない者たちですから問題あり ませんわ。やはり、この高貴なる……』  必要な部分だけ読んで白蓮は、その書簡を仕舞った。 「これでいいのか……一刀?」  白蓮は、ここには居ない青年のことを思いながら空を見上げた。 ケース3:一刀が虎牢関でも前線を務めると知った時  公孫賛軍の中で一人の少女が暴れており、それを周りの人間が止めていた。 「えぇい! 離せぇ!」 「お、落ち着いて下さい。うわぁ」  何かを言ってくる文官を白蓮が、投げ飛ばす。そして再び、前進する。 「くっ、速く止めるのだ!」 「まずいぞ! 止めろ!」 「だぁぁ、私は行くんだ!」  尚も白蓮に食らいつく兵たち、しかしそれでも一歩ずつ前へと進む白蓮。よく見れば、 その目は血走っている。 「もう限界だぁ! また、私はこんなとこにいなければならないのか!」 「そりゃそうでしょ。あなたが公孫賛軍の指揮を執らず誰が取るんですか!」 「うるさい! これ以上機会を削られてたまるか! それに今は側に華雄がいるというで はないか。これでは、ますます私の存在があいつの中から薄れかねないだろうが!」 「何を言っているのか、わたしにはわかりません!」  何人もの兵を突き放しながら、進む白蓮。そんな中一人の文官だけが必死に食らいつい ている。 「このままじゃ、あいつの中の私の立場が危うい気がするんだよぉぉ!」 「やっぱり、意味が分かりませんが。あなたが、しっかりと役割をこなせば、北郷様はき っと褒めてくれますよ」 「!?」  文官が必死に放った一言を耳にして白蓮はぴたりと止まる。 「や、やっぱり私がしっかりと指揮をとらねばならないよな」 「…………そうですね」  妙に晴れ晴れとした顔をする白蓮を、文官が疲れた顔で見ているのだが、白蓮の視界に は入っていない。 「い、一応いっとくが、別に一刀に褒めてもらいたいとかではないからな! 勘違いして 一刀にいらんこと言うなよ!」  急にはっとして、白蓮は文官に詰め寄る。既にへろへろになっている文官は必死に頷く ことしか出来なかった。 「よし、それじゃあ、さっそく虎牢関での戦いに備えて準備に掛かろう。悪いが先に行っ ててくれ」 「は、はぁ……それでは」  文官が曖昧な返事をして、その場を立ち去るのを確認した白蓮は顔をあげ、空を見つめ る。 (速くお前と再会したいぞ…………一刀) ケース4:一刀たちが呂布たちと接触したという報告が届く時  現在、白蓮は落ち着かず、体をそわそわとさせていた。現在、虎牢関において前曲を務 める劉備軍及び、北郷隊が呂布隊と接触しようとしているらしく、その報告を聞いてから 、白蓮はずっとこの調子だった。 「大丈夫なのか……一刀」  白蓮は、心配そうに前方を見つめる。もちろん、一刀の姿など見えるはずもないが、そ れでもそうせずにはいられなかった。  現在公孫賛軍の居る位置では、僅かに突破してきた敵兵の対処くらいしかすることが無 かった。そのため、前曲と比べれば手持ちぶさたと言えた。 「やっぱり、私も行くべきだったのかな」  白蓮が、ぼやきつつ、ため息を吐いていると、一人の兵がやってくる。 「報告です。現在、劉備軍の前衛が呂布隊と接触、先頭を開始した様子。また、呂布に関 しては劉備軍の関羽、張飛の両将軍が抑えている様子。他の前線は下がっているようでこ のままいけば、恐らく左翼の曹操軍、右翼の孫策軍が巻き込まれると思われます」 「わかった。報告ご苦労。下がって良いぞ」  兵が礼をしてさがったのを見ながら、白蓮は、現状を考えていた。 (やはり、呂布隊が先制してきたか。そして桃香たちはそれを利用するというのか……だ が、そうなると残りの隊――たしか、張遼、陳宮だったかはどう動く?)  白蓮が現状を把握し、先を予測するのは、前曲で戦っている一刀に危機が及ぶ恐れがあ った際に、すぐにでも動けるようにするためというのが主である。  白蓮が、そんな風に、先の事を考えていると、 「報告です。董卓軍の張遼隊、陳宮隊共に動き始めてました。陳宮隊は何かを仕掛ける様 子、張遼隊は分散し、そのうちの一つが、北郷隊に向け一直線に向かっています」 「そ、そうか、戦力差は?」 「は、そこまで差はないかと思われます。ただ、その中に張遼がいるようです。恐らくは 、このまま交戦になるかと」 「うむ、わかった。下がれ」  報告に来た兵をさがらせると、白蓮は先程以上にそわそわしだす。本心としてはやはり 、心配でならない。よりによって分散した中で張遼を中心とした一団が一刀の元へ向かっ ているというのだ、白蓮にすれば気が気でならない。 「頼むぞ星…………本当に」  現在、一刀の側にいるであろう星を想う白蓮。彼女は知らない、この時既に星が一刀の 側におらず、呂布の元へ向かっている最中であることを。  そのまま白蓮は、その場でぐるぐると回ったり、ぼぅっと空を見上げたりと、挙動不審 な行動をとっていた。  周りの部下たちがそれを複雑な表情で見ているのだが、そんなこと、白蓮はおかまいな しだった。  そんな怪しい動きをする白蓮の元へ次の報告が上がる。 「報告します。現在、呂布と関羽、張飛の二将軍による戦闘に趙雲殿が、単独で参加した 様子」 (星ぃぃ!)  自分が願ったことが外れ、思わず星の名を叫ぶ白蓮。気のせいか、白蓮のこめかみの辺 りがずきずきと痛み出す。 「え、えぇと」 「あぁ、続けてくれ」  少しひき気味の兵に、白蓮は続きを促す。 「は! 張遼が北郷隊と接触、華雄殿が相手をしているようです」 「何! それは本当か」 「間違い在りません。しかも、真剣な戦いをしております」 「そうか、で? 一刀はどうした」  星の代わりに役目を果たした華雄に心の中で感謝を述べる白蓮。こめかみの痛みが少し 治まる。 (良くやったぞ! 華雄。後で何か褒美をやるかな) 「北郷様は、現在、呂布がいる方へと向かっているようです」 (一刀ぉぉぉ!)  白蓮のこめかみの痛みが再度増してくる。その上、頭痛までしてきた。顔なんかは、も う真っ青を通り越して真っ白になっている。白蓮も、まさか、一刀が、今回の戦いの中で 最も死地と呼べる場所へ向かっているとは思っていなかったのだ。第一、報告を聞けば、 呂布は愛紗、鈴々、星の三人を同時に相手をしても互角に渡り合える程の強者、一刀が行 ったところで何も出来るはずがない。白蓮はそう考えていた。というか、それが普通の考 えである。 「あ、あの……」 「あぁ、下がっていいぞ」  白蓮は、頭を抱えつつ、片手をひらひらとさせる。兵が、おどおどしながら下がる。そ れを目で見送った白蓮は、ため息をつく。 (あいつは、一体何を考えているだ…………)  今更ながらに思う、やはり自分も側に居るべきだったのではないかと。もちろん、周り が許すはずもないのだが、それを押し切ってでも行った方が良かったのではないかと白蓮 は後悔する。  それから白蓮が悶々としつづけていると、前方で大きな動きが見られた。恐らくは、戦 闘が終了したのだろう。  その予想を裏付けるように、報告があがる。 「ご報告! 虎牢関を曹操軍が落としたそうです。また、北郷隊、北郷様、趙雲殿共にご 無事とのことです」 「そ、そうか…………良かったぁ〜」  一刀の無事を聞き、白蓮の体から力が抜ける。安心したところで、詳細を尋ねる。 「華雄殿が、張遼に勝利したようです。また、北郷様が、呂布と何か会話を行い、撤退さ せたそうです」 「会話? 撤退?」 「はい、残念ながら詳しい内容までは知ることが出来ませんでした」 「そうか……まぁ、わかったからさがっていいぞ」  未だ、疑問は残るものの白蓮は、兵をさがらせる。 「もうすぐ、会えるな一刀」  白蓮が空を眺める。その顔はどこか欲しくてたまらなかった服を買いにいく少女のよう に爛々と輝いていた。 ケース5:虎牢関で合流できなかった時  白蓮がご機嫌だった。それを見て周りの部下たちは安堵していた。その中でも、白蓮の 側にいた文官は、この虎牢関にたどり着くまで色々あった事を思い出し、瞳を潤ませてい た。 「さて、一刀……こほんっ、北郷隊はどこだ」  虎牢関入城を果たした軍を見渡すが、どこにも北郷隊の姿が見られない。文官の胸に嫌 な予感が過ぎる。その上、背中には冷や汗が流れはじめている。 「おっかしいなぁ、どこだ?」  白蓮が、キョロキョロと辺りを見渡している。その顔は高揚感に溢れていた。それを目 にすることで文官の顔は逆に暗くなっていく。  そんな白蓮たちの元に、一人の兵がやってくる。それは北郷隊の兵だった。 「すみません。ご報告があるのですが」 「おう、良く来た、さぁ言ってみろ」  相変わらず、ご機嫌な白蓮の様子に兵が首を傾げつつ報告を始める。 「北郷隊は、他の軍と共に先に進むとの事です。なのでもう既にこの虎牢関を去っており ます」 「…………え?」  報告が終わった瞬間、場の空気が変わった。一気に絶対零度の如き冷たさに変わる。そ して、白蓮が油の切れた絡繰りのようにギギギと動く。 「そ、そうか……もう、下がって良いぞ」  項垂れる白蓮を訝りながら報告をしに来た兵が立ち去る。それは、いつぞや見た光景に そっくりだった。そして、もの凄い嫌な予感が文官を襲う。胸が締め付けられるようにギ リギリと痛み、胃もキリキリと痛み出す。 「………………ぞ」 「え? 今何と?」  白蓮が何かを呟くが、聞き取れず、聞き返してみる。 「私たちもすぐに追うぞ!」 「えぇ! お、お待ち下さい。兵たちにも休息が必要です」 「…………駄目か?」 「そんな、ねだるように見ても駄目です」 「ちぇっ、何だよ何だよ」 「ふて腐れても駄目です」  色々試みてくる白蓮に対し、冷酷な返答をする文官。 「じゃあいいよ! 私一人でいくから」 「な、何を仰ってるのですか!」  急に目を見開いた白蓮が愛馬に向けて進み始める。それを文官が止めようと試みる。し かし、あくまで文官、一人では、武にも精通する白蓮を止めることが出来ない。 「く、仕方がない、鎮静部隊!」  文官が声を上げると、数人の兵がやってくる。この兵たちは、通称"鎮静部隊"、この争 乱の中で、何度も暴走した白蓮を食い止めるため密かに結成された部隊である。  そして、彼らは、文官に続いて白蓮を掴み、動きを止める。  文官は、その間に策を練るのが役目である。 「そうです、後少し休息をとったら、白馬隊をつれて先に行っては如何ですか?」 「何?」  白蓮が、文官の方を見る。どうやら興味を引けたようだ。 「お一人で行かせるわけにはいきませんが、一部隊を率いていくのなら構いません。幸い 、虎牢関を超えた今、驚異はほとんど無くなっているでしょうから」 「…………わかった。それで妥協しよう」  文官は何とか、白蓮を落ち着かせることに成功した。  再び、休息に入る白蓮を見送りた後、何気なく空を仰ぐ。 「北郷様、もう我々は限界です。速くあの御方と再会してくだされ」  その時、空を見上げる文官の瞳から、一筋の雫が流れたのだった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――