──真√── 真・恋姫無双 外史 北郷新勢力ルート:第三章 反董卓連合之五 **  皇帝の座す場所、首都洛陽──その城門は固く閉ざされている。  洛陽の東門の前には、北郷軍と孫策軍が並び、様子を伺っていた。   「……さて、当然のごとく閉ざされているわけなんだが。……ここまでの様子だと、無事に逃げてくれたのかな?」  虎牢関からここまでの間、董卓軍による抵抗はまるで無く、またこうして洛陽前に軍が集まっているにも拘らず、 城内からは何の反応も無い事から出た一刀の言葉であるのだが、他の皆も同じ考えを持ったのだろう、思い思いに首肯する。  城門は沈黙し、静まり返るのみ。  一刀がそれを眺めながら、さてどうしたものかと思案していると、 「では一刀様、私が様子を見に入りましょうか?」 「明命なら潜入工作はお手の物だから、うってつけよ?」  そんな明命の進言と孫策の勧めに、それが一番かと頷いた。 「……わかった。明命、よろしく頼む。大丈夫だとは思うけど気をつけて」 「はい!お任せ下さい!」  明命はそう勢い良く返事をすると、洛陽潜入の為にその場を辞した。 「後はとりあえず報告待ちか……風、本隊の様子は?」 「細作の報告によりますとー……このままだと洛陽一番乗りが出来ない恐れがある事に気づいたんですかねー。 我々に露払いを命じた割には、袁紹さん、随分と焦って行軍している様ですね。  ですがまぁ、どうやら劉備さん方が上手くやってくれている様で、あと一日程度は余裕が有るかとー」 「そっか。じゃあ後は明命が戻ってくるまで、各々休憩と言う事で」  一刀のそれを合図に、北郷軍、孫軍共に兵達に小休止をさせ、各々もまた休息に入った。 「北郷、一つ聞きたいのだけれど」  明命が戻ってくるまでの小休止に入った後、孫策と周瑜が一刀の元を訪れた。 「ん、何かな?」 「今回の件よ。何故袁紹からの命令の内容をこっちに漏らしたの?」  少々憮然としながら聞いてくる孫策に、一刀は軽く肩をすくめると、 「別に、俺はただ口が滑っただけだよ。それにその内容も、単に袁紹が俺達に露払いを命じたってだけだしな」 「それを活かすも殺すもこちら次第……って事かしら?  ……こっちとしては、そんな“活かせる”情報を流されたって事自体に、逆に色々勘繰ってしまうのだけどね」  深い意味は無い。誤って情報が漏れてしまった……そんな一刀の言い分には、孫策はやはり納得は行かないらしい。 尤も一刀も、そんな理由で納得してくれるだろうとも思って居なかったのだが。  その為、「まぁ、隠す様な事でもないしな……」と一人ごちると、 「ま、正直に言えば、俺達としては、今後も孫策さん達とは仲良くやって行けたらって思ってるんだ」 「それは、袁術との繋がりを持ちたい……と言う事かな?」  そう言葉の真意を探る様に聞いてくる周瑜に、一刀は首を横に振る。 「こちらとしては、袁術じゃなく、孫策さん達と同盟を結びたいと思っている。  さっきみたいな言い方したのは……できれば貸し借りの延長による同盟にはしたくないからだ、とでも思ってくれればいい」 「……何ですって?」  それは孫策達にとっては、純粋な驚きだった。  何しろ、母孫堅が没してからは、江南の領土を失い、現状の彼女達の立場はあくまで“袁術旗下の一客将”である。 それを一刀は、言い方は悪いだろうが、孫策を飼っている袁術ではなく、飼われている孫策と、同盟を結ぶと言っているのだ。 「何故、袁術ではなく我々と?」 「ん〜……まあ強いて言うなら、天の知識と、実際に孫策さん達と会ってみた印象……かな?」 「『天の知識』とやらは分からんが……要は我々が信用できそうだったからと言う事か」  一刀のアバウトな説明をそう解釈して言った周瑜に、しかし一刀は「少し違うよ」と、軽く否定し、 「“信用”じゃなくて“信頼”かな。  そうだな……例えば、今ここに敵が現れたとして、俺は孫策さん達なら、安心して背中を任せられると思っている」  それには……流石の孫策も周瑜も言葉が出なかった。  彼女達としては、そこまで自分達を買っているとは思っても見なかったのだろう。 「……貴方が言う“敵”が“誰”にせよ、我々が貴方の背中を突く事は無い、と?」 「ああ」  言葉の真偽を確認する様に聞いた周瑜に、迷う事無く頷いた一刀。  そんな彼をじっと見つめていた孫策は、 「くっ……はは、あはははははは!!!」  不意にそう大きく笑い声を上げた。 「いいわ、気に入った。その同盟受けましょう」 「いいの、雪蓮?」 「ええ。世に名高い『天の御遣い』にこれ程までに言われて、それに応えない様じゃ、孫家の名が泣くわ」  そして孫策は一刀を確と見つめると、 「北郷一刀……私の真名を預ける事を、貴方の信頼への返事とさせてもらうわ。今後私の事は雪蓮と呼んで頂戴」 「……雪蓮が真名を許す……か。……ふむ。北郷殿、私の真名は冥琳だ。好きに呼ぶといい」 「うん、ありがとう……雪蓮、冥琳。俺には真名が無いから、俺の事は一刀って呼んでくれると嬉しい」 「わかったわ、一刀。末永い付き合いになれるといいわね」  ニッと笑いながら言う雪蓮に、 「ああ、今後ともよろしく」  一刀もまた、笑みを返すのだった。  そして約一刻後、明命及びその部下達が、偵察から戻ってきた。 「ご報告申し上げます!城内に董卓軍の兵士の姿は無く、また家々の門戸は閉ざされ、出歩く者はおりませんでした。ただ……」 「ただ?」 「西門付近にて、貴人の乗ると思われる馬車と、それを護衛する様に囲む、十名程の董卓軍の兵達がおりました」  明命のその報告に、一刀は嫌な予感を感じ、表情が曇る。 「あー……何かこう嫌な予感がするんだがどう思う?」  水関、虎牢関で味わった様な感覚……言うなれば、物事が思う様に進んでいない雰囲気、とでも言えばいいだろうか。  そんな空気を感じて、意見を求めようと振り返ると、 「…………ぐぅ…」 「はぁ……風、起きなさい」  幸せそうな寝顔と、やれやれと、溜息を吐きながらそれを起こす稟が目に入った。 「おぉ……暖かな陽気についうとうとと。  まあご主人様の言いたい事は良く分かりますが、どちらにしても入って確かめるしかありませんかとー」  風のその進言に一刀は、やはりそれしかないかと頷き、 「ほほぅ……寝ていた割にはよう聞いておるのだな」 「…………祭殿には無理でしょうから、真似はしない様に」 「何じゃと冥琳!?」 「……はは、あー明命、悪いけどもう一回入って、東門を開けてきてくれないか?」 「はい、すぐに!」  黄蓋と冥琳のやり取りに苦笑しつつ、とりあえず中に入るべく、行動する事にした。  洛陽入城後、雪蓮達呉一行は街の占領と人心の安定に動き、一刀達は人気の無い街中を、明命の先導で走って行く。  やがてその視線の先に、一台の馬車と、その周りを囲む様に進む数人の人と董卓軍の兵士が目に入った。  その中に見覚えの有る人達の姿を認めると、急いで駆け寄る。 「やっぱり……!まだ逃げてなかったのか!?」  そこに居たのは……月以下、詠、霞、華雄。 「一刀様!……ごめんなさい。その……この子達も何とか助けたかったから……」  そう言う月の指し示す先……馬車の中を覗いて見ると、犬や猫……多くの動物達が居た。 「はぅ〜……」  それを見た明命が幸せそうな声を上げる。その表情は正に至福。 「この子達は?」 「恋さん……呂布さんの家族達です」 「ボク達にっとても、家族みたいなものよ」  そう言われてしまっては、逃げ遅れた事も怒るに怒れないのが、北郷一刀と言う人物であろうか。 「それなら仕方無い……とは言え、今からじゃもう逃げるのは無理か……」 「逃げられないならば、紛れるしかないでしょうねー」 「紛れる?」  疑問の声を上げる月に、「はい」と答えた風が説明を続け、詠は言いたい事を察したのか、「なるほど……」と呟いた。 「つまりは、我が軍の中に、我が軍の者で在るかの様に。  幸いにも、月ちゃんも詠ちゃんもほとんどの方に顔は知られておりませんから」  そう言った後、風はどこからともなく二着の洋服を取り出す。  動き易い素材で作られた黒いワンピースに、白いエプロンを組み合わせた……所謂エプロンドレスと、 ホワイトブリム──レース付きのカチューシャのことだ──の、『洋服』のセット。 「こんなこともあろうかとー、以前ご主人様に頂いた、天の国の侍女服である『めいど服』を持参しておりますので、 “董卓と賈駆は死んだ”と言う噂を流して、お二人にはまぁ……ご主人様付きの侍女にでも扮していただきましょう。 ……惜しむらくは、これはまだ風も袖を通していない事でしょうかー」 「「「「侍女!?」」」」  風の案に、月、詠、霞、華雄の声が重なる。……それに込められた意味合いは様々なようであるが。 「ちょ、ちょっと待て!董卓様が侍女などと!」 「そうよ!何でボク達がそんな……!」  とは、華雄と詠。 「月が侍女か〜……あの服着るんか?ええなぁええなぁ……可愛いなぁ」  とは霞。そして月は…… 「……あの……侍女と言うと、一刀様の身の回りのお世話をさせて頂けるのでしょうか?」 「ええ、そうなりますねー。もっとも、風としては応急措置として、今だけ建前で……というつもりだったのですが。  月ちゃんがやりたいのでしたら構いませんよー?」  月は風のその言葉に何事かを考えると、頬を赤く染めて一刀を見つめ、 「……へぅ…………ご主人様……」  小さく、しかしハッキリと聴こえる声で言った。  気分は既に“一刀付きの侍女”の様である。 「……ゆえ〜……」 「あははっ月はすっかりその気やなぁ」  そんな月を見つめる面々は悲喜こもごも。 「ところで……え〜っと……ウチらも侍女するん?」 「張遼さんと華雄さんは顔が知られていますからねー。できれば降将として振舞って下さる方が都合が良いですが」 「……ボク達もそっちの方が良いわよ……」  そうげんなりとして言う詠を、しかし風は「だめですよー」とあっさりと切り捨て、 「月ちゃんと詠ちゃんは、連合内では“帝の専横、暴政と略奪の首謀者”とされていますからねー。  下手に降将として扱ってしまうと、場合によっては諸侯の前に出なければなりません。 それでは顔が知られていない事の利点が何も無く、下手をすれば正体が露見しかねませんからー」  詠も解っていて聞いてみただけなのだろう。「解ったわよ……」とあっさりと引き下がった。 そして、詠が仕方なしにも受け入れたので、霞と華雄も北郷軍へ降る事を受け入れる。 「はぁ……侍女かぁ……ボクは軍師なのに……」  よほど侍女に引っかかるのか、そうポツリと漏らした詠の呟きを聞いた星は、 「安心なされよ」  と、ニヤリと笑いながら言う。  そんな星に詠はいぶかしげな顔をむけると、 「安心って……何をよ?」 「何、華雄殿にも張遼殿にも、詠にも月にも、これからはしっかりと働いてもらうさ。 無論、詠には軍師としても、我々も期待しているのだよ」 「ちょ、ちょっと!ボクと月は表に出るわけには行かないって言ったばかりじゃない? そりゃ、ただ世話になるだけってよりは断然いいんだけど……」  そんな詠の言葉に、 「別に表に出たら不味いなら、裏で動けばいんだよ」  と事も無げに一刀が言う。 「そうですね。月殿も侍女としてだけではなく、政務等の面でも、一刀様の補佐として手助けしていただけるといいのですが」  降る以上、今後は本郷軍の将扱いとなる霞、華雄はともかく、名目上死んだ事にしようとする月と詠をも──表に出さぬとは言え── 取り立て様とする一刀等のやり取りに、流石の詠もあっけにとられていた。 「その……何でそんなにボク達の気持ちを汲んでくれようとするの?  ……ボクが言うのも何だけど、アンタ達にとって、ボク達ははっきり言えば厄介者以外の何者でもないでしょう?」  そんな、言ってしまえば一刀達の言動が信じられないと言った様な詠の問い掛けに、 「月も詠も、俺にとって大切な人だ。受け入れるのに、厄介だなんて思った事も無いよ。  それに……ほら、うちは人手不足でね。働ける人には存分に働いてもらわないとね」  はははっと軽く笑いながら、一刀は言うのだった。  月達が偽装している待ち時間の間、一刀は星を伴い、何ともなしに周囲を散策していると、ふと“何か”を感じて、 小さめの広場に作られた井戸の前で足を止める。  不意に足を止めて周囲を見渡し、首をかしげて何かを考えんだ一刀に、星は怪訝な顔を向けた。 「いかがなされた?」 「いや……“何か”が引っかかってさ。何か忘れてる様な。……けどそれが何か分からないというか……」 「ふむ。……此処で足を止められたと言う事は……この井戸に何かが在るのでしょうか?」  その何ともなしに言った星の言葉を聞いた瞬間──頭の中に引っかかっていたモノがすっと取れる感じがし、 「そうだ、井戸だ!」  そう叫ぶと、井戸に駆け寄りその中を覗きこんだ。 「……やっぱり……星、来てくれ!」 「井戸の中に何か?」  一刀に呼ばれた星が井戸の中を覗きこむと、その底にぼんやりと光るモノが在るのが分かる。 「あれは……?」 「あれ、何とか引き上げられないかな?」  一刀に聞かれ、「ふむ……」と唸ると、井戸から水を汲む為の桶に結わいつけられた綱を何本か見つけ、 それの強度を確かめると、近くの木に片端を結び、 「少々お待ちくだされ」  そう言い残してスルスルと井戸の中へ消えていった。  ややもして、事も無げに井戸から件のモノ──輝く“何か”が入れられた袋──を引き上げてきた星は、それを一刀に渡すと、 一刀は袋の口を少しあけて中を覗き込み、「やっぱり……」と呟く。 「ところで主、“ソレ”は一体?」 「危険な物じゃ無い……いや、有る意味何よりも危険な物か……。  星、すまないけど、風か稟を呼んで来てくれないか?」  それは風か稟が来れば話すという事なのだろう、星は「わかりました」と言うと、馬車の有る場所へと駆けて行った。  少しして、風と稟を伴い星が戻ってくると、一刀は三人を招き、他から見えない様、円になる様に立つと、袋を開けて中を見せる。 「これは……!」  稟がソレを取り出し、裏を見る。  刻まれるは「受命于天 既寿永昌」の文字。 「……間違いありません……これは玉璽……」 「……これをどこで?」 「そこの井戸の中に落ちているのを主が見つけてな。私が引き上げた」  当然とも言える風の疑問に答えたのは星。 「月殿達の撤退時のどさくさに紛れて持ち出されたか……それとももっと以前にか。  何にせよ、これはまた取扱いに困る物を手に入れてしまいましたね」  玉璽を見つめ、苦笑しながら言う稟の言葉に、 「帝に返上するんじゃだめなのか?」  そう率直な疑問をぶつける一刀であったが、稟はそれに首を横に振って答える。 「……今の帝は歳若く、また漢王朝自体に最早力はありません。 それを帝に返上したとしても、結局は騒乱の種になるだけかと思われますが」  稟のその言葉にしばし考え、意見を求める様に見た風も、稟に同意する様に頷くのみ。 「…………よし。  風、稟。ソレは誰の……俺の目にも触れない様に厳重に封印しておいてくれ。  いつか……そうだな、いずれこの大陸を統一する人が現れた時、その人に渡せればいいんじゃないかな」  玉璽は雪蓮に渡し、雪蓮がそれを担保に、袁術から独立の為の兵を借り受ける── 一刀の知る歴史の流れに近くしようとするのであれば、それが最善の方法であろう。  だがそうなれば、玉璽を持った袁術が皇帝を僭称し、民が苦しむもとになる。  無論一刀としては、そんな事は望むわけも無く、それ故に、先の様な結論に達したのである。 「……ふむ。まぁ、将来大陸統一を成し遂げるは主であろうから、好きになされるとよいでしょう」 「それもそうですね。……では、これは此方の方で確かに処理しておきましょう」  星の軽口に稟もまた軽く答えつつも、だが玉璽は確りと仕舞い込む。  そして風の、 「では、本陣に戻って撤退の準備でも致しましょうかー」  と言う一言でその場を締め、月達の元へ戻っていった。  ちなみに、月と詠のメイド服姿を見た一刀がそれを絶賛し、 「……先に風がご主人様にお披露目しておくべきでしたねー……」  風がこっそりと悔しがっていたのは余談である。 ──連合軍本隊が合流したその日。 『『天の御遣い』が董卓、賈駆を討ち取ったらしい』  連合内に流れる一つの噂に、凪は迷っていた。  その噂が真実であるのか……それとも否であるのか。  北郷一刀が連合に合流した日の夜、彼との偶然の邂逅の折、彼は確かに『必ず助ける』と言っていたのを覚えている。 それ故に、噂が信じられないのだ。  噂を聴く限り、それは真実であるように思えるのだが、それでも凪には、彼が己の誓いをおいそれと破るとは思えなかった。  そして、凪は一つの単純な結論に達する。  ……分からなくて迷うのなら、確かめれば良い。  その夜──こっそりと北郷軍陣所を尋ねる彼女の姿があった。 「あの、北郷一刀様に、凪がお会いしたいとお伝え下さいませんでしょうか?」  陣所を守る衛兵にそう伝えると、衛兵は初め不振そうな目を向けて居たが、彼女の雰囲気に何かを感じたのだろうか、 「お伺いを立てて来ます」  そういい残して、陣の中へと入っていった。  そして待つことしばし── 「凪!」  伺いを立てに行った衛兵と共に一刀が凪の元へとやってくると、衛兵と二、三言話してから「歩こうか」と凪を誘うと、 そのまま二人は、北郷軍陣所近くに在った洛陽郊外の木立へと向かった。  衛兵には見られたとは言え、曹軍の将である凪が秘密裏に来ているのは、あまり人目に付かない方が良いであろうとの判断である。 「それで、どうしたんだ?」  そう一刀が声を掛けたのは、木立の中の少し開けた草むらへと腰を下ろし、しばし経った頃。  凪はその問いに対して数瞬迷った後、 「……噂についてです」  その一言で何が言いたいのか察した一刀は、「う〜ん……」と考えた後、 「……絶対に他言無用にできるかい?」  その言い方は既に、二人は生きていると言っているのも同意ではあったのだが、それでも一刀の口から聞きたいと、 凪は一にも二にもなく頷いた。 「と言っても、もう分かってるだろうけど……二人は生きてるよ」  最早凪の事は信用しきっていると言わんばかりに、あっさりと言い放った一刀は、そこに至るまでの経過を説明した。 「そうですか……そんな事が……。  でも良かったです。一刀様がご自身の誓いを果たす事が出来て……」  本当に嬉しそうに目を細めながら言う凪に、一刀もまた笑みを返し、「ありがとう」と言いながら軽く凪の頭を撫でた。 それに対して凪があわあわと顔を赤く染め、その様子に一刀もまた笑みを強くする。  その後も二人は、この遠征中に起こった事等を何気なく話し続け、その間も二人から笑顔が消える事は無かった。  いかほどの時間が経ったであろうか、弾む話にいつの間にか並んで座る二人の肩は、ほとんど触れ合いそうな程に近づいていて、 ふとした瞬間にそれに気づいた二人は、思わず黙り込んでしまった。  不意に訪れた、そんな気まずい沈黙を、一刀が「そういえば」と前置きして破る。 「今日は会いに来てくれて嬉しかったよ。近くこの連合を離れるから、その前に会えて良かった」  そうニコリと……凪にとっては直視できない程に嬉しそうな笑顔で言われ、彼女は「……は、はい……」と、 顔を真っ赤に染めて俯き加減に言う事しか出来なかった。  そんな凪が余りにも可愛すぎたのだろう……一刀は静かに彼女の頭を数度撫でると、そっと肩に手を回し抱き寄せる。  凪もまたそれに逆らう事無く身を任せると、ふっと身体の力を抜く。  気まずかったはずの雰囲気は、いつの間にか甘いものへを変わっており、まるでそれに後押しされるように、 一刀はそっと凪へと顔を寄せる。  凪もまた、一刀が何をしようとしているのか察し、またそれを受け入れたのだろう、静かに瞳を閉じる。  静かに触れ合う唇は、甘く優しく離れる事は無く、一刀はそれを合わせたままに、そっと凪を押し倒した。 「……あっ……」  思わず漏れた凪の呟きに、一刀は唇を離すと彼女の瞳を見つめる。  そして凪は……小さく、こくりと頷くのだった。  二刻(約四時間)程後── 「凪ちゃん、御遣い様とはどうだったのー?」 「────!!」  そっと物音を立てない様に、李典、于禁とと共に自分に割り当てられている天幕へと戻ってきた凪は、 不意にかけられたその言葉に声も無く飛び上がった。 「な、何だ沙和か……脅かすな」  ぶっきらぼうに言いつつも、赤くなった頬を隠す事も出来ず、それを見た于禁、そして李典もまた、何かあった事を察した。  そして繰り出される、李典の追撃。 「それで、御遣い様はどうやったん?可愛がってもろたんやろ?」  李典としてはカマを掛けただけであった。  まぁ何か有ったとしても、口付けでもしてきたのではないか。ぐらいの認識であったのだが…… 「その……三回程出していただいた……」 「「!!!!」」  顔を真っ赤にしつつ、夢見る様にぼそりと消え入りそうな声で凪が発した爆弾は、于禁と李典に大きな衝撃を与えていた。 「だ、出していただいたって、何をなのー?」 「何ってそりゃ……」 「…………」 「…………」  凪もまた、言ってしまってから、己が何を口走ったか分かったのであろう、「い、いや、今のは……」と、 必死に弁解しようとするが、最早手遅れと言うもの。  まるで獲物を狙う鷹の目のごとく、キラリと目を怪しく光らせる……様に見えた……二人は、じりじりと凪に詰め寄り── 「ちょっ……二人とも、やめ──」  あらゆる手段を講じて、何があったか根掘り葉掘り聞き出されたのは──まぁ、語るまでも有るまい。 ──翌日昼。  北郷軍陣所には、雪蓮、冥琳、黄蓋、明命、劉備、関羽、諸葛亮、鳳統、馬超、馬岱、公孫賛が集まっていた。 それも、意図したものではなく、偶然に、である。  無論全員の目的は一つしかなく、最終的な状況の確認であるのは明白であるので、一刀達は己の現状── 董卓、賈駆を密かに助け、死んだと言う噂を流した事、華雄と張遼を降将として受け入れた事、準備が整い次第、 連合を抜けて帰途に着く事を告げた。 「──そうか、でも最後の最後に何とかなって良かったよ」  説明を受け、そうホッとした様に言う公孫賛に、「そうだね」「まったくだ」と、各々肯定の言葉を返す。  そんな皆へ向けて、 「皆、今回は手伝ってくれてありがとう。この恩は忘れないよ」  そう言って一刀は静かに、そして深く頭を下げた。  そんな一刀へ、劉備はわたわたと手を振り、 「そんな、顔を上げて下さい!私達なんて全然お役に立てませんでしたし…… むしろ、逆に足を引っ張ってしまったんじゃないかって思うぐらいなんですから」  劉備の言葉に一刀は顔を上げると、けれど頭を横に振り、 「そんなことないよ。それに俺は、俺達の想いに同意してくれる人達がこんなにも居たって事が──すごく、嬉しいんだ」  そう言って、微笑みを浮かべる。  それはその場に居た全員が見惚れるぐらいの、何の裏もない、純粋な微笑みで── その場に居た全員の心に、『北郷一刀』と言う人物を、強く強く、焼き付ける事になった。  そしてそれは、この謀略と動乱の時代にあって尚、強い心の結びつきを作る事になるのだが── それはまだ、この場に居る誰も知る由も無い。  この後しばしの歓談の後この場は解散となり、翌日には北郷軍は、連合を去る事になる。 ──一刀と凪の逢瀬から四日ほど後。 「見つけた……月と詠の仇……」  漢中との境に程近い小山の上から、漢中へ向かう隊列を見つけた少女が呟く。 「……お前達……ここに居る。来ちゃだめ」  それだけを呟くと、少女は馬に跨り、単騎駆け下りた。  ここまで着いてきてくれた兵士達を置いていくのは……死出の旅路へ巻き込ませないための、少女なりの気遣いか。  だが──来るなと言われていたとしても……将と仰ぐ人物を、只一人死地へ進ませる者は、彼女の部下には居なかった。  漢中までもう少し……と言ったところまで差し掛かったその時、突如右手の山から戦鼓が鳴り響いた。 「なんだ!?」  一刀がそちらの方へと振り向くと、戦鼓と共に山頂に立てられる、多くの旗が見えた。  そしてそれを背に単騎駆け下りてくる、一騎の兵。  それは、一直線に隊の中心──一刀を目掛けて、向かってくる。 「……深紅の……呂旗……」  それは虎牢関において、多くの人物へと戦慄を植えつけた、只一人の将。  そしてその直後、深紅の呂旗を掲げた兵団もまた── 『おおおおおおおおおおおおーーーーーー!!!!!』  呂布に続けと言わんばかりに、雄叫びを上げて突撃を開始する。 「呂布か……稟、兵達を下がらせてくれ!」  すぐにでも迎撃体勢を整え様としていた稟へそう言い放つと、稟は驚いた後すぐに、その意図を察して神妙な顔になる。 「……わかりました。ですが、呂布の配下の兵は食い止めます。  星、それに早速になりますが、霞、華雄……一刀様を頼みます」 「心得た」 「任しときぃ」 「ああ」  三者三様の返事を聞き、稟は兵達へ命令を伝えていく。そして、一刀と呂布の間に道を作るかの様に、兵達が退いた。  その北郷軍の兵の動きに、呂布の兵達は罠を警戒して思わず止まってしまうが、一方の呂布は、 背後から聞こえる『呂布殿、止まって下され!』と言う声に構わず突っ込んで行く。  迎え打つは、各々が一騎当千を誇る三名の将。 そして──勢いに乗せた呂布の方天画戟と、星の龍牙、霞の飛龍偃月刀、華雄の金剛爆斧が激突した。  その時月は、一台の馬車の中で眠っていた。……正確に言えば気を失っていたのだが。  彼女は一刀達に救いだされ、彼らの陣所に身を寄せてから数日後、北郷軍が連合軍から離脱して帰途に着いた途端に、 ふっと気を失ってしまった。  それまで積み重なってきた戦争の重圧、迫っていた命の危機……その様な物から解放され、一気に気が緩んだのであろう。  そしてそんな、昏々と眠り続ける月の側には詠と共に、雪蓮から「ちょっと漢中の視察に行ってきてー」と軽く命じられた明命が、 その身を守る様に寄り添っていた。  そしてそこに呂布の襲撃があり──月は不意に目を覚ました。 「……何の騒ぎよ?」  途端に騒がしくなった周囲の様子に、詠が騒ぎの元の方を眺め、彼女に続く様に月と明命もそちらの様子を伺う。  そこに見えるは、深紅の呂旗。 「あ!月!」  そしてその旗が見え、剣戟の音が聞こえた途端、月は馬車を飛び出し、一刀の元へと駆け出していた。 「ええい!……話を!……聞け!呂布!」  もうどれほど切り結んで居るだろうか、三人がかりで何とか呂布の勢いを押し止め、その場に食い止めながら華雄が叫ぶ。  月と詠は生きている──たったそれだけの事を言うのも梃子摺る程に、今の呂布は尋常ではない気合を込めて向かってきていた。  実際、相手の言葉など耳に入らぬ、目の前に居る者達など目に入らぬと言わんばかりに、彼女が見据えるのは北郷一刀のみである。 「……邪魔!」  そんな言葉と共に、気合を込めた一撃で星を弾き飛ばす。  ──呂布にとって月と言う少女は、彼女が家族と呼ぶ動物達以外に、初めて心から“家族”と呼べる相手であった。 「……どけ!」  小さくも、力を込めた呟きと共に、霞と華雄をまとめて打ち据える。  ──今でこそ……陳宮や配下の兵など大切な者達は増えたが、それでもやはり月と言う存在は、 呂布にとって他の者とは一線を画すものだったのであろう。 「…………死ね」  後に残すは、己にとっては取るに足らない力しか持たぬ、仇のみ。  ──だからこそ、“あの噂”を聞いた時、彼女は誓った。  『月と詠を殺したヤツは、必ず殺す』と。 「恋さん、だめ!!」  ──だからこそ──その声と、自分と目標との間に飛び込んだその姿を、間違える事は無く──  渾身の力で振り下ろさんとしていたその刃を、己の限界を超える筋力で食い止め、その力の方向を無理やり捻じ曲げて少女から逸らす。  ……方天画戟は、月を掠めるように振り下ろされ、地面に突き立っていた。  そして月は、彼女を信じていると言わんばかりに、目を逸らす事無く呂布の前に立ち塞がっていた。  そこに占められるは、全ての者が息を呑む静寂。  そしてそれを破ったのは── 「…………月、生きてる?」  よく分からないと言う感じに問いかける、呂布の声だった。  その後──余りにも理解しづらい急展開に呆然としていた、陳宮以下、呂布配下の兵達も月の姿を認めて駆け寄り、 彼らに一刀達から現状の説明がなされた。 「……お前、月達助けた?」  そしてあらかたの説明を終えた時、呂布は小首を傾げながら、一刀にそう問いかけた。  一刀はそれに対して頷き、「それだけじゃないんですよ?」と月が続ける。  月の言葉に呂布が再び小首を傾げ、月の指し示す方を見ると、眼に映るのは馬車から飛び出す動物達。  そしてその先頭を走るのは、赤いスカーフを巻いたウェルシュコーギー。 「セキト!」  物凄く嬉しそうな表情で、尻餅を付く様に動物達を抱きとめた呂布は、そのまま上目遣いで一刀を見やる。 「……皆も、助けてくれた?」  そんな……先程までの鬼気迫る雰囲気など微塵も感じさせない呂布に、一刀は苦笑を浮かべながら「ああ」と頷き、 「月が、皆も助けてあげてって言ったからね」  と、そこに至るまでの過程を説明する。  それに対して呂布は何事か考えると、立ち上がるとすっと己の武器を一刀へ差し出す。 「恋、お前に従う。…………皆助けてくれて、ありがとう」  そう嬉しそうに言う呂布の様子に、一刀もまた微笑みを返しながら、受け取った方天画戟を再び呂布の方へ差し出す。 「…………?」 「呂布さん、よかったら俺達に力を貸してくれないかな?」  捕虜ではなく、共に戦う仲間になって欲しいと告げる一刀の眼をじっと見つめ、 「…………(コクリ)」  小さくもしっかりと頷いて、呂布はその差し出された武器を、しっかりと受け取った。 「ありがとう!呂布さん、これからよろしくな!」  そう言う一刀に、呂布は小さく首を横に振ると、 「…………恋」  ぽつりと言った。  一刀は少し考え、それが真名を呼べと言うことだと察し、 「よろしくね、恋」 「……(コクリ)」  一刀に真名で呼ばれた恋は、嬉しそうに頷くのだった。  そしてその後、「恋殿が従うのでしたら!」と言う陳宮や、恋の配下の兵を加え、一行は漢中へ帰還の途に着く。  この時を持って、十常侍と何進の諍いに始まる、洛陽を巡る攻防は幕を閉じた。  歴史の荒波に翻弄された少女は、心の支えとしていた青年の下へその身を寄せ、 運命の悪意から少女を救わんとした青年は、最善とは行かぬ結果なれど、その命を救えた事に、安堵の息を漏らした。  そして、大陸は割拠の時代を追え、淘汰の時代が始まろうとしている──。